はてなキーワード: バイオレンスとは
togetterが見難くて仕方ないのでまとめてみた。
昔書いた記事→問題多いTVゲーム「有害指定」』 完全版は左記リンクから購入できますが、5年前の記事ですが、この後どうなったのか、これからのことを考えるのに有用だと考え、僕が書いた本文だけは公開しちゃいます。
今年5月、あるテレビゲームソフトが神奈川県で「有害図書類」の指定を受けた。地方自治体の条例で規定される有害図書類指定とは、悪影響となる恐れがある書物・映像作品を、18歳未満の青少年に販売することを禁止するものだ。
主に成人誌など性的な表現を扱う媒体になされてきた措置で、テレビゲームソフトを指定したのは、神奈川県が全国で初となった。
「有害指定」を受けたのは、米国のロックスター・ゲームス社が開発した「グランド・セフト・オートⅢ」(GTAⅢ)。日本国内ではカプコンが「大人のエンターテインメントの形成を狙い」、
プレイステーション2用のソフトとして2003年に発売した。世界で1000万本売れている大ヒット作で、国内での販売数は35万本とスマッシュヒットとなっている。
ゲームは、マフィアやギャングの依頼で盗みや殺人、破壊工作を含むさまざまなミッションをこなすというストーリーで、「バイオレンス・アクション・ゲーム」というジャンルに属する。
GTAⅢが「有害」とされた理由は、これまでのような性表現ではなく「暴力・残虐表現」なのである。
テレビゲームは通常、ゲームの本筋から外れる動きはできない。モンスターを攻撃することができても、それ以外の対象を攻撃したり、商店を襲って商品を強奪することは不可能だ。
しかし、GTAⅢはプレーヤーの自由度が非常に高く、本来マフィアと戦うはずの主人公が、意味もなく通行人を射撃したり、バットで殴りかかったりすることができる。究極的な高いリアリティーを誇っており、そのゲームシステムは当時高く評価された。
家庭用ゲームの業界団体であるコンピュータエンターテインメント協会(CESA)は毎年、優れたゲームソフトを表彰しているが、GTAⅢは03年度の優秀賞3作品のうちの一つに選ばれたほどだ。
ところが、過激な暴力表現を含むその内容は倫理観などの観点から物議を醸し、青少年がこうした内容のゲームをプレーすることで、何らかの犯罪を誘発するのではないかとの声が一部で囁かれ始めた。
これらの声は、GTAⅢのヒットとともに大きくなり、主に児童保護団体などが自治体に規制を呼びかけ、神奈川県による有害図書類指定へと結びついたのである。
〝残虐ゲーム規制〝の動きは各地へ波及している。神奈川県に続いて埼玉県が9月にGTAⅢを有害図書類に指定。東京都や大阪府、京都府などもテレビゲームの規制について検討に入った。
GTAⅢは、ゲーム業界関係者などの専門家を含まない児童福祉審議会のメンバーによって、「あんな酷いものを子どもにさせるのは良くない」という、非常に観念的な基準に基づいて「有害認定」されたといえるからだ。
しかもテレビゲームが与える影響について、科学的な根拠が提示されたわけではない。残虐・暴力表現を含むテレビゲームが、青少年に悪い影響を与えるか否かは、諸説飛び交う微妙なものであり、とても十分な議論を経たとは言えない。
また、わざわざ行政が規制を行うことの必然性もきちんと議論されていない。
家庭用ゲーム業界は、コンピュータエンターテインメントレーティング機構(CERO)という特定非営利活動法人(NPO法人)により、ゲームの内容によって、対象年齢別にソフトを分類する「レーティング」を行っている。
レーティングによって、ゲームソフトは「全年齢対象」「12才以上対象」「15才以上対象」「18才以上対象」の4種類に分けられ、現在ほぼすべてのソフトのパッケージに、その年齢以上の表現が含まれることを示すシールを貼っている。
しかし、CEROのレーティングはあくまで、その年齢層への〝推奨 でしかなく、対象年齢以外の顧客に販売することを規制するものではない。
神奈川県をはじめとする行政サイドは、この点を突き、「有効性に乏しい」として規制に乗り切ったわけだが、こうもあからさまに家庭用ゲーム業界の自主努力を無視しては、反発を招くのも当然だ。
経済的な影響もどこまで考慮されたかは疑問だ。家庭用テレビゲーム市場は、国内だけで4000億円規模の巨大なマーケットである。
「規制される恐れがある」という事実は、これまで、ある程度自由にユーザーのニーズを追ってきたメーカーの大きな足かせとなることは明白である。
任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)以来20年間、家庭用ゲーム業界が年月をかけて模索してきた「面白いゲーム」が制作しづらくなるのだ。
「CEROのレーティングで『18才以上対象』の指定を受けることは大ダメージ。
一部の大手量販店では、『18才以上対象』のソフトは最初から仕入れないところもあり、それだけで当初の見込みより販売本数が大きく落ち込むこともあり得る」。大手メーカーのマーケティング担当はこう本音を語る。
「推奨」に過ぎない自主規制の枠内ですらこうなのに、行政のお墨付きで規制が行われたら、どのくらいの機会損失が発生するかは想像もつかない。
拙誌の『隔月刊ゲーム批評』(05年11月号)において、お茶の水女子大学の坂本章教授は、テレビゲームの有害図書類指定について、以下のように問題点を指摘している。
「第一に、表現の自由を侵害する。第二に、クリエーター育成の障害になる。自分の仕事が法律違反と背中合わせの状況では、クリエーターは十分に創造性を発揮できないであろう。
第三に、思考停止をもたらす。法的規制によって、『ゲーム悪影響問題』は法律で解決するものと捉えられるようになり、多くの人々がこの問題にどのように取り組むかについて考えたり、議論することを止めてしまう」
特に注目すべきは、3点目の「思考停止」である。坂本教授は「ゲームに限らず、さまざまなメディア・作品とうまく付き合えるようにする『メディアリテラシー教育』を重視すべきだ」と続けている。
法規制に伴う思考停止は、こうした教育の機運も損なわせる恐れがある。もう一度考えておきたいのは、「暴力・残虐表現のあるテレビゲームをプレーすることは、本当に青少年に悪影響を及ぼすのか」ということだ。
「ゲームの悪影響」を叫ぶ動きはファミコン時代からあった。凶悪な少年犯罪が発生するたびに、テレビゲームはマンガやアニメなどと共に槍玉に挙げられてきた。
容疑者の部屋からは、残虐表現を含むテレビゲームが発見され、さらにそのゲームを好んでプレーしていたという「事実」がマスコミで報道される。
GTAⅢも今年2月の大阪府寝屋川市で起きた教職員殺傷事件で逮捕された少年が好んでいたとされる。
だが、ゲーム機を所有していない子どもは一体どのくらいいるのであろうか。家庭用ゲーム機の世帯普及率は70%以上ときわめて高く、持っていて当然である。
GTAⅢと同様、残虐表現を含むとして問題視される「バイオハザード」シリーズは、各作品とも国内だけで100万本クラスのヒット商品だ。
家庭用ゲーム機所持者の大半は、バイオハザードシリーズのいずれかの作品をプレーしたことがあると言っても過言ではない。本当にテレビゲームソフトが子どもに悪影響を与えているのなら、少年犯罪はもっと増えることになる。
技術の発展によりテレビゲームの表現や描写は、現実と見まがうほどリアルになってきた。それが現実とバーチャル世界の混同を招き、ゲーム世界を模倣した凶悪な犯罪を発生させる引き金となることは、可能性として否定できるものではない。
ゲームを制作するメーカーは、こうした点も憂慮し、確たる倫理意識を持って青少年に有意なテレビゲームを提供する責任について、考えていかなければならないだろう。
