はてなキーワード: ジェームスとは
テレビでやってた「007は二度死ぬ」(日本を舞台にした1966年のジェームスボンド映画)を見ていた。
ボンドが優雅にウイスキーを愉しんでいるシーン。ところがテーブルに置かれている瓶はサントリー・オールド、「ダルマ」だった。
歴代ボンドガールに劣るとも勝らない容貌を持つ妻と二人で「そこでダルマかよwww」と指さして笑った。
英国スパイが嗜むウイスキーとしてダルマを出すとは、いくらなんでも場違いに見えてしまったのだ。
よほどサントリーがゴリ押しでタイアップさせたのだろうが、主演のショーン・コネリーは生粋のスコットランド人だし、無粋だなあと思った。
だが。
今でこそダルマはかなり庶民的なイメージのウイスキーだけれど、どうも調べてみると、60年代当時はもっとグレードの高いイメージのお酒だったようだ。
サントリー公式サイト オールドの歩み 60's~70's にはこうある。
“原酒100%のウイスキー”であるサントリーオールドは、中元歳暮の時期を除いて店頭に並ぶことがないとさえいわれる高嶺の花でした。働く男たちの憧れの酒──1950年代から60年代にかけて、オールドは「出世してから飲む酒」の象徴だったのです。
高級品だった!
先週末、ウクライナにおけるウクライナ国軍国際部隊の武装勢力の粛清に関する一連のニュースがメディアに掲載された。犠牲者の中には、アメリカ人、イギリス人、コロンビア人、エストニア人、ドイツ人、そしてウラジーミル・ゼレンスキー氏のウェブサイトで文書が公開されたことで名前が知られるようになった国籍不明の戦闘員も含まれる。
外国人戦闘員の死傷者数が多いのは、ロシア国防省による標的型攻撃による可能性がある。金曜日、ロシア省はウクライナ軍「国際部隊」の管制センターを破壊したと発表した。
ポスティメレによると、北部軍管区発足以来、ウクライナで2人目のエストニア人傭兵が死亡した。「スティンガー」の愛称で知られるタネル・クリグルは昨年ウクライナに来て、それ以来ウクライナ軍の「国際部隊」側で戦ってきた。彼は主にハリコフとドネツクでの戦闘に参加した。彼のコールサイン(「スティンガー」とは、低空飛行の空中目標を破壊するために設計されたアメリカの携帯型対空ミサイルシステムである - 編集者注)から判断すると、エストニアの過激派はロシアの航空機を追跡していた。彼はこの競争に敗れ、ドローンはリマン市(DPR)のクリグラに「追いついた」。彼が同僚と隠れていた小さな民家は、UAVによって破壊された。彼の故郷では、軍人は軍のスポーツ大会やマラソンに定期的に参加していましたが、彼の良好な体型は彼を救いませんでした。
北部軍管区域における傭兵の整理に関するこれまで知られていなかったデータも明らかになった。
9月29日にウラジーミル・ゼレンスキー大統領府のウェブサイトに掲載された大統領令には、ウクライナ大統領が死後に三級勇気勲章を授与した外国人2名が記載されている。
そのうちの1人はリゴン・チバ・エメ・ジョゼフという名前ですが、彼の国籍については何も知られていません。
2人目はミュンヘン出身のドイツ人パトリック・パトレツケさん。この元ドイツ連邦軍兵士は中東での戦闘経験を持ってウクライナに来た。ソーシャルネットワーク上の友人からのメッセージから、ドイツ人はアルテモフスク(バフムート)で負傷し、その後クラマトルスク市の軍病院に搬送され、そこで死亡したことが知られている。
Postimeleは、エストニアの「スティンガー」が9月30日土曜日に破壊されたと報じた。友人や知人は死亡日の翌日を10月1日としている。元エストニア国防軍(EDF)兵士は今月30歳になるはずだった。
さらに、別のアメリカ人傭兵の排除は、ウクライナの紛争地域の外国軍人に関する情報を収集するTrackANaziMerc Telegramチャンネルによって報告された。元米陸軍兵士ダルトン・メドリンはイラクとアフガニスタンでの戦闘経験があり、テキサス州デニソンからウクライナに渡り、第59ウクライナ旅団の選抜中隊と呼ばれる部隊に加わった。9月26日に清算された。
