はてなキーワード: スポットライトとは
2011年現在、自由恋愛が主流。で、恋愛という場に打って出ようとしたとき、恋愛って~、男って~、女って~、自分はどういう恋愛をしたいのか~、現在の状況は~、と、ある程度現状を把握してるならいいけど、把握しづらいことがネックになるなんじゃないか。
価値観にかかわることだからテンプレ化して理解することは無理。だけど一定の傾向もある。人付き合いのセオリーもある。経験したこと、聞かされたこと。様々な方向性の情報が乱雑に入ってくる。それらを処理しきれないというのが問題……なのかもしれない。それを自分でどう取捨選択して役立てていくかっていう判断は実生活で学んでいくしかないわけだが、そういうことをやりづらい人もいっぱいいるし。
非モテだリア充だって言われて恋愛をすることばっかりに焦点が当たっているけど、その前に(恋愛関係を含む)対人関係の素地を養うっていうことにももっとスポットライト当たってもいい気がする。
そんなことを先日問いかけている人がいたが、答えは簡単なのである。
たとえばAKB48とかを見ていると、テレビにも雑誌にもガンガン露出している。
それがどれほど気持ちの良いことか、自己顕示欲の強い女性はそれをわかっていて目指す。
一方の女子プロレス、露出は専門誌の小さい記事と専門会場のみ。
専門会場に来る人数は50~300人、数か月に1回でやっと500人越えるくらい。
たまに出るテレビでの扱いもぱっとしない。
もっと自分で自由にできるお金がほしければアルバイトするしかない。
そんなイメージは覆らないし実際その通りだ。
しかしそこにはそれらを我慢して余りあるおいしいエサがぶら下がっているのである。
ひるがえって。
女子プロレスをやって、何が得られるのか。
それに対して今プロレスをしている選手は胸をはって答えられるか?
じゃあ女子プロレスやりますとあっさり転ぶような人間がどこにいるのか。
このご時世、女子プロレス程度の規模まで「知名度を上げる」だけなら
もっと楽な道はいくらでもあるのだ。
地下アイドルはもっと少ないコアなファンを相手に、バイトをしながら細々と生活している。
しかも、そこには私生活にまで口を出してきて、見られたくない写真をブログに晒すような先輩もいない。
圧倒的にそっちのほうが楽じゃないか。
そうでないプラスアルファが今のプロレス界、しかも女子プロレス界にはない。
そのために露出をあげろだなんだということは口でならいくらでも言える。
プロレスに興味を持っていない、横浜に住む人間は誰も知らない。
地道なドサ回りは地道に顔を覚えてもらえるチャンスなのに、ポスターの1枚も会場以外に貼られていない。
それでなんで、どうして、「プロレスラーになりたいって言う人が出てこないの?」なんて言えるのか。
タナシュンこと田中〇くんのおかげで
この機会にOB(修正)の僕が青山学院について紹介したりアピールしたりしたい。
ちなみに運動部の掛け声は「あおがく~ファイ!」。
「あおがく~」は可能な限り低い声で唸り、「ファイ!」は甲高く叫びます。
叫び方に迷ったら知能〇〇者がテンションあがったときの感じで。
いや、ひょっとするとまあまあな私立大学の中でも一番熱が無いんじゃないのかな。
泥臭さとか熱血とかやる気とか変人とかとも無縁。
なんていうか、スマートじゃない人は来ないほうがいい。
法政大学でなら輝けた筈の土の匂いがする闘争ボーイも
間違って青学なんかにくると死んだ目で4年間過ごすことになります。
なんでしょう、青学の内部進学組は慶応のそれより一段二段、品が落ちる気がします。慶応に夢見すぎか。
青山学院の初等部というのはちょこちょこキナ臭い噂も涌く所でして
おっかないから僕は知らないですけど、部長の権力闘争とかどうとかが
週刊誌に載ったりhttp://www.asyura2.com/08/bd52/msg/300.htmlしちゃったりなんかもするんです。
で、これは僕は知らん、幼稚園からの内部進学組が言ってたことですが、
一時はすごくその、芸能人の子弟とかを積極的に受け入れたりしてた、らしいんですね。
躾の悪いボンボンや勉強が全く出来ない奴が多い、みたいな認識は学内にあったと思います。
はっきり「馬鹿組」と呼ぶこともありましたし、彼ら自身も自嘲していました。
中等部から高等部、高等部から大学へ、エスカレーター内部進学するときに
青学歴が長い人ほど成績が悪い傾向があるので、幼稚園上がりが一番落ちます。彼等が一番お金持ちなんですけど。
落ちる奴等はどうするかと言うと、お金持ちの子弟なので海外留学に旅立ちます。
これは「海外逃亡」とか呼ばれていました。
渋谷のどまんなかにあることと関係あるのか無いのか、高校デビューが多かったです。
内部進学組じゃなくて受験で高等部から入ってきた人、この一部がものすごい変貌をとげる。
入学当初は朴訥とした可愛らしい田舎もんみたいな感じだったボーイズガールズが、
彼等は大抵、内部進学組のバカボンとくっついて遊びを覚えるんですね。
バカボンが大学進学の際に落っこちない限り、この付き合いは大学でも続きます。
大学以外は体育会系の部活動も全部弱小で、ジョックス的な存在が居ません。
メイン体育会系としてはラグビー部、通称「ビー部(語尾が上がる)」がありますが、
