はてなキーワード: エンジニアリングとは
講演一発目。
ソフトバンクモバイルの中山五輪男(いわお)さん。iPhoneの販推をやっている「シニアエヴァンジェリスト」だ。
現在、割合の25%超を占めているのが卸・小売業、次いで20%のメーカーである。
メーカーとしては製造現場にて指示書がペーパーレス化したり、営業のプレゼン媒体になったりしているとのこと。
一方、金融機関としては試験導入中の期間が複数あり、今年以降に爆発的に増える見込み。
スマートデバイスの契約数はますます右肩上がりに増えていく見込みである。
紙、デジタルサイネージ、薬の包装、音楽、映像からアプリを通じてwebに接続できる。
セカイカメラがARのひとつ。ドラゴンボールのスカウターみたいに、現実世界に外部から呼び出した情報を付加する。
http://tm.softbank.jp/business/white_cloud/videos/smartcatalog/
CA用の研修マニュアルは3冊2.1kgしていたものをiPadにすることで0.7kg(おそらくバッテリーは除く)にした。
この研修マニュアルは搭乗するたびに持ち込む性質のものらしく、軽量化はありがたい話。
また、電池の持ちがよく、ウイルスもゼロ件(ご存知Androidは質の悪いアプリにウイルスが潜んでいる)
浄水施設の点検をペーパーレス化、点検項目の漏れのチェック機能をつけている。
テクノツリー社という小さな会社が製造・流通のマニュアル作成に長けているとのこと。
(6)HOYA (SUNTECH)
感光式のサングラスで色の変化スピードを説明するときにビジュアライズすることで、営業説明と使用感のギャップが減ったらしい。
(口頭説明ではわかりにくく、事後的なクレームが多かった)
(7)AIU保険
東日本大震災の損害調査として米本社からiPadが送られ、SmartAttackというシステムを活用。
割愛
(9)BMW
iPad(280台)によって営業4-5日から1.5日減でクローズ
顧客とのコミュニケーションとして、車の外装・内装のシミュレーション、仮想の工場見学などを行える。
割愛
thinkpadを全部iPadにリプレース。営業のツールとしてアプリや映像を活用。(個人に営業トークに頼らず、営業フローを標準化したと言える。)
Microsoft ExchangeやOutlookは全部Google App (26000 ID)にする予定。BCPとして日本にサーバを置いてられない。
http://tm.softbank.jp/business/concierge/dm/
(14)iPhone 4S
「Siri」が特徴。業務システムに応用されるというのが講演者の予想。
twitter:@iwaonakayama
二発目。ヤマサのマーケティングの話。「(自称)超成熟マーケット」の醤油。
Facebookやtwitterなどあらゆる媒体を使って、消費者を包括的に網羅して360度にアプローチしようと試みていた。
消費者は中身を知りたがっているのであり、メーカーの中身を見せて、コミュニケーションをとれば、味方につけられるようだ。
三発目、DNPのC&I事業部(Communication & Information)メディア・コンテンツ本部の講演。
後段はB2Cにソーシャル・メディアを用いてアプローチするノウハウをDNPが持っているという話。
たしかにソーシャル・メディアによる販促は効果測定が難しい。そのノウハウを仮にDNPが持っているのならば素晴らしいことだ。
果たしてソーシャル・メディアはB2Bに使えるのか。会場から質問が出た。
回答はB2BでもB2Cと本質は同じであるという。しかし、それは本当であろうか。
たとえば、車のボンネットが新日鉄製であろうがJFE製であろうが消費者にとってはどっちでもいいんではないだろうか。
わからん。
Google エンジニアの Steve Yegge 氏、Google+ への懸念を漏らす
http://japan.internet.com/busnews/20111013/8.html
で記事になってたけど、原文とちょっと要旨が変わっちゃってサービスへの警鐘みたいになってしまってたので、全文訳してみた。くそ長い。お暇な方どうぞ。
(2011/10/19 08:14)ありがたい誤訳の指摘をいただいたので3カ所修正。
Stevey の Google プラットフォームぶっちゃけ話
僕は6年半ばかり Amazon にいて、それから今はそれと同じくらい Google にいる。この二つの会社について強く感じることは(しかもその印象は日々強まるのだけれど)、 Amazon は全てにおいて間違っていて、 Google は全てにおいて正しいということだ。そう、やりすぎな一般化だけど、驚くほど正確だと思う。いやもうとにかくね。百、いや二百のポイントで二つの会社を比較することが出来るだろうけど、僕が正しく覚えていれば、 Google はそのうち三つを除いて優れている。実にある一点に関してはスプレッドシートを書いたんだけど、法務部が外に出すなって言うんだ。リクルーティングは惚れ込んだみたいだけどね。
つまり、まあ簡単に言えば、 Amazon の人事採用プロセスってのは基本的に欠陥品なんだ。だって、チームがチーム毎に、自分達のために人を採用するんだぜ。だから、色々平均化の努力はしてるみたいだけど、採用基準はチームによって信じられないくらいバラバラさ。そんでもって作業工程ってのも腐ってる。ソフトウェア信頼性工学なんてお呼びじゃないし、エンジニアに何でもやらせようとするんだ。コーディングする時間もないくらい。もちろんこれもチーム毎にバラバラで、要するに、運次第ってところ。施しやら困った人を助けるのやら、コミュニティに貢献するのやら、そんなのはもってのほか。ばかにしに行くんじゃなけりゃ、近寄るべきじゃないね。それにまた施設も染みだらけの壁に囲まれた箱みたいな家畜場で、装飾やらミーティングエリアなんてものには一銭も使ってない。給料やら福利厚生なんてのも最悪だ。まして最近じゃあ Google やら Facebook っていうライバルがいるのにね。社員特典なんてものも見たこと無かったな。採用通知の番号を照合して、ハイ終わり。コードベースも悲惨そのもの。エンジニアリング基準ってものがないんだから。チームによっては個別にがんばっていたくらいかな。
公平に言えば、彼らは良いバージョン管理ライブラリシステムを持っていた。これは僕らもまねるべきだし、僕らのところには同様のものが無い、良い pubsub システムもあった。でも多くの部分で彼らが使っていたのは、ステートマシンの情報を RDBMS に突っ込んだり読み出したりするだけのくそみたいなツールの塊だった。僕らならただでも欲しくないようなね。
僕が思うにその pubsub システムとライブラリ管理システムが、まさに Amazon が Google より優れている三つのうちの二つだ。
早期にリリースして、狂ったようにイテレートするってのも彼らのうまいところじゃないかって言うかも知れない。けど逆もまたしかり。彼らは早期にリリースすることを何にもまして優先する。品質保持やらエンジニアリング規則、その他長い目で見たら重要になってきそうなものはみんな後回し。そんなだからたとえ市場で競争相手よりアドバンテージがあったとしても、結局ちょっとしたことをやるのにも問題を起こしちゃうよね。
でも、一つ、そんな政治的な、思想的な、技術的なへまを補うだけの、彼らが本当に本当にうまくやってることがある。
Jeff Bezos は悪名高きマイクロマネージャーだ。彼は Amazon の小売りサイトの1ピクセルまで管理する。彼は以前 Larry Tesler を雇った。 Apple の主任科学者で、たぶん世界で最も有名で尊敬される HCI エキスパートさ。そんでもって、 Jeff は Larry が言ったことを、 Larry が辞めるまで3年間無視し続けた。 Larry は大規模なユーザビリティ研究もやっただろうし、少しの疑いの余地も無く誰もそのひどいサイトを理解できないってことをデモしたに違いない。けれど、 Jeff は1ピクセルたりとも動かさせはしなかった。トップページにぎっちりつまった内容の1ピクセルたりともね。それらはまるで何百万という彼の貴重な子供達なのさ。けれど Larry はそうじゃなかった。
マイクロマネジメントが Amazon が僕らよりうまくやっている三つ目ってわけじゃあない。つまり、まあ、彼らはうまくマイクロマネジメントをやっていたと思うけど、それを強みって言いたいわけじゃ無い。まずは何が起こっているかみんなに理解してもらうための文脈を準備しているだけさ。僕らはこれから、公衆の面前で、 Amazon で働きたけりゃ私に金を払えと言ってのける男について話すわけだからね。誰かが彼に反対したときは、彼は彼の名前入りの小さな黄色いポストイットを手渡して、誰が会社を動かしているかを常に忘れさせまいとする。思うに彼は全くの… Steve Jobs なのさ。ファッションとデザインセンス抜きのね。 Bezos はとんでもなく頭が切れる。誤解しないで欲しい。彼の前じゃ、普通のコントロールフリークなんてヤクが極まったヒッピーみたいなもんだよ。
それである日 Jeff Bezos が指令を出した。まあ彼がいつもやってることなんだけど。その度にみんなはピコピコハンマーで叩かれるありんこみたいに走り回るんだ。でもそのある一度、2002年かそのくらいのことだったと思うけれど、彼は指令を出した。とんでもなく巨大で、目の玉が飛び出るほど重たいやつを。普段の指令が頼んでも無いボーナスに思えるようなやつを。
彼の巨大な指令はこんな感じだった。
1)この時点より、全てのチームはサービスインターフェースを通じて全てのデータと機能を公開すること。
2)各チームは各々そのインターフェースを通じて通信しなければならない。
3)その他の全てのプロセス間通信は許可されない。ダイレクトリンク、他のチームのデータソースから直接データを読むこと、メモリ共有モデル、バックドア、全てを禁じる。ネットワーク越しのサービスインターフェースを経由した通信だけが許可される。
4)使用する技術は問わない。 HTTP 、 Corba 、 Pubsub 、 カスタムプロトコル、何でも良い。 Bezos は気にしない。
5)全てのサービスインターフェースは、例外なく、外部に公開可能なようにゼロから設計されなければならない。すなわち、チームは全世界のデベロッパに向けてインターフェースを公開することができるよう、設計し、計画しなければならない。例外は無い。
6)そうしない者は解雇される。
7)ありがとう!良い一日を!
