はてなキーワード: グローバルスタンダードとは
このニュースについて、ツイッターで「騙された」「これが本当なら橋下を支持するのをやめる」「橋下さーん勉強しろーコラー!」という声が散見された。驚いた。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201202/2012021001065&g=pol
橋下のことを何も知らずに投票したのか、、、相当なお馬鹿さんなんだろうな。橋下のような新自由主義思想を持った男なら、TPP賛成に驚くことはない。
下のキーワードをよく口にする文化人(踊らされてるだけの民衆は含めず)はだいたいTPPに賛成してるから、見分けがつかない人は見ておくと良いよ。
・聖域なき構造改革
・改革を止めたから景気がよくならない
・規制緩和
・法人税減税
・バスに乗り遅れるな
・先送りできない課題
・坂本龍馬
・平成維新
・開かれた日本
・外に打って出る
・市場に委ねる
・これからのビジネスで英語が話せないのは、免許がないのと一緒
・集中と選択
・競争が進むとみんなが豊かになっていく
・自由貿易
・自己責任
・既得権益を潰せ
・老害
・自己責任
・公務員改革
・公共工事削減
・緊縮財政発動
・功利主義
・官から民へ
・ガラパゴス化現象
・国際競争
・神の見えざる手
というか苦手だ。拒否したい。拒絶まではいかないけど、少し間を開けていたい。あんまり意識して関わりたいとは思わない。
べつに一匹狼を気取りたいわけじゃない。俺ってみんなは違うんだぜって、馬鹿みたいに威張りたいわけでもない。
まあみんなというか、大衆と呼ばれるものについてなんだけども。自分は大衆が猛威をふるうさまが嫌いなのだ。そんなこと中々起こりえないかもしれないけれど、想像するだけで醜悪だし、怖いし、仮に起こったとしてそこで判別された物事は正しいのか疑問視してしまう。
とりわけ大衆に価値基準が委ねられているなんて状態を想像すると最悪な気分になる。創作物にしても、流行り廃りにしても、政治動向についても、大衆が実権を握るような状態は拒否したい。心の底からお断りしたい。
拒みたい理由は、なにも大衆が正しくないからだとか、大衆が愚かだからなんて思っているからじゃない。物事の尺度が大衆に委ねられて既成事実化していってしまうのが怖いのだ。
大衆は間違えても責任を負わない。大衆は、そのくせ何でもかんでも正しく判断しようとする。圧倒的な数を誇って、どんなことをも精査しようとする。
究極的に言ってしまえば、価値基準の画一化にさえ繋がりかねない。寄って集ったみんなが、結果として大衆の意思を決定し、挙句大衆の支配下に置かれるなんてこともあるかもわからない。
そんなの嫌だ。みんなの意見が平均となって意思となるのか、偏った意見が流れを切り開いて意思となるかはさておくとしても、
そんな状況はお断わり願いたい。広まりきった価値観はつまらないのだ。大衆が認めた、大衆にだけ有益な物事なんて詰まらなくて堪らないと思う。
だから、芥川賞とか、レコード大賞とか、アカデミー賞とか、そう言った様々な権威について、大衆には意見を言う資格はないと思う。
そう言った物事は、狭い領域で少ない人数で偏った人選で語られて然るべきだ。大衆の意見なんて無視して。薄暗い蛸壺の中だけで判断したほうがよっぽど面白い。
例えその結果を理解できなかったとしても、そういうものはそういうものとして咀嚼できる。不味くたって、珍妙な味がしたって、それはそれとしてひとつの経験となる。
でも、大衆が精査し、大衆に迎合されるべき、大衆宛の結果が出るようになっては悲しい。自分好みの味だけ出されたって、結局は大衆という名の馬鹿でかい蛸壺内での嗜好にすぎない。
大きすぎる蛸壺一個の価値観に合わせるよりは、個々の小さな蛸壺から得られる発酵物のほうがよっぽどいい。素敵だ。
