はてなキーワード: 入稿とは
「やっと1冊目入稿した( ^ω^)2冊目もがんばる( ^ω^)」
「福島在住ですよね^^;今度出る本に放射性物質とか付着してませんよね^^;」
「えっ( ^ω^)刷ってもらう印刷所は関西方面ですし問題ないですよ!( ^ω^)」
「在庫とか汚染されてるんじゃ…^^;」
「えっ( ^ω^)在庫はウエストウィング(大阪の倉庫)から直接搬入してもらいます( ^ω^)」
「春コミのぶんも本買いたいし、ぜひ行きたいです!( ^ω^)」
「え…^^;」
「えっ( ^ω^)」
「放射能の強い場所から参加されるの嫌がる人もいると思いますよ^^;」
「偏見持つ人もいるってこと覚えておいてくださいね^^;私は差別しませんけど^^;」
「人の多い場所ですし、放射能ふりまくのもどうかと^^;そのへん考えてます?」
(;^ω^)・・・
(^ω^)
('A`)ヴァー
「震災に負けずにがんばるぞ!!」と余震に揺られつつ原稿やってたけど
会場にこういう人がいるって思うとだんだん怖くなってきてしまった
「福島の( ^ω^)さんスパコミ来るぽいけど放射能大丈夫なのかな^^;こわい^^;」
「( ^ω^)さん福島なんだ><やばくないのかな><こわいよね><」
「だよねー^^;ちょっとこわい^^;」
( ; ω ; )
ツイートもブログも、メールもない。電話だって出来ない。電気・ガソリン・ガスが失われ、津波に傷つけられた街では本当に昔からのやり方で物事が行われている -ペンと紙で。
コンピュータやウェブサイト、3G携帯はもちろん、20世紀の印刷出版は利用できずに、街唯一の新聞である石巻日日新聞では記事が大きな紙に黒のフェルトペンで書かれている。
現代のメディアとは思えないが、この方法は機能している。
「このような悲劇に苦しむ人々は食べ物や水、そして情報も必要としています」夕刊紙である石巻日日新聞にて主筆を務めるタケウチヒロユキは語った。「これまではテレビとインターネットでニュースに触れていた。しかし灯りも電気もなくなって、彼らにはうちの新聞紙かないんです」
近年のアラブ世界をまたがる政治的醸成が新しいメディアの持つ力を華々しく告げる一方、世界で最も「つながった」国である日本での悲劇は、時計の針を逆転させた。少なくともここ何日かは、印刷/手書きのことばが優位となった。
執筆・編集が終わると、タケウチと同僚が手作業で複製し、史上最悪の地震とそれに続いた死の津波に生き残った人々がいる避難所へと配られる事になる。
「情報を手に入れるのに必死なんです」津波が自宅の一階に押し寄せて以来、10日間オフィスで寝泊まりを続けるタケウチは語った。
16万都市の1/3に電気教kっゆうが再開され、タケウチの新聞はペンを置き、印刷を始めた。ネットはまだ使えない。月曜の一面では「奇跡の救出劇」、80才女性と16才の孫息子が瓦解した石巻の自宅から日曜日に救出された物語を讃えていた。
海岸線を仙台に下ると、かつて賑やかだった100万都市では、デジタルによる意見は停止している。「こんな状況では、紙(媒体)の力は他(のメディア)にはない」街を代表する新聞である河北新報の社長でありオーナーでもある一力雅彦は語った。ほとんどの店が閉じた今では、ラジオの電池を買う事ができない。
この地域の電気供給が崩壊し、仙台のコンピュータやテレビはシャットダウンされたが、一力が持つ仙台の新聞はその間も発行されている。津波の日には1ページの号外さえ届けている。
情報に飢える住民は、(一力)社主に「生活を守るために私たちの新聞に頼っている」と話した。大災害についてだけでなく、毎日の生活に関わる情報が提供される。どの店に食べ物があって、どの道で瓦礫が除去されたか、どの銀行に現金があって、有名酒販チェーンのどの店が再開したかなどについてだ。
石巻は仙台よりも小さく、被害は長引いており、日日新聞は津波の後の2日間は発行できなかった。6人いる記者のうちの1人は、仕事から戻る途中に車にのったまま飲み込まれた。彼は生き残り、数日を病院で過ごして現場に戻った。
主筆であるタケウチは、3月11日午後2時46分に地震に襲われた時にはオフィスにいた。その日の入稿を終え、紙面では1面には石巻の「隠れた魅力」についての記事が飾られ、役所の担当者は病院やその他の施設を改善する約束をしていた。
地震は2階建ての新聞社社屋を揺さぶり、激しさのあまり蛍光灯は天井~落ち、ファイルキャビネットは床の上で横滑りした。