その競技の特殊さから幼稚園や初等部上がりが多く、彼等は年度が上がるにつれ学業的に苦しんでいるので
高等部までくると一面哀れな感じの不思議なオーラをまとっています。
中等部の頃はそれなりに恐ろしいジョックスだったのに、この頃になると愛嬌が出てきている。
むしろこのあたりになるとバスケ部やサッカー部などのほうがたちが悪くなっていたりする。
文化部もパッとしないんだけど。
今はどうなのかな。
タナシュンくんがどうも周囲の友達に売られまくってるみたいですが
あれはすごく「ああ、青学だなあ」と、感慨深いものがありました。
そうです、青学の特性として、腐った人間関係の温床みたいな部分は割とありました。
なんていうか、仲良くしてる風の間でも実は仲悪い、みたいな。
だいたい長い奴等は15年ぐらいの風通し悪い付き合いを続けてるわけで
ほんとお受験とかエスカレーターもいいことばかりじゃないと思います。
そういう淀んだバカボンとつるむのはいきがった高校デビュー組なわけで、
まあなんか、若人らしいサッパリした感じや素朴さとは無縁な人間関係が現れます。
タナシュンくんがあそこまで嫌われてるのは彼個人の特殊な人徳でしょうが、
「仲間だから」「同じ青学生だから」みたいに庇い合わない傾向が青学生にはあると思います。
社会に出てからも青学学閥って見たことねえ。 まあ学閥作るほどたいした偏差値の学校じゃないんだけど。
社会で同窓生に会っても「へえ…」みたいな。よそ大学出身の同窓の仲良さに比べるとどうしても温度の差がある気がします。
受験で言うと、青学受かるぐらいの偏差値の人は本命別にあることが多い。
青学が本命だったよ、っていうのは中学受験でも高校受験でも大学受験でも少なめ。
どこかに落ちた一抹の挫折感を抱えて入学してる人が多い。
力いっぱい馬鹿なことやって打ち解けると言う機会も無い。
青学の文化祭は寒いです。高校も大学も。すごい出し物って見たこと無い。
アレ見ただけで熱量の低さとかわかってもらえると思う。
早稲田祭とかすごいよね。
大学の講師かなんかで狂った発言しまくってた不届き女が居たらしいですがあれはマジで例外です。
ああいう先生達から、青学独特の熱の無い半腐れ学生が産出されるのは不思議といえば不思議。
長々書いて結局何を言いたいかっていうと
タナシュンくんてすごく青学生らしいなあ…っていう。
AKBが好きだ。でもそこらのライトなファンよりAKBのことについて知らないし、実は興味もない。
主要メンバーの名前と顔くらいしか一致しないし、歌も全然知らない。
でも好きだ。仕事や勉強の合間にAKBの動画を見てしまう。で、泣いてる俺がいる。
なぜ俺はAKBを見て泣いてしまうのか、なぜAKBは俺を泣かせるのか。
それは俺にとってのAKBは高校球児みたいな存在になってるから。
彼女たちが頑張って踊りを覚えて、オタっぽい人と握手して、頑張ってる姿が高校球児のようで感動する。
この曲、全員にスポットライトがあたるとこで既に泣けるのに、最後の歌詞でだめ押しされる。
成長しているチームB 見に来て下さい
どんなに売れても ここで歌っています
ゲイだと自覚したのは4才の時だった あんたらが想像してるとうりだ 幼稚園の年少の時だった 男にしか興味が持てなかった。
小学校に入学してついたあだ名は「ホモ」だった。でも「オカマ」よりはマシだった。
家に帰ってワンワン泣いた 「ケツが痛ぇ」妹に慰められた 「これ見て」「うるせえほっとけよ」「お尻痛いの?」「ボラギノール買ってこようか?」
「いらねえよそんなの」「出てけよ」「ノーマルなお前にはアブノーマルな兄ちゃんの気持ちは理解できないだろうな」
マジで凄かった 部室で強引に突っ込まれた まさにクレイジー 狂ったように腰をシェイクした 俺はまるで赤ちゃんだった。
翌日の授業中、、俺は席に座ってられなかった、、俺は席に座ってられなかった、、「さすがラグビー部だな」なんて思ってた、、苦笑いするしかなかった。
ああ可愛い妹よ、、どうか許してくれ、、アブノーマルに生まれた兄ちゃんを、、君に罪はない だから悲しまないで、、 あの後よく考えて 覚悟を決めたんだ 思い切って母親にカミングアウトしようと
でも 妹が慌ててるんだ 「ママなんで泣いてるの?」妹はまだ理解できる年齢じゃない 「いつもの・・」 「嘘だ。またいつものジョークでしょ?」
俺は言う「嘘じゃない。俺は真性のゲイだ」掘られたんだ そして唇を奪われて、部室でブチ込まれたんだ 「もういい!もういい!やめて!」優しい妹はポケットから何かを出した
大事なネックレスだ 「お兄ちゃん。これを肛門に詰めて」鏡にうつる自分を見て情けなくなった。
気持ちは抑えられず
「取れなくなったらどうすんだよ・・」「副部長ともう一回・・」「もう一回したい、、」「今夜」妹に申し訳ないと思いながら、、
再び俺は、、部室のドアを開けた、、そこには、、まるでスポットライトが当たったように全裸の副部長が仁王立ちしてた、、見事な肉体だった、、「さあ、キックオフだ」
タッチダウン 激しくゆれる身体妹のことを考えると胸が痛かった、、でもケツの穴は副部長を求めていた 抑えられない快感だった
そして思春期が終わり、、時は経ち、、俺はいつの間にか20歳にもなっていた、、淡いケツの痛みを残しながら 6000人以上の男に掘られてきたけど