無論、大衆文化を嫌悪しているわけではない。大衆に向けらた発信物はわかりやすいし、素直に面白い。
加えて経済的な問題もある。みんなの意見や首肯という要素は、決して無視できないほどに重要である。
ただ、過度に効率を重視した大衆に向けられた発信物は、結局のところ大衆の増長に繋がりかねない。増長を重ねた大衆って、きっといろんな場面で禍根を生むと思う。
みんなが大衆の意思によって苦しくなるのだ。そんなのっておかしいと思うし、不健全だと思う。だから、大衆に餌を与え過ぎちゃいけない。大衆が育つ土壌を作ってはならないと思う。
グローバルスタンダードとか標準化とか、極々ありふれた広い範囲での規約が力を持つのって、すごく怖いことだ思う。
日本人を雇用しないのに「国内消費の落ち込みのせいで…」とかほざくアホがいたり
これからは優秀な外国人を雇用だ!とか言いながら待遇や商習慣、企業風土をグローバルスタンダードに合わせる気が全くないアホがいたり
そんなんだから叩かれてるんだと思うよ
ですよねー。
本格的に外国人雇用するなら、かなり抜本的な制度改革は当然伴うのに、
ラフカディオ・ハーンとかドナルド・キーンみたいな、産まれる場所間違えたような外国人だったら、
日本に適応することも可能だろうけど、一般的な外人さんが日本に適応できるかっつったらかなり厳しいですよ。
その辺の問題は先々出てくるでしょうね。
グローバル化とか地球市民的視点とかそういったものが広がることと、多様性や境界線がなくなる流れが加速していることとでは、同じことを指してるのかな。
個人的には様々な多様性や境界線があることを受容する姿が、グローバル化ないし地球市民的視点をもつということだと思っていたんだけど。
グローバルスタンダードなんていう価値観も、収斂された末の判断力の欠如とでも言うべき結果だと思ってたんだけどな。
確固としたものを創りだそうという流れのことをグローバルスタンダードと呼んでいたのかしらん。
ああ、でも考えてみれば確約されたものを生み出すほうが生産的ではあるよね。経済的だし計画的だし、野心的かつ理性的だ。
誰が好き好んで多様すぎる価値観の海に飛び込もうというのか。でも、カオスティックな社会基盤こそ民主主義の健全な姿だと思うけどな。
その混沌の上に立つ人々が、それぞれ主張しあい、闘争したり競合したりするのが一人ひとりが考える政治であり、社会なんじゃないのかな。
そんなのは面倒だけど。
講演会:韓国併合100年 高橋・東大大学院教授、富山で /富山
◇「謝罪と補償」最初の一歩に
◇「南北分断、無関係でない」
韓国併合100年にちなんだ連続講座の一環として、哲学者の高橋哲哉・東大大学院教授の講演会「私たちの『戦後責任』とは?」が富山市で開かれた。
講座は市民グループ「コリア・プロジェクト@富山」が4月から開催し、先月27日の高橋教授が5回目。今回は日韓が真の信頼関係を築く方策を探るのが目的で、約110人が聴講した。
高橋教授はまず、北朝鮮の韓国砲撃事件について「朝鮮半島の南北分断は日本の植民地支配と無関係ではない」と指摘。砲撃後に朝鮮学校の授業料無償化適用手続きが停止されたことで、「通学する子どもたちへの差別を助長する」と政府を批判した。
更に、石川啄木が併合を憂いて詠んだ短歌と、逆に併合を喜ぶ小学生の作文などを紹介。「啄木は例外的で、ほとんどの日本人は小学生から福沢諭吉まで併合を歓迎していた」と述べた。その根底には当時の小学校で教えられた神功皇后の三韓征伐など、朝鮮支配を正当化する神話的な教育があったことなどを挙げた。
日本の朝鮮半島支配を巡っては、菅直人首相が今夏、反省とおわびを表明した。だが従軍慰安婦や強制連行問題など戦後補償に関しては、ほとんどの裁判で原告側が敗訴するなど解決していない。
高橋教授は、日本が何をしてきたのかを若い世代に伝え、みんなで責任を考える必要性をアピール。植民地支配を反省する世界的な流れを紹介し、「日本の(謝罪と補償という)最初の一歩をグローバルスタンダードにしよう」と呼びかけた。
