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はてなキーワード: エデンの園とは

2024-01-08

こっちはチン子〜♫こっちはマン子〜♫じゃあこっちは〜?

である主は、見るからに好ましく、食べるのに良さそうなあらゆる木を地から生えさせ、園の中央には、命の木と善悪知識の木を生えさせた。

主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪知識の木を生えいでさせられた。

また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。

である主は言われた。「人は我々の一人のように善悪を知る者となった。さあ、彼が手を伸ばし、また命の木から取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう。」

主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」

神は人を追放し、命の木に至る道を守るため、エデンの園の東にケルビときらめく剣の炎を置かれた。

こうしてアダム追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。

神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。

2023-09-26

(ほとんど)すべてについて間違っている――デヴィッド・グレーバー&デヴィッド・ウェングロー著『万物黎明書評

万物黎明』の中心的なアイデアは挑戦的だ。人間とは政治的冒険的で実験的なものであり、自由平等呪縛の後に、変化を起こすために抑圧を選ぶ傾向があると言われるほどである歴史は、ある極端なものと次の極端なものの間を揺れ動く、リズミカルな形をとっている。しかし近年、私たちは皆、ひとつ体制から抜け出せなくなっており、その理由理解しようと努めなければならない。

これらすべては新しく新鮮ではあるが、信用できるものではない。私は、私たち人間性を規定する政治的本能社会的感情は、平等主義という条件の下で形成されたという人類学的な標準的見解の方を好む。今日に至るまで、私たちは皆、対等な仲間の中で笑ったり、遊んだり、社交したりできるときに最もリラックスし、幸福を感じる。しかし、グレーバーとウェングロー(以下、G&W)は、このような私たちに馴染み深い経験を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先平等主義者であったという考え方全体に反対している。彼らの見解では、彼らは抑圧されることを選択した可能性が高い。

彼らの言葉を借りれば、「われわれの人間性の本質が、われわれが自意識的な政治的行為者であり、したがって幅広い社会的取り決めを受け入れることができるという事実から成り立っているとすれば、人類歴史の大部分にわたって、実際に幅広い社会的取り決めを探求してきたはずだということにならないだろうか」。これらの可能性の中には、著者たちが容易に認めているように(86-7頁)、チンパンジーのような虐待的な支配階層も含まれている。G&Wは、もし我々の祖先がそれほど冒険好きであったなら、きっと平等主義だけでなく、攻撃的でいじめっ子のオスによる嫌がらせ虐待支配実験しただろうと主張しているようだ。

G&Wは、私たち革命過程社会的道徳的人間になったという考えに対する一貫した攻撃の中で、これらの点を指摘している。私はずっと、人間言語意識親族関係道徳は漸進的な進化過程進化し、それが巨大な社会的政治的革命で頂点に達したという考えを探求してきた。私の動機は常に、人間本来利己的で競争的だから社会主義不可能であり、「革命でさえ人間の本性を変えることはできない」という一般的偏見に挑戦することであった。

はいつもこう答えていた。そう、私たち類人猿一種である。そう、私たち霊長類のいとこたちのように、競争的で利己的、攻撃的でしばしば暴力的本能を持っている。しかし、それが私たち成功の原因ではない。優秀な母親父親になる能力自分の子供だけでなく互いの子供を思いやる能力道徳的ルール確立する能力他人自分を見ているように自分も見ている能力音楽ダンス言語を使って夢を共有する能力など、私たちの本性にまつわる人間的な特徴すべてが、まさに歴史上最も偉大な革命産物であり、成功した革命なのだ

クリストファーボーム人間革命

この「人間革命」の複雑さを詳述した私自身の著書(Knight 1991)が出版されてからほぼ10年後、人類学者のクリストファーボーム(Christopher Boehm)は、その洞察にもかかわらず、最も重要な要素であるセックスジェンダー力学についての言及を一切省くことで、政治的観点から安全策を講じた理論バージョンを発表した(1999)。G&Wが人間革命理論の信用を失墜させるために明示的に言及するのに十分安全だと考えているのは、この抽象的でユニセックスバージョンなのである

ボームは、私たちの最も古い祖先は、一方的な協力者でも一方的競争者でもなかったと指摘する。それどころか、他者支配する一方で、支配されることに抵抗するために同盟を結ぶという心理的傾向があった。このような下から集団的抵抗は、最終的には、リーダーになろうとする者が集団支配するのを阻止するために、全員が一丸となることで頂点に達した。私たち祖先チンパンジー的な支配は、今や逆転し、「逆支配」、つまり平等主義的な倫理観コミットした道徳意識の高い共同体による支配へと結実したのである

G&Wは、人類は「......何をすべきか指示されることを自意識的に嫌うようになった」(p.133)という考えに賛同している。この文脈では、現存する狩猟採集民が「嘲笑羞恥、遠ざけ......他の霊長類類似するものはない」(p.86)、「自惚れ屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために集団採用される戦術の数々」を示していることに同意している。彼らがまったく関心を示さないのは、そうした戦術進化過程人間の本性を形成する上で重要役割を果たしたという考えである

ボーム説明に対する反論をまとめると、狩猟採集民が一貫して平等主義を好んでいたという示唆は、「何万年もの間、何も起こらなかった」という「奇妙な主張」であるという。狩猟採集民の祖先が一貫して平等主義的であったとすれば、彼らの政治的生活は何らかの形で凍結され、時間が止まってしまったに違いない。G&Wは次の言葉で締めくくっている:約12,000年前以前、人類基本的平等主義者であったとボームは主張する。ボームによれば、約20万年間、[これらの]政治的動物はみな、ただ一つの生き方を選んだのである」。(p. 87)

唯一の問題は、これはボームが書いたことではないということだ。彼の実際の言葉引用に値する:

ひとたびどこかのバンド平等主義的な秩序を発明すれば、この社会的なやり方の根本的な変化は近隣のバンドにも目につくようになる。特に、非常に攻撃的ないじめっ子を擁するバンドでは、部下が支配されることに対して両義的であれば、どこでもその利点は明らかだっただろう......。魅力的な平等主義の伝統が、地元では専制的な伝統に取って代わり、徐々に文化的拡散が起こると予想される。やがて、より長い距離を移動する移動パターンによって、この政治的発明がかなり急速に大陸から大陸へと広まっていったと考えられる。(Boehm 1999: 195)

これが成功した革命のやり方だ。ボームの主張は単純に、1万2千年前まで『人類基本的平等主義者だった』というものではない。そうではなく、初期の人類はさまざまな政治システムを発展させながら、平等主義というひとつ特に成功したモデルに徐々に収斂していったというのである

万物ティータイム

かなり不当なことに、『万物黎明』は現代進化論を社会進化論混同している。社会進化論とは、「未開」から「野蛮」を経て「文明」へと進歩する段階のはしごを描いた19世紀物語であるダーウィニズム科学である私たちは語り聞かされるが、実際は純粋神話である。G&Wはそのように空想的に、進化論を全く認めない人類起源に関する視点を、読者が真剣検討することを期待している。

この著者たちが認める唯一の科学は「考古学科学」であり、その考古学がさほど遡らない場合のみである。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と、時折出てくる火打石のかけら」(p.81)からは何も読み取れないという理由で、「万物黎明」をわずか3万年前とすることを正当化している。

このような言い訳は、私たちの種の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、以前考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという最近証拠に照らすと、もはや通用しない。この証拠は、骨や石に限らず、ビーズ幾何学的な彫刻、墓用品を伴う埋葬、砥石や絵の具壺などの工芸品で構成されている。G&Wは、これらの発見のうちの1つか2つに気づいてはいるが(83-4頁)、ほとんど関心を示していない。最先端ダーウィン理論を黄土の記録に適用すれば、社会力学儀式の実行パターン性別による同盟関係についての予測を生み出す可能性が非常に現実的になるにもかかわらず、である。(Power 2019; Power et al.

残念ながら、これらの著者たちは、どのような形であれ、ダーウィニズムには近づこうとしない。彼らは、彼らが「フェミニスト」と呼ぶ人物(実際には霊長類とヒトの社会生物学の創始者として高く評価されているサラ・ハーディ)が、人間本能心理形成における集団的育児重要役割について「物語」を考え出したことを認めている。「神話は悪いものではない」とコメントしながら、彼らはこの特別神話を「重要もの」と表現している。そして、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、このような洞察部分的ものしかなりえない」(p.82)と口にして、すぐさまこの神話疑念を投げかける。この種のトリック--この場合は、ハーディ画期的研究が、私たち共通ミトコンドリアDNA祖先年代測定より200万年ほど前のホモ属の出現に焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

石器時代新石器時代考古学に興味のある読者なら、本書には興味をそそられる推測がたくさん書かれているだろう。しかし、私たちがどのようにして人間になったのか、つまり、異常に明瞭な目、並外れて大きな脳、独特の社会的感情、笑い、音楽言語に対する生得能力などがどのようにして発達したのかに興味がある人には、まったく何も見つからないだろう!

タイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『万物ティータイム』の方が正確だろう。物語は、氷河期フランススペインに描かれた壮大な洞窟壁画で知られるヨーロッパの後期旧石器時代から始まる。著者によれば、その段階でようやく考古学面白くなってくる。初めて、社会の複雑さ、階層、豪華な埋葬などの証拠が見え始めるのだ。

さな狩猟採集民のバンド

G&Wにとって、狩猟採集民の祖先アフリカもっと早くから平等主義的なライフスタイル確立していたという事実は、さしたる関心事ではない。彼らは、タンザニアのハザ族のような現存する狩猟採集民が資源を共有していることは認めるが、それを賞賛する代わりに、蓄積への抵抗が「社会的複雑性」の出現を妨げていると不満を述べている。著者たちは社会階級という概念を嫌っているようだ。

まり狩猟採集民は富の蓄積に抵抗することで、複雑性を妨害する、つまり階級社会の発生を阻止するのである。G&Wはここで狩猟採集民の専門家であるジェームズ・ウッドバーンの権威を持ち出している。彼らは彼の研究から、「真に平等主義的な社会を維持する唯一の方法は、あらゆる種類の余剰を蓄積する可能性をまったく排除することである」(p.128)と結論づけている。このことは、社会の複雑さを排除し、人間文化的知的生活の豊かさを排除することになると彼らは主張する。

ウッドバーン(1982、2005)は確かに、蓄積に対する意図的抵抗狩猟採集民の平等主義を支えており、意識的になされた政治的選択を表していると主張している。彼は、このような平等主義は非蓄積型狩猟採集民だけの特徴であると観察し、「即時回帰」こそが人類経済の原型である結論づけた。しかしウッドバーンは、そのような平等主義に複雑性が欠けているとは主張しなかった。実際、彼は「単純な」社会形態と「複雑な」社会形態との二項対立有害で誤解を招くものとみなしていた。ウッドバーンにとって、平等主義を維持することはこの上なく洗練された達成であり、単に不平等が生じるのを許容するよりもはるかに高いレベル政治的知性と複雑性が要求されたのである。ハザ族には、必要以上の富を蓄積させることがいか危険かを理解する知性があると彼は説明した。

富の不平等は許されない

しかしG&Wによれば、富の不平等問題ではない。彼らの立場を支持するために、彼らは17世紀ヨーロッパの「文明」を批判したファーストアメリカンカンディアロンクを引き合いに出している。やや説得力に欠けるが、彼らは、カンディアロンクと彼の最初アメリカ人共同思想家たちは、「富の差が権力の体系的不平等に変換されうることを想像することさえ困難であった」(p.130)と断言している。

G&Wは、即時回帰型の狩猟採集民が富の不平等が生じるのを拒んだことを認めている。しかし驚くべきことに、彼らはこの状況全体を期待外れとみなしている:

こう言うと、何か希望に満ちた楽観的な話に聞こえるかもしれない。実はそうではない。この言葉示唆するのは、やはり、最も単純な採集者以外には、その名に値する平等本質的に不可能だということだ。それでは、私たちにはどんな未来が待っているのだろうか?

どんな未来アフリカ狩猟採集からインスピレーションを得ている活動家たちは、現代都市生活者を、不運なハッザ族のように、小さな遊牧民集団の中で繰り返される単純な生活に「はまり込む」よう招いている、と彼らは示唆する。

はっきり言っておくが、私は原始主義者ではない。私は技術的、社会的政治的発展に賛成である。ハザ族は、必要に応じて富を共有し、笑い、歌い、遊びの中で「時間を浪費」し、誰かに支配されることに抵抗し、他のすべての心配事よりも互いの子供の世話を優先することが、充実した楽しいことであることを示している。開発に関して言えば、この政治的に洗練された弓矢ハンターたちは、私たちに多くのことを教えてくれるだろう。

(続く……)

万物黎明』は人類歴史を誤解している

はじめに

急進的な著者の本が主流紙で書評されることは、ましてや好意的評価されることは滅多にない。デヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングローによる『万物黎明』は例外であるわずか2ヶ月前に出版されたこの本は、すでに世界で最も影響力のある英字新聞雑誌の多くから賞賛を受けている。

著者のアナーキズムの主張に疑問を呈する書評家でさえ、「3万年にわたる変化に関する岩盤の前提を覆す見事な新説」(アトランティック誌)、「多くの大陸と数千年にわたる文明に関するめくるめく物語の数々、そのすべてが自由であることの意味に取り組んでいる」(ワシントン・ポスト紙)と称賛している。また、ソーシャルメディア上の左翼的投稿者たちからも、好意的コメント-場合によっては絶賛!-が寄せられている。

しかし、以下に掲載する2つの書評は、いずれも唯物論人類学者によるもので、この本の人類史に関する記述は、大量の反対証拠無視しており、その政治的主張観念論的で自発主義であると論じている。どちらの書評特に女性抑圧の原因を考察していないことに批判である

クリスナイトはユニヴァーシティカレッジロンドン人類学上級研究員で、アフリカにおける人類起源研究するチームの一員である。著書に『Blood Relations(血のつながり)』など:Menstruation and the Origins of Culture』、『Decoding Chomsky: Science and Revolutionary Politics』などがある。The Dawn of Everything』の書評はTimes Higher Education掲載された。

ナンシーリンディスファーンジョナサンニールはともに人類学者として訓練を受け、人類進化階級社会性的暴力についての本を執筆中。ナンシーの近著は、リチャード・タッパーとの共著で『Afghan Village Voices』(アフガニスタンの村の声):Stories from a Tribal Community, 2020』であるジョナサンの近著は『Fight the Fire: Green New Deals and Global Climate Jobs』。The Dawn of Everything』の書評エコロジスト誌とブログ『Anne Bonny Pirate』に掲載された。

どちらの書評も著者のご好意により再掲載されている。

根本的に支離滅裂で間違っている byクリスナイト

本書は楽しく、有益で、時には爽快である。また、根本的なところで支離滅裂で間違っている。ヨーロッパ洞窟壁画が現れ始めた頃からの、比較最近先史時代について学びたいのであれば、必読の書であるしかし、人類最初に笑い、歌い、話し、芸術儀式政治創造し始めたのはなぜなのか、どうしてなのかを知りたければ、きっと失望するだろう。

この本のタイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『お茶時間』の方が正確だろう。ホモ・サピエンスヨーロッパに到着する何万年も前にアフリカで始まった文化の開花を体系的に横取りし、この物語はあまりにも遅く始まる。

欠点はあるが、この本は広報勝利であるフリードリヒ・エンゲルスが『家族私有財産国家起源』を出版して以来、左翼知識人活動家人類社会的起源先史時代過去について学ぶことにこれほど興奮したことはない。

短い書評では、本書の幅の広さと博識を伝えることはできない。その核となる政治メッセージ露骨だ。平等主義狩猟採集民が生活の中で共産主義実践したというエンゲルスの話は神話である。『万物黎明』はエンゲルスを見事にひっくり返している。第4章の結びの言葉引用すれば、「私有財産に "起源 "があるとすれば、それは聖なるものの考え方と同じくらい古いものであり、おそらく人類のものと同じくらい古いものであろう」。デヴィッド・グレーバーは、マーシャル・サーリンズとの共著『王について』の中で、神の王や森の精霊のような想像上の超自然的な存在が常に人々に対して権威行使してきたこから国家権力の原理人間の条件の不動の特徴であると主張している。

よりによってアナーキスト国家必然性を受け入れるのは逆説的に思えるかもしれない。しかし、本書はそのメッセージに重みを与えている。そう、著者は言う。アナーキスト的な自由は実現可能だが、それは貴重な瞬間や飛び地に限られると。もうひとつ世界可能である」という革命スローガンはもうたくさんだ。その代わりに、グレイバーとデイヴィッド・ウェングローは、「階層平等は、互いに補完し合うものとして、共に出現する傾向がある」と主張している。ある場所自由を手に入れるには、別の場所での抑圧を受け入れるしかない、と彼らは言っているようだ。

著者たちはダーウィン自然淘汰理論違和感を抱いており、現代進化論を「社会進化論」と混同している。現代進化論は科学であると主張するが、実際は純粋神話であるグレイバーとウェングローは、進化論をまったく認めない人類起源についての視点を、読者が真剣検討することを期待しているのだ。

彼らが認める唯一の科学応用科学であり、この場合は「考古学科学である。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と時折出てくる火打石のかけら」からは何も読み取れないと主張することで、「万物黎明」の年代わずか4万年前とすることを正当化している。この言い訳は、人類の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、これまで考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという、説得力のある最近証拠に照らすと、弱々しく見える。その証拠とは、骨や石だけでなく、ビーズ幾何学的な彫刻、埋葬品、砥石や絵の具壺などの工芸である

彼らが "フェミニスト "と呼ぶ人物(実際には進化人類学第一人者サラ・ハーディ)が、現代人の本能心理形成する上で集団的育児重要役割を果たしたことについて興味深いことを言っていることは、グレーバーとウェングローも認めている。しかし彼らは、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、そのような洞察部分的ものしかなりえない」とコメントしている。この種のトリック--この場合は、ハーディ研究が "アフリカイブ "の年代測定より200万年前にホモ属が出現したことに焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

グレーバーとウェングローは、初期の平等主義を "有害神話 "として否定する一方で、狩猟採集民の多くが "自称自慢屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために、嘲笑羞恥心敬遠など、他の霊長類には見られない戦術を総動員している "ことには同意している。ではなぜ彼らは、私たち人間性規定する本能能力平等主義的な生き方によって形成されたという考えに敵対するのだろうか?

