はてなキーワード: 夏のあらし!とは
世の中には自分にとって「どうでもいい話」とそうではない話が存在する。シャフトがアニメ化を手掛けた作品に限って言えば「夏のあらし!」は限りなく前者に近く、「ef」1期は明らかに後者である。僕たちが現実にタイムスリップを経験する可能性というのはほぼ限りなく0であり、0%の先の世界についての言及は全て予想の範疇を出ず、それは絶対に教訓には成り得ない。それは自らの知見を元にして築き上げた予想ではなく、他者の仮定の連続に寄り添った予想であるのだ。efに関しては話自体のモチーフは既に手垢がつくほど使い回されたものであり、新しさという概念からは遠く離れたものである。しかし全く以て新しくない≒中身がない物語についても、哀愁を喚起させる映像、叙情的かつ繊細なバックグラウンド・ミュージックが合わさればそれは十分消費に耐えうるコンテンツになるということをこの作品は身を持って証明しているのだ。それこそがこの作品が持つメッセージ性である。この例に限らず、何らかのメッセージを受け手に届けることができることがそのコンテンツが「どうでもよくはない」ものであることの証明なのだ。
先の定義で考えると、魔法少女まどか☆マギカという作品は間違いなく前者だ。まどかマギカはワルプルギスの夜という「克服しない限り未来が訪れることのない」困難の象徴に対し、何度も挑戦し続けることで打ち勝つことができると定じた。しかし実際現在の日本社会では本当に僕らが克服すべき困難と対峙できるチャンスというのは極僅かに限られていて、その事実の齟齬のせいであの物語が発するメッセージの信憑性が皆無になってしまっている。「君は独りじゃない」と液晶の中から呼びかけられても僕が本質的に孤独であることは何も変らないのだ。虚構を抜け出せないメッセージというものはそれこそ「どうでもいい」ものであり、虚構の上でしか成り立たないメッセージに価値はない。まどかマギカは最終話においてそのメッセージ性を完全に失い、ただの「どうでもいい」フィクションに成り下がったのだ。
今期のアニメでの堀江さんの演技がいいと思った。特に『夏のあらし!』。
それまで堀江さんについて、息を強く使う(吸う)、クセのある演技をする役者さんだという印象を持っていて、役柄によってはちょっと受け付けないなあって思っていたのだけど、加奈子役は抑えが効いていて良いなと。
いや、ファンの人からすると、そんな演技は前からやってたよ、てなものなのかも知れないけど、いったん印象を持ってしまうと、先入観ができて、なかなかそれが抜けないものなんだよね。反省反省。
息うんぬんについて。
堀江さんの話とはちょっと違うけど、、、なんとなく、ここ数年のアニメでは、息を強く使う演技が目立つなあ、と思ってて、それが若手に多いという印象があって(あくまで印象ね)。よく分からないけど、こういうのって、役者さんのクセだけじゃなくて、演出の関係とかもあったりするのかな。
個人的にちょっと苦手だったりするんだよね。画と演技をあわせると、ちょっと情報が多くなりすぎてくどい、というか。せっかく細やかな表現(動きの微細な変化など)を画に施しているのに、それに息での感情表現を加えるのは、場合によっては過剰かなと。ドラマCDなんかではあったほうがいいのかもだけど。
ソース中にwriteup-cp.com/beaconが含まれるものを抽出。
時系列順(下に行くほど新しい)。
そのうち2つは同じブログだから、60あるペイパーポスト記事の中で実質2つだけ。
内容はどこもベタホメ。
http://anond.hatelabo.jp/20090104015812
で3か月前に「「3か月前に「脚本がしっかりしてそうな新番組教えて」と書いた増田です」の増田です」の増田です。