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はてなキーワード: 入社式とは

2024-04-09

親友が狂ってきてる

俺と親友出会い就職新卒の時に面接で知り合って、入社式でも顔をあわせて、そのまま同じ支店になった。

それから親友が異動になっても俺が転職してもちょくちょくラインしたり飲んだりする仲だ。

俺は勝手にこいつを親友と呼び、そして俺にとって親友と呼べる男はこいつだけだった。

 

結婚前は、親友も俺も遠距離恋愛をしていて、彼女居住地が近かったので、一緒に長距離ドライブ彼女に会いに行ったりした。

当然、親友彼女結婚式も出席した。

俺はその頃、もう彼女と別れていたけど、目一杯親友人生の門出を祝った。

 

親友は、あまりかしこくはないが、まじめで、要領が良くて、人当たりがよくて、どこか気品があって、それでいてなんだかミステリアスで、男女ともに人気があるタイプというか、なんだか華がある男だった。

でも同時に、どこか他人に心をひらくのが苦手で、他人に対していつも批判的で、本音のところで素直じゃなくて、人を慕ったり、こびたり、大事にしたりするのがヘタだった。

かまってほしいのに、かまってもらうのがヘタ。

愛されたいのに、愛することはできない。

第一印象がとてもいいぶん、親しくなればなるほど欠点が目立つタイプで、よくトラブルを起こしては「人間関係リセット」をやってしまうやつだと知ったのは、最近だった。

そんな男だったので、親友にとっても、親友と呼べる友人は俺だけだった。

 

コロナ禍でも釣りに行ったりしていた親友と、昨年の夏頃から連絡があきらかに薄くなっていった。

先月ひさしぶりに会うと、近況報告もそこそこに、奴はビジネスバッグから封筒を取り出した。その封筒には、筆文字で書かれた屋号のようなもの電話番号や住所が記されている。そこから降りた畳まれA3よりすこし大きいくらいだろうかといった紙が出てきて、ビール枝豆のとなりに広げられた。

「数年前に、一緒に担当だった●●さん、覚えてる?占い師がいたろ。いっしょに四柱推命を占ってもらった。」

それを聞いて思い出した。そういえばそんなことがあった。言われてみたら、その筆文字で書かれた屋号も、なんだか見覚えがある気がした。

「ほら、俺が33歳の年。運命的な出会いがありって。このときはお前と笑ったよな。俺指輪してたのに、占い師のくせに不注意だって。」

そう、親友結婚していた。俺は結婚式にも出席したし、親友はずっと指輪をつけているタイプだった。真面目な男だ。遊んだりしない。

「いたんだよ。ほんとうに。運命の人が。」

そういう親友の目はとろけていて、なんだか別の人みたいだった。

ふと親友の手元を見ると、指輪を外していた。

その晩の親友は、今までの、人当たりがよさそうにふるまいつつどこか2面性があって、ドライだったり斜に構えたりするところが完全になくなり、素直で純情でロマンチストで、恋愛に夢中で他に何も見えないといったような、気持ち悪い生き物に見えて、とてもつらかった。

 

そう言えばかつて、「俺も結婚したいなあ」なんていうと、親友から子供がほしいならいいとおもうけど、そうでないならしなくていいと思う」と言われたのを思い出した。

親友は早くに結婚し、その頃は結婚7年目とかだった。結婚7年目というのが、実際どういうものか俺はわからないが、親友のところに子供はいなかった。

まり親友はいわゆるDINKS的なものを目指していると勝手に思っていたので、つまり好きで子供が居ない夫婦関係でいると感じていたので、そのせりふに違和感を感じたものだった。

 

親友から嫁さんの話、ぐちものろけも、聞いたことはない。

こちから、本気やノリや茶化しや冷やかしでその話題を振っても流されるので、いつからか触れなくなった。

家を買ったことは知っていた。

からそれなりに関係が良いのだと思っていたのだが、これよりあとになって、「家を買ったのは快適な家庭内別居のためだった」と知らされた。

 

親友の嫁さんと3人で会ったこともかつてあるし、俺はそれなりに嫁さんのことも知人であるつもりでいた。親友と嫁さんは、大学時代サークルの先輩後輩で、甘い雰囲気というよりも、仲間としての連帯意識が強い夫婦関係に感じていた。

親友にとったら初めての彼女だったのが今の嫁さんで、そんな嫁さんがそんな関係だったもんだから

からまり、もしかしたら今の不倫相手との恋は、

自分を失うような恋は、初めてなのかもしれない。

ふつう10代かそこらで済ませて、あとから青臭すぎて痛くて恥ずかしい思いでとして振り返ったり蓋をしたりするような恋は、親友にとって初めてだったのかもしれない。

 

まるで10代の少女のように占いなどを真に受けて、運命なんて言葉を甘く利用して。

「俺は離婚するつもりだ。不倫相手といっしょになりたい。お前は応援してくれるよな。結婚してなかったことにするつもりだから学生時代の友人や、今の職場人間とは関係を切る。転職もする。でもお前だけは応援してくれるよな」

 

俺が親友だと思っていた男はこんな邪ないきものだったのか。

恋愛感情ってのが人をそんなに狂わすのか。

それとも、そんなになるまで嫁さんとの不仲を抱え込んでしまって狂ってしまったのか。

俺はこいと親友で居続けたいのかな。

今まで親友と思っていた男とこいつが同じ人物と思えない。

でも、親友ならこんなとき正しい道に導いてやるべきだ。

でも離婚って正しくないのかな。

離婚って間違ってんのか?

