はてなキーワード: ケネディとは
実は、エノラゲイは知ってたけどオッペンハイマーは知らんかったんよな。作中の学者、アインシュタインしか知らん。でも楽しかった。
・そんな気軽に青酸カリ使う?
・気軽にセックスしすぎやろ
・気のいい爺さんだと思ったらワルだった
・ユダヤの話、ボーは恐れているはグロいの苦手だからスルーしてたけど観とけばよかっち。イスラエルはアレだけど
・ガンバレの学生が後でガンバレの意味が変わってるの、これだから若い男は…やん
・キャラの見分けがよく付かないけど、メガネ君はワルキャラに見えて仕事してるだけよな
・ストロースの秘書くんと証言したメガネと爺さんは好き。印象に引っ張られてる感じはする
・馬結構出るな
・核成功はハラハラしたし良かったナーてなったけどええんかな?
・音と衝撃が遅れて届くのすこ
・これ人に撃つんだよな…?てなりそう
・日本人として思うところもあるが、まあ撃ってよかったししゃーないよね。エノラゲイの悲劇
・尋問シーンかわいそうだけどオッピーが吹き込んだってのはそうかも…?となって、でも裁かれたって許されないのはそうですよねえって
・ケネディ反対票は分かるような分からんような?(理解力が足らんだけ)
・伝記つかドキュメンタリーぽいのかな?思たらエンタメでよかた。ダレないし、乳首は出るけどドライなのがいいね。感動させようとはしてないかんぢが…でも最後なぜか泣きそうなっちよな。ただの疲れ目かもが
2023年に帰化したばかりで血筋は純外国人のモデルやってるだけの女がミス日本になっちゃう我が国ってなんなの
金髪碧眼の白人であり、美貌を持ちつつ「強い女」「戦う女」である
Caressa Cameronのように黒人がミス・アメリカになった例もある
それはそれで「アメリカらしさ」がある
2014年はミスのNina Davuluriはインド系、準ミスの李万晴は中国系である
金髪碧眼はアメリカらしいし黒人もアメリカらしいしアジア系でもアメリカらしい
多民族国家はなんでもらしさになる
5歳から日本で暮らし、両親離婚後に母親が再婚した相手は日本人なので、本人のアイデンティティは日本にあるのだろうけど
剣道や柔道で段持ってるとか、「白人の美貌」を活かしたモデル業以外にも「日本っぽい」技能があればホルホルできるんだが
背景に持つ「物語」が弱い
https://www.pen-online.jp/article/015094.html
マディソン・マーシュ(22歳)は米空軍の少尉だ。パイロットの免許を取り、宇宙飛行士になるという夢を抱きながら、4年前に士官候補生として米空軍士官学校に入学した。現在は、名門ハーバード大学ケネディスクールで公共政策についての研究も行っている。
そんな彼女は、2023年5月にコロラド州でミス・コロラドに選ばれ、「ミス・アメリカ」の出場権を手にした。「ミス・アメリカ」に現役の米軍隊員が出場するのは初めてのことだ。そして現地時間1月14日、フロリダ州オーランドで開催された「ミス・アメリカ」で見事優勝したのだ。
https://madamefigaro.jp/society-business/240114-miss-america.html
彼女の考えでは、軍隊とミスアメリカ組織の間には、「地域社会への奉仕の重要性」を強調するなど、共通の価値観が存在するからだ。その一方で、人々とのつながりを築き、優れたリーダーになるために、「輝かしい履歴書を用意すること」と「人前で話す方法を知ること」も重要である。彼女はまた、ミスであっても筋肉質になれることを示すことで、「先入観や固定観念」を払拭するつもりだ。彼女はまた、女性がスポーツを始めるきっかけになり、多くの若い女の子たちがパイロットや宇宙飛行士になるきっかけになることを望んでいる。
・クオモがニューヨークの知事であることに感謝する日々。人間ブルドーザーのような機動力、機転の速さ、逆境でも負けずに戦い続けるスタミナ、明晰な説明力、人間味。
・アメリカ社会の暗黙のルールとして、人の外見に対するネガティブなコメントは基本的に全部アウト。それで笑いをとるのはもってのほか。テレビでもやらない。