最初の手書き版は3月13日に準備され、「可能な限り正確な情報を得られるよう努める」誓いが特集された。日本中から集められたレスキュー隊の到着と被災地域の広がりが伝えられた。石巻では海辺の家屋やビジネスはぶち壊された。3万を超える人々が避難所に逃げ込んだ。「今や被害の全貌が明らかになった」という見出しがつけられた。
明くる日、身元が確認された34地域の人々の名前と年齢が載せられた。絶望の兆候でもある、スーパーでの略奪も伝えられた。
しかし紙面では、打ちのめされた人々の気持ちに拍車をかけるようなものよりも、明るい話題が努めて選ばれたとタケウチは言う。「希望につながる事を探しています。これが私たちの考え方です」 「数が増えるばかり」という理由で、死者名の掲載は取りやめとなった。1300以上の遺体が確認されている。
「こうした努力が電子メディアの不在を補う上で役立っている。電気や水、十分ではない食べ物での生活はうんざりするくらい大変です」石巻の25才になる、イシカワユタカは言う。「でも最悪なのは情報がない事です」メールやネットサーフィンが恋しいと彼は語った。
とある記事のはてなブックマークでその存在を知って、中身が知りたくなったのでミステリマガジンのバックナンバーを借りてきたよ。
そしてその内容が個人的にグッと来るものだったから、メモ代わりに後半部だけをここに書き出してみるよ。
九六年二月、私は、青山ベルコモンズのカフェで言葉を失っていた。狭いテーブルの上に広げられたのは、探偵ミロを主人公にした旧『柔らかな頬』第二稿。付箋が挟まれ、赤字が入っている。対しているのは、新担当編集者だった。彼は、「うまく直っていない」と告げて沈黙した。第一稿が上がった時点で、様々な注文を付けたのは彼だった。複雑過ぎるからもっと単純に、対立を明確に、タイトルを変えろ、等々。エンターテインメント小説の王道を説かれ、何とか努力して改稿した結果がこれなのだ。
私は、紅茶の染みが飛んだ原稿を書類袋に仕舞い、「わかりました。これは捨てます」と言った。彼は、私の反応に少し慌てたようだった。だが、私は周囲のざわめきすら、気にならないほど打ち沈んでいた。誰も見方がいない、これから一人でやるしかないのだ。その思いが頭の中をぐるぐると巡っていた。「これからどうしますか」と問われ、「別の小説を書きます」と意地で答えた。この時、『OUT』の構想が生まれた。行き場のない中年女たちの小説を書こう、と。行き場のない中年女とは、まさしく自分のことだった。
その年は、他の細かい原稿は一切書かず、『OUT』の書き下ろしに専念することにした。どのみち、デビューして間もない作家に、そう多くの注文は来ない。私は、原稿を捨てたトラウマを抱えつも、何とか『OUT』で勝負したい、と必死になっていた。その重圧に押し潰されそうだったし、『柔らかな頬』を捨てたことで、作家としての自信を失っていた。とりあえず、どん底にいる私が発見したのは、恐ろしく単純な事実だった。書くしか生きる方法がない、ということ。そして、それは恐ろしいほどの孤独を生きる、ということでもあった。
取材は多岐に及んだ。井の頭公園バラバラ殺人事件の取材をした記者、ルポライター、深夜の弁当工場、街金。取材対象のアポは、ルポライターを除いて、ほとんど私自身が行っていた。当時、私のような駆け出し作家には、出版社は金も時間も多くは割いてくれなかったのだ。しかし、自分で切り開いた取材先は、得るものも大きかった。結果としてはその方が良かったのである。私は一人で車に乗り、物語の現場と仮定した東村山市に度々出かけた。駅前で描写のための写真を撮り、見知らぬ公団住宅の広場を歩き回って、主婦の顔を見た。頭の中で、雅子や邦子たちが息づき、喋り、早く書いてくれ、と叫んで、今にも爆発しそうだった。
夏までにほとんどの取材を終えてプロットを作り、私は九月から書き始めた。千ニ、三百枚以上の長編になるはずだった。せいぜいが八百五十枚の経験しかない私には、初めての大作だ。ミロシリーズの一人称一視点をやめ、三人称多視点で物語の速度を速め、螺旋状に回すことを決める。十月に二百枚入稿。年末に五百枚。順調だったが、書いている間は他の作家の華やかな噂を耳にして、心が乱れた。一人でパソコンに向かう日々は、実に孤独だ。書くしかない、と思っても、小説の終結まで途轍もなく長い時間がかかるのだ。そのことを考えるとどうしても落ち込んだ。短編小説の注文もぽつぽつあったが、理由を話して断った。その頃の私は、仕事を断ること自体が冒険でもあったから、これでその出版社からは、二度と仕事は来ないだろうと覚悟した。
