はてなキーワード: ストライクウィッチーズとは
何となく、この特異な現象については、ぜひとも文章にしたいと思った。ここから下の文章は、妄想と憶測にのみ基づく、何の意味も無い文章である。
2ちゃんねるのアニキャラ個別板にて伸びつづけるエイラスレは、現時点において、ストライクウィッチーズのキャラスレの中で最も伸びているスレである。この文章を執筆している時点で96スレ目であり、2位のエーリカスレと比較しても倍以上伸びている計算である。なお、96スレ目は、現時点において歴代アニキャラスレッドのTop20に入る長さである(なお、1位は長門スレ、2位はマミスレであるが、この順位がひっくり返るのはもはや秒読み段階である)。
そんなアニキャラ個別板とはどのような板であるかというと、所定のキャラクターを愛してやまない住人が、いかにそのキャラクターを愛しているかを連綿と書き連ねる板である。板に存在するほぼすべてのスレッドにて、住人は、自分が愛してやまないキャラクターに対してああしたい!こうしたい!(だいたいは性的な仕打ち)と延々と書きつづけている。
しかし、エイラスレは違う。ひとたび「エイラさんをぺろぺろしたい」などと言おうものなら、息が途絶えるまで四方八方から袋叩きにされるであろう。住人はエイラさんが愛おしくて仕方がないが、それを満たすために自分が直接行動を起こすことは考えることすら許されない、タブーなのである。
なぜ、エイラスレだけこのような不思議な現象が発生しているのだろうか。それは、エイラさんの極めて特異なキャラクター性故なのである。
僭越ながらエイラさんの紹介をさせていただくと、彼女はアニメ「ストライクウィッチーズ」に登場するキャラクターである。
彼女はスオムス(フィンランド)から派遣された、スオムス軍の中でも最優秀のウィッチであり、その能力は派遣先の501統合戦闘航空団「ストライクウィッチーズ」の中でも卓越している。その優秀さは、被弾数ゼロという、前代未聞の記録が証明している。彼女の固有魔法であるところの「未来予知」…近未来が予測可能であるという恐るべき能力が、これを可能にしているのだ。
容姿も端麗であり(かっこよくキメたエイラさんはイケメン以外の何者でもない)、祖国スオムスには大勢のファンがいるという。15歳とはとても思えぬ活躍ぶりである。
ここだけを聞くと完璧な戦闘員のようにも聞こえるが、もちろんそれだけではない。一度しゃべりだすとぶっきら棒(あゆたボイスなのでむしろご褒美ですけど)、お風呂や食堂にて部隊の女の子に対してしょっちゅういたずらを仕掛ける(胸を触りまくっている)、好物は世界一不味い飴として有名なサルミアッキ…など、年相応に幼い面も残している。
ただし、部隊を思う気持ちは根底にあり、その優しさは簡単には揺るがない。つまるところ、エイラさんは「いろいろあるけど、なんだかんだ言って良い奴、見た目はイケメン美少女、中身は男子中学生」なのである。
補足になるが、エイラさんは祖国スオムスをこよなく愛しており、作中でもその愛国っぷりを堪能できる。基地にサウナを設置したり、前述の通りサルミアッキが好物だったり、サウナに妖精が住んでいると頑なに信じていたり、祖国の親友であるニパと親密に連絡を取り合っていたり…エイラさんは祖国のネタも絶えないのだ。
エイラさんについて語るにあたり、同じ501統合戦闘航空団に属するオラーシャ(ロシア)の隊員「サーニャ」の存在を欠くことはできない。エイラさんは、同性の女の子であるサーニャが好きで好きでしょうがないのだ!
ストライクウィッチーズという作品において、エイラさんがサーニャに対して好感を露にしている場面は、戦闘で大活躍する場面と比較しても圧倒的に多い。アニメが始まった直後はそれほどでもなかったが、気がついたらエイラさんはずっとサーニャのことを意識している、とても面白い女の子になっていた。
サーニャが自分に対して冷たく接していると、自分が何か嫌われるようなことをしたのではないかと、異常なまでに自分を責め立てる。サーニャに近寄る変な虫は、容赦なく追い払う!そして、サーニャがそばにいると、それだけでうれしい。サーニャが笑ってくれると、もっとうれしい。でも、サーニャが自分のことを嫌っていたら、どうしよう…
戦闘では完璧超人ぶりを見せていたエイラさんだが、サーニャに嫌われるのだけは怖くて仕方がない。未来を予知できる自分の能力も、「もしかしたらサーニャに嫌われているかもしれない」という杞憂から、恐ろしくてとても使えない。女の子1人に対してここまで骨抜きにされてしまうとは、どんだけ純情なんでしょう。
このエイラさんの性格に追い討ちをかけるように、意図的かそれとも偶然か、面白いことが行われた。あろうことか、エイラさんが怖くて仕方がない「サーニャのエイラに対する感情」の設定を、ブラしまくったのだ。高村監督の認識では「エイラ→サーニャはloveだが、サーニャからエイラには感情が伸びていない、伸びている先は宮藤だ」とあり、その一方で秘め声CDでは「エイラは特別な人です」としゃべっていたり、秘め録CDではサーニャに公開告白したエイラに対して特に否定も拒否もせず「バカ…」とつぶやくだけだったり、つまりサーニャがエイラをどう思っているかについては、公式の見解として信用に足るものが1つも無いという状態なのである。
サーニャがエイラのことを嫌いというわけではないことを除くと、何もハッキリしていない。となると、足りない部分は自分で補えばいいじゃないか!
