はてなキーワード: 国庫とは
使えない奴には使えない奴なりの仕事があったんだよな。昔は。
今はそういう仕事は賃金が安い外国人に全部持って行かれてしまった。
これは大企業が悪いのかと言えばそうとばかりは言えない。
賃金の高い日本人を抱えてたら国際競争に負けて潰れてしまうから。
でも、安定と将来への希望がなければ少子化が進み、国が痩せていくというのは事実。
ではどうすれば良かったのだろう。
日本の経営者なんてアメリカの経営者に比べれば10分の1とか100分の1しか報酬をもらっていない。
アメリカでは実質0の相続税も日本では最高50%まで国庫に入る。
元レスが言うところの「貧しい国民を無くす」「弱者を大事にする」ってのは、
具体的にどういう政策のことだと思う?
国民に等しく医療を提供する--。そんな理念に基づき、1961年に創設された「国民皆保険」から50年。だが、かつて世界一とももてはやされた日本の医療は、疲弊著しい。右肩上がりの成長期はとうに過ぎ、公的保険は低迷する経済にじわじわむしばまれている。節目の年に、「安心」が失われつつある現実を各地に追った。【鈴木直、山田夢留、山崎友記子】
◇長年の「裏技」容認
「6500万円ですね」。札幌市の建設業社長(62)は、社会保険労務士からそう言われて目をむいた。
全国建設工事業国民健康保険組合(工事業国保)で起きた1万人超に及ぶ無保険問題。厚生労働省は昨年9月、無資格で同国保に入り、保険料を逃れてきた事業主らは「時効限度の過去2年に納めるべきだった医療と年金保険料を払う」との清算方針を決めた。6500万円は多い時で30人を雇いながら原則個人事業主の同国保に加入していたことへの「代償」だが、社長は「冗談じゃない」と吐き捨てるように言う。
事態を招いた責任は、一義的には工事業国保側にある。組織拡大を競い、「保険料が減るから」と次々無資格者を誘ってきた。札幌市の左官業の男性(56)は「法人でも大丈夫」と言われて入った結果、今や無保険だ。
それでも社長は30年間、国から一度も指導を受けてこなかった。冬場に建築が減る北海道では、12月に従業員を解雇し4月に再雇用する慣行がある。「常用雇用扱いでなくとも可」。社会保険事務所は社会保険の加入不要とも示唆したという。一部社労士は「裏技」として指南し、厚労省も黙認してきた。
それが昨春、無資格問題が報道され、国は手のひらを返した。社長は昨年末、全従業員を解雇した。しかしなお、6500万円の納付義務は両肩に重くのしかかる。
時効にかからない2年分全額を払わせる清算案は、1人65万円かかる。「公平」を重んじる長妻昭厚労相(当時)の意向が反映された。事情に詳しい民主党議員は「とても払えない。現場を知らない長妻氏の置き土産だ」と批判してきたが、この間同省は「当事者の話し合い」を求めるばかりで調整から逃げ続けた。
無謀な解決策を示しておきながら、事態がこう着するや傍観に転じた厚労省の責任は重い。札幌市は病気の無保険者に一時的な同市国保への加入を認め、協会けんぽ移行後に医療費の返還を求めることを模索するが、移行のメドは立たず、医療費は市の持ち出しとなりかねない。それなのに厚労省は見解を示さず、地方に任せている。
工事業国保の辰川弘敬常務理事は8月3日、監督官庁の東京都から届いたメールに青ざめた。文面に「協会けんぽは過去の医療費を元加入者に請求させる」とあったためだ。
工事業国保が負担した過去2年分の無資格者の医療費50億円は協会けんぽが払う--。この厚労省の清算案に関し、同国保は元加入者が同けんぽへの移行手続きをすれば直接同国保に医療費が払われると解釈し、厚労省もそう認識していた。
ところが協会けんぽ側は違った。個々の元加入者に医療費を請求してもらい、元加入者を通じて同国保側へ返還するつもりだった。「工事業国保は非を認めず、移行手続きも進んでいない」。幹部間にそんな不信感があるためといい、1年が過ぎた今も一円も支払われていない。
「1万人を超す元加入者に今から連絡などできない」。同国保の悲鳴に社労士の内山晃衆院議員(民主)が間に入り、10月末から事態は動き始めたものの、移行手続きを終えた3970人分、19億円の支払いに見通しがついたに過ぎない。
◇「例外」国保に特権批判
工事業国保は左官職、芸者ら同業種ごとに165ある国民健康保険組合(国保組合、343万人)の一つ。国保組合は、単独事業主などの条件を満たしていれば加入でき、その場合は国民健康保険(市町村国保)など一般公的保険には入らなくてもよい。歴史的経緯から、61年の国民皆保険導入後も「皆保険の例外」(厚労省幹部)として存続してきた。
国保組合には公費負担(負担率43%)がある。市町村国保(同50%)並みながら「医師国保」「弁護士国保」など高所得層も混在し、特権視されてきた。建設系も03年に一般の医療費窓口負担が3割になった際、2割に据え置いたところが多く、通院医療費をゼロとしてきた組合もある。09年秋、こうした税金の使われ方が財務省の意向で事業仕分け対象に浮上した。
ただ、けがのリスクが高く、低所得者も多かった建設職人は長らく公的保険から排除され、やむなく仲間で身を寄せ合ってきた。今も「けがと弁当は手前持ち」との意識が強い。建設職人で作る全国建設労働組合総連合(全建総連、約64万人)の勝野圭司社会保障対策部長は「ひどかった建設職人の社会保障を自分たちで勝ち取ってきた」と主張する。
