はてなキーワード: スティーブン・キングとは
誰が悪いのか。
1.原作者
2.脚本家
3.プロデューサー
4.日テレ
https://fujimedia22.com/2024/01/29/ashihara-hinako/
商業目的なので、原作に拘られてもTV番組として成り立たない事が有るため、
そのような事が起こりうることは理解してい貰わないと話にならない、等という事が考えられる。
海外の例でも、スティーブン・キングの原作が映画化されたものがいくつも有るが、
どの作品を見ても原作とは大きくかけ離れたものになっている事実は否めない。
但し、契約として原作から逸脱するようなストーリー、演出が有った場合は原作者が拒否できるものならば、
原作者と契約しそれを反故にした側が悪いのは決まりきっているが、現段階では契約内容を知り得ていないので。
原作者は自分の作品に対して非常に思い入れのある人だったというコメントを目にした。
それは当然のことだと思う。
でも自分の思うようにさせてもらえなかった、自分の思うようにいかなかった、
それに腹を立てたのか、心が傷ついてしまったのか、
はたまた、そんなに揉めるつもりはなかったのに、自分の考えを上手く伝えられずに炎上してしまった事に心を病んで...
心の奥底の事は分からないけれど、自ら命を絶つような事ではなかったと思うのだが。
残念でしかない。
合掌。
でもスティーブン・キングを無視して制作したシャイニングやフィリップ・K・ディックを無視して制作したブレードランナーは傑作でしたよね
日本優勝という華々しい結果で幕を閉じた2023年WBCだが、一部である選手同士の仲の良さが話題になった。
いつもじゃれあっているような微笑ましい動画が多数youtubeやTikTokなどのSNSに投稿され、人気のようだ。
コメントは大喜利大会となりネタが溢れるのだが、ごく一部異様なものを目にする。どうやらその選手たちが本当に同性愛だと思い込んでいるようで、あの行動は浮気、あの仕草は息を吹きかけているとか、選手の一挙手一投足を同性愛に結び付けてつとつとと自分の脳内設定を書き連ねているのだ。何度も頻繁に。
なかなか伝わらないが、実際にコメントを見るとその不気味さが分かると思う。
スティーブン・キングの「ミザリー」以前、ある日本の小説家がエッセイか何かで語っていたことだが、新聞に連載している小説に熱心に感想を送ってくれるファンがいたそうだ。特にある登場人物に執心していたらしいが、それが自分の気に入らない状況の展開になると激しい怒りの手紙をよこしてきて気味が悪かったという。
また以前、ある漫画の登場人物が処女でないと判明した時、怒りでその漫画本をズタズタにした画像をSNSに投稿した者がいた。
要するにフィクションやエンターテインメントの世界に自分に都合の良い設定を投影しそれに浸りきり、自分の空想世界と現実世界の境界分けができない。冷静に指摘されたり、現実に自分の設定通りでないと知ると異常に怒り狂うという「ミザリー」は昔から少数存在する。
「ミザリー」が自分の設定通りではない現実を目の当たりにした場合、どんな狂気に走るのか…
恐怖の四季って一冊の中にスタンド・バイ・ミーとショーシャンクが入ってるとか・・・
アカデミー賞の作品賞で「芸術において多様性を考慮しない。クオリティだけだ」と言ったのはスティーブン・キングだ。案の定大批判を浴びて炎上された。
その結果今回の改定なわけだが。
これって、大企業のクソ映画ほど受賞しやすいクソ改定なんだよな。
みたら分かると思う。
登場人物が少なくて、狭い世界を描いて、アイディア一発勝負とか、費用のかからない突き詰めた作品ほど選考基準で除外される。
こんなクソみたいな「とりあえず多様性を出せ多様性を出せ」と連呼してる新基準だが、米国映画業界はそんなにパラサイトにアカデミー賞を取られたのが悔しいのかと思う。
メインのテーマや物語が「女性、少数人種・民族、LGBTQ+、障害者」を中心としている、とか、テーマまで指定している。
バカじゃあないのかと思う。
小池一夫曰く「スティーブン・キングが世界三大モンスターは『ドラキュラ』『フランケンシュタイン』『ジキル博士とハイド氏』だと言ってた」
フェミニズムだけじゃないので、ポリコレ全部関係含めて紹介するね。
・スターウォーズの主人公が謎に女とか黒人とかになる(しかも面白くなさにそれが影響したと思われる)
・似たことはどの作品でも大なり小なり常にある。これは見ていればわかる。
・名作映画女版の粗製乱造。よくできてるのもあれば悪いのもあるが、作るのが前提みたいになってるのはちょっと。
・海外では現実に、日本のアニメを公式でそのまま見ることができない。肌色部分は塗られたりするし、サンジが食べてるのがタバコじゃなくてペロペロキャンディってなに?
