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はてなキーワード: モンテスキューとは

2024-01-23

anond:20240123185631

ロックカントホッブズモンテスキュールソーヘーゲル死刑必要だと主張していた彼らは人権意識の足りない野蛮人

自分たちの考えが絶対的正義という前提からスタートして圧力かけて従わせようとする方が野蛮だと思うのだが。

2021-12-07

anond:20211207115110

リベラル思想は、あまり理想的人間像を前提されてた

  ってのは、まあ、実際にそういう面はあるんだろうけど、だからと言って全面的否定すると近代思想のもの否定することにもなりかねない。ロックモンテスキューetc. そうなると、アメリカ合衆国フランス共和国などのよって立つ基盤の否定につながり、自由主義陣営総崩れで、笑うのは中国ロシア北朝鮮という展開に、、、

2021-01-27

anond:20210127224244

人間の脳が原始時代のままで王様大統領)が全てを決める(決められる)と思い込むのだろう。

三権分立という新概念適応できるほど人類進化していないのだ。

モンテスキューが『法の精神』を著してまだ300年も経っていないから。

2021-01-26

パンティーヶ原の戦いでパンティー軍が勝ったパンティラインに住んでる

結論から言うと、東軍が勝ったパンティラインに住んでる人かわいそう。

以下、ざっくり現代までのパンティー史を書いていく。

 

パンティー川家康関ケ原パンティーを被り討ち死に。パンティー川秀忠は切腹。両者のフンドシは一条戻橋に晒される。徳川家結城秀康が引き継ぐも程なくパンティー川家に改名され実質滅亡。

その後パン東ィーには何人か大名が移り住んだが誰も定着せず荒れ野のまま。

パン東ィーなんて今もほとんど人が住んでいないド田舎の話は誰も興味がないと思うので話を元に戻す。

パンティーケ原の戦い後、小早川秀秋白パンティーを履くも5年で病死。その後は豊臣秀頼白パンティーを履く。日本上杉、宇喜多毛利島津などが各地域を100年ほど分割支配し、相互監督をはたらかせていたが、パンティーぬがしっこが起こらず、外国との下着交易も進みパンティー業が発展していったので時代遅れ武士は次第に消えていった。その代わりに交易利益を上げた大名が豊臣を中心にパンティー体化していく。というわけでこちらの歴史の授業ではいちいち武将名前なんて覚えない。そちらではやたらと武士がもてはやされているらしいが、こちらでは武士鎌倉幕府まではともかく、室町幕府以降はフンドシしか履いていなかった印象で、野蛮で恥ずかしい存在しかない。交易パンティーが発展しているので、日本のせまーいフンドシでチンポなんてものを覆わせて税金徴収するなんてバカなことはパンティーケ原の戦いの50年後にはなくなった。18世紀に入ると各地域下着難民や縫製労働者が蜂起して自パンティー権が漸次的に認められるようになっていく。そちらとは違って武士の強権的な支配がないのでゆるやかにパンティー化していく素地があった。パンティー教も新旧両派が認められ、汎帝教と二大勢力になっている。その後、ヴァンディー教やパンツィル教を信じる人も増えていく。フンドシがいなくなっていくにつれてブリーフトランクスは消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でもトランクスは消えていった。今でも下着の残骸のようなものは残っているが装着する人は誰もいない。

 

19世紀になると大名支配していた地域で縫製労働者下着難民代表者からなるパンティー会と豊臣を首班とするパンティー人からなる下着会が設置されていく。いわゆる列強とも条約を締結したが、そちらの江戸幕府かいものが結んだような不平等条約ではない。もちろん条約下着会が承認する。19世紀の半ばにはアメリカヨーロッパ思想パンティー語に翻訳され、誰でも読めるようになっているが、モンテスキューロック思想パンティーと大して関係がないということで学校議論する程度。そちらの学校では武士の強権的な支配によって作られたせいで自由議論することは認められてないらしいけど、こちらは子どもたちが自由パンティーを履いて走り回るのがメイン。この教育きっかけにパンティー族の力は次第に失われていく。19世紀半ば以降は欧米列強に対抗するため、近隣諸国連合巨大パンティーを形成する構想が何度も浮かぶアジア大陸では日本と同様、汎帝教とパンティー教がメイン。フンドシ教は非合理的なので衰退。ここでは一致できるのだが、しかし、ヨーロッパ発の裸体主義思想の影響もありうまくいかない。結局最初は2~3か国の同盟からパンティ連合が始まる。19世紀終盤にはアジア圏と欧米列強との間で大きなパンティ戦争が起きる。フンドシのような抑圧的で野蛮な下着が早い時期になくなり、無駄戦争はしなくなっていったこともあり、1年ちょっとで早々に講和条約を締結。20世紀を迎える。

 

20世紀に入ると漸次的に汎アジア国家条約連合(PANTY)が形成されていく。PANTYはそれぞれの装着者で温度差はあるものの人体の曲線的な魅力を布地が補強するコンセプトからなる。パンティ列島地域は力を失ったパンティー族が政治的な実権を失い、国民代表からなる下着会と各地域代表者からなる元パンティー院、PANTY議会派遣される議員存在している。ヨーロッパで発生したヌーディズムと戦う第二次世界大戦こちらの世界でも勃発する。しかし、パンティ地域に没個性で野蛮なフンドシが存在しないこちらの世界では他国侵略を行うようなことはない。PANTY含む連合国がイタリアヌーディストノーパンドイツを倒して戦争は2年半で終結。その後、PANTYとブルマ圏、欧米諸国との間でイタリアドイツを再建。アジア大陸では中国全裸党とPANTYの戦いが続くが、1964年に休戦。中華全裸共和国はそちらの世界よりも規模がかなり小さく(朝鮮半島の付け根北部地域のみ)、影響力もあまりない。PANTYは中東諸国に対するブルマ圏やアメリカ侵略から防衛にあたり、友好関係現在に至るまで結び、勢力圏を拡大。意地でもヌーディズムを譲らないソ連と意地でもブリーフを手放さなアメリカ1980年代になると衰退していく。インド中東諸国が加入したことでPANTYは汎アジアインド中東国家条約連合(PANTIES)へと改組される。PANTIESとブルマ連合アメリカソ連の再建の中心となる。

