はてなキーワード: ヒステリーとは
なんか矛盾してる。
酒の場合は単純に、アルコールが作用するのが脳の部位のうち「いろんなものを抑制するところ」だから。
文字通り抑えが利かなくなっちゃうので、普段出さないようにしてるネガティブな面がのぞく。
甘え方が「ベタベタする」とか「若干無理目な要求をする」とかそういうポジティブな甘えならそんな嫌がられないし、
酔い方が「馴れ馴れしくなる」とか「げらげら笑う」とかそういうポジティブな酔い方なら嫌われないよね。
ヒステリーと比べても鬱陶しいこと五十歩百歩だと思う。
事によると、これらはヒステリーを嫌うみたいには堂々と避けられないから余計タチが悪いかも。
人間だからある場面で羽目を外したくなる気持ちはわかるし許されるべきだけど
そこでネガティブなイヤ~な行動ばっかり見せる人って
嫌われる一方だと思うんだけど。
本当はネガティブなイヤ~な行動したいんだけど嫌われないためにそうしないとしたら、それは羽目が外れてないよね。
本当に許されるべきだと思うなら許してあげなさいな。
ガチの神経症の入った「ヒステリー」はちょっとしたきっかけで一気にアクセル踏み込んじゃうので、素人は相手すべきじゃあない。
冷静沈着で刺激しないようにーとか思ってても、その冷静さが気に食わないと言って火がつく例がある。
いだいて援助しようとせず、責任がないと考えれば同情し
て援助する傾向があるといいます。
無視、うわさの流布(るふ)、友人関係の妨害など、被害者に社
力者や賛成者を組織するために3段階の集団操作活動を行います。
[孤立化]
害者にあることを印象づけ、被害者を加害者に仕立てて孤立化させます。
[無力化]
力化させます。
[透明化]
強め、被害者にいじめを甘受させるよう仕向けて、いじめを透明化します。
いじめ事実が判明し、糾弾(きゅうだん)される立場になった加害
者は自己正当化のためにアピールをします。「あいつが悪いからだ」
「嫌がっていなかったから、いいのかと思った」「他の人もしていたから」
など。加害者の認知的工作活動や自己正当化により、周囲の人間は
「いじめられる方にも原因がある」「自業自得」と考え、被害者を助け
ようとしなくなります。
ごうまんで、自己特別視が強く、情よりも利で動くタイプを自己愛性
性格と呼びます。恥ずかしがり屋の人は、ペラペラと平気で嘘をつく
自己愛性性格性格の人とかかわれば間違いなく餌食(えじき)になります。
暴力のきっかけは、ささいなすれちがいです。自己愛性性格の人は、相手に
少しでも思いどおりにならない態度をとられたり、批判的なまなざしを感じ
ると、裏切られたように感じ、激しい怒りをおぼえるのです。
このタイプは、幼いうちはちやほやされたり、過度に甘やかされたりしてい
ますが、とちゅうから愛情や承認をうばわれる体験をして育っています(弟
妹が生まれたり、親の勝手な期待ほどの能力がないことから、親から十分に
関心を持ってもらえなかったなど)。そのため成長してからも幼い顕示的欲求
(けんじてきよっきゅう・目立ちたい欲求)を持ち続けています。
とにかくでしゃばりで、どこにでも出ていきたがり、なんでも威張りた
い人です。自分が中心でないと気がすみません。その自分の立場を脅か
す者には猛烈な憎しみを持ちます。ヒステリー性格の人は、人を傷つけ
ることに快感を持ち、スキャンダルをつくりあげて、人を失脚させよう
とします。
自分の利益だけを考えるので陰口が多いし、人の間に入ってそれぞれに
違うことを言って人々を攪乱(かくらん)します。しかし表面的には親切で
、社交的です。冷酷なエゴイストなのに、演技がうまいから、いい人と間
違えられます。
「私は恥ずかしがり屋の人間である」と思ったら、生きていくうえで
もっとも注意することは、自己愛性性格の人と深くかかわらないことです。
参考 『境界性パーソナリティ障害』 岡田尊司 幻冬舎
