はてなキーワード: グラウンドとは
公務員の人の仕事のやり方でモヤっとしたことがある。判断に迷っている。
まず経過から入るけど、私の夫は、スポーツ少年団でコーチとして活動している。年間の練習や試合の多くは、市の体育課が管理者となっているグラウンドで実施する。
当然私たちが自由に使える施設ではなく、年に一度、ほかのスポーツ団体と一緒に調整会議をする。そこで年間の使用予定が決まる。※私もお手伝いで、その会議に同行したり、付随する事務を務めたことがある。
3か月前のことである。突然我が家に、市役所の体育課の職員と、その上司の人が来たのだ。
要件は、「先日出した調整会議の通知文に誤りがあった。新しい物と取り換えてほしい」とのことでした。「どこが違うのですか?」と尋ねたら、「文書の右上の番号は、120番ではなく、A120番だった。差し替え願いたい」とのこと。※番号はフェイクだけど、この程度のミス。
わざわざこんなことで、と思ったけど、一応は農場で働いていた夫を呼んだ。また同じ説明をしてもらったところ、夫が激高したのだ。
・この程度のミスであれば、来年からちゃんとすればよいのでは?
・私たちの税金をこんなことに使わないでいただきたい。もっと創造的なことに使えないのか。
このようなことを家の玄関口で、職員の人に伝えていた。さらにその後は、体育課の責任者に電話をかけて同じ主張をしていた。そんなにイラっとしたのだろうか、今度はさらにヒートアップしていた。夫がここまで怒るのを見たことがない。
私は民間勤めの経験しかない。しかも畑違い。この文書の取り換え依頼が正しいものなのかわからない。どちらの意見も正しいような、間違っているような気がする。
少し前に車椅子女性の話題で盛り上がっていたときに思い出した。
小学生時代、ある同級生の母親は、彼女の夫が押す車椅子に乗って運動会やら授業参観やらの行事を観に来ていた。周りの保護者より少し若く見える、痩せた、色の白いお母さんだった。
その同級生は子供のくせにそこはかとなく辛気臭いオーラを纏っていて、暗くて友達もいないのに一人で何か喋ってニヤニヤしているようなやつだった。当たり前にずっといじめられていた。仮にOとする。
Oは児童養護施設から通ってきているのに、学校行事にはいつも両親が揃って参加していた。休日には家族揃ってスーパーで買い物する姿を度々見かけた。
母親の病気のこととか何か事情があって家族で暮らせないのだろう、と今ならば想像するに難くないけど、施設育ち=親がいないという認識の当時のわたしたちの目には、別に居を構えながらも仲がよさそうなO一家の姿は異様なものとして映った。
ひどい話だけど、Oだけでなく家族ごと、クラスメイトから、いや学年中から差別されていた。気がする。
例のごとく車椅子でグラウンドにやってきて運動会を観覧し、教室に戻って昼食をとる際、土のついたタイヤのまま校舎に乗り込むO夫婦の姿を、わたしたちは冷ややかな目で見た。ちゃんと入り口にそれ用のマットが敷いてあって、踏んできているにもかかわらず。
小学校高学年、思春期にさしかかり不安定な心身をもてあまし、わけのわからない苛立ちやさみしさをお互いに悟られまいと取り繕っていた。障害とか施設育ちとかの事情を抱え、差別されながらも健気に生きているO一家の姿はいじらしく、尖った心を持ち寄るわたしたちの格好の的だった。
ある土曜日の午後、市の陸上大会に向けての練習があった。全員参加ではなく有志の集まりだったので、普段教室であまり喋らないタイプの子とも仲良くなれて、楽しい。
