はてなキーワード: リトル・ミス・サンシャインとは
今敏、内田けんじ はわいもすこ。コメディだと思ってるのあげてく
L ル・アーヴルの靴みがき Le Havre(2011年)
L 希望のかなた Toivon tuolla puolen(2017年)
L 浮き雲 Kauas pilvet karkaavat(1996年)
L 街のあかり Laitakaupungin valot(2006年)
L 地球は女で回ってる Deconstructing Harry(1997年)
L 恋のロンドン狂騒曲 You Will Meet a Tall Dark Stranger (2010年)
ギミック系は、メメントとかシックスセンスとかミストとか他にも有名どころは語り尽くされてるので
誰も触れて無い系だと、デビッド・フィンチャー監督、マイケル・ダグラス主演の『ゲーム』がすこ。小説版も好き
ロリコンです。幼女が登場する実写映像作品でオススメなのがあったら教えてくださいませんか。
パッと思い出せる、今まで見たもので個人的に好きだったのは「リトル・ミス・サンシャイン」「ロッタちゃん はじめてのおつかい」「Mother (テレビドラマ) 」です。
パッと思い出せる、見たけどあんまり刺さらなかったのは、ぼくのエリ 200歳の少女 、パンズ・ラビリンス、エル・スール など。
他にもよかったのや刺さらなかったのがあったはずなのですが、パッと思いつくのはこの辺です。
そんなわたしにおすすめの幼女が登場する実写映像作品があったら教えてください。
もう終わってしまったけれど、『ザ・オフィス』というテレビコメディがあった。主演は『リトル・ミス・サンシャイン』『四十歳の童貞男』のスティーブ・カレル。元はイギリスの同名コメディ(日本語タイトルは『ジ・オフィス』)だけれど、結果的に本国版より息の長い番組になった。ちなみにイギリス版もアメリカ版も hulu で観られる(はず)だ。
『ザ・オフィス』でスティーブ・カレル演じる製紙会社の課長は日本で言えば昭和世代のセクハラおやじである。ゲイフォビアで男根主義的、アメリカン・マッチョな価値観に染まっていて、ことあるごとに自分の面白ジョーク(大半は性差別、人種差別ネタ)で課内の雰囲気を和ませようとするが、逆にそのジョークのせいで場の空気をきまずくさせてしまう。なにせ、自分の部下がその当該マイノリティであることが多いのだ。
しかし自由の国アメリカといえど、上司に反駁するのは容易じゃない。カレルはアブナイおっさんなのでことあるごとに人事権や給与査定をタテに(実際にその権限が彼にあるかは別にして)振る舞う。部下たちは自然、事なかれ主義でだんまりを決め込んでしまう
しかも、カレルは場の空気を悪くしているのが自分であることに無自覚だ。勇気ある誰かから「それは差別じゃないか?」と指摘されると「これは差別じゃないよ。ただの冗談だろ?」とキレる。本当に差別ではないと信じこんでいるのだ。あげくのはてに破綻しそうになると、別の部下に責任を押し付けようとしたりもする。
まあ、要するに、最低のセクハラおやじが職場の空気を最低にするドラマなのだ。
ドキュメンタリーという体裁だから、シットコムみたいに「ここが笑いどころですよ」という観客の歓声も挿入されておらず、しかもカレルに対するツッコミはなされないか、なされたとしてもシリアスな雰囲気にならざるをえない。
こんな悲惨な番組がコメディになるのか、といえば、なってしまう。アメリカでは成立してしまう。
『ザ・オフィス』で笑うためには、まず「無自覚な差別ネタをジョークのつもりで放言しまくって場の空気を凍らせてしまう困った人(しかも自分では差別ではないと信じている)」というステロタイプを共有していなくてはならない。いわゆる、あるあるネタってやつなのだが、これが一筋縄ではいかない。
このステロタイプで笑うためには更に「こういう困ったおじさんは時代遅れのダサい人間である」という認識も広まっていないといけない。現状ではこういうおっさんが存在を許されないものという(現実はともかく)共通了解が流通していなければならない。
『ドラえもん』やちょっと前のドラマで日本でもあった、「江戸時代の人間が現代にタイムスリップしてきてカルチャーギャップを体験し、その反応に視聴者が笑いをもたらす」タイプの話とキモは一緒なのかもしれない。
仮想の原始人を笑いの的に立てるのだ。
その「原始人」に「かつてどこにでもいて、今もおそらくは地域によっては跳梁しているであろう人間」をあて、都市部のリベラルな価値観、すなわち我々の言うところのポリティカル・コレクトネスの観点からその野蛮さを笑う。言い方は悪いかもしれないが、そういう捻れた観方をできる人間がすくなくともこの番組を8年140エピソード続けさせられるぶんだけ存在する、ということだ。
そうして恐ろしいことに、『ザ・オフィス』は例外中の例外ではない。『サタデー・ナイト・ライブ』といった老舗番組から、オトナ向けのカートゥーンアニメまで、そうした政治的正しさが視聴者の間で広く染み込んでいることを前提にギャグをスケッチしている。
アメリカン・コメディにおける政治的正しさとはもはや「あるべき理念」でもなんでもない。常識であり、前提だ。
