はてなキーワード: スターバックスとは
http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20120213/1329141809
非常に興味深い記事。
まぁ「洗脳」とか「ウェット」とか「気持ち悪い」ってコメントがたくさんつくだろうなーと思ったら
というわけで、この人はコメント欄も含めて記事作りにこだわりがあるんだなーと好感をもった。
きっと非表示のコメントがたくさんあることだろう。
もちろんブログはコメント欄まで含めて作者のものなので、このこだわりを否定するつもりはない。
こうした話を聞いて宗教的、と感じた人は多いと思う。それは間違いではない。
http://hexagon.inri.client.jp/floorA4F_ha/a4fhc200.html
「ユダヤ商法」や「ビートルズのビジネス戦略」といった本で語られている話によると、
彼らは宗教と商売を区別しない。むしろ積極的に宗教的な知恵をマネジメントにも接客にも活用する。
創業者の著書「スターバックス成功物語」にはあまり宗教の影響は語られていないが、
そこで提起されている「サード・プレイス」という考え方は、
自身の幼少時における体験が大いに影響しているのではないかと考えられる。
ユダヤ商法については、ダンキン・ドーナツや、シェル石油の逸話はアメリカでは非常にポピュラーらしいが、今回の記事のように、従業員も、客すらも、共同体や家族の一員としてみなして大事に扱うことに特徴がある。
年功序列のような儒教チックな要素は全くなく、能力や成果を重視する。
同期で入ったものをペアとして、二人三脚で協力し、競い合わせることで成長を促す。
その上で下のものの成績が振るわないときは、部下ではなく目上の者の責任となる。
だから、上の人間は必死で下の人間を教育する。部下の悩みや行き詰まりを把握して助けるのは当然。
・・・などなど、そういう教えがタルムードにあるらしいが詳しくは知らない。
ウェットで、人のつながりを重視するマネジメントスタイルになりがちであるそうだ。
とはいっても、神の教えやら、空想的な権威に服従を求めたりはしない、らしい。
私はユダヤ商法を否定しない。むしろ、積極的に日本人も見習うべき点があると思う。
ただ、もちろん、日本人には日本人のやり方があるだろうから、うまく変化させて取り入れるべきだろう。
特に今の若い人はウェットな関係を嫌う傾向があるように感じる。おそらく、親や教師などの駄目な大人を見過ぎたせいだろう。無神経で、年上というだけで偉そうにして、それでいて能力的にも人格的にもクソみたいなやつから、一方的に介入を受け続けて、ウェットな関係に嫌気が指しているのだと思う。
気持はすごくよく分かるのだが、だからといって、無条件で目上の人間との関わりや、共同体的な関係を否定し、個人主義に走るのもよくない。うまくいくやり方、自分にあったやり方を考えて、いろいろと工夫してみる必要があると思う。
(無難な締めくくりになるが、自分でも結論が出てないのでこのくらいで勘弁を)
「作る側」「管理する側」に寄り過ぎた思想であり、
「消費者側」「従業員側」の目線がかけすぎている。時代の変化に対応できず、機能不全になりつつある日本教を無理に維持しようとするものである。
こういうのは、積極的に拒否していけばいい。
違うところはないだろうか。自分たちの仕事に生かせる要素はないだろうか、
そんな風に少し考えてみると、面白いかもしれない。
6 Reasons We're In Another 'Book-Burning' Period in History | Cracked.com
By: S Peter Davis
これを聞いた人の8割は私の顔を殴りたくなるだろうが、端的に言おう。
稀覯本を含む本を数万冊以上捨ててきた。
焚書と聞いて、一般にはおそらくナチスドイツを連想する人が多いんじゃないだろうか。
それは不寛容と反知性の象徴だ。
だが今回の焚書は違う理由で起こっている。
本を捨てているのは、利用者が誰もいないような辺鄙な田舎の図書館だけじゃない。
おそらく世界最高の権威がある図書館、大英図書館でも、本の廃棄が産業的な規模で行われている。
オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ大学やそのほかいくつかの大学では最近、本の処分に関するスキャンダルが起きた。
今年ボーダーズという書店がつぶれたときには、在庫は寄付されるのではなく廃棄された。
捨てられているのは、『TVガイド』とか重複所蔵の本だけじゃない。
17世紀に美麗に印刷されたシェイクスピアの作品集を想像してみてほしい。
奥付のページには、遠い昔に亡くなった所有者からの達筆なメッセージが付いている。
それをゴミ箱に捨てるのだ。
私は何度もその場にいた。
持ち帰ってeBayに出して売って、何百ドルかにはなったんじゃないだろうか。
これはオバマの共産ナチ新世界秩序に操られたソビエトの秘密作戦か何かではない。
血も涙もない官僚主義によって起こっているのだ。
というのも……
誰しも思うのは、恵まれない人たちに寄付すればいいんじゃないの、ということだ。
囚人でも、病気の子供でも、独立系の新興書店でもいい。寄付すればタダじゃないの、と。
蔵書であることが分かるようになっている。
その本を寄付したり売ったりするときには、印を消さなければならない。
盗品でないと分かるようにするためだ。
そればかりか、所蔵印が残っている本は、親切な人が見つけて図書館に返しに来てくれちゃったりもする。
そして、処理すべき本はとても多い。
図書館はやっきになって蔵書を減らそうとしている。
図書館館長になったつもりで、10万冊を処分しなればならないという報告を受けたと考えてみてほしい。
選択肢は二つ。
学者を何十人か雇って蔵書目録をもとに重要度や価値を評価させて、
また何十人かを雇って重要度の低い10万冊に一冊一冊処分の印を押させる、
というのがひとつ。
第二の選択肢は、コンピュータで貸出回数の少ない10万冊を列挙して、
数人に館内を回って集めさせて、シュレッダーにかけさせること。
第二の選択肢のほうがずっと速くて安いことはお分かりだろう。
そうなれば儲けがでることもある。
ことに司書にとっては、それはまるで、
ゾンビに噛まれた親友を前にして、自分だけが銃を持っているようなものだ。
それに、捨てられた本のなかに救われるべき本が埋もれてしまうことも忘れてはならない。
このやり方では明らかに、ものすごく貴重な本が引っかかってしまうことがある。
2011年版が書架にあるのに、『白鯨』の初版本を書庫から借りようとする人がいるだろうか。
コンピュータで出した貸出数ランキングではそうした区別ができない。
また、このやり方をする場合は、本は完全に破壊しなければならない。
ただゴミ箱に放り込むだけでは不十分だ。
盗られるかもしれないからだ。
誰も読もうとしないように本を引き裂くか、ゴミ箱に漂白剤を入れておく必要がある。
とにかく、ゴミ箱が「ご自由にお取りください」状態になってはまずい。
そして作業をする図書館員が16世紀の貴重書を見つけたとしても、
館長はそれを救えとは言えない。
捨てる代わりに調べるように命じていることになりかねないからだ。
どんな本か分からなければ捨てるのも楽になる。
みなさんがこの事実をご存じなかったとすれば、
ほとんどの場合、一般人が気づくのはゴミ箱に大量の本が入っているのを誰かが目撃してからのことだ。
とはいえ司書がこっそり話し合っている掲示板はいくらか見受けられるが。
2004年ごろ、ニュージーランドのビクトリア大学は13万冊の本を廃棄することを決めた。
計画では、廃棄対象の本に赤いテープを貼り、
それを救いたい人がペンでチェックマークを付けることになっていた。
ご想像のとおり、誰もが怒りをあらわにした。
ある教授は図書館を「野蛮人」と呼んで学内に電子メールを回し、
図書館をめぐりすべてのテープ付きの本にチェックを入れるよう、
職員と学生に呼びかけた。
私の場合は、本の廃棄に気づいたのはそれを盗んで逮捕された人だけだ。
一般人が気づくころには、すべて終わっていて、反乱の機会はなかった。
それに図書館は気づかせることのないよう巧妙な言い回しを使う。
たくさんの書架を空にして、本を書庫に送ったというとき、彼らは嘘をついているわけではない。
ただ、書庫はすでにいっぱいで、新しい書庫行きの本の分だけ廃棄をしているということを言わないだけだ。
本の廃棄を推進する人たちは、図書館の機能を「本の博物館」だとする見方に反対する。
みなさんは愛すべき古典文学の書架に代表されるたくさんの書架の集合こそが図書館だとお思いかもしれない。
通貨が少し下がったり上がったりすれば、外国雑誌の価格も少し変わるだろう。
さてここで、購読するのは数冊ではなく10万冊だと考えてみてほしい。
そして、いま降りかかっているのは小さな変動ではなく、大恐慌時代以来の最悪の不況だ、と。
これは一夜にして旅客機一台分が財布から飛んでいくことを意味する。
その旅客機の代金が払えないと、まずいことになる。
そうなったらとりうる手段は、燃え盛る蜂の巣を手放すように、
購読を打ちきることしかない……とお思いだろうか?
