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はてなキーワード: 因数分解とは

2024-04-18

anond:20240418211439

和の3乗とか差の3乗くらいはまあいいんだけど3元3次恒等式因数分解あたり受験数学感が強すぎる感覚はある

anond:20240418110000

たとえば受験勉強因数分解って社会に出て何の役に立つ?

漢文とかもそうだけど多くの勉強が無くても「別に困らない」現実に誰も向き合えてない。

素直な子どもたちは見抜いてる。

無くても困らない分野を勉強させる理由を、大人たちが提供する気がないことを。

からヤル気が出ないんだよ。

しかゲーム実況者は視聴者の心を救ってる。

勉強できないままでいいの?」「別に困ってないよ」

2024-04-13

数理談話

日時: 2024年4月12日(金) 16:00-17:00

会場: ハイブリッド号室(大学院理科学研究科 大講義室+zoom

演者

斎藤 秀司 氏(東京大学大学院理科学研究科)

講演題目

フェルマーの最終定理

© 2024 東京大学大学院理科学研究科 ビデオアーカイブプロジェクト

  講演題目

    フェルマーの最終定理は、 x^p+y^p=z^pには解がないという定理として確立したもので、不定方程式素数という一見無関係ものの間を統一する定理である

  しかし、不定方程式に対する解の不存在性は、無限降下法の他に、まどろっこしい方法しか知られておらず、初等数学界では、どのようにしたらいいのかが知られていない。クンマーのイデアル理論は、z^p-y^pを因数分解して迫る理論であるしかし、それによっても、全部を解くことは出来なかった。1つの考え方として、国際数学オリンピックの問題作成者、解答作成者たちに解答を求めるという方法もあるが、

  東京大学を含む学会では、そのアプローチを試みた者は誰もいない。そこでこの講義では、高校生向けに、なぜこの問題が解けないのかの様々な理由を紹介することとしたい。

2024-03-29

もう受験生でもない自分高校レベル参考書問題集いつまでも解いたりするべきなのか分かりません。

解いたりするべきだと思う以下の持論を持っているのですが、この持論が正しいかどうか全く確信が持てません。

以下から持論です。

まず、高校で習うことを理解していなければ、大学以降のより専門的なことが理解できないことがあるというのは確かだと思います

から私を含めそういう専門的なことを理解したい人は、高校レベルのことの穴を埋めるべきだと思います

それをせずに大学レベルのことの学習に手を付けても理解できることがある可能性はありますが、その理解したという感じに錯覚場合が混ざるおそれがでてくると思います

まり理解してないのに知った気になる、いわば「何がわからいかからない」状態に陥る可能性が出てくると思うのです。

そのうえで、そのような大学レベルのことを理解していないと理解できない、より高度な理論を学ぼうとすると、今度はわからないという自覚はあるが「なんでわからないのかわからない」という状態に陥ることになります

まりその高度な理論理解するのに必要なそれに比べれば相対的に基礎的な理論概念複数あることも当然考えられ、そのどれを理解してないのかがわからない、特定できない、ということが考えられるわけです。

理解しなければならないこととしては当然高校レベルの部分に穴がある可能性もあるでしょう。

しかし学ぼうとするものを見ても、その理論等の全容を見て、具体的にどんな知識必要か余すことなく把握することは意外に難しいでしょう。

単に用語意味を知らないといったことなら、その用語ネット検索で、その用語を使っている理論のなかでもっとも基礎的なものが何かということを目星をつけて、そこから学ぶという方法がとれるでしょう。

しか学術文章理解できない原因は必ずしも「単にこの言葉がわからいから」というような、わかりやす輪郭を持ったものに由来しているとは限らないと思うわけです。

大学レベル参考書(学術書)や論文を書く人は受験競争経験した人なわけですが、受験勉強で得た「考え方のひな型」のようなものが、少なからずその後の思考やそれに基づく文章に影響を与えていると私は考えます

それはもはや自覚的に認識できるものではない、無意識下にある思考の体系であるわけです。

その「枠組み」を共有していない人にとっては、より言葉を尽くさないとわからないことでも「既知の事項として」という感覚すら持たずに、その部分の言語化をせずに文章を書いている部分があると思います

特に幾何学が絡む記述は、センス=ひな型・枠組みを持つ著者自身には空気のように当たり前のことであるために記述シンプルになってる説明に対して、枠組みの無い人にはなんでそうなるのということがまるでわからないということが起こり得ます

それは著者すれば「なんかこいつすごく察しが悪いな」としか思えないほど逆に理解しがたいことです。

これは大学高校の話ではなく高校とそれ以下の話なのでたとえが悪いかもしれませんが、たとえば高校物理である部分の角度と別の部分の角度が同じという事実から式を導出することにおいて、なぜ角度が同じといえるかということの説明まではされてないみたいなことがあります

これは、角度のことについてなら、中学受験算数の難問を数多く解いてきたりその答に対する解説を見た経験が、まさに有機的に思考の枠組みとして血肉化した書き手自身には、条件反射的に当たり前のように角度が同じだと認識できるが、そうでない人には説明がないとわからない、という枠組みの有無による断絶ともいうべきことが生じているのだと考えられます

しか書き手にはすべての読者のレベル対応することは不可能ですし、そもそも「枠組み」がある当人には1+1=2のレベルで当たり前のようにしか思えない角度の同じさを説明しようという発想すら起こらないから、こうしたことが起こると思うわけです。

