はてなキーワード: ドラゴン桜とは
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日本の映画マニアの一部が、『エクスペンダブルズ』やタランティーノ、あるいはアメコミ映画などアメリカのハイコンテクスト映画が好きなのは、やっぱりその読みが非常に日本的(オタク的)だから。で、そういうひとたちに限って、日本のハイコンテクストのコンテンツを否定するというのは興味深い。
日本は「ガラパゴス」ではあるが、海外のいわゆる「クール・ジャパン」人気は、ネットによるコンテクストの学習、共有に支えられたものであり、それによって実質的には「ガラパゴス」ではない
そういう面もあるとは思う。少なくとも日本の人気コンテンツがハイコンテクストに支えられてるってのはまぁわかる。
ただ、韓国映画がローコンテクストな映画を作れるのはなんでじゃろ?ってのがさっぱりわからんわけでどっちかというとソッチの方が大事じゃない?
だって、本当にそれだけが理由なら、今からでも日本は全部ローコンテクストにすればいいってことじゃない?
そもそもなんで韓国ではローコンテクストでも見るやつが多いの?そこまで質が高いか? 私はどうもそうは思えないんだけれど。
あるいは別のコンテクストか事情かしらんけれどそういう物があるのは間違いないと思うの。
だって、海雲台という作品(面白くないわけではない。がそこそこであって超傑作とは御世辞にも言えなかった)に1000万人も観客が詰めかけたり、
韓国小説のベストセラー1位は国内だけで600万部も売れるんだぜ?日本だと1200万部売れるってことだけれどありえないでしょ?
韓流ドラマは詳しくないどころかいまやってる『勉強の神』(韓国版『ドラゴン桜』)がはじめてなんだけど、そんなに面白くないんだよね。まぁ話をしってるというのもあるんだけども、韓国の受験のディテールを掘り下げてないところが物足りない。ただ、韓国では高視聴率だったらしいね。
上記の発言をした人が、同じ記事内でしれっとこういうことかいてるし、
AKB48のビデオを初めてみて、軽く持って行かれそうになった。私には少女時代を最初にみたときの衝撃wと変わらず、物語性のいらないエンターテイメントだと感じた
こう言う意見もあるので、そもそもハイコンテクストかローコンテクストかはあんまり関係ないんじゃない?
日本はレベルが高いだけでは売れないから、売るときに物語も取り入れるようになってるというだけで、
韓国だってしばらくしたらローコンテクストじゃなくてハイコンテクストになるんじゃない?
ここで話をガラリと変えます。
KNTVとか見てるし毎年韓国に行ってるし、韓国の週刊誌とか定期行動している私の立場から言わせていただくと、
韓国って日本が比較にならないくらいハイコンテクストな文化だと思いますけれどね。
格差は異常に激しく、一部のエリートが国家を支え、下流の人間は暴力やネトゲやエンタメに頼ってる。
儒教的な価値観や軍隊による「しつけ」と「洗脳」があるばかりで、教育はあまり機能してない印象。
逆に言えば、軍隊のイニシエーションを受ける前は野放図な若者多いです。ぶっちゃけDQNみたいなやつ多い。
韓国のマンガ読んでみると分かるけど、主人公の性格とか日本人の感覚からしたらキチ○イみたいなやつ多いですよ。
あれ日本だとマンガだから許されるギャグだけど、向こうでは普通にああいう変な子が沢山います。
日本みたいに教育で去勢されていないからエネルギーは確かにすごいけれど、その発散の場が殆ど無い。
だからみんな国外に脱出したがる。それもないやいやつはネットとかエンタメ、歴史などにはけ口求めてるようです。
最近はサムスンやヒュンダイなどの世界企業のおかげで出戻り組が増えてますが。こうしたところで働けるのはエリートだけです。
これは私は知らないけれど、いじめとかむっちゃ多いんじゃないかしら。
そういう事情において、向こうの国の芸能人の影響力というのは日本のカス芸能人とは全く比較にならない。
すべての芸能人の些事までネットで大きく話題になり、そのせいで自殺者もはるかに多い。
この国の人はいちいち徹底してるというか感覚的にはとんがってる事が多い。
かの国ではゴシップ番組に限らず証券会社が堂々と芸能人のゴシップ記事をすっぱ抜いたりします。謎でしょ?
そんな韓国では多くの人が、芸能人について細部まで情報を共有している。ローコンテクストなんてとんでもない。
日本みたいに興味が分散してるんじゃなくて、全員に対してしっかり行き渡ってるという印象です。
まだ市場が細分化されてないんです。一部の人間にだけ猛烈に好かれるとか、そういうオタクっぽさが殆ど無いです。
だからこそ、質が高い物、品が良い物、綺麗な俳優が活躍するのだと思う。ただそれだけのことだと思う。
このあたり日本の古き良き時代でもあるし、将来の日本が進む道でもあると思ってます。
日本はヘキサゴンファミリーみたいに、品質より顧客との距離感みたいな方向に進んだ結果
わからない人にはつまらない、細分化されててよくわからないコンテンツが山ほど出来ましたがそろそろ限界じゃないでしょうか?
そっちの方向ではニコニコ動画のようなネットメディアが活躍していくと思います。
AKB48はある意味先祖帰りのような形でむしろ国民にアピールする質の高いものを目指してるんじゃないかと思います。
最初は御世辞にもパッと見可愛いくない、歌も踊りもそんなスゲーって感じじゃないで
なんでこんなのがヒットするんだろうと思ってましたが、だんだんレベルアップしてるのがわかりますし。
企業の成長と一緒でそのうち今のメンバーが総入れ替えになる頃には洗練されたコンテンツになるんじゃないでしょうか?
最後に。
いろいろ書いたけれど私はこういう乱暴と洗練が一緒くたになった韓国という国が好きです。
日本みたいに中流とか、普通とか平均みたいな考え方が当たり前ではなく、
逆に私みたいな凡人が向こうの人からしたら中庸的な態度に見えるらしく友達もできるしね。
そういう要素全部抜きにして日本はハイコンテクスト、韓国はローコンテクスト?意味がわかりません。
韓国はハイコンテクストに支えられた原始的コンテンツと文化的コンテンツの両極があるというのが私の感想であり、
今の日本と韓国、どちらが良いかはわかりませんが、少なくともテレビには韓国のようなコンテンツの作り方を目指して欲しいです。
本当に今のテレビはつまらないバラエティと「実用的だけれど小粒」なお役立ちコンテンツ、あと広告と区別がつかないような番組ばっかり。
テレビマンの方は学歴も高くて賢い人が多いのでしょうから、ある意味視聴者から少し距離をとって、視聴者を導くようなものをつくってほしい。
最近ちょっと思ったこと。
まぁ理系大学生の浅知恵なので突っ込みどころ満載だと思うけどその辺はスルーで。
馬鹿をネタにして笑いを取るような馬鹿タレントとかいっぱいいるけど
現に小学生レベルの勉強すら間々ならないような人間がいるってこと
なのに今の学生はゆとりだ!と団塊が偉そうに文句を言うのが不満
あんたらはたまたま景気がよかったからじゃん…
とまぁ愚痴はいいとして、
学校教育がしっかりしてないからだ!
ゆとり教育反対!
と、個人的には思う。
勉強なんて極論を言ってしまえば独学で出来るし、本人の勉強に対する士気が重要だと思う。
自分は私立高校出身だけど、学校から得たものは周りの空気、刺激が大きかった。
それが自分の勉強に対する熱意を促進させた、5年間勉強してこなかった自分が嘘のように高3の夏休みは勉強した。
結論として勉強に対する熱意を得られれば自ずと勉強できるってこと。
逆を言えば本人の熱意がないといくら周りから言われても勉強しない。
才能云々もあるけど努力をすればいい英語、それ一科目で受けれる早稲田とかにも努力さえ出来れば合格できる。
何で早稲田を例に出したかというと、一時期流行ったドラゴン桜で出てきた話だけど
いいか学校ってのは、いうなりゃキップ売り場だ。
(中略)
これを買えば旅の始めは大変だが、後には見事な絶景と快適な列車が待っている。
問題は買うか買わないか。
買わなきゃ一生ドンコウで、断崖絶壁を走るんだ。
答えは買うに決まっている!