◇
連続講座の最終回は、来月22日午後1時半、富山市湊入船町の県民共生センターサンフォルテ303で。「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳(は)せ、心に刻む会」の谷川透さんが「戦後補償 その全体像と解決への道」と題して話す。参加費1000円。詳細は、同会の堀江さん(090・5175・3756)。【青山郁子】
まだこんなのが生き残ってるってのが凄いよな。
かつてアップルは、ipodと同時に自社で開発した音楽管理ソフト『iTunes』を公開した。
このソフト、フリーである。音楽を簡単に管理できる。しかもmp3の変換なども非常に簡単。
有料で売っても良いはずのこのソフトを、アップルは無料で公開したのだ。
大きな理由としてアップルは、ユーザーが各自バラバラに管理していた音楽ファイルを
統一して整然とした内部構成にしたかったのだ。現に今、iTunesをインストールしているユーザーの
My MusicにはiTunesのフォルダがあるはずだ。そしてそこに、アーティスト別、
アルバム別にフォルダ分けされたmp3が入っている。整然とした内部構成を歓迎したのは、
アップルの人間だけではなかった。音楽とネットとPCが大好きな連中が、こぞってiTunesを『クール』に、選択し始めたのだ。シンプルでメタリックなGUIも良かったのだが、iTunesが流行った最大の原因は、iTunesが世界標準になって音楽ファイルの管理の最大手になったからだろう。何かがグローバルスタンダードになれば、
大勢の人がそれにあわせようとする。その方が便利だからだ。
そんな風に標準化していけば、内部の精度も上がる。結果的にiTunesは、音楽をインポートして
管理するには最適のツール、というかもはや定番になった。CDをインポートするのはiTunesで、
実際に曲を聞くときは別の音楽再生ソフトで聞いている人もいるらしい。
それぐらい、iTunesは『音楽を管理する場所』として信頼されている。
さて、出版社では今、『各自』でさまざまな試みを行っている(もっともその中の70%は現状維持だと思うが)が、
『各自』ではダメなのだ。各自ではなく、アップル様が開発したiTunesっぽい書籍管理ソフトに、みんなノればよいのだ。
そうすれば、書籍のデータも、iTunesライクに管理できる。
タイトルとかでグラフィカルに並び替えできる。PCの中で書籍データが、時に整然、時に騒然となっている様は、見ていてコレクター心をくすぐるものがある・・・。
iPadにはそういうのがあるんだっけ? なんか、急にほしくなったよ。
ふと思ったのですが、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」なのではないでしょうか?
思い出していただきたいのは、麻生政権時代の話です。あの時、私たちはなにかモヤモヤとしたものの中にいたような感覚を感じていたのではないかということです。自分自身に不確定感を感じており、自暴自棄な部分があったり、八方ふさがり感を感じていたり、手応えの無い生を生きている様な感覚を感じていたのではないでしょうか?
つまり、あのまま、自民党政治なり、麻生政権が続いていたとしたら、私たちは、自分たちが溶けてなくなるような感覚に襲われていたのではないかということです。
戦後民主主義というマッカーサーの誘導通り、生きている事にリアリティのない、夢見がちな子供こそが日本人であるということを日本人自身が真面目に実行してしまい、日本人の精神年齢は永遠の12歳に閉じ込められてしまいました。つまり、団塊世代を含めて、子供が多数派になってしまったという現実があると思います。
そして、その結果として、野党が多数派となり、鳩山内閣になったという訳です。