選挙の際、同総連は集票マシンと化す。その成り立ちも相まって、与野党を超え政治との結びつきが深い。
「建設国保は何が何でも守る」。仕分け開始直前の09年10月21日。民主、自民両党から共産党まで与野党幹部が顔をそろえた全建総連定期大会で仙谷由人行政刷新担当相(当時)はそうあいさつし、拍手を浴びた。結果的に、国保組合への補助金は仕分けから外れた。
それでも、無職の人や非正規雇用労働者の急増で「原則」の市町村国保が疲弊する中、「例外」の国保組合には廃止論も相次ぐ。10年秋には仕分け対象となり、厚労省は国庫負担を削減する法案を用意している。
国保組合廃止について厚労省幹部は「私有財産を奪うに等しい」と話すものの、中長期的には衰退するとみる。単独事業主でも税制上有利な法人なら入れず、加入者は減る一方と踏んでいるからだ。
日本の医療保険制度は1927年、工場労働者らを対象とした健康保険が最初。42年に会社員らの健保と統合、今の制度につながっている。一方、農民向けには38年に国民健康保険(国保)が始まった。ただ、56年当時で人口の32%、約3000万人が無保険だったとされ、政府はこれらの人を国保に加入させるため61年に国民皆保険を導入した。
現在は、民間企業の従業員は勤め先が設立した健康保険組合か、会社に健保がない人は全国健康保険協会(協会けんぽ)に入る。
健保組合は設立に700人以上が必要とあって、大企業が多い。保険料率の労使の負担割合を社員が半分を超えない範囲で自由に決められ、出産一時金(42万円)の上乗せや保養所など、特典のある組合も多い。
協会けんぽは中小企業中心。保険料率(労使折半)は都道府県ごとに違う。健保組合同様、病気で休んだ際の傷病手当金はあるものの、上乗せ給付はない。不況で健保組合を解散する企業の受け皿ともなっている。
一方、自営業者や無職の人、一部の非正規雇用労働者は市町村が運営する国保に入る。保険料には地域間格差があり、最高の北海道猿払村(年間13万3682円)と最低の沖縄県伊平屋村(3万907円)では4倍以上の開きがある。事業主負担もない。
現在、医療費の窓口負担は原則一律3割だが、皆保険導入前、90%以上の国保は5割だった。当時の健保は「ゼロ」が多く、02年度まで2割だったのに比べると差がある。国保には上乗せ給付や傷病手当金もない。
あまりに迷惑電話が多くて、ナンバーディスプレイにして、留守電にして、不要の電話は出ないようにしているのだが、ぶっちゃけ「電話機が鳴るのも嫌だ」。
電話機の着信拒否に登録しておけばいいんだけど、30件しか無い。それに比べ、電話番号の番号空間のなんと多い事か。たかが30件で対応出来るわけが無い。
NTTの「迷惑電話お断りサービス」も月額かかるわ、件数少ないわ、馬鹿にしているとしか思えない。なぜ「迷惑かけられる方が金を払う」のか理解に苦しむ。NTTからすれば、迷惑電話をかける方も重要なお得意様お客様だから、どうでもいいのだろう。むしろ迷惑電話も重要な儲けなんだろう。糞企業が。
電話機の着信履歴を見ると、「迷惑電話(含:自分にとってはどうでもいい営業電話)」しか残っていない。
したがって、今は「電話ケーブル」を抜いているのだが、ケーブルを抜いた電話機は、もはや電話機としての機能を果たしていない。
それと、何かの申し込みなどで記入する電話番号。極力最小限に留めているのだが(無駄に登録はしない)、必ずどこからか漏れるものだ。まぁ、それは仕方無い。携帯にかかってくるよりは、固定電話の方が対応しやすいので、そういう時に登録する電話番号は、固定電話にして、携帯の番号は絶対に書かない。「携帯の番号を」と言われてそれを拒否して、逆にごねるような会社や組織には、こちらから登録はお断りだ。
が、前述には書いていないが、実はそれ以外の着信履歴も少しだけ残っている。それは「東日本大震災の時の安否確認電話」だ。
携帯は、バッテリー、輻輳、通話規制、基地局の停電により、携帯よりも固定電話の方が連絡取りやすかったのが事実だ(少なくとも、自分の地域では)。停電していてもメタルケーブルからの給電で、通話は出来るし。
そういう事態を経験してしまうと、解約する事もちょっと思いとどまってしまうし、DMZとして働く固定電話の(自分的)意味が。
電話もオプトインにして欲しい。法律改正してくれないかな。消費者保護のために。悪徳不動産のためにどれだけの人が犠牲になっているというか。
http://www.youtube.com/watch?v=oOI8BVv8r88
http://www.youtube.com/watch?v=d9JhT9KzEpU
許可の無い営業電話は、多額の罰金を(1億くらいですかね。国庫に納めれば良いんじゃ無いですか?)。まぁ、マンション販売などは、その程度の罰金を払ったところで痛くもかゆくも無い程の利益を上げているようだから、意味が無いかもしれないが。
NTTには、かかってきた電話に対して、あるシグナルを送ると、その電話を拒否、またはその数が多ければ、強制的に契約解除とか。まぁ、NTTも営業団体だから、儲け話に逆らいはしないから、その方向は無理だな。それに、業者の方で契約を別に再度する、という事で繰り返し可能だし。
