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はてなキーワード: オフショア開発とは

2023-08-17

リモートワークができない会社普段から仕事してない

雰囲気仕事っぽいことしてるだけで実際には仕事してないんだよな

一時期話題になったけど、会社に入る前に

ショートコント会社員」

って頭の中で宣言してから仕事する、みたいなのと同じで

コスプレしてコントしてるだけなんだよ

から実際の仕事をきっちりタスク化してステータス管理しようとすると破綻する

「実際の業務はそんな単純じゃない」

とか言い訳するけどタスク化すると無茶苦茶簡単なことを時間をかけてやってるだけになるんだよね

オフショア開発の失敗も同じだし、業務委託が上手く行かないのもほとんどそれ

逆に営業とかはリモートワークでも上手く行ってるところが多い

というかコロナ前も出社してすぐに客先に出かけて一日居ないってのはザラだったしね

リモートワークができるってことはタスク化されててステータスとして管理されてるってことであって

それがタスク管理ツールでもカレンダーでも別に構わないと思うけれど

出社が前提のツールなんて無いよね

ZoomとかTeamsとかを整備して「これでリモートワークできます!」とか言ってるアホ経営陣が多いけど

一番大事なのはタスク管理ツールであってコミュニケーション手段の整備は2番目だよ

コミュニケーション大事なのは分かっている)

2022-10-08

anond:20221008164623

ワイはECサイトの開発に携わっているが、誰でも知ってるとある大企業とあるECサイト開発にて、

トークン決済を利用しているのでカード情報は直接送信されず安心です」とサイトに表示されるにもかかわらず、

オフショア開発ベトナム人が別のECサイトからコードコピペしてきたためにカード情報セキュリティコードECサイトサーバ送信されるばかりかDBに保存されていることを発見したものの、

納期タイトプロジェクトだったので見なかったことにしたで

2022-08-01

経営者目線で考え無給で働く労働者

経営者目線で考えると無給な労働力ほど欲しいものはない。人件費固定費であり古今東西、頭が痛い問題である。大昔の経営者身分制度を導入して小作農を働かせていた。少し前の欧米では未開大陸の王達から奴隷を買って働かせていた。最近先進国途上国工場を建てたりオフショア開発を行ったりしている。経営者目線で考えて行動する素晴らしい労働者、それは無料労働力である

2022-03-03

anond:20220303180232

ウクライナオフショア開発やってる日本IT企業がけっこうある

社宅を用意する金を国から助成してもらって人出不足解消できてウマー

2021-01-31

続:45歳多重派遣プログラマ退職エントリ

エントリが思いの他読んで貰えて「まぁ、こんなものか」と思っていた20数年の枯れたプログラマ人生に幾許かの水を挿して貰った気分になった。ありがとう

続きを書いて欲しいという声もちらほら頂いたので調子にのって書いてみた。

↓前エントリ

https://anond.hatelabo.jp/20210130001953

年収が高いのでは?という声をそれなりに頂いた。

最初所属した会社倒産をして先輩の起業に付いていったのだが、その会社が完全歩合制の会社だった為、多重派遣としては良い方の収入だったように思う。

例えば、月単価から2割が会社お金、8割が自分の取り分というようなシステムである。勿論、仕事が無い時は収入ゼロ

エントリでも書いたが、個人フリーでいるより単価交渉をしやすく、将来貰えるかは解らないが年金も2階建てに出来る。

現状ではある程度キャリアのある人達にとっては悪くないシステムなのではと思う。

ただ、退職金も無く、手当も通勤手当さえもないので福利厚生も貧弱なのを考えると大手と同じ金額感ではないはず。

多重派遣会社でも月単価80万~100万の人間は居るし、特にDB技術者ネットワーク技術者として特化している人には年収1000万プレイヤーでタワマンに住んでいるような人も居るので多重派遣人間収入も様々だ。

会社によっても給与体系はマチマチで、過去に私が自社(SES時代最後会社)に引き抜いた人は年収が1.5倍くらいになったのではないだろうか。

からSESでも会社を変えるのは多分、有効収入アップの手立てなのだろうと思う。

実は仕事ができる人というコメントも多く頂いたが、私と一緒に仕事をしてきた人達が読んだらしかめっ面をするのは間違いない。

期待を裏切ったようで申し訳ない。

派遣先のウンコ事情について

今回は派遣先のウンコ事情についての話からだ。大事な話なんだ。申し訳ない。

派遣先は男ばかりの社会であることが多い。しか現場ではすし詰めである

最後現場なんかは長机に90cm毎に青の養生テープが貼ってあり、そこが1人分のスペースだった。

ちょうど2枚の液晶モニターがおけるギリギリである。勿論、そこにはIT技術しかおらず、顧客は居ない。

養鶏場の鳥である我々に人権など無い。コロナ感染などもあれば鳥インフル並にあっという間だろう。

人数も多い・男が多いとくれば当然、男性トイレの個室が足りない問題が発生する現場が当然多かった。

更に困ったことに、休憩を取りにくい業界である為、一息つけるパーソナルスペース本来ウンコをする場所であるトイレの個室くらいしか無く、休憩に使っている人も多く居た。

私自身、無呼吸症候群がひどくて眠すぎる場合トイレの5分の仮眠をとっていた。

もっと休憩を取りやす社会になってほしいものだ。

リモートワークはトイレの個室問題も、休憩のとり方についても一つの解決策になるのかもしれない。

何度も何度も漏れそうになったが、肛門まわりの筋肉活躍により、大事に至らなかった。頼もしい鉾である感謝

オフショア開発の話①

野田大臣総理だった時、「円高注視していく」というコメントを多く残していた。

一滴一滴を見つめるだけが仕事になるというドモホルンリンクルCMが昔あったが、聴くたびそれを思い出していた。

円高に加え、当時は中国・他アジア人件費現在よりも低いということもあり、オフショア開発ブームが起こった。

それで多重派遣先の現場には何が起こったのか?

