はてなキーワード: ゴッチとは
1.9時始業と言われたら9時より前に出社すべきなのか否か問題
俺だったらまず2だけを問題にする。
時刻的にも1を包括してるから。
「9時始業なのに9時にいねえってどういうことだよおい!」
これは隙の少ない言い分だ。
「9時始業なのに9時にいねえってどういうことだよおい!」
に対して、派遣アシの言い分が
「派遣会社での勤務起算は8:53-9:07までは9:00勤務開始扱いになるから遅刻ではない」
そうきたかー。
いやこれさあ、相手のほうが正しいよ。
わかるよね?
これについて、あんたが問い合わせや苦情を言うべき相手は派遣会社だよ。
アシは派遣会社と契約してんだし、あんたも派遣会社と契約してんだし。
あんたもアシも主張や認識に嘘がないと仮定するなら、
いやいやいや。まじで勘弁してほしい。わかるじゃない、普通。
この日は特別に8:00に来てくださいねって言ったら8:00からつけてもいいけど
9時始業って言ったら少し前に来て9:00に仕事始める状態にするじゃない。
実はそれって日本の悪慣行に過ぎないんだぜ。
常識的に仕事を始める準備に要する時間は勤務時間に含めるもの。
「仕事の準備」が使用人と使用者のどっちの都合か考えてみりゃすぐ理解できるでしょ。
勿論、1時間前に来てタイムカード押してゆったり朝食食いだす、とかはあかんけども。
なので、ちゃんと勤務時間分を時間で請求してるだけだねそいつは。
あんたが要求してる「わかるよね?」っていうのは正社員向けの理屈じゃね?
それだってあんま良くないんだけど。
もう日本語できなくていいから給与の安いヒスパニックを雇おう。
彼らならどんな態度を取ろうがあきらめがつくから。
あんたははっきり言って
「日頃」と「非常時」を混ぜて嘲笑するのってそんなに楽しいかねぇ。
状況が変化してるのに、変化する前の状況に即した言動を貫くことを期待するのは矛盾してるとは思わない?
「日頃」と「非常時」というのが恣意的に運用されるならなんでも言い放題じぇねえか。
それなら日頃から注釈しとけよ、「私の発言は私が設定した『非常時』には全てチャラとなりますのでご了承ください」って。
防災意識としては恥もプライドも投げ捨てて逃げるのが正解、そこは君の言うとおり。
両取りは出来ないってだけのこと。
また
高校2年生の時。
同級生と付き合っていた。友人が好きだった女の子で隣のクラスの女の子だった。なんだかマッシュルームのような女性で、男性としゃべるよりも女性としゃべっている時間が楽しくてしょうがないというような人だった。
ファーストフードで言うならば、マクドナルドよりもミスタードーナッツを好んで、オニギリの具ならば、鮭よりも昆布を選ぶ人だった。服は暖色系が多かった。冬の記憶にしては、それゆえに明るい記憶をまとっている。
たまごっちが流行っていた時期で彼女のためにタマゴッチをプレゼントした。コンビニでバイトをしていて、たまたま店に入荷した。それを店員利得で購入させてもらった。彼女の家の近くの公園にある滑り台に座りながら、彼女と一緒に、そのゲームを楽しんでいた。もちろん、それの少し前は、携帯テトリスで遊んでいた。当時は携帯よりもPHSだったし、彼女にとってはポケベルだった。今から考えると隔世の感のある時代だ。
そして、秋口から彼女に恋をして、冬には付き合っていた。経緯がどのようなものだったか憶えていないが、多分、友人が好きな女性、ということで見たことで恋をした。そして、友達の仲介に入る過程でなぜか僕が彼女と恋をしていた。
雨の降っている歩道橋の上で、彼女に告白をした。高校生だから、そんなドラマチックな、でもどう考えても野暮ったい行為が好きだったんだろう。彼女は傘をさして、僕は傘をさしていなかった。原付でその場所までいってたからだ。原付に乗りながら傘はささない。インドでタバコを吸うのに気兼ねをしないがごとく。
そして、2人の恋が始まった。
彼女の親がいない時は彼女と一緒に、マリオカートをした。64だったと思う。ある時は僕の家で一緒に勉強をした。
ベタに始まった恋愛だから、ベタに性交の経験を得た。クリスマスの夜にワインを傾けながらその出来事は行われた。スムーズとは言い難いけれど、行為と呼ばれるものよりは少しはロマンティックに。
そして、いくばくかの日数が過ぎた。ある時、彼女と性交をしていたら彼女がこう言った。
「レイプされた」と。