そしてこの枠組みは「枠組みが足りてないか理解できないのではないか」という必要性の認識に応じて選択的に必要十分なもの特定して身に着けられる、という性質のものでないわけです。

上記高校とそれ以下のレベルでの話ですが、大学とそれ以下のレベルという場合でも同じ構造問題を共有していると思います

因数分解極限値を求めるための式変形の定石や、その他証明問題などに対して定石と呼べるような解法から定石ではない解法まで、その問題をこなしてきた人たちにとってはその経験が枠組み化しています

なのでその人たち自身が見てきた高校レベル参考書では途中過程として式変形など書かれていたものが、当人研究者になって書く大学レベルの本ではその本人の主観的自明性が強すぎてその途中過程を書くような発想すら存在しないわけです。

ですから大学レベルの本を理解するには、およそ考えられるかぎりのあらゆる高校レベル以下の問題を解いて理解することを片っ端から行いその経験を積んで枠組みとする必要があると思うのです。

でなければ結局「何がわからいかからない」「なんでわからいかからない」という状況に陥ると思うわけです。

予備校講師数学アドバイスで「数3は数1Aと数2B知識がなければ理解できないというが、だからといって数1A・数2B完璧してから数3に取り掛かる必要はない。完璧は難しいのだから同時並行でよい」という趣旨のことを書いていたのを見たことがありますが、まずこれは受験勉強に関してのアドバイスであるということに注意するべきだと思います

まり点を取るためなら、完璧でない理解でも、ふわっとした理解でもパターンとそれへのあてはめとして、問題は解けてしまうということは十分考えられるからです。人口無能、あるいは中国語の部屋のようなものかもしれません。

一方で学問として理解するということにおいては、厳密に完璧理解していなければ、ただの知ったかで、それは全く理解してないのと同じ価値しかないのではと思うわけです。まさに論理として理解しているのではなく「受験で点が取れる感覚」でパターン認識としてわかった気になっているだけだと思うからです。

また、大学以降のより専門的なことが理解できれば、高校で習うことはすべて理解できる、というわけでもないと思います

先ほどの高校物理の例にあるように、高校レベルのことが当たり前になってる人が書いた大学レベル文章には、高校レベルのことは書いてないことがあるわけです。

そして、どの大学レベル理論を学ぼうとするかによっては、自分の持つ枠組みで十分にその理論理解できるということはありえます。ありとあらゆる高校レベルの枠組みを網羅している必要はないわけです。

なので、大学レベルのことは理解してるが、その大学レベル文章高校レベルのことは書いてないかもしれないので、その後大学レベルのことにしか触れなかった場合高校レベルだけど初見だと解けない問題死ぬまで解けないままであるということが起こり得ると思うわけです。

たか高校レベルから、初歩的なんだから受験生じゃなくなっても真面目にとりくむほどではないと思うかもしれません。

しかしそのように単なる初歩的なこととされるかは、意義深いこととされるかは、時代次第の相対的なことではないでしょうか。

2000年上前ならピタゴラスの定理理解することも十分意義深いことだったでしょう。

時代が進むことによって、より高度な定理理論発見され、既存定理はそれを理解するためのより初歩的なことと規定し直されるというだけです。

このような文脈での主語あくまで「人類」です。言い換えれば、人類のうち誰かひとりでも知っていたり理解していたりするようなことを全て知っているような、仮想的な知性にとっての意味付けだと言えると思います。なかば無意識的にこのような仮想的な知性と自分主語のうえで同化させてこのような「初歩的/意義深い」という価値判断をくだしているにすぎないのではないでしょうか。

あるいは「文明」を擬人化して主語においているとも言えるかもしれません。「文明」にとって、容易に理解できる初歩的なことかどうかということです。

一方実際に世界経験する主体単位は「個人」であり、わたしであり、あなたです。

ある時代にとって意義深いけれど今は初歩的なことを理解してない個人がいるならば、人類文明主語である場合、それが最先端知識=未知であるか、または既知となって間もないか、で意義深いかどうかの価値規定されていたのですから個人主語にした場合も同様に考えればよいのではないでしょうか。

まりその個人理解してないのなら、それはその個人にとって意義深いことなのだと思うのです。

大学レベルとか高校レベルとか関係なく、「自分が知らないという意味で意義深い」解ける問題を増やしていくことは、この世界現象に対する理解解像度をあげると思うのです。

から大学レベルのことには書いてない高校レベル問題の解法も赤本や難関大意図した参考書には無数にあるので、それを解き続けることには、それを飛ばし大学のことを学び始めることを通じては経験できない意義深さがあると思うのです。

まとめれば、高校レベルのことが足りないために大学レベルのことが理解できないこともあれば、大学レベルのことでは身に着けられない高校レベルのこともあるので、結局この世の中をよりよく理解する手段として高校レベルのことも大学レベルのことも等しく有効なら、まずは高校レベルのことを完璧にしなければならないのではないか、と思うわけです。

ここまでが持論の全容です。ですが世の中の成果をあげている科学者の全てがこのようなことをしているとは到底思えないので、自分の考えが合っているなどという確信は全く持てないわけです。

なので、ぜひ、反論できるところがあったら教えてください。

2024-03-09

勉強が得意だった人は大人になっても勉強したこと、授業で習ったこ

少し前のもので悪いんだが、この↓まとめや、まとめについていたブクマを見ていて思った。

https://togetter.com/li/2151341

勉強が得意だった人は、いや特に得意だった人じゃなくてもいいんだ、お前らは大人になっても学生時代にかつて勉強したことを覚えているか


俺は高校生はおろか中学生のころに習ったことさえ今はほとんど覚えていない。

まあ俺の場合中高生だった頃からからないものや覚えられないものはそのまんまでやり過ごしてきたのであんまり参考にはならないと思う。

(いわゆる旧帝大に引っ掛かってる大学を出てるんだが、受験における英語国語が抜群に得意だったので、そこで10割近く稼いであとは勘(運)、って方式で生きてこれてしまった)


学校先生とか、塾講師とか、よくわからないが現在業務でつかう内容以外仕事をしてるお前ら、中学で習ったことを覚えてるか?