練習が終わって、わたしたちは麦茶を飲みながらずっと喋っていた。日焼けするからと木陰のところに集まって、実はあの子のことが嫌いとか好きとかキャアキャア叫びながら喋った。
ふと話が途切れ、もうそろそろ帰る?という雰囲気になったところで、一人が「そいえばさー」と口を開いた。
「そういえばさ、どうでもいいんだけど、こないだイオン行ったらOがまた家族でいたんだよ。
でねぇ、これマジだよ?…Oのお母さんが、歩いてた」
わたしたちは、爆笑した。ゲラゲラ笑った。全員で涙を流して、息も絶え絶え転げ回って笑った。
おかしかった。いつも白い顔をして、旦那に車椅子を押されているお母さん。そんなお母さんが自立して歩いているなんて、突飛で、シュールでナンセンスだった。前衛的な発想のようだった。
おかしい以上に、気持ちよかった。言ってはいけない、笑ってはいけないことなのはみんな分かっていた。
広い校庭にわたしたちしかいなくて、おかしいことなんて何もないのに馬鹿笑いして、すっごく悪いこと言ってるのに誰にも迷惑をかけていないから咎められなくて、こんなひどいわたしたちを誰か止めてほしいのに、芝生の上に転がったままどこへでも行けそうな、行ってしまいそうな気がして、怖いけど楽しくて、無敵だった。
曇ってるけど日射しは強くて湿った風が吹いていて、みんな同じ日焼け止めの匂いがしていた。ひざの裏側に芝生が刺さってチクチクしたけど、手で払うとさらりと落ちた。気持ちよかった。
家に帰り、キッチンに立つ母にOのお母さん歩いてんだってーと言うと、「Oさんの奥さんは脚が悪いんじゃなくて病気で体力がないから車椅子なんでしょ。何言ってんの」と返ってきた。つとめて不愛想な母の声になんでか安心したのだった。
数年後Oのお母さんは亡くなったと聞いた。
陸上練習のときのメンバーは、中学に入って少しヤンキー風味になったけど、成人後に同窓会をしたときにはごく普通のかわいいお嬢さんの姿だった。今ではほとんどの子が結婚して親になって、忙しく過ごしていることと思う。
Oが大人になった姿はどうしても想像できない。どんな暮らしをしているんだろうか。
校庭でひどいことを言って笑い転げて、誰か止めてほしいと思った。
その後の人生で、ちゃんと止めてもらえたと思う。元々優しい気持ちの子もたくさんいるけど、意地悪だったわたしたちも、失敗して傷ついて、自分のことが嫌になってもそれでも生きていくという選択をしたとき、他人に寛容になろうと努めて、その習慣が体に馴染んだと思っている。
何の罪もないO一家に冷たい目線を向けて嘲笑っていたことを思い出すとき、ひどかったなと思う気持ちは本当なのだけど、あの陸上練習後のお喋りの時間には青春フィルターがかかっていて、思い出すとキュンとする。
キュンとしたあと、でもやっぱり酷すぎるよねと心の中でつぶやいて、少し許されたような気持ちで回想を終えている。
何かきっかけがあったわけではないが、ふと思い出してしまったので書く。
子どもがまだ幼稚園に通っていた頃、父の日あたりに父兄参観のようなものがあった。親子で一緒になにか紙工作みたいなものを作りましょうというやつだ。正直、知らない人がたくさんいる空間は苦手なのだが、子どもも楽しみにしていることだし、せっかくの機会だからと行くことにした。結論から言うと、僕はその催しを台無しにして、子どもを深く傷つけることになる。
当日、まずは親子で教室へ集まりクラスごとにかんたんな朝の会をする。基本的には園児一人につき保護者の参加は1名までとなっていたが元々広くもない教室はすでに満員御礼となっていた。