また、今回の行政による規制が家庭用ゲーム業界の危機感を煽り、大きな問題提起となった側面もある。
CESAといった業界団体は、GTAⅢの有害図書類指定を受けて、明らかに18歳未満とわかる購入希望者には「18才以上対象」ソフトを販売しないなど、より強制力の強い自主規制プランを発表し、その実施を販売店各社に要請した。
今後、行政と家庭用ゲーム業界の間で共に「テレビゲームの有害性と規制」について、大いに議論がなされるのであれば、今回の規制は良い結果を生むことだろう。
ただし、「臭いモノには蓋をする」だけの場当たり的な規制でしかないのであれば、やはり強制的な法規制はあまりにも問題が多い。
表現・言論の自由の尊重という観点や、ユーザーのニーズを満たせずに産業として衰退する可能性という、経済的な視点からすれば危険ですらある。
そして議論の場に、「悪影響」を受ける対象者である青少年の声を反映させなければならない。
今回の論争は、筆者のような「大人になったファミコン世代」と「ゲームを知らない世代」ばかりが熱い論争を繰り広げ、肝心の対象者が置いてきぼりになっている。
【アニメ漫画規制】「納得できぬ」 東京都の姿勢に不満…角川書店が国際アニメ出展中止★
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1291910117/
672 :名無しさん@十一周年:2010/12/10(金) 03:34:43 ID:JKfuNzht0
>>663
判ってないな
735 :名無しさん@十一周年:2010/12/10(金) 03:51:55 ID:JKfuNzht0
>>706
文盲乙w
こんな腐女子ばかりだから、ゲイたちが腐女子、BL嫌悪になる。
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1272324717/
ゲイ差別者の腐女子のID:JKfuNzht0が、「知る権利」について言っている。
「俺」というのは、腐女子がよく使う。
271 :名無しさん@十一周年:2010/12/10(金) 02:14:07 ID:JKfuNzht0
>>216
ただ、これは最高裁で合憲判決が出てるからひっくり返すのはとても難しいっていう現実がある
それを踏まえた上で何かしら手を打っていかないと駄目かもな
459 :名無しさん@十一周年:2010/12/10(金) 02:50:26 ID:JKfuNzht0
>>437
改正がどんだけ拡大解釈されようと、あくまで青少年対象だって知らない人はもう居ないだろうから
見られなくなるなんて思わないでしょ。
多くは、この次に出されるであろう成人対象のロリ・ホモ・バイオレンス・思想がターゲットになってしまうのを恐れてる
490 :名無しさん@十一周年:2010/12/10(金) 02:56:07 ID:JKfuNzht0
>>488
俺も初めそう思ってたけど、まさかの合憲だよw
510 :名無しさん@十一周年:2010/12/10(金) 02:59:21 ID:JKfuNzht0
>>498
岐阜の最高裁判決とかその他幾つかあるらしいけど、全て合憲だってよ
549 :名無しさん@十一周年:2010/12/10(金) 03:04:26 ID:JKfuNzht0
>>519
本屋なんか誰も行かなくなるw
>>523
あれ、この改正って青少年だけが対象だろ?ちがったっけ
でも日本アニメは性と暴力で親受けが悪い、国がバックアップして売るには問題が多過ぎるしジャンク過ぎる。
日本=変態みたいなオタクが広げたイメージがこれ以上強くなるのは勘弁だわ。
主に1970-1990年代に北米で使用された。音節的に japan-animation から Japanimation に略されただけの日本製アニメーションという意味の語である。Jap(日本人の蔑称)のanimationとも読めるため、日本人や文化に対する差別と偏見やアニメーション自体への偏見から、日本製アニメーションを指して「くだらないもの」あるいは「子供の教育上良くないもの」の意味を含めてこの語が使用されていたとする説もある。
日本国外の評価
日本のアニメは「セックスと暴力」と認識されることが多い[22][23]。フランスでは1989年に日本アニメがバッシングされて残酷だとされた『キン肉マン』が放送中止になり、バイオレンス性の強い『北斗の拳』も同じく放送中止になった。『聖闘士星矢』は暴力シーンがカットされたが、それでも大ヒットした[24]。ニュージーランドでは『ぷにぷに☆ぽえみぃ』は、登場するキャラクターの容姿が幼児に見え、幼児性愛好者を増長させているとされ、政府機関により発禁指定を受けた事例もあるが、フランスの美術評論家エルベ・シャンデスは、アニメを中心とする日本のおたく文化を「21世紀のジャポニスム」と評し、欧米の文化に大きな影響を与えていると主張し擁護した。また、クールジャパンと呼ばれ、日本のポップカルチャーとして全世界的に受け入れられている。[25]
1983年にフランスのジャック・ラング文化相は日本のアニメを文化侵略だと公言し、フランスのアニメ製作者へ助成金を出すことになった[26]。中国政府は、アニメをサブカルチャーと侮って放置していたが、2006年になって17時から20時まで外国アニメの放送を禁止した。中国でのアニメシェアの8割を超える事実上の日本アニメの締め出しであり、同時に日本アニメはダンピングによる文化侵略であるとして、自国のアニメ産業の保護と育成に乗り出した[27]。
破滅*ラウンジは終わった。
「再生」という単語にこれだけの機能不全性を感じたのはいつ頃ぶりだろう。骨から離れてしまった血肉は再生のしようがない。真っ暗でなにも見えない。俺は虚ろな意識と視界の中、少しずつ思いだした。
破滅再生ラウンジの最終日、開始17時や18時頃はまだ平和だった、各々が好きにネットを、ゲームを、音を、絵を、工作を、プログラミングを、好きにやった。いつもどおりに。一見したらカオスなこの空間は秩序で保たれていた。ゴミと見まがう紛うばかりの作品達は黒瀬、浅子の手によって厳密に調整、配置され、終始鳴り響いている数箇所からの騒音も定期的にキュレーターの手によって均一に混ざり合うように調整されていた。しかし最終日、破滅メンツの合唱する「紅」によって覚醒状態になった人間達は調整の抑制を受けず、終了の時間とともに黒瀬、嘘、梅沢らを中央のPCでできたジャンクタワーに投げつけた。ジャンクタワーには似非原やパターサンの書き殴ったドローイング、同人誌、血、精液などがへばりついていたが、同時に包丁や割れたガラス片なども装飾されていた。そこに生身のキュレイターやアーティストが投げつけられたらどうなるか、想像に難くない。一触即発の緊張感で保たれていた会場の空気はカオス側の中心人物三人の内臓の吐露によって破滅した。作家も、鑑賞者も、ギークも、関係ない。ナンヅカに存在する人間はすべてジャンクタワーに叩きつけられ、同時に刻まれ、死亡した。逃げ惑う人間はすべて糸柳に捕まり、叩きつけられ、刻まれ、死亡した。地下に作られたこの空間は窓がなく、入り口も二つだけだった。一つは山本悠の巨大な作品と脚立によって鉄で溶接され、完全に塞がれていた。山本悠自身がよかれと思ってやったこの創作も、彼自身の死を呼ぶだけだった、愛する者の名を言いながら彼は死んだ。もう一つの出口は「受付」の奥側に搬入口として位置していたが、赤い奇妙な形をした立体的な椅子に大量に積まれた作品と書類と死体に阻まれて、ろくに通れる状態ではなかった。血と精液にまみれたそれらをかきわけても(同人誌で自慰する者と数少ない女子をライト・レイプする者で溢れ、会場内は白濁液でまみれていた。)、かきわけている間に正気を失ったギーク達に捕まり、ジャンクタワーに叩きつけられ、刻まれ、死亡した。「バトルロワイヤル」「バイオレンス・ジャック」「ベルセルク」「GANTZ」、なんでもいい、そういった虚構の物語で起きていた残虐な出来事が、延々と目の前で繰り広げられていた。唯一ギークの中で正気を失わなかったyuisekiは人を殺すことをせずに、左手と右手を失いながらも満面の笑みを浮かべながらインターネットに興じていた。最初から狂っていたのかもしれない。
