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2011-12-24

認知の微視的構造 リマインダー

リマインドしようにも、これを書いた人(=自分)の学力だと読めない本だったから無理。無理ゲーだった。



第一章

1

認知主義、古典認知主義

意味論的に透明なシステムと結びついた心の概念および計算機モデル意味する。

 この主義の限界を

2

 ・チューリング

 チューリングの形式化が持っている特徴

(1)物理的組織によってではなく、記号操作の形式的特性によるメカニズムの集合全体を包括

(2)そのメカニズムいかにすれば十分に明確化された問題すべてに取り組むことができるか示している

(3)万能チューリングマシンを定義する方法を示している

⇒ 素材は重要ではなく、形式的特性が能力を原理的に保証している

フォン・ノイマンコンピュータを設計し、1960s、ジョン・マッカーシーLISPプログラム言語)を開発。

 ⇒ 研究開発が可能に

A・ニューウェルとH・サイモンが物理記号システムという概念を提出

 ⇒理論的に自覚化・明確化される

3

・物理記号システム

①適切に操作可能なトークンに対して任意に意味を割り当てることができるシステムであり、

②正確にプログラミングすればこの割り当てられた意味論的内容と細かい点においても一致した仕方で行動すると信じられるようなシステム

by 1976 ニューウェル & サイモン

・強い物理記号システムの仮説

SPSS strong-physical-symbol-system

「標準的な記号アトムフォン・ノイマン型の操作を行っている仮想機械は、一般的な知的行為を実現するための直接的かつ十分な手段を持っている」

①仮想機械

現実の物理機械上で実行されるプログラムのみによって存在し、

そのプログラムに我々が命令を与える機械を模倣させるような「機械」

 高級プログラムによって定義されるエミュレータ

フォン・ノイマン型の操作

コネクショニズムとは異なった操作

・記号を割り当てる

・変数を束縛する

・記号列の複写、読みとり、修正

・基本的な統語論パターンマッチング操作

等々

③標準的な記号アトム

「テーブル」「ボール」「愛する」「軌道」「電子」のような語

④一般的な知的行為を実現するための直接的で必要かつ十分な手段

そうした機械は、それを支えている特定のアーキテクチュア(その基盤になっている他の現実的もしくは仮想的機械から)まったく独立に真に知的でありうるのであり、逆に言えば他のアーキテクチュアや機械をシュミレートすることなく真に知的でありうる

 このような主張(標準的なLISPアトムのごちゃごちゃした操作が、知能や思考の本質を構成しうるという見解)が、ニューウェルとサイモンのものだとできる動かぬ証拠は、彼ら自身の実践

彼らの仕事の特徴(例:BACON

 ・規則あるいはヒューリスティックス(発見的手法)の直列的(経験則を用いたも多少は運が左右する⇔体系的)適用に依存している

 ・そうしたヒューリステイックスの大部分が、かなり高いレベルで意識的に内省可能

 ・選ばれた課題領域を扱う

BACON:一連のデータから科学的法則を帰納する(ケプラーの第三法則、オームの法則

BACONに対するいくつかのコメント

BACONが取り組んだデータフォーマット化下のは、人間の労苦

BACONは十分に構造化された課題にしか取り組めない。

 ケプラーの第三法則は見つけられても、ペトリシャーレのカビとバクテリアの関係からペニシリンを発見する事はできない

BACONが展開する知識とヒューリスティックスは、人間のプロトコルや実験記録に大いに頼り、われわれが自分自身の思考について内省する思考のレベルからかなり直接的にコード化されたもの

 ⇒この種の思考は原初的で瞬間的なプロセスの上に後から被せられたもの。理解するということを具体的な例で説明する事には役に立たないであろう

 サイモン等は、人間の思考のすべてがただ一つの種類の計算アーキテクチュアに依存すると信じている。

 しかし、筆者は違う考えを持つ。サイモンラングレイの仕事では、洞察のひらめきといったタイプの認識を表現できない。

 心は、多くの仮想的アーキテクチュアからなる複雑なシステムであると考える

 BACONは、人類の一部のモデル

 知的課題や、感覚運動的な課題のような、なめらかに無意識的に行われるものは無視されている

 古典システムは記号アトムの使用に頼り、コネクショニズムはこれを避ける。

 古典主義者:意味論的に透明なシステムの構築に対して、方法論的にコミットしている人々

意味論的に透明、意味論的な透明性

STS semanttically transparent system

システムの振る舞いについての記号的な(概念レベルでの)意味論記述と、システムの形式的な計算活動の内的に表現された対象についての投影可能な意味論的解釈との間にきちんとした写像関係の記述が可能な場合にのみ、そのシステム意味論的に透明であるといえる」

 きわめて大ざっぱにいえば、あるシステムかSTSと見なされるのは、そのアルゴリズム記述レベル2)における計算の対象が、概念レベルの用語で表現されたその課題の分析の記述レベル1)と同型である場合である

レベル1:計算理論:(高い抽象レベルにおいて)どのような関数が計算されるかについての考え

レベル2:表現とアルゴリズム:それを計算する(具体的な)方法

レベル3:インプリメンテーション:現実の機械において計算がいかにして肉体あるいはシリコンなどで実現されるか)

古典アプローチコネクショニズムの重要な違い

(1)古典理論は――コネクショニズムはそうではないが――統語論意味論を組み合わせた記号システムを仮定している

(2)もし何らかの種類の構造化された表現が利用可能であれば、それらの表現についての計算操作を、その構造に鋭敏に反応するかのような形で規定できる。

 もしそのような構造が存在していなければ、(すなわち、どんな記号表現も存在していなければ、)計算操作を規定することはできない

◎要するに、古典システムは、統語論的に構造化された記号的表現を仮定し、そうした表現の構造によって、それに適用される計算操作を規定するものである


第二章

 古典認知主義に対する懸念

 ドレイファス:古典認知主義の問題は、人間の常識的な知識を表象として再現し表現しようとする形式主義の妥当

 サール:形式的なものと志向的なものとの間に、あるいは統語論意味論との間にギャップが認められる

 この二つの種類の懸念について検討する。

あなたの持っているのはそんなにいいボールじゃないわ。それを私にちょうだい。そしたら私、このキャンディーをあなたにあげるわ」

 この言葉を理解するために、ミンスキーちとパペートは膨大な概念リストをあげる。

 ウィノブラードのSHRDLUでは不十分。

 ウィンストンの、フレームを使ったアプローチも不十分

 ・フレームは、常識がうまく対処している偶発的出来事のすべてをカバーしているとは思えない(バースデーケーキに立つ黒いローソクに、フレームは対処できるか?)

 ・フレームからフレームへの移行を促す規則(メタフレーム?)をいつ適用すべきか、システムはどうやって知るのだろう?

 ドレイファス:互いに関連しあった特徴や可能性のすべてを、文脈に依存しない事実や規則によって形式的に把握するという課題には際限がないのではないか

ドレイファスの二つの主張

(1)身体問題

「このシャンプーが目に入らないようにご注意ください。もし入った場合は、ぬるま湯でよく洗ってください」

 コンピュータは、身体、欲求、感情、共通言語や社会習慣も持たない。だからコンピュータは、この文章が何を洗うように言っているのか理解できない

(2)コード

 人間は自分たちを取り巻く状況がどんなものかを絶えず感じ取ることができる。

 このノウハウは、何らかの知識表現言語によって、一種の知識として表現できるものなのだろうか?

 

 AIプログラム(=言語)が知識を表現する仕方が、現実の課題に対して根本的に不適合だと懸念する。

「強いAI仮説」を、サールは批判する

強いAI仮説:適切にプログラムされたコンピュータは、文字通り認知的な状態をとり、その際プログラムは人間の認知を説明するものとなる

Schank and Abelson 1977の、「ストーリーを理解するという志向的活動をシミュレートしているかに見える特別なプログラム」に対して、「中国語の部屋」を使うことで批判する。

サール:形式的に区別される要素に対する計算操作を行っているだけでは、どんなコンピュータも〈理解する〉ことはできない。したがって、そのような計算操作を規定するプログラムが、心の固有の性質について何かを示すこともあり得ない。

具体例:英語話者が英語を理解することと、中国語の部屋操作者が中国語を「理解すること」の比較

「人間は何も理解していなくても形式的な原理に従うことができる」

 以下、サールの誤りについて論じる

 

 サールに対する仮想反論「脳シュミレーター説」

 脳シュミレータ説:あるりプログラム中国語を理解する実際の中国人の形式的な構造をモデル化したと仮定すると、そのときそのプログラムは間違いなく真の中国語の理解を構成したことになる

↑(サールの再反論)

(1)脳の形式的な性質は志向性を構成しない(三章にて説明)

(2)脳の形式的な性質が志向性を構成しないのは、ある種の素材だけが思考を支えることができるからである

 ↑(アナロジー

 光合成光合成の形式的な記述を手に入れても、素材が違えば光合成は再現できない

 では、思考をもたらすような脳の物理的性質とは?

