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はてなキーワード: ガリガリ君とは

2024-03-27

効果音って意味不明だよな

レジの音がサイレンサー搭載の銃の音みたいだっていう話がバズってたが、あのレジを通す時の効果音って意味不明だよな

「ピッ」じゃなくて、なんか光線銃でも出すような音だもんな

他にもさ、

タラちゃんが歩く音も意味不明だし、

ショックを受けた時の「チーン」も意味不明だし

YouTubeありがちな和太鼓の「ドドン!」も意味不明だし、

登場シーンの「シャキーン!」も意味不明だし、

斬ったときの「ズバッ」もあんな音実際には鳴らないし、

盛り上がる時の「パフパフ〜」も意味不明だし、

インクした時の「キラーン」みたいなのもあんなの鳴らないし、

レベルアップの音もあんな音絶対鳴らないし


効果音って意味不明なのばっかりだよな

実際には鳴らない、架空の音ばっかりなんだよ!

なんでだよ!

腹立ってきた!!!

からガリガリ君食う!!!

2024-03-07

寝落ちしそうになるまで書く増田

もう眠いけどかけるだけ書くよ。

もうねむ眠ですわ。ふにゃふにゃなの。そろそろLINEくれよ。もうブロックしないで。寂しいよ?

猫の仲間にいるよね、もにゃちゃんが。もにゃちゃんはにゃにゃにゃって鳴くよね?知ってるよ。うん。

がんこちゃんのさ、裏設定をさ、今更知ってどうすんの?

ハチワレは明日どうなるの?

最後に食べるものガリガリ君なんて嫌だー!

悲しい熱帯雨林

ベツレヘムGO

パン食い競争の揚げパン、熱すぎだよ!

からソフトクリームが出たけど食べる?

ニャンコ先生のアクスタを偽造した罪で逮捕

たい焼きのしっぽに鉛を詰めた(キリッ

せんべい布団じゃないもん!ステラおばさんクッキー布団だもん!

健康じゃない人、だいたい病気

ケーキを五等分に切れない子供たち

ハーゲンダッツハーゲンダッツ

猫じゃらしを私に見せないでください。猫なので。猫なので。猫なので。眠いおわり

2024-02-18

商品名に抗って生きるための12方法

アンメルツヨコヨコを縦に塗る

冷えピタを冷えた足先に貼る

じゃがりこを決して音を立てず食べる

ガリガリ君を舐めて食べる

プッチンプリンをプッチンしない

丸ごとバナナを切って食べる

登山中にアルフォートを食べる

竹林の山できのこの山を食べる

堅あげポテトチップスをふやかして食べる

ペプシコーラコカコーラを混ぜて飲む

のどぬ〜るを喉に塗らない

パパだけどママレモンを使う

2024-01-13

今年はエルニーニョで去年より暑くなるかもしれんらしいぞ。

今のうちにガリガリ君買い占めといたほうがいいな。

2023-12-20

最近酷いニュースばっかりだ。世も末だなぁ

ガリガリ君値上げとかさ

2023-12-12

弱しゃあっ!男性の特徴

2023-12-07

吾輩の三大欲求満足度

食欲 80点

毎日妻の作ってくれったオニギリを食べながら出社、お昼には愛妻弁当、夜には2人で家でご飯を食べてる。 お風呂に入りながら2人でガリガリ君シェアしてたべて一日の食事が終わる。

 

これ以上の記述増田達には毒であろうからこの辺で終わらせておく。

2023-10-21

ガリガリ君のことだけ考えて生きていきたい

2023-08-28

出会いにはコツがある

K子との出会い

私がK子と出会ったのは、まだ雪の残る3月上旬札幌すすきのでのことであった。

K子は、私がごくたまに寄るカフェバーウエイトレスをやっていた。

年は30歳、身長157cm。体型はややガッチリタイプに見え、いわゆる固太りに近かった。

顔はまぁまぁ整ってはいたが、頭部はアメフトボールのように大きかった。

完璧メイクを追求してるようで、白塗りの土台が厚く、丸い輪郭が、さらに強調されていた。

キッチリ描いた眉に、メリハリをつけたアイライン。目元周りには、そのひとのお化粧への設計意図が表れるものだがK子の場合それは、顔の大きさを、目を拡大させることでごまかそうとする意図だった。