ハハ!。ここにいる君たち150人ちょっとの元 Amazon 社員ならもちろんすぐにおわかりの通り、7番は僕が付け加えたジョーク。 Bezos は間違いなく君たちの一日なんかに興味ないからね。
それでも、6番は、本当だった。だからみんな一生懸命会社に行った。 Bezos は、さらに上級のチーフ熊ブルドッグであるところの Rick Dalzell に率いられた数人のチーフブルドッグを雇って、成果と進行を監視させた。 Rick は元レンジャーで、陸軍士官学校出身で、元ボクサーで、元 Wal(ごにょごにょ)Mart で拷問のような削減をやってのけた人物で、デカくて愛想の良い、「堅牢なインターフェース」という言葉を連呼する男だった。 Rick は歩き回り、「堅牢なインターフェース」について語り回り、そして言うまでも無く、みんなはいっぱいの進展をし、 Rick にそれを知らせた。
それからの数年間、 Amazon 内部はサービス指向アーキテクチャに姿を変えていった。その変化を形にしている間に、彼らは非常に多くのことを学んだ。 SOA に関する学問や論文は当時もいくつかあったけれど、 Amazon のとんでもない規模からすれば、そんなもの、インディ・ジョーンズに向かって「通りを渡るときは左右をよく見るんだよ」って言うくらいの意味しかない。 Amazon の開発スタッフはその途上でとにかくたくさんの発見をした。そのほんの一部をちょっぴり挙げると、こんな感じだった。
とまあこれらがほんの一例。他にもたくさんの、おそらく何百の、 Amazon が見つけた個別の発見や教訓があった。外部サービスにはおかしなところがいくつもあったけれど、君たちが考えるほどじゃあない。サービスに対して組織するってことは、外部のデベロッパを信用できないのと同じように、お互いを信用することなんてできないんだということを、チームに教えてくれたんだ。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミク現象の持つCGM的側面については、外国人の感想でもしばしば言及されている。しかし、ワールドイズマインならぬWorld is Hers(世界は彼女のもの)と題された以下の感想ほど、このテーマを正面から丁寧に描いたものはない。CGMこそ「クリプトンが世界にもたらした最大の贈り物」との指摘はとても重要だろう。伊藤社長が主役を演じる世にも珍しい感想、という面からも一読の価値はある。
urlは以下の通り。
伊藤博之は自ら説明しようとしていた。
「ヴァーチャル・アイドル」初音ミクを生み出した企業、クリプトン・フューチャー・メディアのCEOとして、伊藤は人で溢れる大衆文化のバンドワゴンの運転席に座っている。そして誰もが興奮しすぎる前に、彼は人々にこのバンドワゴンが何であるか理解させたいと望んでいた。
「初音ミクは[一つの]ソフトウエアです」と彼は言う。「YAMAHAが開発したボーカロイド技術を使ったものです。[ボーカロイドは]歌声を作り出すエンジンで、我々はYAMAHAからその技術に基づく製品を開発するライセンスを得ました」
言い換えれば、ミクのファンであると公言することは、KorgのTritonキーボードあるいはフェンダー・ストラトキャスター・ギターのファンであるのと似ているのだ。君が応援するのは楽器――PCにインストールしなきゃならないうえに箱にはアニメ風のイラストが描かれているが、でもやはりそれは楽器だ。おまけにボーカロイドというブランドネーム自体はミクや彼女の華やかな友人たちに帰するものというより、むしろ彼らを動かす音声合成エンジンを指している。文字通りに取れば、「ボーカロイドのファン」であるとは、特定ブランドのギター弦のファンであるのと同じである。
だが誰がそんな言葉遊びを気にするだろうか? どんな新興サブカルチャーでも、言葉に独自の意味が付きまとうのは普通である。今日では「ボーカロイド」はそのイノベーションから花開いた仮想世界全体を示す言葉となっている。ボーカロイドとは作曲家がそのソフトを使って自宅スタジオで作り出した無限のレパートリーを持つ曲のことである。ボーカロイドとはそれぞれの曲に対応する画像と動画のギャラリーである。ボーカロイドとはそれらの画像から生まれたあらゆるミームや粗筋である。ボーカロイドとはそれぞれ特有のボイスバンクを象徴するキャラクター群のことである。そして誰であれアニメ・エキスポに参加した者ならこう言うだろう。ボーカロイドとはそれらキャラのあらゆるバリエーションを含む姿にドレスアップしたファン層である。
これこそがクリプトンのマーケディング・ディレクター、佐々木渉すらも驚かせた口コミ波及効果だ。彼は「ユーチューブやニコニコのような動画シェアサイトを通じて[ボーカロイドが]利用されるやり方」に驚いたと話す。「これらのサイトを使って、本当に口コミで仲間の間に広がっていきます。本当に過去に例を見ない[方法で]様々な国で人気を得ています」。つまり、本流エンターテインメントの大半が今なお企業の重苦しい手によって運営されている一方、自力推進型であるボーカロイドの本質はあらゆるものをひっくり返したのだ。
「ある意味、こんな現象相手に取り組む最良の手法を見つけるためもがき続けてきました」と佐々木は話す。「ファンからのフィードバックを得るのが最良だと我々は信じてきました……いかに物事に対処するか、ファン層にとって最もよいことのためにどうするかを。急いで金儲けしようとは思っていません」
クリプトンは、当時まだMP3ですら未発達の技術であり、ユーチューブ誕生に10年も先行し、そしてあらゆるものを可愛いアニメ少女に擬人化するアイデアがまだ急増していない1995年に設立された。「我々の目的はそもそもボーカロイドを仕事にすることでも、[音声合成]ソフトを作ることでもありませんでした」と伊藤は話す。「クリプトンは音全般――音と関係するソフト全てを取り扱う企業として設立されました」
もし伊藤を冗談めかして「ミクのお父さん」と呼ぶのなら、彼女の祖父母は最初のボーカロイドエンジンを2003年に発表したYAMAHAの面々となるだろう。「そうした技術が存在することは知っていましたし、それを使って何かできることがあるんじゃないかと思っていました」と、伊藤は当時について話す。「我々は既にYAMAHAと係わり合いをもっていましたので、彼らと連絡を取りそこから製品を作り出すことができました」
だが、あたかも完成された合成音声で歌う天使の形でミクが天から降臨してきた訳ではない。彼女の根っこは、伊藤の説明によればとても粗末な形式の音声技術にまで遡ることができる。「日本では[音声合成]ソフトは結構一般的で、例えば駅などで使われています。そこでは列車の到着がアナウンスされたり、あるいは[乗車している場合]駅名が呼ばれたりします。自動応答システムを使う電話はボーカロイドによって動いています」(想像してほしい、ミクの親戚の一人がカスタマーサービス用の電話回線で働く恐ろしいロボ電話であるという事実を)
「当初[合成された]歌声を使うソフトは存在しませんでした」と伊藤は続ける。「そうしたソフトにどの程度の需要があるのか、私には確信が持てませんでした。というか、はっきり言うなら、PCに歌わせることができるソフトを作るのにどんなメリットがあるのか分かりませんでした」
この疑念こそが伊藤に次の手を講じさせた――それは最終的にはクリプトンの歴史で最も賢い一手となった。「2004年、私は最初の[ボーカロイド]ソフト、Meikoを作り、それに漫画風のキャラを付けました。ある人格が歌う[のを真似る]ソフトは人間にとって必要不可欠なものではなかったから、そうしたのです。人々にアピールし人々から愛されるようになるためには人間味を持たせる必要があると考え、そのための最適な手段が漫画風キャラのようなものでした。このソフトは結構いい成功を収め、そしてもちろん初音ミクの構想へとつながりました」
そしてその次に起きたことは誰もが知っている。
おそらく伊藤博之が成功した秘密は、クリプトン創業者である彼が音楽、サウンドエンジニアではなく、ソフト開発者ですらなく、何よりビジネスパーソンだった点にあるのだろう。伊藤は、あなたはミュージシャンではないのかと質問されると笑い(彼はミュージシャンではない)、自身が経済を専攻したことを認めた。「音楽とは無関係です」と彼は言う。「ボーカロイドのマーケティングに成功するうえで、私は自分が学んだスキルのいくつかを使ったと思います」
アニメ・エキスポ1日目のキーノート講演で、初音ミクとボーカロイド・カルトについてスライドショーを使った改まったプレゼンを始める際に、伊藤はビジネスマンとしての本領を発揮した。彼はまず自分が誰で彼の企業が何をしているかについて慣例となっている概要報告を行い、それから公式にクリプトンが制作しているボーカロイド「キャラクター」(あるいは、厳密に正確さを期するならソフトウエア・パッケージというべきか)の一覧を示した。
2007年8月31日に生まれた永遠の16歳、初音ミクは、今ではショーの目玉に位置している。人気で彼女に次ぐのは鏡音の双子、リンとレンであり、彼ら独特の黄色い装飾と少年/少女のペアは、ミクの緑と灰色と同じくらいコスプレ業界では至る所で見かける。だが音楽制作者の視点から見ると最も用途の広い声は2009年の製品である巡音ルカのもので、より深い音域と日本語及び英語で「歌う」能力を誇っている。何人かのファンは昔ながらのMeikoとKaitoの旗を掲げている。その声は旧世代のボーカロイド技術の上に構築されているが、今なおクリプトン・ファミリーの中心メンバーである。
クリプトン以外のボーカロイド・キャラもサブカルチャーの世界に入ってきている。たとえば声優中島愛のボイスサンプルに基づき、マクロスFのランカ・リーをモデルとしたMegpoidや、J-rockのスーパースター、Gacktの声を使ったGackpoidなどがそうだ。より進取の気性に富んだ人々はUtauloid(日本語の言葉『歌う』から来ている)と呼ばれるオープンソースの音声合成エンジンまでも開発しており、その中で最も有名なのはピンクの巻き毛をした重音テトだ。
音楽ソフトウエア・パッケージについて、それがまるで本物の人間であるかのように語るのは最初は奇妙に感じられるだろう。しかし伊藤が最初に作り出した時に予想したように、それこそがこのソフトをかくも魅力的にしている正体なのだ。これらのキャラがもたらした創造性は、伊藤がプレゼンで誇らしげに見せびらかした数字によれば、ユーチューブで36万6000件、ニコニコで9万2600件に及ぶボーカロイド関連動画へと結実した。