とりあえず大学に入れ、そして大学に入ってからは入ってから考えろ。
これに尽きる。
『まぁなんとかなるだろう』
そんな甘い考えが多いから学力低下が騒がれる。
今の現状を打破する手っ取り早い方法、
現在の教育では子供には夢を与えろとはいうけど、夢を追うよりは現実を見る方が落胆がないからよいと思う。
勉強をすることによって成功した人間、勉強をせず路頭に迷っている人間の比較例を見させて学問の重要性を認識させる。
そして後々後悔のないような人生設計をさせる。
何がしたいかわからない子も勉強させる、ひとまず大学を卒業すれば色々と潰しが効く。
そうして学校内の士気を上昇させ、相乗効果を計る。
要するに私立などの進学校にある状況をどの学校にも発生させればよいのだ。
そうなると学校による違いもなく、どのような人間も平等に学問で戦うことが出来る。
そうすれば日本全体の志気が高まり、学業大国として誇れる国になること間違いなし。
……って机上の空論を述べても倫理的に無理よね、現代社会においては。
うーん…
http://anond.hatelabo.jp/20100922183732 ^ http://anond.hatelabo.jp/20100922023512
追記元。
改めて必ず東大にいこうと、再度決意を固めることのできた、東京大学理科三類を目指している大沢君の意見を以下に。
まず彼が国内最難関である理Ⅲを目指す動機として
>そこに自分は入れることを実証してみたい
んで、彼は
>目標なんて今はなんにもない
>将来の夢とかまだ分からないし
>やりたい仕事のことも
>まだ考えてもいないよ
>やりたいことを探すのにも東大は都合がいいから行こうとしてるのかもね
>簡単に変更できないけど
>どこから卒業するかはまだわからないな……
>"やりたいことを早く決めて社会に出た時のために準備をしたほうがいいんじゃないの?"
>そうかなあ……
>だって決めるためには判断材料っていうか情報が必要だろ
>高校に通っているだけじゃ社会について知れることも限られてる
>今は何も知らないし経験もない
>でもずっとこのままでいるつもりはない
>"それまでちょっと待って下さい"
>"いろんなことを見聞きして興味をもって
> 打ち込めるものを見つけるからそれまで少し時間を下さい"
>その猶予を与えてくれる東大は自分にとってベストの環境だと思う
心底同意。全面的に同意。なんで最近、俺の言いたいこと、考えてることがこんなはっきりと書いてあるんだここには。
トラバでドラゴン桜を勧めてくれた方、どうもです。他にも考えさせられる箇所がふんだんに盛り込んであって実に読み応えあります。
とにかく目標に突っ走れば良いだけなのかもしれません
しかし
>だって決めるためには判断材料っていうか情報が必要だろ
これを受験生の内になんとか判断材料をかき集めて将来のビジョンを描きたいと考えてしまいます
やっぱりそれは焦ってはいけなくて、それは時期尚早なことで
大学(東大)に入り色んなことを学んで、経験して初めて湧きあがってくるもので、そこで初めて決断できるといった類のものなんでしょうかねえ・・・??
>ああ、何かピンと来たようで良かったじゃないか。
実は、"http://anond.hatelabo.jp/20100922183732"さんがおおよそ同じような回答をしてくれてたんですけどね。
>一週間で見つからなければ,それは時間か知識か何かしらリソースがもっと必要ということですね.
単純に"リソースの量"が足りないというよりは、リソースの質?とでもいいましょうか。
そういうことを見出すために必要なリソースは大学に入ってからの方が、涼、質ともに充実している感じなようですね。
また、今のところは漠然とではありますが、自分がいかにそういうことに関して無知であるか
いかに経験がないかってのがわかってきて 高校生の段階ではそんなもんなんだと思うことで少し安心している次第です
ためになるアドバイスありがとうございました
なかなか面白い子だね。
まあGTDを広義に考えればそう言えないこともないかな(笑
http://ja.wikipedia.org/wiki/Getting_Things_Done
しかしまあ、それよりはキミに必要なのは、人生の目標設定に関する問題だろうねえ。
まずそれから考えたほうがいいかな。
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGIH_jaJP282JP282&q=%e4%ba%ba%e7%94%9f%e3%81%ae%e7%9b%ae%e6%a8%99%e8%a8%ad%e5%ae%9a
うーん。普通は高校生ともなれば、なんとなく将来、こんな風な仕事をしたいとか、目標と言えないまでも、夢みたいなものはあるんじゃないかな。
それを中心に考えれば、すべての可能性を書き出す必要はないんじゃないか。
また、社会はどんどん変化していくものだ。たとえば携帯電話も、今はブイブイ言わせていても、30年後はもうみんな、一種のテレパシーみたいなもので通信してるかもしれない。
今、じゃなくて20年後くらいを想像するのがいいかもね。
まあ、中央に[人生の目標]と書いたマインドマップでも書いて、自分の人生の目標でもじっくり考えてみたらどうかな。
あと、ドラゴン桜を読むといい。受験術中心だけど、人生哲学みたいなものもけっこう深い。
http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/B002DEKF88/ref=sr_1_2_olp?s=gateway&ie=UTF8&qid=1285157004&sr=8-2&condition=used
全巻買っても8,050円。金ないなら参考書と言って親に買ってもらえ。息子の将来かかってるなら安いもんだ。
マインドマップ作成とドラゴン桜全巻読了、両方やってもせいぜい2週間程度ですむ。
あと、自分が何に向いてるか、自分で自分の事はよくわからないものだ。
まずは親に聞いてみたら?自分の小さい頃は、どんな子だったか。
「どんな仕事についてほしいか」は、親の古い頭の願望が入るから聞いてはいけない。
あくまで、どんな子だったか、だけを聞くこと。それを聞いて、「この子は」どんな仕事に向いているかを考える。
あと、身近な友達、自分をよく知ってる奴に聞いてみる。
そいつらは親バイアスがかかってないから、ズバリ「俺はどんな仕事が向いてると思う?」と聞けばいい。
これからの時代、どんな仕事が有利、とか考えても、自分の資質や性格に合ってなきゃ、結局続かないよ。
自分の性格、性質、を中央に考えて、他人に対してどのような価値を生むことができるのか、
それを基本にするといい。
そうだね。孫正義も
登りたい山を決める これで人生の半分が決まる
と言っている。
http://kokumaijp.blog70.fc2.com/blog-entry-40.html
でも、人生は思ったより長い。
間違った山に登ったかな、と思ったら、降りて違う山に登ることも、特にこれからの時代は不可能じゃない。
また、寄り道、無駄足だったと思っても、それが次のステップへの足がかりになったりすることもある。違う山へ伸びる吊り橋があったりね。
追記元
http://anond.hatelabo.jp/20100922023512
まず、ありとあらゆる意識的、随意的な思考・行動は すべて目標を達成されるために行われる。
目標を達成するための最適解は存在する。各種、方法論、戦略によって最適解に限りなく近づくことができる。
だが、"いかなる目標を設定するか" ということには最適解はない。
それは、個人がもつ、固有の欲求、価値観、思想、志向性、評価関数というフィルターを通して
"自分が考える、最も満足のいくであろう、望ましいであろう状態、目標"
を定義しそれに向かっていく。
言わずもがなそれは十人十色で、それゆえに人類は、かような多様性を呈している。
逆説的ではあるが、この多様性こそが"人生そのもの"に"目標設定そのもの"に正解がないことを示していると言える。
ここで問題としているのは、そういう「いかなる目標に向かっていくか」「いかに生きるか」
という問いに答えがないということではなく、そういった現実の中で
個人個人は
いかにしていかに生きるかを、いかなる目標を設定し、それを目指して生きていくかを
どのようにして決めれば良いのか? ということだ。
あと、人は、望ましい状態に向かっていくと書いたが それが自分にとって望ましい状態なのかどうかは
"想像することしかできない" のだ。
その望ましさはあくまでも未来において想定されるもので、それは人間の想像力によって判別される。
もちろんそれは完全ではない。想像力をいくら駆使しても "これこそが私が最も満足のいくであろう選択だ" と断言することは無理である。
こうであったらなと思い描いたそれが実現されても、不満足を覚えることは多分にありえる。
だから人は、思考停止・妥協・悟り・諦め ≒ 信じる という行為をもってして生きていく。というかそうしなくては生きられない。 疑えど疑えど答えは出ない。
そういう悩みに消耗し、逡巡、足踏みし続け、人生を台無しにしてる人間は少なくないように思える。
