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はてなキーワード: 一学期とは

2010-09-03

進学校で。

http://anond.hatelabo.jp/20100901214320

これを読んで書きたくなったが、おそらく元増田にとっては何のアドバイスにもならないであろう私の高校時代の思い出話。


高一では友達がたくさんできた。

珍しくスクールカーストで言うところの「下」の人種が多くて、心ゆくまでのびのびとできて毎日楽しかった。オタ充だった。

ただ残念ながら男女グループだったので、次第に大学のダサ文化系サークルのように片思いや嫉妬や疑念が渦巻いて一年もしないうちに空中分解するんだけど

自分は皆の相談役(笑)というポジションに立ち誰からも嫌われないようヘラヘラと立ち回っていた。これはひどい


高二の時は、クラスに高一の時の友達が全くいなかった。

しかし同じ中学でうっすら仲の良かった子(A、B)がいたので苦労しなかった。スイーツ(笑)だった。

二学期ごろからAの親友Cと、その友達数人が仲間に入って、賑やかしくお弁当を食べるようになったんだけど、

私はどうしてもCのことが好きになれなくて、Cもそれを感づいたのか、思いっきり私に対して冷たくあたるようになった。

それに伴ってAも私に冷たくなり、AとCは「私にこのグループから出ていって欲しい」というような態度を暗に示すようになった。

私は私で「誰がてめーらのために出て行くかぼっちになんかなってやんねーぞバーカバーカ」みたいな意地だけで大して好きでもないこのグループに食い下がっていた。

Cの連れてきた友達は極力中立的に接してくれたけど、相変わらず私とは友達以下の関係だったので毒にも薬にもならず。

そんな中Bだけが変わらず私と仲良くしてくれたが、今思えば板挟みでかなり苦しかったんじゃないかと本当に申し訳ない。


そんなこともあって、高三の時はもうクラス内でのお友達作り(笑)をしなくなった。ぼっちだった。

AやCは顔が広かったから、クラス内に彼女らと仲の良い子がたくさんいて「この人たちとは絶対仲良くなれない」という先入観が凄かった。

クラスには同じくぼっち女の子がいて、仲間分けする時なんかは一緒に組むような関係になったけど、

かといってそれ以上の友情に発展することもなく、最後までお互い苗字で呼び合っていた。

私は彼女の隠しきれない強烈なオタク臭がどうしても生理的に受け付けなくて、

彼女もまた私のそういう不条理な蔑視を感じ取ったのか、それ以上踏み込まないでいてくれた。文句も言わずに。

一学期の始めの頃なんかは二人でお弁当を食べたりもしたけど、お互いダルくなって、いつの間にかそれぞれ他のクラスにお弁当を持って出て行くようになった。

そんな利害が合致しただけの付かず離れずの冷たい関係が、すごく楽だった。

高三のクラス孤立していた私達に優しかった。

いじめるでもなく、突き放すでもなく、私が彼らに無関心なのと同等に彼らも私に無関心でいてくれた。

それでいて掃除当番やグループディスカッションで話す必要があったときも、不思議嫌悪感は伝わってこなかった。ほんとに普通だった。

クラス全員がやたらと仲が良くて、体育祭文化祭でも団結してる中で私と例の子だけが浮きまくってたし、

こちらはクラス全員と二言三言交わしたことすらあったろうか?ってレベルの薄い付き合いしかできなかったけど、その薄さを薄いまま許してくれたというか、

それどころかたまに話すと持ち物ほめられたりなんかして、「あれ?自分そんなに嫌われてなくね?」って調子が狂って、

「こっちが勝手に拒絶してるだけなのに、えっと、なんかごめん!」と帰宅後にふと反省させられるような、いい人たちだった。


上京して入った大学では何もかもが自由だった。リア充だった。

高校ではバスケ部マネージャーだったという元「最上位」な友達ができて、「スクールカーストって何だったんだ…」と呆気にとられつつも彼女と毎日バカやってた。

そんなこんなで三年生になり、私と彼女は別々のゼミに入るのだが、彼女が入ったゼミに「高三の時に私と同じクラスだった」と言う男の子がいたというのだ。

飲み会の席で「○○さん(私)と仲いいよね?」と話しかけられたらしい。

それを聞いて「えっ?誰だっけ?てか同じクラスだったの?その人」というと「ひでえwww普通同じ高校から同じ大学行った人って分かるっしょwww」と返された。

ということは学部も一緒で何度か講義室でも顔を合わせてるはずなのに全く気づいてなかった。

そりゃそうだ。こっちは顔すら覚えてないんだから。

彼に言わせると私の高校時代の印象は「なんかめっちゃ頭良さそう」だったらしい。

「君ね、それは違うのだよ。ぼっちって休み時間やることねーから机に突っ伏すか宿題やることぐらいしかできないのだよ。当時は赤点スレスレだったっつーの」

とでも言い返してやりたいが、そんなことよりどう見てもリア充の彼がどう見てもぼっちな私の顔や名前をしっかり覚えていたことが衝撃だった。

しかもわざわざ自分から話題に出すということは、お世辞抜きにしても元々そう悪い印象を抱いてなかったんだろう。と思う。

対する私のこの認識のなさ。恥ずかしい。ごめんね○○くん。顔知らんけど。


その後リア充の彼とは何のフラグも立たず、最後まで彼の顔は分からないまま卒業した。

今振り返っても、高校という場所で、クラスという場所で、私はどう振る舞えばよかったのかよく分からない。

友情ってなんだろうね。

2009-07-27

誰がための「オシャレな男子」なのか?