海外情勢等を勘案し」という理由で単価が2回下がった。合計で月単価が10万円は下がったはず。

その金額最後まで巻き返す事が出来なかった。だから私のプログラマ人生で最高の収入を得ていたのはこのとき円高前ということになる。

余談だが、この時期、とある「なんちゃらソリューション」社では開発拠点北海道沖縄への移転真剣検討されていた。

何故なら北海道沖縄は開発の単価が低い(給料が低い)からだ。同じ日本人であっても。

日本人北海道沖縄に移動させて安く使おうという会社に畏怖しか感じない。

同一労働・同一賃金世界にならなければ地方民の流出なんて治まるわけがない。

オフショア開発の話②

中小ベンダーではオフショアで失敗している所が非常に多かった。制作されたものクオリティが低いか完成に至らない為だ。

当時の中間会社から明日からインフルで1週間ほど倒れた事にして現場休み中間会社に来て欲しい」と言われたことがある。

欲を出して自社開発(という名のオフショア開発)に手を出し、見事に失敗し、その尻拭いを手伝って欲しいという事である

私は言われたとおり嘘を付いて現場休み中間会社で7日間(土日も出勤)、無償奉仕オフショア開発ダメだったプログラム修正をさせられた。

基礎的な部分もまるでダメだったので日本人が書いた仕様書を見て1から全部組み直し。

北海道とある大手である。私としては借しのつもりだったが、私が仕事が無いか問い合わせた時に対応が非常に冷たかったのを忘れてはいない。

しかもこの会社は私の事を1次プロパー評価して単価を上げていてくれていたのにも関わらず、上がった分をただただ吸い上げていた。

当然、働きの割に単価が低いので次の現場に移動するという話になったのだが、その時にこの会社営業から「単価を上げるので考え直せ」と必死に食い止められた。勿論断り、その営業は1次プロパーからこっ酷く怒られたそうだ。ざまーねえな。

ただ、これは3次受け4次受けの会社には良くある話なので、皆さんも気をつけてくだされ。

余談だが、公的機関システム海外開発で作られていることが一時期は凄く多かったように思う。

良くルーター等で海外産だと情報流出・・・といった話が上がるが、そもそも海外開発のシステムなんて抜け目を作ろうと思えばやりたい放題だし、そのほうが問題なんじゃないのと思うのは私だけなのだろうか。

・4GBのメモリとともに歩んだプログラマ人生

私の20数年のプログラム人生殆どにおいて開発PCメモリが4GBだった。これほど恐ろしい話は無い。

eclipseで開発していてもである。開発PCメモリの少なさに嘆いている派遣プログラマ増田も多いことだろう。

金融システム開発の現場では未だにCore2Duoマシンが現役の開発マシンの所もある。人権が無い。

一定額以上のPCに関しては減価償却という面倒な経理手順が関わってくる為、関連会社リースというレンタル契約、及び保守契約している所が大手にはそこそこある。そうするとPC一式15万円のものが数十万円に化けてしまう。

実際に保守をしてくれるかというと微妙で、要は減価償却理由にした誰かの利権なのだ

リースマシンは長く使われる傾向にあり、未だに古いマシンが現役の場合もある。

サーバーサイドの開発であればTeraTermエクセルメールソフトが動けば大丈夫現場もあるので、そういう現場はまぁ大丈夫なのだろう。

私も近年までPentium4Core2Duoマシンには長くお世話になった。くそが。

当然、高性能なマシンのほうが開発効率が良いに決まっている。

中小企業は特例もあるが、PC減価償却システム日本IT劣化させているのは間違いない。

そろそろ8GB以下は人権侵害ということで良いのではないだろうか。

・5000円の著作権フリー音源システム使用するのに数百万かかった話

システムアラート音楽を鳴らす仕様が来た時、現場は軽く混乱した。

そもそもアラート音楽をどう調達して良いのか解らないかである

ボカロP増田さんが作れば良いんじゃない?」という話も出て殺意を覚えるなどした。

初音ミクさんにアラートの歌でも歌わせればよかったのだろうか。ただそれはそれで可愛い

から著作権フリー音源を買うのはどうか?と提案し、採用されたものの、

実際の採用までお偉方と顧客が数週間議論をし、ようやく決まった。

何を議論していたのかは知らないが、彼らの単価・給料を考えると数百万のコストは掛かっただろう。

5000円というリーズナブル音源を使う為にである

同人活動がバレて地獄を見た話

何故か入った現場で私の趣味がバレていた。

SC-88ProMIDIブームの終わりの時にMIDIを触っていた人間なので、初音ミクさんという天使が現れた時は飛びついたものだ。

私は同人活動としてボカロPをしていた。

良くて数万再生の曲が数曲あったのだが、数十万の持ち曲があるミクさんという天使の前では本当に無名存在だ。

ただ、それでも他の活動もあってTwitterに数千人のフォロワーが居る。(詮索はしないで欲しい)

それを何も知らない人が見たらどうなるか?

