はてなキーワード: トシとは
三年前の夏、職場を一人の女性が去った。仮にミカさんとしておこうか。
一応辞表を提出した形だが、半ばクビだった。
ずばり、よりによってクレーム対応の場で自分のことを「ミカは‥‥」と言ってしまったのだ。
「ふざけているのか」「おちょくっているのか」とお客様の怒りは頂点に達し、
さらに「あんな小学生のような人間をよこすとはどういうことだ」と本社に怒鳴り込み。
彼女は会社を去った今でも、いいトシして一人称がミカだった人(笑)として語り継がれている。
人は混乱したり追い詰められると、必ず、本当に必ず、素の自分が出る。
マジメな場では「私」って言うから良いもんねw とのんきに構えているそこの貴女。
第一志望の面接の場で、上司との面談の場で、お得意様との取引の場で、絶対に失敗が許されない極限状態で、
普段使い慣れない「私」がすっと頭から抜け落ちて、慌てるあまりうっかり「○○は…」。
あっ!というカオをした自分と、鬼のような形相で睨む相手、青ざめる周囲。
場の凍り付いた空気を想像してみてください。ちょっとリアルに想像してみてください。
想像しましたか?絶対にこんなの嫌でしょう。そうならないという自信、ありますか?
「あいつ自分のこと名前で呼んでキモイよなwww」って言われてるから。
普段仲良くしてるお友達も、
2005年9月3日に行われた2006 FIFAワールドカップ・アジア地区予選 5位決定戦のウズベキスタン代表-バーレーン代表戦での誤審(本来、PKの蹴り直しとなるところをルール適用のミスで相手の間接FKとした)により、FIFAとAFCから国際審判資格の無期限資格停止処分を受けた。当該試合は後日、再試合となった。 なお、当該試合はFIFAが再試合を実行した、唯一の試合となっている。
「プレーに関する事実についての主審の決定は最終である」とするサッカーの競技規則を覆して再試合が行われたことについて、2006年1月17日の朝日新聞のコラム内で、「今後判定を覆すことを認めるルールができるなら、『トシズ・ルール』と名付けてもらい、歴史に名を残したいぐらいに考えていた。」と語っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%AF%BF%E5%85%89
ちょっと調べてみて、こういう事例を見つけたんだけど
それでも高体連には権限がないの?
ていうか結局主審はそんなに絶対じゃなかった…
たとえ話みたいなことしたら再試合だわ
最近はてブで高岡英夫関係のエントリが上位に来ているのをよく目にする。
コメントを読んでいると、割とナイーヴに受け止めている人が多いようだ。
別に高岡英夫の理論が間違っているとか、体操の効果がない、とか言いたいわけではない。正しいかもしれないし、効くかもしれない。
ただ、ニセ科学批判の好きな人が多い一方で、高岡英夫(や、似たようなオッサンたち、さらに言えばスピリチュアルくさいライフハックやら)が割とすんなり受け入れられてしまうのがちょっと不気味なのだ。
最近はどうなのか知らないが、武道・格闘技にやる側として関わっていた人なら、高岡英夫の名は小耳に挟んだことのある人は少なくないと思う。一時福昌堂系の格闘技雑誌などによく登場し、ディレクトシステムなる理論だか図面で、色々な達人の動きを分析してみせていた人だ。ヒクソンのDSとかいうのもあった。人体に色んな線を入れた図面なのだが、こうした図は高岡の特殊能力(?)で読み取られるものらしい。さらに、宮本武蔵のDSと称するものを一億だか一千万だか、ものすごい値段で売っていた記憶もある(値段はよく覚えていないが、とにかく破格だった)。
高岡英夫の話は、一見もっともらしい。わたし自身も、一時期興味を持ち、「統一棒」なるすりこぎみたいな棒を買って練習していたことがあるくらいだ。
武道・スポーツの話をするのに、東大出のオッサンがソシュールだの持ちだして理屈をつけて語る。しかも結構説得力がある。割と賢い目のアスリートたちが魅了されたのにも訳はあるのかもしれない。