大量のアニソンやらブレイクコアに混じって人の叫び声が聞こえ続けた。笑い声も聞こえ続けた。junkMAが音が発生する元となるジャックを次々と死体の内臓に突き刺すので、やがて音楽は消滅した。生きる者が次々と破滅する中で、生き残った者も自害し始めた。そして俺の意識は途絶えた。
目が覚めた時、俺は叩きつけられたまま意識を失ってたことに気づいた。先に叩きつけられた肉の上に叩きつけられたおかげで、致命傷に至らなかったらしい。しかしこの空間で血を流しながら数時間に続けることは自殺に等しい。十数年前のPCに付着した菌が培養され、確実に腐食しているのだ。少しずつ、死が近づいていることを知った。
暗闇に目が慣れ始めてきた。大量に積み重なる死体が、まだかすかに生きているPCの光に照らされて、見える。時たま、誰かの携帯電話が軽快なアニメやゲームのメロディを鳴らし、今は亡き主人を呼ぶが、答えることはなかった。見知った作家が幾人か死んでいるのを確認する。なぜこんなことになったのか、わからない。どうしてこんなことになってしまったのだろう。「どうしてこうなった」というネットのジャーゴンがふと頭をよぎり、ふふっと笑ってしまった。模造紙オフや搬入、搬出の時などに、どうしてこうなったって言って笑いあっていたなと思い出した。そういう言葉はアートもギークも関係なく通じたし、一緒に笑い合えた。twitterをやり始めたのはいつだったっけな。なんだか最初のほうから始めている糸柳やyusekiって奴がいて、こいつらといつか面白いことができたらいいなって考えていたんだな、そういえば。理想的な形で一緒にできたとは思っていたんだが、まさか殺されるとはな。笑えねえよ。擁護した東浩紀と村上隆はなんて言うんだろうな…それが聞けなかったのが本当に残念だ。
死ぬ間際に幻影が見えた。再生ラウンジを取り壊し、破滅ラウンジを再構成して記録を撮ろうとしているカオスと破滅のやつらが見える。観客は誰もいない。それなのに、いつもどおり楽しそうに音楽をかけ、ゲームをし、ネットをしているあいつらがいた。それは、俺が体験したどの瞬間の破滅ラウンジよりも居心地がよく、満ち足りた空間だった。再構成の記録が終わり、電気が付いて明るくなった空間で彼らは誰かを祝っていた。一人女がいて、涙を流しながら喜んでいた。糸柳は用意されたケーキを包丁で丁寧に切り分けていた。包丁自体の重みでケーキ自体が歪まぬよう、慎重に分けていた。その包丁で女を殺すことも、犯すこともしなかった。それは幻影だった。
色々、本を読んだり、試したりしているが、難しい。
今までやってきた方法論と考え方をある程度、整理するために、自分の考えを書きながらまとめていこうと思う。
議論はしたくないが(ハイ、チキンです)、ご意見をいただけると嬉しい。
正直、純文学は俺自身よく分かっていないので、エンタメ小説の話という事を前提に読んでいただければ、と思う。
まず、物語のパターンに対する有名な言説として、『村上龍の「穴に落ちた主人公が、穴から這い上がる」「 穴に落ちた主人公が、穴の中で野たれ死ぬ」の2つしかない』というのがある。おそらく、これはエンタメ小説の基本形だと思う。「そもそも穴はどうしてできたのか?」「主人公は本当に穴の中にいるのか?」「そもそも主人公はなぜ主人公なのか?」のようなことを延々と逡巡するのが純文学かも知れない(純文学は読まないので、間違っていたらごめんなさい)。純文学は、(面白い/鋭い/ビビットな/より本質的な)問題提起自体が重要であって、それを読者に考えさせることが主題である……様な気がする。ただ、純文学の作者にせよ、物語の基本を踏まえたうえで、あえて外すからサマになるのであろう、とは思うが。
話を元に戻すと、エンタメ小説の基本を俺なりにさらに単純化させると、「主人公が問題を解決するか/しないか」であると思う(以前、増田の「5分で物語を作れるにようになるコツ(p://anond.hatelabo.jp/20091002081424)」が話題になっていたが、この増田の考え方はそれほど間違っていないと思う)。ただし、エンタメ小説は、エンターテイメントである以上、読者を楽しませなければいけない。問題が解決するにせよ、しないにせよ、きちんと納得の行くオチにすべきであろう。そうしないと、読者は満足感を得られないだろうし、満足度が低い店に行かなくなるように、ファンもまた離れていくと思う。
もちろん、将来のファン離れを心配する前に、やる事があるのではないのか?というのはごもっともな意見だと思うが、やはり、自分でも読んでいて面白い物語を書きたいし、途中まで書いていて、自分でも面白くないなあ、と思った事がたびたびあるのでその辺を考えていきたい。
では、面白さとは何か、という話になる訳だが、「主人公が問題を解決するか/しないか」に絞って下に挙げてみよう。
(1)基本的に、読者は「主人公が問題を解決するか/しないか」分からないから、ハラハラドキドキする。サスペンス性(→suspense 不安感。特に、映画や小説などで、観客や読者が危機的な場面にはらはらする感情)。あるいは、大抵のエンタメ小説の場合、「主人公が問題を解決してしまう(読者も基本的には楽しむために読むので、ハッピーエンドも望んでいるはず)」ので、どのように解決するのかという点が重要。
(2)問題設定の面白さ(舞台設定/キャラクター設定/問題の大きさと主人公の能力のバランスなど)。”奇(変わっている事)”であり、”妙(巧妙さ。全体のバランスも含めた緻密な設定)”なほど、評価が高いのではないか?ジャンルがSFやミステリの場合、いかに凝った問題設定と解法を用意するかがキモになると思われる。ただし、あまりにもぶっ飛びすぎていると、読者が感情移入できなくなる問題も発生するような。
(3)間口の広い感情移入の仕組み。感情移入できない主人公の小説というのは、エンタメ小説の”てい”をなしていないのではないだろうか。主人公に感情移入出来なければ、他人事と捉えられてしまい、熱中して読んでもらえなくなる。想定している読者になんらかの”共感”を持たせるような主人公を用意すべきではないだろうか?(例えば、何らかのコンプレックスを持たせる)
(4)展開のドラマチック性。(1)の”サスペンス性”にもつながってくる話だが、「読者が想定している期待度を超えるという意味で、予想を裏切る」展開が重要になるのではないか。展開が二転三転して、劇的な勝利(問題解決)をするというのが理想かも知れない。もちろん、より読者にドラマにのめり込んでもらうためには、(3)の”間口の広い感情移入の仕組み”が必要でないかと思われる。
つまり、教養小説(ビルドゥングスロマン)的側面。通過儀礼(イニシエーション)としての小説。これこれこういう理由で、彼は”強く””大人に”なったのさ、というお話としてのエンタメ小説。
また、面白さとは何か、を追求していくと、以下のような視点も考えられはしないだろうか?
(1)読者の想像力を喚起させる事
例えば、文章レベルで言えば、情景が浮かんでくること。読者に、痛み/恥ずかしさ/快感などの感覚を想起させ、リアリティを持って受け止めさせ、疑似体験させる事。”体験的なもの”として、読者に受け取ってもらえるか。文脈レベルで言えば、展開の読めない”不安”感、手に汗を握る”緊張”感、問題解決による”達成”感などを過去の展開の蓄積により実現しているか?