朝の会のあと、なぜか園児全員でグラウンドに集まり園長先生のお話を聞く時間があった。園児たちはグラウンドに並び、保護者達は端の方でそれを見守る。そう、そこまでは別になんの問題もなかった。問題はその直後に起きたのだ。
「それではお父さんお母さんと一緒にもう一度教室に戻りましょう」
司会の先生が告げた途端にワッと散開するおよそ200人の全園児とその保護者たち。右に左に移動する人、人、人。あっという間に僕は我が子を見失った。
ひとまず建物入り口の辺りに立って、自分の子どもを探す。周りには仲良く手を繋いで教室へ向かう園児と保護者たち。この時点では僕は、自分の子どもも僕を探しているに違いないと信じて疑わなかった。だってさっき先生が言ったばかりだ。保護者と"一緒に"教室へ戻りましょう、と。グラウンドからは人が減っていく。我が子はいない。まだ見つけられない。焦りが募る。どこか物陰で遊んでしまっているのか。もしかして何かを間違えて園の外に出てしまったのではないか。いやさすがにそんなことはないか。頭の中でぐるぐるといろいろなことを考える。
そして気がつくと、外にはもうほとんど人がいなくなっていた。先生たちが遠目にチラチラと見てくる視線が痛い。あの人大丈夫かな、不審者だったりしないかな、そんな声が聞こえてくるようだ。恥ずかしさと戸惑いと、とにかく頭の中はもうパニックだった。どうすれば良いのか、もうわからない。
念のためと思いながら園舎に入り、階段を上がった先の教室へ向かう。果たして我が子はそこにいた。廊下でひとり、鼻歌を歌いながら何事もなかったように遊んでいた。
「なんでひとりで行っちゃうの?」
極力怒りを抑えた(つもりの)声で子どもに問う。子どもは黙り込んで答えない。何が問題だったのかわかっていないような様子だった。この時点ですでに他の子たちは保護者とワイワイ楽しそうに作業を始めている。僕がいつまでも外で子どもを探している間に今日やることの説明などは終わってしまったらしい。当然、教室内にはもう我々が入り込めそうなスペースなど残っていない。
保護者と一緒に行ってって言われてたよね?なんで勝手にいなくなっちゃうの?パパ何もわからないんだよ?このあとどうするの?そんなようなことをまくし立てた気がする。子どもはうつむき、答えは返ってこない。周りのチラチラと様子を伺うような視線だけが突き刺さる。恥ずかしい、いたたまれない、どうして自分はこんなところでずっと晒し者のような扱いを受けているのか。このあとどうすれば良いのか。何もわからない。そして僕は「もう知らない」とだけ告げて子どもを置き去りにして家に帰ったのだ。最低だということは百も承知。子どもの泣き叫ぶ声が聞こえたがしかし、それに構えるような余裕はもうなかった。
その後のことは詳しくは知らない。幼稚園から徒歩3分の距離にある自宅に帰り、驚いた妻が慌てて幼稚園に向かって後を引き継いでくれたこと、泣きじゃくる子どもに先生がつきっきりでいてくれたということだけは聞いた気がする。
あれから6,7年が経った。今でもこうやって思い出して自己嫌悪で気分が沈む。妻が上手くフォローしてくれたこともあり、謝って仲直りをしたものの、おそらく子どもにもこの件は嫌な記憶の上位として残り続けることだろう。
あのとき一体どうするのがベストだったのか。おそらく「最初から行かない」ことが唯一の正解だったのだろうと思う。当時の僕には誰の助けもない中であの状況を上手く立ち回ることは到底できなかった。でも行かないという選択肢を選ぶこともまた少なからず子どもを傷つけることになっただろう。だから結局のところはわからない。