こいつは本当は子供が欲しかったのかな。嫁さんに拒まれていたんだろうか。それなら、乗り換えたい気持ちもわかる。

 

頼んでもいないのに親友が見せてきた今の"恋人"の写真が頭にこびりついて離れない。

どこにでも居そうな、特段ブサイクではないが決して美人ではない、無理やり褒めるなら、きれいというよりは可愛らしい女の子だった。

親友にとっては絶世の美少女らしい。その魔法が解ける日も怖いが、不倫相手は嫁さんといわゆる正反対の見た目をした女だったのも、また怖かった。

2024-04-04

市役所のすやすえっちが傷つけてしまった

男女でも男男でも女女でも良いんだけど

新卒公務員になんてならなければよかった。

とにかく愛し合っててラブラブ高潮な二人で研修が一日もなく、入社式終わったら配属された部署普通に業務が始まった。

民間企業に行った友達は、夜お出かけ。家に私一人になった。




あー

なんか寝てたら銀行に入金されてねーかなー

100万くらい

毎月




おならぷー




やべっ

ちょっと出た

市役所入ったけど周りとの格差が辛い

新卒公務員になんてならなければよかった。

なんと研修が一日もなく、入社式終わったら配属された部署普通に業務が始まった。

民間企業に行った友達は、いまだに毎日本社近くのホテルや寮に同期集められて毎日研修したり一緒にご飯食べて仲良くしたりわいわいやってるっぽい。


面接理系科目無理すぎて公務員以外受からない自分が悪いけど、同じ新卒なのに扱い違いすぎてつらい。

自分がいい企業からない無能だったから仕方ないかもしれないけどさ、それでもせっかくの新卒なのにあんまりの扱いでつらい。どうせこれから長い間労働という名の苦役に耐えないといけないなら、せめてはじめぐらいちょっとくらいはしゃがせてほしかった。

2024-04-01

新入社員時の思い出

強く生きようと心に誓ったあの日。そのおかげでスキルを蓄積して上手いこと立ち回って今に至るので、この時の経験には感謝している

わけねーーーーだろばーーーーーーーーか!!! その工場今潰れそうになっててざまあああああああ!!

2024-03-30

新人時代トラウマを思い出したので吐く

この増田 https://anond.hatelabo.jp/20240328145307 を読んでいて、新人歓迎会トラウマを思い出したので書く。


新卒就職したのは、大手電機からリストラ分社され投資ファンドに売却された地方製造業…に、グループ内人派遣を行う人材派遣会社だった。

当時はリストラ分社化された直後で、まだ元グループ本社からの出向社員も残っていたし、元グループ会社看板も、営業網も使えていた。

それにに加えて、リストラ分社化された後で「これで迅速な意思決定ができて伸びるぞー」と言うお題目が信じられている頃でもあったと思う。

からか、当時入社するプロパー入社式はそれはそれは華々しく行われていた。


いや、華々しく行われていたのを、私たち派遣会社経由組は、敷地の隅にある人材派遣会社事務所のちっぽけか打合せ室の窓から見ていた。

プロパー新人記念写真撮影をしているのをみて、私たちはあっちいじゃないの?と少しは思うが、当時ピッチピチの新卒で疑問に思うこともなく。

派遣会社事務所から何かしら訓示を受けた覚えがあるが良く覚えていない。

簡単事務的な話だけだったので、そのまま配属先となる職場から主任が迎えに来て、職場へと向かった。大部屋式の事務室である

課長の所で軽く挨拶した後、課員に特に紹介されたりもせず、大部屋の端にガラス張りのパーティションで囲まれた「OA室」と呼ばれる部屋に連れて行かれ、ここがお前の席だと座らされた。

周りには同じく派遣できている人たちが数人いるが、みな黙々と仕事をしている。一応会釈はしてくれるが特に会話もない。部屋の中にはサーバと古めかしいブラウン管モニタがついたCAD端末がうなり声を上げている。

15インチスクエア液晶DELLの型落ちデスクトップを渡され、いきなり赤が入った原稿に従ってWord文書を直していくと言う仕事を振られた。

当時ピッチピチの新卒で今のようにくたびれていなかった私は、緊張して違和感を感じる暇も無かったというか、違和感を感じるような知識も無かった。


それから数日して、プロパー新入社員挨拶にやってきた。「全員集まれ」と声がかかって大部屋の中心にみんなで集まり、彼らが新人だと紹介される。実際に配属されるのは8月お盆明けからだが、と聞かされた。

