はてなキーワード: ネチケットとは
こうやってちゃんと自分のことが理解できてる女の意見、というものを聞くと判るのは、
これは古きインターネットでいうところの「学級会」なんだよな。
少数ですが不快になる人がいることがわかりました。自分がその少数である場合もあります。
ではどうしましょうか?
ケンカになるからネチケットを広め、解釈違いになるから検索避けを徹底し、ローカルルールを守れないやつは晒上げる。女のインターネットはいつもそうやってきた。
となると、その結末は明らかだ。
ネチケットは守れなくなり滅びる。検索避けを徹底したジャンルはアクセス困難になり衰退する。
学級会は決して終わる事がなく、最後には女自身が疲れ果てて辞めてしまう。
ゾーニングも、最後にはそうなる。女たちの言う通りにやるべきじゃない。
18禁レートで十分だ。
最近、はてな内でインターネット老人会やおい腐女子部の方が過去を振り返っていたので、それに関連して無断リンク禁止からリンクフリーへ至った足跡を記憶を振り返りながら記そうと思う。
ただし、当該エントリのリアクションでも触れられている通り、まだまだ規模が小さかったとは言え個人視点で見れば広大なインターネットの全てを捕捉するのは難しく微妙に個人間で差異があるものと思われる。
違いがあれば私はこうだったと教えてもらえると更におもしろくなるかも知れない。
さて、若者の皆さんはインターネットのオンラインコミュニティではその当初「実名文化」であったことをご存知だろうか?
実名文化となった要因は様々あると考えられるけど、大きく影響を示した要因の1つは「JUNET」であると言われれば、まぁ納得はするのではないだろうか。少なくとも影響ゼロではないだろうなと。
JUNETは学術系ネットワークで、その主要コンテンツは今日における電子掲示板群と非常に似通ったものがあり、つまりは話題カテゴリごとに整理されたページが存在したのだ。
建前上、JUNETはごく真面目な学術系ネットワークだったので書き込みの責任は個々人にあり、書き込みへ責任持ってもらうため実名制が取られていたとされる。
電子掲示板群で「である」調の文体もJUNETで使われていた文体であり、由来は論文に使われていた文体なのだ。
まぁ実名であっても責任?なにそれ?みたいな感じで至るところへ噛み付いたり、唐突にまったく脈絡なく関係のない話をはじめ、それを指摘され叱られたら逆ギレして大暴れする抜き身のナイフみたいな方が居たんだが・・・そのことについては別の機会に。
えっソイツどうなったかって?今でもTwitterで元気に至るところへ噛み付いてレスバしてるけど?
私の年甲斐もなく落ち着かない性分はなかなかだと自覚してるが彼女には負ける。私はそろそろ落ち着かないとと思ってるがキミはそのままで良いと思うよ。
まぁそんなこんなで日本のインターネットはその当初実名文化であり、TCP/IPやWWWがデファクトスタンダードとなりWindows 95が社会現象になるほど売れた時代、ホームページ開設ブームなんてものがあった。
まぁブームと言っても現在に比べればまだまだ小規模のものではあったが、個人が自宅からウェブへアクセスし、何ならウェブサイトを公開するというのは中々に特別感があったのだ。
そのホームページ開設ブーム期のホームページは実名文化の影響下にあり、住所から氏名、電話番号、家族構成、勤め先などなどを載せているホームページが数多く存在した。現代の個人情報保護の感覚からすると実におおらかと言える。
言ってみれば、その当時のホームページは後の時代に登場する「前略プロフィール」みたいなものだったのである。
書いてある内容も個人の日記帳、しかも実像へかなり近い個人の日記帳のようなものであった。実名で交友関係がわかったし、ホームページの管理者が学生であれば甘酸っぱい恋の悩みとかを隠すこともなく実名で書いていた。
この当時のホームページはあまりにもリアルすぎる個人情報の塊であり「ホームページの管理者が広く公開していないURLを無断で他所に転載することはネチケットに反していた」という古の文言を現代で記すこととなる。
