はてなキーワード: デジャヴとは
乙武氏周辺騒動のアレコレを見ていて思ったことを。傍観だけど。ツイッターのアカウントないから。
具体的にはこういうの。
基本的には自分は乙武さん批判派っつうの?きのこ派?っていうのか?探耽求究さんという人がものすごいド正論言ってるように見える派っぽいなという自覚があるんだけどたけのこ派の批判が嫉妬がどうとか努力が足りんとかばっかりで全然クリティカルにキてないのでなんか延々もやもやしていて、
そこでふとこれを見たらちょっといろいろ繋がった。
kyamonohashiというひと?のツイート、
手足が無くても頑張れる、と言う希望を示そうとしている乙武さんだけど、例えば手足の無い他の方がそれを見て「あいつは恵まれてるから」「例外だから」と妬んだり嫉んだりする可能性だったあるにはあるのか。
手足がなくても頑張れる、という希望がおおっぴらに晒された時、「手足がなくて頑張れない」人間はどういう立場に立たされるかっつうと、努力が足らん根性鍛えなさいの精神論教信者に食いつぶされる側にしかなれないんだよね。それか従来の「かわいそうな障害者」枠。
現に乙武さん応援派で非乙武さん的障害者をそこから出してやろうとするやついねーじゃん。むしろみんなそこへ叩き込もうとばっかりしてる。
だから叩き込まれる側は、大人しく叩き込まれるか、「努力が足りない」とかいう問題じゃなくて向こうが恵まれてんだっつうのー!という論を組むぐらいしかなくなる。
「恵まれてる人を妬んで、それで誰が幸せになるの?」とかほざいてるのがいるけど、少なくとも不幸自己責任論の渦中にブチ込まれるのは回避できるよ☆
恵まれてない人は恵まれてる人と違って、誰も助けてくれないという点でサイコーに恵まれてないことがほとんどだと思うんだけど、
誰も助けてくれないのならば自分で自分を助けてやるしかないじゃないか。
っていうのをなんか判ってないしたぶん許さないのですねたけのこ派は。妬みとか言っちゃうんだもんね。
うぜえだろうなあ。
「誰も助けてくれないのなんて当たり前、みんな同じ」「そこで助けてって言ったり、障害を個性にしてネタにするくらいのとっかかりを作ってくれないとこっちも手が出せない」とか言う奴が出てくるよ。出てくるっていうかすでにいるのよこの胸の中に。
一匹ならともかくハエの群れのようにわんわん湧き出てきて声が延々こだまするのよ。
えー話を戻すが「そこで助けてと言えない、ネタにできない」ってとてもデジャヴなフレーズじゃございませんか。
そう、ちょっと前のNHKの三十代無職男性が生保とれないだの餓死するだのっていうあの騒ぎでございますよ。
言えねんだよな。何故か。何故だか。いや何故って他人の負担なんかなりたくないからに決まってんだが。
何なのかな。何なのでしょうかねこのテニスボールをネットのあっちとこっちに分ける何か目に見えないくせに決定的な要素のようなものがある感は。
ジョジョだっけこのボールがどっち側っての。ジョジョでは「運命」だったっけ?
何処ってそりゃボールの落ちどころがどっち側でもいいようなところに決まってるんだけど、それはつまりたとえばこの俺がネットの両側を行き来できる必要があって、最悪俺一人でもラリーをかませるようなことになってないと話にならんのだけど、たとえを外すと要するに「お前助けるのなんか別に負担じゃねーよ」っつって軽々と誰かに手を差し伸べられねばならないってことなんだけど。その手を払いのけられること前提で、手がダメなら他のもの、人脈でも金でも選挙権でもなんでも使ってやらねばならないってことなんだけど。
なんか乙武さんには無理そうですね。手ないし。物理的にもないけど、いじめられっこに関係するツイートがアレじゃ義手つけても厳しい。根っこがアカン。
いやその実俺にもムリだけどね。少なくとも人脈と金と選挙権は厳しい。
ツイッターもミクシーもフェイスブックもやってない真性ぼっちのワープア、しかも都政はあの小心者が担うのを食い止められなかったレベルの一票。
正直に言うと手自体厳しい。ワープアは身体と心が資本なのに手を払いのけられるついでに豆腐メンタルが潰れそうで、いちいち成形しなおすのに他人の手が要るレベル。
でも「誰も助けてくれない」。いやいいけど助けとか。俺の豆腐はまだ平気なんで、誰か他の砕けたガラスハートの欠片を集めて火にかけてまた作り直してやっておくれ。
どうでもいいけど何か昔のディズニーアニメで一人ラリーするウサギいたよね。イソップ寓話アニメ化したやつで『ウサギとカメ』に出てくるウサギで、レースの前座に俺こんな足はえーんだぜーっつってカメに見せつけるためにボールより素早くコートを行き来してた。肝心のレースでは確かカメがクビ伸ばしてゴールインして勝った。
追記:
