はてなキーワード: 上流階級とは
『谷間のゆり』でヒロインにうんざりして『従妹ベット』の細かい描写で嫌になって
そのころ『ナナ』を読んで一気にゾラへ興味が移ったのだけれども
『ゴリオ爺さん』あらすじ
名家の流れを組む貧乏家庭の長男(イケメン)がパリの大学に勉強&出世の為にやってきて
最初は勉強に打ち込もうとするんだけど、コミュ力の必要性に目覚め
下宿先のワルからは、勉強しても元手となる金が無いと望むような出世は出来ないという現実
を教えられ
(芸能界や上流階級でもいるよね、有名お嬢様学校出たトロフィーマダムな奥様や
よく分けのわからない肩書きの芸能人の夫、夫や妻の知名度を利用して商売をしてる人
社交界でやっていく事を目指すが
金をかけることが必要と悟り、家族に金の無心して、「ゴリオ爺さんに金をせびる娘たち」と
同じ事をしていると気づきブルーになるが、腹をくくってこの世界に挑む
社会的に成功する為にはイケメンで高学歴かつ家柄があっても、身だしなみにかける金や
金持ちの社会でのコミュ力が無いと厳しいという現実を書いてるのが面白い
下宿先のワルのその後を書いた『幻滅』や『浮かれ女盛衰記』はまだじっくりとは読まず
パラパラページをめくっただけだけど、かなり面白い。『幻滅』は現代のネットメディアのステマ騒動にも
通じるところがある
早く人間喜劇シリーズの続きが読みたいのに市立図書館が工事で2月29日まで完全閉館
2月終わるまで続き待てない。
本屋ではバルザックあまり種類置いてないから、電子書籍で『浮かれ女盛衰記』買うか
根拠は↓
1.原作での庶民的な描写
・友人の治療費が払えなかった
・裕福ではない友人がいた(上流階級出身なら、下々の者と知り合う機会があまりない)
・ゾルディック家の富豪っぷりに驚く
・値切り交渉に長けている
2.アニメでの出身地の描写(参考程度)
・旧作では地中海沿岸みたいな国の一般家庭出身ぽい。
・新作では子供のとき下町っぽい所に住んでいる。新作はトガシが口出ししてるらしいので、多少信憑性があるかも?
・気さくで素直、かつ世話焼き
・チンピラ的言動
(レオリオの性格なら、友人のためにできることは全てやったはず。実家が裕福なら、調度品をちょろまかすくらいできただろう)
A.元々は由緒正しい家だったが、落ちぶれた
庶民の友人がいたことから、遅くともレオリオの子供時代までには家は零落していたはず。
自分の奴隷や使用人に、わざと「王」「貴族」みたいな名前をつけてニヤニヤしてた奴が歴史上に存在した。
(2011/12/03追記)
・本誌が発売されてしばらく経ったので、ネタバレについての警告を削除。
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110906/1315294215
サバイバーとは、社会的に底辺に位置づけられながらも、自らの努力でその最悪の環境から抜けだした人
0.1%の人間はサバイバーのポジションをうまく活用して短期間で上に行く。
つまり下を絶対に攻撃せずに、むしろ努力すれば下から上がれるという夢を売ることで人気を得る。
そして、ある程度知名度を得たら、支持者の勢いを売って上に行く。
上流階級とのコネが出来れば、あとは目立つ必要がないから支持者を切り捨ててフェードアウトしていく。
実際は既に上位の存在でありながらサバイバーを装っているケースが多く、
普通のサバイバーには真似できないので決して見習わないように。
9.9%はサバイバーの地位に立ったときに、自分がサバイバーで有ることを認識している。
サバイバーとしてのセルフブランディングは諸刃の剣であることもよく認識している。
だから、この時点では何もアクションをとらず、成功して自分の地位を固めてから行動する。
FROMDUSKTILDAWN氏がこの類型に近い。というより世の成功者の殆どはこのパターンだ。
正直ブログ戦略としてアメーバーは実に正しく、はてなは根本から間違っていると思う。
人生の途中なのに自分が他取り付いた場所をゴールだと勘違いしてしまい、そこで上に登る努力が中断してしまう。
受験勉強頑張って東京大学に合格してはいいが、そこから勉強サボって就職もできなくなる、など。
たいてい自己顕示欲が高くなっているので、匿名やIDでブログを書き、自分の正しさや、サボってる人間を攻撃したりする。
下の人間は、上の人間が姿を見せないので、姿が見えるこのサバイバーと喧嘩することになる。
そうこうしている内に、自分のリソースを使いきってしまい、いずれ生きるために強いものに巻かれることになる。
