はてなキーワード: タロットとは
占いと聞くと「なんかスピってるなぁ」と思われるかもしれないけど、目的は人によって様々。
背中を押してもらいたい
どっちでもいいことをサラッと決めたい
これから新しいことをする時に軸になる考えがほしいなど様々
「伊勢神宮に行け」です。
だそうですとりあえず【俺は今幸せだ】と思いたい人は、伊勢神宮に行くといい。
「穢れを祓う」の穢れには「気枯れ」だったという説も
「気(気持ち・気力・気合)が枯れてるからこそ、自分は幸せだと思える何かがほしい」
という時には
と言ってもらえる伊勢神宮に行ってみてください。
「伊勢神宮は全肯定あまあまお姉さんか、ナルシスト系王子様なの?」
と思っちゃったのはナイショ
逆に、「自分が何者か知りたい」
それこそ、九星気学みたいな伝統的なものから、動物占いみたいなカジュアルなものまで色々あるけど…この方法での占いは俺は遊び半分で占うぐらいでいいかなと
選んだとしても、やってる途中で不安になって取り組み方について悩むのもよくある。
それが「何者か決めてもらいたい」理由。
「根拠のないオカルトにすがるなんて、心が弱すぎるしアホすぎる」
と叩く人もいると思うし、それはそれで間違ってはない。
「自分が何者か」を与えてもらう占いではなく、自分も考える占い
「タロットと易」
の2つがあります。
タロットの方が「カードの良し悪しが明確だから、物事を決めてくれる側面がある」のです。
易は良い悪いは出るけど…引いた人の立場や解釈する人間のセンスが出るから、深く考えたい時の補助線で、スパッと決めるには不向き。
私の場合、【どっちにしようかな?】みたいなのはよくタロットで決めてます。
「昨日の疲れが出てるけど、食べに行きたいお店がある。どっちの行動を取ろう?」
「早く作業が終わったけど、帰ろうか?時間いっぱいまでなにかしようか?どっちにしよう」
逆に【こんなことを成し遂げたい】【あいつとの人間関係をどうしよう】みたいな
については、易からインスピレーションをもらうことが多いです。
重要なことや根深いことは、易の意味までしっかり考えて「今どこにいる?」と考える
「雷水解」
という易が出た。
これは結論だけを読むと、「雪解けして解決していくよ」と安心させてくれる内容。
ところが、易のエピソードを読むと
「腐れ縁を切れ」
「天下の難儀を解放し得たかどうかは、小人が去ったことによって証明される。」
と強い内容
ジョジョ3部とタロットっていっぱい解説されてるけど、ちょっと不満がある。いやー書いた人本当に納得してる?けっこう違和感ない?ジョセフが隠者でいいのか本当に?みたいな。解釈が素直すぎるでしょ。
それにみんな意味しか見てないけど、どちらのカードの暗示のほうが強いかってけっこう重要な要素だと思うのよ。
強さとしては、自分の解釈だと世界=愚者>魔術師>法皇>星=戦車=隠者。
正位置の世界がいいとこにあったら星がどれだけ邪魔してようが吹っ飛ぶし、正位置の星がいたとしても最後に世界が逆位置だったら「考え直したほうがよさそうですけどね」って自分なら言う。
つまり強いカードからどんどん退場しててラストバトルの絶望感すごいんだわ。
いや、だからこそ承太郎達はえらいことをやってのけたってことになるのよ。こいつらタロットの暗示に打ち勝ってみせたんだな、すげーや、っていう。
占いの結果になぜ?と言っても仕方ないが 、ENTPとENTJ、テスト受けるとこによって違うのよね
あと、いちばんそれっぽいのは、ストレングスファインダー(2016〜2018年くらいに受けた気がする)だが、
上位資質に、学習欲、着想、戦略性があるのに、半分よりも下に、分析思考と原点思考と未来志向があるという矛盾
戦略的思考力 とりあえず考える | 実行力 物事を成し遂げる力 |
人間関係構築力 大体みんな友達 | 影響力 売り込み/押し売り |
【自分の34の資質】 | 【分類】 |
---|---|
1. 学習欲 | 戦略的思考力 |
2. 着想 | 戦略的思考力 |
3. 自己確信 | 影響力 |
4. 親密性 | 人間関係構築力 |
5. 戦略性 | 戦略的思考力 |