俺の場合は具体的に以下の単元がさっぱりわからない(単元はネットでざっくり調べた)。


中学数学

・円錐の体積の求め方(おぼえてない)

二次方程式の解の公式(まったくわからん

因数分解のやり方(当時からからなかったので勘で書いてた)


中学社会

南北朝(っていつ頃だっけ?)

・◯◯文化みたいなやつ(飛鳥文化しか覚えてないので、選択式なら「なんか江戸っぽいな」とか勘で選ぶ)

日本地図(ぜんぶわかる?俺はわからない)


中学理科

・電力と電圧電流?の関係(どれがなにでどうなるのかまったくわからん

元素記号(スイヘーリーベー…なんだっけ?それぞれが何を示してるのかも忘れた)

細胞のつくり(核とミトコンドリア葉緑体はわかる。あとは忘れた)


上記あくまで一例だが、どうだ?

数社理なら俺はたぶん20%もあるかわからないし、国英も古語英単語はぜんぜん覚えていない。

お前らは中高生の頃に習った内容を、パーセンテージでいえばどのくらい覚えていそうだ?

2024-01-25

anond:20240125084627

避難生活でのストレスは4つに分類できるかも。

ひとつは、生命身体安全が脅かされる不安

着の身着のまま避難してきた人のなかには、持病の薬が倒壊した自宅にあって取りに行けない、という人もいるはず。

とりあえず地震の揺れや津波から脱出したけれど、高齢者など災害弱者にはつらい状況。まだまだ生命危機を脱していない。

二つ目に、脆弱生活インフラに対する疲れ

特に発災直後の避難所は水も電気トイレもない、みたいな状況。公共インフラが乏しく生活必要基本的ニーズさえ十分じゃない。

プライバシー物理的に確保されていない。

3つ目は、生計生業に対する不安

日常生活が突然遮断され、切り離されたとき仕事先も絶望的な状況であったり地域経済がめちゃめちゃになっている、という真っ暗な情報以外に明るい情報がない。

4つ目は、情報社会ネットワークから切り離されている不安

今回の能登でも避難所では通信環境が悪く、地域で何が起こっているのかすら情報を得られないということがあったみたいだ。

また、平素の何気ない地域社会コミュニケーションが、交通インフラの寸断やバラバラ避難環境というなかで阻害されている。

被災者からヒアリングするときは、当事者混乱状態のなかで、いろいろなストレスが切実なつぶやきの形で語られるけれど、

支援者は、それなりの視点をもって一緒に整理していくことが大切なんじゃないかな。上記区分は単にぱっと思い付いたところだけど。

専門家もっと因数分解できるんじゃないかな。

区分してみるとわかるのは、それぞれ解決に要する時間スケールも違うし、支援ジャンルも違う。

適切に支援リソースを配分するためにも避難所のストレスって何かを考えるって重要に思う。

2024-01-06

二次関数で式立てたはいいけど因数分解できなくね?(´・ω・`)

因数分解が難しいときは解の公式使うといいよ、こういう式で……」

 

再帰処理で書いたはいいけどスタックオーバーフローするやん(´・ω・`)

「この言語には末尾再帰最適化っていうのがあって、コンパイラ勝手ループに変換してくれるよ。末尾再帰っていうのはこういう形式で……」

 

//

 

二次関数を習ったけど何に使えばいいのかわからない」

二乗に比例する成分があるときに使えばええやんけ……」

 