…これが昨今のエイラーニャブームの諸事情である。エイラーニャにおいて、エイラの考えは一貫して「サーニャ好き!でも嫌われてたらどうしよう…」であり、これに対してサーニャの感情や、外的因子であるところのニパやエーリカが絡み合い、面白くて、見ているこっちが恥ずかしくなるような、まったく別の世界が構築されていく。これは、世界を構築する側としても、世界を堪能する側としても、楽しいものなのである。
誤解を恐れずに言えば、エイラスレは、エイラを自分の嫁だと言い張ったり、エイラが不幸になるような話しさえしなければ、何をやってもいいスレになっている。主な活動は、強気なことを言わせた直後にサーニャを投入して凹んでるけど嬉しそうなエイラさんを堪能したり、親友を取られまいと必死なニパさんに対してサーニャが格の違いを見せつけたり、フィンランドの話をしたり、サウナの妖精の話をしたり、新しく登場した抱き枕が思いっきりコレジャナイと議論したり、台詞はぶっきら棒なのに声が可愛くて別の世界に目覚めそうだと告白したり、エイラさん出撃しなさすぎですけどひょっとしてNEETですかと疑ってみたり…本当に何を話しても良いのだ。
基本的には、箱庭に入ったエイラさんにちょっかいを与えて楽しむ場である。いろいろいじってた後、最終的にはサーニャを投入することによって、エイラさんが幸せになれればそれでいいのだ。
他のキャラスレみたく、住人がみずからエイラさんをペロペロするよりも、サーニャを投入した方がエイラさんは幸せになれる。それならば、我々はエイラーニャが幸せそうにイチャイチャしているのを、陰から見守るだけの存在になろうではないか。エイラさんをペロペロしないのは、エイラさんを愛し、幸せを願っているからに他ならないのである。
そこでまおゆうじゃなくて「人類は衰退しました」とか「ストライクウィッチーズ」を出すなら繋がりは見えるんだが、あえてまおゆうを出すところにキモヲタ特有の視界のせまさを感じずにはいられないよな。
そこでまおゆうじゃなくて「人類は衰退しました」とか「ストライクウィッチーズ」を出すなら繋がりは見えるんだが、あえてまおゆうを出すところにキモヲタ特有の視界のせまさを感じずにはいられないよな。
S 【ゴールデン】SSはメインではないものの載れば30~100コメントは期待出来る
A 【エレファント】 【ホライゾーン】 様々な種類のSSがあり、活気もある コメントも10個以上
B 【SSちゃんねる】 【SS速報】 有名サイトであり、コメは5~10くらい
B 【百合ノート】 検索で一番上になりやすく活気があるコメはSSによっては割とつく
C 【SS図書館】 【森きのこ】 【インバリアント】 【2書庫】【とある魔術の禁書目録SS専用まとめブログ】 コメントが5~つく
C 【けいおん!SSまとめブログ】 コメントは3~5程度 過去に自演工作疑惑
C 【SSジャンキー】 【SSなSPECIAL】 【SS保存場所】【自分用まとめ】2~3程コメントがつく
E 【ゆいうい】 【ゆいあず】 【ペロペロ速報】 【夜速報VIPSS】 【かぎまとめ】 マイナーだが載れば嬉しい
F 【和なひと時】【SS徒歩5分】【五月速報】【えすえすMode】【ストライクウィッチーズ図書館】 コレははじめて見た
G 【SSまとめ(」・∀・)」】アフィ
結局最後まで、あのキャラクターになじめなかった。老ヲタの限界を見たというか。
昔のアニメなら、ナウシカとラピュタの台詞を全部暗唱できる程度には、自分にはアニヲタだった既往があって、昔はビデオがなかったものだから、中学生のヲタなら誰でも、テレビの音を録音して、絵コンテ片手に画面を回想する訓練を積んでいたものだった。
プアなメディアは老ヲタを鍛えて、旧ガンダムはもちろん映画館で見て、ゼータちょっと見て、ずいぶん離れてGガンダムをなぜか見て、そのへんまでは、アニメはきちんと楽しめた。
で、そのあとずいぶん長い中断があって、ローゼンメイデンのアニメをネットで見て、これは楽しめて、ハルヒはほとんど見ていないんだけれど、それでも部分部分を youtube で見る機会があって、見ると決めたら、本編はちゃんと楽しめた。
で、らきすた のアニメは良くできていて、あれは近所の本屋さんが環境ビデオ代わりにずっと流していて、チラ見して面白そうで、あとからニコ動であれを見て、十分に楽しめた。最終回はたしか、ネット越しに誰かと感想を喋ってた記憶が。
で、最近の「けいおん」と、「ストライクウィッチーズ」とは、あれは両方とも面白かったし、老ヲタでも楽しめた。「けいおん」のゆるい流れは、ぼーっと見ている分には全然苦にならなかったし、ストパンの裏側には呆れるほどの情報が詰め込まれていて、ああいうのこそ、古参のミリヲタは解説に燃えたのだろうし。
そんなこんなでこの1年ぐらい、ヲタ系のアニメにはつかず離れずのつき合いがあって、その流れで評判になっていた2本を見て、全くついて行けなかった。
「俺の妹」は、こう、好き嫌いとかじゃなくて、始まってものの5分ぐらいで、もう駄目だった。
主人公の動きかただとか、会話がどうしてそういうつながり方をするのか、自分には全く理解できなくて、見るのが苦痛になった。原作はちゃんと読んでるし、ラノベの絵だって万人向けの、ある意味ありふれた萌え絵であったし、アニメにはきちんとお金と手とがかかっているのに、あれはどうしてだか、自分には全く受け付けなかった。