今のエネルギー関連の議論みてると「集団ヒステリー」と言われるのも仕方ない。
電力自由化すべきかどうかなんてのは電力供給が安定化した後でも出来る話だし、
原発の代替にいきなり自然エネルギーを使うのも、現状ではハイリスクすぎる。
特に今は、そんな先のことを話しているような状況ではないはずだ。
現時点で稼働中の原発は動かし続けて、点検停止中の原発も再稼動させるべきだろう。
いきなり原発が全部止まったら、電力供給がギリギリ足りるか足りないかの状態になる。
そもそもピーク時の電力需要を正確に予測できるとは思えないし、
新しい発電所ができるまで、こんなギリギリの状態を続けていける訳がない。
とりあえずは、コストも安全性も今の時点で明確になってる火力発電所を建てて、
電力供給が確保されてから、老朽化した原発から順番に廃炉していくべきだ。
小規模な発電所を建てて実証を繰り返し、コストや安全性を十分に見極めてから展開すべき。
見切り発車で地熱か風力か太陽光に大規模投資して、後々弊害が分かって止めることにするとか、
政府が早急にやらなきゃいけない仕事は、点検停止中の原発がある地域を説得して再稼動させることと、
原発の代替となる発電所を電力会社に建設させ、対外的にはCO2排出目標の棚上げをお願いすることで、
将来のエネルギーのあり方の議論とかは、もっと長期的な議論と実証の上でやるべきことだ。
など。
突飛もない事を言ったり、大人を論破しようとする癖があり、相当ウザかったはず。
更に、よく突然わけのわからないタイミングで泣き出し、親にいつも「なぜ泣くんだ!」と怒られていた。
今思ってみれば、自分の脳をコントロールできなくて、パニックだったと思う。今なら説明できるのだけど、当時はそんなの無理。
アイデアだけは、周りの子たちよりもドンドン出てきて、大人に驚かれることもあった。でもそれは、裏をかえせば「周りから浮いていた」ということ。
少し前までは彼氏もいて、結婚や子供を持つのもいいなと思っていたけれど、それは絵空事だからそう思えたんだな。
自分のおいたちや現在の性格を、冷静に考えてみたときに、それは無理だなと。
というより、こんな遺伝子は後世に残してはダメだ、と強く思うようになった。
もし脳の欠陥や障害でこんなに生きにくいのだったら、遺伝する可能性は充分にある。それは辛い。こんな生きにくい人生は、ここで終りにしなければいけない。
遺伝しなくても、私には子供を育てられるだけの器がない。きっと母のようにヒステリーを起こしてしまうと思う。
友人の赤ちゃんを抱かせてもらって、すごく可愛いと思う気持ちがあり、私も子ども嫌いってわけじゃないのだな~と安心したと同時に、「自分の子は要りません」と、とても強い気持ちになってしまった。
間違いを間違いとして指摘し、お互いに納得することを避けるから間違いを指摘することされることに慣れない。
なんとなく間違いもあるけどそれを指摘せず受け入れることが正しいってことになってしまう。
でもそれはお互いががまんすることであって、いつまでも続かない。
そこで結局間違いを指摘するという、正しくないこと、をやることになる。
その時、どうってことのない間違いの指摘が、なにやら相手への攻撃的な意思などの
そうすると、それがだんだん恨みに変わる。
恨みによって物を見る目自体が変わる。
相手のすべてが間違いであるように視える。自分は被害者として全て正しいように視える。
こうなったら歯止めがきかない。今まで抑えていた感情をところかまわず撒き散らすヒステリー女の誕生。
間違ってることを間違っているって言う事、
間違ってることを指摘されたらそれを受け入れて直すこと。
児童ポルノを歓迎できるのは、
・子供が居ない人、もしくは居ても大切じゃない人
と認識されていると思う。
嫌悪側の人間像として「性犯罪から子供を守ろうとするいじらしい両親」のイメージが有り、
幼少期に性犯罪にあったトラウマを抱える「欲望されるだけの性的需要があった人間」のイメージがある。