(2)読者の欲望を刺激する事
例えば、女の子の描画。ポルノでも萌えでも女の子のかわいらしさをどういう風に表現し、読者の想像力を喚起させるか。あるいは、食べ物の描画。うまそうな食べ物をうまそうに(文章で)描画できるか。カッコイ戦闘機をどう格好良く(文章で)描画できるか。外には、ファッションなど。粋なファッションを粋に表現できるか。読者が関心がある事柄に対して、いかに”幻想”を抱かせ、”欲望”を感じさせるか、という点。
(3)教養としての側面
さりげなく、”うんちく”を混ぜる。例えば、中世ファンタジー物だったら、朝食は貴族しか取れなかった事を説明しながら、朝食を要求する元貴族の商人の心理を読者に想像させるなど(ライトノベル「狼と香辛料」にそんなネタがあったはず)。個人的には、少々苦手。資料用に読んだ本で気に入った設定はメモっておくなどしているのだろうか?
(4)虚構と現実の境界性
例えば、伝奇ものの面白さ。現実の実在の人物(や場所?)がファンタジーで出てくるというハイブリット感。あるいは、2chのどこまでネタか分からない感というか。
(5)比喩表現の面白さ
暗喩と直喩。村上春樹は独特の比喩表現で有名になった訳だが。(1)の”読者の想像力を喚起させる事”や(2)の”読者の欲望を刺激する事”に密接に関わってくる。例えば、「彼女の組んだ腕の上には双丘が気持ちよさそうに並んでいる」の様な表現などはどうだろうか。
(6)気の利いた会話
最近流行りの会話劇だが、コントや漫才、ネット上のやりとりなど、トレンドの文脈をある程度押さえつつも(気に入ったネタはストックしておくべきか)、表面だけの真似に留まらないために、自分の言葉による体験的要素も問われるのではないか。
(7)説得力のある説教
ガンダムの富野氏の説教くらいに説得力がありつつ、面白い説教するためには、独自の価値観を持っている必要がある。大抵の人は人生経験を積めば、それなりの一言を持っているはず。一人の人間としての成熟性が問われる、のかも知れない。
(8)笑いの要素
ギャグ/ユーモア/パロディ/言葉遊びなど。個人的に苦手な要素である。自分の場合は、どうも野暮ったくなってしまう。センスや基礎教養が問われるからかも知れない。とにかく面白いと思う話を大量に読み、小話を書いたりして、自分にあったやり方を発見するしかないのではないか。自分の場合は、実にどうでも良い事を真剣に議論していく話がウケが良いようだ。
(9)恐怖の要素
笑いと恐怖は近いものがある、と言われている。(8)の”笑いの要素”がうまく書ける人は、恐怖もうまく書けるのではないか。これも個人的には苦手な要素だ。ホラー映画も苦手だし。単に読者のトラウマを刺激しても、嫌われるだけだろうし……。ただ、最近のトレンドにはこの要素が絡んでくる作品も多いのではないか。また、サスペンス性を上げるという面でも重要な要素であろう(ジェットコースターのようなスリルと快感の関係というか)。それから、演出技法としては(1)の”読者の想像力を喚起させる事”と関連性が高いと思う。スティーブン・キングなどを読んで勉強すべきかも。
(10)恋愛的な要素
いわゆる一つの萌え要素、と言う訳でもないが(ほら、スベった)、自分の中にある理想のヒロイン像を具現化して駆け引きを思考実験するという意味では、裸になって踊るようなものだと思う。慣れれば快感になるのかも知れない。ただ、個人的には最近、食傷気味。
(11)バイオレンス
闘争本能を刺激する要素。”読者の想像力を喚起”させ、重みのあるリアリティとして受け取ってもらえないと、単なる茶番になるような気がする。
……ひたすら要素を羅列してきたが、要するに、”読者の感情や価値観を揺さぶる”という点が重要なのかも知れない、と思った。
(文字による心理操作によって衝撃を与える、という意味では、詐欺師に近いものがあるというか。嘘をつくのがうまい人間がお話を作るのが上手、というのも頷ける。本来、エンターテイナーというのはそういうものなのかも知れないが。ヤクザな業界というか。現在最強の任天堂さえ。というか、任天堂こそが勝つべくして勝っている”名博打打ち”なのではないか。そもそも、経営という概念自体が(ry)
あと、話題になっている、うまい=面白いでない、という件について。
テクニックは描いた量に比例する(作品の)魅力は考えた量に比例する
物語の中だるみについて。
途中からなんだか間延びしている、なんだか乗れない、と感じたとき、物語の推進力が低下している。
主人公を追い込んだり、障害を増幅したりして、推進力を高める必要がある。すなわち障害やクリア条件を上げていくのである。
主人公は最後のゴールに簡単に到達してはいけない。ハードルが最初よりも下がってはいけない。敵が最初よりも弱くなってはいけない。
考えてみれば、続刊の出ない、あの小説やあの小説も、すでに、主人公を危機に陥れる「強い敵(難しい問題)」が取り除かれてしまったのではないか。あとは、シミュレーションゲームの終盤局面のように力押しで何とかなる状態というか。主人公がリアルに死ぬ/臨死体験するくらいの危機が常にある状態で、最後の最後で、”おおかた”の問題が片付くのが理想かも知れない。
文章力の磨き方。
基本かも知れないが、自分の好きな作家の文章を写す(タイプする)。良さが理解できない作家の文章を写しても多分、意味は無いと思う。文章を写すだけのヒマがない場合は、ラインを引きながら読むだけでも違うような気がした。逆に思ったのだが、好きな作家の文章をラインを引きながら読んでいると、作者の認識力の限界を見切る事がたまにある(例えば、そもそもの問題設定の矛盾とか、作者のルーツ(根源)はどこにあるとか)。その辺が大切なのではないか。また、好きな作家は最低二回読むべきかも知れない。
(Webより引用)
正しく見るためには二度見よ。
美しく見るためには一度しか見るな。
実は、優れたツリーの裏側に何十枚もの「デッサン」がある。
例えば医者コントってテーマを決めたら、オーソドックスな医者コントを、だーっと全部考える。
それだけでも充分おもしろいっていうネタにしておきつつ、更に松本がやった作業って言うのは、 部分部分で、どれだけ予想できる笑いを裏切るかって作業。確かにこれでもおもしろいけど、ここはこうやったらもっとおもしろい、こうやったらもっと裏切ってる…そういうのを延々繰り返していって、どれが一番ベストな裏切りかなぁってことを積み上げて、ネタを磨き上げていくんだって。
例えば、小説の創作手法にシミュレーション的手法を取り入れるということなのかも知れない。つまり、何回も思考実験を繰り返して、ドラマチックな展開のものだけを商品化する、という考え方。確かに、小説は元々、思考実験的な物を含んでいると思う。
その他。
「最初からフルスクラッチすると、効率が悪すぎる(1から作るのは大変であり、ベーマガのプログラムを改造しながらプログラミングを覚えていったように、まず改造する)」「問題を小さく切り刻む」「リファクタリング」的な要素を考えると、二次創作のSSをとにかく大量に書き、慣れてきたら、規模を増大させていく、徐々に設定も作り込んでいく、の様な方向になるのではないか。
まだよく分かっていない事。
あかほりさとるの新書に、「見たいシーンを書け」と書いてあったが、全く別のWeb上の指摘で、「最近のドラマは、脚本家が見たいシーンだけ繋げていった感じで、物語的な山場や整合性が軽視されているのではないか?」のようなものがあった。その辺の解決法。
文章の勉強以外であまり再読をした事がないので、よく分からない。
何かを創り出そうというタイプの人間には多かれ少なかれ、精神的な「欠損」があります。