その頃には弱者への恨みが募って、自らが一番苛烈な弾圧者になる。 監獄実験の看守役やね。
このタイプは、途中で天国への階段から滑り落ちる。少なくともグリードアイランドをクリアすることはない。
途中で「リープ(離脱)」のカードを手に入れられる幸運なプレイヤーもいるが、たいていは爆弾魔に殺される。
もったいないな、と思う。
という自分の立っているポジションを理解せぬまま、想定された通りの役割を演じている。
むしろ、自分がたてた論点にこだわっていれば有意義な議論もできただろうが、
自ら進んで人を分類し、対立構造を作り上げているのだから、この不毛な構造に巻き込まれてるのは自業自得と言える。
はっきり言って自滅型のパターンそのままなので、これ以上書く前にしばらく冷却することをオススメする。
・ダイエットに成功した人がいまだにデブの領域でとどまる人間を攻撃する
などと同じ。
こういう「サバイバー」は、下を戻ることを恐怖するあまりに、上よりも下を強烈に批判する。
結果として、上の人が手を下さずとも、自らが分断政策の執行者となって上への批判を防ぐ。
何回同じ事をやれば気がすむんだろうか。
この傾向が最も顕著だったのは1980年代に行われたフェミニズム論戦。
立ち上がらない女はクズだと言わんばかりの暴れっぷりに、みなさんドン引きだったのは懐かしい記憶。
で、運動から肝心の女がいなくなって、本来の敵だった男(ただしサヨクか非モテ)に運動が引き継がれるという構図も同じ。
まぁコメント欄の時からそういう記事を書くだろうなとおもってたけど、まんまと罠にはまった感じ。
「上」に攻撃を向けることを恐れず、
「囚人の立場から抜け出すのを怖がっている人たちなんだろう」くらいの想像力が働かせられる程度の知識は欲しかった。
この人は狭い世界にこだわりすぎて、より大きなパターンが全く見えてないので非常に残念だ。
まとめ。
サバイバーの人に言いたいこと。
下の人間と関わってないで、もうちょっと上を目指すといいと思う。
上の人間は、下からはいあがってきた後、さらに上を目指す人間を好む。
下の人間に言いたいこと。
サバイバーは敵ではない。ちょっとだけ上にいるかも知れないが、
もともと下にいたのだし、君たちの苦労をよく知っている。
サバイバーの人から学び、自分も努力して下から抜け出し、今度は自分が下にいる仲間を救おう。
今下にいる仲間に気兼ねして、一緒にサバイバーに石を投げつけるようなことをしてはいけない。
普通の人に言いたいこと。
サバイバーは仲間だ。下からはいあがってきた分ハングリー精神や闘争心が強くて
君たちの穏やかな生活にさざなみくらいは立てるかもしれないが、
それを暖かく受け入れるくらいの度量を持たなければ「普通」は守れない。
上の人に言いたいこと。
どうせ今回の記事をニヤニヤしながら眺めてるんだろうね。
でも、誰か一人でいいから、この問題について「○○ができてもバカはバカ」って言ってあげてください。
あのね、ホントにこの問題は構造が大事なのであって、細かい言葉尻とか文章力とかどうでもいいんだよ。
不毛な争いは今すぐやめて解散したまえよ。
どうせその「母と子のどっちが正しいか」みたいなクズみたいに小さな論点は決着なんて出ないんだから。
賢い人は「問い」だけもらって答えは自分で考える。
http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20110810/p1
漫画の話で、しかも20年前の日本人サラリーマンを戯画化したものなんですが、
今でも「日本人の男」の中にはこういう感覚あるんじゃないかと思う。
男は銀行員で、ワーカホリック。めったに家に帰らず、子供が病気の時ですら仕事。
女はそれでも男のことを愛していて、男を支えようと努力し、孤独にも耐える。
このあたりまでは日本人だアメリカ人だってのはあんまり関係ないところらしい。
男は妻を愛しているのだが、それを言葉にしない。「言わなくても愛し合っていれば伝わるはずだ」というのが彼の主張。
女は一度も男から愛の言葉を投げかけてもらえず、男の愛を信じる事に困難を感じる。
それどころか、男は家に仕事仲間を招いたときに、日本人独特の「謙遜」を使う。
「きれいな奥さんが家で待っていてくれるなんて羨ましい」という仲間に対して
「いやぁ、妻はがさつなもんで、自分一人のほうが心が休まりますよ」と返す。もちろん本心ではない。
だが、日本人のしきたりを知らない女は「私は必要とされていないどころか邪魔者扱いされている」ととらえてしまう。
