はてなキーワード: サイコとは
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1679541.html
http://sinseihikikomori.blogspot.com/2011/11/google.html
Sexy Zoneも、Not yetも流行ってないし、会話ですらその単語を聞いたことがない。
多分、会話にそれらの単語を出すときには説明が必要となるだろう。
それは別に流行ってない訳じゃなくて、そういったのに興味がある奴が俺の周りにいないだけだ。知り合いのツイッターで話題になってないだけだ。
結局流行ってるもの、常識とされてるもの、普通とされてるものが、それぞれのクラスターで違うってだけの話だ。
俺は去年帰郷して兄弟と会話したときにRadioheadとか宇多丸とかいう単語自体が通じないことに軽く衝撃を受けたが
そういったことはありふれてる。ちょっとくらい前に話題になった「サイコ2割問題」とそう変わらない話だ。
だから、テレビで「~が流行ってるんですよ」とか聞いても、そりゃどっかで流行ってるのかもしんないなと毎回思う。
ほんとに流行ってんのか知りたくなったら、データをどっかからググって調べるくらいすればいい。
思ったより流行ってたり、流行ってなかったり、意外な層に流行ってたり、やっぱり流行ってなかったりする。
ここ最近、韓国関連のことが流行ってますよとテレビで流れると、脊髄反射のかのように毎回ネットでは反発が起きる。
「そんなの流行ってない!」だとか「そんなの普通じゃない!」とか「そんなの常識ってことにするな!」とか。
で、これはマスコミに対するネットからの批判意識として、3%くらいは評価・共感できるものかもしれないが、97%くらいはうんざりする。
「流行ってますよなんてそもそも謳うからいけないんだ!」なんて言うのかもしれないけど
逆に、結局この人達はマスコミが担っていた「普通」や「流行」や「常識」に対する信頼を持っていた人たちなのかもしれないという気がする。
オーソリティに対する信頼とでもいうべきだろうか。
「普通」も「流行」も「常識」も、クラスターによって違うということがもはや「常識」だってことはちょっとネットを眺めれば分かるだろう。
それに従って、「普通」も「流行」も「常識」も壊れてしまった。
マスコミ、メディアが担保していた共同体幻想みたいなもの、一億総クラスター幻想がそれらを作り上げていたし、それが崩壊してしまったのだから。
じゃあ何がマスコミを殺したのだろう。
一億総中流的なものから格差社会という流れもあるが、当然ネットがマスコミを殺した。
つながりあえる環境、「真実」を知れる環境、簡単に島宇宙を形成できる環境、それが可視化される環境がマスコミを殺した。
かくして、「普通」も「流行」も「常識」も「真実」も、クラスター別に存在することになった。
それに人間は耐えられるだろうか。
「ほんとう」の「普通」も「流行」も「常識」も「真実」も存在しないことに耐えられるだろうか。
だから、クラスター別に存在する「普通」や「流行」や「常識」や「真実」を「ほんとう」のことと信じて生きることになる。
ニーチェは「神は死んだ」といった。
「お前たちに言ってやろう。我々が神を殺したのだ─お前たちと俺が。我々はみんな神の殺害者だ」と。
「我々が信じていた真・善・美なる価値基準や権威を根底において担保していたものは、滅びてしまったのだ」と。
日本人からしたら、「で?www最初から死んでるしwwwつか日本には八百万いるしねwww」ぐらいのもんで
なんで、そんなことに大騒ぎしたのか分からないところがある。
だけど、「メディア・マスコミが死んだ」というのはそれくらいの衝撃が日本人にとってはある。
その影響がじわじわと色んなところで見える。
「みんな」が思ってる一つだけ存在する「普通」や「流行」や「常識」が死んだ。
お前が言ってる「みんな」って「普通」って「流行」って「常識」って何だよってことになる。
それこそ一神教から八百万の神への改宗という衝撃が実は起こったんだということがじわじわとわかってくるだろうと思う。
その過程では、クラスター別に存在する「普通」や「流行」や「常識」や「真実」を「ほんとう」のことと信じることにしたり、
そのクラスターにおける「真実」を盲信して他のクラスターを攻撃したり、クラスター別に違うモードを使い分けたり、
クラスターの中で、あるいは他クラスター同士で「ほんとう」を定めるために対話したり、クラスターを彷徨ったり、
反動として、確固としたオーソリティや序列や権威を求めて、何かに忠誠的になったり、他者に攻撃的になったり
すべてのクラスターに通じるものとして「ほんとう」のことを提唱したりすることが、日常的なこととなるだろうし、すでになりつつある。
表面上は、まとめブログによって、youtubeの再生回数によって、徐々に「大衆」における「普通」や「流行」は担保されていくことになる気はするが
その根底では、価値観を担保していたものの崩壊が徐々に起こっている。
スピリチュアルでも、自己啓発でも、ノマドでも、愛国心でも、ライフハックでも人生の指針となってくれるものを求めている。
これらの価値観でも、宗教でもなんでもそうだが、人生の指針となってくれる価値観を求める欲望は消せないし、否定すべきでない。
すべての価値観をクールじゃないと否定したあとに待っているのは、ニヒリズムか退廃と決まっている。
「ほんとう」の価値観を求めて、匿名のコメントで殴りあうことがこれからもネット上では続くだろう。
それは価値観の衝突とも呼べるかもしれないし、対話とも呼べるのかもしれない。
よう、オレオレ。久しぶり。
最近どうなの?んーまあ、知ってて聞いたんだけどさ。
聞きたくないけどいろいろ良くない噂って聞こえてきちゃうもんだしね。
インターネットは広いけど狭いよな。うん。
あ、今日はそのことでどうこう言いに来たわけじゃないんだ。
やっぱり、辞めるって聞いたからさ、ちょっとさみしくなってね。
あとお礼も言っていなかったし。
なんて酷い文章だらけのサイトなんだ!ってびっくりして。
まさに一目惚れだったね。
こんな酷い文章書き散らかすサイトに、オレのひどい文章を載っけたい!