いうなれば、登る山が決まっていなく、彷徨っているに等しいような人生だ。 私はそれを回避したい。忌避すべきものだそれは。
しかし一口に"信じる"といっても、 信じるための方法というか、信じ方があると思うのだ。
一寸先は闇の現実の中、無限の情報に前にし、いかに考えいかに行動するか。
結局どうすれば、良いのか。
私は理性によってそれが(生きていく中で価値観などは遷移していくので軌道修正は必要としても)
解決、、というか処理?できると思っているんですよ。
どうやって? こうやって。
まず人間が意識的に、随意的に目指しうることのできるありとあらゆる目標をネット、書籍などから情報収集し
徹底的に拡散的な思考をし尽し
"それらを全て洗い出して(MECEに)" かつ、その中から
"現実的に(物理的に) 私という人間が達成を目指すことのできる目標" を全て抽出する。
全てはここにある。 私が目指すことが可能な目標は全てここにあって、考えるべきことは全て目の前にある状態。
まずその状態を作り出す。
その個々の目標を"そこに向かうべきか否か" を判断する。その人その人がもつ固有の価値観に照らし合わせて。
ネットや書籍で判断材料を集めたりしたりもする。 その目標に向かうべきかどうかを個々に評価するのだ。
そして達成すべき目標("α"とする)をリストアップする。それを合格可能性が最大化された日常に目標を達成すべく定義されたタスクを巧妙に組み込む。
もちろんその組み込まれた目標は、 合格可能性を減少させてでも達成を目指すべき何かだ。
合格可能性が最大化された日常をベースとして考える。 それはそれこそが今もっとも優先すべき目標であるからだ。最大化こそが(私にとっては)
そして、そういうことを徹底的に追求したその果てに "今、この時間、本当になすべきこと(タスク)" が完全に把握でき
"今、ここで使っている時間は、私が思う最高の(限りなく最適な)時間の使い方だ" という意識をずーーっと持ち続けることができる。私はそれを目指したい。実現させたい。
というか受験生活が終わっても私は人生を通してずっとそうでありたい。これは誰もが思う願望であろう。
それを実現するのがGTDなのではないのか。それこそがGTDの本質ではないのか。
私がGTDに期待したのはそこである。というかそれが実現できるならば
この際GTDじゃなくても良いのだけど。
//何か突っ込みどころはありますか? ちなみに勉強からの逃避にしか見えないという指摘がありますがむしろ逆です。
これは勉強に集中するためになされる能動的な過程です。 顕在意識(=メモリ、RAM)に "今実行すべきタスク"のことしか頭にない状態が理想。
それを実現させてくれるのがGTDなのでは? そうであれば物凄く快適そうに思える。 なるほどその状態は達成すべき目標だろう。最優先で。
//結局、合格可能性最大化を図ることができれば満足なんです。
//他の何か、つまり"α"、それを邪魔する原因としての"α"さえうまく処理できればそれは実現します、それが難しいのですが…
//未知数な、存在するかどうかわからない"α"が見つかろうと見つからなかろうと どっちでも良いわけです。最大化、最適化さえ図ることができれば。
//とにかくすべては合格可能性最大化を阻む原因をいかに排除するか、そこが核心、主眼なんです。
>まだ自分が認識、意識していない時間を割くべき、日常に組み込むべき何か(合格可能性最大化以外の目標、仮に"α"とします。)があるのではないか?
これでいうαは受験生活を脅かす要素です。
返信。
>合格可能性の最大化を図ることによってαの発見・達成が阻害される、と考える理由はないわけだから
合格可能性が最大化された日常ということは極端に言えば、αを意識すらしません。そんな暇があったら問題を一つでも多く解くのです。
だから発見は阻害されますよね
合格可能性の最大化を図ることによってαの発見が阻害されるということで
αの達成を目指すということは最大化が阻害されることになります 最大化が阻害されても
生産性、効率が低下してもそれでもなお目指すべき目標は存在するのか?
存在しないならば最大化されたまま、それを維持した日常を送れます。
しかし存在するならば、考えなければいけないことがいろいろありますね。
>生活の全てを最適化しなければ合格できないとしたら、入ってからついていけるのかい?
あるいは最適化など目指さなくとも、余裕をもって合格できるにしても他に達成すべき目標がないなら
合格可能性を最大化させることに注力します。念には念を。受かる保証などどこにもないのですから。
ここで問題にすべきなのは"学力の向上における効率、生産性を犠牲にしてでも"達成すべき目標、"α"の処理の仕方についてです。
>そうでなく、やりたいことがまだはっきりしないっていうなら、受験勉強を当面のゲームと考えるといい。
そうですね、やりたいことははっきりしていません。大学をいかなる目的のための手段にするのか?という問いには今のところ答えられません。
それに危機感を覚えます。大学がゴールになっちゃって手段になりえてないっていうのが典型的な失敗例でそういう文脈があちこちに散見されるので。(手段の目的化)
なんとなく、俺はこれをするためにあの大学に入るんだっていう明確な意識があった方が動機づけにもなると思うし…
>他にやることがなくて暇だから受験勉強してる、と考えるんだ。そう考えていれば、普段は合格に最適化した生活を送りつつ、他のおもしろいことにレーダーをはっていられる。
こういう感覚良いですね。 しかし受験勉強と同時進行でなくてはならないのでしょうか?レーダー張り。アンテナ?
そうでないといけないというのは常に新しい情報(速報性があるものやまだ読んでないウェブページとか本とかから)を仕入れないといけないということですよね?
それを、なんというか、最初からいっぺんにできないものなんでしょうか?
>当面の目的から目を逸らすために他の目的を探してるだけであり
>しかも見つかってないあたりは救いようがない
前述のとおり、当面の目的に集中するために他の目的を処理しようとしているのです。
これこそが先延ばしの原因であり、心理的な障壁となっているのです。
もし見つからないのなら受験勉強を蔑にしてずっと探し続けることはしません、受験生ですから。
それは大学を出てやりたいことがないからとりあえずニートになるぐらい危険なことです。
>それはGTDとは関係ないけど、難しい。ほとんど人生そのものと同じだからね。
そう言えますね。ほんと難しい…
>とりあえずは「見晴らしのいい場所(客観的に社会と自分を見られる場所)」に行く(社会的・物理的に)こと、かねえ。
心強い意見です。
>うーん。普通は高校生ともなれば、なんとなく将来、こんな風な仕事をしたいとか、目標と言えないまでも、夢みたいなものはあるんじゃないかな。
それがよくわからないんですよね、、、
生活を維持するためのお金を稼ぐために「仕方なく」働いてると思ってるんですよ。
何らかのきっかけで(宝くじあたったりとか)大金が転がり込んできたら現職を続けないであろう仕事に就いているイメージ。
本当にやりたいことができてる人は、好きを貫いている人はほんの一握りなんだろうなって。
ちょっと恥ずかしいですが、ジョブズでスピーチで語ったように"愛せる仕事"をしたいですね
って、これじゃあ何も言っていないのと同じですよね。 "やりたいことをやりたい" みたいな、、トートロジー的な?身も蓋もない、、
>まあ、中央に[人生の目標]と書いたマインドマップでも書いて、自分の人生の目標でもじっくり考えてみたらどうかな。
>でも、人生は思ったより長い。
>間違った山に登ったかな、と思ったら、降りて違う山に登ることも、特にこれからの時代は不可能じゃない。
>また、寄り道、無駄足だったと思っても、それが次のステップへの足がかりになったりすることもある。違う山へ伸びる吊り橋があったりね。
>大学受験で、また会社選びで、人生のすべてが決まる、とか必要以上に深刻に考えなくてもいいと俺は思うよ。
孫正義「なぜならば、自分で決めた自分の職業、自分で決めた自分の仕事、これコロコロ変えるわけにはそんな簡単にはいきません。
だいたい決めたらその道にほぼ行く可能性が高い。その決めたことをフラフラするということは、効率悪いんです。
こういう意識があって、、、
また引用しますが
>私が思うに、人生を計画的に行おう、と思うのは、なすべきことをしたいという欲望が生じるからだ。
>限りある時間の中で、切実にそれを実現するためには、どういう流れ・ストーリー・フェーズを経て
>実現状態に変貌を遂げるのかをクリアにしようとする。そうすれば実現する可能性が高くなるからだ。
http://works4life.jp/2010/03/gtd-before-big-planning/
もっと明確に、クリアに描きたくてたまらないんですよね
多分どちらにせよ私は志望校を目指すので、将来の目標がどうあれ、今やるべきこと、やっていくこと(受験勉強)は変わらないとしても
心の置き場?というかスタンス? 世界観、人生観、死生観、価値観、思想
そういうことにも心を奪われてしまうんですよね、、考えすぎなんでしょうか?