そして、夫に対して「私に悪い所があるなら直すから話して」と言っても「そんなものはない」と相手にしてもらえない。
妻は自分が、もはや夫に相手にしてもらえないほど愛情が薄いのか、と感じてしまう。尊厳の破壊。
また他の時には男は妻に対して「おまえは怒るとこわい」というのを表現するときに、鬼がツノを生やすポーズを取る。
妻はこれを「デーモン呼ばわりされた」と受け取る。
よくわからんけど、アメリカの上流階級では「虐待」とか「家庭内暴力」としてみられるらしい。
結果として、妻は夫の愛情を感じられないどころか悪魔呼ばわりされ、人格をズタズタにされて麻薬に走る。
そして、後に回復した妻は、夫に対して多額の慰謝料を要求し、裁判所がそれを認める。
男は一生かかっても払いきれない額を、コニュニケーションの不一致の代償として背負わされることに成る。
日本じゃ考えられないよね。
お互いの性別のことをあまりにも知らなさすぎ。
どっちが悪いってんじゃなくてとにかくどっちもわかってない。伝えもしない。
ただ自分は悪くない、相手はもっと自分を尊重し、理解すべきってそればっかり。
よく女は被害者だっていうけど、無責任という点では女のほうがひどいってことも指摘しておきたい。
理解するのめんどくさいからレズに走る女の人は実に賢いと思う。
そのかわり男女のめんどくさい点に関わることから遠ざかってる以上、わかった口きかないで欲しいけど。
いつもいつもいつも思う。
偉っそうに、はてなで男と女の問題語ってる奴ってのは所詮極東の島国の小さな常識の是非を語ってるに過ぎないって。
たまにアメリカの文献持ちだして日本の批判してる奴も、あれ絶対向こうの国の良い所しか見ないでいってるよね。馬鹿らしい。
だから、こういう意見を書いてるやつらはそんなに現状が不満ならアメリカにでもいけといいたい。
そんで男は訴えられて賠償金を背負い、女は旦那に撃ち殺されればいいよ。
横だけど、別に上流階級でも何でもないが「支那そば屋」なんて打つ機会まずないんで知らん
つーか、支那そば屋店主とかラーメン業界人とかマニアでない限り
書く機会なんて無い単語じゃね?
普通の人がどういうシチュエーションで「支那そば屋」って書くんだよ
地獄のミサワ的な言い方になっちゃうけど、いまさら感が非常に強い。
ATOKの変換語彙自主規制は90年代半ばにはすでに実装されていて、
その規制語彙の一覧などを見れば、
一度も気づけないなんてことが考えにくいほどに無茶な規制を組み入れている。
”不快表現、差別語なんて一般的な場面ではつかわねーから気づくわけないだろ!”
たとえばラーメン店の屋号としてつかわれる支那そば屋の支那をなぜ変換できないのか、
なんてことに人生で一度もぶち当らないで済むような上流階級の貴族様や、
ぶち当たっても変換できないのが当然と思ってスルーしてきたような問題意識の乏しい人が、
だれかがATOKに変換語彙自主規制が導入されていると言っているのを耳にして、
にわかに「20年来のパートナーと別れる」なんて言い出すのなんて、だっせーなとしか思えない。
古女房がプロ市民として長年活動していることを他人から指摘されて初めて気づいて、いきなり離婚すると言い出すような。
程度の差こそあれ、MS-IMEにも表現規制は導入されていて、
メーカー側の勝手な配慮により自動変換不能にされてる語彙は少なくないことからすれば、
他に十分な変換機能を備えたまともな選択もない以上、実際に使う使わないかは別として、
ジャストシステム様が「おめーらには使わせてやんねえ」とのたまってるド下品な語彙リストを
ユーザー辞書としてぶち込んで抵抗してやるぐらいのことしかできない
・・・はずだった状況もGoogle日本語入力が登場するまでの話で。
盲滅法もつんぼ桟敷も一発で変換してくれる素敵な変態IMEのGoogle日本語入力があるんだから、
http://anond.hatelabo.jp/20101127161128
誰も言わないことだけど。
格差社会とか言う割には、政治を動かす立場の人間たちが皆金持ちだらけになってるじゃん。
いつの間にか国会議員、都道府県議会議員、市町村公務員が世襲だらけになってるじゃん。
そういう人間たちの子供も小さい頃から私立の難関中高一貫校育ちだったり、スポーツの英才教育受けてたり、親のコネで将来の進路が安泰だったりするじゃん。
フィギュアスケート、ゴルフ、カーレースとかで世界のアスリートと張り合えるようになるには実家が金持ちじゃないと無理。知ってた?