ところがそれは図書館のパワーユーザー、学者と学生が毎日必要とするものなのだ。
必要のないもの、それはたとえば、手書き挿絵の入ったネクロノミコンだ。
どれほどかけがえのない所蔵物であろうと、とにかく場所がないのだ。
というのも……
図書館が蔵書を引き裂く必要がある理由のひとつは、この不況だ。
悲しいことだが、それはそれで仕方ない。
コーヒーショップと引きかえに土塊にされているとしたらどうだろうか?
オーストラリアのニューサウスウェールズ大学でまさにそれが起こっている。
その図書館では、社交的空間を作るため、1850年代からの蔵書と新聞雑誌が廃棄された。
ピーター・スレツァク教授はそれを、図書館を「スターバックスのようなもの」に変えるものだと評している。
しかし、図書館の立場にたってみれば、それを要求しているのは、
彼らは本を保管することだけではなく、本を使う場所を図書館に求めているのである。
そして出版社は無数の本を出してくる。
ということで、図書館は、一方では新刊書を所蔵するために拡張を迫られ、
一方ではカプチーノを飲んで腰を下ろす場所を作れと言われているのだ。
問題は、その費用を誰も出してくれないということだ。
この報告書でも分かるように、図書館へお金を出している組織は予算増額をものすごくいやがる。
図書館が「拡張の資金が必要」と言えば、大学当局は「他を当たってくれ」と言うだろう。
ほとんどの図書館に他の当てはない(建物に放火して保険金をせしめるという手を勘定にいれなければ)。
本はもはや流行らない。このことは認めざるをえないだろう。
2010年最後の三カ月のAmazonの売上データで、電子書籍は紙の書籍を上回りはじめた。
最近のハードディスクであれば、場所をとらずに事実上無限の数の本を入れることができる。
小さめの図書館ならUSBメモリ一つでで置き換えられるとしたら、
巨大な防火設備で本を守り続けさせる原動力は、人々の愛しかない。
現在の経済状況下では、その愛はなかなか発揮されることがない。
この動きは三十年前に遡る。
1980年代、図書館のスペース問題を解決したのは電子化ではなくマイクロフィルムと呼ばれる新技術だった。
本や新聞雑誌をスキャンしてマイクロフィルムとして保存すれば、
図書館ひとつがキャビネットひとつに収まるというのが謳い文句だった。
ニコルソン・ベイカーは、マイクロフィルムブームの悲痛な記録を本にした。
それによると、大英図書館、アメリカ議会図書館といった世界の名だたる図書館が、
数千冊の古い貴重書を引き裂いてスキャンし廃棄したそうだ。
世界中の本好きたちがこれに抗議したところ、司書がマイクロフィルムを掲げて
今日では、インターネットの普及によって、本の圧縮はますます推進されるばかりだ。
ある組織では廃棄する本の選定にあたって、グーグルブックスに載っているかどうかというシンプルな基準を用いているそうだ。
もちろん、本好きの心はそれだけでは慰められない。
彼らは本の内容だけではなく、本それ自体に価値があると信じている。
彼らにとっては、同じ版の本がほかの場所にあるからといって、
貴重な書物を捨てることは正当化できない。
道は事務書類で敷き詰められていて、
これが現実だ。
まず下のurlを見てほしい。
http://b.hatena.ne.jp/entrylist?sort=count&url=http%3A%2F%2Fwww.hellomag.jp%2F
ttp://www.hellomag.jp/company/
http://www.starbucks.co.jp/company/
主要株主
スターバックスさん、何やってんの。
追記
ttp://b.hatena.ne.jp/masuda0827/
http://megalodon.jp/2011-0909-0148-23/b.hatena.ne.jp/masuda0827/
ttp://b.hatena.ne.jp/minaminamo/
http://megalodon.jp/2011-0909-0148-25/b.hatena.ne.jp/minaminamo/
ttp://b.hatena.ne.jp/orenakameguro/
http://megalodon.jp/2011-0909-0151-05/b.hatena.ne.jp/orenakameguro/
http://anond.hatelabo.jp/20110727052851
・ユニクロ
・無印良品
つらつら並べて思ったけど、
良いお店ってのは、コンセプトがしっかりしてて、ブレてないところが良いね
http://d.hatena.ne.jp/riyot/20110710/1310309043
http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-2780.html
私は荻窪駅徒歩n分圏内に住んでおり、毎日荻窪駅を利用している者です。
さて、ピングドラムなるアニメの主人公らの自宅があり、あずささんがインタビュー中に迷い込んでしまったとのことで、聖地と化す可能性が高い荻窪駅周辺。既に多くの方が聖地巡礼と題し、荻窪駅周辺を探索してらっしゃるそうです。
電車によるアクセスが良いため、今後も巡礼者が増えることが予想されます。荻窪在住の者として、これは非常にうれしいことです。しかし、聖地巡礼にまつわるトラブルの話も絶えませんので、荻窪もそういったことに巻き込まれないかと心配されます。
当然、マナーは守っていただきたいですね。これはどこに巡礼する場合でも同じです。ですが、荻窪の場合は特に、通行の妨げだけはなさらぬようにお願いしたいのです。
それってマナーのうちに入るよね?と思われるかもしれませんが、人が多く、道が狭い荻窪駅周辺でこのマナーを守るのが難しいのです。
荻窪駅は1日あたり延べ15.5万人(JR 8.5万人+東京メトロ7万人)が利用する駅ですので、新宿駅や池袋駅ほどではないにしろ、人が多いです。荻窪駅はJRの他の駅と違って南北が線路によって分断されており、荻窪駅そのものが南北を介する通路となっている関係で、駅そのものの利用者は鉄道の利用者だけではありません。
さらに、専業主婦の方が大勢暮らしていらっしゃいますので、朝と夕方のラッシュのみならず、昼間の時間帯もかなり人が多いです。
荻窪駅周辺は、基本的にすべての道が狭いと思った方がいいです。アニメに登場する場面は往々にして車の通行が多く、ガードレールで守られた安全地帯は2人がすれ違うのがやっと、という狭さです。
つまり、1人立ち止まるだけで、すれ違うことすら難しくなるということです。
例えば、アニメと同じ構図で荻窪駅南口2番出口の写真を撮影するためにはカメラ屋の前で構える必要がありますが、この位置はガードレールで守られた領域の中でもかなり狭い方です。立ち止まるだけでも通行の妨げとなってしまいます。それでいて、駅前ということで通行する人間の数が非常に多いです。通行を妨げられた住民は逃げ場所がありませんので、ここで通行を妨げることは多くの住民の反感を買うことになります。
旅館西郊もOKストアも、ガードレールの中からの撮影になります。特にOKストアは目の前が環八通りということもあり、通行人の数はかなり多いです。
通行を妨げてはならない理由は、地域住民から不審者が増加したとみなされた場合、(良い、悪いに関わらず)巡礼者そのものが排斥対象となってしまうことが予想されるからです。
これは過去に発生した抗議運動からわかるのですが、地域住民は自分の子供が安全に過ごせることが一番大事であり、これを脅かしかねない事態には断固反対します。例えば、荻窪駅南口前を通る道路は片道通行ですが、両面通行化する計画が過去にあがっていました。道の幅は両面通行するには十分でしたが、住民の反対にあい、今もなお片面通行のままです。反対の理由は、両面通行にすることにより車の通行が増大し、それに伴って(主に子供の)交通事故が増加することが懸念されるからでした。
何が言いたいかといいますと、これほどまでに慎重な方々が大勢いらっしゃる中で、巡礼と題して不審な行為を敢行する勇者が増加傾向にあると発覚したら、不審な行為をはたらいていた者のみならず全巡礼者がただではすまないということです。これは荻窪に限らず、人口の多い地域における聖地巡礼が孕むリスクです。
通行を妨げ、カメラで特定箇所の写真だけをバシャバシャ撮るというのは、撮っている本人が思っている以上に不審な行為に見えます。少なくともアニメを見ない、インターネットも使わない層の方が、特定箇所に集まって嬉しそうに同じものを撮影する方々(しかも面識は全然無い)に対して悪いとは思わなくても「何をやっているんだろう…」と不審に思うことは、想像に難くないでしょう。
巡礼者が歓迎される対象になるには、とにかくマナーを守ること。怪しまれるようなことは慎むこと。そして、その上で地域住民の方に感謝されることです。
撮影スポットに人があまりいない場合は撮影をすぐさま終わらせ、その場からすぐに立ち去ってください。
撮影スポットに人が溢れかえっている場合は、荻窪近辺の店で適当に時間を潰したのちに再チャレンジしてください。
残念なことに、撮影スポットの多い南口には時間の潰せそうなメジャーなお店があまりありませんが、北口や西口にはそれなりに有名なお店が並んでいます。
(他に良さげなお店があったら追記します)
とても過ごしやすいマイナーなお店もたくさんありますが、それはぜひともご自分で探検していただければと思います。
アメリカだとMSもamazonもスターバックスもワシントン州にあるけど、
なぜワシントンDCになり、ニューヨークなりに本社を移さないの?