・過去の反ポリコレ発言がツイッターから掘り起こされたせいで、ジェームズ・ガンがガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの監督を外される(大ブーイングにつき復帰)。なおガーディアンズ・オブ・ギャラクシーはもともとブラックジョーク全開の映画。
・日本でもアニメ化まで言っていたラノベが作者ネトウヨだから止められたことがあったな。復帰は無かった。
・クリエイター本人へのモチベ。宇崎やヒロアカや娘の友達とか、雑に批判されて、ダメージがないわけねぇ。モチベ低下によって連載が止まることは普通にあるし。
・スティーブン・キングが「面白さが第一でなければならない。ポリコレに即しているかどうかが基準であってはならない」と従来の本人の考えを改めて述べたところ、炎上した。
最後が一番やべーと思う。
人権先進国とかいう欧米さんでは、面白いことよりもポリコレが優先するという雰囲気がもう明確にある。そういうの日本に持ち込んだらだめだって。表現の自由の危機は現実だし、つーか欧米では危機乗り越えてもう死に体だぞ。
全く異質の事を共有しようと言っているのではありません。中国も民主主義国家です。一党独裁ではないかとの私の問いに共産党一党独裁ではない、他にた6あると答えてくれました。彼らにも人権を守る姿勢があります。それを貫いてくれる事を期待しているのです。私と共に中国の友人と話されませんか? https://t.co/umRK26WGaC— 原口 一博 (@kharaguchi) 2020年1月17日
えっ?男女平等のリベラル馬鹿になったら少子化で国が滅びるって?いやそれがホントならそんな国滅びればいいんじゃない。世界人類がより良い方向に進みますよ。えっ?そしたら人類滅びるって?じゃあ滅びればいいんじゃない?なにかまずいことが?— Takaya Suzuki MD, PhD (@suzuki_takaya) 2020年1月18日
https://www.elle.com/jp/culture/celebgossip/a30536782/stephen-king-academy-nomination-200116/
スティーブンキングがポリコレ棒ぶん回す連中を批判したら何故か叩かれたと言う話。
当たり前だけど作品なんてクオリティ以外何を求めるんだよって思うよね、当然。
スティーブンキングは何も間違った事を言っていないでしょうに。
それとハリウッドがポリコレのお気持ちに配慮した結果、映画が糞化した事実もある訳だしな。
https://president.jp/articles/-/32248
何か奴等を見たら妙にこの記事自体納得したし、そりゃポリコレ棒を振り回すリベラルやフェミが嫌われるのも残当だと思うよ。
そもそも元リベラル政党支持者の真ん中寄りの冷静な思考をしていた人ほど今ではリベラル嫌いになっているのも事実だからね。
こんなのじゃあ、日本に限らず、毛嫌いされるのも当然だよね。
少子化以外の問題にもリベラルは寛容性を前面に出しているにも拘らず、実際はその平等やら権利やらを前面に出して、それこそ映画やコント、漫画アニメゲーム等の娯楽の弾圧を熱心にしていたのだから、嫌われるのは当然の帰依としか言いようがないよ。
特に奴等は児童ポルノやら青少年の教育やらと子供の権利をお気持ちのツールとして、余りにも悪用しすぎたのは事実。
それで子供が救われる所かより子供への被害が悪化したり、子供の自由が束縛されたのだから嫌われるのは当然だよ。
要するに受賞者を選ぶ際には、作品の出来で選ぶのではなく、黒人と白人が均等になるように配慮しようという考え方である。
だがちょっと待ってほしい。
オリンピックの100m走で、アジア人の金メダルが少ないからアジア人に金メダルを割り振ろうと考えたことがあるだろうか?