何で8月なんですか?と、少しは話をするようになっていた主任に聞いたところ、彼らにはみっちり新人研修があるのだとのこと。

すごいね

グループ会社から分離したけど新入社員教育は合同で行って、元グループ会社本社にて集中的に研修するんだって

すごいね

そうして彼らプロパー新人新入社員教育を受けて、定時退社している間に、自分はみんなにシェアされる雑用便利人としての立場を明確にしていった。

忙しくなると投入され、ろくにスキルも身につかない雑用をやる。どの課に所属しているのかと言うことも曖昧だった。業務調整をする上司というもの存在しなかった上に、ひとヤマを超えると別の社員の忙しい案件に投入されるため常に長時間労働であった。OJTと言う言葉すら無かったが、仕事特性上、割り当てられた仕事が終わらなければ終わらない。やらずに放置しても誰か別の人がやってくれるわけではない。溺れながら仕事を覚えていくことになる。

このように同じ職場メンバーとしての一体感が生まれる事も無かったが、一つだけ一帯運用してもらえていたものがあった。それが「タイムカード押し」である。だいたい19時30分を回ると係がタイムカードを回収しに来る。彼にタイムカードを渡すと、私が自分で押さなくてもかわりにタイムカードを押してくれるというサービスである

いや、サービスしているのはこちらか。当時ピチピチの新卒であった私は、それが当たり前だと思って、深く考えなかった。いや、考えようとしなかった。


さて、この内容を何故標記増田から思い出すに至ったのかというと、積み重なった違和感が爆発したのが、新人歓迎会だったかである


時は流れて8月プロパー社員新人正式職場に配属された。配属されて行われるのが、新人歓迎会である

今までも全体の飲み会らしきものは行われているのを知ってはいたが、私がいる「OA室」の人間は誘われることは無かった。しかし、新人歓迎会忘年会だけは別らしく、出欠席の紙が回ってきた。

私は、これを自分も歓迎してくれる会であると疑わず、出席と記入した。会費は7000円であった。高い。正直、月給額面残業代込み174,000円からその金を出すのはかなり痛かった。痛かったが、仕方が無いと思った。

そうして、久々にリクルートスーツに身を包んで、会場に着いたところ、以下の様な事が分かった。

なお、記念品として贈呈されたそのハンドブックは「仕事必要から」と言われたので私は自分で買っていた。彼らの初任給は、私が当時付けられる限度まで残業を付けてもらうのよりも、一切残業せず3万円は高かったはずである

偉い人のよくわからない話を聞いて、乾杯して。新人代表のよくわからない決意表明を聞いて。なんか意味のわからない余興が行われていたのはぼんやりと覚えているが、途中でなんか気持ち悪くなり、料理も食わずに会場を抜けて家に帰った。

今なら、7000円も払ったのだからせめて夕飯代ぐらいは浮かしてやるぐらいの図太さは身につけたが、当時ピチピチの新卒だった私にはそんなものはなかった。


ちなみに、頭の中をぐるぐる回っているぐちゃぐちゃを吐き出して落ち着けたのはインターネットであるもっと具体的に言うとこの増田はてなAnonymousDiaryのおかげである。ここで無茶苦茶愚痴を書いて、みんなにそんな会社やめちまえよって同情してもらって、やっぱりおかしいよね?おかしいよね?、と整理ができた。

そうして、スキルを磨いて、勉強して、戦略的に行動する事を心がけるようになった。

みなさんのおかげです。どうもありがとう。当時の増田がどれぐらい残っているかは、まぁ、わかんないくらい昔の話ですが。


さて、その後だが、元グループ本社ブランドが使えなくなり、営業から外され、元グループ会社格安で担っていた間接機能自分でやらなければならなくなり赤字に転落。

グループ本社から出向で在席していた人々…つまり売却に至っても本社転籍させなかった優秀な人々…が徐々に去って、さらに買収した投資ファンドからクビ切り役人みたいな連中が送り込まれプロパー社員ボーナスが年3ヶ月分吹っ飛ぶ、労働組合が元グループ会社組織から外されて見捨てられる、福利厚生が自社独自に切り替わる、など労働条件改悪、激変が続く事になる。

当然元グループ本社と共同で半年以上かけてじっくり行われる新入社員教育なんてものは翌年以降は蒸発しなくなった。新人は極簡単ビジネスマナー講座と図面の読み方みたいな軽い教育を受けて入社後数週間で職場配置されてくるようになった。

同時に、派遣社員が増える事になった。それも元グループ本社系列グループ内向けの派遣会社(つまり私の所属会社からではなく、他の派遣会社から人材が投入される。金は無いが、今までグループ本社機能依存していた部分を自社化しなければ行けなかったからだろう。

さら賃金が高い社員を中心に退職推奨と言う名のリストラが行われ、その代わりに派遣社員が加わるという事が特に現場系で進行する。更にラインまるごと海外EMSに出されるようになっていった。

しかし、プロパー社員派遣社員を切り分けて考えると言う企業体質や文化はそう簡単に変わるわけもなかった。妙な壁がずっとある。お給料から命令系統食堂の食券価格や給茶機の掃除当番まで妙な区別が残り続け、それが原因でか、不合理で業務効率が上がらないことおびただしい形だった。


