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2012-02-10

友達以上恋人未満

投稿です。

みなさんとは人生経験の違いで未熟な私は罵倒されるような内容でしょうが人生観を広げようと思い投稿しました。

失恋という綺麗な言葉で表していいのかと思うが、とりあえず大切な人を失った。

幸い?にも公欠で10日間学校に行かなくて済んだから幾分気持ちの整理ができた。

正直こんなに辛いとは思っていなかった。

でも私の今の辛さ、今までの彼に比べたらちっぽけなんだろうと思う。

もともと彼はクラスメイトを越えた、仲のいい友達だった。

彼と一緒にいるときは楽しくてしょうがなく、いつも笑ってた。

友達として楽しく過ごしたかったけど、彼は私のことを好きだという。

恋愛感情を持ってしまったならしょうがないけれど、そうなるならいつか終わりが来るのを知っていた。

もうずっと友達でいるのは無理なのか、と私は悲しくなって泣いた。

私は悲しくなったから、私を好きになった罰として、彼を浮気相手として、私の気が向くままに振り回したしひどいこともした。

それでも私を好きだといってくれた。でも若気の至りだと名前を付けて道徳心を忘れた私の心には届かなかった。

もう彼と一緒にいても楽しくなくて笑わなくなったし、演技ばかりするようになった。

そうしていくうちに、ある日彼の心は離れた。

彼は、2人の思い出話をして、別れよう、といった。

つかこの日が来ると思っていたけれど、私は人に見せられないほど号泣した。

涙の訳は、ほんとうは好きだったのか、それとも男女の友情が脆かったことの絶望なのか分からない。

彼は、お前には笑顔でいてほしい、といった。

最後わがままだけど、私をまた前みたいに笑わせてください。

2012-01-27

村上春樹の猛々しい想像力 (1/3)

Sam Anderson

2011年10月21日

訳注:長文注意。誤訳あったらごめんなさい。教えてもらえたらあとで直します)

1 - 2 - 3

この夏、私は初めての日本への旅行を企てた。

村上春樹の作品世界にほぼ浸りきってやろうというつもりだった。

ところがその目論見は外れることになる。

私は村上の作品の影響下にあるまま、東京に降り立った。

期待していたのは、バルセロナパリベルリンのような街だった。

そこでは、市民はみな英語が達者で、さらにはジャズ劇場文学シットコムフィルム・ノワールオペラロックといった、

西洋文化のあらゆる枝葉に通じている……そんなコスモポリタン世界都市を私は期待していた。

誰かに聞いておけば分かっていたはずなのだが、実際の日本はまったくそんな場所ではなかった。

実際に足を踏み入れることができる日本は、どこまでも頑固に、日本的だった。



そう思い知らされたのが地下だったというのは、我ながらよくできていたと思う。

東京での初めての朝、私は村上の事務所に向かっていた。

アイロン掛けたてのシャツに包まれ、なんの躊躇もなく地下鉄の駅へと降りて行くや否や、

私は迷子になり、助けを求めようにも英語話者を見つけることができなかった。

最終的には(電車を乗り間違え、馬鹿げた値段の切符を買ってしまい、必死のジェスチャーで通勤客を怖がらせたあと)、

どうにか地上に出てはみたものの、もはやインタビューの時刻はとうに過ぎている。

私は絶望して、目的もなくあちらこちらへとさまよい歩いた(東京にはほとんど標識がないのである)。

そして蜂の巣状のガラスピラミッドのような建物の前で途方に暮れていたとき

ついにユキという村上アシスタントに見つけてもらうことができた。



このようにして私は東京の地下の洗礼を受けたのである

まりにもうかつな、アメリカ人的な私は、村上のことを現代日本文化を忠実に代表する人物として考えていた。

実際には彼は私が思っていたような作家ではなく、日本は私が思っていたような場所ではなかった。

そして両者の関係の複雑さは、翻訳を介して遠くから眺めていたときには想像しえないものであることが明らかになっていった。



村上の新作『1Q84』の主人公の一人は、自らの人生最初記憶に苛まれており、誰に会ったときにも、あなた最初記憶はなにかと尋ねる。

やっと村上に会えたとき、私は彼の最初記憶について尋ねた。

それは3歳のとき、初めて家の門の外に歩き出したときのことだという。

彼は道をてくてくと渡り、溝に落ちた。

流されていく先にあるのは、暗く恐ろしいトンネル

そこに差し掛かろうかというとき、母が手を差し伸べ、彼は助かった。

「明確に覚えている」と彼は言う。

「水の冷たさ、トンネルの闇、その闇のかたち。怖かった。僕が闇に魅かれているのはそのせいだと思う」

村上がこの記憶を語るとき、私は既視感とともに心の中でくしゃみをするような気持ちを覚えた。

その記憶には聞いた覚えがある、いや、不思議なことにその記憶自分の中にある、と感じた。

ずっとあとになって分かったことだが、私は確かにその記憶を持っていた。

村上は『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭の脇役に自分記憶を写し込んでいたのだ。



村上を初めて訪問したのは、日本にしてもありえない夏の厳しさの最中

週の真ん中、蒸し蒸しする午前中のことだった。

それは非現実的なまでの災害の余波を受けた夏だった。

4ヶ月前に北日本を襲った津波で2万人が命を落とし、

いくつもの街が破壊され、原子力発電所メルトダウンした。

その結果、電力、公衆衛生メディア政治にも危機が到来した(当時の首相の辞職によって、5年間に5人目の首相が生まれることになった)。

日本を代表する小説家である村上に会いに来たのは、

大作『1Q84』の英語訳(そしてフランス語訳、スペイン語訳、ヘブライ語訳、ラトビア語訳、トルコ語訳、ドイツ語訳、ポルトガル語訳、スウェーデン語訳、チェコ語訳、ロシア語訳、カタルーニャ語訳)について話すためだった。

この本はアジアで数百万部を売り上げ、

まだ翻訳が出ていない言語圏ですらノーベル文学賞の噂が囁かれていた。

62歳にして30年のキャリアを持つ村上は、日本文学最高峰としての地位を確かなものにしている。

疑いなく、彼は母国の表層とかたちを世界に伝える、想像世界大使となった。



そのことは、関係者には非常に大きな驚きだったと言われている。



村上は常に自分日本アウトサイダーだと考えている。

彼は不思議社会環境最中に生まれた。

アメリカによる戦後占領を受けた1949年京都日本の前首都である

「これ以上の文化混交の瞬間を見つけるのは難しい」と John W. Dower は1940年代後半の日本について書いている。

「これほど深く、予測不能で、曖昧で、混乱していて、刺激的なものは他にない」という。

「瞬間」を「フィクション」に置き換えてみれば、村上の作品を完璧に説明することができる。

彼の物語の基本構造は、互換性のない複数の世界に根を下ろした普通の人生であり、

それはそのまま彼の最初人生経験の基本構造でもある。



村上は成長するまでのほとんどを神戸郊外で過ごした。

そこは、さまざまな言語の喧騒に包まれた国際的な港湾都市である

彼はアメリカ文化、とくにハードボイルド探偵小説ジャズに没頭して十代を過ごした。

そうして反逆のクールさを自分ものにし、

二十代のはじめには大企業の序列に入り込む代わりに、髪を伸ばしヒゲを生やして、両親のすすめを押し切って結婚し、借金をして「ピーターキャット」というジャズクラブ東京で開いた。

