はてなキーワード: キリギリスとは
あるアリの巣のすぐ側に、キリギリスがいた。
冬が近いというのに、キリギリスは女の子をナンパしたり、音楽を奏でたりして気ままに過ごしていた。
とある日、冬支度をせっせと進めていたアリは、キリギリスを心配して
「冬支度をしなくて大丈夫なの?」
と訪ねたが、キリギリスは
「僕はそんな未来のことなんて気にしてないよ、今さえ良ければそれでいいのさ」
と答えて取り合わなかった
そうこうしているうちに本格的な冬が来た。
アリは、暖かい家と溜め込んだ食料で何とか過ごしていた。
しかし、アリ達が「懲りて食べ物を恵んで貰いに来るだろう」と思ってたキリギリスが、冬の半ばになっても来ない。
訝しんだアリ達は、有志を募ってキリギリスを捜索することにした。
「怠け者のキリギリスのことだから、すぐ近くにいるだろう」と、余裕の表情のアリの捜索隊が巣を出ると・・・巣の目の前にキリギリスの死骸があった。
キリギリスを巣に運び込んだアリ達は、餓死か凍死かを賭けたりしながら、キリギリスの死因究明を待った。
アリ達は悲しくなって、泣いた。
キリギリスの死骸は、翌日の晩御飯に出た。
http://blog.livedoor.jp/honkinohonyomi/archives/52529848.html
余力のある社会は強い//『働かないアリに意義がある』長谷川英祐 « 本気の本読み―グループで書評・本のまとめブログ
http://news.nicovideo.jp/watch/nw127033
ブラック企業の“大手”社員が激白「すでに社畜化してますね」 | 日刊SPA!
最近良く聞かれるようになった「働きアリの中にも怠けた蟻がいて、それは集団のためになっている。これは人間における労働者とニートの関係と同じだ。だから働かない人がいることは悪いことではない」という主張。これはまこと見るべきものを見ない唾棄すべき愚論である。
単純に言えば、アリ社会は
それにひきかえ日本人は、
端的に言えば一番最後こそが両者を分かつもっとも重要なファクターなのだが、こういった還元主義的発想は共通項ばかりを論って差異に無頓着である。
ましてや仮にこの言説が一定以上の信頼性を持ち得たとしても、この手の大局的主張は個を幸せにすることはない。幸せになるためには物質的、精神的な満足こそが大事なのであり、それは様々な方法こそあれ、多くは労働によって達成されるのだ。
資産家の御曹司で余生も安泰だという若年層にとっては、それでもいいだろうが、多くはそうではない。そしてこの主張はそうでない「溜めも役割もない」人々に向けているのだから、どのみち的はずれである。
ちなみに、「アリとキリギリス」などを引き合いに出して現代の「労働者とニート」問題に置き換える言説はこれより以前から見られたが、これはそれ以上に愚論である。そもそもキリギリスはまともに働こうが最初の冬には死ぬのだから、ニートをキリギリスに当てはめるという事自体が残念な考えである。もちろん、この話が成立した時代においては仕方がない事情もあろうが、21世紀にもなってこのような話をしたり顔で振りかざしていては恥知らずとしかいいようがない。
われら人類のニートの問題はこれら以上に複雑なのだから、このようなバカでも知った気になれるような矮小化に振り回されてはいけない。
夏の盛り,アリは冬に備えて食料を貯めるために働き,キリギリスは歌を歌っていた。
今年の冬は特に厳しいと噂が立ち,アリはいつも以上に働いていた。
アリはキリギリスに嫌味を言った。今働かなくて,冬はどうするんだ,不安はないのか,困っても助けてやらないぞ,と。
それを聞いたキリギリスは,では自分も働こう,あなたを手伝おうと尋ねた。
しかしアリは断った。あなたみたいな働かない期間のあった怠け者など役立たずだ,使えない,と。
キリギリスは仕方なく歌を歌い続けた。
焦ってさらに働いたアリたちは,蓄えを使う前に過労で倒れ,死んでいった。
アリたちは子孫を残すことも忘れて働いていたので,やがてアリの巣には誰もいなくなった。
キリギリスたちも,外に食糧もないし,食糧のある小さなアリの巣にも入れないので,死んでいった。
私が末席を汚す自動車・自動二輪の業界に、巨大な地殻変動が訪れようとしている。
電気自動車だ。
