はてなキーワード: ストーリー漫画とは
あらゆる漫画作品を、何らかの直交する二変数の平面上に置くことを考える。方眼紙に目盛りをうったものを考えてもらえるとありがたい。方眼紙の端が、あなたの想像しうる作品の限界。
このとき、「頭おかしい作品」というのは、方眼紙の外にある作品。あなたの想像の埒外にあるもの。
たとえば「ケンペーくん」。
内容はいちいち書かない。ググッてください。
その一方で、「作品自体は方眼紙の中にあるけど、とにかく『すごい』作品」というものもある。これは主観的に二つに分けられる。つまり、「理解できる」か「できない」か。
理解できる作品というのは、フォロワーがでやすい作品と言ってもいいかも知れない。アイデアが模倣可能で、しかも商業ベースでいけると判断されたもの。たとえば、個人的には「ヒカルの碁」がそう。
もちろん「マイナージャンルの競技を取り扱った作品」というのは昔からあったけど、特に現代的な少年漫画の範疇では、ヒカ碁で一気に火がついた感がある。同時期にライジングインパクトがあったのも大きかった。両者ともテーマがマイナーであるということに甘えず、また「ぶっとんだ」、言い換えれば「マニア向けの」面白さを求めず、純粋にストーリー漫画として面白かったのが良かったのだと思う。
もうちょっと大枠で捉えよ。これは「けいおん!」の問題ではなく、ゼロ年代の問題でもある。
普段漫画をあまり読まない諸君。とりあえず週刊少年ジャンプを開いてみよう。君の知っている漫画が見つかるだろうか? ワンピース、ナルト、ブリーチなどなどいろいろ見つかるかとは思う。
が、しかし。読んで内容を掴めるだろうか? 「はっきり言って展開がつかめん」が大方の意見だと思う。
面白いことは面白いのだろう。しかし「どこから読めば」がゼロ年代の漫画には欠損している。あえて言うなら「最初から読めば面白い」である。
ゼロ年代の人気作品の特徴は、大体「90年代末から続いている作品」だったりする。10年戦士である。これを「最初から読め」って言われて、なかなかどうして読み始めることが出来るだろうか。
そして取り残された人は、漫画を読めなくなるのだろうか。そうではない。まだ、漫画を漫画として楽しめる作品は残されている。それが「四コマ漫画」なのである。空虚であろう。しかし、記号化されたキャラは読者の記憶にある別のキャラと代替され、ツンデレは全てくぎゅボイスに変換されて読まれるので、空虚であるほうが(記憶や妄想で)補完できる部分が多いため、作品の中に入りやすいのである。
そして、四コマ漫画は大抵続きものではなくその話の中で完結する。2か月続くような話は滅多に描かれない。だからいつでも読み始めることが出来る。
いつでも読み始められるということは、いつでも読み終えられることとほぼ同義だ。だから、四コマ漫画は比較的短いスパンで移り変わる。まんがタイム系列の作品で長寿の作品はあまりない。これは、ゼロ年代で小泉純一郎が興したキセイカンワの流れともマッチする。漫画家は、一つの作品を終えるために漫画を描くのではなく、紙面を埋めるために派遣労働者的な立場でも漫画を描くようになったのだ。そしてストーリー漫画は書けないけれども4コマ漫画なら書けるよ、といった端材的な漫画化にも一応職が廻るようになった。
2000年代、正確にはエヴァ以降はアニメの本数も多くなったが、漫画・アニメジャンルの雑誌も決定的に多くなっている。総供給量は知らん。
だが、秋葉原が電気の街から違う街へと変化したように、漫画やそれに類するキャラクタービジネスは、確実にサブカルチャーから産業へと昇華した。
これがけいおんおよびゼロ年代の大まかな流れだ。けいおんはまだ軸足りえない。語るならkanon/airに始めよ。(90年代の作品ですがな)
日本の漫画界、とりわけ評論畑には、高尚から低俗へ続くヒエラルキーというものが存在して、青年誌のストーリーモノが「大人の鑑賞に堪える漫画」として頂点に君臨し、白泉・秋田あたりの少女・女性向け漫画がそれに次ぎ、ジャンプ的ストーリー漫画とサンデー的コメディ作品ならジャンプの方が上の扱いを受け、エロ漫画が最底辺となる。
ガロ的なものはこのヒエラルキーからは独立した地位を占め、(お家騒動以前の)エニックスや、角川的な萌え作品は存在自体が無視されている。ヒット作が出るとジャンプ漫画とかの文脈で解釈しようとして的外れなことをいう。ハガレンなら半分くらいは理解できるだろうが、グルグルとかは手も足も出るまい。
少女漫画については、いっけん多く論じられているようだけれど、彼らの手が届くのはせいぜいなかよしまでで、実際に小学生女子に支持されている今ならちゃお、以前ならりぼん掲載作のような、「幼稚な」作品についてはやはり触れられることは少ない。
いやはや、漫画評論とはまったくご大層な代物である。
けいおんの単行本発行数なんて、アニメ開始までは1万部がやっとのレベルだった。今や15万を越えている。
要するに原作を読んでいるという人間の9割以上がアニメから入ったにわか読者。
アニメから入って原作を読み、原作のほうが面白いと思った奴がどれだけいるのだろうか。
話の流れはアニメとだいたい同じだけど、あんまり面白くないな。京アニすげー、と思った人が大半ではないか。
原作は四コマ1本1ネタの体をほとんど成しておらず、ストーリー漫画風の内容が四コマの単調なレイアウトでおさめられているだけのものだ。毎月のページ数が少ないのでエピソードもブツ切り。シリアス展開が入れられるような環境ではない。
にもかかわらず、11話を見て原作レイプと言い出した連中がいる。
原作そのまんまでいっさい京アニの演出が足されていないアニメが淡々と流れていたとして、連中はそのアニメを見ていたのだろうか?
自分が見たいものを作ってくれなかった!という京アニへの不満を、原作レイプだから悪いという理由で正当化したいだけではないか。
俺は放送前からのれっきとしたけいおん!原作信者。発言を撤回しろ!と言い出す人が実在すれば話は別だが。
追記。
放映前からの読者にトラバもらったので応答。11話は原作レイプだ!発言撤回せよ!という内容ではなかったため、この記事はそのままにしておく。
自分はけいおん!の原作に対して、単行本は買ってないが『きらら』全種を毎月読んでおり話はひととおり知ってる、という立場。自分にとってけいおん!は読み飛ばす作品のひとつでしかなく、アニメ化にはとても驚いた。
返信をくれた増田には「で、原作が好きな立場からして11話はどうだったの?」と聞いてみたいところ。否定的に諦めているか、大胆な改変を前向きに評価しているか。