掃除をして、音楽を聞いて、サンドイッチを作って、酒を注いで、

彼は約10年間をその仕事に費やした。



作家としての村上キャリアの始まり方は、彼のあの作品スタイルそのものだった。

どこまでも普通の設定で始まり、どこからともなく神秘的な真実が主人公に降りかかり、その人生根底から変えてしまう。

29歳の村上地元野球場の芝生でビールを飲みながら、デイヴヒルトンというアメリカ人助っ人バッター二塁打を打つのを見ていた。

平凡なヒットだったが、ボールが飛んでいくのを見て村上天啓に打たれた。

自分小説が書けると気づいたのである

そんな望みはそれまでなかったが、いまや圧倒的なまでだった。

そして彼は書いた。

試合が終わった後、書店に行きペンと紙を買って、

数ヶ月のちに『風の歌を聞け』を書き上げた。

それは名もなき21歳の話し手が語る小さく凝縮された作品だったが、冒頭から村上らしさが見えていた。

アンニュイとエキゾチシズムの奇妙な混合。

わずか130ページで、その本は西洋文化をぶつ切りにして引用してみせた。

名犬ラッシー』、『ミッキーマウスクラブ』、『熱いトタン屋根の猫』、『カリフォルニア・ガールズ』、ベートーベン第三ピアノ交響曲フランス映画監督ロジェ・ヴァディム、ボブ・ディランマーヴィン・ゲイエルヴィス・プレスリー、『ピーナッツ』のウッドストックサム・ペキンパーピーターポール&マリー。

以上はごく一部に過ぎない。

そしてその本には(少なくとも英語訳には)日本芸術引用がまったくない。

村上作品のこうした傾向は日本批評家をしばしば苛立たせている。



村上は『風の歌を聞け』を権威ある新人賞に応募し、受賞した。

そして一年後、ピンボール機を取り上げた次の小説を出したのち、執筆時間のすべてを費やすため、ジャズクラブを畳んだ。



時間のすべて」という言葉には、村上にとっては余人とは異なる意味がある。

30年を経て、彼は僧侶のように統制された生活を送っている。

すべてが作品を作り出すのを助けるように調整されている。

彼は毎日のように長距離を走り、泳ぎ、健康的な食生活を送り、夜9時には床につき、朝4時に起きる。

そして起床後5、6時間は机に向かい執筆に集中する(2時に起きることもあるという)。

彼は自分の事務所を監禁場所だとみなしている。

「ただし自発的な、幸せ監禁だけれど」



「集中は僕の人生もっと幸せものだ」という。

「集中できないとき、人はあまり幸せではない。僕は考えるのが速くないけれど、何かに興味を持てば、それを何年も続けられる。退屈することはない。僕はヤカンのようなものだ。沸かすのに時間はかかるけれど、いつまでも熱い」



そうした日々の湯沸かしが続いていって、世界でも類まれな作品群ができあがった。

30年の歳月を経て積み重ねられたそれには人を虜にする不思議さがあり、様々なジャンルSFファンタジーリアリズムハードボイルド)と様々な文化日本アメリカ)をつなぐ位置にある穴を埋めている。

どんな作家にも、少なくともこれほど深くまでは、埋められなかった穴だ。

時とともに村上小説は長くシリアスになる傾向が強くなった。

シットコム引用もその傾向に調和している。

そして今、とりわげ激しく長い湯沸かしの結実として、もっとも長く、奇妙で、シリアスな本が上梓された。



低く深い声で村上たくみ英語を操る。

彼は翻訳者を通して会話するのが嫌いだという。

なまりは強く、落ち着くべき箇所で動詞の活用が劇的に現れたり消えたりする。

はいえ相互の理解に支障を来たすことはまずない。

特定の熟語("I guess" 「ではないか」、 "like that"「というような」)が、ときたまおかしな位置で使われることがある。

安全言葉いから逸脱するのを楽しんでいる節が彼にはあった。

英語即興の遊びをしているように感じられたのである

私たちは東京にある彼の事務所で席を持った。

その事務所は半ば冗談ながら村上製作所と名付けられている。

数人のスタッフが靴を履かず他の部屋で作業をしている。

村上は青いハーフパンツと半袖のボタン付きシャツで現れた。

彼のキャラクターと同じように、アイロン掛けしたばかりのように見えるシャツだった(彼はアイロンけが好きだという)。

靴は履いていない。

彼はペンギンのある本の表紙を模したマグカップブラックコーヒーを飲んだ。

その本とはレイモンド・チャンドラーの『ビッグスリープ』、彼の昔からお気に入り小説であり、今日本語訳をしている小説でもある。



話を始めながら、私はあらかじめ用意していた『1Q84』をテーブルの上に置いた。

村上純粋にびくっとしたようだった。

その本は932ページあり、ほぼ30センチのその厚みは本格的な法律書を思わせるほどだ。



「大きいな」と村上は言った。

電話帳みたいだ」

1 - 2 - 3

2012-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20120126175449

「つけ眉毛」は高くて手が届かないだろうから

母親に分かるぐらいペンシルで濃く眉毛を書いたほうがいい

アイプチシールは長すぎても変だからシールの端を適度にはさみで⊃の形にカットして調節

自分に合う長さを探す

作業所」の外の世界もどんどん知ったほうがいい

ジョギングしながら散歩している人や走っている人に挨拶してみる

釣り銭の計算ができるなら、家の押入れに眠っている贈答品をもらってフリマに参加して

贈答品のタオル陶器・洗剤を売ってみて、笑顔や値段の交渉をしてみる

アメーバピグで会話を楽しんだりピグともを作ってみたり、同じ障害を持つ人のコミュ二ティに参加したりする

美容」は基本だけど、世界を広げて少しずつでも人生経験値あげる必要がある

2012-01-25

http://anond.hatelabo.jp/20120124203618

という話を学習塾の生徒から聞いた。(あの子らの言語でいえば「まじ」ではなく「まぢ」が合ってる)

好きだと主張するのはべつにいいけど、電子音のほうがすぐれてると言って人間馬鹿にするのは…

ちょっと人生経験貧しいんじゃなかろうか。

生徒の話に「人生経験貧しいんじゃなかろうか」って

大丈夫かこいつw




貧しいよ!

ガキだし!生徒だし!

先生であるお前とくらべて人生経験貧しくなかったらむしろ困るよ!




ガキの話に同レベルの水準から人生経験貧しい!」とか言ってるお前の方がよっぽど心配だよ。

学習塾先生っていうから大学生バイトかな?

それでも相当幼いよね君は。

もし社会人なら処置ナシだ。

大人子供だね。

http://anond.hatelabo.jp/20120124203618

ボカロなんてキャラクター性を除いたら要は一つの楽器と変わらない。

アコギと比べてエレキギターが優れてると言ったら人生経験貧しい……なんて今はもう誰も言わんだろ。

ロック市民権を得てなかった時代もあるわけで、もしボカロ市民権を得たら禁止する理由も無くなる。

要はまだ市民権を得られてないってだけの話じゃね。

2012-01-24

http://anond.hatelabo.jp/20120124203618

小中学生に豊かな人生経験を求めるのも酷ってもんでしょう



ってのは置いといて、ボカロは駄目! みたいなのはつべこべ理由つけずに、単純に「先生はお昼の時間に相応しくないと思うから」で通しちゃうのが一番だと思う

からボカロに限らずブリトラみたいなコミックソングも相応しくないって理由で禁止されてきたものだし

私がいた中学マリスミゼルも食事が止まるから禁止されてたし

曲の優劣と食事時にかけてもいいかどうかは別物ってスタンスでいるのがいいと思う。

生徒同士で議論させると優劣ゲームで終始しそうだから、議論はさせるべきじゃないと思うな。

電子音

給食時間ボカロ流しちゃだめって言われた。まぢむかつく。ボカロの良さをみんなわかってない。●●(流行グループ)よりよっぽどいい曲なのに。世界中にファンがいるし云々」という話を学習塾の生徒から聞いた。(あの子らの言語でいえば「まじ」ではなく「まぢ」が合ってる)

しかボーカロイドを一括りに禁止するための、筋の通った説明は難しい。

なんというか、不快しか言いようがない。まず、ひぃひぃと震える声は聴きとりにくい。聞き取れたとしてもシステムでぶちぶちと機械的につなげたキンキン声は不快だし、それを聞いて「給食中にボカロとか、うはww」といわゆる「草」を生やしてにやにやしている子を見るのも大変気持ち悪いとおもう。

ただ快不快受け手の取り方次第なので、理屈としては通らない。どちらが多数派だとか、人数の問題で片づけてはいけないと思う。

しいて言えばあのキンキンした音は食事には向かないと思うのだけれど、そうするとハイテンションな曲はすべて不適格となってしまう。極端に言えば食事中に音楽なんぞ要らんとなる。

