はてなキーワード: キャスティングとは
オタクがこんなんだからお前の好きなデレステの100人のアイドルに声つかねーんだよって思うブコメだった。
id:tomokixxx Vコラボに否定的な立場ではなかったんだけど実際ストーリー上でガッツリ絡まれると思った以上に辛い、何が辛いって申し訳ないけど声質が一人だけモロに素人なのが辛い、現実に引き戻される感が半端ない
星街なんたらについては見てないからどうでもいいんだけどさ
声がデレステの雰囲気に合う、一流のアニメ声優の声と絡んでも問題がない声優を起用しなきゃいけないんだろ。
そんで既に起用した100人とは別人で、10代のアイドルに合うからベテランは除外。
ついでに言えば、人気順で半分以下の木端アイドルで売上がない奴に見合う安いコストで起用出来るやつで。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/02171110/
別に海外ドラマフリークとかでもなんでもなくて、単にテレビで見てるのがそうってだけ。
1話っていうか、そもそも最初の砂漠のシーンのCG写った瞬間に「えっ?これ大丈夫?」ってなっていて離脱モード。そのあとのストーリー展開もリアリティ(no リアル)がない。経理部が人のミス指摘するのに派手で芝居がかったパワポ作ってるの、さすがにそうはならんやろ。
堺雅人の過剰な堺雅人っぽい演技はこれまでの出演作品踏まえた人向けだし、予算増額してもその増分はほぼキャスティングに向かってて、CG、舞台、脚本とかはいつもよりは頑張りましたって感じ。日本のドラマでおもしろいのって、オフィスとか家庭とかうまいこと舞台にかかる費用を抑えつつ脚本と俳優がハマってるやつで、そんな体制からいきなりこういう路線に振ってもそう簡単にうまくはいかないのだなと実感。
前々から「推し活」というものにうっすらと疑問や違和感を持ってきたが、最近少しずつ言語化できるようになった気がするので、ここでまとめておきたい。
第1に、「推し活」においてはドラマや映画などの作品の内容や質が軽視されていることである。
昔ながらの映画ファンは、宮崎駿の「ナウシカ」「ラピュタ」は素晴らしいけど「ハウル」は意味わからないとか、黒澤明の「七人の侍」「椿三十郎」は凄いけど「影武者」はスケールが大きいだけで内容はつまらないとか、三船敏郎は黒澤映画では神だけどそれ以外では大根役者でむさ苦しいだけだとか、そういう話を当たり前のようにしてきた。
しかし「推し活」をしている人たちは、その当たり前のことを許さない。「推し」が出演している映画やドラマについて、「あれは出来がよくなかったね」と言ってはいけない雰囲気が強く存在する。事実、近年の日本のドラマがレベルが高くて面白いという話は全く聞かないし、「個人の感想」で言えば5分と見続けられないレベルだと思うが、Tverの視聴回数はドラマが上位を独占しているという。これは、ドラマや映画が「推し」を鑑賞するための舞台背景でしかなくなり、その内容や質が軽視されていることを意味している。
最悪の結果になった「セクシー田中さん」騒動について、その背景には間違いなく「推し活」がある。つまり、現在のドラマ作りは、優れた原作や脚本を土台にして配役を決めるという当たり前の順番ではなく、まず「推されている」人気の俳優やアイドルのキャスティングが先にあり、その後に適当な(人気と知名度がありそうな)漫画原作を探す、という逆の順番になっているのだという。そのように、日本のドラマ制作の現場は、主要な視聴者・顧客層である俳優・アイドルの推し活をしている人々の期待に応えることを優先してしまっており、当然ながら原作者の意図や想いなどはほとんど重視されない結果になる。
第2に、「推し」に不祥事があった場合の精神的なリスクが大きすぎることである。
普通の映画ファンなら、たとえ宮崎駿がセクハラ疑惑で文春砲を浴びたとしても、当たり前の話、「ラピュタ」の面白さまで否定されたとは感じないだろう。しかし「推し活」をしている人たちは、「推し」の全人格・全人生にわたって推しているので、「推し」が不祥事で文春砲を浴びてメディアから消え去ってしまった場合、「推し」の出演作を鑑賞するのもつらくなり、精神的に病んでしまうことになる。当人だけのことなら自己責任だが、大抵の場合は友人や家族を巻き込んで、周りも疲弊させることになる。
第3に、最終的に犯罪的行為や人権侵害を擁護してしまうことである。
昔ながらのプロ野球ファンなどは、例えば巨人の選手や経営陣に何らかの不祥事があった場合、巨人ファンが真っ先にそれを批判することも普通だった。しかし近年の「推し活」の場合、旧ジャニーズや宝塚の問題で露見したように、「推し」の不祥事がパワハラや性加害のような事案にあたる場合でも、完全に無視・スルーする人はまだましなほうで、それを全力で擁護したり、報道を虚偽と決めつけたり、被害告発者をバッシングする人たちが目立った。当然外野には全く理解されないし、犯罪的行為の肯定にもなるので、SNSでは大炎上するし、やはり精神的に疲弊して病んでしまうことになる。「推し活」の内部からパワハラや性加害を反省してなくそうという主張や運動は、残念ながらほとんど皆無に近かった。
https://togetter.com/li/650711
https://togetter.com/li/2308179
https://jhosakkyo.exblog.jp/6963216/
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13127218613
日本のドラマはキャスティングありきで作るところがありますので
「実績を積んでいつかはオリジナルを」というコースもたどれません。
原作ではロングヘアの清楚美人だったのがショートの元気少女に変えられたり、
男が主人公だったのが女に変えられたり、
気づけばタイトルと設定を間借りしただけの別物に仕上がって
その結果待っているのは視聴率爆死…
この、誰も幸せになれない状況を
中園さんは悪習として大変嘆いていました。
はじめに、特定防止のため下記には一部フィクションを混じえています。ただ被害内容に一切のフィクションはありません。
それを「いじめ」だとは思いたくない。わたしにとって彼は「加害者」で、いじめなんてそんな言葉で片付けられるほど克服できていない。
名誉を考えるならば、加害者は彼だけでは無い。複数名のうちのひとりであって、主犯でもない。
「いじめ」られていたのはもう何年も前で、今更どうこうしたいわけじゃない。いわゆる時効だと思う。
ただ、彼は知っているだろうか。
テレビでお前の名前を耳にするだけで過呼吸になる人がいるということを。
もう何年も耐えたんだから、「時効です。もう無効です」って、トラウマも消えて無くなってくれればいいのに。
きっと彼はいじめてた記憶なんてないと思う。わたしの存在は1mmも覚えてないだろう。
たとえ思い出したとしても、笑うかもしれない。
「俺だけじゃない。みんながやってたじゃないか」
確かにそうだ。
「ブス」「○ね」「きえろ」と言ったのもそうだね、お前だけじゃないね。
お前はたまに優しく笑ったし、普通に会話もできた。その前後に罵詈雑言と暴力があっただけだ。
芸能事務所に入ったらしいという噂を聞いたのは、お前から離れて1年経ったくらいだった。
だって、そんなのずるい。
毎月通院し、昔のことを思い出さなくなったころ、とある再現ドラマに彼が出演していた。
優しい先輩とか、そんな感じだった気がする。
夢を叶えているんだね。
