はてなキーワード: ブランとは
語れ いま何処(いづこ) いかなる国に在りや、
羅馬の遊女 美しきフロラ、
アルキピアダ、また タイス
河の面(おも) 池の辺(ほとり)に
その美(は)しさ 人の世の常にはあらず。
さはれさはれ 去年(こぞ)の雪 いまは何処(いづこ)。
いま何処(いづこ)、才抜群(ざえばつくん)のエロイース、
この人ゆゑに宮(きゅう)せられて エバイヤアルは
聖(サン)ドニの僧房 深く籠こもりたり、
同じく、いま何処に在りや、ビュリダンを
嚢(ふくろ)に封じ セエヌ河に
投ぜよと 命じたまひし 女王。
さはれさはれ 去年(こぞ)の雪 いまは何処。
大いなる御足(みあし)のベルト姫、また ビエトリス、アリス、
メエヌの州を領(りやう)じたるアランビュルジス、
ルウアンに英吉利人(イギリスびと)が火焙(ひあぶり)の刑に処したる
この君たちは いま何処(いづこ)、聖母マリアよ。
さはれさはれ 去年(こぞ)の雪 いまは何処。
わが君よ、この美しき姫たちの
いまは何処(いづこ)に在(い)ますやと 言問(ことと)ふなかれ、
曲なしや ただ徒(いたづら)に畳句(ルフラン)を繰返すのみ、
さはれさはれ 去年(こぞ)の雪 いまは何処。
頑張れ理性【追記した】
http://anond.hatelabo.jp/20100506183048
という前提。
こないだカラオケ(サシではなく)行って、他人の歌の最中に手が触れた。まあ、別に触れるのは仕方ない、普通あるだろう。
そこから、なんとなく、歌のノリなんかで手つないでブランブラン、正直ここは俺から掴んだのかどうか記憶が曖昧。
そこから急に、彼女から力を込めて指を絡ませて恋人つなぎに移行。一瞬びっくりしたけど、振り払うのもおかしいし、周囲の目を盗んでしばらくぎゅーって握ってた。
まあ、そんだけ。
そんだけなんだ。
とりあえず、俺の理性頑張れ、と思ってる。
と元増田は書いているが
↓↓↓↓↓↓↓
http://anond.hatelabo.jp/20100222001626
えっと、何故そう思うのかをもう少しちゃんと説明して頂けないでしょうか。直前のエントリで私が書いたのは司祭様の下りであって、ブランシャールの解釈の話に特に変更はないのですが。ブランシャールの解釈の方に対して異論がおありであれば、そちらに直接お願いします。
そもそも節のタイトル(これも過去形)の"What we thought"も含めて、今否定されているか同かに関係なく、ある時点の事を記述しただけですよね。
その件は上のエントリでしつこいくらいに説明したので、反論はそちらに直接お願いできますか。なぜそう考えるのかの説明も含めて。
http://anond.hatelabo.jp/20100218184729
余計な推測は最小限にして、明示的に書いてある内容、つまり「これは日銀が…と片付けられてしまった」(が、実際はそうではなかったと)いう文章からすれば、日本の(あるいはひょっとしたらhttp://krugman.blogs.nytimes.com/2009/11/13/its-the-stupidity-economy/ でクルーグマンが心配しているように米国の)政府・中央銀行が十分な能力あるいは意思を欠いている可能性を、以前より深刻なものとしてとらえなければならないという事でしょう。
つまり「ブランシャールは経済政策としてのリフレを未だに支持しているが、政治的な実現可能性を以前より危ぶんでいる」というのが正しい解釈かと。
いや、明示的に書いてある内容に限定して議論するなら、「ブランシャールは経済政策としてのリフレを未だに支持している」も「政治的な実現可能性を以前より危ぶんでいる」も、論文のどこにも書いてないでしょうに…。
確かにブランシャールは、以前に考えられていたほど流動性の罠からの脱出がやさしくないと言っているんでしょう。しかし、それは別に、より高いインフレ率目標にコミットするという政策が誤っていることが学術的に示されたというわけではないでしょう。リフレ政策が誤りだと分かったということが、この論文で初めて主張される内容ならば、当然にその根拠を示しているはずではないでしょうか。また、そうでなくて、既に他の研究で誤りが示されているのならば(他の主張の一つ一つに丁寧に参考文献を示しているのと同様に)その根拠となる文献も示すはずです。
余計な推測は最小限にして、明示的に書いてある内容、つまり「これは日銀が…と片付けられてしまった」(が、実際はそうではなかったと)いう文章からすれば、日本の(あるいはひょっとしたらhttp://krugman.blogs.nytimes.com/2009/11/13/its-the-stupidity-economy/ でクルーグマンが心配しているように米国の)政府・中央銀行が十分な能力あるいは意思を欠いている可能性を、以前より深刻なものとしてとらえなければならないという事でしょう。
つまり「ブランシャールは経済政策としてのリフレを未だに支持しているが、政治的な実現可能性を以前より危ぶんでいる」というのが正しい解釈かと。
せっかく2時間もかけて前のエントリーを書いたのに、丸一日経っても誰も読んでくれないよ…と涙に暮れていたのですが、なんとお褒めの言葉付きで長文のリプライが!「もうこれは2chに自作自演で宣伝書き込みをするしかない」、と悲壮な決意を固めかけていたのですが、ああ、神様、どうやら私は人の道を踏み外さずにすみそうです。
馬鹿なことを書くのはこれくらいにして本題に入りましょう。
http://anond.hatelabo.jp/20100217164344
「中銀が高めのレートでインフレターゲットを実行する」能力も意志もないのです。処方箋はあるのに肝心の中銀がそれを採用しようという意思がないのです。
こんな中銀ですから、平時においてインフレ率を高めに誘導しておく必要が、すなわち名目金利引き下げの余地を残しておく必要があるのです。
まず、ブランチャード(フランス語読みではブランシャール)らがここで書いた文章の表題をもう一度確認してみましょう。”What we thought we knew”とあります。直訳すれば「我々が理解していると考えていたこと」でしょうか。
ここで過去形になっていることは非常に大きな意味を持ちます。これは「今はもうそうは考えていない」ことを意味しているからです。日本語的な発想では「過去にそう考えていたとして、今どう考えているかは分からないのでは?」と思いがちですが、今も引き続きそう考えているなら英語では現在完了形を使わなければなりません。
英語はこの辺りの時制のコントロールに対して非常に厳密です。ですから、1970年のJohn Smithの論文がこう主張している、という表現をするときには、J. Smith (1970) arguesと書くのが普通です。論文自体が書かれたのは40年前ですが、Smithの主張が今も有効であるならば、現在形になるのです。逆に Smith (1970) arguedと書いた場合、この著者はSmithの意見を既に時代遅れなものと見なしていることになります。
つまり、私の翻訳した部分はブランチャード自身が「既に時代遅れである」と判断したことについて書いてあるのです。翻訳では若干時制が不明確になってしまっていますが、『中央銀行が将来の高い名目マネーサプライ成長率とひいては将来の高いインフレーションにコミット(訳注:約束)できるなら、中銀は期待インフレ率の上昇によって将来の予想実質金利を低下させ、それによって現在の景気を刺激することが出来る』という下りは、原文では
The formal argument was that, to the extent that central banks could commit to higher nominal money growth and thus higher inflation in the future, they could increase future inflation expectations and thus decrease future anticipated real rates and stimulate activity today.