私は教師ではないので塾の生徒の話を「そっかーざんねんだね」と答えたのみだったけれど、先生たちはどんな説明をするのか大変気になる。

先生が答えを与えずに生徒同士で話し合わせるというのも手かもしれないけど、その場合子供たちはなんて主張するのかなー




あと、好きだと主張するのはべつにいいけど、電子音のほうがすぐれてると言って人間馬鹿にするのは…ちょっと人生経験貧しいんじゃなかろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20120124134911

キャッチ慣れしてない田舎者ほど引っかかりやすいから、田舎者の目印としてダサい奴を選んでいるのだと思う。

年齢は20代前半を重点的に狙うらしいね20歳になった時点で未成年者取消が出来なくなるし、人生経験が無いほど引っかかりやすいからなるべく若い方が良い。

2012-01-19

ちょっとした人生経験とか、観測範囲の違い程度のことで何かを知らない人のことをすぐ揶揄する風潮って、端から見ていると気持ち悪いし、人類史がいくら進んでもやっていることがちっとも変わらないようで絶望する。

2011-12-18

http://anond.hatelabo.jp/20111218225440

人生経験が無くネットの記事を鵜呑みにしている子供しか見えないけどなあ。

結婚しているような年頃なら婚活しているのはごくまともな人も多い(記事になるのはごく一部の極端な事例だけ)という事くらい知ってるだろう。

2011-11-10

[] 本来の「もしドラ」はこういう小説だったんじゃないか

長くなったので、先に結論だけ書いておきます

もしドラには2つテーマ性を感じた。(作者的にはもっとあるのだろうけれど力を感じたのはこの2つだけ)

 ・人間出会いや出発点を描く、という意味では素晴らしい作品だと思う。

 ・社会からズレてしまっているor適応する振りをして生きている人の生きづらさとその解放を描く、という意味では中途半端もったいない

全体としては今ひとつだけれど、ものすごく光る要素を感じる作品だったと思う。



というわけで、「小説の読み方の教科書」の次に「もしドラ」の感想を書こうかと思ったけど、

この不思議な「小説」については、単体で語りにくいので、「少女不十分」という「小説」を補助線として使わせてもらいたいと思う。

ちなみに、西尾維新の作品を読んでない人にはわけわからんですがご了承ください。





ものすごく読みたくなる西尾維新少女不十分」感想文 http://zeark969.blog38.fc2.com/?no=2968

私はこの感想読んで、少女不十分よりもむしろむしろ「もしドラ」を読み返したくなった。

(というか少女不十分の内容としては不適切だと思っている。少女不十分は「難民探偵(白)」のようなものなので、こっちも読んで見るよろし)

はてなベテラン小説家としては新人として「少女不十分」を書いた結果がもしドラなんじゃなかろうか、と。

 

僕は本作以外に西尾作品を知らないが、西尾維新の作品がいくつも映像化されていることくらいは知っている。

まり、できるのだ。

西尾維新だってシンプルな文章と無理のない展開でベストセラーとなり、映画化されるレベルものを仕上げるのは容易なはずなのだ。

ではなぜそうしなかったのか?

それはこの作品が小説家を目指していたかつての西尾維新の半自伝的内容であることを思えばすぐに答えは出てくる。

しかしたら今よりも小説に対して真摯だったかもしれない時代の話。

西尾維新はこの作品を絶対的に小説としてだけ存在させたかったに違いない。

間違ってもいつものように高く評価され、メディアミックスされないために、あえて未熟な箇所を多く設置したのだ。

少女不十分が新人の作品だとしたら、おそらく三ページも読まれない内に棚に戻されてしまうだろう。

西尾維新という安心ブランドがあるから、読者は多少の違和感は覚えつつも読み進めてくれるのだ。

そして気づく。

普通に書けば一行で済む文章に、比喩暗喩、掛詞、反語、反復、倒置法、隙あらば韻を踏もうとするなど

数々の言葉遊びを仕掛け、自分小説を支えてくれたファンに精一杯「活字」で恩返しをしてくれていることに。

そこに筋の通ったストーリーなど必要ないことに。

これこそ本作が絶対的に小説でなければならない理由だ。

10年かけて築いた信頼関係がここにある。

僕は本作以外に岩崎作品を知らないが、岩崎夏海の作品がいくつも映像化されていることくらいは知っている。

まり、できるのだ。

岩崎夏海だってシンプルな文章と無理のない展開でベストセラーとなり、映画化されるレベルものを仕上げるのは容易なはずなのだ。

ではなぜそうしなかったのか?

それはこの作品が小説家を目指していたかつての岩崎夏海の半自伝的内容であることを思えばすぐに答えは出てくる。

しかしたら今よりも小説に対して真摯だったかもしれない時代の話。

岩崎夏海はこの作品を絶対的に小説としてだけ存在させたかったに違いない。

間違ってもいつものように高く評価され、メディアミックスされないために、あえて未熟な箇所を多く設置したのだ



もしドラ新人の作品だとしたら、おそらく三ページも読まれない内に棚に戻されてしまうだろう。

ハックルという安心ブランドがあるから、読者は多少の違和感は覚えつつも読み進めてくれるのだ。そして気づく。

普通に書けば一行で済む文章に、比喩暗喩、掛詞、反語、反復、倒置法、隙あらば韻を踏もうとするなど数々の言葉遊びを仕掛け、

自分自尊心を支えてくれたはてな村住民に精一杯「活字」で恩返しをしてくれていることに。

そこに筋の通ったストーリーなど必要ないことに。これこそ本作が絶対的に小説でなければならない理由だ。

10年かけて築いた信頼関係がここにある。

本来はこういう小説だったんじゃないかと思う。





少女不十分に対する批判と、もしドラに対する批判って、文章力「以外」ではほとんど同じだと思う。

ご都合主義だとか、作者の自慢だとか、作者のこと自体が気に入らないとか、これが本当だったら俺の人生は何なんだ、とか色々。

テーマも似てると思う。 

少女不十分の少女みなみであるし、少女不十分の主人公は岩崎夏海であり、

あるいは、少女不十分の少女岩崎夏海であり、少女不十分の主人公はドラッカーである

(この「混在」のせいで、読者からすると「ドラッカー」の価値がわかりにくいを通り越してドラッカーなめてるような小説に見えるのはご愛嬌。)



そういえば、岩崎夏海がめずらしく西尾維新化物語をほめていたのが結構印象的だった。

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111006/1317885951

しかし読めばわかるが、彼はその褒め方について化物語面白さを全然語れていないと思う。的外れもいいところだと思う。

多分、それはもっと本質的な部分で感動させられたのだろうけれど、猫物語(白)の羽川翼のように、

化物語自分本質を付いているということを、それにゆさぶられることによって見えた自分の核の部分を見つめることを避けたのかも知れない。

彼はジョブズについても的はずれな分析とか論評を書いているが、

意外とブログに書いているとぜんぜん違う部分で本当にジョブズに救われたような部分があるのではないか

彼が的はずれなことを書いている記事ほど、彼がその対象に本当に揺さぶられてるんじゃないかとおもう。

この人は結構こういう「出会い」の体験を何度もしている人なんじゃないだろうか。

ぎりぎりの所でなにかと出会って救われたり、出会い自分を飛躍的に変化させる、ということを、体験から理屈を越えたレベルで信じているのだと思う。

(この部分に思いを馳せないと、この作品には、つながりとして「?」を感じてしまうことになると思う。)

ブログを読んでいても、この人は「真の教師」を求め、自分も誰かにとってのそれでありたいんだろうな、という点はよく伝わる。

もしドラ成功後は、デュルケムの言うところのアノミー自殺に対抗するためだろうかその傾向を加速している印象だ。(あまりにも空回りしている印象があるが)