連休の初日に伯父の家族がやってきた。伯父には三人の子ども、つまり私のいとこが三人いるのだがその真ん中、今年14歳になる男の子がおもしろい。毎回会う度に、よくいえばオシャレな男の子に、悪く言えばケバイギャル男に変容していくのだ。その変化は普段会わない私には顕著に見える。最初はさりげない細部に変化の兆候があったのだが、このところはもう開き直ったか、私に会うときだろうとお構いなしにその変化の度合いを見せつけてくる。

思い返せば私の中学時代も、この年頃の成長というのは、まだ男子の方がその速度において男子を圧倒していた。夏休みの登校日や新学期の初日、一学期にはピンク色の亀頭をなびかせていた清純そうなあの男の子が、当時の私たち女子には想像の付かない「一夏の経験」を経て、趣味の悪い赤紫になっていたり。とにかくいろいろあるものなのである、14歳というお年頃。考えてみれば14とは中二であり、文字通り女子が中二病を患っていたそのころ、同年代の男の子性病にかかってどんどんいろいろな成熟をとげていたというわけだ。

閑話休題。案の定、一昨日も彼女は前回から一段と「イケメン」になっていたのである。それでついつい、私は言ってしまったのだ。彼の淡くそまったピンク色の乳首を横目に「自分の男の価値気づきやがって」、と。下ネタへの耐性などまるでないアットホームな伯父の一家が一挙に凍り付き、シーンと静まりかえった中にその子のち○こビンタだけが私の頬で鳴り響いたのは、言うまでもない。

折角の夏なので雄大な青い海の広がる南の島にでも行きませんか?

交通旅費などの費用は全て私が出しますので安心して下さい。まずは今月中に一度会って欲しいと思います。是非とも今年の夏は私と一緒にエンジョイしましょう!

↓続きを見る・お返事を出すにはこちら↓

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2009-03-01

留学について思うこと

個人的には見識を広めるというのも一つの利点であることは否めない。だが、しかしながら私は文系科目で(かつ学部で)留学というのは少し反対である。

1.留学必然性はあるのか?

聞いた話によれば確かに大半の日本大学文系は行く価値のないモラトリアムかもしれない。だがそれはアメリカだって同じことだ。アメリカ人日本人に比べて勉強する、これは神話である。アメリカ人勉強しない。もし君がアメリカ人勉強しているように見えたのであればただ単に君がとてつもなく不真面目で英語能力がないだけなのではないかと私は疑う。

アメリカ人勉強する連中は大抵Pre-medやそういった専門大学院に行く連中だ。そういった連中ははじめから成績がいいし頭もいい。そして勉強しないことで発生しうる不利益大学院に行くことによって得うる利益を知っている。誰だって高給の職業に就けるのであれば努力するだろう。もし専門大学院にいけなければ彼らは可哀そうなことにみじめな職につかないといけなくなるのだから(これは彼らの専攻に関係している。そして高給の職に比べたら大抵の職業はみじめだ。労働に貴賎はなくても労働価値に違いはあるし労働賃金にも違いがあるのは事実だ。)

工学部連中勉強する。いや、勉強しない連中工学部に残ることができないと言ったほうがより正しいだろう。アメリカでは卒業するために評定平均でC、そして専攻科目ですべてC以上を取らなくてはならない。悲しいことに勉強しなければ工学部卒業できないのだ。確かに遥かに羨望に値するぐらい勉強をしないで私より良い成績を残す人はいる。だがそんな人間はめったにいないし、君はたぶんそんな人間ではない。勉強をしない連中は大抵はじめの一年目か二年目の半ばに専攻を変えてゆく。彼らにははじめに選んだ専攻に固執するだけの思いもないし所詮彼らにとっては大学なんてモラトリアムだ。

再度言おう。アメリカ人勉強するというのは神話だ。アメリカ人の中には勉強をするモノ好きもいる。そして大抵の彼らはいい成績を納めるしいい大学院に行くか有名企業就職することとなる。だが君が知っている通り大抵はしょぼい企業就職する。それは日本と同じことだ。

不幸なことにGrade Inflationは深刻である。君はもしかしたら卒業できるだけの知識はないのに卒業できてしまうかもしれない。ド田舎から来た少年少女は誠心誠意モラトリアムに励むことになるだろう。彼らは、しかしながら卒業しなければならない。しかし彼らは勉強をしない。大学は彼らから授業料を得たいし、彼らが長く大学に在籍することを望んでいる。解決方法は簡単だ。彼らに不相応な成績を与えればいい。授業の内容を簡易化し、宿題を減らし、Extra Creditを与え、そして不相応な成績を与えている。日本大学で授業の参加しなくても卒業できるように悲しいことにアメリカ大学卒業するということは考えているほど難しいものではない、もし君の母国が英語であったならば。

だが不幸なことに、まことに不幸なことに君の母国は日本語であるはずだ。もし君がアメリカで生まれて、もしくはアメリカ高校を出たりしたら少しは変わってくるのかもしれない。だが日本高校を出て大学受験をしていた君には、そして私には簡単は簡単ではないし、なかった。君がいま格闘している英語教科書...それは悲しいほどに簡単だ。そして君の語彙力は悲しいほどに乏しい、もし君が私と同じ程度の語彙力であるならば。私の高校では英語の単語帳はDB4200だったと思う。私はそれのほとんどを記憶したしTOEFLの単語帳にある単語の半数は記憶した。センター模試英語コンスタントに180以上だ。TOEFL CBTのreadingのsectionでは27/30ぐらい実力はあった。けど約束しよう。TOEFL無意味だ。SATかACTを受けろ。もし君がSATもACTの知らないのであれば留学は止めておいた方がいい。SATは君の英語能力を悲しいほどに否定し君が一流大学のいけないことを証明してくれる。SATは悲しいほどに克服するのに時間を要する。君が大学受験と併用してSATの準備をできるほど優秀か否かにかかっている。私はそれほど優秀でなかった。私の英語能力のなさはSATによって証明された。偏差値60は無意味だった。だから私はしがない大学工学部に通っているわけだが。

大学入学後君は語彙力のなさ、英会話能力のなさを思い知らされる。たぶん君は他の留学生のように英語の汚さを堂々と曝け出ししゃべることはできないであろう(非英語圏外国人英語は何を言っているかいまだに苦労する。)もし君が文系ならばそれは致命的だ。君はたぶん可能な限り多くの授業をとりたいと思うだろう。年間安くても250万以上かかる留学を少なくとも4年するわけだ。それはとても安くはない。だから君はより多くの単位を取ることになる。しかし君は文系だ。文系科目はより多くの読書課題が課される。毎日のように課さられる読書課題は君を不幸へと誘ってくれるだろう。もし君の母国が英語てあったなら...君はそうは願わずにはいられない。多くの文系科目を取れば取るほど君は多くの課題を課されるだろう。君はavoidance-avoidance conflictに陥るわけだ。

