はてなキーワード: ミニとは
ヘビーなネットユーザー男子の不愉快なところが盛り上がっているようなので、ヘビーなネットユーザー男子の私(観測範囲:はてなブックマーク、Togetter、Favstar、vip、2chコピペブログ、ネットウォッチャーのTumblr等)による感想。
これはTwitterで見かけた。しかし発言者@kuromohairがラディカルフェミニストを自称していて、尚且つ「ラディカル・フェニミストの発言」とする題名でトゥギャられていたためフェミニストからの批判もあった。
発達障害者や同性愛者へのヘイトスピーチを繰り返す「ラディカルフェミニスト」 - Togetter
・オタクが非常識な行動をして非オタクに迷惑がかかった話を聞くと、加害オタクに肩入れする。空気を読むことを強制される日本の同調圧力への批判などにつなげて、なんとしてもオタクを擁護する。
「同調圧力批判でオタクの非常識を擁護」はよくわからない、というか見たことが無い。それ抜きで強いて挙げるならハルヒダンスやオタ芸に「いいぞもっとやれ」と喝采を送るニコニコ動画あたりか。
驚異的人数でハレ晴レユカイを踊るoff in 秋葉原(本番) 325 秋葉原駅前 ‐ ニコニコ動画(原宿)
・虐待や母子家庭、貧困家庭など本人には避けようの無い不遇な環境で育ち、結果としてグレたり低学歴になった人間に対して「自業自得」「ざまぁ」と叩く。結局低学歴DQNには共感できないから叩き、コミュ障には共感できるから擁護しているだけ。
コンクリ犯に対するバッシングと加藤に対する擁護、みたいな扱いの違いは散見される。オタクに対する表現規制問題でネットが盛り上がっていた頃、福岡で実施されたヤクザ雑誌規制は完全にスルーされていた。「低学歴には共感できないから叩き」という記述から察するにはてなダイアリーを指していると思われる。
・ストーカー被害に悩まされ、暴行を受ける恐怖に日々怯えている女性に対しても、「そこまで思われること、欲望されることをありがたく思え」と考えている。女性から需要の無い非モテ男性は「誰からも欲望されない最も不幸な存在」と吐き散らす。ストーカーを純愛呼ばわりする人間も存在する。
ストーカーを純愛呼ばわり、は見たこと無いが、欲望されていることをありがたく思え、は増田とはてなハイクでみた。「非モテ男性」と記述されていることからもはてな界隈を指しているものと思われる。
現実で女に拒絶されているから妄想の中でさえ和姦など想像できない
・「女には穴があるから人生イージーモード」と「男は何歳になってもモテ続ける優れた存在、女はあっという間に羊水腐って可哀相」を、状況に応じて使い分ける。
これは2chまとめブログでよく見かける。既婚の若年女性芸能人のスレッドと未婚の壮年女性芸能人のスレッドを比べればわかる。ソースは多すぎるくらいなので貼る必要もないだろう。
・男が「調教しやすいから」という理由で処女を選ぶのは当然の権利であり正義だが、企業が「調教しやすいから」という理由で新卒を選ぶのは「再チャレンジを阻む日本の悪習。欧米を見習うべき」と叩く。
前者と後者が同一であるという確証は無い。というか関係無いのではないかと思う。ただしYahoo!知恵袋やTwitterで、「処女厨と新卒主義はメンタリティが似ているのではないか」という指摘なら見た。
・男が女を年齢で選ぶのは「妊娠可能年齢を考えた上での本能的な判断」であり正義だが、企業が「伸びしろが無いから」「高給を要求されるから」「研修などの投資を回収しきれないから」などの理由で、採用を年齢で差別するのは「再チャレンジを~」という理由で悪。
同一人物が言っているところを見たことが無い。
・男が女を「若い」「美人」「処女」「育ちがいい」などの高付加価値スペックで選ぶのは当然の権利だが、女が男を「イケメン」「背が高い」「高学歴」「安定高収入」などの高付加価値スペックで選ぶのは「卑しい」「これだから最近の日本の女は」と叩く。
見たことが無い。「※イケメンに限る」のことを指しているのかもしれないが、これは「卑しい」という意味ではなく「男性全員を対象にしているかのような指南記事」に対する批判であり「自分とは関係の無いこと」という自虐。「これだから最近の日本の女は」はネットというよりリアルでの飲み会で壮年男性がこぼすことのほうが多いのではないかと思われる。
・男の理想を叶える二次元美少女は至高の存在であり、二次元をたしなむ男は最善の選択をしている紳士だが、おばさんの理想を叶える韓流ドラマやスターの存在は韓国による攻撃であり、ファンのおばさんは反日キチガイ。
ネトウヨとオタクは重なるのか、という話になっているようだが、それはそこそこ重なる層もあると思われる。しかし本質は他クラスタに対する嘲笑ゲームでありオタクや韓流に限られないと思う。
なんというか・・元増田は捏造すんな。はてなブックマーカーは都合の悪いことを全部2chのせいにすんな。
http://anond.hatelabo.jp/20111218204414
(追記)元増田に1.5(?)が追加されたようなので。