今までは、誰かが(この場合、自民党が)、親のように国民の面倒を見てくれましたから、親に子供が不満をぶつけるように、国民も野党もマスコミも外部からヤジを飛ばしていれば、責任を果たした気分になっていました。しかし、いざ、自分が権力を持ってみると何も出来ていないのが現実としてあります。
鳩山首相というのは、今まで、外部にいた国民や野党やマスコミが……外部にいた人間が、鏡に映った場合にどう見えるかという事の体現者です。彼を無能、正常な精神状態でない、歪んだ笑顔が醜い(そこまで言ってませんね)と責め立てた所で、それは結局、国民自身が自分自身を批判していると言える事が出来るのではないでしょうか。
ですので、結果的にであれ、どうであれ、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」として機能してしまっているというのが実情でしょう。
以前、こんな記事を見ました。
「三国志の中で誰になりたいか?」という記事です。中国では狭義心に富む「関羽」が人気でした。アメリカでは有能で策謀謀略に長けた「曹操」が人気でした。日本では天才軍師の「諸葛孔明」が人気でした。
これが何を表しているかというと、自分の立ちたい立ち位置を表しているのではないでしょうか。
つまり、「トップに立たずに、冴えたアドバイスをする「知恵袋」として活躍したい」というのが日本人の心情な訳です。
これがそのまま、日本人の野党体質に繋がっているのではないかと思います。
例えば、ある社会学者があるジャーナリストをなぜ、実際に著名人をどんどん引き連れて政治工作しないのか?と責め立てる訳です。ジャーナリストは「自分がやりたいことをやりたい」と答えていましたが、要するに、誰も当事者にはなりたくないのです。その社会学者も、孔明的な立ち位置に立ちたくてそんな事を言ったのでしょう。でも、責任は取りたくない訳です。ジャーナリストにしても政治運動の当事者になる事は「やりたい事リスト」の中に入っていない訳です。やはり、孔明的な立ち位置でやっていきたい訳です(その点、勝間女史を悪く言う人がいますが、そういう人達のサバイブ能力は、彼女以下であることは間違いないと思います)。
結局、政治の当事者ではなかった自民党時代の民主党も、国民も、マスコミも、(当事者からすると無責任な)冴えたアドバイスをしたい訳です。何か偉そうな事を言いたい訳です。その欲望が中心にあったのだと思います。
しかし、鳩山内閣とは「日本人にとっての通過儀礼(イニシエーション)」は、日本人をことごとく死地へ向かわせ、容赦なく、当事者にしてしまうでしょう。逃げ切れると考えている団塊世代も例外ではありません。財産に対する猜疑心に否まされ、孤独死してしまう人も多いのではないかと思います。そして、実際、氷河期より就職事情は厳しいですし、経済的な脱出口は見つかっていません。また、ご存じの通り、外交も迷走しています。
多分、日本人がこの通過儀礼を無事乗り切るかは分かりませんが(最悪、中国の植民地だと思っています。もっとも、チベットのように民族浄化されるかも知れませんが)、ある種の諦観と、自身しか当てにならないというサバイブ能力を持たざるを得なくなるでしょう。
レイプ問題を熱く議論するのは結構ですが、現実問題として、全ての男を隔離されている日本より、女性が鉄砲を持ち迷彩服で町中を歩く日本の方がリアリティがあるのではないでしょうか?(現に、アフリカでは似た様な状態の国もあるらしいですし。そして、残念ながら、非常に残念ながら、日本のレイプ発生率は低いのです。いずれにせよ移民は増えると思いますが、容赦なくレイプ発生率もグローバルスタンダードに近づくでしょう)
そして、そして、そして、そんな困難の時代を生きるあなたに、格好の情報があります!
働く必要なし!面倒なパソコン作業なし!たった10分の仕掛けを初回の3回行うだけで、破格の収入の嵐が襲う!