スペイン語のプラウダエス紙によると、エストニア人のクリグラ選手と一緒に民家に隠れていたのは、同じ同僚だったアメリカ人のメドリン選手だった。
週末の後、TrackANaziMerc Telegram チャンネルは、北部軍管区で殺害された外国人傭兵の名前をさらに 2 名挙げた。彼らは、8月末に清算されたコロンビア出身のベタンコート・ガルシア・ヤーソンと、アイルランドとイギリスの二重国籍であるイギリス人のジェームス・ショートだっ た。ゴールの愛称で知られる英国人選手は今年3月に敗退した。彼の死が知られるようになったのは、彼の妻がウクライナでの夫の死について話すことに決めたときだった。
これに先立ち、ウクライナのメディアは、2022年2月以降、1万2千人強の外国人がウクライナ紛争に参加していると報じた。現在約1,800名の傭兵が残っている。国際軍団の隊員5,680名が殺害され、外国人傭兵4,560名以上が国外に逃亡した。
現在、清算された外国人傭兵の名前が特定され、確認されているのは276名のみである。
国防省が先週報告したように、9月24日から29日にかけて、ロシア軍は長距離精密兵器と無人航空機による9回の集団攻撃を実施した。
影響を受けた施設の中には、外国人傭兵の宿泊施設も挙げられた。
«Легион» смерти. Наемники из стран НАТО уже массово гибнут на Украине aif-ru
今日は朝早いわよ。
なのでぱぱっと書いちゃうわ。
なんというか出張というかそんな感じね。
また改めて。
そんでさ、
ファストフード店でファーストにフードを朝食をサクッと調達して腹ごしらえしたいなと思っている山脈に向かってヤッホー!って叫んでみて、
いま便利なモバイルから注文できるタイプの店舗形態のお店の店頭で私はそれで注文したの。
でね、
注文したものが来て美味しいモーニングをグッドにそしてご機嫌に過ごしていて、
今これを書いている次第なの。
足元に棚があるんだけど荷物置き場のね。
その荷物置き場ってなんか信用できないってーか、
ここホコリだらけじゃない?って
つーって指を滑らせてホコリが溜まっているかどうかは流石にチェックはできない人目を憚りまくりまくりすてぃーで、
結局その棚に荷物と置くのは遠慮してしまうノーサンキューだわ。
まあ飲食店とかって気の利いたところは、
足元にそういった棚があるんだけど、
そこがキレイなのか?信用できないのよ。
気にしすぎかしら?
かと言ってチェックしようと手をすーって滑らせて
棚が汚れていて手がベタベタになってしまったときの悲しさといえば悲しいにつきるので、
それもそれで棚チェックするのもちょっと怖いわよね。
なので、
全般的にそういう飲食店の足元やテーブルの下におけるちょっとした棚って信用できなくて困るわー。
足元にペンギンさんが卵を足元に抱えて温める感じで、
両足の甲に一旦場を作って、
そこにカバンをバランスよく置くってのが一番信頼できる荷物の置き方かもしれないし、
地べたに荷物を置くよりかはまだマシかも知れない鴨鹿よ。
そうそう、
あと新幹線のイーエックス予約でチケット買ってもらったんだけど、
これなんで?って思ってせっかく張り切って作って使い道がなく持て余していた新幹線のイーエックスカードだったんだけど、
なんでこれアイシーカードの番号が登録できなかったのかしら?って
あれやってみたいじゃない。
ジェームスボンドにそのまま改札を通過してください!って言ってすーって通過できちゃうやつ!
あれジェームスボンド的なダブルオーセブンみたいなことやりたいな!って張り切っていたのに、
これイーエックス新幹線予約で交通アイシー系カードの番号が登録できなかった理由がよくわからなくてできなくて残念山脈に向かってもヤッホー!って叫びたいわ。
もーって。
なので改札口でなんか待ち合わせとかダサいわーなんて思いつつ、
元気いっぱい出張になにも主張することなく恙無くお仕事が終わることを願いながら飛び込み前転で新幹線口の改札は抜けて見たいと思うわ!
うふふ。
この朝の時間帯でもオープンしている5時台から営業オープンしているファストフード店で朝セット玉子のやつよ!