あいつ超有名人じゃん」の出来上がりである

じゃあ実際にそのジャンル好きな人が私を知っているかというと間違いなく私のことは知らないだろう。

そのジャンルの沼のほとりの草のつもりでいるのに、メジャーリーガー4番バッターの如く語られ、

そのジャンルに少し詳しい人間に実際に調べられ、「全然だよ」と言われる地獄増田達に伝わるだろうか。

所詮趣味ベースアマチュアなので、クオリティも高くはない。

何もしていないのに、何も誇示していないのに、実際に草でしかないのに

勝手メジャーリーガーの如く言われる気持ち悪さが解るだろうか。

ジャンルに興味も無いのにブログ職場で閲覧され、曲を聞かれ

今回のは「イマイチだったね」と言われる地獄が伝わるだろうか。

曲を聞いた現場リーダーに「増田ポエム歌詞のこと)読み上げちゃおうかな~」とか最悪ないじりをされる地獄

全ての創作意欲をなくし、ブログのほうは消してしまった。

なので、先日が久しぶりのブログ投稿という事になる。

その現場に居た事のあるプロパー会社人間中洲ボカロが好きなキャバ嬢に私の名前を出して口説いて居たらしい。

あいつのこと紹介してやるよ」と得意げなプロパー。突然キャバ嬢から連絡が来たが、当然キャバ嬢は私のことなんぞ知らなかったというオチ

何故何もしていないのにこんな微妙気持ちにならないといけないのか。

同人活動職場でバレないように気をつけろ。増田との約束だよ。

余談だが、ミクさん以前はオフ時間はずっとネトゲリネージュをしていた。

仕事が忙しいので友人も作る時間が無い。そもそも友人を作るのが得意ではない私にとって

ネトゲは人とのゆるい繋がりを作ってくれるのにちょうど居心地が良かったのだ。

たまたま入ったチームが当時ワールドとある地方半年渡り占拠することになるチームで、

数百あるワールドでこれを成し遂げたのはこのチームだけという実力あるチームだった。

地方占拠すると2日1回戦争を受諾しないと行けなくなる。大抵は22時から行われるのだが、これが面白かった。

戦争のある日は戦争時間に合わせて仕事を切り上げ、戦争の無い日は終電という生活をしており、

同人活動と違ってリネージュユーザーであることはオープンにしていた為、

現場スケジュールに「増田戦争」と書かれるようになった。

同人活動バレした現場を覗いて、趣味活動は私を随分と精神的な面で支えてくれたように思う。

今も45歳ボカロ好き&ラブライバーとして活動している。

また長くなった。パワハラ理不尽な話は続けると胸焼けするかと思うのであっさり目にした。

さすがに20年以上働くと色々あったなと。

職場出会った変わった人」等もいれたがったが今度はまた気が向いた時にでも。もう書かないかもしれない。

現役のSES増田達がずっとリモート&&パワハラの無い環境で働けますように。

2021-01-30

45歳多重派遣プログラマ退職エントリ

45歳多重派遣と言っても、噂のGitHubの人ではない。すまんな。。

皆さんはプロジェクトの共有ディレクトリの最下層に”女子大生”という何もないファイルを作ってアクセスログをとっていたのがバレて怒られた事はあるか?私はある。2回。

人は暇なとき、意外とディレクトリをめぐる旅をするものだ。

仕事でとうとうGitHubすら使わずプログラマ人生を終えてしまった。

レガシー技術を使いがちな金融プログラマではそこそこ居るのでは無いだろうか。

年収20代後半からは550万~700万位だった。残業代退職金は無く交通費は出ない。

所属会社営業事務も居ない小さな所帯のフリーの集まりのような所で、会社運営必要金額をある程度毎月納めれば良い会社だった。

仕事がなくなれば自分、もしくは他社員の人脈で仕事をとってくる。フリーで居るよりは仕事を取りやすく、単価も上げやすいので一応会社所属にしているだけの所だった。

私はやる気が無いプログラマだった。オフ時間プログラム勉強したことなんて殆どないが30歳、35歳の限界説を越え、45歳まで働けた。

ニート高卒45歳。多重派遣底辺プログラマ退職エントリ

はてなIT技術者諸氏はオフの日にも日々勉強をしているようで。

好きなんですね。この業界が。日本ITは今後も安泰だ。

◯◯出来る人が居ないか?と聞き回る営業を見ていると多重派遣SESとはいえ業務時間内に勉強させろと私は思う。

技術勉強の話になると途端に何プペる?のような、仕事の為の無給勉強時間当たり前のように語られる事がやる気の無い私にはついぞ理解することが出来なかった。

足に鎖でもついてるのかね。私と一緒だね。

45歳で年収300万円多重派遣の彼は問題児なのかもしれないが、私よりはやる気があるプログラマなのではないかと思う。

退職までずっとプログラムを書き、テストをしていた。たまに客に直接要望を聴いて、仕様書に落とすこともした。

C/C++Java・各種Shell・VB/VBA・SQLUNIX/LinuxWindowsサーバーをなんとなーくしていて、他の人が書いたプログラムを流用しまくって書いていた。

苦手なのはプログラムより仕様理解だった。

ざっくりな話になるが、私より出来る人はわんさか居て、私より出来ない人・問題児が2割は居た。後者の彼らのおかげで私は仕事があったのだ。あと、東京からあったのだ。

人並以上の理解をしていたのはLinux構造くらい。仕事カーネル層に潜り込み、デバイスドライバの改造をしなくてはならず、月350時間くらい働いているうちに身についたものだ。年俸制という糞システムのおかげで1円も残業代は出なかったが。

全く知らない技術が使われている新しい現場に上位プロパー会社営業に売りに出されることはままあった。

現場の人にさも「解ってます!」みたいな面で面接をし、何とか切り抜けることは出来た。このときばかりはいやいやながら上辺だけを勉強した。無給でな。

解っている事でも残業が沢山降ってきそうな場合は「ちょっと私には難しいですね・・・」「いやー、解らないですね。。」と出来ない振りをする度量もついていた。

仕事は”出来る(都合の良い)いい人”に回ってくるし、仕事をしてもめったに単価を上げてくれなし、切られる時は切られる。

30歳を越えたあたりから必要な時は定時丁度に上がる精神的な技術も身についた。

それと同時にここ10~15年はブラックIT業界でもようやく過残業を減らそうという機運が増えてきたように思う。

ライブイベントにも足を運べるようになり、推し投資が出来るようになった。

おそらくまだ10年はプログラマとしてなんとなく生活出来たのだろうと思う。

あいつ、そこまで出来はしないけれど居ないと困ることもあるんだよなぁ」位のポジションで。

あるいはもう少しやる気を出し、転職をし、上位層で働くことも出来たのかもしれない。

でも急に仕事がつまらなくなったのだ。だから辞めた。

最後になったプロジェクトのこと。

リーダーが毎朝9時に朝会を開き、進捗を聴く

・そしてその日、”1人日”以上の仕事が割り振られる。残業しても終わらない

・翌朝で何故おわっていないのか?を問い詰められる

仕事タスク割り振りが多すぎて終える事は出来ないとお伝えしましたが?と反論

・その状況で、空いている時間にやっておいてくれと新たなタスクが振られる

・空いている時間とは?と聴いてみるが、コンパイルしている1分の時間に少しづつといわれ、そんなの出来るわけ無いですよね?。どこに空いている時間があるか教えて下さい。

と、毎朝そんな問答を繰り返していた。

今までは流していたこの程度のパワハラが嫌になった。

改善をする気もおきなかった。早く次の現場に行きたいなという事ばかり考えていた。

そして気づいた。この仕事にようやく私は飽きたのだと。

子供も数年前に生まれ子供が成人するまでこの仕事をするのも耐えられないと。

そんな時に副業のほうを本業にする決意をした。会社を辞め、起業をした。

今は全く別業種の業界で働いている。この先うまくいくかは良くわからない。

3次請け、4次請けの会社に居たので理不尽パワハラには事欠かなかった。

理不尽の例1)

まだ若手の時、鉄砲玉として使われた事があった。

セキュリティがゆるゆるだった20年以上前の話である

TVCMもよく見る有名システムとある現場

フロッピーを本番端末のあるセンターに密かに持ち込み、定例メンテナンスの振りをしてシステムを黙って更新するという密命が若手の私と、他社の派遣PG新人のK君に与えられた。何度も。

かばんの奥にフロッピーを隠し、かばん持ち込み検査検査員にばれないようにし、潜り込む。メンテナンス用の作業ID使用して黙ってシステム更新するというのを繰り返し行った。

今考えると下手すると裁判沙汰なんじゃないだろうか。しかも見つかったら責任を取らされるという。

ある時、K君が想像以上にアホだった事で事件もおきた。

テンパった彼は入館証ではなく、隠していたフロッピー検査員に見せつけたのだ。

だが、早朝ということもあり、検査員がほぼ寝ていたので問題なく通れてしまった。

今思うとあの時は首の皮一枚で大丈夫だったんだなと。

理不尽の例2)

大手家電メーカー工場仕事をした時、プログラム仕事なのに作業服をまず”自費”で買わされた。作業服いらねえだろう。

工場内にある窓の無いプレハブ小屋が開発現場だった。人権が無ぇ。ファーウェイ工場にはヨーロッパの街並みが再現されているらしいが。

この現場は電機メーカーIT子会社D社からE社に投げられ、部屋に私以外だと窓際管理職のD社社員1人とE社の人間しか居なかった。

何故、E社の人間の中に私1人だけ他社の開発要員が入るのか?