わたしはお前の名前を見るだけで全身が冷たくなって震えて涙が出て、苦しかった毎日に戻ったかのようにしにたくなるというのに。
テレビが好きだった。
「わたしが何をした」「この症状ときっと一生付き合わないといけない」
テレビがトラウマのスイッチになるだなんて想像したことがなかった。
「彼はそんなに酷かっただろうか。他の加害者に比べたら優しかった。会話もした」
そう言い聞かせた時期もあった。だけど心は正直なのか、頭を使って言い聞かせても苦しみは変わらなかった。
好きになりかけたアイドルが彼と仲いいと聞いた。
「そっち側」なのかと思った。
何年も前のことだけど、人はそうそう変われない。
わたしの症状が変わらないなら、いっそそのままお前も加害者らしく生きてくれた方が恨める。
一体彼はどんな顔して活動しているのか気になってネット記事を見たことがある。
学生時代やんちゃをしていたと明かしたらしい。「今の印象とは違うギャップも素敵ですね!」と書かれた一言に心がぎゅっとなった。
誰かが素敵だと思うギャップも、やんちゃだと明かされた過去も、わたしにとっては一生付き合わなければいけないトラウマだ。
いつか誰かが実名で暴露をしたとしても「若気の至り」だとか、「何年も前のことを今更言うのはおかしい」って、彼の人生も私の人生も責任を取らない人たちは言うだろう。
(追記、実際にこの記事を投稿してすぐ嫌味に溢れたコメントがついた)
地に落ちてほしい。
誰よりも不幸になってほしい。(もちろん彼だけではなく加害者全員そうだ)
だから諦めた。
ただ願う。
ルイヴィトンのショーに招待されませんように。
伊坂幸太郎先生作品の実写化にキャスティングされませんように。
わたしと同じように被害者だったあの子たちが同じように苦しんでいませんように。
そして、もし暴力や暴言に苦しんでいる人がこの記事を目にすることがあれば言いたい。
いや、私が対峙するのは原作であって、原作者の方はあまり関係ないかなっていう感じですね。
はい、人それぞれやり方は違うので。
ねねこさん。原作者さん気の毒です。脚本家さんも気の毒です。 脚本は原作を変えるように言われることも多いですよね。ね、伴さん多いですよね 恋愛要請入れてくれとか。
結構注文がつくことは多いですし、役者さんが決まってから変えてくれみたいなこともあったりしますよね。
意外と多いのが役者さんからの要望っていうのもあったりするのかな。
ロックさん。素人からするとアニメは比較的原作に忠実で、実写は原作から離れるイメージがありますね。
やっぱり肉体を持った役者さんが演じるってなった時に、変えざるを得ないことが多いんですよね。
伴
昨日もちょっと話しましたけど、アニメって原作、シナリオを作らないでまんま原作を映像化するみたいなケースもよくあると聞いたんですが、どうなんですか?
そういうケース。
原作が一番大変なのってことですね。
ですよね。だからもう映像化も想定したところで全部作られてる、作られるケースってのはこれから多分アニメーションが増えてくるのかもしれないですね。
宮崎駿も脚本も描かないといきなり絵コンテから入っちゃうみたいですからね。
この問題、いろいろ脚本化、オリジナル描きたいですっていうことは強く言いつつ、やっぱり。
伴
原作、売れてるもの、売れてる原作しかやらないっていうふうに決まってるらしいんですよ。
だからそうなると、こっちはオリジナルで描きたい、それこそ人のふんどしで相撲をとりたくない方じゃないですか、どちらかというと。
でも、その道も閉ざされてるんですよ、一方で。
はい。本当その通りです。
うーん。ね、せめて配信だったらオリジナルやれるだろうって脚本家たちも思っていたんですけどね。
その道もちょっと閉ざされつつあって。
伴
でも、あるテレビ枠は、ある曲の、あるテレビ枠は、もう、なんで原作モノやんなきゃいけないの?みたいな。
まあ、予算が少ないこともあって、オリジナルで作っていきましょうみたいなところもあることはあるんですけどね。
伴
まあ、自由にできるじゃないですか。
原作料を払わなくても、それができる。
いや、だから、やっぱりこう、テレビもだいぶ予算がね、減っているみたいな話も聞きますし、予算が減ると、かける時間も減ってしまう。
いや、悪循環ですね。
伴
そうそうそう
ちょっとまとめに入りたいと思うんですけれど、原作者さんが攻撃したかったわけじゃなくてごめんなさいってコメント残されてるのが本当に私切なくて
謝る必要なんか全然なくて、なぜかというと最初から条件として出していたその約束を
どういう経緯かわからないけど破られてしまったっていう、その経緯を説明しただけなんですよ
どうしてこういうことになったのか、それはやっぱり人として説明したいじゃないですか
ファンの方もいらっしゃるし、なんかいろんなところで誤解をするよりはってなって、それをしただけで全然
謝る必要なんかないし、誰が 責めるべきことでもないし
でも誰かを責めたい人は脚本家さんに向かってしまって、でも脚本家さんもやっぱり自分の言われた仕事をしただけなんですよ
だからそのあたりはやっぱり脚本家さんも責めてほしくないし、ただ状況が生んだなんかボタンの掛け違いで
こんなになんか世間が対立構造を作って攻撃するような状況を起こしてしまったことが私はとても悲しくて仕方がありません
はいすいませんこれが私の今回の皆さんにお願いしたいことです
本当にあの今回の件に限らず皆さん好き勝手言ってくださってもいいんですけれど でも 読んだ人は匿名のただの思いつきの発言でもやっぱり
脚本家として自分の作品が何か叩かれたりとかするのは皆さんが思っている10倍20倍実は傷ついているってことはわかっていただきたいなと
そう思っております
伴
じゃあちょっと最後にもう質問が来てるので コセキさんから、今回の問題は今後の脚本家の先生の仕事に影響を与えると思いますか?
という質問がきているんですけど
伴
どうなんですかね、脚本が勝手に変えたんだっていう風潮が広まるのは、よろしくないし、それで影響されることは出てくるかもしれないですよね
本当に原作通りやらないと、脚色は認められないようなことになってしまいますかね
でも原作通りにやるとなると、それこそ事務所側の要望も聞かない、TV局側の都合も言えないってなってほんとに純度高いものがつくれることってあるんですかね?
そういうふうにするしかないんでしょうけど
それが求められてる、世間の人が求めてることだよっていうふうに制作サイドが判断してしまうと そうなってしまうかも知れないですよね
ちょっとじゃあ私が本当に今回 もう胸が痛んだツイートを 最後に読んでご意見いただいてもいいでしょうか とある方が
このようにツイートされていました今回話題の原作をないがしろにしている脚本家って ミステリーというなかれですね
の脚本もなの?大人になってからドラマ映画って初期設定が多少違うだけで話の展開も 恋愛も人間関係もほぼ同じに見えてあまり見なくなった
もしかして全部原作の魅力をダメダメにしている脚本家のせい? 同じようなつまらない展開は10代のうちならまだ見飽きてないけど20代になったら
またこの展開か と ごめんなさいねまたこの展開かよって飽きてくるよね 水戸黄門とかのお決まりの展開を求めている人はそれ見てるだろうし原作の設定
だけコピペして人気フリーライドするのが脚本家の仕事なの? っていうツイートがあるんですけど
世間はこういうふうに見ている方がいるのかな
まあ結構多いでしょうねそういうふうに見てる方
ということです
ようは全部同じような設定に見えてきちゃうとこですか?