与党内の締め付けが一応成功したという事だが、締め付けなければならない状態であるという点は、何も変わっていない。公務員労組と民間労組の協同によるデモやストは止まらないし、民意は離れつつある。
緊縮財政と増税による再建が続いている間は、金融支援が続くので、7月中の24億ユーロや8月中の66億ユーロ、あわせて90億ユーロの償還は乗り越えられそうであるが、債務残高の現状維持は、緊縮財政の継続でしかない。
慢性的赤字財政のギリシャにとっては、債務残高を増加させていく以外に、社会保障等を維持することは不可能であり、債務残高が増やせないのであれば、社会保障や公務員の雇用といったコストセクターを削っていくしかない。
必用だからという理由で作っていった制度や増やしていった人員であろうが、その必要性は、投資に対する利益、出費に対する税収増という観点からの考察が無い状態で論じられた必要性であり、やればやるだけ財政赤字が増えて行くという制度や人員であった。
国家が赤字を無視してやらなければならないのは、国防と国内の秩序の維持だけであり、それ以外の事は、経済的な余裕がある場合に行う事であって、その余裕が無い状態であれば、止めていくしかない。なんでもかんでも国家にやらせ、国家に依存するという状態は、自立できない個人主義が、国家という名の家に依存するという失敗状態でしかない。
家制度を否定して個人主義を貫こうとしたら、より大きな国家という名の家に依存するようになったというのは、ギャグにしては情けない話である。しかも、この状態においては、国家に依存している事を誰もが正しい事だと思い込んでしまい、自立した個人であり、他人にとやかく言われる筋合いは無いと、開き直ってしまうという点にある。開き直っているのだから、治しようが無いし、治す必然性を感じていないのである。
慢性的財政赤字の国家に依存している人民が過半数を超えると、多数決では、それをひっくり返せなくなる。民主主義は、国家が何をしてくれるかではなく、国家に対して何ができるかを考え、行動できる個人が過半数を越える状態を維持しなければ、衆愚制に陥る。
国庫から収入を得た人、税金で行われる事業に携わる企業に勤めている人、税金によって補填されている年金を受け取っている人、および、それらの人が世帯主の家族は、選挙権を停止し、被選挙権だけにするというぐらいで、本当は丁度良いのかもしれない。税金を支払い、ナショナルミニマム以外は何も得ていないという国民だけが有権者とならないと、国家に寄生する者が多数派を占めるようになってしまう。
国家社会主義(Nationalsozialistische)を標榜する政党が、熱狂的支持を受けるのは、つまるところ、自分が苦労しなくても他人が苦労してくれるという、被保護者の身分を簡単に手に入れられるという点にある。目先の利益という点では確実であるが、苦労してくれる他人が居なくなった時に、制度そのものが破綻するという欠陥に考えが及ばないという点で、未熟で愚かな選択なのだが、それを自覚していないほど未熟で愚かだから選択してしまうというのが、民主主義が衆愚に陥っている証拠なのかもしれない。
この状況下で手を動かさないアイデアも出さないただ足を引っ張るだけの小沢が、震災対応について菅よりマシだろうと国民に思って貰える要素がどこかにあるんだろうか……。民主党が政権取った時は絵餅ばかりのマニフェストだったわけだけど、今や小沢に任せたら菅よりどう良くなるって絵餅すらねーじゃん。(まがりなりにも危機感だけは人一倍ある菅から)この状況下で政局始める馬鹿に政権が渡る危険性しか見当たらねえよ。
小沢は俺に任せたら具体的にこんな風に震災対応原発対応が良くなるぜって絵餅くらい出そうぜ。「関係各所と連絡を密にし、被災者の不安を取り除き、迅速な復興を……」はいはいそうですね、そんな羽柴秀吉でも言えるような抽象的な話は聞いてねえよ。結局具体的な話が出せないようだと震災対応原発対応が悪いと言いつつ実は具体的にどこが悪いって具体的に思いついてないと言っているのと同じだし、任せて今より良くなる見込みが見当たらない。
まあこれは参議院で公債特例法を絶対通さない宣言(=参議院では予算を使うあらゆる法律を全部否決する宣言)して震災以降一切の法案成立を阻止してきた野党にも言えることだけどさ。やれマニフェストを撤回しろといい、撤回したら今度は年金の国庫負担の引き下げはダメだと言い、まあ財源を国債にしようとしたら次のことを言いだすんだろうけど、そんな1兆そこらの金が国庫のあっちにあるかこっちにあるかくらいの話で1ヶ月以上も全法案ブロックしてんじゃねえよ。
なぜ、国が直接補償してどうしていけないんだろう。
寄付をする人達がいっぱいいるように、国からの寄付だと考えればいいじゃないだろうか。
あれだけ、大きく、広く、壊れて無くなっている。
そこが何年もあのままで、いいのだろうか? その方が国全体では負担が大きいんじゃないだろうか?
早いところ、何もなかったことにした方が 良いのではないかと思うんです。
ODAとかその他、海外援助を受けた国からは、この際、いろいろな形で恩を返してもらうとか…。
震災以前の状態と同じ物か安い物で、国から補償とか。その変わり、保険の保障分は国庫にいれてもらうとか。
なぜ、昨日までと同じ対応じゃないといけないんだろう。
確かに専門技能を必要とする仕事も多いだろう~、でも、建築業が多かったのは専門技能者がそんなにいっぱいいたの?