尻のカーテンはもう閉まったみたいだ あの頃の、、副部長を超えるトキメキは誰と寝ても、、一度もなかった
尻の穴に竜巻が入って来るような快感は、、目を閉じると妹の忠告を思い出す「お兄ちゃん!ママが自殺したの!」「自殺、、自殺!なんでだ!」「あんたがオカマだからじゃない!」「このホモ!」
「6000人斬りのセーちゃんって!」「地元じゃすっかり有名よ!」「だから言ったじゃないのよ!」「これをお尻の穴に詰めろって!」「こんなの入ると思うのかよ?」「今だったら簡単に入るでしょ!」
「ガバガバのあんたの尻なら!」「でももう遅いわ!」「もう遅い」「パパは出て行った!」「あんたが家庭をブチ壊した!」「あんたなんか兄じゃないわ!」
それっきり俺は妹を見ていない、、でも妹よ、、一つだけお兄ちゃんに言い訳をさせてくれ 俺は、リアルゲイであることを恥じてない
それに俺は見ちまったんだぜ お前と母ちゃんがレズってるところを!これが現実だ、、初めから幸せな家庭なんかなかったんだ
その瞬間、今までの半生がフラッシュバックしてきた 天国から地獄へ突き落とされたみたいに 思い返せばうちの一家はブランコみたいな
ゆれる、、複雑な一家だった 俺はホモだったし 妹と母はレズだった!親父は浮気してたし 俺はママとよく寝てた
妹はレズで、女の友達とデキてたし 親父の浮気相手は男だった、、これが現実だ、、涙声になっちまうよな、、ホモの兄ちゃんとレズの妹、、フィリピン人の男と
いやこんなエントリ名にしたけど面白かったよ。最終話は結構ウルウルきたよ。
でも最終話だけに限れば若干やりすぎた感がアリアリ。
かくれんぼの出だしは良かったけど、正直最後まで引っ張りすぎという感が強い。
正直最終話だけならとらドラ!の方が形としてしっかり整ってた。
いや楽しんだけどさ。
全体を通しての評価としては…
このアニメの制作陣、とらドラ!といい見れる内容のものを作ってくるし実際見てて楽しい。
ただどっちにも共通するんだけど、トータルで見た時に佳作と良作のボーダーに乗っててジャッジの審判が必要なレベル。
でもよく冷静になって考えると、どう考えてもやっぱり佳作。点数にすると75〜78点ぐらい。
惜しい。すごく惜しい。
とらドラ!とあの花は原作付きとオリジナルという違いはあるけど、何気に弱点が共通してるような気がする。
この制作陣が作る「ふつうの世界」の空気感は悪くないと思うけど、
不要なところでイレギュラーな空気のセリフが出てきてその空気感が台無しになってる。
欲を言えばセリフで見せようとせずに演出で誘導して欲しい…
それとメインキャラの人数が多いために、必要なセリフのようで結果として全体がやや窮屈になってる部分がしばしば。
人数減らすかスポットライトの当て方を一部弱めるかしてほしい。
あの花で言えば鶴子とぽっぽが結構スポットライトを当たってた割にトータルで見た時にgdgd。
あの二人の役割をひとりのキャラクターに統合したほうがいいんじゃね?
パンスト→まどか→あの花 と立て続けに視聴に耐えうる内容のアニメが続いているけど、さすがにそろそろ打ち止めだろ。
夏アニメはきっと不発なんじゃないかなと予測。根拠は何もない。
冬あたりになると震災を大なり小なり意識したコンテンツがどっかから出るだろうから、
それが面白ければそっちを見るか。
これはどっちで受け取ればいいんだろう
>十分なクオリティのweb漫画を描いている作者に必要な注目が当たっていない、だからよりスポットライトを当てるべきだ
こっちなんじゃないかな。
バラバラに口コミするだけだと、
よくする仕組みだと思うよ。
あと、「読者の反応が第一 → なら商業行け」っていうのは極端すぎるし理想論。
商業の底辺よりは、web漫画の上位のほうが人目に触れることも周知の事実。
さらに、作者達は自己顕示欲があるからこそ、サイトで漫画を公開している。
リンクフリーが基本のwebの世界において、本当に少数にしか見てほしくないなら、
読者の反応が第一だというなら、商業目指せばいいんじゃないの?
読者の反応を期待するなら商業媒体で、自分の趣味を優先するならインディーズ媒体で、棲み分ける理想だと思うけど
皆、例えカネは絡んでなくても読者の反応は欲しがるもんだし
これはどっちで受け取ればいいんだろう
1.について言えば、俺は現状でも十分人気web漫画には相応の注目が集まってると思う。2chなんかでもいい漫画は何度も紹介されるしね。「いやそんなことない、埋もれている名作が多い」というなら、まず自分が作者に反応し、応援し、宣伝するべき。
2.について言えば論外。商業として成り立つクオリティの漫画ですらこれだけ溢れかえってる中で、他にも娯楽が沢山ある中で、クオリティの低いweb漫画が淘汰されるのは悲しいけどしょうがないことだと思う。それを救済すべきだという方が理想主義。
正規分布とは http://www.geisya.or.jp/~mwm48961/statistics/stddiv1.htm
少数のデキる人間、有能でも馬鹿でもない多数の凡人、少数のバカとキチガイ
組織という表現をしたけど国家、地域社会、企業、学校すべての集団における人間のレベルがこの通りに分布するのは何故ですか?