国内市場でそれほど発展を見込めないのに、今さら持ってった理由は何?
大阪に数あった大企業が東京に本社を移す理由は全部同じって知ってる?
結局、現在の日本で商売をやるには官公庁がある東京に行くしかなからだよね?
東京に一極集中したいがために、制度をそれに合わせてるんだよ。
日本国歌としての繁栄を考えて、そろそろ東京の一極集中化を止めるべきじゃないか?
人を動かせば、モノも動くよ。
経済発展のためにこそ、地方に人材とカネを返すべきじゃないか?
昭和の「国土の均衡ある発展」じゃなく、緊急時に備えて東京以外に2ヵ所だけでいいから、
売り子(店頭販売)もライン工もアルバイトでやったことあるけど、
ライン工は朝8:45始まりだったけど10時位に10分休憩あったし、午後3時にも休憩あったよ。
で流れ作業だから残業も1時間ならその時間内に洗浄など片付けも入っていた。
ある意味、ホワイトカラーよりも時間や疲労による作業ミスも考慮されていて理解があったと思う。
ただ、扱っている製品も工数も多いし、新製品が出れば全部変わってしまうのでこれを覚えたら大丈夫っていうのはなくて、
数年勤めないとベテランになれないと思った。
(ちなみに食品ではないけど衛生・品質管理が厳しく単価が高い一般向け製品でした)
自動車とかもっと大規模なところはその辺きちんとやっていると思う。
(休憩しないと能率落ちるし、休憩するって時間を決めないといっせいに止められないから)
売り子は接客と陳列(ディスプレイ直し)を交互にやったり、お客さんが少ない時はバックヤードで在庫数えたりして
疲労が顔に出ないようにそこそこ息抜きできるようになっていたよ。
まあ、食品ではなかったしスターバックスみたいにスタッフ一丸で社内バリスタコンテストを応援(時間外)というお店ではなかったかもしれない。
みたいな事を言ってるとある英文記事が面白かったので訳してみた。
********************
http://www.cracked.com/article_18817_5-reasons-future-will-be-ruled-by-b.s..html
未来がハッタリによって支配される5つの理由
理想の未来を思い浮かべてみよう。いや、地球最期の男になった自分がゾンビの群れを蹴散らす妄想じゃなくて、社会から見た理想の未来を。エネルギーはクリーンで無尽蔵、品物は豊富で汚い仕事は機械が全てやってくれる。みんな幸せでしょ?
でも実は、この未来は既に色んな意味で実現している。そしてこの未来を表す言葉は「屁」だ。
とりあえず説明しようか。
#5.
もし俺がお前に「予算ゼロで可能な限りのポルノをネットから持ってきてくれ」と言ったら、どれだけのエロ画像・エロ動画を持ってくる?
多分答えは「全部」じゃないだろうか。
これがちょっと面白い話につながる。ここ数十年、発展途上国では汚染された乳児用粉ミルクで何千もの赤ん坊が死んでいる。あれ、面白いって言っちゃった?ごめん、使う単語を間違えた。とにかく、何が起きてるかって言うと、衛生環境が悪いため母親は粉ミルクを汚染された水で溶かしている。んじゃ何で自分の身体からタダでミルクが作れるのに、わざわざ毒の粉ミルクを赤ん坊に与えるのか?それは粉ミルクの製造社であるネスレがそうしろと言ってるからだ。
企業はタダで手に入れられるものに対してお金を出すよう説得する……みんなが知りたかった未来の姿がこれだ。
みんな俺がファイル共有やデジタル著作権や、腹黒なレコード会社の話をするんじゃないかと思うだろうけど、あんなのはこれから来る未来のほんの一片にすぎない。世界は変わった。生まれた時から俺達の頭に叩き込まれた社会のルールはひっくり返されようとしている。
未来学者やSF作家はよく「欠乏のない社会」――スタートレックのように、物質複製機やフュージョンリアクターが全ての欠乏を終わらせた社会について口にする。確かに物凄く無茶な妄想に聞こえなくもないけど、俺たちの生活の中では、これが既に実現してる部分が沢山ある。エロなんかそう。今ポルノは空気よりも豊富だ。空気は有限だけど、今人類は宇宙が燃え尽きるまでエネルギーをおっぱいのJPG画像に変換する機械を手にしている。今やおっぱいは無尽蔵なのだ。
さて、ツイスターゲームすら出来ないような狭い部屋でも、そこで過ごす時間のほぼ全てをネットサーフィンとネットゲームに使うんだから構わないっていう人がどれだけいるか。彼らは別にプール付きの二階建ての一軒家が欲しい訳じゃない。300ドルのネットブックと月額20ドルのネット接続があれば、友人、出会い、娯楽、趣味、そして家族や同僚との連絡全てが可能になる。家で仕事をする事すら可能になる。
マズローの欲求段階の多くがデジタルのみで満たされる事が可能なのが今の時代だ。
俺たちネット住民はゲームのデジタル著作権等についてぎゃーぎゃー騒いでるだけで、事のスケールの大きさに全く気が付いていない。まるで生まれた時からずっとフェンスの中に閉じ込められた犬が、嵐でフェンスが吹き飛ばされて、周りを見渡して「すげぇ、庭だ!」ってはしゃいでるようだ。
違うぞハチ公。目の前に広がってるのは庭じゃなく、世界そのものだ。
#4.
ビジネスは、生き延びるために無尽蔵な製品が有限であるフリをしなければならない。
というわけで……理想郷が実現した!人類の勝利だ!もうこんな記事読むのやめてパーティでも始めようぜ!
いや、ちょっと待て。粉ミルクの件を忘れてないか?
ここから話が色々とトチ狂ってくる訳で。例えば、公共の図書館は過去500年もの間本を無償で貸し出してきた。出版社は、図書館が本を買っているからこれを良しとしているし、人気のある本なら一度に何冊も貸し出せるよう複数冊購入してくれる。そして何度も読まれると本はボロボロになるから、数年置きに買い換えてもくれる。
そこで、出版社はより優れた本を作り出した。電子書籍と言う、100億回読まれても傷一つつかない不滅の本だ。このとんでもない代物を生産するのに幾らかかるかって言うと、これが1円もかからない。出版社に何も支払わなくても、読者は自分で本の複製品を「生産」して自分のパソコンに保存する事もできる。この本もまた「無尽蔵」だ。
なので、出版社にとって次のステップは単純明確だった:本が自滅する仕様にする事。
図書館に売られた電子書籍は1年後、もしくは特定の回数だけ貸し出された後に自動削除されるようになった。これは出版社と公共図書館の間でとんでもない論争の種になった。何せどちらも社会の構造をバラバラにするような「ほつれ」を見つけてしまったのだから。考えてもみよう:
A. 自然劣化しないのなら、客に必要な分だけの電子書籍を買い集めて永久に保存する事も出来るんじゃないの?
B. ちょっと待てよ。ただの電子ファイルだろ?じゃ1冊だけ買って、後は読みたいって言う客に対してコピペしてあげればいいんじゃないの?
C. ちょっと待てよ。そもそも図書館なんて必要か?出版社から買って自分で友達にコピーしたものを“貸して”やればいいんじゃないの?
D. ちょっと待てよ。印刷も製本も必要ないのなら、そもそも出版社なんているの?作者から直接買えばいいんじゃないの?
E. ちょーーーっと待てよ。作者が作った1冊を用意すれば、あとはみんなそれをタダでもらっちゃえばいいんじゃないの?
ここで何が消滅したかをちょっと考えてみよう。出版会社の社員が詰まった高層ビル、本が詰まった倉庫、本屋、図書館、印刷機が並んだ工場、製紙工場、作者が印税で買ったいろんな物。これら全てが消滅。
これら全てを何とか維持していく為、出版社はFARTSと呼ばれるものを利用している。FARTSとはForced ARTificial Scarcityの略で、直訳すると「強制人工欠乏」という意味だ。いや、こう呼んでるのは俺なんだけど、俺くらいのネーミングセンスが連中にもあればみんなこう呼んでるはず(訳注:FARTS=「屁」。以降はこれを「屁」と訳す)。
みんなよく聞け:未来はFARTSに支配される。
みんなソニーのマトリックスみたいな近未来バーチャル世界「Playstation Home」がデビューした時を覚えてるか?その時なんとも衝撃的な事件があった。人気ウェブ漫画Penny Arcadeの連中がバーチャルボーリング場にログインして、レーンが開くのを待つため並んでいた。ボーリング場なんて本当は存在しないはずのバーチャル空間で、だ。全てがサーバ上で0と1で作られてる世界なら、レーンなんて実質的に無限に用意できるはずだ。誰でもいつでも使えるレーンが何千も用意されててもおかしくはないのに、俺らに用意されたのは「屁」だ。
#3.