入ってすぐに理解した。担当するシステムが1人だけで長く開発していたシステムで、スパゲティすぎて破綻しかけているのだ。

これを開発し続けられればヨシ、破綻したら私の(会社の)せいということにしたいのだ。

入って1週間で営業にコレはダメだと、早く抜けさせてくれと直訴した。

結局抜けるのに4ヶ月かかったが、その間、本当に酷い日々だった。

さな改修が多く、納期は1週間か2週間毎にやってくる。だが仕様を投げるD社の人が鬱で会社にあまり来ない。他のD社の人に聴いても何も解らないという。

1週間の仕事金曜日納品なのに、木曜日夕方に2日酔でやってきた担当者に仕様を聞き出し、金曜日に意地で納品するも、気に入らないところがあったらしく「前担当者よりスキルが低いですね~」と言い放たれた。精神の苦行だろうか。

私の抜けた後、E社の別な人間担当するも無事破綻しかけているという話は後ほど聞いた。自分スキルでは本当にギリギリだった。危なかった。

パワハラ1)

高校卒業後はニートだった。猫と母としか会話をしない2年を過ごした。

その後、大手新聞社オペレーター派遣会社が共同で作っていた文科省認定ではなく定期の学割も効かない街のパソコンスクールに通った。

教師は二種(基本情報)も持っておらず、業界歴は1年だけで環境変数理解していなかった。

その学校で多重派遣という底辺で生きる技術者の卵に他の20名と一緒になった。

文科省認定専門学校情報処理科では少しマトモに勉強すれば大手SIer商社の子会社の「何ちゃらソリューション」に入れる事も多い。

アホの一つ覚えのように大手の子会社は「何ちゃらソリューション」なので、「何ちゃらソリューション」というIT会社を見たらセンスの良い経営者が名付けた何処か大手の子会社だと思って差し支えない。あとイノベーションとかな。イノベータとかな。

就職氷河期の真っ最中地方中核都市就職をしたのだが、入社直前に東京勤務になった。

会社からは15万円の引っ越し資金けが支給された。氷河期の3月に転職は出来なかった。

親に敷金礼金4ヶ月分を負担してもらい、親父に秋葉原石丸電気家財一式を買って貰った。

SES企業はまず新人教育の当たりハズレががある。ハズレのほうが多い。

派遣法の隙間をついて、たぅった1人で新人派遣されてくる事も多い。彼らの大体は苦労を強いられている。

私は運良く同じ会社の人が沢山居る現場に入ったのだが、教育担当想像を絶するパワハラマンだった。とにかくどんなことにもキレる。

ある日個室に呼び出され「お前は田舎に帰って缶詰工場で働け。なるべく頭の働かなくて良い仕事を選んでくれ。業界にいると迷惑だ」と言われてしまった。

親に学校に通わせて貰い、引っ越し代も払ってもらったのに使い物にならないと言われたとき絶望感は大きかった。

地下鉄ホームに入ってきた時、ホーム下にふと吸い込まれて行きそうになり、寸前でハッとなり鼻先を電車がかすめていった。

知らないおばちゃんに「しっかりして!」と怒られた。都会の人も優しい。

あと、駅のホームドアは大事だ。全駅につけてくれ。

それ以降、他社でも新人には丁寧に接している。私はまだ恵まれていた方なのかもしれない。

パワハラ2)

とある家電の開発ツール担当していた時だった。

その家電TronからLinuxOSが切り替わり、開発・コンパイル用のソフトウェアシミュレーター新規開発となった。

Linuxカーネルプログラミング必要となり、日本語の文献もインターネット上の文献も少なく、オライリー洋書現在日本語版もある)を取り寄せて読まざるを得ない状況だった。

英語は全く出来ない&私が作るとなると当然開発は遅れた。

私はカーネルプログラミングなんて当時はしたことが無かったし、集められた人員Linux上でC言語仕事したことがある。くらいの人員が集められたのだ。

単価が安い人しか使ってはいけないというルール運用されていたらしい。

開発ツールの開発の遅れはプロジェクト全体の遅延に繋がった。

苛立った家電メーカーの”部長”が私を広いフロア大人数の前でこう叱った。

「こいつ全然解ってないじゃないか!!」「なんでこんなのにやらせているんだ!!」

中国出張で散々おねーちゃんを買った自慢をしていた糞みたいな人間に罵られるのである

月単価55万で350時間働かされ、残業代は1円も出ずである。誰もフォローをしてくれなかった。

徹夜が3日目に突入した午前3時、役職付きが私のPCの後ろで「まだ出来ないのか?」と15分おきにやってくる。

何とか完成はさせた。恐ろしいことに若かった当時は満足感をそれなりに得ていた。

精神的に色々と凹んでいた時に励ましてくれたのは中国人の同じ派遣の人だった。

大卒の育ちの良い中国派遣技術者が沢山居たが、彼らは本当に性格がまっすぐだ。彼らが私の中国感を大分良くしてくれた。

(ずっとメッセンジャーばかりやっている連中もいたが)

彼らのような有益人材が来てくれる時代があと何年あるのだろうか。

余談だが、この糞忙しい間に所属会社がいきなり倒産した。

私は所属未定のまま倒産した次の日も、土日も何故か働いていた。

自分が働かないと他の人が倒れてしまうと当時は考えていたし、ようやく仕事が出来るようになって謎のやりがいを感じていた。

そして、翌週、中間会社から流石に所属未定はマズイのでフリーとして契約しましょうと言われたのだが、単価の話なんて当時若造だった私には解らないのである

結局、300時間以上働く中、残業代無しの45万円固定と言われるまま契約をしたのだが、

当時の私には多い金額に思えていたものの、都内フリー技術者としては当然低すぎる金額であった。

忙しい中、アドバイスを貰う余裕もなく、無知のために中間会社の狸親父に低い金額契約させられたのだった。

みなさんは自分の単価くらいは知っておいたほうが良い。

賢い同じ会社の同僚は失業手当で半年遊んだか、会社契約と同じ単価でフリーとして契約していた。

余談その2、当時なんとなく興味を惹かれて当時流行っていた日本礼賛本を読んでみた。

国産OStron携帯電話世界を席巻!!みたいな事が書いてあったが、その本が出ていた頃、携帯電話OSLinuxSymbianで締められていたのを知っていたので興味深く読んだのを覚えている。