そして君は選んでしまうかもしれない。勉強しないことを。勉強をしないという選択は甘美なほどに甘い選択だ。君は最初の1年を乗り越えられれば(私のように一学期に21単位も取ったりしなければ)、君はたぶん生き残ることができるかもしれない。だが君は本当に生き残られるのか?君が1時間かけて読んだ課題を君のルームメイトはたった10分程度で読みそして授業で全く内容を触れられなかった悲しみを君は耐えれるのか?日本から来たお気楽なEchange Studentsは遊び勉強をしないで君に甘い蜜の匂いをかがせるのに?そして親切なアメリカ人は君をパーティーに誘うだろう。それは親切な心からだ。そしてパーティーを断ることのできない君は翌日悪夢現実となるのを分かっているのに?そして高校で別れた君の大好きな友達たちは日本の簡単な大学に行き、君にとてもつまらない事実を教えてくれるのに?君の懐かしい友達は簡単なモラトリアムを謳歌しているのを聞いて君は耐えられるのか?君の友達が恋人ができたと教えてくれた時に君は何をしていると思う?たぶんだが君は宿題を諦めて寝ているか諦めないで宿題と云う名の怪物に挑んでいるかだ。再度問う。君は耐えられるのか。もし君が求めているのが単なる幻想ならば日本大学に行け。それが君の幸せだ。

君は海外で働きたいと思っている。よし、考えろ。君はどんな人間就労ビザが発行されるか知っているか。どのような要綱にそってビザが発行されるか知っているか。君はしがない文系人間ビザが発行されると思っているのか。ぐぐってみよう。まずはそれからだ。私は専門家でもないから正しくないかもしれない。だが国内で調達できる人間海外から調達する必要があるのか。だったらもっと安い中国人インド人にやらせればいい話だ。文系の君を雇う必然性はない。君は安易な留学という選択をしたことに後悔したことに気づくのにはすでに遅すぎた。

2.だったらどうすればいいと君は尋ねる。 に続く。

2009-01-16

http://d.hatena.ne.jp/kaz_ataka/20090116/1232032405

優秀な学生は学部と修士学位をとるらしいがどうやって取るのか、第三者視点から説明してみる。

ちなみに卒業に必要なのは126から128単位普通建築普通の学部と違う(通常は5年制)

要因1:アメリカ大学には夏学期がある。

通常アメリカ大学卒業するには60単位程度の一般教養工学部とかだとほとんどが物理数学系で全然一般教養ではない。)と60単位前後の専門課程で構成されている。夏学期の間に一般教養の科目をとることによって、卒業年数を減らすことができる(減らさないで自分みたいに関係ないコースをとるまくる人もいる合計190単位取得予定)。

要因2:一学期あたりに取得できる単位に制限はない。

日本人でこれをやるのはほぼ自殺行為だけど事実上一学期間に取得できる単位に上限はない(けど成績が優良でなくてはならないのは当たり前)。たとえば自分みたいに一学期に21単位とれば一年に42単位、三年で卒業できる計算。夏学期をとればたぶん2年半で卒業できる(ものすごく辛いが)。

要因3:単位制である。

要因4:修士論文研究を4年時の夏(すなわち3年が終了したあと)に始めることができる。

修士論文研究を始める時に学部制であるにもかからわず有給研究を始めることができる。でステータス大学院生になったときそのままリサーチアシスタントとして学部か教授に雇われることになるからさらにお得。

要因5:大学4年時に大学院単位を取得できる。

一定に制限はあるものの学部生のステータス大学院の授業を受けることができる。

要因6:奨学金豊富

アメリカ市民である程度優秀(たぶんこの優秀って意味日本人感覚に優秀ではない。)であるならば簡単に奨学金が出る。バイトしなくてもいい。


けどそれ相応の努力と忍耐も必要だということは認識しといたほうがいい。日本文系みたいに遊び呆けているアメリカ人はいっぱいいるけどね。(アメリカ大学生勉強するってのははっきり言って神話