娯楽やコミュニケーションから仕事をするのに必要なソフトまで、あらゆるデジタル製品に言える事だが、俺たちの経済の大半は「屁」によって機能しているのが現状だ。そして時間が過ぎれば過ぎるほど、日常的に利用しているもの全てがその見えない雲に覆われていく。
凄いだろ?でもまぁ、お前さんは上の連中の言われた通りの事なんてしないだろう。企業が何もしなくても手に入るようなものに対して好き勝手に値札をつけるような未来、許すはずもない。これじゃあまるで……うーん……女性が自分の体液を使えば済むような事で大量のお金を使ってしまうようなもんじゃないか。
俺だってそう思ったよ。俺は情報強者なんだぜっつって。んで、机の周りを見渡してみた。
俺の隣にはAquafina天然水のペットボトルがある。何故かというと:1990年代にペプシ社とコカコーラ社がペプシとコーラの売り上げが伸びない事に気付いて、実質無限にあるはずの水道水を買って、ボトルに詰めて、山の絵が印刷させたラベルをつけて、値段を200倍にして、そんで俺がそいつを買った、という訳。
水の隣には頭痛薬のExcedrinがある。そりゃあ店がローカルで出してる銘柄だって分子構造レベルまで一緒だろうけど、俺は倍の金を出してこっちを買った。だってExcedrinだぜ?キャッチフレーズが「ザ・頭痛薬」なんだぜ?んでその下にあるのがローン支払いの明細書で、「手数料:$5.00」と書かれている。
俺のパソコンなんてもっとやばいぞ。Windows 7をインストールしてあるんだけど、新品のHDDだったんで入れたのは200ドルのフルインストール版だ。アップグレード版は100ドルなんだけど、ちなみにどっちもディスクの中に入ってるデータは実は全くの一緒。安い方はただ前のバージョンがインストールされてるかどうかが分かる機能があって、無ければインストールさせてくれない仕様なだけ。
パソコンを新調する事になったら、今インテルがテストマーケティングしてる新しいプロセッサを入れるかもしれない。で、そのプロセッサ、一部の機能が事前に意図的にブロックされてる。何故かと言うと、そのブロックされた機能が使えるようになる「アップグレードカード」を50ドルで売りつけるためだ。
連中は俺達を虚無に対して金を支払うよう教育してて、俺達はずっとそれに従ってきた。お前の机の上にだって「屁」があるだろ?
#2.
さっき電子書籍を例に出したのは理由がある。俺は機会がある度に本を出してる事を宣伝してる(内容は怪物とチ○コのお話)。今はペーパーバック版が10ドルくらいで出てる。書くのに5年かかった。けど現実は、もしアンタが電子コピー版を入手しようと思ったら、それが可能だって事。お前に金を出させるための「欠乏性」は俺達の妄想の産物にすぎない。John Dies at the Endは350ページ分の「屁」だ。
Amazon.comと大手出版会社の議論の原点はそこにある。誰も値段をいくらにすればいいのか分からない。何となーく適当に決めなきゃいけない。どうせ最初の一部を作ってしまえば後は生産費はかからないんだから。
その一方、俺と俺の家族と俺が賃貸と車のローンを借りてる銀行とIRSと俺が飯を買ってるスーパーは、みんな少し手を伸ばせば俺の本のコピーがすぐにタダで手に入れられてしまう事に気付かないという共通の期待を抱いている。やがて世界中が同じ期待を抱くようになるだろう。
で、その問題を何とかするのが、知的財産権を侵害する人間に対して、誰であろうと鉄槌を下す世界規模の条約b>ACTAだ。ネットの住民はみんなこいつを嫌ってる。何故なら①みんなのHDDを覗き見出来るレベルのプライバシーの侵害が出来ないと実施出来ない事と、②無意味だからだ。まるで沈んでいる船が海に大砲を向けて威嚇しているようなものだ。
何でこんな事をするのか?大企業やレコード会社はアクティビジョンの利益を守るためか?メタリカの反海賊版活動家(笑)ラーズ・ウルリッヒが純金じゃなくプラチナで出来た飛行機を買うためか?どっかのライターがサルにオートバイの乗り方を教えるためか?ふざけんな!
でも犬とフェンスの話を忘れちゃいけない。世界は変わった。全員にとって。俺もラーズ・ウルリッヒと同じ状況になったし、お前だってそうなんだ。
ラーズは音楽を売って飯を食って、お前は自分の労働力を売って飯を食ってる。いずれは氏の音楽と動揺、お前の人としての労働力は電子化されて低コストで代用が効くようになり、お前の技術は完全に無価値になる。
どっかのゲーム屋さんで働いてるって?次の世代のゲーム機はゲームを直接ダウンロード出来る仕様になるからゲーム屋なんていらなくなる。ビデオ屋だって同じだ。ブルーレイは多分俺達が最後に目にする物理的なメディアだろう。レジのバイト?セルフレジに仕事が取られるどころの話じゃないぞ。将来的にはRFIDシステムを導入して、買い物品を持ったままセンサーを通りすぎれば自動的に口座から引き落とすシステムになる。スターバックス?お前のやってる仕事の何が機械で出来ないって言うんだ?郵便局?あそこで働いてる奴は実質人間スパム配信機でしかないだろ。郵便物の半数以上は真っ先にゴミ箱行きになる不用品だ。メール社会となった今、郵便局にとって利益が得られる客はダイレクトメール業者しか残っていない。
ちなみに俺がサービス業ばかり挙げているのは、お前らの中の殆どが製造業で働いてるはずが無いからだ。そういう仕事の殆どはもうロボットにアウトソーシングされてる。
技術力の発展のお陰で、雇い主にとって労働の殆どはお前らにとってのネットポルノと同じ「欠乏のない」ものになる。連中にとってコイツはポルノと同じくらい勃起させてくれるものだ。
ACTAやMPAAやRIAAをどれだけ憎もうが、お前の給料は既に「屁」で支払われている。
#1.