そうそうそれって結局原作の魅力を全部消している 脚本家のせいなんだね
そんな原作にフリーライドするのが脚本家の仕事なんだね だったらもう見ないよ
そういう意見がね 届いたり
脚本家のせいって言うよりもプロデューサーの意見が入らない脚本ってないじゃないですか
本来 制作体制とかその脚本を生み出す構造側にもっと大きな問題があるんじゃないのかなと思いますけどね
伴
ただ数日前にちょっと
CAさんとかそのお友達とかと会ったんですけど脚本家って言ってもどこまでやってる人かまだ知らないんですよ
そういう人たちってプロデューサーが何をやるかもわからない さらにわからない
わかりにくい仕事じゃないですか皆さん決めたりとかキャスティングとか全部やってるんだって言ってもなかなかヒントもないみたいなね
そうなんですよ だからね 結局でもそういう人たちの意見を取り入れすぎなのかもしれないんですよね
分からないんだから分からない人のに 分かってもらおうとかっていうんじゃなく
分からない人たちの意見みたいなものも今やっぱりね sns どれぐらいフォロワーがいるかとか
世間の認知度ってやっぱり sns 上で測ってしまう以上そこで声が上がったものが神様のように扱われてしまって
そこにこうみんながそっちめがけて動いていってしまっているから 状況変わらないかなぁ
伴
僕もこの件に関してポストしたのは 両方に同情しますって書いてあるのにそうやって擁護するんだってリアクションがあったりとかね
僕はそういうことをいろいろ説明するべきだと思うんですよ 脚本家の仕事はどういうことでプロデューサーはどういうことでみたいなことはね
でも最低限の知識を持ってほしいなと思うのと
そうですね
うん、そうですね。だから、やっぱり脚本家としてね、やっぱりこういう形できちんと脚本家ってどういうことをするのかっていうのは、
やっぱり少しでもね、わかっていただけるように、やっぱり脚本家も努力していかないといけないのかもしれないですよね。
伴
あと、昔の映画とかの広告を見ると、必ず脚本家と監督が同じポイント数で、表示されてるじゃないですか。
これもさきほどずっとやってることだけだと、もう、氏名表示っていうのはまあ作品についてくるんだけれども、
あの、ポスターとかでも脚本家の名前がなかったりとか、あるいはさっきおっしゃった鬼滅の刃みたいに、脚本家の名前が出なくて会社名になってるとか、
そういう、そこら辺の業界内でのその脚本家に対する扱いみたいな、あの、すごく軽くなってる感じはするんですね。
ここから、発信する側から変えていかないと、 なかなか伝わってこないところもあると思うんですよね。
そうですね。
もちろん、あのね、皆さんに見てもらって、初めて作品って、なんだろう、成立するってところがあるわけですから、
そういう方々の意見も大切なんですけれど、
あと、10ならえではなく、やっぱりこちらの方が一歩先に立ってリードするぐらいの作品をこれから作り出していけたらいいですよね。
伴
じゃあ、人のふんどしっていう意識はちょっとあるんじゃないですか。
オリジナルでやりたいっていうね。
はい。それはもう本当に、脚本家をオリジナルでやりたいと思ってますっていうことは、
そのためには本当にみんな勉強してる方もたくさんいますので、それだけは本当にわかっていただきたいのと。
みんな勉強そこから入りますからね、オリジナルでどう書くかっていうところから。
本当にそうです。
伴
あとほら、脚本家自身がこの小説を映画化したいとか、ドラマ化したいと思うこともあるじゃないですか。
そういう時は、直接本人に言います?
伴
それともプロデューサー?
ああ。
伴
なると思いますね。
だから、これをきっかけにして、原作物はやめようみたいな意識が、業界に働いて素晴らしい原作が見過ごされるのも悲しいじゃないですか。
うん。もちろんです。そこら辺ね、もう本当に極端に走るのはやめましょうよっていうのもありますよね。
まあね、決してその、脚本家だって頑張ってるんだから、そんな原作改編とかそんなこと言わないでよっていう気持ちも分かりつつ、
その、ね、その実際に、その、僕が、じゃあ逆の立場になった時に、
好きな原作のドラマを見てみて、うわ、なんでこんな風にしてんだってことだって、往々にしてあるし。
だから、その、なんですか、別にすごい脚本家の方持ってとは言わないですけど。
ね、でも、ね、なんかちょっと、どういう、その、色々書いちゃってるのは脚本家だけじゃないよっていうのはちょっと、知っといていただければっていう気がします。
ということで、今回は急遽本当に、伴さん、ありがとうございました。
伴
えー、すいません。何か、まともな話が出来たことが。
あ、いえいえ、いえいえ、やっぱり、はい。
じゃあ、脚本家も頑張りますということですし、本当にね、もう今回のことを教訓に、私たちも丁寧な仕事をしていくことを求めたいなと思いました。
出典:
芦原妃名子さん自◯事件について日本シナリオ作家協会の削除された密談動画の全文文字起こし公開
AIに書き起こさせて、途中まで手を入れましたが面倒になったのでひとまずここで公開。
こんばんは、脚本家たちの深夜密談です。今週はちょっと先週からの予告を変更しまして、急遽セクシー田中さんのお話をしたいと思っております。言いますのもですね、やっぱり「脚本家の深夜密談」ということで脚本家の名前を貸している以上、ちょっと脚本家の立場からこの話をして、ご理解していただきたいところもあるなというところから、はい、急遽決めました。なかなか勇気のある決断だったので、私達だけでは心もとないので、40年にわたってテレビドラマで活躍されている伴一彦さんに急遽ゲストとして来ていただきました。伴さん、よろしくお願いいたします
よろしくお願いします。伴さんのお話をお伺いする前に、一応ちょっとここまでの経緯を簡単にお伝えしますと、まずこの件の発端というのが12月の24日に脚本家の方が、そして今月の26日に原作者である芦原妃名子さんが、それぞれなぜセクシー田中さんの9話と10話を原作者である芦原さんが書くに至ったのかという、経緯をSNSに投稿されるんですよね。
それを受けて、ニュース、Webニュースなどでも取り上げられたり、X上、SNS上で大炎上し始めるんです。当初はもう9割がた脚本家を責めるようなツイートが多くて、「原作クラッシャーだ」などとひどい攻撃が上がっておりまして、28日、昨日ですね、になって、原作者の方が「攻撃したかったわけではなくて、ごめんなさい」というツイートを残してアカウントを消されてるんですよね。その段階で、私自身も伴さんに「ちょっとお話したいんだ」とお願いしてはいたんですけれど、やはり当事者の方がもう触れて欲しくないのかなというツイート、アカウント消されてるってことは火消しにしたいのかなというので触れない方がいいのかなと、考えたりもしていたんですけれど、今日になって、芦原さんがお亡くなりになったというニュースが届きまして、やはりここはちゃんと取り上げて、脚本家のドラマに関してですよね。この件に関して私達は当事者ではなくて、あくまでも報道やSNS上、ご自身たちの発信で知ったことが全てですので、憶測で物も言いたくないですし、業界関係者から新たな情報を、確信もなく確認することもなく、手に入れてお話しするつもりもありません。あくまでも今わかってる事実に基づいて、ドラマ作りなど、あるいは脚色の仕方など、どんなことをキャッチし、脚本家がしてどんなトラブル、これまで起こったのかなどをお伝えできればなと思っております。はい。ということなんですけれど、伴さんもこれまでの経緯をかなり、こう、何て言うのですか、チェックされたりされているかと思うんですけれど、
はい。