もしドラ」も、正直ドラッカーについてすべてを理解できているようには感じなかった。

ただ、その必要はないんだ、と思う。それは学者仕事で会って読者の仕事ではない。

むしろ化物語ヒロイン阿良々木暦出会うことで、生まれ変わりを果たすように、

みなみドラッカーコミットしていく過程自分をみつめ、劇的に変化する。その部分が大事なんだと思う。

経営学者としてでもなく、社会生態学者としてでもなく、一人の人物としてドラッカー出会い

そこから何でもいいか自分物語に必要な何かを学び取り、自分自分で救い、クソッタレ世界の中で生きていく。

そういう「一人の人間の、出発までの話」を書こうとした部分はすごいと思う。

私はそういう意味で、この本は「ドラッカー入門書」という言葉は正しいと思う。まぁドラッカーに限らずの「出会い入門書」と言いたい。

先に感想を書いた「小説の読み方の教科書」は少し茶化したような書き方をしたけれど、もしドラは本当に「小説との出会い方の教科書」と読んでもいいと思う。

(もちろんもしドラは「出会い方」しか教えてくれないので、その後の「斬り結ぶ」方法や「深める」方法などは別の書物を参考にするべきだが)




「成長ではなくて出会いを描く物語」「劇的な結末ではなくて出発点を描く物語」「恋愛や友情以外でも人を変える出会いはある点を語った話」という点に絞ってみれば、この作品はかなり素晴らしい作品だと思う。(逆に前者側の評価指標で見るとすごい低評価になる)

作者がもしドラ成功した後すぐ別のところに興味が移ってしまうあたりを見ると(的はずれなことも多いけれど)

おそらくこの人はそういう「出会い」や「出発」を求めてやまないタイプなのではないかと思う。

正直アニメでもなんでも、ありきたりな結末には飽き飽きしているので、むしろこういう「強烈な出会い」や「強い動機の出発点」を描ける点を大事にしてほしいなと思う。

時代的にも、大人が語る将来や成功といったものにはネガティブイメージがつきまとう。

大事なのは、そういうつまらないゴールを目指してごちゃごちゃやる話とか、決断主義もののような、義務感で戦うみたいな話じゃないと思う。

ゴールはよく分からなくても、スタートせずにはいられないような強烈な出会いを描くことなんじゃないかと思う。

大人が読んだら無責任で、危険な話かもしれなくても、まずワクワクさせられるスタートをこそ、読みたいと思う。





ここから蛇足。それにしても・・・

ここまでわかってた上で、要するに結末部分はおまけだ、というのはわかっていても、まぁラストはひどい。笑えない。

あれは物語カスにする要素であったと思う。蛇足どころの話ではない。この結びによって、この話そのもの茶番になっている。あまりにも若者馬鹿にしている。

出版社ダイヤモンド社でなければこの部分は書かなかったのではないかと今でも信じたい。

もちろん、作家としては新人の彼が、出版社の意向を無視して好きな様に書けるわけではなかっただろう点は承知している。

から、この作品については特に序盤については高く評価しつつも、次回作以降の期待を込めて全体としては低い評価を付けたいと思う。

そういうわけで、私は序盤と中盤以降で、別の作品とまでは言わないが、作者の本質は序盤にあると思っているため、

作者がその「結末」を持って、「序盤」部分の書店員の行動を正当化したあれは、全く理解できなかった。  http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129

作者自身が、序盤と結末をつないでしまうこの感覺が私には今でも理解出来ない。どういうつもりなんだろうか・・・




結論 うまくここに接続出来なかったのでやや唐突ですがご了承ください

良くも悪くも40歳のこれはオッサンでないと書けない、40歳のオッサンの感性で書かれた話だと思う

この作品を理解する上でドラッカーの知識は全く必要ないが、ある程度の人生経験というか前提を共有できることは必須だと思われる

少女不十分」が、西尾作品を読んだ人でないとほんとうの意味で感動出来ないように

(彼の10年の積み重ねや作品傾向を知らないと、作品の芯の部分に心から共感できず、ただのお話に読めてしまうのと同様に)

もしドラ」という作品がほんとうの意味でわかるのは、ビジネスの良いも悪いも知った40過ぎのオッサンではないか

はいま21歳だけれど、この小説を今の時点で本当にわかったとは言い切れないので、コレ以上はなんとも言えない。





次はfateかPersona4の話をしたいと思いますzeroじゃなくてstay/nightの話ね。

本当はもしドラのもう一つのテーマであろう「生き辛さ」について書きたかったのだけれど、

正直もしドラはコレについて十分に描き切れた作品だとは到底言いがたいので、それはPersona4fate stay/nightにまかせる。

2011-11-04

http://anond.hatelabo.jp/20111104142122

ここでは元増田に倣って「20代中盤以降のそれなりに人生経験を積んだ男女の恋愛関係」でいいと思う

2011-10-30

遺書

今は実はそんなに死にたいと思ってないです

でもいつか近い将来衝動的に死にます最近は2週間おきぐらいにかならず死にたくなります

今すごくブラック会社に勤めてるわけでもなければ、普通の家庭で育っていたと思っているので

死にたいと思う気持ちが不思議に思う人がいるかもしれないですけど、やっぱり死にたいもの死にたいです

今まで生きてきて何がダメだったのかよく考えるんだけど、実はあんまり考えていないように感じています

だって馬鹿から考えても話がまとまらないし、結局そう感じても何も勉強せず生きたから。

最終的な自殺の理由とかは、自分馬鹿な事に耐えられなかったからだったと思います

人生経験とかない。動く勇気がない。

会社の人へ

使えない人間なのに置いてくれてありがとうございました。

でも、多分ほんとは私がいていい場所じゃなかったんだと思います

最近はすごく勉強しなければならないのが苦痛でした。

仕事残してしまって申し訳ありませんでした。

・数少ないリアルの付き合いがあった友人へ

私みたいなダメ人間と遊んでくれたりしてありがとう

最近はあんまり会ったりしなかったね。私が積極的じゃなくて面白い人間でもなかったもんね。

あんまり言うことはないかな。やっぱり気が付かないと思うし。

ネットの友人へ

Twitterとかfacebookとかで下らないおしゃべりをしてくれてありがとう

多分私が死んだことに気がつかないでしょうね。

家族

みんなは元気でね。

2011-10-24

http://anond.hatelabo.jp/20111024131623

繁殖後、妻子のために他のオスと闘争したり食べ物を採集・狩猟する強さが求められるから

子殺しネグレクトが若すぎる母親のもとで起こっていることは無視?

メスにも子育てのために気の長さ、心の広さ、心の余裕、人生経験多種多様ものが求められる。

中学生には無理。

2011-10-22

[] 人助けのつもりが余計なお世話になってしまう6つのパターン

せっかくいいことを言ってるのに、言い方がまずくて敵を作っちゃう人の特徴。

「何を言うか」は大事だ。「誰が言うか」それも大事。でも、そこまでは意識していても「余計なお世話」になっちゃうことが多い人がいる。

「どういうか」にも気を使えばいいのに、彼らは最後の所で自我暴走して大惨事表を振っちゃうんだよなぁ。

以下は「プロセスコンサルテーション」という本に書かれていた

「支援が上手くいかなくなる6つの罠」をはてなにあてはめてみたものです。よろしければ参考にしてください。




(1)時期尚早に知恵を与えること(早漏

 読んだ記事に対して表面的な言葉だけで「真の問題」を理解したと思い込み、役に立たないコメントを書くタイプ

 相手がそれを受け入れないと「だってお前こう書いてるじゃないか」と部分的な切り抜きをもって相手を攻撃する。

 とにかく他人に口出しするのが大好き。揚げ足取りも大好き。木を見て森を見ずを日々実践する愚か者

 自分意見が見当はずれの押し付けであっても「自分は問題をちゃんと認識していなかったか」などと反省することはない。

 はてブではよくあること。





(2)防衛的な態度にさらに圧力をかけて対応すること(パラノイア

 自己体験などに支えられた強い信念を持っており、

 自分の言ってることは絶対に正しいと思っており、正しいから受け入れられるのが当然だと思っている。

 そのため、とにかく相手を説得したくてたまらなくなり、いつのまにかケンカをはじめている。

 意見が正しくても受け入れられないケースなど山のようにあるということが分からない。人生経験不足。

 典型例はこれ。  http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110901/1314876472