元ネタのエロゲの話題とか、プレイこそしたことないけれど、その界隈の話題ぐらいは全部分かる程度には、自分はヲタであったはずなのに、どうして見るのがこうも辛いのか、不思議だった。
「イカ娘」も、ネットでは評判がよかったのに、駄目だった。同じくゆるい時間が流れるアニメにしても、らきすたの緩さには同調できて、イカの緩さはなぜかそれが苦痛になってしまって、楽しめなかった。
同じように「駄目だこりゃ」になってしまったのが「とらドラ」のアニメであって、あれは原作を全部読んで、十分にそれが楽しめたのに、アニメで動くと、原作での、キャラクターの痛い振るまいが、笑うべき場所がもういたたまれないぐらいに痛々しく見えて、見るのが辛くて、無理だった。
芋とイカにあって、ストパンとけいおんにはない何か、若い人たちはそれを楽しめて、「ピーキーすぎてお前にゃ無理だよ」なんて、老ヲタを絶望させる、濃さだとか、緩さだとか、あるいは作画の品質だとか、そういうものとはまた違う何かが断絶を作り出していて、自分には、それが何なのかすらよく分からない。
年をとるってこういうことなのかもしれない。
オフィシャルで「女性キャラに彼氏ができる」可能性がある、という点では一緒だと思うんだが。
ストライクウィッチーズ1期で、芳佳にラブレターを渡す男は最初は名前が付いていたが、「男子乗組員」に代わっていた。スタッフが 「男なんていらねえんだよ」 と言って無くなったという話があるけど、それぐらい男性キャラを出すことに対して配慮してほしかったナー
http://yunakiti.blog79.fc2.com/blog-entry-6540.html
おお、ストライクウィッチーズのおかげで
AKBのファン活動やってる人間が
どのようにメンバーを把握しているのかちょっとわかったかもしれない。
興味ないやつは全部同じフミカネ絵に見えるのと同じなのかもしれない。
オリエントコーポレーション(東京都千代田区、西田宜正社長、以下「オリコ」)は、人気アニメ「ストライクウィッチーズ」の第501統合戦闘航空団のエンブレムをカードフェイスにデザインしたクレジットカード(「ストライクウィッチーズカード」)の募集を9月9日より開始します。
「ストライクウィッチーズ」は、鬼才・島田フミカネのコンセプトアートから生まれた新世代ミリタリー美少女アニメ。
硝煙の香り漂う1940年代を舞台に、異形の敵と戦うため、その身にストライカーユニットを纏って空を駆ける少女たちの戦いの軌跡が描かれるアニメーション作品です。
店頭での“使いやすさ”を意識して、カードフェイスには第501統合戦闘航空団のエンブレムをあしらい、人気のキャラクターたちを用いたオリジナル特典も用意。
ストライクウィッチーズファンには必須のアイテムとなること間違いなしです。
オリコでは初年度10,000人の入会を目指して募集を開始します。
【募集】大学入ってからいいよって言われたコードギアスとマクロスFしか見てない俺に見たほうがいいよっていうアニメ.もしくは映画など
132 :なまえないよぉ~ :sage :2010/07/29(木) 11:05:40 ID:7ryTHtPF
133 :なまえないよぉ~ :sage :2010/07/29(木) 13:29:58 ID:S8rpnm9Z
>>132
ほんとにほんとにここと関わると殴りたいことばっかり
「俺が売ってやってるんだぞ?」感満載の図々しさで接してくる
・寄稿すると何の許可もなく流用されたりする
・クレームつけると次の号から関連のキャラや作品をランキングから排除
・それ+総評で「○○の人気は落ち始めたが…」とか書いちゃう。市ね。
・ランキング、人気投票をねつ造はいつもの事。ゆりっぺが一位の号は盛大にねつ造した。
・声優とアニメ事務所を実は心底バカにしていて間違いも訂正しない。
未だにあんな雑誌喜んで買ってる人が分からない
【漫画】コンプエース連載のうろたん作『ストライクウィッチーズ キミとの絆のカタチ』 今後の連載予定が未定に
2008年夏にストライクウィッチーズが起こした奇跡はまだ記憶に新しい。
ヤマトからガンダムそしてエヴァへと続いたSFアニメ、エヴァ以降に生まれ席巻した萌えアニメ、その両方を奇跡的なバランスで兼ね備えた名作である。
00年代末期にして生まれた00年代の代表作である事は誰もが疑わない事であろう。そのDVD第一巻の売上は推定累計15000本の大ヒット。
だが後の「けいおん!」の50000本、「化物語」の80000本と比べると見劣りしてしまう。
この2作品は実に特殊である。化物語の特徴的な演出は普遍性があるとは言いがたいし、けいおん!に至っては本放送当時、多数の同業者が首を傾げた事実がある。
そんな言わば傷物の作品が何故これほどまでの売上を誇る事が出来たのであろうか。
結論から言ってしまうと「女性アニメオタクにも配慮した結果」である。
化物語も個性あふれる多種多様なヒロインが登場する作品であるが、原作からして女性ファンが多く、アニメも人気男性声優を起用する事で
否応なしに女性を惹きつける事に成功している。
けいおん!は劇中に女性キャラしか登場させず、ヒロイン達も非常に媚びた言動をするキャラクターであり、一見男性向けのように感じるが
その実、女性の嫌がる性的要素を徹底的に排除してあり、加えて、京都アニメーションの高い演出力によるリアルな描写に反した