となっています。過去形に注目してください。ブランチャードはこの議論を最早信じてはいないことがここからも分かります。過去形の解釈について納得がいかない方はマーク・ピーターセンの「日本人の英語」辺りを読んでみると良いでしょう。
つまり、ブランチャードが批判的に取り上げているのは、「処方箋があるにもかかわらずそれを採用しようとしない中銀の存在」ではありません。処方箋に問題があるにもかかわらず、それを中銀の意思と能力の問題に矮小化してしまった経済学者の態度こそが批判されているのです。だからこそ、前回翻訳した最後の部分で『公平を期しておくと、Fedは日本の経験を無視したわけではなく、2000年の初めにデフレのリスクを憂慮した論文を発表している』と添え書きされているわけです。経済学者にも良心的な態度を取った人がいたことは、公平のために言及しておく、と。もしも「リフレの処方箋」にコミットする能力と意思を中銀が欠いていることをブランチャードらが問題視しているなら、to be fairなどと書くはずもないことは文脈から明らかでしょう。
ですから、
将来のマネーサプライ増と将来のインフレとにコミットする能力も意思も欠いた中銀だからこそ、4%のインフレ率が必要となるのです。
将来のマネーサプライ増と将来のインフレとにコミットする能力も意思も欠いた中銀だからこそ、流動性の罠など恐るるに足るのです。
この解釈をブランチャードらの論文から引き出すことは出来ないと思います。この論文で議論されているのは徹頭徹尾経済学の問題であって、「能力と意思を欠いた」中央銀行に対して批判的な表現は、(上でも書いたとおり)少なくとも私の読んだ限りでは全く見当たりませんでした。中央銀行は能力も意思もないから、それを前提に現実的な経済理論を再構築しよう、とも書いていません。今まで半ば普遍的に信じられていた、「2%前後で安定したインフレ率が望ましい」という経済学者のコンセンサスそれ自体に疑義を唱えているのです。
加えて、中銀が無能ないしは怠惰であるという理由以外で能力/意思を欠いているのであれば、それは中銀の問題(だけ)ではなく処方箋の側に(も)問題があると考えるのはごく普通の理解であろうと思います。例えば、中銀にそもそもコミットメント能力が備わっていないならば、それを前提とした処方箋は無効であることは当然ですよね。
「いかにして流動性の罠に陥らないようにすればよいのか」を問題にしているブランチャードが、「いかにして流動性の罠から抜け出せばいいのか」という問題への処方箋であるリフレ政策を支持するはずも否定するはずもないのです。
前回翻訳した部分をもう一度参照してください。なぜブランチャードらは2%のインフレ率を望ましくないと判断したのでしょうか。ブランチャードらは過去にも「2%のインフレでは低すぎる、利下げ余地が小さすぎる」という懸念があったことを紹介しています。そして、その懸念は「ゼロ金利になっても、中銀が将来のインフレにコミットすれば大丈夫だ。」という、Eggertsson and Woodford (2003)らの議論によって葬り去られました。そして、日本の金融政策の失敗を受けても、一度葬り去られた懸念が見直されることはありませんでした。
そして、世界中がゼロ金利の罠にハマった後、ブランチャードらはようやく「2%のインフレでは低すぎる、利下げ余地が小さすぎる」という懸念を復活させます。それは、「いやいや利下げ余地が小さくても問題ない、打つ手は他にある」、というリフレ派の議論がもはや有効とは言えないと考えられたからこそなのです。繰り返し書きますが、「流動性の罠から抜け出す簡単な方法は存在しない」からこそ、利下げ余地が論点として再浮上し、高いインフレに伴う経済への負担を覚悟してでも流動性の罠に陥らないようにしようという結論に至る、という論理構成なのです。この論文はかなり読みやすい英語で書かれていますので、暇があれば通読なさると良いでしょう。
また、以上の説明から、最終段落で言及されている「ブランチャードらは流動性の罠から脱出するためのリフレ政策を支持していると読めないこともない」点は、誤読であると申し上げるより他ないことはご理解頂けるのではないかと思います。この辺りも、原文に当たられた方が文章の雰囲気と構成("stood more uneasily in the way"や"to be fair"など)をよりはっきりと掴めるでしょうから、原文を当たられることを繰り返しお勧めします。
最後に、ブランチャードが書いた部分を、少し分かり易く脚色してみます。
とあるところにあるリフレ村で司祭様が村人に説教をしています。
司祭様 「全能なる我らが神はこの村の人々を温かく見守ってくださっておる。なんの心配もいらないよ、君たちは選ばれた民なのだから。100年前の大飢饉(大恐慌)では人々は神への祈りを捧げなかった。だから多くの民が死に絶えたのだ。だが今は違う。私が正しい神への祈り方を教え授けている。神は我らの祈りを請け給うたのだ。」
女 「司祭様。それでは何故私の父は病に苦しんでいるのでしょうか。既に10年以上、病床を離れることが出来ません。」
司祭様 「…それは、あなたの父親の信心が足りないからだ。神を理解する能力に欠けるからだ。彼が心から神を信じているならば、彼の病が長引くことなどあり得なかった。家に帰って彼に伝えなさい。悔い改めよ、と。さすれば彼はたちどころに快復するであろう。」
これは新興宗教の必勝パターンでありまして、この父親が毎日祈りを捧げても(量的緩和)、喜捨の額を増やしても(国債買いオペ増額)、病から快復しないならば「信心が足りない!まだ不十分だ!」と言い続ければよいのです。楽な商売でございます。
ただし、この戦法は多くの村人が病にかかってしまうと通用しなくなります。挙句の果てに村の外からは賢者様がやってきて、「いや、そのお祈りじゃ患者は救えないでしょ。治療法は確立されてないし、一度病気になっちゃうと後が大変だから、とりあえず患者が増えないように予防策を考えようか」とおっしゃっておられます。
さぁ司祭様の立場は一気に悪くなってまいりました。石もて追われる5秒前!しかしこのまま大人しく村を去る司祭様ではありません。一発逆転の隠し玉は当然用意してあるはず。疫病快癒の大祈祷でもって見事リフレの神のご威光を天下に知らしめ、村人達の笑顔を取り戻して下さるに違いありません。
ブランド品をかなり安く購入できる機会が増えた。