↑上位5 | 6~10↓ |
6. 指令性 | 影響力 |
7. 内省 | 戦略的思考力 |
8. 回復志向 | 実行力 |
9. 達成欲 | 実行力 |
10. 活発性 | 影響力 |
↑上位10 | それ以外↓ |
11. 責任感 | 実行力 |
12. 競争性 | 影響力 |
13. 自我 | 影響力 |
14. 目標志向 | 実行力 |
15. ポジティブ | 人間関係構築力 |
16. 社交性 | 影響力 |
17. 最上志向 | 影響力 |
半分よりも下↓ | |
18. 個別化 | 人間関係構築力 |
19. 収集心 | 戦略的思考力 |
20. 公平性 | 実行力 |
21. 適応性 | 人間関係構築力 |
22. 運命思考 | 人間関係構築力 |
23. 分析思考 | 戦略的思考力 |
24. 成長促進 | 人間関係構築力 |
25. 共感性 | 人間関係構築力 |
26. 慎重さ | 実行力 |
27. コミュ | 影響力 |
28. 信念 | 実行力 |
29. 原点思考 | 戦略的思考力 |
下位5↓ | |
30. 未来志向 | 戦略的思考力 |
31. アレンジ | 実行力 |
32. 規律性 | 実行力 |
33. 調和性 | 人間関係構築力 |
34. 包含 | 人間関係構築力 |
この34の資質の順位表から、以下のような個性特徴が推測できます。
この34の資質の順位表から、以下のような個性特徴が推測できます。
この34の資質の順位表から、以下のような個性特徴が推測できます。
- 自己確信や指令性、競争性、自我、目標志向などの影響力の資質が高く、自分の能力や意見に自信を持ち、積極的にリーダーシップを発揮し、目標達成に向けて努力する人物です。
- 他者に対して自分の考えや目的を伝えることに長けており、説得力や影響力があります。
- 自分の価値観や信念に基づいて行動し、自分の思い通りに物事を進めることを好みます。
もちろん、これらのタロットカードの組み合わせに基づいて解釈を行います。
1. ワンドの3(正位置)
ワンドの3は成果や達成を象徴します。現在の仕事において、あなたは達成感や成功を感じている可能性が高いです。プロジェクトや計画が順調に進んでいることを示しています。
太陽は幸運や明るい未来を示します。現在の仕事環境はポジティブであり、喜びや満足感が広がっている可能性があります。仕事においてもポジティブな展開が期待できます。
逆位置の法王は伝統や権威に対する挑戦を示すことがあります。現在の状況で、伝統的な方法や権威に対して異議を唱える必要が生じているかもしれません。柔軟性と独自のアプローチが求められるかもしれません。
皇帝は統治や組織力を象徴します。現在の仕事において、あなたはリーダーシップの役割を果たしているか、または果たすべき状況にある可能性があります。組織力と決断力が成功に寄与しています。
全体的に見ると、仕事においては成功と満足感があり、積極的なエネルギーが流れています。ただし、逆位置の法王からは伝統や権威に対する調整や柔軟性が必要とされていることが分かります。これに注意しながら、リーダーシップの力を発揮して仕事を進めていくことが重要です。
この人がもー全く仕事ができなかった。
…ここまではよくある、この手の病人に対するdisりのたぐいだと思われることだろう。
だが正直、こいつの仕事のできなさは、病気とはあまり関係ないように思えた。
こういう人間が「病人」を貶めるのではないかと思えてならない。
正直、これは愚痴だ。
しかし、精神的に一度参りながらも仕事をしている人は、絶対こいつよりはあがいているんじゃないかと思わざるを得ない。
周りにそういう方がいる方で、もしその人が病気であることを理由にマイナスの念を抱いているのであれば、少し考え直してほしい。
こういう奴もいるのだから。
別に社外と、という話ではない。社内の、ちょっと遠い部署との連携の話だ。
あと、酷いときは15分仕事をすると、調子が悪いと言って1時間ほど休憩する。
ウチの会社はだいたい裁量労働制だが、そいつはフレックスにされていた。さもありなん。