いかにもアニメ的な言動をするキャラの“ちぐはぐさ”が、逆に「これはフィクションなんだ」と無意識に訴えかけ、女性に抵抗を感じさせない。
そして決定的なのがキャラクターデザイン。いわゆる「萌え絵」と言うものが浸透した現代において明らかに異質な絵柄。何と言うか、非常に“ブサイク”
まるで平安美人のようである。この絵柄は近年の京都アニメーション作品の中に蔓延し「涼宮ハルヒの憂鬱」第二期の中にも見え隠れしている。
特に「らき☆すたin武道館」におけるこなた達を見れば、いかに“けいおん顔”がブサイクであるかは誰でも容易に一目瞭然である。
だがしかしこのブサイクさが重要なのである。「家庭教師ヒットマンREBORN!」におけるヒロインへの女性からのバッシングを代表するように
女性オタクは非常に嫉妬深い。アニメキャラクターへも容赦なく負の感情をぶつけてくる。
けいおん!はあえてキャラクターの外見をブサイクにする事でそれを回避する事に成功しているのである。
そういった様々な配慮により、女性の目にも耐えうる作品になっているのである。
こう言った要素の片鱗は08年秋から始まった「とある魔術の禁書目録」に感じられ、翌年の「とある科学の超電磁砲」に引き継がれる。
09年「けいおん!」から始まり「化物語」「とある科学の超電磁砲」と女性配慮アニメが台頭する中にあっては
男性主観の象徴である百合アニメ、そのブームの延長線である「咲-saki-」が失敗し、「大正野球娘。」が不発に終わったのも時代の必然だったのである。
時代。そう、ストライクウィッチーズ誕生の奇跡によってアニメは一つの限界を向かえ、新たな時代へと進まざるを得なかったのである。
そして10年代に突入した現在、女性配慮の意思を受け継いでるアニメがある。それが「WORKING!!」「Angel Beats!」である。
WORKING!!も「けいおん顔」のようなブサイクさを踏襲し、化物語のように男性キャラクターを兼ね備えている。EDで男性キャラクターを立たせているのは
「バカとテストと召還獣」でも見られた手法だ。そして「種島ぽぷら」のような扇情的な造形をし、女性の逆鱗に触れるようなキャラクターは不自然なまでに隅に追いやっている。
こういった細かい「配慮」で非常に少ない放送局でありながらDVD売上30000本に届こうかという勢いを叩き出している最中である。
そして「Angel Beats!」だ。このアニメも近年のアニメとしては男性キャラクターが多く、直井というキャラに緒方恵美を起用するなど女性に配慮しているアニメである。
しかしこの作品の真価は非常に特殊な設定で、00年代に流行った要素を意図的に詰め込んでる感があるのは誰もが思うところだろう。
真っ先に思いつくのが涼宮ハルヒ以外何者でもないヒロインのデザインと、SOS団を思い起こさせる「死んだ世界戦線」略して「SSS」だ。
意図せずにこうまで類似した設定を作るものだろうか? あえてやっているとしか思えないのである。
では何故そんな、ともすればバッシングの的になる事をあえてやるのか?
一つ思う。
00年代の要素すべてを一途に消費させ、新たな10年代のアニメを始まらせるためではないか。
そんな「架け橋」になろうとしているAngel Beats!が、「女性配慮」という00年代末期に「けいおん!」「化物語」が起こしたばかりの新時代の要素をも
内包している事に驚きを隠せない。……これは偶然だろうか?
古き時代と新しき時代を繋いだAngel Beats!、その終了によってアニメはようやく10年代のスタートを切る事が出来るのだろうか。
7月からは待望のストライクウィッチーズ第二期が開始される。
他にも「みつどもえ」や「侵略!イカ娘」「神のみぞ知るセカイ」そして「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」のアニメ化が決定
話題作が目白押しだ。
それらの中から「10年代のストライクウィッチーズ」が現れる事を、ただひたすら祈ることしきりである。
今後iPadでWWWを見る人が増えるかも知れないので、サークルのWWWサイトで公開しているパロディ同人誌をsigilでePub化しようかと思ったんだが、メタデータの取り扱いがよくわからないので色々考えてみたメモ。
まず前提として、同人誌のePub化を行うにあたり、各種メタデータを書く必要がある。その際、一部同人界隈で使われている、暗喩、符丁、伏字の類は一切使わないこと。それに抵抗があるコンテンツはePub化しないほうがいい。(そもそもそんな内容のものをWWWで公開すんなって話でもある。mixiでやっとけ。pixivは他人に見られることが前提のサービスだからやめとけ。)
メタデータを読むにあたり参考にしたのはこれ http://ryoji.sakura.ne.jp/references/rfc2413-j.txt
何がどこまで決まっているのかさっぱり分からないので、的外れな使い方をしているかも知れない。特に著者名とサークル名の扱いの違い(AuthorとPublisherに分けるべきか、どちらもAuthorにすべきか)と、Rightsが怪しい。
2.2.15: <rights> </rights>
