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普通の女子大生がなぜ、Google+で「日本一」になったのか - nanapi Web
真性引き篭もり: 普通の女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。
他の記事もひと通り読んだので長くなるが思ったことを。
久々に様々な意見が読めて、数年前までのはてなのようで楽しかったから、感謝として。
「わたし、写真が大好きだと思われてるんですが、嫌いですね。撮るのも、撮られるのも」
写真が嫌いで、SNSも苦手だという坂口さん。それでもGoogle+に写真をアップし続けているのは、「就活のため」だ。
大学3年生になり、就職活動を始めたが、「就活でしゃべれることがないんです。好きなこととか、何もなくて。何も好きじゃないし、何もできないから、流行ってることとか、これから“来そう”なことをやろうと。目標に向かって努力した経験や、自己PRが求められた時、なにか印象に残ることが言えたら」。
「恐怖感」という言葉で感じ取り、理解した者もいたことだろうと思う。自分になにもないような気がして焦燥感に焼かれるような時期のことを覚えている者なら。
彼女は賢い女性だ。自己分析も、目標設定の仕方も。早稲田という学歴を手にしたのはなんら不思議なことではないと思う。「意志が弱い」のに「恐怖感」で毎日朝3時50分に起床できる。これだけでも「普通」じゃない。褒められていい。好きでもなく、むしろ嫌いなことのため。けれど、将来に向けて役立つものを作るため。長所で点を稼ぐことでは行けない場所に彼女はいるのだろう。弱点を克服してこそ立つことができる場所に。
そして、就活を目前に控えても彼女はその方法論を用いて不器用に「これから“来そう”なこと」を選んだのかもしれないと感じた。この選択に自尊感情の低さを読み取ったとしても、病的と謗るのはどうだろう?彼女は自分と自分の人生に果敢に向かい合っている。安易に楽を選ぶような人ではないようだ。きっと彼女のいる場所では自分と同程度に出来がいいだけでは評価されないのだろう。だからこその課題解決と弱点克服。お前は何者だ。その問いにも、その答えにもおそらく彼女は気がついている。
彼女は結果を出した。Google+とInstagramということを差し引いても称えられていいのではないだろうか。確かにそれは誰にもできそうな話だ。お手軽で浅薄にも思える。パソコンとiPhoneがあればできる。インターネットは「自分だって」という幻想をもたらすツールだ。ユーザが少ないから、顔が綺麗だったから、学歴があったからということは自分も思った。嗚呼、またカモネギか、と。けれど、そういう一面もあったとしても彼女の努力は称えられていい。それがどんなやり方であろうとも自らに欠けているものを獲得しようとしている者の痛ましい努力を。壊れたiPhoneに感じるものはないだろうか?もしかしたら、壊れていたのは彼女だったのかもしれないとさえ自分には思えた。
事実、元記事にはこうも書いてある。
「1日1枚はInstagramに上げないと、というノルマに対する恐怖感で起きています。写真を1枚逃したら、私は何もない元の自分に戻っちゃう」
何もないわけがない。そんなに綺麗じゃないか。そんなに有名な大学にいるじゃないか。Google+で一位じゃないか。
ここで大事なのは“彼女にとって”は「何もない」ということだ。Google+を取ったら、彼女のいる環境では普通(以下含め)に埋没する。その恐怖感たるや如何ばかりだろうと考える。自分は自分だろなどと励まされても、“彼女には”そうじゃない。それに「何も好きじゃないし、何もできない」ということは本当に苦しいことだ。それだけ頭が良ければなんて言ってはいけない。彼女以外の者が自分のいる場所から考え言葉を発するのなら、彼女だってそうしていい。なによりも、なにもないという自分との対峙は大学生らしくまっとうな悩みではないだろうか?むしろそこに一度撓んで伸びようとする魂を感じはしないだろうか?