私は意識が飛んだ。小説で使われる常套句だが「何を言っているのかわからなかった」。ポルナレフのあのAAを思い出してもらってもいい。あるいは、あなたがサンスクリット文字でテストを受けた時の場面を想像してもらえばいい。
何をイッテイルンダ。という思いだった。実際には、それさえも思わず、頭がまっしろになった。その後、私が何をいったのか、性交の続きをどうしたのかは憶えていない。
ただ、その話は本当かどうかはわからない。彼女も詳細は語っていなかったように思う。そして悲しんでいる様子でもなく、ただ眈々と事実を述べていただけだった。まるで「昨夜は豆腐とジャコを食べたよ。少し残したけど」というように。あまりにもさらりとその出来事は過ぎていったんだろうと思う。私の気を惹くためか、あるいは、そういう年頃なのかもしれない。ドラマで野島伸司の「未成年」などが流行っているころだったから。ただ、僕はその話を本当という前提で彼女と話をした。でも、不思議なことにその記憶がすっぽり消えている。
その後も恋愛は続き、恋はいつしか終わった。世の中のあらゆる恋と同じように。
今、思い返せば、私は何をいったのだろう、と思う。そして、今、恋人にそのようなことを言われたら、何を言えるのだろう、と思う。ただ、当時と同じことは言わないだろうし、当時のように、タマゴッチがどこかに消えてしまうことはないだろう、と思うのだ。
>ホントに関西在住なんだけどな。wちょっとキツく感じるかもしれんけど、詰問しようとか、そんなん無いからまぁ気楽に。議論じゃなくてお話だし。
>知識つーか情報のことだよ?つまり否定すべき「ホロコースト正史」とやら(これもラベリングやな~)についての情報が歪んでるちゅうこと。
では、私に間違っている情報がありましたか。
病院その他の施設があったこと、子供達が絵を描ける環境にあったこと、病死の死亡記録まで残っている事。殺されたと言うのが証言だけで他に証拠が無いこと。
間違っていますか?
間違った情報は問題ですが、情報の取り上げ方、扱い方で「歪み」は出るのでしょうか。
事実が一つあれば、それに付随する情報はどんな取り上げられ方をしても答えは同じはずです。
表に出ている「情報」が被害者側の証言ばかりでナチス側の内情や命令はどうだったのかというのが知りたくなり、修正主義サイトには詳しく書かれてあったと言うだけのことなんです。
>焼却炉もマットーニョのエッセイとズィンマーマンのエッセイを比較検討して、グーゼンのタイムシートから計算したら、100万人位は焼けるじゃろ、てなお話になっとるし。
机上の空論という可能性は無いのでしょうか。ここでいう100万人はアウシュビッツの数字ですよね。
この焼却炉は石炭でしか稼働しないので、石炭の納入量が実際に焼かれた死体の数を調べる鍵になると思います。
石炭の搬入量は、焼却可能な死亡者名簿の死者の数(これも5年のうち数年しか残ってないのですが)と照らし合わせて一致しています。
もう一度聞きます。100万人焼いたその燃料はどこから出ましたか。
>全体数も個別の数もゴッチャですわ。歴史学上はもっとキチンと出てます。もちろん学者ごとに違いはあるけど。
では、そのキチンとした数をお願いします。
>T4作戦まで否定しようとする(ヒトラーの承認書有り)のか。T4作戦が事実ならば、その流れ上にあるホロコーストにさらなる命令は何故必要なのか。
T4作戦が存在し実行された事は事実ですし否定しません。しかし、国内外から激しい批判を受け、わずか2年後の1941年にヒトラーが中止命令を出しています。これも純然たる事実です。
ホロコーストはT4作戦の延長線上にある、というのならば憶測ではない根拠をお願いします。
情報だけ見るとT4作戦は存在し実行されたが、その後中止されたという事しか断定出来ません。
>お話、ちゅうてるのに議論ふってくるとかね、で取り合わないと「逃げた」て言われるの。wあなたも覚えがあるでしょ。この短い間でももう発揮されてるわけだぁよ。おもしろいね。
私は議論だと思いましたが…この話題でお話することと言ったら議論しかないと思うのですね。
>増田でやるこっちゃない。某巨大掲示板ならともかく。書いたように、否定論との議論を嫌う傾向はあるからね。某巨大掲示板は正論が通じないところだから、議論できるよ。そのかわり、叩かれる時ははてな以上に叩かれるけど。
もちろん、してます。世界史板でもしましたし、ニュー速プラスでナチ関連ホロコースト関連のスレが立ってて、目についた時には。