知的障害者や脳性まひなどの重度障害者は社会に貢献できないから見下していい、関わりたくないと考えるが、アスペは「本人も苦しんでいる」から庇護されるべきで、アスペという病気を学校や企業が理解すべきであり、人事や上司はアスペへの理解と愛情をもってアスペが能力を発揮できる環境を整えるべきと考えている。多くの女性がアスペを恋愛対象として避けるのも差別だと考えている。理解と愛情をもって接するべきなのは常に周囲だけであり、本人は「病気だから」という理由で好きなように振舞ってよいと考えている。
これは『メンヘルは「本人も苦しんでいる」から庇護されるべきで、メンヘルという病気を学校や企業が理解すべきであり、人事や上司はメンヘルへの理解と愛情をもってメンヘルが能力を発揮できる環境を整えるべきと考えている。多くの男性がメンヘルを恋愛対象として避けるのも差別だと考えている。理解と愛情をもって接するべきなのは常に周囲だけであり、本人は「病気だから」という理由で好きなように振舞ってよいと考えている。』という精神疾患者が言ってもいないのに、そう思っているに違いないと思われていること・・をアスペルガー障害と勘違いしたか意図的に改変したものだろうと思われる。
なんかまたいつものように、宇野常寛と東浩紀がかけあい漫才やってるみたいだけど、この議論って連合赤軍の人たちやラジカルフェミニズムの人たちが、さんざん昔にやってきた話を、繰り返しているように見えて、だから僕は東浩紀の言う「宇野常寛は古風で倫理的」ってのはまさにそのとおりだなあ、って思った。
例えば連合赤軍の議論に変換するなら、「父」を「プチブル」とか「帝国主義者」とかに言い換えてみればいい。
私たちは誰もが(男性であっても女性であっても)誤った、矮小な帝国主義者である。「帝国主義者」になることは達成ではない。(続く) 私たちは否応なく「帝国主義者」にされてしまうのであり、あとはこの不可避の条件にいかに対応するか、という問題だけが残されている。帝国主義の回復は、既に自動的に達成されたものであり、それはもはや想像力の仕事ではない
というわけだ。宇野常寛文脈では、「父」ってのはフェミニズムにおいて批判的に語られる「近代的な傷つける主体としての権力者」っていう意味の隠喩を受けてるから、この(「父」⇒「帝国主義者」の)言い換えはそれほど的を外したものではないだろう。帝国主義者に(あるいはプチブル)になる/ならないの二項対立は無効であり、もはや現代においては全ての人間がプチ権力者でありプチ「傷つける主体」なのだ、だから誰もが否応なく帝国主義者になってしまうのだ!! という議論は、はっきり言うが全く新しいものではない。倫理的に煮詰まっちゃった昔の活動家の人達の多くがたどった道だと思う。連合赤軍にしろ、東アジア反日武装戦線にしろ、ラディカル・フェミニズムにしろそうだ。
さらに言えば、彼らの多くが「ナルシシズムの徹底的排除」を掲げていたのも、宇野常寛と二重写しになる。東浩紀が言っている
「だれもが父である」ということと、「父になってしまう」ということは違うんだよ。宇野君が主張したのは前者。それは父になる/ならないの二項対立を回避するためのアクロバティックな論理。でも「だれもが父である」んじゃ、もう「父」の意味がないじゃん。ぼくの言っているのはそれとは違うの。
というのは言ってみれば典型的なプチブルの思想だ(東浩紀がプチブルの権化であることには皆異論はないだろう)。「全ての人間が帝国主義者だってあんたらは言うけど、でも突然、個別具体的な権力とか責任とかを負わされちゃうことだってあるよね」って連合赤軍に向かって言っているようなものだ。そのような個別具体的な(たとえば出来ちゃった結婚で通俗的な意味で「父になってしまう」ような)例を挙げるのは、社会の根本的矛盾から目を反らすためのナルシシズムであると、連合赤軍ならそう言ったに違いない。個別具体的な実例において「父になってしま」い、そのことについて個別具体的な議論をするようなナルシシストは、「総括」するのが彼ら/彼女らのルールだったのだから。
これはちょっと極端過ぎるたとえかもしれないけど、宇野VS東って赤軍派VSプチブルって捉えると、自分としてはすごく分かりやすいんだよね。
ここ数年、恋人に恵まれない人間やそういう人間ばかりのコミュニティを目にする機会が何度かあった。
彼(彼女)らは口々に出会いがないと言い、結婚の見通しを聞けば数年の内には、とかお見合いでもいい、と言う。
率直に言ってその「出会いがない」という言い訳はあまりにもナンセンス。「出会い」という、白馬の王子様がある日突然現れたり、お姫様が空から降ってきたりするようなイベントを期待するのが間違い。
そういう出会いから恋愛に発展し、幸せをつかむ人がいないわけではない。しかし、20年30年と生きてきた人間は人生の節々で何十人何百人という異性と出会ってきているのだから、その機会をこれまで見過ごしてきた人間が、今更次の出会いからチャンスをものにしようなどと考えない方がいい。次も必ず見過ごす。
ではどういう努力をすればいいのか?それは簡単、「1対1で気を許して会話できる友人を、性別問わず作る」ことだ。
これ自体は恋人を作ることとは全く関係がない。要するに恋愛とは関係なく仲の良い知り合いを増やせということだが、中でも仲の良い異性の友人を作ることが必要である。
恋人がほしいと願っているが、気付けば仲の良い異性の友達すらいない、という人はいないだろうか。次のような点に注意する。
①サシでの交流をする
必ず1対1で関係を作る。最初は大勢のグループで遊んだり食事をしたりする仲でもいいが、必ずその中から1人、2人とピックアップして特に交際しておく。
