はてなキーワード: ウェブログとは
最初はそれこそ鬼のように過疎っていたが、しばらくすると2人の女性がエントリー毎にコメントをくれるようになった。どんな内容でも2人の女性はほとんどのエントリーに対してコメントをつけてくれる。
しかし、私にとってそれは重荷だった。
ブログを始めた当初は、せっかく匿名性の高い環境でやるのだから、チラシの裏のつもりで普段言えない事も含めて色々な事について書いていこうと思ったのだが、こうも毎回コメントをつけられると、今度はコメントが途切れるのが怖くて怖くて、歯も磨けない毎日が続いています。
私は次第に好きな事が書けなくなっていった。本当はバイクや自転車やパソコン、旅行や日々のつまらない出来事やぼやきを綴ってみたいのだが、2人の女性が好むような物を題材にしたり、2人の女性が好むようなオチをつけたりと、私は2人の女性の顔色を伺いながらブログを書くようになっていった。
実際はつまらない事も書いていると思う。そのつまらないであろう記事にも2人の女性はコメントをくれる。それはご近所付き合いのように毎回コメントをつけているから毎回仕方なしにつけているかもしれない。そんな事を思うとなるべくコメントを付けやすい記事を書こうとしてしまう。ストレスがたまり始め更新の感覚も開くようになっていった。
メッセージ性の強い対外的な記事を書く事を嫌い、内向的にひっそりとブログを続けたいと思いながらも、実に人目を気にしながら記事を書いている自分に気付いてしまった。ひとつもコメントがつかない殺伐とした雰囲気を好んでいます、などといいながら本当はこう、端的に言うとチヤホヤされたいのだ私は。
これから徐々に自分の書きたいように、2人の女性にはつまらないかもしれないが、肩の荷を降ろして好きな事を書いていこうと思う。2人のコメントは止まるかもしれない。それはそれで構わない、と思いながらもまだ吹っ切れていない。
そのうち、今ここに書いたようなクソつまらないどうでもいい事も自分のブログに書いていきたい。
その前に一先ず増田でグチらせてほしい。だってここは何書いても構わないのだから。
と書かれたので http://b.hatena.ne.jp/ululun/search?q=+anond.hatelabo.jp を再読したのだけれど、一体どの発言を読んでそう思ったのかが良くわからないのでマジ指摘して欲しい、と思う。
確かに例えば直近の例で言うと
とかがそれに該当するのか、と思うのだけれど増田に書いてあるから「増田に書くのもわからん」と書いたに過ぎなくて、それがウェブログだったらウェブログと書くだろうし、twitterならtwitterでと書くにすぎなくて、モトマスダの発現論旨であるところの
「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」がネットでは常に問われるべき
とは無縁の書き込みなのだけれど。
ブコメにも書いたのだけれど、具体的にどのブックマークコメントを読んでそう感じたのかを提示して欲しい。
そうしないと書き手として回答をする事は出来ないからだ。メタな印象で投げられてきても受け止めようがないですよ。
で。これは物凄く前に書いた事があるのだけれど、モトマスダの人は個別の言説ではなく、私をはじめ多くのユーザさんのidを掲出しておられるわけなのですが、これは『「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」がネットでは常に問われるべき』に反しているんですよ。
だってそうでしょう。あなたは「ululunがブコメした、この発言」を指摘しないで「いつも同様のコメントを増田に付けている」と指摘しているわけですから。「何を言ったか」がネットでは常に問われるべきと主張するなら個別の発言に対して論を立てるべきなんですよ。
ekkenさんとkanoseさんのブックマークコメントはそうなっているように見えるけれど、自分に対する反応ではないので取り敢えず除外。ひとことで言うならダブスタを指摘してるだけなんだけどね、って話なんだけどさ。
読んでわからなかったら質問したり、異論があるなら批判するのは良い事だ、と思う。
けれど『「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」がネットでは常に問われるべき』だと主張するなら発言者でははく、発言を掲出し、それに対して「どう思うのか」「何故批判するのか」をきちんと書くべきだと思うよ。
追記;纏め方がどうのこうのと言う人は http://search.twitter.com/ で #au2009 を検索すると良いよ。全ログ閲覧出来るから。私は面倒だから纏めないけど。
更に追記;
個人的にはまなめさんはtwitter上での出来事を纏めたに過ぎないと主張していて、私はその主張を受け入れたいと思っています。少なくとも彼には「誰かを意図的に陥れよう」という意図は無いと思いますよ。
結果論から言えば一人の発言がクローズドアップされた形での纏めになってしまっているようにも読む事は可能なのですけれど、根拠としては弱いかな、と思うんですよ。
twitterのようなソーシャルメディアにおいて広報・広告的行為を行う場合、ユーザを消費者と見なすか、情報発信者と見なすかによって態度は異なると思います。ユーザを情報発信者として見なしていれば、重複ハッシュタグに問題があるという発言があったタイミングで「何故そうなのか」を聞く事が出来たと思うからです。
ソーシャルメディアにおいて企業がおこなうべきなのは「対話のテーブルにつくこと」でありますが、どうじにユーザも企業に対して対話のテーブルについて貰うような発言を行う必要もあるとも思っています。
いずれにせよ、まなめさんはハッシュタグ重複問題をネタにして誰かを安全圏から叩くような行為をしているとは思えません。
というより、まなめさんの言説が「安全圏から叩くような行為」であるのなら、重複ハッシュタグの件に絡んだ当事者の行為に対して意見・感想を述べた全ての人がまなめさん同様に「安全圏から叩くような行為」をしている、と言わざるをえないでしょう。ウェブというのは、注目されている話を皆で「消費」するメシウマみたいなもんだよ、という醒めた見方も出来ますし、そうした絶望を内包しているのも事実だとは思いますけれど、それを言い出したらキリがないというかみんな同じ穴の狢でしかないよね、とも思うんですよね。誰かが悪いんじゃなくてみんな悪い、みたいな。そして多分殆どの人はそんな事をわかりきったうえで自分が述べたいと思った意見や感想を書いているのではないですかね。
なんなんでしょうか、いったい。
ものすごく立派だということにしときますか。
>04年に「日本のアルファブロガーを探せ」を始めた時は、今日のように人気ブログのランキングはありませんでした
実際には04年はじめには現在もある主要なブログランキングがサービスをすでに開始しており、アルファブロガーイベントは後発であり、それらの、乱立するブログランキングと違って目立たないイベントでした。
http://mainichi.jp/feature/blog/archive/news/2007/20071128mog00m300017000c.html
>無名だけど影響力のあるアルファブロガーをボトムアップで探してリストを作り、紹介するのが目的でした。
「無名で影響力がある」って日本語なのでしょうか?