プラスでは…驚くくらい私と同じような意見の方が多いです。叩かれると言うか、向こうは反論出来なくなると「犠牲者の死を弄ぶな!」「本を読め。そこに全て書いてある」とか「たとえガス殺がなくてもホロコーストはホロコースト!」と言って議論にならなくなったりするんですけどね。
>http://anond.hatelabo.jp/20090325213119
昨日、「なんちゃって関西弁が気持ち悪い」てトラバがあったから押さえ気味に書くわな?俺、ホントに関西在住なんだけどな。wちょっとキツく感じるかもしれんけど、詰問しようとか、そんなん無いからまぁ気楽に。議論じゃなくてお話だし。
先に訂正せなアカンことを。「歪んでる」って書いたのはあなたの人格の事ではないよ?知識つーか情報のことだよ?つまり否定すべき「ホロコースト正史」とやら(これもラベリングやな~)についての情報が歪んでるちゅうこと。人格は関係ない。俺、あなたのこと知らないし。知ってる気もせんではないけど。w ホロコーストについてアツく語る人なんて限られてるし。
エサをバラすと、俺も某巨大掲示板のホロコーストスレで長年否定論者とお話してきた人なんよ。もう4~5年になるかな。だから、大概のネタは知ってます。w 昨日上げた爆発濃度のお話も皮膚吸収も解答は知ってるんよ。爆発する前に即死するし、皮膚から吸収する前に即死するのよ。焼却炉もマットーニョのエッセイとズィンマーマンのエッセイを比較検討して、グーゼンのタイムシートから計算したら、100万人位は焼けるじゃろ、てなお話になっとるし。被害者推計についてもよくコピペされる文面だけど、被害者数に言及したものをかたっぱしから取り上げただけなんね、あれ。全体数も個別の数もゴッチャですわ。歴史学上はもっとキチンと出てます。もちろん学者ごとに違いはあるけど。
まぁ、ここらは余計なお話。俺はあなたが否定論を支持する意思を曲げる意図は無いよ。信じればいい、と思う。だけど「情報を素直にみれば」というのは間違ってる事は伝えたい。その情報自体が「素直」では無い。あなたは素直だけれども。アウシュヴィッツに資料が残ってるはずだ、というなら、何故提示されないのか。命令書が必要だ、というなら何故、T4作戦まで否定しようとする(ヒトラーの承認書有り)のか。T4作戦が事実ならば、その流れ上にあるホロコーストにさらなる命令は何故必要なのか。14f13の存在を知っていながら、「社会に貢献しない生命の抹殺」を否定できるのか。考えてみたほうがいいよ。
で、はてダとかで否定論(俺は修正主義という言葉は好かん)を攻撃する人達は、あなたが知ってる「情報」が歪められてる事を知ってるワケよ。で、「おまえはアホじゃ」って責めるワケ。その事自体の善し悪しのお話をしよう。
俺はあなたと違って否定論自体は「トンデモ」だと思ってる。「素直に情報を見て」ね。だから、ハマりそうな人には「ダマされるなよ~」とは言いたくなる。ハマっちゃった人はもうしょうがないです。wその代わり、俺の目の前でそのウソを垂れ流すヤツは叩くよ。あと、自説の証明を他人任せにするヤツとかね。あなたみたいに「思ってるだけ」の人は別に良いと思う。まぁ、増田に書いた時点で思ってるだけじゃなくなってるが。実際、俺は反応したわけだし。wこういう公然と人目にさらされる場所で、ホロコーストを否定する、てことは被害者に対してもう一度ホロコーストを行う事になる、ちゅう事も覚えておいて欲しいな。まぁ、否定論にならえば「被害者なんぞおらん!」てことになるんだろうけど。収容された人達にもう一度恐怖を植え付け、痛めつける行為なんだ、ちゅうことよ。あなたのその手を血に染めるな、て書くとカッコいいかもしらんわな。w
話がそれた。否定論に取り合わず、罵倒して流すっちゅう背景には「否定論と議論する者は、その協力者である」ていう考えもあるんよ。まぁ、俺もそこから逃げをうつ為に「お話しましょ」ていう体裁をとってるんだけど。wこれは否定論の狙いちゅうか効果として「いかにも歴史学上、論争がある」て思わせたいちゅう側面もある、と思われてるからやね。実際そうですわ。お話、ちゅうてるのに議論ふってくるとかね、で取り合わないと「逃げた」て言われるの。wあなたも覚えがあるでしょ。この短い間でももう発揮されてるわけだぁよ。おもしろいね。俺自身は思いっきり議論してみるのは悪いこっちゃないと思ってるんよ。消極的に黙殺するだけでは、その場はおさまっても、あなたのように、深いところで燻り続ける場合があるから。でも、議論しても納得してもらったこと、ないんだよなぁ。wこれはなんでか解らないんだけれども。反論は無いのに、しばらくしたら同じ事が出てくるのね。わからんなぁ。あなたも議論してみたければ、積極的にすれば良いと思うよ。