その欠損を埋めようとするところから、何かをクリエイトしたいという欲望や欲求が生まれてくることが多いのです。
もちろんそれだけじゃないけど、そういうケースはしばしば見受けられます。
問題はその欠損をどこまで「普遍的なもの」にまで高めていけるかということだと思うんです。
中にはその欠損の欠損性にいつまでも拘泥しているという人もいます。
それでは本当の芸術にはなりませんよね。そのためには、人はもっと広く世界を見なくてはなりません。
人生は長期戦ですから、ゆっくりとしっかり息をしながら、前に進んでいってください。
まとまらないけど、以上。
補足。
(1)確かに、とりあえず、稚拙でも一作書き上げるという考えもありかも知れない。試してみるか……。
(2)色々本の紹介、ありがとうございます。
(3)Webからの引用元を書かないのに、他意はありません。面白いと思った文章は個人的にスクラップしているのですが(ローカルのメモ帳にコピペするだけ、のようなもの)、URLまでは保存していませんでした。申し訳ないです。
(4)確かに、あるパターンの繰り返しや場面転換の組み合わせというのは、あまり考えた事がなかったですね。なるほど。……少し見通しが立った感じです。ミクロレベルとマクロレベルの視点を重視しすぎて、中規模レベルのパターン認識がうまくいっていなかったようです。皆さん、ご意見ありがとうございました。(さらに追記すると、これは上に書いたあかほりさとるの新書の話にも繋がってきますね。それなりに問題意識を持っていたけれど、もう一押し足りませんでしたね>自分)
http://manysided.blog85.fc2.com/blog-entry-15.html
悲しいことが自分の身に起こってしまったあまりフィクションと現実の区別がつかなくなってしまった可哀相なひとだ、という感想。
コメントを書こうとしたがこの人は自分に無条件に賛同する意見以外は求めていないし、また、反対している意見を読んだら一層傷ついて意固地になってしまうのだろうなと思えて、けれど黙っているには辛すぎて、増田に吐き出そうと思った。
私は幼い頃にいたずらをされた。おそらく定義的には被害者側に含まれるのだと思う。
しかしURL先の記事でつづられていることは不愉快で、とても悲しい。
私はそういった知識を知らなかったころ六歳年上の知り合いに押し入れにつれこまれていたずらをされた。何回か。
私の認識ではその六歳年上の知り合いはフィクションを読んで女性蔑視の観念が育まれたから私に手を出した訳ではない。ように思う。
何故なら彼は本を読まない人間だったからだ。
彼の家にはゲーム機が無かったからゲームをしていたとも言えない。彼の友人宅にはあったのかもしれないがどうだろう、少なくとも彼はゲームに傾倒していた訳ではないことを私は知っている。
私が彼の好きなものについて思い出せることといえば、野球である。彼は野球をするのが好きなごく普通の少年だった。
私にいたずらをした彼はゲームもしていなかった、そういう本も読んでいなかった、なのに彼は制裁されることも、好きな野球を止めろと言われることもない。
レイパーが100%陵辱ゲームのヘビーユーザーでした、というなら、ブログ主の言い分もまだ分からなくもない。
けれどそういうデータは無い。
全ては憶測で、おそらく、自分が「不愉快だから」、ああいう記事をあげている。
記事をあげること自体はいい。
けれど私は、規制には反対する。
レイプされたからってぐだぐだ言うな、不愉快だと言われたら私は口をつぐまねばならないのだろうか。
いたずらされたからって騒ぐな、痴漢されたからって声をあげるな、そんなのは不愉快だ、うざい、黙ってろと言われたら?
たかがちんこを入れられたくらいでうるさい、と言われたら?
そんなことで口をつぐむのは御免だ。
私の口は自由だ。
不愉快だから規制しろ、と言うのと、人権侵害だから規制しろ、という言葉は一緒にはならない。
全ての人に対しての人権という意味で考えるのならば、徹底したゾーニングの方が規制よりも有効だ。
不愉快なものを見たくない人は見なくていいし、見たい人の見たいという権利を侵害することもない。
彼女が戦う相手は間違っている、ような気がする。
知識を知らないひとに知識をあたえるほうがよほど助かる人は増える。
女子にも男子にも、性犯罪はひどいことだと教えるほうがいいように思う。
規制したら、ひどいことをひどいことだと伝えることまで規制されかねない。
教科書に書かれてある形式張った記述をそのまま学習する人間がどれだけいるだろう。
すべては周囲の環境だと思う。フィクションではなく、周囲の、生の人間の。
無菌室で育てればきれいなおとなに育つと思っているならどんだけ頭がお花畑だという話だ。人間なんてものは基本的にクズばかりだ。
汚いことを知らなくてはそれが汚いものであるということが分からない。
臭いものに蓋をするのではなくむしろ臭いものは臭い、ゲスな行為はゲスな行為であると描写することのほうがよほど抑止力になるような気がするんだ、私は。
フィクションは自由でなくてはいけない。
絶対に、自由でなくてはいけない。
こんなに多様性が許されている豊かな文化を私は知らない。
フィクションに浸ることで私はずいぶん救われた。
だから、陵辱ゲームをすることで救われる人間がゼロだとは私には思えない。
ちなみに私の嗜好を言うのであればバイオレンスものやミステリーである。
リョナに片足を突っ込んでても問題なく楽しめる。
けれどそれを現実に反映したいなんて思わない。
とりとめがなくなってきたついでに主張しますがすべてのレイパーと痴漢野郎のちんこはもげたらいいと思うよ。
その上でおでこに焼きごてで印つけるのもいい。
http://anond.hatelabo.jp/20081228014905 の続きです。
<インタビュー>
シェーンヘル(以下シ):どうしてカンパニー松尾と称するようになったのですか?
松尾(以下松):中学時代にさかのぼるんですが、自分の「会社」を始めたんです。社員はぼくひとり、ジュースや手作り弁当をクラスメイトや友人に売ってました。毎朝、20個の弁当をかかえて登校したものです。で、みんなが僕をカンパニーと呼ぶようになったと。これがぼくのペンネームになり、映像のキャリアを通して使ってます。
シ:まず最初に、ハメ撮りの歴史について少々語ってもらえますか?
松:ハメ撮りスタイルの作品は、80年代初期からありました。ハメ撮りということば自体が使われるようになったのは、88年か89年だと思います。昔はAVの小さな一角を占めるだけでしたが、それから大きくなりました。
松:はい、そうです。働きだしたのが1988年、22才の時です。
シ:そのとき、V&Rプランニングはすでに大きな会社だったのですか?
松:いや、とても小さかったです。ぼくは4人目の社員で、会社自体もまだ2年目でした。
松:はい、そうです。
シ:V&Rは最初からドキュメンタリースタイルのAVに力をいれていたのですか?
松:はい。安達はテレビ出身で海外映像の輸入エージェントとして働いていました。モンティ・パイソンとかそうですね。でも彼はおもに死体ものとかのキワモノにもっぱら興味があったようです。それが彼の嗜好だったんですね。
彼は撮影については知りませんでした。自分で会社を始めて、自分でこうあるべきだと思うやり方で彼はドキュメンタリーを作ったのです。会社自体はキワモノですが、安達は非常に真剣な作品を作ろうとしました。
シ:V&Rの意味は?
松:ビジュアルアンドリテイルです。バイオレンスアンドレイプじゃないですよ、皆さんの思うところとは違って(笑)。
シ:V&Rでは最初は助手、そして1989年に自分の作品を制作し始めます。最初の作品はどんなでした?すでにハメ撮りでしたか?