専門技能を必要とする仕事でも、はじめは素人から習っていくんじゃないの。
残っているプロのもとに、補助として入っていくんじゃダメなんだろうか?
亡くなった方の資産は、今回限り、国や地方のものにして、被災地外の人に売ったり、移住してもらったり、
何か作ったりしちゃだめだろうか。
一個ずつ思考実験。言っとくけど、今考えてるからな。あてにすんなよ。
・会社の場合は、会社が所在している国。ということなら、海外に会社作って、そこにお金を預けて株式にすれば終わりじゃない?
つーか、海外に限らず「株」にしちゃえばマイナス金利の適用除外だろ。株には金利はかからん。
普通に外資株買えば金利かからんよ。ところが、この「マイナス金利」の本旨は、「国内でカネを回す」ことだから
海外への投資には締め付けがかかるだろーね、でないと意味無いからね。
・ちなみに、日本国籍を持っていて、海外で働いている、実際に移住していて、年金等も納めていない人の日本口座や海外口座は?
日本口座に持ってれば「減らないものは所得である」の原理が適用されて、日本で稼いだと看做され課税。後は租税条約を援用する形になるんでないかな。
日本で稼いだ、という形式になるから課税。普通に「日本の口座はマイナス金利です」って形。
つーか、マイナス金利ってのはさ。
銀行の日銀に積んでる預金に課税します、ってことなんだよ。日銀の収入は国庫に入るから、それすなわち課税。
銀行は持ってるだけでカネが減る。だから、預かってるカネからそれを払う。だから口座を持ってる人のカネも減る。
「じゃあ日銀にカネ預けなきゃいいんじゃね?」って発想に対しては、「金融機関はこんだけ日銀に預けなきゃ死ね」って決まりが
あるのでそこでカバー。要するに、日銀にカネを預けてる機関にカネを預ければ、減るってこと。
んで、これだと必然的に海外にカネが流れて日本が抜け殻になっちまうから、
細目に触れるまでもなく、そこは対策しないと日本が死ぬ。だから、そこは当然対策されるっつーか
それが出来なきゃ、そもそも前提のマイナス金利が作用しない。国内でカネを回すどころか、全部逃がす結果になる。
そーいうわけで、そういう各論はこの議論では成立せんよ。
ただ、「具体的にどーするか」って発想を色々やってみるのは面白いけど。
id:aionarapです.自分のブログがなく,ブコメじゃ情報を書き足りないのでこの場をお借りしました.
“徒弟制度”や修士論文の廃止求める 大学院博士課程で中教審答申 - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/life/news/110131/edc11013122040003-n1.htm
はてなブックマーク - “徒弟制度”や修士論文の廃止求める 大学院博士課程で中教審答申 - MSN産経ニュース http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/life/news/110131/edc11013122040003-n1.htm
この中教審の答申に関して,ブコメでは否定的な意見が多数,というか肯定意見は皆無ですね.しかし,私個人はある程度この試みに賛成です.あ,先に書いときますが,完全肯定じゃないですけどね.修論は書いたほうがいいし,徒弟制の完全廃止もどうかとは思っています.
じゃぁ何が賛成なのよ,という話ですが,Qualifying Examの導入,及び広い範囲の教育に関してです.これは必須,と私は考えています.この辺りのお話に関するご意見を皆さんに聞いてみたいと思い,当エントリを書くことにしました.
今回の中教審の答申は,博士の現状の問題を反映した意欲的な取り組みに感じる.丸呑みにするには良くない部分もあるが,期待しても良いのではないのか.
さて,そもそもの出発点ですが,博士は「スペシャリスト」でありさえすれば良いのでしょうか?私は否と考えます.博士こそ「ジェネラリスト」にもならねばならない.…と書くと誤解を招きますね.要は専門馬鹿になっちゃいかん,ということです.
勿論,博士課程の人間は自分の専門分野に関して,国際的な第一線に立てるような知識と経験が必須です.一生懸命に自分の研究に取り組む必要があります.ですが,それだけではダメで,最低限隣接領域(まぁ定義が微妙ですが)に関して,可能であればもっと大きな枠組で知識を深めなきゃいけません.科学技術はどんどん煮詰まってきて,先に進むためには学際分野の融合による新しい概念の創出が必要です.それをイノベーションと呼ぶこともあるでしょう.それを生み出すためには,少なくとも2つの分野に関してよくものを知っていないといけません,そうですよね?
テクニシャンとして分野を極めるのもひとつの道かもしれませんが,博士に求められているのはそういうことではないと私は考えています.
加えて,博士が「スペシャリスト」のみを意識していると,博士課程の人材の活用先は研究者,それもかなり狭い分野に限定されます.
ここで,大学院設置基準が定めている博士課程の役割を見てみましょう.昭和49年の時点では,
「専攻分野について,研究者として自立して研究活動を行うに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識を養うことを目的とする。」
「専攻分野について,研究者として自立して研究活動を行い,又はその他の高度に専門的な業務に従事するに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識を養うことを目的とする。」
と,敢えて変更を行っています.差分は,
「又はその他の高度に専門的な業務に従事するに必要な高度の研究能力」
「社会の多様化,複雑化等に対応し,博士課程において,大学等の研究者のみならず,社会の多様な方面で活躍し得る高度の能力と豊かな学識を有する人材を養成する必要から明確化」
(以上,http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05090501/021/003-3.pdfの2ページ目より引用.)