そしてこの成長するメタ=ジャンルからあふれ出したマルチメディアコンテンツもある。クリプトンが運営するウェブサイトPiapro(『ピア・プロダクション』の省略形)には、ボーカロイドに触発された45万を超えるテキスト、音楽、及び画像の創作物がある。さらに注目に値するのはクリエーターたちがどのように相互に刺激しあっているかだ。コンテンツを共有するポリシーの下、あるPiaproユーザーが音楽を制作すれば、別の誰かがそれを聞いて付随するイラストを描き、さらに別の人がその構想に従って短いアニメ動画を作成する。そこでは、サイトのルールに従い創始者を適切にクレジットに載せることだけが重要だ。
何人かのボーカロイドファンはアートの世界の彼方まで行ってしまい、エンジニアリングの成果をもたらした。最もよく知られているのは3DアニメーションプログラムのMikuMikuDanceで、初音ミクのキャラクターモデルを――実際にはどんなキャラクターモデルでも――特定の歌に合わせてリップシンクし踊らせることができる。より繊細な対象を扱っているのがVocaListnerで、本物の人間の歌手によるインプットを分析し、ボーカロイドプログラムのセッティングを自動的にその声にあわせて調整する。思いつきに過ぎない想像の飛躍ですら現実化し得る。初音ミクの動画「Innocence」で取り上げられた「Ano Gakki」(『あの楽器』)というニックネームで呼ばれている奇妙な見かけのタッチパネル式キーボードも、実際に使える楽器として再現された(それほど野心的でないバージョンならスマホ用アプリとしてダウンロードできる)。
これら全てが意味しているのは、ほぼ完全にファンによって運行される賑やかで創造性に富む生態系が存在するということだ。究極的にはそれこそクリプトンが世界にもたらした最大の贈り物だろう。初音ミクやボーカロイド・ソフトそのものではなく、それらが使われる方法こそがそうなのだ。企業という大領主によってではなく、消費者によって作られた完全なエンターテインメント形式。企業は僅かな道具と規則を与えるだけで、後は椅子に深く腰掛けて次に何が起きるかを見守っている。
それでもなお、ボーカロイド体験を活気づけるため企業が提供するイベントは多数ある。今年はアニメ・エキスポが日本以外では初となる「ボーカロイドのライブ・コンサート」ミクノポリスのホストを務めた。それはステージ上の綺麗なスクリーンに投影するCGIアニメーションでしかない(ほかならない)が、いい視野角と健全な猜疑心の保留があればそのイリュージョンはなお印象的になる。さらに感動的なのは、セットリストにある全ての曲が明らかにファンの作ったもの――クリプトンの地下室であくせく働かされるソングライターが大量生産した製品ではなく、本物のミュージシャンがボーカロイドという媒体を通じて自らを表現したものである点だ。
だがコンサートはどのような限界が残されているかも暴露した。ミクの魔法は左右双方40度以上の角度では働かなくなった。調整の効かないボーカルは、時に楽器の生演奏の下で迷子になっていた。そして音声合成技術のあらゆるイノベーションをもってしても、より繊細な耳にはなおミクが絞め殺されるようなロボットじみた変な声をしているように感じられた。でも、日本では生身のアイドルについてどう言われていると思う? 「アイドルは不完全であってこそふさわしい」。不完全さこそがミクをこれほど魅力的にしている。誰もが進行中の仕事に関与できるからだ。
どんな未来があるか、誰に分かるだろう? クリプトンは既に英語版の初音ミク・ソフトが開発途上にあることを約束しているし、日本では新しい改良されたボーカロイド・エンジンが開発中だ。それはつまり、韓国語ですら歌えるボイスバンクを含んだ新たなキャラの登場を意味している。クリプトンのオリジナル・ボーカロイド製品は、その声に新たな音色をもたらす追加物「アペンド」によって進化を続けている。そしてどこかで我々の誰にも知られていないマッドな天才が、ボーカロイドの世界を永遠に変えてしまうようなアイデアにおそらく取り組んでいる。
多くの人が知っているように、「初音ミク」という名は「未来の最初の音」をもじったものだ。だがボーカロイド文化が広がるにつれ、この名前はますます不正確になっている。彼女はもはや未来の音ではない。彼女はまさに今の音である。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
http://anond.hatelabo.jp/20110709211718
初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
http://anond.hatelabo.jp/20110712205546
初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
http://anond.hatelabo.jp/20110714210122
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
http://anond.hatelabo.jp/20110719031316
初音ミクLAライブ、外国人感想その13「ミク:日本のヴァーチャル・アイドルとメディア・プラットフォーム」
少し前まで、日々震災情報や原発情報を読んでは鬱々としていました。特に原発関連はつい気になってしまい必要以上に情報を追ってしまった感があります。東北地方では何万人も亡くなっているというのに、原発や電力の話ばかりに気を取られている己の卑小さに、ただ恥じ入るばかりです。そろそろ気持ちの整理をつけて自分の胸中に溜め込んだモヤモヤを成仏させるために駄文を書き連ねることにしました。
***
放射性物質について。
放射性物質が汚染したものは何だったのでしょうか。今後の影響も考えると、物理的な汚染もさることながら風評被害の問題のほうが大きいような印象さえ抱いています。
少し観念的な話なのですが・・・。人は主観的な世界に生きており、その外に出ることは出来ません。真に客観的な世界などというのは存在しないのです。「私」が住んでいる世界は「私」の脳によって理解されているのですから、「私」の外の世界は実は「私」の脳の中に入っているのです。「私」と「あなた」は別の世界に住んでいます。
放射性物質が汚染したのは空気や水や土壌だけではありません。むしろ、人の脳に形成された主観的な世界を汚染したと感じています。呪いや憑き物と同じです。放射性物質は「情報」を媒介して飛散し、人の脳に入り込んだのです。そういう意味で、「放射能」というよりも「放射脳」と呼ぶべきかもしれません。
卑近な例えで適切か分かりませんが、放射能はゴキブリみたいなものではないでしょうか。たいていの人はゴキブリに対して大なり小なり嫌悪感を抱いています。実害以上の嫌悪感を抱いているように思います。そういう嫌悪感に対して、「ゴキブリが発見された状況から推察して今夜の夕飯に使う食材を這い回った可能性は0.1%以下である」という専門家の意見が嫌悪感解消に役立つものでしょうか。ゴキブリが生理的に受け付けない人はこう言うでしょう。「そういう問題じゃない」と。
ゴキブリが出たレストランは評判が落ちるでしょう。例えゴキブリが食材の上を這いまわったわけではないと説明されても、もう二度と行きたくないと思う人は一定数いるでしょう。それを風評被害と呼ぶ人はいない気がします。
放射能がゴキブリのような嫌悪感を抱かせるものであるということは、事実として受け入れるしかありません。ゴキブリを必要以上に嫌悪するヤツは馬鹿だと罵ったところでレストランに客は戻ってこないと思うのです。こういった人々の嫌悪感というものを事実としてまず受け入れるところから、いわゆる「風評被害」対策の第一歩が始まるのかもしれません。・・・と思ったところで具体策など思いつくはずもなく、ただただ心を痛めるしかできない自分に無力感を感じます。
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「安心」や「信頼」について。
原発に対して安心していることと信頼することは全く異なる心理状態だと私は思います。安心とは、そもそも危険性に対して無関心であるということです。安全なのか危険なのか考えてもいない状態です。対して信頼するということは、危険性に対する情報を咀嚼した上で大丈夫であると判断する積極的な行為です。つまり、人の抱く心理状態は次の3つに分類されるのではないでしょうか:1.安心している、2.不安だが信頼している、3.不安でかつ不信感も抱いている。
もう私たちは安心することは出来なくなりました。つまり原発の危険性に対して無関心でいることは出来なくなりました。国や電力会社は逆立ちしたって市民を安心させることはもう出来ません。どんなに頑張ったところで、不安は拭えないが信頼してもらう、という状態を目指すことしか出来ません。
しかし、しばしば「不安を煽る」情報を隠蔽することによって市民を「安心させ」ようとする動きが見受けられます。これは悪手であると私は思います。安心するどころか、信頼を失う一方だと考えます。情報隠蔽は不信を煽ります。
原発の近くに住まう全ての住民は不安であり、かつ不信感を抱いていることと思います。しかし、原発を巡る議論がどんな結論に行き着くにせよ、今日本中で稼動している原発を即時運転停止することは非現実的だと思います。せめて信頼を回復するような真摯な動きが出てくることを祈ります。
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原発というのは、なんだか妖しい魅力を備えているような気がします。
原発は「科学技術」の結晶というイメージがあるように思います。私は科学と技術はまるで異なるものだと思っていますから、これを合成した科学技術という言葉も実に変だと思います。しかし何故だか、原発に対するイメージは「科学技術」という変な言葉の持つイメージとダブるのです。
原発が利用している核反応は、サイエンスとしてはとうの昔に終わった分野であろうと思います。私には物理学の知識はありませんから実際どうなのか知りませんが、実際に現象が発電所に応用される段階まで来ているわけですから既にエンジニアリングのフェーズに入っているわけで、サイエンスとしては既に終わっているのだろうと予想しています。しかしながら核反応というのは日常生活で触れる現象ではないだけに、サイエンスの側面から関心を抱く人が一定数いると見受けられます。
しかし原発は間違いなくエンジニアリングの観点で検証されるべきものです。例えば以前もんじゅが起こした事故では、冷却管に突き出した温度計が疲労破壊で破損しました。これを聞いて工学部を出た者なら誰もが思い当たるのがカルマン渦です。しかし、カルマン渦なら流れの方向に対して垂直な方向に振動するはずですが、疲労破壊の破断面の観察からは流れと同じ方向に振動していたことが指摘されています。そして、流体力学の観点からもレイノルズ数など特定の条件下では縦方向に振動する場合があることが分かっています。(←記憶があやふやで自信がありませんが、ググッたら同様の内容が見つかったので多分間違ってないと思います。)つまりこの事故は、材料力学と振動工学と流体力学の3つが関係した容易ならざる現象であったことになります。このようにエンジニアリングの問題とは複数の分野が高度に絡み合ったものとなります。
