はてなキーワード: キターとは
東日本沖で起きた巨大地震について http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/etc/EastJM9.html
地震が発生したときの地震学者は《大変なことが起きてしまいました。》と勿論思うけど、その一方で「地震キター!これで論文5〜6本書けるから、私の学会での地位も安泰だ」とも思ってしまう者です。
「東日本沖で起きた巨大地震について」書かれた小山先生も《大変なことが起きてしまいました。》と思う一方で、「チキショー!これが富士山大爆発だったら俺のテリトリーだったのにい」とほんの少し、本当にほんの少しだけど、思ってしまったでしょう。
Amazonで「小山真人」と入力して検索すると解りますが、小山先生は以下の本を書いたり監修されたりしてます。
先生の次の本は「《東日本全体の地殻歪が再配列・不安定化》している。それに伴って富士山の活動も活発化してるため、いつ噴火してもおかしくないのだ」という内容になります。
その本の狙いの一つは「富士山噴火が近いので、観測・研究のために予算を投じるべきだ。ついては私、小山真人に研究予算をつけなさい」というものです。予算の確保も研究者の重要な仕事の一つであり、また、自己主張が強くなくては学者としてやっていけないので、このことは恥じることでも何でもありません。
を見てみましょう。
画面を下の方にスクロールしていって論文タイトルを眺めると、小山先生の専門は「火山」であることが解ります。先生の専門である「火山」と、先生が「東日本沖で起きた巨大地震について」で論じられた「地震」の間には以下の大きな違いがあります
科学的な観測が可能になってからは噴火の記録がない富士山は「いくつかの火山」には含まれません。2000年に噴火した際に素早い避難で被害を抑えた有珠山などが噴火予知しやすい火山になります。
地震予知が不可能なのは、地震学者が怠慢なためではありません。日本全国をカバーする満足な観測網がなく、地震発生時のデータが取れないためです。それでも「ある地域での大地震は周期的に発生する」という仮説のもとに粗い精度で「200年〜300年周期で大地震が発生する」と言っているのです。
このロングスパンの周期を突き止めるために、小山先生のもう一つの専門である「歴史地震」が用いられています。古文書に記された地震に関する文書を調べ「吉原では灯籠が倒れたという記述があるから、震度は6ぐらいだな」と見当をつける研究です。ひたすら古文書にあたり、いつの地震のものかはっきりしない記述の年代の見当をつけ、震度の見当をつけ、震源地を探っていくという考古学に近いものが「歴史地震」です。
地震予知の現在のレベルは「地震は、いつか、どこかで、必ず起こる」というものです。にもかかわらず《歪の再配列にともなう地震や火山噴火が、今後数年かけて東日本全体で起きていくことになるでしょう。》と断言できる理由が解りません。
今回うごいた太平洋プレートに沿った部分に歪みが生じているというのなら解ります。《実際にインドネシアでは》と小山先生が挙げている事例は、同じプレート境界で地震が続くことを示しています。なのでこの文章の主旨が「太平洋プレートの境界で、今回うごいていない、十勝沖・根室沖、伊豆諸島沖で大規模地震が続く可能性がある」なら理解できます。
もし歪みが異なるプレートもしくは内陸の活断層に生じると言いたいのであれば、同じプレート境界での地震を挙げるのではなく、内陸部で大地震が発生している事実、もしくは隣接する異なるプレートの境界で大地震が発生している事実を挙げなくてはなりません。
それでも地震や火山噴火が東日本全体で起きるという理由は何なのでしょう。現在の地震学で、そのような知見が得られるのでしょうか。