  :外因的および内因的な刺戟に対して脳に大規模な変動が引き起こされること


↑(コメント

中国語の部屋』が大規模な構造的変動を必要としないシステムなら、中国語の部屋による反論は無効

 微視的機能主義

 機能主義は、心的状態の本質を、

 入力、内的状態の変換、出力からなるプロフィールと同一視した。

 (適切なプロフィールを持つシステムはどんなものであれ、その規模や性質や構成要素にかかわれなく、当の心的状態を実現するであろう)

↑(批判)

中国国家脳のような)心的状態を実現する見込みがないようなシステムも、「入力、内的状態の変換、出力」のプロフィールを持つシステムへと組織することは可能であるよように思われる。

 こうした極端な寛大さは、機能主義の立場を掘り崩してしまいそう

・問題は、「入力、内的状態の変換、出力」の系列をどこに位置づけるか

×大まかなレベルに位置づけ

  ⇒感覚質の欠如、極端な寛大さ

ライカンの「小人機能主義」

○微視的機能主義

・機能主義の批判はゲシュタルト盲に陥っているのでは Lycan 1981

ゲシュタルト

 :機能的な構成要素があまりにも大きい、極度に小さい、それらしくない等であるために、そうしたものからなるシステムに志向性を帰属させるという考えに抵抗するということ

ライカン「小人機能主義」

 :機能的な下位システムは、それがエージェントのために何をしているかということによって同定される)

 微視的機能主義

  :システムの内的な機能的プロフィール(内的状態の変換)を、

   内容や目的に関連づけからはかけ離れた用語で

   記述しようとするもの

   ・処理ユニット間の形式的な諸関係を記述する

   ・諸関係が得られたとき、システムには大規模で柔軟な構造的変動が引き起こされ、またそれによってさまざまな創発敵的性質が得られるようになる


第三章

 認知科学における民間心理学の役割はあるのかないのか

「民間心理学

 :自分や他人が、信じたり、希望したり、恐れたり、欲求したりしているということについての日常の理解

 民間心理学は、行為・運動を説明するときに、信念や欲求という表現を用いる

チャーチランド & スティック

「民間心理学は、人間の行動に先立つ内的原因についての素朴で原初的な科学

 民間心理学問題点

(1)民間心理学は、偏狭な、特定の人々に限定されたような理解しか与えない。

 民間心理学は、子供狂人外国人を前にすると、まごついてしま

(2)民間心理学は停滞したまま、なにも生み出さず、長い間ほとんど変化も進化も発展もしていないところが他の諸科学と異なる

(3)民間心理学は、これまでのところ科学の主要部分にうまく統合されていくような徴候をまったく示していない。残念なことに民間心理学は自然を神経生理学的ないみで妥当な要素にまで分割することには関心がないようである

 最近の分析哲学

  :頭の状態に関する科学理論というゲームと、民間心理学というゲームを比較することが、そもそも不適当なのではないか

Daredevil believes that Electra is dead.

Mary hopes that Fermat's last theorem is true.

 のthat以下を、心的状態の内容と言う。

 心的状態が考えられる傾向

  :われわれの心理学的状態が、本質的に、周囲の世界がどのような状態にあるのかということによって決まるのではなく、

  われわれにとってどのように見えているかによって決まる

 ↓(言い換え)

 我々の意識や無意識に何らかの形で影響を与えられないものはどんなものであれ、

 本質的に我々の心的状態の正確な限定に関わることはあり得ない

⇒我々の心的状態が現に持っているような内容を持つものは、われわれ自身のあり方ゆえであって、

 知られていないかもしれないような周囲世界の事実とは関わりがない……☆

・双生地球……☆に対して疑いを投げかける

双生地球で、「海に水がある」と発話される。

地球A:海にH2Oがある

地球B:海にXYZがある

 この違い以外は同質だとする。

 すると、

 地球上の発話と双生地球の発話は、それぞれH2OがあるかXYZがあるかによってその真偽が決まる

(たとえば、地球Aの海にH2Oがなくて代わりにXYZがあるとしたら、地球Aでの発話は偽になる)

 もし意味が真理条件を確定するのだとすれば、

 自然種に関する表現(水、金、空気など)を含む陳述の意味は、

 単に主体の限定的に規定可能な状態に言及するだけでは十分に説明できない……☆に反して

二つの選択肢

(1)心理学的な内的要素(地球の話し手と双生地球の話し手に共通)と、

 世界関与的な外的要因(仮定上、二つの地球を越えて不変ではない(H2OとXYZ))の両方によって内容が決まるとする、意味と信念に関する合成説

(2)そういったケース(地球と双生地球のケース)は

  〈心的状態の純粋に内的でまったく心理学的な要素(☆のこと)〉という観念にさえも疑いを抱かせるものであると考えることもできるだろう

プティ と マクダウェル

「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない。

 しかし、

〈頭の中〉にあるものが心の状態に対して構成的関係にあると考え必要があるのだろうか?」

 筆者

 :あらゆる内容が根本的に世界に関与している(選択肢(2))ということが判明したとしても、

 そのこと自体は必ずしも〈認知科学は心の理解に深く(ことによると構成的にではないかもしれないが)関わる研究である〉という主張を覆すものではない


 その主張に対する仮想反論と、それに対する再反論をHornsbyは行った。

 仮想反論

 :「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、

 内的構成に違いがなければならない。」

 という考えを保持すべきである」とするならば、

 心的内容は限定的に規定されねばならない(自然種を指示しない)

(「「行動傾向(心性はこれに随伴して生じるとされる)が二者の間で異なるためには、

 内的構成に違いがなければならない。」

 という考えを保持すべきである」までが、プティとマグダウェルの、「頭の中にあるものが、心の状態と因果関係を持っていることは疑いがない」に対応する。)

 仮想反論の詳細

:仮定①:

 二人の動作主の心的状態は、彼らの行動傾向に何らかの違いがある場合にのみ異なる

 (そこに赤いボールがある、と信じなければ、ボールを投げようとは思わない)

 仮定②:

 行動が異なる(すなわち、行動が異なる)ためには、内的な物理的状態に何らかの違いかなければならない

 結論:それゆえ、心的状態に対応する内的な物理的状態に何らかの違いがなければ、心的状態が異なるということはありえない

「(民間心理学的な心的状態を帰属させることは、限定的内容のみに関わることであるという)結論は、深刻な疑義にさらされることになる。

 限定的内容といっても、それを妥当概念として了解できるかは明らかではない」

 なぜなら、

「民間心理学的な内容を(物理的状態に?)帰属させることは、身体的な動きを規定するような頭の状態についての独我論的な研究から引き出すことができるような切り口とは

 まったく違った切り口で現実を切り取ることであるように思われる。

 その具体的理由として、

 ボールをひろうことは、「そこにボールがあると私は知っている」という心的状態と関連するが、そのときの細かな指の動きはそのような心的状態と関連するものではない。

筆者

 :広域的内容を伴うによ伴わないにせよ、

 民間心理学カテゴリーや分類が

 頭の中で起こっていることに関することに関する科学カテゴリーや分類に

 きちんと還元されるなどということは

 とてもあり得ないように思われる。

・民間心理学は、科学心理学と同じゲームを行ってはいないかもしれない

 世界を記述しない信念であり、なおかつ

 ある人が同じ考えを抱いているといえるような別のケースに投影可能な述語が(科学記述の上には)存在しないことも可能

 民間心理学の道具立て(信念と欲求という概念によって、命題的態度を帰属せさるという道具立て)を用いて、心的状態を二者が互いに帰属させあうという日常の慣習(傍点)の目的は?

 :

 他人の頭の内的状態を追跡しようと試みることによって、

 その人の身体の動きを予測し説明するための手段

民間心理学の主要な目的

 :

 世界の中で活動している仲間たちの行動を、(傍点開始)我々が(傍点終わり)理解できるようにすること

(予測したい対象であり主体である)われわれの仲間たちの四つの特徴

①世界に対する感受性、すなわち感覚生得的な原書的概念の道具立てをわれわれと共有している

②世界をわれわれと共有している

③彼らは我々自身のもっと根本的な関心と必要の大部分を共有している

④彼らの思考の有用性は、

(我々自身の思考と同様に、)

 彼らが世界の実際の有様をたどっていることと関わっており、

 彼らの思考作用が、世界の実際の有様に十分適応していると我々が(進化論的な理由から)考えるような目的と関わっている

 この特徴があるので、

「~したい」という欲求さえ同じであれば、

 神経生理学的な詳細は関係なく、地球人にも火星人にも有効。

・民間心理学は、脳の状態の違い(that かなり目の粗い、行動上の違いとしては現れてこないような)に対しては、敏感に対応しないように設計されている

・民間心理学は、個人の間の差異を覆い隠し、

 さらには種の間の差異さえも覆い隠してしまう(長所であっても短所ではない)

 筆者の見解

 :私の見解では、われわれが信念を帰属させるのは、

 行動の全体に一種の解釈の網をかぶせることによってである

 ……関連する行動を可能にするものとしての、

 根底にある物理的あるいは計算論的な構造がどのようなものであれ、

 そうした構造における自然な区分に、網の結び目(すなわち信念と、欲求の特定の帰属)が

 対応している必要はない。

――

 筆者の意見は全体論である。(行動全体に網をかけるから。)

 ということは、Davidson(全体論者)に対するFordorの批判は、筆者の意見にも当てはまるのではないか

<Fordor>

意識の全体論というのは、

命題的態度の同一性――特に志向的内容――が、その認知的連関の全体によって決定される」

 という考え方。

 これに、Fordorは懐疑的

命題pの認知的連関というのは、主体がpの意味論的評価、すなわちその真偽の決定に関係するすべての命題のこと)

われわれは、信念や志向的状態を共有している。が、そのとき、すべての命題認知的連関)を共有しているとは思えない。

 なので、意味全体論はありえない。

 →信念の内容が、その認知的連関に依存するということを否定。

 信念は、その内容をそれぞれ別に持つ。

 外延的意味論の一形態に賭ける

:信念がその状態を獲得するのは、脳の状態が逐一、世界と因果関係を結ぶことによってである

「ある生物が『牛』という概念を持とうと持つまいと、その生物は『馬』という概念を持ちうる」

</Fordor>

筆者

 :Fordorの間違い

 全体論は、もしそうであれば、人間の心の理解が芋蔓式に進んでくれるのにという、いわば願望。

 Fordorが軽蔑したものの通りに進んでくれるかは別問題。

Fordor:バラバラになったブロックを一つの全体に組み合わせるやり方が、全員同じになるはずがない。

筆者:一つのブロックの組み合わせ全体を理解するために、各人が別々のやり方でバラバラにしている

 全体論という言葉の使い方が違うから、Fordorの批判は筆者には当てはまらない(という、批判をかわすための節)