私たちは皆、社会的政治的に対等な人々と笑い、歌い、遊び、交わることができるとき、最も幸福を感じる。しかし、グレイバーとウェングローは、この事実を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先も同様に、攻撃的な男性による嫌がらせ虐待支配を選んだかもしれないと言っているようだ。進化人類学クリストファー・ボームが描く、反権威主義抵抗の中で形成された道徳意識の高い社会に対する反論をまとめると、狩猟採集民の祖先は一貫して平等主義を好んでいたという彼の考えを、彼らは「初期の人類さりげなくエデンの園に投げ返している」と表現している。

グレーバーとウェングローの基本的論点は、政治選択の自由に関するものである。彼らの考えを説明するために、人類学古典であるエスキモー伝統的な生活説明を思い起こさせる。アザラシを狩る彼らは、夏の間は家父長制的な家族構成確立し、冬の間は共同生活(夫と妻を含むすべてを共有する)に戻るだけである私たち人類は、その本性上、大胆な社会実験に駆り立てられるのだと著者は結論づける。その結果、奴隷制度や人身御供、大量殺戮といった極端なヒエラルキー形成され、破滅的な結果を招くこともある。しかし、遠い過去の良い点は、少なくとも現代のようにひとつシステムに縛られることはなかったということだ。

この歴史対立と交替に満ちているが、その周期性はエスキモーの周期性に倣ったもので、一方的な季節性であるグレイバーとウェングローは、ほとんどの狩猟採集民が季節だけでなく月の周期にも従っていることを知らないのだろうか。月経の満ち欠けと結びついた女性儀式は、基本的に月によって予定されている。

著者たちが問いかける重要な問いは、"なぜ不平等になったのか?"ではなく、"なぜ行き詰まったのか?"である。彼らは自らの問いに答えられるところまで来ているだけに、そこにたどり着けないことに深い苛立ちを覚える。自らに課したハンディキャップひとつは、女性人類学者による狩猟採集民の研究を見落としがちなことだ。例えば、適切な参照もなしに、彼らはモーナ・フィネガンの共産主義概念に触れている。彼女は、コンゴ熱帯雨林に住む女性たちが、男性たちが筋肉質な勇気と優位性を発揮する可能性を示すよう意図的に促していることを記録している--男女間の「力の振り子」で優雅降伏する前に、「ンゴク」と呼ばれる女性だけの儀式男性たちをあざ笑い、反抗するのだ。しかし、グレイバーとウェングローは、この政治的知性の表現を認める代わりに、ここでの成果やパターンを見出すことなく、それに言及している。

なぜ私たちは行き詰まったのか?正しい答えは、人類が農耕に依存するようになり、太陽暦が月暦の儀式よりも執拗に優先されるようになったからだ。私が最もよく知る先住民タンザニアのハザ族の弓矢猟師たちは、今でも彼らの最も重要宗教儀式であるエペメを、新月前後の最も暗い夜に毎月行っている。

太陽と月の中間的な存在であり、世界中でたどり着いた無数の妥協案のひとつが、中世ヨーロッパで毎年行われていたカーニバル伝統である庶民が今でも大切にしている伝統は、家父長制の秩序を逆転させるこのライセンスだった。

残念なことに、この「新しい人類史」は、その始まりがあまりにも遅く、アフリカ物語から切り離されているため、女性の抑圧とマンネリ化した現在の苦境との因果関係説明することができない。

すべての条件が同じだとすると byナンシーリンディスファーンジョナサンニール

グレーバーとウェングローの新著は、エネルギッシュで、献身的で、万華鏡のようだが、欠点もある。これは私たち問題を提起している。

デヴィッド・グレーバーわずか1年前に若くして亡くなった。彼の代表である『Debt』は、部分的には思わせぶりかもしれないが、その野心は当時としては刺激的だった。活動家として、またオキュパイ運動社会正義運動リーダーとしてのデイヴィッド・グレーバー活動は異例であり、模範的であった。LSE人類学部門の同僚たちからの彼への尊敬愛情は、そのことを物語っている。そして、彼の心は常に虐げられた人々とともにあった。

しかし、グレバーが善人であり、つい最近この世を去ったばかりであったからこそ、多くの人々にとって『万物黎明』が、今後長い間、不平等起源に関する理解の枠組みとなってしま危険性がある。

本書の裏表紙には、レベッカ・ソルニットパンカジ・ミシュラ、ノーム・チョムスキーロビン・D・G・ケリーといった、著名で立派な思想家たちから賞賛言葉掲載されている。ケリーはその代表的な例として、「グレーバーとウェングローは、私がこれまで世界歴史について考えてきたことを、事実上すべて覆した。この30年間で読んだ本の中で最も深遠でエキサイティングな本だ」。

この本は最近マスコミでかなり注目されているが、このような賞賛一般的見方になったら残念である

人類進化歴史における不平等起源という問題は、私たちがどのように世界を変えようとするかという点で、非常に重要であるしかし、グレイバーとウェングローは平等階級に目を向けることなく変化を求め、環境生態系説明を敵視している。これらの欠点保守的意味合いを持つ。

では、ここから。これは膨大な本の、乱暴部分的書評である私たちは、グレバー知的議論の切り口を愛し、得意としていたという知識自分自身を慰める。

ジレンマ

この本の最後段落、525-526ページで、グレーバーとウェングローは自分たち立場を明確に示している。彼らはこう書いている、

例えば、他のあらゆる点で厳密な研究が、人間社会には何らかの「原型」があり、その性質基本的に善か悪かであり、不平等政治意識存在する以前の時代があり、このすべてを変えるために何かが起こり、「文明」と「複雑さ」は常に人間自由と引き換えにもたらされ、参加型民主主義は小集団では自然であるが、都市国家のようなものまでスケールアップする可能性はない、という未検証仮定から始まる場合

私たちは今、神話を目の前にしている」

まり神話を打ち砕く者たちは、人間社会の原型は存在しないこと、不平等政治意識が生まれる前の時代存在しないこと、事態を変えるようなことは何も起こらなかったこと、文明や複雑さが人間自由制限することはないこと、参加型民主主義都市国家の一部として実践可能であることなど、正反対のことを言っているのだ。

このような断定的な声明は、非常に大胆に述べられ、新しい人類史を書いたという彼らの主張を魅力的なものにしている。しかし、2つのつまずきがある。

第一に、彼らの主張そのものが、彼ら自身政治プロジェクト対立している。第二に、証拠が彼らが言おうとしていることにそぐわない。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143527

2023-08-14

エ〇イプ詐欺ゲラゲラ笑いながら引っかかってみた

実に頭の悪そうなタイトルである。私もそう思う。だが、このタイトルの行動はが私の先日実際にしたことである


以下大いに不健全な内容が含まれるため、18歳未満と見たくない方にはブラウザバックを願いたい。

なお、エロという文字列から期待されるような官能的な内容ではないとも書いておきたい。生々しい人間というもの描写したというのが最も適切だろう。










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この世の中は需要供給で回っている。これは普段の購買活動にしても、タイトルにもした詐欺にしてもそうだ。

人間の三大欲求、食欲・睡眠欲・性欲はこれらの購買活動駆動するだろう、するに違いない(睡眠欲はそれを阻害する需要が大きいのかもしれないが)。

人間欲求は果てしない。例えば人間はやたらと(ギリ)食べられそうなものを食べようとする。エデンの園の知恵の実に始まり、近年ではダイオウイカを食べてみたりもする。


性欲の果てしなさでいえば、性欲を抱えた人々によるこの世の終わりのような空間とある場所には広がっていたりもする(これは所謂産業従事者を揶揄したものではなく、インターネット上の掲示板の類について書いたものである。むしろ、性産業従事者の方々には頭が上がらないとまで私は思っている。)。あの空間には大量の性欲を抱えた人々が集まる。そして、相手の欲をそそる様なメッセージを書いて待機し、繋がったお互いを性的消費し、空間全体でみると需要だんだんと満たしている(ただし一方的な消費も少なくない)。さて、この空間基本的にはユーザー数が男性女性であることから男余りが激しいのだが、こうした状況がそこに存在すれば、これを利用する人間というものが現れるのだ。これが今回触れるような人間欲求による需要を利用した詐欺をする人間だ。


需要があれば人はそれを利用し金銭を稼ごうとする。これは資本主義的な考えだと思う。

例の掲示板を初めて知ったとき、私は好奇心からそこをしばらく(というか複数日にわたって)眺めていた。性的欲求存在否定しないが、それ以外にも好奇心があった。そう、それはそこを利用するユーザー、そして金銭を稼ぐ場として利用する人間に対する好奇心だ。性欲に燃える人間想像以上に生々しいし、冷静に見ると面白いものでもある。この好奇心動物園珍獣を見ているときに通ずるようなものなのだろうか。それはともかく、そこには性に飢えた男性を誘い、金銭を得ようとしているユーザーの姿があった。これで遊んでみるのが今回の主題だ。様々な意味大人のおもちゃだと思う。

この空間で異性を誘うときにも多様な売り文句があるわけだが、大きく分けてチャットで楽しむもの商売のものに分けられる。前者は官能的なやり取りをチャットで楽しむこと、後者は対価の提供の代わりに金銭要求している。後者に関しては女性ユーザー男性ユーザーターゲットとして行うことがほとんどである。この後者商売系の中で6割程度がきちんと売り文句にある"対価"(その掲示板では女性の自らの生まれた姿の画像女性が自らを慰さめる行為動画男性の自らを慰める行為サポート(通話)などが見受けられた)を提供していて、4割程度が詐欺師もしくは業者なのではないだろうかと思った(勝手な予想だが)。


好奇心が抑えられなくなった私は、ドブに金を投げ込むようなことをしてでも一度取引してみたくなってしまった。詐欺師に引っかかってみたいと。押すなと言われたら押したくなるように、関わるなと言われたら関わりたくなる。まあ私も性的欲求を超越した人間ではないため、運が良ければ満たされたい、そのくらいの軽い気持ちで行動をした。性欲も好奇心もまた人をアホにする。幸い労働をしていて独身のため、投げ捨てる金はあったし、さすがに犯罪に巻き込まれるようなことはないだろうと踏んだ(というよりは犯罪に巻き込まれなさそうな純粋詐欺師または女性ユーザーを選定した)。

もちろん多額の金銭を捨てることは厳しいため、1000円で自分を慰める行為通話で手伝ってくれるという女性ユーザーAの誘いに乗ってみることにした。最低賃金程度であれば捨てても諦めがつく。今回ここで画像動画を送ってくるようなユーザーを選ばなかったのはある種のリスクヘッジだ。当該ユーザーがもし未成年であることを偽っていたとしたら堪ったもんじゃない。あの空間未成年であるか否かを調べる術はないため、絶対にこういうことは気にしたほうが良い。お前は賢者なのかアホなのかはっきりしろと今となっては思う。