平成元年の時点で,大学院設置基準は博士課程学生に「社会の多様な方面で活躍しうる」人材たることを求めているのです.
「おいおい,博士が研究者にならなくてどうするのよ…」という意見もあるでしょう,それは理解します.ですが,包含関係を取り違えてはいけません.研究者として生きて行けるのは,博士号を取得したうちの一部の人間です.研究者になるのは博士号取得者でしょう.ですが博士号取得者は全員研究者にはなれません.国家として,限られた国庫の中から博士を全て取り込めるほどポストを恒久的につくるのなら別ですけどね….
それに,(ありえませんが)もしそうなったとしても,全員研究者になるのもどうかと思います.一人ひとりが研究テーマを持って,プロジェクトリーダー的な役割を果たしつつ,世界の最先端を突っ走ってきた人間が,その経験と知見を他の分野に持っていくことは非常に意義があるでしょう.ある意味,一人でプロジェクトチームに求められる役割を全て果たす必要があるのですから,その能力は推して知るべしです.是非,社会のあちこちで活躍するべきです.
非常にポピュラーなのは,専門を活かした職業でしょう.企業での研究開発を初めとした「明示的に博士を求めている」職業は多いです.…まぁ敢えて書く必要はないですね.
初等,中等教育の教師もいいでしょう.勿論高専も.起業もいいですね.
そして,本当はその他の「博士が求められていない」と考えられている職業にも行ったほうがいいと思うんです.だって,ずっと知的体力を鍛えてきたわけですから,同年代の博士号非保持者と比較してその辺りは大きくリードしているはずです.
彼ら/彼女らが持っている問題発見能力は,必ずや企業にとって大きな助けになります.
前節の内容に関して,同意して頂けましたでしょうか?して頂けた方も,そうでない方もいらっしゃるでしょう.
でも,同意/非同意にかかわらず,ほとんどの人は「夢物語乙!www」という感想を抱くのではないでしょうか.いえ,私もそう思います.
例えば,id:scicom 氏の快著,「博士漂流時代「余った博士」はどうなるか?」(http://goo.gl/Pd0ls amazonへのリンク)には現状の博士号取得者,特にポストドクター(PD)の状況が整理されています.
簡潔に言えば,現状は散々たる物です.企業は博士号に魅力を感じていません.これは伝聞ですが,採用担当者は「博士は当たり外れが大きい」と感じているようです.ハズレを引くリスクを恐れて採用を控えるそうです.
そもそも,皆さん,博士号をとっている人間が「最低限」「共通して」何を出来るか,分かりますか?
言い換えると,博士号が担保しているものは何か,知っていますか,ということです.
特に,博士課程では,①学生に特筆すべき顕著な研究業績を求める大学院もあるなど,博士の学位が如何なる能力を保証するものであるかについての共通認識が確立されていないこと,②博士課程(後期)の教育が,個々の担当教員がそれぞれの研究室等で行う研究活動を通じたものにとどまり,学位プログラムの整備という観点から不十分であること,③大学と産業界等との間において,大学院が養成する人材像と産業界等の評価や期待に関する認識の共有が十分でなく,修了者が産業界等の社会の様々な分野で活躍する多様なキャリアパスが十分に開かれているとは言えないこと,といった問題点が見られる
(http://goo.gl/Jq0LU, pdfファイル,5ページ目)
文科省は,博士号が担保するものに関する共通理解は無い,と述べています.また,教育の質もバラけていることを指摘しており,このことも共通理解の妨げになるかと思います.
個人的には,博士号は「専門知識」と「プロジェクト(研究)遂行能力」は担保していると思います.…が,サンプル数が少ないので断言はできません.
この「一般的な博士像の不存在」が,世間一般への博士の浸透を妨げていることは想像に難くありません.
当の本人たる博士号取得者は活躍の場が減る,すなわちたつきの道の選択肢が減ります.
納税者の皆さんは,せっかくお金をつぎ込んで育てた人材が有効に活かされず,「税金の無駄だ!」と感じるかもしれません.
後進の学生は,この惨状を見て博士に進まなくなります(というかそうなってます).
こうして,本丸たるアカデミックの世界ごとジリジリと衰弱し,…あとは言わずもがな.
勿論,「これさえやれば万事解決!」みたいな簡単な処方箋はないでしょう.でも,チャレンジは出来ます.
私は,そのチャレンジの一環が今回の中教審の答申だったのではないか,と考えています.(というか資料はそれを物語っています)
専門の知識だけではなく,基礎知識や計画力,語学力,倫理観などもちゃんと持っていることをQualifying Examで保証しましょう.
どこに放り出しても生きて行けるほど強くするために,総合的な教育もちゃんとしましょう.
そういった取り組みが,今回の答申の意図ではないのでしょうか.
この新課程を出た博士がその有用性をアピール出来れば,在野の博士号取得者にもスポットが当たり始めるでしょう.
さて,ここで,「大学院に進んでまで人に教育を受けるとかwww自分で学べよそれぐらいwww」という気持ちになる人もいるかもしれません.
正直,私も「それぐらいじぶんでするわい」と思ってたりします.