三月十七日の夜、最後の一行を書いた途端、涙が溢れた。やっと終わった、辛かった、と言葉にすると、また泣けてきた。しかし、ようやく脱稿した私に、厳しい現実が待っていた。初版部数は一万三千部だというのだ。内容に自信があったし、二年越しの仕事だったから、初版部数の少なさは衝撃だった。だが、これが現実だと思えば、やり遂げたという自信を胸に、次の仕事に賭けるしかない。それが作家だ。何とか自分を慰めた時、不思議なことが起きた。口コミで爆発的に売れ始めたのだ。『OUT』は作者の手を離れ、ひとりでに読者の元へ飛んで行ってしまった。
九七年の『このミス』で一位、翌九八年直木賞にノミネート。破竹の勢い、と自分でも満悦だったが、ここから『OUT』の不思議な運命が始まる。直木賞落選。次の吉川英治新人賞でも落選。ようやく推理作家協会賞で長編賞受賞。三度目の正直だった。賞にノミネートされる度に有望視された『OUT』は、その「反社会性」とやらで、メジャーの賞から弾き出されたのだ。そして、その不思議な運命のとどめは、今回のエドガー賞候補である。
『OUT』は、私という作家をブレイクさせてくれた作品だが、同時に、私をOUTな作家にしてくれたらしい。それは、決して王道を行けない奇妙な小説家としての道でもある。その始まりは、旧『柔らかな頬』を捨てた日の、打ち沈んだ気持ちにある。誰も味方はいない、一人でやるしかない、というあの思い。だが、孤独は作家を鍛える。再び、同じ思いをして自分を鍛えたい、と最近思うのである。
祖母が死んだ。
突然のことだった。
私はその日、2徹目で仕事をしていた。
元気だったのに突然だったと言うその声は少し震えていた。
告別式と葬式、焼き場、精進落とし、初七日、全部まとめてやるから
「2日も仕事しなかったら、原稿落ちちゃう」ということだった。
自分でライティングをし、デザインをし、データを突っ込むところまでやるのだ。
間が悪いことに、入稿日は祖母が焼かれる日と同じ日だった。
祖母とは20年間一緒に暮らした。
私が家を出るその日まで、母より長く一緒に過ごした人だった。
でも、でも、でも、原稿、落ちたら、落ちたら、落ちたら?
…襲いくる恐怖に私は3徹目で対応することにした。
上出来だ。でもまだ終わらない。
寝たら最後だろう。
どこかで、そんなに大変なら帰らなくていいのよといって欲しくて。
そんなわけなかった。
「そんなに近い親族なんだから、お焼香だけの周りの人とは違うでしょう!」
「声が小さくて聞こえないのよ!何を言ってるの!?あなたは!」
(3徹目の人間にハキハキした返事を求められても困る)
母のヒステリックな…姑とはいえ、身近な人間が死んだのだから当然だろうが…
電話を聞きながら、ああ、もう、どうして、どうしてこう、と
まとまりのない単語ばかりが頭の中を巡っていた。
後原稿用紙20枚ライティングをして、
そして、そして、寝たら…3徹目の頭から脱却するために寝たら…
私は祖母の死をそのときはじめて悲しめるのだろうか?
最初に「彼女」を見たのは10歳くらいだったと思う。
みんなで盛り土の開発工事をしている場所で「秘密基地」だの何だので遊んでいたんだと思う。
それで、たまたま奥の方にでっかい木が一本生えていた。
俺は「あそこに作ればよくね?」といったが友人五名。全員面倒くさがった。
面倒くさがることにいらついて俺一人で「でっかい廃材」とか「でっかい石」とか運ぼうとした。
今だったら「バカだなあもう。俺じゃあはこべねえよ。大人になっても20kgももてなくて日払いお役ご免になったんだぞ」と言いたくなる。
それでもずるずる汗だくで引きずりながら女子に「お前じゃはこべねえよ?」とか言われる始末。ああそうだ、俺じゃ、運べない。
で、すんげー、親しく話してくるもんだから、女子そっちのけ。相変わらずずるずる「黙ってろ」と言わんばかりに引きずっていたのが俺。
しばらくして(つっても1メートルも運んでなかったんだと思う)、友人の一人が(当然男子だ)、「そろそろかえらねえと怒られるぞ」といってきた。
当然、女子も賛同「帰れ帰れ」だの「帰ろう帰ろう」だの何だの。
ようやく俺は女子がいることにきがついたんだけど、やっぱり、最後までそっちのけだった。ダチの方が気になった。
帰り際、後ろ見たけど、知らない奴がつったっていた。背は俺と変わらないぐらいだった。
それから話をほじくりかえして、聞かなくても良いことを友人に聞いたけれど、
友人はさっぱり覚えていないし、仮にいたとしてもいなかったと証言。
俺も素のボケキャラも相まってか、その話は流れる。そうしてそんなやついなかったということになったし、実際そうだった。
その頃ぐらいから、やれホームレスがいる、やれ不思議なものを見たという話が学校で話題になってか、
よく俺は友達と揃って散策に明け暮れたり、俺一人で散策をしたりもした。でも時間や臆病風が吹いてか