もっと、こう、なるようになるさって感じでいけたら大分楽かもしれません。気楽に。。
xevraさんのいうよう、悩んでも悩んでも仕方がないことなんでしょうか、、
悩めば悩むほど不安は募り、袋小路の奥にどんどん迷い込んでいくのでしょうか、、
1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/11/14(土) 11:03:45.25 ID:YEzroAVm0
1つの道を選んでそのために一生懸命頑張るということができない
何をするにも何らかの価値観の盲信が必要になるという気分
きっと人生における選択の正しさの根拠なんてないんだと思います。
何か一つを選ぶということはその他の一切の選択肢を捨てることだと弾さんもいっているし
それこそがその他一切の選択肢を選ばないことで何か失うものがあるのではないか という疑いを不安を生んでいるわけなんですね。
ある選択をしてその先一般的に(?)成功したとされても、もっと大きな成功が他の道に転がってたかもしれない、、
そういう迷いや悩みは構造的に人生の原則的に解決が可能なのでしょうか?
私たちはラプラスの魔でもなんでもないので、人間が培ってきた知見と経験則によってのみ、なんとか予測を立てることができる程度で
そこを理性的に突き詰めれば何か見えてくるんじゃないのかな…?と思ってはいるんですが、、
例えばこうするとかも。
ジョブズ「自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に
決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、
己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、
きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。
そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。」
しかしなぜ死と隣り合わせであるという事実を直視するとこういうことが可能になるのでしょう?
死の意識というフィルターを通せば真に、自分にとって大切なことが、死ぬまでにこう生きていたいんだってことがはっきりわかってくるようなのですが
どうも、私はそうなれていない?ように思うのです 死を意識してはいるつもりなんですけどね
孫さんやジョブズのように"実際に死にかけた経験"がないから 死を想像してみてもそれは不明瞭で、漠然とした恐怖とかで その程度ではそういう状態にはなれないのかどうか、、、
更に返信。
>今、どうしてもやりたことが見つからないなら、焦っても無駄。君が時間を無駄にしてるんじゃないかって焦ってる間に、既にやりたいことを見つけた人達は何歩も先を行ってる。天職のことを英語でcallingと言う。>呼ばれちゃうんだよ、そういう人は。こっちから選ぶことなんて出来ない。君もいつか呼ばれるかもしれないし、もしかすると一生呼ばれないかもしれない。どっちにせよ、それに振り回されて迷うっていうのはそれ>自体が無駄。呼ばれた時にすぐ応えられるように準備しておくしかない。
やりたいことってのは、天職ってのは能動的に探すものではないのですか? "呼ばれた時にすぐ応えられるように準備しておくしかない" なるべく選択肢とか可能性が維持できるように
したいところですけれどもね。
>http://anond.hatelabo.jp/20100922183732 //長いのでURLだけ。
なるほど。ってことは一週間かけて考えて見つからなければαを放置して学力の向上におけるパフォーマンスを最大化させればいいのですね。
受験が迫っているため、一週間程度のリソースで見切りをつけ、当座は合格を目指し、大学という場でリソースを獲得し
"目標α発見可能性を最大化して実践" すれば良いのですね。 すごくわかりやすく、かつ的確な回答のように思えます。
しかし一週間ではなく二週間であれば見つかるかもしれないわけじゃないですか。
というか期間の問題ではなく、 目標αはまったく(もしくはこれ以上)発見されないであろう、その可能性はないであろうと判断することを私は求めているのです。
目標αはまったく、もしくは、もうこれ以上生まれないであろうと。 気が変わったりするもんですから、人間も。
定期的に そうであるかどうかを確かめるような手段が欲しいところなのですが。
また言いますが、それこそがGTDの本質なのではないのですか?
そういえば私の提唱した方法論についての反応がありませんね、、
今の私って、無数の目指すべきかどうかは判断されていない目標は見えているけど、それを目指すかどうかっていう判断材料になりえる情報(目の前に膨大に広がっています)
に溺れてる感じなんですよ。 "今" 何をすべきなのか? がわからないんです。
わからないから、わかろうとする。 そうやってるとただ情報の海を漂ってるだけになるんですよね、、困ったことに。
一連の考えを要約すると、 人生において早い段階で 「選択と集中」 をしたいんですよ。
自分は何者でもないし、なにか特別な才能があるわけでもない。
特に何ができるわけでもない、 そんな私ができることって 人より多く一つのことに時間を投入することなんですね。
そのためには「選択」が要ります。それも孫さんのいうように腹の底から、覚悟を伴った"選択" それほどまでの"選択"ができて人はやっと"集中"ができる。し続けられる。
集中ができるほどの、それほどまでの選択を私はしたいんですよね。 もちろんここでいうαである目標の達成を選ばないという選択もありますよ。
受験一筋なパターンです。それも一つの選択ですね。 例えばそういうパターンを選択し、集中できないのはαがあるからなんです。 とにかくこのα。これさえなんとかなれば。
またまた追記ですー
http://anond.hatelabo.jp/20100924192440
おはようございます。
もう2月ですね。
きわめて特殊な形式を持ったテストに立ち向かう上で、
僕が個人的に獲得していった「戦略」についてお話しできればと思います。
なお今回の話はあくまで、僕個人の経験から導出されたものですし、
ですからこれから東大を受験されるかたには限定的にしか役に立たないでしょうし、参考程度に聞いて下さい。
また、話していく中で、僕が他の先達たちから聞いた話をそのまま織り交ぜていくことが予想されます。
おそらくこういった話はすでに多くの方がされた類のものでしょう。
ただ僕は田夫野人にして『ドラゴン桜』すら未読なので、
僕自身のオリジナリティがあるのかどうかすらわかりません。
もし著作権等の問題に抵触する場合は、明示していただければ対処します。
さて、それでは本題に入っていきましょう。
第一に考えなければならないことは何でしょうか?