2008-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20081230060518

いや、「プログラミング」という行為を学ぶのにポインタという概念は、隠せるほどのものでしかないのだから、Cは2番目でいいだろう。

ちなみにおいらはCから習った。だが、一学期目はポインタという概念使用しないで済むように習った。なので、文字型は習ったが、文字列は習わなかった。

2008-08-24

のぶなが事件簿

小学生のころ、のぶながという友達がいた。

そいつのことについて勝手に書こうかなとおもう。

いつも黄色い半ズボン姿に、Tシャツを着ていた。

ちょっと小太りな男子だった。

そんな小太り男子引き起こした、印象深い事件だ。


5年生の一学期夏休みが始まろうかという頃、

先生がある漢字テストを行った。

そのテストには、3回挑戦できる代わりに、必ず満点を取ることが要求された。

満点が取れなかった生徒には、夏休み宿題が追加された。

出題された漢字を1日1ページ。約40ページ埋めて提出すること。

なかなか凶悪な宿題だった。



のぶながはそのテストに落ちた。

そして、漢字40ページの宿題が追加された。

3人くらいしかその時落ちなかったが、このときはまだ

のぶなががあんな面白いことになるなんて、思いもしなかったよ



夏休みが終わった。

みんなが夏休みの工作とかを持って元気に登校してくる。

のぶながもやってきた。いつもの半ズボンで。

朝の会を終えて、担任がいよいよ

漢字宿題、やってきてるよなぁ。。ここ持って来て」

と言った。

結果、3人中やってきたのは1人だけだった。

のぶながもノートを持ってこなかったようだ。

忘れてきた2人は起立させられた。

担任は若干切れ気味で、「やってきてるんか?ノート忘れただけなんか?」

と凄んでいた。


今考えると、この担任も少しおかしな男だった。

男子からはキャッチボールの相手してくれたり一緒にドッチボールしてくれたりで、

けっこう人気があったが、お気に入りの女子をよく膝の上に乗っけていたり

セクハラっぽい言動もちらほらだった。

この前久々に地元に帰ったら、生徒に手を出したが断られたことに逆切れして

相手の親の車をめちゃめちゃにしたとのことで、逮捕されてた。。

この日はまだ初日ということで、つるし上げも10分も経たないうちに解かれ

2人は席に座ることができた。


2日目、3日目とプレッシャーがかかるうち、

のぶながじゃない方のやつも、ノートを持ってきた。

明らかに徹夜して書いたっぽい、目にクマができている。


のぶながは、まだ持ってきていなかった。



4日目、のぶながはまたノートをもって来なかった。

担任は、ぶちぎれた。



「やってあんのか?え?おい!」



宿題のカツアゲだ。



「やってあります」


のぶながはこの4日間、一貫してこの言葉を発し続けていた。

もともの口数の少ない、ただの小太りな男だったが、

凛とした表情で、繰り返していた。


「やってあります」



その言葉に、担任も3日は我慢できたのだが

4日目で限界が来たのだろう。

ぶちぎれ具合が半端じゃなかった。


「お前、やってへんねやろ!?おい!!」


起立したのぶながを、なぜか教室の隅に追い詰める担任。

のぶながを教室の隅のピアノのところまで、追い詰めた担任は

両手を振り上げると、のぶながの顔を両側からビンタした。

ビンタしたというか、ものすごい音を響かせながら挟み込んだというべきか。


のぶながの鼻から相当な勢いで鼻血がでてきた。


完全に静まり返った教室の中で、ぽたぽたと鼻血を出し続けるのぶなが。

担任は鼻血だらだらののぶながにティッシュを渡すと一言、




「とってこい」



のぶながはノートを取りに帰らされた。

絶対やってあるはずないのに。

そして、通常とおり1時間目の授業が開始された。。


2時間目の授業が始まる前に、担任は少しおかしなことを言い出した。


「のぶながが宿題やってあると思う人、手挙げて」


誰も、あげなかった。



「な、やっぱりそう思うだろ?」



こいつ、何がしたいんだろう。

給食時間になったが、のぶながはまだ帰ってこなかった。

家までは歩いて20分もないはずだから、明らかにおかしかった。

少し焦る担任。

同級生を数人連れて、車で捜索にでかけた。


のぶながは、家に帰れず、周りをうろうろしているところを保護された。

同級生と一緒に車に乗って帰ってきたw

この日は担任がちょっとびびってしまったらしく、

宿題は明日で良いから、ということになった。



5日目の朝。

教室は、のぶながの話題で持ち切りだった。

今日こそノート持ってくるのか、持って来てなかった場合何が起こるんだろう。

というか、担任の怒鳴り声を毎朝聞くのは最悪な気分だったので

早く終わって欲しいという声が大半だった。

のぶながは、遅刻ギリギリで学校にやってきた。



担任が教室に入り、朝の会が始まる。


「おい、今日は持ってきてるやろな?」


のぶながは平然と言い放った。


「すいません、わすれました」


した、を言い終わるかどうかの内に

担任はのぶながに内股を決めていた。

確実に一本だった。




「とってこい」




のぶながは廊下に追い出された。

実は4日目に車で帰ってきたときに、ノートはおばあちゃんの家に忘れていて、

夜持ってきてくれるみたいな話をしたらしいのだ。

だから、また取りに行かされた。


そして、1時間目の授業が始まった。。



2時間目が終わっても、3時間目が終わっても、のぶながは帰って来なかった。

そして、給食時間になり、担任は2度目の捜索に出かけた。

しかし5時間目に担任は一人で帰ってきた。

帰りの通学路にも、昨日見つかった団地の外周にも、のぶながはいなかったらしい。

のぶながは行方不明になった。


6時間目の授業も終わり、放課後になっても、以前消息は不明のまま。

帰り道にみんなでのぶながの居そうな場所に寄ってみたが、見つからず。

担任も結構焦っていたような気がする。

自業自得なのにw



一方クラスのみんなは、そんなに心配していなかった。

というか、毎朝のやり取りが面白過ぎたため、他クラスまで巻き込んで

ものすごい話題になっており、ついに失踪したことで

のぶながついにやっちまったw という感じだった。

陽の落ちた頃、担任は、警察に捜索願を出した。



夜中も警察と担任と、のぶながの親でいろいろ探していたみたいだが

翌日の朝学校に着くと、まだ見つかっていないらしいということだった。

担任は明らかに疲れている表情だったが、1時間目の授業を始めた。。



3時間目の中ごろ、いつも昼時のチャイムを鳴らす有線放送から、役場の広報が入った。

いつもは、地域の人の訃報とかが流れてくるやつだ。



でもこんな時間になぜ?