 一章3節での、チャーチランドによる民間心理学批判に、今では応答できる。


(1)民間心理学は、狂人や言葉の通じない相手には使えない

(2)民間心理学は、長い間停滞している不毛な学問である

(3)民間心理学は、神経科学ときちんとつながっていない

(3)に対して、

 民間心理学の関心事は、他の主体の顕著の行動パターンだけを可能な限り効率的に分離することである神経科学とつながることを目的とはしていない

(1)に対して、

 民間心理学の道具としての適用範囲は、仲間。狂人の理解は、そもそも目標としていない

(2)に対して、

 民間心理学の目的は限られたものである

 なので、その中核部分が時間的および地理的な次元を越えて相対的に恒常的であり続けてきたことは驚くべきことではない。

整理。

 心的状態に関するわれわれの常識的理解と民間心理学は、違う。

 民間心理学には、きちんとした定義がある。

 これまで「民間心理学」として使われてきた言葉の、新たな用語法:「素朴心理学」、「メンタリズム的な理解」

 因果関係と、構成的関係の区別

構成的関係

 :

 研究の主題と何らかの形で密接に結びついているということ

因果的に関係

 :

 因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、

 それらの要素を差し引いてもそれによって思考という観念そのものが存続しえなくなる

ということはない。

チェス盤がなくなっても、チェスの続きは打てる。石を駒に見立てたり、口頭で)


・広域的内容の理論認知科学は心を解明しえない

・消去主義的唯物論:民間心理学が、心に関する科学に対して歪んだ影響を及ぼすのではないか民間人は自分自身の心を知らないと、消去主義的唯物論は思っている


科学(物質、プログラム

(構成的関係)

科学と心とを結びつける構成的関係。その得難さが二つのスタンスの対立を生んでいる。が、どちらの立場も同じく、認知という地形に同じ隆起とくぼみを見ている。

では、構成的関係とは何か。


構成的関係←→因果関係

構成的関係:研究の主題(この場合は心)と、何らかの形で概念上密接に結びついていること

因果的関係:因果的に関係している様々な要素は、それほど密接に思考と結びついているわけではないので、それらの要素を差し引いても、それによって思考という観念そのものが存続しえなくなるというひとはない

(駒はなくてもチェスは打てる)

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2011-11-23

http://anond.hatelabo.jp/20111123170923

資本論の前に、経済学の基礎くらいを学び直した方が良いと思うぞ。

恋人というか婚姻システムは、女性を起点として他のコミュニティ経済的な取引をできるようにする、信用を売ったり買ったりする取引だ。

男女の中を契約によって縛る事で、失う事によるリスク顕在化させ、あらゆる取引においての「逃げる」ような手段を封殺するために考えられたシステムだぞ。

例えば、トヨタの娘とホンダの男が結婚すれば、ホンダの男にはトヨタ仕事を受けても大丈夫そうな信頼がつくだろう。仕事だけ受けて嫁を捨てたら? 言わずともわかるだろうさ。そゆこと。これで、近親間の婚約が禁止されている理由にも想像が付くよな。

ま、嫁単体を資本として考えてるお前さんはまだまだ腋がスイートだねってことさ。

恋人結婚は違うと言いたいかもしれないが、本質的には一緒でないといけないものだぞ。恋人の間では完全な信用が保証されていなければならないのに、それを一時的なものと仮定するパラダイムは、逆に自分が信用を裏切ることを前提としちまっている。契約破棄することを前提に契約するとか、経営側の観点からすれば論外だろ? だから違約金とかつけて縛ろうとするのに。そういう意味でいうなら、縛られてない恋愛は、ごっこ遊びにちかいんじゃね?

2011-11-13

http://anond.hatelabo.jp/20111113232417

あるよ!もちろん。『ダークソウル』ってゲームをつい最近までプレイしてたよ。ゲーム全体に漂う暗い感じが良いよね^^

で、一つ思ったんだけど、俺らがコントローラ操作ゲームプレイしているなかで、WASDかスイッチかの他にもう一つ大きなパラダイムがあったよな。

アナログパッド」だよ。アナログパッドは最初コマンド入力がしづらいとされ、正確な方向の入力が難しいとされ、多くの人間はそれを嫌っていた。しかし、今の時代においてアナログパッドを入力として用いないゲームはまず存在しない。俺らはアナログパッドを受け入れた。時間はある程度懸かったかもしれないけどな。

そういうことだよ。時間が解決する問題なんだ。タッチパネルか、キーパッドかなんてモノは。

あと少し思ったんだけど、WASD操作そのものFPSの始まりと同じ時期だと思うけど、ZXをABボタンのようなモノに見なす操作はかなり昔から無かったか? PC98でぽっぷるめいるってゲームをやっていた記憶があるんだが、その頃から既にキーボードコントローラにせざるを得なかった操作系があったと思ったんだが。

どっちがロートル操作系かと言えば、確実にWASDだと思うが、違うのか?

2011-10-17

http://anond.hatelabo.jp/20111017173201

Action Script は 3 からかなりしっかりしたクラスベースの OO だよ。

JS馬鹿みたいな使い方しないでちゃんとしたスタイルで使えば OO だし、全てがハッシュというオブジェクトだし、関数オブジェクトだしその辺わからないと JS をつかっててもコピペプログラミングに終始して面白くないから結局 OO 理解しないといけない。prototype.jsjQuery やの中身とか読んで理解できるくらいになるには。

Perl だって悪しき過去の遺産が残ってるから OO じゃないイメージが一部にあるけど、モダンPerl は OO だよ。CPAN にあがってるまともなモジュール殆ど OO スタイルだし、もっとモダンスタイル環境でもいける。モダン PerlMoose あたりで検索してみるといい。今からやるなら OO しかないけど、初心者は昔のうんこを踏みがちだよね。JS も同じ事が言えるけど。

JSPerl というゆるい LL は OO を理解していなくても一応使えるってだけで、それじゃマスターには程遠い。あと言語仕様でやっちゃいけないことを縛っていないから、しっかりした開発をやるには 規約もしっかりしないといけない。 初心者最初からいい出会いをするわけじゃないから、誤解が多いのかもしれない。

JSPerlレガシースタイルが残ってる例としてあげたけど、LL でも PythonRuby はもともと OO スタイルしかない。だから自分でやってることを理解してないと過去うんこを踏む可能性のあるゆるい LL よりは、どうやっても綺麗にしかかけない Python初心者向けだと思う。知り合いが何でも良いかプログラミングやってみたいと言い出したら GAEPython 弄らせる。

ぶっちゃけ LL でもいまどき OO を避けて通るなんて無理。

プログラミングスキルは、本質的には言語依存しない。 (よほど糞な言語を使うのでなければだが) OO への理解やアルゴリズムの理解ってのは LL か巨大な言語かに依存しない。絵を描くのに道具によって慣れの差はあっても画力は道具を変えても持ち越せる共通した力だというのに似ている。一つの言語をちゃんとある程度マスターすれば、他の言語の習得はとても早い。たとえ最初にやる言語LL でもね。別の言語をやるときに壁になるのは関数型かそうでないかくらいのパラダイムの差がある場合だけど、JSPerl でさえ 関数型で使うようなテクニック を実装できるし使いどころがあるから、やっぱり共通点はあって、~だから~を学ばなくていい、なんてのは上達したいなら殆どない気がする。

2011-09-23

「続 新しいプログラミングパラダイム」の目次


第1章 並行プログラミングGHC (上田和紀)
	1.1 はじめに
	1.2 ターゲットを明確にしよう
	1.3 はじめが大切
	1.4 GHCが与える並行計算の枠組み
		1.4.1 GHCにおける計算とは,外界との情報のやりとり(通信)である
		1.4.2 計算を行う主体は,互いに,および外界と通信し合うプロセスの集まりである
		1.4.3 プロセスは,停止するとは限らない
		1.4.4 プロセスは,開いた系(open system)をモデル化する
		1.4.5 情報とは変数と値との結付き(結合)のことである
		1.4.6 プロセスは,結合の観測と生成を行う
		1.4.7 プロセスは,書換え規則を用いて定義する
		1.4.8 通信は,プロセス間の共有変数を用いて行う
		1.4.9 外貨も,プロセスとしてモデル化される
		1.4.10 通信は,非同期的である
		1.4.11 プロセスのふるまいは,非決定的でありうる
	1.5 もう少し具体的なパラダイム
		1.5.1 ストリームと双方向通信
		1.5.2 履歴のあるオブジェクト表現
		1.5.3 データ駆動計算と要求駆動計算
		1.5.4 モジュラリティと差分プログラミング
		1.5.5 プロセスによるデータ表現
	1.6 歴史的背景と文献案内
	1.7 並行プログラミング効率
	1.8 まとめ


第2章 様相論理テンポラル・プログラミング (桜川貴司)
	2.1 はじめに
	2.2 様相論理
	2.3 時制論理
	2.4 多世界モデル
	2.5 到達可能性と局所性
	2.6 純論理プログラミングへ向けて
	2.7 Temporal Prolog
	2.8 RACCO
	2.9 実現
	2.10 まとめと参考文献案内


第3章 レコードプログラミング (横田一正)
	3.1 はじめに
	3.2 レコードと述語の表現
	3.3 レコード構造とφ-項
		3.3.1 φ-項の定義
		3.3.2 型の半順序と束
		3.3.3 KBLLOGIN
	3.4 応用――データベース視点から
		3.4.1 演繹データベース
		3.4.2 レコードプログラミングデータベース
		3.4.3 いくつかの例
	3.5 まとめ
	3.6 文献案内