さらにどうでもいいんだけどツイートまとめ読み返してたらものすごい気持ち悪いのが結構いてマジ引いた。いわゆる「信者」ってやつですかあれは。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20110403124431
Midas ↓バカ勢ぞろい, デマ許すまじww これは「デマ」でなく民話。遠野物語に入ってるのと同じ心霊譚。
気付かれぬ死者が一定間地上をさ迷う。例・こんな所で誰それを見掛けるはずがないと不思議に感じ村へ帰ったらやはり亡くなってた。願望の逆投影 2011/04/03
これだった。
http://onlooker.g.hatena.ne.jp/syoboneko/20110326/1301135608
775:スペースNo.な-74 :sage:2011/03/26(土) 12:35:46.97
コミケにてとあるジャンルの本をいつも片っ端から買っていくので
ある時のコミケ、その人は何も買わずに
ジャンル島辺りを数回行ったりきたりしたのちいなくなってしまった
色んなサークルに姿は目撃されたが、本を買ってる姿を見た人はいなかった
「別のジャンルにはまったけど、気になってこっちの様子を見に来たんじゃ?」
という事で話はおさまったが
後ほどその人は病に倒れ、コミケの時にはとっくに亡くなっていたらしく
死ぬ直前まで「コミケには行きたいな…そして○○の本を買いたい」
と言っていたとその人の身内から聞かされた
で、あまりにもその人の姿(霊?)を目撃したサークルさんが多かったので
http://d.hatena.ne.jp/amamako/20110208/1297135716
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/amamako/20110208/1297135716
何かデジャヴを感じると思ったけど、アレだ。
ネットのヲタの「スイーツ()は俺達を敵視している」と言うのと同じ論調なんだなこれ。
現実にはスイーツ()はヲタの事なんて全く意識しておらず、ただのヲタの被害妄想、という。
サブカルばかり狙い撃ち?
そりゃ単に「サブカルに媚売った所でカネにならん」と言う商業的な理由でしょ。
景気の良い時代は企業もカネにならないものを受け入れる余裕があったけど、今はそんな余裕無いんだよ。
プラマイゼロくらいなら何とかなっても、マイナスになる可能性がある事は出来ない。
逆に言えばカネさえ儲かる事ならいくらでも手を貸す企業は出てくるけどね。
やっと気付いた。昔時々見た漫画ヲタによるコミックエッセイ叩きと似ているんだ。
「ボリュームも少なくて」「ページ数も少なくて」
「単純なクリックゲーでろくに内容も無くて」「適当に日常生活書き散らしているだけでろくに内容も無くて」
「開発費など大して掛けてないだろうに」「(アシも要らないだろうし)経費など大して掛けてないだろうに」
「高い有料アイテムでぼったくって」「普通のコミックスより高い定価でぼったくって」
「本当に面白いゲームを知らない情弱騙して」「本当に面白い漫画を知らない情弱騙して」
「ぼろ儲けしている。商売の仕方が汚い。許せない」
こうやって並べてみるとそっくり同じだ。
でも元々対象としている層が違うんだから、仕方ないんだけどね。
ソーシャルゲームやコミックエッセイはゲームヲタや漫画ヲタ向けじゃないし
それらの客はヲタがゲームや漫画に求めるものと違うものを求めて、その価格に納得して買っているだけだ。
これが目茶苦茶面白く、運動音痴の僕でもハマる面白さで、会う人会う人に啓蒙活動を行っているが、
結構な感じでみんなが食いついてくれて周りでバドミントン人口が増えたり、長い人生でこんなにスポーツに目覚めたことはなく、また、バドミントンの面白さはPGの面白さと似ている気がします。
そもそもバドミントンとは簡単に言うと、シャトルをラケットで打つ"だけ"のスポーツです。ただシャトルを打つだけですが、なかなかに奥が深いです。
タイトル通り、自分も含めた運動不足のPGにオススメしたい理由は、
1.社会人サークルの場合、大体ダブルスなので自分が足を引っ張るが、その場限りの組み合わせが多いので気にならない。
僕は観るのは好きですが、運動音痴なので野球とかサッカーとかやるのは周りの足を引っ張るのでそんなに好きではありません。
ペア競技なのに、自分のペースで進めることができ、友達に気を遣う必要がありません。自分の出来る範囲でゆっくりやればいいです。
なんか運動神経があればいいけど、無くても全然問題ないのが良いし、性別による有利不利もそんなにないです。
異性とペアを組む機会も多く、自然とコミュ力をつけることができます。
プログラムを書くときに自分のペースで何度も手を動かせば技術が身につくのと同じです。
2.ロジカルなスポーツ。