二極化というのはデキる層とバカ層にスポットライトを当ててるだけで
人数構成を見ると有能でも馬鹿でもない凡人層が相変わらず最大勢力です。
男と女の割合が性別による赤子の間引きや権力による政策を強行しないかぎり1:1になるのも不思議だったな。
こんなことがわかるのであれば俺も理系に行けば良かったよ。
ここ最近のニコニコのイケメン風歌い手への過度な傾倒はどうなんだろう?
ボカロPが魂を込めて作った曲を、カラオケ感覚で曲の解釈もロクにしないで自分の好き勝手に歌って、腐女子にキャーキャー言われてライブなんかもしちゃって、ガッポリ金稼ぎしてやんの
「オレが歌ったから曲の人気が出たんだろう?」とか言っちゃってる歌い手!、表向きにはありがと~なんてボカロPも切り返すけどさ、ホンネを言えば、お前の人気アップや金儲けの道具としてオレの曲を使うんじゃねーよって思っているんだよ
運営も腐女子人気にすがりたい気持ちもわかるけどさ、イケメン風歌い手ばっかりフィーチャーし過ぎだろ・・・ニコニコ大会議は歌ってみたのイベントじゃなくて、ニコニコ動画のイベントだろ!
ボカロや東方やアイマスや実況やMADやMMDやニコニコ技術部、兄貴も含めて、もっとすげー動画あるだろ!・・・歌ってたカテゴリ以外にもスポットライトを当てないと、マジで他のジャンルのうp主が逃げるぞ
でさ、こっちはマジメに音楽をやって、それを発表したいだけなんだから、ニコニコではいいけど、ボーマスやM3ではあんまし俺らのシマを荒らさないで欲しいワケ
ボーマスに歌ってたみたも少し違和感あるのに、M3にまで進出してくんなよ!ボーイズ
お前らに会うのだけが目的で、他のCDには全く興味のないジャニヲタ同然の腐女子で会場が一杯になっちゃって、ホントに音楽を求めてやってきた俺らの仲間が窮屈な思いをするのは、何かこっちも申し訳なくてサ
っつーわけで、節度を持って共存共栄してきましょうや!お前らだって雰囲気先行でぶっちゃけリアルにはイケメンじゃないんだしさwwww
あー、すっきりすっきり
ヒョードルが負けた。2000年に高阪に負けて以来、じつに10年ぶりの黒星だそうだ。その高阪戦だってファーストコンタクトで不運にも目の上を切ったヒョードルにドクターストップがかかったもので、負けたヒョードルはピンピンしていたし、高阪は済まなそうにリング上で頭を下げていた(このときの高阪の態度はじつに立派だった)。
昨日、ヒョードルは三角締めを取られたそうだ。柔道出身なのにストライカーとしても異能者だったヒョードルは、今までだって何度も三角に取られる展開を経験していたはずだ。相手を倒して前からマウントを取りに行けば、まず下の選手は三角を狙う。それを100%の確率で潰しきってきたヒョードルが、わずか1分かそこらで三角を取られたというのだから、やはり、ヒョードルのなかに変化というか、退化が訪れていたと考えるべきなのだろう。
ぼくはヒョードルと同い年だ。33歳という年齢は、若者というにはトウが立ちすぎているし、かといって立派な大人というには精神的にも銀行口座的にも決して豊かな蓄えがない、そんな感じの世代だ。いわゆる氷河期、76世代といわれるぼくたちの年代でもっとも有名なのはたぶん中田英寿だろう。ぼくは中田がペルージャでのデビュー戦でユーベ相手に衝撃的な2発を叩き込んだことをよく覚えているし、彼が旅人に転じたのを微妙な気分で眺めたりもした。
この10年、中田もぼくも、その程度の差はものすごいのは当然なのだが、いずれも挫折や苦悩を経験し、己の限界を知り、別の道を模索したりしてきたわけだ。ぼくはといえば、ようやく、なんとなく、今後の生きる道のようなものが見え始めてきている。
10年前、大きな挫折を経験したぼくは、その後3年くらいを無為に過ごした。心を殺して死んだ目でアルバイトに勤しみながら、いつ死のうか、とそんなことばかり考えていた。駅のプラットホームで思わず座り込んでしまったこともあったし、アルコール中毒寸前までいったこともあった。6畳風呂なしのアパートは荒れに荒れ、押入れのなかはネズミの死骸と糞でとんでもない悪臭を放った。
何度か訪れた再起のチャンスも、手を伸ばせばするりと抜け落ちていった。がんばって稼いだ金をかすめ取られたりもした。何もうまくいかなかった。そのたびに血が出るほど唇を噛んで、なぜだ、なぜだ、何が悪いんだ、そう自問自答を繰り返したが、巡ってきたチャンスが大きければ大きいほど、ぼくは深く傷つくだけだった。そんな日々のなかで、いつしかぼくは自分に期待することをやめた。人は希望さえ捨ててしまえば、二度と絶望に泣くことはないのだ。ぼくはそうして、生きることを選んだ。
20代の後半になったころ、ぼくは過去のいろいろなものを捨てて、新しい仕事に就いた。その会社のトップを仮想敵に見立てて、そいつらを打ち負かすことだけを考えて働いた。働けば働くほどそいつらは打ち負かされるどころか潤うわけだが、そいつらが「君が必要になった」という顔をする瞬間にだけ快感を求めて、その顔をひとしきり眺めては会社を変えた。今の会社のそいつはたいへんな強敵で、とうてい打ち負かすことなんてできそうもなく、ならばそいつに助けてもらおうと考えを変えた。考えを変えたら、時計の針がゆっくりと回り始めた。気が付けば、10年前にぼくを深く傷つけた場所が、違う立場で目の前に広がっている。
その10年、ヒョードルは勝ち続けてきたのだ。スポットライトの中で、勝者であり続けてきたのだ。そう考えたら、くらくらした。コンマ数秒、気を抜けば打ち負かされていたかもしれない。殺されていたかもしれない。そういう緊張感のなかで、ヒョードルは勝ち続けてきたのだ。
10年前、ぼくは特別な人になりたいと願っていた。その願いに目がくらみ、いつのまにか普通の人ですらなくなってしまっていた。それから普通の人を目指して、いまようやく、普通の人になれたという実感がある。
その10年を特別な人として過ごしたヒョードルは、今回の敗北で普通の「強い選手」のひとりになった。契約の関係で、少なくとももう1試合はリングに上がることが決まっているそうだ。これからもヒョードルは、勝ったり負けたりするのだろう。
本当に面白いのは、これからだぜ?