・ジャニーズ問題で露呈した「子どもへの性犯罪」に甘い日本。萌え絵がカジュアルに消費される異常さ
ニューヨーク在住。1993年早稲田大学法学部卒業後、渡米。マサチューセッツ州立大学アムハースト校大学院にて政治学修士取得後、ニューヨークのジャパン・ソサエティーに勤務。各種シンポジウム、国際会議、文化講演会、リーダーシップ交流プログラムの企画立案・運営に携わる。2006年、ハーバード大学ケネディ・スクール大学院修士課程を修了、地政学リスク分析の分野での先駆者として知られる米コンサルティング会社ユーラシア・グループに、日本人スタッフ第1号として入社。日本顧客担当チームの初代ディレクターとして、日本市場における顧客開拓と維持、メディア&ブランデング戦略、商品開発、出版事業などの責任者を勤める。2017年7月ユーラシア・グループを退社、11月まで同社のアドバイザーを務め、2018年約1年間の自主休業(サバティカル)を経て、2019年、中東北アフリカ諸国の政治情勢がビジネスに与える影響の分析を専門とするコンサルティング会社 HSWジャパン (http://hswjapan.com/index-jp.html) を2人の共同経営者と共にニューヨークに設立。複数の企業の日本戦略アドバイザー、執筆活動も行う。株式会社サイボウズ社外取締役。
私はWEB広告屋の端くれで、広告とはジョン E ケネディがいう「Advertising is salesmanship in print」精神でいる。しかしこのような態度では文化の一端を担う広告を作ることは到底不可能だということを私は知っている。
個人的には大成建設の「地図に残る仕事」のCM・コピーは大好きだ。最高だ。直近では湖池屋ポテトチップスのCMなんかも心にグッと残るものがある。
「子供でいたい ずっとトイザらスキッズ」や「オブラディオブラダがかかったホンダ ステップワゴンのCM」なんかも良い。楽しさが伝わる。
「おーいお茶」のネーミングなんか最高じゃないか。亭主関白な昭和の頑固親父が母ちゃんに向かって「おーいお茶」と言ってる姿、あるいは、部長など偉い人がOLに向かって「おーいお茶」と言ってる姿が容易に想像できる(今だとパワハラ・モラハラになりそうだ)
パワハラでいえばリゲインの「24時間 戦えますか」はバブル時代を一言で凝縮した伝説級のコピーだろう。他にも「そうだ京都、いこう。」「まずい!もう一杯!」「ピッカピカの1年生」「すぐおいしい、すごくおいしい」「生きろ。」など挙げたらキリがない。
これらが文化かどうかは知らないが、私の脳裏にこびりついて離れない。私のようなWEB広告屋の端くれには、このような(文化的価値がある)広告は到底作れない。
この文章は昨年、安倍首相が撃たれ死亡された時にスマホのメモ帳に書いていたモノを、はてな匿名に投稿しようと思いつつも日々の忙しさで後回しにで、、一年過ぎて、書き足し
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さっそくだがタイトルは釣りである。実際は軍隊ではなく、警備部、保安部である。
もちろん共産党の中で「何」と呼ばれているかは、呼称があるかは知らないが存在はしている。はず。これは事実だ。と思う。
では日記風に。
7月8日、昼休みが終わり仕事を始める。と、いつもは寡黙な隣の上司が「なんてことだ。最悪だ」と感情を乗せたセリフ。
私は「へ?」と。
すると隣のおばさんが「うん。そうらしい」お向かいの素敵な美人も頷く。
しかし私はちっとも動揺しなかった。それは支持してないから、とかでなく安心して受け止められた。
撃たれた、としても、大丈夫。ケネディではなく、レーガンの事件、1981年3月30日ワシントンD.C.で起きたレーガン大統領暗殺未遂事件のイメージで、「撃たれた」としても「かすりもせず」のイメージが膨らんでいた。それには理由がある。
忙しい午後だった。仕事を終え、帰宅する。と家人が「安倍さんが死んだ」と。
は?死んだ?なに?本当に撃たれた?