"力はいらない頭を使うスポーツ"
リストスタンド、ラケットの振り方、立ち回りなどなど、基本的なテクニックが数多く存在します。
例えば同じようにラケットを振っても、ラケットの当たる場所で、シャトルの軌道が変わったり、ちょっとしたことで楽にスマッシュが
打てるようになります。
「ひとつの親クラスから継承して微妙にしか違わない子クラスは必要なのかと思ったらやっぱり必要だった。」
と伝えたら上手く伝わりました。
オライリーの本を読んでちょっとしたコードを実践し、その後の生産性が高くなるのと同じです。
3.達成感がすごい。
1試合には、10分かかりません。
ですが、思った通りのショットを決めた時に、脳内麻薬がドバドバ出るのが分かります。
バドミントンは他のスポーツと比較して脳内麻薬が出やすい気がします。
僕はボタンを押すと脳みそに付いた電極で脳を刺激し気持ちよくなる猿と同じく、脳内麻薬を出して遊んでいますが、Mっぽい人には向いてると思います。
1日掛かってコード書いてた時の達成感がより短いサイクルでやってきます。
また、PGに多い文化系には少ない体育会系のノリというイベントがモリモリやってきます。
4.コストパフォーマンスが高い
たいていのサークルはでは入会金ゼロと1回300円ぐらいで運動できます。
週2で通った場合、週千円以下ですが、それよりもすばらしいのが、他にこれといって道具を必要としません。
必要なもの一覧
ぐらいで他に必要なものは合計3,000円以下で揃い誰でも参加できます。
自転車の様に何十万円もかからないのが素敵です。
コンソールがあればサーバで1日遊べるのと同じです。
5.人間改造っぷりが笑えます。
はっきり言って初日は、バッティングセンターで有料で素振りする人という悲しい思い出をデジャヴしました。
しかし、先生の方から、
「だまされたと思って、当てるのではなく、今は振りを意識しなさい。正しい振りなら力がなくても飛びます。あなたの振りはきれいです。」
と言われたので、セールストークですよね?って笑ってたら、2週間でたまに会心の一撃が出せるようになりました。
まだ2ヶ月ですが、体重も約1~2kg減で、痩せてきたのが誰の目に見てもわかるし、体育会系のノリの友達が少し増えました。
楽しく遊んでたらこんなに肉体改造できるのも楽しいし、このままではリア充になるのも時間の問題です。
久しぶりに会った友達には、
「そっちのほうが楽しくてこっちはどうでもよくなったのかよ。」
とまで言われる始末です。
※ 注意! 初日だけは筋肉痛で大変な事になり、僕は二日後に何もしたくなくなりました。
もう一つ大きな要素としては、ラケットを振るときの肩を回すことが影響していると思うのですが、何年も悩まされた肩こりが最近は全然気にならなくなりました。
そんな感じでバドミントンの面白さとPGの面白さは特に似てないけど、運動不足のPGのみんなには(PGに限らず)オススメなので、是非初めてはいかがでしょうか。
彼女が体を売ってみたのは一昨日のことです。
「勉強する気がわかない」
「塾いきたくない」
「セックスしたい」
「遊ぶ金ほしい」
「なにもやる気しない」
昨晩、居酒屋の次に誘われたホテルでこの辺りのことを聞きました。
はじめ拒否していた性交を自分から求められ、迷いつつもそうしました。
すべてが終わった後、彼女は度重なるデジャヴに頭を抱えていました。
抱くか抱かぬか、どちらが彼女のためだったか今でもよく分かりません。
ただ、できるだけ丁寧に、愛をこめて抱きしめていました。
髪も染めない、ごく普通の子なんです。
周りから天然と言われるけれど本当はいろいろ分かってる子です。
感情の触れ幅が大きいけれど、その分そばにいて飽きないです。
ですが、自己評価が両極端で、ひどいと天才か死にたいしかない時もあって不安でした。
死にたいとブログに書いたら親バレして逆上されてじゃあ死ねと言われた、そういってました。
それ以来、母親のことは信用していないそうです。
部屋が病的に片付けられず、そのためいつも揉めてると聞きます。
同じ家ながら、兄弟との会話はないらしいです。
こんな風に書くと病的っぽく見えそうですが、そんなことはありません。
おおらかでかわいくて、突拍子もつかない万華鏡のような子なんです。
「こんな状態でもおいしいものはおいしいんだね」
ラブホ前に寄った居酒屋で、好物の軟骨揚げをついばみながら言っていました。
それから、部活の後輩にもらった寄せ書きを僕に見せてくれました。
「『先輩がやさしくておもしろかったから部活続けられました、ありがとうございます』だって!いいこと書いてあるねw」
元気になるために持ってきたそうです。
笑顔でそれを眺める彼女を見て、どんなブラックユーモアだよと涙が出そうになりました。