ただ、増田でやるこっちゃない。某巨大掲示板ならともかく。書いたように、否定論との議論を嫌う傾向はあるからね。某巨大掲示板は正論が通じないところだから、議論できるよ。そのかわり、叩かれる時ははてな以上に叩かれるけど。だから、あなたも思いっきり議論がしたいなら、某巨大掲示板へどうぞ。世界史板がオススメ。キチンと議論してくれる「正史派・肯定派」(イヤなレッテルだこと。w)のスレもあるよ。注意点としては、固定ハンドル(コテハン)は名乗らないこと。粘着しないこと。かな。
少し違う気がする。
明確に2つ、違和感を感じる所があった。
といっても、論理と理論の違いの解釈は、大まかにあってると思う。
それに、オレ自身、論理と理論の違いについて厳密に言い表せる自信はないんだが・・・。
論理と理論の違いを調べてて分かった解釈と、この言い分がちょっと違うと思ったので、それを書いておく。
ろん‐り【論理】
1 考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保証される法則や形式。「―に飛躍がある」
り‐ろん【理論】
個々の現象を法則的、統一的に説明できるように筋道を立てて組み立てられた知識の体系。また、実践に対応する純粋な論理的知識。「―を組み立てる」「―どおりにはいかない」
オレの解釈がドコまであってるのか、まだ突き詰めてないから自信はないが。
単純に、論理と理論の決定的な違いは「理屈がまとまったものか、そうではないか?」の違いだと思う。
論理は考えや議論の筋道の事や、思考や論証を組み立てる事そのもの、思考の妥当性を保障する法則や形式(考えている事がいかに正しいかという事の説明)を指し示す。
理論は筋道を立てて組み立てられた知識の体系のこと。つまり、既にまとまったものを指し示す。
まとまっているものであれば、それは行き渡った理論ではなく、実践に対応するためだけの簡易的な論理も、ひとまとまりとして理論と呼べる。
おそらく、論理と理論の最も分かりやすいシンプルな違いは「まとまっているかどうか」
この違い。
なので、論理や理論において、事実と結果は、関係性がないに等しいと考えていいと思う。
検証になるかどうかわからないけど、現にYahoo辞書で、こんな調べ方をすると・・・
り‐くつ【理屈/理×窟】
1 物事の筋道。道理。「―に合わない」「―どおりに物事が運ぶ」
「2 無理につじつまを合わせた論理。こじつけの理論。」の論理と理論を逆にすると、意味が適さないのがわかる。
「無理につじつまを合わせた理論」はありえない。何故なら理論とは、すでにまとまっているものだから。すでにまとまっているもののつじつまを合わせることは不可能。
もしかしたら、簡単に説明するために出した例えで、ここらへん承知してるかもしれないけど。
事実と結果は論理や理論に必ずしも必要ではないという事を強調したかった。
事実や結果に縛られて、自由な論理や理論を展開できなくなるのは、あまりにも惜しい。
ただ、理論においては、現象を説明しきる事において、実証が必要な場合が多いだろうけど。それでも筋道が正しければ、明確な実証がなくても、ほぼ実用的な効果が期待できるだろうと見込める理論はあるだろう。
なので調べても理解に苦しむ(と思う)し、ゴッチャになってても無理はないと正直思う。
オレ自身、論理と理論の違いを意識して使い分けた事は全然なかった。
というか、論理的なこともすべて「そういう理論だ」っていう言い回しでまとめあげてた。
論理じゃなくて、理論って言葉のほうばっかり使ってました、語感でw
論理と理論の違いをゴッチャにしてる人でも、言いたい事はほぼ同じだと思う。
論理と理論の言葉の違いは「理屈がまとまっているかどうか」にあるけど、
この二つの言葉を使う人で、言いたい事をあらわす場合、殆どにおいて「理屈が組みあがったものか?それとも理屈を組上げているものか?」っていう、この違いが重要になってくるとは、とても思えない。
論理って言葉を使ってる人も、理論って言葉を使ってる人も、言い表したい事は、自分の思っている事を筋道たてて、いかに妥当性があるか説明したい、という事であって