いまでも覚えている、とてもお茶目な放送だった。

こんにちは広報○○町です。

 ○○小学校の、○○のぶなが君が、現在行方不明となっています。

 黄色い半ズボンを履いた、やや太目の男の子をお見かけになった方は

 ○○町役場までご連絡ください。

 繰り返します。。」


クラスは爆笑に包まれた。



有線放送の甲斐なく、その日ものぶながは見つからなかった。

しかし、その翌日にのぶながは意外とあっさり捕獲された。

隣町のコンビニ朝ごはんを買おうとしていたところを、

なぜか親戚に発見されたのだったw

警察事情を聞かれたりして、のぶながはその次の日に帰ってきた。

しばらくの間、みんなのヒーローだった。


学校を追い出されたのぶながは、やっぱり家に帰れなかったらしい。

そして、隣の町までぷらぷら歩いて行ったとのこと。


隣の町には大きな古本屋があり、そこでやわらちゃんを全巻読破。

その後、近くのスーパーで晩御飯のかわりにソーセージ(魚肉)を買ったらしい。

夜となって、泊まるところといっても、ここは三重の片田舎

ラブホテルしかなくて、のぶながは、近鉄の高架下で一晩明かすことにした。


そして、高架下で、ダンボールを敷いて眠ろうとしたところ、

犬が近づいてきたらしい。ソーセージはその時取られたと言ってました。

そして次の日の朝、親戚に見つかり保護される。。


いろいろお騒がせな奴で、他にもいろいろな事件を起こしていましたが

このときののぶながはGJでした。今でもネタにしています。

2007-09-24

最近高校生

私の母校(公立の普通科)の話だけど、夏休みが短くなってるらしい

普通本州太平洋側のね)だったら9月1日に二学期始業だと思うんだけど、どうも8月27日には始業してたらしい

夏休みの間もお盆の週を除いて全学年一学期分の補習で平日の午前中は出校しなきゃならなかったらしい


これを伝え聞いて、何でこんなにゆとりが無くなっちゃったんだろうって思ったね

高校生ホイホイ

2007-02-01

はてな匿名ダイアリー自然状態ですね

http://anond.hatelabo.jp/20070131154754

の書き主です。TB先をDisったつもりが、私がエサになるなんて、ヒィ~。なんていうか万人の万人に対する闘争というか、自ブログでこれやっちゃってたら泣いてるし。なんだけどここではdisるなり電波飛ばすなりがお作法のようなので、迷うことなく電波飛ばしてやる。

 とり合えず志望校先に書いとく、上智大学の神学部神学科。志望動機は端的に言うと神学とラテン語両方勉強できるから。

 長くなるけど以下に志望したまでのいきさつというかグダグダと、前に書いたエントリについて書きます。

 まず先のエントリを書いたのは、向こうの書き主がうじうじしてたのでdisりたくなったから、あと受験生って立場から見てどんな大学であれ大学入ってる人がうらやましかったから、あと遊んでる子が気になるとか三流私大がなんだって自分も思ったことあるしょうのないこと気にしてるから当てこすってやろうと思ったの、ってこれなんて反省文。なのに当てこすり部分きつくして書いたもんだから(タイトル含めて)、TBもらうは、ブクマコメこんなにもらったことないというか手厳しいコメもらうとやっぱ凹むね、匿名でも。というか、TBくれた人みたいに素直に書けばよかったわけね、ほんと私は素直ではとってもない。

 あとリアル学歴云々の話がタブーであるのもよくわかった。というかTB先の人の不満というかその大元になるもに私‘も’3年曝され続けたわけですがといまさら被害者面かよ!といわれるのイヤだし、そういう後ろ向きなもの持ったままでいるのいやなので全部はいちゃう。

 にしてもたくさんTBいっぺんにもらったことないのでちょっと困惑する。

http://anond.hatelabo.jp/20070131162229

http://anond.hatelabo.jp/20070131170249

 まずはこのお二方のTBから、先に書いたように私の志望大学上智大学の神学部神学科です。試験英語世界史、現代国語のペーパテストに加えて学科での学習の適性を計る小論文面接です。あと、願書出すために司祭(神父様なり牧師様)の推薦状が必要です。受験資格キリスト教徒である必要はありませんが、その場合でも在学校の教員の推薦状がいるようです。(できれば学部、学科の教育内容について熟知してる方が望ましいと書いてありましたが、願書に)

 偏差値の方ですが各予備校ボーダーを確認すると、40後半から50前半です。例年合格最低点は学科試験の50パーセント程度です。いちよう上記の理由があって(受験者が限られる)偏差値が低いものと心得ています。

 あと、、高校二年生のときにオープンキャンパスの際ではありませんがキャンパスの方は見学しました。身近にOBが幾人かいましたのでその人たちからも大学の雰囲気などについて伺ってはいます。

 大学での講義の内容については、大学シラバス担当教官ホームページなりブログについては一通り目をとうしました。さらに大学、学科名でググって、在学生ホームページも3っほど読んでみました(というか二つはブログ)。

 予備知識については、ミッション系の学校での倫理の時間と課外活動でカトリック研究会に所属していましたし、昨年洗礼を受ける際にも勉強しましたので十分備えているつもりです。無論、一次の学科試験が終わればそのあと神父様に紹介していただいた書籍も読んでいくつもりでが。

 大学に入学後にはキリスト教倫理学日本での教会およびミッション系の学校での教育活動について学びたいと思っています。また、宗教科教員の免許習得を目指したいと思います。

 とここまで書けばOK?・・・・・・・・・・・・・・・・これじゃつまんないでしょ?あれだけきつい事書いたのに。

 これ一般の人向けの説明、予備校のチューターとかあんまし親しくない友人にはこの説明で押し通してる。正直神学部志望と言うだけで驚かれるから、無論上に書いたコトには一字一句ウソはありあません。宗教科の教員免許はとるつもりだし、日本において教会が関わってる教育活動は私が学びたいことの一つであるし、キリスト教倫理学は信者の一人としてカトリックの考え方もっと深く学びたいと思ったから。でも、上に書いたことはやりたいことの一部でしかありません。

 http://anond.hatelabo.jp/20070131174254

言葉に甘えて書かしてもらいます。自分の志望動機きちんと全部話をした相手は父親と母親あと推薦書書いてくれた神父さまの3人だけです今のところ、あとは二次の面接試験官にできる限りのことを伝えようと思います。

 というかキー打つのに少し疲れた。ごめんなさい書きかけだけどいったんうpする。あと誤解されてるのいやだから先に書くけど、私地方在住だし、Fランだの地方の中堅国立大なんて気にしてません、でも自分の選択にうじうじして割り切れてない人はどんな人だろうと嫌いです。