しかし、もっともらしい理屈を語るだけなら、この世界では珍しい話ではない。理屈の筋が通っていることと、実際にスポーツ理論として機能することの間には、かなりの溝がある。
格闘技ファンの中では伝説的な怪しいオッサン、堀辺正史(追記:名前間違えてました、スイマセン)だって、初期の頃の本はとても面白かった。多分中国拳法の理論を色々継ぎ接ぎして組み立てたのだろう。特に伝統武術系をかじったオタクの心には、グッと掴む不思議な魅力があった。その後の堀辺氏の凋落ぶりは、格闘技ファンなら誰もが知るところである。
吉丸慶雪なども、理論だけならかなり魅力的だ。理論書好きの武道オタクにはたまらないものがある。わたしも持っている。
この辺のおもしろさを全部認めた上でなお、この人達が実際にこの理論に基づいて強いのか、あるいは弟子たちがこの理論で強くなったのか、というのは、全然別問題だ。
武道やスポーツの理論書というのは「ツボ」があって、そこをうまく押す文章を書けば、ある種のオタク系アスリートをひっかけることは容易いのだ。
中国武術系などは、理論が非常に発達していて、とても面白いのだが、この理論通りにできるかというと、必ずしもそうではない。理論を実践につなげる訓練がないと役に立たない(ただ分析の役には立つ)。この辺は「戦う編集長」山田英司氏などがよく語っているところだ(山田氏には直接お目にかかったことがあるが、別に達人ではないものの、本当に強い。トリックと口ばっかりの中国武術家では全然ない。普通に喧嘩の強いオッサンだ)。
大分話がズレてしまったが、高岡英夫も似たような部類のインチキくさいオッサンだということは、よくよく認識しておいた方が良い。
繰り返すが、彼の理論や体操が無効だと言いたいのではない。実際意味があるかもしれない。少なくとも読んでいる分には面白い。面白いからこそ危ない。おまけに彼の商売は相当えげつない。人間的にはまったく信用ならない人物だと思う。
ついでに言えば、堀辺氏も、本人は(若い頃は)本当に強かったのだと思う。動きのキレが確かに違う。しかし別に彼は、彼の理論で強くなった訳ではないだろう。また、その後のコロコロ変わる態度や凋落ぶり、道場生に対する不埒な行いの噂を聞けば、人間的には信用ならない人物に見える。少なくともわたしなら近寄らない。ビデオは見たいが。
ゆる体操がビジネスに効く!とかノセられているライフハッカーたちは、その辺をどう受け止めているのだろうか。
ニセ科学は許せなくても、科学の名を冠したり、科学くさい言葉遣いをしていなければ、一転無防備なのだろうか。
科学者が一般書を書くと、せっかく面白いことを書いてきたのに、最後の章で哲学やら政治思想のようなものを書き始めて、これがびっくりするくらいナイーヴで幼稚なことがある。それと同じようなものなのだろうか。
全部わかって乗っているなら止めないし、実際個人的には、高岡のようなパチくさいオッサンが多少世の中にいるのはむしろ面白いと思ってはいるのだけれど、運動音痴科学好きのライフハッカーが、ナイーヴにコロコロ転がされているのだったら、他人事ながらちょっと心配だ。
せめてニセ科学に対するのと同じ程度の警戒心は持った方が良いんじゃないか。
あるいは、それくらいの寛容さとテキトーさを、ニセ科学にも適応してやってくれないか。インチキくさいものが多少あった方が世の中面白いし、高岡にコロっとやられている人をこうして眺めるように、ニセ科学にまき上げられている人たちも「アホやなぁ」と「寛大」に眺めてやったらどうだろうか。
いやまぁ最後はイヤな言い方してごめんなさいだけれど。
なんか、何だろ、この気持ち悪さ。
例えばヤフーのトップに出てるビデオカメラの動画広告。こども撮り三原則ー! とかやってるやつ。
なんか小学校低学年くらいの女の子がクラスのみんなの前に立ってビデオのいいとこアピールしてる的な。
あれきっとシチュは授業参観に学級討論ぶつけた感じで「わが子らの! ちょっといいとこ見てみたい!」な親の欲望を「見るだけじゃなくて撮っときたい」っていう風に持ってくつもりなんだろうけどでもなんだろうなんなのこのもやもやする感じ。
あれターゲット間違えてね?