いかがですか。
いや、僕もツイート、X、ポストか、したんですけど、やっぱり両方、原作者と脚本家両方がお互いの意向というか意思を知らないで、進んでしまってるのが一番の懸念かなと思ったんですよね。
うんうん。
そうなんですか。
そうですね、お友達になって飲みに行ってっていうかパターンの方が多いんですよね。
ええ、ええ
そのとき、もう、いや、だから、別に責めるっていうか、まぁ番組って、だから、脚本家が自由に書けるわけじゃないじゃないですか
はい。
監督が勝手に言っとるわけで、やっぱりプロデューサーが全ての責任を負うんですよね。この番組の方向性だとか、そういう本にするとか、誰に書かせるとか、そういうのは全部、あのうそこ、プロデューサーの仕事なので、僕の見えないところで、原作者と、いろんな交渉をして、ドラマ、バリューチェーン繋げてくれたんだなとは、今振り返って思うんですよね。
つまり、トラブルがなくすのが、プロデューサーの仕事というふうに思ってるんで。ただ、原作者の意図とかわからないときに「話し合いをしたい」とこっちが言ってるけれども、やっぱ間に入る編集の人とか、プロデューサーが「そこは会わせない方がいい」と思ったのか、お互いに忖度してくれてるのか、合わずに、あの、話が進んじゃう。で、最後に、何か打ち上げか何かでお会いしたときにはもう、記者会記者発表のときか、お会いしたときにはもう「面白かったです」って言ってくれたりみたいなことがあったんで、もっと早く…多忙な作家さんだったんで、うん、逢う時間がなかったのかもしれないけれども、何かあったらやっぱり直接会って話すというのが、一番誤解も解けるし、やりたいことも再確認できるし、いいんじゃないかなと思いますね。
そうですよね。私も、まぁ、テレビに限らず映画なんかでもそうなんですけど、やっぱり、私の感覚からすると、やっぱり脚本家と原作者って、やっぱり作家同士ですのでね、性質上どうしたって対立したりってする、しがちっていうか、私は当然だとは思ったりするところもあるんですよね。
ただ、そんなになんだろう、トラブルになる、トラブルが全くなかったってわけではなく、やっぱりこちらで書いたものを、原作者の方からこういう要請が来ましたみたいなことは結構ありますし、そこで意見がぶつかって、はい、まあね、「ちょっとうちで話しましょう」みたいな呼びつけられて、「なんかあなたって本当に私の原作のこと全然わかってないよね」みたいなことを言われてたこともありましたけど、ただ、やっぱり基本的に直接脚本家が原作者の方と会うってなかなかないですよね。それは、やっぱり、ですよね、だからそんなの「会わせたら、何かお互い何か対立するに違いない」みたいなこともあったり、プロデューサーが間に入り調節した結果、だから原作者の要望も十聴くのではなく、五聴くことにして、五は原作者の方に納得していただいて、持ち帰った五だけはこちらが説得されて直すとか、なんかそういうことで仕事をしてきた経験があるので、やっぱりTwitter上、X上でね、なんか「脚本家が原作を全部変えている」みたいな発言を見ると、とっても心が痛んだんですよね。
伴さん、経験上、ご自身、勝手に「もうこのキャラクターこっちに変更しますから」って言って通るってどれぐらいの確率であります?
いや、僕の声結構そういう意味じゃ、原作から変えてることが多いんですけど、例えばツイッターにも書きましたけど、クリスチャンとかも原則を歴史小説家なんですけれども、それもやめて探偵事務所にしてジョシュ担当の上司がいるんですけど、それも原作だと女性だけのお2人の男女にして、あともう1人、子供も加わってみたいなこともあるんで、ほとんどもう原作のエピソードも使ってないんですよね。
なるほどなるほどはい。でもそれに関しては寺沢さんって原作者の方からは何もなくそうですか。そのプロデューサーが止めてたのかどうかもわからないんですけれどもうん、うん最後のスタジオ収録の日、最終回のスタジオ収録のときにいらっしゃって、ホテルとかですって僕はちょっとドキドキしてたんですけれども、本当にご紹介あったみたいでいただいて、それから結構一緒に飲みに行くようになって、うん。
エースの悪口を言ったりとか、みたいな部分までだし、後で頑固も、もう、うん。原作はほとんど使ってないし、多分ちょっとだいぶ忘れてましたけどええ。昨日、犬がパートナーっていうのも、こっちで作ったやつだと思うんですよね。
ええ。国際の森本と書かれると森本翔子さんっていう方が原作者なんですけれども。はい。そう、何回目か、進んだときに、スタッフルームに手書きの漫画付きのFAXをいただいてそれがほ参りましたみたいな、多分本当に面白いこういう番号を書きたかったみたいな言葉で書かれてたんですよ。
なるほどねそのお2人の原作2入るときにですよその仕事を受ける段階でプロデューサーから原作ってどれくらい変えていいですよみたいな説明ってありました。いやあ、僕になかったと思いますなるほど。それいや、ちょっとこの、これをやるんだったらあれだ、うんをしたいとかね、運行しましょうみたいなのを企画会議でやって、うん大体そ、そこでまとまっただったと思いますよ。
やっぱりそれは企画会議っていうプロデューサーさんとの会議を経て、何か決定することで、強ねそれでその企画会議でややこれは原作通りに行ってやってくださいって言われたときに、晩餐です。あったとしてもなかなかるものではないんですよね。
原則通りにやれっていうことですか。ママ会会議場を、つまり晩餐1人の力で変えられるものなのかなっていう、それはもちろん、同意がないとできないです。できないですよねっていう僕がやるときは大体、プロデューサーと一緒に訪問することにしててはいはいええ。
監督後から入ってくる先生も出来上がったもので、うん、うん。ただ眼光の場合はもう現場のありもすごい面白い監督があって現場で思いついたことを入れてたりとかねやったんですけどそれを僕のシナリオからはみ出してない、原作からははみ出してると思ったんですけれども。
うんそれも面白がってくれてたんですよね。ですよね原作者の方の中には、やっぱり何か2種類いるなと思っていて。うん。もうね、原作は原作映像化は映像から全く別物なので、もう50にどうぞ出来上がりを楽しみにしていますっていうタイプの原作者さんも少なからず、いらっしゃるっていうそういうタイプの、多分今のね2ケースの場合は、バケツの場合は、多分そういう原作さんはファンだったのかなっていう気もするんですけど、その一方で、特に初めて書いた本ですとか、小説ですっていう作者さんに多いのが、やっぱり自分にとってすごくこだわりがあるので、はい。
原作はなるべく変えてもらいたくないですっていうような大きいケースもありますよね以前、前々回かな。陳亜美さんでもちょっと話題に出たやわらかい生活のね、はい車や作者さんも本当に思い出のある小説なのでっていうことでちょっと裁判になってしまったりとか、うんやわらかい生活でしたっけ、やわらかい生活ですねはいっていうのもあったりですねお父さんこんばんは。
もうアンさんのポストも拝見してます。ゆはい、拝見してましたってことでした。はい人偏に半分の判断でよろしくですそうです。はい。3社になってますねこれ細谷さん違います違います。それさんではないです。別な方失礼しました。
患者さんの知らないファンの方もいらっしゃるということで、はい、はい、うんそういうはい。いや、僕東野圭吾さんってどっちタイプなんですか。私は東野さんやったことないのでよくわからないただ作家の方でも作品るケースも結構あるんですよね。