そして致命傷で死んだ。
まさか。
そして私の口をついて出たのは「何やってるんだ。自民党!何してるだ!自民党!」であった。
少し怒りも少しだが混じっていたと思う。
「しっかり守れよ 何してるんだ ちゃんとしろよ 自民党」と。
まさか、本当に撃たれるとは。その弾が当たるとは。そして死なせてしまうとは。あるまじき事件であり、あるまじき『失態』だ。
何故、このような呟きになったのか、その怒りが犯人にではなく自民党に向かったのか。
ではその経験を語る。
私は以前、日本共産党の党員だった。現在は10条該当党員、参加もせずに党費も払わず、幽霊党員。自身はすでに党員の自覚はない。
だが当時はバリバリに活動していた。ので地元で開かれる演説会の壇上に上がった事もある。
に、その日の演説会には党中央の幹部が参加、演説しにやってきた。
そして私は、若くバリバリに活動してたので、その演説会の壇上に雛壇党員として座ることに。
その当日。壇上に上がるメンバーが事前に楽屋に集められた。日頃の演説会には開始直前まで動員活動をしていたが、その日の演説会では、その任を外され、事前に楽屋に集められた。
と、そこには、いつも顔見知りの各分野の顔役達。
挨拶をすませ
「あれ、本日のメインの中央の○○さんと握手とか、思ってた」など戯れ事を言う私。笑顔のいつもの面々。の中に一人だけ、見知らぬ顔があった。
演説会には常は県委員会の専従、幹部、その地域担当が来る、そして私は全員の顔を知っていた。だがその場にいた顔は初めて見る顔であった。
その見知らぬ顔の開口一番
「何かあっても動かないで下さい。講演中、もし○○(党中央幹部名)が撃たれそうになっても、助けようとか、動かないでください。講演テーブルの上には防弾ガラスを敷いてます。もし撃たれそうになっても○○は自分でガラスを盾にして防ぎます。だから顔は大丈夫。それ以外でも、講演テーブル、テーブルの中には毛布をぎっしり詰めてます。ですから〇〇は危険だと思ったら、しゃがみ隠れます。
ですから皆さんは『助けよう』と動かないでください。私たちの動きが取れませんので」
驚いた。これはいつもの演説会ではないな、と、いつもの顔役全員に緊張が走る。
「最前列5列の席までは我々、皆さんの地区の同士で固めています。ですから不穏な動きを取る人間はいません」
聞いている我々は更に緊張した。のを、その人間は的確に把握したのであろう。
「外、会場内、会場周辺、全部、我々で監視しています。拳銃を持っている、持ち込もうとする人間は我々で押さえます。荷物と歩き方で銃を持っているか否か、我々は分かります。少しでも可能性を感じたら、すぐに止めてチェックします」
一拍(テレビドラ的演出で言えばカット変え。音演出なら遠くのパトカーの音か?)
顔「拳銃は〇〇に近づく事は出来ません」
顔「ですが15cm以下の小型の、、ピストルですね。小さな。あればかりは我々も見抜けません。ですが。演説テーブルの防弾ガラスに毛布。小型銃の威力はその程度で防げます」
顔は一気に言い切った後に、
それまで見せなかった顔、は少し微笑んだ、かに見えた。
それを受けホッとする我々、を見た顔は更に柔和な顔で。
その場の面々を、ゆっくり見回す、顔
「我々の、その外。皆さん、今日、会場に入られる時、ご覧になったでしょう?
いかにも屈強で、目つきの悪い、いかにも、「はい。警察です」って方々がいたのを。・・・時には役にたつのです。まぁ威嚇、に、も、ならないけど」
ここ、笑って良いのか?判らずも、つい苦笑する我々。
「また公安も来てますね。ですから○○に銃は近づくことは出来ません。では本日は宜しくお願いします」と顔は深々と我々に頭を下げた。
全員、一呼吸
「訊いて良いですか?銃、持ってる人、わかるんですか?」
顔はすこしダケ、困ったような顔をしながら
顔「まぁ。小さなモノは先ほど言ったように・・・」
私「ワルサーPPK!」
顔「そう。あれくらい小さいと。お詳しいですね」
てれる私
顔「それ以上の銃器、武器になると、どうしても重い。すると、それを隠そうとすると、人間、どうしても不自然な動きになる、ように、我々には見えます」
私、一同「へ〜」
顔「では、そろそろ皆さんは舞台の準備へ。そろそろ○○も会場へ」
そして演説会は始まった。
T「1年後」
まだ私は活動していた。そんな折り、大都市に党の大幹部が演説カーで来ることに。
当然、私は動員して動員され。
繁華街の午後、人通りが多い。夕刻か。週末だったような。
大勢の人々が行き交う駅の近く。大型の演説カーと。大型の黒塗りの右翼街宣カー。
騒然とするなか、あの顔を見たような。やはり見知らぬ顔の人間と話してた。が、さっと消えて人々、群像の中に消えていった、ような、、
思い起こしてみると、その「顔」には印象はない。背格好も、ふつうだったような。まさしく、普通の人。だった。
これが私の経験であり。だから公党には全て、こういった組織、部署があると思っていた。ましてカミソリ後藤田がいた自民党、共産党以上に。