再帰関数を習ったけど何に使えばいいのかわからない」

再帰的な処理をしたいときに使えばええやんけ……」

2023-12-29

anond:20231229104209

問題文通りに書かないといけないとかいう縛りプレイしてるやつは因数分解で詰むからやめたほうがいいと思うけど

5個入ってるのが3つあるのか、3つそれぞれに5個入ってるのから原則同じだし違うと思うなら量子力学に進んだほうが向いてるかもしれない

2023-12-27

anond:20231227163645

たか増田意見発信するために因数分解みたいな頭を使う事ってしたくないよなあ…

2023-11-17

anond:20231116182725

こうやって、身近な問題をパッと解決できて、フシギ楽しいっ♪て気持ち勉強に励めたらいいよね。

因数分解も出来ないのか!」とか「将来(=金儲け)のことを考えろ!」なんていうアフォいるから、勉強できない人から科学の力で金を搾取する連中が生まれるんだよ。

2023-10-31

anond:20231029203433

小学校時代宿題をよくサボったりしたけど、テストはどの科目も大体100点もしくは90点台だった

塾は公文に週一いかされてた。算数だけ。先生が厳しくて泣きながらやってた

おかげで小6で二次方程式因数分解まで解いてた

進研ゼミもやったけど1,2回送って飽きたりを繰り返してた

小学校の成績表(あゆみだっけ)はAが基本でBだと親に詰められた。Cは見たことない。

ちなみに武道習い事のおかげ友達はそこそこいて満足してた

夏休みの宿題ギリギリでまでやらず、なんとかごまかしてた

英語特に嫌いだった。覚える気がなかった。でも英語以外は何もしなくていいくらいだったからやれた

中学卒業まで勉強なんてラクだと思ってた。受験勉強はそんなにしなかった

高校はそこそこいいところにいけた

一転、高校時代に遊びすぎたので大学は低~中のとこだった

サボり癖がついていた

宿題は直接的に学力に結び付く一番の時間有効活用かどうか、は判断できないけど、

ノルマに対する耐性はつく、と振り返って思う

常々なにかを積み上げるいう習慣は大事だな、と拙いプログラミングをしながら思う

2023-10-06

anond:20231006173346

俺の言う大学レベルはそこらで大学就職してるやつだから、その程度はネットで十分って話になる

増田の言うレベルなら偏差値50の高校の中身ですら本気で理解できる奴は1%いねえだろ

数学に限って言えば、何のために因数分解して、微分積分して、三角関数して、統計するんだって誰が理解してんのってな

2023-09-22

なんか性欲っていうかヨシヨシされたいんだよなーとか思ってるけど多分逆で、なぜならめちゃめちゃヨシヨシされたい周期が月一でやってくるのでこれって因数分解すると性欲なんだろうなあと思っている

可愛い可愛い言われながら抱かれたいしあんあん言わせながら抱きたいんだけどなー お疲れちゃんからなかなかなー

2023-09-07

anond:20230907210806

両親がそうだった

運転しながらナンバーを、電柱に貼ってある数字を目に入る数字すべて因数分解してたし意味のある数字とかだと盛り上がってた

けど数学物理以外への興味がうすすぎて子供の遊びはレベルが低すぎて飽きるのかあまり構って貰えなかった記憶しかない

数列を見て即座に因数分解したがる人と一緒に暮らしたい

2023-08-29

anond:20230829142356

お前のいう普通司法普通じゃないよねyてだけの話。そもそもAまたはBのCまたはDってAB、ACADCDってことぐらい因数分解イメージ理解できるだろ

2023-06-12

anond:20230612191207

分業制を進めたらどうなるんだろうね。

脚本ネームキャラクターデザイン作画って別能力だしな、よく考えると。

面白い作品、売れる作品因数分解ができるなら、一定品質での再生産はできる…はず。特に週刊連載とか、各工程にかけられる時間が少ない場合は、安定した品質スケジュール可能な分業制を促進したらどうなるか試したらどうなるんだろう。

もちろん偏りからまれる未知の面白さはあるからオルタナティブ漫画は残ってほしいけど。

2023-05-15

日本が抱える問題因数分解していくと

高齢化社会

・硬直化した官僚制

政治に興味がなく変化を好まない国民性

この辺に行き着く。

そしてこれらは利害が対立する。

国民性教育により変えようとしても硬直化した官僚制度が権益を衛ためにそれを妨害する方向に働く。

硬直化した官僚制度を変えようとしても高齢化社会が変化を許さない。

がんじがらめになっている。

から緩やかに死んでいくのだこの国は。

2023-04-06

ひとはなぜつまらないことでへそをまげるのか

時間無駄なので怒っているひとに向き合ってはいけない。その怒りは早ければ1時間後、遅くとも1ヵ月以内にはなくなっている。

怒りを忘れた頃、怒りをぶつけたひとはもう生きていないかもしれない。

リスク特定する、というアプローチよりも脆弱性特定する、という入り方のほうがよい。

似た概念だが、蓋然性確率ニュアンスの強いリスクよりも、脆弱性のほうがより【原因】のニュアンスが強く、原因を因数分解やすい。つまり問題解決志向から

脆弱性には定量化ができないものがある。

それなのにリスクという視点でとらえた瞬間、定量化できるのかのような錯覚に陥る、

それは事業を行うために割り切るからに過ぎないことを忘れているのだ。

ハザード脆弱性がともに暴露される、としてリスク定義する珍妙さは、定量化できるものだけを見える化しているにすぎない。

落としどころは重要だけど、今そういう話をしていたわけじゃないよね。

2023-04-02

anond:20230402014818

俺にとっては受験勉強がそんな感じだったなー。

だって古文(一生使わないであろう平安時代日本語)とか数学因数分解とか三角関数とか)

とかを何百時間もやらないといけないんだよ?いくら頑張れば良い大学に入れるからって、正気の沙汰じゃない。

もし欧米の子供たちが良い大学に入るために8世紀の古英語を狂ったように勉強してたらどう考えても時間の使い方がおかしい。

そんなこと言うと、努力する練習になるから~とか、将来ロジカルシンキングできるようになるから~って言われるんだけど、

受験勉強を避けてきた俺自身が今努力ロジカルシンキングを求められるプログラマーだったりする。

具体的に役に立つ内容だったらいくらでも頑張れるねん、と。

もちろん受験勉強を軽んじてはいない。元増田同様、それに打ち込める人間を心の底から尊敬している。

ただただ、その無尽蔵なやる気の根源が気になるだけである

2022-11-20

小学生時代、僕だけがポケモンを持ってなかった。大人になった今も、その渇きは潤わない。

夏休み、パパが東京ミュウの配布会連れてってくれるって!」「いいな!てかポケモン青、いつ届くんだろ」チャイムの音と共に騒がしくなる教室で、目を輝かせる友人達小学校話題の中心はいつもポケモンだった。僕は一人、いつも下を向いていた。ウチにはゲームボーイも、スーファミもなかった。