逆に歓迎側には、性犯罪から守りたい子供など居ない上に、親戚の子にすら情を持てない独身者、
もしくは「率先して自分の幼い子供をロリコンDVDに出演させて金儲けの道具にするビッチ鬼母」のイメージがあり、
一方的に欲望される側の恐怖に共感できない「性的需要のない人間」のイメージがある。
どうして児童ポルノが叩かれるかって、嫌悪側に社会のレールから外れていない人間、
マジョリティ、社会に対してたとえ少量でも実質的な力を持っている人間、が多いからだ。
児童ポルノ嫌悪者はロリに嫉妬するババアであると主張してる奴が居るが、完全に的外れである。
また、幼い実子や親戚の子などを持つ多数の男たちもロリコンを恐れている。
児童ポルノ規制は実際に動いているのだいうことをよく考えた方がいい。女だけの力では世の中は動かない。
要するに男女問わず、守るべきものを"持つ"側は児童ポルノを恐れ、嫌悪する。
"持たざる"側は、奪うだけの立場に居る。
死んでもこの子を性的搾取から守りたいと思うような愛おしいわが子という存在を持たず、
他人の子供を搾取して人生を破壊し、他人の家庭をどん底に突き落とすことができる。
失うものが無い人間はそういった力を持っている。
児童ポルノを憎むヒステリーじみた感情論は、持つ者が持たざる者に向ける恐怖だと感じる。
世の中は持つ者の声の力で動く。引き続き児童ポルノは弾圧されるだろう。
デマは訂正が入らない。
これで簡単に見分けられる。
ツイッターでは誤報ではないかとメンションが飛んできたりするから
少なくとも疑義があることについては当人も気づき易い。
逆をいえば誤報ではとの疑義メンションが傍目にも明らかに飛んでいるのに
スルーしている場合は、意図的にデマを流している可能性がある。
とはいえツイッターってだいたい自分の考えに近い人を選んでフォローするから
TLには自分の考えを補強するツイートばかり流れ、偏った考えがどんどん濃縮される。
その結果デマの受け手が疑義メンションに気づきにくいし、気づいた時には受け容れられない。
特に原発のように専門的で素人には裏が取りづらい問題は、自分で疑義を挟めない上に高度に政治的問題でもあるから
議論がエスカレートして歩み寄れないまま、双方がヒステリーを起こす。
客観的な間違いを指摘されても、素直に訂正できない。
安全だという者には安全厨、危険だという者には危険厨と互いにレッテルを貼り合い
イデオロギーの空中戦が繰り広げられ、その火の粉は現実に苦しむ人達に降り注ぐ。
○○厨だのといったノイズが入らないところで。
怖かったけど、直接的被害も受けずに済んだ。
「こんな有事だし、自分たちの出来ることをする!」といろいろ準備したけど、
ごめん、原発の電気が東京だけで使われてること、本当に知らなかった。
そして、停電に参加しないことへの罪悪感で一杯になった。
そして買占めのこともあった。
私の家の近くのスーパーでも、紙や水、オムツなどがいっせいに消えた。
あのスーパーにモノがまったく無くなる感じは異様で、
買占めというか、主婦たちが集団ヒステリーのような状態になる気持ちも正直わかった。
でも浅ましい姿だったよ。
都の代表は天罰発言だし、
もう自分の力の及ばないところで「東京」がどんどん酷いものになって、住んでいる自分が嫌になった。
でも、停電に参加したからって何が許されるわけじゃないのにね。
募金でも、停電でも、具体的何かをすることによって、罪悪感から逃げたいだけなのかもな。
地方から結婚するために出てきて、数年が経って、東京が好きになりかけてたのに。
自分も今地方に住んでいたら、東京酷いって思って嫌悪感持っただろうな。
子供もいるし、水のことも、食料のことも、放射性物質のことも、不安が多い。
でもそんなこといえる立場に無いよね、と飲み込んでいる。
自分に出来る、本当のことってなんだろうか。いつも考えている。