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2011-10-20

アゴタクリストフ『悪童日記』の各章の章題(タイトル)まとめがなかったから作った

おばあちゃんの家に到着する

おばあちゃんの家

おばあちゃん

労働

森と川

不潔さ

体を鍛える

従卒

精神を鍛える

学校

紙と鉛筆ノートを買う

ぼくらの学習

ぼくらの隣人とその娘

乞食の練習

兎っ子

盲と聾の練習

脱走兵

断食の練習

おじいちゃんのお墓

残酷なことの練習

ほかの子供たち

郵便配達夫

靴屋さん

万引き

恐喝

非難

司祭館の女中

入浴

司祭

女中と従卒

外国人将校

外国語

将校の友人

ぼくらの初舞台

ぼくらの見世物スペクタクル)の発展

芝居

警報

"牽かれていく"人間たちの群れ

おばあちゃんの林檎

刑事

訊問

監獄で

紳士

ぼくらの従姉

宝石

ぼくらの従妹とその恋人

祝福

逃走

死体置場

おかあさん

ぼくらの従妹の出発

新しい外国軍の到着

火事

終戦

学校再開

おばあちゃん、葡萄畑を売る

おばあちゃんの病気

おばあちゃんの宝物

おとうさん

おとうさんの再訪

別離

2011-08-23

http://anond.hatelabo.jp/20110823024723

この抗議活動一般について僕は積極的立場ですね。

ただ、思うに、そういう政治重要事案じゃないからこそ、これだけ多くの人が集まったのかな、とも思う。

韓流ゴリ押し反対」というのは、政治的なようでそれ自体は政治問題ではなく、「公共的な性格をもつ国内民間企業への批判」にすぎない。だからこそ、特定の政党に関与したり変に利用されることなく、これだけの人を動員できたということはあるだろう。日本人の多くが「政治」より「テレビ」に関心を持っているという事実も、今回の動員に味方した。

 

「もっと重要なことがある」と言っても、「もっと重要なこと」にはどうしてもキナ臭い政治が絡んできて、ネット上でさえこんな大きな潮流を作れないだろう。その意味では、対韓国政治問題のとっかかりとして大きなデモを行うには、むしろ今回のテーマベストだったとすら言えるのかもしれない。

これは極めて大きなポイントだと僕も思います

ノンポリ、シラケ世代というものが出てきて、私たちは政治にリアリティを持つことができなくなったのではと思います

振り返れば60年代70年代の闘争にあって、おそらく政治はよりリアリティある身体感覚を実現できていたであろうと想像します。

そうであればこそ文化の領域において『特権的身体』なるもの標榜するアングラなんかがでてくる。現状に対する違和感自分たちの手で具現化しようとしたと。

ところが闘争の祭りが終わって、この違和感は消費活動と直接的なスペクタクル提供するテレビによって解消されるようになっていったと。

で、政治を知る私たちの大きな手段もテレビで、つまりは私たちは、どんどんどんどん、自分の身体で政治に触れることがなくなった。

劇場的な政治みたいな言葉も一時ありましたね、小泉政権ぐらいから。

もう私たちにとって、政治現在を私たちの身体でもって変えようという(身体)感覚は極めて遠いものになってしまったんでしょう。

(ネットコミュニティにおける暴力性も、こうした極端な受け身の立ち方の裏返しと考えられるかも。)