グループの人間関係は一見しっかりしているようで、そのうち1人欠けてもどうってことはないようになっている(それがあなたでも)し、ちょっとした不和が崩壊を招く。
そうではなく、自分がいなければ成り立たない人間関係を作る必要があり、よほどの人徳でもなければ、それはサシの関係が最も簡単。
②「新しい」人脈を作りすぎない
よくあるミスが、人との出会いを求めて新しい人間関係を作ろうと躍起になってしまうこと。これは恋愛だけでなくビジネスの世界で最もよく見られる。これまで知らない人々と出会い、輪を広げるのは確かに心地が良く、出会いの場を増やしているように見えるが、実際はそういう新しい人脈は意外と発展性がなく、簡単に消滅することがほとんど。それよりは、これまでのコミュニティ、例えば中高、大学のサークル、ゼミ、昔の職場、隣の部署、取引先など、既にある程度交流がある人々との関係を見直していく方がよほど自然で、維持しやすい。眠っているコミュニティの人脈を掘り返してみる。
③「サシ飲みに行ける」距離感
これ以上でもこれ以下でもない。毎日言葉を交わす必要も、メールやSNSで交流する必要もない。飲みに行こう、と言えば都合の良い日を教えてくれる、という距離感を作る。異性の場合、無目的にサシ飲みというのはハードルが高いので、最初はプロジェクトの打ち合わせと称してもいいし、週末のミニお疲れ会としてもいい。何かしらの理由をつけて前例を作っておく。そして大切なのは、定期的に繰り返すということ。習慣は身につくもので、最初は理由がなければできないことも繰り返しているうちに違和感がなくなる。その距離を保っておく。
④恋愛対象でない異性こそ大切に
「出会いがない」という人ほど、身の回りの恋愛対象でない異性をないがしろにする傾向がある。それは大きな間違いである。恋愛対象でない異性ほど大切な友人として扱わなければならない。たとえ相手に恋人がいようとも意識的に距離を置いてはならない。恋人がいる人間は逆に余裕を持って異性に接することができるので、関係を深めるのは難しくないし、無用な警戒をされずにすむ(ことが多い)。そして、いったん恋愛対象でないと決めた友人に変な気を起こしてはならない。「この人は男女関係なく人と仲良くできる」という印象を持たせなければならない。
その友人に恋人がいるなら特に、その話を聞くように心がける。相手にとってあなたは自分の恋人と同性であり、その視点からのアドバイスはいつでも説得力とありがたみがある。これは互いに恋愛対象とみなしていない場合にしかできないので、そのような男女関係を目指すべきである。これは自分の恋愛観を形成し見直すのにも役立つし、ますます信頼を得ることができる。
⑥複数、できれば3人以上作る
そのような「異性の友人」を1人に絞ってはいけない。それは相手にとって負担が大きすぎるし、警戒されてしまう。あくまでもドライな関係を維持するためには、3人以上そのような友人を持つことが望ましい。そして、それらの友人はできるだけコミュニティを分散させる。
このように、仲の良い異性の友人、しかもサシ飲みをして恋愛の話に踏み込める友人を作ることがなぜ恋人を作るのに役立つのだろうか。それは以下のような効果による。
(1) 異性に触れられる
要するに「異性慣れ」
(2) 距離をコントロールできるようになる
異性の友人と適切な距離感を保つことができるなら、さらに踏み込むこともいずれできるようになる
異性の友人は自分たちの輪の中であなたの話をし、広告塔として働くことになるだろう。つまり、多数の異性と交流することなく自分の存在をアピールし、友人をパイプにしてさらなる交流を生み出すことが可能になる。これこそが、恋愛に発展しうる最も起こりやすい効果である。
「出会いがない」という人は自分の人脈をフル活用して異性の友人を作りましょう。
なお、筆者は男性であるが、高校、大学、大学院、勤務先、取引先のコミュニティにそれぞれ1、2人ずつの異性の友人がいる。恋愛をしたことがない女性から既婚者まで様々で、筆者が恋愛の仲立ちをしたこともある。facebook、mixiやメールを使っていつでも酒に誘うことができるが、上に挙げたとおり彼女らと恋愛に陥ってはいない(大学時代、上記のような関係だと思っていた女性から交際を申し込まれたことはあるが、断っている)。
大学〜現在の勤務先の間に交際した女性は5人だが、全て上のような心がけをしてからのお付き合い。高校時代は振られてばかりだった。
朝5時 起床→6時半家を出る→電車→8時半今日の仕事場最寄の駅に着く
→バス便が遅いから歩いた方が早いと1.8km歩く→ベーカリーカフェ発見
→ランチ用のパンを購入した後、カフェブースでパンとコーヒーの朝食で
英国アンティークの内装や洋楽BGM、高級女性誌が充実してたので読んで楽しむ
今円高だからテーブルの上のミニフロアランプ安く輸入できないかな
家の内壁も白に塗りたい。ラベンダーを庭に植えて、ミニグラスに飾って洗面所におきたい
今度は評判のモーニングを食べたいなそんなことを考えながら過ごす
18時仕事が終わって21時に帰ったら、近所の人が手作りの鯵寿司をくれてたので美味しくいただきました。
http://anond.hatelabo.jp/20110922173823
今見てるんだろうか?