他にも

「1次請けが私の単価を上げてくれても中間会社搾取し、私には全く反映されない話」

野田ドモホルンリンクルバイトのように円高注視し続けた時、円高オフショアブームで単価が2年で2回減った話」

中間会社オフショア開発の失敗の後始末を手伝って欲しいと言われ、現場インフルで倒れた振りをして休んだ話」

「5000円の著作権フリー音源システム使用するのに数百万かかった話」

メモリ枯渇エラーが頻発したのに数百万以上のコストをかけて打ち合わせをする虚無の話」

メモリ初期化エラーが頻発した時に、解決方法としてとんでもない方法提示され、阻止した話」

「15万円のPCが60万円で導入される仕組み」

入社初年度の忘年会の一次会が新宿の有名なゲイショーパブで、他の社員と会話も無く終わった話」

無呼吸症候群で猛烈な睡魔との戦い、現場で怒られるようになり、睡眠薬生活リズムを取り返した話」

同人活動職場にバレて地獄を見た話」

大手会社コンプライアンス啓蒙画像著作権違反を発見した話」

「キレる、人前でイライラする人とは働きたくない話」

「某銀行の開発子会社美人率が高い・銀行員の婚姻率の格差社会の話」

などなど考えていたが長くなったので終わり。

多重派遣先は色々なキャリアの人が多い。元ホスト、元キャバ嬢もいれば元医師中国人、元アニメ会社勤務、元美容師、元寿司職人等の転職組も多い。

以前いたプロジェクトの有名SI企業PMSES上がりの元寿司職人だった。

SES就職の壁が低い。そこを足掛けとして転職し、さらなる転職大手大手子会社転職するのは悪くないキャリアプランの一つなのかもしれない。

SES会社玉石混交なのでまずは良いSES会社に入るのは大事だし、多重派遣改善されてほしいが。

何が書きたかったのか忘れたし飽きた。

業界からやる気の無い45歳が1人減り、業界は少し平和になった。

追記:続編を書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20210131035752

2019-01-29

anond:20190129230816

10年ぐらい前はオフショア開発とか言ってプログラム製造インドとか中国に投げるとこがあったけど、現地の人件費経済成長でどんどん上がってるのに日本は上がらない、その上言葉の壁を乗り越えるコスト馬鹿にならないので、昔ほどはおいしいしごとじゃないと思います

しろ日本外注出した方が人件費安くていいっよて中国人の間で喜ばれる例も💦

2018-06-07

anond:20180607192150

>たまに「オフショア開発は、途上国人材を安く使っているので搾取だ!」という方がいるが、これは搾取に当たるのだろうか。

一つ上の増田も指摘していることだけど、それはあなたの勤めている会社方針批判するための方便にすぎないよ。

途上国投資するのではなく、日本国内投資してほしい」というのが批判する側の本音

バブル期のように日本に余裕がある時期だったらいいかもしれないけど、今の日本経済が縮小していて皆苦しいからね。

日本人が本国で苦しんでいるというのに、何で途上国投資なんかするんだよ?と言いたくもなるよね。

まあ、経済成長が飽和した先進国企業が新たな市場を求めるために途上国投資し、途上国人間労働力が安く買い叩かれる、というグローバル経済の「原理原則なのだけど。

海外拠点外国人を使うことは「搾取だ」と言われて考えたこ

 日本ベトナム拠点を持つ中堅SIerで働いている。以前は中国にも拠点があり、そこで働いたこともある。特定避けるために一部フェイク含む。

 

 

 ベトナム拠点を作ったのは7~8年前。当時は中国人件費高騰や政治的リスク反日暴動が盛んだった時期)もあり、多くの日系IT企業中国からベトナムフィリピン拠点を移そうとしていた。当社も、ベトナムIT専門学校提携し、そこの卒業生を受け入れるという形で子会社を立ち上げた。当初は、日本人数名、ベトナム20名ぐらいの小規模な拠点であり、主に日本親会社から発注した開発やテストを受け持っていた。

 

 それから10年弱。今では数百名規模にまで成長した。仕事親会社からのみならず、東京親会社内に営業拠点を構えて他の日本企業から受注したり、ベトナムにある日系SIer同士で仕事を融通しあうようになっている。

 

 

 月給は、新人が約6万円、経験5年目で約10万円、経験10年目(転職組)で約15万円といったところだ。たまに親会社から招聘されて日本派遣することもあるが、その時は、給料とは別に日当を支給している。住居は、親会社が借り上げている寮(個室で風呂トイレキッチンのみ共有)を利用しているので、派遣された社員負担は食費のみである最低賃金の絡みか、日当7000円を支給し、寮費2000円を天引きするという形になっている(注:数字は実際の額ではない。イメージ)。3か月も派遣されると給料数か月分も貯金できるので、日本での勤務を希望する社員は多い。

 

 ちなみに、親会社提示している単金は、おおよそ上記給料の3倍。つまり新人は約20万円、経験5年目で約30万円、経験10年目で約50万円という感じだ。親会社以外には、もう少し割り増した額を提示している。また日本招聘される場合は、上記日当+α分を別途請求している。

 

 日本SI人手不足採用困難著しいが、ベトナムでは、他の職種に比べて初任給が1.5~2倍高いこともあり、比較的買い手市場が続いている。日本では、初任給を25万円、年収400万円にしても集まりが悪いが、ベトナムではその1/5の金額日本語堪能な優秀な学生が集まってくる。

 

 

 さて、本題。

 

 たまに「オフショア開発は、途上国人材を安く使っているので搾取だ!」という方がいるが、これは搾取に当たるのだろうか。

 

 確かにそもそもは、親会社コストカットという日本側のメリット目的として拠点を立ち上げた。だが、それにあたって1億円近い金額投資し、そして現在は、親会社やその他日本企業から受注することで、日本からベトナムお金を流している。その結果、平均賃金より高い給与水準で数百名の雇用も維持している。社員の消費まで考えた場合、既に親会社コストカットの何倍もの経済効果を与えている。ちなみに会社利益は、何かあったときのための備えと規模拡大のために使っており(特に人件費採用コストが増えている)、ベトナムからは一銭も持ち出していない。

 

 余談だが、日本ベトナム社員派遣した際も、どこで聞きつけたのかどこぞの市民団体からベトナム人を安い給料で使うのは搾取だ!」とのメールが届いたことがある。それに対して、ベトナム社員には日本における最低賃金以上を支給しており違法性は無いこと、社員側も望んで派遣されていること、そもそも親会社子会社給与体系が違うのは日系企業同士でもよくある話であること、を説明したが返事は貰えなかった。

 

 10年前に中国から撤退したときも、「人材使い捨てだ!」との批判があったが、その時も同様に、数億円の投資経済効果が生じていることを忘れてはいないだろうか。当社や他の外資系(日系+欧米系)が参入しなければ、経済効果はるかに小さかったに違いない。

 

 

 自分経営陣でも何でもないが、海外下請けにすること、外国人労働者雇用することについては、その国々の法律さえクリアしていれば問題ないのではないかと思っている。前述の通り、国を越えて人々が自発的に行き来することで、双方の国、経済メリットが生まれることは間違いない。

 

 これらを批判するのであれば、大リストラを敢行したカルロス・ゴーン率いる日産や、非常に安い賃金iPhone製造するFoxconnアップルも同様に批判しなければならないと思うが、どうも当社を批判したような市民団体は、そういった外資系の有名企業には興味がないらしい。

