はてなキーワード: ヨーカドーとは
寺的な施設に送られて修行させられそうになる中で、おれと同じ様な生臭坊主達と示し合わせるでもなく連帯した雰囲気でサボる夢を見た。
サボり場にしてた地下のサウナ的な施設にガサが入りそうになって誤魔化す場面があって、大脱走でブロンソンが「シャワー浴びてるだけだが?」つってトンネル隠すシーンみたいな一体感があった。
楽しかった。
あとなんかやたらと小さい車に乗ってロシア系っぽいデカい外人の亡命を助ける夢も見た。今日は二本立てだった。
なんか女物のヒールみたいな変な靴履いてたから、今そこから逃げようとしてたっぽいヨーカドーで急いで靴だけ買ってやろうという事になった。
おれの夢にはよく立体駐車場が出てくる。
ダッシュで靴売り場を探したら、adidasのサンバとかが裸で山積みになってた。なんかadidasっつってんのにadidasらしからぬアシックスみたいな白いスニーカーを適当に見繕って、サイズが合うかじっくり吟味した。ヒールにサイズが書いてあったんで半サイズごとに試して、しっくり来るのがあったらしい。
隣で物色してた奴が、裸で積んであるけど買う時はどうすんだ。箱はどうなってんだと尋ねてきた。なんか下の方にちょっと新品の箱あるからそれ持ってけばいいんじゃねと答えた。でもどう考えても展示物に対して箱は少ない。
そういえばおれは実店舗で靴を買うことがほぼないからどうやって買えばいいのかよく知らん。知らない事は夢の中でも分からない。
箱を探してる暇が無いんで試着したそのままでレジに向かって、履いたままバーコードを通した。なんかラップみたいなのでグルグルに巻いてあったのでその場で剥いてもらった。
支払おうとしたらカードがカツカツで、その場でスマホいじっえ限度額を引き上げようとするけど1スワイプ10円くらいでしか上がらなかったり、額じゃなくて期間(?)の方ばっかり反応して上手くいかない。
『ボーはおそれている』そのものじゃん。
でもなんか買えたような気がする。楽しい夢だった。
昨日ゴーシャyzyとアマゾンで半額になってたウルトラブーストを買うか一日中悩んでたから見た夢なんだと思う。
県二位の人口22万人の中核市であり、太平洋に面する港町、臨海工業地帯、外航・内陸航路の工業港を有し、東北新幹線八戸駅、東北自動車道八戸線、三陸復興道路の北の終点がある。東北有数の商圏63万人の街。
しかし、八戸市にはイオンモールがなく、イトーヨーカドーは2024年の夏に閉店する。
八戸市の映画館はかつて7館あったが、現在は完全になくなった。
2000年代前半4万平米級のイオンモール計画が立ち上がるも、中心市街地の地権者や有力者等で構成する市の商工会が大反対運動を展開。当時の市長はイオンモール反対を表明するも次の選挙で市民の支持を得られず落選。
イオンモールを待望した市民は、官僚出身の新市長を当選させた。しかし、外部の反対派寄りの専門家や学識経験者を交えた委員会を開き、最終的にイオンは過剰な商業施設であり不要と決定。そして、八戸市は事実上の1万平米以上の商業施設立地規制条例を制定し、イオン予定地は、当初計画を大幅縮小した売場面積7千平米級の中途半端なイオンが開店した。
さらに、市はそのイオンの隣により大きな建坪で市の総合検診センターを建設。土地区画整理組合への補償のためだと思うが、未来永劫、増床してイオンモールにすることはできなくなった。
その結果、市民は昔からある隣町のイオンまで車で約15kmから20km車で行く。
車がない高校生は1日に4便しかない直行バスに長い行列をつくり30,40分かけていく。
街の顔である中心市街地は、税金や補助金を投入し続けたが商業エリアとして魅力は下がり続け集客力は改善せず、事実上シャッター街に近い状態になった。
かつて市民のデパートとして親しまれたヨーカドーは市内に2店舗あった。1980年中心街の再開発ビル(地下1階、地上7階建、屋上遊園地)にヨーカドー八戸店出店計画が出て、当時の市商工会議所は大反対をした。市民には大歓迎されて開店してから東京の有名なデパートとして八戸の目抜き通りのシンボルとなった。その後2003年閉店。
古いビルは壊され屋台村になり、かつての長崎屋は1階がタリーズコーヒーで、2階から13階建のマンションになった。
市は20年ぐらい前には既に中心市街地活性化対策に乗り出し、再開発計画が出ては消えを繰り返し、最終的に新市長が市営の箱物をたくさん新設したり、建て替えた。
中心街は仙台に次ぐ飲み屋街として名高く、屋台村のみろく横丁周辺が酒豪の呑んべいたちで賑わう。新幹線開通後、新たなホテルやマンションはいくつか建設された。