第4章 抽象データ型とOBJ2 (二木厚吉・中川 中)
	4.1 はじめに
	4.2 抽象データ型と代数言語
		4.2.1 抽象データ型
		4.2.2 代数言語
		4.2.3 始代数
		4.2.4 項代数
		4.2.5 項書換えシステム
	4.3 OBJ2
		4.3.1 OBJ2の基本構造
		4.3.2 モジュールの参照方法
		4.3.3 混置関数記号
		4.3.4 モジュールパラメータ化
		4.3.5 パラメータ機構による高階関数記述
		4.3.6 順序ソート
		4.3.7 属性つきパターンマッチング
		4.3.8 評価戦略の指定
		4.3.9 モジュール表現
	4.4 おわりに


第5章 プログラム代数FP (富樫 敦)
	5.1 はじめに
	5.2 プログラミングシステム FP
		5.2.1 オブジェクト
		5.2.2 基本関数
		5.2.3 プログラム構成子
		5.2.4 関数定義
		5.2.5 FPプログラミングスタイル
	5.3 プログラム代数
		5.3.1 プログラム代数則
		5.3.2 代数則の証明
		5.3.3 代数則とプログラム
	5.4 ラムダ計算拡張
		5.4.1 ラムダ式拡張
		5.4.2 拡張されたラムダ計算の簡約規則
		5.4.3 そのほかのリスト操作演算子
		5.4.4 相互再帰定義式
		5.4.5 ストリーム(無限リスト)処理
	5.5 FPプログラム翻訳
		5.5.1 オブジェクト翻訳
		5.5.2 基本関数翻訳
		5.5.3 プログラム構成子の翻訳
		5.5.4 簡約規則を用いた代数則の検証
	5.6 おわりに


第6章 カテゴリカル・プログラミング (横内寛文)
	6.1 はじめに
	6.2 値からルフィズムへ
	6.3 カテゴリカル・コンビネータ
		6.3.1 ラムダ計算意味論
		6.3.2 モルフィズムによる意味論
		6.3.3 カテゴリカル・コンビネータ理論CCL
	6.4 関数型プログラミングへの応用
		6.4.1 関数型プログラミング言語ML/O
		6.4.2 CCLの拡張
		6.4.3 CCLに基づいた処理系
		6.4.4 公理系に基づいた最適化
	6.5 まとめ


第7章 最大公約数――普遍代数多項式イデアル自動証明におけるユークリッドの互除法 (外山芳人)
	7.1 はじめに
	7.2 完備化アルゴリズム
		7.2.1 グラス置換えパズル
		7.2.2 リダクションシステム
		7.2.3 完備なシステム
		7.2.4 完備化
		7.2.5 パズルの答
	7.3 普遍代数における完備化アルゴリズム
		7.3.1 群論の語の問題
		7.3.2 群の公理の完備化
		7.3.3 Knuth-Bendix完備化アルゴリズム
	7.4 多項式イデアル理論における完備化アルゴリズム
		7.4.1 ユークリッドの互除法
		7.4.2 多項式イデアル
		7.4.3 Buchbergerアルゴリズム
	7.5 一階述語論理における完備化アルゴリズム
		7.5.1 レゾリューション法
		7.5.2 Hsiangのアイデア
	7.6 おわりに


第8章 構成的プログラミング (林 晋)
	8.1 構成的プログラミング?
	8.2 型付きラムダ計算
	8.3 論理としての型付きラムダ計算
	8.4 構成的プログラミングとは
	8.5 構成的プログラミングにおける再帰呼び出し
	8.6 おわりに:構成的プログラミング未来はあるか?


第9章 メタプログラミングリフレクション (田中二郎)
	9.1 はじめに
	9.2 計算システム
		9.2.1 因果結合システム
		9.2.2 メタシステム
		9.2.3 リフレクティブシステム
	9.3 3-Lisp
	9.4 リフレクティブタワー
	9.5 GHCにおけるリフレクション
		9.5.1 並列論理言語GHC
		9.5.2 GHC言語仕様
		9.5.3 GHCメタインタプリタ
		9.5.4 リフレクティブ述語のインプリメント
	9.6 まとめ

「新しいプログラミングパラダイム」の目次


第1章 新しいプログラミングパラダイムをめぐって (井田哲雄)
	1.1 はじめに
	1.2 プログラミングパラダイムの形成
	1.3 プログラミングパラダイムの展開
	1.4 パラダイム作法構造プログラミング
	1.5 構造プログラミングを超えて
	1.6 関数型プログラミング論理プログラミング,対象指向プログラミング
	1.7 新しいプログラミングパラダイム
	1.8 まとめ


第2章 ラムダ計算と高階プログラミング (横内寛文)
	2.1 はじめに
	2.2 ラムダ計算
	2.3 最左戦略
	2.4 コンビネータによる計算
	2.5 まとめ


第3章 マルセイユPrologProlog Ⅱ,Prolog Ⅲ
	3.1 はじめに
	3.2 準備
		3.2.1 述語
		3.2.2 項
		3.2.3 項の単一化
		3.2.4 節およびHorn節
		3.2.5 論理式の意味
		3.2.6 論理的帰結と導出
	3.3 マルセイユProlog
		3.3.1 Prolog記法
		3.3.2 Prolog計算規則
		3.3.3 Prologプログラムの例
		3.3.4 カットオペレータ
		3.3.5 DEC-10 Prologとの相違
	3.4 Prolog Ⅱ
		3.4.1 difオペレータ
		3.4.2 freeze
		3.4.3 ループ構造
		3.4.4 Prolog Ⅱのインプリメンテーション
	3.5 Prolog Ⅲ
		3.5.1 制約の枠組
		3.5.2 Prolog Ⅲのプログラム例
		3.5.3 束縛の領域と制約系
		3.5.4 Prolog Ⅲのインプリメンテーション
	3.6 まとめ


第4章 制約論理プログラム (相場 亮)
	4.1 はじめに
	4.2 制約プログラミング
	4.3 制約の分類
	4.4 プログラムの実行
	4.5 制約の評価
	4.6 まとめ


第5章 オブジェクト指向 (柴山悦哉)
	5.1 はじめに
	5.2 モジュラリティと抽象化
		5.2.1 抽象化
		5.2.2 手続抽象
		5.2.3 データ抽象
		5.2.4 オブジェクトによる抽象化
		5.2.5 並列オブジェクトによる抽象化
	5.3 共有
		5.3.1 多相型
		5.3.2 継承
		5.3.3 多重継承
		5.3.4 Self
		5.3.5 動的束縛の意義
	5.4 対話性
		5.4.1 クラスの再定義
		5.4.2 表示機能の一体化
	5.5 オブジェクト指向の弱点
	5.6 まとめ


第6章 型推論ML (横田一正)
	6.1 はじめに
	6.2 LCFの超言語からMLへ
	6.3 プログラミング言語と型
	6.4 ML表現と型宣言
	6.5 ML型推論
	6.6 LCFへの応用
	6.7 まとめ


第7章 Miranda (加藤和彦)
	7.1 はじめに
	7.2 Miranda概観
		7.2.1 等式による定義
		7.2.2 基本データ型と基本演算子
		7.2.3 ガード付き等式とスコープルール
		7.2.4 高階関数カリー化
		7.2.5 パターンマッチング
		7.2.6 ノンストリクト性と遅延評価
		7.2.7 ドット式とZF式
	7.3 型
		7.3.1 強い型付けと静的な型付け
		7.3.2 多相型
		7.3.3 型類義
		7.3.4 代数データ型
		7.3.5 抽象データ型
	7.4 処理系
	7.5 まとめ
	7.6 文献の紹介


第8章 項書換えシステムと完備化手続き (大須賀昭彦)
	8.1 はじめに
	8.2 項書換えシステム
	8.3 TRSの停止性
		8.3.1 意味順序
		8.3.2 構文順序
	8.4 TRSの合流性
		8.4.1 完備なTRS
		8.4.2 危険対
		8.4.3 危険対を用いたTRSの合流性判定
	8.5 Knuth-Bendixの完備化手続き
	8.6 KBの応用
		8.6.1 帰納的な定理証明への応用
		8.6.2 等号論理定理証明への応用
	8.7 まとめ


第9章 等式プログラミングから融合型プログラミングへ (富樫 敦)
	9.1 はじめに
	9.2 等式プログラミング
		9.2.1 等式プログラム
		9.2.2 代表的な等式プログラム
		9.2.3 プログラミング技法
		9.2.4 正則プログラム正規化戦略
	9.3 条件付き等式プログラム
		9.3.1 条件付き書換え規則
		9.3.2 条件の種類
		9.3.3 利点と問題点
	9.4 融合型プログラミング
		9.4.1 AMLOGシステム
		9.4.2 向付き等式
		9.4.3 実行戦略の変更
		9.4.4 代入操作
		9.4.5 合流するプログラムへの変換
	9.5 まとめ

2011-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20110921153515

脱構築ときましたかww

ダメ」の根拠が全部今のパラダイムから検討なんだもん。

宗教の中にいる人に教義を離れた大きな枠組みを検討させるのは簡単じゃないもんだけど。

だって「今のパラダイム」の言葉じゃん「オバサン」てww そりゃ今のパラダイム内でケリついちゃうでしょ。

新しい価値観に移行させたいんなら再構築してみせてから言えよwww



君も言ってるように全部「女子」の亜種。

「オバサン」ではない。

「オバサン」は死の世界、という女子至上教義からミリも踏み出して無いとこで考えてるから

結論は女子至上協議の枠内に収まるに決まってるよ。

マダム」は輸入にちょっと失敗しちゃったせいでギャグだけど"Madame"は「女子」至上主義じゃないんじゃね?

俗に言われてるMademoiselleとの対比からして。

そしてたぶん、「オバサン」でもない。



脱構築せよ」という話に対して

君の一案は「ワタシスタイル」というきわめて既存雑誌メディアの文法やセンスに忠実なもの

からそこから出ろということを再三述べてるからここで1から繰り返さない。

脱構築せよ」だなどと突然言い出したのはお前さんだということはこの際措いてやろうw

要するに既存雑誌メディアの文法を捨てろってこと?