もしこの技術が熟成期を迎えコモディティ化してしまったら、日本の強みは殆んど発揮されず、日本が世界に誇った内燃機関自動車文明は唐突に終焉を迎えるだろう。
戦後65年で今の日本をここまで発展させた中心は、内燃機関自動車とそれに纏わる周辺産業を基幹に据えた重工業だった。
内燃機関自動車というのは、部品点数が多く、現代の技術を持ってしても量産管理が難しい。
そんなジャンルであったからこそ、たまたま良質な責任感とこだわりを持ち合わせていた日本人の得意ジャンルとなった。
そしてその成功に牽引されて、機械や電機などの関連産業も発展した。
珍しい事に、すぐ天狗(或いはキリギリス)になってしまい努力を怠る日本人にしては、内燃機関自動車は長いこと世界のトップ水準を防衛する事が出来た。
これは別物だ。
部品点数が圧倒的に少なく、スケールメリットを発揮すればまだまだどこまでも廉価になる。
そして超えなければならない技術の壁が未だ何枚もある。
かつての日本であれば、優秀な研究者と熱心な研究機関と潤沢な研究資金があったが、今の日本にはその全てが無い。
かつての日本には、高校どころか中学校・小学校しか出ていなくても、創意工夫で様々なモノを作り出した発明家が沢山居たが、今の中卒・高卒はコンプレックスの塊で向上心が無く、社会の奴隷かお荷物でしかない。
かつての日本の産業界指導者は引き際の重要さと業界繁栄のための後継者育成の必要性をよく理解していたが、団塊からこっちは全くその自覚がない。
そして戦後日本の経済発展という成功体験は、日本国民に驕り癖を植えつけ、今もなお経済戦争で敗退を繰り返す中であっても、現実と向き合わない人間の逃げ込み先として持てはやされる、有害極まりないおとぎ話と成り果てた。
ト○タもホ○ダも、内燃機関自動車での成功体験や業界の存続要望に足をひっぱられ、電気自動車には非積極的だ。
そんな日本という国が、果たして今後生き馬の目を抜く戦国時代になるであろう電気自動車業界で世界のトップを走行出来るだろうか?
このままでは、10年後には都内をサムスンやヒュンダイやLGの電気自動車が走り回る悪夢の世界へようこそ!となるかもしれない。
米日中の関係てのは…
ジャイアンがいてスネ夫がいてのび太がいて均等がとれていた時代が続いていた
腕力と見てくれの迫力だけで大して努力も精進もしなかったのに、のび太が社会に出てまさかの大躍進
そのうち、その他大勢がのび太の大躍進と活躍を認め始めてるのに、ジャイアンとスネ夫は顔を見合わせながら「そんなハズはない、あんなヤツそのうちダメになるに決まってるw のび太のくせに生意気だぞ!」と斜に見ながら自分は決してオモテには出ず、今抱えてるわずかな子分をコキ使いながら、コソコソかつての「ツカイッパ」から仕事をもらいながら食いつないでいる
が、実はスネ夫がコッソリ…
──── そんな感じ
リーマンショックを端に発した世界的経済危機もいち早く乗り越えた中国
そんな気がする
生活水準は600万の世代も1000万の世代もあんまり変わらない。
自分が昇給した時、その差額の400万は子供や孫に遺してあげたい。
何かあった時に彼らが辛い目に遭わないようにしたい。
そういう価値観は、世の中に結構あると思う。
真面目で、善良で、美徳とすら言えると思う。
でも、裏返すとそれって、他人の子供の事は全然考えてないってことだ。
愛する我が子の為だからこそ頑張って資産を残そうと思えるのであって
それを取り上げられてベーシックインカムやセーフティネットに回されるんだったら、そもそも頑張れない。
じゃあ自分で消費するか?少しはするだろうが、殆どそれもしない。休む。
自分の子供の為なら無理できても、他人の子供の為には続けられないだろう。
「アリの子に生まれたという理由だけで何重にも保護される奴がいるなんておかしいじゃないか。」
と考えるだろうし、それ自体は至極妥当だと思う。
でもアリの親からすれば逆だ。
「俺は、自分の子供が大人になった時、越冬できるか心配で心配で、だから頑張ったんだ。
頑張った分、心配が減らせるのは当然の権利じゃないか。
その権利を何でキリギリスの親なんかと分け合わなくちゃいけないんだ?」
と考えるだろうし、それ自体は至極妥当だと思う。
自分の家族のことしか考えない親を、エゴイストだと責められるだろうか?
