はてなキーワード: ベビーカーとは
それなのに子供を産んだ女は迷惑、子供が迷惑をかけるのを100%止めろ、泣き声上げさせるな、ベビーカーを使うな、席を譲れって主張されてるようでマタニティマークが不愉快、妊婦や子連れに電車で優先座席ゆずらねーよ、子連れや妊婦に手助け?するわけねーだろ図々しい、子持ちはまともに働けなくて迷惑だから会社辞めろ、専業主婦は社会のダニ、自分で産んだんだから自業自得だろ、自己責任で人に迷惑をかけるな、迷惑かけるようならそもそも産むなって感じのバッシングが激しいし
っていう君の発想が既に終わってるわけよ
「将来の自分の欲得の為に取引すっか…」っていうのはさ
君はその例に挙げた人達に比べて
度量が広いとか違う価値観を持ってると言うことは無く
その人たちより心配性だとか、より将来のことまで考えるたちだとか、より自分の身が可愛いとか、
そんだけじゃん
真剣な話、頼まないといけないと思うがな
このままだと間違いなく、今まで経験した事がないような高齢化社会になってしまう、日本が終わる
年金や健康保険が維持できなくなる、老後どんな事になっているか恐ろしいわ
それなのに子供を産んだ女は迷惑、子供が迷惑をかけるのを100%止めろ、泣き声上げさせるな、ベビーカーを使うな、席を譲れって主張されてるようでマタニティマークが不愉快、妊婦や子連れに電車で優先座席ゆずらねーよ、子連れや妊婦に手助け?するわけねーだろ図々しい、子持ちはまともに働けなくて迷惑だから会社辞めろ、専業主婦は社会のダニ、自分で産んだんだから自業自得だろ、自己責任で人に迷惑をかけるな、迷惑かけるようならそもそも産むなって感じのバッシングが激しいし
横だが。
封殺になってないよん。
「ウェイトトレーニングをしてない」ことも、「接客業をやらないでいる」ことも、社会的には普通な事象で、何も問題ない。
裏を返すと「接客業やってれば、あの程度我慢できるよね」と言う話だけど、これが圧力足り得るのは、「接客業をやった人」で、その人らは「そんなことない、これは圧力だぁ」って言って良い。
別の話として。
この例を大元に充てるとすると、「子供の歌声」が「エレベータすら設置しない行政」とイコールになるよね。
そして、歌声が我慢できないつぶやき主は、ベビーカーもちの子連れ母親。
本当にそう思ってるの?
とすると、子供の歌を放置する親には、公共施設をバリアフリーにしないのと同じような、市民からの要請(圧力)がかかっているんだ?
大変だね、子育て。
どんどん狭いとこに逃げ込んでいってません?
「ぼくと結婚してくれませんか」。
飲食業の例えやウエイトトレーニングの例えがシバキあげ主義になっているのは
「提案だから」ではなく
そこまでわかるように考えて例を作っています。
でないとこうやって1から10まで説明しなきゃいけなくて面倒くさいです。
でこの内容自体は強制されない限り何の問題も無い(言うだけならいくらでも、死ねみたいな命令文では形式上無いわけだし)のだが。
何か問題でも?
・・・。
問題があるないという話もあなたが持ち出した事で、
私は寛容さを求める論調の場でよく読むとシバキあげ主義そのものの論法が猛威を振るっている事について
違和感を表明したうえで「つまりどっちがやりたいの?」という疑問を発しました。
また余談に付き合えば、
「問題がない」と言うのは本気でしょうか。
さっきの例で言えば
「ベビーカーもちの子連れ母親です、エレベーターがない駅の長い階段は本当に辛いんです」
という訴えに
「ウエイトトレーニングをオシシメ(提案)。」
母親はもちろん、提案されたウエイトトレーニングを居する自由がありますが
問題はそこでしょうか?
②guldeen氏は別に強い同調圧力をかけてはいない。苦労することによる他人に対する許容力を向上させる方法の提案ではあっても強制ではない。提案の拒否もできる。
「同調圧力」なんてなしでも、拒否の自由ありでも、シバキあげる事は可能です。
そもそも
「飲食業でもっと辛い思いや忍耐を経験するのがお勧め」というコメントは、
形式上は「提案」ですが、実際に元発言者(若い人でも無職でもない)が飲食業に転職するわけがないことは
guldeenさんも☆つけてる人もみんなわかってますよね。
これは実態的には「提案でもなんでもなく
「修行が足りない」「苦労が足りない」って言ってるだけですよ。
「飲食業でもっともっと辛い思いをするまではお前は何にもわかってない」
「修行の足りないお前の『子供の騒音が辛い』はただの甘えだから却下」
と言ってるだけ。
「お前が修行しない自由はあるよ?