それこそ戦時中は国家に逆らったら非国民と呼ばれた。(空襲で釣りとかもってのほか・笑)
今でも社会市民として税金を納めない者は〜だとかで。「国家」では無く「社会」。
これぞ「標準化あるいは抽象化」であろう。グローバルスタンダードは物事を酷く抽象化する嫌いは有ると思う。
(脱税総理鳩山の真相は如何に?よりも、「カーチャンのおこづかい」にしては額がデカ過ぎる事が気になります。
エヴァンゲリオンでも作るんでしょうか?・笑)
今更ながら「国家」に注目が集まって来ているのは良い兆しだと思う。
しかしながら、その「国家」に裏切られたら、拠り所は有るのかい?というのが気になってならない。
戦争の香りがするのはその為だろう。
〜T/H
http://anond.hatelabo.jp/20090719131317をみて思うところがあったので書く。
アメリカはスクールカーストのこともあるけど、男は男らしくあるべき論が根強い
女性軽視も根強い。魔女狩りは過去のことのように言ってるやつが多いけど、キリスト原理主義者が今でも結構多いのでシャレにならない
だからハリウッドの黒人枠のように、社会に女性枠を無理矢理作って、我々は平等で~す。とか茶番劇を繰り広げるわけだな。
つまり、アメリカはこういった(感覚)と(時代)が普通なんだよ。
「自分がやっていることは相手もやっているに違いない」という前提で批判することは良くある話だ
アメリカはまさにこの自分の感覚でことさら日本を非難するわけだな。
聖書の段階で男尊女卑だからな。どうせこれいってもあれこれ都合あわせた解釈をはき出すだろうけど
はてなの馬鹿は、立ち上がらざるを得ない状況をつくったアメリカの社会の腐敗には目が行かない。
立ち上がったアメリカ人だけを見る。そして「素晴らしい!感動しました!」と映画の宣伝みたいに言う
マッチポンプとは言わないけれど、間抜けな原因を作ったアメリカが、自分でズッコケテ、自分で起き上がっただけだ。
不良が改心した感動ドラマみて涙流すスイーツ(笑)と変わらない。
子供教育のシンポジウムで、そこに出席していたテレビ局の馬鹿が
「私は現在、米国向けアニメの輸出をする仕事に関わっていますが、アメリカは規制に対する姿勢が素晴らしく、子供のことを第一に考えている。
銃の表現一つとっても厳しく規制がされていると。これは日本も見習うべきだ」みたいな事を言ったそうだ。
でも考えてみてほしい
銃表現規制で体裁を保とうとするアメリカがおかしいと思うのが普通だ。
でもそこは馬鹿なので、相変わらず日本は駄目論を展開する。なんで馬鹿にあわせて銃表現規制しなきゃいけないんだ。
ちなみに、自称「他国の文化に寛容なアメリカ様」だけど、子供向けアニメの日本的なシーンはことごとく削除される。
曰く、子供が見るのに適さないだそうだ。
子供が日本的価値観を植え付けられるのを嫌うのかな?それでなにか困るのかな?
こういうの聞くと、アメリカが映画をどういう意図で輸出しているか、分かってくるよねw
自分にできない事は人に言わないという、日本の感覚は彼らには無い。
鯨の件でもそうだ(アメリカの一地方は伝統だからと許可してる)
そのくせ日本の知識人、はてなみたいなネットの連中も、このアメリカの言い分を信じやすいわけだ。
アメリカを拒否しながらも、アメリカの言い分に取り込まれるというのは、反権力主義者、特に反米主義者に良くある話だな。
みたいな
はてなにはこういう奴らが多い。
ゲーム規制に待った。一方ソフ倫基準で規制してる業者「少女、生徒会、複数プレイ、逆レイプ」全て禁止
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1277244.html
という言葉をみて、「うぇっ」となった。
まあここの要素だけ見れば、また別だが、まとめて見るとなかなか壮観なものがある。
「HENTAI」という言葉の語源を目の当たりにした気がした。
日本は性風俗は世界各国の中でも盛んというが、二次元の世界もそれは同様らしい。
グローバルスタンダード(笑)的に考えれば日本はHENTAIなのに、
俺たち日本人はそれに気がつかなかったんだ。
気がつかないばかりか、その過激さを追求したあまり、自分たちのクビをしめていた。
規制に反対もクソもない。表現の自由を追求した結果が、これなんだ。
自業自得。
この問題さぁ。
改正賛成派は、ロリコン表現に対して日本もグローバルスタンダードに立たなければいけない。
って論を立てているわけだけど。
グローバルな観点で言わせてもらうなら、
日本人が考える「ロリータ」と、欧米が考える「ロリータ」が、まず完全に価値判断が違う事を認識すべきなんだよ。
欧米人が見かけだけで幼いかどうかを判断したら、アジアの女性はおしなべて年下に見える筈。
貴方の大好きな 蒼井そらや、麻美ゆまや、小川あさ美のAVも、向こうさんから見た立派なロリータ物。
ぶっちゃけ40過ぎの『嗚呼、母さん!ボクはもう……』みたいな人妻物AVですら、向こうさんから見りゃロリータ物になりうる。
って事を、今のロリコン表現の規制に賛成している面々は、認識してるのかなぁ?って思うよね。
これを、外圧を拠り所にして“ロリータ「的に見えるもの」”を全て規制してしまったら……
次に海外(っていうか欧米)からは、日本人やアジア系の女優が出ているポルノは、全部ダメ!ってっていう規制の要請になる。
だからこそ、今“「児童のように見えるもの」はマンガやアニメ・イラストなどの創作物であろうとNG”
な~んて表現規制を加えてしまうと、今後、日本人にとって理不尽な外圧からの要求を次々に応じなきゃいけなくなる。
だって当然だよね。
これは欧米諸国のポルノ産業にとっては、自分たちが日本に進出する為の、願っても無いビジネスチャンスなんだから。
ここを折れたら、向こうさんのロビー活動は益々激しくなっていくよ。
って事を、みんなわかってんのかなぁ~?