それは、各大問の性質を明らかにし、それにあった戦略を考え、
「解く順番」を明確にすることです。
和文要約と長文を含む第一問、英作文の第二問、リスニング第三問、英文和訳と文法問題の第四問、長文読解第五問(もちろん、年によって変動があります)。
それぞれの大問は、独自の設計思想に基づいて作られており、
これらを最初に分析した上で学習の指針をたてるのがベストでしょう。
私見では、東大英語で求められる英単語・熟語知識は3つに分けられます。
すなわち、「長文でつかうもの」「和訳でつかうもの」「英作文でつかうもの」の3つです。
これについてもおいおい説明していければと思いますが、
とにかく、5大問の分析と戦略策定が何よりも重要だと言っても過言ではありません。
また、その結果得られる「解く順番」も重要です。
ですから、各工程を適切な順番で適切な戦略の元に片付けていかなければ、
最後まで解ききることすら出来ません。
その意味で、東大英語は「ドラクエをいかに短時間・低経験値で全攻略するか(タイムアタック)」という「しばり」プレイにも似ています。
ここでは、僕のおすすめの「解く順番」を一つ挙げてみましょう。
それは、「後ろから解いていく」です。
つまりおおざっぱに言って、第五問(長文読解)→第四問(英文読解和訳→文法)→第三問(リスニング)→第二問(英作文)→第一問(長文→要約)のプランです。
「解く順番」を考える上で一番のボトルネックは、
やはり試験時間のまんなかに鎮座ましましている30分のリスニングでしょう。
ですからこれを中央にして、前半に読解系を、後半に作文系を入れてみました。
このプランにした理由や各大問の設計思想などもからめながら、もう少し細かく見てみましょう。
最初は、第五問……ではなく、リスニングの問題文の下読みから。これは当然ですね。
リスニングを解くのは真ん中ですが、第五問第四問がどう転ぶかはまだわからないので、
あとで下読みする時間が無くならないように、最初に読んでおきます。
そして読解系の第五問・第四問(の和訳)。
これらの1.5大問が問うているのは、「精読・読解できるか否か」でしょう。
それにしても、なぜこの二つを最初に置くのか。
それは、「ある程度時間と集中をかければリターンが大きい出題形式」だからです。
長文を精読して答えを詰めるのも、英文と格闘して解釈をひねり出すのも、
だからこういった粒の大きな作業は、余裕のある最初に入れておきたい。
2ちゃんねるのコピペで、「小さな砂をビンに最初に入れてしまうと、あとからでは大きな石は入らない(だから最初に石を入れよ)」というのがありますね。
それと同じです。
読解系を集中して解き終り点数を積んだら、リスニングに入る前に、
第四問(の文法)と、第二問(英作文)のメモ作りに参りましょう。
英作文、リスニング、文法の2.5大問が問うているのは「ロジカルな文脈復元力」ですが、
文法も、英作文のメモ作りも、「石」というよりは「砂」です。
リスニングの開始まではもう余裕がありません(もちろんリスニング中も)。
ですからここは「砂」を入れて、無駄なく(そしてリスニングへの弊害なく)進めていきましょう。
(ちなみに、「英作文はいきなり英文を書き出すのではなく、一度日本語でメモを作る」というのは常識ですよね?)
この文法とメモ作りを、余裕があればリスニング中の小休止にも行った方が良いですね。「リスニング中」!? そうです。
そんなことしたらリスニングがまともに聞き取れなくなるじゃないか! ……確かにそうです。
でも、そもそも東大英語のリスニングって、「まともに聞き取れ」るものでしょうか、帰国子女ですらない僕らが?
個人的には、「帰国子女じゃあるまいし、リスニングはまともに聞き取れない(そしてまともに聞き取れなくても点は取れる)」という戦略をお勧めしたいと思います。
聞き取るのは、断片だけで構いません。
「ディスコース・マーカー」などのテクニックに限らず、基礎的な文法知識や「教養」など、すなわち「文脈復元力」があれば、
かろうじて得た断片から選択肢を絞るのはそう難しいことではありません(東大英語リスニングはPolitically Correctですから)。
さて、こうしてリスニングを耐えしのいだあとは、文法問題を片付け英作文のメモを英訳しましょう。
そういえばさっき、単語・熟語には3分類ある、と言いました。
これは要するに、「今見ているこの単語が、いったい試験の何処でクリティカルに使われるものか常に意識して学習せよ」ということでもあります。
具体的には、たとえば英作文では、たとえ中学英語レベルでも、絶対にミスのないイディオムで無難な英文を生産する必要があります。
他方長文では、つっかえずに読むためには、「なんとなく意味が分かって読み流せる」単語が重要です。
和訳では、「微妙なニュアンスを原義にさかのぼって解釈する」ような単語も出てくるでしょう。
良い具体例が思いつきませんが、英作文のhave nothing to do with、長文でのsimultaneously、和訳でのdevelopなどですかね。
はい、英作文が書き終わりました。え、細かいテクニックは、って? それは皆さんのほうが詳しいでしょう……。
第一問は、僕の記憶が正しければ英文の和文要約(1A)と、乱文整序や選択式問からなる長文(1B)の2本立てです。
どっちも時間と集中の要る読解系じゃないか、って?
いやいや、長文のほうは第五問に比べれば「パラグラフ・リーディング」で対応可能なものですし、
乱文整序なんかは特に、運の要素が読解系より格段に強いですよ。
大問1が問うているのは「ぱっと見で大意をつかむ作業効率」。
もちろん読解はするのですが、そもそも要約とは、
極論すれば「キーセンテンスを運良く一文訳せれば点数の半分は来る」程度の運試しです。
大意さえつかんでしまえば、枝葉にまで潜っても、対時間コストパフォーマンスは悪い。
それよりは最後の5分で幹だけ掴み、荒削りで確実に効率よく得点したほうがクレバーですね。
以上、「解く順番」をフックに、東大英語の戦略についてしまりなく語ってきました。
大問毎の設計思想「精読・読解できるか否か」「ロジカルな文脈復元力」「ぱっと見で大意をつかむ作業効率」を見ても分かるとおり、
やはり、東大英語というのは「官僚スキル」を見るためのものなんですね。
大量の紙幅を右から左に流しつつ、個々の場面で求められるレベルでアウトプットを行っていくという。
もちろん、基礎的な英語力や各大問ごとのテクニック(「リスニングではHoweverなどのディスコース・マーカーに注意しろ」とかの類)に関しては、
僕なんかより、受験生の皆さんや予備校の先生のほうがよっぽど詳しいでしょう。
僕も枝葉末節については記憶が怪しいので、今回は「幹」や「石」の部分について覚えていることを語ってみました。
ひねくれているとは思いますし、多くの真面目な受験生にとってはむしろ混乱の素かもしれません。
(帰国子女ではないが現役で本試験(英語)約100点を獲得し文科一類に合格した、という)「過去の栄光」がぎりぎり通用するうちに、
偉そうなことをはき出しておきたいという、僕のささやかな実存を感じ取ってもらえれば幸いです。
細かい部分や他教科については、また要望が万が一あれば考えます。
某国立後期試験が後二週間と迫った頃、受けた大学を全落ちした自分はそれでも焦りが無かった。
落ちた私立大学は自分の希望ではなく親の希望する学部だったから、寧ろ落ちてよかった。
唯一希望学部として受験を許されたのがこの国立の後期試験だったから・・・
という前置きは放置して、とりあえず二週間で小論対策をしなければならない。
予備校なぞ行ってる暇はない。
どうしようと迷う暇も無くやったことは以下。
下地なので、普段暇なときにやっておくとよし。
中学の頃から言われるがままやっていた事なので、正確に言うと「二週間でやったこと」ではないが大事。
何でもいいので小論問題集を買う。
ただし解かない。
問題を見た後模範解答を原稿用紙に丸写しする。
これをひたすらやり続ける。
制限された字数で起承転結の配分をどうやるかが分かる。
語尾を揃える(~ですます調か~る~だ調)。
起承転結を守る。
毎日国語の先生に(現文だろうが古典だろうがどうでもいい)小論課題を出してもらい翌日提出⇒添削のコンボ。
コレを二週間やり続ける。
希望学部は伝えておくべきだが、課題は理系よりもニュートラルなオールラウンドな物が多かった。
問題を読み、結を決めてから大まかな展開を決めて書く。
後は書くべし書くべし書くべし。
試験の状況はというと、時間制限の半分で書き直しもなくフィニッシュ。
文字数も丁度。
高校時代家出していた際にクリアした小島監督作ポリスノーツのネタがここで活かされた。
偏差値40代だった落ちこぼれがセンターで足きりラインを突破し、
話がずれた。
小論に戻すと、自分が思う一番大事なポイントは下地部分だと思う。