なお、ほかの社員と同じくらいの時間で出退勤するので、規定時間を守れていたとはとても思えない。
統合失調症の病状の1つとして、会話が支離滅裂になるというのがある。
過集中で疲れるという言い訳をよくするのだが、こいつはどうもこれを「力が入りすぎて短時間で消耗する」とかそんな感じの意味で使っている。
ご存じの方もいるかもしれないが、過集中というのは「集中しすぎて他のことに手がつかない、つけられない」といった、いわゆるADHDの文脈で使われることが多い単語だ。
曲解を「間違えて解釈していた」という意味で使っていたこともあったな。
どうにも、字面だけ見て雰囲気で単語の意味を保管しているようにしか見えない。
そいつは仕事ぶりがあまりにあんまりだったので、ドキュメントの再整備を(訓練もかねて)任せられたことがあった。
元となる文書を読み込んでないのが見え見えで、ある程度深い話になると、書かれていることと違うことが平気で出されてくる。
さらにたちが悪いことに、それを指摘すると「わかりやすい日本語は難しい」と言ってくる。
元の文章の意味を正しく把握しろと言っているのに、わかりやすさの問題にすり替えてしまうのだ。
このあたりから、裏を取らない、自分を全く疑わない、といった性根が透けてしまう。
蛇足だが、このドキュメント編纂作業は半年をかけたが、クオリティを理由に成果物が保存されることはなかったことを付記しておく。
仕事というものは、おおむね「こういう成果物を出してね」と依頼されるものだ。
しかし、なんでか成果物を見てみると、お願いしたものとずれている。
そのことを指摘すると、言い訳と取り繕いが続く。
これは正直よくある仕事できない人のふるまいだ。しかし言い訳や取り繕いの中に「体調が良くない」だとかを混ぜ込んでくる。
そんなこと言われたら追及できないじゃん。狡猾ですらある。
SNSやってますというので見てみても、やはりおかしな点が多い。
やれ野菜から芽が出ただの、Gが居心地よさそうにしているだの、衛生面が不安になる発信をしているのだが、
そもそもまっとうな判断力があったら、そんなことはとても衆人の目に晒せないのではないか。
同じアカウントで手作りのお菓子がなくならなかったと愚痴っていたが、そりゃそうやろとしか思えない。
追いつめられると休職する。
一般的なその行為自体を責める気はもうさらさらない。マジでやばい人もいるからね。
だが、そいつは休職から復帰してうちの部署に来た後、また休職した。
聞けば、復帰前も2、3回休職したとかしてないとか。
だいたい、仕事がきつくなってもう限界というところで休むらしい。
「自分はふつうといわれる」(言われない、普通以下なんだけどそれは言えない)
「役割をひねくれずこなす」(仕事に関してはやらない・できないの2重苦でこなせてない)
やれ気がどうだの、霊がどうだの、タロットの結果がどうだのと。
他人に勧めないだけまだましかもしれないが、普通に言い訳に出てくるのはどうなのか。
同僚「だった」と書いたのは、既にこいつが退職しているからだ。
SNSに退職エントリとか、再就職のための履歴書みたいなのを載せていたのだが、これがひどい。
まず、休職をあんなにしておいて、勤めた年月として単純に退社-入社だけを出している。
休職が1年にわたることもざらだったそうだから、実務期間は相当短いはずだが、そのことには触れていない。
休職からそのまま退職だったから、おそらく復職判定を受けられなかったのだと思うのだが、そのこともなんかぼかされている。
こういうとこの判断はこすずるいんだよな。
また、履歴書の経歴も、その仕事をしていた人と一緒に仕事をしていたというだけで、経験に加えてある。
仕事ができず、最終的に責任の強い仕事は任せられなくなるので、経験値は限りなくゼロに近いと思うのだが、なぜ自信満々で経歴に載せられるのか…
経験年数も、休職期間を考えると長すぎる数値が設定されている。一緒に仕事をしていただけのものはなおさらだ。
経歴書というものは、当然その経歴ができたことを前提にお仕事を頼まれると思うので、
実際に満足にできないことを書いても自分が苦しむだけだと思うのだが、それがわからないのだろうか?