諸権利に関する表明や、ある権利への参照を表す。本仕様では著作権表示やさらなる諸権利についての説明は直接的に示されるべきである(should)。本仕様ではコンテンツ供給者が、購読権や販売用コンテンツの複製などのライセンス用語を、安全な販売業者に向けて指定する方法を定義していない。
http://lost_and_found.lv9.org/opf/opf_2.0_final_spec_ja.html
完全なオリジナルであれば、堂々と
と書けばよい。もっとも、日本の場合はオリジナルだろうがパロディだろうが、電子書籍としてこれが世に出た時点でメタデータの Title/Author/Date of publication を元に著作権が発生する(無方式主義)ので、わざわざ明記する必要はない気もする。
パロディ同人誌の場合、『元の作品タイトル』を書き、それに対応する著作権情報を書くのがやはり礼儀であろう。複数年続いている作品の場合、年は省いて書いたほうがいいのかもしれない。
例:『バクマン。』であれば、
>バクマン。 (c) Tsugumi Ohba (c) Takeshi Obara
となる。この場合、(c)表記に出版社がないので書かなくてよいだろう。複数連名の場合漏れなく書くこと。
となる。
例:アニメ『ストライクウィッチーズ』の本であれば、
>ストライクウィッチーズ (c) 第501統合戦闘航空団
例:『WORKING!!』のアニメ版の足湯回後日談本などを出した場合は俺に教えてくれ、じゃなくて、
>WORKING!! (c)高津カリノ/スクウェアエニックス・「WORKING!!」製作委員会
自分のサークルでわざわざePub化するとこなんてほとんどないと思う。どこかが同人誌をePub化するサービスを始めたとき、これらのメタデータがどう使われるのか?にとても興味がある。ツッコミとか、自分とこのブログで取り上げて修正とか自由にやってほしい。誰か規格を作ってくれたらそれに乗っかりたい。
ストライクウィッチーズ5話のはやい・おっきい・やわらかいは、数学基礎論の限界をシニカルに描いた作品だよ。
ツェルメロフランケルの公理系では、外延性の公理を採用して、内延性による集合は定義しなかった。
シャーリーをはやい・おっきい・やわらかいと表現すること自体が、外延性による定義そのものなんだ。
はやくて、おっきくて、やわらかければ、それはもう、シャーリーなんだ。
オタクの言う萌えアニメの「面白いつまんない」が既に萌えに毒されてる基準だからなあ~
ストライクウィッチーズとか正気の沙汰じゃないものが売れてたけど
あれに萌え抜きでどうこうの何かってある?
あるとするなら一般人に説明できる?
0
「男性性の不在」なの。その結果が女性まみれ=萌え化って話なの。
ラブひなをはじめとした多くのハーレムラブコメにおいて、主人公以外の男性キャラは、大抵の場合存在が希薄であったりそもそも存在しない場合も多く、ごく近年においては主人公自体が、どの男性性を「背が小さい」だとか「女の子と良く間違われる」だとか「男子にも好かれる」などの属性により去勢する傾向にあるってのが萌え化の本質なの。
最近の代表例だと「宇宙をかける少女」「ストライクウィッチーズ」なんかがそう。「ふたりはプリキュア」なんて例を出すと怪しまれるかもしれんが、こういうのが『オタクの理想とする主流アニメ』なわけよ。
わかるよ、それぞれ内容が違うってことは。
でもさ、「ひだまりスケッチ」にしろ「けいおん!」にしろ、「スケッチブック」にしろ「らきすた」にしろ、上記のとおり男性性が全くと言っていいほど無視されているのは厳然たる事実なわけだろ?
そこに富野が言ってるような「成長できる少年」の像は無いし、これを異常と思わない方がどうかしてる。『萌え化』で片づけられて当然だとは思うよ。
ゲゼルシャフトだか何だか知らんが、もうちょい公共性を帯びないと、オタクの作品は一生一般には認められないと思うぜ。哀しいけど。
http://anond.hatelabo.jp/20090928092751
この傾向は今年の5月、具体的に言うと「夏のボーナスの輪郭がはっきりしてきた」あたりから実感していますね。
(参加イベント(開催時期)/参加ジャンル/持込数/頒布数(※)/頒布率)
(※)持込数を冬/夏コミ以外公表してないのは、自分のサークル実績を公開しているのでその数字とつき合わせたらたちどころに特定されると思うのでこうしました。
ちなみに冬/夏コミのデータは記名では公開していない(からこそ、ここで公開した)ので、たまたま一致したサークルさんがあればそこは僕のところとは別です
’08年冬コミ ジャンル:なのは 持込数/頒布数 1000/1000 頒布率100%
リリカルマジカル(09/03) ジャンル:なのは 頒布率100%
COMIC1☆3(09/04) ジャンル:なのは 頒布率92%
都内開催東方イベント(09/06) ジャンル:東方 頒布率39%
’09年夏コミ ジャンル:なのは 持込数/頒布数 1344/1500 頒布率89%
リリカルマジカル(09/09) ジャンル:なのは 頒布率67%
みみけっと(09/10) ジャンル:ストライクウィッチーズ 頒布率32%
都内開催東方イベント(09/10) ジャンル:東方 頒布率100%
(※ただし6月のそれに比べて持込数半分以下)