 

 

 散文になったがとりあえず自分へのメモとして。

2017-11-14

http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/060800143/110900107/

インドオフショア開発会社役員がやってきて、私にこう尋ねました。

なぜ日本企業が使うのは中国ばかりで、インドオフショア開発を使わないのでしょうか。技術力はインドの方がはるかに高いのですよ」

私はこう答えました。

インド企業日本に来て、『米国ではこうやっている。日本のやり方はおかしい。我々のやり方で進めるべきだ』と英語で言いますよね。

 これに対し、中国企業は『あなたのやり方を何でも受け入れます』と言うんですよ、しか日本語で」

インド企業こちらが切羽詰まってくると見て見ないふりをしますが、中国企業最後まで死ぬ気で一緒にやってくれます

 インド人食事に誘うとベジタリアンが多いのでインド料理しか食べられないし、酒も飲まない人が多いのですが、中国人私たちの行きつけの居酒屋刺身つまみ食事が終わったらカラオケ日本ポップスを一緒に歌います

 あなた日本人だったらどちらを選択しますか?」

業務遂行能力なんかどうでもよくて、自分達を気分よくしてくれるかどうか、自分達のノリに付き合ってくれるかどうかが大事

そりゃプロジェクト炎上するよね、という。

こんな人が大企業役員で平然とIT系記事にこんな文章が書けるんだから終わっている。

2017-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20170403094257

自分東芝の子会社だけど、キャリアパスミスマッチだとか会社オフショア大好きだとかで辞めた経緯は大体一緒だわ。

残業に関してだけは上も残業減らしたかったみたいで、すべてを無視して定時で帰ることは非難されなかったけどね。

理解してほしかったのに理解されなかったことは

この辺かな

社名に「東芝」って冠がついてるからインフラなんかの重要案件が来てしまうので、見捨てるのはまずいかなと思って何年も粘ったけど、もう「東芝」にそこまでの信用はないかと思って辞めさせてもらった

2014-11-29

人月アドベントカレンダのご提案

受託開発やSIer、そこで採られる人月での見積契約スタートアップWeb系・ベンチャーな方々から軽蔑されがちです。

けれど社会インフラ企業の基幹を担うこともある重要システムでは残念ながらこれらの手法をとらざるを得ないのが現状となっています

これを打破するイノベイティブでエポックメイキングパラダイムシフトな変革は期待されていますが、文化や慣習、人手不足レガシーコードはなかなかそれを許してくれません。やり玉にされがちなSIerスタンスだけに帰せる問題ではないのです。


そんな状況でもわれわれSE社会繁栄のために、愛する(現在の/未来の)家族のために、そしてご飯を食べていくために働く必要があります

しかし、この業界で難しいのは流動性が高い割にキャリア形成が難しいこと、自分精神的・肉体的な健康を損ないやすいという問題があることで、苦労されている方も多いかと思います

そして働く人が多いにもかかわらず、会社システムプロジェクト固有の用語や知識が多いことやセキュリティポリシー抵触するか微妙なこともあってかなかなかノウハウや知見が共有されていないように感じています。一方で個々のプロジェクトに埋没している問題が共有されていないことへの懸念もあります

今回は、これを打破するためにアドベントカレンダという不思議文化に乗ってみなさまがこれまで得てきたノウハウドキュメント化していただけないかというご提案になりますノウハウの共有は日本ソフトウェア開発文化の発展に、問題の共有は社会発注企業元請け上層部含む)への啓発につながればと期待しており、なにより自分がみなさまの環境に興味を持っています

ぜひ、書いてみませんか?

トラックバックブクマを送っていただければここにリンクを貼っていきます増田でも可ですし、重複・フライングも気にしません。

また、ご質問・ご不明な点があれば可能な限り回答いたします。

期待するタイトル例(もちろん全然違ってもかまいません)

2014-07-24

人生の経験値稼ぎ

3年ほど前の事だ。

めちゃくちゃタイプ女の子出会った。

がんばってアプローチをかけたのだが、うまくいかなかった。

共通の話題が見つからなかった。

彼女は高嶺の花的存在で、女子大出身お嬢様だった。

俺は、理系大学出身のさえない非モテ男。釣り合うはずもなかった。

ダメ元で当たって砕けても良かったのだが、どうにかして口説きたいと思って、

一度引くことにした。自分レベルアップさせて、釣り合うようになってから再度アプローチしようと考えたのだ。

まず、半年必死貯金をした。先立つものがなければ、行動が制限されるからだ。

資金に余裕が出来たので、身なりを整えた。

百貨店メンズコーナーへ行って、適当ブランドでそろえても良かったんだが、

それじゃセンスが磨かれないと思って、アウトレットモールでいろいろ買ってみた。

会社が、私服出勤なので、買ったアイテムは速試してみた。

おかしな格好になっていると、ファッションチェック好きな同僚がツッコミを入れてくるので、その都度改善してみた。

1年後、社交辞令だろうが、複数の人から今日増田さんはおしゃれですね。」といわれるくらいにはなった。

そこそこ見栄えが良くなってきたからか、新卒向けの採用サイトに載せる若手社員写真モデルにも選ばれた。

この時点で、容姿に関しては問題ないレベルになったと判断した。

それと並行して、話題作りのために、一人旅をするようになった。

休日に、地方面白そうなイベントお祭りがあると、夜行バスで出かけてついでにその近辺を観光して回った。

これには副次的効果もあった。

地理に詳しくなったのおかげで、初対面の人の話す出身地ネタが大体わかるようになって、うち解けやすくなったのだ。

海外へも行った。週末を使っての旅行なので、欧米へは日程的に行けなかったので、アジアばかり回った。

語学力が少しずつだが上がった。

英語の他に、片言の中国語(北京語)、旅行会話程度の韓国語マレー語

旅行に行くたびに同僚にお土産を配っていたら、海外に興味があると認知された。

結果、半年くらい前からフィリピンでのオフショア開発担当になった。

職場ではまだ直属の部下がいないのに、海の向こうに直属の部下が5人も出来た。

こうした一連の積み重ねを経て、俺は確かに人生経験が豊かになった。

が、こうやって振り返ってみれば、あからますぎて少し嫌になる。

俺のやっていることは、ドラクエレベル上げなんだと思った。

草原マップで、ひたすら十字キーを左右に動かして、戦闘になったらAボタンを連打する、あのレベル上げだ。

俺の目的レベル上げじゃない。元々の目的は惚れた彼女と付きあうことだ。

現在彼女とは付きあえていない。

幸運なことに彼女には今、彼氏はいない。

しかし、俺はそろそろレベル上げに疲れてきている。

このままレベル上げを続けるか、それとも上がったレベルを生かして、他のことに打ち込むべきなのか。

結論がなかなかでない。

2014-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20140325224623

バブルから30年も経てばその辺ですぐに追い上げられてプッシュ型のキャリアばかり追い求めてると辛いだろうが

その代わりにすぐに「技能の割には割安」で評価されるようになるみたいな感じですかね

日本が逆にオフショア開発受託先になったりするのか

2013-12-14

http://anond.hatelabo.jp/20131214170451

増田比較的恵まれた環境にいるんじゃないだろうか

うちは「たまたま入れた会社ITやってただけで、プログラミングとかようわからん」で1020年働いてるプログラマーもどきSEもどきばっかり

増田のまわりにいる「プログラマー」が果たしてうちには何人いるやら

オフショア開発と言えば聞こえはいいが「よくわからん中国人作って」→「動かしてみた(エンドユーザがやるような操作だけ)けどダメだった、どこが悪いかしらんけど直して」