でもお前が修行するまではお前の意見は半人前だから認めない。却下。
おっと、お前には拒否する自由があるんだからシバキ上げなんて言うなよ?」
「ベビーカーもちの子連れ母親です、エレベーターがない駅の長い階段は本当に辛いんです」
とい声が議題になったとしますよね。
これを
「この母親は、近場のジムでもいいのでウエイトトレーニングをオシシメ(提案)。
7kgごときのベビーカーというか日常支持する重量の大半は笑って許せるようになるよ(迫真)。」
季節の変わり目なのか、何だかここのところ鼻をかむことが多くなり
耳に違和感を覚えた。
トンネルに入ったときに「ツーン」となるあの感覚が2~3日続き、
若干聞こえずらいし、自分の声が響いて気持ち悪いし、平衡感覚もちょっとおかしくなり……。
もともとアレルギー性鼻炎持ちではあるのだけど、なかなか治らないし、
「何か炎症起こしてたりしたら嫌だなぁ……」と思って、
ベビーカーで受診しに来た子や、ランドセルをしょった子、待ち時間に本を読んでもらってる子などなど。
自分の番になり、額帯鏡を付けた医者に、診察され鼻に管を通されて、
「そう言えば昔、母にああやって連れられてきたなぁ、耳鼻科嫌いだったなぁ……」と思いだす。
「息がしづらいでしょ」と言われても、それが普通だったのだから気にもとめず。
今から考えると、常に鼻をたらしていたから随分汚いガキだったんだろう。
耳鼻科に来ると、何より鼻の穴を広げられて痛いし、管を入れられても痛い。
鼻の奥の粘膜にチクチクする感じが嫌だったのだ。
それでも、診察の後のごほうびは好きだった。
「虫歯になるから」と普段買ってもらえなかった飴を1つだけ食べてもよかったし、
そうやって母は僕の鼻炎を治そうとしてくれたのだ。
乳児の頃はもっとひどかったそうだ。
自分で鼻をかめないから手動の吸引機で吸い出すのだけど、限界がある。
最後は母が口をつけて鼻水を吸ってくれていたらしい。
診察が終わった後、20年前にも見た気がする洗浄器具を鼻に当てながら
様々な幼稚園時代の思い出がフラッシュバックしてきて、何だか泣きそうになった。
今から考えると、相当な愛情を受けて育ったんだなぁとしみじみ思う。
待合室にいた子たちも同様に愛情を受けて育っているのだ。
柳原可奈子みたいなおでぶの女の人が、電車のはじっこの席に座ってガムを噛んでいた。
そこへ照英みたいなガッチリした長身の男性が、ベビーカー押して乗車して来て、柳原さんの近くへ来た。
男がベビーカーか。珍しいな。イクメンってやつか?と思ってみんなさりげなく注目。
柳原さん「席かわりましょうか?」と合図するも、照英さん断って出入り口付近に立つ。
ベビーカーの中の赤ちゃんと柳原さんが軽く向き合うような感じになる。
柳原さんは噛んでいたガムをぷくーーーっと膨らませはじめた。
つぶれてはまた膨らまし、つぶれてはまた膨らまし。
照英さん照れ笑い。
やがて次の駅について、「ごめんね、バイバイね」といって柳原さんは降りていった。
私もそこで降りた。
ベビーカーで足をカツカツ踏まれたことがあるが、その女はしれっとした顔して謝りもしなかった。
http://news.livedoor.com/article/detail/5874529/
ショッピングモールや歩道で、道幅一杯に広がって並んで歩くベビーカー。
ラッシュで混雑している電車に、折りたたまずに突っ込んでくるベビーカー。
危ないという注意書きを無視してエスカレーターに載りこんでくるベビーカー。
はっきり言う。
大体、手伝ってくれないような人ばかりの場所に、どうしてわざわざベビーカーで行くんだ?
そんな場所にベビーカーで行くと大変なことになると想像できなかったんだろうか。
ベビーカーに対して寛容になれと言う前に、ベビーカーを使う上でまず親が留意すべきことが色々あるんじゃないか。
舌打ちされるシチュエーションも、ちょっと考えれば分かると思うんだけど。
仕事でも日常でもテレビの中でもどこにでも「すみません」が先にあって、
と思わずにいられない。そしてそもそもそんなに他人に謝罪を表明する必要性そのものに疑問を感じる。
疑問というか、不健全さといったほうが近い。
「お忙しいところ申し訳ありませんが、よろしくお願い致します」
「この度はお手数おかけして、大変申し訳ありませんでした」
すみませんじゃないけど、どうも謝罪ワードで締めくくられる。
これが「お忙しいところありがとうございました! 大変助かりました」
ではダメだろうか? と思うのだ。
こう言われたほうが、嬉しくないだろうか?
