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2009-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20091101115741

哲学と単に言っても大体は「西洋哲学なので、東洋人的感覚からすると「何当たり前のことグダグダいってんの?」とか「んなわけねーじゃん、バカなんじゃねーの?」ってのはありがち。その例は典型的後者だよな。そんな薄っぺらい論理で「自然より人工がいい」と言われても、東洋的な感覚からは納得しようがない。

それに、ヘーゲル学者の間でもわりと評価が分かれる。おれの指導教官は(さすがに異端だろうが)全否定だった。曰くヘーゲルは「太陽系惑星の数は(キリスト教で)完全な数字である"7"なのだから、第8の惑星海王星)は存在するはずがない」などとのたまう愚か者であって、あんなゴミクズのような書物はすぐに捨てたほうがいい、らしい。ゴミクズ・・・増田の2万円・・・

まあ・・・哲学学者によって主張もスタイルも全く異なるので、同じジャンルに放り込まれていてもそれぞれが全く別物と考えるべき。題名や著者名でなんとなく買うようなやり方は避けるのが財布のためだろう。哲学を内側から利用する人(論文を書くなど)でない限り、「プラトンアリストテレスカントヘーゲルベルクソンも読んだ上で初めて、言ってることが吟味できます」みたいな読み方(つまり、フツーの読み方)は時間効率的にほぼ無意味に近いわけだから、立ち読みして興味を惹かれたもの以外、無味乾燥屁理屈としてスルーするのが得策なんじゃないかなあ。

2008-03-21

哲学が云々

いったいこういう前進が、純然たる哲学の力で行われえただろうか。(略)超感覚的なイデアのうちへ人間イデアをも明らかに含めているプラトンは、しばらくのけておこう、―けだし、この考えから、人間はすべてが同じ本質のものだということが続いてこなかっただろうか。この考え方から、人間たるかぎり万人が同等の価値を持っているという思想までは、またこの本質の共有によって万人に同じ基本的権利が与えられているという思想までは、ほんの一歩でしかない。しかも実に、この一歩が超えられなかったのだ。(略)ストアの哲人たちは、すべての人間は兄弟であり、賢者世界市民だと宣言していた。だがこの方式は、要するに頭で考えられた理想の表出、それもおそらくは実現しまいと考えられていた理想の表出でしかなかった。ストアの主だった哲人たちのうちだれ一人として―帝位についたあの哲人でさえも―、自由人奴隷との、ローマ市民ローマ市民ならざるものとの間の障壁が低く出来ると考えていたとは思われぬ。権利の平等と人格の不可侵とを含蓄するかの普遍的兄弟愛の観念が現実の力をもつためには、キリスト教の出現を待たねばならなかった。

ベルクソン道徳宗教の二つの源泉」

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