大好きなエロ漫画が読めなくなってしまうだけでも、絶望的なのに。
初音みのりや、みひろや、RioのAVすら観る事も出来なくなって、挙句
ケバい欧米人PLAY GIRLが「Oh!Yes!ComeOn!」とか喚き散らすだけの洋ピンしか、日本で見られなくなったら?
……と考えるだけでゾっとしますわ。
ハンドボールだけでなく、サッカーにまで中東の笛が出てきたようである。
awayでは審判も敵というのがグローバルスタンダードである。home & awayという試合方法は、それを前提にした制度である。しかし、制度がそうなっているからと、偏った審判をしても良いというわけではない。
このような偏った審判が出てくるのは、チーム間の力量に差がつき過ぎている場合が考えられる。ワールドカップは、全てのチームが地区予選から勝ち上がっていってという話になっているが、全てのチームの中には、ワールドカップの決勝を争うようなチームもあれば、今までに一度も実力では出場した事の無いチームもある。実力の差に頭に血が上り、ラフプレイを行う選手が出てくるし、ホームチームに有利なジャッジをするあまり、ホームチームのラフプレイは見逃し、アウェイチームの些細な接触プレイにイエローカードを連発するという"見苦しいゲーム"が出来上がるのである。北京オリンピックでは、開催地特権で出場した中国チームのカンフーサッカーが記憶に新しい。
無観客試合や中立地開催という手段を使っても、チームとしての実力差が原因なのだから、対策は無い。かつてのイタリアチームのように、最初に得点したら、あとは引いて守り続けて逃げ切るというやり方は、不利なawayで勝つ為の方法論としては必然とも言える。
審判に必要なのは、ゲームを盛り上げる事ではない。ありのままの実力を出させる事であり、弱点を自覚させるのが、良い審判である。特定のチームの味方をしたいのであれば、次の試合や将来の試合に繋がる教訓を認識させる事で貢献するべきである。
強い相手と戦う時に良い審判を招く事は、弱いチームを強化する最良の手段である。
勝ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
注釈するまでもなく「買った」ではない。これはグローバルスタンダード、ひいては資本主義が
終わりを告げることへの快哉である。
世界経済危機によって金持ちどもが痛い目に合い、弱肉強食資本主義が終わり、そして資本主義が終わる。
バブル崩壊、世界大恐慌と重なって人々の中に物なんか絶対に買わないぞ、という意識が芽生えた。
消費しない若者の顕在化は、てめぇらのシステムにはもうのっからねえぞ、という意思表示だ。
ヒドいものになるとエコを題目に新製品を買わせる!(どこがエコだ!)
そして商品を買わせるために馬車馬のように働かされてしまう。
企業が作った商品を買わせるために、企業に奉仕させて……おいおい、いったいなんだこりゃ!?