お昼早めに食べたので書き足します。長くなる気がするので読みにくいかも・・・・。

 まず、神学部を志望するまでになったいきさつというか、自分語りうざいって人は時間の無駄なので読まないようにね。

 上にも書いたように私は中学受験してミッション系の中高一貫校に入りました。中学受験は自分自身で決めたものでなく、母親に強く勧められて決めた物です。塾に通い始めたのは小学校5年生の三学期から、受験する子たちに比べとても遅かったと思います。もともとは、塾の進学コースでなくて補習コースからでした。小学校の算数のテストで酷い点を取ったのがきっかけです。確か比だとか単位換算?だったかな確か。でも点数はよく覚えてる、たぶん相当怒られたからだと思う。65点だった。塾行くの初めはすごく嫌だった。たったの週三回、学校終わってから8時ぐらいまでだったけど。でも、国語は得意いだった。基本的に本読むの好きだったから。6年生の5月ごろの学力テストでかなりいい点数を取って、上のクラスに上がらないかと塾の講師に薦められた。母親セールストーク真に受けたのと、たぶんその時褒められたのが相当うれしかったんだと思う、私も承諾して上のクラスに上がることになった。それから週三だった授業が週5、学校終わってからと土曜日は朝から、日曜日も私、算数と理科電気だとかの物理分野苦手だったので補習があった。きつい時あったけど、そんなにイヤではなかったと思う、今思い返してみても。ちっさいころから母親私の教育に入れ込んでた気がする。夏休みドリルとか、なかなか進まないですごく怒られたりだとかした記憶があるから、すごく嫌だった。そういうことあっての反動だと思うけど、夏以降も成績上がっていって期待されたり褒められたりするのが当時はとてもうれしかったんだと思う。秋ごろの試験で今までは考えられなかったような学校合格が見えてきて挑戦するかどうか決めないといけなくなった結局滑り止め含めて挑戦校も受けることになった。結局受けたところは全部受かった。挑戦校は受験したあと正直落ちたと思ってた。算数ぜんぜんできなかったから。合格発表のときはすごくドキドキしたし、自分の受験番号が掲示されてるのはとてもうれしかった。

 春になって、新しい制服に袖通して、晴れやかな気分で入学した。でもすぐに勉強ついていけなくなった。特に厳しかった英語と算数同様に苦手だった数学、正直できない勉強を教室で受け続ける苦痛はすごく分かってるつもりです。一年生の時から落ちこぼれですから。でも、それ以外の科目は基本的に社会であろうが理科であろうが大好きだったからそれに対しては不満持たなかった。でもほんと泣きそうだった。あの時学年でアルファベットとか負の数の入った計算学校に入る前にきちんとやってなかったの私ぐらいだと思う。意識の高い家とかだったら、入学後も勉強しないといけないのわかってるから、家で教えたり、早い人は中一から塾行ってたりするし。私結局中学一年の二学期に数学英語アカ点食らうとかすさまじいことして、落ちこぼれがこれで確定・・・・・三者面談だよいきなり、入学して一年目で、挙句英語担当外国人教師に親子ともども死ぬほど流暢な日本語で1時間近く説教されるし。大きなお世話かも知れないけど自分の娘、息子の勉強の面倒見れない人はこいう学校に入れない方がいいと思う。得るものたくさんあったし、これから書くけど勉強面では親子ともども苦労すると思うから。

 そんなこんなだったけど、三学期はがんばったのと数学先生のお情けがあったのでアカ点は免れて進級できました。2年生から本格的にクラブ活動だとか委員会活動できるようになったので、もうほんと逃げるように打ち込みました。勉強の方は試験前のできる子のノートコピー一夜漬け、平常点のある教科は稼げるだけ稼いでおくとか、あと数学とかは、はなっからアカ点救済の追試を見越してまったくやらなかったり。追試は本試とまったく同じ問題なので前日に丸暗記したし。こいうの学んだのはクラブの先輩だと委員会の先輩、中高一貫なので似たような人はどこかにいるわけで、だれそれ先生はこういった傾向の問題ばっかり出すとか、甘いから何点最悪取ってればアカはでないだとか、以下略。正直補講だとか補習のある先生テストで悪い点取ったら、委員会とかクラブに支障出るので必要悪だとも思うけど、だけどこのつけ払うために浪人するはめになったけど。友達づきあいも比較的楽しくできたと思うし、親友と呼べる子は少なくとも5人はいる。この子たちには学校の間だけじゃなくて卒業して浪人してる時も心配してメールくれたり、手紙くれたり、はてはお守りまで贈ってくれたりしてほんと感謝してる。

 色々得たし楽しかったんだけど、私中学卒業して同じ高校に行くかどうかはかなりなやんだ。学校勉強に正直付いていける気がしなかったから。ここでもネックになったのが英語数学中学三年生ごろから数学高校の内容になってたし、英検の準二級全員で受けさせられたし、ほんと私一人だけ落ちるんじゃないかと心配した。それにクラブのほうも高校生と一緒に練習するようになったんだけど、高校クラブの顧問が最悪のことに私の数学担当の教師だったの、ほんといちいちいやみ言ってくるしクラブ中三でやめちゃった。あと、公立の高校進学しようかと悩んでて親に行ったら当然止められるし、挙句そこそこのレベル高校ですら受かるわけないって言われた。うん、なんか前にTB送った人と似てる気がするからなんか突っかかりたくなったんだと思う。なんかすごいそのころイライラしてて友達とも仲悪くなった。というよりも、クラブやめないように説得してくれたり、苦手な勉強手伝ってあげるだとかの気遣いがすごく負担に感じられたから、今思えばすごく身勝手

 心理的な負担がたたって、拒食症気味になるは不眠、貧血リスカはしなかったけど、内科で自律神経失調症って診断されてお薬もらう、でも病人扱いされるのイヤだったし薬いっさい飲まなかった。学校休むこと多くなって母親と延々喧嘩した。喧嘩するのイヤで、遅刻上等というか重役出勤して、保健室入りびたり、おしゃべりしたり本読んだり、保健室の本読み飽きたら、図書室こっそり行って本読ましてもらったりした。図書委員で司書さんにかわいがってもらっていたので、あと好きな科目の授業だけでることはあった。でもその授業に出るとその後の授業にも必然的にでないといけなくなるのでなるだけいやな数学英語の授業サボれるような時に教室行くようにしてた。当時は体の状態ほんと悪かったのもあるけど病弱で押し通してた。でこのプチ不登校というかメンヘルというかは、中三の一学期おしまい。担任と父親と校長面談して高校に進学することになった。夏休み英語数学の補講つきだったけど。中三はこのまま終わった。数学の時間は一番前の窓辺だったけど授業一切聴いてなかったし、英語は授業中いろんな子にあてる先生だったけど、私には一切当てることなかった。まあなんです、自堕落の生活はそれはそれですごく苦しいです。精神的にきつい人は無理する必要ないと思うし、そういう人に向けての「がんばれ」は善意からのものであるのはわかるけどほんときついし、ただ相手を追い込むだけなのは身をもって体験した。やめよう、ねほんと自分で自分で追い込んでるワケだし、そっとしてあげるのがいいと思う、個人的には。