この作品だったら自由にやってください。でもこれはっていうのがあって、だから私の場合はもう原作で企画ができた段階で、原作者の方ってどれくらい変えていい方だなんですかっていうのをまず聞くようにしてますねっていうぐらい、ちょっと最近はやはりこだわられる方が増えてるのかなっていう、以前よりも感覚としてこうっていう感じは、今月は東野圭吾さんが担当相を取った放課後っていうのを着色してるんですよ。
はいはいはい。ドスパラ部木曜ドラマストレートだったかな、うん、うん、それは高校が舞台のやつだったんで、もうちょっと青春寄りな精神者っぽいノリで書いたんですけど、それに関しても東野さんと会ってもいないし、何か意見を聞いたこともないんですよねそうなんですよねただやはり今回の場合、すごく実は特殊なケースだったんだなって後からわかったのがもうそのドラマー化を許可する段階の条件として、原則通りにやってくださいよという条件が出されていたっていうのが、うん。
ちょっと今回の場合、かなり特異なケースだなとは感じたんですよねただ、それを受けてしまったというか伴さん可能ですかと思うんですよね映像化するにあたって、原作まんまみたいな。上着を持ったまんまっていうのがあっても、媒体が違うわけだから、絶対ね同じものには何年か同じものにはならないですね。
なんですけれどやっぱりそれどこまでならないですよ。だけどできる限り、うん、もう原作を生かす方向でいきますみたいな説明がなされたのかとか、うん。やっぱりそのあたりがまずどうだったのかっていうことと、あとその点をどれだけ脚本家に伝えていたのかっていうこの2点がわからないので、いや、脚本家にすすめるとそれは全く伝わってない感じですもんねそうですそれはそうそう丸山を正木さんが書かれてるけれども、これだから約束事の問題ですよね。
何か緑色に悪いとかじゃなくて、そこがちゃんと伝わってない、両方が持ってることが違うっていう違ってたっていうことですかね。こういうのって普通の契約書みたいなのって交わすんですか。特に多分返してると思うんですけど、僕は1回も原作者と局が交わした契約書を見たことはないです。
脚本家が見れるものではないんですね。そうですねどういう約束しましたかみたいなことを聞くことは可能かと思うんですけど、僕は聞いたことはなくて、そういう質問したこともないんですけど、ただ、七瀬再び行って、筒井康隆さんの原作のやつをNHKでやったことがあるんですけど、そのときにはもう、プロデューサーが、筒井さんに、こういうふうに変えたい。
なぜならこういう理由ねみたいなことを、もう愛を込めた文章でメールを送られて、たところから始まったみたいですね。だからヘンリーっていう円だったかな、黒人が出てくるんですけれども、ちょっと時代的にも今の時代はちょっと黒人が上位に出てくるタイミングでみたいな、うん能力の話ですけど、それはちょっとまずいかなっていうものもあって、日本人に変えたんだけどね。
うん。ヘンリーというそれそれもこういう理由でみたいなこと言って、多分テレビかOKしてくれたと思うんですよ。手続きの場合は、もう本当にあの台本隅から隅まであって、原作者チェック以上に、ここはこのセリフは繋がってるかみたいなことまで毎回、メールをいただいてそれをプロデューサーが僕に直接見せてくれたんですよね。
そういうの直したまんま直したかちょっと忘れましたけれどもそういうやり取りをやりますよって言って始まる前にちょっと原宿のおうちにも挨拶というか、説明に行ったこともありますけどねうん。いやだけど、なんかお母さんの今のお話を聞いて何となく問題点がわかってきたなってちょっと感じたのがですね、とある原作者の方がすごくドラマ化にあたって揉めている最中にその原作者の方と会ってお話する機会があったんですよ私は関わりがなかったんですけど、うん。
そしたらその原作者が言うには、別に変えてくれてもいいんだけど、変えるなら変えるなりの理由を説明してもらいたいんだよっていう、そういうあたりをふわっとしたまま帰られても納得いくわけないじゃないですかってその方おっしゃってて、うん。
全くその通りだなと思ったんですよね。うん。こっちだってね他の方の原作を変えるには、変えた方がいいって確信がなかったら安易に変えてるわけじゃないじゃないですか。うん。それをどれだけね、お伝えして納得していただけるかっていうのはやっぱり丁寧なプロセスだし時間が必要なんだと思うんですよ。
うん。だけど、やっぱり最近のテレビドラマの撮影のスケジュールとか制作のスケジュールを見ると、うん多いスケジュールを取る余裕さえないような状況で作られてる場合って多いかなと思うんで、なんかねでも、そこは時間かけるべきところですよね。
本当そう思いますね。だってそこに時間かけなかったら、原作者にも意図が伝わらないし、虚構化にもう、なんですか、原則省の意図が伝わらないから、結局齟齬は発生してそのままずっといっちゃいますよねそうなんですよ。
だから不信感だけが募ってってくることなのかなってちょっとコメントいただいてるので、6木村さん、芦原さんが最後にはご自身で脚本を書かれていますが、前はご自身で脚本を書く話はなかったのかなと思いました。いやそれは多分ご自身も何か出ているニュースを読む限りは、本当は書きたいを書きたくて書いたわけではなかったという。
うん、うんね。推測はしないというは言いましたけど、多分最初の約束として提示されていたんですって。これは憶測じゃなく事実として出てるんですけれど、完結していないから、ドラマの完結する和に関しては自分のストーリーを使ってほしいセリフもそのまま書いてくださいという条件を出していたんですって、許諾のときにただその最中ですごく過失が多くて、時間的なことも考えて自分で書いた方がいいんじゃないかって決断されたんだろうと思うんですよね。
だからやはり脚本は脚本家で最初のうちきちんと任されていたんだろうと思います。そんなに何かね、無効な要求をされていたわけでもないし、ただやはり、なんていうんでしょうね。芦原さんには芦原さんのファンもいらっしゃるし、その脚本家さんには脚本家さんのファンもいるわけで、そのファンの方々がそれぞれね自分のが好きな脚本家さん、あるいは原作者さんに期待するものが多いし、その期待に応えたいと思うのってやっぱりそれはねお2人とも当然じゃないですか。
だからああいう説明に至ったんだろうと思うんですよねそれぞれのファンの方はそれ読んで納得すればそれで済むことだったのに、そうじゃない人たちなんかあまりにも攻めすぎなんじゃないのっていうのはちょっと感じましたね。
まあね芦田さんの最後のDとかツイートっていうか、そこがね、攻撃したかったわけじゃなくてってそうそうそうなんですよ。だからやっぱりね、うん。すいません、このプランだから、あの脚本家の方に非難が集中してるけれども、原則車に避難っていうのはな、ほとんど僕見たことがないんですけどそれ、それなのに、原作者がこういうことを書くっていうのはやっぱりSNSへの誹謗中傷に心を射止められたのかなと思っちゃいますけどね省察なんですその辺りはねあれなんですけれど、そうなんです。
なんでしょうねやっぱりここ最近、本当に私自身がもう行けない風潮だなって、やめてもらいたいなと思ってるのがすぐに対立構造で物を語りたがるっていうだからこれだって別にね、そこまで本課さんと原作者さんが直接的に2人で対立したりしていた話ではなかったように思うんですよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2215085
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2268123
どうせ失敗するし中身もダメだと思ったんだろうね
その鋭い考察力、これからも生かしてブックマーカーを続けてください
楽しみにしています!