ユナイテッドアローズ、ビームス、ジャーナルスタンダード、ジーディーシー、エックスガールが安く購入できる。
景気低迷とデフレの影響だと思うのだが、
wikipediaによると
>>ブランドとは「焼印をつけること」を意味する brander というノルウェーの古ノルド語から派生したものであるといわれている。
とのこと。
つまり、家畜に印を付けて、「この製品はうちの農場で作ったモノだ」と
品質の良さをアピールするためのものだと思う。
つまり、信用力に由来する価値だ。
私が思うに、
消費者が「これが良いモノだ」と保証されているモノを買う『安心感』
と
普通のモノより高いものを持っている『優位性』『自慢』『自己顕示力』
によっている気がする。
外面を着飾ることにより
「あの人は、それだけのモノを購入するだけの能力がある」
富裕層が購入する商品を、低下層の人が購入できると、富裕層の自己顕示力が弱まる。
だがら、アウトレットモールやネット上で購入できるブランド品には、
一流ブランドが出品しない。
あくまで、二流ブランドなのだ。
この考え方が、これまでの常だった。
不況のあおりをまともに受けている。
現金が欲しくて仕方ない。
短期間で現金を手にするためには、
目先の在庫をさばくしかない。
でも、それをやってしまうと、
ブランドメーカーは、将来的に自分の首を絞めてしまうことになるのだ。
しかし、海外では、すでに、その禁断の箱に手を出してしまっている。
■GILT
http://www.beyondtherack.com/
ヒット商品が生み出されると、ものすごく売れる。
だが、ネットは違う。
簡単に国境を越えてしまうのだ。
今月の22日に日本でも一流ブランド品を格安で購入できるサイトがオープンするらしい。
■ブランディシモ
将来、ブランド品って無くなるのかもしれない。
いや、無くなるのではなく、
それをインターネットを使って情報共有し、購入に繋がるという、
こういう時代が終わったのかもしれない。
34 名前: フモトスミレ(神奈川県)[sage] 投稿日:2009/09/13(日) 14:24:13.72 ID:N5knT30H
昔から肉を大量に食べるとお腹を壊す。
で、一時期筋トレにはまってて、プロテインとかも試してたんだけど、
それで判明したのは、俺の腸はタンパク質に凄く弱いってことだ。
プロテイン飲んだらまず間違いなく腹を壊した。
だから、アミノ酸にしたっけなぁ。
アミノ酸は逆にすごく吸収良くて、体の調子が良くなるんだよね。
38 名前: ヒメマツムシソウ(東日本)[] 投稿日:2009/09/13(日) 14:27:15.17 ID:Gk7x1lwA
>>34
41 名前: フモトスミレ(神奈川県)[sage] 投稿日:2009/09/13(日) 14:28:26.36 ID:N5knT30H
>>38
そう。
体内に吸収されるときにアミノ酸に分解される。
このプロセスが凄く腸に負担をかけるのだと思う。
45 名前: アネモネ・ブランダ(埼玉県)[] 投稿日:2009/09/13(日) 14:31:52.67 ID:deHhONpd
>>41
54 名前: フモトスミレ(神奈川県)[sage] 投稿日:2009/09/13(日) 14:38:14.16 ID:N5knT30H
>>45
筋トレしてた時はBCAA、グルタミン、クレアチンをのんでたけど、
今は薬局で簡単に買えるような、いろいろバランスよく入ってるやつ飲んでる。
筋トレするなら上にあげたのは外せない。
BCAAなんかは、疲れた時に飲むと15分くらいで元気になったりして、
ってくらい。(寧ろ生理がくるとなぜかうんこがすんなりでるから、カモン状態)
基本的に1週間くらいでないのはざらな感じ。でも別にそのときは苦しくない。「おなか、はっちゃって」感も、あんまない(昔からそうだからかも。大体、5日出ないと便秘といってもいいことに、成人すぎてから知った。毎日うんこ出るってことを聞いて「何それ!?出るの!?」と驚いた)
たまったうんこさんが、大腸下ってくると、うんことのバトルが始まる。その日がきつい。
それが、出せばいいのに、なんか出すの我慢しちゃうんだよね。
なんで我慢しちゃうかっていうと、何日もたまったうんこだから、もうでっかくて、ケツが痛いわけよ。だから怖くて反射的にとじちゃうんだけど、まあ、意味ないよね。
それと、小学生だったかのころ、便意ないのにふんばったとき、中途半端なところでうんこがとまってしまって、でっかいうんこ(直径5センチくらい?)が肛門にブランとさがったまま、進むも退くもできぬ、という状態になって、「おかあさーん!!!」と泣いた経験があって、それがちょっとしたトラウマになってるっぽい。一気に、ズドンと出せないと怖いみたい。小出しとか、したことない。どうも、直径5センチ×20センチくらいのうんこがまるまる一本腹にたまってるのは平気みたいなんだけど、それを出そうとして途中でちぎれた残りうんこが腹にたまってると思うと、物凄くいやだ、という感性が、昔からあるみたい。
そういうところがあいまって、便意第一波ではなかなかすんなりうんこする勇気がわかない。第二波、第三波ときて、ようやく覚悟して出産する感じ。っていうかそこまでいくと、たいがい、もう「ふんばるとかのレベルじゃない」とこまでうんこが大腸から脈々と下がってきていて、どうにもこうにも出産、みたいな感じになることも多々ある。そのときの解放感のレベルといったら半端ない。うんこをする直前と直後で、人生観が軽く変わる。うんこ前はダイエット雑誌のBEFOR状態だったのが、AFTERになる。「うんこもできないなんて、私にはもうなにもできないよ…」ネガティブだったのが、「あー人生っていいな☆」とポジティブになる。うんこした後体重が1キロ減ってる。はてなで「もうだめだ」な記事書いてたのが「人生を楽しくおくるライフハック☆1、うんこをする」みたいなことを書きたくなるくらいの変化。
トイレに本を持ち込むとかいうけど、あれ意味ない。本なんて読んでたら便意の予兆を聞き漏らすから。便意がヒョコッと顔を出す瞬間を、目を皿にしてみているというのに、本なんか読んでたら便意そのものが引いてしまう。それに、排便に神経を集中することができない。だからトイレに本を持ち込むというのは優雅なうんこ人の発想。
で、今もうんこが詰まってるんですけど。
楽にうんこできるようになりたい!!!もう血管きれそうになるまで踏ん張るのはいやだ!!!