21世紀に入ると世界はPANTIES、ブルマ連合全裸連合ノーパン連合、紐パン連合連邦国家構成されていく。返す返すも、そっちの世界のように東パンティーの野蛮な武士支配権を握らなくてよかったと思ってる。

関ケ原の戦い西軍が勝った世界線に住んでる

結論から言うと、東軍が勝った世界線に住んでる人かわいそう。

以下、ざっくり現代までの歴史を書いていく。

徳川家康関ケ原で討ち死に。徳川秀忠切腹。両者の首は一条戻橋に晒される。徳川家結城秀康が引き継ぐも実質滅亡。

その後関東には何人か大名が移り住んだが誰も定着せず荒れ野のまま。

関東なんて今もほとんど人が住んでいないド田舎の話は誰も興味がないと思うので話を元に戻す。

関ケ原の戦い後、小早川秀秋関白になるも5年で病死。その後は豊臣秀頼関白になる。日本上杉、宇喜多毛利島津などが各地域を100年ほど分割支配し、相互監督をはたらかせていたが、戦争が起こらず、外国との交易も進み商業が発展していったので時代遅れ武士は次第に消えていった。その代わりに交易利益を上げた大名が豊臣を中心に貴族化していく。というわけでこちらの歴史の授業ではいちいち武将名前なんて覚えない。そちらではやたらと武士がもてはやされているらしいが、こちらでは武士鎌倉幕府まではともかく、室町幕府以降はの混乱を引き起こし元凶で、野蛮で恥ずかしい存在しかない。交易経済が発展しているので、日本のせまーい土地で米なんてものを作らせて税金徴収するなんてバカなことは関ケ原の戦いの50年後にはなくなった。18世紀に入ると各地域農民労働者が蜂起して自治権漸次的に認められるようになっていく。そちらとは違って武士の強権的な支配がないのでゆるやかにリベラル化していく素地があった。キリスト教も新旧両派が認められ、仏教二大勢力になっている。その後、ユダヤ教イスラム教を信じる人も増えていく。武士がいなくなっていくにつれて神道儒教は消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でも儒教は消えていった。今でも神社の残骸のようなものは残っているが参拝する人は誰もいない。

19世紀になると大名支配していた地域労働者農民代表者からなる議会と豊臣を首班とする貴族からなる議会が設置されていく。いわゆる列強とも条約を締結したが、そちらの江戸幕府かいものが結んだような不平等条約ではない。もちろん条約議会承認する。19世紀の半ばにはアメリカヨーロッパ思想日本語に翻訳され、誰でも読めるようになっているが、モンテスキューロック思想自分たちのやっていることと大して変わらないということで学校議論する程度。そちらの学校では武士の強権的な支配によって作られたせいで自由議論することは認められてないらしいけど、こちらは子どもたちが自由議論して学ぶのがメイン。この教育きっかけに貴族の力は次第に失われていく。19世紀半ば以降は欧米列強に対抗するため、近隣諸国連合国家形成する構想が何度も浮かぶアジア大陸では日本と同様、仏教キリスト教がメイン。儒教は非合理的なので衰退。ここでは一致できるのだが、しかし、ヨーロッパ発の社会主義思想の影響もありうまくいかない。結局最初は2~3か国の同盟から連合が始まる。19世紀終盤にはアジア圏と欧米列強との間で大きな戦争が起きる。武士のような強権的で野蛮な人間が早い時期にいなくなり、無駄戦争はしなくなっていったこともあり、1年ちょっとで早々に講和条約を締結。20世紀を迎える。


20世紀に入ると漸次的にアジア太平洋連合国家APS)が形成されていく。APSはそれぞれの構成国で温度差はあるもの民主的憲法国民が制定した国家からなる。日本列島地域は力を失った貴族政治的な実権を失い、国民代表からなる議会と各地域代表者からなる元老院APS議会派遣される議員存在している。ヨーロッパで発生したファシズムと戦う第二次世界大戦こちらの世界でも勃発する。しかし、日本地域に強権的で野蛮な武士存在しないこちらの世界では他国侵略を行うようなことはない。APS含む連合国がイタリアファシストナチスドイツを倒して戦争は2年半で終結。その後、APS共産圏欧米諸国との間でイタリアドイツを再建。アジア大陸では中国共産党APSの戦いが続くが、1964年に休戦。中華人民共和国はそちらの世界よりも規模がかなり小さく(朝鮮半島の付け根北部地域のみ)、影響力もあまりない。APS中東諸国に対する共産圏アメリカ侵略から防衛にあたり、友好関係現在に至るまで結び、勢力圏を拡大。意地でも共産主義を譲らないソ連と意地でも資本主義を手放さなアメリカ1980年代になると衰退していく。インド中東諸国が加入したことAPSアジア太平洋連邦共和国(FRAP)へと改組される。FRAPと欧州連合アメリカソ連の再建の中心となる。


21世紀に入ると世界はFRAP、欧州連合北米連合南米連合アフリカ連合連邦国家構成されていく。返す返すも、そっちの世界のように東日本の野蛮な武士支配権を握らなくてよかったと思ってる。