松:いえ、ハメ撮りは1991年からです。その前はドラマ仕立てでした。
シ:後期の林由美香があなたをハメ撮りに導いたという記事を読んだのですが…
松:いや、直接ではないです。林由美香とは1989年からやってました。正直にいうと、ぼくは彼女が好きだったのです。一緒にパリ・ロンドンに旅行して、ビデオを撮ったこともあります。僕の作品である、「硬式ペナス(1990年)」は彼女への愛を宣言したものです。その作品で、彼女はスターになりました(原注:林はその後すぐに松尾と別れ、他の出演作品の監督と関係を深めることになる)。彼女との作品では、自分で男優はしませんでした。でもそれは非常に不自然に思えました。彼女のおかげで、ハメ撮りが一番自然な撮影方法だと感じられるようになったのです。つまり、そのやり方だといい作品をじかに作れるし、ハメ撮りだと女の子に近づく、彼女自身がオープンになれる、本当の気持ちを見せられるといったことや僕自身の女の子に対する気持ちを表現できるのがあります。僕にとって重要なのは、女の子と緊密な関係をきずく、女の子が好ましく思えるってことです。でなきゃ、いい作品は作れません。
松:ええ。彼女は素人としてこの仕事を始めました。彼女のデビュー作はぼくが撮りました。1991年のことで、ハメ撮りが僕の撮り方の主流になってました。「私を女優にして下さい」ですね。次のシリーズものが「熟れたボイン」です。ぼくの作品で素人から有名女優になった最初の女の子です(原注:松尾自身もこの共同作業により今日知られるようになった有名監督になった)。
シ:V&Rで活躍する一方、マンガ「職業・AV監督」の原作も手がけられています。
松:はい、これ実話です。井浦秀夫が絵をかいてます。1997年から98年の作品で、全5巻で秋田書店から出ています。ぼくの仕事、ぼくの作品に関わる女の子たち、V&Rの人々、安達かおる…まあそのころのこと、すべてですね。
松:中堅どころといった感じです。AV市場では大きな会社はいっぱいあります。でもV&Rはその中には入らないですね。大会社のビデオはあんまり興味ないです。その点、小さいところの方がいい作品をだすかな。V&Rは間違いなく、変態を極めた会社のひとつです。
シ:V&Rが制作した「ジャンク」シリーズにも関わってますよね?こうしたデス・ドキュメンタリーは南米で撮影されたものですか?
(原注:「ジャンク」の原題は「faces of death」。もともとコナン・ド・シレールが1979年から90年にかけて制作した4本のアメリカ作品。V&Rが引き継ぎ、ジャンクのタイトルでデス・ドキュメンタリーを制作し続けた。同様のケースはドイツでも見られる)
(訳注: http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/worst/mondo/junk.html が興味深い)"
松:1989年頃のものですね。V&RはAVだけでなく、デスビデオを海外で撮影してました。カメラマンのイシカワ・タケシが両性具有者にただならぬ関心を抱いていたのです。そのためにブラジルのタブロイド新聞と連絡をとっていて、ブラジルに詳しくなりました。向こうが言うには「デスビデオを撮るならブラジルにこなきゃ」と。で、安達、イシカワ、そしてぼくがブラジルに行って、2週間ほど彼らと行動を共にしました。
新聞のカメラマンは、警察無線を傍受していて、事件が起こるや、すぐに現場に直行しました。ブラジルの警察は動きが遅く、たいていカメラマンが先に到着しました。日本だと死の現場はいつも警察が人目につかないよう隠しますが、ブラジルだとそんなことはないです。ぜんぶオープンですね。
松:両方です。何もかも。殺人はとても多かったです。撮影には何の支障もきたしませんでした。愉快なもんじゃないけど、ぼくができるのはそれしかなかったし、使命感みたいなものも…たぶん、ふつうはそういうのって撮れないと思うんですよ。たまたま機会にめぐまれて、現場に行ったと。でもぼくはだんぜん、AVがいいです。デスビデオとセックスビデオには共通点があります。どちらもひどく当たり前のことで人間の根源にかかわるのに誰もが隠そうとする。ぼくらは封を開けて、それが見えるようにしてるんです。
シ:ジャンクはシリーズものです。どのエピソードを担当しましたか?
松:6番です。
シ:どこで撮影しましたか?
松:リオデジャネイロです。リオはぼくの好きな街ですけど、別に死体を撮ったからってわけじゃないです。リオは美しいところで、ほんとうに輝かしいものから暗い側面まで、すべてがあります。丘の上のキリスト像からファベーラと呼ばれるスラム、美しい町並み、そして白い砂浜まで。美しい娘からギャング、ホームレス、麻薬の売人、そして殺人犯。すべてがそこにあって、生きている、街に存在するのです。パワフルな場所です。美しく、そして同時に恐ろしくもあります。一回しか行きませんでしたが、今でも魅力的です。
シ:リオでハメ撮りは?
松:いや、まったく。アメリカやヨーロッパでは何本か撮りましたが、ほんとうにしたいようにはできませんでした。もちろん、言葉が大きな理由です。ハメ撮りの現場に通訳は連れて行けませんから(笑)。でも言葉の違いより文化の違いの方が大きかったと思います。ハメ撮りでは、女の子の内側に行ってみたいのです。何を考え、どう生活し、夢、そして現実はどうなのかと。生命の中に隠されている汚れた、感情的なものを取り出したい。外国でできるのはセックスを撮ることだけ。それじゃ十分じゃないし、ぼくは満足できない。セックスシーンを撮るだけなら、俳優を呼んで女の子とやらせればいい。ぼくなんてお呼びじゃないです。ハメ撮りだったら、なぜ彼女はこれしてあれするのか、動機、考え、そうしたことを詳しく理解できます。ぼくは女の子の個性を描写したい。欧米の娘とだと、ちょっと無理です。セックスが好きかもしれない、オープンかもしれない、でも日本の娘たちとのようには近づけない。ほんとうの性格がわからない。つまり、ぼくは彼女たちとビデオを撮れない、ってことです。
シ:他のアジア諸国だと?
松:アメリカやヨーロッパはポルノに関して長い歴史があります。スクリーンにセックスが映しだされることについてオープンです。でもアジアはかなり遅れています。厳しい規範があり、ポルノ産業において多くを語ることが難しいです。日本はずっと先を行ってますね。
シ:V&Rにはいつまでいましたか?
松:2004年までです。それからハマジム、現在の会社を仲間と始めました。
松:浜田写真事務所、略してハマジムです。みんなそう言うし、領収書も短い名前の方が便利です。今ではもっと短くなって、「HMJM」です。もともとカメラマンの浜田さんが由来です。彼はぼくらのなかで最年長、みんな尊敬しています。彼がボスです。
シ:現在、何人が働いていますか?
松:7人です。
松:たとえば、「広瀬舞、海老原しのぶ」(2004年)、あ、ふたりの女優の名前から題名つけたんですけど(訳注:ハメドリズム01?)、200万円前後ですね、DVDジャケ込みで。「アテネマラトン」(2004年)はオリンピックのときにギリシャで撮影しました。300万円ほどでした。基本的には一本、200から300万円です。
シ:「オークション01」「オークション02」(2004年)のような純ハメ撮り作品だと、旅費がばかにならないと思いますが?全国を旅して撮りましたね。
松:実際、そっちの方が安いんです。スタジオ撮影は高い。スタジオ代だけでも100万かかります。それだけあれば、ほんといろんなところに行けますからね。
シ:基本的に、彼女たちの住んでいる町、実際の生活環境で会ってますね?
松:ええ、基本的にそうしたくて。
シ:あなたは常に、親密で個人的な彼女たちの肖像を切り取っています。彼女たちの本当のやり方をつかんでます。ビデオの中で彼女たちは、ビデオ出演の動機も含めて大いに語っています。ところで、彼女たちが作品に出演する動機、これはどうお考えですか?