「ふつーにあるじゃん、そんなもん」
というすまし顔の有識者ぶったやつにぶった切られて、俺は渋い顔をしていた。お前、つまらないやつだなあ、と。
それからといえば普通だ。俺は内向型の非モテ二次元野郎へと進化を遂げ……たというより単純にそういう風に育っただけだ。
そういう風に育ったから現実も嫌だし、孤独も嫌だし、泣くし、吠えるし、孤立しまくり。嫌になって学校も休みがちだった。
不思議なことはたまに少しだけあるぐらいだった。夜中の窓にノックされたり、見知らぬ女子が勝手に出てきたりとか、そんなもんだ。
よくいうあの世の入口みたいなことめいたものもあったけれど、単に俺が興味を向けず、ぼんやりしていたら逃した。
逃した俺はあとになって探しまくるがそんなもの一つも出てこないという体験で終わる。もう五回も六回もあったが、気まぐれな俺はいつも行かない。
女子も女子で夢に出てきても、互いに言葉なんか交わさなかった。怖いとかじゃなく言葉を放てない。
放とうとしても金魚の口ぱくぱく。そんなんじゃ意味がないと俺も知っていくようになったから黙り続き。
つまんねーのとおもうけど、数回だけ声を聞いた覚えもある。
18くらいに彼女が出てきたときはおめでとうといったくらいだったか。いや、詳しくは覚えていない。別れたあとには慰めが来たか。でもおぼろげ。
不思議なことなんてそんなもんだ。俺も俺で幻覚症状でているというか誰と話しているのかよく分からないことを素でやるからそういうことが起きる。
んで、ついさっきもまた起きた。
そこでつい最近ネットで暴れていたからか、変な書き込みをしていた。いわゆる自爆芸だ。
でも、待ったがかかったみたいに画面から目を背けたら、頭を押さえつけられたように画面なんか見られなかった。
フォーム入稿だったから、修正すれば間に合った。思いっきり修正しようと心変わりしていたからしばらくもがいていた。
ようやく、そいつがまた見えた。「お前、また自爆芸かよ」という目でノーパソぶんどって。
別に他愛のない話だ。変な憑き物がいても害悪がないのは分かっている。
むしろ、有害な方は俺であり、夜中になってまで処女について変な語りをしていた。
窓際で頬杖をついてあいつを書こうとしたかと馬鹿たれな事を考えては、ただの腐ったまるでだめなやろうに育っているなと俺は思う。
現実で癇癪を起こすようになったのが、ただネットに癇癪を起こすようになっただけかなとか。
でも、かけたらなあと思って二次元に逃避していたかとかどうでもいいことを今更考えている。
結局、拙い文章しか書けないし、文法も支離滅裂だし、言いたいこともろくに伝えられないもんなあとかな。
頭を冷やしてエディターも立ち上げようとしたけれど、やっぱり俺じゃ無理そうだった。
このまんま普通に暮らして普通に死んでおしまい。悪くはないが、なんか、胸くそが悪い。
気を抜いたら一人称普段のまんまだった。やっちまったんだぜ。
こちらこそ、いろいろ愚痴につきあってもらってスミマセン。
どちらに転んでも、難しい問題ですよね。
それは確かに、そうなんですよね。ただ、その観点(編集者のセンス・出版社の構成/校正センス)
でもいろいろ議論はありますし、日本だと青空文庫さんなんかが先行的な深い議論をされていると思います。
それから、クラシック畑の楽譜なら「○○版のコレコレという楽曲」という表現をするものも
ありますので、多少は編集者の創作を加味されるのかもしれません。
といっても、ゲージツ的手書き譜の時代と、電算写植... もとい、DTP入稿の時代では、
重み付けも全然違いますが。
コピー機の普及によりもはや民間企業がやれることではないのかもしれませんね。それこそ元増田の言うように国立の音大や国会図書館がやるべきことなのかもしれません。うーん、でもそれも違う気がするなあ。
19世紀までの楽曲は、そういうスタイルも1案かもしれませんね。
吹奏楽の場合で、かつ特殊ケースにはなりますが、吹連が売ってる(権利を持っている)課題曲・楽曲は、
基本的には在庫が尽きるまでは原譜を販売、在庫終了後も権利者認定のコピー譜を販売、という
スタイルだったかと思います。
PDF配布なんかも普及してきましたし、昔のように在庫や原板の保管の障壁も下がってきていますので、
「権利者(or相当者)認定のコピー譜」という制度が普及してきても、いいかもしれません。
(追記)
というか、個人には大きすぎる・民営会社には少しキツい問題なので、
ほんとは真っ当な「権利者団体」が、利用者・著作権者・出版社のそれぞれに、
損は少なく得できる方策を提案すべきだと思うのですが、JASRACがなぁ...