2020-10-07

私の苗字はかっこいい

私の苗字はかっこいい。生まれときにもらった姓も、綾小路とか有栖川的なかっこいい苗字だったが、結婚して夫の姓とくっつけたのでますますかっこいい名前になってしまった。

まもなく子供が産まれるが、夫の国の名前日本名をつけるつもりなので、フルネームは、綾小路モンテスキュー花子クロエみたいになる。かっこよすぎだろ。創出姓こそが大勝利だ。

 

まあ全部妄想なんですけどね。

2020-09-09

ウン十年ぶりに思い出した!そんなことあったね!ってなることを言ってやる

モンテスキュー

2019-04-23

anond:20190423132157

モンテスキュー友情契約だと断言している

から取引があるほうが自然

対等でクリーンで青く晴れた空のような友情定義のほうが理想主義的で変なんだ

2018-09-24

16 ルネサンス

モンテーニュ『エセー』(70)

17 古典主義・理性尊重・豊かに

デカルト

パスカル

ラ・ロシュフコー箴言集』(95)

ラ・ブリュイエールカラクテール』(98)

18 擬古典主義啓蒙主義ロマン主義

モンテスキュー

ヴォルテール 文明最高/人間クソ

ルソー 文明クソ/人間最高

19 ロマン主義写実主義自然主義象徴主義

セナクール『オーベルマン』(142)

アミエル『アミエルの日記』(143)

ヴィニー『軍隊服従と偉大』(148)

ネルヴァル『火の娘』(160)

バルザック人間喜劇』(168)

スタンダールアンリブリラールの生涯』(173)

フロベールブヴァールとペキュシェ』(188)

ゾラルーゴンマッカール叢書』(202)

モーパッサン脂肪の塊』(204)

レオン・ブロワ絶望者』(209)

20 資本主義世界大戦

ロジェ・マルタン・デュ・ガールチボー家の人々』(235)

サン=テグジュペリ人間の大地』(242)

サルトル

カミュ異邦人』(260)

構造主義

その他

フランス名詩選』 岩波文庫

肉体の悪魔』 レイモン・ラディゲ

狭き門』 アンドレジッド

ボヴァリー夫人』 ギュスターヴ・フロベール

フランス小説の扉』 野崎 歓

モーパッサン短編集』1~3

2016-07-25

なぜ偉大な思想家日本人邪悪な本性を見抜けるんだろう

↓こんな記事を見つけた↓やっぱり当時から日本の悪評は有名だったのでしょう

フランスの偉大な思想家モンテスキューは「日本人性格は非常に変態ヨーロッパ人にしてみれば、日本は血なまぐさく、変態で、殺りくを好む民族だ。日本人は頑固で、自分勝手で、自信過剰で、愚昧で、無知で、上には媚びへつらい、下に残虐だ。日本人はすぐ人を殺すし、すぐ自殺する。自分生命はおろか、他人生命など心中にない。ゆえに、日本は混乱と仇討ちに満ちている」と評した。

http://news.livedoor.com/lite/article_detail/9277537/

2016-03-08

思う事、徒然

◆快

快に流されやすいのは、自傷一種らしい。

さもありなん。。。

うつぼざる

やりたかった事が出来なかった結果、目先の利益に走ろうとしても人として手を汚すことを厭い、結果として人様の為に生きようとしている現状。。。

そのまま「靱猿」という狂言だ。

◆TVに見え隠れする社会のつらさ

おむつCMさかなクン、あと「世界の車窓から」。

この3つはつらさがなく、元気になります

◆本

[一時間読書をもってしても和らげることのできない悩みの種に、私はお目にかかったことがない]byモンテスキュー

大きい本屋には全てが詰まっており、どうしようも無い時に行くと、良さがある。

◆余談

アミダくじで10連勝しただけみたいな人が書いてる自己啓発書立ち読みしてみると、逆に面白かったりする。

◆苦手

客先でコーヒーを出され、「苦手なんです」の一言がどうしても言えずに飲んでしまい、体調が破滅した。

自称文化人炎上

考えてモノを言う。。。という事は、ここまで簡単に文章投稿できる媒体を介すると、難しいものなのかもしれない。

しかも、消さない限りは残る。

◆やる気スイッチ

喜怒哀楽とやる気は、こう…カチッとやるスイッチではなくて、ゆっくり回すタイプのやつの原理で動いているので、思ったタイミングに全力を合わせようと思うと、変なコツが必要になってくる。

生き方文字抽象化

過去なんか振り返るな」の気持ちで、刊行物を焚き火で燃やすなどのパワー系断捨離ゴリゴリ進める性質を持つ割には、過去の弔合戦をやるためにこれから結果を残そうとしているので、始末に負えない。

青春と名のつくものを全力でやり切った燃えカスから、それらを供養する何かへ、一段階進化しようとしている。

ぐだぐだ考えたところで、あと半世紀も過ぎれば、大体誰もいなくなる。

◆おわりに

など。

2015-12-26

私たちは三つの教育を受ける。

一つは両親から

もう一つは校長から

そして残りの一つは社会から教えられる。そして、

この三番目は、初めの二つの教えにすべて矛盾するものである

モンテスキュー



http://anond.hatelabo.jp/20151226134156

2015-09-10

世界いちばん遠回りな世界一周

もう誰も覚えていないと思うけど、3年ほど前、ここに、"Hello world!"というタイトルエントリ投稿した。あの話の続きをしようと思う。

※このお話はたぶんフィクションです。実在の人物や団体とはあんまり関係ありません。

※前回のあらすじ:高校中退工場派遣プログラマホームレス自立支援施設プログラマ海外放浪職業訓練世界一周アプリを作る


あれから3年、いろんなことがあった。またプログラマとして働いたり、またホームレスになったり、福島除染作業員をしたり、本当にいろいろあったけど、 今回の主題にはあんまり関係ないのでざっくりはしょる。今回の主題世界一周についてである