で、今回の抗議活動は、主題がどうあれ、積極的かつアクチュアルな身体でもって、そこに行き、歩き、語った。

これは極めて健全社会活動の在り方だと思います

先日、南欧ポルトガル革命後数年の国内状況に関するドキュメンタリーを見ました。

そこで衝撃的だったのは、貧困にあえぐ農家の老婦がかたる、「政治は関係ない。私たちの生活を何も変えない。革命も何も変えなかった。」という言葉です

本来政治に無関心になることは、これだけの絶望にあって初めて現れるべき姿だと思います

全くまとまりのない文章ですが、リアクションとして。

2011-03-20

すごく不謹慎なことを書く。

ようやく、原発事故収束の兆しが見えてきたのだろうか。ぼくの知り合いで東京から脱出した人も多くいて、感受性が強いというのはたいへんだなぁ、と冷静を装っている。このへんはもはや「誰をどれくらい信じるのか」というイデオロギーにも似た問題であり、ぼく自身としては「さすがに東京で死人が出るほどの事態になれば政府も『逃げろ』って言うでしょ、常識的に考えて」と思っているので、自宅で淡々と週明けの仕事を待っているという状態だ。ガソリンがないので週末の日課になっていた映画レイトショーにも行けない。そもそも上映しているのかどうかも知らないけれど。

ところで、今日は一時的に震災報道が途切れた。

それまで意識していなかったけれど、震災当日にほうほうのていで帰宅してからというもの、ぼくはテレビに釘付けだった。通勤中はラジオTwitterで常に情報を入れていたし、寝室でもUstreamNHKTBSを2窓で開いていつの間にか眠りにつくという有様だったのだが今日、それが途切れたとき、猛烈に不安になった。終わってしまう、と思った。

ぼくは完全に、震災報道中毒になっていた。不安と恐怖を摂取することに慣れてしまい、あまつさえ快楽さえ覚えていたのかもしれない。以前は震度3などという地震がくれば文字通り震え上がっていたぼくだが、毎晩余震に揺すられるうちに「今回は警報が間に合ったな、今回は外れだな」などと緊急速報を値踏みしたりしている。

ネット上にはさまざまな情報が流れている。政府中途半端情報開示に憤る人、独自の論で不安をあおる人、美談に触れて涙する人。そうした人々を追いかけ、共感したり、ひとり嘲笑したりしている。

思えば911ときも3日間くらいテレビに貼り付いたが、あのときはすぐに日常に戻ることができた。言うまでもなく、それは対岸の火事だったからだ。

今回、東京は絶妙な距離感にある。最悪の事態が発生すれば、ぼくの日常が吹き飛ぶかもしれない。幸い今のところ身近な人に具体的な被害が出ていないこともあって、この事態がたまらなくスリリングなのである

仙台空港が飲み込まれていく、あの壮絶な津波映像が、スペクタクルプロローグしかなかったなんて、あのとき誰が思っただろう。

「町は壊滅しています」「死者・行方不明者が1万人を越えることが確実と見られます」なんと魅惑的なセリフなのだろう。

新幹線で数時間土地原発が爆発するなんて、誰が想像しただろう。

そのスリル拍車をかけるのが、計画停電だ。信号機が消え、交差点を徐行するバスタクシーの緊張感たるや、まるっきりスクリーンの中だ。エレベーターが止まって自室の7階まで階段で上がる経験なんて、もう二度とできないかもしれない。うきうきしてしまう。

このまま死んでしまたい。そう、強烈に思う。

今の刺激に慣れてしまえば、あとは倦怠の日々が続くだけだ。聞くところによれば、計画停電は夏すぎまで続くのだという。面倒でたまらない。経済だって下降するだろう。そんななかで、いったいいつまで被害者冥福を祈ったり、知らない土地復興を祈ったりすればいいというのだ。原発処理には数年かかるというじゃないか。2万人も死んだっていうじゃないか。それを忘れることなんて、できるわけないじゃないか

冗談じゃない。もう何も楽しめない。もう何も楽しめない。

2011-01-15

あなた伊達直人を殺したがる理由。

寄付流行ってるね!

 増田寄付は大好きだよ! 施すほうじゃなくて、受け取る方としてならね!

 なんだか一億総ポトラッチ化が進んできました昨今、増田が由緒正しきネトウヨであったら「ゲヒヒ、次は国を隣国に寄付ですか?」と揶揄の一つも売ってやるところだけどはてサは恐いし増田はそもそも右翼じゃない。ただの逆張りが好きな女子中学生だ。そう考えて読むと気分いいよ?

 

寄付disりが流行ってるね!