ただ、そうして、会社は一応は黒字になった。筋肉質になったと宣伝しているがリストラ黒字になるまでやるからリストラなのであって、黒字になるのは当たり前である

そのタイミングで、元グループ会社本社最後まで持っていた20%程度の株式を完全に売却する事になった。完全に手切れである。私が入社して6年ほどが立っていた。

そこで、私が所属している派遣会社も完全に撤退する事になった。元グループ本社グループ内向け派遣会社であるからである


最後に、その後私がどうなったかを書かせてほしい。

かつて敷地内にあった派遣会社事務所はとっくになくなっていた。同期もみんないなくなっていた。

そして、私に提示されたのは、派遣会社から派遣元の会社正社員として転籍しないか、今と同じ仕事を続けられるよ、という誘いだった。

もちろん、断った。


会社側は、まさか正社員になれるのに断ってくるとは思ってもみなかったようである。それはそうだ。特に人事部門などは、痩せても枯れても元大手企業工場地元で最も安定した職場で誰もが就職したがる、と言う御山の大将であったからだ。

から自分たちの仲間に迎えてあげることが最高の報酬だと思っていた節があった。だからせっかく人事に交渉して入社できるようにしてやったのに恩知らずが、みたいなことを言われたこともあった。

さて、断った結果どうなったかとと言うと、派遣会社としてはもう派遣業を拡大していないこともあり同じ地域では仕事がないといわれた。そのため別の地域に転勤になるがよいか、と。もちろんOKと言った。願ったり叶ったりだ。

そうして新しい派遣先を探るからと言うことで、改めて所有している資格などを申告せよという事になった。コツコツと勉強してとりためた資格などを開示した結果、ちょうど人手不足タイミングと重なり元グループ本社のR&Dに派遣が決まる。

引継ぎ屋マニュアル作成をこなしながら異動の待機している間に、こんどはなんと所属派遣会社グループ本社吸収合併される事が決まった。

本社のR&Dに派遣ではなく異動という形で、あっと間にグループ本社正社員になることができた。神風が吹いたと言える。


そうして今ではそれなりに暮らしているのだが、そんな今でも「新人歓迎会」と言われると、あの悪夢新入社員一年目が、悪夢ホテルでの夜が頭をよぎるのである

からみなさん、相手所属がどこだとか考えずに新人には優しくしてあげてほしい。あなたにとっては毎年来る新人かもしれないけれど、新人にとってはたった一度の新人時代なのだから

また、新人の皆さんも、なんかおかしな事があっても人生何事も塞翁が馬である。よいこともあれば悪い事もあるが、前向きに、やってきたチャンスを掴んで離さない程度の握力を常に鍛えておく事ができれば、道は開いていくのである

頑張ってほしい。

2024-03-29

東京の桜の開花

今日は無理そうだから明日かな〜

久しぶりに桜舞う入学式入社式になりそうだな〜

日本の春はこうじゃなくっちゃ

anond:20240319142904

上場企業入社式、どこの企業採用も「若干名」だった時代ことなんか知らんだろうな。

入社式会議室で30分ぐらい。辞令出して終わり。社長あいさつとかあったのかな。覚えてない。

2024-03-27

上場企業に受かったぞ

小林製薬入社式やめます

この絶望

コロナ禍でありとあらゆる行事が中止になった世代だと思うとかわいそう

2024-03-23

就活真実:1年で終わらない驚きの事実勝利への道

この内容は、あなたの考えを変えてしまうかもしれません。ぜひ、自分の目で確かめてください。

現在あなた就職活動に関して誤解をしている可能性があります

今ここでその誤解に気付いて、甘い幻想からさよならしましょう。

あなた普通に頑張っています。みんなと同じように努力し、部活受験活躍たかもしれません。高校受験大学進学も順調で、両親の支援も受けてきたかもしれません。

しかし、就職活動が目前に迫る中で、いくらかの不安がよぎるかもしれません。でも、大丈夫だと思っていませんか?

先輩たちの話を聞いていても、卒業までに何とか内定がもらえそうだし、最終的には就職できると思っていませんか?

