はてなキーワード: リビドーとは
http://anond.hatelabo.jp/20091018173611
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ここ数年、ほれた女と付き合いたいというリビドーだけで突っ走ってきたが、
紆余曲折あったあげく、学生時代のバイト先の後輩と、10月くらいから付き合いだした。
初めての彼女になるのだが、かつて想像していたような高揚感や胸の高鳴りはない。
ただひたすらにいとおしいく、大切にしたいというか、
さて、ここ半年くらいの話。
会社での人間関係に嫌気が差していたので、仕事に打ち込むことで気を紛らわした。
仕事で成果を出して名誉回復をしたいというのももちろんあったが。
もともと、上司には認められていたので、メンタル的に問題なさそうだとわかると、
仕事はすぐさま降ってきた。
古いまま放置されていた業務マニュアルの改訂や、英文ドキュメントの翻訳といった
同僚たちからは何かに憑かれていると言われるくらいだった。
そんななかでも、女の子と遊ぶのは欠かさなかった。
というよりも、ムリにでも遊ばなかったら精神をやられて廃人化していただろう。
平日の終電で女の子の最寄り駅に行き、朝まで遊んで始発で出社、
短い仮眠を取り、栄養剤を飲んで何事もなかったかのように仕事に向かう。
体重は10kg近く落ちた。
初対面の相手に対して、抱き心地がよさそうとか、
おおよそ昔では考えられなかった想像をするようになったのもこのころだ。
以前は好みだったスレンダーな体系の女性にさほど魅力を感じなくなった。
失敗もした。地方の女子大生を、都心のホテルのバーに連れて行き、
こんなラフな格好じゃつりあわないと恥をかかせたこともある。
そういった中で、かつての一途な純粋さがいつの間にか失われていたことに気づいた。
ただ、2回、3回と定期的に会うようになったのはその中でも4人。
最終的に、その中の一人から告白される形で付き合うようになった。
以前思いを募らせていた相手とは正反対のタイプだったが、
適度に隙があるというか、無理をしなくてもよくて、
一緒にいると落ち着けるのが心地よかった。
そういうわけで、ここ2ヶ月ほどは、
俺自身の破滅的な振る舞いも落ち着いて、
俺の話は以上でおしまい。
せっかくなので、機会があればここ数年間の経験で、
有用だったことや気づいたことを書いてみたいと思う。
何か質問があったら答えます。
http://anond.hatelabo.jp/20110629025010
広告代理店に勤める34才、昨日生まれて若い女の子をナンパした。
若い女の子に声をかけるなんてことは生まれて始めてだった。
もとはといえば、来るはずだった彼女のドタキャンが原因だったのだが。
駅前を見渡すと、見るからに「最近の若い女の子」がたくさんいる。
正直、目の前を通り過ぎていくこの娘たちに、自分が声をかけたとして、成功する気がしなかった。
年は二十歳前後、特別かわいいわけでもなかったが、何故か私の股間は熱くなった。
湧きあがるリビドーをおさえられなくなった私は、駄目もとで彼女をネカフェに誘った。
あぁ。俺は何をしているんだ、明日も早いのに。
ここのところ学校内部でもそうだが昔のように真面目な超エリートが幅を利かせてボンクラが鬱になっていた時代と違って、逆にボンクラがドラマの影響で勢力を強めて、特クラとかエリートが、敗北したわけじゃないけどかなり苦しい立場に置かされている。そもそもボンクラってのは絶対的に俗悪で、特クラが聖者なんだから、都合がいいからって聖者が俗悪に負けるってことはあったらいけないんだよ。
ここ10年、ネット上には底辺が露出したり、エログロ画像が大量流出したが、ボンクラが逆襲してんじゃねえよ。あと、ネット規制をろくに行わず、ボンクラどものリビドーを解放した政府は人間のクズ。
突然なんだけど、俺バックが好きなんだよ。特に日焼けしてパンツの部分が白くなってるお尻をバックで突くのがすごく好き。
なんかパンツに挿れてるみたいですごくドキドキする。
なんて言ったらいいのかな、男はパンツの下がどうなってるのか想像するのが好きなんだよ。
はっきり言ってしまえばパンツの下にあるモノに価値があるのであって、パンツがない状態のモノはもうそれ単体の価値しかなくて、
そしてそんなものはインターネットの世界に溢れているわけで、何の価値もないわけ。
パンツの下にあるから興奮する。だから日焼け跡はやばい。パンツの下のそれを、価値を損なわずに堪能している気がする。
ちなみにパンツに切り目を入れて、とかそれはパンツの価値がメインに押し出されすぎていて全然だめ。
パンツ中心主義は俺の琴線には触れない。
あと女はくびれだと思ってる。くびれからお尻にかけての三角形は、それが二等辺三角形ではなく性三角形、いや正三角形であるほど美しいと思う。
くびれてる腰をつかみながらバックでするとすげー興奮する。
で、ここからが感動した話なんだけど、そもそもなんで俺はそういうのにリビドーを感じるのかわかんなかったのよ。
そんでね、この間友達と居酒屋でこの性癖を説明していたときのこと。
上に書いたあの白い逆三角形の良さと同時に、くびれとお尻が作り出す三角形の良さ、この二つの三角形が交わり描くあの六芒星にすごく興奮する、
ということを熱く語っていたんだ。
自分では何気なく使ったつもりだったんだけど、なんとなく気になって家に帰って六芒星の意味を調べてみたらびっくりした。
△は男性の三角形、▽は女性の三角形を意味し、六芒星は男女結合、つまり愛を意味するんだって。
俺は愛を直接突いてたから興奮してたんだ!すごく納得した。
と、いう感動した話。
犯罪者予備軍と認定したあとも友達を続けちゃいけないのか?