食物繊維なんて結構とってるほうだと思うし牛乳も結構ガブガブ昔から飲んでるのになんで便秘なんだろう
ってのを考えた時、やっぱりこの「うんこに対する微妙な恐怖心」があると思うんだよね。我慢癖つーのか。
うんこにたいして身構えてしまう感じ。
それでもさいきんは、「便意発覚!」→「トイレへかけこむ」→「アレッ!?汗がにじむほどふんばってないのに、ケツにちょっと力をくわえただけなのにうんこがでちゃった!」という感覚を、たびたび味わうことに成功はしているものの……
それでもまだ、こういう日がくる。
うんこを毎日する習慣をつけろというけど、うんこを毎日!するなんてとても信じられない…尿じゃないんだから…
1年で365回もうんこをするってことだよ?それは一体どういうことなんだ?想像が出来ない。朝うんこして、一日過ごして、寝て、めざめたらまたうんこしなきゃいけないわけでしょ?なんか変な気がする。
でも慣れなきゃいけないのだろうな。
誰か同じようなうんこ恐怖抱えてる人がいたら、対策教えてください。
反嫌儲の腐れデジタルミレニアムコピーワンス搾取はてサのクソどもはいいかげん嫌儲に歴史と理論がある事を知れよアホが!!著作権を振りかざた権威にひれ伏す権力の犬である腐れデジタルミレニアムコピーワンス搾取はてサどもよ、おまいらは打倒されるべき抑圧貴族階級に過ぎん!!何がゆとりだ。腐れデジタルミレニアムコピーワンス搾取はてサ老害こそ文化を独占資本化する帝国主義者だろうが!!
http://www.ezweb.co.jp/~higan/
サイバー反体制派、エレクトロニックフロンティアファウンデーション共同設立者
産業世界を牛耳る政府どもよ、お前たち肉と鋼鉄でできたか弱い巨人どもよ、私は新しい精神の住処、サイバースペースの住人だ。未来のために私はお前たち過去の人間に要求する。我々のことは放っておいてくれ、と。お前たちは我々にとって歓迎すべからざる客だ。我々の集まるところでお前たちの権威は通用しない。
我々は選挙によって選ばれた政府など持たないし、また持つ気もない。従って、私がお前たちに向かって語りかける言葉には、自由が常に語ってやまぬ言葉以上のいかなる権威も含まれていない。そこで私は宣言する。我々が建設中のグローバルな社会空間は当然ながらお前たちが押しつけようと画策する専従体制からは独立している、と。お前たちは我々を規則で縛ることが出来るような道徳的な権利など持っていないし、また我々が真に恐れるに足るようないかなる強制手段も持ち合わせてはいない。政治は統治される国民の同意があって初めて力を持つ。お前たちは我々の同意を促すこともできない。我々はお前たちを歓迎しない。お前たちは我々のことを知らないし、我々の世界も知らない。サイバースペースはお前たちの引いた国境の中にありはしない。公共の建設事業か何かのように、自分たちで作ってしまえるなどと思ったら大間違いだ。そんなことはできはしない。これは自然の営みと同じで、我々の共同の行為と通じて自然に成長していくものだ。
お前たちは我々の大いなる集団の対話に参加したことはないし、また我々の豊かな市場の富を作ったわけでもない。我々の文化も知らなければ、倫理も不文律も知るまい。それは、お前たちが押し付けるどんな強制よりもはるかに多くの秩序を我々の社会に現にもたらしているものだ。お前たちは我々の世界に解決すべき問題が存在すると言う。そしてそのことを口実にして我々の世界を侵略しようとしている。お前たちの言う問題の多くは実際には存在しない。本当に摩擦があり、問題点があれば、我々はそれを認めて我々なりの方法で対処するだろう。我々は我々だけの社会契約を作りつつある。我々の世界の統治は我々の世界の諸条件に応じて自然に発生する物であって、お前たちの勝手な条件から生まれるものではない。我々の世界は違うのだ。
サイバースペースは様々な商取引、関係、そして思考そのものからできあがっていて、それが我々のコミュニケーションのウェブの中にまるで定常波のように隈無く広がっている。我々の世界はいたるところにあるとともにどこにもない。ただしそれは肉体が住める場所ではない。
我々が作りつつある世界はどんな人でも入ることができる。人種、経済力、軍事力、あるいは生まれによる特権や偏見による制限はない。
我々が作りつつある世界では、誰もがどこでも自分の信ずることを表現する事が出来る。それがいかに奇妙な考えであろうと、沈黙を強制されたり、体制への同調を強制されたりすることを恐れる必要はない。
お前たちが考える、所有、表現、自我、運動、前後の関係(コンテクスト)に関する法的概念は我々には適用されない。それは物質に基づくものだからだ。我々の世界に物質は存在しない。
我々の自我は肉体を持たない。だからお前たちと違って、我々は肉体的強制によって、秩序を獲得することは出来ないのだ。我々の世界の統治は、倫理学、啓蒙的な利己主義、連邦体制といった土台から生じるであろうと我々は信じている。我々の自我はお前たちの法的権限が及ばない多岐にわたる領域に分散して存在する事が出来る。我々の世界を構成する様々な文化が唯一一致して認める法は「黄金律(汝の欲することを人にもなせ)」しかない。我々はこれを基礎にして個別の問題の解決を見出そうと望んでいる。しかしお前たちが押しつけようと図る解決法は到底受け入れられない。アメリカでは、お前たちはテレコミュニケーション改革法案なる法律をでっち上げたところだ。これはお前たち自身の憲法を否定し、ジェファーソン、ワシントン、ミル、マディソン、トクビィル、ブランダイスらの描いた夢に泥を塗るのに等しい行為だ。この夢は我々の世界で新しく生まれ変わるに違いない。
お前たちは自分たち自身の子供に脅えている。子供たちはサイバースペースのネイティブなのに、お前たちの方はいつまでたっても根付かぬ移民のままだからだ。この子どもたちを恐れるがゆえに、お前たちは、自分たち自身では卑怯にも真正面から引き受けることの出来ない親としての責任を官僚たちに委ねるのだ。我々の世界では、人間性に関わるあらゆる感情やその表現は、下劣なものから崇高なものまで、みなシームレスな全体を形作る部分であり、ビットによるグローバルな対話の一部なのである。人を窒息させるのも空気なら鳥を舞い上がらせるのも空気であり、両者を区別する事は出来ない。
中国、ドイツ、フランス、ロシア、シンガポール、イタリア、アメリカで、お前たちはサイバースペースのフロンティアに番兵を立たせて自由のウイルスの侵入を何とか食い止めようとしている。それで少しの間は感染を防げるかもしれないが、まもなく世界中がビットメディアに覆い尽くされれば、それも無駄になろう。
お前たちのますます陳腐化する情報産業界は、延命を図ろうとアメリカやその他のいたるところで自分たちの主張を世界中に通すための法律を作ろうとするだろう。その法律とやらは、アイデアもまた別種の工業製品だとのたまう。それは高炉から流れ出た鋼鉄に比べてちょいとばかり高級などというものでは何らないというわけだ。しかし我々の方では、人間の精神が作り出せるものはすべて再生産できるし、また無償で無限回分配することができる。思考のグローバルな伝達にはもはやお前たちの工場の完成を待つには及ばないのである。
このような、陰険で植民知的な措置のおかげで、我々はかつての自由と自己決定を愛した人々と同じ立場に立たされている。かつてこの人々たちは遠くから何の説明もなく権力を揮う政府に対し異議を唱えねばならなかった。我々はここに何としても宣言せねばならない。我々のヴァーチャルな自我はお前たちの権力に対して免疫抵抗を持っている、と。たとえ我々は我々自身を地球全体に分散させているから、誰にも我々の思考を捕縛することはできない。
我々はサイバースペースに精神の文明を作り上げるだろう。そしてそれはかつてお前たち政府が作り上げた世界よりもはるかに人間的で美しいものになるに違いない。
http://anond.hatelabo.jp/20090307040202
http://anond.hatelabo.jp/20090306040620
http://anond.hatelabo.jp/20090307042731
http://anond.hatelabo.jp/20090307093144
http://anond.hatelabo.jp/20090307101926
http://anond.hatelabo.jp/20090307110937
http://anond.hatelabo.jp/20090306052519
http://anond.hatelabo.jp/20090306064201
http://anond.hatelabo.jp/20090306074256
http://anond.hatelabo.jp/20090306085728
http://anond.hatelabo.jp/20090306090908
http://anond.hatelabo.jp/20090307184804
http://anond.hatelabo.jp/20090308043523