何がどう悪いのか、見た目の点以外には具体的に説明できないから同じ問題点の修正が何度も行ったり来たりする。

2013-11-03

意識の高いベトナム人論破されました

こんな時代中小SIerなんかやっていると大変だ。

官公庁自治体から随意契約を取れるよう、格安競合SIerと絨毯爆撃で凌ぎを削り合いながら、元請SIerへの接待で経費が嵩ませる。その一方で、オフショア開発先の企業見積もりで戦う感じだ。

並行して新規事業自社開発のASPアプリを幾つか走らせているが、受託開発の人員を自社開発用員へシフト出来るほど安心出来る売上にはなっていない。

だいたい売上10億未満のSIerであればどこもこんな感じだろう。

こうした実情の中、腹の立つ出来事がある。

俺に力が無いので、どうにもならない問題だ。

オフショア開発先は、主にベトナム活用している。

彼らと話すと、「私たちは300人の組織です。土日も休まず働き、24時間体制でやります」と言う。

それはすごいな。と思い、火消し案件で一回取引してみたら、交代制では無い。同じ人間ベタ付きしてくるのだ。しかも確認してみたら残業代も出ないとのこと。これはダメだ。

ベトナム社会主義だ。

日本が対中政策で何か動けば、対越政策が逆転する可能性はある。

そうした時に、実質日本企業残業休日出勤強要していた。みたいな遡り訴追で一撃喰らう可能性など十分にある。うちみたいな小さな会社はそれで終わりだ。そんなことよりなにより、こんなブラック企業文化輸出してんじゃねえよ。誰だか知らねえけど。

ベトナム企業担当役員と飲んだ時にこういう話になった。

「飲んだ後も仕事に戻られるんですよね。日本人を見習えといつも会社で言っています

いや、帰るし、そんなところ見習われると困る。

「怒っているんですか?」

同じ年齢ぐらいで、同じぐらいの立場の君のマネジメントポリシーを聞かせてくれないか

「私の部下は喜んで残業しています

そうじゃない。君のポリシーを聞いている。

「逆に質問ですが、残業休日出勤をしないで大きくなった組織を教えてください」

自分会社以外の労働環境の正確な実数なんて誰も持っていないよ。質問おかしい。

「私が日本企業で、組込みソフトウェアエンジニアとして出向した時は3日徹夜して働きました」

自動車エレクトロニクスなど、製造業の下請の現場はそんな感じということは知っている。でも、それだけが企業競争力じゃないだろ。車やエレクトロニクス産業レッドオーシャンに仕掛けるのがやりたいことなのか?

「そういう考えです」

あ、そっか。なるほど。君は優秀なんだな。そんな優秀な君を育てた学校の教師は、そんな過酷環境仕事をしていたか

公務員民間は話の次元が違います。私は今のベトナム民間企業労働環境ぬるま湯から日本式仕事術を取り入れてベトナムをいつか日本のような経済大国にしたいと思っています。それが問題ですか?」

日本を褒めてくれるのは嬉しいよ。ありがとう。ただし、日本人経営者の考え方が必ずしも一致している訳じゃない事を覚えておいて欲しい。

「分かりました。まあ飲みましょう」

帰り道いろいろ考えた。

向こうのやり方を否定して、営業利益が落ちたって俺が責任が取れるわけじゃない。

でも、いつか俺のやり方を貫いて、否定した連中の営業利益責任が取れるぐらい会社が大きくなればいいなあと思った。

2013-09-12

退職します。

流行退職ブログが書ける日が来るとは!

今月付で、都内ソフトハウス退職する。6年半務めた。

2年前くらいかオフショア開発を始めた。近年では全部中国開発だ。だから辞めた。一番大切な部分を他人に任せているような気になったからだ。

最初は詳細設計書を渡して、成果物が納品されていた。そのうちに詳細設計の一部が現地対応のほうが早い(工数がかからない)となり、それがどんどん増えていった。こちらに中国語が喋れる人はおらず、大陸側に日本語をしゃべれるコーディネーターがいて仕事を進めている。

これはつまり、こちらから見れば大陸ソフトハウスは替えが効かなくなってしまっている。向こうは日本語が喋れるのだから日本語圏の仕事ならどこでも問題なくプラグインできるというわけだ。最初のころは社内に中国語が喋れる日本人がいたのだが、日本語が喋れる中国人のほうが安いので入れ替わった。これも経過とともにそうなった。

日程の詳細管理大陸側で行っている。品質も一時受け入れは大陸側で行っている。こちらで納期のチェックとおおざっぱな進捗管理、最終納品チェックとおこなって、発注元に納品となる。もううちでなにがしらかの技術が身に付く瞬間は存在しない。修正、更新機能追加も大陸対応しているのだからプログラミング機能なんてぜんぜん知らなくてもソフトハウスをやっていける。勢い、社内の人は減っていった。正しくは減らしていった。究極、営業だけでいいんじゃないかと、俺は思う。

そうやっていろいろ手放していって、最終的にどんな会社になるのか見てみたかったが、俺が退職する番となった。特に悔やむことはない。

2013-09-08

あしたはしごとだ

明日仕事だ。今日仕事でした。昨日も仕事でした。でも明日仕事ですし、電車ダイブしなければ、明後日も、その次の日も仕事でしょう。

どうしてこんなに働かなければならないのか。そうして手取り20万である時間外はつかない。成果主義来年以降に反映との事だが、昨年もこれくらい働いたが、今年に反映された気配はない。会社としての成果は微増だそうで、給与を上げるほどではないらしい。上のほうの給料は知らない。教えてもらえない。増えた分だけ上がとってんじゃないのか、とおもう。

都内のSI屋なのだが、これはもう限界と考えていいんじゃないだろうか。嫁と子供に「今朝、お父さん死んじゃうけどあとはなんとかなるとおもう」と言いたくして仕方がない。死ぬくらいなら転職すればいい、という人もいるけれど、年齢を考えると転職よりも飛び降りたり、飛び込んだりするほうが簡単だ。肉塊か天使転職するよ。できれば。