アメリカは広いし、チャンネルは山ほど存在するので、コメディ番組がすべてそうだという確証はない。
けれど、日本に紹介されてくるコメディ番組は肌感覚のレベルで政治的正しさを呑み込んでなければなかなか笑えない。
むしろ、政治的正しさに反発を抱く人より、「あるべき理念」としてフィクションに政治的正しさを求めている人のほうが笑いにくいかもしれない。リベラルの風刺とは身内にすら向けられる過激さを持つもので、笑いの矛先が政治的正しさそのものに向けられることも珍しくないからだ。それを半可にしか理解できてなくて、そういうジョークを無理してわかったフリして喜ぶ人間は多いけれど(私もその一人だ)。
シリアスな映画とかはまだわかりやすく「女性が強い」とか「マイノリティが救われる」とかをストレートな形で描いてくれるから、日本でも受け入れやすいんだろうけれどね。マッドマックスみたいに。
海の向こうには、「政治的正しさを前提にしたホンづくりしてる」なんてわざわざ公言しなくても、そんなもん当然前提に据えてるだろって界隈が存在するのだ。おそろしい、おそろしい。
余談だけど、「空気を読めない人の空気の読めなさ加減を笑う」という点ではアメリカ版よりイギリス版のほうが百倍ブラックだ。もはや、気まずい場の空気そのものを笑いに換えているといってもいい。これもこれで、ウルトラハイコンテクストな文化だよなあ、と思います。
http://anond.hatelabo.jp/20140604175240
思ったより反応がよかったので、うれしくなって2日連続。仕事? いいじゃないですかそんなことは。
5捕 バットマン:キリングジョーク(アラン・ムーア、ブライアン・ボランド)
「気弱な少年が競技ダンスの魅力に取りつかれる話。単行本未収録。友情・努力・勝利という週刊少年ジャンプの三大原則にのっとった、さわやかな余韻が印象的な期待の新星、かと思いきや、ヤングマガジンにおける連載作はエログロ。なにそのふり幅。連載化待っています。あと集英社は一刻も早く『戦下に咲く』と合わせて単行本化してください」
「白昼夢のような短編。正直、いまだに内容が理解できていない。まったく意味がわかりません。それでもつげ義春全集を読んだ後に、どれが一番面白かったか聞くと、皆が口をそろえて『ゲンセンカン主人』と言う。凶悪なクリンナップへとつなぐ技巧派の曲者。いまだご存命とのことですが、水木御大同様この人も妖怪なのでしょうか」
「腰のあたりでつながったまま生まれてきた双子の姉妹の話。20頁弱と短いながら、大正義萩尾望都の代表作として名高い名作。切れ味が鋭すぎて若干トラウマになります」
「ある団地における超能力者たちの戦いの話。不動の四番。本塁打王と打点王の二冠。その圧倒的な迫力と威圧感は、全盛期のカブレラを思わせます。難点は、あまりの体躯のぶ厚さから、ルールに引っかかる恐れがあること」
「バットマンとジョーカーの因縁の話。チーム内唯一の助っ人外人にして捕手。メジャーリーグからきた黒船。シーズン途中まで4割を打って首位打者。『助っ人外人が捕手って、どうなの?』という方もいらっしゃるかと思いますが、だってアラン・ムーアだし、どう考えても一番かしこいから仕方ない。いいときのマウアーが日本球界に来た、と思ってください」
「結婚式を前日に控えた男女の会話劇。期待の巧打者です。クリンナップが重量級のため、肩肘を張らずに読める短編を6番に置きました。合コンでオススメの漫画を聞かれたら、最近面白かった漫画として、これか『俺物語』と答えるのがスマートな大人ではないかと思います。映画で言うと『リトル・ミス・サンシャイン』。電車の中で読んで泣いた、との知人の声多数」
「自動車競技選手の人間模様の話。連作短編『茄子』に収録されています。宮崎駿が認める天才打者。今回はクリンナップが凶悪すぎるのでこの打順だけど、去年までのカープなら中軸です。余談ですが、最初はピッチャーを『連作短編』つながりで組んでいたため、当初は先発として起用していました。チームの都合で野手に転向」
「若いカップルの何気ない日常を特徴的なコマ割で描いた話。今回のひいき枠。大好きなんだから仕方ない。漫画評論家の泉信行氏も『やまむらはじめ非公式ファンサイト』を運営していました。たんたんとしつつも、じんと胸にしみる佳作。短編集『未来のゆくえ』で読めます。粒ぞろいの短編集なので、是非」
「戦闘用ロボットとピアニストのふれあい。長編『PLUTO』の中の一エピソード。『5回までなら完全試合、完投させたら滅多打ち』こと浦沢直樹の最高傑作ではないかと思います。。独立した短編としても読めるだろう、と無理やりねじ込みました。たとえルール違反だとしても、面白いんだから選ばざるをえない」
「人間そっくりなアンドロイドと、彼女を教育する科学者の話。SF短編につづいて連続登板。だって好きなんだから仕方ない。連作短編『アフター0』に収録」
「説明不要の金字塔。もし増田が文部科学大臣に選ばれたら、強権を使って教科書に載せます。連作短編『夕凪の街、桜の国』に収録」
こちらからは以上です。
まずは次のデータを覚えておいてください。
1、 1355万円
2、 1570万円
3、 1427万円
4、 1572万円
5、 1112万円
6、 574万円