Aが言うには1000円でこちらが自分を慰めることを最初から最後まで通話で手伝うらしい。念のため年齢を確認すると、Aは18歳と言っていた。男は年齢層が上がっても1020代が好きという話はよく聞くので、10代、特に18歳を名乗ることは彼女たちからしたら合理的なのだろう、本当に18歳なのかもしれないが。何かとやり取りをして、このドブに金を捨てるぞと覚悟を決めたところで、向こうの指示に従って通話ツール決済手段を用意した。中略するが、一度通話確認をしたあとで決済をした。あと通話確認時の声が気になった、かなり声を作ってるか、男の娘概念までありうるようにも聞こえた、これはあくまでも推測の域を出ないが。

決済完了確認次第こちらに掛けてくるとのことだったが、半ば予想通り掛けてくることはなかった。ちゃっかりと金銭を受け取って、あとは飛ぶというわけだ。

やや悔しいといえば悔しいのだが、1000円でこのような詐欺に引っかかってみることができたのは少し面白かった。段取り含め予想していた手口を丁寧になぞっていたのは興奮した(決して性的ではない興奮)。これはさすがに組織的犯罪資金源にはなっていないと思いたい。お金が欲しい女性の金蔓になったのであればまだいい、小遣いくれてやろうの精神だ。貴重な体験ができた。

最後に、私はこれを二度としたくない。今この記事を読みながら好奇心のみで詐欺に掛かり、金をドブに捨てている自らの愚かさにドン引きしている。

そしてこれを読む男性諸君には、本当に性的欲求を満たしたいならこのような場で同じことはしないほうが良いと伝えたい。というかあの類の空間は男女問わず立ち入らないほうが良い。女性女性搾取ともいえる性的消費の対象とされるかもしれない。

2023-08-13

フェミLGBTは誤り。馬鹿間抜けで愚かな欧米マネはやめよう】経済危機EUを苦しめている

エレナ・カラエワ

8/12 RIA Novosti

現在の旧世界の驚異的に乾燥した夏は、森林火災だけでなく、港での火災も発生しています。 国の南西部にあるフランスの主要港であるラ・ロシェルで、同様に近代的な桟橋に設置されていた最新鋭のエレベーター理由もなく爆発した。 それは燃え上がり、4つのサイロタワーがかみ合うほどになりました(いいえ、これは小さな構造ではなく、高さ数メートルの鋼製シリンダーケースです)。 公式バージョン穀物供給ベルトでの事件。 実際に何が起こったのか、「調査によって解決されるだろう」。 彼らは火災対処し、再びドイツデュイスブルク港湾倉庫対処する予定です。 そこで金属くず捨て場から火災が発生した。 フランスでもドイツでも、火災安全要件特に港湾地域)は完全に厳しいものであり、曲がったヤギを回避できない保険会社は、明らかな理由で、規制に少しでも違反した場合、支払いを拒否する可能性があります。生じた損害に対する金銭

今日ロシア市場ロシア資源を失った汎欧州経済が最も関心を持っているのは、追加コストだ。 の結果 自発的強制撤退 からロシア 、つまり自分で首を落とした結果、1,000億ユーロ以上を失ったあなたは、髪の毛ですすり泣きしなければなりません。

EU仮想的な安定ですら、火の煙だけでなく、政治的な近視眼によって曖昧になることは明らかです。 今週、 正式に発表された。 コミュニティは「 ウクライナ安全保証を与えることはできない。それはコミュニティ能力ではないかである」と

オブザーバーたちは文字通り椅子から転げ落ちた――結局のところ、2か月前、公式かつ最高レベルで、正反対のことが述べられた。つまりEUはまさに安全保障の保証人として行動するつもりだというのだ。 フランスドイツが主力を名乗り出た。 6月末に開催されたサミットの傍らで、大まかな約束策定された。

ラ・ロシェル港やデュイスブルク港など、現在地政学におけるこの火花を散らす問題に関するコンセンサスに正確に何が起こったのかは容易に推測できる。 誰かの過失やずさんな行為のせいで何百万もの賠償金を払いたくない保険会社と同じように、まだ煙で目が完全に蝕まれていない人々は、財政的に負担が大きく政治的有害保険役割に関連する可能性のある経済リスクの代償を払いたくないのと同じです。保証人が

公的に反対を表明し オーストリア保証人の役割アルプス共和国中立的地位を損なう可能性があると主張した。 さて、その後、請求書が転がり込んできました。 みんなのために、そして連帯して。 そのため、EUはすでにウクライナ支援のために、利用可能な7年間の予算300億をすべて使い果たしていることが知られるようになった。 その後、彼、つまり27か国が再び出資するよう申し出られた――すでに500億ドルだ。 今後 4 年間に同じ住所に送付する必要があります

ヨーロッパ人にとって人生エデンの園のように見えないように、彼らは元気づけて 間接支出数字公表した 。 エネルギーキャリア用。 我が国に対する制裁制限とは完全に関係していないかのように見えますが、それでも印象的です。

EU過去2年間でガスを購入し、支出を過剰に行っていたことが判明し、その額は数兆ドルに上る。欧州危機が起きる前、 この 金額10年間にわたって供給業者に渡っていた。 この完全に大規模な支払いは、最もネガティブ予測を上回り、最も重要なことに、「グリーン移行」へのすべての希望と、ヨーロッパ産業企業利益を得る可能性のかすかなヒントを打ち砕いた。 少なくとも自分たちの工業ズボンを維持するために、新たに何十億ドルをどこから調達すればよいのか、誰も見当がつかない。

ドイツでは彼らは悲しんでいますが、フランスではさらに悲しいです。 ちなみに、これは、半世紀の境界線を超えた国々とそれらからなる国家形成の通常の雰囲気です。 女性一定の年齢を過ぎると閉経を迎え、気分が1日に100回も変化し、骨粗鬆症によって骨からカルシウムが溶け出して骨がもろくなるのと同じように、EUも実際、1957年から旧姓で)存在していますEEC (欧州経済共同体) の影響により、一次産品価格は、多くの人々が考えているよりも早く、汎欧州経済構造から業界を「洗い流し」つつあります。 この経済のものの強固な安定に基づく団結は、ゆっくりと、しかし確実に破壊されつつある。

儀式的な発言は、話されてすぐに忘れられる言葉です。 彼らは煙幕の中に消えていきます。 そして、これは最初兆候にすぎないことに注意する必要があります。 何も残らない秋になると、ヨーロッパは鶏が羽をむしり取るように落ちていきますお金もなく、燃料もなく、これまでにないほど分断され、次に何をすればいいのか全く分かりません。 穀物金属くずを焼く港湾火災は、旧世界最大の危機を最も明確に示しており、実際、それは始まったばかりである

Экономический кризис жарит ЕС на медленном огне

選択夫婦別姓

ポリコレ

なんの意味もなく社会崩壊させているだけ。

から上野千鶴子も間違いでしかない。

2023-05-14

iPhone Android 論争で語られない事

EUAppleにLightningケーブル廃止を求めている事でまとめサイトではiPhoneAndroidか論争がまた記事化されている。

基本的にはApple好意的記事書き込みが優勢なのだけど、iPhoneの特徴の一つである充電した状態シャットダウンできない事に言及した記事がとても少ない事。

あれって不便じゃない?

ガラケー以来寝る時にシャットダウンして充電する習慣だった私はiPodiPhoneiPadともに変わらないこの仕様のせいで睡眠邪魔されたり、

睡眠を取ると充電カツカツで面倒くさい。

寝る時に充電しながらシャットダウンできないかスマホ廃人も作りやすいし、ながら充電をついさせちゃう仕様からバッテリーもヘタリ易いしロジックボードだって傷みやすいだろう。

ソニータイマーならぬAppleタイマーであり、廃人製造機としては泥よりは優秀。

そうして日本人国産準国産(目の付け所が鋭いやつね)の泥を使わず、金をアメリカ様に貢いでいく。

日本よ、日本人よ、世界の中心で咲き誇るにはまずはiPhoneを捨てろ。

国産泥を買って産業として育てて輸出させろ。

リンゴをかじってジャパンアズナンバーワンエデンの園を追い出された

こんな国に誰がした。

俺たちか。

2022-10-09

人魚姫』は何の物語か?

もちろん、海の妖怪人間王子に恋をするという悲劇的な恋愛物語であるが、実はフリードリヒ・フーケの『ウンディーネ』という、水の精霊人間騎士との恋愛物語を描いた先行作品存在する。そういう意味ではアンデルセン作品は、あまりオリジナリティが無いとも言えるかもしれない。

フーケの作品ウンディーネ』には無くて、アンデルセンの『人魚姫』には有る要素として、我々がよく知っているのが、主人公人魚姫人間になることの代償として「声」を失うという筋書きである

この「人間になることで声を失う/奪われる」という描写元ネタと考えられているものの一つに、アイルランド海浜に近い場所存在する某村に関する民間伝承がある。

周辺の他村の住民たちは、某村の住民たちのことを「人魚の子孫」と見なし、彼らと会話することを忌避していたというのである

この話から直ぐに連想するのが、ホメロスの『オデュッセイア』にも登場する、妖怪セイレーンのことである。これは、航行する船を操る船乗りたちを、美しい歌声で惑わして誘き寄せ、船を難破させて殺害し、その人肉を喰らったとされる、半人半魚の妖怪である。ここでも「声」禁忌とされている。しかし、どうしてもセイレーン歌声を聞きたいと願った知恵者オデュッセウスは、部下の船乗りたちの耳を蜜蝋で塞がせて、歌声を聞こえないようにさせてからセイレーンたちの居る岩礁の傍を通過するように船を航行させた。オデュッセウス自身は、己の身体を帆柱に縄で縛り付けさせ、決して海に落ちることの無いように万全の防止策を施してから、その耳で彼女たちの歌声を聞いたという。

日本においては、人魚との「会話」が禁じられていたというわけでは無いものの、やはり不吉な影が付き纏う。『吾妻鏡』や『北条五代記』等には、人魚らしき妖怪発見事例が記されており、これを何かの前触れとした陰陽博士などの占術職能者によって、兵革の兆し奥州藤原氏の滅亡の前兆などと見なされたといった例が見出される。