そんな顔しないでよ、って。どんな顔ができるんだよ。
こういうとき、どんな気持ちになるのが正解なんだよ。
悲しむことも怒ることもできず、放心状態でした。
今でもそんな感じです。
こういうことをする、という話は散々聞いていました。
彼女には虚言癖のようなからかい癖があって、よく「他の男と寝た」といって惑わせては「うそだよ><」と謝っていました。
はじめの頃は毎回騙されて胸を痛めていましたが、だんだん麻痺してきました。
というより、胸を痛めないように考えすぎないようにし始めたんだと思います。
思えば意図せずに「そういうことがあっても胸を痛めない訓練」をしてしまっていたんだと思います。
今日一日そばにいて、なんだかんだで気持ちは持ち直したみたいです。
ですが、これからのために何かを考えなきゃなと思います。
なのに未だに何を思えばいいのかよく分かりません。
ただ、取り返しの付かない状態にしてしまった、何か出来たはずなのに、と後悔ばかりです。
死んで悔やみたい気分です。
何かを相談したいんですが、何を尋ねればいいかもよく分かりません。
先に、ちょっと吐き出したいんです。
平穏に暮らしたいだけなのに、自分の周りでおこる不可解な出来事。
その発端は、18年前の小学校の頃にさかのぼる。
あ、今、こんな風に書いているのは、もう間もなく書けなくなるから。
たくさんあるんだけど、全てはかけない。
あと少しでかけないから。今は急いで書いています。
全ては小学校の頃から。自分には弟がいて、夜は二段ベッドで寝ていました。自分は下で、弟が上で寝ていました。
今でも二段ベッドは使っていて、たまに弟が実家に戻ってくると上を使っています。
ある時、朝起きると自分が上で寝ていて、弟が下で寝ていたんです。
自分は下で寝ていたはずなのに。いつの間にか入れ替わっていたんです。
その後から、何度か奇妙な経験にあっています。
ゲーム販売店でスーパーファミコンのデモ画面を見ていたら、突如画面が崩れてカセットがぶっこわれたりとか。
知人は覚えていれば知っているんだけど、小学校の頃に無意識でボソッと「2010年には黒人の大統領が出てきて~」
と突拍子もなく言ってたことがあってオバマかアナンのことを言ってたりしたことがあった。
ドラム缶に手足がはえたロボットのこと、時が遅くなる最期の時のことも話していた。
デジャヴ的なものといえばわかりやすいんだけど、事前に「自分がある行動をすると相手がある行動をする」というのをわかったりすることがあった。
そういうときに限って、予知の内容と異なる方法をとっていたりしたんだけど。
事前に予知の話をしてしまうとその予知は必然的に異なる結果になることを知った。
で、いろいろと試してみたんだけど、逆らわない方が短期的に考えて結果がよかった。
最終的に予知の内容には従った方がよいことを知った。
こういうのを少なくとも経験した人がいたら、予知の内容には素直に従った方がいいです。
宇宙人とか幽霊を全部オカルトとかでまとめるのはおかしい話で認めたくないですけど、どっかで繋がっている気がしています。
宇宙人の存在がもうすぐわかるかもしれません。ちょっとだけ幽霊の正体もわかるかもしれません。
人間が目と脳を通じて見えるものってわずかなものですから。
査定者曰く「君の自己申告の内容は控えめだと思う。もっとやっているではないか。今後もこの調子でコツコツやってほしい」。
是即ちデジャヴ。自分の場合、査定面談になるとこのような無難なコメントをよく聞く。ああ、よくやってるのかな俺、評価されてるのかな俺、と思っていると、後日渡される評価の最終通達で泣きをみる。
そこには相対化されて「ごくごくフツー」の評価。しかも昇格見送り。
よくやっていて普通、ということか。これ以上の評価を得る術を知っている奴が笑うこの世の中。
自分の会社の場合、性格が明るくて、上司との距離がかなり近い人が有望。査定面談のたびに、自分はこの会社のコンピテンシーに合致してないんだろうなと思う。
その人いつもそんな感じの記事書いてるけど、何かデジャヴだと思ったらあれだ、よしもとばなな。
最近のおばちゃんはああいう感じの人が多いのかね。
本当に匿名なのかは分からないが、こういう場なので、あえてプライベートを書いてみようと思う。特に何がしたいわけではない。
さて、私は男だ。長男である。
父は厳格で、怒り出せば烈火のごとく怒り出す。
母は逆に優しく、甘く、父とは対称的な存在だった。
妹が二人いる。
ごくごく普通の家庭だ。
私は、力が好きだった。純粋な体力、腕力。
自分が力を誇示するということは、そういう目に見える力を使うことだった。
私は、思えば小学校のころから、奇妙なことを始めていたような記憶がある。