もし《歪みの再配列のために地震・火山活動が起こる》と言いきれるだけの知見があるなら、どこに歪みが生じていて、それがいつ頃解放されるのか言えるのではないでしょうか。「どこで解消されるか解らないけど、とにかく東日本のどこか」というのは、一体なんの根拠があって断定できるのでしょう。
小山先生が挙げられたプレート図を見れば解りますが、日本はいくつかのプレートがぶつかる地点に位置しており、大地震が起こりやすい国です。
しかしこれは、昨日今日そうなった訳ではなく、ましてや東北地方太平洋沖地震が発生してそうなった訳ではなく、日本列島が形成された頃からずっとそうなのです。東海大地震については、何十年も前から「いつ起きてもおかしくない」と言われ、東南海・南海地震についても警戒が続いています。
なので東北地方太平洋沖地震によって《地学的に平和で安定した時代は終わりを告げた》わけではなく、日本に住む以上は「地震は、いつか、どこかで、必ず起こる」状態にあります。
地震に対して備えるのであれば、地震のない日が何年も続いても、日々備えを怠らないことが重要となるでしょう。大地震が起きたからと言って慌ててパン・カップラーメン、トイレットペーパーを買い占めるのとは、異なる態度が重要です。
小山先生のテーマに「防災」もあります。事実を淡々と述べて行く中で防災意識が高まらず、歯がゆい思いをされたこともあるのではないでしょうか。そうした思いが、今回のようなある種「煽っている」文章を書かせているのではと思います。
ということです。
「愛国無罪」なんて言葉がふざげたAAとともに颯爽とネットの海を行く昨今。
その言葉を記したのぼりでも掲げて石垣沖をいかだで漂流するイカレた野郎が現れたら、
笑ってやるよ。
ほんとうに国を愛しているヤツなんかいるの?って思う。
国を愛しているって、なによ。
愛の対象がかぎりなくフワフワしてるんだよ。
国ってなに?
多分、自分を生み出した家族、生まれ育った地域と風土、ここで育つにつれて内面にとりこんでいった日本と呼ばれる区域にある文化的な…何かそういうものだろ。
って言葉にしようとした先からすぐにフワフワするだろ。
いったい何を愛しているのだろうか?
突き詰めたら家族、友人、地域社会など自分に直接つながるそういうものになるんじゃないの?
「愛国」してる人、「愛国」って言葉に無意識に興奮しちゃう人は、結局のところ自分が好きでたまらないんじゃないか?
と思ってしまう。
自分を愛せる人もいれば、どうしたって出来ない人もいる。
それはそれで結構。
何を愛しても、何も愛さなくても自由だ。
自分はよくわからないんだ。ずっとわからない。
「近所のねーちゃん、にいちゃんが活躍している。すごい緊張してるぽいのに、自分のベストを出そうと遠い所でがんばってる」
という感覚で競技を応援することはできる。
でも開会式や閉会式で盛んに振られる各国の旗を見ると、もうダメ。
「○○の国と地域からここ○○に集まった選手団は…」なんてアナウンスを聞いたらチャンネルを変えたくなる。
「日本に感動をありがとう!」なんて絶叫中継を聞いた日には、もう絶句。
選手は決して日本のために「日の丸を背負って」競技しているわけじゃない。
きっと自分のためだ。
どうでもいいことだけど。
だって実際問題、みんな日々の生活(つまり金)や些細な日常生活で精一杯なんじゃないの?
自分はそうだ。
結局自分が第一なんだってばよ、国とかそんなもん愛して金になるかよ。
と日本の片隅で思う。
だから「流出キター」「ようつべww」「自分がやった告白キター」「え、神戸?」などと
左でも右でもないどこか、ただ確実なのは核心から遠い所で、面白がって遠巻きに眺める。
そんな自分をクソだと思う。
この辺のモヤモヤを解消したいのに、日々の生活に追われてどうでもよくなるんだよな。
追記
何処と無く青臭さが・・・ 中高生くらいかな?