でも,主眼はやっぱり「質の保証」なんだと思います.ちゃんと大学院は「最低限」「共通して」一定の能力を持った博士を輩出しますよ,という保証.
さぁ,経営者の皆さん,安心して共同事業を博士が経営するベンチャーと行って下さい.
さぁ,保護者の皆さん,安心して博士の教員を迎え入れてください.
そういう事を,皆が自信を持って主張できるように,ということでしょう.
ええ,上記の効果を狙ったとしても,逆効果になる部分もあるでしょう.
徒弟制を完全廃止すると,一本軸の通った研究ができなくなって,結果として「スペシャリスト」にもなれなくなります.
(念の為に再度主張しますが,博士は「スペシャリスト」の能力を最低限備えてなければなりません,と考えています)
博士課程に進学希望の学生が修士論文書かないと修士/博士の間のフレキシビリティを損なうことになります.
なので,細かい部分は考える必要があるでしょう.
でも,今回みたいに,現在抱えている問題に対してちゃんとコミットメントしたということで,私は文科省をちょっと見直しました.
というかなんか雰囲気で「お役人は肝心なことに取り組まない」みたいな思い込みがあったのですが,やっぱりそんなこともないよなぁ,と思いました.
なんせ,前述の「博士漂流時代」を読んで気になったことを調べ始めたら,殆ど中教審の資料にまとめられていたのですから.
さて,長くなりましたが,これにて本エントリはお終いです.お付き合い下さり誠にありがとうございます.
自賠責は、交通事故で発生した被害のうち、死亡や後遺障害に対して保険金を出すという仕組みである。この仕組みは特別会計の一つであり、保険料を取り過ぎていて剰余金として積み上がった約6000億円を、国庫に対して貸与している。
この貸与金は、来年度に全額返済される筈だったのだが、税収の不足を理由に、先送りされた。埋蔵金として使い込まれてしまったと言ってもいいであろう。つまり、自賠責契約をしてきた人々は、6000億円分、何の法的根拠も無く徴税されたという事である。
自賠責の保険金の支払い額が増えているので、保険料を値上げしたいと言う主張も、出てきている。これには二つの理由がある。一つ目は、飲酒運転厳罰化の影響で、轢き逃げによる被害者の重態化や死亡者が増加したという点で、法改正の失敗が原因である。もう一つは、保険会社等の経営上の都合である。保険は、本質的に統計データが直接採算に反映される仕組みであり、平均値が変動すれば、その変動に対して採算も変動する。国民の所得水準が低下しているということは、加入者数が減少していくという事であるのに、保険会社の人件費や営業所維持費といった固定費は変わらない。天下りや監督省庁幹部の縁戚といった縁故採用した人の人件費も下げられないし、リストラも出来ない。さらに、生命保険やガン保険といった非損保分野の売り上げが低迷している分を、所有者が強制加入になる損保分野でまとめて補おうという話になっているのである。非損保分野の余剰人員を損保分野に回すというのは、保険会社の雇用の維持という点では正しいが、部分の最適化が全体の最適化にとっては真逆の効果に繋がるという、典型的な合成の誤謬となっている。
損保分野の採算悪化は、若者の自動車離れが直接の原因であるが、非損保分野を含めた保険というビジネス全体の採算悪化は、若者世代が独立した世帯を持てないような経済環境が根本的な原因である。さらに、税収の悪化と社会保障コストの増大は、家族制度を破壊して核家族化を進め過ぎたという政策の失敗と、既存企業を優遇する余り、新技術や新製品・新サービスの開発・実現が不利な愚行となってしまっている、産業政策の失敗にある。
実行すべき課題は目の前にあるのに、自賠責保険料の値上げや消費税の増税といった財源が問題であると矮小化して時間を浪費するという点では、民主党政権も自民党非改革派政権でも変わらないようである。
今時給800円で働いてた人は、BI後の収入を基にしてそれに基づいた判断をするようになる。
1500円に落ち着くか、それとも案外900円なのか。そりゃやってみんとわからん。どうせインフレになるし。その辺踏まえると額面で考えるのはムリ。
基本BIってのは「生きていくために最低限」の収入だし、これをやるってことは健康保険やら年金やらの
生存インフラ全滅(よく言えば一元化)ってことで、突然病気になるリスクやらなんやら考えれば
大方の人は働かざるを得ない。BIを「働かざるものを養う制度」だと思ってるならそれは違うよ。
「こんだけやるから後は勝手に生きろ」っていう、新自由主義の極地が一周して社会主義的だったよ!的な制度。
そーいうわけで、施行後の社会でも労働は必要になるし、供給されえる。
現在の労働価値のヒエラルキーは底上げされるだけで変化するわけではないから、現在底辺職に就いている人間は
やはり底辺職に就くしかなく、さもなければ保険もリスクヘッジも何も無く今を生きるしかない。
とすると、やっぱり結構働くんでないか。BIだけで生きてると、「足の骨折った」レベルで詰んじゃうし。
つぅか、BIについてスゲー誤解があるような気が。
現在の社会福祉を維持したままBIなんて絶対不可能っていうか、国庫が一撃で底をつくわけで。
「最低限の生存インフラはやるぞクズども、その代わりめんどくさいことは一切ナシだ!」っていう制度だと考えた方が
より実体に近いのではなかろーか。やっぱ、BI下でも働かないと怖いだろうと思うよ俺は。
そもそも「円を刷れば返せる」って言える時点で凄く恵まれてるんですね。
多くの国は、とっくに自国金融機関が買ってくれなくなってて
(アメリカは日本に米国債を買うように求めますが、円建てでと言うと渋りますよね。
未だしも「刷る」という選択肢が残っているのに、
座して「刷れない人々」と同じ運命を受け入れ、
伸ばせる寿命を縮める愚はありません。
勿論、「刷らずに済ませる」妙手が有るなら話は別ですが
「円を刷る事も手としてある」ことを認識し、
内外に対して「少なくとも次回の償還は絶対に大丈夫」とアピールするのは大事です。
できうれば、将来の国庫の不安(円に価値が少なくなるかも!)よりも、
今のお客さんの不安(あたしの国債が償還されないかも!)に主語を置いたアピールが大事です。
予想済みの出来事をパニックを起こさずに迎えれば、対応可能なのも事実です。
(国債償還と言えば2008年問題ですが、あれも当初恐れられていたような事にはなりませんでした。
現実問題としてデフレが深刻なので、インフレはいずれやるべきですしね。
後は個人的な考えになりますが、
「円が弱ってから外貨建て預金をやる」くらいなら、むしろ「今」やるでしょう。
普通のインフレなら金利も良くなるので、必ずしも預貯金者に不利にはならない。
(これも極端な例ですが、バブル期にコツコツ貯金したせいで今大損こいてる人っていますか?)