なら「スタイル」だなどと既存雑誌メディア武器を持ち出してくるべきではなかったんですよ。最初から

それにやっぱり「オバサン」も持ってくるべきじゃあなかったな。せめて「失った人」に反駁する感じで解体して定義し直してくんないと。

つってもどうせやらねーんだろうから自分でちょっとだけやってみるけど、「小母さん」の定義辞書によれば「よその年配の女性を親しんで言う語」だ。

で、本来年配の人っていうのは「失った人」というより「手に入れた人」のはずなんだよね。何をって経験とか人生とかを、だけど。

それがごっそり無視されてるというか、価値としてカウントされてないのがアレですよね。

つーても「年寄りをうやまえー」とかじゃなくて、ステレオタイプだけどいわゆる近所のおせっかいおばちゃんのポジとかかつてはあったはずなんだよねっつー。巻き戻しても詮無い話だけど。

あと「よその」とか「親しんで」ってのがすごく嫌な感じに作用してしまっていますね「オバサン」においては。

流行の潮流、渦中から見た「外部のサエない他人」感の強まり方が半端ない。



「毎食そのへんの犬を捕まえる部〇です

「お昼にイルカを採る太地です

ぐらいの人でないなら差なんかない。

日本の中での君の個性や個人差なんてその程度のもんだ。

いやいやwそれは単なる主観による決めつけだからww 根拠が薄弱、つーかもう無根拠の域。

キミ理論だと例えば昼は栄養点滴でしたって人と焼き肉食べて腹はちきれそうって人とに差がないとかになるわけ?ww

住んでるところとか勤め先とかイヌイルカのペアよりはたぶん近いけどさwww



女子しかない超ストリクトスタイルに慣らされて従順な人が

他の多様な可能性に圧力を感じるだの不快だのというのは理屈の通らない話だよ。

今のスタイルに慣らされすぎてる脳の形までそうなっちまってるだけだ。

変化が不安不快というアレ。

え…何を見て「女子」に慣らされてると思ったん?w 「オバサン」ディスってたから反射的にそう思っちゃったん?

慣れてるなら「女子」の万能感がウザいとか言わんでしょ普通

むしろ馴染まないからウザいんだし、出てきたのがオバサンっていうのも事実として「コインの裏っかわ」で意味ねーから意味ねえよって言ったのよ。

反論するなら非コイン裏の「オバサン」をひとかけらでも具体的に提示してからにしな。



からないだろう?

もう骨身に食い込んでてその異様さどころか存在すら自分の目には入らないからだよ。

意味が判らない、と言ったんですよ。何が異様かわからない、ではなくて。というか強いて言えばキミの文章が異様だったわけだけど。



全然違う。

から毛がなくなったら尼か坊主でない限り不便に決まってるし、

安定収入が絶たれたら辛いのは当たり前だ。

これはスタイルから降りる降りないって話じゃあないよね。

探してもそんな不出来な例しか挙げられないのはつまりそういうことだ。

そもそもがスタイルから意図的に降りる降りないの話じゃなかったんじゃね。スタイルから「外れる」とめんどくせえっていう話だったはず。

あと毛髪がないことの「不便」って何だよw 頭で床にモップがけでもするのか?ww 日焼け? 帽子かぶってろ。

「アレな目で見られる」っていう社会的な弊害は「スタイルから外れたせい」だから、不便ていうよりは先述の「同種の恐怖」にカウントですよ。

安定収入が絶たれてつらいってのももっともだ、だがそれだけで「リストラ=もう自殺」とは普通ならない。

敢えてそこをイコールで直結させたんだから意味は汲めよ。



いや、「オバサン」というだけで死の覚悟が必要になるのは「女子」至上教義独自のものだね。

そうでもないんじゃね。「死の覚悟」とか出したのはそちらさんだからこっちはよくわからんけど。いろいろごっちゃにして「死の覚悟」って言ってない?

まず自然摂理として、老いるということはあれこれ出来なくなっていってごく緩慢に死んでくってことだからガチで直面するときは死に近づく覚悟が問答無用で必要なもの

これは本来性別も問わないレベルの話で、女においてはその「老い(始め)」に気づく段階の象徴としてわかりやすく「オバサン」が置かれてるってだけ。

でこれに伴って、かつて出来たことが今出来ないってことで、「出来る」潮流からは外れざるを得なくなる。こっちの方が大半の「女子」には怖いんだと思う。

それこそ死のごとくっていうか、ある意味死そのものよりも怖いだろうな。身を包む「もうおしまいだ」感。グループからさしたる理由もなくハブにされたときのアレ。

これは「女子」至上主義の弊害に数えられなくはない点だけど、至上主義にまでなる前の時点で元々「女子」というものにそういう素地があった。小学生女子から続く素地が。

それが雑誌フレーズとして拾われて振幅してるってのが現状、ではないかな。

「覚悟するくらいしかテがないのが怖い」って書いたけど、厳密には「事前に欲望を整理できなかったタイプの高齢女子がいざ直面しても覚悟できるかどうかわからない、その絶望の可能性が怖い」って感じだわ。



女子至上教は生まれの差別がなく

全員生誕30年も経てば地獄が迫りながら地獄に目をつぶる苦行地獄(君の言葉で言えば全員がん患者

っちゅー教義となってるから

平等進歩的ではあるかもしれないよ。

平等」と「進歩」に関して辞書ひいとけw

あとがん患者地獄に目つぶらないから。比喩取り違えすぎですよ。

「直面したら覚悟するしかない」って言ってるでしょ。

無視なんかできねーの少しずつでも受け入れるしかねーのよ。老いのごとく。



ヒンドゥーの中で被差別階級生まれな人にはメリットだらけだね。

何でチョイスが仏教なの? って聞いてるんですけど。

流石に宗教によって虐げられてる人が宗教捨てる理由は想像つくから

http://anond.hatelabo.jp/20110921141419

「オバサンという消費スタイル」という概念がそもそもパラダイムシフトになってないんスよ。

という話ではあった。

オバサンというチョイスだとこれこれこういう事になるからダメなんじゃね、誰も安らかにオバサンになれねーだろ、という感じ。

ダメ」の根拠が全部今のパラダイムから検討なんだもん。

宗教の中にいる人に教義を離れた大きな枠組みを検討させるのは簡単じゃないもんだけど。

マダムとかギャグジョークの感じでしょ。艶女とか消えたし、消えてなくてもパラダイムシフトではないしね。「女子」の亜種。

ほら、出てくる検討ってこれでしょ。

君も言ってるように全部「女子」の亜種。

「オバサン」ではない。

「オバサン」は死の世界、という女子至上教義からミリも踏み出して無いとこで考えてるから

結論は女子至上教義の枠内に収まるに決まってるよ。



「乗らなかったらメディアのブームに乗れなくなるじゃん」というよりは、「乗らないという選択をスタイル創出という形式で取るとか無理じゃね」的な。

だって例えば「ワタシスタイル」とか試しに言った瞬間にもうなんか臭いっしょ。

脱構築せよ」という話に対して

君の一案は「ワタシスタイル」というきわめて既存雑誌メディアの文法やセンスに忠実なもの

からそこから出ろということを再三述べてるからここで1から繰り返さない。




明らかに同じ土地に居ないし同じもん食ってないっしょw 絶対昼飯かぶらない自信があるぞww

「毎食そのへんの犬を捕まえる部〇です

「お昼にイルカを採る太地です

ぐらいの人でないなら差なんかない。

日本の中での君の個性や個人差なんてその程度のもんだ。

それを「スタイル」がのして均そうとする圧力が不快なのでは?

女子しかない超ストリクトスタイルに慣らされて従順な人が

他の多様な可能性に圧力を感じるだの不快だのというのは理屈の通らない話だよ。

今のスタイルに慣らされすぎてる脳の形までそうなっちまってるだけだ。

変化が不安不快というアレ。

雑誌がいい加減ブームを作り出せなくて売上ヤバくて迷走してるってのはあると思う。

でも全てを「女子」におしこめるどうこうってのは意味が判らないな。

からないだろう?

もう骨身に食い込んでてその異様さどころか存在すら自分の目には入らないからだよ。



>30台以降をずっと目をつぶって生きていくような恐怖の人生が女に与えられている。

>目を開けて降りるには死の覚悟を要する。



いや同種の恐怖はオッサンにもあるんじゃねw

ハゲたら終わり」的なそういう形かな? それとも「リストラ=もう自殺しかない」とかの方向か。

全然違う。

から毛がなくなったら尼か坊主でない限り不便に決まってるし、

安定収入が絶たれたら辛いのは当たり前だ。

これはスタイルから降りる降りないって話じゃあないよね。

探してもそんな不出来な例しか挙げられないのはつまりそういうことだ。




「そこから降りると死にそうな心地がする」のは

女子概念のというよりはスタイルというもの宿命から、幅を拡げれば解決するってもんでもないのでは。

いや、「オバサン」というだけで死の覚悟が必要になるのは「女子」至上教義独自のものだね。

大変厳しい無茶のある教義を誇っている。

その風合いは一信徒である君の発言からもいくらでも拾える、こんな感じ。

オバサンって「失った人」ってことでしょ。

ある意味不治の病と似てる

ガン患者

覚悟するくらいしかテがない

こわい



これは構造で言えば過酷宗教に似ている。

オバサンは死と地獄世界

しか地獄世界が現世に現れる構造になっているから死後の没落で脅すよりある意味えぐい




やめればいいじゃん、で代替も出さんでそれはひどい。「オバサン」は新パラダイムにならへんで。単なるコインの裏っかわ。

君がオバサンに地獄しか見出せないのは

今まだ女子至上教義の観点からしかオバサンを検討できないからだよ。

オバサンがコインのうらっかわなんじゃなくて、君がオバサンを「女子の裏」としてしか見られないだけ。




だいたい言われるまでもなく採用してない人はとっくに採用してない。

そして採用することで幸福になるか、少なくとも不幸にはならない人間はそのパラダイムを捨てない。

これも違う。

命数の尽きた構造から抜け出せない人や

自分にあわないパラダイムに抑圧されて従順な人というのはいくらでもいる。

特に変わり目にはね。

新しいパラダイムどころかその予感にすら怯えて攻撃したりする。




どうでもいいけどヒンドゥー教捨てて仏教に改宗すると何かメリットあんの?