なにもない自分と向かい合うのは力のいる作業だ。彼女はいま奈落と向き合っているところなのかもしれない。それはこれからも時間をかけてやっていくことになる作業だろう。途中で転職や結婚や出産という転機にだって出会うことだろう。そしてそのたび自問自答しつつ、誠実にひとつずつ向き合っていくように感じた。そう信じたい。
「気持ち悪い」と思っていた一眼レフカメラも、最近は欲しくなってきた。「iPhoneのカメラには限界がある。誰かに伝えたいと思うような美しい景色が思うように撮れない時は、ちゃんといいカメラで撮りたいなと」
「気持ち悪いと思っていた一眼レフカメラ」「誰かに伝えたいと思うような」この言葉も印象的だ。
関心や興味は良いものとされがちだが、あまりに強い関心というものは異様に映る。強すぎる情熱を持って自分には興味のないことを続けている者を見かけたとき、つい引いてしまったことはないだろうか。それに、物事への関心が薄い者はネットでは目立たない。彼や彼女の発する情報はあまり役に立たないからだ。そもそもネットに現れないことの方が多いのだろう。語ることがないから。伝えたいことがないから。なぜそんなことをする必要があるのかわからない。ネットと接してきた時間が長い者と彼女のような伝えることのないタイプは互いに異形の者。でも、彼女はネットを選んだ。
何かを伝えたいと思うようなことがなかった女子大生がインターネットで「伝えたい」方向に気持ちが動いた。この先「やっぱりカメラは気持ち悪い」と思うことになっても、ここに自発性や意欲の萌芽を読み取ることはできないだろうか?
彼女は「好き」を獲得し忘れてしまったのか、どこかに置き忘れてしまったのだろう。だからこそ傾向と対策を練り、「型」の反復から入って習得しなければならなかった。そして、恐ろしいまでの勤勉さで、本来は好きというだけで心理的報酬が発生する行為を、他者からの称賛という報酬で自分の中に意欲として還元し定着させつつある。このことがいつか他者からの称賛という報酬がなくても行為自体が報酬をもたらすようなものとして彼女の中に育っていくといいと願う。考えてみて欲しい。多くのひとはもう記憶もないような幼い頃に獲得したか、考えずとも手にしているものを彼女は二十歳を超えてから獲得しようとしているのだ。野暮なことは言わず、讃え見守りたいと思う。もしよかったらあなたもボタンを押し、気が向けばなにかコメントするだけの簡単なお仕事をしてみてはどうだろうか。翼を広げ飛翔する彼女を目にすることができるかもしれない。それはインターネットから翔び立つことかもしれないけれど。
岡田有花という方を自分はよく知らない。しかし、この取材はきっと彼女も困ったのではないかと感じた。岡田氏は「写真大好き」な女子大生と出会うはずではなかったのだろうか?意外な言葉に戸惑ったのは彼女も同じだったのではないか?確かに記事の内容はありがち。わかりやすい良い話にしたかったのだろう。しかし、穿った見方をすればこの方は自分がネットで付与された(と思しき)物語を坂口さんにも着せようとしているような気がしてならない。「普通の女子大生」なんて表現は彼女が京大でなければ出て来なかった言葉ではないのか。また、彼女は一度自らに問うてみるといいと思う。自分が向けられた男性からの視点を内面化していないかどうかを。こうすればネットでは受ける視点が男性目線からのものであるのなら、あざといパッケージは文章を安くする。
そしてこのありがちな文章に対してのカウンターである『普通の女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。』があまりに凄すぎた。素晴らしすぎた。誰もが薄々感づいていて言葉にしなかったことを暴いてしまった。それぞれの方がそれぞれの部分に喝采を贈ったのであろうが、自分は次の部分だった。
3年以上前からブログを書いている女性を、思い出せるだけ思い出してみてほしい。全員ぶさいくである。1人の美女もいない。美しさの欠片も無い。顔も醜い。心も醜い。そういう人達ばかりである。不平不満とくだらない馴れ合いをはき出して、だらだらいきている醜い人ばかりである。1人として美女はいない。もちろんの事、美男もいない。美しさは消えるのである。インターネットから消えるのである。時間と共に消えるのである。美しい者は、インターネットを捨て、廃棄し、跡を濁さず消えて行くのである。インターネットという地獄では、醜い者だけが生き残るのだ。そういう風に出来ているのだ。