実際、俺はありがとうと言われたほうがうれしい。
「どうもすみません」
と言われるよりも
「助かりました、ありがとうございます」
と言われたほうが、やっぱり嬉しい。
どうもすみません、て言われるともしかしたら自分一人でできたのかな?
俺のしたことは余計だったかな? なんて気持ちも湧いてしまう。
……この違いって何だんだろうか?
そしてそれらの不足を補ってくれた誰かに対してお詫びを表明している、
だから言った方も言われた方もすっきりしないのだろうと思うのだ。
例えばベビーカーだったら、
(一人でベビーカーの乗り入れができなくて申し訳ない)
(もっと器用だったら一人で乗せられるかもしれのに)
とこんな具合だ。「すみません」ということで、暗黙のうちに自分の不出来さと
相手に迷惑をかけたことを詫びているのだ。
それなのに常に「すみません」が先行する社会って肩がこらないだろうか?
完璧にこなす人間なんてごくわずかだし、そういう人を基準に社会が作られても
みんながみんな「すみません」の旗のもと、疲弊するだけだ。
「すみません」は個人が完璧であることを前提に使われる言葉という感じがしないかな?
ありがとうという言葉が暗黙のうちに示している空気はどんなものだろうか?
と、こんな具合にポジティブで助けれてくれた相手を認めてくれている雰囲気を感じる。
だから「ありがとう」って言われるを気持ちが良いのだと思う(NHK的な表現だが)
「すみません」に比べると、言った方の能力/配慮不足をあまり気にしていないというか
それらの不足を前提にしない言葉の使われ方に思える。
こっちのほうが神経すり減らない気がする。
(1)ググれ
(2)よく読んでください
(いちいち人に聞かないでよ)
(文章読んで自分で判断してよ)
「すみません」とは言われる状況や方向が違うけど、
弱っている相手に配慮を求める点では非常に似ていると思う。
タイトルに上げたんだけどさ、今高齢要介護者向けに「介護保険」ってあるじゃん。
これと同じ仕組みで「子育保険」って出来ないのかなって妄想したんでぐだぐだ書く。識者の方できたら突っ込んでくれ。
介護保険って
常々、介護と育児は中身は年齢が違うだけで中身は結構似ているような気がするんで、これを元に
ってすればどうだろう。
これだけじゃ無理がある部分もあるので…
どうよ(ドヤッ
介護保険を使う事になっていろいろと調べたり利用申請したりしたのだが、介護が必要な人間を抱える家族って、育児をしている家族と構造はすごく似ているって思った。ただ将来への展望が違うだけで。
介護保険のコンセプトは「介護が必要な人を社会全体で支える」という事だったと思うけれど、育児も「子どもは社会全体で育てる」という感覚があっていいと思うんだ。
また、介護は、介護保険があるおかげで介護が産業化していて民間企業が参入し、使い易い介護用品が出てきたり、従来より足りないと言われてきた有料老人介護施設の増加を促したり、介護業者も競争が増えて対応の質が上がったりしている。
一方ケアマネージャという有資格者が必ず関わることによっておかしな業者に引っかかって被害を受けると言った事を防止し、過剰請求なども防ぐ仕組みが出来ている。
いろいろあるけど介護保険はこの点で成功している精度だと思うんだよ。
だからこれを見本に、育児・教育を保険として作れば、いくつかの諸問題は(多少時間がかかるにせよ)解決に向かっていくんじゃないかと思う。
これで介護保険並の保険料で済むなら、十分に考える価値はあると思うんだけどどうだろう。
いやまぁ、こんな事ここで言ってもしょうが無いんだけどさ。
識者の方突っ込んでください。
ドアが開くたびに、幼児2人に
「迷惑だから、先に先に降りる人が優先なのよ!」
と教えていた
だが、女性自身はベビーカーをドアのど真ん中に据え付けたままびくとも動かなかった
降りる人はみなおそるおそるベビーカーの左右に分かれながら降り、
その様に「何チンタラ降りてんだよ!」という顔で乗りこんで来たおっさんも
目の前を陣取るベビーカーに、うおっ!?と驚いて、やはり左右に分かれて乗り込んだ
何駅目かでもまた
再び左右に分かれてほかの乗客が降り、
新しい乗客は左右に分かれて乗り込む…という一連の行動が終わった後で
突然女性がベビーカーを左右にねじりはじめ、ぐいぐいと方向転換を始めた
「降りるよ!」