市内は、北東北を中心に展開する売上高1300億円、58店舗を展開するスーパーのユニバースが本社を置き市中を治めつつ、他社も含め無数にスーパーとドラッグストアがある。イオン系列マックスバリュー、ホームセンターのサンデー、ヤマダ、ケーズデンキ、ユニクロ、GU、しまむら、西松屋、ワークマンもある。日常の買い物には困らない。
しかし、市民は屋内一体型モールのイオンモールが欲しかったのだ。大規模な市総合検診センターでもなく、市の観光文化交流施設や、市民屋内広場ではなく、イオンシネマやゲームセンターやボーリング場や、未来屋書店や、東京のアパレルテナント、東京で話題のある飲食店のフードコートが欲しかった。
明治時代に日本鉄道が東北本線を八戸町の中心部に伸ばすかどうかで議論になった。
当時は他の町と同じく蒸気機関車忌諱説があり、流行病の懸念や軍部の要望があり外国軍上陸の脅威を減らすべく、市街地から4kmも内陸の尻内(しりうち)という辺鄙な場所に駅をつくった。あとで町民たちは鉄道は便利だと知ることになり、数年後に本線から分岐して八戸線が開通し中心市街地の800m北寄りに旧八戸駅、現在の本八戸駅を開設する。
そのあと100年以上が経ち、尻内駅は八戸駅に駅名が変わり、やがて新幹線駅に昇格した。しかし、あまりに市街地から離れすぎた立地のため、郊外の地方空港の様相であるかのように、22万人都市の玄関口としてはお察しくださいの状態である。
大正末期に八戸大火が発生し中心商業地区が焦土と化したが、田舎町には後藤新平のような都市計画家はおらず、当時の八戸町議会は多額の予算は出せないとして狭い道は藩政時代のままとなった。
太平洋戦争では基幹産業の日東工場爆撃が海側の地域で爆撃を受けるも、中心市街地の空襲被害はほとんどなかった。
市の北側に位置する旧日本軍の飛行場と基地は米軍に接収され、3,200人の米兵により飛行場を拡張し基地の街と化す。その後、陸海自衛隊基地として運用される。
八戸の中心市街地は、戦後しばらくして、東映、東宝、テアトルなどの7つの映画館が開店し、地元百貨店が開店し、緑屋、ニチイ、丸光(さくら野)、長崎屋、そしてイトーヨーカドー、地元資本のファッションビルが開店し、中心市街地は岩手県北を含め商圏62万人ともいわれ栄華を極めた。私はその時代を生きていないのでよくわならない。
八戸は昭和30年代に新産業都市に指定され臨海都市建設工事が始まり、八戸鉱山の石灰石産出、三菱製紙工場、八戸火力発電所、非鉄金属の精錬所、鉄工所、造船所が建設された。
漁業は栄光を極め、八戸港の水揚げ量・金額が日本一を記録し、第一・第二・第三魚市場は全国の漁船が集まったという。浜の景気は大変良く、飲み屋街や風俗街も発展した。北海道室蘭・苫小牧港へのフェリー航路が開設され北への玄関口となった。中心市街地を迂回する国道45号バイパスが整備され、市道の4車線の環状道路が次々と開通し、田畑の区画整理が次々と進み新興戸建住宅地や住宅団地は郊外に市街地は拡大し、市営バスは路線網を拡大し小中高校は増設を続けた。
一方で、青森寄りの天間林村(現七戸町)の上北鉱山は銅が枯渇のため閉山。また、八戸から60キロ北の六ヶ所村では新全国総合開発計画による巨大石油化学コンビナートや製鉄所を中心とした、1万7000ha開発計画は発表されたが、二度のオイルショックで完全に頓挫した。石油備蓄基地のみがつくられ、のちの日本原燃による核燃料サイクル施設建設を待つことになる。
青森県議会は東北新幹線建設に際し、八戸経由か弘前経由か決められずに結局盛岡駅止まりのまま以後八戸延伸まで20年待ちとなる。あの頃、早く決めていればとおもうと悔やまれる。
1991年に長崎屋が郊外に移転。屋内遊園地つきのラピア長崎屋が開店
1994年 年末に三陸はるか沖地震(震度6)が発生、旧市庁舎、旧市民病院に大きな被害、中心市街地のビルが倒壊し死者発生、道路の崩落、水道管破裂など多数被害
1995年 隣町にイオンモール下田が開店(現在は売場拡張し53,277平米)県南地域では最大の売り場面積を持ち、当時は大観覧車があり田んぼと山がよく見えた。
1997年 中心市街地の市民病院が郊外に移転し、いよいよ中心市街地の危機が地元紙で叫ばれるようになる
1999年 八戸臨海部の神戸製鋼の敷地にピアドゥ(売場面積25,400平米)が開店。核テナントはイトーヨーカドー、ホームセンター、のちにヤマダ電機、スーパー銭湯開店
2002年 東北新幹線八戸駅開業。北の玄関口として栄華を極める
2003年イトーヨーカドー八戸店が閉店、跡地に地元出資チーノオープン。市民映画館が開店
2009年 臨海部の八戸魚連跡地、ピアドゥの隣接地にシンフォニープラザ(現在の売場面積17,000平米)が開店
2000年前半イオンモール八戸田向店40,000平米級の建設計画が持ち上がる
当時建設中の4車線の県道八戸環状線沿い一帯の田んぼを区画整理し、中心街から八戸市民病院が移転した付近に立地計画。