勢いでオレのブログの中でも一番ひどい文章メールに貼り付けて、「こんなの書いてるからライターさせろ!」って送ったけ。
もちろん、即答でOK。思えばあの頃からオレ達は相思相愛だったんだな。
傍目から見たら性格の悪いブサイコ同士、最悪カップル。まあそれもいいと思うよ。
何と言っても書いた文章はほぼ掲載してくれるし。
まあ、オレの書いた文章がひどすぎて、「ホント申し訳ないんだけど…」って表現の改訂をお願いされたこともしばしばあったけど。
そういや2本ほどお蔵入りしたのもあったな(笑。あれはなんだかかえって逆に気を使わせてしまって本当に申し訳なかったと思う。
1発目で滑ってしまったのもあるし、結構みんながおもしろがってくれたのもあるし、書いた後で反省会したりしてな。
うん、楽しかったよ。すごく。
で、オレはそんな楽しい場を、プライベートが忙しくなってしまったり、ちょっと方針のズレを感じてしまったりという理由で抜けてしまった。
今思えば突然のワガママで正直ムカっとしたと思うんだ。ほんとうに悪かったと思ってる。
でも本当に勝手なんだけど、抜けた後もずっとあんたの仲間だと思ってた。
世間ではいろいろあんたを悪く言う人もいるし、実際いろいろ悪いところもあるんだと思う(おい
でも、それでもオレは非モテタイムズというサイトが好きだった。
こんな状況にならなければ、いつか復帰してまた馬鹿な文章書き散らかして「これはひどい」タグを沢山貼り付けられてたんだろうな、と思っている。
正直あんたに記事を書いていた数ヶ月、自分になんのメリットがあったのかは全く分からないけど、まあ恋愛感情はメリットが全てじゃないしな。
オレは非モテタイムズというサイトに惚れて、楽しい時間を過ごすことができた。それでいいのかな、と思う。
あ、今発生している問題は全く話が別なので、それはきちんと解決してくださいねっ!