実名でやると、変に有名になって、最初純粋な気持ちでやってても、色々な人が寄って来て利用されたり色々大丈夫なのだろうか?
この方は大丈夫かもしれないけど、自分自身も何だか変な風になったらどうしようかと思ったりしてしまう
あの人みたいなのがいいよ
少年マガジンとかの
じっちゃんの名にかけて、とか、シバトラとか 色々
知らなかったけど検索したらwikipediaが出てわかった。あれもそうだった。 マガジンミステリー調査班 AAは誰でも見てるはず
これ
.ト│|、 |
. {、l 、ト! \ / ,ヘ |
i. ゙、 iヽ / / / ヽ │
. lヽミ ゝ`‐、_ __,. ‐´ / ,.イ \ ヽ |
`‐、ヽ.ゝ、_ _,,.. ‐'´ //l , ‐'´, ‐'`‐、\ |
ヽ、.三 ミニ、_ ___ _,. ‐'´//-─=====-、ヾ /ヽ
,.‐'´ `''‐- 、._ヽ /.i ∠,. -─;==:- 、ゝ‐;----// ヾ.、
[ |、! /' ̄r'bゝ}二. {`´ '´__ (_Y_),. |.r-'‐┬‐l l⌒ | }
゙l |`} ..:ヽ--゙‐´リ ̄ヽd、 ''''  ̄ ̄ |l !ニ! !⌒ //
. i.! l .::::: ソ;;:.. ヽ、._ _,ノ' ゞ)ノ./
` ー==--‐'´(__,. ..、  ̄ ̄ ̄ i/‐'/
i .:::ト、  ̄ ´ l、_/::|
! |: |
ヽ ー‐==:ニニニ⊃ !:: ト、
ヽ 、__,,.. /:;;: .!; \
ヽ ::::::::::: /:::;;:: / l
<
とある、その国は科学技術の進歩により、卵細胞同士を交配させることに成功した。
厳密にいうと卵細胞のひとつを雄型に変換し、擬似受精卵をつくり発生に成功したのだ。
卵細胞同士を交配させることにより発生した生物は通常の自然発生個体よりも免疫系が強く、寿命が長いことが確認された。
「男なんていらないわ!」
幾多の議論のすえ、法律が制定され、段階的にその国の新生児はほとんどが女性となっていった。
力が強いという男性の性的優位も、機械技術の進歩の前ではあまり意味をなさなかったからだ。
女児のほうが病気にもならず育てやすく成長も早く、個体寿命も長い。
医療費も次第に減り、国費における無駄遣いは厳密にチェックされ、社会的同一性を重視する文化的で柔軟な社会ができあがった。
かくしてその国は100年もしないうちに女性だけの国となった。
そして、ある国が女性だけの国になることを選択したその時代、精子同士から受精胚をつくる技術に注目した国があった。
この技術も従来の生物発生の過程を無視した技術であるが、男性優位という社会的思想、歴史的背景により男児が有用とされたのだ。
「男を産まずして!」
男児の死亡率は高く、また寿命も短い。だが、力は強く爆発的な集中力があり、競争性有意を求める傾向と支配欲で強烈な競争社会をつくりあげた。
オス同士の縄張り争いがされる苛烈な生存競争が繰り広げられ剛健な社会ができあがったのだ。
汚職や収賄、利権争いは絶えなかったが、淘汰と下克上を繰りかえし、競争優位を築きあげていった。
かくして、この国も人間誕生を人工的に行うようになってから男だけの国になるのそう時間はかからなかった。
そしてある時、この男だけの国はちかくに女だけの国があることに気がついたのだ。
女ばかりの国は理想ばかりをいい軍備は軽薄、戦争を野蛮な行為だというばかりで防備も手薄。
ここを攻めれば、他の国からは非難されるかもしれないが、得るものも多い。
したたかに軍備を整え、いいがかりともいえるようなをきっかけで開戦し侵攻をはじめた。
女ばかりの国は戦争による無益な死者を避けるためすぐさま降伏した。
国際法にてらしあわせた手続きを期待した己等を恨んだ時には遅かった、多くの女性が陵辱を味わった。戦後の惨状。
だがなんということだろう、旧来の男女のまぐわいが発生すると、侵攻されたはずの国で数年とたたず最終兵器が目を覚ましだした。
それはかーちゃんと呼ばれる最終兵器で程なく世界は、かかぁ天下となったのでしたとさ。
Sound Horizon Gathering(サンホラファンの集い)がシンガポールで7月16日に行われました。そのレポートが海外サンホラファンのポータルサイトにあがってましたので、翻訳します。(意訳等含む本当に適当な訳なので、その点ご注意ください。)
http://sh-whitecrow.com/2011/08/brief-report-on-the-sound-horizon-gathering/
↑写真含むので、そちらを先に見てからがいいかもしれません。とても楽しそうです。
----------------------------------------------
Brief report on the Sound Horizon Gathering!