エンジニアリングでは、こういった問題をひとつひとつ潰していく地道な努力が求められます。科学的に見て原理的に可能だから出来るというものではありません。タコマ橋やコメットの連続墜落事故などの事例からも分かるように、数々の失敗を繰り返さないと設計というのは成熟しないのだと思います。非破壊検査なども必要でしょうし、地味で泥臭くて厄介なエンジニアリング上の問題というのは必ずあるものと予想しています。
にもかかわらず、経済や金融の人が原理となるサイエンスを少しかじっただけで専門家であるような言動を繰り返していることに、違和感を感じずにはいられません。原子力発電というのは、どうも科学的な原理を理解しただけで全体を理解したような錯覚に陥る、妖しい魅力があるのかもしれません。その妖しい魅力が国家予算も惹きつけてきたのではないかと邪推もしてしまいます。なんとも不思議に私には感じられます。
***
「人災」について。
東京電力や保安院には苛立ちを感じていました。ふと気づいたのですが、あれは「私」の姿だったのかもしれません。私は彼らの会見を通じて私自身を見せられ、苛立っていたのかもしれません。そんな思いが頭をよぎりました。
彼らは発電所やそこで起きている「事象」についてよく理解しているようには見えませんでした。突然の事故に慌てふためき、パニックになり、右往左往して要領を得ない報告を繰り返していました。危機対応の訓練や準備が出来ていたようには到底思えません。どうせ事故は起きないだろうとタカをくくっていたことが透けて見えます。
そして、それはそのまま私自身に跳ね返ってくるのです。私は原子力発電について何も知りませんでした。朧気ながら東京はリスクを地方に押し付けているらしいとは知っていましたが、結局のところ電気なんてスイッチを入れれば点くものという程度の認識しかありませんでした。事故が起こって初めて実態を知り、事の深刻さに絶句し、国や東電を罵ることで自身の罪を免れようと必死なのです。
彼らはごく普通の人間だと思います。平均的な人間と比べて著しく能力が劣る人たちではありません。著しく欲深い人間でも、著しく悪い人間でもないように思います。陰謀論のような話で総括しようとすると、問題の焦点を掴み損ねるような気がしています。むしろ、ごく普通の、ごく平均的に善良でごく平均的に俗悪な人達が引き起こした結果であるように思います。
今問われているのは、原発の「技術」ではないように思います。原発の「運用」であり、それを担う人間です。原発の設計が問題なのではないのです。原発を運用する人間組織の設計が問題だと思うのです。
原発は技術的に安全だから安全、という主張はあまりにも人間というものを知らなすぎると思います。私が生きてきたたかだか三十数年の間にも、技術的に安全なものが幾つも事故を起こしてきました。電車、エレベータ、回転扉、ジェットコースター、と枚挙に暇がありません。そのたびにマスコミが組織の腐敗を暴き立て、私たち市民はそれを糾弾して溜飲を下げ、そして忘れていきました。これと同じことが東京電力や原発問題でも繰り返されるのでしょうか。それとも今度こそ私たちは歴史に学ぶことが出来るのでしょうか。
地震や津波は天災だが原発事故は人災だ、という意見をあちこちで見ました。確かにそうかもしれません。しかし人災だからといって犯人探しをして糾弾して終わりでは、同じ過ちを繰り返すことになるでしょう。責任者個人の人格や属性に原因を求めると今後の対応を誤ります。地球を裁判にかけても地震は無くならないように、責任者個人を糾弾したところで今後の人災防止にはつながらないと思うのです。それよりも人間という生き物の行動パターンや組織の力学などを冷静に分析し、この再発を防ぐような運用体制を設計するべきではないでしょうか。
例えば、原子炉は仮に圧力容器が破損したとしても格納容器で放射性物質の漏洩を防ぐという設計になっていました。運営組織も同様に考えて、電力会社の運営が機能不全に陥った場合に備えて、有事の際には別の組織が指揮系統を引き継ぐような仕組みを予め用意しておく案はどうでしょうか。そもそも平常業務と危機対応では求められるスキルが全く異なるように思えますので、有事の際に別の指揮系統を用意しておくのが合理的に感じます。
また、電力会社は民間企業で営利団体ですから、安全対策にコストを掛けることにインセンティブが働きにくいという問題があります。ですので、電気代の一部(数%?)を「原発管理費」のような項目で積み立てるという案はどうでしょうか。マンションの管理費と似たような扱いです。地域住民もその管理費の用途の決定に参加できる仕組みとし、使途明細は公表を義務付ける必要があります。
情報開示の点では、モニタリングポストやそれに準ずる測定器をもっと設置するべきと思いました。情報の透明性を確保するためにモニタリングポストは電力会社とは別の団体(例えば地域住民が構成する団体)で管理されるものとし、常に現在の測定値をリアルタイムでウェブに掲載するような仕組みが必要なのではないでしょうか。
原子力安全・保安院が経産省の管轄にあることも疑問です。経済と産業の発展を目的とする経産省は、安全を監視する役割にはそぐわないように思います。そもそも原発を推進している経産省が安全管理も行うというのは、アクセルとブレーキを同じ組織がやっていることになるわけで、無理があるように思えます。例えば災害対策を専門に扱う省庁を一つ設けて、そこが原子力の安全性を監視するのはどうでしょうか。災害時は各省庁に横断的な指揮系統が求められますから、そういった役割を果たす省庁があるほうが危機管理もスムーズではないかと思います。
以上は所詮ド素人の浅知恵に過ぎません。プロが見れば馬鹿馬鹿しいと一笑に付すような考えかもしれません。あるいは、とうの昔に指摘されていることなのかもしれません。とにかく私が思うのは、今後の議論を技術的な設計に終始するのではなく、あるいは原発賛成と反対で二極に分かれて不毛な争いを繰り返すのではなく、こういった運営体制も大いに議論し改善していく必要があるのではないかということです。原発の推進派と反対派がいたずらに衝突し疲弊するのではなく、こういった建設的な議論が行われていくことを切に願っています。
元増田だが、「情報系を自然と好きになれた時点で特権階級」という言葉は分からなくもない。実際、「サイエンスをやるぞ!」と意気込みながら大学に入ってきて、色々な経緯で情報系に流れてきた人は、「俺がやっているのはサイエンスなのだろうか…?単なるエンジニアリングじゃないのか?もっとサイエンスをやりたい…」といって悩む人も多い。少なくとも、自分の研究をサイエンスだとは思えず、単なるエンジニアリングだと思っていて、どうせエンジニアリングをやるのなら研究じゃなくて企業でもいいよね、といって、待遇がずっと良い企業エンジニアになってしまう人も多い。俺自身は、エンジニアリングもすきだから、そういう悩みはあまりなかったけど。
しかし理学部ってそこまで就職悪いイメージなのね…まぁ事実だけどね…。
http://anond.hatelabo.jp/20110202135238
ていうか経験上言えることは、理学部で上手くいくかどうかはエンジニアリングに興味あるかどうかがキモだと思うんだよね。
俺みたいにエンジニアリングに興味無いサイエンス・オリエンテッドな性格だと相当苦労するよ。
企業にとってはサイエンスなんて心の底からどうでもいいからね。(語弊があるかもしれないけど、このくらいに思っておいた方がいい。当然R&D型企業の話)
そういう人はアカデミア以外だと金融とかコンサルとかになる割合が高いわけだけど、これまたビジネスに適正無い人は悲惨なことになる。
俺はTOEICで200点前後しか取れない、欠陥プログラマーだ。
システムを作っていると、取説が英語のみだったり、ライブラリが英語だったりして、なかなかに辛い。
中国人グループが突如やってきて、根ほり葉ほり聞いてくるのだが、英語だった。中国語も話せて英語も話せてすばらしい連中だ。が、アポも取らず、ノウハウを聞きに来るのはやめてくれ。それ以前に、日本語で話せ。っていうか、なぜノウハウを聞きに来たのかよく分からんのだが、後で調べたら、どうやら弊社のプロジェクトで「中国国産化作業」というのを受注したらしい。ナニソレ???日本人が作って、日本人が中国人にノウハウ教えて、それが「中国国産化」なんですか?わけわからん。何考えてんだ、これ受注した馬鹿は。中国国産化以前に、弊社はエンジニアリング会社なんだから、ノウハウ漏らしちゃだめだろ。これだからエンジニアリングを理解していない経営者や管理者が(ry
あるシステムのプログラムをしていた時の事だった。上司が外注を雇ったのだが、俺のところにやってきたのは中国人だった。日本語はそれなりに話せる。が、プログラミング能力はイマイチだった。不具合多いんだよな。組み合わせ試験すると全然進まないので、直せ、と言ったんだが、絶対に自分のミスを認めない。仕方が無いので、不具合の証拠を突きつけてもミスを認めない。さらに仕方が無いので、上司に相談したんだが、「お前が直したら?」との返答。わけわからんわ。
それ以降、時々中国人プログラマーと仕事をする事があったんだが(外注に出すと、外注がさらに中国に下請けに出す事が多い)、概して、自分のミスを認めない。仕事がやりにくくてたまらん。
あるシステムの総合試験をしていた時の事だった。なんか広報みたいな人が外国人をぞろぞろ連れて見学に来た。ここは関係者以外立ち入り禁止だし、企業秘密事項も多いところなんだがな。その辺はどうでもいいのか、このボケ、とは言わなかったが、黙々と試験を続けていた。その広報みたいな人が突如英語で話すと、一斉にその外国人達は俺に英語で話しかけてきた。韓国人だったけどね。つーか、ここは日本だ、日本語で話せ。英語が分からない俺は、ところどころ聞こえてくる専門用語(さすがに専門用語は世界共通だから聞き取れる)から判断するに、やっぱりシステムのノウハウを聞きたがっているようだ。試験のじゃますんじゃねー。
それ以降、時々韓国人SEと仕事をする事があったんだが(何故かSE業務を韓国人がやっている日本製品???)、こいつら契約って言葉を知らないのか、不都合があると来なくなる、逃げる、果てには帰国してしまう。SE業務を外注に出し、しかも出したら韓国人が来た、というオチの上司に相談したら「お前がやったら?」との返答。タヒね。今までの経験上、韓国人と仕事をすると、逃げられる事が多い。仕事がやりにくくてたまらん。