文明を救うのは「ハッタリ」
こうして俺らは貪欲な企業どもに金を支払わなくても大抵のものはタダで手に入る事を喜んでるが、それは同時に企業どもが俺らに金を支払う必要もなくなってるって事だ。どちら側も、将来人々は特に理由もなく「“支払う”事を選択する」事を期待している。ゲーム屋さんなら、店員も会社も客が唐突にゲームに対して対価を払う事を選択し、それを人から受け取る事を選択してくれるようにと願っている。
「良い仕事をすれば社会はそれに対して喜んで対価を支払う」みたいな屁理屈はいらない。ネットの住人の俺は、その理屈がどうなってきたか見てきた。サーバが落ちるくらいトラフィックが多い人気サイトが、PayPalの募金口座で閑古鳥が鳴くばかりという理由で閉鎖に追い込まれるなんて何度見てきたことか。もしその仕事に対しての生来の価値に見合った対価を支払うのが人間なのなら、Achewoodが「お金ください」とお願いする事もなかった。
「自分で払う対価を決める」という制度は最終的には募金だ。そして人は特定の気分にいるか、余分なお金を持っている時にしか募金をしない。商業の代わりには成り得無い。
別に給料の話に限って言ってる訳じゃない。人間社会ってのは、人が作ったものを人が必要としてるから成り立っている。総合的なニーズが人を集結させ、リソースを共有させ、そうやって最初の集落が生まれていった。人はモノが必要で、他人が俺らに必要なモノを与えてくれるためにも、俺らが作ったモノを他人が必要としてくれなくちゃいけない。これが何千年も続いてきた人間社会の歯車だ。そして今その歯車が止まろうとしている。
という訳で、社会を救うためにも、今まで何度も人類を救ってきた見えないチカラに頼らないといけないようだ。俺はこいつを「ハッタリ」と呼びたい。
ハッタリは次の成長産業だ。ペットボトルの中の水が山の天然水だと、汚染された粉ミルクは乳児に命を吹き込むと俺らや教育を受けていない母親達に信じさせてきたアイツらは、将来的には外科医よりも重宝される事になる。
文明の発展と同時に、彼ら「屁」の守護者達は俺達が無から作れるものに対して、「良い人であるために」みたいな曖昧な価値観を元に、対価を支払う文化を形成するだろう。丁度Appleのロゴが、既に安価で出回ってるものと同価値のものに対して2倍の金を出させる洗脳効果があるのと同じように。
そしてやがて常温核融合炉やナノテク生産、人間一人につき100GB/秒のWi-Fi接続で電子コンタクトレンズに色々とダウンロードできる技術が実現化した時代になっても、ハッタリ師達は「古き伝統」を守り続けているだろう。3セントで複製機が吐き出してくる靴よりも、80ドルの靴を買えと。何せこっちは「手作り」なんだから。
「支払のための支払」を新時代のモラルとするかもしれない。それか「屁」を中心とした新興宗教か……
少なくとも俺らが他の方法を思いつくまでは。
っていうかネタバレしかありません。
いきなりラストシーンから引用したりするので未読の人は気をつけてください。
※ ※ ※
・今日の虐殺(2) - 伊藤計劃:第弐位相 http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20070710/p1
エピローグで主人公はあることについて大嘘をついているかもしれなくて、事実はどうなのか、は一応それまでに触れられているかもしれない、
わかりました。わかりましたよ。
「大嘘」というのは、
ぼくは罪を背負うことにした。ぼくは自分を罰することにした。世界にとって危険な、アメリカという火種を虐殺の坩堝に放りこむことにした。アメリカ以外のすべての国を救うために、歯を噛んで、同胞国民をホッブス的な混沌に突き落とすことにした。
とても辛い決断だ。だが、ぼくはその決断を背負おうと思う。ジョン・ポールがアメリカ以外の命を背負おうと決めたように。(p.281)
で、「事実」というのは、
「そのジョン、って人は、終末に惹かれているように聞こえるね」
ぼくは言って、ジョン・ポールの好んだ風景を想像しようとする。ひたすら屍体の山を築き上げながら世界を移動するこの男が好んだ、廃墟の物語。
ジョン・ポールが夢見ているのは、そんな廃墟と化した地球の姿なのだろうか。無人の宇宙ステーションとして太陽の周りをぐるぐる回り続ける、宇宙船地球号。異星人が立ち寄って、かつてここに文明があった痕跡を認めるも、その主人はすべて死に絶えて、ただ整然とした建築だけが地上に突き出ている。(p.99)
ジョン・ポールはサラエボのクレーターの縁に立った。そこで妻と子供を失ったこの男がどのような感情に襲われたのかは、当然ながら記録からは想像するしかない。しかし、とぼくは思った。自分が魅かれていた小説の風景が、そこに現前しているのを見たとき、人はなにを思うのだろうか。(p.108)
ぼくは、その光景を想像して、不思議な安らぎに包まれている自分に気がついた。
それは、ぼくが見る死者の国の夢と、そう変わらない風景だったからだ。(p.100)
です。たぶん。
※ ※ ※
281ページでグダグダ語っているのは“プラカード”にすぎません。
・さすらいびととして死ぬこと http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20060124/p1
最後に映し出される在りし日のWTCを以て、ブッシュ批判をすることだろうか。帝国主義を告発することだろうか。
もちろん、そうであってもいい。けれど、そういうことはラストシーンを見ればわかることだ。そういうのは、いわばプラカードみたいなもので、誰にでもわかるように大きな字で書かれているものだ。多くの人は「そうだろうな」とあらかじめ自分の中にあった同じ結論と同じテーマを再確認するだけだろうし、そうでないひとびとは、抑止力としての暴力を信奉し続けるひとびとは、まったく意見を変えることなく反発するだけだろう。
主人公クラヴィス・シェパードは、ただ夢で見た“死者の国”をアメリカに現出させたいだけなのです。
・「ゾディアック」 http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20070702/p1
ある物事を主人公たちに見せつけることそのものを目的とし、その見せ付ける過程が映画になってゆく、そんな悪役を「世界精神型」と呼ぶ。
そのわかりやすい例はというと、やはり「パトレイバー」シリーズの帆場と柘植だろう。帆場は或る「風景」を見せつけ、しかる後に別の風景を現出させる「東京に対する悪意そのもの」だ。帆場は映画における憎悪として純化された階梯へステップアップすべく、映画冒頭で自殺し、キャラクターであることすらやめてしまう。
「2」の柘植もまた、世界精神型の敵役だ。よく柘植の目的を「平和ボケした日本に『普通の国になれ』と目を覚まさせるために」なんておポンチな勘違いをしている人がいるけれども、それはぜんぜん違う(まあ、普通に映画見てればわかるようなもんだけどね)。柘植の目的は、劇中でも語られている。東京という空間に戦争という時間を現出させること。都市を舞台に戦争を演出することだ。人々の前に、日常とは異なる時間を描き出すこと。それこそが目的なのだ。それをすることで政治的にどうこう、とか国民意識を変えよう、とかヘボいレベルに柘植はコミットしない。それは演出家では無いからだ。
世界に認識の変革を迫るヴィジョンを演出することで、ある事物の本質を抉り出すことそのものを目的とし、どんな現世利益的な欲も動機や目的にはしない、そんな悪役。世界を支配するのでもなく、政治的な目標を達成するのでもなく、金をもうけるのでもなく、ただある世界観を「われわれ」の世界観に暴力的に上書きする時間を演出する、それだけを目的とした悪役たち。それが「世界精神(ヴェルト・ガイスト)型」の悪役(というか、敵役、と言ったほうがいいのかもね)だ。
・ダークナイトの奇跡 http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20080723
この映画のジョーカーは悪意そのもの、人間の心理のどぶ底を浚ってくるクズ拾いのような世界精神(ヴェルト・ガイスト)型ヴィラン、金や権力など目もくれず、ある世界に人々を誘うことそれ自体を目的とするタイプの観念型悪役、すなわち、
の系譜に連なり、その中でもジョーカーは、上記の存在がどちらかといえば「社会」そのものをターゲットにしているのに比べ、心理の集合体、個の集合体としての世界を抉り、新たな世界観を観客に見せつけるどぶ底の狂言回しとして描かれている。
シェパードの感じた安らぎは終末の安らぎです。
・宇宙戦争 http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20050701/p1
「A.I」で人類滅亡の唄を描いたスピルバーグは、この映画で再び終末を描く。通信が途絶し、軍隊は通り過ぎてゆく。外界と遮断され、地下室に閉じこもったまま、外の世界を知る術はない。見事なまでに終末SFの王道っぷりだ。世界が「寂しく」なってゆくこと。世界からさまざまな要素が抜き取られ、閑散とし、やがて風の音のみが唄う風景がやってくるだろう。そんな終末への憧れを、スピルバーグは怪獣映画として描く。