勉強して這い上がろうとしてもゆとり教育導入された上に教育予算削減されて、公立の学校で勉強するだけじゃ社会に出て有利な大学に行けない。
そんな大学に行けそうな難関国立高校とかトップ公立高校に行こうと思ったら塾通いしまくらないと無理で結果的にお金がかかる。
で、努力しまくって公立の学校から社会に出て有利な大学に行ったとしても就職決まるのは実家が裕福なリア充だったりするじゃん。
毛並みのいい育ちしてる連中と話題を合わせるのに苦労してる間に非コミュの烙印押されて排除されて、
けっきょくそれなりの大学行ったのに親とたいして変わらない仕事に就くじゃん。学力じゃなく育ちの部分で敗北するのがオチ。
上流階級はどんなものを食ってるか、どういう習慣を身につけてるか、どういう人間と交流しているかが知られるようになったけど、
もう時すでにお寿司ってことでお疲れ様でした。
時間増殖炉の根底を覆す離散的思考の結末が情け容赦なく溶解したる顕現者の両眼に生え聳え立った。重大なる異端者達の反発と溶鉱炉の底に眠る擬似創造主のミイラによって成し得た数世紀前の芳醇なる家庭崩壊は今まさに世紀末の老害となって三千世界を標榜する補助器具と共に虚空に青白い虹を描く。螺旋状の頭髪によってしたためられた古代の暴言は男女の偽りを越えて未完成の容器に埋もれた受難の歴史を彷彿とさせる。怠惰によって奮起された仮想動物の骨髄を三分間凝視することで隣人は体液の大半を失い上流階級の隔壁は霧散する金銭の権化と変ずる。倒壊したる我が待ち人は孤独を得てなお隆盛を極め堕ちゆく残滓を必死にかき集めながら朴訥なる教育機関に絶大なる意見を発する。事情を知らぬ犬は後ろ髪を束ねて永遠なる忠誠を誓い、一方獰猛なる電話は破壊と二日酔いを繰り返しながら最後の審判を下す。天から舞い降りた二重苦を背負ったスピーカーは約束された言葉を紡ぎながら迷惑千万な独走を止めない。終わらざる回診と大名行列が三軒先の通りを横切った後、部分的に標榜する時事ネタを頓着なしに信用した教祖ははためく裾を足元にまとわりつかせ皆と昏睡に耽る。芸術的なる忘却が明日の占いを逸脱し、爆発的な向上心が新居に佇む彼の妻を目頭からゆっくりと引き裂いて緩慢に揺らがせる。冷静なる胞子に包まれた赤子が両手に握っていた真紅の暖簾を振りほどき広がりきった面妖なるボスに個人的な報復を誓った日は満月だった。大海を飲み込んだこぐま座から西へ三歩進んだところにあるカリフォルニアは目覚しい発達を遂げた時点で蝋燭の灯の中で抱擁を重ねるのだった。斜陽の陰に隠れて耄碌した化物たちが手に手を取って乱気流から漏れでた小さな粒子を手のひらから姑息に吸収しつつ未完のとぐろを真似したハサミが突き刺さる壁に象徴された弁護士を祝う。
正確には、庶民ほど女の権利が強く、上流階級ほど弱いんだよね。
上の方だと女は男の所有物だし、息子は父親の所有物だし、次男以下は長男の所有物。
「結婚を前提にきちんと付き合う」くらいで十分だな。
形式的な婚約なんていまどきやる奴のが少ないだろ。
上流階級の人はどうか知らんけど。
あの連中の、何でも「欧米だから正しい、日本だからダメ」という態度は日本で頑張っている人間を馬鹿にしているし、何よりも「欧米」の中でも自分たちにとって都合のいい部分だけつまみ食いして「日本から出れば全て解決する」みたいなデマを煽る奴も信じる奴もとことん腐ってると思うからね。そんなにあんた達が言うほどみんな「グローバルエリート」になりたいなんて思ってないし、起業して金持ちになりたいなんて奴は最初から一握りだろうとか(ああいう連中の「起業」には町工場や飲食店を開くことは絶対含まれてないよね)。
元増田です。ああ、そういう風に取られるかと思ったので補足。