市民の多くは歓喜に沸いたと思う。わざわざ隣町のイオン下田まで行く必要がなくなるからだ。
しかし、中心市街地の商業者を中心とした商工会が猛烈に反対し、当時の市長も大反対。
地元新聞の投書には、商店街関係者と思しき女性が「イオンが来たら中心街がシャッター商店街になってしまう。そんなところで祭り(八戸三社大祭という由緒ある山車の祭り)は見たくない!」などと書いていた記憶。
ほかに、市民病院の近くが週末渋滞して救急車が到着できなくなるから反対との投書もあった。
その後、市長は1期で落選し、新市長が当選し立地規制条例を制定
2012年 郊外にイオン田向ショッピングセンター開設(7000平米級)
新市長は、空洞化した市街地を再建すべく、市営の箱を次々と建設。
2011年 市営のポータルミュージアムはっちが開設、中心市街地にタリーズコーヒが初出店
2016年 ガーデンテラスが竣工し市営の八戸ブックセンターが開設、Yahoo八戸センターが同ビルに拠点開設
2019年 国際大会用の屋内スピードスケートリンクが開館(中心市街地から徒歩圏の運動公園に建設)
2020年 元長崎屋跡地にDEVELD八日町が竣工 13階建で2階以上はマンション
2023年 イトーヨーカドー八戸店跡地のはっちが閉店。解体されマンションになる予定
2023年 八戸港の水揚げ量が昭和19年レベルに激減(戦後最悪水準、金額ベースで最盛期の10%の漁獲高)
2025年 青森銀行とみちのく銀行が合併し青森みちのく銀行設立予定
東日本大震災のあと、国の復興予算で約10年で三陸復興道路が完成し、県道の環状道路は大半が開通した。市内のロードサイドにはセブンイレブンも、タリーズも、コメダ珈琲も、スタバもできた。新しいスーパーやホームセンターがあちこちにできた。
中心市街地は市営の観光施設や屋内広場、箱物と、市営書店ができて大変モダンな空間になった。
地元商工会議所は、中心市街地活性化のために、巨大イオンモール進出を阻止に成功し、街中に新たな商業施設として、ローソンとファミマが合計6店舗できた。モスとドトールしかなかった街中にタリーズができた。
しかし、市経済の低迷も相まって中心街へ商業施設誘導を果たせず、三春屋とチーノは閉店し、今やさくらの百貨店が残るのみである。かつての商業ビルはマンションへ建て替えが進む。
商業地としてのポテンシャルが低下してマンションになるのであれば、郊外に予定通り40,000平米のイオンモールを建設してもよかってのではないか。
結果、GMSは衰退し臨海部のヨーカドー八戸沼館店は閉店。後継テナントは未定で、市民は1991年開店の江陽のラピア長崎屋と、臨海部のシンフォニープラザ、2012年開店のイオン田向(リテール)のみになる。
よく巨大郊外型モールが撤退したあと社会問題になるため開発抑制が必要だという。都市計画的には正しいが、近隣県を含め広域自治体レベルで規制誘導しない限り、一自治体が規制をかけても無意味だった。
結局、市民は1995年以降、隣町のイオンモール下田まで行き、買い物客が流出し続けた。
中心市街地の地権者はコンビニ6店やマンション1棟やホテル2棟をオープンさせたが、新たに集客力のある商業施設を建てたては言えず、中心市街地の魅力向上のため、市営の文化的施設の建設に資金が投入され続けている。
2050年までに、八戸市の人口は社会保障人口問題研究所の推定で14万人台になるとしている(最盛期より10万人減少する)
人口減少社会は、かつての拡大した市街化区域を減らし、都市軸の再形成、まちなか居住、コンパクトシティの形成、魅力ある歩いて暮らせるまちづくりをするなど、さまざまなメニューがあるものの、あまりにも中心市街地再興への道のりが長すぎる。その過渡期に過ごす市民は、これからもイオンモール下田に通うことにになる。
せめて20年前に八戸市や市商工会議所は、イオンモール立地に反対しなければ、あの長い行列をつくりバスを待つ市内の高校生たちは、自転車でいける距離でイオンモールに遊びに行けただろう。
[B! 教育] ワークマン初のランドセルは税込8800円、「低価格・高機能・軽い」バランス重視の開発の裏側
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.fashionsnap.com/article/2024-03-05/workman-school-bag/
なんだかブコメが粗ぶっていたので、今まさに小学3年生の現役子育て世帯として、現代のランドセル事情(東京都下)についてまとめる。
高齢者は今時の常識へアップデートしてほしいし、これから出産・就学する親御さんたちの参考になれば幸い。
ここからの話は東京都下の公立小学校での話なので、私立や都心部のリッパな学校、地方の話はまた違うんだろうと思うけどね。