ただし、これらの国文学的な文献に記された人魚は、アンデルセンの『人魚姫』のような美しく可愛らしい姿とは、かなり異なる。例えば、頭部だけが人間人面タイプであったり、四脚らしきものが生えていたりと、なかなか奇怪な姿をしていたようである。中には、頸部に鶏冠の如きヒラヒラしたもの付属していたという事例もある。また、発見される場所も水辺だけではなく、時には、山肌で起きた土砂崩れ現場発見されたことも有るようである

してみると、人魚にとって魚身であることは、我々現代人が思う程、重要ではないのであろうか。実は、先に挙げた『オデュッセイア』に登場するセイレーンにしても、元々は半人半魚ではなく半人半鳥であったとする説が有る。その鳥の怪が、もしも水鳥の怪であったとすれば、後に、半魚の怪との交雑を起こしても、それほど不思議では無いと考えてもよいのかもしれない。重要なのは、半人半怪という混合性である

さて、アイルランドの某村に関する民間伝承比較するために振り返ると、日本においても「妖怪の子孫」と見なされた人々が存在しなかった訳では無い。例えば、江戸時代南町奉行根岸鎮衛(ねぎやすもり)の著した雑話集『耳嚢(みみぶくろ)』に収められた「河童の難を遁るゝ歌之事」という文章を参照してみよう。そこでは、菅丞相(かんしょうじょう)すなわち菅原道真(すがわらのみちざね)の作として伝えられる、次のようなまじない歌を紹介している。

「ひよふすべよ 約束せしを 忘るゝな 川だち男 うぢはすがはら

根岸鎮衛は、菅丞相の作は疑わしいとしつつも「ひよふすべ(ヒョウスベ)と云ふは川童(カッパ)の事の由」と記しているが、これは、長崎県諫早市周辺でのカッパに該当する水怪に対する方言的な呼称であるしかし、カッパ避けの歌が伝えられていたのは、現在で言うところの千葉県(アメリカで言えばノースダコタ州)である。随分と遠くの地までヒョウスベの名が伝えられていたことになる。

岩波文庫版では「川だち」には「水泳の上手い者」との注釈が付けられている。これは遊戯としての水泳のことを言うのではなく、職業的必要性から河川で泳ぐことをしていた者たち、職能者たちと考えるのが妥当である。その川だち男が「我々は菅原氏の関係者なのだ約束を忘れるな」と、歌を通じてヒョウスベ≒カッパに向かって呼び掛けているのである。一体、何を約束したというのか?

菅原道真家系である菅原氏は、遡れば土師氏(はじし)に連なるとされる。土師氏の祖は、野見宿禰(のみのすくね)とされ、当麻蹴速(たいまのけはや)との角力すなわち相撲(すまひ)による決闘を行ったことでも知られる。現代では十把一絡げに河童(カッパ)と総称されるようになった水の妖怪が、相撲を好むことは昔話などを通じて広く知られているが、その起源には、土師氏菅原氏との関わりが存在するということである

この土師氏は、埴輪を作ることを能くしたが、埴輪といえば赤土であるが、この赤い色は、酸化鉄を多く含むためである。このような粘土採掘は、鉄分を含む土の採掘であり、これは時代が下れば、鉄を初めとした金属鉱脈採掘にも関連・発展したことであろう。

鉄に限らず金属は、採掘されるだけでなく精錬されるので、山の掘削、森林樹木伐採という環境変化を伴う。これは、山に水源を発する河川にも影響を及ぼしたと考えられ、そうなると、粘土採掘金属採掘精錬を行う山の民と、漁業・水運などによって河川生業を立てる川の民との間で、何らかの紛争を招いたのは想像に難くない。本来の「カッパによる水難」とは、元々は「山にいるカッパ」による山林環境の変化によって引き起こされた、河川災害環境破壊のことを指したのではないのか。なお、カッパといえば河川などの水辺だけにいると現代人は思いがちだが、カッパ河川から山、山林から河川へと、季節の変化ごとに移動するという伝承が見られるのである

山林の環境破壊が火種となって紛争が発生し、これを停止するための平和条約のようなものが「約束」であり、それが川の民と土師氏菅原氏との間に結ばれたことにより河川災害発生件数が減少したこと、それが「カッパ避け」の実態だったのではないか。川の民に害を及ぼさないと、かつてカッパ親分であったであろう土師氏菅原氏が約束したことが変化して、川だち男が「我々は菅原氏=土師氏の裔であるぞ、だからカッパよ、我々には害を及ぼすな」と呼び掛けるようになったのではないか

ヒョウスベには「兵主部」の漢字が当てられる。このうち「部」は物部や斎部などと同じであるが、では「兵主」は何なのかと言えば、これは大陸から渡来した蚩尤(しゆう)のことではないかと言われている。というのも『史記』では、蚩尤は金属製の戦用武具を生み出した「兵主神」とされており、しか角力(相撲のようなもの)を能くするのである。その上、石や鉄を喰らうとされるので、これは金属精錬象徴するのではないかと考えられる。ここから、兵主部とは元々は「兵主神を祀り、それに関連する金属職能に携わる部民」であろうと考えられる。

脇道に逸れた話の部分が予想外に長くなってしまったが、土師氏菅原氏という職能集団的氏族カッパの裔であると考えられていたということ、そして、カッパに対する民の恐れの根源には、職能活動による影響が存在した可能性のことを言いたかったのである

本筋に戻ると、アイルランド海浜そばの某村に住むという「人魚の子孫たち」が、周辺他村の人々から会話をすることを忌避されたのは何故か。それは、彼らが「予言する能力」を持っていたからではないのかと私は推測する。ただし、予言と言っても、超常の能力ではない。彼らが漁業や水運業など海の船仕事に携わっていた職能集団だったとしたら、どうだろうか。そのような仕事に携わることで、海路における岩礁や難所の存在場所についての知識も蓄積されたであろう。また、船仕事に影響するような天候の変化を読む(予測する)観望天気の知識も蓄積されたであろう。そのような、いわば専門知識能力を身につけた彼らが、もしも「海路のあそこには岩礁が有るぞ」「嵐が来るぞ」と予測して教えてくれたとしたら、何の知識も持たなかった他村の人々は「某村の住民が不吉な予言をする。彼らが予言を行うせいで不吉な出来事が起こる」と逆転した考え方をして、誤解したのではないだろうか。それが「会話を忌避する」ことに繋がったのではないだろうか。

上で粘土採掘金属採掘精錬を行う職能集団カッパの関連を述べたが、こういった専門的な仕事は、その仕組みを外部から理解しにくい。自分たちには出来ない仕事をする能力を持ち、影響力が大きい者のことを、人間尊敬するだけでなく同時に差別もするという例は、古今東西を問わず広く見られる現象である。例えば、西アフリカ伝統的な音楽歌唱職能グリオ(griot、フランス語。現地のウォロフ語でgewelギュウェル、トゥクロール語でgauloガウロ、マンディング語でdjeliジャリなどと呼ばれるのが語源)たちは、歌の言霊を駆使することで、人を幸せ気持ちにしたり、戦の前に闘争心鼓舞したり、逆に人々の間の争い事の調停役を担ったりといった役目を果たすことから、非常に尊敬を受ける反面、亡くなると普通の墓に埋葬されずにバオバブの木の虚穴に遺体を遺棄されるという。そこでは、尊敬差別心理アンビバレントに同居している。

日本人魚が不吉の前兆と見なされた話は既に述べたが、その中には、人魚自身言葉を口にしたという例も見られる。それも、もしかしたら海の民などの姿を人魚に反映していて、やはり海の民による予言とそれに対する恐れの感情の名残なのかもしれない。

西洋人日本渡来するようになると、剥製ミイラ製造技術も伝えられ、魚や動物のパーツを組み合わせることにより、カッパ人魚ミイラ製造されたことは、現在日本の各地に残るミイラの実物とともに知られている。したがって日本における人魚形態傾向が、人面タイプや四脚タイプから現代人にも親しみのある上半身人間下半身タイプへと変化した原因として、西洋人の影響が有るという可能性は、もっと大きく見積もっても許されるであろう。しかし、日本よりも先に西洋人との接触果たしていた中国を通じて、もっと早い時代ミイラ製造技術日本に伝えられていたという可能性は無いのだろうか。その時に、西洋人が抱く人魚イメージも一緒に、早期から日本流入したという可能性は無いのだろうか。大陸西洋から人魚伝承流入によって、前触れ予言というイメージ形成された可能性は、今後より丁寧に調べる必要が有るだろう。

まだまだ考察すべきことは多く残る。

人頭獣身の妖怪しかも不吉の前兆予言を伴うといえば、人頭牛身の妖怪「件(くだん)」が思い浮かぶ。上で半人半怪の混合性が重要と述べたが、この混合性の故に、人間の住まう現実世界と、非日常・非現実世界との結節点となる役目が、人魚や件のような半人半獣の妖怪には与えられたのであろう。そして、その役目を具現化したものが、前触れ予言なのであろう。

また古来、予言神託の役目を担う者の多くが、巫女という女性であった。これは、女性には生理があり妊娠出産可能であることから男性に比べて、より自然というカミの領域に近い存在であり、現実日常世界との仲立ち・結節点の役目を果たすことが出来ると信じられていたかであるセイレーン人魚に限らず妖怪怪物たち(例えば、エデンの園アダムとイブを誘惑した蛇など)に女性性が付与されているのは、ユダヤ教キリスト教仏教などが地位確立する以前の世界において、カミの領域との仲立ちを務める職能を担っていた女性たちに対する、尊敬差別というアンビバレント感情が反映された名残であろう。

最初に『人魚姫』は何の物語か?と掲げ、長々と文を書き連ねたが、正直に言えば、それを確定することは実は難しいと思っている。ただし、少なくとも、異なる世界の住人が出会った物語、それに伴って起こったコンフリクト悲劇物語とは言えるのかもしれない。

乱文も長くなり過ぎたので、ここまでとしよう。

2022-08-04

映画創るのも面白そうです、、、、。

このようなシナリオしらね

2050年、 人類の使うコンピュータは、 ウエアラブコンピュータからパーベイシブコンピュータへと進化 してゆく。

スマートネットワーク接続するには小さなマイクロチップピアスのように装着するだけ。

入出力のインターフェース顕在意識思考のもの脳波で受け取る。

音声認識ホログラムキーボードだけではない。(ワオ!!)