シンガポールでの初めてのファンの集いがヨー・チュー・カン・コミュニティセンターで行われましたが、イベントは大成功だったようです!以下に短いレポートを紹介します。
全部で8つのMarchenのキャラクターを主題としたミニゲームをクリアし、8つのローマ字を集めることが目標のゲームです。そして、参加者は集めたローマ字を組み替えて解読し、メインブースで賞品と交換します。最終的に8つの文字はgu-ro-ri-a-sa-n-ho-ra(Gloria Sanhora)となり、賞品はファンアートとバッジでした。
ゲームをクリアした人たちは、続いて歌に挑戦です。スターダストコスの人が即興でパフォーマンスをしたり、エリザベスコスの人が雪白の女王様のまねをしたりと、楽しかったです!
最後に、Marchenキャラクターのコスプレイヤーたちによる、ものまねをしての聖戦のイベリア合唱などもありました。
- らくがきウォール
らくがき用のゾーンが用意されていて、Tettere oujiのいたずら書きがたくさんありました。
それと、写真を見てもわかるように、たくさんの参加者たちがサンホラキャラのコスプレをしてました!
Sound Horizonへ送るためのプレゼントが集められました。
- SHK国歌
英語版の歌詞(the 100 Laurant Chorusのために、Elica de Laurantがつくった歌詞を使用しました)でみんなで歌い、ファンの集いを終えました。
見てわかるとおり、とても楽しかったようです!きっと世界中の皆さんも、ローランのみんなと同じ時間を分かち合えば楽しいですよね!
イベントの主催者のKanaunaraさんに感謝します!参加者の皆さんの協力で集められた、Sound Horizonへ送るプレゼントはもうすぐ日本へ送付されますので、それと同じように、ファンの集いとしては世界で初めてのイベントの様子が、日本にまで伝わるように広めたいです。
----------------------------------------------
普段自分達を馬鹿にしてる人達が自分達と同じ立場に堕ちてきたら嬉しいだろ。
あとサヨクも自分達の活動に注目が向くから嬉しいだろうし、普段から「日本はこれが駄目、あれが駄目」としょっちゅう書き込んでいる人もなんだか嬉しそう。
子供にもインターネットは普及してるから不安をそのまま深く考えもせずに書き込むだろうし。
大規模な災害時に子供と無職と知能のあまり高くない人がデマを振りかざさないように、不安や蔑まれる事への不満は書き込んですっきりさせるように
隔離コミュニティとしての役割を果たすのが「はてブ」「ツイッター」「2ch」「増田」「Yahoo!ニュースの記事のコメント欄」だと思ってたけど。
元小泉チルドレンで今は国会議員返り咲きを狙ってる杉村太蔵さん。
あの人って明らかに変だよね。
太蔵さんはTVに出てくるたびいつも会話がまともに出来ない。
自分の番が来たら、用意してきたらしいことをドバーッと喋るんだけど
他の出演者からの合いの手や質問や突っ込み、司会による整理、はまるで受け付けない。
だから、やり取りをしながら盛り上がっていくとか膨らむってことが全然無い。
司会が「なるほどそうですかー」で終わらすか
お笑い芸人が外側からの茶化しでオチをつけてくれて終わるかになる。
ちょっとあがってるとか、照れ屋さんだとか、口下手だとか、そういうのとは全く異質。
更に先日、
ゲストが悩み相談する番組(相談に応じてくれる学者とのやり取りが必要な番組)に
太蔵さんがゲスト出演してたんだけど、そこでの彼は普段以上にその異常性があらわだった。
太蔵さんの質問は「人の名前を覚えきれない」で、
政治家は1日に数百人と名刺交換するんです、なんてミニトリビアも交えて
相談内容の説明まではスラスラとやってた。
でも質疑応答が始まるともうおかしくなって
症状の程度を具体的に質問されてるのに答えられない。
というより、聞かれてることにまともに答えることがほとんどない。
「会ったことも思い出せないんですか、顔と名前が一致しないだけですか」っていう二者択一質問されても
「いや、違うんです!」とか言いながらまた自分の話を始めちゃう。
とはいえ番組構成上、学者からのアドバイスや処方箋を聞く段になるんだけど
「こういう記憶のテクニックがありますよ」って女医か何かから教えられてるあいだ
太蔵さんは明らかに真面目に聞いてない。
表面的には口開けて大げさに何度も頷くという感心のリアクションをしてるんだけど
ちょっと注意して見ていれば無言で伝わってくる「聞きたくねえ」「我慢してます」感。
あと、太蔵さんはすごくわかりやすい癖が未矯正で残ってるんだけど
嫌なことに耐えてるときに露骨に細目になる。
「興味が無いことについては脳は記憶しにくい仕組みになってます」
かろうじて口では「ああ~ なるほど…」とか言いつつも
腕を組み首をひねって顔を斜めに向け、眉毛を寄せ、上唇が上がり、細目通り越して薄目になって聞いてた。
もう全力で「これ以上聞きたくないです!」っていう意識が表面に現れたボディランゲージ。
彼はもしまた議員復帰しても外交とか交渉ごとはやらないで欲しい。
・・・でも最近こういう人物をリアルでもネットでも散見する気がしない?