でも、もしそのまま勘違いを続けると、あなた就職活動は満足な形で2ヶ月で終わることはありません。内定をもらい、入社手続きも滞りなく進むでしょう。

内定式や入社式に向けての準備も、幼い頃の遠足のような楽しい気分で過ごせるでしょう。

新しい社会人としてのワクワク感に胸を膨らませながら、新生活に臨むでしょう。

しかし、期待していた生活とは異なるかもしれません。理想とはほど遠い現実に直面するかもしれません。

そんな日々に疲れを感じることなく、逆に熱中してしまうかもしれません。

でも、待ってください。あなたは今、就職活動の誤解の中にいます。そんな生活は手に入れられません。

厳しいことを言いますが、それが現実です。1年間の就職活動を真面目に行っても、結果がついてくる保証はありません。

ですからあなた就職活動は1年で終わることはありません。その間に「第二新卒」というレッテルが貼られ、劣等感を感じるかもしれません。

もしあなたが賢ければ、留年して新卒として就職活動をするかもしれません。または、院に進学して有利な地位を得るかもしれません。しかし、そのような選択時間無駄です。

ただし、学生気分が長引き、20代の全盛期を浪費してしまうだけです。

その結果、結婚の機会も遠のいてしまうかもしれません。

ですので、早めに誤解を解きましょう。今年1年での就職活動が終わると考えるのは間違いです。むしろ妥協せずに行動しましょう。

私は、就職活動が1年で終わらなくてもいいと思っています。納得がいかなければ、来年もやりますだって、新しい社会人としての新生活妥協したくないのですから

そういう真剣意思が、あなたの目指す未来を実現させるのです。

からこそ、急いで終わらせようとか、どうせ就職できるだろうという考えは捨ててください。

そうでなければ、今までの努力無駄になってしまます時間無駄にさせたくないのですから

ですから、今すぐ「妥協しない就活」と書いてみてください。これがあなたの誤解を捨てる意思表明になります

しっかりと自分の中に刻んでください。そして、あなた未来への道を開いてください。

2024-03-19

ユ〇〇ロ入社式会長あいさつ動画みたけど、典型的な押しつけ型の昭和型JTCだった。。。

いわゆるカリスマ経営者とかの並びで語られる人たちの中では圧倒的につまらないと思った。

まあ物販という形態自体がそうならざるを得ない要素もあるのだろうけど。(日本人カスタマーである以上は)。

先進性とかギャンブラーという意味ではやっぱ孫さんだね。圧倒的に面白い

あれだけの規模の会社であの年齢なのにまだベンチャーマインドがある。

追記

大丈夫君は本社では働けないから。

2024/03/29 リンク

100年前の土人かよ

孫さんや豊田佐吉ビルゲイツがそんなマインドでいたら何も生み出してないことくらいわかるだろ

他人より上に感じられてうれしいね!」

奥さん子供クリスマスパーティして楽しいね!」

気持ちよくオナニーして人生終わりだ

追記2:

孫正義は人たらしの天才。その才能で金を引っ張ってきたり金をねじ込んで資産を膨らませるのが仕事ビジョンを魅力的に語るのはそれが商売道具から。戦ってるフィールドがまるっきり違う(´・ω・`)

2024/03/29 リンク

そういうことよな。

まあユ〇ク〇も自動レジシステムとかイノベーションの部分は素晴らしいと思うけどな。

ただ、零細企業プレゼンさせた内容を丸パ〇して自社開発させたという都市伝説もあり、闇が深いなとは思う。

そんな都市伝説、なにもないとこに出てこないだろ・・・

孫さんは少なくともギャンブルはしたかもしれないが邪悪なことはしていない。

ビジョンがでかいから面白い

魅力があるってのはそういうことなんだよな。

2023-10-14

anond:20231014000221

これほどADHD/ADDのことを正しく理解してる人を初めて見た。

そう、遅刻するのは別にあなたのことを軽んじているからではないのだ。

結婚式入社式入試なら遅刻しないでしょっていうけど、するんだよ

2023-09-02

anond:20230902003034

でも入社式ってほぼ男だろ

雇用均等法なんて建前だけだぞ

高校受験ですら男女別定員制度男優遇されてるから

2023-08-12

JR東日本を辞めた11

現場配属

入社前に配属や勤務地は通知されるが、現場に初めて行くのは入社式、入社研修の後の2週間後くらい。

半年間くらいの新人研修のあとで現場での業務となる。

研修所では3食タダで出てくるが現場ではそんなことはなく、朝一番に出社して机拭きや上司お茶汲みを新人やらせるところもあるようだ。

研修所では作業前後の用具の点数確認作業ダブルチェックを徹底されるが、実際の現場ではそんなことはなく阿吽の呼吸を求められる。

全てではないが小さな作業ほどそんな傾向があり、指示がないのに準備が悪い、作業が遅いと言われながら、成長し染まっていくのだろう。自分は染まらなかったが。

飲み会

古き良き(?)日本の伝統が残っている。

とりあえずビールからまり上司のグラスを空にしてはならず、継ぎ足していかねばならない。正直ビールがぬるくなり好きではない。

だんだんと酎ハイハイボールを頼みだすと、やはり量が減ってきたらおかわりを確認しなければならない。このタイミングが難しい。

飲み干すときだと遅く、残り1/3くらいの絶妙タイミングがあるようだ。

ちなみにこれは居酒屋でも、本社ビル15階の食堂での飲み会でも同じ。

サラダのお取り分けとかも新人お仕事。誰かと話し込むことは許されず、お会計もほぼ割り勘。

2023-07-19

とある大学教授の話

ある大学教授がいた。

彼はその分野において権威だった。著書は何作もあり、そのほとんどにおいて高い評価を得ていた。にもかかわらず、彼は教育熱心でもあり、教授然とした態度ではなく、気さくに、いち個人として学生たちと接してくれていた。