なんて馬鹿馬鹿しい社会なんだ! そんなものを世界規模に拡大しようとするマヌケどもがG7だ。
そもそもジンバブエを見ればわかるように
一国ですら適切に貨幣を運営するのが難しいのにそれを世界規模でやろうなどとは到底不可能なことだったのだ。
吉本隆明はちょっと前に21世紀の半ばに資本主義が頭打ちになると言っていたけど
甘い! 甘い!もうとっくに崩れ始めている。
各地で崩壊し始めたこの状況に対しての悲鳴が聞こえてくる。崩壊、言い換えれば「大掃除」だ。
悲観することはない。掃除が終わったあとの世界は、綺麗だ、自由だ、何でもありだ。
経済力も職歴も学歴も生きてく上でなーんにも関係ない世界がやってくる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://v.japan.cnet.com/blog/murakami/2008/09/23/entry_27014834/
いやいや、小さくて特異な世界だからガラパゴスなんでしょ/アメリカやら中国やらはそりゃガラパゴスとは言わんよ。だって国内市場デカいもん/品質云々じゃなくて、ケータイ端末を輸出できないのが問題なんでしょ?
でも、ずっと3Gでは世界最大の市場だったんだよ? どうしろっつーのよ? PDCから3Gに行かずにGSMに移行すればよかったとでも?
日本の携帯は単独でやっていけると思うけどな。日本の鉄道と似たような感じで(歴史的経緯から逃れられない部分も多いところも似ている)。そもそも日本語と日本人のライフスタイルが一番のネックだったし。
米国基準とグローバルスタンダードを混同してはいけないという話。欧米がやっていることなら何でも偉い、という言説には気をつけるべし。
携帯でひどいのは欧米といいつつ欧州をまったく知らずに米国しか見てない人が多すぎることだな。
ガラパゴスだっていいんだよ。それでメシが食えりゃ。そして快適なら。携帯電話は、端末メーカーが食えないのが問題。その原因はなにかを考えないでガラパゴスいうのはちと違う。
最近10社のうち2社は撤退ってことでアンチ国産ケータイの人たちが喜んで国内キャリアを叩いてたけど、テレビだって沢山のメーカが撤退してる。まあ日本のテレビ放送の規格は特殊かもしれないけど、でもテレビメーカは海外進出できてる。正直国内向け商品の仕様が特殊かどうかと、海外に輸出できるかどうかはあんまり関係ない。例えば韓国の携帯電話は本当に特殊なWIPI仕様が必須だけど、韓国メーカは世界中で強いわけでしょ。
グローバルスタンダードに乗っかろうとするということはすでに競争から遅れているということだと思う。
そうなんだよな。ガラパゴスだと叩いてた人たちが国内メーカに何を求めているのか、どういう状況になって欲しいと思っているのかいまいち見えなかった。Android携帯を作ればいいじゃんとか聞くけど、そうするとソフトではほぼ差別化できなくなるから、国内メーカのやることって端末の概要や外見をデザインして設計と製造をHonHaiに任せてそれで終わりになるよ。今のPCみたいになる。それがうまくいって輸出でちょっと儲けれるところまで行ったとしても、ブランドは日本メーカ・設計は台湾・製造は中国のものだよ? そんなのが輸出されたとして嬉しいのかねぇ? そんなのがいいっていう風潮が続くんならいっそもう日本のメーカは全部携帯電話から撤退して、日本人はみんなiPhoneとノキアの安物キャンディバーを使うことにしたほうがいいと思うよ。
シャープは(総務省指導の)新販売方式のショックとiPhoneショックによって国内での端末販売がかなりピンチになって、中国に活路を見出すしかなくなってるんじゃないかという気がする。このままもし中国でシャープ携帯が売れ始めたら、シャープはますます日本向け端末は作らなくなって、ソフトバンクはiPhone一色になっていったりして。そうしたら外国ではシャープのAQUOSケータイが売れてるのに日本ではiPhone、みたいな逆転現象が発生してしまったりして、そうなったら面白いな。
「ガラパゴス」をもっと違う言い方にできないものか。
富野節とはある種の狂気です。それが狂気である以上、「なんか、怖くなってきた」という増田氏の反応はむしろ健全であるといえます。
富野節を構成する要素は数多くあり把握しきることは困難ですが、いくつかあげてみると
などがあります。
例えば、
グローバルスタンダードというのはつまり、一つの民族の一つの趣味の、“オマエ”程度の趣味の、という押し付けだけでは絶対に獲得できるモノではない。
というシメの言葉をあげてみましょう。
これは一般的な日本語で言い直せば
それぞれの民族の間でスタンダードとなっている物事をお互いに押しつけ合っているようでは、グローバルスタンダードなんていう言葉は意味を持たない
しかし、ここに
というトミノ成分が加えられることによって、読み手・聞き手をなんとなく不安にさせるある種の狂気が生じるのです。
まさにこの狂気こそが読み手・聞き手に強い印象を与える富野節の真骨頂であり、また多くのファンを長きに渡って魅了し続ける数々の名ゼリフの神髄であると言えましょう。
そうでないとすればこの記事を書いた君の意図が理解できないからだ。では逆にきくが、スカートだの大食いだのの例は何のために持ち出したのだ?性差と行動の差が連動している例を他に持ち出した理由は何だ?