 流行ものをとりあえずdisとくのはウェブに生きる天邪鬼としてのたしなみだよ! みんなも若いうちは、無闇やたらに反発するといいんじゃないかな? 

 でも実際twitterとかでこの手の逆張りやってんのは三十代のピザデブハゲ女子中学生たちなので、きみたちの健康精神に大ダメージを与えるよ! 貧弱な想像力は時にみずからの命を助けるね!

 ところでなんでぼくらはタイガーマスクきどりどもが嫌いなのかな?

 不思議? ふしぎだよね!? だって寄付ってすごいいいことなんだよ? ただの偽善じゃない。誰も傷ついてない。与えるほうも貰うほうも、みんな得してる。死んだビジネス用語でいうところのwin-winってやつだね。そうそう、未だに会議win-winなんていう単語出してくる上司をみかけたら、さっさとその会社の四階から飛び降りたほうがいい。

 

まあ、とにもかくにもぼくらは寄付ブームが嫌いだ。

 なぜか。

 まあそんなことは上でさんざん申し述べてきたように、ぼくらが「どうしようもない天邪鬼だから」で済むんだけど、世間はそれじゃあ納得しない。反対するなら説明すべし。感情論は排してな。

 と、ぶっちゃけバカに理論的な説明求めるなんてバカなんじゃねえのと思うむねがあるかもしれない。けれど、ココは天下の往来はてな匿名ダイアリー。またの名を皆殺しの増田

 説明責任逃れは問屋がおろさない。せめて嫌悪感の根源くらいはつきとめないといけない。

 とはいうものの、「なぜ私は寄付ブームが嫌いなのか」を論理的に説明するのは、おそらくアジを三枚におろすより難しい

 この手の喧嘩でよく使われる殺法は「だって寄付者が迷惑がってるじゃないかやめてあげなよ白豚野郎」と「親切の押し売り、大きなお世話」を強調するやりかただ。

 ここでぼくら天邪鬼は施す物-施される物、という図式を瞬時にして加害者-被害者という関係に塗り替えることでスペクタクルカタルシスをおぼえるんだけど、それで非難される無辜の大学生ボランティアとかはいい迷惑だよね! いい気味ですね! 

 そう、善意の悪人は悪意を自覚している悪人よりも罪が重い。なんだかよくわからないけど、ぼくらはそう信じちゃってる。漫画か何かの影響ですよね。あるいはお母さんについて、何かトラウマがあるのか。

 まあ、ともかくしかし、タイガーマスクについてはなかなか「迷惑してる」という話は聞かない。少なくともビル・ゲイツより広くておーつねさんより狭い増田の観測範囲では、見当たらない。被害者存在しない。まあ「あの手の寄附行為ばっかり報道されて恒常的に寄付を行なっている人たちが無視されてる」って声もあるけど、そんなもん、もともと無視されてたわ。

 「みんなが得した」ここが、今回の件でやっかいなところだ。火のない所に煙は立たないし、煙が高いところにのぼらなければバカもまた踊れない。

 さて、実はここに今回のぼくらが抱えるフラストレーションの一端が隠されている。

 つまり、「いつもとおなじように偽善者を叩けると思ったら、おあずけくらってしまった」ってわけ。これってとってもストレスフルな状況じゃない? 犬みたい? 哺乳類と比べられるだけマシさ。

偽善者という言葉が出てきたけれど

偽善くささが嫌い」。

 よくタイガーマスクを批判する時に聞かれる言葉だ。

 偽善ってなんだろうね? 寄附行為に限定して考えてみよう。広辞苑定義を持ってくるのは、頭の悪い学生にやらせておけばいい。ぼくらには集合知の究極体、wikipediaさんがいるのだから

寄付(きふ、本来の用字は寄附。寄付は代用字)とは、金銭や財産などを公共事業公益・福祉・宗教施設などへ無償で提供すること」

 フリーミアム! 