すべてとは言わないがそう思う。自分にとってこの「美しさ」に儚さや弱さも含みたい。多分、ある種の脆弱さという美しさを持った彼や彼女たちはインターネットからも弾かれる。長くネットに表現を置くことができる者は強者であると言ってもいいと自分は思う。
だから思い出して欲しい。「ワンチャンあるかも」ということがどれだけ美しい者たちを潰してきたかを。
女性に「クン」とつける中高年男性向け雑誌のように「タン」などと語尾につけてキャラ化し、持ち上げるだけ持ち上げてコンテンツとして消費し、そして次の対象へと関心を移す。そのとき、賢く、美しく、センスのあり、慎ましやかな者を選んでいたのは他ならぬ「ワンチャンあるかも」という者ではなかったのだろうか?そういう者たちが結局美しい者を淘汰していってしまう。残るのはマシュマロの中に鉛が入ったような女性だけである。「私の名ならば女。それ以上でも以下でもない」と賢い女なら気づく。そして鎧を身につけるか、鉛を飲むか、逃げるかしていく。また、当然の如く逆もある。どちらかだけが捕食者とは限らない。女というだけで入れ喰いならフォトショ覚えるくらい安いものだ。これを楽しめるのもまた人間としてのある種の強さとこじつけてもいいのかもしれない。
男の敵も女の敵もお互いとは限らない。いつの間にやら話の流れは新旧ネットの流れになっているらしいがそれも含めて自分が感じ取ることをどんなゲームにしてもいいし、そんなものはないと木で鼻をくくったように言ってもいい。それが自分の考えだと感じるならそこから行くしかない。そして、それが違うからこそ人と出会うのは面白い。
最後に、個人的にはネットで多数と繋がりたくはないと考えていることについて。
Twitterが普及してからある種の文章をあまり見かけなくなったように感じている。エッジの効いた、ヒリヒリするような、血の滴るような文章を。嫌だったひともいるのだろうが、自分はああしたごりごりとした長文が読みたくてネットを見始めたクチだから大変残念だ。その一因はネガコメとかあの辺もあったんだろうなと思う一方で、ブログならば見えない読者を一人失うだけだったのがTwitterと連動させたことで明確に誰から拒否され関係が切れたのかがわかるからではないのかとも考えていた。それが罰のようなものとして認識されているのではないだろうかと。人間関係の煩わしさがネットに持ち込まれることで混沌と表現と情報は薄まっていく。ネットを現実と重ねていく流れがあるのならば空気を読むのは当然のことだ。日常の罪をネットで告白することの意味に気づかない者たちが晒される見せしめのショーも連日開催中だ。自宅、職場、学校まで晒される。あまりにリスキー。お利口でいい子になっていくのは必然だろう。誰かが自分に関心を向けてくれたときのあの興奮を一度でも味わったことがある者ならば。好かれたい、愛されたい、褒められたい、繋がりたいと願うのならば。
旧世代と誰かを括って責任押し付けるのは簡単だ。若いってそういうことだ。けど次はお前の番だ、お若いの。この流れの先に待っているのがパノプティコンでも向かいの囚人に片目を瞑ってみせようじゃないか。
http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20100526
「若い人が投資をする理由は複利だ」とか言ってるけど大嘘。
他にも「習うより慣れろ」とかもあるね。
大嘘。
色々と言い訳はあるだろうけど、日本で麻雀といえば金を賭ける。
ひところ大学の寮などに行けば、新入生が上級生から金を巻き上げられるなんてのは、まあ通過儀礼みたいなもんだった。
いわば、カモから金を巻き上げるわけだ。
(もちろんそれは単なる通過儀礼だから、上級生からすれば授業料、とでも思ってる節はあった)
じゃあ、儲かってる人はどこから金を巻き上げるのか?デカく負けるひと?大口の取りこぼし?
違うね。
1万円、5万円、10万円ぐらい負けてる一般人からうすーくひろーく巻き上げるのさ。
だから、FXの入門書や株の入門書が氾濫している時ってのは、稼ぎどきだったわけだ。
訳もわからない初心者が「無くなっても授業料だと思って」大挙してやってくる時期だから。
まさに、カモネギ状態だ。
複利?
馬鹿言っちゃいけない。1%の複利でも積み重ねればデカイ。それはそのとおり。
で、ペーペーの若人が金突っ込んで複利の恩恵を享受できるもんか?