別に外国人すべてがそう、とか言うつもりは無いが(上海人の友達もいる事だし、別に外国人が嫌いではないし、差別するつもりもない)、仕事を一緒にするのはご勘弁願いたい。お友達として増えるのは歓迎だが。特にアキバ系オタク。これから先、ベトナムやインドに出す事が多くなるだろうが、そこの人達はどんなんだろうなぁ……。日本人の優秀な奴を当ててくれよ。俺、英語が出来ないんだから。
あるシステムの開発をしていた時の事だった。突如東京のメーカーが「システム構築のノウハウを教えてくれ」と来た。つーか、あんたら誰?アポも取らずに何しに来たの?どうやらあるハードとソフトの組み合わせでシステムを構築しようとしたんだが、うまくいかなくて困っているらしい。俺はそのハードとソフトの組み合わせでミッションクリティカルなシステムを構築していたから、その辺を弊社の誰かから聞きつけて聞きに来たらしい(弊社に来たのは別の用件だったようだ)。そりゃ色々ノウハウはあるが、なんで他社に教えなきゃならんの?「そう言われても、そんな風に作ったから、としか言えないんですけど」とお茶を濁した。
ゴメンメモ用紙がなかったから一時的にコピペさせてもらう。後で消す。
ttp://bipblog.com/archives/1006525.html
「navrasa(9つの情緒)」という文学的価値観に基づいてるんだよ。
だから登場人物の生い立ちや、人間関係の細やかな変化とか、
ーーー
カースト制度については
カーストは決して古いものではなく、ヴェーダの時代も、イスラームが侵入してきた時も、
英国統治時代でも、その時代時代で常に変容し新しくなってたし、現在でもなってる。
「カースト」が無くなれば、また新しい言葉や概念を引っ張り出して新種の差別を生むだけ。
今のインドでは留保制度という被差別層の逆差別問題が事をややこしくしてる。
あと日本の世界史の授業での「カースト」の扱い方にはかなり問題がある。
限られた授業時間で扱うには複雑過ぎることは理解できるけど、
そもそも教員自身の理解が浅くて、それがインドに対するステレオタイプを助長させてる。
ーーーーーー
ガンジーさんに関する評価は、日本とインドでは正反対と言っていい。
独立後から主流な評価は、
「建国の父という功績は揺ぎ無いが、工業化を阻んだ時代錯誤の石頭で、
パキスタンの分離独立を許し国家の安全保障を半世紀以上脅かす契機を作った大馬鹿野郎」
という扱い。
ネルー:
五カ年計画の頓挫、農地改革後回し、
ヒンディー語なり英語なり統一共通語をゴリ押ししなかった言語政策での失敗、
駄目な点は色々あるけど独立後インドでは最も評価されてる政治家。
個人的に一番の功績はインドの文系トップ大学のJNU作ったことだと思う。
獄中で書いた「インドの発見」を読んで、ネルーさんの民主主義への情熱がひしひしと伝わってきた。
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違和感のあるディテールが積み重なって、インド人的にはあまりにも不自然過ぎるし、
「いかにも外国人がインドに持ってそうなイメージに合わせました」臭がプンプン。
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サリー巻き込みガードがついてるのを見たときは感動した。
インド人もみんなあれを褒めてる。
ーーーーーー
日本のインド料理屋で本当に美味しいと思ったのはこの一軒だけ。
ーーーーーー
遠藤周作 深い河について
インド人として脳味噌空にして読めば「いつものステレオタイプだなー」という感想しか出ないけど、
登場人物の心情を投影するためにたまたま題材として選ばれた一装置と割りって考えると、いい作品
ーーーーーーーーー
パキスタンからのバングラデシュ独立に絡んだ第三次印パ戦争(1971)になるんだけど、
でも近代史上インド人の意識の上で重要体験は、第二次印パ戦争(1965)と独立直後の印パ分離独立。
朝鮮半島は政治イデオロギーで国家が分断されたけど、印パは宗教。
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その際、魚介類エキスが原材料に入ってる事だけは絶対事前に説明していたけたら
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「ガタガタ抜かすパキスタンさえいなければ、バングラデシュはインドに再編入して
貧困の痛み分けして助けてやれるのに」と考えてる。
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それに対する悲観論と、その裏返しとしてエンジニアリングに対する過剰な地震と両極端。
自分は純粋に技術的な話題に言及する知識を持ちあわせてないけど、ナノに関しても同じ議論。
「走る棺桶」と声高に罵る人と、枯れた技術を応用し高コストパフォーマンスを生み出す能力は
世界随一と賞賛して反論を許さない人たちとの罵り合い。
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蛇のとぐろっぽい形のターバン巻いてる人は宗教とは無関係で、ラージャスターンの人。
1980年代にハリヤーナー州がパンジャーブ州から独立しようとして、
パンジャーブの治安が著しく悪化した時期に、米国に移住したパンジャービーがすごく多い。
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インドではゴロゴロ宝石採れるから、本物の石が日本円で数百円~という信じがたい値段。
で、家族の健康とか金運等の目的とその人の星座の位置との兼ね合いで切な石が決まる。
それを指輪やネックレスに加工して男女を問わず身につけてお守りにする。
宝石屋店内に星占いのソフトがインスコされたPCが置いてあったりする。
ーーーーーー
インド人からみた日本の宗教は日本は土着のアニミズムと仏教の習合。
儒教は科挙制度が無かったから儒教と権力が結びつかずに、知識人の一教養の枠を出なかった。
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『「欝は誰でもなる」「虐待だめ」「イジメ駄目」そういった標語を
全部「家族仲良くする方法考えよう」に一本化すればウザイぐらいの効果を発揮する。
犯罪、虐待、すべてはパパとママが互いを尊敬する気持ちを忘れ、
罵り合ってる姿を見た子供が大人になり引き起こす』
ーーーーーーーーーーーーー
時代の分析で一番重要な前提は、インドにとっての独立=パキスタンの分離独立、
それと数千万人単位で発生した難民の扱いが最重要課題だったので、英国や大戦云々どころでは無かったこと。
日本人が韓国ほかアジア各国への賠償問題と印パ英国比較する際に、これを見落としてる人が恐らく相当いるんではないかと。
ーーーーーーーーー
一貫してオンリーワンさせてもらってます。
日本に対しては、プッっていうか「あ~……」という落胆
インドの望みは当時も今も一貫して、米国&西欧の側でもない、共産主義でもない、
それに一番近いのが日本だった。
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日本はリーダーを選ぶのが下手だし、選ばれたリーダーはシステムを劇的に改革するだけのパワがー無い。
しかし逆説的に言えば、ショボショボなリーダーでも驚くほど安定して機能するシステムの堅牢さは奇跡。
トップの采配如きでシステムが劇的に変わってしまうようでは、法治国家としてどうなのか?
と考えた時に、笑うどころか、日本のシステムからはまだまだ大いに学ぶ所はある。
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昨日まではシャンカルと名乗ってた人が今日からはトーマスといったように、
[外見]と[中身]を結ぶ思考経路の距離がべらぼうに短いので、
肌色、服装、靴といった外見で人をするのはごく自然な行為であると同時に、
例え身につけた外見が背伸びの結果の付け焼刃であっても、
一度身につけたからにはその外見にふさわしい中身を身につける為に途方も無いエネルギーを費やし、
その為の努力を惜しまない。
つまり、先に高い目標を設定→急ピッチで追いつき、というパターン
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宗教と生活の兼ね合い、食事習慣(料理そのものではなくて)、オタ文化への理解
この3つ。
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イギリスがインドに謝罪した事はありません。そして謝罪や賠償を求めるような教育も行ってません。
その理由は、法に照らした結果インド支配のプロセスに違法な点は無く、英国支配によってインドの資産が失われたことを
立証できず、賠償を請求できないというのがひとつ。
同様に、インド帝国として英国の戦争に付き合わされインドの資産が失われたプロセスにも、何ら違法な点がなく、
これもまた賠償を請求できないというのがひとつ。
つまり要求する権利が無いのに賠償よこせ!と促す教育をは、そもそも無意味
理由2つ目。インドは英国から独立するために、英国の保護が無くても民主主義と法の適正手続を守り抜くと
国際社会に約束する必要がありました。すなわち法的根拠をもたない賠償請求を行う=法の適正手続に反することは
悲願であった独立と、インド人の目指す民主主義国家としての理念と矛盾する行為であったのです。
勿論インドも道義的責任を追求したり、言いたいことは色々あったでしょうが、法をねじ曲げて頂戴する賠償と、
恥じることのない民主主義国家として、国際社会から敬意をもって受け入れられる事を天秤にかけた結果、
議論にならないから、 『今のWebシステムがなんで遅いのか』を述べてから言ってみて。
ちなみに、DBが9ms プログラムが1msだから10msのDBを改善しましょうねってのはわかるが。プログラムを0.5msにすることで、5%ほど改善することも事実なんだよね。
そして、DBなんて、これ以上そんなに早くなるの?と。memcached?それは、みんな当たり前にやってることでしょ?差別化要因にならぬ。
で、単位時間100万セッション貼ってたら5万セッションほどそれで改善するわけだ。複合効果でDBも楽になるだろ。1セッションが短くなれば。
逆に言えば、DB速くしますって Mysqlの中身を改造しますならPG。memcached入れますだけだとね・・・
memcachedいれた上に、独自改造なので他社よりさらに速いです。なら、それはわかる。エンジニアリングだ。
その差は小さいけど、重要なんだよね。memcachedを使うだけ?それとも、memcachedを使いこなしてパラメーターだけじゃなくて、中身のチューニングまでやってくれんの?