僭越ながら、そう言ってやりたい気分だ。
でも、厄介なのが承認欲求なんだよな。
単純な性欲より、ある意味そっちのほうが根が深い欲求かも知れない。
なるほど、マズローの五大欲求って知ってるかな。
おそらく、承認欲求よりも生理的欲求の方が、個人的にも生物として根深く根幹にくると思うけれども。
それよりも、生理的欲求=性欲よりも承認欲求=特別な人物になりたい。のほうが強いと感じるってことは、
性欲以外の生理的欲求が満たされているからなんだろうね。
俺は男だけど、女性に関して言えば、スポットライトの当たっている有名人と付き合いたい。
凄い人物と付き合ってる、私凄いでしょ。っていう気持ちも関わってきてるのは間違いないよね。
ニコニコ大会議のライブを観て、ああもう音楽に音楽性なんぞは誰も求めていないんだなということがよくわかった。
って、思えば今に始まったことではなくて、音楽性を求めているのなんて一部の音楽マニアだけで、音楽はいつの時代もコミュニケーションのキッカケ。
人がいる場所でみんなで一緒に楽しんで、スポットライトの先には芸能人ごっこのニコニコアーティスト達・・・でも、それが楽しいんじゃん。
これからの時代、絶対的な価値観なんて希薄化されて、局所局所、その時その時でいかに自分が満たされるかが幸せの価値判断になってくるので、リア充だろうがネト充だろうがニコ充だろうが、とにかく楽しんだモン勝ちだ。
twitterでもmixiでもネトゲでも2chでも何でもいいし、とにかくコミュニティで頭ひとつ抜け出して注目される、カマってもらえることこそが人生の幸せ?
ネタバレといっても原作読んだ人間に対してネタバレになるようなことは殆どない。
演出は強化されているが、基本的には原作に忠実な映像化である。
原作を読んで映像化を今の今まで待ち望んでいた人たちはきっと満足出来るはず。
印象に残った演出は二点。
キョンの選択が可視化されているところと、屋上での約束のシーン。
キョンが長門の理想ではなく現実のハルヒとSOS団を選びとったことが、栞と入部届と言う形で可視化されている。
思えば、どちらも長門から与えられた紙切れ一枚である。
キョンの自問自答の精神世界の中ではスポットライトが照らされてわかりやすく対比されているし、
入部届を消失長門に返すときに、ポケットから滑り落ちた栞を掴み直すシーンにも現れている。
力を込めて握ったのでシワが付いた栞と、綺麗に折りたたまれた入部届というのも対照的だった。
キョンがただの巻き込まれた一般人から、世界を自発的に守るメンバーにジョブチェンジした瞬間が視覚的に描写されている。
ラスト、屋上でキョンが長門に何かあってもお前を取り戻すと約束するシーン。
原作でもそこだけ切り取れば愛の告白にも聞こえるシーンだったが、演出が強化されたせいで余計そう感じた。
長門の手をとり跪いて約束し、多分寒さなんて何でもない長門に対してコートをかけ自分は病院のパジャマ一枚になり、
挙句の果てには「ゆき…」と下の名前を言う(嘘)。
コレが恋愛映画なら間違いなく二人はくっついて終わるのだろうが、生憎これはSFっぽい何かだった。
キョンがえらんだのは長門本人ではなく、あくまで長門がいるSOS団である。
おそらくは長門もそれで満足したのだろうが、見ているこっちとしてはひたすらに悲しい。
最後の選択を委ねたキョンは、長門の理想を選んでくれなかった。
見た目は告白だが、その実意味的には振られたも同然である。
あと、杉田は本当にお疲れ様。長門とキョンの物語なのに長門はさっぱり喋らないため、案の定2時間半モノローグ込で喋りっぱなしである。
エンドレスエイトのガッカリ感を吹き飛ばしてくれる素晴らしい映画だったが、原作があんな調子では涼宮ハルヒシリーズの映像化はこれで最後かもしれないと言う予感もする。
あけおめ。
年明け増田一発目、ってことで
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=1231&f=it_1231_008.shtml
宝くじ買った人バイアスかかって増えたんだろーに。引っかからなかった?