http://anond.hatelabo.jp/20090306070641
http://anond.hatelabo.jp/20090306092057
http://anond.hatelabo.jp/20090306120242
http://anond.hatelabo.jp/20090306152346
http://anond.hatelabo.jp/20090307003652
http://anond.hatelabo.jp/20090307104344
http://anond.hatelabo.jp/20090307105757
http://anond.hatelabo.jp/20090306155721
http://anond.hatelabo.jp/20090306200435
http://anond.hatelabo.jp/20090306162518
http://anond.hatelabo.jp/20090306201052
http://anond.hatelabo.jp/20090307035900
http://anond.hatelabo.jp/20090307041953
http://anond.hatelabo.jp/20090306222236
http://anond.hatelabo.jp/20090306222532
http://anond.hatelabo.jp/20090306222825
http://anond.hatelabo.jp/20090306232643
http://anond.hatelabo.jp/20090306234258
http://anond.hatelabo.jp/20090306224503
http://anond.hatelabo.jp/20090306225117
http://anond.hatelabo.jp/20090307152740
http://anond.hatelabo.jp/20090307183333
産業世界を牛耳る政府どもよ、お前たち肉と鋼鉄でできたか弱い巨人どもよ、私は新しい精神の住処、サイバースペースの住人だ。未来のために私はお前たち過去の人間に要求する。我々のことは放っておいてくれ、と。お前たちは我々にとって歓迎すべからざる客だ。我々の集まるところでお前たちの権威は通用しない。
我々は選挙によって選ばれた政府など持たないし、また持つ気もない。従って、私がお前たちに向かって語りかける言葉には、自由が常に語ってやまぬ言葉以上のいかなる権威も含まれていない。そこで私は宣言する。我々が建設中のグローバルな社会空間は当然ながらお前たちが押しつけようと画策する専従体制からは独立している、と。お前たちは我々を規則で縛ることが出来るような道徳的な権利など持っていないし、また我々が真に恐れるに足るようないかなる強制手段も持ち合わせてはいない。政治は統治される国民の同意があって初めて力を持つ。お前たちは我々の同意を促すこともできない。我々はお前たちを歓迎しない。お前たちは我々のことを知らないし、我々の世界も知らない。サイバースペースはお前たちの引いた国境の中にありはしない。公共の建設事業か何かのように、自分たちで作ってしまえるなどと思ったら大間違いだ。そんなことはできはしない。これは自然の営みと同じで、我々の共同の行為と通じて自然に成長していくものだ。
お前たちは我々の大いなる集団の対話に参加したことはないし、また我々の豊かな市場の富を作ったわけでもない。我々の文化も知らなければ、倫理も不文律も知るまい。それは、お前たちが押し付けるどんな強制よりもはるかに多くの秩序を我々の社会に現にもたらしているものだ。お前たちは我々の世界に解決すべき問題が存在すると言う。そしてそのことを口実にして我々の世界を侵略しようとしている。お前たちの言う問題の多くは実際には存在しない。本当に摩擦があり、問題点があれば、我々はそれを認めて我々なりの方法で対処するだろう。我々は我々だけの社会契約を作りつつある。我々の世界の統治は我々の世界の諸条件に応じて自然に発生する物であって、お前たちの勝手な条件から生まれるものではない。我々の世界は違うのだ。
サイバースペースは様々な商取引、関係、そして思考そのものからできあがっていて、それが我々のコミュニケーションのウェブの中にまるで定常波のように隈無く広がっている。我々の世界はいたるところにあるとともにどこにもない。ただしそれは肉体が住める場所ではない。
我々が作りつつある世界はどんな人でも入ることができる。人種、経済力、軍事力、あるいは生まれによる特権や偏見による制限はない。
我々が作りつつある世界では、誰もがどこでも自分の信ずることを表現する事が出来る。それがいかに奇妙な考えであろうと、沈黙を強制されたり、体制への同調を強制されたりすることを恐れる必要はない。
お前たちが考える、所有、表現、自我、運動、前後の関係(コンテクスト)に関する法的概念は我々には適用されない。それは物質に基づくものだからだ。我々の世界に物質は存在しない。
我々の自我は肉体を持たない。だからお前たちと違って、我々は肉体的強制によって、秩序を獲得することは出来ないのだ。我々の世界の統治は、倫理学、啓蒙的な利己主義、連邦体制といった土台から生じるであろうと我々は信じている。我々の自我はお前たちの法的権限が及ばない多岐にわたる領域に分散して存在する事が出来る。我々の世界を構成する様々な文化が唯一一致して認める法は「黄金律(汝の欲することを人にもなせ)」しかない。我々はこれを基礎にして個別の問題の解決を見出そうと望んでいる。しかしお前たちが押しつけようと図る解決法は到底受け入れられない。アメリカでは、お前たちはテレコミュニケーション改革法案なる法律をでっち上げたところだ。これはお前たち自身の憲法を否定し、ジェファーソン、ワシントン、ミル、マディソン、トクビィル、ブランダイスらの描いた夢に泥を塗るのに等しい行為だ。この夢は我々の世界で新しく生まれ変わるに違いない。
お前たちは自分たち自身の子供に脅えている。子供たちはサイバースペースのネイティブなのに、お前たちの方はいつまでたっても根付かぬ移民のままだからだ。この子どもたちを恐れるがゆえに、お前たちは、自分たち自身では卑怯にも真正面から引き受けることの出来ない親としての責任を官僚たちに委ねるのだ。我々の世界では、人間性に関わるあらゆる感情やその表現は、下劣なものから崇高なものまで、みなシームレスな全体を形作る部分であり、ビットによるグローバルな対話の一部なのである。人を窒息させるのも空気なら鳥を舞い上がらせるのも空気であり、両者を区別する事は出来ない。
中国、ドイツ、フランス、ロシア、シンガポール、イタリア、アメリカで、お前たちはサイバースペースのフロンティアに番兵を立たせて自由のウイルスの侵入を何とか食い止めようとしている。それで少しの間は感染を防げるかもしれないが、まもなく世界中がビットメディアに覆い尽くされれば、それも無駄になろう。
お前たちのますます陳腐化する情報産業界は、延命を図ろうとアメリカやその他のいたるところで自分たちの主張を世界中に通すための法律を作ろうとするだろう。その法律とやらは、アイデアもまた別種の工業製品だとのたまう。それは高炉から流れ出た鋼鉄に比べてちょいとばかり高級などというものでは何らないというわけだ。しかし我々の方では、人間の精神が作り出せるものはすべて再生産できるし、また無償で無限回分配することができる。思考のグローバルな伝達にはもはやお前たちの工場の完成を待つには及ばないのである。
このような、陰険で植民知的な措置のおかげで、我々はかつての自由と自己決定を愛した人々と同じ立場に立たされている。かつてこの人々たちは遠くから何の説明もなく権力を揮う政府に対し異議を唱えねばならなかった。我々はここに何としても宣言せねばならない。我々のヴァーチャルな自我はお前たちの権力に対して免疫抵抗を持っている、と。たとえ我々は我々自身を地球全体に分散させているから、誰にも我々の思考を捕縛することはできない。
我々はサイバースペースに精神の文明を作り上げるだろう。そしてそれはかつてお前たち政府が作り上げた世界よりもはるかに人間的で美しいものになるに違いない。
・両親を失ったトラウマを抱える、犀川助教授にしか恋をしたことがない大学院生。
非常にポイントが高いのは、完全に精神的なベクトルが犀川のほうを向いていることと、
まだ四季シリーズを読んでいないので断言は控える、が、真賀田四季も出産を経験しているけれど、
精神的には処女かもしれない。これはパラドクス的に処女とみなしても良いと思われる。
余談であるが、瀬戸千衣バージョンの四季が増田的には一番お気に入りのキャラクタである。
いきなりメジャーどころに行ってしまったが、生まれたってから三年しか経過していないことを見逃すわけにはいかない。
父性と性欲は両立するものなのか、その問いを問いかける存在である。
ご主人様のことが好きで好きでしょうがない子。