 「無償」とはつまり、見返りをもとめないということだ。税金控除される時点で見返りもクソもないだって? まあ、それはここでは関係ないから頭から弾いてくれ。

 さて、タイガーマスクたちは偽善的な寄付であるか。

 この議論は彼らが「見返りを得ているか」の一点に集約される。

 もちろん、違うよね? 物質的な恩恵はもちろん、名誉すら得られない。だって匿名だもの。キャラクターだもの。「タイガーマスクはえらいですね」っていくら古舘さんがつばはいコメントしても、それは神奈川県在住の庭師・津田大介さん(48)を褒めたことにはならない。まあ、2chでアンカもらえたときたいに「存在すること」の承認を貰える快感はあるかもしれないけど、自己承認欲求そのものが満たされることはない。ランドセルは一個9000円。六つで54000円。あなた2chでアンカもらうためだけにこれだけの金額を払おうと思う?

 善意証明するのは極端に赤字な収支なんですね。

自分がいいことをやった」という自己満足キモイ

 でも、実際金髪……津田さん(仮名)は「いいこと」やったじゃん。子どもたちの反応はともかく、施設は受け入れてるじゃん。全然ひとりよがり自己満足ちゃうやん。


はいーみんなちゅーもーく、いまさっき高田くんがいいこといいました

自己満足キモイ

 はい、これ超重要

 自己満足っていうのは充足してるってことです。いわゆるリア充

 はいみんな思い出してー。

増田は他人の幸せがなにより大嫌いです。リア充っぽいのが大嫌いです。

 っていうか、今回に限らず「ボランティアフォビア」だの「NGO死ね」だの「人権団体とか環境団体とかバカヤロウ」だのを表層だけで叩いてるとか、

 っていうか、ぼくらが何者かを叩くときの原動力は、たぶんだいたい、コレ。

 だって妬ましいじゃないですか。嫉ましいじゃないですか? 死ねばいいじゃないですか?

 自分が善人だって自覚するのはなにより強烈なうぬぼれですよ? ましてや、ヒーロー自分をかさねて? 「悪ふざけだもん」ってみんなにバレバレな形で照れ隠ししてたりして?

 ハンッ!

 そんな綺麗事、罪じゃないわけないじゃないですか

 彼らはまごう事無き「善人」であるからこそ、叩かれるに値するのです

 だって、妬み深いクズですもの、ぼくらって。

 まあ、結局は、感情論ですね。天邪鬼の。


さて、クズであるところの増田さんたちはこれからどうあるべきか。

 死ねいいんじゃない

 それがイヤならアラを探すんだ。マスクどものアラを。徹底的にひとりひとりの素性を洗いだして、瑕疵を探しだせ。これだけいるんだ、ひとりふたり後ろめたいのやら奇抜なのやらは混じってるだろう?

 特殊な例を普遍化しろ。延焼させろ。大火がみたい。燃やし尽くせ。

 それがぼくらの帰納術。

 でも今回はそれが通じるかしら? しょせんは匿名が個人を葬るための技術

 匿名匿名を殺す、新しい時代戦争に対して、ぼくらはあまりに無知ありすぎる。

 

 

 

2010-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20101118234516

世界史日本史も好きな一社会人の意見だけど。

試験対策も何もなく、ただ歴史教養として知りたい・学びたいってんなら、文学として捉えるのが一番取っ掛かり安いと思う。

これ以上ないくらい大スペクタクル人間ドラマが展開してるんだからさ。

大河ドラマ見るでもよし。

歴史小説読むでもよし。

ゲーム漫画だってありだ。

その中から気になる人物や事象や土地があればそこから歴史を掘り下げていくといい。

好きなこと・興味あることってのは一番あたまのなかにスラスラ入ってくる。

最初っから全体像を通して通史を理解して・・・っていうより、連続短編小説だと思って好きな土地の好きな時代からwikipediaでも何でも読んでみると覚えがいいんじゃないかなあ。

正誤は二の次で。

ただし常にその描写が誰によってどんな媒体に書かれているかを頭の隅で考えながら。

(これをしないと、まったく違う意見に出くわしたときに脳内がついていかない)