もちろん国家権力、警察も護衛するだろうが。岡田君みたいなSPはいないだろうけど。ちゃんと自民党としての保安部があるハズだ、と。
しかし結果は。
だが、ふと思う。自己防衛によって生み出された、攻撃を受ける党であった為に生まれた対応策、軍隊を持つ党
と
権力の座に座り、動かし、取り締まる側を動かす党には、攻撃に弱いのかも。確かに226では。
だが皮肉なものだ。「武力放棄、軍隊はいらない」と言う党は軍隊を持ち、
「憲法を変え軍事費増強」と言う党は、あの時点で軍隊を持っていなかった?役に立たなかった為、総理大臣経験者を死なせてしまうとは。
それは外から攻撃を受ける立場から生まれた軍隊を持つ党と、、とループしていく。
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以上だ。
https://anond.hatelabo.jp/20230527200318
やはり愚かで傲慢。身の程知らず。
中露を舐めるくせが抜けない。
この決定をしたのも日本人の女。
そして非友好国。
誰が聞くんだ。
そういう批判ならできる。
不同意性交罪とかもそう。全部ジョージ・ソロスの息のかかった組織。
ウクライナに出た金は暗号通貨やタックスヘイブンを通じて還流する。西側の政治家とかそう。
オレンジ革命、ユーロマイダン。全て民主化のウラにCIAがいる。
全く反転攻勢ではない。
もうザルジニーは死んだ。生きているというのは噓。総大将が死んだ。
次に裏切り者が続出。ロシアに拠点情報が漏れている。これで高精度ストライクする。
同士討ちもしている。
少なくとも10万の死傷者が出ている。
このまま続けても死ぬだけだ。
なぜならウクライナは西側になりたかった。そのため白人至上主義者に洗脳された。
日本人もそうだ。
なので2月22日にロシアがドンバスを救出しないといよいよ皆殺しだった。
東野篤子は逃げ出した。
国際政治学者は全員インチキ。朝日新聞と日経新聞も毎日新聞も嘘つき。
嘘で固めれば本当になる。
ゲッペルスの言う通り。
戦って勝てる見込みがない。それでも中露を徴発するのか。
無条件降伏したでしょ。忘れたんか?
ウクライナもそう。
あるいはウクライナ領ならモンサントが小麦の値段を操る。ポーランドも狙っている。
天然ガスも輸入できない。
なにを恐れる必要がある?
学習できない。戦況が読めない。鈍い、トロイ、どんだけ弱いのか。敵を知らず己を知らない。これで百戦危うからずか?
ディラン・マルヴァニー、バド・ライトのフラップの後、トランスジェンダーの議論に驚くべきひねり
トランスジェンダーリズムに関する意見は、政界の両側で変化しています
トランスジェンダーリズムの問題に関する全国的な会話は、私たちの目の前で変化しています。先週、民主党の大統領候補ロバート・F・ケネディ・ジュニアはCNNに、生物学的に男性が女性に対してスポーツをすることは不公平であると語り、共和党の穏健な大統領候補であるVivek RamaswamyはNBCニュースで、男性に対する彼の二元論に自信を持っていると語った.そして女性。
これらはどちらも、わずか 1 年前でさえ、左寄りの主流メディアで公正な公聴会が行われそうになかった立場です。ジェンダーの根本的な問題が、スポーツ、女性のシェルター、刑務所、そして私たちの教育システムにおける公共政策に真っ向から突っ込んでくると、ジェンダー論争の両側に突然、率直な議論と妥協の機会が与えられます.
2022 年の 世論調査によると、アメリカ人の 60% が性別は出生時に固定されていると信じており、前年から 4 ポイント増加しましたが、依然として 38% が性別は流動的であると考えています。はっきりしているのは、この問題についてコンセンサスにはほど遠いことであり、妥協の選択肢しか残されていません。
そのような妥協の第一歩は左翼から来なければならない。なぜなら、この問題に関するほとんどすべての合理的な会話を止めたのは左翼だからだ。それは今変えなければなりません。
過去 10 年間、進歩主義者たちは、男性が女性になれるかどうかについて議論することさえ、トランス コミュニティに害を及ぼす暴力行為であると主張してきました。「ハリー・ポッター」の作者であるJKローリングのように、あえてジェンダーのイデオロギーに疑問を投げかけたものは、議論されず、中傷され、取り消されました。
この極めて非自由なレトリック上の立場は、何よりも、トランスジェンダー コミュニティに関する公共政策や社会規範を効果的に作成する私たちの能力を妨げてきました。合理的な配慮を求める代わりに、一方が他方を強引に強引にセックスとジェンダーに関する形而上学的な考えを受け入れさせたのです。
しかし、妥協は双方向の道であり、最近では、生物学的性別の優位性について正統なスタンスを取っている右派の人々と、左派の人々がジェンダー曲げに向かっている.