ファミコンは目が悪くなるから」。僕と弟がゲームをねだるたび、母は困った顔をして、でも決して折れなかった。図鑑世界名作全集、蟻の観察セット。サンタさんは毎年、僕のリクエスト無視して高島屋の包装に包まれた立派なプレゼントをくれた。嬉しくないのに、喜んだふりをするのが辛かった。

銀行員の父が毎晩遅くまで働く中、短大卒で専業主婦の母は気負っていた。お菓子手作りで、床にはチリ一つなく、洗濯はいつも綺麗に畳まれていた。彼女の信じる理想の子育てとはつまり公文スイミングピアノのローテーションであり、ゲームボーイみたいな退廃的な娯楽が入り込む余地はなかった。

大人にとっての理想の息子は、子供世界では異物でしかない。ポケモン話題についていけない僕を待っていた疎外感。クロールタイムが早くても、小学生因数分解を解けても、誰も僕に関心を持ってくれなかった。みんな、放課後通信ケーブルを持ってる田中君の家に集まり通信対戦に夢中だった。

ドラクエFFクロノトリガーも、テレビ友達プレー画面を見てるだけで我慢できた。でも、ポケモンは違った。ゲームボーイの画面は小さく、見ようとすると「近いんだけど」と邪険に扱われた。通信対戦で盛り上がる友人達そばで一人、本棚の古いコロコロを読んでた。涙をこらえるのに必死だった。

お小遣いを貯めて、ポケモン攻略本を買った。隅から隅までボロボロになるまで読み込んだ。技マシンの番号と技名を全部覚えた。全ポケモン進化パターンもそらんじた。でも、そこには僕が動かせるピカチュウミュウツーもいない。むしろ虚しくなるだけだと気づくのに、そう時間はかからなかった。

大人になった今だから分かる。健全な物に囲まれ、誘惑に負けることなく健やかに育って欲しいという母の想いは世間では愛と呼ばれるものだ。僕が社学とはいえ早稲田を出て、それなりの企業に勤めているのは母の愛のおかげだ。でも、幼少期に満たされなかった想いは、渇きは、今もまだ確かに残っている。

「うわ、バイオレットだ!やったー!パパ、ありがとう!」朝、リビングAmazonの箱を開けて大はしゃぎの息子。「誕生日でもクリスマスでもないのに。まだSAPIX宿題も終わってないのよ」としかめっ面の妻。これは息子のためでなく、僕の傷を癒すための儀式なんだと言っても理解して貰えないだろう。

「そういやα1のケンタ君、家にSwitchないんだよ。ママが厳しいんだって可哀想だよね」息子の何気ない一言に、動悸が早まる。子供世界共通言語を持たず、母親監視の下で偏差値を上げるためデイリーサピックスを黙々と解く小学生男子。顔も知らないケンタ君の日常を思うと、胸が締め付けられる。

深夜、家族が寝静まったタワマン低層階のリビングで1人、Switchの電源を入れる。ニャオハがマスカーニャまで進化しても、チャンピオンロードオモダカを倒しても、驚きや喜びを共有できる友人はどこにもいない。プレミアムモルツ一口飲む。僕が本当に欲しかったものは、もう二度と手に入らない(完

タワマン海藻とか早稲田社岳とか・・・

ネタちりばめすぎて創作だってわかってしまう好例やん・・・

嫌いじゃないけど・・・

なんだっけ。忘れないうちにメモ


最近ゴッホ絵画など芸術作品トマトスープをかけたり、ウォーホルアートカーに小麦粉をかけたりする気候変動対策を訴えながら過激抗議活動が耳目を集めている。

ブクマもよくされているが、ほとんどが環境テロ、という認識で眉をひそめたコメントにあふれている。

もちろん許されない犯罪として国内外報道されているわけだが、しかし、海外メディアでは、テロという表現ラベリング)は少なく、抗議団体自称するCivil resistance市民抵抗)という表現を紹介していることが多い。正直、この種の活動で昔から有名なグリーンピースもそうだが、テロ呼ばわりされてもおかしくない運動ではあることは確かだが、報道ニュートラルに構えているのだろう。

そんなおり、斎藤幸平が、「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解しないのは、日本人想像力の欠如だ、と述べてブコメから総すかんを食らっていたのをみかけた。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285

しかそもそもテロという認識日本では強いのはわかるけれど、実は欧米での反応というのはそれほど強くなく、むしろ彼らが自称するCivil resistanceへの一定の理解の上に立った報道も多く見受けられるように思える。

https://time.com/6234840/art-climate-protests-margaret-klein-salamon/

そして、よく考えると、そもそもテロまがいのデモというのは、現代人権歴史を振り返ると、一定程度、社会変革の不可避な副産物として、憲法などのシステムビルトインしてきた経緯がある。典型的かつ最初の事例は、20世紀初頭の資本主義社会における労働環境を前提とした社会権。