これを読んだ人には世の中にはこんなクソ親エピソードがあるってことをぜひ反面教師にしてほしい。僕みたいにこの先一生後悔し続けるような失敗を避けられるなら、それがきっと一番だから。
・野茂英雄は大阪府立成城工業(平凡な無名校)時代にはもうすでに高卒ドラフト候補にはCランクながら名前が挙がっていた
・小笠原道大が高校通算0本塁打ながら恩師のコネでNTT関東野球部に入社できたのは本当だけど、暁星国際高校時代にはすでに高卒ドラフト候補にはCランクながら名前が挙がっていた
・ヤクルト青木宣親は東京六大学通算0本塁打(ちなみに投手の江本孟紀でも六大学通算7本塁打)
・高卒入団即16勝で新人王を獲得した怪物松坂大輔は、実はオープン戦ではボロっカスで本来なら開幕一軍先発ローテ入りなどありえないような成績だった(防御率6点台)
・大昔からあるトップ公立進学校が突然野球で旋風を起こすとき(例えば、数十年ぶりの甲子園出場とか、夏県予選決勝進出とか)は、事実上のスポーツ推薦を活用した強豪私学並みの強化をほぼ間違いなく行っている
・「長嶋茂雄の巨人入団まで、東京六大学野球こそが野球において花形でプロ野球より格上だった」というのは大体合ってるが、
その遥か以前から野球のレベル自体は職業野球のほうが別次元に高く、また給料も当時の財閥系大会社の部長あたりより良かった
・1970年代くらいまでは猛練習中に野球部員がグラウンドで倒れてそのまま死亡する事故がよくあった(問題にはならずむしろ美談になった)
・90年代はプロ野球とMLBとで規模や年俸水準があまり変わらなかった(まもなく大きく差が開いて今や追いつけないほど彼方へ)
・大阪桐蔭や仙台育英や東海大相模のような甲子園優勝校より東京六大学のほうが圧倒的に強い(東大野球部でもいい勝負かも)
・大昔からあるトップ公立進学校が突然野球で旋風を起こすとき(例えば、数十年ぶりの甲子園出場とか、夏県予選決勝進出とか)は、事実上のスポーツ推薦を活用した強豪私学並みの強化をほぼ間違いなく行っている
我が地元の盛岡三高は近年顕著な実績を挙げてるが、特別な選考がされてると聞いたことは無いな。単に自分のアンテナが低いだけかもだが
・1970年代くらいまでは猛練習中に野球部員がグラウンドで倒れてそのまま死亡する事故がよくあった(問題にはならずむしろ美談になった)
・90年代はプロ野球とMLBとで規模や年俸水準があまり変わらなかった(まもなく大きく差が開いて今や追いつけないほど彼方へ)
珠洲市で8日現在孤立状態だという真浦町、清水町、仁江町、片岩町、長橋町、大谷町をGoogleMapで見てみたんですが、基本北西向いた外浦側で珠洲市中心部からも輪島市側からもほぼ国道249しか道路がないところで249が使えなければ車は無理。各集落に小さな漁港はあるが、海底が隆起して使えないのだろう。海底はゴロタ石っぽいので車両も使えず人力でも船からの物資の陸揚げは困難じゃないかな。小学校のグラウンドにでもヘリで降りればと思ってたけど、どうも小学校などここらへんにはなさそう、大きな公園やグランドも見当たらない。ただ田畑はあるのでこちらには降りようと思えば降りられると思うが私有地なので所有者の許可が必要だろうけど通信が途絶しているため許可を得られないのかもしれない。徒歩か海から自衛隊員が行って田畑の所有者と交渉し、着陸許可を得られたら彼らの無線でヘリを誘導するみたいなことだろうか?