だからみんな期待するなって。オオゴケするから。人気あるコンテンツは壊すのが日本の慣わし。製作委員会が一発屋で儲けてお終い。そんな奴らを世代交代させるべきなんだよ。
監督がハイローの人だし、ちゃんとした映画を作るつもりは端からないと思われ。
ターゲットが山崎賢人が好きな層だからなぁ。キャスティングを含め、リアルである必要はないんだろうな。not for meや。
こんな低レベルな画作りばかりしてるから邦画は世界で売れないんだろうね。
今の日本映画は、服どころか脚本から始まって映画制作の全てが小児病なのよ。カワイイ!イケメン!の所から人選が始まり、生活感がみじんも感じられないマンガの登場人物ばかり(笑)。ないものはない、期待するな。
https://anond.hatelabo.jp/20240130181925
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「脚本家」がストーリーを全部考えて、番組制作のすべてを仕切ってるわけがありません。
ドラマとは「有名タレントを何人も動かして・複数の会社が連携して・億単位のカネがかかるプロジェクト」です。その一員である脚本家の仕事が、「自分の好き勝手に脚本を書くこと」であるはずがありません。
脚本家の仕事とは、「企画が決まってから」プロデューサーの依頼を受けて、脚本を「受注生産」する仕事です。もしも「脚本家が好きに内容を書ける」っていうんなら、「企画すら定まってない段階で、作品の方針からキャスティングまで脚本家が独断で決めて、予算すら勝手に変えて、なんの相談もしない」「原作者や芸能事務所とのあいだに無用のトラブルを産んで、自分は知らぬフリで、その解決をプロデューサーに全部押し付けてる」「そんなクソムーブを繰り返しながら、なぜかコンスタントにTV局から仕事を受け続ける」という、ありえない話になってしまいます。
原作選びは脚本家の仕事ではありません。使うタレントは芸能事務所の営業で決まってます。それぞれのタレントをどう活かすか、(配分はどれぐらいとか、イメージが下がる役は出来ないとか)そのためにはどんなキャラクターが必要か(つまり性別の入れ替えなども)。これらは企画段階で整理されて、脚本家にはどうしようもできない範疇のことです。
多忙なタレントを何人も使うのに、そこの調整を事前にしなかったら、差し戻しの繰り返しで、ドラマなんて永久に撮れません。たとえば、「事務所や局が一番売り出したい新人」が演じるキャラクターを、もし見せ場もなく脚本家が殺したら、どうでしょうか。事務所やTV局のプロデューサーは何も言わずに従いますか? 脚本家にお伺いを立てて変更をしてもらいますか? そもそも、事前に通達しますよね。
予算によっても脚本の内容は決まってきます。番組の予算によって、タレントの出番やロケにいける場所まであらかじめ大まかに決まってるし、そこを調整してないと撮影自体が成り立たちません。その方針がある程度決まってから脚本が依頼されるし、都度、調整しながら書いていきます。極端な話、制作途中で予算カットや、打ち切りの可能性すらあります。
つまり「プロダクションの段階でいくつもの問題が生まれるようなストーリーを、好き勝手に書く」なわけがないのです。むしろ、「新たな問題を避ける」、もしくは「企画段階で発生した問題をうまく解決しながら脚本を書ける」ことが重宝されるのです。
面白いストーリーよりも何よりもまず「金をかけてゲットしたタレントが、どれだけ長く画面に映り続けるか」が大事なのです。タレントビジネスなのですから。いざ脚本家が脚本を書きはじめたら、タレント都合の問題が出てきます。それはすなわちストーリーを左右するコアの部分。「え?このタレントさんは暴力が事務所NG? 喧嘩して和解する大事な場面が原作にあるんですけど、、、わかりました書き直します」とか、「キスNG」だとか「おばかタレントだから頭良さそうな役はダメ」だとか、割り込みで「ここの事務所のアイドル使うことになったから、印象的な見せ場を作って~」とか、そういう糞みたいなこともしょっちゅう起きます。
芸能事務所からしたら、一番おいしい仕事は「大企業のCM」で、短い撮影で一本当たり数千万。とにかくCM契約をゲットすることが大きな目標なのです。二番目がドラマ。通算で数千万。映画が一番下で、一本あたり数百万~千万。撮影に時間がかかる割にギャラが低いから、「面白いストーリーの作品で、いい演技をする」とか、事務所からしたら大して魅力的な話じゃない。それよりも、ドラマで「お茶の間の好感度を上げる」方が大事。ドラマっていうのは「タレントのいい印象を数か月間TVに映して、大手CM契約をゲットする絶好のチャンス」なのです。
そういう力学があるのです。
「芸能事務所のパワー」の例でいえば、能年玲奈が一瞬ですべてのTV局から干された件がありましたよね。 事務所の機嫌を損ねたら、あれぐらいは普通にできちゃいます。もっと小さい揉め事なら腐るほど起きてます。脚本家には役者を決める権限がないんだから、上の方でそうなったらもう書きなおすしかありません。脚本家は関係なく、タレントの都合で「キャラクターが制限される・ストーリーが変わる」なんてのは、TVドラマの「大前提」でしかないんです。
そういった裏事情はほぼ伏せられるから表に出ないだけです。「ストーリーが迷走してる!」とか「なんであのキャラの出番が減ったんだ!」「なんでこの脇役が主人公みたいになってるんだ!」となった時、それは脚本家理由ではなく、TV局と事務所都合の理由が多いのです。逆にもし、脚本家がキャラクターの出番を好き勝手に増減させたら、事務所とTV局にとっては迷惑です。もっとも、昔の大御所脚本家や海外ならあり得るかもしれませんが。
今の時代において、「大して有名じゃない脚本家」の方がTV局よりも偉いなんてことはありえません。好き勝手に脚本を書いていたら、TV局に強い影響力を持つ芸能事務所が「うちのタレントになんてことをしてくれたんだ!」って揉めそうなのは明らかですよね。(繰り返しになりますが、能年問題やジャニーズの権力を思い出してください)そういう芸能事務所との無駄な揉め事をTV局は一番避けたがるし、そうなったらTV局側は「脚本家を切るだけ」です。コンスタントに仕事を受けるなんて、できるわけがない。それぐらい、「力の差」があるのです。
脚本家の仕事ってのは、その前提を乗り越えて、ドラマがスムーズに撮影できる脚本を書くこと。間違っても好き勝手に改変することではありません。
これを踏まえたら「原作通りにドラマを作る」「脚本を書く」のがいかに難しい課題か、わかると思います。別に誰か一人が悪いわけじゃありません。ただ多額のカネが動く映像作品では、ストーリー制作と関係ないはずの「出資者」や「関係者」が力を持つため、ストーリーを変えてしまうことはよくあります。
ちなみに原作の話で言うと、出版社からしたら製作決定の時点で「利益しかない」。内容がどんなにクソでもゴミでも、「超有名タレントを使った広告が3か月の間、毎週1時間も数百万~数千万人のターゲットに打てる」からです。それだけの広告を打てば絶対に原作が売れるし、ドラマ化の原作料まで入る。ドラマがクソでも、原作ファンが「原作は素晴らしいから!」と口コミしてくれることまで約束されてる。デメリットがないんです。
もちろん、だからといって出版社が原作改変を許すとは限りません。あくまでこれらは「前提」「一般論」の部分であって、実際に何があったかの内部事情は「関係者による説明」がなければ、すべて憶測、妄想に過ぎません。
どんな件であっても、立ち入ったコメントは控えるべきです。
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なぜ煽った?