人がゴミのように死んでいくなか、世界は寂しくなっていく。怪獣が世界を蹂躙し、我々は反撃の機会すらロクに与えられず、ただただ暴力の羅列を観ているしかない。そして、世界が終わる。
終末は、個人の視線から世界の断絶として描かれる時にのみ、それ独特の感動を生み出すのだ ──「ターミネーター」で、嵐が来るというガソリンスタンドの主人の言葉に答えを返すサラ・コナーの表情を観ていてなお、反撃する人類や大統領や活躍する軍隊を、カタルシスを描け、と阿呆のように要求する者は、終末の喜びを理解せぬ者たちだ。個人の視線から世界の終りが描かれることの喜びを、冷戦が終わってから久しく忘れていたこの感動を、「宇宙戦争」はひさびさに味わわせてくれる。世界が終わることの安らぎを。
※ ※ ※
『虐殺器官』は、主人公が自分の夢を実現させる手段を手に入れて家に引き篭もるというお話なのでした。
こう書くと“ボンクラ”っぽいですが、まあ事実ボンクラですよね。作中で男友達とジャンクフード食いながら「プライベート・ライアン」をリピートして見てたりして。
あと、帆場/柘植/ジョーカーが自分のヴィジョンを実現させる手段を自力で調達していたのに対し、シェパードは他人からタナボタ式に譲り受けただけ、というのもヘタレっぽいというか。
ボンクラ少年がボーイ・ミーツ・ガールして世界に直結するセカイ系と似たようなもんで、ボンクラ特殊部隊員がボーイ・ミーツ・デウスエクスマキナで世界に直結ですよ。
※ ※ ※
ところで、ジョン・ポールを巡るドラマはいかにも“弱い”ものです。
彼の理屈は、第一部に登場した“標的A”の理屈とほとんど同じです。
「虐殺だと。われわれの平和への願いをそのような言葉で冒涜するのか。これは、われわれ政府と国民に対する卑劣なテロリズムとの戦いなのだ。」(p.43)
ようするに、“彼ら”がいると“われわれ”に危害を加えてくるかもしれないから根絶やしにしましょう、平和のために、と。テンプレート通りの虐殺指導者ということです。
補足ですが、「決断を背負おう」だの「アメリカ以外の命を背負おう」だのも含めてテンプレです。
・http://d.hatena.ne.jp/flurry/18000920
「イェルサレムのアイヒマン」においてハンナ・アーレントは、ナチスの処刑者たちが自らの恐るべき行為に耐えた方法を正確に説明した。彼らのほとんどは全然邪悪ではなかった。彼らは自らの行動が犠牲者に屈辱や苦しみや死をもたらすことを知っていた。この苦境に対する彼らの逃げ道はこうであった。
「『私は人々になんと恐ろしいことを行ったのだろう!』と言う代わりに、殺人者たちはこのように言うことが出来た。『職務を果たすときに、なんという恐るべきものを私は目撃しなければならないのだろう! 私の肩に背負われた務めの、なんと重大なことよ!』」
このようにして彼らは、誘惑に抵抗するためのロジックを反転することができた。彼らの「倫理的」な努力は「殺さず、拷問せず、恥をかかせないという誘惑」への抵抗に向けられたのだ。こうして、哀れみや同情という自然な倫理的衝動に背くという、まさしくその行為こそが、倫理的に崇高であることを証明するものとなってしまった。職務を果たすことは、誰かに危害を加えるという重荷を引き受けることを意味したのだ。
こういうテンプレ発言に対しては作中でシェパードやウィリアムズがツッコミをいれていたのですが、ジョン・ポールに対してはなんのツッコミも入りませんでした。いわばボケっぱなしの状態なわけでして、ここは読者が「おなじかよ!」と突っ込むところです。
どんな戦場でも、どんな悲惨でも、同じような人間が同じようなことを言う。コメディ番組みたいだ、とウィリアムズはぞっとするほど朗らかな声で笑った。繰り返しはギャグの基本だからな、とつけ加える。(p.209)
・ぼくとあなたはちがうということ http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20060211
要するに、人が一人一人ちがうものだということをすかっと忘れて「アメリカ人」とか「朝鮮人」とか「アラブ人」とか「中国人」という民族と国家の(が大体の場合雑にいっしょくたになった)ラベルでしか人間を観ていないからです。
小説のラストで主人公までもが繰り返しギャグに参加しやがった……と思いきやそれは“大嘘”だったというのはすごくいいですね。
作中で虐殺されていった人たちのドラマには触れず、アメリカ人の死だけに寄り添う。「被害者のなかに日本人はいませんでした」と添えるニュースのような居心地の悪さ。人は見たいものしか見ない。
そしてこのことは織り込み済みだったと思われます。
・http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20050130#c1107181793
それは私が安手のスパイ小説やアメリカ製の戦争アクション映画で思春期を過ごしたからです。私は歴史そのもの、政治そのものを扱いたいというよりは、関心のあるフィクション群を相互にリンクさせその関係性を説明するツール、としての世界や歴史に関心があるんだと思います
・プライベート・ライアン http://web.archive.org/web/20070307060600/www33.ocn.ne.jp/~projectitoh/cinematrix/roadshow_12.html
この映画の、センチメンタルな物語的部分を「この映画の弱点」だとする人がいる。
ニューズウィークや文春などの映画評をみても、この「物語的」部分には納得しかねる人は多いようだ。確かに、そのような場面で泣いている観客もいたし、そうしたセンチメンタリズムを、これまでのスピルバーグ作品の文脈で解釈しているような貧弱な感性では、確かにそうした拒否反応がでるのも当然だ。
だが、いやしくも映画を評論するものなら、その「物語」の弱さをここぞとばかりに非難するのではなく、逆に怪しむべきだ。
この映画の物語は、きちんと体裁の整った、泣こうと思えば泣けるセンチメンタリズムを内包したものだ。
しかし、あの戦闘シーンの、凄絶という言葉ではとても語り尽くせない臨場感の前には、あまりに弱い。
だが、私はふと思った……スピルバーグは、物語を「弱い」ものとしてあえて導入しなければならなかったのではないか、と。
物語がいかに「容赦のない映像」の前に無力であり、白々しいものであるか。それを指し示す為に、あえて無力な物語を導入したのではないか。スピルバーグ自身がそう考えているかどうかは知らないが、少なくとも、この映画の「物語」は、私の中で「映像」の鮮烈さを、暴力性を、補強する対比の機能を果たした。
それは私の中で「弱点」ではなかった。
オマハ・ビーチの映像を前に、物語の無力さを徹底して暴き出す、演出装置のように見えた。
あの映像の前に物語はいかにも無力だ・・・物語はなにも「語れ」はしない。ただ、見えるものの凄絶さ、映像的な描写のみが、観客に何かを「語り得る」、その事を伝える為の「無力な物語」なのではないか。
あなたはこの結末に耐えられるか?
と書いたようですが、私としてはまったく逆で、あの結末でなかったら耐えられなかったと思います。冒頭のオマハ・ビーチのない「プライベート・ライアン」みたいなものですからね(それと最後のアレがない「未来世紀ブラジル」)。
※ ※ ※
『虐殺器官』は、世界(スターバックスとドミノピザの世界)が塗り替えられはじめるところで終わります。世界が変わってしまう予感に満ちたシーン。
これに対応するのは、劇パト1の自衛隊レイバー暴走/劇パト2のベイブリッジ爆破/ダークナイトのマフィア会合にあらわれたジョーカー、といったところでしょうか。
いわば『虐殺器官』とは、帆場が飛び降りる場面/柘植が東南アジアで闘う場面/ジョーカーが銀行強盗をする場面、を延々と描写した小説なのです(編集の都合上、帆場の来歴をたどるシーンもあったりしますが)。
その人は社長の知り合いの知り合いというつてで入社してきた。
年齢は41歳、ちなみに社長と同い年。
これまで広告業界や製造業界で営業をやっていたことがあるらしい。
若いときに大病を患ったとかで酒が飲めずタバコもすわず
仕事には始業30分前に来て、必ず21時になると帰って行く。(ちなみに定時は19時)
私は始業10分前に来て、ごみを捨て掃除機をかけ、ぞうきんがけをする。
私がどんなにばたばたしていようとも、どこ吹く風でネットサーフィン中。
「早く来るならちっとは掃除も手伝ってほしい」と言ってからは半分だけ手伝うようになった。
私が直行のため朝の掃除が出来ない日でも、半分だけしてくれる。
私とその人は内勤の営業をやっているわけだけども
一緒に働き始めて3年たっても、その人が新規案件をとったことはなかった。
というか新規案件をとるための営業努力をしているところを見たことがなかった。
新規案件は私や他の人が獲得しているので、仕事が減っている訳ではないのだが
彼の仕事は何かというと
お得意様から送られてくる見積もり依頼のメールにテンプレで返す。
それだけ。
つまり、相手がプランAで予算50万の見積もりを希望していても、
プランAの定価が80万だとしたら、80万で返す。
お得意様は「コレじゃ困る」と、電話をかけてくる。
すると彼は「値下げは自分では判断できない、社長に言ってほしいが