・「犯罪者予備軍と認定」するというのがどういうことか理解していない
・「私」がなぜ怒ったのか理解していない
もうちょっと発言を読み取る努力をする必要があるんじゃないか。
Aは「私」の人格を社会的に否定してるわけで、それはもはや友達とも仲間とも言えないと「私」は思ったから怒ったんだろ。
穢れ云々も、穢らわしいというのはあなたの感情だろう。元発言からして「個人的な感情」と断ってるし。
本当に完全に区別できてるかは本人にもわからないんじゃないかな。
感情や欲求が混沌としているのは当たり前。
代償行動で感情や欲求を発散するのは精神衛生上自然なことだし、リアルとフィクションを区別している証左だよ。
そこを指して「ほら区別できていないじゃないか」というのは、ゲーセンでガンシューティングやって爽快感があるならおまえには殺人願望があるんだ、というくらい乱暴であり得ない話。
それに「私」の発言からは、「私」にとってリアル子供と妄想ロリショタはまったくの別種の生き物で、両者を同じようにリビドーの対象とすることはそもそもできないんだと思える。これはたぶん大多数の二次オタも同様なんじゃないか。
どういう状況を想定しているのかわからん。
「君は昔こういう同人誌を描いていたそうだね、子供が心配だから辞めてもらう」とかか。
そりゃ、職場の人が君のように「こんな本を描くんだからこいつは犯罪者に違いない」と思うかどうかによるんじゃないの?
最終的にはその人が人格的にどう評価されているかだろうね。
大多数において、人間の性的嗜好、特にエロコンテンツを観賞するという観点での嗜好は、思春期に形成され、その後の長い人生においても支配的な影響力をもつことになる。
簡単に言うと思春期に接したエロ画像がその後の好みを支配する。
だから、中年男性はエロ写真の陰毛にさほど執着しない。むしろ邪魔なものだと思ってる。彼らが若かった頃、エロコンテンツに陰毛を載せると発禁あるいは逮捕される恐れがあったから、そういう画像のカジュアルな入手は困難であり、そのため脳が陰毛をエロいものとして認識するよう訓練されていないのだ。一方、今の20代はエロ写真に陰毛はあって当然だし、ないと物足りないと感じている。
二次元の例も考えてみよう。今の20代は、エロ漫画の挿入シーンに断面図があってもなんだこれとか思わない。むしろ興奮する。ここ10年で爆発的に普及した描写である断面図に脳の性的回路が興奮するよう訓練されているのだ。一方中年はこうした表現への反応は薄い。むしろグロいとすら考えている。
もちろん、中年男の好みに合致したエロコンテンツを供給することに何の問題もない。彼らの不慣れな表現を隠せばいい、描写しなければいいだけだからだ。
さて、現代日本の性的コンテンツにおける猥褻基準の緩さは極限まで達している
、これ以上規制をゆるめるとしたら、もう性器全開にするか、実在児童ポルノなどの猥褻かどうか以前の犯罪的要素を加味する以外にないという状態だ。
故に、これ以上の規制緩和はきわめて厳しい状態にある。
一方、規制を強化すべきとの内外からの圧力はすさまじいものがあり、先日もゲームコンテンツにおいて規制強化が報じられたばかりであり、ゲーム以外のコンテンツにおいても同様の圧力がある。
つまり、人類の性的描写基準はこの21世紀初頭日本をピークに、規制方向へと転がり落ちてゆく公算が高い。