読書しろと言われたりするが、一冊読み終わる間に丸写しした方がいいと思う。
実地で問われるのは文やネタのセンスより、時間内に指定字数で起承転結させる文を書く力。
家を飛び出して今は漫画喫茶にいるわけです。
ちょっとここ最近、
一緒に住んで喧嘩して疲れるのなら、
一人の方が楽だなという気持ちです。
そこで「なぜ」を考えてみたいと思います。
「なぜ」を考えてぐるぐる同じことを考えてる時があると思いますがそこはご愛敬。
「私の気持ち」と「彼女の気持ちの」2つをスタートにしていきたいと思います。
というわけでまずは「私の気持ち」から。
なぜ私は疲れたかと考えると、
なぜ自分の気持ちを我慢して相手に合わせるのかと考えると、
例えば、「しんどい」「後で考える」「適当で問題ない」という言い訳。
プライベートな行動時は、深く論詰めて考えて行動したくないから。
ダメ男ですな・・・。
「バカなやつだ」と言ってこんばかりです。
なぜ彼女は怒るのかと考えると、
彼女に対して、喜ぶことをしていないから。
なぜ彼女に対して喜ぶことをしていないかと考えると、
一緒に住んでいると家族のように感じ、
私は「彼女はそこにいてあたりまえ」という気持ちになっているから。
うーん、独りよがりな考えなので、
自分勝手なこと言いまくってますねー。
彼女がこれ見たらなんて言いますかね。
まぁ、見せないけど。
もうちょっと自分の気持ちとか、現状を上手く考えることができれば、
今とは違った未来が待ってくれてそうですね。
さて、そろそろ帰りますね、家に。
この人が、「かまってちゃん」とか言われたりはてブで「薄馬鹿」とゼッケンをはって過ごせ、などといわゆる「普通の人」に罵倒されてしまう理由。
それは、もともと「普通の人」も、好きで空気を読んでいるわけではないからです。
何故読んでいるか。というより、何故読まざるを得なくなるか。といえば、それは「社会生活を成り立たせるため」なのです。
別に、面白くて空気を読んでるわけではないのです。「そうしないと成り立たない」から読んでいるのです。それを子供のときから続けた結果、嫌悪感も感じず自然に染み付くようになっているだけです。
それが前提としてあります。なので、「俺はこういう障害があるから、空気なんて読めません。だから、読みません。悪い?」と開き直ってる人を見ると、「ズルい」と感じるのです。「俺達だって別に読みたくて読んでるわけじゃないのに、社会生活を成り立たせるためにしかたなくちょっとずつ我慢してるのに、障害があるからって何でお前だけそれが免除されちゃうの?障害者だからって読まなくてもいいの?で、その分俺たちがまたフォローするんでしょ?空気読めない発言しても、それを注意したら差別になっちゃうんでしょ?できない人に「おい、それするなよ」なんて言っちゃいけないんだから。で、俺達はそういう人の発言を注意することもできずただ黙って我慢しろってことでしょ?一方発達障害の人は「障害があるからしかたないじゃん」ってことで何を言っても許されるんでしょ?……なんだよそれ、やってらんねえよ、あーあ、発達障害とやらがある人はいいですねぇ、読まなくても「障害があるからしかたないだろ」で済むんだから。だったら俺だって発達障害になりてーわw俺、名乗ってもいい?w」となるのです。
今もって「迎合してヘラヘラ笑っていたり、納得のいかないことで謝罪を要求され続けていると、心臓が止まりそうなほどの不整脈が出る」のだから、「道理は道理、正論は正論」というスタンスしか摂りようがない。
と言っていますが、重要なのはですね、別に「普通の人」でも、「迎合してヘラヘラ笑ったり、納得のいかないことで謝罪を要求され続けて」いるのは、ものすごく嫌なのだということです。でもそうしないと生きていけなかったりするので仕方なくしているのです。そこで「そうしたら不整脈になるんだからしかたないだろ」と開き直るとどうなるか。「普通の人」たちはこう思います。「じゃあ何か。俺達は、なまじ「嫌だけど、我慢できてしまう」から、ダメなのか?不整脈の一つでもでりゃ、俺達も我慢しなくていいのか?」と。「なまじ我慢できてしまうが故に、そこにつけいられ我慢を強いられているのか」と感じるわけです。嫌なことを我慢した上、しかもその「我慢ができるゆえにさらに我慢をしなければならない」という理不尽さに、そして「不整脈が出るから」ということでその我慢から逃げおおせている事に怒りを感じるのです。
「発達障害の人は生まれつき、迎合してヘラヘラ笑ったり、理不尽な目にあったりすると死んじゃいそうになるから、そういうことができないんですよ。しかたないのですよ。だから分かってあげましょうね」
なんて、だから、「普通の人」には絶対に届きません。
「え?そんなの俺だってやだよ?なんで、そいつだけ、「いやだ!」っていうことが許されるの?なんで、そいつだけ、そんな我侭が許されるの?俺だってやだよ?じゃあ、俺も嫌だから、皆、そういう風に気を使ってよ!ダメ?なんで?障害者じゃないから??なんだそれ、ズルいよ」
と感じるからです。そしてそれは無理のないことだと思います。発達障害の人からみれば、あまりに「普通の人」が普通に空気を読んでいるので、「好きでやってるのか」「楽勝なんだ」とか思ったりするかもしれませんがそういうわけじゃないのです。「普通の人」だって別に完璧に空気なんか読めません。だからこそ人と人のトラブルはいつだって発生するし、「普通の人」だって人間関係で悩んでいる人はたくさんいます。
別に発達障害の人じゃなくても、人間、『自分の思ったことをそのまま言う、迎合しない、納得のいかないことには納得いきませんという』……それが一番に決まっているのです。でもそんなことは通常幼児期しか許されない。そんな事を互いにしていたら、社会が成り立たないからです。ドラゴン桜に(マンガですみませんが)「本音で語り合える学校がどうのこうの」という話題になった際、「本音ってそんなにいいか?」「本音ばかりは必ずしもいいことじゃない」と主人公が言い放ったシーンがありましたが、まさにそういうことなのだと思います。
「普通の人」も最初は自分の思った事をズバッと言ってしまったり空気を読まなかったりしています。が、成長するにつれ、「どうも、おかあさんがムスっとした顔をしているときに、おもちゃを買ってというと、怒られるようだ…」→「そういうときは言わないでおこう」と学んでいく。「どうも、髪型に拘っているクラスメイトに、その髪型変だよといったらクラスメイトは悲しんだり怒ったりするようだ…」→「そういうときは言わないでおこう」と学んでいく。
それだけの話です。だからそもそも許されるならば、気をつかわなくていいのならば、いくらでも好き放題「その髪お前変じゃね」「おもちゃかってよーー!!!」と言いたいのです。ただそれを自分で律しているだけです。ときに自分のため、ときに他者のため、ときに社会のために。
だから、「普通の人」からそういう発達障害者の主張を聞くと、「なにそれ、わがままだ」「ズルい」と感じるのです。「できないからってしなくていいなんて。だったら自分もしたくない」「それじゃ幼児じゃん。大人になっても幼児のままで過ごしておいて認めろっていわれても」と。
しかし発達障害者からすると、そもそも上記のような「自然に学んでいく」が全くできないので、皆がただ単に何かよくわからないものを押し付けてくる、としか感じられない。過程が、分からないんですね。「別にすきじゃないけど必要だから皆がちょっとずつしかたなく身に付けてきた」という背景が。あるいは言葉では知っていても実感として知らないわけです。だから、「理不尽だ」と感じて怒りを抱いたり、「なぜ?なぜ??わからない」と苦しんだりするわけです。
普通の人と発達障害者の「ズレ」は、そこにあるのだと思います。発達障害者の人たちは「そんな空気読むとかそういうことを押し付けてくるな!そっちでやってろ」と思いますが、別に、普通の人も好きでやっているのではないのです。そこがズレだと思います。仕方なくやっているのです。押し付けるのはなぜかといえば、「みんながちょっとずつ我慢して、社会を穏便にするように努力してるんだから、お前もやれよ」という感覚によるものです。だから、そこから逃げようとすると、怒るのです。まるでそこからは、「税金は払わないけど、皆から集めた税金の恩恵は受ける」ような感じ、フリーライダーのような感じを受けるのです。
そんな怒りが、「かまってちゃん」と言われたり「薄馬鹿というゼッケンをはってれば?」という反応になって表れるのです。
「脳に、もう、そういう障害があって、そういう能力が無いんだから、どうしようもないんだよ」という切り口で言っておられますが、そういう切り口の攻め方はいささか受け入れられにくいと思います。寧ろ、そういった方向性で攻めますと、おそらくそのうち「それならそんな脳に欠陥のある奴は、普通に社会生活を営めないんだから、外に出てくるなよ。迷惑をかけるな」なんて反応が出てくると思います。