ない。実力で選ばれるのが本来の栄誉だ。
アカデミー賞というのは要するに政治的な賞なのだ。政治的にイケていれば、賞が取れる。だからこそ娯楽に徹した大作は作品賞をとれない。
アベンジャーズキャストにアカデミー賞を散々盛り上げてもらうようにお願いしつつも、作品賞だけは絶対に与えない。
作品賞ではなく、どうでもいい録音賞だの視覚効果賞だのでお茶を濁す。「いやーすごい爆発だったねえ。いやーすごいメイクだったねえ」と、ごみのような評価で、実際に面白い映画であっても作品賞は与えなかった。
だからこそ、スティーブン・キングの「クオリティだけで判断してる」というのは「嘘だ」と言いたい。
しかし、建前としてはそれが正常だ。
だというのに、ポリコレにかぶれたバカどもは「多様性が重要だから。キングは間違えてる。老害だ」とか寝ぼけたこと言いやがる。
それどころか、底辺ポリコレ作家になると、一作や二作、幸運で作品を世に出した後は、延々とポリコレで世の中の作品を断罪するだけで、まともに作品も作らず、作家でござい、って顔してやがる。
この作品はどうのこうのとか、大御所ぶってる暇があったら作品を作れ。
大体、アカデミー賞が公平な選考を行ってるとは全く思わない。ダークナイトに至ってはノミネートすらされなかった。
しかし、それであっても建前だけはきちんとしていないといけないのに、ポリコレの馬鹿どもは、そのことすら忘れる。
今年は何が受賞するかな?
確実にあの作品は受賞しないだろう。
アメコミで、悪役で、インモラルで、反ポリコレだから。主演男優賞と脚本賞と作品賞は最低でも取らないと、賞の品位にかかわるが、絶対に作品賞は受賞しないだろうなあ。
例えば、ものすごく良い人で会えば皆良く言うのに発言がアレな人なんてのは多い。
そして、とても明晰で仕事も確実で信頼性の高い取引先が、飲みに行くとアレな話をすることも多い。
そして、人はみなスティーブン・キング程には表現が上手ではないので、
「うわヤだな」と思ったことに後から理屈をつけて話す事が多い。少なくとも自分はそうだ。
最初に「宇崎ちゃんは遊びたい!献血ポスター」論点を明確にしよう。
DCコミックスのワンダーウーマンは、その物語がある程度北米で共有されているため、特に男性から消費される性の対象として描かれているとはみなされない。
しかし、イスラム圏のポスターにワンダーウーマンを描けば非難の対象になるだろう。
だから、「あのイラストがエロいかどうか」は、時と場合による。
つぎにB、宇崎ちゃんを好ましく見る人に届けば良い、そうでない対象外の人は見なければ良い、とする意見である。
公共のポスターであり、ゾーニングされているわけではないからだ。Bは対象外の人も見えてしまうとする方が自然だろう。
つぎにCだ。知り合いの医療従事者もこの立場だったが「血が足りないのだから手段を問うている場合ではない」。
外科医はその職責において傷害罪に問われないという点から考えても、一考の余地がある。
待ったなしの局面において、明確に違法でなければ何をしても良いと考える医療従事者は、割といる。
半裸の男性のカレンダーが、売上が慈善に繋がる場合かなり好意的に受け止められている。
つまり、公共性の高さ、公共の福祉というのは、他よりも優先度を上げるという考え方は、社会によっては有り得る。
つぎはDだ。表現の自由は、公共のポスターにも適用されうるか。
表現の不自由展は、「芸術作品の表現が、制限される」という点で問題視されていた。
宇崎ちゃんは遊びたい!が、例え半裸のポスターであっても、適切に販売されるなら検閲すべきではない。
クリムトがウィーン大学向けに描いた作品が論争を引き起こして納品されることが無かったのは有名な話だ。
ポイントは、「作品」ではなく「掲示する場所」だ。争いの余地がある。
職場にヌードポスターを貼るのは、環境型セクハラに該当する、とされる。
Aの論点において「性的なポスター」であり、Bの論点において「嫌なら見るな」は否、ならば環境型セクハラに該当するだろう。
つまり、性的か否か、対象外の人に見えるか否かが、Eの結論に影響する。
性的なポスターであっても、該当の人にだけ見えれば良いという論陣なら、やはり該当しない。
最後にFだ。環境が女性に好ましくない状況である中で、それを維持強化して良いか、である。