必要なのはモチベーションの維持。

そのためには好きで居続けること。

面白ければ興味は尽きない。

試験なんてもう無いんだから、好きなように学べばいいんだよ。

2010-07-16

http://anond.hatelabo.jp/20100716152516

ちがうよ。

小二病中二病⊇高ニ病⊇大二病⊇社二病

だよ。

と思ったけどこれって元をたどるとどこまで行くんだろう。

コロコロ超人無双スペクタクル、が小二病

数人の超人が君臨し周囲を無双、が中二病

超人なんていないよ、みんなどんぐりだよ、が高ニ病、

どんぐりなんてもんじゃないよ、みんないっしょでみんなちがうんだよ、が大二病

みんなこうやっておとなになるんだよ、きみはまだ若いから仕方ないけど、いずれわかるよ、が社二病


じゃあ、小二病の前に何があったのか

はっ

ぼくはうちゅうのしんりを知ろうとしているのかもしれない。

2010-03-14

映画の日本版予告がつまんない件

youtubeで見る海外映画トレイラーとかは

キャラも設定もわからないけどすごそう!」って感じだけど

映画放映前の宣伝CMがクソつまんねえ。

舞台説明

主人公に襲いかかる困難、失恋、別れ

主人公の決め台詞と直後に流れる主題歌

この冬最高のスペクタクル!みたいな




もうこのテンプレは飽きたっつーの。

社会記事をネタにしても最終的には自分語りにしかならなくなる

某アホはてなーじゃあるまいし。

2009-08-20

かつては「家」というシステムがきちんと運営・循環されていた。

しかし「家」から出て行く自由を許し、

「家」というシステムを成り立たせる構成員=家族がいなくなった為,

「家」というシステムは循環しなくなり、希薄となった。

っていう過去の上に今が乗っているよね?

サマーウォーズを観たけれど、プロットは良いと思った。

「かつて」をスペクタクルで見せてくれる。

それでいてその描き方が「ペシミストになれ!」って方向ではないから、

お婆ちゃんを失った陣内家の崩壊は、ラスト,スゴくそう快な

カタルシスでやってくる。

お婆ちゃんが亡くなって、「仇討ちだっ!」って男たちが活気づいて、

最後、「家」はそう快に半壊すんの。

アラワシの直撃は回避するんだけど、衝撃波はあって、ちゃんと半壊する。

でも、みんなぴんぴんしてんのね。

明るくお葬式とお誕生日なの。 大円団なの。

そういうプロットは良いと思う。

でも何が惜しいかっていうと、主人公の健二でね。

「なんで健二を主人公にしてるのかなぁ?」とついつい言いたくなってしまう。

時かけの時にも思ったけれど、「我が身を削って物語を顕現させる」っていう

姿勢ではなく,大多数の当たり障りのないところに落とし込むのな。

それだったら、佳主馬を主人公として、夏の娯楽映画として、

少年成長物語として構成した方がよっぽど素直に観れたよ,と思うのです。

健二が旧家に飛び込む現代っ子代表だったら、「自分の家では一人だったので、

この家に来れて嬉しい」っていうのを演出で見せて、受け手に委ねてくれればいいのに

台詞で言っちゃうしさ。(台詞で言えたら、彼は素直だね。って広がりのみさ!)

健二は数学天才って設定だけど、それ以上に、あの年頃の男の子で、

ああ素直なのは、きっぱり特異だよ。

健二は裏方に徹っし、格闘ゲームチャンプ子供の佳主馬と、健二が

憧れる先輩で女の子の夏希がバトルは受け持つので、それでそのふたりが、

素直に頑張る健二の横顔に、ぽーっとなるから、平衡はとれてるけど。

「今の男の子にとっての家」っていうのを、描き出すには、

健二はあまりにぶれてない(健二は侘助とも対比になんない‥!)

家族愛情なんて、同じ釜の飯でも喰ってりゃ、後からついてくるもの。

そういうスタンスで作られたこの映画において、健二が旧家の大家族

受け入れられることはさほど問題じゃない。

(だから健二が素直でさっさと問題解決なのはイイ!)