今社長は外出中なので明日かけ直してくれ」と言う。
結局私に電話を代わってくれとお得意様が泣きついてくる。
私はメニューAの原価とそのお得意様とのやりとりや過去の値引きの経験をもとに
プランAにオプションをつけて予算50万に近づくような提案をする。
お得意様は喜ぶ。そして仕事が一つ決まる。
ずっとこの繰り返しだ。
結局、彼は何の仕事もしていないに等しい状態。
一緒に外回りに出た時もそうだ。
ひたすら私がしゃべり、提案をその人にふっても「この人(=私)の言う通りです。」
しか言わない。
ちなみにこの日は直帰だったので、営業先を出た後に別れた。
別れたつもりだったが、何も言わずずっと後をついてくる。
まぁ帰る方向は同じだった訳だが、なんだか気持ちが悪くて、「お茶飲んで帰る」
と私はスターバックスへ逃げ込んだ。
とにかくこの人は全てが「受け身」なのだ。
入社して間もない頃はそれも仕方ないかと思っていた、
しかし1年たっても、2年たってもこの有様。
もちろん、私にも社長にも注意されている。だが改善される気配はない。
だがこの仕事っぷりを見ていると、いったい何の残業をしているのかわからない。
私は1ヶ月分ひねり出してもらったが、彼はボーナスをもらえなかったらしい。
と愚痴っていた。
だがよく聞くと
「ボーナスは出たが、入社したときに前借りしていた金を引かれてほぼ0円だった」
らしい。
何なんだ、この人。
だが仕事もするが定時に帰りたい時はがっちり定時で帰り
社内のあれこれで意見を求められれば社長批判もいとわない私より
始業30分前に来てPCの前に座り、21時までデスクに座っている
意見を求められても何も考えていないためはっきり返事をしない彼のほうが
社長の評価は高いと聞いた。
あぜんとした。
いろんな人が理由を知りたがったが、話しても「その年齢でそんな人はあり得ない」
「というかその人を雇い続けている会社があり得ない」と言われたので言いづらくなってました。
いや、あるんですよ、そんな会社も、そんな人も。
http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20090808
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51271236.html
生活に根ざした話で、様々な意見が噴出するってすごくいい。
個人的には、活字中毒Rさんの「こりゃ悩ましい問題だねー」という感想に同意。
ばななのエッセイに関わる客とチェーンの店長という構図は様々な立場があって難しいなって思う。
「本当に下品だなあ。こういうオッサンとは出来るだけ関わりたくないな…」ということ。
だって、自分が居酒屋で飲んでる横で「お前らはいつから酒屋になったんだよ」とか
店員とやりあってる客とか居たら、確実に酒が不味くなるじゃん。
「今のデフレ時代に、5000円も払ってる客をルールのみでベルトコンベアのように扱って、やっていけると思うなよ?!」という圧力をかけることは大事だと思う。
エントリーの冒頭に、いきなり馬鹿野郎なんて語彙を繰り出せるのは、彼一流のしょうもなさなのでどうでもいいかなと。
■ばななのウザッたさ
ばななのエッセイは生活者としての立場から「なんだか世知辛くね?」みたいな話だと思うんだけど、
途中から「私たちスペシャルな存在なのに大事にされないのはおかしくね?」と斜め上の方向に
変わっていくところが読者の感覚からズレてしまってイラッとするんだと…。
僕がばななチームに居れば、そもそもお店に入る前に「ワインを持ち込んでよいか」との承認を取るし、
よしんば融通の利かないクソ店長と言い争いになっても【近所の馴染みの店】から
ワイングラスを全員分持ってきて移し替え移動する。
ばななチームに気が利く人が居なかったのが、ばななに歪んだ残尿感を残らせた敗因かと思う。
■店長のクソな感じ
確かに店長はすごく気分が悪い。なんかルール通り過ぎて、村上春樹の小説とかに出てきそうだよね。
ルール通りであることはどうでもいいが、店員がOKといってお店の立場として承認したものを、
店長が後から出てきて反故にするってのは「組織の論理から見ても」ナシでしょう。
頑なに持ち込みはルールに反していると、客にも守らせようとするのは
「外食チェーンの倫理」には正しいのかもしれないが「自分の店舗の売り上げを最大化する」というゴールから見ても筋違い。
とは言え、無条件に糾弾したい気分になるかと言うと
「店長は店長で自分の役割をクソ真面目にこなしてるだけなんだろうな」と理解出来るから何とも…。
■ルールが絶対のお店はアリかナシか。
個人的な感覚としては、ばななが行ったようなお店は嫌いだ。チェーンは嫌いだ。
行く場合には、どうせクソチェーンなんだから、個人個人へのフレキシブルな対応を求めるのは筋違い。
大切な会であれば、絶対にチェーンなんかに行かない。
行く時は、ある種の諦念がある。どうせ、○○さんと呼ばれる馴染みの客にはなれない。
どうせ、高校生・大学生・DQNたちが騒いでてゆっくり出来ない。
とはいえ、安価でルールを大事にする居酒屋は無くならないと思う。
そこにもっとフレキシブルさ、自主性を求めるのは客としては当然だと思うけれど、
「やりがいの搾取」という議題が浮かんで、何ともいえなくなる。
オリエンタルランドや、スターバックスは、素晴らしいなと思う一方で気持ち悪いもの。
■結論としておもったこと
35歳より下ぐらいの人には、飲食で働いている友達も多いと思う。
だからこそ、自分とは切り離された存在として、お店を一方的に叩くということが出来ない。
小飼弾さんは、チェーンの飲食の現場で働いている友達と飲んだ体験とかが無いのかなと思った。
世代論なのかもしれないし、小飼弾さんはシステムの話は横に置いておき「自分がどう思うか」「自分だったらどうするか」を
起点としてしか話をしないからかもしれないなと思った。
飲食に関しては、チェーンとはいえ、フランチャイズとはいえ、もう少し弾力的に動いてもいいでしょ?
暇な時は持ち込みなんかも大丈夫だよ。但し、忙しい時間帯は勘弁してね。というのを店側も客側も共有できればいいなと思う。
「友達はOKして貰ったのにどうして俺はダメなんだ?!」みたいなクレーマーが居たりして実現が難しいのかもわからんけど…。
ここまで読んでくれた人が居たらありがとう。
僕は都内に住んでいるIT系の仕事をしている25歳なんだけれど、一意見として
「ふーん」と思っていただければ幸甚です。
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追記 :
なんとなくモンテローザグループを想定して「チェーン」って使ってたけど、
グローバルダイニングもチェーンだし、松玄でお馴染みピューターも多店舗展開してるし、
「いわゆるチェーンの居酒屋」って、笑笑、白木や、魚民、和民、村さ来、
温野菜、養老の滝、東方見聞録、月の雫、権八とかを想定してればいいんだよね…。
あと「やりがいの搾取って何よ?!」って意見が多かったので補足。「感情労働」の次バージョンみたいなヤツ。
一般的に、素晴らしい客対応をする例として上げられることの多いオリエンタルランドや、スターバックスなんだけど
それを実現するにあたって、ある種宗教的な感じがあります。
例えば、スタバでいうと研修でグループを作ってニックネームを付けさせて…など
自己啓発系セミナーのような意識改革をさせて、仕事にやりがいを持たせるという。
それをバイク便やら、ワタミやらが【給料が安くても、納得して働いて貰うための方便】として使っているという議論があります。
ある種関係ない話ではあったのだけれど(フリーター問題でよく出されるワードだと思う)、
そのくせパクるんだよ
エスプレッソをシアトルコーヒーと呼び直してしらっとオリジナルな顔してるところからして図々しい。
カリフォルニアロールって何なんだろう。
エイブラハム・リンカーンの「人民の人民による人民のための政治」という文言すら他人のパクりでしょうに。
アメリカって、(いわゆる)ソフトパワー面の情報戦、心理戦が非常に巧みだと思う。
外に向かっては、自分たちの見せたい面しか発信しない。見せたくない面は蓋をしてしまう。
あきれるほどそれが徹底している。
内について言えば、アメリカは世界でもっとも自国民が上手にコントロールされている国ではないかと思う。
企業風に言えば「労務管理がしっかりしている」って言うんですか。
(まぁ、これも私が幻想を見ているだけかもしれませんが。)
http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20090719/1247963394
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/KoshianX/20090719/1247963394
この文章読んで、妙な違和感というか疑問なんだけど
その同質性を求めていない国って、どこにあるの?
もしかしてアメリカとか言いたいの?
アメリカって、白人は白人で固まるし、それもさらにお前はXX系だとかで語ってるわけだが
どこの国のことなんだろう。
アメリカで話を進めるけど、アメリカで民族というものは厄介な物で、アメリカでは仕事の選択にすら影響してるんだが、そのへん知らない?