はいつか世界を巡る旅をする。10年くらいかけて。わりと本気で。その計画を立てるためのアプリケーションも作った。でもそのアプリ正式リリース以降、開発が頓挫している。開発を進めるにあたって、致命的な問題があることがわかったからだ。それは、開発者である自身が、この世界について何も知らないに等しい、という問題だ。

開発者は、システム化する対象に関して、誰よりも精通していなければならない。業務用アプリケーションの開発なら、 その会社の業務フローについて、社内の誰よりも詳しくなくてはいけない。システム開発とはそういうものだ。そして今度の対象世界だ。すべての国だ。それを僕自身が知らなくてはならないのだ。

しかし世界は巨大で、そして複雑だ。

国連加盟国は現時点で193か国。それぞれの国の下に州や省や県があり、その下に市区町村があり、そういった階層的な行政単位以外にも、歴史的背景から自治区になっているところや特別行政区連邦直轄領もあり……。

そういや連邦ってなんだろう。なんとなく知っているようでいて、詳しくはわからない。王国共和国ってどう違うんだろう。国の形ってなんでこんなにいろいろあるんだろう。いやそもそも国ってなんなんだ。どうすれば「国」になるんだ。

国連に加盟していればいいのか。いや国連非加盟の国もあるじゃないか。国家の三要素(領域人民主権)を満たしていればいいのか。しかしそれを満たしていることを誰が認定するんだ。他国から承認があればいいのか。その他国は誰が国だと承認したんだ。政治的問題から国なのか国じゃないのかはっきりしない地域だってたくさんある。国とか国じゃないとか最初に言い出したのは誰なのかしら。

それは世界一周アプリの開発中に国データをちまちま作っていたときにも思ったことだ。もしかして「国」というのは、僕が思っていたほど絶対的で、はっきりしたものではなく、相対的で、曖昧ものなんだろうか。

からない。わからないことだらけだ。こんなもの本当にシステム化できるのか。複雑ってレベルじゃねーぞ。これが仕事だったら「うんこー☆」とかいいながら全力で投げ出しているところだ。しかしこれは仕事ではない。これは仕事ではないので、真剣に取り組まなければならないし、投げ出すわけにはいかないのである

だけど、 どうしたらいいんだろう。世界はあまりに巨大で、複雑で、茫洋としている。何かとっかかりが必要だと思った。基点が必要だと思った。人でも物でも事柄でもいい。それをとっかかりにして、基点にして、少しずつ裾野を広げていけばいいのではないか。そう思って、自分記憶を探ってみる。僕の基点、時間軸と空間軸の原点、それは子供のころ、ブラウン管の向こうに見た、落書きだらけの大きな壁だった。


1989年11月ベルリンの壁崩壊した。僕が9歳のときだった。ニュースは連日連夜、この話題で持ちきりだった。興奮気味に壁を壊す人たち、全身で喜びを表現する人たち、泣きながら抱き合う人たちもいた。世界中が大騒ぎになっているようだった。僕はその映像を、意味もわからずただぼんやりと見ていた。

それからしばらくして、社会科教科書世界地図が大きく書き換わった。ソ連という国がなくなり、新しい国がたくさんできたのだという。国がなくなる? 国が新しくできる? その意味もまたよくわからなかった。

時間軸は一気に飛び、ベルリンの壁崩壊から20年以上たったころ、僕は生まれて初めて日本を出た。半年かけて海外放浪した。特に目的もない旅だった。だからその場所に行ったのも、ほんの気まぐれだった。

ベトナムホーチミン市にある戦争証跡博物館ベトナム戦争記憶を後世に伝える博物館だ。旅の途中にふらりと立ち寄ったそこで見たものを、僕はいまでもフラッシュバックのようにありありと思い出せる。

銃器、対戦車地雷、その他さまざまな武器弾薬が「こうやって使われていたんだ」といわんばかりに、実際に使用している場面の写真と並べて展示されている。銃を突きつけられて悲壮な顔をしている男性、道ばたで血まみれになって死んでいる子供、虫の死骸のように雑多に並べられた人の死骸、そんな凄惨な写真がこれでもかと並ぶ。

何か、自分の中で価値観が急速に書き換わっていくのを感じた。頭の中がぐちゃぐちゃになって、いろんな言葉が浮かんでは消えていく。

資本主義

共産主義

イデオロギーとは何だ?」

そのとき同時に頭の中に浮かびあがってきたのが、子供のころに見たベルリンの壁崩壊ニュース映像だった。あれから20年以上たってようやく僕は、あの人たちがどうしてあんなに泣いたり喜んだりしていたのか、少しだけ理解できたのだ。


あの博物館で僕がもっとも強く感じたのは、「戦争悲惨だ」という事実ではなく、「どうしてここまでのことになったのか?」という疑問だった。人が人を虫けらのように殺す、その理由が知りたい。そこには絶対にそれなりの経緯があるはずである。東西冷戦とは何だったのか、僕はまずそれを知らなければならない。

しかしこうなるともう最初から世界史をやり直したほうが早いんじゃないかと思った。よし、時間軸を一気に人類歴史の始まりまで巻き戻そう。

まずは大河流域で文明がおこる。チグリス・ユーフラテス川ナイル川インダス川黄河。うわー、すげー懐かしい。そして農耕が発達する。食料を安定して収穫・保存できるようになると権力が生まれる。そこから世界各地で似たような権力闘争が延々と繰り返される。