それとK子のメークには、悪い意味でのバランス感覚という特徴も見られた。

あちらとこちらの均衡を保とうとして、薄くするのではなく、厚く盛る方にいってしまうのである

から白塗りは行き過ぎて歌舞伎のようになってしまう。

さらにK子は勤務中はロングヘアータイトに縛ってるので、目元が上がって鋭角的になるのだが、これがふしだらで好色な印象を与えかねない外見になってしまうのだ。

ここまできては化粧も逆効果である

それはせっかくのよい素材での料理を、調理でなくソースで惑わし、お門違いの高級感を添えたつもりの洋風メニューのようだった。

白人風貌という、ないものねだりを追いかけた挙句、醜くなってしまったマイケルジャクソンのようであった。

K子は、そんな女だった。つまり、どこにでもいるひとだ。

K子はその日も普段どおり給仕をしていた。時刻は夜の9時。私のオーダーはグラスビールだった。

私のテーブルにもやってきた、そこで2人は始めて目を合わせた。

するとK子は私の顔を見るなりハッとした顔をして上背をやや引いた。私は「ああまたか」と思った。

なにが「またか」なのか。それはその時の私の顔が彼女にはイケメンに写った、ということの了解である

断っておくがこれは自慢ではない。なぜなら、こうしたことは4年に一度、つまりオリンピック開催と同じ頻度でしか、私に訪れないからだ。「またか」と感じるのは、4年がさほど長くも感じられない私なりの時性であって、傲慢の致すところではない。

毎日のようにこういうことが起きる人を、真のイケメンというのだが、この程度のいわば「プチ・イケメン」なら今のご時世、結構いそうである

私の顔は、それどころかまぁどちらかといえばブサメンである。口が飛び出た造作が特徴で、唇も厚い。佐藤浩市の2倍は厚い。

このせいで、顔の下部にボリュームが出てしまい、シャープには見えないモヤッとした風貌になっている。

目も悪いのでシカメっ面にもなりやすく、表情も暗い。

たとえるなら、ガリガリ君のような輪郭であるし、佐藤浩市の親父の三國連太郎みたいでもある。

芋というか、類人猿、合わせればゴリライモ。私はそんな顔なのである。そしてもちろん、あなたに「そんなことないよ」といってほしい、そんなケチな性分も持ち合わせているのだ。そこがまた醜い。

まり私も、どこにでもいる人なのである

ここ20年ほどで男もするようになった「化粧」とは、もともと目立たないもの(一重まぶたなど)を、まやかしの力で輝かせる補正技術だと思うが、私の口元のように、はじめから飛び出ているものを、平たく目立たせずに抑制する用法には、それはまったくといっていいほど役立たない。

しかし男の場合三國連太郎がそうであったように、また、佐藤浩市がそうであるように、絶対的なブ男というものはいない。バナナマンの日村も最初見たときはびっくりしたが、慣れれば愛嬌がある顔である

男は、風貌をある水準(清潔感常識のあるファッションセンス、そして似合う髪型、できれば細身)まで満たせば、異性にアピールできてしまうのである。ここらへんが女子と違う。無愛想でもある程度はイケてしまうということだ。かくして私のような者でも、こうしたラッキータイミングが巡ってくるときがあるのである

さて私にハッとして頂いた女子に対しては、私はだいたい挨拶をするようにしている。

ここでいう挨拶とは、店や本人の迷惑にならぬよう気を遣いながら、名刺を手渡すことだ。

できれば一言添える「もし、よろしければ、お近づきになれれば…」みたいなことだ。

ハッとする、させるというのは直感神秘である人間のあまたある能力のうちでも一二を争うような、めちゃめちゃものスゴい、宇宙誕生レベル認識だ。

人間(じんかん)にヴァイヴレーションが伝播する。あるひとがある人の存在にピン!とくれば、その相手にも同じピン!が、誤解も曲解もなく瞬時に伝わる。だれも解明できない感覚。こうした体感に対しては対象化なぞハナから諦め、人として素直にしたがい、謝辞を述べるのがスジというものであろう。

とりあえず自分規定する第一歩として世の中には名前というものがある以上、名乗る。

自分から名乗ることより大切なことは、世の中にそうそうない。

「4年に一度」がいつなんどき訪れるやもしれない。そんなときのために財布に名刺を2~3枚入れておく。

こうしたなんでもない普段の心がけが出会いを引き寄せる具体的な手段なのだ

こうした縁で、私はK子と付き合った。世間には「よくまぁこんなサエないのと一緒になったなぁ」というのが男女問わずいるが、なんのことはない自分もその仲間入りであり、K子の方でもそう思うときがあったかもしれない。つまり、サエないのはお互い様だったのである最初のうちは。