DVD/CD-R/HDDであんな議論されちゃ、そのうち「コピー用紙にも楽譜をコピーできるんだから」
などと言い出しそうで怖いです。ってか、コピーするのが前提かよ!みたいな。
お話も尽きませんので、いったんこんな感じで。
http://anond.hatelabo.jp/20090505065159
それもおっしゃる通りで。基本的には、著作権は出版社に譲渡...
つか、国内は基本的にJASRACに譲渡で、しかも取り返せない形になるんでしたっけ。
あと出版社も(在庫リスク付の)商売ですから、確かに出版社が力を持つのは
仕方ない側面もあるとは思います。
東芝EMIが、同じ内容のCDを数年毎にパッケージを変えて再版してるのを見て、
最初は「セコいなー」と思っていたものの、最近は在庫調整&継続販売のためには
仕方がないのかなーと同情に思えてきたり、
NSBの旧版がde Haskeあたりで再出版されてる様子を見て、
国内版で出してくれないのもなんだかなーと思えていたのが、仕方ないなーと思えたり、
そんな気分になることに、年を取ったなーと思う今日この頃です。
さっきはてなブックマークを見たが、本当に唖然とした。
俺は断言するが、あのamazonのネットの評価を見て唖然として評価を読む奴は馬鹿だ。これは100%断言できる。
何であれがいいと思うの? なんであれの評価読むの? 本当に分からない。あれネットじゃん。ネットの評価だよ? 誰だってあれ見てネットだって言うのは一瞬で分かる。それで唖然とするって本気で馬鹿なんじゃない?
あれがいいっていうのは、頭がおかしいとしか言いようがない、というか、脳が退化してるんだよ。それしか説明がつかない。つまり、人間の評価とネットの評価が区別つかなくなってるんだよ。だからいいと思って読む。これは馬鹿としか言い様がないだろう。日本の将来は大丈夫か?
前にもちょっとamazonの評価が出た時、Twitter(こんなもの読みたくなかったが)で読んだが、なんであんな人気あるんだろう。あとついでにそのamazonの評価を人間が書いてるのも読んだ。これならまあ100歩譲って納得できなくもないが、ただ当然プロの批評家とは比べるのも失礼な程だし、無料ならまあ一回見てもいいかな、という程度だ。何度も見るほどではない。ただコメントは絶賛の嵐。アホか。本物を知らないニートばっかなのかあそこは。ろくなもんじゃないな。
俺ははっきり言うが、もっと人間が本気で書いてる評価を読むべきなんだよ。じゃないとおかしい。プロの批評家が毎日どれだけ苦労してるか知ってるか? 新譜チェック、業界の動向、営業や入稿の管理、時間管理、書けばきりがない。大好きな酒、タバコも我慢して頑張ってる人もたくさんいるし、サラリーマンみたく安定した職じゃないから毎日不安と戦ってる。そういう方が心を込めて書いてる評価を読まずに、ネットの評価を読む。ほんと死にたくなるね。どうしてあのネットの評価を読むかね。わからない。世の中不思議だらけだ。
正確には28日の7時にウェブ上で掲載されるらしい。
正直つらかった。はっきりいうとここまで来るのに20年と3ヶ月と21日かかった。
ーーー
おいらは中学時代の3年はほんと無駄に過ごした。一人でゲームしたり自転車乗り回して一人旅したりしてた。当時は「こういう経験は将来役立つ」とか思ってた、本気で、まじで。・・・ねーよ、ばーろー。
勉強が出来なかった俺は中3でどうにか頑張って高専を受けた。そして、合格した。だけど、実は只の定員割れで受験者のほとんどが入れたという状態だった。だから多分俺は落ちてたのに入れたみたいな感じなんだろう。自分でも自分の力で合格したとは思わなかった、思えなかった。
そして、高専という特異な環境、寮生活や全然知らない同年代の奴があふれる中で俺は必死に自分の居場所を探した。中学時代みたいに一人で居るよりも誰かと居ることを望んだ。中学時代ではあり得ないほどの行動力を持って友達を作り、先生と仲良くなり、部活にも入り、自分の趣味を最大限に生かせられる環境にした。
このとき僕は「やればなんでも出来る」と信じて疑わなかった。そして僕はなんでもやった。同年代には真似の出来ないようなことをやった。15歳からデザインを勉強した。DTPも勉強した。PhotoshopもIllustratorもInDesignも自分で買って勉強した。印刷会社でバイトもした。一通り制作から入稿、アナログとデジタルな印刷技術・方法まで学んだ。イベントを企画した。商店街を巻き込んだ大規模なイベントを作り上げた。地域を巻き込んだイベントを開催しまくった。PAもやった。アマチュア映像作家もやった。なんでもやった。出来るからやった。