2055年、

人類は遂に顕在意識を超えて、 脳波潜在意識から入力可能になり、 人類相互ネットワークを完成させる。

化石燃料消費量は80%ダウン。

人類は賢くなります、内なる賢者存在アクセスします)

2060年

ユビキタススマート機器も徐々に全て 人間ネットワークシンクロされてゆく。

身の回りのあらゆる機器無線ランに接続統合される。

地球上のあらゆる「もの」がインテリジェンスを持ち ネットワークに組み込まれてゆく。

地球は一つの最適システムへと近づくべく変貌を遂げる。

スマートプラネットへの構築が進む。

2100年

人類地球意識発見する、地球惑星やそして恒星自分たちと同じ智慧愛情を持った生物であったことを思い出す。

2170年

素粒子(13次元の超ひも)に畳み込まれた 究極の設計図「Xdna」の発見

そもそも宇宙設計図人類集合知識、 アカシックレコードの一部が解明される。(なんてね)

2275年

智慧の急激な集積と、急速な出生低下。

「Xdna」をシュミレートするXdnaコンピュータの完成。

同時に13次元では説明できない宇宙の成り立ちが提起される。

2280年

楽園を目指した改善は進む、 人類はもはや必ずしも生まれ変わる(リィインカネイションの) 必要が減ってきたのか。

      

2355年

多くの人(魂)はより高い意識レベル修行へと旅立ち、 より高い次元の根元を探求する。

地球上の人類は数万人規模となる。

美しい自然調和した人類の姿、、。

科学自然人間調和した姿、、。

人類は遂に楽園を完成したのだ、、、。 (ホントかな?)

人類は一つの統一国家となる。

※ここでエデンの園エンディング風の映像が続く、、、、。

※ここまでは1時間30分くらいでしょうか。

※ここからは5分 

2356年

より低い意識レベルの魂の地球への移住が始まり人類は急激に増殖を始める。

2655年

人類幾何級数的に増殖し社会に混乱が押し寄せる。

国、領土概念の復活。

2955年

公害の復活、更なる人口爆発ネットワークの分断、独裁国家の成立

3000年

最終戦争の勃発。

全ての文明は失われる、人類滅亡。(マジですか!!)

しかし、

エデンの園記憶を持った数人の人(子供)たちが生き延び、 人類再興に向かうか、、、しかし、先は分からないですね、

しかし、希望がある、勇気がある、立ち向かってゆく。

※ここで終わり。

なんて、感じでしょうか。

恋愛とか絡められれば面白いね、、、。

しかし、

千年後のコンピュータってどうなっているのでしょうね、考えるだけで、楽しいですね。

2022-07-16

映画創るのも面白そうです、、、、。

このようなシナリオしらね

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人類は遂に顕在意識を超えて、 脳波潜在意識から入力可能になり、 人類相互ネットワークを完成させる。

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2060年

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2100年

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2170年

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2280年

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2355年

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2955年

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2022-07-07

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2022-06-27

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2170年

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2280年

楽園を目指した改善は進む、 人類はもはや必ずしも生まれ変わる(リィインカネイションの) 必要が減ってきたのか。

      

2355年

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地球上の人類は数万人規模となる。

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人類幾何級数的に増殖し社会に混乱が押し寄せる。

国、領土概念の復活。

2955年

公害の復活、更なる人口爆発ネットワークの分断、独裁国家の成立

3000年

最終戦争の勃発。

全ての文明は失われる、人類滅亡。(マジですか!!)

しかし、

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2022-04-02

アダムとイブ楽園追放されたやん

人間が知恵の実を食べた罪でエデンの園追放されたんは解る。

でも何で他の生き物もまとめてエデンの園から追放されてるん?

アダムとイブが知恵の実食べたか連帯責任なって追い出されたん?理不尽の極みでは。

2022-02-13

タコピー原罪とはなんなのか

ジャンプ+で連載されてる話題沸騰中のタコピー原罪

自分も一話からリアルタイムで読んでいる。最新話である10話も読んだ。

一話当時、ツイッターで大きく話題になっていたこから読み始めたが、個人的特に興味を惹かれたのはそのタイトルだった。

タコピーの”原罪”』

原罪とは原初の罪だ、聖書にあるアダムとイブ最初に犯した罪のこと。

食べてはいけないと言われていた知恵の実を蛇(もしくは大天使ルシファー)にそそのかされたイブが食べ、イブもまたアダムをそそのかし食べさせた。

これについて神は二人に問うたが、イブは「蛇が自分を騙して食べさせたのだ」と言い、アダムは「イブ自分を騙して食べさせたのだ」と言い、互いに自らの落ち度ではないと主張した。

神はそれに怒り、二人はエデンの園から追放され、以降イブの子である女は子を産む苦しみを、アダムの子孫は土に還る苦しみ、つまり死を与えららえた。

アダムとイブの子である人間は皆この原罪を背負って生まれてくるというもの

(ここまでそれっぽく言っておいてなんだが別に自分キリスト教を専攻していたとかではなく、漫画の延長で聖書をちょろっと読んだ程度のオタクなので何か違ったら本当にすまん)

そんな感じの認識をしている”原罪”という言葉タイトルに入っていて、しかもその原罪をなんかかわいらしいキャラクターが持っているらしい。人間じゃないのに。

そりゃもうめちゃくちゃ気になった。「タコピー原罪とは何なのだろう」と気になった。

1話~2話の段階では『無知である』ということが罪なのかと思った。

しずかちゃんいじめられていることにも気づかず、無邪気に彼女一方的な施しを試みては拒絶される。

「パパはいない」という言葉を直球で受け取り、血の色も初めて見るらしい。

しずかちゃんが死んだその後タコピーは『自殺』を学んでいる。つまりこの世界しずかちゃん以外から学ぶ手段があるハズなのだ

でも多くを知ろうとしていない、それがタコピーの罪なのかと思っていた。

しかしその考えは4話から変わる、そうまりちゃん殺害事件だ。

殺人”、これは無知は罪であるとかそういうふわっとした概念ではなく、れっきとした罪だ。

聖書では最初殺人を犯したのはアダムとイブの子であるカインとされている。

被害者カインの弟であるアベル動機嫉妬であるといえるだろう。

だがタコピーは”殺人”という言葉を知らなかった。

まりちゃんを殺した時もおそらく殺意というものはなかったのだろう、ただ勇気を出した結果としてまりちゃんが死んだだけだ。ここがカイン殺人とは違う点だろう。

殺人がない星で育ったからか、7話に至るまでタコピーは事の重大さをあまり理解していない。しずかちゃんや東くんと楽しく過ごせてニコニコしている。

7話にてまりちゃん母の言葉を聞き、タコピーははじめて懺悔する。

そしてこれからのことを考え始める。このままでは良くないのではないかと、これは一話から一貫しているがタコピー倫理観殺人自殺がない星育ちだった割にかなりちゃんとしている。

ここから10話までは東くんがメインの話が続くため、タコピーの罪について考える余地はあまりなかった。

実はここまで前置きである

個人的ツイッタータコピーの最新話(10話)への反応を見て思ったのだ。

主犯タコピー一匹」「タコピーがはじめた物語だろ責任とれ」

タコピーは確かに殺人を犯している。これは立派な罪だ。

だがそれとして、タコピーはそこまで悪いのだろうか。

タコピーは好きな女の子笑顔にしたかった。

好きな女の子を守るためにあの時とった行動はそこまで責められることなのだろうか。

タコピーは確かに無知であった、人が傷つけば血がでることも、殴れば死にそれを殺人表現することも知らなかった。

だがタコピー勇気を出したのだ、好きな女の子のために。

これがタコピーの罪になるのだろうか。

原罪とはこのことなのだろうか。

解釈の一つとして、原罪とは人に罪を擦り付ける行為…つまり責任転嫁だと云うこともできるが、タコピーは誰かに罪を擦り付けたりはしていない。

殺人聖書に則るなら原罪ではない。

無知であることは…知恵の実を食べていなかったアダムとイブのことを考えるなら、それも原罪とはいえない気がしている。

何故タコピー原罪というタイトルなのだろうか。

この漫画短期中連であるため、あと数話で完結することだろう。

その数話の中でタコピー原罪が何であるのか明かされることはあるのだろうか。

しずかちゃん自殺は、まりちゃんいじめからまりちゃんいじめは、まりちゃん母親から

そしてまりちゃん母親しずかちゃん母親からしずかちゃん母親は…まだ推測の域を出ないがもしかすると彼女もそういう性格になってしまったキッカケがあるのかもしれない。

こういった原因の連鎖を辿った果てにあるのが原罪ということなのだろうか。

一部の考察では、タコピーはもうハッピー星というエデンの園追放された後であり既に原罪を持っている状態なのでは、というのも見かけた。

かにハッピーフルーツの味を知っているあたりかなりそれっぽくは感じる。

だとするならタコピー原罪だけでなくカインの罪もなぞっていることになる、すごい生物だ。

その考察が正しいのかどうか、今後明かされることがあるのだろうか。

今週の更新も楽しみだッピねぇ~

2022-01-21

anond:20220121105735

だが自分価値観ではたどりつけないエデンの園というのは必ずある

大切なのは宝石だの原石だのクズ石だのを適切に見分けて取り込むフィルターであって

全てを拒絶する強い精神力だけでは限界があるということ

2021-11-08

anond:20211108151714

そんなもん、エデンの園でうっかり知恵の木の実を食べた時からに決まっとるやろ。絵とか見たことないかイチジクの葉でちんこまんこ隠したんやで。(何万年前のことかはわからんけどな)