これを、冒頭の話とあわせると、現在の緩和いっぱい基準で描写されたエロコンテンツにリビドー回路を最適化された現在の若者は、今後予想される規制強化によって、好みを最大限に満たす描写を合法的に消費することが困難になる公算が高くなる。
それは現在の中年が感じている疎外感などとは比較にならない。中年は自分の趣味が主流じゃなくなったことを嘆くだけだが、若者は自分の趣味にあったエロが世界から消滅してしまうのだ。
何かよく分からないけれど、モテない男性が強烈に排斥された時代がどうもあったらしい。
彼らのルサンチマンたるやすさまじく、「モテない人生」を楽しく過ごす為の代理物を彼らの才気とリビドーの全てをつぎ込んで作った。時間とリソースならたくさん余っていたし。
結果としてそれは上手く行き、男性からするとモテなくてもそこそこ楽しく過ごせる楽園みたいな物ができてしまった。現在それに「頑張れば恋愛、配偶をなんとかできた層」までもが入り浸っていて、それに女性が怒っているのが、「草食系男子の跳梁跋扈」の一因なのではなかろうか。
本当に性欲から解脱出来た男性(真性の草食系男子?)や男性的な魅力を全く備えない男性が多数を占めるとは思いがたいのだが…。
リビドーは生の原動力じゃないの?
今年で二十六にもなるが、未だかつて世間一般で言うところの恋人と呼ばれる関係を築いた相手は居ない。
そのことについて、特に他人を妬んだりするほど切実な焦りを抱いてはいない。
しかしこうして週末の晩に、この二日間何をしていたかを思い返すと、少し虚しいような気持ちになったりする。
いつからそうしていたかは分からないが、僕は恋愛という事象を比較的冷めた目で見ている気がする。
でも僕は具体的にその子とどうこうなる、っていうイメージを持たなかったんだ。
まぁ単に自分がその子に好かれる自信が無かっただけなのかも。
諦めを前提にした好意を抱くのが子供の頃に染み付いちゃってんのかな。
僕にとってクラスメートの好きな女の子は、自分が頑張るためにぶら下げたニンジンのようなものだと客観的に思ってきた。
別に何かが進展するって期待は微塵も抱かない。
あくまで妄想は妄想とした上で、自分が頑張る動機付けの一つになれば良い、と思ってきた。
その時は一応ドキドキ出来るし、それで自分の力を引き出せるなら一挙両得。
だから別に好きな相手は一人に限定する必要もなかったから、甲も好きだし乙も好きだった。
そんな冷めた視点は今でも変わっていない。
職場の歳の近い女性との関係を仮定しては、ただ空虚な妄想を楽しむだけ。
別にね、いいんだよ。
恋愛なんて別に大したものじゃない、って色恋沙汰に疎い奴が勝手に言ってるだけ。
それは個人の価値観の自由だからそれはそれで別に誰かに非難されるような生き方ではない。
単に誰かを好きだなーって思うことなんて、誰にでもあると思うんだよ。
(ただ、それが恋ってやつだよ、みたいにしたり顔で言われると、そんなもんが恋っていうなら僕は別にいいです、みたいに意地張ってるみたいになってるだけなのかな)
でも、時々自分を振り返ると虚しさを覚える。
色恋沙汰にエネルギーを割かない分だけ何か研究に没頭している、とかそういうストイックさがあるわけじゃない。
そうやって迎えた週末の晩にさ。
何となく空虚な物悲しさのようなものを、何となく感じちゃうのは何故なんでしょうかね。
一体僕はどうすりゃいいんだろう。
色恋沙汰なんかさっぱりですと言いながらその実、恋人が欲しいのか?
じゃぁ一体誰と恋人になりたいって言うの?別に居ないよ?