運命論を持ち出し始めた。「君がボールに当たったのは、はじめから決まっているよ」みたいなことを言っていた気がする。ことあるごとに妄想にふけり、アニメやマンガの世界に入ったり、「どうして自分はここにあるのか」とよく自問自答していた。
私は、小学校の頃からか、よく正夢を見るようになった。デジャヴュというやつだろうか。
初めは「あれ?」という感じであったのだが、いつしか「夢で見た」と感じるようになった。
ちなみに、今だに正夢は見る。毎日ではないが。
私はよくキレた。なぜかは分からない。だが、色々と気に入らなかったのだ。
私はよくはさみを投げた。よくよく考えると、危ない人間だが、当てる気はなかった。わざとあたらない様にはさみを投げていた記憶がある。
私は人を傷つけるのをよくためらった。どれだけ頭に血が上っても、人に手を上げることはなかった。威圧に留めるか、モノにあたった。おかげで、モノにあたるな、ものを大事にしろ、とよく言われた記憶がある。
私は、そういえば、人と違うな、と思ったことがあった。よくは分からない。だが、そう思った。
私は中学校の頃、よく暴れた。そして、よく教師に注意された。よく教室を抜け出した。何かをしたいわけではない。抜け出した。恐らく、空気が嫌だったのだろう。教室に居る人間一人一人の視線や、感情、色々と混ざり合って、嫌だったのだろう。
私は中学校の頃、自分の疑問を国語の時間の作文に記した。その疑問はその当時の私の想いに引きずられ、ネガティブになっていたが、疑問に思ったことを書き記したことは評価したい。「この世に意味はない。生きていても意味はない。どう生きようとも、死のうとも、死んでいるのならば、変わりはしない。恋愛をしようが、偉くなろうが、死んでしまえば一緒じゃないか。生きていることに意味はない。」こんなことを書いていた気がする。ちなみに、教師は「おかしな考えを持つ生徒」と父親に言ったが、逆に父親は激怒していたようだ。
私は中学校の頃、高校に進学する気などなかった。義務教育は中学校までなのだから、それ以降は働けば良い、と本気で思っていた。実際には敵わず、高校までの学歴がないと働けないことを教えられるのだが、それを教わるまで、なぜ義務教育なのに高校まであがらないと働くことも出来ないといわれるのか理解できなかった。そうした感覚は、ずっと引きずるものなのかもしれない。
私は高校の頃、「いい子」に専念した。自分でも理由は分からない。だが、「いい子」でいようとする気だけはあった。
私は高校の頃、「おかしくなった」。いい子でいた反動だろうか。部活動をやめたくてしょうがなくなり、つい「おかしな自分を装った」。ずっと人からの言動を受け付けず、過呼吸を繰り返した。果たして、病院へと連れて行かれ、「てんかん」と診断されるにいたった。
私は高校の頃から、薬を飲んでいる。正確には飲んでいた、というべきか。結論を言うと、正常な状態の人間に長期にわたって抗てんかん薬を投与されていた状態だ。別にそれについてあれこれいうつもりはないが、高校の頃は、まともに体が動かず、頭もほとんど回らない状態だったのは覚えている。何度か死のうと思ったこともある。
私は職業訓練を受けた。高校の頃の出来事で、就職は不可能と診断された私は、半ば強制的に職業訓練学校へ行くことになった。
私は職業訓練学校にて、社会というものをほんの少し教えられた。職業訓練をする人間は当然高校卒だけではない。失業保険を受けながら通う人間もいた。私がその学校で覚えたことは、専門知識というよりは、社会はこういうものだ、ということだったように思う。ほぼ周期的に飲み会が行われ、数千円単位で金が消えていく。アルバイトなどしたことがなかった私には、反発しか覚えなかったが、しかし、そういうものなのだと、後になって気づくきっかけとなった気がする。
私は今、ニートである。今になって気づいたことだが、私はニートだったのだ。
母親は病気である自分を責めはしない。むしろ私という枷が生きがいであるように思う。
分かっているのだ。今があるのは、過去があるからなのだと。
誰かのおかげで自分が居るのだと。
だが、自分はなぜここに居るのかが分からない。
何をすれば良いのかわからない。
働こうと思えば働ける。ちゃんとうまくやれる自信もある。
なぜか、働く気にはならない。
生きがいとはなんだ、なぜ生まれたのか、なぜ生きねばならないのか。
気づいたことがある。この世は未熟なんだと。
私を教育してきた、教師達、その一人一人ですら、所属によって歪められた個人であったのだと。
教えるべきものは、どうすれば生きれるか。そう、そうすれば生きれる。
だが、なぜ生きるのか、それは教えてはくれない。
教師は仕事で子どもにものを教えている。子どもが好きであっても、無償でなど、教えてはくれない。
生きるための糧が自分たちなのだ。
最近、私はよく顔が変わる。何故かはわからない。薬の影響かもしれないし、長いことニートをしていたせいかもしれない。