驚いて一旦降りる客、降りれない客は豪快にベビーカーをターンさせる様に押され軽いパニック
この出来事を正直に話したら俺の女上司が目ぇ剥いて
って言うに違いない(聞かれなかったけど)
娘の妄想癖が治りません。
来年中学校にあがる娘のことで悩んでいます。高学年になったのでもう自分独りで自由な空想の世界に羽ばたきたいというので、ベッドに天蓋をつけてやったのがいけなかったらしいです。 私が偶然にも現場を押さえなければ家族の知らないままずっとしていたかもしれません。
厳しく叱ってベッドの天蓋は取り外しました。それでもまだ隠れてしていたようで、先日、夫が夜中にベビーカーに潜り込んで虹色の世界に遊んでいるところを発見しました。
このままでは十代なのに前世の巫女の記憶があるとかそういう「天然少女」になってしまいそうで不安でなりません。一人娘ですし現実を見据えて育ってほしい。いつか白馬に乗った王子様に迎えに来てもらいたいと思っています。
田舎で家族8人居るのに「ほとんどの時間は1人か2人しか乗っていない」は有り得ない。
つか田舎であれば、その状況なら2台持ち(というか、運転出来る人数分の台数持ち)は当たり前。1台で全員回すのは無理。
6人が運転出来ない=つまり子供or障害者やよぼよぼの老人、という事を考えると(田舎は健康な成人なら運転出来て当たり前)
軽2台でも無理、5人乗り乗用車2台でもきつい。
一家全員で出かける事がない、のなら別だけど(それでも2台は必須だろうけど)
震災で命や健康や家族や家や土地や仕事を奪われた人間と比べたらちっぽけな悩みだけど、ちょっと吐き出させてくれ。
今年頭に九州から東京に転勤になって、田舎ながらも便利な場所に建てた家を離れ、ぼろくて狭くて日当りが悪くて不便な場所にある社宅に引っ越して来た。転勤になったものは仕方ない、こうなりゃ都会ライフ満喫するぜ!と思った矢先に震災で、ガソリンないから嫁さんは買い物で死にそうだわ(乳幼児二人連れ、最寄りのスーパーはベビーカーが入れられないからおんぶで片道30分)、電気料金は値上がりしそうだわ、水道水は危ないわ、首都圏の人間のせいで東北が犠牲を強いられてるんだ!って十字架背負わされるわ、会社はやばそうだわで、すっげー負け犬感。こんなことなら単身赴任しときゃ良かった。俺の転勤のせいで妻子に辛い思いさせてると思うと悔しくて仕方ない。ほんとごめん。くっそーーーー。
やっと歩けるぐらいの娘に、ちゃんと歩きなさい!って言いながら必死な形相なわけ。
これは、助けなあかんかな、と思いつつも、いつもなかなか行動できない私ですが、
この日は、私の少し前を歩く女性が話しかけてた。手伝いましょうか?
でも、お母さんは、いや!いいです!ありがとうございます!と断ってた。
私がいつもこういうシーンに出くわして逡巡する原因の一つが、これ、この結末なんですよね。
だから、最近思うんだけど、困ってるのは明らかな人には相手に選択の余地を与えず、
ひょいっと助けられる人がきっともてる男なんだろうな。しかも押しつけがましいと思われることなくね。
それをうまくできるのは、やっぱり感覚的なものなのかな。誰かハウツー書いてください。
海外では、よく困ってる人がいたら助ける、日本じゃ(ryというけど、
現代日本では、助ける人が少ないということ以上に、
気持ちよく助けられようという人が少ないということが問題なんじゃないかな。
負の連鎖ですよね。どうせ断られるんだし、やめようっていう。
もう二度と会うことのない人の助けに何の借りができるわけでもなし、
助けた人も助けられた人も気持ちよくなれるんだし、有り難い申し出には甘えちゃおうぜ。
今日の出勤のとき、駅構内の通路で横から来た車椅子にガツっとぶつかられたんだけど、何にも言わずに行かれてしまった。
さっき足見たら、皮がむけててちょっと内出血してた。
車椅子で混雑時に移動するのも大変なのかもだけど、あれはいかんだろう。せめて謝ろうよ。
車椅子の人には、自分が鉄の塊に乗っているという意識をちゃんと持ってほしい。
同じ強さでぶつかっても、人間同士とはちょっと違うよね。
車椅子だから避けられなかったというのもあるのかもしれない。
こっちも車椅子の人がいるとわかったら避けられたかもしれない。
でも、実際にはこっちの視界には入ってなかったし、向こうも特に避けているそぶりもなく。
どうすりゃいいのか。