なんとなく思ったこと。
例えば、突如あなたの周囲でスカトロが大流行したとしよう。みんな暇さえあればスカトロである。
しかも泊りがけで。そしてあなたはスカトロが大の苦手だとする。これは実に好ましくない事態だろう。
このままでは仲間はずれになってしまうかもしれないから、何かしらの対策を講じる必要があるとする。
その際、スカトロはやめるべきという論旨で主張をしたところで、おそらく事態は好転しないのではないだろうか。
やめるべきである理由こそいろいろと考えられるが、どれも単なる我侭か大きなお世話かただの詭弁である。
こういうことを言われると、大抵人はむしろ頑固になると思う。
「スカトロは何の効果もないから、やるやつはアホだと思う」とか。
「スカトロはクソくさいからやめるべき」とか。
スカトロの効果など、やってる人が自由に感じればいいし、クソくさいこととやめるべきであることは、まったく論理の飛躍である。
そして大した根拠もなく差別という指摘をするのであれば、単なる中傷である。
とるべき対応としては、おそらく次のようなものに限られるのではないかと思う。
(1)スカトロが、例えば大規模な健康被害に繋がることを客観的に立証する。
(2)嫌々でもスカトロを練習して上手くなり、スカトロについて語る際の説得力を高める。
(4)「実はスカトロが嫌い」という人を探し出し、スカトロ嫌いで結束するコミュニティをつくる。
(1)は、対象物が公的な秩序に反することを利用し、対象物の価値を減じる手法だ。
公的な秩序は、コンセンサスが得られるなら道徳や倫理でもいいだろう。
究極はその対象となる行為によってリアルに逮捕されるような状況なのであって、成功すると非常に高い効果があることは言うまでもない。
ただ一方で、あまり教条的になると逆に主張の中立性が失われ、説得力に欠けることになるし、
他人が公秩序に反することをあまり大きな声で言うと、逆に名誉毀損の罪に問われることもあるという諸刃の剣である。
(2)も、対象物に対する他人の評価を減じる方法となり得る。
ある価値評価機軸に肯定的な論者の価値評価にもっとも影響を及ぼすのは、同評価機軸において相対的優位を有する、
いわゆるカリスマのような人物による指摘だろう。
相対的な劣位から同種の指摘があったとしても、お前に言われる筋合いはないという話にしかならなくても、
相手がカリスマであれば話は別である。ネットで有名な常套句、「ただしイケメンに限る」と一緒(か)。
(3)は、対象物に対する他人の価値評価に直接影響を与えることなく、代替品を持ち出すことによって、
相対的に対象物の評価を下げる手法であるといえる。重要なのは、代替品として対象と機能的に等価なものを探すことだ。
例えばその集団がスカトロに対して感じる魅力の根本(リビドー)が脱糞や自分の食糞なら、食糞でも飲尿でも大した違いはなく、
ふたつは機能的に等価であるといえる。一方、有名なプレイヤーとSMする機会があるなどの動機がある場合、スカトロではなんの代わりも果たさない。
(4)はつまり、仲間はずれになり孤立するという最大のリスクに対処する、既存コミュニティの代替としての新規コミュニティの構築である。
上記3が他者に対して代替品を提示するという話だとすると、これは自身に対する代替品の提示である。
ただひたすら文句を言っていたらなんとなく状況が改善した気がするというケースは、たぶんこのパターンだろう。
似たようなアンチが集ってもう寂しくなんかない、みたいな。
冒頭にあげた例では仲間はずれになるリスクが対処すべき課題であることが前提なので新規コミュニティの構築が対処法となるが、
現実には好ましくないと感じる原因はさまざまある。それ(リビドー)を見極めることが重要になるだろう。
ちなみにこの記事は、ただの文句に対するオルタナティブとして書いたつもりだが、
考えてみればただの文句がただの文句とみせかけた上記3に書いたようになにか別の意図があるものだった場合は見事に空振りに終わる。
腹痛いwww
「スカートを短くする」ってそのほうがかわいいからですよね。そこは同意できます。短いほうがかわいい。
でも、短いスカートの下からジャージを穿いたらかわいくないですよ。
なぜかわいくない格好をあえてするんですか?
↓身勝手さを指摘される
↓主張の一貫性のなさを指摘される
今回の話の中では俺のリビドー云々はどうでもいい
↓再び身勝手さを指摘される
そういう男としての存在を全否定するような発言がむかつくんだよ。
性欲ってのは個人差があるんだ。性欲が強い人間はそれなりに苦しんでるんだ。わかったような口利くな。
だから、「”俺に”パンツを見せる気がないならミニスカートなんか履くな」なんだろ?
そうだよなあああ。見たいんだもんなぁ。だからジャージはngでパンストはokなんだよなぁ。
もう、面白すぎだわ。
どのあたりが矛盾なのかわからん。他人の目を気にしないなら玩具炉でも矛盾はないし、男のリビドーを刺激しない当為雨天からならジャージ着るのも矛盾はないと思うが。