特に印象深いのが「カノッサの屈辱」だ。十代のころ、学校でこれを習ったとき意味がわからなかった。この人たちは何をそんなに必死になっているんだろうと思っていた。いまならわかる。目的は、権力そのものなのだ。人の頭を踏みつけること、人を思い通りに動かすこと、それ自体が目的であって、権力によって得られる富や名声は二の次なのだ。それは自分の経験を振り返ってみてもわかる。ヤンキー世界でもエリート世界でも、どんな場所でもどんな階層でも、人間が集まれば、始まるのはいつも頭の踏みつけあいである。それが直接的か間接的か、下品上品かという違いはあれど、やっていることは同じだった。だから世界史に記されたこのくだらない争いの数々も、いまは実感を持って理解できる。

そして絶対的権力者である神によって凍結されていた歴史が、ルネサンス以降、急速に動き始める。宗教改革名誉革命フランス革命。それまで聖職者王侯貴族が持っていた権力が少しずつ引き剥がされていく。そしてフランス王国フランス共和国に。ああそうか、王国共和国の違いって「王様」がいるかいないかなのか。さらに現代の「国」という概念国民国家というのも、このころに生まれてきたもののようだ。人類歴史から俯瞰すれば、ここ200年くらいの「流行」にすぎないのだ。

しかしフランス革命って華々しいイメージだったけど、こうして改めて調べてみると、革命政権恐怖政治によって何万もの人間が処刑されていたり、何度も王政に戻っていたり、混沌としすぎていて、華々しいなんてとてもいえない血まみれの革命だったのだと気づかされる。

そんな混沌の中、産業革命を経て、歴史さらに加速する。権力のあり方も変わる。聖職者王侯貴族に変わって資本家が台頭してくる。資本主義が加速する。貧富の差が拡大していく。賃金労働者悲惨労働環境で搾取され続ける。暗澹とした空気の中、社会主義共産主義という思想が台頭し始める。ロシア革命が起こる。世界初社会主義国ソビエト連邦誕生する。

いままで社会主義ってあまりいいイメージはなかったけど、こうして順序立てて成立の経緯を追っていくと、歴史の中での必然性がわかる。みんな、もう誰も頭を踏みつけあわずにすむ世界が欲しかったのだ。だから既存の権力や富や労働のあり方を強制的に変える。そしてそれが国の形を変える。そうか、国の形ってこういうふうに決まるのか。

しかし計画経済ってなんだろう。どうしてそんなもの必要になったんだろう。と思って、初心者向けの経済学の本を何冊か読んでみた。めちゃくちゃおもしろかった。経済ってこういうものなのかと思った。市場経済では必ず景気は好況と不況を繰り返し、いつかどこかで恐慌を引き起こす。そんな繰り返しをさせないために、計画経済では政府の計画にしたがって商品を生産する。そうか、そんな経済の形もあるのかと思った。ずっと現代日本で生きてきた僕にとっては、市場経済があたりまえすぎて、市場自由がどうの規制がどうのといわれても、これまでピンとこなかった。「あたりまえ」のことは、対比されるものがないと、それを知覚することさえできないものなのだと知った。

その市場経済へのアンチテーゼとしての計画経済は、しかし破綻する。いつ、どこで、誰が、何を、どのくらい欲するか、なんてことを計算し尽くすには、リソースが足りなさすぎたのだ。結果が出ているいまだからいえることなのかもしれないけど、少数の頭のいい集団演算能力よりも、多数の平凡な人間無意識的な分散コンピューティング見えざる手)のほうが演算能力は遥かに高いのである

そして社会主義自体も破綻する。ソ連型の社会主義では一党独裁必要とする。しかし絶対的な権力は絶対的に腐敗する。それは歴史証明している。独裁政権必然的暴走していく。これも僕は経験として知っている。「いじり」がいつも「いじめ」に発展するのと同じだ。他人おもちゃにできる、自分の思い通りにできる、これは権力である。そして「いじり」は場の空気によって正当化されるので抑制がない。抑制のない絶対的な権力は暴走する。だから 「いじり」はいつも「いじめ」に発展する。企業内のハラスメント家庭内虐待も同様だ。人間は好き勝手にできる状況に立たされたとき、好き勝手振る舞うものなのだ。そうか、チェックアンドバランスってそのために必要なのか。絶対的な権力は絶対に生み出してはならない。権力は絶対的に抑制されなければならないのだ。三権分立を唱えたモンテスキューさんマジパネェすわ。

こうして自由主義資本主義矛盾への疑問から生まれた社会主義共産主義は、自身内包していた矛盾によって自壊していく。そして時間軸と空間軸はまた原点に戻る。冷戦象徴であり、永遠に世界を二分し続けるかのように思われていたベルリンの壁が、ささいな行き違いからあっけなく崩壊する。ほどなくしてソビエト連邦から次々に構成国が離脱し(国が新しくできる)、連邦は解体される(国がなくなる)。

天秤の片方から社会主義共産主義が脱落したことにより、その後、世界はまた自由主義資本主義へと大きく傾いていく。混合経済社会主義的な部分が次々と取り払われていく。その結果が、派遣法改正だったり、リーマンショックだったりするのだ。そしてそれらは僕の人生にも多大な影響を与えている。そうだ、これはひとごとではない。遠い昔にあった「歴史」でもない。僕がいま生きている「現代」の話なのだ