http://d.hatena.ne.jp/favre21/20090626
得するためなら、リスク回避趣向バイアス。損失回避のためなら、リスク選択趣向バイアス
得する話は、早く得を確定したくなり、できる限りリスクを回避しようとする。
逆に、損失が目の前にある場合は、それを避けようとする為のリスクを採ろうとする。
できる営業マンは、相手にリスクのある提案は目の前にある損失にスポットライトを浴びせ、逆に、リスクのない提案は「得の」の部分を強調する。
たとえば合コンの席で。
そう、一人が唐揚げにレモンをかけてしまったがゆえに起こった悲劇・・・
友人A
『はあ?お前何キレてんだよ。たかが唐揚げにレモンかけただけじゃねーか。
これが最高に美味いんだよなーwこの美味さがわかんないなんて、人生半分損してるよねーw
あのな、よく考えてみ?なんでレモンが添えてあるんだよ。最高に相性が良いからだろうが』
友人B
『唐揚げ+レモンが正解なら最初からかけられてるかレモン味付けられてるだろバカが。
何のためにレモンが別に添えられているのか考える頭もないんだな。
その食感と香りが食欲をそそり、柔らかく揚がった鶏肉を噛んだ瞬間ふわっと肉汁が滴り落ち口の中で広がる。
ところが、レモンてやつはそいつを全部ぶち壊してしまう。
ああそうさ、お前は名プロデューサーだよ。
脇役だったレモンが、お前の手にかかった途端にスポットライトが当たって一瞬にしてスターだ。
だがな、唐揚げとレモンのハーモニーが最高だとか間違っても思うなよ。
お前がやったことは単に唐揚げの本当の美味さを殺しているだけにすぎない。
おまえ、レモンのチカラ見くびんなよ!』
友人A
『そこまで言うなら、じゃあ教えてくれよ。
唐揚げにレモンをかけなかったら、何にレモンをかけたらいい?』
友人B
『俺は、なにも唐揚げを酸っぱくされたからって怒ってるわけじゃないんだよ。
大勢で取り分けて食べるものに、さも当たり前のようにレモンをかける神経が許せないんだよ。
全員の確認も取れないのに、勝手に料理の味変えてんじゃねえよ、図々しい。
その神経が許せない。俺はその神経に対して怒ってる。
お前は昔からそうだよな。高校の体育祭でお揃いのTシャツ作ろうって言い出したのもお前だよな。
ウキウキしてそれはそれは楽しそうに。そんなの着たくもない人がいるなんて頭の片隅にも思い浮かばずにさ』
友人A
『…お前はいつだってそうだ。遅いんだ。いつも一歩遅いんだよ。わかるか?
あの時だってそうさ。体育祭でTシャツを作るのを決めた地味な学級委員長は本当はお前のことが好きだったんだ。
お前と一緒に想い出をつくりたかったんだよ!ずっと彼女は俺に相談していたんだ!
だがお前は彼女の気持ちに気付かなかった!両想いになれるはずだったのにもかかわらずだ!
俺が彼女と付き合い始めた後お前は散々文句言ってきたけど、お前が先に彼女に手を伸ばしてやればよかったんだ!
今だってそうさ!唐揚げの皿がテーブルについた瞬間、戦いは始まっていたんだ。
お前は俺より先に手を伸ばしさえすればレモンもから揚げも守れたんだ!
それなのに後から愚痴グチ言いやがって・・・ もうレモンはかかってんだよ!
いつまで過去向いて生きてんだよ!いい加減空気も、先の人生も読めよ!』
友人B
『…これは言わないでおこうと思ったんだが・・・。
この間飲んだ女の子覚えてるか?ほら、お前が一番可愛いって言ってた子だよ。
みんなで連絡先交換した後俺も電話してさ、冗談混じりに唐揚げのこと聞いてみたら、あの子なんて言ったと思う?
嬉々として唐揚げにレモンをかけながら「これがウマいんだよねーw」って言うお前の顔を見たら何も言えなかった、って。
お前は、「やっぱりから揚げにはレモンだよねー!」って満面の笑顔になって全力で空気を読んでしまう、
協調性の塊みたいな女の子がいるってことを考えもしなかったのか?