ただ、ハッキリしているのは、一人でもさびしくなくなったことだ。
さて、よく分からなくなってきた。そもそも支離滅裂なのだと、始めの行で気づきつつも、あえて書いてきた体たらく。
いや、他人に対して伝える、と言うことをサボってきた証というところだろうか。
誰かに言われた気がする。
「理屈ばかりこねている。あなたは何がしたいの?」
答えはまだでない。
だがまぁ、まだ自分が未熟だった頃に、
「死ぬことなどいつでもできる。迷惑をかけようが、自分勝手だろうが、死ねばなくなるのならば、自分で死期を感じる時まで生きてみればいい」
などと思ったことは、今尚私を愚生の中に誘うきっかけだったのかねぇ。
別に何がしたいわけでもない。
ただ、面白いほうがいい。
賀東招二と新城カズマ、二人のライトノベル作家が、「ストーリーはいらなくなるのではないか」ということをおっしゃったわけですが。
・実用書『物語工学論』でカットされた賀東×新城特別対談の中盤盛り上がり、どーんと一挙無料公開! - 散歩男爵 Baron de Flaneur (Art Plod版) http://d.hatena.ne.jp/sinjowkazma/20090905/1252143285
・賀「最近のアニメとか受けてるものととか売れてるものとか見てて、否定する訳じゃないんですけど、もうそれが受けてるんだったら、ストーリーとかいらないじゃんて。俺らが頑張る必要があんまりないというか。かわいい女の子が出てきて、よく動いてればいいんだったら出る幕ないなあ、というか」
・賀「実はストーリーって必要ない?」
・新「うん、あんまり必要じゃないのかもしれない。少なくとも、いわゆる古典的な構造というやつは」
・賀「今そこでかなり悩んでまして……」
・新「もちろん、それを必要とする人はいるんだけど、本質的に必要か?というと」
・賀「そうじゃないかもしれない」
なんのことはない、杉良太郎とか、野口五郎とか、草刈正雄とかのミーハーファンとおんなじ酔い方なのよ。そう、ミーハーなのよ。
ここ数年、そういうファンが劇場アニメの半分以上を占めているといえるね。そういうファン向きに、観客動員を計算してつくるとね、一般にアニメといわれているものの内容とは、ちょっとちがってくるわけだ。べつに動かなくってもいいんですよ。“口パク”といって、ただ人物が立っていて、口をパクパクさせているだけの動きでも、かっこよく美形で、声優がごひいきのタレントだと、「ムフフ、キャーッ」なんですよ。こういうお客を相手に、当分はアニメの企画をたてなきゃならんとなると、こりゃあ困るねえ。
もちろん、それ以外のアニメもありますよ……(引用者略)……そういうのに、ミーハーのドマニア達を呼びよせる方法はないものかねえ、ないだろうねえ、まず相手になんかしないだろうね。
似たような内容ですよね。自分が力を入れてやってきたことはもう流行らないんじゃないか、みたいな。
・賀東・新城「がんばってストーリーテリングをしても無駄。かわいい女の子が動いてればそれでウケるんだから」
・手塚「がんばってアニメを動かしても無駄。美形のキャラに人気声優が声をあてていればそれでウケるんだから」
作家がキャリアを積むとこういう不満がたまってくるのでしょう。
※ ※ ※
で、ハルヒなんですが。
・賀「ストーリーは必要なくなる。最近の系統ですよね。おなじみのキャラクターが出てきて、なんか話してるシーンがあるだけで。別に何か起きなくたってかまいやしないんですよ」
・新「最近のラノベの中興の祖みたいに言われてるブギーポップやキノって、実はむしろ昔ながらのタイプの小説なんだよね。ストーリーテリングの比重がでかくて。ハルヒや生徒会や、らきすた、けいおん!みたいな流れとは、間に分水嶺があるんじゃないかな。ハルヒも、1巻と2巻の間に分水嶺がある。1巻て実に古典的でよくできてる小説なんですよ。我々が言うところのストーリテリング」
私も、2巻を読んでこの小説はストーリーテリングを放棄したなと思いました。具体的には2巻冒頭の、キョンが真相を明かしてもハルヒは信じなかった、というシーンで。
そのため2巻以降はストーリーがまったく進んでいません。様々なエピソードを積み重ねてはいますが、どのエピソードも最後には1巻で提示された初期設定に戻るようになっています。
あとはもう、初期設定をイジってどれだけ面白いエピソードをひねり出せるか、ということでしかないわけです。
したがって、ハルヒ小説にストーリーが無いというのは同意するところなのですが、それが新しい潮流か、といわれると、違うのではないかと思います。