また、それでいて独占しようとしない姿勢が好ましい。
ただ特別であろうとする姿勢のみで戦い抜いたところを評価したい。
1、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール(ゼロの使い魔)
お前、最初のほうのあれはなんだったんだ。
浮気もはなはだしい。もう魔乳と無乳しかゼロの使い魔に処女は残ってないわボケ。
2、逢坂大河(とらドラ!)
どう考えてもいらないよね。
昔の男が忘れさせてやればいいんじゃねーとか言ってくるって。
それはもはや寝取られです。
http://anond.hatelabo.jp/20081105135432
彼女ができた。なんとルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールだ。
これまで5人くらいと付き合ったことがあるけれど、一般的な女の子と比較して
* 会話が散漫にならない、テーマ一つ一つが必ず犬に行き着く
* プライドが高い、超が付くほど負けず嫌い
といった点が目立つ。
見た目はシャナを少し丸くしたようなかわいらしさがあるのだけれど、要するに中身は釘宮だ。
初めは戸惑いもあったが、案外こういう女の子とつきあうのは楽で楽しいと分かってきた。
いろいろ虚無の魔法・魅惑の妖精ビスチェ・衝動的に自殺を試そうとするなど好奇心が強い。
名門公爵家の資格も持っているというのに聖女系の資格も取ろうと勉強していて向上心の強さがある。
感情をコントロールできない自分に「おかしいな、バカ犬相手に普段はこんなはずじゃないのに///」と恥ずかしがる。
問題はどうやって知り合うかだけれど、職場(学校)という戦闘モードの時に誘うのではなく、オフタイムが狙い目としか。
初めの一歩が難しいだけで、後は一般的な女の子よりも付き合いは簡単かも。
だって普段男同士でしている会話と同じでいいんだから。
こんなアニメはイヤだ!(宮崎駿×Ζガンダムの場合)の続きです。そろそろネタ切れで、2つしかいいのが出てきませんでした。
今年でそれぞれ94歳と84歳になるブラン・ブルタークとベン・ウッダーは、老人ホーム「スードリ」での生活を送っている。お世辞にも快適とは言えない「スードリ」での生活で、車椅子でようやく動けるほどのブランと、身体は至って元気だが少しだけ痴呆気味のウッダーの唯一と言っていい楽しみは、互いに身を投じ生還した太平洋戦争の話に華を咲かせることであった。2人は、静かだが堅い友情で結ばれていた。
しかし、幸せな生活も長くは続かない。施設所長ナミカー・コーネルによる介護保険の悪用が発覚してしまった「スードリ」は取り潰されることとなり、2人は別々の介護施設への転居が決まる。別れを嘆くウッダーに対して、ブランは家族にさえ内緒にして手放さなかった土地と家を持っていることを明かし、良かったらそこで暮らしてみないかとウッダーに提案する。
ブランの提案をウッダーは快諾し、2人の新たな生活が始まった。しかし、グローバル資本主義によってムラ的コミュニティの崩壊した地方では近所付き合いなど皆無に等しく、役所から紹介してもらった訪問型の介護サービスに連絡を取ると遠いという理由で断られ、また、あてにしていた年金支給も高齢者医療制度による実質の減額で苦しいものとなり、2人は現実の辛さに直面することとなる。
さらに、しばらくもしないうちにブランは脳溢血で倒れ、あっさりとこの世から去ってしまった。ブランの死を伝えるために家族に電話するウッダーであったが、「なんでそんな家と土地があることを隠していたんだ!」という第一声がウッダーに追い打ちをかける。
土を盛りパイプ管をひもで結わえた十字架を挿して庭に作ったブランの墓の前で、ウッダーは手を合わせながら、この悲惨な現実を世に知らしめるために、爆弾を積んだ軽トラで厚生労働省に突っ込む自爆テロを決意するのだった……。
――オレだってがんばってるんだよォ――
東京都多摩市議会議員ジェリド・メサは、まだ若いながらも市長の座を虎視眈々と狙う野心家である。昨今の多摩市では、老朽化し入居者も減るニュータウンを取り潰し、大規模なごみ焼却施設と最終処分場を建設する計画が持ち上がっており、周辺自治体も巻き込んだ、議会、住民、環境保護団体などが入り乱れての混乱の只中にある。
ジェリドは同期議員カクリコン・カクーラーとともに、市長ジャミトフ・ハイマンおよび所属する与党政党「ティターンズ」の重鎮議員バスク・オムの息のかかった建設賛成派の急先鋒を務めていたが、大学時代から環境保護活動に参加している恋人マウアー・ファラオとの仲は険悪になる一方で、頭を悩ませていた。
そんな折、建設反対を訴える対立政党「連邦」のやり手議員であり、大学時代は空手部の先輩でもあったライラ・ミラ・ライラが謎の死を遂げる。これに大きなショックを受けたジェリドは、ティターンズの先輩議員ジャマイカン・ダニンガンに事の真相をを問い詰める。そこでジャマイカンの口から出た言葉は、家族の誘拐・拉致による反対派への恐喝、それでも従わない場合の毒ガスによる殺害など、賛成強行派による恐ろしい手口の数々だった。
非道の一端を担っていた自分を恥じ、汚名挽回を誓ったジェリドは、内部告発の準備を進める最中で、メラニー・ヒュー・カーバインの経営するごみ処理プラント建設会社アナハイム・エレクトロニクスと市長ジャミトフとの癒着の、決定的証拠を掴む。単純な告発では握り潰されてしまうとのマウアーの忠告を受け、あくまでティターンズ内部からの瓦解を目指すことにしたジェリドは、壮絶な化かし合いの政争に身を投じることとなる……。
http://www.geekpage.jp/blog/?id=2008/8/13/2 Geekなページ*Googleストリートビューは「悪の帝国」への入り口?を読んで、
http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=MMIT00001030072008 IT+PLUS*ネット時代の著作権、権利者保護か流通優先か・専門家はこう見た のチームラボの人の発言を改変してみたよ。
インターネットには国境がない。法には、国境がある。どんな人でも知っていることだ。したがって、規制などを、ある一国が世界中に同等にかけることなど不可能で、議論するだけ時間の無駄だと思う。そんなことよりも、あなたのプライバシーは、勝手に流通するという前提のもとで、逆にそれをどう活かすかを考えた方が、よほど有意義だ。
マドンナはレコード会社との契約を解消し、イベント会社との契約に切り替えた。つまり、コンテンツは勝手に流通するという前提のもと、どうすべきかを真剣に考えているのだと思う。
どうせ世界中を一つの法で縛れないのだから、正しいか正しくないかを議論するよりも、時代が変わることを前提に、どうするべきか考えたい。サーチエンジンのときも、ウィニーのときも、正しいか正しくないかを議論している間に、グーグルやユーチューブは莫大な国益をアメリカにもたらしている。
日本に未来が全くないのは、この「プライバシー保護か利便性優先か」という質問が象徴している。質問は、「ネット時代、自分自身をどうブランディングすべきか?」や、「ネット時代、安心して過ごせる空間をどう確保するか?」という方がよほど前向きだ。
via http://anond.hatelabo.jp/20080723220117
まあ、どのくらいの数の宇宙オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「アカではまったくないんだが、しかし自分のソ連趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないソ連宇宙開発の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、ミール公社の歴史を紹介するために
見せるべき10機を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に宇宙開発を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、研究者が100人規模で亡くなる、といった過大な被害を伴うR-16は避けたい。
できれば生体サンプルの回収失敗、大きくても宇宙飛行士数名の死亡にとどめたい。
あと、いくら宇宙開発的に基礎といってもフォン・ブラウンのAシリーズを感じすぎるものは避けたい。
ゲーム好きが『テニス・フォー・トゥ(または無題)』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
宇宙開発知識はいわゆる「アポロ13」的な映画を除けば、NHKドキュメンタリー程度は見ている
ツォルコフスキー度は低いが、頭はけっこうケロシン
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「開発競争の始まり」を濃縮しきっていて、「コロリョフ工場長」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。今もOLVとしてR-7シリーズ現役だし。