わたし友達は、教授ゼミ所属していた。

教授教育は、人を信じることから始まった。難しい問いをかければ、安易に答えを出さず、まず質問者がどのように考えているかを聞いた。それを傾聴したあとに慎重に自分意見を言った。決して押し付けたりすることはなかった。ゼミの内容についていけない生徒がいれば(わたし友達はまさにそうだった)、さりげなくフォローし、適切な課題を与える。相談したいことがあれば、当たり前のように、自身プライベート時間でも面談をしてくれる。友達個人的な悩みについて相談をしたいとメールをすると、家庭もあるのに22時から面談をしてくれた。にもかかわらず開口一番、遅い時間申し訳ないと言われたそうだ。どうしてもしなくてはいけないことが立て込んでいて、といった教授の後ろでは、教授の子供の声がしていた。

友達は彼のような教育者にはあったことがないと言っていた。話を聞くかぎり、それはひいき目はあるものの、おおむね正当な評価のように思えた。世の中には先生と呼ばれるだけで、自分が偉くなったと勘違いしている大人が多く存在し、そういった人々にわたしたちは子供の頃から辟易させられていたからだ。

友達は彼のゼミ所属したことで、専門知識はもちろん、人間的にも大きく成長できたと言ってはばからなかった。彼はもともといい奴であったが、適切な時期にメンター出会い、成長し一皮剥けた。青年期によくある、しか人生に大きな影響を与える出会いだった。彼はその出会い感謝していた。

皆に愛されていたそのゼミ卒業するときに、ゼミ生たちみんなでお金を出し合って、ブランドネクタイプレゼントした。教授からゼミ生たち個人個人プレゼントをくれた。友達タイピンをもらって嬉しそうにしていた。友達は進学するか、就職するかにおいてもかなり悩んでいた。いっときは本気でその教授のようになりたいと考えていたようだ。友達以外にもそういう生徒は多かったし、大学院への進学率は教授ゼミだけ突出して高かった。結局、友達就職したが、Facebookにアップされた入社式写真の胸元には、教授にもらったタイピンがあった。友達卒業後も教授交流があったらしく、教授新刊を発売すれば、自分の恩師だと宣伝に協力していた。彼のSNSプロフィール欄には、教授名前を冠された研究室所属であったことが、誇らしげに記載されていた。

 

そして、それから数年後、その大学教授逮捕された。

ニュースはその大学教授が、未成年に対する性加害者だったことを伝えていた。

信じられない思いでいたが、日を追うごとにおぞましい行為の数々が暴露され、それが事実であることを告げていた。

 

友達は、なにを思っただろう。わたしはその一連の事件に対し、彼がなにかしらの態度を示すものだと思っていた。

しかし、彼はなにも言わなかった。

過去教授との写真を消すこともなかったし、教授研究室所属であったプロフィールを消すこともしなかった。

教授が犯した罪を擁護することもしなかったし、糾弾することもしなかった。

しばらくの間、沈黙をした後、何事もなかったかのように日常の発信に戻った。

わたし友達を、人として大きく成長させた教授

そして見知らぬ子供を、取り返しのつかないほど傷つけている教授

つの人物像はわたしのなかで別々の人間がなした別々の行為のように感じさせられた。

 

ひとりの人物について、語ることはとても難しいことだと思う。

ひとりの人物について語るときに、我々にとってただ一つ確かなことは、その語りが不完全であるということだけだと思う。

2023-06-22

anond:20230621210336

まれ年代はほぼ同じだけど、私は完全にバブル恩恵を受けたほうの人間。(男)

私はたまたま小さい頃にコンピュータに興味を持って情報処理課のある商業高校に行って、

高卒の年はガチバブル絶頂期だったか就職活動はほんとにほんとに楽だった。

どこも人が足りないって言って、地場上場企業やF士通みたいな会社からでも高校に引き合いが来てたし

情報処理二種(今で言う基本情報)を取ってた数少ない生徒だったか

希望して面接受けてたら行けてたと思う。

結局は社員1000名くらい?の中堅なりかけレベルSIerに入って、10年くらいで転職しちゃったけど。

入社式東京ホール100人以上の新卒を集めてやってた。

歓迎会やら周年のイベントなんか当然のようにクラブ(当時クラブって言ってたっけか?)借り切って

ウェイウェイだったし、同期のやつらは入社してすぐクルマ買ってた。

先輩のクルマスキーつれてってもらったりしたな。シルビアカリーナEDが最強みたいな時代

そんな浮かれムードも3年くらいで一気に冷めて、あとはこの増田の書いてるとおり。

当時の女子事務職が当たり前みたいな感じだったし、

四大なんか意味いか短大高卒でいいって言われてたのは本当。

うちの商業高校も男女比が1:9でほとんどが経理科の女子だったし。

まだ電卓叩いて手書き仕訳してた時代……

2023-04-09

パーソナリティのゆうすけさん、ゲストのお二方、リスナーのみなさん

 4月といえば、出会いシーズンなんていうだけあって、入社式だとか入学式に向かうフレッシャーたちと街中ですれ違う機会というのも多いものですよね。

 スーツでピシッと決まってる立派な姿を見ると、他人ではありますが、思わず親の気持ちにもなってしまます。「あんた、こんな大きくなって……」

 嬉しい反面、親元を離れていくことに少し哀しさも覚えます。思わず涙がこぼれてしまうことも。

 けど、振り返って、すれ違った立派な彼女たちの後ろ姿、ジャケットベントの部分をみると少し安心ちゃうんですよ。スーツには不格好な白いしつけ糸。「ああ、まだまだ子どもだなあ。」