ストーリーが無い作品というは、マンガでは昔からあるおなじみのものです。「サザエさん」「ドラえもん」「うる星やつら」「忍たま乱太郎」などなど。(また、小説でも「フルメタル・パニック!」や「スレイヤーズ」の短編って、そういうものだったんじゃないでしょうか。「スレイヤーズ」は、長編が終わっても短編は終わらず、長編よりも短編の方が多い状態です。)(それと、テレビドラマなら「水戸黄門」があります。)
ストーリーが無い作品は昔からあるわけですし、また人気を博した作品も少なからずあるわけです。一部のストーリーが不要な作品が目に付いたからといって、ストーリーが“本質的に”不要であると考えるのは早計でありましょう。
ハルヒが本格的にブレイクしたきっかけは2006年のアニメですが、ハルヒアニメはTV放送時には時系列シャッフルをしており、小説1巻『涼宮ハルヒの憂鬱』の最後がアニメの最終回になるようになっていました。
“古典的”で“ストーリテリング”がなされている長編が、TVアニメシリーズの軸になっていたのです。(長編の間に短編が挿入されるという構成は、富士見ファンタジア文庫の長編と短編の同時展開を彷彿とさせます。)
時系列シャッフルにより、視聴者は時系列順にみていくよりも謎が多いように感じました。アニメは原作よりも歯ごたえのあるストーリーを展開をしていた、といえるでしょう。
ハルヒシリーズがブレイクしたきっかけはアニメであり、そのアニメは原作のストーリーを最大限に活かすような構成になっていたのですから、ハルヒシリーズにストーリー要素は不要であると考えるのも早計でありましょう。
それと、結局のところ、ハルヒ小説にもストーリーが必要だったのではないかと思います。
「あのね、キョン。この団を設立してそろそろ二周年目なのよ。期限は迫ってんの。一年活動やってて結果ゼロじゃあ示しがつかないでしょ?」(『涼宮ハルヒの分裂』 第一章 p.118)
とのたまうハメになったわけですからね。成果ゼロですよ。ゼロ。
ハルヒが高校1年生のときに事態はなにひとつ進展しなかったわけですから、そのまま2年生になっても、なんにも進展しないでしょう。進展させようと思ったら、やはり“ストーリーテリング”をするしかない、“古典的”なことをやるしかない。
今からでもストーリーを進めることは可能ですが、小説2巻以降ずっとやってこなかったのを今更やりだしたって大惨事になるでしょう。
もともとハルヒ小説はストーリーがあきらめきれてないところがありました。回を重ねるごとに謎が増えたりしていますから。作中で時間が進んでいるので、今後の展開で謎が明かされていくといった進展があるのだろうと期待させてはいるのですが、実のところストーリーは進んで無いのですから、どうにもならないでしょう。謎をいつまでもひっぱってグダグダになるか、あっけなく解明されて肩透かしを食うことになるか、のどちらかになる可能性が高い。過去にもそうやって破綻していった作品があります。
ストーリーが無い作品は、ふつう、時間の流れを止めることにより破綻を回避するものです。さきほど挙げた作品、「サザエさん」「ドラえもん」「うる星やつら」「忍たま乱太郎」では、キャラクターが進級することはありませんよね。しかしハルヒは進級してしまった。進級したせいでハルヒ小説は、破綻するかストーリーを進めるかのどちらかを選択しなければならなくなったといえるでしょう。どちらも困難な道です。
ハルヒ小説は『涼宮ハルヒの分裂』以降、刊行がストップしています。どういう理由があるのかは知りませんが、行き詰まっちゃったんじゃないかなあと私は思っています。
※ ※ ※
ちなみに、「けいおん!」についてはストーリーがあると思います。メンバーが出会ってバンド結成して練習してライブして、という時間の流れがちゃんとあるわけですし。学年が進んで後輩が入部してきたりしています。SOS団の団員がまったく増えてないハルヒシリーズと違って進展していますよ、これ。
「ストーリー4コマ」という言葉もありますしね。もともとストーリーの存在しない4コマ漫画にストーリーを求める人がいたのでそいういうジャンルが生まれたのでしょう。
本当にストーリーが不要だったら、「ストーリー4コマ」なんてものは存在しないでしょう。
※ ※ ※
作品にストーリーがあっても、それが無視されてキャラクターだけが消費されていくのならば、やっぱりストーリーは不要なのかもしれませんが、ストーリーが無視されているという証拠はまだ出揃っていません。
まあ、その、ぶっちゃけ、賀東・新城のお二方には「受けてるものとか売れてるもの」のストーリーが見えてないだけなのでは? と思わないでもないです。
本当は作品にストーリーはあるし消費者も必要としているのだけれど、それが感じられないために、ストーリーが必要ないことを“発見”してしまったのではないかな、と。
Fの実力が低いのに…と言いたいわけじゃない。短編の構成力は群を抜いているし、「ドラえもん」の作者というだけでも相当なものだ。