ファンに熱心な層が多い「なのは」ジャンルはギリギリ堅調ですけど、それ以外の「サークルにもジャンルにも固定層があんまりなさそう」なジャンルは6月をさかいにはっきり成績が落ちています
(匿名でこういうデータあげるとここなら「成績が落ちているのはピコ手の甘え!努力不足!要は勇気とスキルがないんでしょ?」とか煽られそうですがw)
東方同人に関しては、同じく東方で活動しているサークルさんの話(非大手)を聞く限りでは、固定ファンがついてないサークルにとってはやはり今年の夏以降から成績が厳しくなっているようです
┃きっと、徐々に、他のジャンルにも不況の波が襲ってくるんだろうと思う。
徐々に、どころではなく現在進行形ではっきりなっているんじゃないでしょうか
壁クラスの大手ではもっと実感しているところも多そうです
原因としてはやっぱり「お金が少ない」せいで、普段だったらぽんっと買っていたサークルの本やグッズを「自分にとってどうしても必要なサークル」のものだけ『アイテム仕分け』されちゃってる部分がかなり大きいんじゃないかなぁ
僕も、今年の夏コミに比べて、冬は大幅に本を求めてもらえる数は減るだろうなぁ…という覚悟は、今からしています…w
2008年、アニメ界を一世風靡したしたアニメがあった。その名を「ストライクウィッチーズ」と言う。
放送前に誰からも注目されていなかったそのアニメは、斬新な発想と確かな描写をやり遂げ「マクロスF」「コードギアス」というビックタイトルが放送される中、
アニメオタクの支持を一心に得て大成功のまま幕を降ろした。それをきっかけに名を馳せたのが制作会社「GONZO 第5スタジオ」であった。
ストライクウィッチーズ2期を待望される中、5スタが次に手がけたアニメがヤングガンガンにて連載中の「咲-saki-」と言うマンガだった。
コミックス2巻が出る頃にはアニメ化のオフォーがあったと言う人気タイトルである。物語の区切りになる大会決勝戦の終了の目処がつくであろう時期にして待望のアニメ化であった。
「あのストライクウィッチーズを作った5スタが咲-saki-を作る」……原作ファンは歓喜に震えた。実際に放送されたアニメ「咲-saki-」はその期待に応える素晴らしいクオリティであった。
だが、半年の放送を終わろうとしている今、アニメ「咲-saki-」は失敗してしまったと言える。それはなぜだろうか。
当初こそ原作を尊重し、原作の良さをさらに広げる神演出をしていたアニメ「咲-saki-」であった。
原作時の穴の埋めた小手返しの追加、染谷まこの実家の良改変、そしてもっともたる例が第3話でヒロイン原村和が主人公宮永咲を想い、自身の指に口付けするシーンの追加だ。
これは連載版ではあったものの、コミックス収録時に修正された幻のシーンである。それをアニメで復活させた偉業にはすべての原作ファンが大喝采をあげた。
だが、放送が進むにつれてほころび始める。
おそらく最初のほころびはコアな人気を持つキャラクター、鶴賀の蒲原の笑い方であろうか。原作では「ワハハ」と描かれているものが
アニメでのイントネーションが「ワ~ッハッハァ~」なのである。
非常に些細な違いではあるが、ここで初めて視聴者が首を傾げた。だがこの当時はまだ本編の面白さが保たれていたのでさほど気にされず流されていった。
そうした細かい所で未熟な描写が多々あるものの、各個人の「気付き」の能力の差によって大騒ぎにはならずに済んでいたアニメ「咲-saki-」であったが、
ついにブーイングが巻き起こってしまったのが、そう。副将戦での「特急券だー!」である。これはもう原作を読んでいた古くからのファンには到底受け入れられない棒読みっぷりであった。
こんな、演技指導で即座にどうにでもなる一言にゴーサインを出してしまう愚かさ。いかに制作陣の解釈がファンと掛け離れているか痛感してしまう一幕であった。
その「アニメスタッフの解釈の違い」が最悪な形で出てしまうのが決勝、大将戦である。
龍門渕高校、天江衣が出上がりをする際の演出が原作では「爆発」に対してアニメでは「炎上」になってしまっている。
それまで海底撈月と言う「待ち」の上がりで猛威を振るっていた天江が転進、「攻め」に出た時の脅威を演出したのが原作での「爆発」と言う魅せ方であった。
それがアニメでは魅せる事を考えていないような迫力のない炎の炎上でさらっと済まされてしまった。
事実上のラスボスたるキャラクターの一面を確実に削がれてしまった。
さらに致命的なのが主人公宮永咲の必殺技「嶺上開花」を「槍槓」で阻止する鶴賀の加治木ゆみのシーン。
原作ではカンをし、嶺上牌に手を伸ばそうとした所にイメージ演出として槍が降り注ぎ、「その嶺上牌、取る必要なし」とツモを制す非常にかっこいい見せ場の一つであるのだが、
アニメでは宮永がツモろうとするシーンがなかったために「取る必要なし」というセリフだけが原作通りで空回り。
副将戦の原村和vs龍門渕透華のコスプレ的イメージ演出を流用したような安易さも合わさって非常に滑稽な一幕となってしまっている。
このように、初期こそ非常に秀逸であった描写も放送中盤を過ぎたあたりから無残な醜態を晒すようになってしまっている。
この「解釈の違い」は単純に「原作と違う」事が問題なのではない事を声を大にして言いたい。原作と違っても面白い例もある事は「けいおん!」や「大正野球娘。」の成功が証明している。
「咲-saki-」は原作と違ったが故に、つまらない。では何故そうなってしまったのか?