 10年前、長男大学入学式の朝、しつけ糸が付けっぱなしになってるのを教えてあげなかったことを思い出した。いじわるなお母さんでごめんね。「しつけ糸」は親離れしてほしい思いと親離れしてほしくない思いの混ざった複雑な親心が課す最後の試練なのかもしれません。

 慣れない革靴で歩きづらそうにしていた長男上京してもう5年、来月には結婚が決まりました。何歳になっても、家庭を持ってもいつまでも母親でいさせてください。

 今週のリクエスト曲は、『相変わらず 愛変わらず』でお願いします。

60代 女性 ミカポン

2023-04-05

悲報入社してから引越し費用は10万円まで」のルールが報告される【初任給現在マイナス

「金のために働いているのに仕事で金がかかるってなに?」の最悪な形を食らってしまった。

賃貸敷金礼金スーツ代はまあ耐えますよ。

ゆーて「会社が初手リモートワーク可能ならそもそも実家から繋ぐんだが?」「スーツって実質作業服なんだから貸与するべきじゃね?」という気持ちはありますけどね。

でもまあ世間一般の慣習的には自腹が普通らしいし、会社指定スーツとか言ってF1レーサーみたいに全身がロゴマークで覆われている服来てランチ食いに行くのはツラすぎるからまあしゃーなしですね。

あっ……よく考えたら建設会社作業服スーツはまさにこの「ロゴマークデカデカついてるどこの飼い犬か証明済みの鎖スーツ」ですわな。

うーんやっぱり辛そ~~~軍隊迷彩服ぐらいだよねそれやられて諦められるの正直。

まあそれは置いといてですよ。

よりにもよって引越し費用赤字ですよ赤字

大学時代に持ってた家具全部をこんな日本一引っ越しが盛んな時期に送りつけたんだからそりゃまあ凄い金になりますね。

でも「引越し費用会社が出すからね。常識的な額までだけどw」と言われたから油断してた。

常識的」の範囲まさかの「シーズンガン無視で決定された金額」だとは思わんかった。

いやお前の「常識おかしいよ。

そもそもこの時期に入社させてるのは会社じゃん?

たとえば「最初半月リモートマナー講座で、その次の半月合宿研修。実際の引っ越しは5月なのでもう繁忙期も終わってるよね?じゃあ引越し代は10万で」ならさ、こっちも「まあ常識って範囲ですわな」となるよ。

でも「4月頭に入社式です!一足先の顔合わせ会もあるから絶対4月に来てくださいね☆でも大学卒業式ちゃんと出席したほうがいいと思うな。学生時代コネは大切に☆」とか抜かしてる奴らが「は?なんで繁忙期に引っ越し?つーか単身パックに収めりゃいいだけじゃん。はい10万までね」は非常識すぎるだろ。

は~~~~~先が思いやられる。

というか「先が見えた」だわな……ミスった……辛い……新卒カード無事死亡ですわ……

2023-04-02

俺はあちら側に行けないし、こちら側にもいたくない

俺は悪に憧れていた。金髪に染めてイキってみたり、大学にも行かず遊び呆けてみたり。

俺は、高校時代真面目に勉強して東大に入ってしまった人間なんだ。その時点で「あちら側」には一生行けない。どんなにレールから外れようとしても、俺の前にはすぐレールが現れる。レールに引き戻そうとしてくる。

でも俺の前に現れるレールは、俺が脱線するたびに少なくなっていく。勉強しなくなったら研究者への道は消え、真面目に就活をしなくなったら社会的成功への道は消えた。大学に入った時にはルートが多すぎて道に迷っていたというのに。

残り少ないレールにしがみついてまで俺は「こちら側」に残りたいのか。ここが最後分岐だ。明日入社式覚悟を決めよう。

2023-04-01

はてなに入社しました。

はてなに入社しました。はてなの「入社式」といえば「社内のイベント新入社員が全員集まり歓談をする行事」。なので私は入社挨拶をしながらもらった「新入社員の皆さんへ」というメモ書きを読みながら思いついたことを思いついたままに書いているだけなのですが......そんな気持ち悪い自慢話はご勘弁を。ある日、はてなの友人から以下のような相談を受けることがたびたびありました。社員同士の婚活は何が狙い?どんな経歴の人がいるの?