2a・表面的には明るく快活で社交的
3a・口では新進の立派な信念やビジョンを述べる
↑↓
2b・作ってるキャラと裏腹に対人ストレスに弱くてすぐ地が出る
3b・掲げたビジョンはどっかからのパクリで本人はよくわかってない
4b・ほんとは人の話聞くのが大嫌い、まして苦言なんか1秒も我慢できない
人間が都合のいいものだけを求めて都市を作った。そこまでは良かったのだが、あまりに都合がいい世界が出来上がってしまったがために、逆に都合の悪いものが目立ち、それに若者は怯えている。
人間の存在そのものが、人工物だらけの都市にとっては都合が悪い。
しかしそう思う自分自身も人間であり、自然物だ。この耐えがたい矛盾から逃れる方法はただ一つ、引きこもること。
実は引きこもるという選択は現代人にとってとても合理的で正しい選択なのだ。
だがここで疑問が生じる。人間を避けるために引きこもっているはずの人々が、こぞってネットをやりたがる理由は何?暇つぶしのネタが欲しいならマンガでもアニメでもテレビでもいいのに。
ご存知の通りネットというのは単なる情報が膨大にある場所ではなく、人間が暮らす場所の一つである。ネットを使う人間は時には一緒にゲームをし、掲示板で誰かの悪口を書き、動画にコメントを投稿し、オフ会をして盛り上がる。なぜ現実の人間が怖いはずの人々がこんなネットの世界にハマるのだろうか。
「人間は人間といるのが一番楽しいから」と思った人は、惜しい。概ね正解ではあるが足りない。答えはこうだ。「人間は"都合のいい"人間といるのが一番楽しいから」だ。
都合の良い人間とは、とても極論すれば「自分の悪口を言わない人間」のことである。自然物としての人間は、都合の良い人間であり都合の悪い人間である。だから、一緒にいて楽しい時もあれば楽しくないときもある。仲良くしていたと思ったら悪口を言われ喧嘩してしまうこともある。それが自然物としての人間だ。
しかし、彼ら、つまり人工物に囲まれて生きてきた人間にとって、普通の人間の「都合の悪い面」というのは恐ろしくて恐ろしくてたまらないもので、関わりたいとは到底思えないものなのだ。
それは彼らがひたすら都合のいい環境でだけ生きてきたからに他ならない。自然と共に生きる人間は自分の思い通りにいかなくても案外すんなりと妥協するし、それをいつまでも記憶に留めていたりはしない。しかし彼らは違う。彼らにとって都合が悪いことというのは、そもそも「ありえない」「あってはならない」ことで、存在そのものが許されないのだ。
人工化の過程にある現代ではここまで極端な考え方をする子供は珍しいかもしれないが、レベル的には近い人間はごろごろいる。引きこもっているのはそんな人間達だ。
話をネットに戻すと、ネットというのはじゃあどのくらい都合のいい人間がいるのか。
たとえば同じ趣味を元に集まったグループであれば、「自分の趣味を理解してくれない」人間は排除されている。つまり、自分にとって居心地のいい世界がそこにあるわけだ。
また、ニコニコ動画では不都合なコメントをフィルターで隠すことが出来る。自分の好きな動画をけなす「不都合な人間」は排除できる仕組みだ。ネットゲームでも、自分が嫌いな人間は簡単に「ブラックリスト」に登録して消すことが出来る。
現実世界では、こういうことはなかなか簡単には出来ない。フィルタリングのように存在を見えなくするためには「殺す」しかないだろう。殺すという行為は、ネット上でのフィルターをかけるという行為と比べてあまりにもリスクが高い。これも、不都合なことは簡単には出来ない現実世界の不自由さであり、彼らが社会に出るのを嫌がる理由でもある。
ネットでは自分の見たいものだけを見ることが出来る。そもそも人間は見たいものしか見ない生き物だが、そこで待ったをかけるのが自然物であった。だから、人間は心の底から「見たいものだけ見る」のではなく、不都合なこともどうにか許容してきた。この許容の精神こそが、社会で言うところの大人に求められる能力であり、これが出来ない人間を世間では子供と呼ぶ。