あるいはモノを間違えてる。
あの広告って子ども宛だよね、本来。「子どもでも撮れる! ビデオカメラ」みたいな。
いやその路線でビデオカメラが子どもの興味を引くかは別として、そういう文脈じゃね?
作った側が想定する主な商品使用者層(=購買対象層)と同じ属性のキャラクタを使ってアピールする手法でしょ。
何でそこで背後に親置いちゃったの? っていう的外れ感がすごい。不快。
「わが子の活躍をキレイに!撮りたい」という親の欲望はある程度共通だろうけど、じゃあそいつがそのままひっくり返って子どもから発される声であるかってそんなわけないやん……っていうのがすがすがしくも無視られてる感じが不快。
あとヤフーの広告と言えば新築マンションの動画広告もキモイです。「結婚!」「子どもが生まれる!」「頭金が貯まった!」「もういいトシ!」みたいなやつ。
母はいつもそうだ。
カレンダーに勤務時間を書いてるのに、「今日何だったっけ?」って聞かれることが続いたから
「覚えろとは言わないからカレンダー見たらいいのに」と言った。
お母さんが何時に帰ってきてると思ってるのーもうトシなんだからしょうがないでしょあんたにはわからないわー
そう言ったら「今日何?って聞くくらいいいじゃない、そんな会話までなくしたいの?」って、そういうことじゃねえよ。
いつの間にやら「あんたたち姉弟は仲悪すぎ」って話になって、「家族だからって仲良しばかりじゃないよ」と返した。
「別にお母さんのせいじゃないよ」と付け加えた。
そしたら「お母さんのせいだよ」。あーやばい、スイッチ入ってしまった。違うと言っても「お母さんのせいだから」攻撃。
いつもそうだ。むやみに自分に荷物を背負わせて、自分が悪い、自分のせい、って主張しまくる。
本当はそんなこと思ってない。違うと言われたいだけだと思う。それでも尚言ってくるのがよくわからないけど。
自分がいちばんかわいそう、になりたがる。何かにとりつかれてるみたいで気持ち悪い。
実際母は遅くまで働いてるし、食事もちゃんと作ってくれてる。
ちゃんと手助けできるように本当に頑張らねばと強く思うけど、こういうのは心底めんどくさい。
国を愛するのはよいが、熱狂的なナショナリズムはたいていの場合ファシズムを伴うから嫌いだ。
自分たちを同じように愛し、同じようにやり、同じような反応をしなくてはいけないように言ってくるのが気持ち悪い。
そもそもからして、その地位に必要な共同体への義務さえ果たせば、そんなことを他人に強制されるいわれなどないはずなのに。
彼らはまるで、学校でヒステリックに叫んでいた女学級委員長のようだ。
なんでまた、学校時代のような度を逸した共同意識への強制を叫ばれなくちゃいけないのか。
なにより気にくわないのが、みんな一緒じゃなくちゃいけないという意識だ。
普段の時には、そっちから一緒になるのを拒否してはぶっておいて、そんなことを言い出す。
そちらから手を払っておきながら、手を繋いでない奴がいるとか言い出す喜色悪さ。
その話は置いておいても、最近のナショナリズムというのは、バカにする文化から来ているような気がしてしまう。
愛していると言うよりも、寄っかかっている。
だいたいからして、最近の日本人は中国人化、韓国人化が進んでいるように見える。
中国人や韓国人が帰化した日本人が増えたという事じゃなくて、日本人が三国人化してる。