田舎は道路が少ないから、その道路が土砂崩れや陥没すれば簡単に陸の孤島化する。
都市部であれば、いくつも道路があるからいくつかの道路が被害にあっても大丈夫。学校の校庭のグラウンドがいくつかあれば支援物資を空輸してもらう回数が増える。
報道で観た倒壊した家って瓦屋根ばかり。地震の揺れに加えて上にある瓦が重くて倒壊した。
2018年の胆振東部地震で札幌市は震度6を記録したが、揺れで倒壊した家はなかった。
今回倒壊した家が多かったのは瓦が重いから。重い瓦を支えつつ震度6前後の揺れに耐えるのは厳しい。怖くて住みたいとは思わない。
災害のことを考えて住むところを決めるなら、ある程度人口がいる都市部で非瓦屋根住宅が良い。空から支援物資を運べる大きい校庭がある学校の近くなんか良いな。
年明けすぐに発生した能登半島の地震で、東日本大震災のことを色々と思い出した。
当時小学2年生で、地震発生時は帰りのHR中。関東でもかなり揺れて、確か震度5強か5弱か。揺れてる最中のことはほとんど覚えていなくて、隣の席の机から水筒が落ちてきたこと、その席の子は背が高く頭が入り切ってなくて落ちた水筒が頭にぶつかっていたことだけ覚えている。
そのまま保護者引渡しになって、グラウンドで姉と一緒に親を待っていた。外出中だった母はすぐ迎えに来てくれて、かなり早く家に帰れた気がする。そのまま急いでコンビニに寄って水とカップ麺を買って、ガソリンスタンドで給油して、家に帰った。
この時私はだいぶ興奮していた。
楽しいとか面白いとか、そういうのではなくて、台風で学校が休校になるとかと同じ感じ。地震そのものはめちゃくちゃ怖かったので、どちらかと言えば目が血走ってるような興奮だった。
震度5の揺れなんて初めてで、5分近く揺れ続けたのも初めてで、学校であんな切羽詰まった教頭の放送を聞いたのも初めてだった。昔の地震の記録映像とかでしか見たことないような、知識としてしか知らないような規模の地震だったから、そういう時は学校で一晩明かすとか、しばらく店が閉まって学校も仕事も休みで社会機能が成り立たなくなるとか、そういうレベルのことが起きると思ってた。
実際は普通だった。
平時に比べたら普通じゃない。コンビニで酒が落ちて割れて中身が出たままとか、30分に1回は震度3が来るとか、全然普通ではない。でも、学校も休みにならなかった。テレビも番組は違うけど放送してた。コンビニは瓶が割れてても営業してた。電車も走ってたし電気もついてたし水も出た。
すごくびっくりした。
私の中では震度5強とかはめちゃくちゃ大きい揺れで、生きていくのがしんどくなるようなものだと思ってた。でも、家の皿が何枚か割れても、タワマンのエレベーターが止まったままでも、私から見える生活はほとんど変わらなかった。
今になって考えれば、それだけ災害に対しての備えがあったんだろうな、と思う。
10年以上前だから、今と比べればその備えも足りなかったんだろう。東北では関東と比べ物にならないような揺れだっただろうし、津波では恐ろしいほど被害が出た。東北に住んでいた従兄弟は中々学校が再開しなかったという話も聞いた。
それでも、これだけ大きいと感じた揺れでも、何も私の周りは変わらなかった。親も普通に仕事に行った。私も姉も変わらず学校に行った。あれだけ興奮していたのに、非日常は存在しなかった。存在させないような日々の努力が存在しただけ。
10年以上経って、能登の地震を見て、やっとそれに気がついた。当時より発達したSNSやテレビ放送で、東日本大震災の経験が垣間見えた。日本海に近い実家にいた友人は、津波から逃れるために避難したけど、家は被害に遭わなかったと聞いた。ここは大丈夫といって逃げない家族を引き摺ってでも避難してきた、というツイートを何件も見た。
潰れた家の写真もたくさん見た。
あの時の非日常だった部分が、今こうして活きている。そう見えた。日常のままあの日を通り過ぎた私たちは、血で滲んだ教えを、そうやって生かしていく。
多分、東日本大震災をまともに覚えているのは、私やその1個下の年齢くらいがギリギリなんだろう。今の中学生はそもそも生まれてなかったと聞いて、気が狂いそうになった。全然発狂した。あの震災はもっと最近だって。
そこにあったのは小学2年生の日常でも、私はその日常を続けられたことも、私の見えない場所に非日常だってたくさんあったことも、忘れちゃいけない。
能登半島地震で被害に遭われた方々に、お見舞い申し上げます。募金など間接的な支援しかできませんが、復興をお祈りしています。