しかし一方で、「大人」たちは子供のために安全で快適な人工環境を作り続けてきた。学校というミニ社会で子供は自然物たる人間と出会うが、彼らが自分に不都合なことをした場合、親が学校に殴り込み、不都合を解消しようとする。子供は何もせずに、まるでネットゲームの不具合が解消されるのを待っているだけだ。親はなぜ学校ではなく不都合な子供自身を責めないのか。自然とは制御出来ないものだからである。人工環境の中にいる人間には自然を「なんとかする」という気持ちはそもそもなく、不満を言ってそれが解消されるのを待つだけだ。もはや自然=不具合であり、不具合だから誰か(サービス提供者)がさっさと直してよということになる。一見すると学校に殴り込み教師に向かって怒鳴り散らすモンスターペアレントは異常だが、彼らの行動原理は「レストランで座っている席が汚れているから文句を言う」のとほとんど変わらないものであり、サービスを受けているのは自分なのになぜテーブルを掃除(=息子をいじめた子供に説教)しなきゃならないのかということなのだ。そして、学校の教師というサービス提供者は自然物たる人間ではなくただの「サービス提供機械」なのであり、人間扱いする必要はないということになる。コンビニ店員に代表される第三次産業従事者が時に非人間的な扱いを受けることがあるのはこういったものの考え方をする人間がいるからだろう。
これらを「おかしい」と思うのはもう古い。
人間にとって都合の良い環境を「人間が」作っていることを忘れた人間がいても、それは都市の副産物であり何ら驚くに値しない。
不都合な出来事がなくなり都合の良い世界にだけ暮らす人間はとてつもなくわがままで自己中心的で傲慢でとてもじゃないが一緒に付き合おうとは思わないだろう。
しかしそれでいいのである。そもそも人間は「誰かと一緒にいなければならない」環境を改善するために文明を発展させてきた。本来、自分の生命だけを第一に考える人間が手をつないで仲良く暮らすことなど出来るはずがない。過去の人類はその不都合を「仕方なく」受け入れてきたに過ぎない。よって、人と人との繋がりを修復しようとか、過去つまり現在よりも人工化が進んでいない時代に戻ろうとする思想は全てまやかしであり自己満足である。誰も真の意味で分かりあいたくなどない。必要なのは「自分を完全に受け入れてくれる」「自分の思い通りになる」人間だけであって、それはすなわち自分以外にありえないのだ。
人間は不都合な出来事にはそろそろ耐えられなくなってきた。大いに結構なことだ。引きこもり達よ、君たちは未来の人類のモデルケースとして存在している。自分を否定する必要はない。大いに受け入れよ。
http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/4e65f758359c279f2fd19c0bc9b0d20b#
このような記事があがっていたので、目立つように投稿。
俺のコメもトラバも受け付けてもらえなかったので、この記事から目に付いて読まれればいいなと。
それは、「この世」と「聖書」。
神の教えを知りたければ、そのどちらかを、または両方を知ろうとしなければならないのです。
それがキリスト教圏での基本的な考え方。
だから、西洋では「この世」を知るために自然哲学が発展したわけ。
クリスチャンは、自然を知って神の教えを知り、征服していくことが神に忠実な姿勢だと思ってたの。
で、当然全ての造物主が唯一の神なのですが、人間ももちろん被造物であるわけ。
まずはそこまで理解して欲しい。
で、今でも自然科学が最も発展している西洋人が、クローン技術などを「倫理」で批判する理由にいきます。
人は、自然法則を理解して、他の生物をいじることが可能になったとしても、それは動物相手だからある程度いいわけ。
でも、人は人を作ることはできない。というか、あってはならない。
それは人を動物に貶めることであり、神しか作れない人を人が作ることであり、それは神を冒涜することだから。
あるがままが美しいとする国。
だから日本人はこの問題を「え、そこまでしていいの? そんなのいじるのって気がひけるし、あるがままでよくない?」って思想を「倫理」と呼んでいるのです。
それでもまあ、国内で言う「倫理」も国内では無視しちゃいけないかもしれないけど、こういう技術に関しては世界で統一した基準が必要なんです。
だから、クローン技術に関する「倫理」を語る場合は絶対に世界標準の「倫理」の話をしないと意味をなさないんです。
それを理解している人が専門家にも少ないから、日本人は相手にされてないんです。
もちろん外人もダーウィン以降、人は神から作られたんじゃなくて他の生物から進化したとかは渋々認めざるを得なくなったけど、根の考え方というか感覚的な思考というか、信条的なスタンスまでは揺らがないわけ。
ま、もちろん両国とも、「命をオモチャにるする」ような行為については共有された「倫理」を持ってはいますけどね。
その辺を誤解して、というか混同して議論すると世界的な枠組みが出来上がるはずがないわけ。
それなのに、