松:女の子それぞれというのはもちろんですが、お金が主な理由だと思います。でもハメ撮り一編に登場しても大した金にはなりません。一回会うのが5万円、つまり彼女たちがぼくに電話するのは他の理由があるにちがいない。好奇心だったり、非日常に惹かれたり、もしくは日常のストレスから抜け出したかったのかも。そして単純にセックスに興味があったというのもあります。でもほとんどの場合、彼女たちはほんとうにくつろいで、作品に出ることを楽しんでいます。ところで、あなたはドイツ人だとおっしゃられましたよね。笑い話なんですけど、実際にAVをドイツで撮ろうとしたことがあったんです。2年前に女の子ひとり連れてベルリンに行きました。ぼくのプランは、アウトバーンを時速300キロで飛ばしながら女の子にしゃぶらせるというものでした。日本は速度制限が厳しいというのもあってこの計画には非常に興奮しました。これは全男子の夢だぞ、車をかっ飛ばしながらセックスをするなんて。女の子はいるし、おしゃぶりしてくれると。ポルシェを借りてアウトバーンに出ました。最初の誤算は300キロ出なかったことです。260キロくらいまででした。で、女の子が車酔いしちゃったんです。なんにもできませんでした。ドライブだけで終わりました。
シ:でも撮ったんですよね?
松:ええ、全部収めました。衛星放送向けAVの一編になりました。
シ:これからの予定は?
松:ぼくはAVが好きで、今やっていることをこれからも続けたい。テレビや映画には興味がないし、AVを作りたい。大会社に所属したくもないし、ハマジムを大会社にする気もない。ビジネスのことは考えたくない。ただ自分の好きなことをやっていたいです。
はてなで活躍してる3人
有村悠(ありむらゆう)98年度入会
入会当初はお茶会期待の星であったが、8年経った今ではニート・非モテ・メンヘルと3拍子揃った白色矮星と化した。人生を矯正するためにインドへ送り込む計画が有志によって進められているが、ヘタレなので逃げ回っている。一応、文才・画才両方兼ね備えた器用な人ではあるのだけど。かつては純文学と日本SFが守備範囲だったが、現在は無軌道にラノベを買い漁って読み漁り、会員に罵倒されている。まるで滝本竜彦の小説の主人公、あるいは滝本竜彦本人(ただし昔の)のようなダメ人間。
夏葉薫(なつばかおる)99年度入会
当会に数年ぶりに現れたまともなSF読み。山田正紀とかエリスンとか、SFファンとしては正統的な趣味をしているのにもかかわらず、口走る言葉がエログロばかりなのは一体どうしてなのか? セックス&バイオレンス主義を貫く一方、S─neryとか大塚英志とか白倉由美とかに対して屈折した愛情を抱き、「俺は桑島法子だ」と常日頃から公言している変態。むしろ中身より外見が桑島法子だったら良かったのに。白倉由美を大塚英志と離婚させるために大塚英志を寝取る計画を立案中。
転叫院豊(てんきょういんゆたか)98年度入会
第十七代編集長。ときどき電波でも食らったように、現代思想のあやしい用語を用いてアニメやらノベルゲームやらSFやらを語り始めるが、結構マジメな人なので訊けば丁寧に説明してくれるはず。小説では筒井康隆が好きらしく、ときに「脱走してやるぞ!」とか叫ぶ。好きな思想家は海外ではスラヴォイ・ジジェク。東浩紀のファンであるようだが、ミーハーとかサブカルとか呼ばれたくはないらしい。鬱キャラの次の時代は統合失調キャラだと信じている。
夏葉の方が有村より若いのか。意外。
ここ最近になってネットの各所で大手サイトがことごとくアボセンスされている。
景気が悪いとアニメサザエさんの視聴率が上がるというが、これはアメリカの景気が悪いとアボセンスが増えるということなのではないだろうか。
それぐらい様々なサイトがアボセンスを食らっている。
以下は前まで貼っていたがここ最近になって急に貼られていない状態になったサイト(アボセンスされたかは不明)
WINZのYouTubeお勧め動画 - ユーチューブ無料面白動画まとめ
秒刊SUNDAY | バイオレンスなニュースサイト秒刊|^^|
ぱっと並べてみたがいずれも大手である。
そしてあぼられた誰もが口をそろえてこういう。「なんで今頃。」と
アダルト違反・著作権違反・コンテンツ不足・コンテンツ過多など、アドセンスの規約には禁止事項が多いがこのすべてを満たしたサイトなど現実問題、ないのではないだろうか。つまりどのようなサイトもいつでもあぼられる(切られる)要件は満たしているのだ。
もちろんこれは推測にしか過ぎないが、この全米を揺るがす金融危機と日本語版においてもGoogle本社(アメリカ)が運営するGoogle adsenseには何らかの関係があるのかも知れない。
金融危機とアボセンス。
(1)
【携帯で読めるように】短く文を切る。
(2)
【なんでそこまでして携帯で小説読むかというと】メールの延長ぐらいでしか文章読めない小中学生(並の人)向けだから。更に付け加えるならばそういう人向けに『感動』を手軽に切り売りする目的の娯楽物。
で、
(3)
【小中学生(並)の人間相手だから】内容は(背伸びしたい)子ども向け、エロ・グロ・バイオレンス主体。
…とまあ、そんな風に、
その条件と要請の下で築き上げられた文化(3)
で定義すれば大体規定可能。枕詞をはずすと、物の本質が見えない。基本は「枠」が生み出した一つの文化でしょ。たとえば
(1)5/7/5というスタイル枠
(2)暇な町人が難しいこと知らなくても取り組める娯楽
…という形で規定できる俳句と同じ。(近代俳句はまた別規定だけど。)
いろいろと異論はあるかと思うが、まあ聞いてくださいよ。基本、男視点で書きますよ。
一組の男女がいたとするわな。
女性はただの友達だと思っているけど、男性は異性として完全に意識して、
あわよくば付き合いたいと思っている。
「つきあいたいなー」なんてとっくのとうに通り過ぎた思い詰めがあるとするわな。
で、ある日暴発するわけだ。
友達に相談したら「当たって砕けろだよ」なんて、無責任な煽りに乗っちゃって、
「もしかしたらもしかするぞ」なんてことを考えて、告白→結果玉砕。
「ごめんね、あなたのこと友達としてしか見れないの」なあんて至極残酷な、ら抜き言葉を目の当たりにする。ゆとり。
こんなことよくあるでしょ。ないとはいわせない。
思うに恋愛の『告白』ってのは、する前から答えが決まってるんだよね。つーか決まってないとしちゃいけない。
お互いが好きあっている確証がないとだめだわ。告白ってのは好きの再確認でしかないんだよね。
そして、人に対して「好きだ」って言うことが、必ずしも好意的に思われないこともあるんだってこと、考えなきゃいけない。
「好き」って言葉が相手を傷つけたりするんだよね。そういうことあるんだよ。
先述の男女の例で言うと、女側の気持ちとして「私が思わせぶりな態度とったからかな」なんて悩んじゃったりするかもでしょ。
好きな娘に好きだっていって悩ませてどうすんのさ。そりゃ最悪じゃんか。ね、だから大切なんだ、下準備ってやつは。
一時期、荒俣宏が取り上げていたときは、完全にホラー/バイオレンスの類で紹介されていたっけ。
ごめんテレビみてた。
でね、こういう友達以上恋人未満の生殺し状態を作っているのは誰かって話。
そりゃーこの場合、男じゃん。好きな娘と一緒にいれるからって、その曖昧な状態に甘んじていたわけじゃん。
モーションはかけたの? 俺はこの状態から抜け出したいんだって気持ちをその娘には見せたのかね?
見せなきゃ駄目だぞ。先には進まんぞ。まあ、モーションのかけ方の具体例は知らんがな。
さてさて、告白したら何かが変わると思っている方は、
自分の態度をほのめかして見せる、なんてことはしていないと思う。見せていたら女性の態度は変わるはず。
見せた後にでも一緒にいてくれるならたぶんOKなんだろうさ。告白すべきタイミングはこれ以降なんだよね。
まあ、これ以降なにをして親睦を深めていけばいいのかは知らんがな。
ほのめかし後に距離をとられるなら恋人にはなれないんだ。答えは出た。あきらめるべきだよ。
告白しなくてもこうやって結果を導き出すことはできる。戦わずして負ける。
そうそう、負ける相手とは戦わないのが宮本武蔵流だろ。あっ、間違っても二刀流を推進しているわけではない。
えっ? 告白したことで相手の心が動いて付き合った事例もあるではないかって?