ヒンドゥーの中で被差別階級生まれな人にはメリットだらけだね。




女子至上教は生まれの差別がなく

全員生誕30年も経てば地獄が迫りながら地獄に目をつぶる苦行地獄(君の言葉で言えば全員がん患者

っちゅー教義となってるから

平等進歩的ではあるかもしれないよ。

そうなんだよねw

http://anond.hatelabo.jp/20110921114931

この認識が既に「女子至上パラダイム」だ。

パラダイムシフトをしろって話に既存パラダイムから批判を加えるのは無意味

「オバサンという消費スタイル」という概念がそもそもパラダイムシフトになってないんスよ。

という話ではあった。

オバサンというチョイスだとこれこれこういう事になるからダメなんじゃね、誰も安らかにオバサンになれねーだろ、という感じ。

でも「じゃあ何つーの?」って言われると詰まるんだよね。

マダムとかギャグジョークの感じでしょ。艶女とか消えたし、消えてなくてもパラダイムシフトではないしね。「女子」の亜種。



「そういうものに乗る以外のライフスタイルは思いつかないの?」という話に

「乗らなかったら、メディアのブームに乗れなくなるじゃん!」というのは答としてトートロジーになっている。

「そういうものに乗る以外のライフスタイル」っていうのは個人が作るしかない、つーかライフスタイル」とか言っちゃう時点でアウトなんじゃね? という話。

「乗らなかったらメディアのブームに乗れなくなるじゃん」というよりは、「乗らないという選択をスタイル創出という形式で取るとか無理じゃね」的な。

だって例えば「ワタシスタイル」とか試しに言った瞬間にもうなんか臭いっしょ。絶対一時期どっかの雑誌で載ってたっしょこれ。

スタイルって要はパターンの集合で、ワタシもパターンの集合ではあるんだけど、要素の数と種類がスタイルの比じゃない。そもそも収まるわけがねーんだもん。



同じ島で同じもん食ってる我々の差異なんてたいしたことはない。

その程度の差異が過大に感じるのは画一化した「スタイル」に慣らされすぎている証拠だ。

それでも別にいいが、今提供されてる「スタイル」は狭すぎるし出来がよくない。

意味が判らねえww

明らかに同じ土地に居ないし同じもん食ってないっしょw 絶対昼飯かぶらない自信があるぞww

同じものを見てもいないし聞いてもいない。

それを「スタイル」がのして均そうとする圧力が不快なのでは?


雑誌諸悪の根源だと言うのはそのとおり。

うまく支配してるならそれでいいけど

明らかに無能な奴らがそのノーアイデアゆえに、

全てを「女子」におしこめようという横着をしている。

雑誌がいい加減ブームを作り出せなくて売上ヤバくて迷走してるってのはあると思う。

でも全てを「女子」におしこめるどうこうってのは意味が判らないな。

30台以降をずっと目をつぶって生きていくような恐怖の人生が女に与えられている。

目を開けて降りるには死の覚悟を要する。

いや同種の恐怖はオッサンにもあるんじゃねw

ハゲたら終わり」的なそういう形かな? それとも「リストラ=もう自殺しかない」とかの方向か。

「そこから降りると死にそうな心地がする」のは「女子概念のというよりはスタイルというもの宿命から、幅を拡げれば解決するってもんでもないのでは。



そのパラダイムは不出来で不幸せからそろそろ採用するのをやめればいいじゃん、と言っている。

やめればいいじゃん、で代替も出さんでそれはひどい。「オバサン」は新パラダイムにならへんで。単なるコインの裏っかわ。

だいたい言われるまでもなく採用してない人はとっくに採用してない。

そして採用することで幸福になるか、少なくとも不幸にはならない人間はそのパラダイムを捨てない。

理想としてはもっとガンガン乗り換えとか二股とか利くようにすべきだと思う。不幸になるから捨てて終わりとかじゃなくて。

二頭並んで爆走する馬の背に両足かけて仁王立ちってレベルかそれ以上までやれるべきだと思う。




どうでもいいけどヒンドゥー教捨てて仏教に改宗すると何かメリットあんの?

wikipedia見たら人の一生は苦であり輪廻ン中で永遠に苦しむとか書いてあるけど。

http://anond.hatelabo.jp/20110921111120

オバサンって「失った人」ってことでしょ。

新しい世代、新しい文化、新しい潮流がどんどん出てくるけど、

その渦中に居ない自分、渦中にいたけりゃ乗り込んでいかなきゃならない自分として発見されるのが「オバサン」でしょ。

この認識が既に「女子至上パラダイム」だ。

パラダイムシフトをしろって話に既存パラダイムから批判を加えるのは無意味




新しい世代、新しい文化、新しい潮流がどんどん出てくるけど、

その渦中に居ない自分、渦中にいたけりゃ乗り込んで

いかなきゃならない自分として発見されるのが「オバサン」でしょ。

君が言ってるのは明らかに

新しい世代=20代までの世代

新しい文化20代までの世代向け文化

新しい潮流=20代までの世代のブーム

であって、更に言えばただのメディアの旗振りだ。




「そういうものに乗る以外のライフスタイルは思いつかないの?」という話に

「乗らなかったら、メディアのブームに乗れなくなるじゃん!」というのは答としてトートロジーになっている。




でも無理だよ。個人差が大きすぎて消費「スタイル」に落とし込みようがないでしょそんなの。

個人に差があるのが当たり前だし、同じ島で同じもん食ってる我々の差異なんてたいしたことはない。

その程度の差異が過大に感じるのは画一化した「スタイル」に慣らされすぎている証拠だ。

それでも別にいいが、今提供されてる「スタイル」は狭すぎるし出来がよくない。




雑誌特に女性向けファッション誌なんて基本的に何かの渦中に巻き込んでとにかく商品に接させてそこで生じた欲望を使って人を振りまわすためのツールでしょ?

どう考えても「オバサン」スタイル構築して文化として根付かせるよりも、オバサン敵視して反オバサンに人を走らせる方に向いてるよ。

まり高齢女子を発生させる方向に。

雑誌諸悪の根源だと言うのはそのとおり。

うまく支配してるならそれでいいけど

明らかに無能な奴らがそのノーアイデアゆえに、

全てを「女子」におしこめようという横着をしている。




綻びの多い無能な支配にいつまでついていくのか、という話だよ。





話がずれるけど、事前にちょっとずつ欲望を整理するのに失敗したタイプの高齢女子が、己の「オバサン」化に直面したその時には覚悟するくらいしかテがないという事実がこわい。

ある意味不治の病と似てる。心安らかにガン患者になれるやつなんてどんだけいるんだ?

つうか、そもそもそういう覚悟を煽る雑誌なんて原理的に作れないんじゃね?

君も最初に披露したような「女子以外は終わり・死」という横着なパラダイムのせいで

30台以降をずっと目をつぶって生きていくような恐怖の人生が女に与えられている。

目を開けて降りるには死の覚悟を要する。




そのパラダイムは不出来で不幸せからそろそろ採用するのをやめればいいじゃん、と言っている。

既存パラダイムに漬かった視線から行う反論には意味が無い。




別のものにたとえるなら

「ハリジャンとして虐げられるだけの一生を送るぐらいなら、ヒンドゥー教捨てて仏教徒になれば?」って提案に

ヒンドゥー教では教えを捨てると地獄に落ちるんだ」って反論するようなもの

その考えの枠組みを替えたら?と言ってる。

2011-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20110808181732

国会議事堂へ行って電波利権解体を叫べって話だよな。

電波利権解体したら大好きな大好きな自民党さんが困っちゃうと思うんだけどな……。

なんかこう、プロレス的なパラダイムって奴が壊れてしまますよ。

経済学者なんかから新聞再販電波利権なんてぶっ壊してしまえって前々から言われてるけど、それを民族派の方々(婉曲表現)が言うのは自分の首を絞めている。

2011-06-01

http://anond.hatelabo.jp/20110601191238

異論ありません。

あなたがおっしゃることは自由市場経済において達成を期待されるそのものを述べているだけ。反論の余地はありません。

これを否定するなら自由市場経済を否定して別なパラダイムへと転換することを目標としなければならないでしょう。

学生に甘えと言うつもりはありませんが、能力がないならこれまで途上国の多くの子供が望まぬ死を遂げたのと同様に、自身の死を受け入れていただくしかない。

それ自体は言ってしまえば成長のための必要悪

はてなでは城繁幸池田信夫労働観は嘲笑の的だが、労働に関しては彼らを支持したい。

底辺を持ち上げる余裕が無いなら、多段式のように切り離されても仕方がない。

2011-05-25

フラクタル」にはこのあたりを期待してたんだが

見てないのに批判すんなと言われたのでフラクタル見た。

1話の設定だけ見たらディスコミュニケーションというか偽りの現実を取り戻すみたいなゼーガペインみたいなのを、ループ使わず、仮想空間も使わず

テクノロジと認識の問題として取り上げるのかと思ってた。というか登場するキャラ全員厨二くさく、特に主人公はテクノロジ社会適応できずアナログで手触りあるものに憧れるヒキオタ。こりゃどうみてもこっちの方向だろ、と正直オラワクワクしてた。