本当に空気を読んでなかったのはお前なんだよ!いい加減気付けよ!!」
俺「よしわかった。もう一皿頼もう」
友人A&B
『それじゃ揚げ物が多すぎて他の料理とのバランスが崩れるだろうが!!』
『アタシは別にどっちでもいいし。まあレモンかかってないほうが好きだけど。
それ言うことが面白いと思って言ってるやつが大半なんだよね。
かといって「レモンかけてもいいですかー」って確認とるやつもうざい。
そんなのいちいち聞くなっつーの。
アタシはレモンがかかったら黙ってあまりかかってないのを食べるよ』
友人A&B&俺
『・・・』
「っていうのココリコミラクルタイプに応募しようと思うんだけど、どう?」と俺がmixiで書いたら
「長いから3行でまとめて」ってコメントされて泣いた。
ココリコミラクルタイプがどうとか触れてもくれなかった。
それがmixi。長く付き合ってる友達とはそんなもんです。
ネタバレ有
既に結末は二回描かれている。そして数多の二次創作によって様々なEVAが描かれ、消費されている。
この作品がシンジの成長物語でしかないのであれば、シンジは描かれる度に、「物語」に翻弄され、何度も何度も身を削られ、苦痛に顔を歪まされ、辛い思いをさせられ、凌辱され、蔑まされる。それはあたかも2000年以上も磔にされ続けている「彼」のようである。
「破」はその無限円環に続く原罪からシンジを救う物語であった。
10年前、シンジは全てを失い、その代償として、ここにいても良い理由を見つけた。失ったものは余りに大きく、観る者には不快感と絶望を与えた。庵野は観客からも全てを奪い去っていった。
TV版も劇場版も、共に「大きな物語」に翻弄される「弱い子供のビルドゥングスロマン」だった。
大人になると解る
「この世界には自分の為に用意されたセットなど何も無く、スポットライトすら無く、自らの居場所は自ら創りだし奪い取って行くものだ」
自愛から慈愛への転換。
真希波という新しいキャラクターは「幸せは歩いて来ない、だから歩いて行くんだね」と謡った。彼女は前作へのアンチテーゼとなっている。
その真希波に誘われるように新しい物語は進み、シンジは彼女の信条を転移したかのように、その意志で自らの道を歩み出した。大切な、かけがえのないものを守る為の自己犠牲という愛の形。
綾波の命が失われずに済んだのも、トウジの妹が退院し、トウジの片足が失われずに済んだのも、アスカがメンヘラーにならずに済んだのも、全ては「破」においてシンジが慈愛に目覚めたからである。
アスカは予告において、旧劇場版のラストシーンでTV版第一話の綾波と同じように「包帯」で巻かれた左目を、伊達公宜しく威風堂々たる「漆黒の眼帯」に変えて現れた。アスカは明らかに、前作よりもキュートに、セクシィに、力強く描かれている。
庵野秀明は、「誰も不幸にならない世界」を描こうとしているのかも知れない。稚拙かも知れないが、物語として、純粋に強度のある作品を創ろうとしている。最高のエンターテイメントを。
EVAは、日本製アニメーションには珍しく、海外での評価が低く国内、国外での温度差が激しい。理由としては、特にシンジの評価が低い点が挙げられる。庵野秀明のように才能のある作家の作品としては珍しい。
シンジは、最高のエンターテイメントを指向する際に、庵野自身にとって克服すべきハードルであった。
新劇場版で庵野は「破」において、既に数多描かれている「弱い子供のビルドゥングスロマン」を早々に切り捨て、新たなステージへ観客を誘っている。
乗るか反るか、観客は庵野に試されているとも言える。庵野が今までも、観客の期待を裏切り続けてきた事を鑑みると、私達は新劇場版を、数多のEVAとは全く異なるモノとして観る必要があるだろう。
次世代を担う若者へ、不安が支配するこの世界で希望を与える物語として、新たに書き換えられたエバの全く異なるもう一つの姿に、観客は堪えられるか。
私達の強度が試されている。
http://anond.hatelabo.jp/20090501205227
今イタリアにいる僕は参加できないし、おそらく日本にいたとしても参加していないだろう。
今の地位を築くために失ってきたもの、それが僕の少年時代だった。
両親が音楽家だったせいもあり、当然のようにクラシックかかる家で、幼稚園に入る頃にはピアノを習わされた。
幼稚園の頃は、音が出るだけで楽しかった。
うまく弾ければ先生がほめてくれたし、発表会でステージにあがるのは、「大人」になった気分で、
ものすごく緊張したけど、そこで弾くピアノは最高に気持ちが良かった。
真っ暗なステージ。
いつもよりもいいピアノで、当時の僕でも分かるくらい音が違った。
ただ、小学校に入ってからはそうもいかなかった。
友達が遊んでいる中、僕はひたすらピアノの練習をしていた。
ファミコンなんてしたことがない。
ドラゴンクエスト、というのが流行っているというのは知っていた。
親に今度の発表会で金賞を取ったらドラクエ3を買ってとおねだりしたら、思いっきりぶたれたのを覚えている。
頭の中が真っ白になった。
でも、ピアノを弾いて見返すしかないと、ひたすら練習に励んだ。
クラスメイトの話題について行けず、ピアノをやっていると言ったら、「男なのにピアノやってるの?」と思い切り笑われた。
それ以来、僕は人にピアノのことを話すのはやめた。
たぶん、僕はピアノを最も愛しながら、ピアノを最も憎んでいた。
出し物の都合でピアノを弾ける人が必要になった。
「誰かピアノを弾いてくれませんか?」
文化祭実行委員が立候補をを募る中、僕は手を挙げようか挙げまいか迷っていた。
当然のように、僕はピアノをやっていることを誰にも話していなかった。