世の中は金がすべてだろうか。
金がなければ、電車に乗って会社に向かうこと自体できないし
タネ銭がなければ金儲け自体を進行することが出来ない。
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「カネ」がそんなに悪いのだろうか?といつも思う。
「もったいないよな。これを企業に売り込んで
例えば広告として使ったり、大金持ちの結婚式のイベントとして売り込めば
紛争地域ももっと豊かになるだろうにと思ったりする。
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カネまみれで生きることは確かに美しくしくはないし、
近寄りがたい印象が強い。
平和な社会が見えてくると言う矛盾。
「カネ」という道具は使い方によっては争いにもなるし、
平和の道を作ることができる。
誰もが欲しいくせに、「カネ」というトーンは、
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例えば金持ちは手にしたカネを贅沢に使い、
ビジネスを大きくするためにさらに投資する。
一般の感情からはそんなに儲けたいのか、と思ったりする。
しかし、ある程度の富を手にしたらその富を回転させて
再生産を繰り返すのが理想の姿。
嫌なやつといったイメージ。
送り込む作業をする人間というのは
社会のために生きていることになる。
金儲けがいいとか悪いとかを真剣に考え抜いたとしても、
明日になって買っておいた宝くじがあたったりすれば
嬉しくてしょうがないのが人間の感情。
世の中のほんの一握りの人間にしか微笑んでくれない現実が
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今年ももう終わり。
あと1週間もすれば門松に変わる。
ここ何年かで経済面で大きな事件といえば
ライブドアショックを忘れることができないでしょう。
当事者にとってはまだ終わっていない問題です。
ライブドアの堀江社長もヒューザーの小嶋社長も、つい2??3年前までは
「成功者」として「格差社会」の頂点に君臨していたわけですが、
気まぐれなマスコミからは今は忘れ去られようとしています。
奢れる者は久しからず。
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こう見てみるとここのところメディアを騒がせている
「格差社会」という仕組みも、
実は勝者がずっと勝ちつづけるわけでも
ないことが見えてきます。
格差に怒りを感じてしまうことも事実。
しかし、格差社会というものが今一つピンと
来ないところがあるのも事実。
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この言葉自体や、振りまいている人達に抵抗感を感じてしまうのは、
どうもうまく仕掛けられている、といった感覚。
今は本当に格差社会なのか、という疑問がふつふつと沸いてしまう
のです。
このあたりの分析は「新平等社会」(山田昌弘著)で詳しく解説されていて、
なんでもかんでも小泉改革のせいにしてしまう短絡ぶりに
疑問を投げかけている。
「希望とは努力が報われると思う時に生じる、
絶望は努力してもしなくても同じだと思う時に生じる」
この言葉が紹介されていて
「1990年頃まではほとんどの人が希望を持てる条件が揃っていた」
と書かれていたが実際には努力が報われないことも結構多かった。
とくに企業が安定していた頃は実力よりも
「社内政治」??会社で生き残ることだけしか頭にない人間が
結構威張っていて、それを思えば能力がないくせに権力だけは
昔はよかったというけれど、安定していた昔はそんなに良かったか、
とも思う。
企業奴隷として生きることを強いられた時代。
私も初めて就職した会社を辞めるとき、周囲から「この世の終わり」と
いうような脅しを受けたけれど、今思えばあのまま奴隷人生が
生涯の価値基準にならなくて良かったと思っています。
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「格差」の一つの正体には他人の成功に対するねたみもある
のかもしれません。
テレビを見れば自称「セレブ」が信じられないような生活を送り、
自分もいつか、と夢を膨らませる。
「勝ち組」という虚像に対する憧れや絶望感を感じながら日々を
生きさせられている嫌な感じ。
羨ましくも「うまくやりやがって」という、モヤモヤした感情。
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ところで最初に見てもらった金額は
ある企業に勤める社員の平均年収。
会社名は何かと言うと
1、テレビ朝日
2、TBS
3、日本テレビ
4、フジテレビ
5、テレビ東京
7、永谷園
(MSNマネー企業概要より)
格差社会を憂いている人達が、社会の最も頂点に存在している皮肉。
普段給料が高いと批判をされている銀行でさえテレビ局には勝てない。
納得できる企業。
それを消費者が支払い、デフレで賃金が押さえられている今でも、
テレビ局には大量のカネが流れ込む。