ちょっと前までは中国韓国人しかやってなかったことを、カウンターとでも言うかのように、同じようなことをして返している。
将来を考えないただ叫ぶだけの浅薄な愛国心。薄っぺらい自尊心。
貧民のような守銭奴根性。村農民出のような強制する共同体主義。
昔は脱亜して入欧しようとしてたのに、わざわざアジア式に染まっていって、なんの得があるのか。
「危ない話」の広瀬隆氏あたりが有名だけれども、
http://www.geocities.jp/goki_con/e/54.html
オイラは小学校低学年頃で、残念ながら、その頃の記憶はまったくない。
幸福の科学がフライデー被害者の会を名乗ってデモや訴訟をやる騒ぎがあり、
(ちなみに当時、ビートたけしは俺は加害者の会だ、という冗談を言っていた)
この件で彼のことを初めて知った。
その後も、彼は料理の鉄人あたりに出演していたし、
直木賞受賞作である、「遠い国海から来たCOO」が映画化されたこともあって
(日テレ40周年で製作された角川映画なんだが公開が春樹氏の逮捕と重なった!)
どんな人だろうと気になり、彼のエッセイを読み出したのだ中学3年~高1のころ。
ちょっとオトナな話が多いので、オトシゴロのオイラはすぐに引き込まれていった。
反原発の話題も多かったが、科学の子(もちろん学研的な意味で)を自負していた当時のオイラは、
(その後、核をテーマに「パンドラの選択」という小説を出されるのだけれども、これはあんまり面白くない)
3.11の後、ふと読み返したくなって、中古本を買ってきたのだが(残念ながらほとんどの著作が絶版)、
週刊朝日での連載をまとめたエッセイ集では、原発関連企業のCMにはでません!なんて話があって、
勝間和代の一件もあって非常に興味深い。
さて、景山さんは、放送作家出身で、
昭和40年代の日本のテレビ業界を扱った長編小説の「ガラスの遊園地」がある。
例の、「テレビは真実を伝える」「NHKはどこにいる?」発言のシーンだ。
ここで、ある登場人物が「最後の最後になって、佐藤首相もとんでもない名言を吐いてくれたんだね」と解説。
学園紛争の映像に作り替えてしまった映像を見た話を主人公にしてみせる。
ナレーションやコメントを付け加るだけでなく、編集して発言の順序を入れ替えれば、
この後、テレビを見て育つようになれば、日本人はフィクションとノンフィクションの区別がつかなくなる、という話が続く。
この話を読んで、オイラはとても背筋が寒くなった。
指摘されたとおり、自分は無批判にテレビが伝えることを信じてしまっているではないか!
さて、最近、この話を強烈に思い起こさせる一件があった。
我が郷土、福岡選出、部落解放同盟のプリンス、松本龍氏の言動と
それをめぐる報道だ。
http://www.youtube.com/watch?v=TpvGCRA4228
http://www.youtube.com/watch?v=rCuBxebD4-Y
・地元漁協が強く反対しているこにも関わらず、知事が漁港集約を進めようとしていること。
この2点を知っていれば、だいぶ受ける印象が違うのではないか?
あれって本当に「叱責」?
この剣幕に知事もおもわず苦笑い、ぐらいのコメントだったら、はたしてどうだったか?