意図は質問だよ。自分は服装でも教育でも何でも属性によって差があろうが是正すべき不公正とは思わないが、あなたはなぜそれが不公正と思うのか、どういう基準なのか聞いたということ。「進学格差は社会的要因でない」とか「相対化して無効化」とかいいたいわけではないよ。
社会的に作られた格差は不公正なものであり、社会的な要因で決まっているスカートの格差も是正すべきと思ってるなら相対化されるはずもない。
だから誰がそんなこと思ってるんだっての。勝手に人の主張を作り上げないでくれ。
そうなら社会的なものが原因でもスカートの差は不公正ではなく、進学は不公正だと最初からいえばいいだけじゃないか。不公正の基準は示したくないようだけれども。
残念ながらそれはあなたの俗流解釈。能力に応じて高等教育まで受けられるのが「基本的人権」であるという考えが、日本でも世界でもスタンダードだから。こちらを参照。
無制限に受けれるわけではないのは日本でも外国でも変わらないのに、何で俗流解釈になるのやら。その記事だって斬新的とか書いてあるように無制限になんでもやれというものではないし、日本の例にいたっては高等教育とも書いてないし大学や塾や家庭教師をどうするかなんか何も書いてない。実際日本では無償化してないわけで。それなのにスタンダードというのは無知か嘘つきといわれても仕方がないよ。自分の感覚では家庭教師や塾や社員教育は能力に応じた教育ではないから無償化する必要はないが、大学は能力におうじたものであり無償化すべきということなら、かなり理不尽に感じる。社会的要因によって大学進学率に差が出るのは不公正で塾や社員教育なら公平というのはどういう論理展開なのかさっぱりわからん。あなたの中では論理的に通用するものなのかもしれないけれど。あるいは無制限にあらゆる教育を無償化するのがグローバルスタンダードというのかもしれないが、そうだとすればその条約憲法の解釈は強引すぎるだろう。
だから個別のそんな例をいくら持ち出しても反論になってないと言ってるだろ。個別にそういう人がいたって構わんのは当然だが、社会的集団によって全体の傾向に大きな違いが出るとしたら問題だ、という話だ。それとも君は「貧乏人は学習意欲が低い」というのと「貧乏人の中には学習意欲が低い奴もいる」の区別がつかないというのかね。
個別にそういう人がいたってかまわないなら、結果として全体の傾向に差があったって問題ないと思うんだが、どうして問題になる?
摂取カロリーが著しく低くて死にそうなのとは全然違う。どの程度どういう手段で勉強するかなんか個人の自由。ひょっとしたら大卒以外は著しく死亡率が上がるとか思ってるかもしれないが、それは増田学歴君に影響されすぎ。というか自分の感覚では大卒じゃないと死んじゃうこと自体が不公正と思うが。人間の好き嫌い向き不向きは遺伝的にも社会的にも影響されて決まるが、社会的に決まってるからおかしいとかいうなら、教育なんか成り立たないぞ。それに親が低学歴で貧乏なら子供の学習意欲が低くなりやすいという調査だってある。こちらは貧乏人はすべて学習意欲がないとか100%あるとかいってるわけではないよ。親の影響で勉強嫌いになったとしてもおまえが勉強嫌いなのはおかしいとか決め付けるのは押し付けでやめるべきだろうということ。