初期の話こそ魔獣とのバトルや星の戦士の秘密に関する話が多くを占めていたが、中期以降で前述の社会風刺やパロディが主体の、ナイトメアとの対決という番組の本筋は直接関係ない話が増え始める。
作中のプププランドにはコンビニ、自動車、テレビなどが存在し、これらが作品の世界観を現実世界に近づけている。
また、話によっては社会風刺を活かすために食糧不足、温暖化、オゾン層破壊、教育への不安、テレビ番組の情報捏造、捨てられたペットの野生化、 箱物行政など様々な問題がプププランドでも起こっているという設定になっている。
作中で取り扱うパロディのジャンルは多岐にわたり、映画「サイコ」「モダン・タイムス」「生きる」、文学作品「ドン・キホーテ」「1984年」といった有名どころの作品は余すところ無くカバーされている。
また、社会風刺と共にメタフィクション要素が非常に多いのも特徴である。
中にはアニメ制作を題材として現在のアニメ業界に対する批判を行う回もあり、「好きで(アニメーターを)やっている連中は給料が安くて済む」「こう言う(しゃべっているだけで絵が動かない)アニメは安く作れるね」(第49話)や「(3DCG技術の発達により)セルアニメーターは大量絶滅。アホ監督はのたれ死に」「夢より利益を上げなくては」(第89話)などの台詞がある。
Twitterに関連して。
書きながら思ったんだけど自分は普段から相手の顔色を伺いながら
しゃべってるなーと常々思う。
色々としゃべりたいことはある。
「今期のアニメは屍鬼が一番よくて藤崎竜はサイコプラスが一番おもしろい」
とか
「世界の終わりってバンドがめっちゃよくてあれスピッツに方法論は似てる」
とか
だとかとか
んでもしゃべらない。
だって相手が退屈してそうにしているのを見ているのが気になるんだよね。
どうせしゃべるなら相手に有意義な、おもしろいと思われることをしゃべりたい。
なんか無駄なことはあまりしゃべりたくないし疲れる。
「今日は何時に起きてどこどこの店でランチ食べて、そこの店員がすごい愛想良くて
地元帰ってスーパーで買い物して家帰ってテレビ見たらマーシーがげきやせで、うんたらかんたら・・・」
みたいな。
まあ主に嫁の話している内容なんだが、オレなら3分でまとめられるという話を
なん10分も話している。
話したい欲求度が高いんだろうね、きっと。
モーオタが彼氏のいるアイドルだけを握手会で無視をして泣かせる
http://news2plus.blog123.fc2.com/?mode=m&no=288
この記事を読んでいてつくづく思ったけど、本当に気持ち悪い
アイドルに彼が居たと発覚したから大人が集団で無視して子供を泣かせる腐った根性。
スキャンダルが出たアイドル相手にこれくらいして当然だろ!!ってアイドルオタク達の姿勢
アイドルオタクの中には精液を手につけて握手会に行く人も居るらしい
完全に相手を人だと思ってないから出来るんだよね
金を貢いでるんだから裏切られたら何をしてもいいと思っている、自分の欲望満たすために握手で相手の手に精液なすりこんでもいいと思っている
男の子の同級生と下校してるところをストーカーに盗撮されただけの事でブチ切れて
こんなもん送りつけて、すぐに引退に追い込むのも平気
《にゃあにゃあ》
猫澤洋介さんは瓦版「にゃん厨放浪記」(02年02月02日)で、液体窒素は「ピンピンに冷えている」なのか「ギシギシに冷えている」なのか、どっちが正しいかを論じておられたが、私も液体窒素は「ギシギシ」と表現しても良いとは思っている。
だが、表現法はともかく、液体窒素があれば一瞬にして人体が凍ってしまうようなものだと、コミックなどでは表現されていたりするが、あれは本当なのだろうか。希にバナナで釘を打ったり、本当にごくごく希にきのこで釘を打つような輩までいるが、彼らにちょっときいてみたいものである。
そもそも液体窒素は恐ろしく冷たいはずなのに、なぜ常温で保存できるのだろうか。気体にならなければおかしいのである。これはなんらかの陰謀であると考えている。
だからというわけでもないが、猫澤洋介さんが瓦版で、「液体窒素をつかえば冷蔵庫にビールを入れ忘れたときにも簡単に冷やす事が出来るが、アレで冷やしてもあんまし良い事ないんだよねぇ」(02年02月02日)と書いておられたが、それはもしかしたら、冷やしすぎているからでないか。
日本のビールは、冷やさなければうまくないように製造している。しかし冷たすぎれば良いというものでもなく、凍ってしまえば飲み物では無くなってしまう。コクだの喉ごしという次元の話ではないのである。
やはり液体でないとコクというか味は感じられないはずである。
コーヒーも同じくで、アイスコーヒーはアイスだから良くないのである、コールドコーヒーあたりがちょうど良いのではないか。勿論、私はアイスコーヒーなどと言う軟弱な冷たい飲み物は飲んだ事があるはずもなく、妄想にすぎないのだが。
結局、何がいいたいのかというと、あんまり飲み物は冷やすものじゃあないと言いたいのである。例えば、冷たいビールを一気に飲むのは爽快感があって良いが、グラスに残ったビールをしばらくしてから飲むと、逆にビールの味は良く感じられるようになる。