複雑化する組み合わせ、短い納期、作ってる間に新しい製品が出る、クラウドなんて言葉に踊らされる、MSもリナックスパッチが止まらない。ミドルウェアはこっちがテストしてやってるみたいなクオリティオフショア開発は日程が守られたためしがない、元請は安いところを探すのに必死Appleだって契約して技術を盗んで安いところに出している。安いところは品質もそれなりではあるけれど、もうまともな品質で納品しようなんてだれも思っていない。日程を守って予算を守る。内向きだ。納品してしまえばその後の障害は個別対応費用を貰う。これだけやっても会社の売り上げはショートし続け、俺の給料は安いままだ。そんななかでいろんなWebサービスが動いている。

人の求めるSIはもう人の手には余る。それを知ってほしい。狭い業界から人死にが出るとすぐ伝わる。あれで死んだ、あそこが逃げた、あそこが殺した。そんなはなしばっかりだ。仕事で人が死ぬなんておかしい、と現場は思っているのに、上のほうは思っていない。うまく死ななかった奴等ばかりだからだろう。そんなことで死ぬだなんて想像してもいない。自社で死人が出ない限り。出ても責任は取らないだろうけど。会社がどうやって責任を取るのか手段が解らないけど。俺が死んだら責任を取ってほしいとは思う。そろそろ、俺、死ぬんじゃないかな。ここに書いてるうちは死なないかな。あー、死にたい。でも、死にたくない。正直、殺されそう、いや、殺してくれ。一瞬で。

2013-04-03

クラウドソーシングに手を出さざるを得ない人達

何となくいくつかのクラウドソーシングサイトを眺めてみたのだが、価格破壊が凄まじい。

普通B2B取引なら1000万単位の金がかかるであろうシステム開発案件が「予算50万」で提示されていて、それに食いつく人が2桁居るのが当たり前。

オフショア開発でもここまでは下がらない。

これだけの規模のシステム開発なので、クラウドソーシングでよく出てくる「内職」の域からは完全にはずれている。

そういう世界に関わろうとは思わないが、こんな割に合わなすぎる仕事に食いつく人達は、なんでそうしているんだろう・・・

2011-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20110924202132

プログラマ人口が急激に増えたってことになるのかもしれないが、

オフショア開発も、一つの要因ではないか

2009-10-18

人生の経験値稼ぎ

3年ほど前の事だ。

めちゃくちゃタイプ女の子と出会った。

がんばってアプローチをかけたのだが、うまくいかなかった。

共通の話題が見つからなかった。

彼女は高嶺の花的存在で、女子大出身のお嬢様だった。

俺は、理系大学出身のさえない非モテ男。釣り合うはずもなかった。



ダメ元で当たって砕けても良かったのだが、どうにかして口説きたいと思って、

一度引くことにした。自分レベルアップさせて、釣り合うようになってから再度アプローチしようと考えたのだ。

まず、半年間必死で貯金をした。先立つものがなければ、行動が制限されるからだ。

資金に余裕が出来たので、身なりを整えた。

百貨店メンズコーナーへ行って、適当ブランドでそろえても良かったんだが、

それじゃセンスが磨かれないと思って、アウトレットモールでいろいろ買ってみた。

会社が、私服出勤なので、買ったアイテムは速試してみた。

おかしな格好になっていると、ファッションチェック好きな同僚がツッコミを入れてくるので、その都度改善してみた。

1年後、社交辞令だろうが、複数の人から「今日増田さんはおしゃれですね。」といわれるくらいにはなった。

そこそこ見栄えが良くなってきたからか、新卒向けの採用サイトに載せる若手社員写真モデルにも選ばれた。

この時点で、容姿に関しては問題ないレベルになったと判断した。


それと並行して、話題作りのために、一人旅をするようになった。

休日に、地方で面白そうなイベントお祭りがあると、夜行バスで出かけてついでにその近辺を観光して回った。

これには副次的な効果もあった。

地理に詳しくなったのおかげで、初対面の人の話す出身地ネタが大体わかるようになって、うち解けやすくなったのだ。

海外へも行った。週末を使っての旅行なので、欧米へは日程的に行けなかったので、アジアばかり回った。

語学力が少しずつだが上がった。

英語の他に、片言の中国語(北京語)、旅行会話程度の韓国語マレー語

旅行に行くたびに同僚にお土産を配っていたら、海外に興味があると認知された。

結果、半年くらい前から、フィリピンでのオフショア開発担当になった。

職場ではまだ直属の部下がいないのに、海の向こうに直属の部下が5人も出来た。


こうした一連の積み重ねを経て、俺は確かに人生経験が豊かになった。

が、こうやって振り返ってみれば、あからさますぎて少し嫌になる。

俺のやっていることは、ドラクエレベル上げなんだと思った。

草原マップで、ひたすら十字キーを左右に動かして、戦闘になったらAボタンを連打する、あのレベル上げだ。

俺の目的レベル上げじゃない。元々の目的は惚れた彼女と付きあうことだ。


現在彼女とは付きあえていない。

幸運なことに彼女には今、彼氏はいない。

しかし、俺はそろそろレベル上げに疲れてきている。

このままレベル上げを続けるか、それとも上がったレベルを生かして、他のことに打ち込むべきなのか。

結論がなかなかでない。

2008-11-11

SIerさんとつきあい始めたのだが

取引先ができた。なんとSIerさんだ。

8月にアサインされたプロジェクトで知り合い、10月から付き合い始めた。

これまで5人くらいと付き合ったことがあるけれど、一般的なお客さんと比較して

* 考え方が保守的・前時代的、判断が遅い。

* 議題が散漫になる、会議一つ一つで必ず結論がでない。

* ルールにうるさい、超が付くほど規約にこだわる

といった点が目立つ。

見た目は理系を少し丸くしたようなかわいらしさがあるのだけれど、要するに中身は体育会系文化部だ。

初めは戸惑いもあったが、案外こういう会社とつきあうのは苦痛で楽しくないと分かってきた。

会話は技術的なテーマビジネス的なテーマもまったく交わせない。

いろいろデザインパターン・開発手法・パラダイムなどを試そうとするそぶりなど微塵も見せず、好奇心がまるでない。

プログラムの外注だけで手一杯だというのに、オフショア開発に手を出していて、向上心の強さがある。

反面、長期的な判断も論理的・合理的なのかな…と思いきや、

オフショア開発をうまくハンドリングできない自分に、「おかしいな、以前は利益があがったはずなのに///」と火を噴く。

大手SIerさん、はっきり言ってオススメできません。

問題はどうやって辞めるかだけれど、不景気という戦闘モードの時に誘うのではなく、好景気が狙い目としか。

初めの入社が簡単なだけで、後は一般的な会社よりも付き合いは難しいかも。

だって普段プログラマ同士でしている会話が通じないんだから。

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