お互いに認識してお互いに避けるのが一番いいんだろうな。
でも、実際問題見えない。視界に入らない。
知ってる人は想像できるかもしれないけど、朝のターミナル駅では低いものはなかなか認識しづらい。
大人の高さの人ごみにすっぽり隠れてしまうので、近くにこないとそこにいる/あることがわからない。
低いものがあることがわかっているところなら下を向いて見ようとするけど、始終それはちょっと。
車椅子のどこかに、大人の目線の高さの目印をつけるとかどうだろう。
単純に座面を高くするというのもありっちゃありだけど、安定性の問題で現実的ではない。
こういうのって車椅子に乗ってる側から意見が出たりしないのかな。
認識されないのって怖くないのかな。
white_rose コミュニケーション トラバに粘着が・・・・・・。/手伝わない側に最初から非があるんだよ。やるべきことをやってない。それに対して文句を言うかお願いするかはまた別の話で、文句を言われて怒るのはまさに逆ギレ。 2010/11/17
ハーイ粘着です
あなた達には共通して「怒ってるのは図星の逆ギレ」だと言い張る傾向があるけど
元増田の挙げた2例ともちゃんと見る気があるなら
必ずしも「手伝わない人」「手伝いたくない人」が怒ってるんじゃないのがわかるよね。
これは目がついてて中学生ぐらいの読解力があればわかる。
私はむしろなんでこう揃って"自説に不都合な部分を強引に見えない振りするのか"を知りたい。
それで押し通れると考えるの?
すくなくともベビーカーの方はそうとは思えない。
個人的には可能な限り手伝うけど、責務でやってることじゃないよ。
手伝えなかった時に「手伝わないなんて人間としてぺけ」みたいなこと言われたら
その母親の袖掴んで謝らせるまで離さないかも。
まあ自由は自由だから好きにやったらいいと思うけど
同じレベルで非理性的な反応が返ってきたときに被害者顔するのは滑稽だと思うよ。
挑発や暴言は控えた方がいいと思うけど、やりたいなら自分の責任で好きにやればいい。
けど、広い場所で暴言を吐くとたくさんの人に当たって対処しきれないぐらいの怒りを生むよね。
被害者意識がある人ってそんな当たり前の事も理解したくなくなるの?
「黒人のサムが自分を劣等種呼ばわりした白人のジョンを棒で殴る」
のは2人の間の戦争や破滅に過ぎない(ジョンは復讐に来るから殴るなら殴り殺しておいた方がいい)けど、
なら差別する白人からもそうでない白人からもともかく大勢に敵を求めることになるよね。
慌てて「だって近所のジョンが」と言っても言い訳にならない。
http://anond.hatelabo.jp/20101115015325
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20101115015325
http://anond.hatelabo.jp/20101116195736
こりゃ酷い
男性への要望がこんなにも、攻撃と受け取られるというのが気になる。
こういうのって普通の姿勢で要望して酷いこと言われたときに言い出す能書きでしょ?
元増田が挙げてるのはどっちも明らかに必要ない煽りや罵倒が入ってるじゃん。
会話で言うなら何か依頼しながら合間合間に「早くしろクズ」「カス」「KY」とかブツブツ言ってる感じで、
そんなのは日本語わかるなら誰でも読み取れるのに
なんで知らん振りして話を進めようとするの?それで上手く通ると思うんだろうか?
で、
そういう態度に出ておいて相手が怒ったり硬化したりすると
「へりくだって土下座しないと聞いてもらえないんですか!」とか逆ギレする、これってなんなの?
例で言うなら
「子連れでベビーカー持ってる母親は実はキツいんで、お願いしたら手伝ってくれると嬉しいです」とか
「子育てはこのように大変だから父親は土日にこんなことしてみよう」とだけにしてごらんよ。
それでどんな人が怒り出したり嫌な顔をしたり意地悪言ったりするの?
これ、要求は全く減らしてないからね。
単に要求の文章から余計な攻撃的要素を除いただけ。
そういう文章で何か言ってみて怒り出された時に、
男性への要望がこんなにも、攻撃と受け取られるというのが気になる。
殴りかかっておいてパンチで応えられて「何故殴られるんだろう」はないでしょ?
どうでしょうtarako3016さん。
反論があればちゃんと読んで返事するけど。