現代の感覚からしてみると「広く公開していないURLって何なんだよ」と言いたくなるし、情報技術者から見れば「ローカルにDNSサーバでも立てたのかな?プライベートIPアドレスならば個人利用だと事実上無限みたいなもんだ」と広く公開していないプライベートなURLの可能性を探り始めるが、当時の人の感覚からするとインターネットなんてドマイナーなのでインターネットを使ってる時点で隠しているつもりだったのだ。
実にバカバカしいと現代人は感じるかも知れないが当時の大半のインターネットユーザは至って真面目に本気でそう考えていた。
例えば過去の時代、NTTはハローページという個人の電話番号を膨大に載せていた冊子を発行していた。
この個人情報は公開情報であるが、電話番号所有者に無断で何ら関係しない他所へ公開した場合、倫理的に問題ないか?と言われれば現代人でも問題と感じるはずだ。現代では特殊詐欺とかあるしね。
じゃあ何でNTTはそんなもん発行していたのか?と言えば、当時の電話番号を取得するには加入権というものが必要であり、加入権は金融商品としての側面を持っていたことから、ハローページへ記載されているということはNTTがその個人の信用をある意味で担保しているという判定が得られることがあったのだ。
まぁつまり電話番号すら持ってないヤツは信用ならんから取引しないという考え方がマジで存在したんだ。
現代の、それこそ若者の感覚からするとNVNOで気軽に電話番号を入手できてしまう今では考えられない価値観だ。
ちなみに加入権の反動からか約20年前に契約書すら必要のないプリペイド携帯電話で詐欺が横行するっていう失敗があったので約20年前が最も電話番号の価値は低かった。
まぁそんなこんなで、URLは公開情報であっても勝手に使うのはダメなんだ、URL無断転載禁止なんだ、無断リンク禁止なんだという価値観の時代は存在したが、それが急速に失われて「リンクフリー」が台頭する時代が来る。
リンクフリーが何故一気に広まったのか?と言えば「Yahoo!」が日本国内で営業開始したからであった。
当時のYahoo!はディレクトリ型と呼ばれるウェブ検索エンジン方式で、これはハローページなどと同様に人力でURL情報を収集して掲載するという形のウェブ検索エンジンだった。
掲載されるには審査が必要で、Yahoo!に掲載されるということはウェブサイトへ一定の価値と信用を与えてくれるものだった。まるで本当にハローページみたいだ。
この価値が失われるのは「Google」がロボット型と呼ばれるウェブ検索エンジンを開発したからであったが、リンクフリーはGoogleが登場する前から使われ始めている。
リンクフリーはYahoo!が登場したからだけでは実は説明しきれず、Yahoo!が人気サイトをランキング形式で掲載するようになったからというのが実際の答えである。
人気ランキングが存在するようになると競争が生まれる、当時のウェブサイトにおいてはアクセス数(≠ユニークユーザ数)こそが人気の指標であり、URL無断転載禁止・無断リンク禁止のスローガンはこの人気争いの中で邪魔になっていった。
そして同時にインターネット芸人みたいな人たちも続々と登場するようになり、個人の赤裸々な情報が詰まった日記帳のようなホームページは段々と廃れていき、匿名のインターネット芸人が笑い話やお涙話で人気を集めるようになった。
そうつまり「テキストサイトブーム」の到来である。
テキストサイトの思い出についてはこのエントリを読むインターネットユニークユーザ諸氏の方が詳しいしバラエイティに富んでいると思われるので任せた。
ディレクトリ型ウェブ検索Yahoo!の登場は別にテキストサイトだけへ影響を及ぼしたわけでなく、2ちゃんねるの元になった電子掲示板群「あめぞう」の前身である「あめぞうリンク」は「リンクサイト」と呼ばれる種別のウェブサイトであった。
そのほか後年にはリンクサイトの発展型である「ランキングサイト」も登場しており、ここまで来るともはや牧歌的なインターネットなど想像も付かないような喧騒が起きるようになり、更に現代では当時を喧騒と表現しても良いのか迷う程度に現代インターネットは闘争本能が強すぎる人たちが多く生息している。