旧家は壊れて、じゃあ新しい「家」は?

新しい「電脳共同体」という大きな家族の在り方は?

それらは尻すぼみっていうか、別段提起されてなくってさ‥‥

健二みたいな子が、ウチの婿だったら可愛い!って理想男の子話に

摩り替わっちゃったYO!っての。

まったくサマーウォーズ平和だよ。高校野球の試合も中止にならないわけだ。

2009-08-16

http://anond.hatelabo.jp/20090816014409

外人部隊って語学とかのお勉強が辛くて挫折する人が大半らしいけど頑張ってね。

多分思い描いてるようなスペクタクルに満ちた生活じゃないよ。

2009-07-05

俺の碇シンジを返してくれ

ヱヴァを昨日観た。まだ気分がもやもやする。増田で申し訳ないが、世間の絶賛の波に乗れなかった一人として感想を書き留めさせてほしい。(以下ネタバレを気にする人はスルー推奨)




旧作エヴァはとことん愚直に立ち止まって考えるアニメだった。「ぼくが何をやっても人を傷つけるだけだ、だったら何もしないほうがいい」。ロボットアニメの主人公がこんなことを言ってしまったら、物語はどこへも進まないのは誰が見てもわかる。あまりにミもフタもなさすぎる。だけどそこまで言ってしまうミもフタもなさに俺は惹かれた。ロボットに乗って戦う少年少女という「いかにもアニメ」な世界観を提示しながら、そこから視聴者を突き放すのがエヴァだった。


ああ、なのに。それなのに。10年経って帰ってきたのはいかにもヒーロー然とした碇シンジとそれを取り巻く生暖かい級友たち、そして予定調和がいっぱいの「いかにもアニメ」な世界だった。あのメガネ娘が空からシンジに衝突して「メガネメガネ…」と地面を撫で回し始めたところで俺はげんなりした。さんざんあれこれ遠回りして、結局戻ってきた場所がここかと。製作者は「アニメ的なお約束ネタとして楽しめるようになったんですよ」というつもりなのかもしれないが、単に居心地のいい世界に帰っただけにしか見えない。メガネ萌えというカルチャーや、美少女が主人公にぶつかるお約束を知らなければ、そもそもあのシーンの意味すらわからない。昔、あんなに「現実に帰れ」といっていたのは何だったのか。安野モヨコ漫画に対して「現実と向き合っている」とか「EVAでやりたくてできなかったことが実現されていた」と絶賛していたのに、そこから何も学ばなかったのか。


アニメ世界には、主人公にとって都合のいい女の子しか出してはいけないという憲法がある。旧作エヴァはその点を一応押さえつつも、あくまでも他者であるというエクスキューズを忘れていなかったと思う。アスカシンジを最後の一線で拒絶していたし、レイシンジに完全には心を開かなかった。それに比べて今作は、「シンジが望めば普通にやらせてくれそうな女子」が多すぎる。反吐がでそうだ。


そして何より、正真正銘のヒーローになってしまった碇シンジ。俺が思うヒーローの条件はいくつかあって、理由なく周囲から好かれていること、敵を倒すことに疑問を持たないこと、そしてストーリー重要でない人の存在を簡単に無視できることだ。ハリー・ポッターは悪人にもそれ相応の事情があるかもしれないなんて考えもしない。「この卑怯者め!」と言って打ちのめすだけだ。エヴァはそんなアニメじゃなかった。敵である使徒も本来は人類と平等の可能性をもった兄弟であり、一方でシンジの一番の敵は父である碇ゲンドウだという背反する設定こそが、エヴァをのドラマ性を高めていたはずだ。それが今作の使徒の描き方はどうだろう。あれじゃただのモンスターだ。特にあの空に浮かぶ球体のあいつ、シンジに心理攻撃を仕掛けた16話の使徒のエピソードがカットされてしまったのが痛い。使徒は憎むべきモンスターだという、ただそれだけで、シンジの心を映す鏡ではなくなってしまった。そんなの悲しすぎる。