出来る。なんでも出来る。僕は最強だった。そして、それを信じて疑わなかった。
ーーー
しかし、高専2年目の半ば。
俺は朝起きるとベッドに血を吐いていた。
しばらく入院し、復帰すると何かがおかしかった。体が動かなかった。なんにも出来なかった。食欲も無くなった。食べることもつらくなった。いろいろつらくなった。
うつ病だと言われた。薬を飲みはじめた。泣いた。悔しかった。
色々狂い始めた。体が狂い始め。人間として狂い始めた。留年した。親が心配してきた。だけど、俺がうつ病な事と薬を飲んでることは言わなかった。打ち明けるのがなんだか怖かった。
高専4年目で俺は自主退学の道を選んだ。父親はキレた。祖父祖母もキレた。叔父叔母もキレた。親戚全部がキレた。正月、俺は目をつむり、口をふさぎ、耳をとじた。
ーーー
幸いにも高卒認定は貰えたので、俺は大学受験でやり直すことにした。
しかし、理系学校とはいえ理系らしいことはあまりしてこなかったし、理系で飯を食っていく自信がなかった。
高専時代に楽しかったデザインを学びたかった。それもデザイン理論。
そのことを母親に相談したら、とある美大を薦めてくれた。一応5美大の中に数えられる大学でそれなりの難関だった、
その時7月。俺は死にものぐるいでやった。やるしかなかった。
美大受験に父親は理解してくれた。祖父祖母は理解なかった、高卒の俺に働けと言う。自分たちの事業を継げと言う。絶対に従わなかった。月一で呼び出され説教もされた。無視した。暫くすると祖父祖母の兄弟姉妹までもが俺に説教をし始めた。やつら狂ってた。
12月についに俺がキレた。
「残り10年しない内に死ぬお前らに、まだ60年もある俺の人生、夢の邪魔をするな。」
今思うと恥ずかしい。
それっきり、黙った。
ーーー
俺はやるだけはやって、あとは結果を待つ次第。あと4時間で結果が出る。
今までの思い出に浸りながら少し寝ようと思う。
こことかhttp://plaza.rakuten.co.jp/fantag/diary/200811230000/
こことかhttp://d.hatena.ne.jp/okome_chan/20081126/1227627555
で同人誌にトータルでかかる費用を出しているので便乗してみる。
あとここhttp://anond.hatelabo.jp/20080524182732
で超大手の費用が出てるんだけど1種1万冊も売れるサークルは相当絞られるんじゃないかと思う。
んで自分のいるジャンルは、マイナー→アニメ化により一気にメジャー→沈静化ってなってるから良く言う「ジャンルによる」って奴なんじゃないかと思うので、今回は時系列に沿って簡単に自分のサークルの出入を書いてみた。面倒なのでとりあえず1冊分計算。ごめん。ちなみに活動期間は4年くらい。
毎回イベント時に最低限かかる金額は
----------------------------------------
・サークル参加費 3,000―6,500円
・交通費 片道500円として1,000円
・打ち上げ代 4,000円
----------------------------------------
程度。他は↑のエントリー見てもらって補完してください。以下の利益は諸費用を含まない計算で。
(突っ込み入ったから補足すると、打ち上げ代は他エントリーのブクマで結構かかる…と経費のように書かれてたから入れてみた。イベント1日にかかる費用という大雑把な意味でとらえて下さいな。それから後に出てくる売り子ちゃんのお礼代(大体は飲み会代負担)もある意味経費に近いものだと思ったので入れました。まあ違うと思ったら脳内削除してくだせー)
1種28P×30部コピー代計5,100円
(1冊費用表紙50円+コピー代120円=170円)/200円で販売
売上6,000円→利益900円
1種28P×100部コピー代計17,000円
売上28,000円→利益11,000円
印刷費72,000円/300円で販売
売上180,000円→利益108,000円
印刷費50,000円/300円で販売
売上90,000→利益40,000円
※この頃から半年に1回程度、大阪やオンリーの遠征もしているので
55,000円(交通費30,000円+宿泊費5,000円+諸経費約20,000円)
※あと売り子1人分
※イベント費用に加算
1種28P×300部オフ