なんか、SNSでお誘いお待ちしておりますの構えをとっているようだが、ネットの片隅に載せたくらいでヘッドハンティングするほど世の中の人事は暇なんだろうか?
正直こいつについてまとめると
「仕事どころか日本語での対話が全くできないが、自分には価値があると信じ続けている。行き詰ると病気を盾にする」
といった感じかと思う。
本人は病気が治ればイケイケだと思っているようなんだが、とてもそうは思えないのだ。
病気に悩みながらもなんとか成果を出している人は、自信を持ってほしい。
こんな奴が自信を持っているのだから、あなたが自信を持たないのは損としか言えない。
周りにそういう人がいる人も、いたわれとは言わない。成果を認めてあげてほしい。
しばらくして、何の根拠もないな、とごく普通の結論に至って熱が冷めた。
その後、家族が某心理系診断にハマった。(どうぶつ占い的なやつ)
よくもまあこんな詐欺的なものを大層な名前でやっとるなと思ったが、それ(診断結果)を踏まえて行動様式を変えようというアプローチには百歩譲って一理あるなとも思わないでもなかった。(まあ大元が腐ってそうなのと、根拠ないことを理解してない人いっぱいなので拒否反応しか出なかったが)
本題。
ひとつは、相手の話を聞いたり反応を見たりで、結果をアジャストしていく占い師。
タロットでも他の占いでも、読み取り方によってどっちともとれることが多い。
別れ、清算を意味するカードだと、彼氏との関係との別れともとれるし、不安定な状況の清算みたいに肯定的にもとれる。例があってるかどうかはもう忘れたが。
”たまたま”都合よくタロットがシャッフルできる偏り(運命)をもって生まれた人。
カオスとかバタフライエフェクトとか、量子力学っぽい浅井千絵とかかじったらそっち系の考えが浮かぶ。
そこからなんだかんだあって結局、決定論と非決定論とか自由意志の有無みたいなころで行き詰まる感じ。
シミュレーション仮説とかまで広がってまた平常に戻って占いとか細かいこととか深っぽいこととか気にしなくなってのループが始まる。
今はどうかわからないし、一部にしか当てはまらないとも思うけど、主体性だと思った
占いを信じてラッキーカラーを身に付けたりおまじないを実行したりの行動は指示されるまま、というのが多い。信じるし疑わないし、踏み込まない。そのうち飽きる。
オカルト知識を活かそうとする。万一妖怪出てきた時のために攻撃手段として九字覚えたり。
幅広く色んなオカルトを試してみる。気が向いたら踏み込んで調べる。ムーとか読む。そのうち飽きる。
飽きる前に、踏み込んでるか、疑ってるか、それに妥当性がないことを薄々気づけているかという差が出てくる。
いわば免疫みたいなもので、中二病経由の男子のほうがオカルトとかスピリチュアルなものや偽科学にハマりにくくなっていそう。
逆に、そういう精神安定剤的なものがないからおっさんで苦労してる人も多いが。
ムーとワンダーライフとMMRとか読んでてそれこそ中学生の頃は半分信じてた。
ほどなくして自分に霊感とかないことで絶望する。現実を見てしまった。ここ何年もかめはめ波が撃てるか試してない。どどん波ぐらいならワンチャンとはひそかに思っているが。
20歳超えてから、まだ可能性を捨てきれず、第二次オカルトブーム的なのが到来して、風水とタロットと数秘術を学んだ。
学んだといっても図書館にある本だいたい読んで、アマゾンで数千円する書籍を5冊ぐらい買って読んだだけだけど。
色んなジャンルの占い本を読んでみると、おお、根拠がねーと気づく。
同時期量子力学に興味を持ち始めた。
科学的側面から、オカルト力を発揮する道筋がないものかと検討してみた。脳量子波みたいなのがあればワンチャン。
哲学の読み物とか読んだりしてると、決定論的なのと非決定論的なので悩む。世界はどちらか。
自分(増田)は全部薄く浅くしか知識がないが、科学を突き詰めていくと宗教的な考えに至る(高名な学者のエピソードをちらほら聞いたことあるのだけど実例は一個も出てこない。)のもなんとなく理解できる気がする。