これは、「その環境にある、ない」か「強化するか否か明確でない」か「強化はする、強化しない」の論点がある。
強化しない、強化する、いずれも明確に証拠を提示するのは、とても困難な作業になる。
女性が男性よりも性的に消費されやすいとする証拠もまた、提示が難しい。
よってこれは、「その可能性がある」とする立場で考えるのが一番自然だ。
その場合であるときに、他の論点がどう変化するかが、論点となる。
さて、こうすると、例えば自分の立ち位置は、以下となり今回の件はOKという立場だ。
B「ゾーニングはできていない」
C「医療は許容度が高い」
これは端的に言えば「環境型セクハラで女性の不当な扱いを強化する可能性があるが、表現の自由に加えて公共の福祉(医療)の方が優先度が高い」とする立場だ。
自分は、全く同じ図案のポスターが「読書感想文全国コンクールのポスター」であればNGとする立場だ。
環境型セクハラに該当する図案の場合、表現の自由よりも子供の教育環境は優先されるべきと考える。
つまり、同じポスターも時と場合によって許容度が違うと考えている。
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さて、長い前フリを読んでくれてありがとう。
JOKERは、アーサーという中年男性が、コメディアンになる夢を追いかけ、他人から利用されるだけであることをやめ、自分の悲劇が喜劇的であることに自覚的になる、悲しい物語だ。
JOKERはそのスタッフクレジットも、全体として「喜劇」のフォーマットで作られている。軽やかな曲とともに始まり、明るく楽しげな音楽で終わる。
そしてその悲劇が、喜劇的なエンターテインメントであることを理解している。
アーサーは人を笑わせるコメディアンになりたいのであって、人から笑われるピエロであることは望んでいない。
アーサーは人からはわかりにくい障害を持っている。緊張性の発作のように、自分の意志と無関係に笑ってしまうのだ。
劇中には小人症の人物も出てくる。その特性(障害)はわかりやすい。それでもソレは笑いのネタにされる。
現代では、小人症の人物を揶揄するのは不謹慎だとされるだろう。
同様に、アーサーの症例が精神病として一般に認知されていれば、当然それについて差別したり揶揄するのは、社会的に許容されない。
社会的に許容されないというのは、そんな現実がない、ということとは明確に異なる。
たぶん、アーサーは、現代でも差別され生きにくさを感じると思う。
もちろん表立ってではないし、合法的になんの問題もない理屈の上で、差別されると思う。
アーサーがJOKERになったゴッサムシティと、宇崎ちゃんは遊びたい!献血ポスターが掲示される現代は、とても遠くて、実はすごく近い。
医療のための緊急避難だと考えている人が多ければ、たぶん遠く、
まだ先はどうなるかはわからないけど、とりあえず意識ははっきりしていてリハビリも兼ねて本を読みたいと言っている。
母は70代後半だが非常に頭の良い人だ。普段は血みどろの海外ミステリなども読むが、できれば今は思わず笑ってしまうような、明るくて希望の持てる本を読ませたい。
最近面白いと言っていたのは「カササギ殺人事件」「大家さんと僕」。面白ければサブカル系もいける。本ではないがpatoさんの「シベリア鉄道に乗って東京の一戸建てをアピールしてきた」を読んで感動していた。
【追記】
沢山のコメントありがとうございます。
こんなにコメントがもらえるなんて、母はきっと大丈夫だと勝手に思ってしまった。
まだざっと見ただけなので全部検討しきれてないけど、夜回り猫、ジーブス、スティーブン・キング、さくらももこをまず買ってみます。
「バッタを倒しに...」は既読で面白かったと言っていたのでサメのやつや「ガンジス川でバタフライ」も好きかも。
伊坂幸太郎は本当に人気あるんだなあ。他にも全然知らなかった本も沢山あって感謝です。
もうじきホットエントリーからも消えると思うけど、また何か良いのあれば是非コメントください。
前にあげた以外で母が以前面白いと言っていたのは「心臓を貫かれて」「その女アレックス」「夢の欠片」などです。ミステリーというより犯罪に至るまでの心理に興味があるんだそう。