Anond AI作成

2023-03-30

社会に出荷される前に残しておこう

はいつ気付くのだろう。自分は何者にもなれないし、特別なことを成し遂げるなんてできないことに。俺は高校生くらいで何者にもなれないんだろうなと気づいたけど、大学に入るまでは多少は成功した人生を送れるんだろうと思ってた。特殊な家庭に生まれ東大に現役合格した俺は少しは特別存在なんだろうと。高校には俺よりも裕福な家庭で生まれ、俺よりも課金され、俺より長い時間勉強しているような奴らがいっぱいいて、でもそいつらは聞いたことのないような大学に進学して、そんな中で東大に進学した自分特別だと思っていた。家庭環境自分自身に対するコンプレックスを乗り越えるためには、自分特別だと信じるしかなかったし、これから未来成功夢想するしかなかった。

でも4年間過ごしてわかったのは、俺は一切特別人間ではないってこと。元々何かを学ぶことは嫌いではなかったけど、授業を聞くとか机に向かって勉強するとかが苦手で嫌いだった。そんな俺が落ちこぼれるのなんて一瞬だった。進振りはもちろん希望学科には行けなくて、定員割れするようなところに進学することになった。机に向かうのが苦手だけど行動力があるとか求心力があるとかそういったタイプでもないから、凡庸大学生活を送った。なんとなーく就活を始めて、この先未来が見えないようなところに就職して、4日後に入社式を迎える。

俺が特別でないって分かったって書いたけど、それと一緒で他の人も特別じゃないってことにも気づけた4年間だった。そいつらは特別から優秀なわけじゃなくて、特別から成功する未来約束されているわけではなくて、日々の積み重ねがあるからそういった存在になれるんだって。確かに才能とか遺伝子レベルでの強さとかそういったものの違いはあると思う。だけどそれだけで戦えるような世の中でもない。あいつらは普段から未来を見据えて、自分の信じる道のために努力を続けている。頑張っている。よく「頑張る」ことができるのも才能だっていうし、実際その通りなのかもしれないけど、それで片付けることは僕にはできない。俺の部活にもめちゃ大企業に行くやつとか官僚になるやつとか外資初任給で一本もらうやつとか卒論の段階で成果を残しているやつとかいっぱいいるけど、そいつらの頑張りを常に側で見ていたからこそ、才能があるからとか特別からなんて言葉で終わらせてしまうのは彼らに失礼だと思う。結局は自分の目指すべきものを信じ続けることでしか道は開けないんだろう。道が開いた上でちゃんと行動することで前に進むことができるんだろう。

俺は俺の道を信じる。そしてこれから人生後悔がないように動き続ける。この気持ちを忘れないように、誰にも見られないようなこのインターネットの海に残しておく。

読み返すとこの文章一貫性もクソもなくてやばいな。だから俺はダメなんじゃないか、、、

2023-01-31

回転すし店の苦い思い出

から30年近く前の話。幼稚園児だったおれは近所の回転すし店でいたずらをしてしまった。アンパンマンの絵がついたジュースの空のパックを、親の目を盗んで、レーンに戻した。幼かったとはいえ、回転すしのシステム理解していたはずだし、初めてジュースを頼んだわけでもなかった。だから、当時の動機は、いたずらや好奇心に近いものだったはずだ。正直に言って、どんな気持ちでやったのかは、覚えていない。覚えていないほど軽い気持ちだったんだと思う。しかし、その行為引き起こした結果は忘れがたいものとなった。

翌朝、7時前に呼び鈴が鳴った。家の前にはスーツの男、警察官、それに板前が合わせて20人か、いや、実際にはそんなにいなかったのかもしれないが、とにかく大勢集まっていた。水産庁特別海洋資源監察官通称寿司ポリスだった。おれはその場で尋問を受けて、昨晩ジュースの空のパックをレーンに戻したことを白状しなければならなかった。親が泣くところを見たのは初めてだった。両親が涙を流して、土下座して、寿司ポリスに謝っていた。おれはその時になって大変なことをしてしまったのだと理解し始めた。近所の人たちの目がうちに注がれていた。とてつもなく長い一日だった。

その後すぐ我が家引っ越した。父は会社を辞めなければならなかった。引っ越し先にも悪口を書いた紙が届いた。何度か転居して、それでも年に何通かは届いた。

うちではそれっきり回転すし店の敷居は一度も跨いでいない。しかし、時々寿司を食べる機会はあった。小学1年生の時、学校給食寿司が出て、怖くて泣いてしまたことを覚えている。高学年になってからは食べるようになった。寿司を食べると、今でも必ず体がかゆくなる。多分心理的な影響だろう。それを周りに悟られないよう、黙って飲み込んだ。出された寿司を食べない変なヤツだと思われたくなかったからだ。誰かが、あのことを知っているのではないかという恐怖感は常にあった。大学サークル新歓で先輩がテイクアウトしてくれた寿司も、入社式のあと、工場長がとってくれた出前も、吐き出しそうになりながら飲み込んだ。

最近、回転すし店で若い男の子がいたずらをしたという話題で持ちきりだ。彼はネットおもちゃだ。それ相応のことをしたのだから、仕方がない。永久不滅の寿司荒らし烙印を背負って生きていくことになる。しかし、世が世なら、おれも彼と同じだった。おれの場合、あのことを知っている人はもう周りにはいない。しかし彼の周りの人は、彼がどこに行ったとしても、きっといつか気づいてしまう。もう日本中逃げ場がない。彼のこの後の人生を思うと、不謹慎だが、どうしても同情せずにはいられない。

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