まぁ、あちこちで言及されているように、ランドセルと言えば本革の黒と赤、男子は黒で女子は赤、というのは全く持って時代遅れ。
もちろん黒・赤の保守層も一定割合いるが、もう半数前後かそれ以上がこの二色以外のパステルカラーやアースカラー、ブラウンなどカラフルなランドセルを使っているのがふつう。黒・赤でもアクセントカラーが入っていたりおしゃれ要素がある。
うちの子もなかなかに目立つ色のランドセルを自分でチョイスしたので、入学前は多少気をもんだが、無印のランドセルの話でも出ていたように、「同じ色の子」「あの子は~色のランドセル」などとそれぞれの種類や色が個性や識別のきっかけとして受け取られる時代であるらしい。目立つ色で孤立していじめられるとかそういうことは滅多に無さそう。嘘だと思うなら近所の小学生の通学風景をよく見てみるといいんじゃないかな。
それと、女子のピンク・パープル・スカイブルー、男子のモスグリーン・マリンブルーなどはそれぞれプリキュア・仮面ライダー等の影響を感じるのは別の意味で日本の子育てならでは。
そんなのこじゃれた東京の学校だから、と思うないなら、ランドセル大手のホームページを見てみるといい。
例えばシーズンになるとTV-CMもよくみかける「天使のはね」のセイバン
https://store.seiban.co.jp/shop/pages/instagram_user.aspx
それぞれ男の子・女の子の商品ラインナップを見れば真っ黒・真っ赤なモデルはかなり少数派、色以外の要素もめちゃくちゃ多様なのがなのがわかると思う。ふつうに古典的なランドセル型の製品だけでもこうで、さらに今回話題になったランリュック的なモデルを使ってる子もいる。そういう時代なんだよね。
よくあるのは「祖父母にリッパなランドセルをプレゼントしてもらう」って奴。
あれはほぼ子供のためよりも祖父母に対する家族サービス。
孫と一緒に買いに行って「これはおばあちゃんに買ってもらう」というシチュエーションを祖父母に楽しんでもらうイベントなわけ。
まぁ経済面で助かる、というのもあるが、安い製品は2万円台で買えて十分に丈夫で見た目も良いデフレ時代にそもそも高くて高級なランドセルを買う必要性って今ほとんどなくて、金銭面での理由付けは順位が低くなっている。
さらに、本革でオシャレなランドセルを背負わせたいという親の気持ちもわかるし、そこで親同士の見栄の張り合いとか、量産品をけなしたりする親もいるんだろうけど、それは完全に親のエゴで子供にはあまり関係ない。まぁ、都心の立派な学校にお受験するような世界ではなんか違うのかも知れんけど、自分的にはそういう世界はちょっと嫌だなと思う。
それから、子供をランドセル専門店に連れていくと、5歳児のセンスなので、当然派手なカスタムモデルや、くるくるの革細工で装飾されたモデルなんかに食いついたりする。そしてそれらは当然いいお値段になる。だから、実際に連れていくのは結構順番を慎重に考えた方がいい。「今日は色を選ぼう」とか「「ここでは買わないと思うけど見てみよう」などの予防線を張ってみるのもよいかもしれない。カタログも同様。本気で親の本命モデルがあるなら、偵察は親だけで行き、子には敢えていろいろ見せずにまっすぐ行った方がいいかもしれない。
あとは購入時期、一時期「ラン活」などと言われ、入学前年の夏ころには売り切れる、などと話題になっていたのは上記のような贈答用や見栄用の高級品の話。
それこそ一品物に近いような手造り製品からヨーカドーやニトリで買える大量生産の工業製品までピンからキリまで選択肢があるのが今の日本の豊かさと言えると思う。
量産品なら入学直前の3月に駆け込んでもまー多少選択肢は限られるけど買えないなんてことはない。
ランドセルで検索すると、先ほどのような大手メーカーから専業メーカー、皮工房など様々な製品が並ぶ。実際、幾つもショップを巡ったり子供を連れて行ったりしたが、本当に様々だし、質感や使いやすさなど今のランドセルはよくできている。
けどさ、使うのは小学一年生なわけ。ボッコボコにぶつけるし、床や地面に放り投げる、あまつさえランドセルを座布団替わりに使ったり、踏んづけたり、ソリ替わりにして斜面を下ったりしかねないわけ。
で、「だから、6年間使える丈夫な本革」というのは多分かなり時代遅れな発想で、そもそも今の量産品のランドセルは合皮でめっちゃ軽い。というかそれ以前にランドセルがデカい。
1. 教材が増えた
3. 学校に教材を置きっぱなしにできない(全くではないが)
4. タブレットやChromebookなどを持ち歩く
等の要素が大きい。
そして、ランドセル以外に手持ちで運ぶ習字セットや絵画セットも立派でデカい。
とにかく、今の小学生の荷物の量は自分ら親の世代から見ると異常なレベルで、自分の頃の倍ぐらいの荷物持って歩いてるんじゃないかな?