そして発せられるのが「道徳的には」あるいは「倫理的には」という問いですが、しかるにDNAを神聖不可侵なものとして扱う道徳や倫理なんてのは随分と歴史の浅いもので、それこそ「作られた伝統」の類ではないでしょうか。遺伝子を扱う技術に関しては宗教界からの論難も多々ありますけれど、その教典に「DNA」なんて言葉が書かれた宗教なんて、それこそごく一部の新興宗教だけのはずです。にも関わらずDNAに触れる技術を神の教えに反するものであるかのように考えるのは、すなわち遺伝子を神と同一視しているようなものと言えます。
「遺伝子を神と同一視してる」なんて、完全に逆の捉え方をしている。
教典に直接 DNA と書かれてるわけはないけど、「アダムとイブが~」って話がすでに人による人の改造を禁じているわけです。
そこを理解すれば、自分で書いたものを読み直せばちょっと恥ずかしい気分になると思う。
あと、私は生命科学者なので一応言っておくけど、DNA は物質の名前。
「DNA がつながっている」「DNA の継承」は誤用で、「血がつながっている」「遺伝子の継承」のほうが適してるかなー。
「倫理」についても、「DNA」についても、誤解している人が書いているなあ、と気になったので、一応指摘でした。
ま、遺伝子操作を神聖視しすぎずに、柔軟に考えたらいいんじゃないのーって論旨には同意です。
http://blog.goo.ne.jp/tbinterface/4e65f758359c279f2fd19c0bc9b0d20b/d3
http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/4e65f758359c279f2fd19c0bc9b0d20b#
それは、「この世」と「聖書」。
神の教えを知りたければ、そのどちらかを、または両方を知ろうとしなければならないのです。
それがキリスト教圏での基本的な考え方。
だから、西洋では「この世」を知るために自然哲学が発展したわけ。
クリスチャンは、自然を知って神の教えを知り、征服していくことが神に忠実な姿勢だと思ってたの。
で、当然全ての造物主が唯一の神なのですが、人間ももちろん被造物であるわけ。
まずはそこまで理解して欲しい。
で、今でも自然科学が最も発展している西洋人が、クローン技術などを「倫理」で批判する理由にいきます。
人は、自然法則を理解して、他の生物をいじることが可能になったとしても、それは動物相手だからある程度いいわけ。
でも、人は人を作ることはできない。というか、あってはならない。
それは人を動物に貶めることであり、神しか作れない人を人が作ることであり、それは神を冒涜することだから。
あるがままが美しいとする国。
だから日本人はこの問題を「え、そこまでしていいの? そんなのいじるのって気がひけるし、あるがままでよくない?」って思想を「倫理」と呼んでいるのです。
それでもまあ、国内で言う「倫理」も国内では無視しちゃいけないかもしれないけど、こういう技術に関しては世界で統一した基準が必要なんです。
だから、クローン技術に関する「倫理」を語る場合は絶対に世界標準の「倫理」の話をしないと意味をなさないんです。
それを理解している人が専門家にも少ないから、日本人は相手にされてないんです。
もちろん外人もダーウィン以降、人は神から作られたんじゃなくて他の生物から進化したとかは渋々認めざるを得なくなったけど、根の考え方というか感覚的な思考というか、信条的なスタンスまでは揺らがないわけ。
ま、もちろん両国とも、「命をオモチャにるする」ような行為については共有された「倫理」を持ってはいますけどね。
その辺を誤解して、というか混同して議論すると世界的な枠組みが出来上がるはずがないわけ。
それなのに、
そして発せられるのが「道徳的には」あるいは「倫理的には」という問いですが、しかるにDNAを神聖不可侵なものとして扱う道徳や倫理なんてのは随分と歴史の浅いもので、それこそ「作られた伝統」の類ではないでしょうか。遺伝子を扱う技術に関しては宗教界からの論難も多々ありますけれど、その教典に「DNA」なんて言葉が書かれた宗教なんて、それこそごく一部の新興宗教だけのはずです。にも関わらずDNAに触れる技術を神の教えに反するものであるかのように考えるのは、すなわち遺伝子を神と同一視しているようなものと言えます。
「遺伝子を神と同一視してる」なんて、完全に逆の捉え方をしている。
教典に直接 DNA と書かれてるわけはないけど、「アダムとイブが~」って話がすでに人による人の改造を禁じているわけです。
そこを理解すれば、自分で書いたものを読み直せばちょっと恥ずかしい気分になると思う。
あと、私は生命科学者なので一応言っておくけど、DNA は物質の名前。
「DNA がつながっている」「DNA の継承」は誤用で、「血がつながっている」「遺伝子の継承」のほうが適してるかなー。