http://anond.hatelabo.jp/20100815183059
それに気付くのに時間がかかるプログラマだっているのに → http://anond.hatelabo.jp/20100812223207
初めからそのスキルがあるのに何か勿体無い
JALに乗るおじさんの日記 - あるいは、サービスの質を考える
ttp://brevis.exblog.jp/12222908/
周知の通り、アメリカのレストランでステーキを頼むと、「焼き方はrare? well-done? つけあわせはマッシュポテト? フレンチフライ? サラダのドレッシングはoil&vinegor? French? Italian? Southern Island?」と何でもかんでも聞いてくる。彼らは、顧客に選択肢を与えることこそサービスだと心得ているのだ。そんなことより、もうちょっと上手に料理してよ、と思ったりもする。ところが、フランスのビストロでビフテックを注文すると、彼らはほとんど何も聞かずに、料理を持ってくる。焼き加減はア・ポワン(ちょうど)で、付け合わせはフリット(フライドポテト)。サラダは、たとえばオンディーブのサラダならクルミ入りのオーロラ・ソースという具合で、すべて定石が決まっている。そのかわり、まあそこそこ美味しい。これが彼らのサービスなのだ。
寿司屋風に言えば、アメリカ人は「お好み」派で、フランスは「おまかせ」派だ。これはちょうど、米英のエンジニアリング会社がコスト・プラス・フィー(実費償還)契約のプロジェクトを好み、仏伊のエンジ会社がランプ・サム(一括請負)契約をうまく料理する傾向に、ちょうど合致する。でも、フランスのビストロの客が、定石をわざとはずした要望を口に出せば、もちろん彼らは顧客の意志に従う。すべての顧客は好みも意志も持っている。それが西洋人の前提なのだ。
ひるがえって、JALはどうだろう。あの会社は、“黙って、最上の物(と自分が信じるもの)を提供する”ことがサービスだと心得ているらしい。プロダクト・アウト--極端に言えば、一種の一方通行である。そして、私たち日本の企業はどうだろう。「おまかせ」での仕事を好む“寡黙な大工さん”が身上ではないだろうか。だとしたら、いつの間にかJALが競争力を失っていった轍を、私たちも踏んでいないだろうか。
自分の仕事を「IT土方」なんていってる奴に出くわした。はっきり言えば、ただの甘え。と言うか、愚図。
こういう連中のせいで、エンジニア全般の価値が下がっているわけで、さっさと営業でもなんでもやってりゃいい。
出来るといわれる人々は、下記を否定しないはずだ。
エンジニアの仕事ほど、未来があって、毎日が新しいくて面白い仕事はない。
これから先、人の生活に益々コンピューターが入ってくる、ハードウェアや技術の進歩もまだまだ止まらない。
そろそろ頭打ちになって来たって言われてるCPUだって、まだしばらくはムーアの法則に従う見込みだ。
シリコンフォトニクスとか夢見たいな技術も実現すべく日々研究されている。
そうしてハードが進歩すれば、開発技術もあたらしくなる。当然そこに新しい仕事がうまれていく。
仮に量子コンピューターが実現すれば、言語そのものに変革が起こる。
それを学べるってだけで涎が出るだろ?でなきゃおかしいんだよ。
毎日同じ様にだ。今持ってる知識で解ける範囲のみで仕事をしてれば、それは昨日とは何も差が付かないし面白い訳がない。
日本のエンジニアが馬鹿というかクソだと思うのは、平気で人が作ったものを何も考えずに使って仕事をすること。
そして使えることを技術だとのたまう事。そんなんで技術が付くかカス。
Hadoop使ってないで、key-value位は自作しようとしやがれ。
結果使うことになっても、作ろうとした過程で手にした経験ほど面白いものはないはずだろ。違うのか?
そしてもうひとつ。日本のエンジニアの大多数は数学がまるで分からないってこと。
いいか。エンジニアは文系の仕事じゃない。コーダーとエンジニアをプログラマって括りでまとめるな。
エンジニアリングを本気でやるなら、他の工学と同じようにコンピューターサイエンスを理解し使いこなせるだけの
数学の素養が必要だ。線形代数とか微分積分、解析学、エンジニアなら離散フーリエ解析くらいはわかっていて当然だろ?
だから思う。
IT土方とか言ってる奴は甘えてないで、仕事の中に面白さを探して作ればいい。
プロジェクトが火を吹いてるなら、アジャイル・ディベロップメントでも試せばいい。
何か面白そうな論文を見つけたなら、読んでおいていつか実装しようと虎視眈々と狙ってればいい。
アルゴリズマーの知識が羨ましければTopCoderにでも行けばいい。
ソフトウェアの世界にはコミュニティが幾つも開かれていて、学ぼうとする人や毎日を変えようとする人の
全てを受け入れてくれる。そりゃあ残業が多くて時間がないのかもしれない、それなら残業しないで余暇を
勉強に当てられる環境に転職したり、仕事の10%を勉強に当てる事を認めさせたり、したらいい。
ソフトウエアの世界には、面白いものがいくつでも転がっていて、そして誰も拒絶されない。金も殆どの場合
かからない。だれでも、第一線の技術を作れるし、学べるし、楽しめる。
今は楽しんでいるし、この仕事を死ぬまで楽しんでも居たい。
今IT業界がつまらないと思ってる人は、もう一度言語を学び始めた頃の気持ちを思い出してみて欲しい。
あの頃は毎日が面白くて、試してみたいこと、知りたいことが山の様にあったはずだ。
その気持ちを何年でも変わらず保ち続けることが大事だよ。
IT土方なんて、ただの甘えだ。
毎日が楽しくなるなら、営業でもなんでもやればいい、ただし営業だって学ばないやつは使えないと思うよ。
ただ逃げたいだけの奴には、逃げ場なんかどこにもない。
ttp://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/asia/1258996277/901-903
901 :日出づる処の名無し:2009/11/26(木) 12:09:20 ID:m/iXHAx/
ノーベル賞・フィールズ賞受賞者 による事業仕分けに対する緊急声 明と科学技術予算をめぐる緊急討論会
ttp://www.ustream.tv/recorded/2638211
42分頃から
科学技術の大切さというのは、だいたい大概の人はわかっていると思います。
でも、国民の素朴な疑問として、例えば、なんでスパコンでこんなに
お金が掛かるのかというような、疑問があると思うんです。
そういう国民の疑問に答えて、理解してもらうには今後どうしていけばいいと思われますか?
利根川進:
一つはマスコミがもっとしっかりしてくれるということですよ。
(会場から笑い声と拍手)
マスコミの方が多いから、これは耳が痛いと思いますけれどね。
例えばね、僕が気がつくことは、日本の大きな新聞社の科学部っていうのはね、
やっぱり、アメリカの大きな新聞社、例えばニューヨークタイムスとか
ロサンゼルスタイムスの科学の記事を書く人というか体勢がね、圧倒的にアメリカのほうが強いですよ。
一人の人で物理から数学からエンジニアリングからバイオロジーまで全部カバーして書いている、
書かされるように会社がなっている。アメリカの方はですね、専門化しています。
大概、例えば我々の仕事なんかを書く人はPh.D.です、みんな。この前までMITでポスドクやってた人が、
ニューヨークタイムスの、ワシントンポストの科学記者になっているんですよね。
だから彼らはよく知ってるんですよ、内容を。それから科学者を知っている、個人的にね。
だからそういう面でね、やっぱり全体的に見ると、いい記者も日本にもいると思いますけどね、
全体的に見ると、日本のマスコミはね、今、一般の人は誰でも科学は技術は知っているとおっしゃったけど、
僕はそうじゃないと思う、実は。いわゆるインテリ層の間でね、アメリカの方が科学というものの重要性、
特に基礎研究の重要性というのをね、より理解しているという風に僕は思っています。
日本のほうが理解が少ない、足りない。それはね、一つはマスコミが、まあ科学者も一生懸命になって
科学の重要性を一般の人々、マスコミを含めてね、常に言ってゆくことは重要なんだけど、
やっぱりマスコミっていうのはものすごい力があるからね、マスコミがですね、
もっと科学、科学とは何かと言うことをね、もっと理解してもらわないと、なかなかこれね、
一般の社会の人々を変えてゆくのは難しいと僕は思っています。
902 :日出づる処の名無し:2009/11/26(木) 12:13:02 ID:edJ/dV74
»901
マスコミは、勉強するといい記事かけない頭でっかちになるから、
まずは現場いってこい、と聞いた。
とてもうなずける意見だとおもうが、これを記事にするだろうか
903 :日出づる処の名無し:2009/11/26(木) 12:16:20 ID:8vkPPN7G
>902
そもそも、「一般人の視点でなければならないから勉強しない」などと公言してた人もいたような。
ま、「消息筋」のメッセンジャーボーイであれば飯が食えたのだから、あながち間違ってはいないけど。
あぁ、なんて書けばいいんだろう?
「前回」はメモに走り書きだったので書いた内容すら覚えていない。
あまり大げさに書いても仕方ないし、箇条書きすぎても悲しい。
まぁ、いつもの日記形式に書こうと思います。
私は死ぬことにしました。
私が10年以上患っている「社会に適応できない病」こと診断名「適応障害」は未だに私を苦しめます。
昨日も仕事に行くことができませんでした。
くりかえしちゃいけない、と何度も頭の中で叫んでも結局行くことができませんでした。
9時25分始業で9時ぎりぎりまで行く行かないの戦いは繰り広げられましたが結局今日も負けました。
次に気がついたときは17時過ぎ。休む連絡もしなく無断欠勤です。
これで3度目の無断欠勤。さすがに病気に理解のある店長ともいえどそろそろクビにすることを考え始めるでしょう。
今の仕事はアルバイトです。責任は前職の正社員よりは薄いですが、社会人であることには変わりありません。
前職クビに言われたときのことを思い出します。
「いくら能力や熱意があっても社会人として当たり前のことができなければ意味がない」
そう、社会人として当たり前のこと、「休まず時間通りに出勤する」という当たり前の行動が意味がないんです。
「使えない人間」はこの厳しい社会の中から淘汰されてしまいます。精神に異常を持った精神病患者もまたいらない存在扱いを受けるご時世です。
社会人としての当たり前ができない精神病患者・・・宇都宮にいたときに株式会社オーエスピーの宇都宮事務所長(2006年当時)に言われた「精神病患者は使えないんだよ!!」のように言われるのがオチです。
これを言った所長がバカ、という説もありますがどこの企業の人間もそう思い、言うでしょう。そうに決まっています。
少なくとも私をクビにした企業はほぼ全てがそうでした。
「心配だから。休んでね」と言うオブラートに包んでは結局退職を促す。次はない。つまり切り捨てるって事じゃないですか。
前回自殺未遂したとき、当時の雇用元の株式会社スタッフサービスエンジニアリング事業部はコンプライアンス事業部の部長を私の元に送り込み退職金の名目で46万円を押しつけてきました。
当時ろくに思考もできない状態だったので言われるがままに書類にサインしましたが、後にその書類を見るとそれはいわゆる手切れ契約でした。
「46万やるからおまえはこの会社から消えろ」
・・・という書面でした。
このように私は結局どこの会社からも、この「社会」からもいらない扱いを受けて捨てられる存在なのです。
たぶんクビになるでしょう。
それなりに能力を評価されていましたが、結局社会人として当たり前の行為ができない以上クビになります。
たぶん今日(7/27)の出勤ができない場合クビになります。店長としてもそうせざる得ないでしょう。
そうなると私はまた無職となります。
携帯電話代やら家にいくらか入金等お金は必要です。ですので仕事を探さなければなりません。
齢31で職歴めちゃくちゃ(本当の履歴を書くと履歴書一枚じゃ足りません)に仕事はあるでしょうか?