「目が見えない人」「耳が聞こえない人」と同じだ、とおっしゃっていますが、それもなかなか通じないと思います。実際「平均的な人間に比べ、ある能力が著しく低下、あるいは無い」という見方においては、目が見えない人と発達障害の人は同じと言えます。が、「脳とそれ以外の器官」という見方で見ますと、「目が見えない人」と「指がない人」と「耳が聞こえない人」は同じであっても、「発達障害の人」は違う、ということになります。同じか否かというのは、何でもそうですが、見方によるわけです。ある一面では同じでも、ある一面では違う。何でもそうです。
で、「普通の人」は、後者の見方をします。なぜならば(現代の)人間にとって、「脳」という臓器は他の臓器とは一味違った、特殊な部位であるから(と、思っているから)です。現代の人間にとっては、「脳」は、ほぼ、自分です。他の臓器は、いうなれば単なる道具に過ぎない。極端ですが、そういったイメージを持っている方が多数だと思われます。誰しも、自分の盲腸が考え事をしているなどとは思いませんし、自分の太腿にアイデンティティが宿っている、とは思いません。自己はほぼ脳であり、手、足、目、耳、それらの部位は、脳=自己(人格)のための、道具である、と、そういったイメージが漠然と身についているのが現代人だと思います。
ですから、「脳に障害がある」のと「目に障害がある」では、同じようで、全く違うのです。
道具にちょっとくらい欠陥があっても、欠陥というのがアレでしたら、ちょっとくらい違いがあっても、周囲の人は「ああ、道具が壊れてしまったのだな」と手助けをすることが割りと容易ですし、社会生活も、意思疎通の面ではあまり問題はありません。人格には何も問題はないからです。それを伝える、口という道具が若干働かなくても代替のものがある。それを受け取る耳という道具が若干働かなくても別の道具でそれを補える。伝える内容そのもの、交わす内容そのものには問題はないのですから、あとは純粋に道具の問題だと、なるわけです。ですから、まだ受け入れやすいのです(それでもまだまだですけどね)。
しかし脳に障害がある、というのは、ちょっと違います。道具には問題がなくとも、その中心である自己、人格に問題があるのですから。根本的にそこが他と違う、というと、道具でも補いきれません。(そもそも、「補う必要はあるのか。補うという考え方はどうなんだ」という問題もありますが)
いうなれば、「右手がサイボーグの人間」と、「一見普通の人間だが、実は中身は宇宙人」と、どっちとまともにコンタクトを取れる自信があるか、という話です。無論、前者なのです。極端に言えば、脳に問題がある、というのは「普通の人」にとっては後者の如く感じられるのです。
ですから、「脳がそういうふうなので仕方ない!」という切り口で攻めますと、最悪「なら、そんな奴は社会不適合者だから、外に出るな!」的な反応を食らうことになりかねないと思うのです。
実際、鬱病も「甘えだ」なんていわれたりしがちな病気ですが、これも「元気がでないとか、仕事いきたくないとか学校いきたくないとかさぁ……そんなん俺だってそうだよ。いかなくていいならいきたくねーよ!でもそうしなきゃいけないから行ってるんだろ。鬱って診断されたら休んでもOKなわけ?なんだよそれ」という、「ズルい!」という思いから来ているのだと思います。
目や耳の障害や、精神系でない病気についてそういったこと(甘えだ、等)が言われないのは、「ズルい」と思わないからです。
それでも鬱病も最近は「甘えだ」と言う人も減ってきました。それは「鬱状態は辛いのだ」という認識が広まってきたからだと思います。肺炎になって学校を休んでも「ズルい」とは思いません。休みたいは休みたいでも、そんなキツい思いをするのは普通嫌だからです。鬱も、知識が広がるまでは単に「いきたくないといってる人」くらいの感覚で捉えられていたため「そりゃ俺だってそうだ!ズルい!」となっていたのですが、「どうやら相当キツいらしいぞ」と分かってからは「ズルい!」とならなくなってきたのだと思います。
しかし、発達障害の場合はどうか。
これは多分「ズルい」という感覚はちょっとやそっとじゃ抜けないと思います。なぜならば、発達障害の人が「辛い」のは、あくまで周囲との関わりにおいて、「読めない空気を読めとおしつけられる」等のことから発生するものです。肺炎や鬱などと違い、ただ一人でいても辛いものではありません。(鬱が発生すること自体は、周囲の環境などが関係しますが、発症後は一人でいてもキツい、ということです)
ですから皮肉にも、自分たちが「空気がどうしても読めない」人のことを理解し助ければ助けるほど、彼らの「辛さ」は減る。一方、こちらの辛さやストレスは上がっていきます。空気を読んでくれない相手を「しかたないのだ…」と思いながら、ただでさえ空気を読むという我慢をしているのに、さらに「空気の読めない仕方ない人」に対しても我慢をしなければならない。そしてそうすればそうするだけ、その「空気の読めない仕方ない人」の「辛さ」は減っていくのです。当然、「ズルい。なぜ、こちらだけ我慢をしなければならない」となります。どちらに転んでも、「ズルイ」となる。いやむしろ、こちらが助ければ助けるほど「ズルイ」となる。
結局、「発達障害だろうがなかろうがみんな空気とか読みたくない。自分勝手でいたい。が、それでは成り立たない」中で、「普通の人」は空気を読み、「発達障害者」がそれが著しく困難な事を理解する。また「発達障害者」は「普通の人」も別にしたくないが社会の存続のため仕方なくやっている、ということを理解し、形だけでも出来うる限り合わせるようにする(空気を読むこと自体はできるようにならなくとも、表面上あわせることは訓練次第で可能と聞きました)。という相互からの歩み寄りが大事なのだと。平凡な結論ですが。「発達障害者は、じゃあ、外に出るな」は勿論問題外ですし、といって「発達障害なんだからしかたないだろう」では逆に「普通の人」に全てしわよせが来るだけです。どちらかに押し付けてはいけないのでしょう。
横だが
そこで燃料切れで鬱になったり引きこもったりするやつはいっぱいいたさ。
勉強するのがいやになってやめちゃったやつだっているさ。
ドラゴン桜でそういえばこうやって「東大はいったってフリーターな奴だっている!やめるやつだっている!」と反論する教師に主人公が「そりゃあれだけ人数いるんだからそういう奴もいるに決まってるだろwwwww」って言ってたのを思い出した…
行かないと、こんな詭弁で反論できた気になってしまうほどアホになるってのがよく分かったw
大学へそもそもそこまで全力で入る奴がどれだけいて更にその中で燃料切れになり、さらにその中で燃料切れが原因で鬱になったり引き篭もった奴なんて学生の何パーセントだと思ってるんだよw
「貧乏でも成り上がった奴はいる!」とか「背が低くてもバスケで活躍してる選手はいる!」とか
少数の例外を持ち出すことで反論できた気になってる奴、よくいるよなあ……あいつらみんな高卒?w
http://anond.hatelabo.jp/20081027160514
増田のアフォさかげんにあきれ果てたので、上から目線で説教もどきを行う。
ひとつには、文学やろうとしてるのに、編集者がそんなもんだということをぜんぜん理解してない。
これが『ドラゴン桜』だったら桜木が偉そうに御講釈を垂れるところだ。
編集者ってのは、会社の従業員であっても、こと「本をつくること」に関しては独裁者。
「自分がいいと思うものを書ければいい」というならともかく、「本を出したい」のなら
「本を出してくれる人」のことを研究しないでどうする。
そしてもっと大事なのは、そんなに本を出したいなら、たとえばゲイの編集者をみつけて
尻を差し出すとか、その程度の狂気と紙一重の行動を示せと。
そのくらいの覚悟がないなら、ただでさえ厳しい本の世界、入ろうなどと思うのがそもそもの間違い。
前にドラゴン桜は結局東大受験は環境次第って書いた増田だけど、あれ受験を控えた高校生が読んだらどう思うのかって疑問が出てきた。
繰り返すけどあの漫画って受験をするにはいかに充実した環境と情報が大事かというのがメインテーマなんだよね。
自分の学力やメンタル面を24時間体制で分析管理ケアしてくれるセラピストとしても超優秀な講師チーム
そこの生徒なら誰でも東大目指して勉強して合格するのが当たり前という空気←多分これが一番重要
これらが揃わない環境下ではどんな努力も方向性を誤って空回りするするだけで、実際モロにそれを生徒に言わせているシーンがごまんとある。
だから講師としての立場の人間や既に受験を終えた人間が読んで自分の受験生時代との違いにカルチャーショックを受けたり自分の子供の指導に少しは活かそうとしてフムフム頷くのはわかる。俺もそんな感じで読んでる。
けどリアルタイムで受験に挑もうとしてる学生が読んだら絶望してしまうんじゃないか?