 正直、5割の人に受け入れられれば御の字だと思うんだがなぁ。何割をねらってるんだろ。




(3)相手が問題を受け入れ、自分依存してくることを当然として振る舞うマッチョ

 自信満々に振る舞い、自分先生、相手を生徒であるかのうように一方的に指導を行う。

 目標や計画を打ち立てるところまでが関心の範囲であって、実際の泥作業は相手任せ。

 基本的に相手の現状や現実を無視して自分の解決策を押し付けるだけになるためうまくいかないことが多い。

 このタイプはてなでは少ない。唯一の例外がハックル先生だと思われる。

 ハックル先生は、言ってる内容については結構本質的で正しいと思っている。

 しかし、それを実行するプロセスに興味がないのか、実現する手段については

 まるまるすっとばしたり理想論みたいなことばかり言うのでふわふわした印象を受ける。

 多分彼の頭の中では既に理想小説は出来上がっている。問題は本人にその理想を実現する力量がないということ。

 他ならぬ自分自身が、自分理想を裏切るというのだから、生きていてしんどいのではないだろうか。





(4)同情心から不適切なレベルで支援と安心感を与えてしまう(シュガー

 相手を甘やかして骨抜きにし、自分依存させてしまう。

 承認充足を大量に放出するという、はてなにおいてははぐれメタルなみのレアモンスター

 あまりレアすぎて存在しないんじゃね?と言われる時期もあったが

 最近その存在が確認され、はてな民を狂喜させた。  http://d.hatena.ne.jp/orangestar/20111020/p

 しかし実際は割りとビターテイストであることが判明し、事態は沈静化している  http://togetter.com/li/203298




(5)支援を求められても客観性にこだわり、感情的な距離を置きすぎる(傍観者

 はてな民で最も多いのはこのタイプだろうから説明不要だろう。

 はてブとは傍観者に生息スペースを与えるために用意された場といってもいい。

 いかにもありきたりの、常識に則った、感情のこもらない、テキトウなコメントで人をいらつかせる。

 ちきりんとかハックルさんみたいなおちゃらけキャラならともかく、結構真剣に書いてる記事に対しても空気読まずにおなじことをやらかす。

 支援学における「自分が影響されても構わない場合しか、他人に影響を与えられない」の原則によれば

 彼らのアドバイス意見は全くのムダであり無意味であり無価値であり、はてブ乞食のエサである

 多分リアルで友だちが少ないのであろうなぁと容易に推測される。




(6)相手をステレオタイプ化したり、自分経験から根拠のないレッテルを貼る

これは正直人間である以上避けがたいことであると思われるので何も言わない。

2011-10-15

http://anond.hatelabo.jp/20111015175540

その通り

わかってんじゃん

テレビゲーム面白いと感じられるのは人生経験の少ない小学生までだ

中学生以上になると、部活学校人間関係の方が面白くなってくる

高校生になると恋や受験勉強で大忙しで、

大学生になったらバイトして自分で金を稼ぐ面白さがわかる

そして社会人になったら仕事が一番面白いことになるだろう

面白くないって思うのが正常だよ

結局テレビゲームは、リアル面白さには勝てないんだ

2011-10-09

http://anond.hatelabo.jp/20111008234640

横だが、仮にパンチの痛みを知らなかったとしても、普通は「痛がってるからきっと痛いんだろう」って結論に至らないか

人生経験由来の共感よりも、推論によって汲むことのほうがずっと多いと思うよ

から俺は、「人の気持ちを分かろうとしてもうまくいかないことが多いやつ」は、単に頭が足らないんだと考えてる

2011-10-08

http://anond.hatelabo.jp/20111008212128

人の気持ちを知る手っ取り早い方法は「痛みを知る」ことだ


例えばさ、A君がB君にパンチしたとするじゃん?

もしB君がパンチの痛みを知っていれば、「Aは痛そうだな」ってなる

知らないと、「Aは何でこんな痛がってるんだ?」ってなる

要は、経験が無いと気持ちなんてわからない。わかる奴はそういう才能を持っている

から、「人の気持ちがわからない」って言う奴は人生経験が乏しいってことよ

2011-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20110919013032

若者転職の仕方を教えておかないのは日本人社畜化の一環だよなー。おかげで転職にまつわるクソなあれこれも一向に直らん。



さて、君のような場合だが、まず「失業給付を貰おうとする」のはアウトだ。はっきり言って「失業給付なんて貰えない」と思った方がいい。

自己都合」名目で退職した場合失業給付が貰えるのは「会社をやめて3か月経ってから」になる。退職後3か月は自腹で生活しなければならない。そこから3か月は給付が受けられるが仕事が決まったらその時点で打ち切りだ。しかし君の手元の実弾が100万円しかないなら、それは失業期間中に溶かしてはいけない。新生活を始めるとなると最初はそれなりに物入りで数十万は要るし、転職先が決まった時点で100万あれば多少余裕はあるが、決まってない状態で100万だと非常に危険だ。

から君は退職する前に転職先を決める必要がある。



さて、基本的な勝利パターンはこうだ。

今の仕事をとりあえず続けながらオンラインで使える転職サイトなどにエントリし、土日を使ってリクルートハロワ就職相談を利用するようにする。失業中でなくてもハロワは利用できるが、ハロワは質が低いので見つかりそうなら民間業者の方が良い。スキルが無いとハロワしかいかもしれない。どちらもタダで使えるぞ。

勤めながら転職先を探す場合面接の日程が問題になる。運が良ければ土日に面接してくれる会社もある。ダメモトで「土日は可能でしょうか?」と一応聞いておくのは基本だ。次点が平日の夜で19時開始くらいなら融通してくれるところも多いが君の場合仕事の後で東京に19時は無理だろうか。結局同じ日に面接詰め込んで有給使って東京行く作戦が発動することも少なくないだろうから有給取る勇気は絶対必要だな。勤めながら転職活動する人は多いのでちゃんと言えばリクルートでもハロワでもその辺の日程調整は可能な範囲でやってくれる。

君の場合スキル無しということなので早くても3か月、普通に行っても半年そこらは掛かるだろう。むしろこういうのは慌てすぎてもよくない。ちゃんとやりたい仕事を探そう。とりあえず東京、なんて考えだと人事には一発で見透かされるので確実に落とされる。人事からすりゃ目の輝きだけ見て落としても惜しくないほど求職者は多いんだ。良い仕事にありつけてもどうせ30歳くらいで再度継続転職独立かみたいな岐路で悩むことになるから、その時に自分がどんなキャリアを積んだ人間になっていたいか考えてみよう。



今の職場で育てて貰ってるから~というのはあまり気にしなくていい。まあ一回転職するか職場で同チームから転職者でも出ればそんなに気にならなくなるんだがな。ぶっちゃけよくあることだ。社内で転職活動中と大っぴらに言う必要はないが話が通じそうな先輩(一番良いのは直属の上司)には内々に言っておいた方がスムーズだ。引き留められるとは思うがあまり気にしなくていいし、逆にグッとくる引き留められ方をして残るのだって有りだよ。

25、30、35、くらいの区切りで悩む人は多い。誰もが通る道だ。先輩なり上司なりがそれなりに人生経験積んでるなら「転職するか悩んでるんです」と切り出されても「あるある」ってなもんよ。この相談をしておくと、「私用で有給欲しいんですけど……」と言ったら空気読んで取らせてくれる利点もある。ただし今の仕事最後まで手を抜いてはいけないよ。今の仕事以上に納得できる仕事が見つからなかった時は続けるわけだし、そういうオチも少なくないからね。もちろん、いざ転職先が決まっても引き継ぎはきちんとすること。

2011-09-16

ねっとり

九月十六日、晩夏、金曜日の夕方。

今年に入ってから、私、なんかヘンでした。たぶん、ストレスをため込んじゃったのだと思います。実はというと、自分でもどこがヘンなのかすらわかりませんでした。友達に指摘されていたものの、直そうと思いつつ、間違いを間違えていたのです