そうか、世界ってこういうふうに動いていたのか。少しずついろんなことがわかってきた。国とは何か。イデオロギーとは何か。なぜ法の支配必要なのか。なぜ憲法必要なのか。しかしそれよりも何よりも、ひとつ重大な事実を確信した。それは、世界のすべてを知ることは絶対にできない、ということだ。

ミクロ領域――個人の感情や行動、これはわかる。マクロ領域――世界市場や情勢、これもわかる。しかし両者がどのように関連しているのか、個人の感情や行動が、どのように影響しあい、どのような力学が働いて、世界市場や情勢を動かすのか、逆に、世界市場や情勢が、個人の感情や行動にどのような影響を与えるのか、それを計算し尽くすことは、誰にもできない。それは人間演算能力の限界を遥かに超えているからだ。

「俺は世の中の仕組みをわかってる」「裏の論理まで知ってる」と嘯く人にはたまに出会うけど、そういう人が本当に世界の仕組みを知っていたことは一度もない。本当にただの一度もなかった。陰謀論マクロミクロの間にある巨大で複雑な回路をショートさせただけの反知性主義にすぎない。僕はそんなチートに興味はない。僕は真正から正攻法で、その回路を解析したいのだ。そうでなければ意味がない。

ああ、そうか、経済学とは、それを解き明かそうとする学問なのだマクロミクロの間にある巨大で複雑な回路。それを解析するのが、経済学や、その他の社会科学なのだ。僕はそれを、もっと深く学ばなければならない。

進むベき方向性は見えてきた。しかしここからどうするか。独学ではもうこのへんが限界のような気がする。つぎはぎだらけの学習じゃなく、もっと体系的に学びたい。でもどうやって学べばいいのかがわからない。僕はまず、学び方を学ぶ必要があるのだ。それには、どうしたらいいのか。

頭の中に浮かんだのは、「大学に行く」という選択肢だった。


大学に行く。どうしてそんな選択肢が浮かんできたんだろう。これまで僕の中にそんな選択肢は存在していなかった。そのはずだった。これまでずっと金も時間もなく、ただ日々の生活に追われるばかりで、そんなことを考える余裕は一切なかった。そんなことを考えるくらいなら明日の飯の心配をしたほうがいい。ずっとそう思って生きてきた。

何より僕には自信がなかった。自分みたいな中卒の人間高等教育を受けたところで何の意味もないと思っていた。そんなの僕にはまったく関わりのない知識階級人間世界だと、大学なんて僕にはまったく何の関係もない、別の世界に存在するものだと思っていた。

でも思い返してみれば、その認識は少しずつ変化していた。いろんな仕事をしたり、あとさき考えず旅に出たり、プログラムを組んだり、文章を書いたり、そしてそれを不特定多数の人の目に晒したり、ずっと何かに追われるようにそんなことを繰り返してきたけど、その過程で、僕は何か大切なものを拾い集めてきた気がする。それはたぶん、自尊心と呼ばれるものだ。幼いころに失い、ずっと欠けたままだったそれを、僕はこの歳になって、ようやく取り戻すことができたのだ。

からいまは自分高等教育を受けることに意味がないだなんて思わない。大学が別の世界に存在するものだなんて思わない。ああそうか、だからいま、このタイミングで、「大学に行く」という選択肢が、僕の前にあらわれたのか。

あとはこの選択肢を選び取るかどうかだ。

いまの時代大学に行くなんてそんなにたいしたことじゃないのかもしれない。だけど少なくとも僕にとってそれは、とてつもなく勇気エネルギー必要なことだ。ホームレスになることよりも、右も左もわからないまま海外に飛び出すことよりも。

現実的問題もたくさんある。資金、学力人生の残り時間。いろいろと考え始めると、解決しなければならない問題が多すぎて、わけがからなくなってくる。もうどうでもいいじゃないかと投げ出したくなってくる。でも僕の中の何かが、そうさせてくれない。僕の中の何かが、そうじゃないだろうと責め立てる。

これには覚えがある。この熱には覚えがある。これは、あの旅の途中、自分の中に発見した、マグマのような熱量だ。感情になる前の感情。行動になる前の行動。名前なんてつけようもないほどプリミティブな衝動。僕はいままさに、それに直面している。そしてその熱量からは、どうあがいても逃げられない。それだけは確信できる。

だったらもう、覚悟を決めるしかない。本当にもう、そうするほかどうしようもない。

僕は大学へ行く。

そうやって覚悟を決めてみると、ものすごく気が楽になった。気分が軽くなった。

ああどうしていままでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。その想いはずっと自分の中にあったのに。

僕は、「大学へ行きたかった」のだ。

続き→http://anond.hatelabo.jp/20150910220232

2015-05-04

[]リンカーン

リンカーン・ダグラス論争 - Wikipedia

私は白人種と黒人種の社会的政治的平等を如何なる形でももたらすことに賛成はしていないし、これまでもそうではなかった。

私は黒人有権者にすることも陪審員にすることにも賛成していないし、彼等が役職者になる資格を与えることとか、白人結婚するとかいうことにも賛成しておらず、これまでもそうだった。

リンカーン

第16代米大統領エイブラハム・リンカーン - Wikipedia

この戦争における私の至上の目的は、連邦を救うことにあります奴隷制度を救うことにも、亡ぼすことにもありません。もし奴隷は一人も自由にせずに連邦を救うことができるものならば、私はそうするでしょう。そしてもしすべての奴隷自由にすることによって連邦が救えるならば、私はそうするでしょう。またもし一部の奴隷自由にし、他はそのままにしておくことによって連邦が救えるものならば、そうもするでしょう。私が奴隷制度や黒人種についてすることは、これが連邦を救うに役立つと信じているためなのです。