私が「英語の時代」と言ったのはそういうことではなく、現在先進国の人間が誰でもその国の公用語を「国語」として、日常会話から高度な話題に至るまで読み書きできるようなことが英語において起こりうるということはないということです。中国語圏での北京語、アラブ圏での古典アラビア語、スイスでのフランス語、そういったものの地位に英語が就くことは無理です。その外の世界では英語をしゃべる集団が社会の中に形成されていないし、テレビやラジオで聞きかじっていれば身に付くなんてのはヨーロッパのゲルマン語圏でもなければ無理。
そして、エリートが英語の読み書きを寡占する状態なんてのは続きません。アンデルセンが偉人たる所以の一つは、作品を「デンマーク語で」書いたこととされています。当時デンマークでは、上流階級はフランス語、中流階級はドイツ語を話していてデンマーク語は下層階級の言葉のように扱われていたわけです(現代で敢えて近い例をこじつければ、台湾での北京語、客家語・台湾語、その他少数民族語の状況ぐらいでしょうか)が、こうした努力によってデンマーク語が独仏語にも劣らない機能を獲得することができたわけです。
「英語の支配」とは帝国主義まっさかりの19世紀に世界が逆転することです。そんなことを長く世界が許すはずはないでしょう。そして英語一極支配を肯定している「現地人」はそのうち必ずや顰蹙を買うことにも気づくべきです。
相対的少数派の東アジア、アラブ、東南アジアの大半なんかの人々だけが英語の支配する世界から取り残されていくと考えるべきです。
それだけの人間が世界の人口に占める比率は決して小さくないどころか非常に大きいわけですが。過半数になりこそしないかもしれないが、大雑把に見て3割は堅いでしょう。
となれば、たとえばアラブが(古典)アラビア語、東アジアが漢文、東南アジアがマレー語あたりで固まったとしてもこれは「ガラパゴス」とは言えず、むしろ現在の経済発展の流れが続くならばEUを上回る経済圏が出現することになる。これは「グローバル化」ではなく世界の「ブロック化」であり、つまり「英語」は「国際語」のうちの最大勢力ではあっても支配言語ではなくなってしまうわけです。要するに英語の影響力は弱まる。
ちなみに現在でもヨーロッパ人は「EUの共通語は英語よりもむしろフランス語」と意識している人は少なくないし(建前としては全言語が共通語)、アラブ圏での古典アラビア語は中国での北京語のようなもので、この地域の経済発展に伴ってこれらの言語の力が強まりこそすれ弱まることはないはずです。また、ブラックアフリカでもスワヒリ語やズールー語、東南アジアでもマレー語やインドネシア語の力が同様に強まるはずです。その方が自分たちの固有の文化(多くの場合言語も)に近いわけで、「近代語」をエリートに独占されずに誰でも学べる形になるわけですから(国民国家の出現と教育制度の整備に伴い、読み書き能力をエリートが寡占していた状態の破壊が進んだことを思い出してください)。
日中韓なんかでは確かに「そのような流れは一般化しえない」かもしれないけど、そんな地域は少数派なんだよ。地図帳と統計資料見ようぜ。インドとアフリカの人口なめんなよw
あなたに言われなくてもその程度の数字は知ってますけどね、日中韓の人口もなめんなよということです。こういう物事というのは多数決で決まるものじゃないのでね。
スペイン語、フランス語、ロシア語、ウルドゥー語etc.の「そこそこの努力で英語力を得られるインド・ヨーロッパ語族の言語を(少なくともエリート層は)日常的に使ってる地域」なんだよ。
残念ながら同じインド・ヨーロッパ語族であっても、ヒンドゥー語やウルドゥー語やペルシャ語は英語と文化が違いすぎて、もはや英語は「学びやすい言語」とは言えない。「難しいとは言えない言語」程度だ。トルコ語は日本語と文法が類似しているというが、日本人がトルコ語を理解するためには、イスラム教やオスマン朝のことをかなり体で理解しなければ礼儀作法といった文化コードまで含めたレベルでの習得は極めて困難だろう。それと同じ壁が存在する。
あなたも言ったように、高度な英語力を身につけられるのはエリート層にとどまり、それに対する非エリート層の不満は経済発展につれて急激に高まることは容易に想像できる。