さらに、貯金に限定せず「金融機関にお金を預ける人」と考えるとこれは間違いなく増えるでしょう。
ありきたりですが、預金口座の代わりに有価証券の形で持つ事にした方がインフレ時は有利です。
さて、有価証券を持つ場合、多くはMRF/MMFを通すわけですが、MMFは御存じの通り公社債の信託商品ですので
政策金融公庫から新規開業資金で手持ちの3倍まで引っ張れるよ。利子3%だっけか。つーか忘れてたけど、国庫はもう無いな。
これは結構審査ユル目だから「飲食店やるー」とかでも普通に引っ張れる。
サラリーマン上がりにとっては起業すること自体が金に換算出来ない大ダメージってこともあったり。
あと、個人事業主の十年生存率は10%を切ってるので「儲からないけれど食っていける状態で続ける人が多い」なんてのは
全く現状に即してないんじゃないかと。半分が一年以内で退場だしね。
儲かる道がそう多くないことは確かだけど、頑張ればなんとかなるっていう精神論には説得力が感じられないなぁ。退出率を見ると。
打つ手①
マトモなところになんとか就職する。
メリット ごく普通の生活に戻れる。会社が潰れたり色々あるだろうけれど、安定度UP。出るかはともかく年金も払える。
デメリット それ可能なの?
打つ手②
このまま行く。
打つ手③
デメリット 取れんの?そもそも、取れたところで食えんの?
打つ手④
海外に打って出る。
打つ手⑤
デメリット 初期投資がかかる場合が多い。生存率が極めて低い。
ここまで考えてみて、意外に⑤起業が攻守優れてるなぁ、とふと思った。
サラリーマンやってると職歴に穴あけるの怖くて起業できないけど、非正規ならそれほど関係ないし。
100や200の資本で出来る商売は限られてるだろうけれど、それでもやりやすいっちゃやりやすいな。国庫から金引っ張ることも可能だろうし、失うものもないんだし最悪バンザイしちまえばいいってんで、起業してみるのが実は一番いいのかもしれない。
全く影響しないとは思いませんが、
国庫帰属額が半減するほどの影響があるのか、というと、どうなんでしょう?
遺産を受け取る側は「俺が欲しい」と思っているんでしょうが、
遺産を渡す側(死ぬ側)は、
「俺が死んだ後は、遺産がどうなろうが知ったこっちゃない」と
思っている人が、多いんじゃないかという気はする。
http://www.mof.go.jp/zaisei/con_03.html
によれば、国の借金は533兆円あるらしい。
かつ、社会保障への財源が不足する見込みだ、として消費税増税する・しないで
騒いでいる。
俗に、「日本人の金融資産は1,400兆円ある」と言われている。
http://www.boj.or.jp/type/exp/seisaku/exphikaku.htm
①まず主人が85歳くらいで死亡し、
②次に奥さんが亡くなって、(主人から奥さんが引き継いだ分も含めて)
しかし、ここで言う「標準世帯」というのが、徐々に減少している。
「生涯未婚率」(50歳時点における婚姻の有無)は
http://www.jili.or.jp/lifeplan/lifeevent/mariage/12.html
ということで、計算を簡便にするために「男女平均で10%」ということにしよう。
一方、「結婚していても子供を作らない、又は出来ない」という夫婦の割合もそれなりにあって、
「10組に1組は子供が作りたくても出来ない」らしい。
意図的に子作りを避けている夫婦も存在するのだが、安全サイドの数字として
となると、「生涯未婚率10%+子供いない夫婦率10%=20%」は
①まず主人が85歳くらいで死亡し、
②次に奥さんが亡くなって、(主人から奥さんが引き継いだ分も含めて)
ということになるのだが、
兄弟は既に、「自分で一財産築いている」ので、単身者(又は子無し夫婦)の
財産は一種の「あぶく銭」であり、「相続しなければいけない必然性は薄い」
なので、相続手続きを後回し後回しにするケースも少なくない。
相続手続き自体が滞っているケースも少なくない。
単純計算だが、
「1,400兆円×20%=280兆円」が国庫帰属する計算になる。
国の借金の、半分以上だ。
中には
「単身者の金融資産は、全高齢者平均より少ないんじゃないか?」という反論もあるだろう。
しかし、ここで計算したのは「金融資産」だけであり、不動産資産は含んでいない。
不動産資産の現金化も含めて計算すれば、280兆円を大幅に上回る金額が
「533兆円にはまだまだ足りない」
「社会保障費までも賄えない」という声も聞こえてきそうだ。
しかし、「現時点では直系卑属が存在している標準世帯」であっても、
「その30年後、その子供に相続が発生した場合、やはり20%は直系卑属なしになる」のである。