オイラはあまり松本龍に好意的な印象をもっていなかったのだが、
この件ではついつい同情してしまった。
最近p_shirokumaさんという人のダイアリエントリを何度か読んだ。
率直に言ってあの人は心を病んでいると思う。
彼のエントリを読んだことがある人なら皆知っているだろうけど
彼の書く文は何の話でも何の評論でもほぼ必ずオタク叩きに繋がる。
主にオタクの社会性欠如についてだけど、それをなにか分析している風にDisる。
世のあっさりしたDisとは一線を画す粘度と執着力・持続性があって、
本人の中の簡単ではない鬱屈や執念が見て取れる。
病み方として珍しくないというのは
私よりひと世代上のオタクがああいう「オタクとしての自意識」に大変に苛まれた世代だった。
何度も見てきたからあの感じはすぐにピンと来るし、その人の世代までわかる。
きっとp_shirokumaさんもあの世代(現在30代中~後半ぐらい)だと思う。
もうすぐ30になる私の世代はあの発狂にはついていけず、発狂の理由もついに肌での理解はできなかった。
常に自意識の問題として苛まれ、勤のせいで迫害も激しかった世代。
あの世代の人達が「オタク同士で社会性を張り合う」という不毛などんぐりの背比べをするのを私は何度も見た。
「俺はあいつよりはましな服」。「ちょっと〇〇と一緒に居るのは恥ずかしい」。「このアニメを消費する人間性とは」。
仲良くすればいいのに。
p_shirokumaさんはあの世代の帰結の型のひとつとしての
「オタクをやめることが出来なかったけど
パターンなのではないだろうか。
オタク嘲笑の恐怖に晒されてた学生時代の心の張り詰めを今も保ち、
「オタクのみっともなさ」や「『オタクださ!』とバカにされること」を強烈に意識して恐れ続けながら、
それでもオタクをやめたり離れたり出来ない人が
どう生きていくかと考えたときに
・精神科医の名乗り
というのはほとんど逆算的に導き出されるといっていい必然のスタイルではないか。
「オタクの話ばっかりするけど自分自身はああいうのとちょっと違うんです」という説明と釈明と予防。
あの世代に大量にいた、「俺はもうオタクじゃないけどオタクって奴らはさあ…」という話ばかりする人、
我々やそれ以下の世代は
また、更に上の世代になるとやっぱりそういう自意識とはちょっと違うらしい(オカダトシオなどを信じれば)。
そうするとあの世代は、変わっていく世代と世代に挟まれ、同世代では同士討ちを繰り返す、一番苦しんだ世代なのではないだろうか。
私は中高生時代にゲームセンターであの世代と知り合い、交流した。
変な長髪を縛ってる人がよくいたのもあの世代までだった気がする。
いろんな癖はあるけど楽しい先輩達だったことを思い出す。
こういう記事を読んでちょっと気分が落ち込んだので愚痴ってるだけ。
http://cobs.jp/learn/study/mba/bn/4_1.html
よーし俺も東大はいって人脈作ってホリエモンみたいに一旗あげてやるぜフッヒー!みたいに思う人いるかもしれんけど
そもそも毎年何人が東大やら兄弟やらMBAに行ってると思っているのか。
そのなかでホリエモンとまでは言わずともベンチャー立ち上げて生き残ってるやつがどれだけいるのかと。
私も○大行って、MBA行ったし、そこそこ成績も優秀だったけど(ちなみにこの世界で「そこそこ」ほど意味のないものはない)
そして、そこで友達を作っておけばよかったといま心底後悔している。
○大ではコンプレックスを感じて友達を作れなかったが、それでも今いる環境よりはずっと楽だった。少なくとも呼吸はできた。
コミュ力なくても(アピールさえすれば)能力があれば存在くらいは認知してもらえた。
今のぬるま湯的でやる気がなくて周りの空気読み合うばっかりの環境は息がつまる。
「6.11新宿・原発やめろデモ」において発生した、20歳学生に対する集団リンチ