誤解してもらいたくないのは、よく感じられた味は別に美味しいというわけではない。日本のビールは冷たくて美味しく感じられるように作られているからだ。
だから、ゆっくり飲めば美味しくないので、すばやく飲む事が要求されるのである。素早く飲んでしまう事で、満足感が得られない為、どんどん次のビールを注文してしまう事になる。それは大手ビールメイカアの陰謀ではないだろうか。
軟弱な日本の若者はそのような陰謀に気がつかず、ビールを慌てて飲んでしまう事になるが、私のような達人ともなれば、大型冷蔵庫の中でビールを飲むから大丈夫なのである。しかし、次の日には色々と不便があるため、最近はあまりビールを飲む機会が無いのが残念である。
「我が流派のサイコ」は普段から液体窒素を持ち歩き、ビールギシギシに冷やして飲むという。見習いたいものである。
ところで、ビールの由来はご存じだろうか。ビールとは、漢字で微異留と書く。つまり、微生物による異化作用、つまり発酵を行い、製造したものである事を示している。我が国独自の技術である事がこれによりわかろう。
ところが、この技術を盗んだ外国では、異を煎ると勘違いし、暖かい状態で飲む風習が広まったという。その後発祥の地で在る事は忘れ去られ、ビールは異国で洗練されていったのだという。これがビールの歴史であるが、長い歴史を経て暖かい状態で飲むものとして完成されたのである。
最近、私はほとんどアルコールは飲まなくなった。だいぶ前、冷えたビールを立て続けに500mlのビールを10缶飲んだ翌朝、ふと感じた事があった。それは何かというと、ハテ、私は10缶もビールを飲んだのかしら?というものだ。確かに目の前には空になった缶が転がっている。しかし、途中からの記憶がはっきりしないのである。
その後も友人達と冷たいビールをがぶ飲みしたあとは、何となく記憶が曖昧になって、翌朝素っ裸で自宅の玄関前に転がっていたりするのだ。ところが、燗にした日本酒やショーチューのお湯割りなどをちびちびやった次の日には記憶がしっかりしているのである。
ようするに、冷たいビールをガブガブ飲ませ、意識を失わせてその間に何らかの情報を引き出そうというものである。いつだったかテレビでやっていたキャトルミューテレイションとやらと同類であろう。キャトルがなんなのかは定かではないが。
他にもこういう事があった。私は九官鳥を飼っていて、名前は灸ちゃんと呼ぶのだが、毎晩酒を飲んでいた頃は、どうしても相手をしてやれなかった。そのせいか、灸ちゃんは声を掛けても応答してくれないばかりか、ぷいと、後ろを向いてしまう有様であった。さすがの私も、これではいけないと思い、九官鳥に向かい合う日を意識的にもうける事にしたのだ。世間で言われている、『キュウカンビ』というものである。最近の私は月に一度程度のお酒にしているが、その甲斐あってか、灸ちゃんとは会話の成り立つほど意思疎通が行えるようになったのだ。
つまりは、冷たいビールをあまり飲み過ぎるな、と言う事である。さらに、お酒全般についても『キューカンビ』を設けるなど工夫が必要なのである。
これが、小便法の離論から導き出された紛れもない事実なのである。
ひっかかっているのはここか?
「洋楽サイコウ邦楽はクズ」という発言が中二病的かどうか、ということだよな?
たぶん、世間一般的に「洋楽サイコウ邦楽はクズ」という発言は中学生以外はあまりしない。
なぜかというと、洋楽は洋楽の楽しみがあり、邦楽は邦楽の楽しみがあるからだ。
もちろん、ある一定の価値観に立てば「洋楽サイコウ」に決まっている。
メロディラインの美しさ、純粋に音楽としての文化の深さでは邦楽は洋楽には絶対に勝てない。
だが、邦楽には邦楽の文芸的な肌合いや、日本特有のまったりした空気感のようなものがあり(日本の文化に浸っているものとしては)これはこれで心地よい。
だが「洋楽サイコウ邦楽はクズ」は極端に一方に偏った価値観の表明だ。
余計な喧嘩の種をまくだけだし、実際に両方の価値観を認めてしまっているのだ。
どちらか一方だけを聴くということはまずない。
「洋楽サイコウ邦楽はクズ」という発言はつまり「世界が狭い」んだ。
音楽について少ない経験値しかないってことを明言してしまっている。
たぶん世間的には「オレはあんまり音楽聴いたことないです」って言うのと同義。
大人になってしまうとそれがわかるから、たとえそう思っても言えなくなる。
これは大人にはできない発言なんだ。
中学生ゆえの特権的発言内容だよ。
クリムゾンだと横に並ばれた時なんか恥ずかしいww
まっすぐ撃てないしww
男にはせめて普通の火気持って欲しい・・・
サロニカとかで迎えにこられたら・・・・もう最悪ww おーのーww
常識的に考えて欲しいだけなんです!
クリムゾンで迎えにこられた時の恥ずかしさとか分かる?
あのね?たとえば週末10-20人ぐらいで謎の遺跡とか行くでしょ?
それぞれカスタムメイドの銃とかで来るわけじゃない?
せっかくだからって赤の扉選んだら大恥かくでしょうがww
http://anond.hatelabo.jp/20081111000645
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%88%E8%B6%8A%E5%89%8D