俺が通っていた小学校では、全校を挙げて朝にマラソンをする定例行事があった。通年行事だったのか、マラソン大会シーズンだけだったのか忘れたが、そんなのがあった。
みんな朝から体操服に着替えて校庭に集合し、10分間だったか忘れたが、グラウンドを走った。まあ、マラソンというよりジョギングに近いものだ。
で、6年生のある時、俺は軽い遅刻をした。
その遅刻が自分のせいだったのか不可抗力だったのかは忘れたが、みんながグラウンドを走っている頃に登校し、教室に着いたのだ。
全校行事だから教室には誰もない。いや、教室どころから校舎中から人が出払っていた。少なくとも教室の付近には誰もいなかった。
そんな中、ただ一人教室に残される俺。そして、みんなの机の上には脱がれた私服が置かれている。
女子の服を嗅ぎたい、と。好きな女子、可愛い女子の私服に顔を埋めてもいいのではないか、と。
みんなグラウンドを走っていて校舎には誰もいない。変態的罪を犯すのにこれ以上の好機は無い。そしてこの好機が訪れることも2度と無いだろう。
小学生の俺は変態キャラではなかったし、優等生では無かったにせよ普通のキャラだった。
短い時間の中で、見つかるリスク見つかったときのリスクと、欲望との間で葛藤した。特に、当時俺が好きだった女子は隣の教室でよりハイリスクだったので余計に悩んだ。
しかし結局、俺は罪に手を染めぬまま全校マラソンの時間が終わりを迎え、みんなが教室に戻ってきた。
俺が罪人になることは無かったのだが、全校マラソン中、教室には誰も来なかった。
恐らく、俺が女子の服を嗅いだとしても誰にも見つからなかっただろう。
服もぐちゃぐちゃにするならまだしも、上からほんのり嗅ぐぐらいなら本人も気付かなかっただろう。
31歳になった今も、ごくたまに思い出す。あの時女子の服嗅いでたらなぁって。一瞬だがいい思いが出来てたのになぁって。結局今も童貞だし。
四限の授業前、もう日が傾いて
夕日が落ちようとするグラウンドで
懸命にボールを蹴る学生を見ながら、自分にもきらきらした時間があったのを思い出した。
長年付き合っていた恋人とも別れ
たまの休みにすることと言えばアルバイトばかりでそんな中迎える最後の通学日、学生もほぼ帰宅した時間帯に見るものもなく「禁煙禁止」の貼紙をただ呆然と眺めながら夕日に照らされていると
アルバイトが辛いだとか、この先の不安だとか吐露する相手もなくただ一日を機械的に消費する自分には今後どんな幸福も不幸も、波にしか思えなくなるのだろうと僅かなセンチメンタリズムを感じながらこの日を思い出すことはあるのだろうかと未来に思いを馳せていた。
@aaron2927
古いタイトル、特に 2D ゲームで最も恋しいのは、入手できるクールなアイテムの数々だと思います。 マグネット グローブ、ガスト ジャー、フックショット/クローショット、グラップリング フック、カブトムシなどは非常にクールですが、オープンワールド ゲームにはありません。 BOTW/TOTK で本当に深刻な問題は、進行システムが実際には存在しないことです。 ゲームを開始すると、すぐにすべてのギズモを入手できます。そして、唯一の障害となるのは健康とスタミナで探索するように言われます。 ダンジョンから手に入れたクールなアイテムを持って古いエリアを再訪したり、遠くにハートのかけらが見えたけど、適切な道具を持っていないのでどうやって手に入れることができるのか疑問に思ったりすることはありません。 成長システムが機能するのは、キャラクターが向上し、大きなクライマックスに向かって盛り上がっていくのが嬉しいからです。 ただし、BOTW/TOTK はゲーム表面の 90% をレベルにする方向に進んでいますが、それは大量にあります。
@dericandkhristy
素晴らしい投稿です。 やりがいのある進行状況がないため、ゲームは本当に空虚な体験のように感じられます。
@wesshiflet2214
はい、そして今では、強力なオーバーワールドのボスを除いて、期待ループはありません
@JJMomoida
それも懐かしいですね! 過去のゼルダ作品のダンジョンアイテムに関して私が見た主な不満の一つは、通常、入手したダンジョンの外ではあまり使い道が見られないということです……個人的には、そこはあまり気にしていませんでした。 。 TPのアービターズ・グラウンドでスピナーを使うのはとても楽しかったです。 これがこのダンジョンのアイテムであることは理解していたので、ダンジョン以外であまり使わなくてもあまり気にしなかった。 歓迎しますか? もちろんですが、私にとってそれは決して苦痛ではありませんでした。