ただ、才能があるといっても、完全無欠なわけじゃない。
例えば名作として評価されているSF短編は予定調和的なものやデジャヴ感のある作品が意外と多い。
たしかに、「ドラえもん」みたいな死んでも残る作品を書いただけで、すごい漫画家であるのは間違いない。
だが、同世代の石森や赤塚、果ては手塚を差し置いてまで評価されてる気がする。
この3者と比べてもFだけがぶっちぎりに才能があったとはとても思えない。
Fは才能の高さだけで評価されているような感じがしない。
おそらく、F作品がもってる何かが多分ネット住民とシンパシーを感じさせてるような要素があるんだろう。ここで気になるのが、あの冷蔵庫のコピペである。
http://moonee.at.webry.info/200711/article_37.html
このコピペはソースがいまだにみつからないのに結構貼られていたりする。
実際のFは落ちこぼれと言っていいほうだったと言えるエピソードがいくつかあるし、オタクの部類だろう。
だからこのコピペのようなことを言っても不思議でもないので、ソースが怪しくても流布したんだと言えなくもない。
今日、社会人三年目になって初めて後輩を叱りました。何についてかと言えば、新入社員がやってしまいがちな「遅刻の連絡をメールだけで済ませてしまいました」というアレです。今じゃフレッシュマンの心得としてR25にも載ってる失敗例を彼は見事に実践してくれたのです。
普通の新入社員だったら“叱る”のではなく、普通に“注意”程度だったでしょう。ただ一つ違ったのは後輩君はわたしの一つ下、すなわち今年入社二年目だということです。新入社員ならまだしも二年目の子がこんな基本中の基本のミスをするとも思えず、帰り際そっと後輩君に事情を聴きに行きました(ちなみにこのミス、偶然にも上司や他の先輩の耳には入っておりませんでした。つまり彼に協力した後輩がもう一人居たのですが…置いておきましょう)。
彼の返答はそれはもう見事なもので「メールで伝えました!」とのハキハキとした良い笑顔。うん、この時間にその元気はすばらしい。だがね、チミ…悪いが今から説教するよ?…と、今回の件の何が悪いのか、どうすればいいのかと後輩君に話し始めました。するとみるみるしぼんでいく彼の笑顔…ああ、なんという罪悪感。相手を傷つけないように慎重に言葉を選びながら、私も懸命に一つ一つ彼に伝えていきました。そうしていると、頭に広がっていくいくつもの既視感…あれ、これなんてデジャヴュ…ああそうか、そうなんだ。今私が彼に伝えている言葉は、今まで私が言われてきた言葉そのものなんだ。そして、目の前で落ち込んでいる後輩君は昔の私と同じなんだ。
「わかりました…反省します。教えてくださって本当ありがとうございました!」話し終わった後の彼の言葉にどれだけ安心したことか。正直言うと、話している最中の私は緊張と苛立ちで足が震えていました。人を叱るということがどれだけの労力を使うものか、やっと理解できた気がします。相手に伝えている言葉がそのまま自分に跳ね返り、逆に自分の資質そのものを問われているような感覚に陥る…そして終わった後は、心の奥からどっと疲れが噴出す…叱るということは叱られる側の何倍もの力を使うものなのだと初めて知りました。
わたしに何時間も説教してくれた大学の先輩、ダメな点を一つ一つ教えてくれたバイト先の上司、分かるまでとことん付き合ってくれた今の職場の先輩、そして怠け者のわたしを一社会人に育ててくれた両親…。今まで自分を叱ってくれたたくさんの人の想いが今になって感じられて、帰り道は一人泣くのをこらえていました。
嫌われ役でも悪役でもいいから、悪いことは悪いとちゃんと叱ってあげることのできる先輩になろう。自分が受けた愛情を下の子たちに伝えてあげよう。なんて、少しは自分も社会人らしくなったかなと思った4月終わりでした。
それどこかで見たことがあるデジャヴ
結論から言うと、
月産1000行/人×10でも
月産5000-10000行/人×3でも
そんなもんどっちでもいいのヨ。
そのうちの一人が
「まともにプログラミング初めてxx年の俺ですら、設計しながら月産xx行は書けるぞ。」って言い出して、
一人でナニゴトかやりはじめさえしなければ。
人数が多すぎようが、それ(人・仕様・全体スケジュール)をとりまとめるポジションが明確で、
スタンドプレイで後はシラネ、って奴がいなければ
少なくともデグレだの、開発総入れ替えだのって話はぐんと減る。
だから、プログラマなんて「どうでもいい」んだよ。
お隣とお話して全てが解決するような規模のシステムなら、単純に人数が少なければ少ないほどいいけどネ。
ま、あと、馬鹿正直に人月計算だけで請け負うなんてアホな見積もりはありえな…
ってデジャヴを感じるんだが気のせいか。