 高校に入って気分一新、クラスもたまたまメンバーががらっと変ったので勉強の方も立て直して結句がんばった。高一のときは成績真ん中ぐらい。相変らず数学の点数は悪かったけどね。だってIAまともにできてないの??Bなんてできるわけがない。三角関数とか言われても三角比からわかりません、下手すると因数分解もやばひぃ。でもまあ、そこそこがんばった。でそこそこ勉強やろうって子達とも友達になってこのまま高2、高3と勉強すればよかったんだけど、よりにもよって文化祭の委員に巻き込まれ、こういうイベントというか企画して実行するのってすごく好きだから入れ込んじゃってほぼ高2のときの気力やら何やらを吸い取られ、そのあとすぐに修学旅行あって遊びほうけて、高三春先の模試でみんな頭が受験生になってるのにボーっとしてて気づいてたら最後の模試の成績表が手元にあってE判定にわれに返って、勉強始めたら年明けすぐにセンター試験卒業式で二次試験不合格でなんか終わってしまってた。高校まではこんな感じ。

 で自分の将来について考え始めたのは、中学3年生の時のグダグダから、なんかやったらめったら本読んだんだけど、どの本から影響を受けただとかは当然はっきりはわかんないし、父親にしろ母親にしろと喧嘩するたびに将来どうするんだって言葉を投げつけられたりしながら考えてるのもあるのではっきりは自分でもやっぱしわかんない。なので、自分が意識できてる原因だとかきっかけだとかしかかけない。

 今でももっているのだけど私の志望は国際政治勉強したい、これは基本的には変ってない。これがどうして神学部志望になるかは自分でも少し不思議に思うけど、自分の進路確認するためにも長くなると思うけど書いていきます。

 影響を与えた本というか、色々悩んでた時期に図書室にあったマーガレット・サッチャー自伝を読んだのがある意味国際政治勉強してみたいと思ったきっかけだと思います。ほんとはもっとあるとも思うのですが、少なくとも当時の私はサッチャー生き方にかなり心動かされた。あと家の父親が学校勉強はできる必要ないけど、本と新聞だけはよく読んどけ、あとは好きに遊んでろ、って言っていたのも下地になっているとは思います。中学受験の頃から社会科はとても好きでしたし、中学校に入ってからも基本的に得意科目だったし、好きでした。あと、カトリック研究会に入ったのも社会化の先生が国際化の世の中だしわざわざミッション系の学校に通っているのだし、キリスト教のこと勉強するのもいいのじゃないのかと授業中に紹介されたのがきっかけだったし、当時はクリスチャンになるなんて思ってもいなかった。カルチャースタディーぐらいのつもりだったのに。

 中三ぐらいからなんとなく国際的な仕事となんか勘違いしてつんつんしてる子が抱きそうなゆるい願望から始まったわけですが、一度これと思ったら結構こだわってしまうタイプなので、図書室の政治だとかあと関係ありそうな新書だとかはその当時かなり読みました。

 当時読んだ中で心に残っているのは、アルビントフラーの「第三の波」と「戦争と平和」がかなりよかった。あと父親の書斎にもぐって文芸春秋バックナンバー読んだり、あと小室直樹とかいわゆるオヤジビジネスマンが読みそうな本をかなりがりがりと読んで、父親に生意気だとか結婚できなくなるとか、ガキがグダグダぬかすなとか言われてむくれる。全共闘崩れで心情左翼でそのくせ、根が女性蔑視だし、オヤジだし封建的だと反発して、日曜の朝だとかにやってる報道番組のたびに父親と喧嘩するようになる。朝まで生テレビならぬ、朝から生焼け討論。この当時母親あきれかえって口出しせず、弟は朝から難しい話すんなって愚痴ってました。小さな政府安全保障上の懸案の解決になぜか固執してた。当然ながら小泉首相は支持してた。ついでだから書くけど、安倍政権は支持してない。

 父親とのdisりっこもあったんだけど、当時読んだ文言春秋北朝鮮問題について扱った記事が引き金になって、安全保障論とか本格的に勉強したくなる。たしか、この記事「希望の国のエクソダス」とか巻末で連載されてた頃の記事だと思う。確かミサイル開発、核開発、麻薬だとか拉致についても書いてあったと思う。(調べたら1998年の記事みたい、読んだのはたぶん2001年ごろ)

 あと、2001年は私にとって大きな年だと思ってる。その年の4月に小泉政権になって、9月にはワールドトレードセンタービルはなくなってたし。12月には不審船事件もあった。かなり短絡的だあったことは今から思えばそうだけど、当時何度も何度も繰り返しハリウッドのそれこそCGじゃないかと思うような映像見せ付けられて、そのすぐ後に日本国籍不明とは言え外国船に実弾を打ち込む有様見せられて危機感を抱かない方がどうかしてると思う。で当時の私は防衛庁国家二種試験を受けて、安全保障についてかかわりのある仕事につこうと考えるようになった。当時から、防衛庁防衛省になると思ってたし、外交分野でも安全保障に関する必要性は増すと思ってた。なので、それを扱える人材の受容も増すとまで考えてた。その頃からネット使い始めてたので、検索して安全保障論できそうな大学探して志望校にしてた。きちっと決まったのが高二の時、国立大と私立一校ずつ当然両方とも受けます。第二志望と第三志望ですから。なのでこの時点ではまったく神学とかは考えに入ってすらいなかった。後すごいたまたまなんだけど、TBくれた人のTB先の江畑健介さんは知ってます、書籍も二冊ほど手元にあった気が・・・・・頭の上がチャーミングな方ですよね。