リンカーン



エイブラハム・リンカーン - リンカーンとインディアン - Weblio辞書

子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています(その9)

生まれながらの奴隷は他人の所有物となる能力を持ち、したがって現実に他人の所有物であって、知性のある者の言うことを理解する能力はあっても知性そのものは持っていないからです。アリストテレス

[差別]黒人が人間だと考えることは不可能である。モンテスキュー


http://anond.hatelabo.jp/20151108101200

2013-09-03

http://anond.hatelabo.jp/20130901015011

単に飽きただけで学歴関係ないんじゃないか

私も短大卒で、低学歴スペックだし、小説苦手でカツジ読めないけど

たまたまかたい本好きだったかロックとかルソーとかモンテスキューとか読んだよさらっと。

付き合うまで掴んでなかった趣味嗜好の違いを学歴のせいにしてるんじゃないの?

あと何にせよ、「今のままでいい学ばなくていい」って姿勢だったら

確かにその男性と合わないんじゃないか学歴じゃなくて考え方が。

それが嫌で別れるっていうんなら、相手より自分の居心地がいい場所のほうがいいってだけの話。

まり、やらなければならないと腹の底で思っている何かを先延ばしにしている自分から

目をそらしたいだけではないでしょうか。

2013-04-16

法の盾、正義の名のもとに行われる暴虐ほどひどいものはない

白人による黒人奴隷貿易とアメリカの奴隷制度

人類を愛することは神を愛することである

黒人人間だと考えることは不可能である。彼らを人間であると考えれば、我々がキリスト教徒でないことを認めざるをえなくなる。」

「法の盾、正義の名のもとに行われる暴虐ほどひどいものはない」

権力を持つ者が全てそれを濫用しがちだということは,永遠経験の示すところである

法の精神三権分立啓蒙主義

モンテスキュー

2012-08-15

法学部生の必読書50

 法学部生が読むべきと思われる本を50冊選んでみました。

プラトン法律

アリストテレス政治学

キケロ『義務について』

トマス・アクィナス神学大全

マキャヴェッリディスコルシ』

ボダン『国家論』

スアレス法律についての、そして立法者たる神についての論究』

グロティウス『自由海論』

ホッブズ哲学者法学徒の対話』

スピノザ神学政治論』

ロック『統治二論』

ヴィーコ自伝

モンテスキュー『法の精神

ヒューム人間本性論』

ルソー社会契約論』

スミス法学講義

ベッカリーア『犯罪と刑罰』

バークフランス革命省察

ハミルトン他『ザ・フェデラリスト

カント人倫形而上学

ヘーゲル『法の哲学

ベンサム道徳立法の諸原理序説』

ミル『自由論』

トクヴィルアメリカデモクラシー

バジョット『イギリス憲政論』

イェーリング権利のための闘争』

モムゼンローマ国法』

ウェーバー『法社会学

カフカ『法の前』

モース『贈与論』

ケルゼン『純粋法学

シュミット憲法理論

ベンヤミン暴力批判論』

カントロヴィチ王の二つの身体

コジェーヴ『法の現象学

ハート『法の概念

ハイエク『法と立法と自由』

フーコー『監獄の誕生

ドゥルーズ記号と事件』

デリダ『法の力』

ルジャンドルドグマ人類学総説』

アガンベンホモ・サケル

ハーバーマス事実性と妥当性』

ルーマン社会の法』

ポーコック『徳・商業歴史

パトナム『事実価値二分法の崩壊

ロールズ『公正としての正義 再説』

ドゥオーキン『法の帝国

ヌスバウム感情と法』

レッシグ『CODE』

2010-02-18

たいていの友情は見せかけであり、たいていの恋は愚かさでしかない。

7 : ペストコントロールオペレーター(長野県):10/07/27 16:27 ID:VXzEcToP

俺も人を信じないけど表面上は信頼してるように見せないと色々面倒だろ

その程度の処世術は遅くても中学までに会得しておくべき

http://lifehack2ch.livedoor.biz/archives/51260720.html

知人・友人・友達・親友・心友・莫逆の友・友情



「すべての男がSEX以外に考えていること」という本がすごい。

セカンド女子牧場を経営するヤリチン男6つの常習手口 - 妖怪男ウォッチ

Amazon.co.jp: ヤリチン専門学校 ‾ゼロ年代のモテ技術‾ (アフタヌーン新書 002): 尾谷 幸憲: 本

女性は知らない男性の「神聖なる大原則」

男の性欲と愛情についてちょっと - pal-9999の日記

言葉と親切は男が女に贈るギフトの中じゃ、ぶっちぎりでコストがかからないんだから

女食い散らすような男なら、この二つは大判振る舞いするよ。普通はね。

だって、そうしたほうがモテるし、財布から金が出て行くわけでもない。




応用心理トピックス(4) パチンコと鼠?

駆け引きのテク~一度ハマったらやめられない「間欠強化」の法則とは?