まぁ最近のIT系なんかだと、人種ごちゃ混ぜで若い業界だなって思う
でもそれって日本も同じ話だよね。俺の今働いているところとか外国人多いよ。IT系はみんなこんな感じじゃない?
なんか日本特殊論話す人って、世界を知らない人が多いよなぁって思う
単純な時代性を、こういう話をしたがる人はなぜか国単位で固有の物として語る。
なんで?
俺は顔が濃いからなのか、きみは日本人に見えないとか、いちいちうるさくてとにかく面倒だった
アメリカってまじで面倒。顔の違いはかならず突っ込まれる
ぜんぜんスルーしてくれない
そのへん日本人はゆるいなぁと思ったね。ああ縄文系?九州のひと?くらいでスルーしてくれるからありがたかった
てかそれが普通だとおもってたけど。
アイスコーヒーって今じゃアメリカ人も飲むんだけど、留学した当時はそんなことなくて
コーヒーに氷入れてる俺みて、ゲテモノ飲んでるみたいな感じの対応させられて、今でもトラウマ。
昔、日本人が生魚食ってキチガイ扱いされたらしいけど、こんな感じだったんだろうな
とか思ったね。
なんでも異文化を拒絶から入る。これが俺のアメリカ人のイメージ
そのくせパクるんだよ
スターバックスがパクったおかげでアメリカでもアイスコーヒー飲むようになった
いまじゃアイスコーヒーは米国の文化だとか抜かしやがる。缶コーヒーだって最近売り出してるんだぜ。調子よすぎだよあいつら
きみの周りの知的水準が低いと思うべきなんじゃないの?
が、おかんは言う。
「注文の仕方がわからないから行ったことが無い」
友達のおばちゃんたちも皆わからないらしく
実家に帰った時は連れて行ってあげよう、と思ったけれども
考えてみたら私もあんまりスタバには行かないんだった。
かといってドトール派というわけでもない。
なんだかスタバは落ち着かないのだ。
いつも込んでるし、注文めんどうだし、オーダーしたものが
出てくるのを待っている時間も立ってなきゃいけないし
席も空いてるかどうかわからないし。というかあのイス座りにくい。
早く帰れといわんばかりの座りにくさ。
そんなこんなで、一人でいる時は決して入らない。
だがルノアールのような、一見入りにくい「喫茶店」は一人でも行ける。
歩き疲れて、ふと落ち着きたくなったとき。
まわりはおじさんとタバコの煙にあふれていたりするが、
あんまり気にならない。
あー、マッタリ。ふかふかのソファでマッタリ。
こう書いているだけでも行きたくなってきました。
わたし33歳です。
トシだからでしょうか。
ムハハのたかじん最終回スペシャル「日本経済を救え」高橋の財務省での仕打ちを暴露
http://www.youtube.com/watch?v=48e06JMJmDU&feature=related
高橋「財務省から僕はすごく怒られたほうだよ、あの、特殊法人たくさん潰しすぎちゃったから、天下りが出来なくなったって私はそれで追放になった、霞ヶ関から」
高橋「追放ですよ」
高橋「与謝野さんに凄い人事やられたの、俺ですから、やっぱり」
須田「いや一時期行く場所がなくて役人なんだけども、あの、勤務する場所がない」
高橋「私が前勤めていたところ、ゴミダメのところに机が置いてあったんだけど、そこに行っちゃった。えへへ」
高橋「ええ、そういうことありますね。」
宮根「ちゃんとやろうとしてる人はイジメにあうんですか?」
高橋「そー、あのそうでしょ?、けっこう」
須田「だから高橋さんと話をしようとするとスターバックスでふたりで話をする」
一同「わははははは」
高橋「あの霞ヶ関でね、高橋と話をした人はたいへんだって話がでたことがある。」
一同「うわ、えー」
池田「まー霞ヶ関ってとこは徹底的にやるってことは事実ですよ。これ、えぇ、だから今こういろいろな事件おきてますけどね、
池田「政権交代まじかって言われるなかでね政策、思惑、個人的な趣味とかねいろんなものが混然一体になって今霞ヶ関が揺れ動いてますから。どういう結論になるか分からない。」
高橋「たぶんねぇ、わたしの出身は財務省でしょ?私が一番恐いのが今度確定申告」
たかじん「あぁ、なんで」
高橋「だって、これからかならず、次きますから、わたし、経費率ゼロで申告してるもん」
一同「あぁ、かえってね」
高橋「ぜ、全部、たぶん余計に払ってて後で計算間違ってるから余分だって言われるくらいやってる、そのくらいじゃないと危ない。」
博士も知らない日本のウラ 第35回-2 霞ヶ関のウラより 高橋洋一
http://miranca.com/entry/article6
水道橋「でも石井紘基さんとかねぇ ああやってなんかちょっと襲われたり?することも」
水道橋「そうなんですか?」
宮崎「いや、この人の(捕まる)パターンは本間(政府税調会長)さんに似ていると思う」
高橋「だからね愛人と書くとね、凄いんだけどね、(59)と書いてくれるとよく分かるんだよね、顔写真もいれたらいいよ、んな、普通のおばさんだよ。
水道橋「ははははは」
宮崎「そうなんだよ、皆知ってるわけだよ、本間さん知ってる人は、だからさーあれを官舎に入れたって何がいけないの?」
高橋「何がいけないのってかんじだよね。もうネタ、ばれているんだよ、これ誰がやったか、ホントいうとね。」
高橋「だからさーあたしなんかちょっとみてさーあの、ようするに役所の同居人とか、なんか絶対に財務省しか分かんない資料が出てるんだよ、あれ」
水道橋「ハイ、ハイ、ハイ、ハイ」
高橋「それでね、その日のね、やっぱり、売込みがあるから、あの1誌、あれポストでしょ?他にもやってるですよ、それでもうばれてんだよ。他んとこもね、他んとこもねぇどうですかってやっていくのよ、ついでに」
宮崎「ほんとやるからね」
高橋「やるよ、ほんとに、そのくらいまでやるんだよ、あのね、事務局ってゆうかさ、本間さんが本気になっちゃったのはね、あの税調の事務局ってゆうのを内閣に持ってきちゃったんだよ。」
水道橋「うわ~」
高橋「そでね、事務局をとられるってゆうのは財務省にとって大変なんだよな、コントロールできなくなるでしょ、そこでスタッフを揃えて、おれもスタッフの一人だったんだけどさ、それだったからもう大変なっちゃって」
[ロサンゼルス 12日 ロイター] 米コーヒーチェーン大手のスターバックス<SBUX.O>が、インスタントコーヒー市場への参入を計画している。17日に詳細を発表し、来月から販売を開始する見通し。
新たに登場するインスタントコーヒーは「Via」という商品名で発売され、米国での販売価格は3杯分セットが2.95ドル(約270円)、12杯分セットが9.95ドル(約900円)となる予定。店舗で提供されるコーヒーの味に近づけているという。
スターバックスによると、インスタントコーヒーの市場規模は世界全体で170億ドル(約1兆5400億円)。
テルジー・アドバイザリー・グループのアナリスト、トム・フォルテ氏は「スターバックスは、消費者がいる場所に向かおうとしている」と指摘。先に発表した朝食やコーヒー飲料の値引き計画や、今回のインスタントコーヒー参入は「(スターバックスの)ブランドを低価格帯で体験する機会を提供している。ますます弱くなる経済環境の中で、スターバックスは売り上げを伸ばすことにアグレッシブになっている」と述べた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090213-00000600-reu-bus_all
(CNN) 米コーヒー・チェーン大手のスターバックスは9日、景気後退の波を受ける消費者に向けて、最大で1.20ドル(約110円)安くなる「朝食セット」を、米国内の店舗で3月3日から発売すると発表した。
カフェラテに低脂肪シナモンロール・コーヒーケーキかパーフェクト・オートミールの組み合わせのほか、ドリップコーヒーに、ハムサンドやベーコンサンド、ターキーサンドなどの組み合わせとなる。サンドイッチ類は、セットの発売に合わせ新製品を投入する。
「朝食に最適」としているが、販売時間は終日。価格は3.95ドル(約360円)で、単品で組み合わせるより1ドル前後安くなる。
スターバックスはこれまでに、テイクアウト・コーヒーをある種の「ぜいたくなもの」に押し上げる路線で市場を開拓し、店舗数は全世界で1万を超えた。しかし、世界的な景気後退の波を受け、マクドナルドやダンキンドーナツなど「割安感」のある飲食店に客足が流れたと判断、セット商品の発売を決めた。