正直、親から見ると子供がかわいそうだし理不尽さを感じるレベル。ただ、この辺りは学区や校風等さまざまな要素で変わるとは思う。
そういう状況でランドセルに求められるのは「収納力」と「軽さ」なんだよね。そこで「本革は時代遅れ」という話に繋がっていくわけ。大きいほど重くなる本革は今のランドセルの要求仕様に向いていない。
もう一つ、ランドセルの使い方でポイントになるのはランドセルカバーの使われ方。
学校や自治体・学区によって変わるだろうけど、低学年はランドセルに黄色い安全カバーを付けさせられる学校が少なからずある。
そしてその延長線上で、黄色いカバーがなくなると、様々なデザインのオシャレカバーを付けるという話が出てくるんだよね。
ランドセル自体もカラフルだから、おしゃれ要素としてカバーを付けていても全然違和感が無いので、当然女子の間では「~ちゃんが~なカバー付けてる」みたいな話がでてきて、友達と仲間外れも気の毒だから親も買わされるわけ。そんなところもランドセルの多様性に繋がる。逆に、ランドセルと言うフォームファクターが決まっているからできる要素ではあるかもね。
ランドセルは本当に乱暴に使われる、乱暴に使わせないのが躾だというかもしれないが、まぁ、そういう家は頑張ってお受験してよい学校に行けばいいのではないか?
上で述べたように、今のランドセルは軽くて丈夫だしデカい。なので、6年間はまぁ使われても問題ない強度だと思うのだけど、一方で安い製品は本当にお手軽価格で買える。
なんで、そもそも6年間1つのランドセルを使い続ける、という事自体発想が古いのではないかと思うんだよね。
ここまで説明したように、皆で同じものを最後まで使う、という均一なコミュニティの時代ではなくなっているのだから、ボロボロになれば、高学年になれば新しく買い替える、ランドセルを止める、というのができる時代になっていると思う。
そもそも、小学6年生まで大きくなればほぼ中一なわけで、その背丈でランドセルもおかしくね? って子も出てくる。
ランドセル専門店のカタログを眺めていると、6年間大事に使ったランドセルを海外に寄付しようとか、リフォームして思い出のアクセサリーに、なんて話も色々載っていて、それはそれで楽しいね、とは思うけど、例えば中一になった男子がそんなこと考えると思う? たぶん、それはそれで親の楽しみなんじゃないかな、と思うんだ。
だから、これからランドセルを買わなきゃという親御さんも、そんなに気張ったり焦ったりする必要はないんじゃないかなと思う。
やりたい風にすればいい、色々なやり方がある、今の日本は多様性と選択肢があることを喜ぶべきなんじゃないかな?
ランドセルを作る側にしたって、色々なアプローチを試してみればいいと思う。売ってみて売れなければ撤退すればいいじゃない? 安いランリュックでいじめられたら買いなおせばいいじゃない? 外野がとやかく言うような話じゃないと思うよ。
今日、2023年2月29日、に埼玉県の新所沢駅前にある「パルコ」が閉店するとのことで行ってきた。2023年1月31日の渋谷の「東急本店」の閉店、2023年2月28日の千葉県の津田沼駅前にある「パルコ」の閉店以来。来月の2024年3月31日には東京都八王子駅前の「K8」の閉店、2024年9月の津田沼駅前「イトヨーカドー」の閉店にも行く予定だが、何となく有名な大規模商業施設の閉店が多い気もするので、一旦感じたことのメモ:
・ひとまず新所沢も津田沼も「道路が死ぬほど狭い」。本当に車に轢かれそうなぐらい狭い。土地価格が安いのになぜ?? 踏切も多い!
・戸建て住宅地は基本的に雑な区画で、何と言うか新しく住みたい感じは生まれない。ババ抜きのババ感が少しある。
・新所沢に行くまでのガラ空きの西武線で優先席に座っていたら、眼の前の優先席に座っていた高齢男性が結構睨んできた。気のせいかもしれないが、市立小中学校エアコン問題みたいのが未だにある気はした。所沢から新宿方面に向かう電車と何か雰囲気が違った。
・郊外系の「パルコ」が都心の消費文化を輸入する設定は当時は面白かったのかもしれない。「映画館」「文化施設」等も組み合わせるのも良いが、今となってはその辺のイオンの水準にも達していない。テナントも東京のその辺の駅前にある第三セクターのビルの方が良い。
・新所沢駅に関しては目の前にある謎の噴水広場は再開発反対の(当時の)老人たちによって残されたらしいが、案外今後重要になるかも。
・新所沢駅から2駅の所沢駅に関しては、駅前が思っていたよりも高層マンションが多く商業施設も多く人も多かった。
・新所沢から所沢駅を散策すると郊外系の面白そうな文化が微妙にあった。所沢市は自然も豊富で、トトロのふるさと基金など自然を活かす運動も盛んであり、そうした意味では面白いエリアになるかも。ただ、道路をどうにかしたほうが良い。。。
・津田沼は、歴史も面白いし、自然もあるが、今後の「再開発」でそれが活かされることは無いように感じる。新幕張にあるイオンの劣化版みたいな商業施設にマンションがくっついたら成功なのだろう。