それこそ愛や生甲斐と呼ぶべきものだろう。それを奪われたら働けない。
「今は老人共が溜め込んでるから、経済が停滞して若者が苦労するんだ!」と言う人がいる。
間違ってはいないだろう。でも老人を悪人のように感じている人は思いなおしてほしい。
"じゃあキリギリスの子供は諦めて死ねって言うのか?!"とも言わないでほしい。
諦める必要は無い。ただ、
「老アリは害だから締め上げてやればいいんだ」とさえ思わなければ。
id:simulacreです。普段「増田じゃなくてはてダに…」と言ってますがチラ裏な内容なのであえてここに落書き。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://japan.cnet.com/blog/onuka/2009/01/21/entry_27019611/
>>id:napsucks 自己責任論を批判する人は「戯言」とか「クソみたいな意見」などという罵倒をするだけじゃなく、理詰めでこの人を論破できるの?力ずくでこの人を黙らせたって多くの人々の「心の疑問」を封殺することできないよ?<<
http://japan.cnet.com/blog/onuka/2009/01/21/entry_27019611/
↑なぜこれが「クソみたいな記事」で「戯れ言」なのか。
>>景気が良く、派遣やバイトでもいくらでも結構良い給料の仕事がある時は、適当に職を変えながら遊んでいた人たちが、景気が悪くなって派遣が切られたら(不況の時切られるのが正しく派遣やバイトの本質)あわてて文句を言う。<<
>>サヨクがかったマスコミは何でも”大企業が悪い” ”政府は労働者を守るのが仕事” と言う時代遅れのスローガンをかかげて政府を攻撃する<<
いやー、どっかで聞いてきたような紋切り型の派遣村叩きだね。じゃあ本当にあの派遣村にいる連中が「童話のキリギリス」よろしく、本当に「適当に遊んでた人たち」なのか。というか、農業や飲食業を「3K」って?それに「政府は労働者を守るのが仕事」なのは当たり前だろ。国家が国民を守るのは当たり前なんだから。右も左も関係ないよ。
>>私の姉は60歳近い年ですが、旦那の稼ぎが悪いので、今でも某ハイテク企業に派遣で働いています。フルタイムで働き、一応英語ができるので英語で掛かってくる電話は(正社員が取れないので)姉が全部取り、能力も経験も一緒に働いている正社員の女性より上なのに派遣のまま(一応正社員にならないかと言う話はあったそうですが)。 私が(長男なのに)アメリカに居るので両親の世話もしてもらいました。今は母親と旦那の面倒もみながら忙しく働いています。<<
>>でも私が本当に腹が立つのは、そういう甘えを利用している日本のサヨクマスコミと、信念の無い政治家などの指導階級の人間です。ここには書きませんが、中国や朝鮮の”根拠の無い戦争犯罪問題”や、未だに”東京裁判史観”から抜け出られない自虐体質も、政治家のそしてサヨクマスコミの問題だと思ってます。<<
派遣村とも労働問題とも関係ねー。今時こんなの産経と2ch以外で見るなんて思ってもみなかったよ。
http://japan.cnet.com/member/u301501/profile/
もう経歴だけ見ると典型的な「アメリカかぶれのクソッタレ」じゃないですか(単にアメリカに住んでるだけじゃなくて、無駄に変な英単語を使っている読みにくいプロフィール)。というか、こういう安全地帯で上から目線で貧民を啓蒙しようとする人を見ると、本当に胸くそが悪くなるんですよね。この人が仮に「日本の納税者」ならばここまでクソ呼ばわりすることも無かったんですけどね。
なんというかさ、いつもなら「安いエサだな」って思うだけなんだけど、世の中の多くの人がこういう考え方を持っていると思うと、ぞっとする訳ですよ。だからあえて「クソみたいな戯れ言」なんて言葉を使った。
幼少の頃からずっとわからないんだ。
その時どきの感情、感覚に忠実に生きて結果的に刹那的で上滑りな生と、過去や未来のための今じゃなくて今この時の大切さを感じて過ごす生の違いだ。
それは質の差なのか。量の差なのか。
私にはそれらは、同一のものに見える。同一のものに対する二つの解釈。あるいは二つの態度か?今を生きるということの極端な事例は詰まるところ動物的な生だと思う。彼らには過去も未来もない。当然、「いま」すらない。ただ、生きている。
しかし、人間はそうもいかないだろう。かといって理性、知性をフル活用して未来予測し生存のための準備に明け暮れると言うのも機械じみていて人間が(意識的に)やるのは厳しい。
我々は理性を働かせ未来予測し、蟻とキリギリスの話で言えばきちんと未来に備える蟻のような側面も必要だし、それにばかり囚われないで今この時を燃やすLIVEみたいな生き方どっちも必要じゃないか。いずれを怠っても後悔や不全感は残るであろうからだ。
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ああ、でも、これは常識的平均的なものの見方だ。
この際思っていることを書こう。
まず、「キリギリスにならないように」といった教訓があの寓話からはよく聞かれるのだが、もしもキリギリスがあらゆる未来の困難を覚悟した上で、いまを歌って暮らしていたとしたらどうか。つまり、「俺は覚悟の上でいままで歌って暮らしてきた。冬になって寒くなろうが食料がなくなろうが、蟻に助けなど求めることはせず、最期まで歌って暮らすぜ。それが俺の生き方」と考え死んでいったら。私はそれを立派だと思う。もっともその場の成り行き任せで助けを求めてしまうからこそキリギリスなのだろう。
蟻の気持ちは書かれていなかったと思うが、仮に書かれていたとして、蟻の方も「未来に備えるためにいまを使い、蓄え、自分や家族や一族を生かしていくことこそ俺の義務であり使命だ。たとえいまを燃焼させるようなことなど全くなくとも、"いまを犠牲にした"などとは思うはずもない。その使命に殉じることこそ我が生なのだ」としてキリギリス的な生き方をうらやみもせず悔いなく死んでいくなら、それもまた立派だと思う。