ただ、ここで「スプートニクショック」トーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
このイベントの背景について、どれだけさらりと、ナチス話にならずWW2すぎず、それでいて必要最小限の米ソの軍事バランスを彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のLEO打ち上げ能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「ソ連オタが考える一般人に受け入れられそうな宇宙ステーション(そう思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「15年運用のこのステーションは“第二世代”としていいと思うんだけど、率直に言ってトラブルどう?」って。
ある種の歴史オタが知っているトライ・アンド・エラーと、ライカ犬を使った生体実験へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも初期宇宙開発的な
「宇宙開発の混沌ぶり」を体現するコラブル・スプートニク1号(スプートニク4号/ボストーク1K)
「機密情報への対処」を体現するコラブル・スプートニク3号(スプートニク3号/ボストーク1K)
の二機をはじめとして、オタ好きのする失敗をシリーズにちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「アポロ計画だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
グルシュコが新型ケロシンエンジン開発を断ったこと、そのためにN-1一段目(Aブロック)がエンジン30機のクラスタだったこと、
アメリカに先取りされて向こうは大人気になったこと、この計画がその後コロリョフの死によって頓挫したこと、
最終的に中止になったこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり宇宙は軍事のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「ゼニット」「アルマース」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、このレーザー宇宙要塞という壮大さが好きだから。
断腸の思いで軌道投入時に自壊、っていう結末が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
上層部の「開発局への中断命令」か伝達されない、ということへのがいかにもソ連的だなあと思えてしまうから。
ポリウスの自壊措置を俺自身は酷いとは思わないし、仕方ないだろうとは思うけれど、一方でこれが
国際情勢やソ連の財政次第ではきっちり軌道に入れて、SDI計画を完成させただろうとも思う。
なのに、アメリカへの外交を考えて即座に大気圏突入させて捨ててしまうものを作ってしまう、というあたり、どうしても
「秘密裏に作られていた超絶秘密兵器を捨てられないオタク」としては、たとえソ連がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。ブラン計画の関連と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でTKS見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
サリュート計画よりも前の段階で、ステーション建造とか巨大建造物打ち上げはこの宇宙船で下地作りができていたとも言えて、
こういう今のISSの原型がひっそりとこの時代に開発されていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくソ連好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるミール以後でしか宇宙ステーションを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
コロリョフの「夢」あるいは「メチータ」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「月への旅行」的な目標が宇宙開発オタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそアメリカ版『レンジャー計画』はルナ計画以外ではあり得なかったとも思う。
「マルス」というアメリカの月ロケット計画が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの夢」の
源はジュール・ベルヌ「月世界旅行」にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に月調査競争を楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは中国だよなあ。長征墜落とか情報統制とか、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう中ロの有人衛星技術供与協定をこういうかたちで現実化して、その結果の発展を受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9機まではあっさり決まったんだけど10機目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にソユーズTMAを選んだ。
スプートニクから始まってソユーズTMAで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、今の有人宇宙船のスタンダードと
なった船でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10機目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
最初に50万で機能を作るっていう見積り根拠が人月なんだよっていうのをいっておかんといかんのではないかな。
例えば、増田の機能だったら
増田機能設計...5日 × 20000円
詳細設計...5日 × 20000円
一覧表示機能...10日 × 25000円
書き込み機能...5日 × 25000円
ログイン機能...3日 × 25000円
テスト...5日 × 16000円
こんな感じで出しておいて、それで契約が成立したんだったら実際はまとめて3日でつくろうがOKみたいな。
浮いた分はまるっと利益みたいな。
工数は大体動かないけど、人日の単価は相手企業や難易度によって上下させたりする。
もっと酷い見積りだと、
上級SE90万×2名
プログラマー70万×8名
こういうのもある。
まあ家を建てるときに部品の費用と工数を積み重ねて見積もりする方法と、
もう最初から建売にしちゃって工数含んだ値段で売る方法といろいろある。
ソフトウエアの難しいところは同じ費用でつくったものだとしても、
それぞれが独自仕様すぎるので費用対効果が測定し難いこと。
現場にはツカエル、ツカエナイわかりやすいかもしれないが経営層には見えない。
この作り上げたものの資産価値(家だったら転売時の値段)を適正に評価できるマーケットがあれば、
きちんとした競争原理がこのソフトウエア業界の見積り、発注時にも生きてくるんだと思う。
逆に転売もできないようなソフトウエアは本当に高くてもしょうがない。みたいな。
こういう二次市場ができあがれば、
どのソフトウエアメーカーがいいのか、どの見積りが適正なのか判断できるようになるんじゃないかな。
ソフトウエア業界でブランドが確立しないのは他の人の目に触れることが無いからだとおもう。
(だからパッケージ商品をあつかっている会社だけブランディングが構築できる。)
ちなみに自分はフリーランスなんだけど、完全持ち帰りで受託しているので人月換算50万以下のやっすい仕事しかしてない。
数百万とかの受注を1人で受けたら死んじゃうからね。
1000万とかは確実にムリ。溢れたときにフォローできる人いないし。
ただ細かい案件ばかりだと毎月安定して仕事があるわけじゃないし開発効率も悪い。
最初から自分のところにもってきたら同じもんを安くつくってやるのになーと、思ったりもする。
分散開発とかフリーランス同士の競業体制がもっと時代が進んで整ったらここらへんが解消して、
適正な市場ができて、日本という国のソフトな人たちが救われるようになるように、、、頑張りたいです。
つかフリーランスの人ってまだまだ少ないよね……。
どこにいけばいますか?