勝者で居続ける大手マスコミの商売道具であるという一面。
彼らは競争相手が少なく勝ち組の代表。
郵政省からの天下りと談合に守られ、生涯が保障されている人たち。
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しかし、彼らを支援しているのは結局は我々で、
たとえば亀田兄弟。
亀田を持ち上げ、批判し、また持ち上げ
何をやっても思考回路停止のままついてきてくれる
視聴者の皆様のおかげでTV局員の高額報酬が
永遠に約束されております。
職員に代わりまして、わたくしが御礼申し上げます。
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何か言い出したらロクなことはない。
「地方の時代」と言う言葉が使われた時代があって、
そう言っている割には自分の会社は東京のど真ん中にあって、
地方の実態なんかにはこれっぽっちも興味のない連中が発信をしていた。
「女の時代」と言う言葉が使われた時代もあって、
そう言っている割にはマスコミ各社の役員に女はどれくらいいたのか。
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「格差社会」は多分真実でしょう。
また、「格差」は仕方がないという言葉を、
今の時点で一応成功している企業の経営者なんかが
語っているのを見るとカチンとくるけれど、まあ真実の声でもある。
いちいち振り回されるのもまた腹が立つ。
勝利者が集まる空っぽの洞窟。
は敗北者という「勝者の視点」。
物凄く狭い価値観の中で、勝った負けたと騒いでいる状態。
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「格差社会」というキーワードも、観測地点を変えればその通りだったり、
そうじゃなかったりするわけです。
例えば障害者に対する援助の打ち切りは格差の助長だと思うけれど、
というレベルの問題に関しては格差でもなんでもない。
そんなもん知るか。
一方では消費社会をひたすら煽る。
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人間味を殺ぎ落としてまでも効率よく収益を上げることが正しい経営、
という価値観に影響を受けた経営者が増えたからかもしれません。
メディアの振りまく「成功イデオロギー」だけしか選択肢が無くなった不幸。
これが格差社会の正体。
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―「弱者」というものが、常に「エリート」によって「発見」されるという、
これまた古典的な構図による。
ネットカフェ難民、ニート、年金生活者、在日コリアン……というように、「エリート」同士の
政治闘争に利用できる、明白な「弱者」だけが「発見」されていく。
「エリート」は「弱者」を利用して政治的なライバルを攻撃し、「エリート」内の階段をのぼる。
「弱者」のなかにも、それを見透かして、政治的な「利権」を手にする圧力団体の
ようなものが出てくる。両者は共犯関係にある。―
http://miyajima.ne.jp/index.php?mode=res_view&no=56#nmjp57
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彼らの将来を間接的に奪ってるんじゃないか。
「かわいそうなあなたたち」という視線は絶対に救いにはならない。
「自分は不幸だ」「悪いのは世の中だ」と彼らに煽られても
誰もチャンスも仕事も金も持って来てくれないぜ。
特にあいつらは。
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□石原慎太郎に心ひかれる自分がある。
□オリンピックやサッカー・ワールドカップでは心から日本を応援する。
□中国や韓国はいやだと思うことがある。
これらのコピーの上に「以上の項目が半分以上当てはまる人は下流的である“!」
ある種のバイアスのかかった人達の『商材』であることがなんとなく見えてしまう。
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問題は、以前ほど未来に対しての安心感が
ないまま日々を送らないといけないこと。
もう一つは、一度企業社会のコースを外れてしまうと
なぜ嫌うかというと、そういう決まりだから。
なぜそういう決まりかというと、そういう決まりという決まりだから……………
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「リトル・ミス・サンシャイン」という映画を今年見ました。
出場するために車でニューメキシコから
「エンターテイメント」としての役割を背負った作品が
圧倒的に多い。
そういったファンタジーものとは別に、
現実のつらさを描いたのがこの作品。
しかし生徒は集まらず本人はビンボー。
2種類のうちでは敗け組の方。
成功コンサルタントの裏面を皮肉的に取り上げていて
この映画を見ると「ギクッ!」とする人も多いのでは?