・どの閉店祭りでも「私の青春はここで消費しました」みたいな寄せ書きがあるが、何となく虚しい。消費でしか自己表現手段を持たない人たち、という感じ。新所沢の建物に関しては残しても良い気もする。ここを拠点にするオフィスがあっても面白い。ただ、全体的に周辺が停滞している印象なので、世代交代が無いと思い切った新しいことは出来ないかも。
・消費で街を作っていく手段も良いが、次の世代に受け入れられないと一気に街が暗くなる。新所沢も津田沼も次の世代を意識した公共財の創出があまりされてこなかったように思える(新所沢の体育館はカッコよかった)。
イトーヨーカドーもイオンも閑散度は似たようなもんだ、というブッコメに★が多く集まっていて(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/735015)、それを書いた人がどの立場でそう感じているのかは分からないのだが、それはとても正しい。ロードサイドだって平日はガラガラだというブッコメもあり、それもとても正しい。ただまぁ一方で平日は都心のファッションビルやデパートだって閑散としてるし休日は駐車場の入庫行列するようなショッピングセンターだって閑古鳥なので、そこの時間帯を比較することには、本件を読み解くためにはあんまり意味はない(このご時世に小売って厳しいよなーという文脈なら検討に値する視座ではある)。
まぁ、今のところはイトーヨーカドーが劣勢でイオンが好調である。GMSの世界というか小売業は本当に栄枯盛衰の移り変わりが速い業界で、イオンがいつまで好調を維持しているかも分からない。分からないが、これまでのところはイトーヨーカドーが降り、イオンが勝ち残っている。ヨーカドーが降りざるを得なくなった理由にはいくつかあるが、それは客足以外のところにある。
イトーヨーカドーの駅前店舗は、多くが賃借ビルの一棟貸テナントである。これはイトーヨーカドーが飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃には効率経営が高い(BSを圧縮したまま事業拡大できる)として称賛されていた。少し話はずれるが、イトーヨーカドーと地元商店街の対立図式は、単なる客のパイ争い以上に「駅前の再開発」に絡むものだから、要するに再開発の線引きエリア外の商店主が怒っていたという側面もないこともない。
話を戻して。ただし賃借方式だと賃料を支払い続ける必要があるため、薄利な小売店にとっては経営のかじ取りが難しい。イトーヨーカドーはドミナント出店(回りをイトーヨーカドーだらけにして、低価格の目玉商品を大量投入して周囲の競合を脱落させる手法)が上手だったと言われているが、それは当該の前項記事にもある通りhttps://toyokeizai.net/articles/-/734323?page=2昭和時代のダイエーとの比較においてであり、駅前に地域旗艦店GMSを置き周囲にSMを置くという手法は、次項に説明するが、消費者の買い物行動の変化に伴う商圏の変化に付いていけなくなっていたのだろう。ドミナントの難しいところは、囲い込んで他に選択肢を無くさせる過程の「手段」において安売りキャンペーンを続ける必要があるところで、そこも賃借だと館全体の利益を圧迫することになるというリスクもある。
また、イトーヨーカドーはGMSであることをアイデンティティにしてきたためか自社のPB衣料品ラインの損切りがかなり遅れたのだが、アイデンティティへの固執に加えて、もともと店舗が賃借であるためテナントを入れると自前で仕入れた商品の販売や自社PB商品を売るよりも利ザヤが小さくなってしまうのがその理由だと推測できる。PBの衣料品も昭和の頃は「衣料品は腐らないから賢い」と称賛する人もいたんだけどね…。
一方でイオンは(買収や方針転換もあるので全てではないが)多くの施設が賃借ではなく自社開発だ。拡大戦略の初手から自分で土地を調達し自分で建物も建てる戦略。発祥が地方都市だからということもあり「田舎の安い土地を二束三文で借り(または買い)自前で建物を建て、広大な駐車場を持つ巨大スーパー(GMSというよりも巨大スーパー)をあちこちに作っていった。
自前開発なので建物を建てたコストが償還できればその館の運営はかなり安定的に行えるようになる。またちょっと話はずれるが、イオンはGMS店舗もイオンモールも建物の作りはかなり安普請というかお金をかけない割り切った作り方をしていて、SCの競合であるららぽーとはもちろんゆめタウンよりも安普請。清掃などの館のマネジメントもお金をかけていない(全てのイオンモールがこの限りではなく都市部店舗などはもう少しハイグレードになっているが)。この割り切りが、ある意味イオンの現在までの堅調さを支えていると思う。
このイトーヨーカドーは賃借店舗が多かった、というのが、まぁ10年以上苦境が続いている最大かつほぼ唯一の理由じゃないかと思う。そして一つ歯車が狂うと、どんどんうまく行かなくなっていく、経営って本当に難しいな。