そういう意味で1話見たときはメッチャ面白いと思ったんだが、3話あたりからわけわからなくなって最後までわけわからんかった。

どう見てもキャラも設定もジブリと全く正反対にあるのに(漫画版ナウシカだけは少しつながりあるけど)、どうしてこれでジブリができると思ったのか全く理解出来ない。



コミュニケーション不全症候群 P59 おたくについて

コリン・ウィルソンは「アウトサイダー」の中で、アウトサイダーの意義について書いたが、そのなかで例としてあげられているアウトサイダーたちが、

すべてD・H・ロレンスとか、ニーチェとか、十九世紀的な「精神巨人」時代の人間か、あるいは疎外の始まった頃の疎外への反抗者であったというのは、

すでにそういうかたちの疎外の消化の仕方が、現代には意味を持たないものになっていることを示している。

自己疎外が自己を拡大するための契機として意味を持ち得たのは、個人の存在というものにまだ何らかの意味があった時代においてだけである

現代においては、すでに個人のものが存在しなくなりかけているのだ。

個人が存在するのならば、阻害されても疎外された個人として生きられるだろう。しかし、現代にあっては、疎外されたまま生きて行くことは不可能である


コミュニケーション不全症候群 p277 最後の人

かつてコリン・ウィルソンが「アウトサイダー」をあらわしたとき、まだ社会にはアウトサイダーの生きる場所がそれなりにあった。

いかアウトサイダーであろうともその事自体が意味を持ちうるくらいにさえ社会には余地があったしパラダイムはまだ決定的ではなかったのだ。

犯罪者であること自体にコリン・ウィルソンひとつ事故表現としての意味合いを見出すほどに社会のそのものが発展の可能性をまだ持っていた。

だがいま犯罪者精神病者もまた社会のアウトサイドでアウトサイダーとして自己表現する余地はない。膨張していく東京がしだいに周辺の村を合併

埋立地をベイアエリアとし、そしてどこから東京でどこから地方であるのか次第に分からなくなってきつつある現状そのままに、

「インサイド」と「アウトサイド」という対立は存在しなくなり、そのかわりに

かつてアウトサイダーとして生きられた「落ちこぼれた」人間たちがインサイドの知られざる怪物として都市の中を徘徊し始める。


コミュニケーション不全症候群 p307 コミュニケーション不全症候群のための処方箋

なんらかの公認されない私的な共同幻想(個幻想はない。共有されない個幻想は単なる狂気で終わってしまう)に拠ることで

社会全体に対してのあアンチの役割を務める人間は、実際に自分がそのアウトサイダーグループに参加したり、そういう役割を務めることは出来ないけれども、

一見一応は<まとも>に社会適応している範囲内に居ながらその内側に何らかの欠落を抱いているタイプの個人たちの小規模な共同幻想の作り手となる。

こうしたいわば私的な共同幻想を共有することによって、それらのグループの「見かけの正常さ」は保たれ、守られる。

同時にまた社会もその内包するアウトサイダー存在を消化吸収する事のできる最も賢い方法を手に入れるのだ。


んで、結局のところこのアニメは何がやりたかったんだろう。

物語として、何を描きたかったんだ。

もちろん「それらしきもの」はわかるけど「それ」だけだったとは思いたくないし。

まさか最終話のアレがやりたかったわけじゃないんだよね。

2011-05-12

http://anond.hatelabo.jp/20110512132858

から目やにが落ちた。ああ、そういう考え方もあるなあ。

暗黙であり続ければ「暗黙の前提」は一生その定義を疑われずに済む訳だからパラダイムは揺るぐことはないわけで、もともと保守的な考え方をする人にとっては確かに定義されると困る罠。

だが、世界は常に変化し続けると思い込んでる極左漏れはあえて「処女厨とそれ以外の勢力があって、それ以外の勢力は処女厨に劣るものだぜ」と世間に発信し続けるぜ。これで世界が変わる!(良い意味でも悪い意味でも)

2010-11-26

http://anond.hatelabo.jp/20101126001620

 なるほど私が実存主義的な側面から自我について論じたのに対して、貴方は心理学パラダイムから自我について論じてくれたのですね。

 他者の視点と自己の視点、自己自己に対する解釈レッテル貼り)と他者の自己に対する解釈、これらの綜合が自己なのであり、またそれらを総合するべく努力する必要があるのではないか、ということを仰っているのだと私は理解しました。

 そうですね、『すり合わせ』は間違いなく成功しているのではないかと思います。

 こちらこそ、丁寧なレス感謝します。


 私はそろそろ明日に備えて眠ろうかと思っております、些か一方的になりますが、お休みなさい。

2010-11-17

http://anond.hatelabo.jp/20101117112147

いやだからさ、「女が嫌い」になる背景として、男同士(キモヲタ同士)でしか付き合いが無いような生活をしてたり、

そもそも男子校に通っていたりするケースがほとんどだという話であり、

男子校で育まれるのは「女嫌い」じゃなくて「女に慣れてない人」だと思うけど…

健全な』一般社会において三十路に―なり美佐んドリーが発生するわけねえじゃん、角度とか。って言ってる訳であり。

やっぱりあなたは何か変な分野の勉強をして

現実から遠ざかってしまった人だと思う。

勉強の成果を現実の分析に生かす人ではなく

現実より勉強で仕入れたパラダイムを参照してしまう人だ。

2010-09-13

小説を書きたいと思った。

小説を書きたいと思った。早速書いてみる。

ダメだ。読みにくいし、つまらない。そもそもこの日本語は本当に正しい日本語なのだろうか?

日本語に自信がない。文系大学に行っている人は、日本語に自信があるだろう。僕は底辺高校卒だ。大学に行きたくなった。文学部に行きたい。

とりあえず自分人生を悔やんでも意味がないので、書店中学校国語参考書を買ってきて、文法から勉強しなおすことにした。(中学校国語参考書レジに提出したことは全く恥ずかしくない。それよりも知識がないことの方が恥ずかしい)

主語・述語の関係、修飾・被修飾の関係……自立語付属語……品詞動詞形容詞形容動詞名詞代名詞連体詞副詞接続詞感動詞助動詞、助詞)……。今考えると、中学生ってかなり高度なことをやっていたんだなと思う。というか、当時の僕は文法の意味が分からなかったから、正解だと思われる回答を適当に選んでいた。本当に恥ずかしい。

いきなり全てを覚えるのは不可能だと思ったので、最初から少しずつ解いていった。毎日2、3時間勉強した。

勉強して驚いたことがある。それは、日本語が極めて論理的に構築されているということ。例えば、よく雑誌ネットの記事で指摘される、『間違いだらけの日本語』というやつを見ても、今までは、それを改善する方法が思いつかなかった。『ら抜き言葉』『~の方 の頻発』が好ましくないということは知っていても、では、どういう時に『ら』を使って良いのか、どういう時に『~の方』を使って良いのか、が分からなかった。それが、文法を勉強すれば、分かるのだ。文章の理屈、文章がどういう風に構成されているのかが分かった、というべきか。結局二週間ほどで文法の勉強を終えた。本当は中学生のうちに覚えておかなければならないことを、二週間かけてやっと理解できた。

しかし、文章力全然向上しなかった。(『全然』の使い方はあってるのかな?それも分からない)そう、文法を覚えただけじゃダメなのだ。僕は言葉そのものの意味を全く知らなかった。相対? 普遍? 主体? 客体? 混沌? 秩序? パラダイム? どれも言葉として聞いたことはあるが、意味を深く知ったことはない。

僕はまた書店に行き、参考書を探した。高校の現代文参考書を探してみた。文法の他に、『基本用語700』『重要語・頻出語』といった参考書があったので、パラパラとめくってみた。上記に挙げた、相対、普通、主体、客体、といった言葉がたくさん並んでいて、その一つ一つに丁寧に解説が書かれていた。なるほど、これで語彙を増やすのか。僕は一冊買って再び勉強することにした。

文法を勉強した時とは別の驚きがあった。それは、『言葉』には広がりがあるということ。言葉には意味以外にもプラスイメージマイナスイメージがあり、問題文で作者が使っている言葉から、事物に肯定的であるか否定的であるかを読み取れ、とその参考書は書いているのだ。はっきり言って僕は衝撃を受けた。言葉意味さえ知っていれば文章は書ける(もしくは読解出来る)と思っていた僕にとって、『言葉に対するイメージ』という考え方はとても貴重なものに感じられた。日本語根底に流れる奥深さ、豊潤さに触れたような気さえした。

また、普段普通に使っていた言葉が、実は全く違った意味を持っていた事も分かって、これにはかなり赤面してしまった。一義的であると信じていた言葉が、実はかなり多義的であることも分かった。勉強すればするほど、日本語というものが素晴らしく思えた。(ちなみに『一義』『多義』という言葉も今までは知らなかったので、早速使ってみた)

ただ、上記に挙げた日本語の広がりなども、文系大学受験する受験生からしてみれば当然の知識なのだろう。僕はどこまで知らないのだろう。そう考えると、何だか本当に死にたくなった。

それでも、何とか全ページ、700語を読み終えた。(これも2週間かかった)ただ、きちんと覚えた言葉はそのうち200語ぐらいだろう。残りの500語はおそらくうろ覚え

。覚えた200語も少しずつ忘れていくかもしれない。だから何度も反復して頭の中に言葉をたたき込まなければならない。(ちなみに『反復』という言葉もこの参考書で覚えた。『はんぷく』って読むらしい。今まで読書しているときは『はんふく』って読んでいた)

ただ、僕はまだ参考書を二冊勉強しただけだ。大学受験する受験生は何十冊も何百冊も参考書をこなしているだろう。あとどれだけ現代文参考書勉強すれば、文系大学生の文章レベルに追いつけるのだろう?