@therealpskilla502
まだアクセスできない爆撃可能な壁やフックショットのターゲットなどを見て、そこにあるものをさまよい、その後ハートのかけらを拾うのに必要なアイテムを持って戻ってくるというメトロイドヴァニアの側面が懐かしいです。 これは非常に効果的なゲームプレイ ループです。
@TitForce
@dericandkhristy 空とは言えません。 しかし、それはただ違う経験です。 ただ空っぽだという考え方は、青沼氏の「リニアなゲームを作る意味がない」という考え方と全く同じだ。 「そんなに自由ではないから」
@ドメスティックス2958
ありがとう。 アイテムベースの進行はゼルダの最大の特徴の 1 つでしたが、それが廃止されたことに私はショックを受けています。
特にイライラするのは、TOTK には早い段階で遭遇する可能性はあるものの、まだ何もできないもの (コンストラクト ファクトリなど) がいくつかあるからです。 以前のゼルダ ゲームでは、特定のアイテムや能力を後でやり直す必要があるため、実行できないパズルに遭遇するのが一般的でした。 しかし、totk では、最初に必要なツールがすべて入手できるため、他のすべてがすぐに入手できるときに、まだ実行できないパズルがあるかどうかをどうやって知ることができるのでしょうか?
@thatnerdygaywerewolf9559
そうだ、これが新しいゼルダで私が欠けている主な点だ。 新しいアイテムやパワーを手に入れると、新しいことができるようになるのはいつも楽しかったです。 時にはプレイ方法を完全に変えることさえありますが、そうでなくても、それはまだ楽しみです。
この点では、TotK の方が BotW より少し優れていたような気がします。少なくとも賢者のパワーには環境効果があり、パズルに使用され (チャンピオンの能力とは異なり)、入手できるマイナーパワーもいくつかありましたが、それはまだ数マイル先です。 エンドゲームの感触や感じ方が初期のゲームとは大きく異なっているという点で、従来のゼルダとは異なります。 (編集: また、TotK には、新しい能力の獲得を特に気分良くさせる「まだ解決できない問題が見える」という側面がまだ欠けていました)。
@therealpskilla502
@thatnerdygaywerewolf9559 どちらかというと、両方のゲームに逆の難易度曲線があるように感じます。 最初は非常に脆弱で、いつも殺されますが、大量の回復アイテムを手に入れると、特に鎧を完全にアップグレードすると、文字通りゲーム内の何もかもあなたを殺すことができなくなります。
@rondorock2563
非常に多くの新規プレイヤーは、ダンジョン内でこれらすべてのアイテムを入手するスリルを知りません。 ドーパミンの爆発、オープニングの宝箱のアニメーションだけでも人生が変わります。ゲームプレイを強化するアイテムで視点が突然変わり、新しい方向性を発見すると、特に素晴らしいアイテムを手に入れることで多くを達成したような気分になります。 それを手に入れるための挑戦。 かつてのゼルダ ゲームはその点で非常に優れており、それは私にとって簡単には忘れられないでしょう。 😊
ニンテンドースイッチ向けにホグワーツレガシーが発売されたので買ってみたんだけど、最高すぎて今年一番ハマっている。
ちなみにハリーポッターは映画の一作目だけ見て「魔法が体系的じゃないしつまんねーな」と切ったレベル。
それでもTwitterで薩摩ホグワーツとかがバズっていたのでゲームの方はそれなりに面白いんだろうと思って買ってみた。
RPGでは必ず自キャラを女の子にするんだけど、14歳の女の子を自分好みにメイキングできるところでドキドキがとまらない。
洋ゲーはよくやるけれど、美形が作れるようになったとはいえおばさん感が否めないし、その点でもホグワーツレガシーは突き抜けていた。
丸眼鏡に四角い眼鏡、さらにはアンダーリムまで選べるので興奮は最高潮に達した。
これで赤いセルフレームのアンダーリムメガネが選べたらこの時点で昇天してしまっていたと思う。
そして当然魔法使いなので、ぞろっとしたローブを着込んでマフラーまで巻いているから露出度は皆無で、体型も全部隠れてしまう、が、それがいい!