編注)そもそもトランスに熱を上げているアメリカ人はバカ。なんの必要があるんだ。
Matt Walsh や Michael Knowles などの保守的な批評家は、トランスジェンダーリズムは精神障害であり、Walsh の言葉で「嘲笑されている」、Knowles の言葉で、それは精神障害であるに違いないと主張することで、一種の囚人のような態度を採用しています。 「公の場から抹殺されました。」
編注)実際に性犯罪者ばかり。更に自閉症とかコミュ障を無理遣りトランス扱いする。この弊害がフェッターマン。記憶障害で
まともに喋れない。
右側のほとんどが許容できないことがいくつかあります。彼らは、自分が信じていないことを言わざるを得ず、女性専用の空間で女性に危害を加えるリスクを受け入れず、子供、特に幼い子供が自分の性別を選択できることを受け入れません。
同様に、左翼にも交差できない線があります。最も重要なことは、彼らは、トランスジェンダーであると自認する人々に、自分の人生を生きさせ、出生時に割り当てられた生物学的性別として自分自身を提示することを強制する法律や社会規範を受け入れないということです.
と言ってるけど、現実に一切社会の障害にしかなっていない。トランスはクズだ。大人しく生きていればだれも何も言わない。受容なんて期待する方がおかしい。GIDでもなんでもない。
https://www.foxnews.com/opinion/dylan-mulvaney-bud-light-flap-surprising-twist-transgender-debate
ウッドロウ・ウィルソン(一次大戦)か、フランクリン・ルーズベルト(二次大戦)か、ジョン・ケネディー(キューバ危機)か
散々に語られ尽くしていたように思ってたけど、まだまだ似たような議論が絶えない雰囲気なので、論点整理をしてみたいと思って失敗しました。
ちなみに私は左翼とか右翼とかよくわかんないので特に意見はないです。自由研究みたいなものと思ってください。
まず、今回の意見を分割するとそれぞれの極がきれいに分割できる。
もちろん両方とも極端な例であるし、時には「そもそもテロに該当するものではない」とか「救済されるべき被害は存在しない」とかいった意見もあり得るので、あくまで捨象された極であることは見ての通り。
ここでAとBの意見において、一般に(あくまで自分の私的な視界の範疇ですが)前文については一般に肯定されており、後文においては一般に否定されている。これはおそらく、世間の道徳的直観と一致しているように思う。しかし、その因果(?)関係からは、お互いの前文を肯定することは、相手の前文を否定せざるを得ない側面がある。
(ツイッターやはてブもそうだが、短文でのコミュニケーションでは得てして後文に触れず正しい前文だけで意見を発表できるので、どこまでも正しいままそれ以上の踏み込みをする必要がないのは、脱構築的な気がする。デリダエアプだけど)
特にA→Bの観点からは、被害者救済という観点を取り上げることは、加害者の要求を満たしたという点で、テロリズムを許容することと見なされるものとして反駁されている。
今回このあたりがすごい揉めているように見えたので、一回この論点を詰めてみたい。
まず、テロリズムの要求を肯定することが、テロリズムを有効な手段として世間に認知させることとなる、という点については特段の疑義のないところと考えるので、問題は「テロリズムという不正な手段で、被害者救済という公正な対応を求める」というところにあるように思う(厳密には暗殺事件が被害者救済を求めていたのかとかそういうのは置いておく。世間での認識によって議論を継続する)。
こういうときは、一旦他の例から問題を比較して考えてみたいが、公正な手段で公正な対応を求めるとか、不正な手段で不正な対応を求めるなんてのはもう特に言及する意味もないので、今回は「公正な手段で不正な対応を用いる」ケースというのが何があるかを考えてみたい。
今回は自分の趣味の範囲から引っ張り出すことになるので、不適切な側面があることは否めないが、端的に言えば「ナチス法」の問題が散々に語り尽くされた例として挙げやすい。戦後において「法とは何か」を法実証主義に散々に突きつけ続けた大問題であり、これでもかと議論され続けたから。
例えば、「悪法もまた法なり」としてナチス法に従い、敗戦後には当然罰されることとなったが、裁判例(密告者事件判決とか)からは結構特殊な意見が出た。
例えばラートブルフが「制定法による不法」を克服するために「制定法を超えた法」なんてものを提示することになったり、フラーが法には8つの道徳的原理を含める必要があるといったりといった具合に。
そもそも公正な手段というものは単に物理的法律によって規定されるラインを上回る、なんて言い方をすると、おそらく過言であって適切な読解に基づくものではないと思うが、そういう考え方もあるだろう。テロリズムを許容する、という片方の極の意見には、そうしたものもあるかもしれない。というか革命ってそういうのじゃないの?
