はてなキーワード: 作業療法士とは
私は昨年の11月に、近所の川に架かる橋から飛び降りました。死ぬつもりでした。
家を飛び出して、母が追いかけてきました。現実から逃げたい一心で欄干を乗り越えました。橋から落ちてゆく間、不思議な体験をしました。心の底から"開放感"を感じました。
もう、何物からも邪魔されない、という。とても清々しく、いっそ「気持ちいい」という感覚でした。さほど高くない橋だったのですが、意識はそこで一旦途切れました。私はあの時、一度死んだのだと思います。ですが、すぐに激しい痛みで意識が回復しました。脊椎の粉砕骨折、肋骨、鎖骨の骨折、肺がつぶれる。
病院で10時間に及ぶ手術をしました。手術で、輸血を受けたそうです。
もうあの日から9ヶ月。私はずいぶん変わりました。「自分一人の身体じゃない」という意識が強くなりました。以前はリストカットは常習者でしたが、あの日からは、本当につらいときは頭をよぎることはあります。でも、切りたくありません。夜に川から引き揚げてくれたレスキュー隊員さん。病院の整形外科、精神科、循環器内科の先生方、看護師の皆さん、理学・作業療法士の先生方。特に、CICUには1ヶ月以上いたので、不安なときに話をしてくれて、心強かったです。
今、私は自分の足で歩いています。自分の手でこれを書いています。顔にもほとんど痕は残っていません。週末に病院に行って、折れた鎖骨を支えているプレートを外す手術をいつにするか決めます。
約束はできませんが、私はもう自殺はしないと思います。あれだけの人たちに助けられ支えられ、守ってもらった"命"。
片手の指の数くらいは未遂で危ない橋を渡りました。自分の命なんて、ちっぽけで軽いものだと思っていました。
でも、違います。命を創るには、一人じゃ足りないんです。父親と母親が揃わないとだめなんです。皆、産まれた時から一人じゃないんです。時にはそれが鬱陶しく、「何で頼んでないのに産んだんだ」と、私も親に言いました。でも、それも成長していくには必要な発言だったのかもしれません。
"生きる"とは、感謝の上に成り立っているものだと思います。"生かされている"のです。
私もこれから先の人生で、「生きるか、死ぬか」と悩むことがあるかもしれません。
私はひとりじゃない。
病院はある.医院もある.看護士がいる.作業療法士も理学療法士も言語聴覚士もいる.事務員もパートもいる.薬局もあり,薬剤師もいる.しかし医師がいない.外科手術は何一つ,救命救急・計画されていた大手術すら行われない.内科にも皮膚科にも産婦人科にも泌尿器科にも眼科にも形成外科にも精神科にも・・・どこにも医師がいない.まちの医院にも風邪ひきや,小児のおたふく風邪,老人の高血圧をみる普段の医師がいない.
医師法で認められた医師は皆法を無視した.皆がもはや耐えられないと自分と自分の家族の命だけを背負った.内部からの衝撃でのみ構造は変革する.外には何もない.医師達はその時どこへむかうのだろうか.医師になるという決意をかつてした人々は何を裁き何に裁かれるのか.
先日、彼女と彼女の知り合い男性2人、女性2人で小奇麗なお店で呑んでた。
彼女以外は皆初対面。
某国立大を出て某有名私立大学の院を卒業して医療免許を取得した男。
なんかね、会話が入れないんですよ。違うんですよ。
「院(大学院)がね・・」「あの大学はね・・」「いや、医療の現場ではね・・」「修論がね・・」「あの先生知ってる・・」「哲学ってのは・・」「このデザインはね・・」
その場にいるのが申し訳なく思えてきた。
俺は知的な会話ってのができない。俺の大学名なんて出しても誰も知らないし「なに?その大学?」なんて蔑まされた目で見られるに違いない。
会社名を出しても誰も知らない、それよりも成功者としての彼等の中にいるコトがすごく恥ずかしくなってきた。自分が如何にアホなのか晒されてる感じだ。
ここで頭の回転がよくて学歴と社会的地位があればペラペラと色々ついていけるのだろうな。
すぐ出て行きたかった。バカな会話と下品な下ネタを笑って話しながら、京橋の立ち飲み屋か、新宿の思い出横丁とか白木屋かなんかで冷凍ピザと安い焼酎を呑みながら時間を忘れる方が似合ってるのかも知れない。
明らかに他の言葉が出てないのがよくわかる。
「そう」かよ。
「そう」だけかよ。
「いいひと」なんて某漫画の主人公レベルなら本当に良いんだが、「そう」だもんな。
他に取り柄もないもんな。仕方ない。
そう思って気付いたら自分ってすごい小さな人間だなと恐縮してきた。
こんな知り合いがいる彼女が何故俺を選んだのかもよくわからなくなってきていた。
明日、彼女を親に紹介するんだけどなんだか嫌になってきた。