アーマードコアの新作発表されたしそっちでやれよ。
URL無断転載禁止・無断リンク禁止派の最後の抵抗はやはりGoogleによるクローリングだろう。
前述したロボット型と呼ばれるウェブ検索エンジンはウェブページからウェブページへのページリンクを自動的に収集するというもので、人力で登録していたYahoo!よりも収集効率が物凄く高かった。
しかし自動で収集するからこそウェブサイト管理者からすると謎のアクセスが急激に増え、何なら当時「Google」という単語など知る由もなかったので特にリンクを多く持っていたウェブサイト管理者からするとDDoSアタックか?と疑念を抱かせる程度には迷惑千万だった。
もちろん静かに仲間内だけで楽しんでいるようなウェブサイト管理者としても急にアクセスが増えることは不快感でしかなく、Googleの人気が増えていくに連れてリンクされない権利を求めるユーザもまた増えていったのだ。
この件であまりにも叩かれすぎたGoogleはウェブ検索エンジンの検索結果に記載されない「noindex」という施策を取ることとなり現代でも運用されている。
ただしこのnoindex、性善説で運用されておりウェブクローリングする側がnoindexを無視すりゃ普通にクローリングできるので完璧な解決手段ではない。
まぁこんな感じでテキストサイトあたりから日本のインターネットは匿名文化へ傾倒するようになりリンクフリーが一般的になっていったのだ。何ならリンクフリーって言葉すら見なくなる程度にはリンクフリーが当たり前の価値観であるインターネットになった。
そう言えば、はてなブックマークでも無断リンク禁止、勝手にウェブブックマークするなという意見が取り沙汰されたこともあったが、その辺の思い出話はブクマカのほうがよく記憶しているだろうし任せた。
名前が思い出せねえ。
毎日かあさんの件でこのサイトの存在を思い出して検索してみた。
15分ほど探したが見つからない。
自分の夢じゃなかったはず。
ネチケットという概念が日本中を飛び交い、ディズニーやデジモンのキャラクターがネチケットについて解説する二次創作がネット中にあふれていた頃。
サイトにアクセスすると最初に出てくるのは子どもの成長を楽しげに描く両親の日記。
子どもが成長して中学か高校かに入ったところで「娘にも日記を書かせるようにしました」とリンクが貼られる。
当時のインターネットでは個人がHPを持ち、HPの中に隠しページを用意することが流行っていた。
一番多いパターンは単一色の背景と全く同じ色のフォントで文字が書かれているパターン。
Tabキーを連打するか、ドラッグで選択して色を変えるかで簡単に見つけられる。
存在を匂わせてはくるが入り口が分からないサイトはソースコードを見れば大抵はヒントが仕込まれていた。
隠しページの内容は、イラストサイトであれば18禁イラスト、日記サイトなら人には言いにくい趣味の話についての日記が載っているのが常であった。
その当時のネットで暮らす人達は本能的に、直感的に、画面の中の空白から隠しサイトの存在に気づきクリックする。
そこには「いじめられっ子の日記」のようなタイトルで両親に勝手に個人情報をばら撒かれ続けた子どもの悲惨な人生が描かれている。
自分が赤ん坊の頃の話を誰もが知っているだとか、家であった内緒にしておきたい話がすぐに学校中の噂になるだとか、そしてその特異な立場から虐めにあってきたと。
両親はネットにアップロードした子どもの姿にしか興味が無いので現実の子供を見ようとしてないのでイジメには気付いてないという吐露もあったと思う。
ネットにアップした情報は不特定多数に広がってしまうので気をつけようという警鐘としてこのサイトは語り継がれていた。
いつからか、インターネットで個人情報が廃れリンク集は消え、ジオシティーズやさくらインターネットの個人HPからTwitterに本拠を移す者たちが増え、カトゆー家も断絶。