それは真理の追究を放棄したわけでもなく、古来の教えやどこかの教祖の言うことをそのまま信じるのでもなく、なんとなく非科学的なもの(今はまだ科学とされていないもの)がぼんやりと遠くに霞んでいるのを感じたような。
占星術に関する本を何冊か買ったりして、
https://twitter.com/yoppymodel/status/1548848031826870272
それ以上にこの話題で噴出する「占い」というものへのコメント群が
「占い全然知らんし興味もない人がイメージで言ってるな〜」と思ってちょいイラッとしたので
分かる人向けに書けば
「ホロスコープの読解は自分や友人のネイタルを中心に何度か試したことがあるがアスペクトを絡めて読むのは難しく勉強中。
トランジットにはあまり興味がなくて心理占星術関係に偏り」です。
わからん人向けに書くと入門書の内容を舐めた程度で占いの実践としては素人。
未来を知りたいとか隠された真実を知りたいとかいう願望はない。
なので以下間違ってる可能性は大いにあり、詳しい人からの異論は歓迎です。
朝の星座占いランキングに代表される12星座占いというのは、その人の持つ「代表的な星座」だけを見ている占星術の簡易版に過ぎない。
本来はその人が生まれ落ちた瞬間の惑星の位置や惑星同士の配置から読み取る。
占いなんて根拠なく適当言っているだけだろう、という人もいるが、
この「生まれた瞬間の星の配置」については誰が計算しても同じものが出る。
(※正確にはハウスの分割方法とか小惑星とか読み取り方に流派はあるけどめんどくさいから割愛)
ゆえに、占星術とはみんなが同じ星の配置を見て、それをそれぞれが言語に翻訳して伝えているものである。
星の配置から何を読み取るか、というのも、ある程度セオリーがある。
たとえば月※や金星や水星、火星といった地球に近い星は、地球から見たときの位置の移り変わりが激しく、感情や気質といったパーソナルなものの象徴として扱われる。
対して冥王星※※、海王星、天王星といった遠い星は、移動する周期が数年〜数十年単位なので、例えば世相の変化や世代の意識のようなより大きなものの象徴として扱われる。
そういったそれぞれの要素が、相互に影響したり、人生のどこかで強調されたりするのを、星の配置――位置や星同士の角度から読み解いていくのが、占星術といわれるものだ。
ネットの無料占いの範囲でも、少し詳しいサイトを見ればバーナム効果で片付けきれない結果を見ることができると思う。
(※占星術は天動説の世界なので太陽や月も「惑星」と呼ばれる。チ。)
(※※冥王星は占星術の世界では今のところまだ惑星扱いである。)
前述のとおり占星術とは「惑星それぞれが象徴するものと、その位置関係」を読み解き言葉に翻訳して伝えるものだ。
そこには、図を見て言葉で伝えるような、翻訳段階のズレが生じる。
また、どの星を読み取るか?も個人の資質に左右されるところだ。
恋愛運を見てください、といったとして、その占い師が「恋愛」が何から構成されていると考えているか、で伝え方は変わってくる。
例えば、
……なんて言われ方をする。
それは、占い師が恋愛というものの構成要素をどう考えているか、に左右されてしまう。
少し昔の本ならば、
なんて断言していた本も多かったが、
そういう一律な読み方を支持する占い師ももう少なくなっている気がする。
占い師は適当を言ってるから結果がぶれるとは一概には言えない。
占い師の考え方自体が、「読み取り」「翻訳」に影響を与えるのだ。
「運がいい」とは星がどういう配置にあることか?という占い師の解釈によって順位が異なるから、結果が異なる。適当に並べているからでは、ないことのほうがおおいだろう。
(余談だが、少し占いをかじるとそのへんのアルゴリズムがなんとなく見えることがある。順位予測など可能である)
ここまでつらつら書いたとおり、私の知る限り、占いとは「象徴の読解」という営みそのものである。
なので占いに関して「当たる」「当たらない」という言い方自体に個人的には違和感があったりする。
人の性格や世の中の動きといった、混沌として一概には言い切れない茫漠として掴みどころのないものを、
占星術の様式に沿って分類し、その関係性を図に表されていると仮定し、それを解釈したもの。