の方へ
金と明晰な頭脳がないものですから、青臭いこと書いちまいました。
お目汚し申し訳ありません。
トラバが切れてたものですから、ここでお返事を。
あんた、性格悪いだろ。
3ヶ月前のことだ。後輩がキラキラとした目で「就職活動怖いけど楽しみっス」と語っていた。
「俺、すごく雑誌とか本が好きで。ずっと出版社に勤めたかったんです。目指してる企業もあって!目標もあるんです!だから周りの人が怖いって言ってても実感ないって言うか……昔から目指してた目標が近付いてきたと思うと、怖くないんです」
もうこの時点で私は頭の角度が45度くらい下を向き、視線は居酒屋の汚い床をなぞるしか出来なかった。しかし、勇気をふりしぼってこれだけ聞いた。
「その目指してる出版社……どこ?」
彼は自信満々に答えた。
「講談社です。おれ、すごくマガジンが好きで、愛してると言っていいほどです。誰にも負けないっすよ」
泣きそうだった。
2chの出版志望者のスレのテンプレ(下を参照のこと)を飲み屋で朗読してやりたい位だった。けれどそれは出来ない。彼の熱意は本物なのだ。本物の熱意を持つ人に、そんなことをして何になるだろうか。
頑張れ後輩よ、今あなたはどんな気持ちでいるだろうか。もし本当に講談社に入社できたなら、惜しみない拍手を送ろうとおもう。けれどきっとそれは無理だろう。ただ単に、確立の問題として。
十月 大手の採用ページが順次開設される。
三年生の心をぐっと惹き付ける。それを冷めた目で見る二週目人。
十一月 大手三社の刊行物の話題。だいたいファッションか漫画。
ファッション誌やりたーい!!なんて発言も飛び出る
白熱したりしなかったり、大暴れされたりする。
一月 エントリーシートの話題
かけねー、なんだこりゃ、ふざけんな、の声
二月 まにあわねー、だの、締切当日だね、書かなきゃ、とか
筆記試験の話題も
四月 勝組、負け組、明暗くっきり。面接の話とか。目が大手三社から離れる
五月 大手三社以外の出版社の話題が多くなる。選考どうだったよ、みたいな探りあい。
これが十月くらいまでつづく。
十月に近づくにつれて「周流」「ニート決定」「無い内定」「時間よ戻れ!」
が合い言葉になったりならなかったり
十月 ふりだしにもどる
(1)さっさと小学館のESを書かないと♪あっ集英社ももうすぐだw
(2)大手の選考あんまり進まなかったな…準大手ならいいところまでいけるかも。
(3)まだ中堅でもいいところあるじゃん!医学系とかなら金もいいし♪
(4)まずは出版業界に潜り込まないとな…。あっ!採用情報みっけ!
(5)マジで受けられるところがなくなってきた…主婦生に落ちたら就留か…
(6)新卒募集じゃないところにも履歴書を出すか…卒論どうしよ。
(8)版元や正社員にこだわる必要はないか…俺よりダメな奴はいっぱいいるさ
(9)この書き込みは3年生か…無理無理、小学館なんて受かんねえよ
http://anond.hatelabo.jp/20091201085213
http://anond.hatelabo.jp/20091130235212
「じゃあ見殺しにするんですか?」発言キターーーーーー
(中略)
http://anond.hatelabo.jp/20091130235212
ほんと医者って屑しかいないね。
と私(noroneko7)は別人です。
そもそも私がブクマで最初に書いた論点と全然違うし・・・指摘しようと思ったけどめんどくさかったので放置したらこんなことに・・・・
武士ってよく分からない。
戦う人なのか単なる行政官なのか。
なつきさんの親戚には自衛官に警察官、消防士、救急と「公僕」が多い。
だけど、戦う、に関しては、
なつきさんちで語り継がれる戦いは「防衛」戦である。
拡大は商売によってなされた。
戦って名を上げ、領土を拡張するという武士のもう一側面はなつきさんちでは劣勢だ。