この問題は二つの視点から興味深く、注視している。

ひとつは、抗議のコンセプトの抽象性。

もうひとつは、抗議運動市民社会的な価値

抗議運動抽象性について。

https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/508によると、世界的な環境活動グループ「Extinction Rebellion」の共同創設者であり、ジャストストップ・オイル活動に加わっているサイモン・ブラムウェルは、アートニュースインタビューで、若い活動家がこの抗議行動のスタイル選択した理由を次のように説明する。

「これはアートの美しさを否定するのではなく、今の私たち優先順位絶対的おかしいということを言いたいのです。アートに美を見出しギャラリーを訪れる人たちがいる。にもかかわらず、消えつつある太古の森の美しさや、日々絶滅していく何百もの生物たちには目を向けないのです」

アートの美しさを否定しないといいつつ、美の概念の相対化というか、再構築といった意味では、形而上学的な禅問答である

この説明を聞いて、素直に納得できる人の割合が多いか少ないか、という視点でみると、ヨーロッパに比べると恐らく日本人は少ないだろう。

アリストテレス時代から愛だの美だの徳だのといったことをテーマに発展した形而上学から学問が枝分かれしてきた欧米と、近代以降のすでにたこつぼ化した個々のジャンルとして完成形をみた成果を受け取ってそれを解読して発展してきた日本では、こういう抽象的なテーマの抗議の趣旨理解できるのは圧倒的に少ないだろうと想像できる。

これは、作品の美の価値が分かればわかるほど、スープをかける行動の意図もわかる、という構図でもあり、実際、被害を受けた美術館環境問題の意義に言及するなどしている。作品に接したこともなく、それこそ「ウォーホル」だ、「ゴッホ」だと資産的な記号程度にしか理解していない人ほど抗議行動の意図自体を測りかね、なんじゃこの奇行は?という反応になっているようにみえる。

そういう意味では、当然、環境急進派の行動は、そもそも抗議の意図が分からない地域では成功しない(日本ではテロ以外の認識は生まれないだろうし、絶望的に無理だろう)。

しかし、欧米では、意外と功を奏しているのかもしれないと思える。感心はしないが、ああ、なるほどね、くらいの素養のある人は日本よりは多いだろう。

おおざっぱにいうと、日本人経験から教訓を得て社会設計をしていくのが得意。いわば帰納法的な解決が染みついている。一方、欧米、ひろくラテン系言語圏含めて、日本人とは比べ物にならないほど、なにかにつけ演繹的な入り方をする。言葉定義からまり指導原理を引き、タスクを明示する、という物事の進め方へのこだわりが強い(日本人自分からみると)。

組織でも、経験常識が共有できていないと不安なのが日本人

一方、構造化された概念ルール化された行動原理(法)にのっとって行動する、という相互の信頼がないと不安なのが欧米社会。そこに、デモ過激運動の機会に、自分たちが共有していない別の概念オルタナティブとして提示されたときにみせる反応というのは、おのずと異なる。


そのもうひとつ理由が、市民不服従という考え方や人々の認識の違い。

日本人社会迷惑をかけるのがとにかく大嫌いなのだ

欧米では、恐らく日本人想像している以上に、Civil resistanceというアプローチ自体価値社会変革のダイナミズムとして認めている。

それが今回の場合、限度を超えたものであり、法的に違法である、というときに、運動趣旨理解はするが違法である、という具合に飲み込みながら。

この違法性というのは、実は重要視点。それを理解するには、市民社会根本から支える憲法など、法について考えないとわからない。

近代から現代20世紀に法の考え方が近代法が大きくバージョンアップした際に、社会権が組み込まれたのは、中学生で習う話。

日本学校では昔から社会権を生活保護など、上から目線な形で教えてきた傾向があった。

しかし、社会権のうち、争議権を思い出してみればわかるように、実際はボトムアップな契機をはらんでいる。

他者危害禁止近代法の原則をはみ出した形で、ストやピケなど市民的な抵抗暴力性を認める市民権が存在する。

考えてみれば、他者に損害を与え暴力的な行動をとっていい、というのが「労働」に関してのみ例外的憲法に組み込まれている、というのは、よくよくなぜなのか歴史を知っておく必要がある。一歩間違えれば、革命トリガーになりかねないボトムアップ暴力。これをあえて憲法に明記するのは、明記することでコントロールしたいという、上と下のせめぎ合いのようなものも感じる。しかし、なんだったらいつでも政府おかしければ転覆して革命をおこせるんだぜ、と市民に思わせておく、オーナーシップ感覚絶妙バランスで持たせる機能果たしているともいえる。

マルクス時代、そしてワイマール憲法時代社会権を育んできた思想運動社会歴史のなかで、当時「労働」が最重要課題で、社会権の大きな柱として考えられたのは自然な流れだっただろう。抵抗暴力は、労働問題を争うツールであるというのが20世紀だった。しかし、抵抗暴力資本主義社会のなかで、たまたま労働キーワードになっただけであって市民社会としては、労働である必然性はない。20世紀には「環境」といったテーマシステムビルトインされなかったわけだけど、80年代後半にブルントラント委員会が「我ら共有の未来」といって今日SDGの原型となるコンセプトを立ち上げたときに、労使間に代わる、世代間の闘争といったことがテーマになりうることはうすうす予測がついていたように思う。

なので、抵抗暴力労働問題ではなく、環境をめぐる世代問題だとしても、その新たなムーブメント市民社会における意義が注目されるのも自然な流れだ。

ここで、はい違法です、はいテロです、といってしまうのは簡単だが、思考は停止する。


一方日本では。

労働」というキーワード戦後日本ははじめて市民不服従権利を手にした。市民社会における抵抗という考え方に「労働」というコンセプトが、時代要請でむすびついていた、というのは押さえておくべき文脈