だがしばらくすると私にはK子の大きい顔と太い骨格が、次第にいとおしく写ってきた。

そして次に、それがかけがえのない尊さに思えてきた。

というのも付き合い始めてすぐに気づいたことだが、K子は私と最初に目が合ったホンの0.1秒の閃き、焦点で、自分の開削に成功した、まったく優れた女だったのだ。

私との邂逅によってポン!と新規開設された自我内の回路に、まったく純粋に従った。

しかもそこにいささかも世俗的な疑いを差し挟まなかった。

世俗的な疑いとは、私と付き合うことのメリットデメリットコスパを考えることや、趣味や好みが合う合わないというような話などである

K子はそれらを考えもしなかった。だからデートで会ってもあまり話さず、肩を寄せ合い、手を握り腕をさすり、見つめあったりするだけだった。それでどちらも了解した。ドン存在が大きいのである100%ピュア肯定性の塊。

そしてそうしたK子の態度は、私の細胞のすみずみにあまねく影響を与えた。小さな自分固執していた私を、彼女は開放してくれた。

こういう女に慣れると、小顔ブームとか、華奢な女子スタイル固執するのは、矮小なことと知れる。しつこいようだが慣れればあの日村ですら、ファニーフェイスである

K子はやがてメークが薄くなっていった。コスメへの依存を減らしていった。

単なる身だしなみ以上のそれは、まやかしだと気づいたのだ。

食事運動に、それまで以上に気を遣い、毎日しっかり生活を積み上げていくよう、意識的自分を導いていった。

現代人はただ毎日暮らしてゆくだけで、目に見えない「不純物」が、アカのようにたまってゆく。

社会教育が、仕事常識が、不純だらけだから当然だ。

はいつも意識的に「みそぎ」をしなければならない。するとみそぎなんてしなくていいんだ、そのままのあなたでいいんだと社会その他は全力で否定する。だがそれは違う。甘言に引きづられてはいけない。やつらはあなたから銭を引き出したいだけだ。

メイクはそうした「不純物」の象徴であった。それがズバッと削ぎおとされた。

すると並行してK子の慢性的な肌荒れも改善された。

こうなると輝かしい、真の女の誕生である

人の本来的な美しさや輝き、魅力は、外から取ってきて付け足すものでない。自分内面から湧き出させるものだ。

こんなことは実に当たり前のことだが、不純物の洪水の中にいると気づかない。

自分から「湧き出させること」が自然に出来る人は、この世にいながら永遠を手にしたも同然なのである

そこではあなたわたしとなる。わたしあなただ。

理想カップル、なるものは知らない。知らないがそれは「人それぞれ」ではない。

たぶんそれは溶け合った1つの形態しかない。愛など、しらぬ。

以上この文は、まだ見ぬあなたと、まだ顕在化してない私を想って書いた。

<了>

出会いにはコツがある

K子との出会い

私がK子と出会ったのは、まだ雪の残る3月上旬札幌すすきのでのことであった。

K子は、私がごくたまに寄るカフェバーウエイトレスをやっていた。

年は30歳、身長157cm。体型はややガッチリタイプに見え、いわゆる固太りに近かった。

顔はまぁまぁ整ってはいたが、頭部はアメフトボールのように大きかった。

完璧メイクを追求してるようで、白塗りの土台が厚く、丸い輪郭が、さらに強調されていた。

キッチリ描いた眉に、メリハリをつけたアイライン。目元周りには、そのひとのお化粧への設計意図が表れるものだがK子の場合それは、顔の大きさを、目を拡大させることでごまかそうとする意図だった。

それとK子のメークには、悪い意味でのバランス感覚という特徴も見られた。

あちらとこちらの均衡を保とうとして、薄くするのではなく、厚く盛る方にいってしまうのである

から白塗りは行き過ぎて歌舞伎のようになってしまう。

さらにK子は勤務中はロングヘアータイトに縛ってるので、目元が上がって鋭角的になるのだが、これがふしだらで好色な印象を与えかねない外見になってしまうのだ。

ここまできては化粧も逆効果である

それはせっかくのよい素材での料理を、調理でなくソースで惑わし、お門違いの高級感を添えたつもりの洋風メニューのようだった。

白人風貌という、ないものねだりを追いかけた挙句、醜くなってしまったマイケルジャクソンのようであった。

K子は、そんな女だった。つまり、どこにでもいるひとだ。

K子はその日も普段どおり給仕をしていた。時刻は夜の9時。私のオーダーはグラスビールだった。

私のテーブルにもやってきた、そこで2人は始めて目を合わせた。

するとK子は私の顔を見るなりハッとした顔をして上背をやや引いた。私は「ああまたか」と思った。

なにが「またか」なのか。それはその時の私の顔が彼女にはイケメンに写った、ということの了解である

断っておくがこれは自慢ではない。なぜなら、こうしたことは4年に一度、つまりオリンピック開催と同じ頻度でしか、私に訪れないからだ。「またか」と感じるのは、4年がさほど長くも感じられない私なりの時性であって、傲慢の致すところではない。

