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2011-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20110115133430

チャンピオンREDってのを俺は知らないけど

その雑誌がなんか極悪非道だとして、その雑誌出版社を取り締まればいいじゃん。

「だから全体を規制しま法律作ります」って意味不明だわ。

2010-12-14

東京都青少年の健全な育成に関する条例は、強化され続ける

なぜか。

仕事でやってるのと愚痴ってるのの差だからだ。

端的に言って、このツイートが全てを物語っている。

当たり前の話が当たり前に受け入れられない社会。/東なんとかがゴチャゴチャ言ってたが、感情的じゃない規制はとんとお目にかかったことがない。理由があってやるんじゃなく、やるから理由を作ってる。

http://twitter.com/mikemaneki/status/13114449837694977

とりたててこのツイートそのものに思うところがあるわけではない。ピックアップしたのは判りやすかったからだけだ。

規制反対派のつぶやきの大部分がこんな感じだからだ。

「東なんとか」

文脈から見て東 浩紀の事に間違いないだろう。

もうほとんどの規制反対派がこういうものいいをする。

通常、どんなに攻撃的に相手を批判するときでも、言い方ってモノがある。

いかにして性的な虚構表現が溢れる社会コントロールするのかを検討する事が重要だと言う意見もあるが(東 浩紀:http://twitter.com/hazuma/status/12222226170384385)、それは前提が誤っているし、その誤った前提に立ったとしても結論としては飛躍がある』

こういう言い方にお目にかかれない。

http://twitter.com/hazuma/status/12222226170384385で東なんとかがごちゃごちゃ言ってるが、そもそもコントロールする必要が無い。根拠がないんだし』

たいな言い方しか出来ていない。

正気か?

全否定するにもやり方があるし、モノの言い方がある。どこのどなた様なのですか。

すさまじく上からマジョリティを愚かだ、オマエラの懸念は杞憂だ、自由を圧殺する地獄へは善意で踏み固められるとか言い放って良いのは、夢見る中学生までだろう。

また、相手の懸念点が判った上で、提案をするのと、無視して言い放つのにはやはり差がある。

漫画であってもこれは子供に見せたくないから陳列制限して欲しいと言っているのを踏まえた上でも」という展開をすることが異様に少ない。

漫画表現が悪影響を与えるという根拠もなく、感情的に』とか『この条例を元に販売規制流通規制の強化に』とかそういうのばっかり。

おまえらマイノリティの自覚はないのか。

世の中が間違ってるんじゃない。マジョリティ意見が世の中を作るんだ。

生きにくい世の中なんじゃない。マイノリティ生き方が否定されてんだ。

ブッダの隣に田中圭一が置いてある状況をどうにかせい」

アフタヌーンの隣にチャンピオンREDいちごが置いてあるのはマズくないのか?」

そういった意見を華麗に無視して、自分の言いたいこと言っても誰も聞いてはくれなかろう。

マジョリティ意見が世の中を作ってるんだから、彼らに変わってもらわなければ何も進まない。

そういった意味で「エロ漫画規制してやる!」という信念のボスに従い、(お金をもらって)条例を納得してもらえる形に変更してなんども提出する都庁の職員と、

「世の中が間違っている!馬鹿だオマエラは!表現の自由規制される!」とか言ってる有象無象では、はじめから勝負になっていない。

ガキがエロ本読める状況でしか糊口をしのげない漫画家は、本来駄目なのに生き残ってるだけだとなぜ考えられないのか。

条例の何が問題で、どう穴があって、推進派の規制は単なる杞憂に過ぎない理由はこれこれだとアピールする機会をボイコットする出版社に快哉を叫ぶとか、

本当に正気なのか?

表現し続けて裁判にしようとか、条例の穴を見つけてエロ描いてやろうとか、冗談にしても質が悪すぎる。

どう考えても逆だろう。

明らかに抵触するが、子供に良い影響を与えるような感動的な漫画を描いて後悔させてやる!とかなぜ言えないのか。

子供エロ漫画を販売させない・触れさせない為に、大きな犠牲を払うことになるのだ、それは良くないことなのだとなぜ説得できないのか。

犯罪行為を漫画に描いて、それを賛美することでしか表現できないことがあるのだと、なぜ主張できないのか。

子供の為には大人が我慢するのが当然だ、区分陳列だから売ろうと思えば売れるだろうと言い放った相手に

何が問題で、どう問題で、どう変更すれば区分陳列として妥当なのか対案が出せないのであれば、

(もしくは、その区分陳列は実質的表現規制なので表現の自由を侵すと主張するならば)

相手の懸念が杞憂に過ぎないと説得するか

相手の懸念を払拭しつつも販売できる方法を提案するか

相手の懸念を解消するために犠牲となる代償が余りにも大きいと納得させるか、いずれかが必須だろう。

だって少数派なのだから。(多数派なら何もしなくても勝手に否決され続ける)

相手の意見を無視して老害と吐き捨てるのも、そうやって自由が亡くなるのに喜ぶとは幸せだなと皮肉るのも、まともな大人のすることじゃないだろう。

そう思える大人が反対派に増えない限り、仕事として大人な対応をし続ける規制派が勝利を収め続けるだろう。

今回は始まりに過ぎない。

子供っぽい反抗を続ければ、さらに自らの首を絞め続けることになる。

ピーター・パンがなぜネバーランドしか生活できないのか、今一度よく考えるべきだ。

 
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