【失敗の原因その2】 大将戦終了を原作連載と足並みを揃えようとした弊害
彼ら、アニメスタッフらはいつからか気付いてしまう。うまく調整すれば「原作連載とアニメ放送で同時に大将戦を終わらせられる」ことに。
それは確かに実現できれば否応なしに盛り上がるであろう。
その為の犠牲に、原作ストックは途中から加速度的に消化されていく。原作連載もアニメが追いつくのを待っているかのように休載を続ける。
元々休載の多い作家であったが、過去例を見ないほど休載が多くなる。そもそもアニメが放送中に連載が休載など前代未聞である。もしこれをただの偶然と思うようなら、とんだお花畑である。
加速した原作消化スピードは細部に配慮する余裕がなくなり、あれほど秀逸だった演出は見る影もなくなる。
(予断だが、「ストライクウィッチーズ」を当初からその演出の秀逸さで評価していた某ブログは、咲-saki-も考察対象にしていたものの決勝先鋒戦を最後に筆を取らなくなっている)
ただトレースするだけならともかく、先へ先へと進めるために緩急がなくなり、落ち着きのない展開になってしまっているせいで「麻雀」という「静」の闘いにアニメ的「動」を与えた
初期の秀逸さも当然なくなる。
かつてアニメ「とらドラ!」が原作文庫刊行とアニメ2クール放送終了の足並みをそろえようとし、文庫1冊分をアニメ2話で消化し、描写が圧倒的に足りなくなり、
説得力もなく感情移入も出来ない無残な結果になった。あの過ちに近いものを「咲-saki-」はやってしまったのである。
【失敗の原因その3】 個人戦
放送途中で原作に追いついたアニメは当然オリジナル展開に突入する。そう、個人戦である。今まで登場した多くのキャラクター達が今度は一人一人の戦いをする。
あのキャラとこのキャラが戦ったらどっちが強いだろう? そんなファンなら誰もが想像する夢の対決の実現。それを放送途中で原作と同時に終わらせ、余った尺を使って実行した。
だが「アイシールド21」を例に、オールスター展開がいかに失敗するか論じられたのはまだ記憶に新しいだろう。
その上、今まで登場してきた多くのキャラクター達の見せ場をたった数話で見せようなんて到底無理な話である。
そんなアニメ「咲-saki-」がオリジナル展開で何をしたかと言えば、原作で一度やった事の再利用である。
咲は一人で迷子になり、和はそれを追いかけ叱り、タコスは試合数を勘違いし、部長は牌を叩きつけ、京太郎はパシリにされ、キャプテンは開眼し、
かおりんは「みっつずつみっつずつ」をし、むっきーは「私なりに精一杯」と言わされてしまう。
アニメオリジナルとして新しい物が何一つとしてない、実にみすぼらしい作劇である。
唯一の要素としてあるアニメオリジナルキャラ、南浦数絵も「南場になれば強くなる」というタコスの類似能力しかなく、なぜ南場で強くなるかと言う理由付けもなく、
人数不足で個人戦にしか出場できなかったというおいしい設定を与えられながらも大多数のキャラと絡むことなく消えていった。
そしてアニメの不出来さは頂点を迎える。そう、個人戦の結末だ。それまでアニメ「咲-saki-」の劣化に気付かなかった最後の極少数もさすがにNOを突きつけてしまう。
これこそがアニメスタッフの未熟さが最大限に表れた結果であった。
「個人戦の結果」という事実を持って、すべての視聴者がアニメ「咲-saki-」は失敗していた事に、ようやく気付いたのである。
個人戦終了後、最終回に向けて全キャラクターが一堂に集結する合宿に入る。個人戦ですら持て余していた大人数をたった2話の合宿で活かせるはずもないのは言うまでもない。
だがそれでも一応の体裁を整えた展開をもってアニメは放送を終えようとしていた。
そのラスト2分。
全国区のキャラクター達が大挙して登場する。その特徴的なデザインは原作者が連載のために先行してデザインしたものであろう事が容易に察せられる。
そんな魅力的なキャラクター達が派手な活躍をダイジェスト的に見せる映像の興奮度の高さが逆に、物語として前後の描写の必要ない場合、すなわち原作の優秀さだけを借りてきた時に
その魅力を最高に発揮するという証明になってしまったのは、何とも皮肉な幕の引き方である。
「咲-saki-」という作品は魅力的だ。それは誰しもが認めるところだろう。だがアニメとして他者に渡った場合、必ずしもその魅力を維持し続けるとは限らない。
アニメ「咲-saki-」は優秀な原作を無駄に消化し、せっかく神アニメになり得たチャンスを逃し、「GONZO 第5スタジオ」と言う台頭していたネームバリューをも失墜させた。
見紛うことなき『失敗』である。
土曜日曜 22:00~0:00 アニステ特集 9月/魔法少女アニメ特集
極腐女子がストライクウィッチーズきめぇって言ってるのは
とっても同属嫌悪だと思うんだよね。
ストパンだってインド出てもガチ黒人いないし、白人美少女に萌えてるのは同じ。
まぁ、ヘタリアは個人製作なだけあって2chフィルターがきつかったりと偏見が強く設定も安直かもしれない。
作者自身の想像力の欠如なのか、無思慮なのか、単に考えが回ってないのか、
右翼なのかは知らないがとにかくWWⅡを舞台にしてしまったことも問題と言えば問題だ。
その辺の問題を頑張ってぼやかそうとしているストパンではあるが、雰囲気としては同じかもしれない。
それにまぁ性的要素が目立ってしまうので、真っ当な作品ではないわなぁ。
http://plaza.bunka.go.jp/festival/2008/recommend/
平成20年度(第12回)文化庁メディア芸術祭で最終審査会まで進んだ作品の中から、審査委員会が推薦する各部門の優秀作品を紹介します。