だってあんな理想的な環境は受験生本人の努力で得られるものじゃないし、求めても時既に遅しだ。まさに受験環境の格差社会ではないか。
なのに作中で散々「東大に行けなかったら騙されて馬鹿にされて人生終了」とばかりに煽ってるから今更引き返そうにもどうしても敗北感を引き摺って気が重い。
ついついそんな心配を抱いてしまうのだがどうなんだろうかな。いらん世話だと言えばそれまでだが。
ホットエントリのこれ。
新入社員がやってくる──専門知識を教える技術:第1回 “分かりやすく説明”しては、いけないんですか?
http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0802/26/news006.html
実はこれって塾講師のノウハウなんだよね。で、これが通用するということを逆に言えば、受験勉強が得意な奴ほど、いろんな分野の専門知識に対応できることになる。
だから、教育に時間をかけるよりは高学歴の奴を採用した方がよいってことになる。
で、そんな単純な理解でいいのかよと思いつつ、この記事を書いた「開米瑞浩」って人の名前をぐぐってみると、トップに出たのがこれ。
開米瑞浩の公式Webサイト
プロフィールはこれ。
開米瑞浩 (かいまい みずひろ)
東京大学理科一類中退。IT技術者の業務経験を通して「読み解き、考え、説明する」スキルの再教育の必要性を認識し、2003年からその著述・教育業務を開始。(以下略)
やっぱり東大か。ドラゴン桜みたいに正攻法を主張して、それで教育に一石投じようっていう狙いなんだろうね。
ただ、その方法論が通用してしまいそうなのがIT業界なのがまた辛いところ。だって、業務独占資格でもない資格試験をこんなに重視してる業界がどこにある?結局、テスト勉強得意な奴を重視する業界なんだろ。だったら結局東大様を筆頭に学歴で序列をつけるのが正解ってことになってしまうよなあ。
職場なり、プライベートなり、とんでもなく大きな失敗をしてしまい、当分は立ち直れない状況に陥ったことは無いだろうか?
私は今がそうだ。
超凹んでいた。いや、いるかな。
痛い。心が痛い。
で、今日は、職場の仲間に慰めてもらった。もちろん本質的な慰め&精神的回復では無いが、すごくやさしくてありがたかった。
わざわざ餡蜜を買ってきてくれて、いっしょにお茶をした。
元気出してねとさ。
当初この職場は非常に不本意であったが、ここに来て良かったと初めて口にした日だった。
昨日から本を読もうにも、何をしようにも、何せハートが痛いがために、全然頭に入らない。
というか、もう集中できないのだ。
ということで、今日は、仕事を早々に切り上げ、行きつけの(接骨院?)のマッサージに行った。
やっぱりいつもどおり先生は優しい。
すんごい凝ってるねぇ、と言いつつ、腰の痛みの原因を見事に見つけてくれて、大変だったの?とやさしく話しかけてくれる。
昔、「ドラゴン桜」に出てきた台詞を思いついた。
「人は、落ち込んでいる時こそ他人の言うことが素直に吸収できるんだ!」とかなんとか、そんな台詞だったと思う。
まさに今の自分だ。
人の温かさや感謝の気持ちが出てくる。
この職場も引っ越してきたこの町も不本意ではあったが、さんざん文句を言いながらも、こんなやさしい所は私にはありがたいところなんだと思う。
悪いと思っていたものが良いと思えたり、その逆もあったりと、人間の思考なんてその場その場で変わるものさ。
で、ちょっと思ったこと。
落ち込みから回復までいくつかの段階を経るんだと思う。(私は心理学者でも何でもないので、あくまで経験上感じたことです)
つまり、痛み、身に起こったことの客観的な分析、学習、etcという段階を踏むんだと思う。
落ち込んだ最初の段階には、まずひどい精神的ショック、痛みが来る。
泣いたり、わめいたり、ボーゼンとなったり、集中力散漫、眠れない、胃の痛み、言い訳(受け入れられない)、暴飲暴食、OD、などなど。
頭の中は、「御先真っ暗」な状態でしょう。
この時期は、応急処置が必要。
でもね、このめちゃくちゃ痛い段階のときに、外界からの慰めの手をもらうのはとても大切なことだと思う。
もちろん、痛みの即時的緩和という効果もあるんだろうけど、
もし、この段階を一人で乗り切ってしまうと、その後屈折した性格を形成してしまいそうな気がする。
トラウマになったり、他人に対してすごく意地悪になったり、色んな屈折した結果は出たり、何らかの傷のままになってしまうように思う。
骨折したものをちゃんと整復せずにそのまま痛みに耐え続けて結局曲がったまんまになっちゃみたいな。
反対に、この痛みの段階に、外部からエネルギーをもらっておくことは、「ありがたい」、「感謝」という健全な思考を身につけるプロセスになるのではと思う。
それに、早期に次の客観的な分析、学習の段階へ移行できるという効果も期待できる。
この時期にぐっと絶えるというのは我慢強いのかもしれないが、ちゃんと甘えるというのは、この落ち込みからの正常な回復を促す重要な要因となるのではと思った。
人に甘える勇気を持とうと思った。
ここで、適切に何かに甘えることが出来れば、屈折した自分よりは、感謝の自分へと成長する可能性が高いように思う。
外部からエネルギーをもらうというのは、何も、街中であるような手かざしじゃなくって、大丈夫?と言ってくれる人がいるとか、そういうことだ。
実際に中々そんな友好的な人間関係が身の回りにあるとも限らないので、他にも色々手を考えておく必要がある。
たとえば、好きな映画を見るとか、猫を抱っこするとか、美味しいケーキを食べるとか、友達としゃべるとか、何でもいい。
この痛い段階に必要なものは、一見、「軽い」と見られるような、いわば「気を紛らわせてるだけジャン」的なもののほうが有効だと思う。
この痛みの段階にある自分に、向上心を持てとかそんな、自己啓発物はムリムリ。
まずは、このパニック段階を脱して、冷静になることだ。
そのためには、一見くだらないことでもなんでもいい。
大事なのは、この痛みの段階にある自分にとって、(その場限りの応急処置として)何が効果的なのかを認識しておくこと、そして、準備しておくことだ。
私の場合はやっぱり人に話を聞いてもらうことだ。
あと、マッサージしてもらうこともとても良い。
この段階の応急処置は、次の学習の段階へとつながるものだから、実は、大切なんだと思う。
さて、なんとかパニック状況を脱したとする。
ここでは少し冷静に、なぜそんな失敗をしてしまったかの分析から始まり、もう少し上位概念(私の場合で言えば、最後の詰めが甘い!)を引き出し、それに対処すべく方策をいくつか考え、今後に生かすという大事な振り返りがある。
今回の大失敗の原因だけじゃなくて、原因の原因というか、大きめに失敗の原因をつかんでおく必要がある。
類似の失敗を今後も起こす可能性があるのだから。
あと、今回のような失敗をしなかったらどんなメリットがあるのかもちゃんと認識しておく必要がある。
たとえば、今回みたいな失敗をしなければ、自分の上司のことをこれ以上悪く思わなくて済むだろうし、人のせいにしなくて済む、人を嫌いにならなくて済む、余裕を持って振舞えるとより有益なアドヴァイスを引き出すことが出来たかもしれない。などなど。自分のことを考えてもたくさんある。
こういう見方をすると、物事をより多面的に把握することができる。
ダイエットに失敗ばかりの自分が言うのもなんだけど、もし今より5キロやせているとどんないいことがあるのか、認識が甘いんだろうと思う。
さらにもう一つ。
うまく行っているときにこそ、自分の弱点を補ってくれる策をいくつも探して準備しておくのだ。
たとえば、自分の詰めが甘いことがわかっているのならば、普段から、緻密な人を見つけておくべきだ。
別にその人と仲良くならなくてもいいから、ちゃんと適任者を見つけておく。
で、いざという大事なときに、自分のそばにいてサポートしてくれるように頼む。
こういう、うまくいっているときにやることっていうのは大事だなと思う。
病院探しもそう。
リスク管理といえるのかな。