むしろその方が断然リアルで存在感があって、北国の女子中学生感があって大変よろしい。
煩悶しながら出来上がったのは、ハーマイオニーを赤毛にして、眼鏡をかけた頭の良さそうな女の子だ。
さらにストーリーが素晴らしく良くて、この天才美少女が転校してくるや否やイケメンくんが「決闘でコテンパンにしてやるぜ」と突っかかってくるんだけど当然メタメタにされるわけだ。
洋ドラマだとここでライバル化するんだけどこっちが美少女なせいか(気のせい)他の生徒との決闘の時には一緒に戦ってくれたり、あまつさえ「お前にだけはこっそり闇の魔術を教えてやるぜ」と悪の道に誘惑してきたり、そのせいでイケメンだけには心を開いていた陰キャの闇魔法使いとのあいだで仲たがいが起こったりして「わたしのために争わないで!」と身もだえてしまう。
なんといってもこれらの物語がフルボイスで展開されるところが最大の魅力で、洋ドラマを見ているような感覚になる。
特にNetflixのウェンズデーとかセックス・エデュケーションに雰囲気が近い。
キャラクターの表情も豊かだし、声優の秋乃さんの声が良いこともあってCGなのに俳優さんのように生き生きと表現されているところがいいんだよなあ。
キャラクターもそれぞれバッググラウンドがよく作りこまれていて、それぞれの行動原理に整合性があるところがいい。
ポピーちゃんという動物を愛する女の子がいるんだけど、主人公よりもだいぶ背が低くておでこを出してて小学生みたいな外見でとても可愛い。
そんな彼女が密猟者集団にガチギレして一人でカチコミをかけたりするからビックリするんだけど、そこには悲しい過去が隠されていて泣ける。
みんなそれぞれ心の中に秘密や闇を隠し持っていて、お互いにそれを少しずつ明かしあいながら友情を深めていくあたりが、いかにも青春モノという展開で、魔法少女に転生してホグワーツを楽しんでいる感じがするのだ。
ほかにも魔法バトルがエルデンリングの純魔ビルドっぽかったり、装備を替えても見た目だけ好きに変更できたり、魅力はたくさんあるんだけどとりあえずみんな遊んでくれ! そして続編よ出ろ! 続編を出す魔法!
野球用語は和製英語ばっかりだよね。アウトとかストライクとかの1単語からなる用語は英語でもそのまま通じるものが多いけど(1語でもバスター→fake buntなど通じないものはある)、2語以上からなる用語だと、フォアボール→base on ballsまたはwalk、デッドボール→hit by pitchとか、英語として通用する用語のほうが少ないぐらい。そのまま通じるのはホームランとかダブルプレーとかぐらいか?
おもしろいのがground rule double、すなわちエンタイトルツーベースという用語。グラウンドルールって本来はフェンスのすきまにボールがはさまって出てこなくなったとかドーム天井の屋根にボールが当たったとかの球場ごとの独自ルールのこと。しかし、ワンバウンド柵越えはちゃんと明文化された共通ルールがあって、グラウンドルールではない。安全進塁権が与えられた(entitled)という和製英語の方が正しい。英語でもentitled doubleと呼ぶべきだと思う(英語ではツーベース、スリーベースとは言わない)。