しかし、告白したことで相手の動揺を誘い、ってのはちょっと下品な気がするんだよね。それが脅迫恐喝強盗ってやつ。
あと男性にとっては必死のほのめかし自体、無かったこと見なかったことにする女性もいるが、それも除外。
あーたくさん書いた書いた。
最後に。
それは、初音ミク開発元のクリプトンの依頼によるものであったと言う。
.
公序良俗に反する歌詞を含む楽曲について-ピアプロ開発者ブログ
http://blog.piapro.jp/2008/01/post-15.html
公序良俗に反する歌詞を含む楽曲について
VOCALOIDを用いて楽曲を制作する場合、「VOCALOIDライブラリ使用許諾契約書」に記載されております通り、公序良俗に反する歌詞を含む合成音声を公開または配布することを禁じております(※)。
特にVOCALOIDそのものや、VOCALOID製品のタイトル/キャラクター(「初音ミク」「鏡音リン」「鏡音レン」等)、バーチャルシンガーなどとクレジットされた作品において、それそのものが、いわゆるエロティックな表現や、バイオレンス、グロテスクな表現を、自ら発言/自己表現しているような見え方と捉えることが可能な場合、または視聴者がVOCALOIDやキャラクターのイメージを誤解し、困惑、嫌悪の感じをいだく可能性がある場合、 VOCALOIDやキャラクターのイメージに悪影響があると判断させていただく事がございます。
今回、公序良俗に反する歌詞を伴う作品がニコニコ動画に連続的に投稿されているとの通告を一般視聴者の方より受け取りました。弊社で調べましたところ、確かに公序良俗に反すると認められました。また初音ミクのイメージを損なう恐れがあると見受けられ、それらが同一人物と思われる作者による投稿ということもあり、誠に残念ではございますが、黙認のレベルを超えていると判断せざるを得ませんでした。何卒ご理解いただけますようお願いいたします。
※"公序良俗"の判断基準については弊社では「TV放送できるか否か」をひとつの判断基準としています。例えば性的表現に関しては視聴者に困惑・嫌悪の感じを抱かせないように注意しています。家族がそろって視聴した場合、露骨な表現描写をすることによって困惑・嫌悪の感じを抱かせないように注意をしています。(民放連の放送基準より一部参照)
そして、この件に関しては批判的な意見が多いようだ。
クリプトンは「やっちゃった」と思う
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しかし、今回の削除は仕方ないと思う。
クリプトンは初音ミクのイメージを守るということ以上に、藤田咲さんのイメージを守らなくてはいけないのだ。
「初音ミクに歌わせる」ということは「藤田咲さんに歌ってもらっている」ということに他ならない、ということは忘れてはならないと思う。
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ここからは妄想だが、もしかしたら今回の件は彼女の所属事務所からの依頼なのかもしれない。
しかし「事務所からの依頼で、中の人のイメージを損ねるから」としてしまうと、間違いなく彼女のブログや所属事務所のサイトは炎上する。
だから「一般の人からの削除以来で、初音ミクのイメージを損ねるから」としたのではないか、と思う。
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最後に、個人的にだが、俺はこういうのは削除によってネタとして完成すると思っている。
だからむしろ積極的に削除すべきだと思う。
思えば、今回の件で初音ミクが歌えなくなった歌など実は存在しない。
初音ミクはすでに僕らの手の中、パソコンの中にあって、どんなことを歌わせることも自由なのである。
ということは、もはや初音ミクはクリプトンのものではない。僕らのものである。
いくらクリプトンが削除しようが関係ない。もう僕らの好きにできるのである。
ならば、クリプトンは、もはや僕らの味方である必要はない。
むしろ、クリプトンはかわいい娘を守ろうとする雷親父で、「初音ミクを妖しくたぶらかす僕ら」の敵であってもいいのではないかと思う。
俺も冬の巨人はあまり気に入らなかった。
前半のじっくりペースでラストまでゆっくり導いてくれれば良かったのにー。ばっさりといそいでラストシーン、みたいなのがもったいなかった。たとえるなら「ラピュタは本当にあったんdヴァルス!」ぐらいの早さ。
しかしシスマゲドンは何を急いでるんだってぐらい急展開だったがすげー大好き。
なんか、バイオレンスなケイオスヘキサものからの脱却をしたいのかなってのはわかるんだ。何かいてもそこそこうまくて面白いし。難点は「完結してないシリーズが心残りすぎる」ぐらいだ。
を読むとよいと思うんだ。ノウェムとかソリッドファイターとかタツモリ家の食卓とかで始めるな。面白いけど、続かないから。飢えに乾きたいなら止めないが。
そっか、バイオレンスなのか。お察しのとおりちょっと苦手だわ。いまんとこ一番面白かったラノベが「わたしたちの田村くん」なもんで。
じゃあ冬の巨人だけ読んでみる事にするよ。あんがと。
http://anond.hatelabo.jp/20080111225520
だよね!面白いよね!!
ROBO-ONEって何だっけとググって公式サイトに行き、すぐに2007年度テーマソングをAmazonで購入。
それはともかく、これをベースにするとプラレスになっちゃいそう。
むしろ桜坂洋のスラムオンラインみたいに、バーチャル世界での格ゲーって方向ではないかと思うがどうか。
http://anond.hatelabo.jp/20080111225801
「ある日、爆弾がおちてきて」は読んでないんだけど、ウィキペディアには
これまでの作者の作風とは一風違った話
とある。
とはいえ、どっちにしろバイオレンスな初期の古橋の作風はあなたの求めるものとは違うんじゃないかなーって気がするよ。
瑞人か…orz EGコンバット完結まだかなあ。私はイリヤの最後の手紙のところと作戦名のくだりでどうしようもなくやられてしまったのでイリヤ命なのさ。四巻だけ何回読み返したことか。イラスト消してハードカバー版を出して欲しいなあと思う。あのイラストはちょっと引かれてしまうのでおすすめし難かったり。(http://anond.hatelabo.jp/20071018205714)
西澤保彦はジェンダー論ぶちかましてるのとかエログロバイオレンスいっちゃったりしてるのとか欝展開系は個人的にあんまり……やっぱり小説はハッピーエンドですよ。SMシリーズの続編はGシリーズというのかーと今知りました。スカイ・クロラは一作目で挫折。評価高いようなのでもう一回挑戦してみようかなあ。村上春樹はあのナルシスティックな文体についていけない…「ノルウェイの森」とか「神の子は皆踊る」?とか何作かしか読んだことないんだけどね。原りょうはいいね!新刊がもう望めないことだけが欠点。(http://anond.hatelabo.jp/20071018204000)
うるせー玉袋なんかねーよー!あっても読まないけど。(http://anond.hatelabo.jp/20071018210059)
マリみては黄薔薇革命ではまって世代交代で離れたなあ。むしろ「夢の宮」が読みたい……(http://anond.hatelabo.jp/20071018122821)
同じく就職してから読書量はやっぱり減った。昔は年間1000冊くらいは読んでたのになあ……(http://anond.hatelabo.jp/20071018233226)
もちろん読んでましてよ。書いた後見直したら色々と漏れてたー(http://anond.hatelabo.jp/20071018222539)
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喫茶店とかで朝から日が暮れるまで小説の話とかしたいなあ、と最近よく思う。すごい幸せなんだろうなあ。身近に読書友達が居る人が羨ましいぜ。ちくしょう。