今作のシンジは紛れもなくヒーローだった。カッコよすぎるくらいカッコよかった。本当は俺もシンジ君のカッコよさに素直に感動したい。褒め称えたい。でも、最後に一番大事な人の名前を呼ぶのに忙しくてもう一人の重傷者のことを完全に忘れていたところで、俺は動揺してどうしたらいいかわからなくなったんだよ。一番嫌だったのはあの「せめて●●だけは助けたい」ってやつだ。なんだ、その都合よく話をまとめるためだけの安い台詞は。要するに「もう一人の話は次回の映画伏線回収するので、いまはこっちの人に集中してくださいね」ってことか。物語的にはそれでよくても、俺はよくない。そんな製作者のご都合主義が匂ってくる台詞シンジから聞きたくなかった。そうやって感情を整理できるようになったんだね君は。立ち止まって考えるのをやめて、物語のために必要な台詞だけを吐けるようになったんだね。それが「大人になる」ことだって言うのなら、エヴァにハマったあの頃の俺を返してほしい。


幸福の科学アニメじゃあるまいし、あの程度の葛藤を乗り越えたくらいで頭から天使の輪が生えてくるのも気色悪い。こんな鈍感なヒーローが「人間を越えた天使」になるなんて、馬鹿休み休み言え。正直に言えば、旧映画版でもシンジだけが特別な人間として生き残ることには違和感を感じていたんだが、あの時はシンジがあそこまで自己否定して追い詰められた後だったからまだ理解できた。それがどうだ。こんなに易々とカッコよく天使になってしまう今作のシンジ現実世界にどれだけの絶望が転がってると思ってるんだ、もう一度「鳥についばまれて左目の飛び出た弐号機」からやり直して来い!


確かに旧作エヴァは病んでいた。エヴァを真面目に自分に当てはめようとすればするほど、自意識でがんじがらめになっていく感じはあった。だけどそこを出発点にして、みんな別のところに辿りついたはずじゃないのか、と思う。自分の場合、旧作エヴァを観ていた頃は熱に浮かされて「エヴァ的なもの」以外への興味をなくしていた。だけどそのあと、エヴァと全然違う面白さを持つ漫画小説映画とたくさん出会った。現実の生活にも10年分の変化があった。その中でエヴァという作品と距離を取れるようになり、エヴァを咀嚼して自分の血肉にできるようになっていったと思える。あの時エヴァにはまったほかの人も、それぞれ辿りついたんだろうと思っていた。その出発点が、今作で否定されている気がする。昔の友達にもらった手紙を大事にとっておいたのに、久しぶりに会ったら「あれ、なかったことにして」と言われた気分だ。


『序』『破』を見ていて飽きないのはわかる。映像に惹きこまれるのもわかる。だけど皆、こんな切実さのかけらもない馴れ合い世界で本当に満足なのか。スペクタクル萌え要素があればそれでいいのか。こんなものが50年後に残る傑作だなんて、何かの悪い冗談じゃないかと俺は思う。

2007-10-12

宇宙スペクタクル

カップヌードルアニメの展開がやたら気になってきた俺がいる。


いや、来月発売の「神戸在住」のほうが楽しみなんだが。

2007-09-10

ニコニコ動画物語.wav

http://www.nicovideo.jp/watch/sm1023673

前回の組曲は曲順書き起こしてくれた増田がいたんだが、今回は誰もアップしてないっぽいので置いとく。あったらごめん。

主にコメント見ながら聞いて書き起こしです。諸々ツッコミよろしくー。


イントロ


本編

2007-07-21

説明しよう。

今日オーストラリア戦が楽しみでしょうがなくて、ずっと起きてた、2chのサッカースレとかずっと読んでた。

今から寝る。しかも眠くない。19時に起きれるか不安。

そんで多分試合はスペクタクルとかカタルシスとかなく、淡々と終わる。さらに日本が負けたら今後の楽しみが試合の減少により沢山減る。そんな感じ。

- 転職ならen
- 派遣ならen
 
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