ただ、いろいろ疲れていたのだと思いますネットという道具を手にしてしまったために、自分への万能感が二乗されて、億能感になったつもりのように振る舞っていました。只の地方に住む無業の(一応、就労意志はあるけれど、空回りしている親のすねかじりの)一人の青年に過ぎないのに。

しかし、今年で三十になったのに『青年』でもいいのかな。三十歳ぐらいになると『青年から壮年』に入るのでは。しかし、人生経験は三十の割にはあまりにも少ないので、まだケツが真っ青なんです。まるで少年中学二年生ぐらい青いです。いわゆる『中二病』でしょうか

十三歳なんてまだ『青年ですらなく『少年』でしょうね。三十と十三戦前の一行一文字の縦書きの記法と、現代の横書きの記法。その間だと誤っていそうなことが現実だったのかも。

この文章自体なんだかヘンです。三十歳になったのに言っていることは中学生レベル。なんていうと中学生に大変失礼なくらいです。そもそも文章の該当年齢すら不明。まるで文章年齢が複素数になってしまたかのような。

ただ、思っていることを吐き出したいのですよ。でも顕名で出すと、またあいつキ○○イなこと言ってるわと、馬鹿にされるだけなので、敢えて匿名で。

最近世の中がねっとりしているような気がします。なんでもかんでもねちっこいのです。だから断捨離』なんて概念が生まれるのですね。けれども、ねっとりしている現代人は『断捨離』に対しても固執するのではないだろうかと。

大変失礼いたしました。

2011-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20110910203905

私は「他人を貶めることしか知らない」両親の元に育って、自分もそういう態度(自覚なしに)を取っていた。当然、友達なんか一人もいない。気が強いかいじめられはしないが、たぶん、油断してたらやられてたろ。もう、いい大人になったから、むやみに他人を貶めたりはしないが、やはり、相手がホッとするような持ち上げ方は難しい。インターネットじゃ、若い人が多いから、さらっと持ち上げられたりすると(おおっ、若いのに人間出来てるー)と感動する。褒めて悪いことは無いよ。ただ、誰相手でもホッとする言い方が出来るようになるには、それなりに人生経験積まないと出来ないだろうなあとは思う。

でもね。文言が見当外れでも(ホッとしてもらいたい)って気持ちは伝わるからさ。「相手を救う言葉」を考えてくれる人は、やっぱり、あったかいなあと思う。

2011-08-17

http://anond.hatelabo.jp/20110816220206

自分一人分の人生経験しか我々は実体験できないのに

それだけで、さまざまな人間人生や考え方を、「それはこういう事だ」って定義するのは無理じゃないの。

そりゃあいろいろな人の話を聞いたり、本読んだりしたらその幅は若干広がるけど、それも限界がある。

いろいろな人がいて、何が不幸とも、幸せとも言い切れない訳だし。

それをなんか、自分経験にだけ当てはめて答えを出そうとするのは、なんかとっても偉そうな感じがするんだけど。傲慢というか。

2011-08-09

価値観を受け入れようとしない人

俺には結婚を考える彼女がいる。

先日その母親と会ったんだが…しっくりこない。

その時のことを、自戒も兼ねてまとめておく。





他人の価値観を受け入れようとしない人がいる――。



若者の中には自分経験が乏しいにも関わらず、

頑なに自分意見を変えようとしない、

相手の意見を受け入れられない人がいる。



…これは、経験の乏しさゆえかもしれない。

他人を受け入れるだけの人生経験

社会経験を積むことができていないからだ。

でもこれは今後次第で、なんとかなるはず。



それより厄介なのが、40代後半以上の中年

その一部(大部分かも)は特に若者に接する時、

自らの価値観押し付けて、

相手の価値観を理解しようとしない。



この傾向は自分に自信のある人に特に強く表れる。

そして、自分がこれまで歩んできた人生

幸せと思っている人は、ことさら顕著だ。



幸せのカタチは人それぞれ。

それでもこうあることが「幸せ」と決めつけて、

それを押し付けようとする人がいる。



今の若者は多様だ。

一昔前に比べると、まるで価値観の違う

例えば海外人間と接する機会も増えた。

そして、ネットを通じた情報交流

これもたくさんの人の価値観に触れるには、

匿名性も相まって、もってこいだ。



そうして今の若者は、

他人の価値観を受容することに順応した。

そしてまた、若者自身も様々な幸せのカタチ、

千差万別の価値観を持つようになっている。



今の中年世代は通り一辺倒の

教育しか受けていないからか?

感受性の高い若いうちに、多様な価値観

触れることなく育ってしまったせいか

極端に異なる価値観への受容度が極端に低い。



…というのは、暴論かもしれないが、

中年世代の一部の人間は否めないのではないか





少し前置きが長くなったが、

俺には結婚を考える彼女がいる。

先日その母親と会ったんだが…しっくりこない。



その母親は、娘が専業主婦になって

旦那を支えることが何よりの幸せと考えている。

でも娘(彼女)には仕事をしたい、

キャリアを積み重ねたいという意思がある。



俺は…彼女母親価値観を否定はしない。

そういう考え方もあるだろうと思う。

でも、その価値観を娘や

その彼に押し付けるのはどうかと思う。

幸せのカタチは、人それぞれあっていい。

その人が思う幸せを追求する権利がある。



…という話を彼女母親にもしたのだが、

全く受け入れる余地がなかった。

論理的にどうこうという話ではない。

良くないものは良くない、そういう感じだ。



彼女も大切にしたい、

彼女家族も大切にしたいと思うのだが…

のしっくりこなさを解消するには、

一体どうしたらいいんだろう?

2011-08-01

最近はてブコピペブログに対して

アマゾン アクセストレード 楽天 アドセンス 2ch

みたいなタグをつけてるプライベートモードボットか何かがいるけど

あれ個人的には効果的。

あのタグがついてるページはよほど見たいものではない限りクリックしなくなった。


はてなモンスター : http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20111022102740

アドバイスをする側が陥りがちな5つの
(1)時期尚早に知恵を与えること(早漏

 読んだ記事に対して表面的な言葉だけで「真の問題」を理解したと思い込み、役に立たないコメントを書くタイプ

 相手がそれを受け入れないと「だってお前こう書いてるじゃないか」と部分的な切り抜きをもって相手を攻撃する。

 とにかく他人に口出しするのが大好き。

 自分意見が見当はずれの押し付けであっても「自分は問題をちゃんと認識していなかったか」などと反省することはない。

 はてブではよくあること。

(2)防衛的な態度にさらに圧力をかけて対応すること(パラノイア

 自己体験などに支えられた強い信念を持っており、

 自分の言ってることは絶対に正しいと思っており、正しいから受け入れられるのが当然だと思っている。

 そのため、とにかく相手を説得したくてたまらなくなり、いつのまにかケンカをはじめている。

 意見が正しくても受け入れられないケースなど山のようにあるということが分からない。人生経験不足。

 典型例はこれ。  http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110901/1314876472

 正直、5割の人に受け入れられれば御の字だと思うんだがなぁ。何割をねらってるんだろ。

(3)相手が問題を受け入れ、自分依存してくることを当然として振る舞うマッチョ

 自信満々に振る舞い、自分先生、相手を生徒であるかのうように一方的に指導を行う。

 目標や計画を打ち立てるところまでが関心の範囲であって、実際の泥作業は相手任せ。

 基本的に相手の現状や現実を無視して自分の解決策を押し付けるだけになるためうまくいかないことが多い。

 このタイプはてなでは少ない。唯一の例外がハックル先生だと思われる。

 ハックル先生は、言ってる内容については結構本質的で正しいと思っている。

 しかし、それを実行するプロセスに興味がないのか、実現する手段については

 まるまるすっとばしたり理想論みたいなことばかり言うのでふわふわした印象を受ける。

 多分彼の頭の中では既に理想小説は出来上がっている。問題は本人にその理想を実現する力量がないということ。

 他ならぬ自分自身が、自分理想を裏切るというのだから、生きていてしんどいのではないだろうか。

(4)同情心から不適切なレベルで支援と安心感を与えてしまう(シュガー

 相手を甘やかして骨抜きにし、自分依存させてしまう。

 承認欲求を大量に放出するという、はてなにおいてははぐれメタルなみのレアモンスター

 あまりレアすぎて存在しないんじゃね?と言われる時期もあったが

 最近その存在が確認され、はてな民を狂喜させた。  http://d.hatena.ne.jp/orangestar/20111020/p

 しかし実際は割りとビターテイストであることが判明し、事態は沈静化している  http://togetter.com/li/203298

(5)支援を求められても客観性にこだわり、感情的な距離を置きすぎる(傍観者

 はてな民で最も多いのはこのタイプだろうから説明不要だろう。

 支援学における「自分が影響されても構わない場合しか、他人に影響を与えられない」の原則によれば

 彼らのアドバイス意見は全くのムダであり無意味であり無価値であり、はてブ乞食のエサである

2011-07-25

それだけはハッキリしている。

何かがおかしい。少なくとも「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリしている。毎日を食べて寝て生きていくうえで、いまの「その感じ」を何十年も続けていくという実感がもてない。肯定できない。納得できない。誰かがぼくにむかって幸せですか?と聞いてきたら、幸せですとは答えられない。