「6.11新宿・原発やめろデモ(http://611shinjuku.tumblr.com/)」において、20歳の学生に対する、集団リンチ事件。
「ヘイトスピーチに反対する会」有志
柏崎正憲 栗原学 常野雄次郎(@toled) ほくしゅ(@hokusyu82) 山口素明 ほか2人
生活を基盤においた宗教と「俺ルール、俺イデオロギーに固執すること」には天地の差があるっつーの。
反原発も原発推進も、どっちも宗教人よりはるかに劣るただのバカ。
しかし熱心なバカは純粋に社会にとって確実に有害。すぐに射殺するべきって昔の偉い人が言ってた。
わたしにとってこいつの最大の問題は原発でいまも頑張っている人を棄民として呼ぶことよりも
宗教そのものに対して極めて無知であり、凄まじい偏見を持ってることじゃ。
宗教って言えばなんでもありと思ってるのが宗教そのものに対して侮辱的。
左翼とか右翼みたいに規律や組織を持たない無秩序で破壊的な活動に比べたら宗教のほうが数倍マシだよ。
noiehoieに限らず他の奴も、「こいつ宗教だな」で納得してんじゃねーよ。
こんないいトシこいて触れるものはみな傷つけるぜ的な中二病を容認したりしないよ。
他人を傷つけることをなんとも思わない奴が宗教でうまくやっていけると思うな。
もしこいつが宗教団体を名乗って活動するなら破防法一発アウトだよ。
こいつがバカであることが先であって、バカがたまたま反原発に与してるだけだ。
原発推進とか段階的撤廃案唱えてる奴でもバカいっぱいいるだろうが。
あくまでこいつがただのバカなのであって反原発とこのバカを一緒くたにすんな。
俺の部署に若い女性が臨時で登場してきた。胸は控えめだが可愛い女性。んで、俺の仕事を教えることになった。
で。他の男性の先輩たちが色々煽ってくる。メアドを聞けだのデートに誘えだのヤっちゃえだの。
まぁそういう関係になれたら楽しいだろうなぁとは思うのだけれど、そこまで積極的に行く気にもなれず。ガッついてると思われるのもアレだし、かといってガッつかないと発展はしないし。でも今の関係をぶち壊すと仕事するときにぎこちなくなりそうで面倒くさいなぁと思ったり。
そもそも、女性を口説いたことが無いのでどうやったら良いかがさっぱり分からん。いきなり食事に誘うもんなの? それともいいトシしたおっさんなら若い女性は会って数日で食事に誘うのがマナーなの? 特に行きたい定食屋とかないんだけど。
まとまりが付かなくなりそうだからとりあえず情報を整理してぶん投げる。
現状:
俺自身は恋人が居たことが無い非モテ。恋人が居ればいいなぁと思ったこともあるが、今となっては「恋人に時間割くぐらいだったら趣味のほうがいいよね」と思う。20代半ば。友達は殆ど居ない。
臨時で入ってきた女性社員は俺のことをなんとも思ってない。会社の先輩は俺がその女性社員とくっつけようと煽る。その女性は、今のところ同じ部署だけどいずれは違う部署になり、尚且つ再び同じ部署になる機会がほとんど無い。けれども、現状から悪化してしまう程度にアプローチするとギクシャクして仕事しづらくなるのではと危惧。現在その女性と同じ仕事をするようになって2・3日目。
特に何かしたいわけではない。休日にどっかにご飯を食べにいけるなら嬉しいが、そのために仕事でギクシャクするリスクがあるのならば現状維持(=何もしない)方がマシなのではないか。
が、何もしないでいると会社の先輩が煽ってくるので上手く交わせず、苦笑いしか出来ず、精神的にストレスがたまる。現在進行形で。もういいよ放っておいてくれよ1人でもいいじゃねーかって言いたいけど、職場では一番下っ端なのでそこまで強く言えないし、言った後に空気が悪くなるのが嫌だ。
勝利条件:
どちらかを満たせば俺の勝利
1.新しく来た女性社員と友達になる。具体的に言えば休日にご飯を食べに行ける程度に。
予想されうる結果:
今時珍しい(?)、他人の車を羨み蔑む同僚に対してどう振舞おうかという話。
移動は主に自転車や電車。車には興味もなく、特に乗りたいとも思わず、