ストライクウィッチーズ 高村 和宏
アニメ「ストライクウィッチーズ」の登場人物、主人公の上官であった
扶桑皇国海軍少佐、坂本美緒は、番組後半、その能力の大半を失ってしまう。
主人公の力が終盤に向けて増大していく、異能戦記ものの物語では、
比較的珍しいことだと思う。
「友情、努力、勝利」が駆動する物語世界では、主人公の能力は、
物語の進行とともに大きくなっていく。主人公は怪我をしたり、時には何かを
失ってしまうけれど、代償として、それを補ってあまりあるぐらいの成長を得る。
物語の冒頭、能力で主人公を圧倒していたライバルや上官は、中盤以降、
主人公に勝利する機会はほとんど失われてしまう。
ライバルは主人公に勝てなくなってしまうけれど、彼らにはまだ、
「普通の人が届く限界」を読者に示す仕事が残っているから、主人公の成長と
ともに、彼らにもまた、彼らなりのペースで成長が約束される。
人間世界で30年ぐらいの時間軸で作られた物語だと、年老いた主人公が、
自分の体力の限界に舌打ちする場面が、ときどき見られる。主人公が最初から老境に入っていると、
そうした人達は、低下した体力の代わりに知恵を得ていることが多くて、物語もまた、
体力の限界が能力の決定的な差となって現れる状況を回避するから、主人公の能力低下は、
たいていの場合、読者から隠蔽される。
「ストライクウィッチーズ」の中盤以降、主人公の上官であった坂本は、20歳という年齢を迎えて、
魔力が低下してしまう。能力を決定するパラメーターがシンプルな、時間軸の短い物語世界では、
「魔力の低下」は、そのまま能力の低下となって、坂本の立場を劣化させる。
力が衰えてしまえば、その登場人物は、物語の展開とともに「劣化」していく。
あの番組は、パンツ以外にもいろんなものを隠さず見せていて、面白い。
人は老化するし、能力はいつか劣化する。劣化の代償として得たものが、「栄光」だとか
「成功」であったとしても、その登場人物は、果たして幸福なんだろうか?
手塚治虫の漫画「どろろ」の主人公「百鬼丸」は、妖怪を倒すたびに、能力が低下する。
生まれたときには手足や目を持っていなかった主人公は、勝利するたびに手足を取り戻して、
普通の人へと近づいていく代わり、能力は「普通の人」へと近づいてしまう。
勇者であった人は、低下した能力の対価として、いったい何を求めるべきなのか。
「どろろ」の物語は、恐らくはそんなことを語ろうとしたのだろうけれど、物語は途中で終了してしまった。
あるいは手塚御大にも、その答えは出せなかったのかもしれない。
「普通の人」へと近づいていく主人公と対峙する敵は、物語が終盤に近づくにつれて、
どんどん強くなっていく。「普通」になった主人公が勝ってしまえば、主人公が失った
能力の価値が下がってしまうし、主人公が負けるようなことがあれば、
「世の中やっぱり能力が全て」なんて、物語には救いが無くなってしまう。
「21世紀は再び○○の時代に」なんて見出しを付けるベテランがいる。
こんな人達は要するに、自らの人生に、「劣化」の代償として足る何かを見いだすことが出来なかったんだろうなと思う。
実世界で、老化の問題を前向きにとらえた本というのは、たいていは「老害上等」なんて立ち位置。
「よかった昔」を手放しで賛美したい人達に思考停止を販売するのは、きっと幸せな商売なんだろう。
劣化の代償に「人脈」を得た人は、老害となって若者に立ちはだかる。
対価として愛を得た人はアルジャーノンになって、寝たきり老人となって介護される未来に臨む。
「普通」を目指して手足を得た主人公は、ラストまで走りきれずに、物語は途中で終わった。
小林源文氏が描く戦記物には、ほとんど「おじいさん」になった退役軍人が登場して、
昔語りを始める。あの世界での「劣化した勇者」は、新兵に対峙して、「実戦」の
経験を語り伝えるためにそこに在る。あれは上手な劣化表現だなと思う。
小林の戦記ものでは、かつて勇者だった退役軍人は、劣化の代償として、「思い出」を選ぶ。
勇者は能力を手放して、図書目録となり、若い人達に自らの経験を語り伝え、次の世代を育てる。
ベテランが若者のインデックスであり続けたいのならば、成功体験を語ってはいけない。
成功体験は、成功してみせることでしか、その正しさを証明できない。
成功体験で自らを語る「劣化した勇者」は、経験の正しさを証明するためには「動く」必要があって、
そんな元勇者はだから必然的に老害となって、若手の前に、能力の不足を晒してしまう。
インデックスとしての在りようを選んだ「劣化した勇者」は、だから自ら犯してきた失敗と、
新しい状況に対峙して、今までのやりかたとは違う何かを受け入れて、自ら痛み、失敗し、
変容してきた経験を語る義務がある。
「こうしたら上手くいった」を語り出した元勇者は、もはや単なる老害でしかないことを理解しなくてはならない。
これから先、主人公としてその能力を増して行くであろう宮藤や迫水を横目に、
坂本や穴拭らベテランは、物語世界の約束事として、「劣化した勇者」として、主人公に対峙する。
ベテランが、そのまんま理想の上司として振る舞えば、主人公達は無敵化して、物語は回らなくなるし、
ベテランが「老害」として立ちはだかった姿は醜くて、なんだかあまり見たくないような気がする。
このアニメーションに続編があるのなら、かつて勇者であったベテランを描写してほしいなと思う。
能力が劣化した代償として、勇者は果たして何を求めるべきなのか。成長して、能力を高めた
主人公と並んで、能力を手放したその人が、その時どんなものを得ていれば、能力を失ってもなお、
登場人物としての魅力を失わずに、その場に立ち続けることが出来るのか。