いつからそうだったんだろう?昔はもっと幸せだったか?でも、思い出というのは美化されるものだ。学校生活もいまにして思えば楽しかったなーなんて思ったりするけど、もうちょっと自分にたいして誠実であろうとするなら、あの当時楽しいこともあったけど、それよりもよりいっそうのつまんないことが多くあったことを無視してはいけない。ぼくが覚えている楽しいことといえば、学生生活の10年ほどの期間のうち、文化祭だの友だちと鳥取砂丘へ行ったことだのクラブへ通っていたことだの付き合っていた彼女との甘い日々だの(それすら全体のほんのちょっとしか覚えていない)夜通し語りあったことだのびわ湖で数えきれないくらいやったバーベキューだのである

それのいったいなにが問題なのか?ぼくはその輝かしい思い出たちのことはぼんやりとでも覚えていて、楽しかったなあといえるんだけど、それ以外のなにもなかった日のことは思い出せないのだ。いま例に挙げた以上のたくさんの思い出たちが学生だった10年間には「詰まっている」のだけど、よく考えてみてほしい。10年間を日数に置きかえると3650日になる。でも、ぼくが思い出せる限りの楽しかった思い出を全部積み重ねてみて、そのうちのどれだけの割合を占めるだろうか。きっと1年分もないし、半年分もないかもしれない(「いや、さすがに半年分はあるでしょ」と思うなら記憶力を頼りに187個の思い出をがんばって思い出してみることだ)。もっと期間を短くしたら相対的に割合は増えるが、例えば思い出す時期を高校の3年間に絞ったとしても、その1095日間のうちで思い出すことのできる楽しかった思い出はきっと3ヶ月分もない。

「楽しかったなあ」と感じる昔は膨大な日数の忘れられた日の墓場の上に立っている記念碑だ。「昔は良かった」なんて無条件に、盲目的に言っている人は半分ウソつきだとおもう。下にある墓場がぜんぜん見えてない。あるいは見えてないんじゃなくて見たくないから見ないようにしているだけかもしれない。思い出というのはその10倍を超える数のまったく思い出せない、なんの中身もない日を含めた日々から選んだ「マイベスト」みたいなもんだ。それで思い出が「詰まっている」だなんて日本語がちょっとおかしい。

で、ぼくが言いたいのは、それを自覚してもうちょっと自分に誠実になって、懐古主義に陥るのはやめよう、昔と同じように今も楽しいよ、ということではない。むしろその結論を否定するものだ。ぼくが問題だと思うのは、ぼくらがそんなふうに「よく考えてみると昔はそんなに楽しいわけじゃなかった。それはわかった。いまもそんなに楽しいわけじゃないけどたまには楽しいこともあるからそれでいいんじゃないか」という考え方に陥ってしまうことだ。つまり過去が現状を納得させる道具になってしまうことだ。

さっきは「楽しい思い出」に焦点を当ててきた。こんどはそれとは逆の「イヤな思い出」を見てみる。人間の脳はよくできていて、イヤな記憶は脳がそれを判断して都合よく消し去ってしまうということを聞いたことがある(ほんとかどうかしらんけど)。きみのお父さんかお母さんかおじいちゃんかおばあちゃんか叔母ちゃんか叔父ちゃんか勤めている会社社長か直接の上司新聞コラムテレビに出てくる偉い人か、とにかくそういう年配の人に「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」的なことを言われたことがあるだろうか。もうあの言い方にはぼくは心底うんざりしている。聞いてもいないのに何回でも(しかドヤ顔で)聞かされるし、それがあなた人間的に成長させるとか、安定した暮らしを実現させるとか、収入保証するとか、そういうことに結びついていると彼らは思い込んでいる。聞いてもいないのに昔の苦労話をえんえんと語ってくるし、そういう苦しい時代がいまの住みよい日本を作ったとかいう話にまで発展したりする。

ある意味それはほんとうかもしれない。もしかしたらぼくら若者はそういうエピソードをもっとありがたがって聞くべきなのかもしれない(でもその話はもう何回もテレビで聞いた)。頭ごなしに否定するわけじゃないけど、話したいから話してるだけなんじゃないの?って感じがときどき透けて見えたりする。年配の人が必ずしもいいアドバイスばっかりくれるわけじゃないってこともなんとなくわかる。十分に人生経験を積んだ人だってコンピュータじゃなくて人間なんだから、間違いや勘違いはある。ましてや、この世界に正解とか不正解なんてものがあるのかすらぼくらにはよくわからない。そういうこともあって、だいたいのエピソードは右耳から入って左耳から抜けていくばっかりだ。脳にとどまらない。しかし、後で見るように実際もっと状況はひどいのだ。

さて、イヤな思い出の話にもどると、イヤというより冒頭に述べたようなモヤモヤとした暗い感じ。マスコミ風にいうと「閉塞感」ってやつを、いま思うことはできても昔もそれがあったかを思い出すことは一見あまりしないように思える。普通ぼくらが昔のことを思い出すときはさきほどのように「楽しい思い出」ばっかりを並べ立てたがる。ぼくらはなんにもない穏やかな日のことはあんまり振り返らない。

でも、おじいちゃんやおばあちゃんが太平洋戦争のことなんかを語ってくれることはある。そういう歴史的に大きな負の遺産は、「忘れてはいけない、繰り返してはいけない」という理由で語り継いでいくことを推奨される。バブル崩壊後、90年代の「失われた10年」なんてのもそういうふうに語り継がれていくかもしれない。楽しい思い出とは逆のイヤな思い出も時折覚えていることがある。どちらにせよ衝撃的なことはわりと覚えていたりするもんだ。中学生活の3年間ずっとイジメられた人なら、その記憶を忘れられないと思う(でもやっぱりいじめられなかった日のことはあまり覚えてないかもしれない)。

ぼくらの世代はどうなの?なにか世代とか社会情勢とかそういうもののせいにしていいの?あらゆるもの自己責任っていわれてるこの世界で?しかし、それはけっこうあり得る話なのかもしれない。さっきの話を総合するとね。

まりだな。ぼくらはさっきも言ったように「昔はよかったなあ」なんていうふうに考えてしまいがちだ。で、よく考えると実はそう楽しいことばかりでもなかったことに気がつく。「でもあのときけっこうつまんないこととかつらいこともあったよねー」って話になる。単純に楽しいだけの思い出から、いや実は悲喜こもごもだったという一歩進んだ結論にいたる(それにひきかえ、イジメられた人はイジメられた過去を死ぬまで許せないかもしれない)。ここで思考停止してしまうと、ぼくらはさっき言ったような年配の人達と同じことを将来の若者に言い出してしまいかねない。いいことも悪いことも含めて過去をまるごと「あれでよかったんだ」と肯定してしまうかもしれない。