毎日のようにこういうことが起きる人を、真のイケメンというのだが、この程度のいわば「プチ・イケメン」なら今のご時世、結構いそうである

私の顔は、それどころかまぁどちらかといえばブサメンである。口が飛び出た造作が特徴で、唇も厚い。佐藤浩市の2倍は厚い。

このせいで、顔の下部にボリュームが出てしまい、シャープには見えないモヤッとした風貌になっている。

目も悪いのでシカメっ面にもなりやすく、表情も暗い。

たとえるなら、ガリガリ君のような輪郭であるし、佐藤浩市の親父の三國連太郎みたいでもある。

芋というか、類人猿、合わせればゴリライモ。私はそんな顔なのである。そしてもちろん、あなたに「そんなことないよ」といってほしい、そんなケチな性分も持ち合わせているのだ。そこがまた醜い。

まり私も、どこにでもいる人なのである

ここ20年ほどで男もするようになった「化粧」とは、もともと目立たないもの(一重まぶたなど)を、まやかしの力で輝かせる補正技術だと思うが、私の口元のように、はじめから飛び出ているものを、平たく目立たせずに抑制する用法には、それはまったくといっていいほど役立たない。

しかし男の場合三國連太郎がそうであったように、また、佐藤浩市がそうであるように、絶対的なブ男というものはいない。バナナマンの日村も最初見たときはびっくりしたが、慣れれば愛嬌がある顔である

男は、風貌をある水準(清潔感常識のあるファッションセンス、そして似合う髪型、できれば細身)まで満たせば、異性にアピールできてしまうのである。ここらへんが女子と違う。無愛想でもある程度はイケてしまうということだ。かくして私のような者でも、こうしたラッキータイミングが巡ってくるときがあるのである

さて私にハッとして頂いた女子に対しては、私はだいたい挨拶をするようにしている。

ここでいう挨拶とは、店や本人の迷惑にならぬよう気を遣いながら、名刺を手渡すことだ。

できれば一言添える「もし、よろしければ、お近づきになれれば…」みたいなことだ。

ハッとする、させるというのは直感神秘である人間のあまたある能力のうちでも一二を争うような、めちゃめちゃものスゴい、宇宙誕生レベル認識だ。

人間(じんかん)にヴァイヴレーションが伝播する。あるひとがある人の存在にピン!とくれば、その相手にも同じピン!が、誤解も曲解もなく瞬時に伝わる。だれも解明できない感覚。こうした体感に対しては対象化なぞハナから諦め、人として素直にしたがい、謝辞を述べるのがスジというものであろう。

とりあえず自分規定する第一歩として世の中には名前というものがある以上、名乗る。

自分から名乗ることより大切なことは、世の中にそうそうない。

「4年に一度」がいつなんどき訪れるやもしれない。そんなときのために財布に名刺を2~3枚入れておく。

こうしたなんでもない普段の心がけが出会いを引き寄せる具体的な手段なのだ

こうした縁で、私はK子と付き合った。世間には「よくまぁこんなサエないのと一緒になったなぁ」というのが男女問わずいるが、なんのことはない自分もその仲間入りであり、K子の方でもそう思うときがあったかもしれない。つまり、サエないのはお互い様だったのである最初のうちは。

だがしばらくすると私にはK子の大きい顔と太い骨格が、次第にいとおしく写ってきた。

そして次に、それがかけがえのない尊さに思えてきた。

というのも付き合い始めてすぐに気づいたことだが、K子は私と最初に目が合ったホンの0.1秒の閃き、焦点で、自分の開削に成功した、まったく優れた女だったのだ。

私との邂逅によってポン!と新規開設された自我内の回路に、まったく純粋に従った。

しかもそこにいささかも世俗的な疑いを差し挟まなかった。

世俗的な疑いとは、私と付き合うことのメリットデメリットコスパを考えることや、趣味や好みが合う合わないというような話などである

K子はそれらを考えもしなかった。だからデートで会ってもあまり話さず、肩を寄せ合い、手を握り腕をさすり、見つめあったりするだけだった。それでどちらも了解した。ドン存在が大きいのである100%ピュア肯定性の塊。