もちろん、(新)自然法的な考え方が現行において主要な説ではないことなどもあるが、まあいいや。これ以上進みそうにないから別の話をしよう。
一般に、不正な手段によって被害が生じた者を救済するというのは国家の責務の一つと言って良いと思う(少なくとも被害を防ぐ必要があるということについてくらいは、リバタリアニズムのレベルでも肯定されるように思う)。
その一種の根幹的利益とも呼ぶべき法益の侵害について、それがテロリズムによって判明した場合、その法益侵害に対して触れるべきではない、ということは、なぜ必要となるのか?
まぁ、それは単純で今回のような「不正な手段」によって与えられた課題が「不正な対応」ではなく、「公正な対応(と一般に受け取られているように見える)」であったからだろう。でも、これは実は順序が少しだけおかしい。テロリズムという「不正な手段」で与えられる課題というのは、因果としては常に「不正な対応」になるのではないか? 今までの議論は大概がそこをスルーできてきた(もちろんきちんと対処述べてきたものもあり、その上で議論を重ねている者もいるように見える)、今回の議論はそこが他の価値とバッティングしてしまって、バグが起きているせいで余計にこんがらがっている。
逆に、敢えて今までの議論を全てごちゃまぜにしてしまうなら、おそらく世間一般の意見というのは、先程のA、Bにおける前者を肯定しながらも、双方の後者を否定するというロジックになる。無論、それは矛盾を必然的に孕んでいるが、おそらくそれが一番良く見る意見だった。
まず単純に、道徳的直観から。目的として、双方前文が正しいという直観から、双方を推進すべきであるという素朴な意見。当然ながら前文を進めれば後文を毀損する。それを、時には毀損したままであれ、進めるべきであるということ。所詮理屈なんてものは道徳的直観による結論を推し進めるための道具なんだからと。開き直りと言ってもいい。とはいえこれは、単に世間が「正しい」と「わかってる」ことをを推し進めたいという素朴な意見の衝突による勢いだけの(あるいはリベラルな恣意的妥協による)ものであって、問題解決につながるかは知らない。つまるところ、結論が先にあって、理由があとにあるんだから(クリーレの視線の往復的な、あるいはダンカンケネディの「基準」による法執行的な?)。
まあいいや。
全く関係ない個人的な意見なんだけど、何で他人の意見を否定する時に人格否定をすべきでないってみんな言ってるのにみんな人格否定してるの? やっぱ何か効果があるの?
https://twitter.com/mtaibbi/status/1636729166631432195
日本では、何故だかほとんどのメディアが取り扱わないTwitter Filse。
イーロンマスクがTwitterを買収してから、Twitter Filseもいつのまにか19まで登場した。
今回の#19は、主にコロナ関連情報を監視するVP(Virality Project)って組織に関して。
https://twitter.com/mtaibbi/status/1636729200110452738
https://twitter.com/mtaibbi/status/1636729203323273216
https://twitter.com/mtaibbi/status/1636729233027260419
https://twitter.com/mtaibbi/status/1636729235837526016
VPは、たとえ真実の情報であっても、コロナワクチンの接種を躊躇わせる情報に関しては"誤情報"と見なし検問の対象したみたいだね。
このTwitter Filse無視をするか「これはフェイク」「陰謀だ」とレッテル貼りする人が多数派だろうね(笑)
日本では「まともにメディアをやってるのが週刊誌くらいしかない」って現状に、慣れきってる人が多いから。
ただ、こうゆうのがイーロンマスクがTwitterを買収して以降、英語圏ではしっかり共有されてて、日本では不自然にガン無視されてるのは知っとくべきだろうね。