じゃあ、いま現在に戻ってみよう。ぼくは何回も「このままじゃよくない」と思いながら生きてきた。きみはどうだろう?現状に満足しているかあなたいま幸せですか?それにYESといえる人が何人いるだろうか。ぼくはそんなに多くないと思ってる。イジメられた過去をひきずったままの人はずっと前からこの位置にいるかもしれない(しかしそれはもっと暗くてもっと深い闇)。

ぼくの場合やほかの人の場合、そういうときにはよく講釈自分をだますようにしている。そうして自分の不幸せを否定しようとする。例えば、ああい仕事に比べたらマシだとか、誰それという友だちはもっと大変そうだとか、家があるだけ幸せだとか、どこどこの国に比べたら贅沢言ってられないとか。もっとポジティブな感じにだますことだってある。人はどんな環境におかれても幸せを感じられるとか、つらいのはいまだけで私は友だちや家族に恵まれているからちょっとくらいの逆境はへっちゃらだとか、(年配の人の助言をもとに)こういうつらい時こそ自分が成長できるときだとか、時間が解決してくれるとか、そんなことをぶつぶつ言いながら毎日をしのいでいたりする。そう考えるとイジメられた人は自分をだますのが難しいと思う。

何回だ?いままでに「つらい…」「死にたい…」「消えてなくなりたい…」「orz」と感じたときに何回そうやって自分ごまかしてきたんだ?あれはドラキュラ映画小説かなんかのセリフだったと思うけど、「いままでに何人の生き血を喰らってきたんだ?」みたいなことを聞かれて「おまえは今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」みたいなことを逆に聞き返えされてビックリするっていう、有名な場面があったと思うねん。ぼくももう忘れたけど数えきれないくらい自分ごまかしてきたはずだと思う。数少ないいいニュースは、その回数は今まで食べてきたパンの枚数よりはきっと少ないということだ(ぼくは毎朝食パンを食べる)。

そんなことは誰もが考えることで特別なことじゃないとか、そういうごまかしがあるからこそ人は前へ進んでいけるとか、人生において挫折を味わってこそ人間的に深い情緒を身につけられるとか、そんな反論はいくらでも挙げることができる。必ずしも楽しいことや気持ちのいいことだけを受け取って人生渡り歩いていくことはできない。人生100%バラ色だなんていう人はいないと思う。でも、それにしてもぼくらは自分のことをごまかしすぎじゃないか

自分自分をだますことができなくなったときに、精神的に病んでしまうのかもしれない。ぼくの狭い観測範囲をして実感するのは、最近マジでメンヘラとかうつ病とかコミュ障とかリストカッターとかひきこもりとかニートとかそういう人が増えたなっていうこと。単に病気としての認定がされやすくなったとか、ひきこもりであることやニートであることが、いまやあまり珍しいことじゃなくなってうるさく言われなくなったこともあるかもしれない。統計を出すほどマメ性格ではないのでおおざっぱな感覚だけで言うけど、彼らの数は増えてると思う。それにたとえ「認定がされやすい」とか「いまやあまり珍しくない」とかいうことが事実だとしても、それ自体が彼らの人数が増えていることの結果になっているとおもう。病気の認定がされやすいかうつ病アスペルガー症候群統合失調症などのを含めたいわゆる「メンヘラ」が増えたのか。それとも、「メンヘラ」が増えたから認定がされやすくなったのか。卵と鶏はどちらが先に生まれたのか。

メンヘラまりならまだマシで、最後に行き着く先は自殺だったりする。年に3万人という自殺者の数は、実はそんなに多くないという説があったり、実は公表されている3万人より実際の自殺者数はもっと多いという説があったりする。ふつうに考えるとわかることだが、幸せなのに自殺する人なんていない。死んだ人はなんにも言わないか自殺の理由はあんまりからないことになっている。「死にたい」という言葉冗談やせっぱつまった言い方に関わらず最近多く聞くようになったと思う。もはや「死にたい」に特別な意味なんてないのかもしれない。でも、その言葉のなかにたとえ単にかまってほしいがためのウソやなんかが含まれているとしても、全体として言及数は増えているのならウソの割合と本当の割合も増えているんじゃないだろうか。宝くじで当たる確率が何千万分の1しかないとしても、数千万人の人が宝くじを1枚ずつ買ったらかなりの確率で誰かは当たることになる。1万人に1人しか言わなかった「死にたい」が、もう流行語みたいになって100人に1人は言っているとすると、そのなかで冗談で言ってる人の割合も本気で言ってる人の割合も増えてるんじゃないか

そんなふうにいまの状況を説明するいろんな要素がある。慎重に考えたほうがいいとおもう。「これは大丈夫」とか「これはダメだ」とか、個々の要素についていくつもの言い分を挙げることができる。しかし、どれだけ言い分を挙げても「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリとしている。またぼくは何日か何週間か、うまくいけば何ヶ月かあとに「もうイヤだ…」って気分が襲ってくる。で、そのたびにどうにか自分ごまかす。ぼくのまわりにはその周期がもっと短い人もいる。毎日毎日うんざりしている人もいる。向精神薬と酒を同時に飲んでトリップするしかない人もいる。他人を攻撃することでしかストレスを発散できない人もいる。手首を切ってほっとする人もいる。時間を貴重におもうあまり遊びや趣味を必死に探しまわって疲れてしまう人もいる。せっかくの休日を寝て過ごすくらいの元気しかない人もいる。現実世界にはとっくの昔に絶望していて、ネット世界しか居場所がない人もいる。

こんな状況がいいわけがない。自殺しなかったり病気にならなずに、なんとか今日まで生きのびた人は「苦労したから」そうなったのではなくて、単に運がよかっただけだ。で、そういう運のいい人だけがぼくらの目につくところに現れて説教していったりする。もし、この閉塞感に耐えきれないでみずから死を選んだ人が目の前に現れたら、「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」などと言うだろうか?そのせいで死んだのに?しかし、死人に口なしだ。若い頃にイジメられたストレスが積み重なって精神を病んでしまった特に有名でもない人が、「イジメられた経験があったからこそいまの自分がある」なんて思うだろうか?

有名人とかある会社社長とか成功した人は、たとえ昔はツラかったとしても、今成功してるんだからあれは無駄じゃなかったなどとのたまう。それは成功してるから言えるのであって、膨大な数の一生負け犬人生を送る人のことはないがしろにされている。でも、負け犬の人がテレビに出てなにか演説をすることなんてない。マスコミだけじゃなくて、誰も一般人の話になんか興味を持たない。たとえネットに出てきたとしても読まれているのは有名な人のブログばっかりだ。一方、偉い人は若い頃の経験をなんでも現在成功に結びつけて合理化する。そういう話ばっかりが世の中に出て行くことになる。

ぼくらだってあいう話がさすがにちょっとうさんくさいなあと感じている。「お前がそう思うならそうなんだろう。お前の中ではな」と言いたくなる。そういううさんくさい人ばっかりでなくて、ちゃんと誠実な人もいるということもなんとなくわかる。自分は人よりちょっと運がよかっただけということを自覚して、負け犬の人をないがしろにしない人も確かに存在する。(ネット上にはけっこうそういう人がいる気がする)

にもかかわらず、ぼくらは若くしてすでに過去を美化したり合理化したりしてしまう傾向がある。いまです過去を美化してしまったり合理化してしまったりするように、ぼくらは何十年か後にいまの状況をそうしてしまうかもしれないのだ。そういうことをする度に、ぼくらが楽しかったなあとしみじみ思う、それと同じ過去イジメぬかれて過ごした人をバカにしてしまっていることになる。少なくともぼくは、いま「死にたい」と思っている人を将来美化してしまいたくはない。「むかしは自殺未遂もしたけれど、いま私は元気です」なんて思わせることがいいことだとか、必要だったとか思わせるのにはどうも違和感がある。だから、現状がこのままで「仕方ない」などとは思いたくない。良くしていきたい。

ぼくが最近楽しいことをしたい理由には、そういう思いがある。正確にいうと、ぼくはわざわざ楽しくない不幸な人生を送りたくない。「せめて」楽しくなくてもいいから、「せめて」悲しいことやツラいことや苦しいことだけでも「せめて」取り除きたいのだ。その話はまた別の機会に…。

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