できないね。
若い人が投資を行う理由はたった1つだ。「痛みを伴った学習は身につくから」
もっと身も蓋もない言い方をしてもいい。「賭け事なら熱くなるから」
株をやらなきゃ、そもそも株式会社ってのはなんで、どうして合併が起こるのか気にすらしない。
どの業界がどんな仕事をしていて、どうして利益を生んでるかわからない。
コンシューマ向けの仕事をしているところ以外は、就活の視野に入らない。
「賭け事に勝ちたい」というある意味凄まじく純粋で強力な動機から、そういったことを知ることが出来る。
(WBSのトレたまで取り上げられるだけで株価が上下するなんていう、市場のイイカゲンさも肌で感じることが出来る)
考える事、調べることが大量にあって、勝つには動向を調べる必要がある。
そりゃそうだ。ライバルに勝ちたきゃ、ライバルに先んじる必要がある。
それは、場代を徴収する雀荘に勝つ為でも、たまにいる雀ゴロに勝つためでもない。
それよりも、なぜGoldの相場が最近上がりっぱなしなのか、土地に投資するのはどういう意味を持つのか、OPECってニュースで言う時にじゃあそれは家計にどういう影響がありそうなのか、
そういった自分が生きている世の中を知ることが出来る、情報の読み解き方を知ることが重要なんじゃないか?
ダビスタに費やした1万時間は輝かしい勲章かもしれないが、経済指標の影響力が判るわけじゃない。
棒テン則リー全ツッパ、相手が張れば運だのみ。
それじゃ勝てないし上手くもならない。
勝てたとしたって単なる星の巡りだ。
FXも同じだ。
「上がりそうだから」「下がりそうだから」の2択のギャンブルじゃルーレットと同じだ。
「みんなが上がると思いそうだから」なんていう根拠をどうやって出していくか。
政権交代したら円ドルレートはどう動くのか?それを自分はどう考えるのか?
株だってそうだ。
上がり調子の株に張るのに根拠がなきゃ、それは大金かけたスロットだ。
スロッターだって研究するご時世、どうなるかわからん株を買うのか?
そしてその分析は、日々の生活の中で役に立つ。
シューカツするなら日経読もう。大いに結構。
でも、小銭を稼ぐために血走った目で世界情勢追っかけてる連中の情熱を持って読めるかな?
業界研究するときに、100万突っ込むつもりで分析してるかな?
「うちの会社は大丈夫かなあ」と溜息つくときに、同業他社と材料比較できるかな?
だから、若い人が漫然とインデックスファンドの手数料を比較しても、持株会に入ってもあまり意味はない。
ギャンブルに勝つつもりで、不順な動機で突っ走るために本気で分析してこそ意味がある。
向いてる向いてない、投資だ老後だなんて言う前に、目の前の鉄火場に本気になる。
それこそが、結局世の中を知ることになるし、社会の仕組みの一端に触れることが出来る。
麻雀やパチンコ、桃鉄やその他もろもろのエンターテイメントと同じく、単なる遊びだ。
どうせ熱くなるなら、あとで使える知識が身につく賭け事に時間を費やそう。
それに、なんだかんだいったって人生落ち着けばギャンブルみたいなヤクザなことからは足を洗うんだ。
2chとか小町とかでは、「いい年して実家住まいはキモくてありえなくて結婚対象外」みたいな発言をよく見ると思うんだけど、
あれが不動産業界のネタを多分に含むってことに気づいている人って、どれだけいるんだろうか。
実際に不動産業界にいる俺が、女に紛れて、だいぶ前から書き続けているんだから間違いない。少なくても工作員が一人はいるってことだ。
超超超遠回りだけど、暇をつぶしながらタダで、流動性を高めることができるならやりたくもなるよねー。業界全体のためにやってるんです(キリッ
この時期は忙しい時期なんだけど、今年はちょっと流れがいまいちっぽいし、釣果も楽しめるし。