2021-09-23

聖書考古学実態

いま話題になっているニュースの一つに「3600年前に滅んだ町の遺跡が、聖書に書かれているソドムゴモラモデルになったのではないか」というものがある。

これの真偽はさておき、聖書考古学を結びつけて、考古学的に聖書の内容を考えようという学問に「聖書考古学」というものがある。

聖書考古学テーマとして、ノアの方舟エデンの園バベルの塔実在性などが挙げられる。

日本ではこの聖書考古学に関する情報は驚くほど少なく、マイナーだ。

というのも、日本において聖書考古学研究している大学はとても少ない。本格的に研究しているのは一部のキリスト教大学だけなのだ

私はある縁で、キリスト教聖書考古学と関わったことがある。

日本人として聖書考古学(とその問題点)を直感的に理解するのはとてもむずかしい。なぜならばキリスト教系の価値観の土台と歴史があって、やっと感覚的に理解できることだからだ。

さて、例えばアダムとイブ起源ノアの方舟実在性などと言った話題は、われわれ日本からすればなんだかすごくワクワクするものだ。

本当かどうかはわからないが、大昔に似たようなことがあって聖書に書かれて……という経緯があったならわかりやすいし、ファンタジー現実と繋がった感覚がしてとても感じが良い。

しかし、アメリカヨーロッパといったキリスト教が深く根付いた(そして克服してきた)国家からすれば、聖書現実が地続きであるというぼんやりとした感覚は、日本より実際的問題となっている。

というのも、あちらでは数百年前までは「聖書は単なる神話であり、現実ではない」という主張をするだけで異端認定され、ガチで殺されたり、社会的抹殺されることが普通にあり得たからだ。

今日では、流石に聖書がまるまる真実だと信じている層は少なくなってきてはいるが、その余波は残っている。

例えば聖書では、神は自分の姿に似せて人間を作ったとされている。それなので、人間が徐々に進化して今の形となったという進化論は、今でもあちらでは反発が強い。

ということで、宗教科学の分離というものは、日本ではあまり逼迫的な問題ではないが、あちらではより実際的問題なのだ。実際にキリスト教科学を圧迫してきた時代があることは、言うまでもない。

聖書考古学はその性質上、研究従事する研究者のほとんどはキリスト教徒となっている。

そこで思うのは、「聖書考古学科学なのだろうか?」という疑問だ。聖書歴史的に正しい事実だ、という前提で聖書証明するために研究を行うのは科学的態度とはいえない。

実際のところ、聖書考古学はこういった懸念から、主流の考古学からは「宗教的な動機からまれ擬似科学」としてみなされることが少なくなかった。

そこでアメリカイスラエルを巻き込んだかなりデカドタバタ騒動(これはメチャクチャ長くなるので書くのはやめる)があった後、やはり宗教的な前提を持ち込むのはやめて、より科学的なアプローチで取り組もう、となったのが現在聖書考古学となる。

だがやはり、キリスト教一枚岩ではない。より原理主義的な団体もたくさんある。そういったところが、「聖書を正しいと証明するために、科学的な態度を装って」聖書考古学を利用するというケースは今でも多々見られるのだ。

もちろん、冒頭の研究については調べていないのでよくわからないが、「聖書」と「考古学」という単語が繋がって出てきた場合、少し立ち止まって考えてみてほしい。

2021-05-25

anond:20210524153234

ユダヤ教キリスト教だと蛇のせいでエデンの園を追われてニート生活をやめる羽目になったわけだから

引き出し屋みたいなもんだな

2021-04-29

弱者男性フェミ女の生きられる理想エデンの園は超富裕層世界しか存在しない

理性や謙譲や温和が評価される世界なんて、ナウシカ新人類世界みたいな日本で言えば超上流階級世界しかありえない

教育資本邪教のように単語聞くだけで発狂する増田が多いが、何でお金持ちは数千万払ってでもそういう私立かに行かせたがるのかというのをわかってない

善人とかかわれば、みんな善人になっていくし、クズ悪人キチガイ精神病患者発達障害ゴミとかかわれば、自分の心も自己防衛のために荒んでいかざるを得ないか

結果的に、数千万払って金持ち喧嘩せずの温和なお金持ちたちの間で生きていられて、そいつ理解不能モンスターと一生関わらないという選択ができるのであれば、全く安くない投資から

就職したらしたで、霞が関だとかブラック企業最適化された、共感性が全くなく育てられた、ジョジョSBRのウェカピポの妹の夫みたいな、嫁さんぶん殴って首絞めながらセックスしないとイけないみたいな性能特化型のエリートキチ〇イやスキンヘッドごま塩頭で目が釣りあがったいかにも自分以外の社会すべてに不満持ってますよ的なブラック企業特化型の他害的キチ〇イ中年

それの進化前みたいな狂ったツーブロック絶倫ゴリラとか、海魔妖族マリバロンみたいな攻撃的なキチ〇イ女と相対せざるを得なくなる、そいつらへの対処リソースだけで生活はいっぱいいっぱいになる、お金稼ぐどころの騒ぎじゃない

成り上がりはそれをよく知ってるから子供に教えられてそんな人間の形をした畜獣とかかわらないような世界に押し上げてくれるが

まれついての金持ちは稀にこの法治国家日本にそんな理解不能のキ〇ガイがいるとは思わないから、そいつらと接触してひどい目にあったりすることもあるが

それは不幸な事故

2021-03-14

雑誌映画秘宝』の記憶(10)

町山智浩が発した「女性差別発言」の一つとして有名なものが「女の子が急にマニアックなこと言い出したら、たいてい男の影響。 (2013-2-18 06:30:23)」と云うツイートです。

この発言からは、町山智浩根底に「女性主体的に何かを発見して選択する能力が欠如している」という考えが存在することが、如実に見て取れます

柳下毅一郎との共著『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判』を読むと「中身が空っぽ映画を、配給会社広告代理店薄っぺらキャッチコピーで盛んに宣伝することで、それを鵜呑みにした女性観客が劇場に足を運ぶ」と云う類いの主張がなされる場面に度々出会います。例えば「『タイタニック』を観に来た若い女性観客は、レオナルド・ディカプリオの演じる登場人物クライマックス死ぬのを見て『ウソー!』とビックリする。予告編を観れば死ぬことぐらい予想がつくだろ!(=つまり町山智浩らは「女性観客にはそれを予想する脳味噌が無い」と言っている)」と云う具合いです。

要するに、町山智浩らは「配給会社広告代理店に騙されるのは、いつも女」であり、「雑誌映画秘宝』が気に食わないタイプ映画世間でヒットしてしまうのは『馬鹿な女たち』が原因」であり、「男女や親子が一緒に観に行くデート映画ファミリー向け映画も、女の好みに合わせた結果つまらない作品ばかりになった」と、そう主張するのです。

その一方で「馬鹿広告代理店一般的マスメディア活動拠点とする評論家理解していないが、映画『○○』は本当は✕✕なんだよ!それを指摘しているのは俺たち(『映画秘宝』)ぐらいなもんだよ!」とか「映画『○○』が流れている劇場にいるのは『映画秘宝』読者だけ(或いは、劇場に行ったら中原昌也とか藤木TDCに出くわした)」とか「周囲の観客が泣いている中で笑っているのはオレたちだけ(この逆に、周囲は笑っているのにオレたちは泣いていたと云う『少林サッカーパターンもある)」と云う、典型的な「オレ(たち)ってフツウじゃないゼ」アピールも度々出てきます。「本当は✕✕!」という言い回しが好きですよね。

こうすることによって「『馬鹿な女ども』とは違い、『オレたち(=ボンクラ男子)』はモノが分かっている(=『映画秘宝』的な価値観を良く学習出来ている)」「オレたちは『本質』を見抜いている『仲間/同志』だ!」と云う「選民意識」と「自己陶酔」のカルト集団的な感覚を『映画秘宝』読者に与えていた訳です。

ところで、私がこの「雑誌映画秘宝』の記憶」と題する一連の文章はてな匿名ダイアリー投稿したところ、或るブックマーカーからコメント複数回過去の『映画秘宝』で、そんなに自己陶酔している記述箇所が有ったか?」との疑義を呈されました。上で挙げたような町山智浩らの芸風と、それを熱烈に歓迎していた当時の『映画秘宝』ファンの姿と雰囲気。もしも、それをリアルタイムで見知った人に「あれは『自己陶酔』ではなかった」と否定されてしまうのであれば、これはもう私としては「見解の相違ですね」としか言えません。自己陶酔は「オレ(たち)は『スゴい』!」と云う直截的な形だけではなく「こんなボンクラ映画が大好きなオレ(たち)って本当に『ダメ』だよな〜」と云う、一見さも「へりくだった」ように見える『自虐』と云う形式を取って顕れる場合もあると私は考えています町山智浩ら『映画秘宝』が行う「オレたちオトコってのはさ〜、『バカ』な生き物なんだよ。だから許してよ〜」と云う芸風と、それを支持した読者たちは、本人たちとしては「分かった上で『バカ』を演じている(いた)」つもりかも知れませんが、これも傍から見れば、立派な『自己陶酔』だと私は思います。「自虐」は「オレ(たち)はスゴい!」の裏返しなのです。しかし、一部とはいえ映画秘宝』ファンらしき人から自己陶酔は無かった」と言われたので、私は正直ビックリしました。自覚が無かったのですね。