よく「語彙を増やすには小説を読むと良い」と言うが、小説を読んでも語彙は増えないと思う。あれは文法や言葉意味を知っている人には良いかもしれないが、文法を正しく捉えていない、また、言葉意味を理解していない人には意味がないと思う。小説の中に言葉意味などは書かれていないからだ。それぐらいは分かる。

『論旨』を上手く伝えることが重要だと言うことも分かった。参考書の問題文はどれも上手くて上品で精密でユーモアのある文章ばかり。そして意味がちゃんと伝わる。おそらく『論旨』ってやつがうまく機能しているからだろう。『論旨』についても勉強しないといけない。

ライトノベルではなく、一般的な小説を書いてみたいと思う。ちゃんとした日本語で書かれた小説を書いてみたい。ただ……僕は頭が悪い。頭の精度が悪いというべきか。物覚えが悪いし、勉強したことを瞬時に頭から取り出すのが難しいときがある。今だってそうだ。この文章を書いている時だって、100%正しい日本語で書けているとは思えない。おそらくどこかしらに日本語の間違いかもしくは不適切な表現があるだろう。全ての言葉に間違いが無く、簡潔でウイットの効いた文章を書けるようになるのが目標だ。ある程度勉強したら、日本語能力試験も受けてみようと思う。とりあえずこの文章は格好付けず、出来るだけ素直に書いたつもり。

2010-09-05

どうしたものか

簡単に言ってジレンマである。

正直、転職可能な年齢ではないので、現職にとどまらざるを得ない。幸いにして業績は悪くないので雇用は確保されている。

が、以前に休職し、職能的にもキャリア的にも断絶期間があるため、同期の中では給料は安い方である。

この世の中、給料がもらえるだけでもありがたいのかもしれないが、色々な収支を考えると給料を上げないと破綻することがわかった。

従って、休職して以降自分でこなせない仕事量は決して引き受けない方針できたのを、転換した。

基本的に、仕事は受ける。どう考えても今の手持ちの仕事の上にその仕事はできないのはわかってるが、受ける。

もちろんできるだけそれらが終わるように努力するが、時間は有限なので所詮単位時間内にできる仕事は同一である。

ところが、驚くべきことに同じだけしか仕事が終わらなくても引き受けた方が評価が高いのだ。

俺が引き受けなくて他の誰かにアサインされていれば、その仕事が終わっていたと誰が見ても明らかで、組織全体からすると生産性が落ちているのにもかかわらず、である。この現象は弊社の当部門だけだと思いたい。

ところが。

仕事量を調整して余裕を持って仕事をしているときと、あれもこれもとがんばりながら、結果として仕事がこなせてないときとでは、完成する仕事の量は同一でありながら、俺の精神的負担が大違いなのだ。

そもそも、なぜ休職したのかと言えば、仕事がきちんと終わらないと気が済まない、頼まれたら何とかして助けたい、と言う思いが強くて、深夜まで残業して休日も出勤して仕事をして、精神的にも体力的にもぎりぎりで仕事を何とかこなしていたあの頃。本当に微妙バランスで生きていたそのときに、他人が失敗した到底実現不可能な納期の仕事を押しつけられて、色々なものの限界を越えたからである。

従って、この「仕事が常に終わらない状態」がじりじりと精神をむしばんでいく、というのはあのときの再来を感じさせるという意味でも、さらに精神的負担が高い……。

もっとも、今は休日は基本的にはきちんと取るし、残業も月あたり標準時間を40時間超えるぐらいしかしてはいないので、体力的なつらさには陥らないようにしてはいるが、さすがに。

まあね、仕事を引き受けるだけで評価されるのは、とりもなおさず「他の人ができるだけ仕事を引き受けないスタンス仕事してるから」に過ぎないので、便利屋になってつぶされるというパラダイムから未だに抜け出せてないと思うと、ぞっとするわけですよ。

まあ、とはいえ、お金も欲しいので、適度にがんばるしかねーよなー、ぶっ倒れないように。

2010-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20100725011940

進学校から当然のように高学歴に進んだ人間の目線だね、それは。

あくまでも世間一般(特に当人と接点の少ないだろう地方)では高学歴聖人君子なんだよ、例外なくね。

学歴が評価されないっていうのはここ数十年のパラダイム。それ以前の人にとってはいまだに学歴まばゆいステータスであり、金のなる木なんだよ。

2010-07-22

http://anond.hatelabo.jp/20100722125557

紙っペラ企業が淘汰されて起こること

などなど。

甘えと言えば聞こえは悪いが、ブラック企業だろうと就職できれば勝ち組

このパラダイムは個人や学生が変えられることではないので、黙って現実を受け入れるしか無い。

すなわち、「選んだ時点で甘え」ということだ。

2010-06-09

平野啓一郎氏の安全保障論は一周回って、結局またお花畑じゃないかな

http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20100608/1275933435

私は平野氏が攻撃する軍ヲタだけど、「ネットワーク雑種化を通じて、安全保障の脱軍事化が実現された世界」が実現可能な国際環境になっている「可能性」までなら否定しない。ただその可能性が正しかったとしても、広く外交全般を見ると「そのような新しいパラダイム世界各国の先頭を切って示す」のは反対。まだ世界常識になっていないことを率先して実施すれば、「(軍事力抜きでも)侵略されない、という安全保障上の目標」は達成できたしても、「価値観を共有しない国」として、世界各国から外交上敵視され、様々な側面で国益を損ねる。外交において「先陣を切る」ことが必ずしも不利にならないのは旗頭になれる国際社会での大国のみ。「パラダイムシフトに真っ先に適応する」ってのは現在なら米中、もしくはEU背景つきでの仏英くらいしか行使できない特権的外交方針。

安全保障軍事の側面だけから見る」のは問題だが、「安全保障外交全般の観点抜きに見る」のはもっと問題なはず。

実は中国安全保障戦略なんかは「軍事力重要だし、軍備がんがん増強するけど、しょせん軍事力安全保障戦略において幾つもある柱の一つでしかない」という方向に舵を切ってたりするので、ひょっとしたら将来的には「脱軍事化された安全保障」はいずれ日本でも選択肢に上げてもいいのかもしれないが、現在は時期尚早。平野氏自身が認識するように外交ってのは相手のある話なんで、こと外交問題においては「先見の明」は、誇るべきどころか「害悪理想論」になることも多いんだぜ、と。

2010-05-27

http://anond.hatelabo.jp/20100527161529

今は国がニートにまともな職を与えられる態勢にはなっていないが、ニートが国に擦り寄ってくることはなくても、国がニートに擦り寄るふりして職を与える、って状況はありえるんだよ。

『ギート・ステイト』ってプロジェクトがあったの、知ってるかい?

たとえば、中国なんかではネットゲームアイテムを稼いでそれを売ることが「外貨獲得手段」として有効であると認識されているわけじゃん。「ゲーム」が「仕事」になるっていうパラダイムシフト中国では起こった訳さ。似たようなことで、ニートが普段行っている非生産的行為がどこかの誰かにとっての生産的な行為になることは、あり得ないわけでもない。今はまだそのシナリオが出来上がっていないだけであって、それができればニート都市鉱山と並ぶ資源になる可能性も、あるんだよ。だから生かしてる。

可能性がないと証明されれば、殺処分される。要するに、まだ判断されてない。それだけ。

2010-05-05

情報学部の新入生にはアセンブラC++関数型言語(何がいいかまでは知らないけど)やらせりゃいいと思う

基礎体力を養う意味ではここら辺がいいと思うんですがどうでしょう



アセンブラコンピュータの基礎を理解するには必須でしょう。

これがわかるとCLRJVMインフラ部分もわかりますし、組み込み方面にも強くなります。

後にOSコンパイラ勉強するにも役立つでしょう。

C++マルチパラダイム言語であり、これをひとつやれば構造プログラミングオブジェクト指向プログラミングの両方がわかります。

C++はCのほぼ上位互換言語ですので(正しくはC99が制定されるまでは)、プレーンなCしかやらない理由はありません。

最初ベターCとして始めればいいです。

嫌なとこも多くある言語で(どうしてEffective C++シリーズやExceptional C++シリーズみたいな書籍が多くでてるか考えるといいよ)、メモリ管理も手動ですが(これは半分嘘。RAIIがあるから半分自動GCがないから半分手動)、逆に細かいとこに気を配る態度を養うには最適です。

関数型言語は新しい世界を知るために勉強しましょう。

Erlangで並列プログラミングをやるのもいいかもしれません。

Common LispSchemeで怪しい(でも美しい)世界を爆走するのもいいかもしれません。

MLHaskellが最も現代的ですかね。



これだけやっとけばC#Java、軽量言語の類はあっさりと料理できるでしょう。



あくまでもプログラミング言語についてはですからね。

アルゴリズム離散数学もちゃんとやってくださいね。

システム屋になりたきゃソフトウェア工学経済学経営学、ついでにナンパもちゃんとしなきゃダメですよ。

2010-04-01

http://anond.hatelabo.jp/20100401095208

弱肉強食思想ってのは「遺伝子のやり方がすべて正しい」って主張だと思う。

個人的な結論を先に言うとそれは絶対にありえない。

遺伝子ってのは一種のロボット(というか総体としてはただの現象)だから、ほぼ盲目

遺伝子というパラダイムからすると不幸な出来事なんて存在しないことになってしまう。

個体の生死など遺伝子は気にしない。

種の絶滅さえも遺伝子総体としては肯定される。

2010-03-30

http://anond.hatelabo.jp/20100329231425

もしその通りならこの件でさんざ批判されてるエロゲオタと何が違うのよという話になるな。

まさに、その通り。

ある面における、現実を見たくないという意思においては、全く同じなんじゃないかと思う。

結局、「キモチワルイもの」がお互いに違うだけの同属嫌悪では?

ただ、これに関しては、人間自分が見たいと思うもの、つまり自分パラダイム以外のものは見ることが出来ないということの方がもっと上位にあることなのかもしれない。

だから、自省なく、ある種のイデオロギーを振りかざす人には、漏れなく滑稽さが付きまとう。

そんな気がしている。

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