GHQの五大改革から。勤労者から労働者への主体認識の転換。

しかし、その権利過激行使は、1950年代から60年代大衆の心を猛烈にイラつかせた。

日本高度経済成長を支えた大手企業は、大規模な争議に悩まされた。

民間では、1960年三井三池炭鉱紛争など半年を超える争議も珍しくなかった。しかし、ほぼ100%ユニオンショップで、従業員全員が労働組合員という会社組織風土のなかでは、会社家族みたいなものであり、労使一体みたいなのが当たり前であり、60年をピークに民間の争議はピークアウトする。そのなかにあって、国鉄だけは年中行事のように、順法闘争ストライキを繰り返して市民生活に甚大な影響を及ぼし、会社のみならず社会的に損害を与えた。さらベトナム戦争反対や成田闘争など、新左翼政治闘争が加わっていくなかで、日本人のいら立ちは頂点に達していく。

国鉄やら共産党やら新左翼にひどい目にあわされた、という日本社会のこの経験というのは、争議だなんだといっても社会迷惑をかけてはいけない、という教訓を強く残し、憲法に組み込まれ暴力的な契機をできるだけ抑制的にするべきだ、という認識支配的になるきっかけだったんだろう。1973年最高裁は、それまでリベラル保守裁判官の間で揺れ動いていた官公労組の争議権の是非について、完全に保守化の方向に舵をきり、封殺する結論に至る。公労協のスト権奪還スト(1975年)を時代の潮目に、公社民営化路線が進められていく。争議権だかなんだが知らないが、憲法に書いてあったとしても、市民としては正直、うんざりしてしまったというところだろう。戦後、長い間、政治闘争旗手として大きな存在だった総評、そしてその大半を国労が占めていた時代は終わる。

ということで「労働」をキーワードにせっかく手に入れた不服従暴力は、迷惑をかけんじゃねーという市民社会常識を繰り返し強化する経験を重ねることにより、空洞化した。

その後の日本社会では、エスタブリッシュメントと化して長い間、社会運動の先頭に走っていた労組が今度は勢いを失うと、どういうことになるか。

例えば、正規雇用非正規雇用ギャップみたいに新たな問題が浮上してきたとしても、ユニオンショップ非正規も入れてあげたほうがいいんじゃない?、という手続き的な、上から目線的な議論の仕方に収れんしてしまう。日本社会があまりにも保守化してしまって、そもそも争議という暴力的な手法は何のために憲法というシステムに組み込まれたのか、根本的な思想がわからなくなってしまっているようにも思える。言い換えると、憲法さらメタ視点からとらえる思想的な背景がさらに弱くなっている。

歴史を振り返ると、20世紀初頭、メタ視点があったからこそ、資本主義社会の現状と課題に即して、社会権という新しい権利が組み込まれたのだが、現行憲法を頂点とし、人権普遍性憲法の最高規範性を強調してしまうと、憲法思想根拠はと問われたときフリーズしてしまう。日本では制憲者の意思議論は起こらず、代わりに基本書読め、といってなぜか憲法学者に振られるのが定番。(制憲者があいまいなのも諸悪の根源かもしれないし、ステートに対するネイションオーナーシップの違いとも思える。)

欧米環境運動というのは、あるいはLGBTも同様だけど、恐らくそうじゃないんだと思う。

既存規範に書いてないものであっても、新たなムーブメント意味真剣に見極めようとする思想文化があるんじゃないと思える。

そのムーブメント暴力性を違法認識しつつも、時代ダイナミズムとしてとらえようとする、というか。

繰り返すと、

・美の概念など、概念の構想力、概念について深く考えたがる文化の違い。

憲法など国の根本的なシステムアップデートするのに必要社会ダイナミズムへの関心の低さ。

この二つをひとまとめにして、斎藤平氏のように想像力の欠如といってしまえるのかもしれないが、因数分解すると、社会設計をするのに基本的重要な2つの能力、この二つには欧米社会と大きく差があるように思える。

2022-08-07

独学で未経験からWebエンジニアになり1年で月収が前職比50万アップした

第一に、増田にいる人間はろくでもない。

自分は上段に座しているつもりで偉そうな上から目線の半分的外れ説教だの、はたまたその体すら為していない放言だのを安全位置から投げつけたいだけのカスしかここにはいない。

このタイトルを見て、意識高い系文系イキリ勘違い野郎に何事か物申してやろうと考えたそこの画面の前でニチャニチャしているパソカタオタク(パソコンタカタキモオタク: 声は小さいがタイプ音はでかい)のことである

あるいは増田のことかもしれない。増田は日頃増田に生息している訳ではないが。

お分かりの通り、これは釣り記事であるそもそも意識高い系文系イキリ勘違い野郎増田記事を書くわけがない。が、一応タイトルに嘘はない。

ので意識高い系文系イキリ勘違い野郎を志す意識高い系文系イキリ勘違い野郎予備軍のことを思って以下を書く。

ちなみに、この記事タイトル増田が一番嫌いなタイプのそれである自分で設定したのに今、額に青筋が浮かんでいる。

1. やったこ

本項ではWebエンジニアになるにあたって増田がやったことを列挙する。

1. プログラミングを独学する

2. スクールに入る

3. アルバイトをする

なるほど、至極単純である。では順に詳細を見ていく。

プログラミングを独学する

ここに関しては特に言うこともない。

ネット記事を見ながらCだのDだのC++だのを実際に吐くまで勉強した。

その経験を踏まえて意識高い系文系イキリ勘違い野郎予備軍にアドバイスするならば、独学の上で最も身になるのは"C++を用いて簡単スクリプト言語インタプリタ実装する"ことである