住宅の郊外化が進んだことで商圏(客がどのぐらいの範囲から来るかの推測で店の形態ごとに違う)が変化した。スーパーマーケットの商圏が拡大する。毎日の買い物に車を使う人が増えて、駅前出店を中心にドミナント出店をキメてきたイトーヨーカドーは駐車場の確保に苦慮することになる。イオンはハナから広大な駐車場が付いている。スーパーマーケットの商圏が拡大すると、駅を中心にした半径に「ドミナント城」を構えていようがあまり意味がなくなってくる。
そのタイミングにイオングループは巨大スーパーの次の拡大策としてショッピングセンター開発を本格化する。イオンは建物を自前で建てているのでテナントを入れたらまるっと賃料が入ってくる。ヨーカドーが賃借部分をまた貸しするのと比べると旨味が大きい賃料収入になる。要するにイオンモールは実は半分不動産事業(デベロッパー)である。一般的にデベロッパーが作るSCにはコアテナント・キラーコンテンツとしてスーパーマーケットを誘致するのが常なのだが、イオンは自分がコアテナントであるのが最大の強み。
このビジネスモデルでイオンは全国の「ここに商業施設は建つのか」という郊外やロードサイドにバンバン巨大なイオンモールを作っていく。同時期にSC競合である三井やゆめタウンもバンバンSCの出店拡大を行っていった。これで「家族の日常の買い物」という消費行動における商圏が変化する。まずは商圏がいったん拡大(毎日の買い物でも車で30分のSCに)、そしてSCの出店が増えることで「道路網に沿うように」商圏が縮小(もう少し近いSCができたね)という順番で商圏が車前提に変化していった。ここでチェックメイト感は正直あったと思う。他デベロッパーのコアテナントでイトーヨーカドーが入ることはもちろんあっただろうがやはり賃借モデルなので利益は(イオンと比べて相対的に)小さくなってしまう。
イオンはさらにドミナント戦略も巧みで、多様な店舗のラインナップを作ることで出店用地を比較的選ばずに囲い込みができるようになっていたのもデカい。巨大SC、巨大SM、安売スーパー、小型店、コンビニなど、他の小売店の買収も効率的に使った出店戦略が巧みだった。イトーヨーカドーが、買収したSMチェーンを集約化する(「鳩のマーク」に変えさせるのが象徴的)のと逆に、ラインナップ自体を増やす方向に舵を切ったのが成功の要因だろう。敵がどこに出店しても、何らかのカードを切ることができる体制を作った強さ。イオンは買収したチェーンのブランドをしばらくそのまま使っていたりが全然平気なのだが、買収された店舗はじわじわと数年かけてイオンに変貌する。怖いね笑。
商売がうまいといえばイオンの食品PBトップバリュも複数のラインアップを出しているがこれも恐らく同様の「多様志向」を捉えた戦略で、セブンアイおよびセブンアイプレミアムでやってきたイトーヨーカドーとの経営の方針の違いが出ていると思う。ネット民に不評な「黄色トップバリュ」だが(美味しくないよね笑)価格訴求に全振りする商売上手ぶりは、要するに下請企業との関係を保ちながら「安いものが買いたい」客を掴めるし、グリーンアイという単なるグレード分けではないような見せ方がうまいし消費者をよく見てるよなぁと感心する。会社として戦略的柔軟さがある(というかイトーヨーカドーが柔軟さがなさすぎるというか)
これは私見だが、「車で肉や野菜を買いに行く」ライフスタイルが定着した理由には、日本人の共働き化も大きいと思っている。あなたも私もそうだが、働いている人たちは平日に買い物ができないからだ。休日にデカいスーパーに色々なものをまとめ買いする、という行動様式自体は米国(SCを生み出した国でもある)などを中心にすでに存在していたライフスタイルだが、これが日本に定着したことで、自転車で買い物に行ってる場合じゃねえ!という感じになる。一週間分の買い物は重い。保育園や学童から子供を連れて帰る足で出来る買物はたかが知れている。
当該のブコメにもあったが、イトーヨーカドーがかつて誇っていた衣料品のニーズは、ユニクロなどのカテゴリーキラーが現れたことで魅力がなくなってしまってたがそれに気づけないままたぶん10年以上ぼんやりしてたと思う。IYGはぼんやりついでにそごう西武を買収して案の定うまく行ってなかった。よりによってそれを買うのか笑、という感じは正直あったけど、駅前旗艦店が華やかだったころの夢を組織が忘れられなかったのか。一方でカテゴリーキラー業界は活況を呈して、駅前にはヨドバシカメラが続々と出店していっている。栄枯盛衰…。
実はネットスーパーはイトーヨーカドーの方が先んじて頑張っていた。頑張っていたが、どうも、生鮮品の配送は本当に儲けが出なかったらしい。また足元ではそもそも「店員がいない」問題が起きていて配送している余裕がなくなっているという話もちらほら。
生鮮品の配送については巨大な「生協」という存在がいる。実は生協も、いくつかの狂信的ナチュラル系生協以外は生鮮品の扱い量はそれほどは多くはないらしいのだが、卵や牛乳などを定期配送してくれて安全基準も高い生協の生鮮宅配が一強で、他の小売はどこも大苦戦しているよう。イオンもグリーンビーンズという宅配サービスを始めたが、さてどうなるかとワクワクドキドキである。