中のひとがんばってーねー。
商店街から応援してるよ^-^
あと、下請けの会社がしにそうな話ししか聞きません。H。
かわいそうです・・・。
ダムとかやってるHだっけ?Fかな?
関連で茶談義。
さっき海外のニュースよんでたらIBMが好調っていうニュースがあがってた。
ふーんという感じ。日本はもうアジアの重要拠点でもなくなっちゃったのかな?
ちょっとさみしい。
NEC北米研究所はNECだとおもっているんですが、違いますかね?
NEC違い?北米研の成果っていつもすごいなーとおもってウオッチしています。
線虫だかを研究しているひともいましたよね。10年先をみすえて研究ができているので楽しみです。
将来が愉しみなのはいいんですが現在が心配です。
収益エンジンなさすぎ。
いろんな部門売っちゃったしね。。。
一番最初に人身御供的につぶれる企業はどこだとささやかれて久しいですが、どこでしょうか?
Tはちょっと復活しましたね。
ほかは安定的にダメな感じです。
ただ、Tが浮上しては沈むギャップが毎度大きいので、ボラがでかいと・・・少し心配です。
三洋はどこまでいくんだろう。
着実なブランディングができているので、ここのグループにははいらないかな。
さて、どこだ。
【ある日の会議】
殿下、さすがです。
勝手にディレクション部へ異動宣言です。
さすが高貴なお方、
庶民には未確定な話を高らかと宣言する
行為が理解できません。
【そして】
殿下、さすがです。
blogには「必要を迫られて…」
と書かれていました。
さすが高貴なお方、
実際は誰も必要を迫ってない
殿下、さすがです。
殿下、さすがです。
実際はデザイン部門で不評過ぎてとりあえず異動予定 @上司(人事権在り)
殿下、さすがです。
実際はクビするには理由が足りないので異動 @上司(人事権在り)
殿下、さすがです。
実際はディレククション部の部長が断れず…
殿下、さすがです。
まだ確定ではないのにすでにディレクター気取りです。
さすが高貴なお方、
登場はやはり最後です。
殿下、さすがです。
さすが高貴なお方、
やっぱりなんちゃてです。
殿下、さすがです。
さすが高貴なお方、
自慢げに語るところがさすがです。
庶民には到底理解できません。
殿下、さすがです。
会議で具体的に説明は出来ず固まっていたようです。
さすが高貴なお方、
その辺は勝手に理解しろと言わんばかりのところが
素敵です。
庶民にはやはり理解できない、境地でございます。
殿下、さすがです。
殿下、さすがです。
殿下、さすがです。
お得意の画像加工済みの背景が満載です。
殿下、さすがです。
殿下、さすがです。
画像が凝っていて素晴らしく見ずづらくて、
素敵過ぎます。
さすが高貴なお方、
殿下、
自分の生活態度の改善からディレクションしよう!
※【補足】
■「情報設計」Information Architecture
「情報をわかりやすく伝え」「受け手が情報を探しやすくする」ための表現技術である。
/*フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋*/
http://anond.hatelabo.jp/20071206160826
http://anond.hatelabo.jp/20071206161115
http://anond.hatelabo.jp/20071213003838
http://anond.hatelabo.jp/20080204010421
http://anond.hatelabo.jp/20080213005816
http://anond.hatelabo.jp/20080221183519
http://anond.hatelabo.jp/20080227090540
http://anond.hatelabo.jp/20080227090752
http://anond.hatelabo.jp/20080228085635
http://anond.hatelabo.jp/20080305084931
http://anond.hatelabo.jp/20080310091008
http://anond.hatelabo.jp/20080313084712
http://anond.hatelabo.jp/20080314085110
収入だってそう、モテについても※然りだ。
最終的な目的は『楽しく生きる』『人生をより豊かにする』ってとこだろう。
もしかしたら『リアルで充実』することと言えるかもしれない。
もちろん何をもって『楽しい』『豊か』『充実』とするかは人の趣向によって違うし漠然としている。
ブランディングや社会貢献、企業合併、人事採用はあくまで手段であって目的ではない。
で、企業は最終的な目標を達成するために、自社が持っている経営資源をうまく組み合わせて戦略を策定し、市場にコミットして収益をあげる。
人もそう、学歴や収入、異性との付き合い、友人付き合い、家庭…
そういった選択肢の中から自分の能力や趣向に合わせた資源配分を行って収益の最大化を図る。
つまりあなたが言うところの『努力』のかけどころは人によって千差万別。
だから低学歴であっても資源配分に成功して人生における収益をしっかりあげている人は=目的を達成できている人は『学歴なんて関係ない』と言える。
逆に非モテであっても心底モテに興味がなければモテは収益の一部として不必要だ。
さてあなたはどうだろう、高学歴と言う戦略を選んだようだが収益はあげられているかい?
こんなところで愚痴めいたエントリーを書いてるところを観るとそんなにうまく行っている訳じゃなさそうだ。
『リアルで充実』とはかけ離れた生活を送っていないかな?
低学歴モテは、『あなたがモテによって収益をあげられるのであればその努力をしろ』と言っているのである。
そこであなたが、学歴以外の手段で収益をあげることに成功している人間に向かって
『学歴の努力なんでしなかったのww』と言ったところで無意味である。
もちろんあせることは無い、人生は死の瞬間まで続き人によってはその後も名を残す場合だってある。
高学歴非モテは高学歴非モテなりの軌跡を描いて収益を高めていく方法がいくらでもあるはずだ。
だからあなたには変な固執を捨てて、見栄や卑屈さを捨ててより高い収益を上げるための努力を行ってほしい。
高学歴を勝ち取った努力家なあなたになら出来るはずだ。心から応援している。