19才で一応免許は取ったものの、ペーパードライバーとして過ごしてきた。
けど、都会と違って地方は足になる車がないとなかなかキツくなってきたのと、
業務で取引先等に行く際に社用車に乗る機会が出てきたので、さすがにペーパーの
ままではまずいなと思い、半年前に自分の車を買おうと思い立った。
中古で、予算は150万円以内。いい車はないかなーといろいろ物色していたところ、
ある日、毎日通勤で通う道にあるマツダディーラーの中古車展示場に置いてあった
ロードスター(NC1型)を見て一目惚れ。もうこれしかないと思った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC#3.E4.BB.A3.E7.9B.AE_.EF.BC.88NC.E5.9E.8B.EF.BC.89.282005-.29
後付で、買いたい車の条件として考えたのは以下の4点。
1.マニュアル車 → 最初に乗らないと、この先もう一生乗らないだろうと考えて
2.外観がカッコいい車 → スポーツカー or スポーティーカー
3.運転していて楽しい車 → 絶対的な速さは求めない。ハンドリングに定評のある車
4.若い今しか持てない車 → 2シーターでもOK。実用性はあまり考えない
で、ネットで探すこと約2ヶ月。マニュアルで、運転席がフルバケットシートの
ソフトトップ(幌)車を買った。最初はエンストや坂道発進でいろいろつまづいたり、
あまりに荷物が載らないことに戸惑いつつも、最近はようやく運転にも慣れて、
ビギナーなりに運転を楽しめるようになった。
問題はここから。
会社の同期の1人が、事あるごとに自分の目の前であからさまにロードスターの悪口を言う。曰く、
「荷物が載らない車なんて意味あるの?」
「こんなクソかっこ悪い車良く乗ってられんな」
「リクライニングできないシートなんてクズだわ」
買って間もなく助手席に載せたときは、自分はまともにマニュアル車を運転できないのに
「シフトチェンジがまだまだ」と評論したりと、まあ散々な言い様。
きっと羨ましいからわざとこんなことを言っているんだろうと好意的に解釈しているものの、
自分なりに考えて選んだ、アイデンティティを反映したモノを思いっきり否定されるというのは、
なかなか応える。
でもその一方で、友人のコンパクトカーやミニバンに乗るたびに、実用性の高い車にこだわる
同期の言い分も理解できる。不便なのを織り込み済みで乗っているが、かといって趣味車万歳と
開き直れない自分がいる。
今年の4月頃、配属された時には、この分野、面白そうだからがんばろうと思っておりました。
無事に、まともに論文になりそうな、ブツを考えて、あれこれ教授とやりあっておりました。
そして、結局、タイムアップになり、いくつか候補が出ていたなかの一つにキマリました。
その決めた物は教授から、これでやってみたらどうかね?ということでの決定であります。
決まったので、そのまま、進めたのであります。
そしたら、いざ論文書くにあたって、目的は何で、何を解決したくて、やったのか?
これ作ったのは、従来の◯◯の方法よりも△△の点で優れているという売りが自分でわからなくなってしまいました。
それに、評価実験による証明も非常にしにくそうな物になってしまいました。
つまり、物だけ出来上がったのであります。
しかし、作ったものについてはかけるが、それを論文の形式にまとめるのは今の自分の脳味噌だと、どうしてもなんともならないのであります。
さて、こんな時、教授に、どうしたらよいか?と聞いてもいいのだろうか。
いや、聞くしかない。だけど、自分で言い出したんだから、最後まで自分でオトシマエ付けないといけないのだろうか。
教授はゴーサインだしたけど、考え出したのはお前だろ。そこはお前がギリギリまで考えて、何とかするところだろ。って言われないだろうか。
いや、つまり、俺、どうしたらいいの!
もうやだ、誰か、俺が取るべき手段を教えてくれ!!