その説明をする”はこび”を論理とか理論って言葉で表すんだと思う。
その言い回し一つの違いを取り上げて、「まとまったものではないから”理論”というのはおかしい!」って言うようなツッコミを思って、相手の言い分をすべて疑ってしまうのは、重爆の隅をつつくようで、もったいないと思う。
この言葉の違い一が、検算ができるかどうかという例えとは繋がらないし、適さない。
論理と理論をゴッチャにして使ってる人は、言葉選びの中で、この二つの言葉が似たような言葉で、さらに厳密に使い分ける必要性が大きくない事を感じてるから、ないがしろにして、ごちゃごちゃにして使っちゃうんだと思う。
やっぱり、議論の比重を考えても、論理と理論って言葉の違いを使い分ける比重ってかなり小さいと思う。
それよりも、相手の言いたい事を相対的に理解する事の方が大切だ。
発言者は相手に意味が通じるだけの最低限の言葉選びをする必要はあるけど、おそらくそこで論理と理論の言葉の違いが話題に重大なダメージをあたえる状況は、そうそうないだろう。
言葉尻よりも、相手の言い分の本質、言葉という器の中に入っている、本当にあらわしたい感覚に耳を傾けるべき。
もし論理と理論の違いが「理屈がまとまっているかどうか」って違いじゃない!という違う解釈があったら
それはどういうものか聞いてみたい。
幸い「日本語は論理的でない」というトンデモさんが出てこない(日本語が論理的でなかったら学術書の和訳ができるはずがないだろう)ので少し安心しているが、それでも「日本語は情緒的」だとか「日本語は曖昧」だとか「日本語は回りくどい」言ってる人が多いので溜息。
そういうこと言ってるお前ら、どれだけ日本語以外の言語知ってるのかと。
お前らが日本語の「欠点」が見えやすいのは、お前らが日本語をよく知っているからだけの話。実際は他言語でもそういう言い方はいくらでもある。
日本語以外の言語で情緒的だったり曖昧だったり回りくどかったりする表現が可能なことは、ラカンだのなんだのの訳のわからん衒学的なポモ文が、明晰と言われるフランス語発祥であることからもすぐにわかるはずだ。「ソーカル事件」でぐぐるといい。あれはフランス語や英語における、言語の曖昧さを駆使したハッタリの実体をよく暴露したものだと思うよ。
ついでにいうと、言語の機能の話をするとき、文法・記法と語彙の問題がゴッチャにされる傾向があるのはなんとかならんかね。プログラミング言語で言えば前者は構文や「機能」、後者はライブラリに相当するわけだが、大抵のプログラミング言語がチューリング完全であるというのと似たような意味で、日本語と他言語の能力は等価であると考えて差し支えないだろう。
ただし日本語の語彙体系は和語と漢語(和製漢語含む)と西洋系外来語がぐちゃぐちゃになってわかりづらいことは確かだ。文字体系も同様。このため、書き言葉において日本語は非常に学習が難しい言葉とされているのは確か。
とはいうものの、語彙体系の煩雑さは英語だってかなりひどい。ゲルマン系・ラテン系・ギリシャ系がぐちゃぐちゃ。しかも、selectionとelectionみたいに、もともと同じ言葉が生のラテン語とフランス訛りとで違う意味を持ったりする。また、書き言葉が難しいといっても中国語より簡単なのは明らかだし、日本語の書き言葉の学習は中国人から見れば困難ではないはず。そして日本語の発音体系は非常に単純かつ標準的なので、日本語は話し言葉として見ればかなり簡単。
そういう意味で日本語はごく当たり前の言語。今まで挙げた要素すべてで日本語より明らかに効率的な言語はたぶんイタリア語とスペイン語ぐらいじゃないか。
あと、「漢字は情報圧縮」と言っている人へ。漢字という文字が仮名文字やアルファベットよりはるかに複雑であることは一目瞭然であり、一文字当たりの情報量が多いだけとも言える。文字数が減ったからと言って情報を圧縮したとは言えないぞ。
それから、敬語は日本語独自のものではない。英語の敬語だって難しいぞ。謙譲語も尊敬語も丁寧語もある。ある程度「話法の助動詞を使う」という原則はあるが、細かい表現はいちいち覚えていくしかない。
自分が兄のように慕ってた
人に
「ねえ、私のこと覚えてる?忘れてないの?」
こういう態度を取らなければ良い話だろ。
意図的かしらんがそのへんゴッチャにする女だったから怒ってるんだろ。
まー女に限らないけど(ほんとスイマセン)