キャスティングが揉めに揉めて、決まったときには脚本を書く時間はほぼなかったとか
(タレントのキャラをくずさずにシナリオを書けという無理難題のせいで、キャスティングがきまらないと描けない)
そうなんだよなー
脚本家が原作無視のクソ脚本書いたとして、それを通した上役ではなく脚本家がやり玉に挙がる。
大根役者のクソ演技はそれをキャスティングした人ではなく大根役者がやり玉に挙がる。
裏金作りで末端の会計担当者を蜥蜴の尻尾切りする対応に対して議員本人の責任を問う声と同じくらい他の事案でも責任者をもっと追求する声が上がってもいいのになぁ、と思う。
キャスティングに口も出せないし、メインキャストにこういう見せ場作れって言われたら拒否もできない。
こういうところにロケ行きたいよねって言われたら元々流れになくてもそこく行くような展開を入れなきゃだし
スポンサーがこういう会社だからこの製品をさりげなく使うような流れ作ってって言われたらそうしなきゃいけない。
漫画家・芦原妃名子さん死亡の報を受けて「脚本家のせい」がトレンド入りするのは最悪の流れ(篠原修司) - エキスパート - Yahoo!ニュース
https://l.pg1x.com/bicy1dabR4VrDiAf9
芦原妃名子さん訃報めぐり元放送作家が私見「脚本家への誹謗中傷は絶対にやめてください」(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース
https://l.pg1x.com/JqS7JZGDVKk1cyBf7
漫画家で参院議員の赤松健氏 「セクシー田中さん」芦原妃名子さん訃報受け「脚本家を責める流れになってはならない」(よろず~ニュース) - Yahoo!ニュース
https://l.pg1x.com/HXfrcG5gk3p8LeGS8
いや。おかしいやろ。
監督やプロデューサーの言い分が「大正義」だったとしても「原作というもう一段上の大正義」があるんだからな、表立っている。
制作契約のことなんぞ視聴者もスポンサーもしらんわ、マジで(笑)
スポンサーは「放送される」っていう契約だし、視聴者は「TVを見るだけ」っていう緩い契約しかない。
心配するのは連鎖やろ。だが、連鎖でも起こらん限り、というか「TV屋の畑に流れ弾で人死が出る」ことでも無い限り絶対に改めんのがTV屋や。
まぁ、死んでも気にしないけどなアイツラ。だって「制作なんてのはトカゲのしっぽ以下」なんだもの。
バイタルパートは「スポンサーと仲良くやっていつもどおり、いつも以上に金を引っ張れるプロデューサー」と「スポンサーの趣味と、プロデューサーの性癖をしっかり理解して制作会社含めキャスティングするディレクター」だけだからね。
後は全員ただの兵隊。なんぼでも取り替えが利くし、取り替えられないディレクターは取り替えられるだけ。
ってのは簡単。
原作を読み込んで、原作の芯を捉えて、その芯をベースに再構成して、DやPの趣味や性癖、スポンサーが望ましいと思われるものを統合して入れること。
こんなもん「ゲームのノベライズ作家」なら全員普通にやってるぞ。できない奴はいなくなるだけ。
あんだけ作品をやってるのに、それができていない脚本家を排除できていない、あるいは脚本家オリジナリティがウケるDやPとのツルみが問題になるかな。
『ガンダムSEED』や『サイバーフォーミュラ』の監督と嫁脚本が、当時のオタクにぼっこんぼっこんにされていたんだけど、当時小学生~中学生の平成キッズにウォッシュされて「傑作!名作!」って扱いになってるのを苦々しく思ってる古参オタクは大勢いいるだろ。
まぁ、嫁が死んだのは可哀想だとは思うけど、今の映画の出来が良くなっているという話もあるので、嫁がキラやハヤトを偏愛しすぎていたのではないか、というのは今更だが、ちゃんと指摘していいでしょ。
どうしてだろうという思いをずっとしている。
私は一読者なので「そうか、芦原先生のあの素敵な作品の続きがもう二度と読めないのか」とぼんやり思っている。まだ本当に現実に起きたことなのかうまく受け入れられないでいるのだ。
本屋さんでなんの気なしに手に取ったことから始まったと思う。1.2巻だけ試しに買ったらとても面白くて母親と一緒に本屋に行くたびに買い足して親子ともども楽しんでいた。
読み始めた頃は小学生だったから正直全部を汲み取ったというより「そういうラブコメ」を見ているような感覚だった。藤くんかっこいいー、杏と大吾どうなるんだーみたいな。
でも次第に年齢を重ねながら読んでいくうちにこれはただの恋のお話ではないと気づく。主人公が何度もうまく生きれなくなる瞬間があって、その都度立ち上がったり、折れそうになったり、その生きづらさも繊細な強さにも何度も涙した。
多分砂時計を知っている人ならみんな思い浮かべるあの仁摩サンドミュージアム。
幼い頃に主人公が見上げたシーンも、大人になってから見上げたシーンもそれぞれとても印象に残っている。
主人公の記憶を追随したかった私は高校生のころ親にせがんで島根まで連れて行ってもらった。
幼少期の主人公は「たったこれだけの大きさか」と言っていたけれど私はその大きさに圧倒された。
「砂時計のあのシーンだ!」と何度も何度も上を見上げて感動の声を上げた。作品を読んでいたからこそその気持ちは何倍にも膨れ上がったのだと思う。
帰りに主人公が母親に買ってもらった同じサイズの砂時計を同じく母親に買ってもらい、とても嬉しかった。
大事に抱きしめて今でも箱まで取っておいてある。
そういう、私の私自身と、私の家族との思い出の中に砂時計はある。
それから以降の作品pieceもBread&Butterも読み、そして社会人になって「セクシー田中さん」に出会った。
正直めちゃくちゃ泣いた。
これは社会人の、いち女性であればあるほどすごく共感できてしまう漫画で、フィクションを越えて自分に置き換えて考えてしまう。とても大事な作品だった。
女性として生きていれば本当にどこにでもよくありそうな話がたくさんあった。砂時計とはまた少し違う、生きづらさがそこに描かれていた。
それでも登場人物の成長や、芦原先生によって紡がれる言葉に何度も励まされ、涙を流した。毎巻待ちきれずたまに雑誌を買うこともあった。そして実写化の話を知る。
正直私は実写化に反対だった。というのも全員キャスティングのイメージが違ったからだ。
キャストさんが悪いわけではなく、制作側が本当に本を読んだんだろうか?と思うほどあまりにもイメージが違ったのだ(漫画の田中さんはわりと骨っぽいイメージだけれど、演者さんは丸く可愛らしい感じだったりなど他にも言いたいことは山ほどある。)
それでも、私は一読者なので文句があるなら見なければいい、そういうスタンスだったためドラマの開始は知りつつも1話も見なかった。
知ってるキャストさんが何人か出ていて楽しそうにしていたけれど、「まぁイメージとは違うし、私には原作があるし」と対岸の火事だった。
だから本当につい最近まで何があったのかよく知らなかったのだ。
芦原先生のアカウントができたことを小耳に挟んでやったー!と小躍りで見に行ったらどうやらこんなことになっているようだぞ、と。
知らなかった。対岸の火事が一気に目の前まで広がって私は1人で勝手に怒り狂った。「やっぱりな!」「だから見てなかったんだよね!」「先生に辛い思いをさせるな!」など内心ぐちぐちしていた。
でもその時もこうなるとは思わなかった。
思うわけないじゃないか。
そう、だって私は芦原先生ではないので。ドラマすら見てない「対岸の火事」の人なわけで、芦原先生が辛い最中にいるとは知っていても理解していなかった。
私は見ないふりができるけど芦原先生はそれをせず向き合い続けなければならかった。
それをわかっておらず「私は原作派なので次の新刊楽しみにしてます」だなんて呑気に思っていたのだ。
火蓋が切られたのは脚本家さんのSNSだったように思う(もちろん原因はドラマ開始時から始まる、テレビ局含む地続きの話なのだけれど)。
本当にやるせない。やるせないでしかない。