バカッターや迷惑系Tuberの起訴に代表されるようなネットで本当に痛い目にあった話が無数に供給される時代において、たとえばの話でしかなかったこのサイトは忘れ去られたのだろう。
20年ぐらい前の話だしなあ
①分かち書きおじさん
とにかく 文章を スペースで 区切る。 スペースの 種類が 全角派と 半角派に 分かれていた 印象。
全角の 人は 英語も 全角に していた 気が する。 半角は プログラマの 人に 多い 気がする。
ネトゲで この タイプに 会うと ドラクエの 世界に 入った みたいで トクした 気分に なる。
②旧字旧かなおじさん
舊字舊假名に拘るをぢさん。戰後敎育への屈折したなにかを抱へてゐさうな氣がする。
時事問題を獨自の觀點から論じたり世相を斬りまくつてゐた舊字舊假名をぢさんのブログがあつたが
③ひらがなおじさん
いちばんやべーきがするおじさん。なにかきょういくてきなポリシーがあってわがみちをいっているひとが
おおかったいんしょう。
わかちがき おじさんと ハイブリッドな おじさんも いた。
にほんのぶんしょうをすべてひらがなにかえてやろうというやぼうがかいまみえたおそろしいおじさん。
ふきゅうかつどうにもねっしんだったがいつのころかほぼぜつめつしてしまった。
(追記)
いろいろなおじさんが続々と報告されているな。
ローマ字おじさん、機種依存文字訂正おじさん、一人称独特おじさん、全部いいねおじさん、読点大杉おじさん、座右の銘おじさん、語尾独特おじさん……
一人称と語尾はなぁ……過去を振り返ればおいらにもクるものがあるので危険でつ。
(追記)
!!!なんかちょっと目を離した隙におじさんあつめみたいになってんぞ!
事情通アピおじさん、内容にクセおじさん、小生着丼おじさん、スペルミス荒らしおじさん、クセつよ語慣れちゃったおじさん、運動瞑想睡眠野菜350gおじさん、
はなししとはおじさん、息切れで救心の代わりに読点!?おじさん、括弧マテおじさん、でわ?あらため出羽おじさん、立ち上がれおばさん、相手がおじさんと断定おじさん、
逆に句読点無しおじさん、ちょっと何いってんのかわかんないおじさん、17歳おねえさん、女性全レスおじさん、木亥火暴おじさん、AVソムリエおじさん、
(笑)(汗)(爆)を強いられおじさん、ひらがな一家言おじさん、晴耕雨読おじさん、読めないHNおじさん、You Tubeおじさん、まだまだ現役おじさん、
メイラーダエモンおじさん、富士山、カミツキおじさん、みかかおじさん、でつまつおじさん、にゃあおじさん(またの名を見抜かせおじさん)、……おじさん、糸井重里、
○○嬢おじさん、ぼっさん、個性を消す忍者さん、おばはんかもしれないおじさん、カンマピリオドおじさん、絵文字おじさん、空行おばさん、ちみぃおじさん、
関西弁おじさん、Wikiと略すなおじさん、100文字おじさん、クセつよとんちおじさん、ホームページ原理主義おじさん、非実在おじさん、ネチケットおばさん、
おれぼくおじさん、正規表現おじさん、半角カタカナおじさん、ツッコミ永久機関おじさん、◯◯拝おじさん、あの頃ぼくらは若かったおじさん、サイトマスター僭称する勢いおじさん、
つわもの共が夢の跡おじさん、10年後が楽しみだおじさん、ニュースグループROMおじさん、空白明けセルフツッコミおじさん、縦読み強迫観念おじさん、アラビア数字こだわりおじさん……
一体どこに置き忘れてしまったんだろうね?というくらいにネットが普及してから思うようになった。
インターネット以前からパソコン通信などもやってきたのだけど、あの頃は何も言わないでもモラルやマナーを守る人が多かった。
というのも、ホスト側でルールを提示していたので守らなければ即追放という事も珍しくなかった。
古臭いシステムと狭い世界だっただけに、ルールが効力を発揮していただけに逸脱するような行為の人は少なかった。
ネットが普及し始めた1995年には、ネチケットが出来上がっていてパソコン通信から移行した人は守っている人が少なくなかったので
他人のHPを覗いては、みんなでワイワイやっている時代だったしルール違反がいれば簡単に追放できたのも大きい。
そもそもモラルやマナーの意識が欠如している人というのは、基本的にはアングラ系サイトの掲示板にたむろっていたので