要は「30年で280兆円」が回収でき、
「その後の30年で、(1,400兆円-280兆円)×20%=224兆円が回収できる」のである。
つまり、人口縮小が続くのであれば、直系卑属なしの相続から国庫帰属させることで、
ネックは、
「あぶく銭狙いの兄弟の反対運動を、政治家がシャットアウトして制度化できるかどうか?」
という政治家のヤル気だけである。
そこら辺見直しててやっと一つの事実に気づいたんだけど、著作権って「著者の」権利じゃなくって「著作物の」権利なんだな。つまり人につくものじゃなくて作品につくもの。
だからそこの節では一部とか全部とかを譲渡可能とあるわけだ。(著作する権利と著作物がどうにかこうにかされる権利は別だから、該当の作品における著作権は放棄されても、個人が著作するという行為に制限はかからない。)
ただ、それと併せて「国庫に寄贈された」著作物の扱いについてが不安だよな。一般的にはパブリックドメインとされているけど、だとするとリメイクされたもの、アレンジしたものにどういうクレジットを載せれば適切なのかが分からん。
なんだこの滅茶苦茶な議論は。
2011年度予算案での年金積立金一部を取り崩しは「公的年金の受給者に給付される基礎年金の財源確保策として」の取り崩しだから、積立金としては本来的な目的内使用だ。
国庫1/2負担を続けられるならそれにこしたことはないが、景気後退などで歳入欠損があるのは事実で、足りないものは足りない。ダダをこねたって経常歳入で出せる金が無い。無いものは無いのだから、別なところからもってくるしかない。
優先しなければならないことは、保険者への約束は守るということ。年金は必ず支払うという前提で保険料を支払っているのだから、景気が悪くて1/2負担ができないから年金を支払えませんと支払い切り下げをやたら、その瞬間、年金保険料を支払う人は誰もいなくなって年金という仕組みそのものが破綻してしまう。
だから、なにがあっても年金はきちんと約束どおり支払わなければならない。景気変動とかで払えなくなった時のために積立金というのがあるのだから、いまがその時ということだ。
もちろん、いくらでも無限に取り崩して良いというわけではなく、取り崩しは多すぎてもいけないし、少なすぎてもいけない。将来のことも考えて適切な金額で取り崩さなければ将来世代に影響を与えてしまう。そういう議論なら成立すると思う。
しかし、少なくとも、積立金を取り崩すことそのものは違法というわけではない。年金支払いのための取り崩しは合法で、正当な目的内使用と言える。なにがあっても取り崩しだけはゼッタイだめという議論はいずれにせよ成り立たない。
それを批判して株を上げた奴が今は厚相やってる件。
これは絶対ない。
http://d.hatena.ne.jp/asin/4576071289
を読めばわかる。
積立金は正しく“運用”せよと批判したことはあるだろう。しかし本来目的としての取り崩しが違法だなどというナンセンスな議論はない。
平成16年3月5日予算委員会における議論でも、積立金を年金支払いのため使うことを否定していない。
http://naga.tv/160305yosan.htm
というか、保険料支払い目的のために積立金を取り崩さずして、ほかに何のために積立金を使うんだ? 役人の天下りやグリンピアのために使うのか? それこそムダじゃないか。
年金積立金取り崩し案浮上 11年度予算編成
政府の2011年度予算編成で、公的年金の受給者に給付される基礎年金の財源確保策として、約123兆円の年金積立金の一部を取り崩す案が浮上していることが4日、分かった。
基礎年金は給付費約21兆円の2分の1を国庫(税)で負担しており、09、10年度の2年間は財政投融資特別会計の「埋蔵金」の充当でしのいだが、11年度は不足の財源約2・5兆円をどう捻出するか、全くめどが立っていないため。しかし、積立金の取り崩しは年金財政の持続性や将来世代の給付水準に影響しかねず、年末の予算案決定まで調整はもつれそうだ。
基礎年金は現役世代が支払う保険料と国庫で賄う。国庫負担は以前は3分の1だったが、年金財政の安定化のため徐々に増やし、09年度から2分の1に引き上げた。だが、引き上げに要する財源として当初見込んでいた消費税増税は先送りされた上、埋蔵金はもう残り少なく、活用は困難だ。
そこで政府は苦肉の策として、厚生年金と国民年金の積立金を最大で2・5兆円取り崩し、国庫(一般会計)に貸す形にした上で財源をひねり出す案を検討。同様のやりくりは過去にも行ったことがあるため、「理屈は通る」(厚生労働省幹部)との考えだ。
同様のやりくりは過去にも行ったことがあるため、
それを批判して株を上げた奴が今は厚相やってる件。