 そんなこんななんだけど、人より志望校早くに決まってたはずなのに上で書いたように学園生活をまんぴつしすぎて、現役の時は不合格でした。センターボーダーマイナス40点だったと思う。

 で当時はホンと凹んだのと父親に口ばっかし達者だし、考えに偏りがあるから反省しろといわれていたのですが、ほんと反省できました。同じ大学の後期試験を受けたのですが、志望動機などについての面接があったのですが、面接官は3人、一人は英語での面接担当、後でググッたりして調べたら、英語の授業の教官で結構右より、英語帝国主義論?みたいのこといってた気がする。とり合えずアメリカに媚媚するのが嫌いな人。もう一人は国際政治学が専門、残念なんだけど調べてもどなただかがいまだにわかんない。質疑応答主にした人だったのだけど、東アジアの地域安全保障について将来貢献したいしそのためにこの大学勉強したいといったらいたく気に入ってくれた気がする。そんでもってもう一人が一年次の導入の講義担当教官国際関係学国際法が主な研究領域かな?というかこの人によりにもよって大学面接で噛み付いてしまったんです。ほんと、センターの成績たいしてよくないから点数稼がないといけないのに、NGOだとかNPO、ようするに国境無き医師団のような活動についてはどのように考えるかと聴かれて、その役割過大評価する必要はない的なことをいってしまって、前の二人の面接官とは4,5回内容についてどんどん突っ込んだ質問が出てそれに答えって感じでうまくいってたのに、その質問いついては私が一回答えてそれでおしまい。一瞬にして部屋の空気が凍りついたというか、すごく不機嫌そうでした三人目の教官、なんか残り二人の教官のアチャーという空気も感じられ、いたたまれなくなったのか、少しの沈黙のあと、真ん中の教官におずおずとこれで終了ですといわれて退出しました。

 そのあと、校舎出て携帯取り出して即カトリック研究会で面倒見てもらってた神父様に電話して洗礼受けたいってなきながら電話してた。何というか懺悔ってこういうことを言うんだなというか、父親にも言われてたし自分でも少し先鋭化しすぎてたのもわかってたけど、自分の根拠のないプライドと自信はここで崩壊。ほんと帰りの電車で周りドン引きするのかまわずおお泣きしてました。情けないやら、悔しいやら、後悔やらほんとなんかよくわかんない感情。で上に間違って昨年と書いてたけどもう年越してるから一昨年です。なんか今までちゃんとしてこなかったことやらに反省して、他人に頼っちゃダメだとこの期に及んでまだ我をはって、周り止めるのかまわず自宅浪人した。うん、馬鹿なのわかってる。自分でも。

 まだ、一浪の時は自分で自分の責任で周りに頼らずがんばんないとなんてこだわってた。ほんと死ぬ気でやった。そこでわかったのは自分は自分の習慣なり感情なり欲望を完全に意志によってコントロールほど強くないってこと、正直自分自身をマネージメントできるのは一握りの人間だけだし、ほんとの意味で賢い人はこういうことできるんだろうな。あと、自分がいかに多くのもに頼らざるえないかも身にしみてわかった。家族にしろ気を使ってくれたし、教会に行くようになったけどそこの人たちにも励まされたし、友達にも心配してもらったし。自分で何か一人でやりきったというのは、ある年齢ぐらいまではそれでいいし自身を持つためにも必要だと思うけど、大人になるには捨てないといけないものだと思う。やれるだけやって大学受けて落ちた時は頭真っ白、センター英語いまいちの点数しか取れなかったのが敗因といえば敗因ですが、言い訳にはならないと思う。一発勝負なのははなっから分かってたワケだし、テンパってぐずぐずになるのはやっぱし演習が足ってなかったわけだし。

 で、正直地元国立試験終わってから出願できる大学考えてたんだけど、父親にもう一年やれその代わり予備校にも行って最善尽くせって言われた。ほんと贅沢だと思う。心配かけてるし。すぐに予備校に入るしたくして、昨年できてなかった数学といまだに苦手意識のあった英語がんばった。成績も一浪の時に比べたら少ししかあがってないけど、やることはやってきた。というか試験もうすぐだからこういうことは合格してから書けとか言われそうですね。というかあとは第一志望に受かれば万事OKなわけですが、上智の神学科に志望変った理由を書いてもう終わりにします。というかほんと長いね。相当フラストレーションたまってるんだ、わたし。

 神学部に志望が変った理由を端的に述べると、2001年にもってた危機感というかそういうものが変質したからだと思う。当時は隣の危ない国のことがかなり気になっていたけど正直それは些細な問題でもっとまずい物というか大変なことが起きそうだなと、予備校行きつつも読書はしてきてつもりだしなるだけいろんなところにアンテナ張ってきたつもりなのだけど、正直言うとまだぜんぜんはっきりしないでもなんかとってもまずい気がする。これじゃほんとただの電波だよな。なんか色んな人が色んな場所から変化が起きる起きるというけど言ってる当人たちもなんかよくいまいち分かってないみたいだし、そのなんだかよく分からない変化に対して自分の価値観だとか行動規範を固めたいのが一点。

 もう一つはキリスト教自他が宗教改革というかたちで大きく変化したけど‘その変化’自体を知りたいというか、いろいろアプローチの仕方は考えてみてるけど、たぶんこの先起こる大きな変化と同じぐらい大きな変化であると思っているので、そのとき生きてた人たちがどうやって考えて行動してたか知りたいから。

 なんだか長々と書いてて本題の部分が短いしあいまいでごめんなさい。

 でもう少し、前のエントリーはきつい当てこすりにしても、正直過去を後悔してぐずぐず言うのはあまり建設的ではないと思う。そんなことしてたら私後悔しっぱなしで持たなくなるし、やれることをやれるだけ、他人に頼りながら少しずつでもやるしかないと思う。

 長くなったけどこれでおしまい。かける機会をもらえたことに感謝。時間少なくなってるのでこれで切り上げます。読んで下さってありがとうございます。

 

 

 


 

 

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