あの人から求められるようになる!悪用厳禁の心理効果「間歇強化(かんけつきょうか)」とは

コミュニケーションにおける最大の問題はそれが達成されたという幻想

人間は一生、他人の心などわかるはずもない。MASTERキートン

人間は誰しも他人から完全に理解されるということは有り得ない

はてなブックマーク - 気に入らない人間を潰す方法(社内政治で潰されないための知識) - @fromdusktildawnの雑記帳

好かれるより「嫌われない」こと

すべてこの世は舞台、男も女もすべて役者に過ぎない。シェイクスピア

【人間関係】友のために死ぬとはさほど大きな困難ではない。

[六韜]仲間の多い人間とは腹黒い人間。

君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し

小人と仇讐することを休めよ、君子に諂媚することを休めよ。

[社交家][社交的]人に好かれるための唯一の方法

自分の銭を分けてやりたがる者は見当たらないが、生活となると

[タルムード]カネより時間を大切にせよ

7 : ペストコントロールオペレーター(長野県):10/07/27 16:27 ID:VXzEcToP

俺も人を信じないけど表面上は信頼してるように見せないと色々面倒だろ

その程度の処世術は遅くても中学までに会得しておくべき

http://lifehack2ch.livedoor.biz/archives/51260720.html

知人・友人・友達・親友・心友・莫逆の友・友情

友情とは、誰かに小さな親切をしてやり、お返しに大きな親切を期待する契約である

モンテスキュー

友情とは、親切を期待する契約である。モンテスキュー



私たちは「一日に平均二回」の嘘をつく(ヴァージニア大学調べ)

僕は嘘を付く

彼女にも、友達にも、上司にも、部下にも嘘を付く

建前と本音



たいていの友情は見せかけであり、たいていの恋は愚かさでしかない。

シェークスピア

世間の人が友愛と呼んでいるものは、ただの社交、欲望駆け引き、親切のとりかえっこに過ぎない。

結局自愛が常に何かの得をしようとする一種取引に過ぎない。

ラ・ロシュフーコー

お互い友人だといっても、それを信じるのは愚か者

この名ほど世間にありふれたものはなく、その実ほど天下にまれものはない

ラ・フォンテーヌ

友のために死ぬとはさほど大きな困難ではない。

そのために死ぬ価値があるほどの友をみつけるよりは。

ホメロス

自分の有り余る余裕の中から人に何かをしてあげるのを寛大とは言わない。自分にとって最も一番大事もの他人差し上げてしまう事を寛大と言う」

オスカー・ワイルド

「人を信じるのは良い事だが、人を信じないのはもっと良い事だ。」

恋愛友情も選ばない者だけが賢い勝者となる」

ベニート・ムッソリーニ

「この世で人間を動かす動機は、二つしかない。

恐怖と利益だ。」

ナポレオン・ボナパルト

友情愛情も長くは続かないが、恐怖は長続きする。」

ヨシフ・スターリン






http://anond.hatelabo.jp/20070403031443

http://anond.hatelabo.jp/20100217113611

http://anond.hatelabo.jp/20100217224011

http://anond.hatelabo.jp/20130425212730

http://anond.hatelabo.jp/20131010175752

http://anond.hatelabo.jp/20131103071026

http://anond.hatelabo.jp/20140326221126

http://anond.hatelabo.jp/20140709020330

http://anond.hatelabo.jp/20150410101845

http://anond.hatelabo.jp/20140806110943

http://anond.hatelabo.jp/20160330133944

2009-02-21

友情の名で呼ばれるものは習慣か同盟にすぎない。ボナール

「友情論・恋愛論」ボナール

友情の名で呼ばれるものは習慣か同盟にすぎない。

友情とは、親切を期待する契約である。モンテスキュー

たいていの友情は見せかけであり、たいていの恋は愚かさでしかない。

世間の人が友愛と呼んでいるものは、ただの社交、欲望の駆け引き、親切のとりかえっこに過ぎない。結局自愛が常に何かの得をしようとする一種の取引に過ぎない。

2008-12-22

http://anond.hatelabo.jp/20081222133322

児ポに限らず、多数派の判断が間違ってるとするのは極めて困難で、

そうでもない。実際、児ポ法規制対象から絵を外すことには何度も成功しているけど、これは多数派の支持するところではないだろう。議員議員意見するほうの専門家見解がしっかりしてるからだ。

多数派の判断を通すことで、結果として不利益が生じても「みんなで責任を取る(不利益を受ける)」というのが次善の策でして・・・

議員を通して間接的に政治をするのは、議員の専門的判断力を信頼するということなので、ダイレクト衆愚制を容認することじゃない(直接民主制ダメだと言ってるんじゃなくて、間接民主制の理念の話ね)。

あと、モンテスキューの当初の三権分立の構想は、むしろ議会の暴走を抑制するためのものだったわけで。

2008-10-06

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名誉を愛する者は自分の幸福は他人の中にあると思う。自省録

「人の為」と書いて「偽り」、「人が為す」と書いて「偽り」。

分別よりも愚行の方がとかく仲間や追随者を呼び寄せるものだ。

[六韜][友人][友達]仲間の多い人間とは腹黒い人間。

君子は和して同ぜず小人は同じて和せず

小人と仇讐することを休めよ、君子に諂媚することを休めよ。

君子の交わりは淡きこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し

友人たちよ、友人などいないのだ。アリストテレス

【人間関係】友のために死ぬとはさほど大きな困難ではない。

[友人][友達][友情]友情とは名ばかりのものだ。ナポレオン

たいていの友情は見せかけであり、たいていの恋は愚かさでしかない。シェークスピア

すべてこの世は舞台、男も女もすべて役者に過ぎない。シェイクスピア

巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)

友情とは、親切を期待する契約である。モンテスキュー

何故に人間が社交するかといえば、自己の財産を保持したいから

利益と必要が、あらゆる社交性の根本である。エルヴェシウス

自分の役に立つという理由で他人のために尽くすこと

友人友情は偶然や便宜のための付き合いやなじみ深さをいうに過ぎない

2008-09-28

子どもたちの相似は強制の効果である。卒業するや強制が終わる。

学校において、子どもたちの相似は強制の効果である。卒業するや強制が終わる。

エルヴェシウス


[教育][三つの教育][モンテスキュー]

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