だから、東大→アメリカ留学という道で「名を上げる」ルートの評価は微妙な位置にある。
人工知能に注入されたのが、拡張を目指す知識欲なのは示唆的だ。
◆
その中でもっともそうした「縁」を体現するのはなつきの曾祖母だが、
この「縁」がくせ者だと思う。
戦うことと縁には考えればすぐ分かるように固有の緊張関係がある。
ゆえに平時には縁が強調され、
戦うは非常時に押し込められる。
だが、名を上げる、には「競争」が必須であるように、
戦うは非日常に封じ込め切れるものではない。
サマーウォーズを観ていての一番のひっかかりは、
曾祖母が掲げる「負けない(戦う)」と「つながり」の矛盾を映画が解ききれていない気がしたことだ。
縁にはレイヤーがいくつもある。
黒電話で活躍する曾祖母のネットワークは、平和と危機のコントラストの中では機能するが、
恒常的な闘争状態ではどうだろうか。
こうして、戦う、との矛盾が最小限の、
一致団結したつながりとして親族が浮かび上がる。
だが、親族には血による縦のラインとは別に、
婚姻によって拡大する側面も存在する。
この婚姻の困難を、主人公が引き受ける。
婿ドノは他人なのだ。
他人を親族に引き受けるために、曾祖母さえ約束(契約)の形をとらざるをえない。
◆
曾祖母は、負けない、と、つながりに加えて、
飢えない(食べる)も示すが、
これもうまく掘り下げられてる気はしなかった。
戦うと縁の矛盾は、婿ドノの困難に関しては、
戦ってる人はかっこいい!(恋愛)というモメントで解消されるのだけど、
それは、悪くはない。
でも、戦ってる人はかっこいい(cool!)って感じで、
戦いに必要な数が動員されるのは(分かっててもグッとくるだけに)なんだかなあ。
セカイ系?
サマーウォーズの中で訪れる危機は、
セカイ系でしょうがないって気にさせもするけど・・・
親族は中間項たりえてない気がする。
◆
映画の観始めに考えていたのは、
戦うと縁とかではなく、
エンドレスエイトが終わった時の実況のまとめスレはさらにすごい。
皆が、キター、っていうことは、確実に目眩がするぐらいの心の打ち震えをもたらす。
グッとくる。
映画の中の、コイ!、も同じな。
ただ、この量的な過剰さが「溢れる」ことによる感動は、
AAが崩れて、いくらスクロールしてもパチパチやキターが続くのはなかなか圧巻。
だけど、同じ理屈でいくと、
映画館のスクリーンにこの種の「過剰さ」による感動は向くのかという疑問がわく。
このグッとくる感じは、映画の「細部」がもたらす「豊かさ」とは違うと思う。
定義はしない方がよいだろうけど、
人はこの二者を別物として感じると思う。
記号としてのモノは溢れていても風景はない。
(細野さんらしい)
初め「家」に見えたものが増殖して「城」とか、あっと驚く瞬間はあるけど。
記号としてのモノの、数量的な過剰さ。
画面を「文字」が溢れて埋めるんだから。
戦う、と、つながり、と数量的なものを、
戦ってる人はかっこいいからつながる(恋愛&数量的なcool)以外で見せてほしかった。
見逃してるだけなら教えて。
◆
以下過剰書き的に
・アニメで横にパンするってすごくない?
受けるというかザッツザジャパニーズアニメ!って感じにもてはやされそう。
船て
・止めて、が世界の話と個人レベルをつないでて、セカイ系な感じ。
・公僕が、より大きなおおやけのためにルールを無視するあたりも好き。
・やっぱ、おばあちゃんが何を望んでるのか、
伝統か、負けないことか、勝利か、飢えないことか、つながりか、
明確でないことがダメなとこな気がする。
そのせいで、各人の心理が論理的でない。
そこを、グッとくる、「情」で押し流してる。
・ただ、曾祖母が「生きてる」こと、
人が生きて死ぬことの中には、
そんな矛盾とか織り込められてる気もするが、
半ば死んだ英雄、神話にしてしまっている気がした。