ぶっちゃけ職を選べなければある、でしょう。
しかし、行けなければ意味がないんです。またクビになる。
一部の人に言われた障害者枠での就業。それにすがりついて精神障害者手帳を取得しましたが、現実は厳しいです。
障害者は障害者でも身体障害者が主で精神障害者での求人って殆ど無いそうです。
当たり前ですね。企業は「使える」人材を捜すのですから。精神に異常にある人間なんか欲しいわけがありません。
結局、私は社会に見捨てられた存在です。
ゴミです、クズです。
もう疲れました。
必死に職探して何度もお祈りの言葉聞いてみて、何とかは入り込んだ会社では活躍する暇もなく「社会に適応できない病気」が発動、数日で会社に行けなくなってごたごたになって結局クビ。
こんなサイクル、こんな螺旋を繰り返すのに疲れました。
以前、似たような愚痴を書いたときにこれを「負の矛盾螺旋」と書きました。
そして望みました。この螺旋を斬ってくれる存在を。
九字を切った兼定でこの矛盾螺旋を斬ってくれる存在を。
書いておいて何ですがそんな存在はいません。
他人は助けてくれるかもしれないけど、斬るのは自分自身でしかできない。
残念ながら私にはもうこの螺旋を斬る「力」がありません。逆に螺旋に、繰り返されるアホのような事象に疲れはててしまいました。
だから、死ぬことにしました。
私という存在の死によって矛盾を消滅させる。そうすることにしました。
死の方法は前回と同じにする予定です。
場所は自室じゃ全く持って意味がないので別の場所にします。
なるべく家人に迷惑をかけない場所ということで前々から行きたいと思っていた青木が原樹海に行くことにしました。
初夏とはいえ樹海ならまだ寒いでしょうし薄着で大量服薬すれば低体温症で死ねるでしょう。
それでは、さようなら
…とか書き殴って青木ヶ原まで原付行ったのになんで今生きてるんだろうね?
なんで今、ここにいるんだろうね。
不思議だよ。
青木ヶ原まで行ったはいいけど入り口探してるうちに恐くなって涙目。
さらに不安になって事情を知る友人に電話したら涙がぼろぼろこぼれてきた。
「帰りたい、帰りたい」とか情けないこと言ってた。
それから数日して予想通りリサイクルショップはつつがなくクビになり無職となった。
現在絶賛ハローワークで職を探してる。ネットでも少し応募した。
今までと少し変わったのは障害者雇用をメインに据えていくと言うこと。
あと、メンタル系のジョブカウンセラーの人と相談を開始したこと。
今日ジョブカウンセラーの人と話したけど随分ユニークな人物扱いされた。
自分そんなつもり無いけどそんならしい。
「社会に適応できない病」のせいとはいえ何十回も仕事にトライしてはクビになって…という根性は凄いらしい。
後は能力はあるとかそんなこと言ってたけどそれは上手く乗せるためなんだろうけどね。
来月もう何度か話をするけど結局どんな風になるのかは分からない。少なくとも悪い方には行かないだろう。
結局二度目の自殺企画は未遂以前に終わった。
樹海は禍々しさはあれどただの原生林だった。そう、ただの原生林。
色々な所ではなされているような幻想も死への森でもなんでもなかった。
それを知っただけでも今回のアホ騒ぎは個人的にはプラスになっただろう。周囲に多大なる迷惑をかけたけど。
やはり結局はこの螺旋を断ち切るのは自分自身でしか為し得ないんだと思う。
武器も無い、方法も分からない、仲間は…多分いない。
だけど自分でやらなきゃ行けない。自分で突き抜けなければならない
まずは…九字を切った兼定買うところからはじめようか、ねぇ
すぐに大企業・精華大学系の国有企業「精華ホールディング」の子会社に副社長格で入社し、いまでは親会社の党書記。
この企業の傘下には、子会社、傍系を含め30もの企業がひしめくが、なかでも注目が威視公司(英文名NUCTECH)。核技術から転用した民生用器機を生産する。
同社はX線検査機のメーカーで港湾、飛行場での貨物ならびに荷物、手荷物検査に用いられる。中国の殆どの港湾と空港は、威視公司の製品が納入されている。中国国内のマーケットシェアは90%。
世界のマーケットにも進出し、英国、EU、アフリカ諸国への納入実積も顕著である。最近はフィリピンにも納品したばかり。
不当なる廉価のうえ、中国政府のソフトローンが付帯するという好条件で、英国港湾の入札に競りがち、競合メーカーのスミス社がEU委員会に訴えていた。
「これは不当な競争でありEUの貿易ルールを侵害している」と訴えたスミス社は英国最大のエンジニアリング企業である。
ナミビアでも同様な嫌疑が浮上。5600万ドルのX線機器の入札に、中国政府の特融(ソフトローン)が付帯し、条件は中国製を使うことだったので、ナミビア政府は1200万ドルを頭金で支払った。
ところが頭金を受け取った現地の代理店は、中国人の偽装だったことが判明した。
ナミビアの腐敗追及委員会は、「胡錦涛の息子が関与しているかどうか、訊きたいことが沢山あるので、ナミビアへ出廷すれば歓迎したい」(パウラス・ノア主任)。
ナミビアって、何処にアルか、ご存じですか。アンゴラと南アフリカの間に挟まった、旧ドイツ領南西アフリカのこと。ドイツが去ると南アが侵攻し保護下に。その後、独立。国土面積は日本の二・二倍もあるが、人口わずか210万人。オボンボ族など。
先日の日曜日の昼にやっていたガイアの夜明けのテーマは「就労者の心の病」であった。(たしか11月に放送されたものの再放送だった)
はじめはなんとなく見ていたものの、徐々に食い入るように見てしまった。
ある闘病者の、
「うつは誰でもなる病気。メンタルの強い弱いで言えば、強い人の方が頑張りすぎてバーストする」という主旨の発言を聞き、なんともいたたまれない気持ちになった。
というのも私の同期がそれに当てはまっていたからだ。大学二年時よりインターンとして参画し、優秀故に特例の「一次からイキナリ社長面接」を受け、志望動機も語らぬ内にアッサリ採用をパスした男だ。
私も内定してからインターンとして同じ職場に勤めた。仕事上での係わり合いはなかったが、明らかに「デキるヤツ」だった。彼が年上の社員にレクチャーしているのを見て驚愕した覚えがある。冷静で論理的、空気を読んでバカもできる面白いヤツだった。
入社してから間もない頃、研修として某「モチベーションをエンジニアリングする会社」にて他社の新卒達と競う機会があった。詳細は長くなるので割愛するが、優勝したのは私の率いるチームと彼の率いるチーム。私は勝手に良いライバルだと思っていた。決勝戦がしたかった。
優秀で会社からも嘱望されていた彼だったが、研修後の本配属からだんだんと元気がなくなっていき、入社半年も経たぬうちに「休職」してしまった。
原因は「心の病」
新卒が七人しかいないような会社で、しかもインターンしていたとあって社内に顔見知りの多くいる彼のニュースはあっという間に広がった。
パフォーマンスが低い訳ではないはずだし、もちろん悪評もない。皆が不思議がっていた。
だが私は彼から何となく話を聞いていた。平たく言えば「思い描いた理想との歪みに感じるストレス」と、「持ち前のストイックさが空回り」といったところだろうか。
そこまで聞いておいて彼を救えなかった事が悔やまれるが、私には持論がある。
「心の病は他人は治療できない。解決法は自ら脱出するのみである。待つべし。」
という事。持論なのでここでいう他人=私と思ってもらって構わない。少なくとも私には無理だ。周りの人ができるのは享受のみ。現に周囲から何かを強制されたり促された訳ではなく、「いつの間にか治っていた」という知人が何人かいる。
ネガティブ思考のさらに後ろに立ってそれ以上下がれないようにそっと見守るのが上手いのが精神科医なんじゃないかと思っている。(薬の効力を否定する訳ではない)「こっちの世界が楽しいよ」と情緒不安定な心につけこんでベクトルを強引に曲げるのがカルト宗教なんじゃないかと。
話が横道に逸れたが、実は当の彼、月曜日に部署を変えて復帰していた。4ヶ月ぶりか。なんと嬉しい事か!