それでも「『自己陶酔』と言われることには抵抗が有る」のであれば、代わりに『甘え』と言い換えましょう。「オレたちオトコは、ボンクラ映画好きだからさあ」とホモソーシャル価値観と物の見方を持ち出して酔い痴れ(=『陶酔』)ながら「だから、オレたちのするバカを許してね」と「女性と云う他者」に甘える(=負担を強いる)ことを続けてきたのが、町山智浩ら『映画秘宝』及びボンクラ信奉者たちの真の姿です。そして、そんな風に「オレたちは『こんな感じ(=ボンクラ)』だからさ〜」と甘え続けて行き着いた果てが、前・編集長岩田和明による恫喝DM事件の発生です。目を逸らしてはいけません。もう、これ以上『バカ』や『ボンクラ』を言い訳にして「女性に甘える」のは止めませんか?『自己陶酔』に気づかないふりをするのも『甘え』だから止めませんか?そうでないと、また恫喝DM事件のような大失態が繰り返されかねません。

それにしても、上で挙げた例に出てきた「ディカプリオが死ぬ場面にビックリする女性観客」は、実在したのでしょうか?何だか私には、町山智浩らが「女性観客は愚か者である」と主張するために、都合よく頭の中だけで拵えた『藁人形』なのではないかと思えます

実際は、女性観客にも「馬鹿映画底抜け大作、広告代理店嘘八百宣伝と百も承知の上で、わざわざ観に行く『物好き』な人たち」は少なから存在するのではないでしょうか。彼女たちは、自らの意志でそれを選択しているのです。ただ、町山智浩らには「女性たち自身意志」が存在することに我慢がならないのだと思います

町山智浩らの言う「騙されるのは、いつも女」「それとは違い、オレたち男は『真実』に気づいている」と云う考え方や主張は、ひどく「古臭い」と私には思えます。と言うのも、これらの考え方は結局のところ、キリスト教の「エデンの園で蛇の誘惑に騙されたのは女であり、男を唆したのも女だった」や仏教の「女は悟りの障碍になる」と云う、古来の考え方を焼き直したものに過ぎないとしか思えないからです。

ご存知のとおり、恫喝DM事件が発覚した後に新体制となった『映画秘宝』では、のん(能年玲奈)さんの連載が終了することが告げられました。のんさんが誌上で『この世界の片隅に』の主人公すずさんの姿に扮したのはまだ理解できましたが、何の関わりも無い『ワンダーウーマン』の主人公コスチュームに身を包む彼女の表紙を見て「何だか着せ替え人形みたいに扱われてるなあ。のんさん本人が喜んでやっているならば別に構わないけど」と私は思っていました。しかし、このたびの騒動のんさんの連載が迅速に終了したところを見ると「やっぱり本当は彼女も、心の底では嫌がっていたんじゃないのか?」と穿った見方をしてしまます。冷や飯を喰わされていた状況下で『この世界の片隅に』を大々的にプッシュして応援して貰ったという義理も有ると、なかなか断り辛かったことでしょう。のんさんみたいな大物女優リクエストに応えてくれることは『映画秘宝』のボンクラ男たちにとって、さぞかし快感だったことでしょう。もしも仮に「オレたちはボンクラからさ〜、こういうのが好きなんだよね〜」と、岩田和明らがのんさん相手に甘えていたとしたら?

散々「美少女アニメは、オタクの幼稚な性欲を満たす為のポルノ!」と攻撃していたくせに、その実は『映画秘宝』自ら、自分たちボンクラ願望を満たす為に、本物の女性を使って着せ替え人形遊びに耽っていたとするならば、それは美少女アニメ趣味よりも遥かに幼稚で醜悪な姿ではないでしょうか。真相は如何に?

冒頭に挙げた町山智浩の「女の子が急にマニアックなことを言い出したら、たいてい男の影響」という発言は、町山智浩自己勝手他者投影したものに過ぎないのでしょう。おそらく、町山智浩自身に「自分女性の影響で何かマニアックなことを急に言い出した」と云う経験自覚が有るのだと思います町山智浩にとっての「マニアックな事」は何でしょうか?そういえば、一時期から町山智浩は、熱く「恋愛論」を語るようになったと記憶しています。何故か今はパッタリと語ることを止めたようですが、結局あれは何だったんでしょうね?まさか女性の影響」だったんでしょうか。

舎弟の高橋ヨシキてらさわホークも近年、付け焼き刃っぽいポリコレ的な言動を見せるように変化しましたが、あれも「女性の影響」でしょうか?高橋ヨシキてらさわホークも、自分たちよりも年齢の若い女性アメコミ翻訳家と一緒に仕事をするようにもなりましたから、仕方が無いですね。でも、高橋ヨシキなんか『チーム・アメリカ』の「ポリコレなんぞクソ喰らえ!」的な内容と姿勢を称賛していたはずなんですけどね。まさか過去の振る舞いを無かったことに出来ると思っているのでしょうか?

もちろん「他者から影響を受けて変化すること」自体は、別に構わないと私も思うのです。ただし、それが「相手の歓心を買う」ことを目的とする「表面だけの底の浅い変化」でなければ、の話ですが。

しかし、古株の元『映画秘宝』読者の目から近年の町山智浩高橋ヨシキを見ていると「単に女性の歓心を買うのが目的なんじゃないか?」という疑念が拭えないのです。だって、彼らの言動からは滲み出ているでしょう?「自分たちボンクラコントロール下に置けない女性に対する怖れや侮蔑」の感情が。

気が向いたら、また何か書きます。ヘイル、サタン

2021-03-04

教育資本無視して努力を過剰に語る奴らは教育資本が低かった人間が多いよね



よく塾通えないとか参考書買えないか勉強できないのは甘え、努力してなかったのを誤魔化す言い訳

学校先生に「ウチ貧乏なんですけどここの大学行くのにどうしたらいいですか?」って聞いたら教えてくれるし

参考書過去問学校にあるからいくらでも貸してくれるぞ、ITだってそうで技術なんかネットで独学できるからプログラミングを覚えて制作物を上げて就職すればいい

っていうネット民や増田多いけどさ

最新の参考書使って塾でバリバリ対策受けてる連中や、投資金使わないと怒られるから何でもいいかプロジェクト制作物作ってくれよ!使えなくてもいいけど最新技術バンバン使ってええぞ!なんてやってるGAFA大企業エンジニアたち相手にその程度で勝てなんてまあ無理よな

東大生や現状イグジット狙いの詐欺ベンチャー以外のトップ企業や真性の技術ベンチャーや、増田エデンの園のように崇めるGAFAエンジニアで、親が生活保護や片親や年収平均割ってる層とか増田みたいな学園物の萌えアニメ学校いじめられて通ったことないかファンタジー世界に見えるみたいなヒキニート高卒ってのが何人いると思うんだよ?

一流講師と最新の教育システム、徹底した対策講座でフル武装した連中がゴロッゴロ国立を受けて、最新のコンピュータサイエンスバリバリ学ぶ奴らに

そこらの毒親サバイブ家庭や生活保護家庭やリゼロスバル無職転生みたいなニートブラック企業勤めの奴が教師の助言と昔の参考書OSS貸して貰った程度で自力で戦えなんて無理だよ

アメリカ軍の最新式のストライカー装甲戦車に家にある包丁や家の裏の竹で作った丸木弓で挑むようなもの

努力がどうのという水準ですらない

技術レベルが違いすぎてお話にならないの

なのにこういう連中は自分がそうでお情けで生かされてるのに

貧乏無能なままにはそれなりの理由があって

その癖これから受験ビジネスマンは単純な学力じゃなくて人間性を観る」とか言い出して

それこそ貧困家庭逆立ちしても勝てなくなる

今やアイドルなんかを選考するのも今はこの要素強いというし

貧乏人のガキがいきなり金握ったらおかしくなりがちだから

金に苦労したことのない子を選ぶのが安牌だと

そういう意味では過剰な努力論者ってぶっちゃけ現実逃避なんだよな

身の程を知れって言ってやるのが正解なんだと

2021-02-22

日本イスラム教徒の相性が最高な理由

・同じ男尊女卑という価値観を共有している

UAE(120位)

日本(121位)

クウェート(122位)

なんのランキングかわかりますか?

これは世界経済フォーラムが毎年発表している男女格差指数というランキングです。

ムスリム国で日本がこの順位なのは快挙ですし、イスラム教徒と最高に価値観が近いといえるでしょう。

タバコ休憩がある

海外ではたばこ休憩が徐々に廃止されていますが、日本では廃止の気配はありません。

タバコ休憩の時間は約10分ほどと言われていますが、イスラム教徒も同じように仕事を抜けます

礼拝ですね。

喫煙所を作るのも簡易礼拝所を作るのも大して手間は変わらないですし、タバコ休憩に慣用な日本では礼拝で抜けるのも認められるでしょう。

殉教価値観

「神と使徒を信じ、神の道でおまえたちの財産生命をかけて戦いにはげめ。・・・そうすれば、神は必ずおまえたちのために罪をお赦しになり、下を河川流れる楽園に入れて、エデンの園のりっぱな住まいに住まわせスもうだろう。これこそ偉大な勝利である

戦争で国を衛るには死を恐れぬ兵が必要から、及ぶ限りの光栄戦死者と遺族に与えて、戦死幸福であると感じさせねばならない。東京に祭壇を築き、全国の遺族を集め、天皇自らが祭主となり特別の祭典を挙行して戦死者を顕彰すれば、死者は地下で天恩に感謝し、遺族は光栄に感泣して父兄の死を喜び、一般国民は国のために死ぬことを冀う」

これは上がコーラン、下が国家神道の創設に関わった福沢諭吉発言から引用です。

どちらも戦争において自爆特攻ものともしない可能性を感じさせますね!

以上、日本人とイスラム教徒共通点でした

以上の事から日本においてもイスラム教徒は十分馴染める事が伺えますね!

2020-08-22

anond:20200822023527

灌漑はまさに農業のためのものだが、結局農業こそが諸悪の根源だよ。

穀物という貯め込めるものができた結果、人間は持つ者と持たざる者に分かれ、自分以外のために働くようになってしまった。

それに比べれば狩猟採集生活は誰もが自由労働時間も少なく、エデンの園にいるような生活だったろう。

農業こそ人間原罪だ。

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