表立って出てくることも少なかったので、いわゆる昔のオタクのような行動だったので問題もそこまで起こるわけでもなかった。
しかし、現代は誰も彼もが主役になれるようなネット社会なので、モラルやマナーを無視して行動すれば注目されるという悪い考えを持つ人が増えてしまった。
ダークヒーローのような存在を支持するような信じられない人も増えた。
また芸能人や政治家もモラル欠如をしている人が存在してしまうという時代に。本当に残念に感じる。
悪いことをして目立つという行為に罪悪感を持たず、躊躇わないような人がどんどん増えているというのは時代の流れのせいなのか、インターネットという便利な存在ができてしまったせいなのか
それを利用する人たちに問題があるのか、どれが理由なのかわからないし、全てが理由なのかもしれないけれども…あまりにも増えすぎていると感じる。
悪いことをしている人がいれば、それを楽しむように囃し立てる人も居る。そしてその悪いことをした人が捕まれば、囃し立てた自分たちは知らん顔する。
目立ちたいというだけで選挙に立候補して、それを面白そうだからという理由で支持する人。
悪意の言葉を他人に投げつけ、他人を傷つけることを気にしない人。
それ以外にも、モラルやマナーが欠如しているような人は多くいるけど、昔より罪悪感を感じず躊躇わないで悪い事が出来る人が増えてしまった。
昔はネット環境自体が整ってなかったし利用している人が少なかったという理由もある。
だけど、パソコン通信時代と比べてしまうと、やはり利用者のモラルやマナーの欠如した人の増加はおかしいくらいの速度で増えていると思う。
普通だったら別に喧嘩をしようとしているわけじゃなかったり、意見の食い違いがあるから訂正して話を続けたいって人なら
言葉の使い方を誤った時点で「言い方きつかったかな。酷いことをしてしまった」なんて思って罪悪感を感じるものなのに、それが今は無い。
まず、謝ろうとすることが出来ない問題がある。
間違ったなと思ったら『謝る』のではなく『誤りのまま引かずに喧嘩を続ける』人が増えた。
負けを認めろではく、間違いを認めて謝ろうという精神が無くなったと感じる。
実際に増田を見ていると、間違っていても認めないで論点を変えて喧嘩を続行する人がいるし、罪悪感自体を持たないで人を傷つけることに躊躇わない人が他人の日記に人でなしレベルのコメントを入れているのを見かける。
他にも最初から誹謗中傷をしてくる人がいる。これは昔から居るわけだけども、あの頃は管理人が削除していたしアクセス禁止もある程度行ってきたけど、
まるでモラルとマナーというものを親のお腹の中に忘れてきてしまったような人がいる。
私は老害と言われてもおかしくない年齢なのだけど、その老害から見ても現代は悪意で生きている人が増えていると感じる。
馴れ合いがキライという人も今は増えたけど、馴れ合いがなくなったせいか心の余裕がどこにも感じられない。
仲良く人と話すことが出来ない人が増えすぎている。
共通の趣味があったとしても、相手の欠点から語り始める人、すぐに優劣で話を進めようとする人、そういうコミュニケーションしか出来ない人が多い。
どちらかというと海外の方が今もフランクに仲良くやりとりが出来る。
時にはぶつかり合うのだけど、議論が終われば仲良く会話が出来るし、皮肉の言い合いをしても笑い話で済む。
日本はぶつかったらぶつかりっぱなしだし、諍いが終わったとしても、もうその人物とはわかりあおうとはしないし、皮肉の言い合いをしたら誹謗中傷の言い合いを始める。
どうしても争う事を選んでしまう人がいる。
別に日本がキライなわけじゃないし、パソコン通信時代もネット黎明期も楽しく過ごし今もネットは楽しく利用している。
しかし、ニュースを見ればSNSで信じられない行為をする人の話題があったり、ネットで皮肉を他人に投げつけて煽りあうというやり合いをする人が居たりと
昔からネットを利用している人としては、なんとも窮屈に感じるのだ。
ネットというのは、そんなに他人と争いをしなければ利用できない環境だったかなと。