だと私は思う。
とここまで説明されたところで、
「そもそも星の位置が、人の性格だの世の中だの象徴してるわけなくね???」
と思う人はいるだろう。
私だってそう思う。
太陽も月も冥王星も惑星で、地球が宇宙の中心にあるという仮定で導き出された図が世の中の何かを「象徴」してるだなんて、
それが「科学的」に「正確」なわけはない。
けれど大昔の人たちはそう思ったのだ。大真面目に。
そして、世の中の物事を観察し、分類し、星星に振り分けて、関係を考え抜いてきた。
「人の性格」とかいう多面的なものを、占星術の世界ではどのように分類してきたのか。
「世の中の動き」とかいう無数の歯車の噛み合った膨大な機械を、占星術はどのように分割してきたのか。
その、この世に向ける眼差しの果てない努力の痕跡が私は好きだし、
それはときどき、現代の日々を生きる私のことを励ましてくれたりもするのだ。
北京の蝶がニューヨークで嵐を起こす、その間には無数の細かな歯車が噛み合っていることだろう。
カムチャツカの若者がきりんの夢を見たりする理由は、若者自身も知らないところにあるんだろう。
そういう、茫漠とした、人間個人では把握しきれない物事を、なんとか星に仮託して把握しようとするのを、馬鹿馬鹿しい振るまいとは私は思わない。
そういう「考えたってわからないこと」「人間の力では及ばないこと」を忘れ、目の前の物事だけに没頭して生きるのはあまりに荒涼としていないかと私は思う。
そういう、「向こう側」をみんなシャットアウトして生きるほうが、私には特殊に思える。
ときどき星を見るとかして、その中の一つとして自分が位置づけられているのだとおもうくらい、正常な人間の営みではないかと、私は思う。
星の話をしてるから仕方ないな。ゆるしてほしい。
さて、ヨッピー氏の主張は
「とはいえ、占いみたいな非科学的なものを電波に乗せて、カルトへの忌避感を下げるのはどうなの?」
というところだと思うのだが、私はこれについては明確におかしくないか? と思う。
そもそも「科学的な話」「論文などのエビデンスがある話」ならいいのかというと、
「エビデンスとなりうる論文はあっても効果としては現実的ではない話」はいくらでも電波に乗っている。
あれらは健康食品詐欺のゲートウェイになっていないと言えるのか?
彼らはおそらく自分たちのことを「科学的に」思考していると思っているのではないか。
あるいは散々指摘されている「サウナでととのう」なんて明らかに医学的に警鐘が鳴らされてもいるが、「自律神経がととのう」とかいうよくわからんゴリ押しがなされているだろう。
そもそも「科学」とは絶え間なく検証と訂正が繰り返されるものだが、
その大部分は電波に乗ることなく、どこかの商品に都合の良いところ、テレビで視聴率の取れそうなところだけが編集されつまみ食いみたいに放送されるのが現実だ。
でも、それがない放送大学オンリーみたいなテレビを望むかといえば望んでいないだろう。
私が何を言いたいかというと、
「情報がどれほど科学的か」という点では、電波に乗っているものはさほどの差がないのだ。
結局我々はそれを選んで、検証し、学び、考え、実践して自分なりの判断力を養っていくしかない。
すべての情報は自分の判断のための「材料」だと割り切ることだ。
それを放棄して、自分以外の誰かに判断を委ねきってしまったとき、
占いだろうが「科学」だろうが、少なくともテレビに乗っている情報という土俵においては変わらないのではないか。
……と締めようと思ったが、
カルトの怖いところは
「自分で考えろ 自分で考えて私達と同じ結論になれ」なところだし
たとえば反ワクチンやカルト宗教による輸血拒否だって当人たちにとっては自分で考えた結果なわけで
「自分で考える」が絶対の解決策とも思われないのが難しいところではある。
健康診断で医師に不安を煽られないと運動不足の解消に向かうのは難しいし、
ならば医師になら全権委任していいかというとアカン医師をツイッターからいくらでも引っ張ってこれてしまう。