不動産業界からすると、実家が遠くもないのにわざわざ一人暮らしをしてくれるなんてカモネギだからね。
大家族→核家族→単身という流れは、不動産業界にとってはありがたいことだらけ。一人暮らしが増えれば増えるほど儲かる。
「何でも親任せ」「家事をやらなそう」「結婚後同居になりそう」「マザコン」「稼ぎが悪い」「自立してない」等々
いろんな理由を混ぜつつ、フェミニストっぽくきつめに書いたり、遠回しに書いたりしてると、いろんなパターンが作れる。
ただ、これらだけだと「本人次第」と返されるので、「釣書だけで選別」とか「どんなに収入があろうとも」とかをつけて
どんな理由も最初から聞く余地無し的な印象をだしておく。ここまで書けば、実家男も「自分は別」と言い訳できなくなるし。
さらに、反論されることもあるけど、全体の流れとして「実家住まいはあり得ない」になってれば、効果は十分だと思ってる。
日本人(特に女)は「みんながそう思ってる」には弱いからね。
商売するには、女を釣ってそれに群がる男で稼ぐ。車もレジャーもみんなそうやって稼いできたわけだけど、
「実家住まいがあり得ない」が何の疑いもなく社会全体に広まっている(?)状況は、むしろ危惧さえ感じちゃうよ。
あまりに簡単に「実家はありえない」って流れになっちゃうからねー。自演なんて滅多にしなくても勝手にそうなってくれる。
俺が見つけたときには、すでに流れができあがっていたりとかw
もしかして同じような目的の同業者もたくさんいるのかもwそんなAAもあったよね。釣り糸同士が絡まってる奴。
ただ…商売的にはおいしいんだろうけど、こんなやり方で若者から吸い上げまくると若者が結婚できなくなるし、
一人暮らしに慣れた男が結婚の必要性を感じなくなるから、将来的には少子化で今よりもっとずっとやばいことになる。何十年も先の話だけど。
ただ…商売のためとなると自分もやっちゃうよねー。あんまり良くないことだって分かっていても、自分が今つぶれちゃったら仕方ないし。
なんか、釣りっぽく書いた(実際に釣りをやってるわけだし)けど、本当にいいたいのは「やばいことになる」。
このまま男も女も不動産業界も目先に囚われてずるずる行っちゃっていいのかなってこと。なんか日本はだめな方向に行ってね?
家賃は、不動産を持ってる大家とか住宅系リートとか、みんなの大嫌いな金持ちのところにいっちゃってるわけで、
若者達が「結婚のため」「自立のため」金持ちに金を差し出しているっていう状況は、ちょっと異常じゃない?
そう考えていくと、昔むかし、Win3.1(Win16)→WinNT/95(Win32)移行時や、
その昔の約5年毎にOSやマシンのアーキテクチャがガンガン変わっていた頃に、
「なんで互換性がないんじゃー」と、言いはしつつも数年で刷新できていたのに、
最近のWindowsXp依存や、64bit Windowsの普及が進まない理由が、
なんだか分かってきたような気がする。
あと、変にパソコンが業務用途に入りすぎたのも問題なのかなぁ。
昔のオフコン・スパコンなら、(ユーザは)採算度外視で、(メーカは)カモネギで、
大学院拡充?博士増大?だってアメリカさんがウルサイですしー。
それに教授にとっても奴隷がいっぱいいた方が仕事が進むでしょ?しかも給料払わなくても学費を持ってきてくれるカモネギ君ですよ?
あと定員多い方が予算も優先配分しますし、定員満たさなかったら予算カットしますから。がんばって人集めてくださいね。
え?学生はその後どうするんだって?知りませんよーwww修士やら博士やら、学位をくれてやってんだから、あとはなんとかするでしょw
あとはテキトーに民間に押しつけてくださいよ?教授だって同期の友達とか共同研究先とかで民間にコネがあるでしょ?