そしてそうしたK子の態度は、私の細胞のすみずみにあまねく影響を与えた。小さな自分固執していた私を、彼女は開放してくれた。

こういう女に慣れると、小顔ブームとか、華奢な女子スタイル固執するのは、矮小なことと知れる。しつこいようだが慣れればあの日村ですら、ファニーフェイスである

K子はやがてメークが薄くなっていった。コスメへの依存を減らしていった。

単なる身だしなみ以上のそれは、まやかしだと気づいたのだ。

食事運動に、それまで以上に気を遣い、毎日しっかり生活を積み上げていくよう、意識的自分を導いていった。

現代人はただ毎日暮らしてゆくだけで、目に見えない「不純物」が、アカのようにたまってゆく。

社会教育が、仕事常識が、不純だらけだから当然だ。

はいつも意識的に「みそぎ」をしなければならない。するとみそぎなんてしなくていいんだ、そのままのあなたでいいんだと社会その他は全力で否定する。だがそれは違う。甘言に引きづられてはいけない。やつらはあなたから銭を引き出したいだけだ。

メイクはそうした「不純物」の象徴であった。それがズバッと削ぎおとされた。

すると並行してK子の慢性的な肌荒れも改善された。

こうなると輝かしい、真の女の誕生である

人の本来的な美しさや輝き、魅力は、外から取ってきて付け足すものでない。自分内面から湧き出させるものだ。

こんなことは実に当たり前のことだが、不純物の洪水の中にいると気づかない。

自分から「湧き出させること」が自然に出来る人は、この世にいながら永遠を手にしたも同然なのである

そこではあなたわたしとなる。わたしあなただ。

理想カップル、なるものは知らない。知らないがそれは「人それぞれ」ではない。

たぶんそれは溶け合った1つの形態しかない。愛など、しらぬ。

以上この文は、まだ見ぬあなたと、まだ顕在化してない私を想って書いた。

<了>

2023-08-26

ガリガリ君乾杯

夕方セブンイレブンに買い物に行ったら、部活帰りの女子高生が2人出てきた。

手にはガリガリ君。もちろんソーダ味。その場で袋を開けて、「かんぱ〜い!」って、ガリガリ君をコツンと合わせたんだよね。

お酒しか乾杯したことがない自分はなんだかそのシーンが眩しくて、羨ましくて。買う予定のないガリガリ君を買って帰った。

居酒屋で見たサワーの氷の代わりにガリガリ君入れるやつを真似て、レモンサワードボン。一人で乾杯した。

あ〜、2023年の夏が終わる。

2023-08-16

不味いと言われてて食べたら本当に不味かったもの

パクチー

石鹸みたいな香りしない?

なんか遺伝で苦手なのが決まるらしいけど

ガリガリ君コーンポタージュ

ネタで作るにしてももう少し美味しくして欲しかった。甘すぎる

ピータン

臭すぎる…なんで人気なの??腐ってない?

サルミアッキ

北欧の黒い飴。薬の味で、なんかアンモニウム香りもする!

口に入れた瞬間吐いた😂

ハリボーリコリス

上と同じ理由で不味い!タイヤみたいな味!!(タイヤ食べたことないけど)

きゅうり味のペプシ

懐かしい!キューカンバー。草の味がした

★ユニバのハリポタ百味ビーンズ

ゲロ味がゲロまずい。。。

ジンギスカンキャラメル

なんか肉の臭みがエグかった。今は美味しくなってるらしい

2023-08-15

スイミングの後のアイスが一番うまい

1800円もするようなかき氷よりも市民プールで1時間位がっつり泳いだ後、17なりガリガリ君なりを食べる方が満足感高かった

子どもの頃、親にスイミングの後にご褒美で買ってもらったアイスが美味しかった記憶スパイスとなり脳と舌で二重においしい

ちゃん運動した自分を褒める気持ちが湧いて自己肯定感も感じる

泳いだ後のアイスを超える食の体験ってあるのか

スイミングの後のアイスが一番うまい

1800円もするようなかき氷よりも市民プールで1時間位がっつり泳いだ後、17なりガリガリ君なりを食べる方が満足感高かった

子どもの頃、親にスイミングの後にご褒美で買ってもらったアイスが美味しかった記憶スパイスとなり脳と舌で二重においしい

ちゃん運動した自分を褒める気持ちが湧いて自己肯定感も感じる

泳いだ後のアイスを超える食の体験ってあるのか

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