あるいは、飛行機が飛ぶ原理って科学的に立証されてないらしいよ……という情報の正誤を私は確かめられていないが、移動したいときはその判断をすべて棚上げにし、自分の命を航空会社に委任して飛行機に乗る。
委ねるべきときはあるけど、その相手は見極めなければならない。
というなんとも煮えきらない結論で終わる。
僕は、本業はWEBエンジニアの副業占い師(正確にはタロットリーダー)という胡散臭さ満載のプロフなんだけど、男性が占いが無理率が高いのはめちゃくちゃわかる。体感値だと9割の男性に「占いとか無理」「胡散臭い」と言われる。ただし、以下のように説明すると、じゃあ頭の体操としてやってみよっかなとなる。
自分の中で占いは、誰かに決めてもらうためもの(主導権は他人)ではなくて、自分の行動や思考を定めるためのひらめきの材料集め(主導権は自分)なんだけど、世の中での占いの受け取り方が前者みたい。
みんながみんな自分で自分の手綱を常に握れるほど強いわけではないし、その弱さを分かっていて利用したり支配する悪い人もたくさんいる。悪いことをした人への罰則は必要だし、それがちゃんと適用されていってほしい。だって、悪いことはダメなのはもちろんだけど、その界隈の問題ない人たちもまとめて悪く見られるのって、いやだよね。僕も思考停止してうっかり偏見を持ってしまうことがあるから、毎回眼鏡をかけ直すようにしてる。
それで、朝のテレビ占いなんか目の敵にせずに話半分くらいに受け取れないかなぁ。断定したり信じ込ませようとするような「主導権が他人」の表現の激しい占いはBPO案件だけど、そんなに表現の激しくない運試しレベルのものはそのままでよくないかな。
僕はなんでも規制するより、許し合うような世界のほうが好き。色んな人がいた方が僕はおもしろい。みんなが自分の大事なものを大事にするために、悪いものは法に基づいてちゃんと罰して(私刑とか悪口はよくない)、そうじゃないものは自分が好きじゃなくても、それを大事にしてる人のためにただ無視をしたいな。
①まずカード🃏を買おう!
タロットがポピュラーだけど、今はオラクルカードなど色んなカードが売ってるから、お店で選んでみよう。
大きい本屋📚が狙い目だよ。直感でピンときたものを選ぶのがオススメ❗️
カードには悪い波動が付いてることがあるから、クリーニングは必須❗️
クリーニングはクリスタル💎に音叉を当てて、音でクリーニングをしてあげよう。
③さあ、占おう!🤗
2枚引いてもよし👍
オススメは3枚😆
カードに書かれた文字やイラストから占いの結果を想像してみよう!
毎日気軽に占ってみよう。
占っていくうちにコツがわかってきて、精度が上がるよ!
もしかしたらあなたも占い師としてデビューできちゃうかも❗️❓🫢
では、またね💕💕😘
ADHDのワイさんはタロット占いが好きである。こういう風に使ってるよという一例
・AとBどちらが良いか
・AかBかは2枚
・悪いことが起こったらジタバタしないで今日はそういう日だったんだとカードのせいにして思考を止める
・警告するカードが出たらいつもより気をつける
・どうでも良い選択(重要な選択はカードに委ねない)で精神を消費しない
・明かに精神消耗の削減に効果があったよ(ジョブズや自己啓発本が言ってる『小さな選択は精神を消耗する』はガチである。重要で無いことはお任せしておきたい)
・異常にそそっかしいので気をつける習慣が出来て良かった(いうて警告のカードが出ている時しか気をつけないが)
・自分がコントロール出来ない/しにくいイヤな出来事を『今日は日が悪い』で少し投げることが出来るようになった。争いっぽくなった時は致命傷を相手に与えることが無くなった(多分)
スマホのAppのデッキなので、物理デッキよりはランダムなカードが出るハズ(乱数によってカードが偏りにくいはず)だが、
ぜーんぶ微妙なカードだったり、ほとんどあるいは全部逆位置だったりすることもある
その場合、外せない重要な用事の時以外は、カードに合わせて、行動が消去的になりがち(特に仕事が入っていないプライベートな日は)
カードが助けになるならともかく、足かせになっては、本末転倒なので、敢えて活動的に動くようにはしている
重要な用事があるときはタロットやらない(そもそもやる暇無いが)