印刷費50,000円/300円で販売
売上90,000→利益40,000円
※遠征継続&売り子継続(ただし売り子は大型イベント時のみ)。搬入・搬出代は平均4,000円程度
1冊の単純計算でこの位で、3冊―5冊は常に机の上に置いていたので3倍5倍してもらえれば。
今思ったんだけど28Pなら400円だったかも…。単色とかカラーとかで変えてるのでちょっとあやふや。
あと印刷代は最低限のカラー表紙のセットだからこれにオプションつけたりページ数増えたりするとかなり変わってくる。自分は良くギリギリ入稿で割り増し料金払うハメになってるから20%30%UPがデフォ…。よゆう入稿したい。
イベントに出るのは2・3ヶ月に1度で1種3回位のイベントで完売するように設定。
書店委託はしていない。
イベント時は大体誕生日席がほとんど。壁憧れるなー。たぶん書店委託すればもう少しいったんだろうけどあまり行き過ぎるのも好きじゃないし万が一売れなかったりしたらどうしようと考えて止めてしまった。
中期で一気に売上げが伸びたときはボーナス+カードローンまでした事がある…今は恐ろしくてできないけど、この時は売り上げたいっていうんじゃなくてイベント開始直後に完売や次回売る物がなくないのが怖くて刷ってた感じ。再販はお金かかるし…
ちなみにこの間再録本出したら
148P×500冊刷って23万円ちょいかかった。
印刷所に段ボールの箱数見積もってもらったら5箱程度って言われたんだけど、イベント当日数えたら7箱だった。んでその日200部位はけたんだけど4箱は家に搬出。他在庫もあるので段ボールとともに暮らしています。西翼かなー迷う…
※追記。
本当だったらあとポスター出力代(5,000円位?)+スタンド搬出代(1,500円位?)かかると思うんだけど、うちはカットしてる。1回のイベントのために出力代って悩むんだよなあ。スーパーファインA4に拡大コピーして手作りA2ポスター作成+B4段ボールにちょうど入る机上スタンド使用だけど結構いけるよ。でも売る時かなり邪魔なんで机の上にそんなに種類置けないのは痛いけどね。一長一短かな
※
あと当サークルは女性向けです。エロなしのなんともぬるーい感じの本しか出せてないので女性向けと胸張って言えるかどうか怪しいが。男性読者は10%未満かなー?コミケだと多くなるね
残念ながら俺はいたって普通の人間なので、「食うための仕事」って気持ちを完全には排除できない。
だから、自分の中では「やらなくちゃいけない企画」と「どうしてもやりたい企画」がある。
「やらなくちゃいけない企画」をこなさないと求められている利益を達成できない。
俺には会社にダメージを与えてまでジャイアニズムを実現するような度胸はない。
「来た仕事をとにかくこなして」いる状態。
こなしているだけとは言え、当然求められていることはきっちりやるけれど、脱稿遅れて入稿ぶっちぎって取次がビキビキしているような状況で3徹とかしていると、「どうせ誰も読んでないから、そんなに考えなくていい」とも思っちゃう。
無論、こんな仕事は楽しくない。
楽しもうと思っても、やっぱり俺には限界がある。
楽しくするって言ったって、色々難しいもの。
でも、その10%のために、「どうしてもやりたい企画」があるから、元増田と同じような情熱みたいなモノを持ち続けてもいる。
元増田の上司や同僚の中にも、こういう考えの人がいるんじゃないだろうか。
全ての働いている人たちも、そんな感じで頑張ってるんじゃないかなぁ。
駄目な奴の自己弁護臭く聞こえるけど。
ずっと下請けにいると卑屈になるのは事実。
俺もそれが嫌で編プロから版元に移った。
さて、同人誌作家が“わいせつ”で逮捕されて、警察は委託ショップと印刷所も関与したとして追求していうく方針だというニュースが流れているわけで。
この夏のコミケ前に日本同人誌印刷業協会は独自のガイドラインを「各サークルへの要請」という形で発表し、実際、成人向ジャンルの入稿に関しては従来より厳しい措置がとられた。
今年に入ってコミケや委託ショップの側でもシンポジウムを開催するなどして、同人誌における表現についてのアピールを行っていたにもかかわらず、このタイミングで“著作権”ではなく“わいせつ”での逮捕に踏み切ったということは「お前等オタクが自主規制だのなんだの抜かしても関係なくやるよ」という意思がみてとれる。
所轄は異なれど、まったく同時期に唐突にビデ倫にガサ入れというニュースもあわせて、陰謀論じみた大きな動きを感じざるをえない。こわい!官憲こわい!ひー!