「オレたちはみんな、敗者だ!」
映画の中で誰かが叫ぶ。
アメリカ人がみんな勝っているわけじゃない。
アメリカ人自身が「成功を追いかけ続ける敗者」で
あることをうすうす解っている。
その成功をありがたがる「いいお客サン」である日本人。
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アメリカ型を追いかけるのが難しい理由としては、
日本とアメリカとのマーケットの大きさの違いがあると思います。
抱えるのに加えて、英語圏全ての地球規模で
ビジネスの勝負ができる条件。
日本との環境の差は無視できない。
もしあれだけ大きな市場があれば一発くらい狙ってみたくなるし、
多少のリスクは背負ってもいいかなと思う。
しかし、一発でかく儲ける戦略を取るには
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億万長者を生み出すベンチャービジネスのからくりの一つを見てみると、
株式を上場して上場益の恩恵に浴するという戦略があります。
強引な売り込みを仕掛け、訴訟をいくつか抱えて裁判沙汰に
なってたとしても、株式上場で金が手に入れば
それでOKとする考え。
もちろんその戦略があたればバンバンザイだけれど、
上場できなければ会社は破綻。
いつのまにか今の世の中基準になってしまった。
多くの人が抱えていることは、こんなことをしてまで
金儲けをしなきゃいけないのかよという感情。
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ビジネスの成功者として華やかな世界の人達がよく取り上げられる。
しかし例えば、スナックの経営で儲けている人とか、
絶対にメディアでは取り上げられない。
彼らは「成功の法則」からは外れたところにいる透明人間。
結局のところ、巷に言われている「成功」とはメディアで
成功にも本当は色々あることは知っておいて損はない。
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成功するというのはすばらしいし、
誰もが「勝ち組」になりたいのは正直な気持ち。
しかし、「勝ち」とか「負け」とかはどっちでもいい
勝つこともあれば、負けることもある。
「勝利」を維持するためのノルマと無理な目標設定。
責任だけは日々大きくなるくせに何も決定権を
持たしてもらえない状態が幸福とはいえない。
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この先、我々はもう一つの成功者を
生み出す必要があるんじゃないかと思います。
多分「格差社会」ということに関しては
我々が試されているんでしょう。
冷静でいられるのか。
この世は金が全てか?