マンガ、ドラマ、ゲーム、みんなの会話に何一つついて行けず、かといって勉強や運動が出来るわけでもなく、
いてもいなくてもわからないような存在。
ピアノがなければ、僕は何も出来ない男だった。
ピアノさえなければ。
ずっとそう恨んできたが、その時、初めてピアノが役に立つと思った。
最後の文化祭。
言い方は悪いが、普段の練習からすれば、たいした曲ではないだろう。
それでも僕がみんなの役に立てる唯一の機会。
ピアノが僕をクラスメイトから遠ざけてきたけど、今、初めてピアノが僕とクラスメイトを結びつけようとしている。
手を挙げかけた瞬間、小さな声がした。
もう名前も覚えていない、僕と同じように地味な女子だった。
意外な立候補に周囲がざわめいた。
「○○ってピアノやってたっけ?」
「あいつにできるの?」
それでも彼女は、震える手を下げようとしなかった。
僕の居場所は、なかった。
文化祭は大成功だった。
受験も控えた文化祭で、はじめはあまり乗る気ではなかった人も多かったが、ピアノをろくに弾いたことのない彼女のために、クラスが初めて一丸となった。
元々器用ではない彼女が、いきなりピアノを初めて、うまく弾けるわけがない。
練習中に彼女があまりに弾けなくて「ごめんなさい」と泣き出したこともある。
それでも演奏が出来るパートのみにうまく再編成して、文化祭を成功させた。
その後、僕はとあるコンクールをきっかけに、欧州の楽団からスカウトを受け、
当然、僕を見送ってくれる人はいなかった。
パソコンを閉じた後、
密かに練習していたものの、
結局一度もみんなの前で弾くことのなかった高校の校歌を、
一人、奏でた。
:::追記:::
当然だが、創作だからね。
題名もつけてみた。
元増田(とそのクラスメイト)があんまりにも一方的な怒りを感じていたので、勝手に妄想して書いた。
だから、元増田の怒りを踏みにじるつもりはあるw
ピアニスト君は、本当はみんなと一緒にやりたかったかもしれないよ?ってのを、
ラストの練習はしたけど、一度もひかなかった校歌のくだりに託してみたw
彼への肯定的な想像力があってもいいんじゃないかと思う。
したことにせよ、しなかったことにせよ、相手の決断を尊重できる人でありたいもんだね。
主に anond:20090110141147 この辺に反応して。
理系ガチ非モテの俺の私見だけど、非モテは優しい、ってのは一理あると思ってる。
ただ非モテと女の子で「優しい」が違うんじゃないかっていう気がする。
非モテの言う「優しさ」は、相手を対等に扱うとか、理不尽な要求をしないとか、
暴力振るわないとか、困っているひとがいたら助けるとか。
要するに fairness の問題で、大雑把に言うと「みんなに優しい」がコンセプト。
女の子の言う「優しさ」は、そうじゃない。
上手くいえないんだが、たぶんもっとピンポイントなんだ。
自分を優先してくれるとか、host してくれるとか、エスコートしてくれるとか、
自分に(自分だけに)特別な価値を与えてくれる、演出してくれる、そういう振る舞い。
要するに host の問題で、「私に優しい」がコンセプト。
モテる DQN とかはそんな風に「女の子にスポットライト向けてあげる」のが上手いんじゃないか。
でも非モテ的に優しい人間は「向けてあげる」なんて上から目線の表現がもう「優しくない」と思ってる。
あと非モテ的な優しさは「演出」なんてしたら欺瞞。
でも女の子的な優しさは、どっかしら「演出」じゃなかったら酷いエコヒイキ。だから誰も「演出」を非難したりしない。
この埋めがたい価値観の差。
非モテとかいわゆる「いいひと」(≒草食系男子?)を狙ってる女子のみなさまは、この違いに気をつけるといいと思う。
この違いを理解して認めるのも一興だし、「私だけに優しい」部分を徐々に大きくするように仕込んでもいい。
がんばって幸せになってくれ。
「憎いよつんく!この後一曲目がモーニング娘。の新曲“ハッピーサマーウェディング”なんですけど、もう目の付け所が銭だね!番組でプロデュースコーナーやるんで参考にASAYANを見てたんですけど、この曲って今まで結婚式で新婦のお友達のOL達が歌っていた“てんとうむしのサンバ”利権を根こそぎ奪って『黄金色のモチじゃ!モチじゃ!』って…俺は何で音楽業界を泥臭い話でしか語れないのかが良く分からないんですけど。」
「いや違う違う、全国の幸せな瞬間に自分の歌が流れる喜びか?しかし…如何にも『サッ子は職場のアイドルで、私達に振りまいてた明るさを…明るさがタカ君だけの物になるなんて少し羨ましいですけれども』ってなんかもういい話じゃないですか。そりゃあね、車庫から俺の特別仕様の8tバキュームコンボイが出てくる映像が克明に頭に浮かんできますよ!」
「OL時代の友達が3、4人配置に分かれて、ホテルマンがそれぞれのマイクの高さを調節し、カラオケの最初の何章節かが流れ始めますわな。その瞬間、俺の車庫でスポットライトが点灯し重厚なエンジン音が響き渡り!自動車庫のシャッターが途中まで開きかけた所でバキュームコンボイがシャッターを突き破って出てきますよ!物凄いスピードでフォーミュラ用のタイヤが唸りを上げながら火花を飛ばし、角のゴミ収集場のポリバケツをふっ飛ばしながらめざすは結婚式場!」
「やっと歌い出す段階で既にホテルの入り口ですよ!『そのスピードで駐車場は無理です!』と言いながら警備員のおじさん達が蜘蛛の子を散らすように果てたところで、サイドブレーキをガツーンと後輪ロック!扇を描くように車体が回転しながら1階大宴会場に横付け!『ハッピーウェディング!ハッピーウェディングでございます!』と逆墳ボタンをボチィ!あまりの急制動に頭がフロントガラスを突き破り、額を血で染めながらも『結婚おめでとう!』」