で、ここで蹂躙されているものこそが「アキハバラ精神」とやらではないかと激しく思うのですが、その解放を声高に叫んでおられた団体の皆様におかれましては、いままさに危機に晒されんとする同人誌の表現についてアピールをするどころか、おマヌケな内ゲバごっこのあげく僕達普通ヌルオタに戻りますってな発表ときたもんだ。
こんな連中が「アキハバラの解放」とか訴えていたと思うとゾッとするね。自分の考えで動けない奴、踊らされるのが好きな奴を否定はしないよ。でも誰に踊らされるかは考えようぜってこった。
いざ「アキバの危機」ってときに何もしてくれないどころか、過激派ゴッコに明け暮れている様な連中の指揮で何が主張できるというのか。今回の事件に対して正当なアピールを行おうとしても、色物に見られるようなことになれば、アキバ解放どころか背後から一斉射撃食らってるようなものですよ。
踊りたければ、ウヨだのサヨだの邪念のある連中とは関係なしに、オタパレードなりなんなりするべきだったと思います。ニコニコ動画でのダンスだの、フラッシュモブだのいうイベントの高揚感と達成感は否定すべくもないんだからさ。その楽しさをアホな連中に利用されるなよ。
最大の敵は、バカな身内とはよくいったもので…徹夜行列でコミケ運営に負担をかけるのもオタクなら、キセル自慢で晒されるDQNもまたオタクなんだ。悲しいけどこれが現実。
このままじゃ何かがダメになるよ。だから、口パクパクの鯉でもかまわないから、少しだけ、自分達の好きなものを傷つけないためにはどうすればいいのか、みんなも考えてください本当に!!
あと、昨日の増田で話題になっていたドラ最終回よりもエロを取り締まれっていうのは、自分が嫌いなものを切り捨てる、という発想にしかみえない。自分は藤子ファンかつ、エロ同人誌にはあまり興味がないオタクだけど、それでも「エロなら取り締まっていいですよ」という生贄のような態度は、同人誌文化を考える上では正しいものとは思えません。
そもそも著作権とわいせつの事案は全く別物であるけど、少なくともコミケという場においては「ドラえもんのエロパロが子ども達に影響を与える」ようなことがないような運営が心がけられているし、委託ショップなんかも最近は神経を使っている。違法なスキャンが掲示板にうpされるとか、そういうところから問題になることが考えられるけど、これはネット利用のゾーニングの問題だと思います。
「アレなら取り締まっていいよ」ということをしてしまえば、そこから綻び始めて、気がつくとその影響は自分のいる場所にも及ぶでしょう。そうならないためには、表現への寛容さを維持しつつ、その影響が及ぶ範囲を意識して個人個人が律する、すなわちコミケの精神そのものが求められる……ということで、オタクのみなさん、文化が無いとか寝言をいう自称ジャーナリストもおられますが、とんでもない。
自分達の愛する文化を誇れ、だからこそくだらない利用のされ方をするな。と主張したい。とりとめもない長文で激しく主張したい。
以上、いちオタ増田が思うことでした。
一度自分で作ってみれば分かると思うけど、
みたいなルーチンワークを長時間にわたって行った後って、
頭が疲れてスカスカのおがくずみたいになってしまってるから
冷静な判断力がなかったり何一つ面白いことが浮かばなかったりするんだよ。
自分で作ってみるとそういう愚痴を思わず言いたくなってしまう心境もわかるとおもう。
自分の能力が足らない、
悪いのは自分、
そんなのは百も承知で、
でもやっぱ
「ああ、締め切りが……」
とつぶやきたくなってしまう。
頭が悪い?
入稿前なんて一番頭がわるい時だよ。当然だ。
先日数年ぶりに同人誌を作った。ジャンルはアニメの全年齢向けパロディー本。
入稿も問題なく済んで、知り合いに渡す分は何冊必要かと考えているとうちの嫁が
「なんで実家に送る分は入ってないの?」と。
実家に送る?考えたこともなかった、なのでそのまま「実家に送ったりなんてしないよ(笑)考えたこともない」
と返すと「なんで?信じらんない!」とか言われてそっぽを向かれて機嫌悪くなる。
同人やってる人って実家に自分が作った本見せたりすんの?それが普通?しかも嫁の実家だよ?
自分は中高とオタクだと馬鹿にされて(いじめを受けたわけじゃないけどよくからかわれた)
今はオタの身を隠して隠れオタとして生きてる人間だから、
自分が作った妄想の塊のような本を一般の人に、それも嫁の実家に送ったりなんてすごく嫌だ。
ちなみに嫁はアニメゲームマンガには理解はあるけど、まあ一般人。同人やったりもしないし、創作したりもしない。
今までに嫁の実家の両親にも自分の絵を無理やり見せられたりすることもあった。そのたびにとても恥ずかしい想いをしました。
こんな風に恥ずかしいなんて思う自分が変?同人やってる人は普通どうなの?
こんなことが起こるたびに嫁の実家に行きたくなくなってしまう…
※追記というかレス※
増田でレスってどうやるんだ…レスにレス追加すると大変な量になっちゃいそうだし…。
いつも嫁に言いくるめられてるからだんだん自分のほうがおかしいのかと思ってただけに、
同意していただいて助かりました。
でもそう、なんで恥ずかしいのかって言われるとわからなくなるんだよね…
エロじゃないしあなたの絵なら大丈夫だよ、とか言われても。
恥ずかしいし、嫌なものは嫌なんだよ、としか。