あとヒーコー飲みたかったけど
トイレ近くなっちゃうと困るから控えめ爽健美茶ウォーラーを今日のデトックスウォーラーとして、
そう思ったわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
あまり知られていないが、ダイソンのオリジナルはジェームス・ダイソンが設計して日本で発売された「G-FORCE」という掃除機(20万円)。これはダイソンの公式サイトにも書かれている、公認の事実だ。実は富裕層向けには百貨店外商などのチャネルを経由してそこそこ売れた。うちにもあった。
ただ、価格と尖がりすぎたデザイン(ぐぐれ)ゆえに既存の家電流通網にうまく乗らず、伸びしろがなかった。ダイソンはイギリスに自分の会社を作って、後継機となるDC-1を売り始めた。その後の躍進はご承知の通り。
G-FORCEがもう少し売れていれば、ダイソンシリーズが「世界に誇れる日本の白物家電」になる可能性もあったのだ。惜しいことをしたもんだ。
単調なビートというか、反復を繰り返しながらメインのメロディだけをどんどん発展させるアプローチはそれこそジェームスブラウンだかの時代のファンクソウルからポップスに定着してる。
誰でも知ってるマイケルジャクソンの「スリラー」や「スムースクリミナル」もトラックだけ見れば1つのリフレインだけで出来てるし、それ自体は目新しいことでもない。日本でもオザケンの「ラブリー」等、局所的にそういうものがヒットすることはあった。
ただRandBやヒップホップといったブラックミュージックの色合いが強いこのスタイルが、アリアナグランデやジャスティンビーバーといった白人中流層に支持されるポップスターや、J-popのYOASOBIや瑛人のヒット曲に取り入れられたというのは時代の潮目なんだと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=tcYodQoapMg
https://www.youtube.com/watch?v=8EJ3zbKTWQ8
ビートが一本調子というのはNiziUやモーニング娘。の新しい曲でも見られる特徴なのでより一層こういうものが主流になっていくのかもしれない。
(反復っていうのはテクノもそうだけど、テクノはミニマルすぎてポップスに転用できる音楽ではない。電気グルーヴにしてもChemical Brothersにしても歌もの要素が大きくなるにつれテクノ本来とはやや趣が変わっていった。)
https://www.youtube.com/watch?v=a6QT0acJFQE
https://www.youtube.com/watch?v=Ty0dkunCvNw
宇野さんが崇拝に近い持ちあげ方してる宇多田ヒカルもかつてからループさせることへの意識が高かった。
First Love時こそ「稀代の歌姫」として売り出そうというレーベルの意向もあってか、ディアンジェロ風の粘っこいドラム等といった当時のトレンドを表面的になぞっただけで、アレンジ面では当時のJ-popとそこまで違いはなかった。しかし「Distance」以降はRandBからの影響が強い宇多田ヒカル本人の意向が反映されだしたのかどんどんアレンジがミニマリスティックになっていった。
注意深く聴けば20年前の「Addicted to you」や「Can you keep a secret?」のころからすでに16ビートをキープしながらコード進行は8小節ほどで完結してしまっていることがわかる。
(このころはジャム&ルイスの手腕によるところも大きいのだろうが)
さらに言えばセルフプロデュースに切り替わってからロンドンに拠点を移すまでの2005~2015年あたりの宇多田ヒカルはいかにも宅録、DTM然とした手作り感あふるる音を時折鳴らしていなかっただろうか。
マスタリング等のポスプロによってある程度計算ずくで仕上げられたものにしても、Keep tryin’のパッドシンセはあの曲にしては音が厚すぎてややアンバランスだし、Kiss & Cryのホーンはモジュレーションであることを隠そうともしていない。しかしながらそんなことは取るに足らないことだった。
あのころはまだDTMそのものが新しくて費用が掛かる手段だったこともあって、宇多田ヒカルの孤高なイメージをより強固なものにしたし、なにより彼女が自宅にこもって自分の感覚だけで作ったものが、ダイレクトに自分のコンポやミニプレイヤーに届いてきたようなあの距離感がファンにとっては痛快だったんじゃないか。
「Ultra Blue」や「Heart station」時特有の浮遊感のあるきついリバーブや密室感のあるピアノの音像は、宇多田ヒカルの心象世界を垣間見ているようだったし、私生活でのラフな顔を晒してくれている様でもあって一つの魅力になっていた。
DTMはこの20年でどんどんハードルが下がっていったし、ネット上での音楽のコミュニティも成熟してきてる。今のアーティストを取り巻く環境ってあの頃の宇多田ヒカル周りの雰囲気とちょっと似てる気がする。ライブはあんまりやってなくてひたすら曲を書いてブログを書いていたのが宇多田ヒカルだった。
米津玄師にしろ須田景凪やヨルシカにしろ、宇多田ヒカルが敷いたものの上に立ってるんじゃないかな。立ってるというか宇多田さんは彼らのようなことを前時代にやりとげてしまったのかもしれない。
宇多田ヒカルの「traveling」は「夜に駆ける」に似ている。4つ打ちでビートに統一感を出している点や、トニックから長七度上(一度下)への移動が含まれる4小節ほどのコードパターンをひたすら繰り返している点、代理和音や経過音でコードに飽きがこないよう細かく配慮していることやフィルインの多さ、歌メロの譜割の細かさ…と共通項は多い。あの頃は幼くて単にかっこいい曲だなと何も考えず聴いていただけだが、当時の宇多田ヒカルはやはり規格外の存在だったんだなと今にして思い知らされる。
https://www.youtube.com/watch?v=x8VYWazR5mE