あ、教授殿には友達や仲間がいないんでしたっけ?それは残念ですねー。じゃぁ次は海外留学とかをはやらせて学生を国外に追い出しましょうかー
なぜ裸エプロンが世の男性の理想とされているのかについて議論が再燃しているが、私なりの見解をここに示しておこう。 (筆者が男性なので「男性にとっての理想」という形で考察しているが男女が逆のパターンを必ずしも否定するものではない事に注意されたし) まず裸エプロンは男性に対して次の二つをアフォードする事に成功している点で偉大である。 1.食事がすぐに食べられるようになる点 2.彼女がすぐに食べられるようになる点 帰宅してドアを開け、出迎えてくれる彼女を確認した瞬間、仕事帰りの男性にとって必要なものはすべて揃っている事が明白になる。 いちいち確認しなくても一目瞭然なのだ。気が利くというのはこういう事だろう。 また、確認するという行為には「用意出来てなかったとしたら何なの?」という反発を招くリスクがあり、心理的な抵抗がストレスになる可能性もあるので、この事も見逃せない。 ただし、上記2点だけではお風呂の準備が出来ているかどうか不明なので「すべて揃っている」とは必ずしも言えないという指摘を各方面から受ける事がある。 しかし筆者は裸エプロンの発生率が高いと思われる夏はシャワーだけでも問題ないだろうと主張したい。 さて、似たような概念にカモネギがあるが、これは上記でいう1と2が同義である点に注意されたし。 つまり裸エプロンはカモネギよりも網羅性が高く、より偉大であると言えよう。 (カモネギって偉大だっけ?という疑問はこの際忘れて欲しい) また別の視点で見るとその偉大さが更に浮き彫りになる。 いったい彼女はそんな格好で他の事が出来るだろうか?(いやできない:反語) 言い換えると、彼女はその瞬間「帰宅する僕」の為だけに存在し、それ以外の事は想定していないという事だ。 なんという潔さであるか(感動のあまり涙目)。 まだある。 「結婚してしまったら裸エプロンは新妻以外には実行が難しい」 ΩΩΩΩΩΩΩΩΩΩΩΩΩΩΩΩΩΩ<なんだってーーーーー!! 落ち着いて聞いて欲しい。 私もこれに気が付くまで、裸エプロンの希少性にはあまり思い至らなかった。 自分の不明を恥じるばかりである。穴があったら。。。穴が。。。穴。。えーっと何の話だっけ。 そうそう、つまり長い人生のうちで裸エプロンという現象を目の当たりに出来るのは、ほんの短い期間だけであるという事だ。 少なくとも子供が一定の視力を獲得した後は、自重せざるを得ないだろう。 だからと言って子供が自立した後に挑戦するのは更に自重して頂きたい所である。 もちろん子供を作らない夫婦などには当てはまらないかもしれないが、いずれにしても、そんな長期に渡って裸エプロンという現象を継続し続けるのは難しいだろう。 また、素っ裸よりもエプロンを一枚まとった方が興奮するという見解についてはあえて触れない事にする。 この点については個人差もあるだろうしあちこちで語り尽くされている感があるのでわざわざここで説明する必要は無いだろう。 ここまで読んでくれた方は裸エプロンが男性にとっていかに重要であるかが明確になったと思う。 だからこそ逆説的ではあるが、裸エプロンを自分の彼女に強要する事は避けて頂きたい。 夏には蚊が居るし冬は寒い。裸エプロンは無防備なのだ。 また油物の料理を作っていたら、その危険性を指摘してあげる事も忘れてはならない。 たとえ手作りの唐揚げが大好きであったとしても、冷凍もので平気だと伝えてあげて欲しい。 すべては裸エプロンの為に。。。 関係ないが、このエントリーを思いついた時は自分のmixi日記に投稿しようかと思っていた。 書き終わった後に、割りとそれは無いなと思った。
誰かがどうにかしてくれるまで、というのは20代のはじめくらいまではあったかもしれません。
社会人として年数を重ねるにつれて、そういう考えは薄れましたけれど…。
留学と結婚とは少し違う気はしますが、なんにせよ文化の違うところで生活すると、
鬱になる人は多いというのはわかる気がしますし、当然私にもその可能性はあるでしょう。
カモネギ女というのも大変言いえて妙だと思いました。
あまりお金に執着が無いので、かつては好きとか思ってしまった男の人に、
お金が欲しいと言われたら断り切れなかったりしました。
だけど、それでとても痛い目にあったので、今はお金は大事なものだと思うようになりました。
海外での生活費の見込み、そうですねー。
まあ相手に一応定職と家があるので、すぐに生活に困ることはないと思いますが、
もし本当に住むとなったら、しばらくは語学に集中して、それから日本食レストランでバイトでもしましょうか。
「お金が普通に回ってるところ」という表現は、曖昧でちょっとわかりにくいですけれど…
つまりこの方は
「甘い夢を見て外国に行ってもどうせ鬱になって帰ってくるんだろう。
そして帰ってきてももうまともな給料が得られる仕事なんかないんだぞ。」
と言いたいのでしょうか?
そういう最悪のパターンも想定した上で考えなくてはいけませんね。
ありがとうございました。