もちろん誰かを責めるつもりはない。
SNSの怖さは知っている。軽く放った言葉はすぐに刃になってしまう。
先生の最後のツイートも、とても痛々しく胸に突き刺さる。だからこそやるせないのだ。
本当にたらればを考えてしまう。
ドラマ化の話がなかったら。
作者ではなく出版社が戦っていれば。
どうしてどうして。
どこかで誰かが止められなかったのかと思うけれど、何度考えても一読者の自分には何もできなかったと思うことが心苦しい。
同業の方々がそれぞれ悲しみの声を上げていて、
同じ気持ち(と言っていいかわからないけど)を抱えてくれてありがたいと思う一方で、自分勝手に辛くなってしまうのでSNSをそっと閉じた。
よくないとは思うが「会社」としてはそれぞれこれからのことを考えて欲しいと思う。
特に日本テレビの(正直自己擁護に見える)コメントには失望を超えて絶望した。
人の心ある?よくこの言葉を今言えたな、もっとほかに言い回しあったじゃん…本当にちゃんと考えてあのコメントを出したのか理解に苦しむ。
放つ言葉に責任を持って仕事をするのはメディアの仕事の範囲に含まれないのだろうか。
(まぁこんなことを言っても「一読者の私」の声なんて日本テレビには届かない。
問い合わせとかしたところでどうせ該当の人たちには届かないだろう。せいぜいコメントチェックした人が人間の感情がいきなりぶつかってきたことに不快になるだけだ)
どうしてどうしてと考えていたらこんな時間になり、朝を迎えてしまった。
何かを伝えたいとかもなく、自分の心の整理のために書いている。
ああこれから先、芦原先生の作品を見返せば素晴らしい作品だなあ!という感情以上に、
「セクシー田中さんが未完で終わってしまったこと」「先生が死んでしまったこと」を思い出してしまうんだなぁ。
島根に行って、仁摩サンドミュージアムに行っても出雲大社に行っても思い出して泣いてしまうんだ。
残される辛さを、砂時計で教えてくれたではないですか。私は今しにたい気持ちを必死に抑えられているのはその作品があったからですよ。
先生の苦しみは死で救われたのでしょうか。
天国とやらに行って何か美味しいものでも食べているのでしょうか。
私にはまだわかりませんが、そちらの世界が優しくあたたかな世界であることを願います。
そして今までたくさんの素敵な作品を生み出してくださりありがとうございます。
カラオケ行こ!観た。
いつもならシャバい実写化映画と無視していただろうけど、TLのオタクが良かったと言っていて逆張りセンサーが停止した。
ソフトBLっぽい感じなのかなと思いつつ、菊次郎の夏とかムーンライト的なヤクザと少年の文脈で見れば行けるか、と思って観に行った。綾野剛とハリーポッターみたいな少年というキャスティングではありつつ、絵柄による先入観もなかったのでその辺は観る側次第な気がした。綾野剛スタイル良いな。
冒頭のシーンでそういえば合唱モノも嫌いだったなと思い出して不安になったけど、その辺のバランスも良い感じだった気がする。歌がテーマではありつつ、歌いすぎないことで最後の紅も際立ってたし。
最初の紅は素人のカラオケとして別に全然下手でもないような気がして、よくよく思い出せば別にド下手と言っていた訳でもなかった気がするけどちょっと引っかかった。まあその分中盤のヤクザ達のインパクトがあって良かったのかもしれない。
ヤクザのコワさや部活の悩みも挟みつつ、あの気の抜けたBGMと共に一貫した軽妙なコミカルさを楽しむ作品という感じだった。紅の天丼とか結構フフッとなった。
和田君とか映画部のアイツとかも良いキャラしてたし、過不足なくちょうど中学生といった感じのやり取りもまた箸休め的に楽しめた。映画を見る部で流れてたのはカサブランカと自転車泥棒と、あとは何だったんだろうか。
変なヤクザに翻弄される可笑しさから、徐々に打ち解けて互いの軽妙な関西ノリの面白さへと変わっていって間延びもせず退屈しない。
チンピラに絡まれたり調子づいてカスと言って掴みかかられたり、ヤクザの怖さを描く場面でコミカルさから離れてピリッとするけれど、あんまり漂白された(もちろん本作でも相当されてはいるものの)反社会勢力というのもなんだし、それじゃただヤクザを名乗る変な人になってしまうし、あれも必要な場面だったなと思えた。ありがちなコメディでは物語に展開をつけるためのこういうシーンが中弛みめいて感じるけど、特にそういう印象を抱かなかった。
無神経にも学校に現れた狂児に同級生との揉め事をからかわれて、もう知らん!一人で困ってろ!ってなった後にLINEで大人の対応をするのが、少年とやくざ者の友情の距離感というものを端的に表すようで非常に良かった。
重曹ちゃんこと有馬かなは「子役時代は売れていたが天狗になって干された女優」というキャラで
彼女の造詣にあたり作者は「未就学児の頃は売れていたが、今は干されて滅多にテレビにでも出れずマイナー舞台とバイトで食ってる女優」の春名風花ことはるかぜちゃんにインタビューをした
はるかぜちゃんは声優でもあるが、アニメ化で重曹ちゃんの役はもらえなかった
そして実写化も決まったが、そちらでもはるかぜちゃんは重曹役はもらえず
はるかぜちゃんとママは「実写重曹ははるかぜちゃんがよかった」というツイートをリツイートしまくり、「舞台化したら今度こそはるかぜちゃん」とアピール
https://twitter.com/info_amagoi/status/1749940357339676902
https://twitter.com/info_amagoi/status/1750022988702024109
https://twitter.com/info_amagoi/status/1750024103820701882
「こどものおもちゃ」の主人公役や夢見りあむクレクレしてたころと同じムーブ
馬鹿な信者が勝手に脳内キャスティング披露するのと同じノリで本人や母親がやるのは痛いんよ
推しの子には思い入れないから本当にこいつが来て阿鼻叫喚になっても面白そうではあるけど
こどものおもちゃ欲しがってた頃の取り巻きがだいぶ消えて、役を射止めた子がバッシングされるような空気がなくなっただけ良かった
金カムの映画化で「主人公はアイヌが演じるべき」って自称映画好きの人たち(笑)が言ってる。
原作の段階からアイヌの人や研究者の声を聴きながら作られてるんですわ。
すべての人が納得するのは難しいけれど、頑張って作ってくれていると思う。
「蒙昧を啓蒙してやろう」って魂胆が見え見えなんですよ。
ハリウッドの複数の作品で、実際の聴覚障碍者が聴覚障碍者の役を演じている。
そのおかげで聴覚障碍者の演出が向上しているし、社会の理解が進んでいる。
それに比べてアイヌは1万人もいない。
年齢もだいぶ上に固まってる。
聴覚障碍者のフレームを雑にアイヌに流用するのは、聴覚障碍者にもアイヌにも失礼。
ここ20年くらいでアイヌのあつかいはだいぶ良くなったけど、私の祖父はアイヌだったと成人してから初めて聞いた。
早くに亡くなっているので私は覚えていない。
おばあちゃんに聞いたら悲しい顔をしたので詳しいことは聞けていない。
札幌で小学生だったころ「アイヌの人は指の第一関節にまで毛が生えているんだって!」と無邪気に友達に言われて「そうなんだ。私は違うな。」と思っていた。
でも背中に毛が生えてる女なのよ私www
そしてアイヌの血が流れていたわwww
平成初期にアイヌだと知っていたらアイデンティティの構築に影響があったと思う。
多感な時期に「みんな(※マジョリティ)と違う」って病んでいたかも。
金カムのマンガ・アニメ・映画で、ポジティブにとらえるきっかけになった若い子たちがいるといいな、と私は思っています。
人と違ってもいいし、受け入れられたら個性にもなる。
それを「1か0か!」「俺たちの倫理に合わないクソキャスティング」「これだからジャパンは!」って大味で叩いてる人たちには辟易しました。
社会はちょっとずつしか変わっていかないから、ちょっとずつ進むしかない。
そのきっかけを摘もうとしていませんか?