イトーヨーカドーが大量閉店するがヨーカドーが出来たせいで周辺で沢山の小規模店が閉店したのに責任を取らず「撤退します」というのは許されるのか
https://togetter.com/li/2311217
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2311217
上記まとめにて買い物難民が大量発生するなどと発言してる人、閉店するイトーヨーカドーの周辺にどれくらいスーパーマーケットがあるか調べてないでしょ。
という訳で、撤退する青森県内の4店舗全ての周辺を地図で調べてみたよ。
100メートル東に弘前駅があり、そこにAPPLIESEという駅ビル型ショッピングセンターあり
駅の東には、カブセンター(紅屋商事)、ユニバース(アークスグループ)あり
400メートル東に、ドンキホーテ、ユニバース(アークスグループ)、カブセンター(紅屋商事)あり
という訳でイトーヨーカドーが青森県から撤退しても、買い物難民が発生することはまず考えられません。心配してくれた人、杞憂でした。
ちなみにアークスグループや紅屋商事は北海道や東北地方を中心に展開するスーパーマーケットの運営母体です。イトーヨーカドーが地元小売店を閉店に追いやって、いざ採算が取れなくなると撤退して買い物難民を大量に生み出していると主張する人がいるようですが、地元小売店は健在のようですね。
Togetterのまとめによると、青森県の地理を全く知らない人が煽りを入れて、それにつられて的外れな意見を言う人が多数連なってしまったと見受けられます。
「買い物難民が発生する~」だの「地方がますます衰退する~」だの書き込んでいる人たちは、せっかくインターネットに繋がってるのだから、知らずに情報発信する前にGoogleマップとかマピオンとかで地図を調べた方がよかったと思います。
セブンティーンアイス見かけると、真夏のクソ暑い日に人気もない夜の高幡不動駅で暑くて敵わんと買った時、自販機のすぐ近くに座ってたおっさんが多分おれの真似をして買ってたのを思い出す。成人男が自販機のアイスを買うのは少し気恥ずかしい。
真冬のクソ寒い日に江ノ島へ夜釣りに行った時のことも思い出す。海風で凍死するんじゃないかと思いつつ、ローソンも遠いしせめて固形に近いものを胃に入れたくてアイスを食った。
ガキの頃の水泳教室でも置いてあったけど、アイスの味よりも自販機の下覗いて小銭を探してた方が記憶にある。というかほぼ食った記憶がない。小学生の頃、100円玉はドラクエのACゲームを遊ぶためのものだった。
イオンやヨーカドーで買ってもろてた時、たまにはシャーベットをと思って選ぼうとしたら母が渋い顔をしたのも印象深い。ちょっと高いマカデミアなんとかは選んでもええよって言う癖に。同じ値段でアイスに対してシャーベットは割高感があるらしい。夏はシャーベットでサッパリ行きたいだろ。損得じゃなくてそういう風流を持てよ。好きなものを食わせろよ。とは言えなかった。今は好きに買える。何なら二つ食ったっていい。
生まれた時から普通に存在してたからなんとも思ってないけど、よく考えたら変な名前ってあるよね。例えば「イトーヨーカドー」って、よく考えたら店名としては無駄に長いわ、本来はイトウヨウカドウのところを何故か伸ばしてるわで相当変な名前だと思う。僕らは生まれた時からイトーヨーカドーが当たり前に存在していたヨーカドーネイティブ世代だからなんの疑問も抱かずに受け入れてるけど、仮にイトーヨーカドーが存在しなかった世界線でいきなり新店舗としてこの名前で店が出来たら「なんじゃその変な名前は」ってなると思う。
昔姫路に行った時「ヤマトヤシキ」というデパートがあって、なんじゃその変な名前の店はと衝撃を受けたんだけど、地元民は何も違和感を持ってないっぽくて。これも姫路の人たちがヤマトヤシキネイティブだから受け入れられてるってことなんだろうなと思った。
名前って、勝てば官軍という感じで、社会に普及したら多少変な名前でもみんな普通に受け入れてくれるようになるよね。けど冷静に考えたら変だと思う名前って、世の中に結構たくさんある気がします。
ソシャゲ熱が下がりつつあり、そろそろコンシューマーの季節だなあと
購入困難と言われてた時期に入手し、そのまま年単位で放置していたゲーム機を開封した
これまた入手困難と言われた時期にヨーカドーの玩具売り場で入手し放置してたリングフィットアドベンチャーを試してみる
スクワットやべえ
画面の指示についていけねえ
け、血圧が、、、
これは置いといてPS5行っとこう
そろそろ古い機械だと処理速度ヤバそうだしダウングレードバージョンで値上げするっていうし
とりあえずで買っといて大勝利では
読み込みは明らかに早い(ソフト側の読み込み画面演出が終わる前に移動完了)
よっしゃ
さて、モニター別に4Kでも2Kでもないんで画像は変わらないがマルチメディア見るか
いや、そりゃ確かにPS4でのdアニメストアのアプリも酷いデザインのまま放置でやる気なかったけど
しばらくはPS3(1、2対応機種)と4Proと5を全部つなぎっぱなしになりそう