ノー。100%ノー。
「カネが全て」だけでは人の感情や行動にも
限界があるという事実。
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格差と言う割には日本社会はかなり「のし上る自由」のある国で、
世襲制度がイギリスとかフランスよりも強くないという現実もあります。
エスタブリッシュメントは『永続性のある権力と威光の階層』を
意味するのですが、イギリスなんかは貴族社会ですから綿々と
この手の権威が継承されてきています。
しかし日本にエスタブリッシュメントと言われる存在はほとんどなくて、
歴史的に見ても「下流の人間」がのし上れる社会でもあります。
ということは弱者が強者にだってなれるということ。
しかし「欧米的なもの」が進んでいて自由である、
という、でたらめばかりを言ってきた連中は、
この手のことには触れようとしない。
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カンボジア型成功でも好きなのを選べばいいのです。
「あがり」を生み出す思想からの脱出を。
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アントニオ猪木の逸話の中で、こんなのがあります。
どうしても敵わない相手に押さえ込まれて、
全く体が動かない状態になった時、
小指の一本でも動かせないかともがいてみた、
という話。
とにかくもがいてみる。
すると小指の先から徐々に動かせるようになっていく。
そして小指が動くようになったら今度は手が動かせないか。
手の次は腕。
そして足、という風に少しずつでも抵抗をしていく。
うまく行かないときは絶望感に襲われてしまうけれど、
小指の先から暴れてみることを考える。
誰もが出来る小さなレジスタンス運動。
結局「勝者」とはこういうことを少しでも考え、
実行できる人だと思う。
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冒頭に見てもらった年収を稼ぐ人達がつくる「社会の常識」が
いつのまにか社会を支配してしまいました。
彼らの生活基準がいつのまにかこの世の幸福になり、
そこから外れたら敗北者。
東京のごく狭い範囲で起こっていることが
しかし、絶望ばかりでもなくて今までよりも
時代が変わっているのも事実。
親が金持ちで、格差の頂点にいる勝者。
絶対に負けない人達。
ところがこんな事実がある。
現在コンビニが全国で4万店。
歯医者が7万店。
つまりスタートして四分の一は消えてなくなる。
社会環境が完全に変わり、今までのやり方が通用しなくなったのも事実。
これまでアウトサイダーだった「オタク」が巨大なマーケットを作り、
今はかつての「負け組」が勝つ時代でもあるというのは本当でしょう。
つまり今年までの負け組が来年には勝ち組にもなれるということ。
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今年の終わり。
この日記を読んでいる方は残りの数日間、
ふと一人になった時、こんなことを考えてみてはどうでしょう
自分にとって金より大事なことは何なのか。
これがこれから先のあなたを成功に導く。
金より大事なもの。
自分の子供。
古本屋でやっと見つけた本。
家族。
大枚をはたいて買った骨董品。
一人になる時間。
いつも通う喫茶店の窓際の席。
成功。
愛車。
クリスマスのこの日。
その何倍も不幸を感じる人間がいる。
元々クリスマスなんて家族と静かに過ごす日なのに、
いつのまにか孤独や不幸が通常よりも
増幅してしまう日になってしまった。
つまらない言葉)の正体は結構こんなことじゃないでしょうか?
他の突出した人間と比べて勝手に不幸を感じたり、
「負け組」を探し出して、勝手に見下しているだけだったりする。
カネ以外のものに対する情熱を持っていれば、
この先の時代はあなたは有望。
今の時代の「成功」はまもなく消え去る。
時代は変わる。
「オレだって」「私だって」という野望が
結構受け入れられるのが、日本社会です。
そのためにはカネよりもまず「情熱」という
革命用の武器を手にする必要がある。
美しい人生を手に入れるために、心に情熱を!
== == == == == == == == == == == == == == == == == == == = == == ==
== == == == == == == == == == == == == == == == == == == = == == ==
Gladys Knight and the pips - Neither one of us
http://jp.youtube.com/watch?v=1p57xtVXEAM&feature=related
デヴィッド・サンボーンバージョンも好きだけれど
ボーカルものもやっぱいい。
ドラマチックな盛り上げ方に時代を感じるものの、
いまこれがやれたら結構かっこいい
トレンドばっかり追いかけないで、この路線で勝負すればいいのに。
Dean Martin, Gladys Knight & The Pips
http://jp.youtube.com/watch?v=3thV0XGJlEE&feature=related
グラディスが太った安室ちゃんだった頃の映像
"Memphis Soul Stew" King Curtis & The Kingpins (Live)
http://jp.youtube.com/watch?v=6WHcWu-1iUg&feature=related
ファンク系は司会までラップノリでグルーブしまくっているところが
超かっちょいい。
Jaco Pastorius- Soul Intro- The Chicken (Live 1982)
http://jp.youtube.com/watch?v=RJfiYdQcQtc
ソウルつながりでジャコ。
ドラムのピーター・アースキンの髪の毛が健在な頃で
やってしまった例。
http://jp.youtube.com/watch?v=9wQKl2P7Ql0
最後は東京に戻って
さんまの番組でのデイヴィッド・サンボーン。
「Smile 」はポール・サイモンの曲(サンボーンのライブ盤での曲)
じゃない方のスマイル。(ナット・キング・コールが歌っていた。)
この映像は以前ユーチューブで削除されていたので、
もしかしたらもうなくなっているかも。
(さんま。お前は判って聴いてんのか?)
それでは皆さん、よいクリスマスを。