インタプリタ実装という作業プログラミング言語のものに対する解像度を飛躍的に向上させる。

不可思議お約束の塊であった文法意味論因数分解されるように頭の中で整理され、ブラックボックスであった標準ライブラリの内部について想像が及ぶようになる。

道具たるプログラミング言語に対する理解は、当然その使途であるプログラミングのものを助ける。

ところでパソカタオタク諸兄姉は「なぜ今C++などという時代遅れのクソ言語を」と思ったかもしれない。

かにC++はもはや洗練から程遠い聳えるバベルの塔であるしかし、こと言語実装習得においてはこれほど適している言語もない。

C++GC付きの他言語比較して抽象度が低く、全てを自身管理しなければならないが故に"便利な魔法"にあまり頼れないのである

また、C++で導入された様々な思想イディオムは他の言語にも大きく引き継がれている。

例えば洗練という意味C++の対極に位置するRustという言語は、もはや本質的にはC++のものである

Rustの代名詞である所有権ライフタイムはそれぞれC++反省からまれ言語要素であるし、move semanticsはC++11におけるmove semanticsと同様のものである

GC付き言語利用者にとってしばしば混乱の原因となりそうな`str`と`String`も`std::string_view`と`std::string`を知ってさえいれば迷いの発生する余地はない。

他のより抽象化された言語についても、C++との対応を考えることでその言語や標準ライブラリのもの実装について十分に理解を深めることができる。

なぜならば過去の多くのスクリプト言語コンパイラC/C++によって実装されていることが多いかである

そんなわけで、増田は"C++を用いて簡単スクリプト言語インタプリタ実装する"ことを勧めている。

スクールに入る

増田が入ったスクールは、多くのそれが半年あたり70万程度の授業料を取る(らしい)のに対して同期間で28万程度と非常にリーズナブルであった。

ただし、卒業までは最低4年と長期間を要するし、増田卒業後も2年さらに通った。

そう、大学(院)である

おいそこの意識高い系文系イキリ勘違い野郎予備軍、カスみたいなプログラミングスクールに入るな。

教育機関情報工学を学べ。

ところでそろそろ察せられるだろうが、増田の前職とは学生を指している。

アルバイトをする

大学情報工学を教えてくれるが、別段それを学んだからといってプログラミングができるようになるわけではない。あくまでそれらは相補的なものである

一方で、独学では分野に偏りが出がちだし、なにより独学にも金が要るので学生身分にとってプログラマバイトは良い選択肢である

アルバイトITエンジニア経験に含めなくて良いのか怪しいが、増田バイト業務内容はWebエンジニアと言いきってよいか悩ましい類だったので嘘は吐いていない。

ちなみに増田増田に書き込むような人間であるからして社会性というものが欠落している。

バイト大学院1回生ときにバックレてやめた。

2. 現職

大学院を卒業したのでいやいや就職した。

ちなみに月収は大学院2回生収入0時代から差分で算出して+50万なのでつまるところそれが現在の月収である

増田にとって低くはないが、決してITエンジニアとして高い方であると主張することはできない程度の額である

釣りのためにタイトルに含めた以上最低限の説明のはしたが、増田は金の話をすると脳の血管がブチギレそうになるのでこれ以上その話はしない。

3. 結びに意識高い系文系イキリ勘違い野郎予備軍へ

ここまで読んだならわかると思うが、増田意識高い系文系イキリ勘違い野郎(タイプ音がでかい)ではなく、パソカタオタク(パソコンタカタキモオタク: 声は小さいがタイプ音はでかい)である

そして、意識高い系文系イキリ勘違い野郎予備軍に言うべきことがあるとすれば、そもそもこの記事をここまで読んでいる時点でITエンジニアには向いていないので止めといたほうがよい。

また、ひょっとすると思い違いをしているかもしれないが、ITエンジニアというのは大抵 (増田社会経験がほぼないので一般論を言うことは出来ないが) 意識高い系イキリキラキラ野郎サイドではなくパソカタオタクばかりである

というよりTwitterにいる意識高い系イキリキラキラ野郎は多くの場合意識高い系文系イキリ勘違い野郎予備軍を養分にする人でなしである。騙されてはならない。

また、一つ理解しなければならないのは意識高い系文系イキリ勘違い野郎予備軍諸兄姉が張り合わなければならないのは、プログラミングスクールの同期でも、「#駆け出しエンジニアと繋がりたい」している有象無象でもなく、幼少から寝食や友人や遊びを自ら捨ててパソカタにのめり込んでいた、そして現在進行系でのめり込んでいる歴10年や20年をゆうに超えるSSRソカタオタクであるということである (そしてそれはNRソカタ増田も同様である)。

彼らが「スクール半年学びました」で並び立てるような人間でないのは単純な算数でわかるほど明らかである。悪いこと言わんからキラキラWebエンジニアを目指すのはやめとけ。

あるいはそれでも目指すのであれば自分が何を捧げられるのかを考えた方がいい。

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