感激する私とは対照的に彼は「久々だね」と一言。今度昼飯行こうぜ!との問いには「おう。」と一言。
すげー温度差だなオイ・・・・と思いつつ、感無量の喜びを噛み締めつつ、未だ全快ではない彼の今後を見守ろうと思う。
男増田です。今日ショッピングセンターのトイレを利用したところ、そこの男性用小便器のデザインが今まで見たことのない斬新なものでした、というか、率直に言うとものすごく女性器に似ていました。それだけの話なのですが、色々考えるところがあったので文章にまとめます。以降男性用小便器を『それ』、女性器を『あれ』と呼称します。私はトイレ産業の関係者ではありません。他の業界のエンジニアです。部外者の立場で書きました。
普通『それ』のデザインというと、四角いものを思い浮かべる男性が多いと思います。大きさは様々で、例えばホテルのような高級っぽいところだと、厚みがあって重量感があるものが備え付けてあったり、駅とかだとそれほどでもなかったり。丸っぽいものは学校にありました。それらは大抵小ぶりだったような気がします。正直、今日まで『それ』のデザインについては無頓着だったので、思い出しながら上のような例を書いています。
『それ』は工業製品ですから、基本的には素材の体積で値段が決まると考えられます。大型のものは高価なはずで、だとするとそれは高級感を持つのみならず、パフォーマンスも違ってくるのではないか、と予想します。じゃないと、アドバンテージが少なすぎじゃね、って。
そこで『それ』の性能の指標として『尿のユーザー及び環境へのはね返り』が重要であると想像しました。ここではそれが数字化できるものとして扱い、ユーザーと環境(例えば床)は別々のものですが、まとめて『はね返り係数』と呼称することにします。『はね返り係数』が小さい『それ』ほど優れていて、メーカーはそこで技術競争しているに違いありません。先程の『それ』の大きさに戻ると、大型のものほど尿を受ける曲面の設計に自由度を持たせることができ、結果的に『はね返り係数』を向上させることができます。
さて、開発プロセスをイメージしてみましょう。『それ』を利用するユーザーの身長は様々であり、使用時におけるユーザーと『それ』との距離にもばらつきがあります。使用状態も検討しなければなりません。ケータイで話しながら用を足しているかもしれません。設計では、あらゆる状況でまんべんなく『はね返り』係数を最適化させる必要があります。
私、男増田の経験からいうと、モデル体型を数種類用意して、それにモンテカルロシミュレーションを組み合わせているのではないかと予想します。
このあたりがエンジニアリングですね。
私が見た『あれ』の形をした『それ』に戻ります。第一印象は「細!」でした。ボウリングのピンを上下からつぶしたようで、下部はもっと丸みと厚みががあって包み込むような形状、上に行くにしたがって薄くなり、あげくには水を流す部分が突起を形作っていました。こうして書いていると、私がエロエロでひどい欲求不満のようです。皆様に『それ』をお見せできればいいのですが、写真を撮ってくるわけにはいかなかったですし、「小便器 女性器 デザイン」でググっては見ましたが、製品のサイトにはたどり着けませんでした。正直、他の男増田の皆様が同じように『あれ』を想起されるかどうかは分かりません。
しかし私に関しましては、用を足しながらいやらしい想像が浮かんでくるのを抑えることはできませんでした。思い切って書いてしまうと、中にどくどくとたっぷりと注ぎ込んでしまいました。そこで、はっと気付いたのです。これは人類学だと。
ユーザーに『それ』が『あれ』だと思い込ませることができたならば、その時のユーザーの行動をより理解することができ、結果製品のパフォーマンス向上につなげることができます。射精だったら上手に狙ってこぼさずに。つまり『それ』の曲面設計よりも、『それ』のデザインによって『はね返り係数』の最適化が可能になるのです。人類学・民族誌学的アプローチです。
短所としては、『あれ』を想起しない人、特に『はね返り係数』が高そうな子供には何の効果もない、という点が挙げられます。ただ、それ以外の長所として、『あれ』が比較的小さいために洗浄に使う水の量を減らせるということもあると思います。
色々書きましたが、中の人の意見がない限り私の空想に過ぎません。ただ、『あれ』の形をした『それ』との遭遇は、休日の私にちょっとした思考をくれました。
今年の、というか2009年度入社向の採用活動(就職活動)もそろそろ終盤な感じの今日この頃ですね。うらやましいことに、最近は本当に売り手市場のようで、母校に帰っても後輩は皆一流企業から内定を得ていて泣けてきます。就職が厳しいと評された最後の年の卒業生としても、一流企業とはとても名乗れない会社の下っ端リクルータとしても。まあ私程度で就職が厳しいなどといえば、本当に氷河期の方々に殺されそうですが。
さてリクルータとして採用活動をする上で、色々と思うことがありました。最近の学生はやたら美味しいもの食べさせてもらってていいなあ、とか、高いもの食べさせてもらっていいなあ、とかではなく、例えば学生が思っている「設計」という仕事と、うちのようなエンジニアリング会社での実際の「設計」という仕事の違い、とかです。
声を大にして言いたいのは、「設計は製図ではない」ってことです。「設計の仕事を希望している理由は?」と問うて、「製図が好きだったんです」「CADが好きだったんです」と答える学生のなんと多いこと!設計には製図も含まれますが、決して「製図=設計」ではありません。むしろそこそこ大きな会社になればなるほど、設計屋と製図屋は分離しています。「設計=考えること」「製図=それを絵にすること」であり、大体価値として「考えること>絵にすること」とされています。製図単体では価値もない、とすら思われています。ゆえに、「考えられる人間は安い仕事(製図)などするな。考えることだけに専念しろ」と指導されるわけです(まあ設計者が考える仕事に没頭できているかというと甚だ疑問ですが。結局設計として行う仕事の大半は調整業務です。とはいえこれは別の話)。
図面を描く行為が好きな人は、エンジニアリング会社ではなく、設計を専門にやっている設計会社に行く方がいいでしょう(ちなみに製図だけ、ではないです)。設計専門ではなく総合的にやっているところに行った場合、図面を描いていられるのは入社当初の一、ニ年だけです。
志望理由を問われて「とりあえず」の回答として「製図が好きなんで><」を選んでるだけの人は、ちょっと改めた方がいいです。聞いた人間はやはり「じゃあCADオペになればいいじゃん」と思います。別にそれで落としたりはしませんが、製図が好きなのか?(狭義の)設計が好きなのか?両方やりたいのか?そのくらいは考えて、きちんとそれに沿った就職活動をしてほしいなあ、と思うわけです。
私は今の会社に満足しているのですが、それでもどちらかというと基本計画を立てる仕事よりはそこから詳細設計する仕事の方が向いていたなあ、と思います。製図を含む詳細設計のあたりが一番楽しいと、個人的には思っているのです。まあ私自身が「製図好き><」で設計の職を選んだ口なので偉そうなことはいえないわけですが。でもちゃんと就職したら製図ができなくなるだろう、というのは認識していました。その認識がないと、本人も、会社も、不幸ではないかなーと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20080215165308
この増田は何を言いたいのだ?文章を読んでもさっぱりわからない。
なんでこの増田にはてぶがつくの????
文系の人間が全て論理的思考ができないとは思わないが、自ら「文系」を名乗る人間がこんな論理的ではない文章を書くと、「文系」という幅広い分野が論理的思考が弱いような印象を持ってしまう。
さらに、文章を読む限り、元増田はどうも論理的思考について軽んじているように感じられるが、元増田には「論理的思考ができていないと、文章の説得力がなくなる」という当たり前のことを知って欲しい。
元増田の書いた文は、まさに論理的思考のなされていない文章だよ。
論理的思考力というのもそうなんだが要するに集中力と持続力ですよ。
だから、1年かけて絵を仕上げたとか、不利な対局でも投了を認めざるを得ないとこまでがんばるとか、そういう事と等価な部分はあるでしょう。
それまでの議論が「数学が論理的思考力を育む」「論理的思考の習得が数学である必要はない」という数学の必要性→論理的思考の習得が妥当かというものであったのにもかかわらず、いきなり「集中力と持続力」の話を持ち出してる。数学に「集中力と持続力」は直接関係ないでしょう。もし、関係があると考えているならば、数学と「集中力と持続力」がどのようにつながるかを説明しなければならない。
さらに、「集中力と持続力」のつながりで「1年かけて絵を仕上げる」「不利な局面で粘る」という例を示しているが、この例は数学とは全く関係がない。「そういう事と等価な部分はある」と何か価値があるように書いているが、まずもって「そういう事」とは何なのか、等価だから何か言えるのか、何も書いていない。
うんざりするような単純作業を、完成形をイメージしてこつこつ進めるという事は、「すぐに結果を出すこと」とは矛盾するし、頭のよい人ほど安直に結果を出すことを求められがちになるけど、みんながそれをやったら責任のなすりつけあいと業績のかすめとりあいで社会が貧しくなるので。
論理的思考が必要な理由の一つは、「安直に結果を出さない」または「安直に出された結果を許さない」ことにある。
責任のなすりつけあいや、業績のかすめとりあいを引き起こす原因の一つは、論理的思考の欠如にあると言っても良い。
「あのときアイツがミスったから、全部ダメになった。」 → 失敗の原因を安易に特定し、責任をなすりつける
「自社製品を売るために、独自の規格で販売しよう。」 → 自己の小さな利益にとらわれ、市場規模拡大や消費者利便向上を無視している
常日頃よくみるタイプの考え方だが、様々な要素をモレ・スキのないように埋めていく論理的思考があれば、このような「安直な結果」は生まれない。
http://anond.hatelabo.jp/20080215222923
この元増田が書いているが、
数学の問題を解くときに
1) x > a の時
2) x < a の時
3) x = a の時
のような答え方になる時があるだろ?あれは全ての場合を考えてスキのないようにしているのだ。
この数学で学ぶ論理的思考が、「安直な結果」を生まない思考能力を育てる。
あとは長いし、文章に意味もないので割愛するが、一点だけ気になるところが。
エンジニアリングがうまくいって世の中に人工物が溢れた結果が、数学があんまり役に立たない、という現状をもたらしたともいえます。
この理屈からしても、「数学があんまり役に立たない」のは、あくまでエンジニアリングに携わらない人間に限るということは注意しなければならない。万民に数学が役に立たなくなったわけではなく、数学が必要な人間と、数学が必要のない人間とに別れているということだろう。(万人に数学が不必要なんて書いてないが、)
マーケティングや情報通信、金融、販売、農業、etc、自分の頭を使って何らかのシステム(数字を扱わないものも含む)を作る行為を「広義のエンジニアリング」と捉えると、論理的思考はそれぞれに必要な技能ではないかと思われる。様々な状況に応じて対応することの出来るシステムを構築するには、「AだからBになる」という演繹的な考え方や、「A/B/CからDが推察される」という帰納的な考え方が必須になるから。
その、論理的な思考を育てる方法として、数学が最も適しているかどうかは正直に言えばよくわからない。ただ、論理体系がしっかりしており基礎理論が固まっているという点で、等しく多くの人間に行う教育としては適切だと思う。
蛇足だが、作られたシステムを享受するだけの人間(単純労働者)や、まったくシステムとは離れた所で活動する人間(芸術家など)には、数学は必要ないかもしれない。