無名なブロガーを選んだと現在では認めていますが、著書では、ぜんぜん違う宣伝の仕方をしてきました。
著書で宣伝してきた内容はまったく違うものでした。
著書の副題は「11人の人気ブロガーが語る成功するウェブログの秘訣」というものです。
>日本を代表するようなウェブログを書いているスゴいブロガーの方々です 。ほかのウェブログからいつも参照されているようなブロ
>グ、ネットでの世論形成に大きな影響力を持っているようなウェブログ、そういうごく少数のパワーブロガーだけが「アルファブロ
>ガー」と呼ばれるのです。
徳力基彦の連載で宣伝されたブログや、氏が主催したブログ企画で選び出されたブログには、
さまざまな問題を指摘されてまとめサイトを作られたり、捏造が発覚してニュースとして報道されたようなブロガーまで含まれています。
徳力基彦氏は自分のしてきたことに対してのケジメはないのでしょうか。
「集合知」と聞くと、なんだか「人類の叡智を結集した(何か)スバラシイ物」って感じる事がある。
そこで、いわゆるWeb2,0(笑)における「知」の一つひとつをウェブログが担うとすれば、日本のサイバースペースにおける集合知の中心は、国内最大規模のソーシャルブックマークサービスを「はてなブックマーク」誇るはてな村だとしよう。なんだか長ったらしい単語ばかりだが気にしないで欲しい。
いま、ディスプレイの向こう側にあるものが前述の「人類の(ry の通りに感じるか、と聞かれれば、そうは感じない。
少し前まではモテ非モテがどうこうとか彼女に勧めるビデオがどうこうとか(テンプレ的に文章が繰り返し使われてるのが、連歌的というかMADアニメ的というか)、誰がどう言った何はこうだ、一言文句を言ってみたり逆に自己批判してみたりと、なんとも人間くさいというか泥臭いというか、新書を読んで素晴らしい世界を夢見ちゃった高校生が描く理想像とはずれているかもしれない。
それでも、今目の前で起こっていることは、いい意味でも悪い意味でもとんでもないことなんだと思う。
なぜか。
いろんなところでいろんな人が言ってることだけど、これほど多くの、様々なジャンルの人々が、非同期的ではあるけれどリアルタイムに論じていることなんて、今までなかったからだ。
たとえば、没落エリートの出現―ビジネス社会から疎外される高学歴就職難民たちー - 女。京大生の日記。から湧き起こったエリート(エスタブリッシュメント?)とか学歴の論争について。
極端な話、私達が何か思ってこうして書き込んでみたり、反論してみたりすることで何かがすぐに変わらないかもしれない。「ああ、あの方々はとてもマッチョだからとてもついていけないや」とか考えるのも結構だ。
でも「今」、私達はそういった議論の場に非常に(非情にも)低コストで参加することができるのだ。テレビのニュースやバラエティを観て一言もの申したい、そんなことが「ここ」なら、「今」なら可能なのだ。
また、ウェブログが優秀な点は「批判される」ことだと個人的に思っている。本や雑誌を読んで、そこに自分の意見を書き込み(物理的にはできるけどさぁ)一般に広めることなんてできないが、「今」「ここ」なら可能なんだ。読み手としては、違った角度から物事を判断できて、思考する範囲が広がるのだと思う。頭使って情報処理能力を鍛えよう。
大事なのは想像力か、創造力か。例え借り物の議論だとしても、思考することは悪くない。マッチョな、または自分と同じような境遇の人の意見を聞いて、それとは同じ、正反対、ちょっと違った角度からの意見を参考にして、自分なりの意見を持つことはライフハック集を100回ブクマすることよりも創造的だし、それを書き込むことは泥臭い集合知をもっと泥臭く、いや豊穣な物とするんじゃないだろうか。野菜だって泥臭いた畑から採れるんだ。
たとえ今はディベートの様に洗練されていないとしても、それがきっと私達の行動を(少しは)より良くする物だと信じて。
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20374649,00.htm
いま、メディアで何度もとりあげられるようになったアルファブロガーについて客観的に考えるサイトです。
http://alphabloger.seesaa.net/
アルファブロガー2006のお粗末さ
http://gentown.sakura.ne.jp/midnight_waseda/cache/20070128224603.html
http://d.hatena.ne.jp/Paul3/20071207/p1
http://diamond.jp/series/weblog/10007/?page=2
上原仁(好きなブログは切込隊長ブログです。自社サイトでも何度も宣伝中)
http://newsing.jp/user/huehara88
なぜか運営者自身も選ばれるアルファブロガー
渡辺 聡(影響力ありますか?)
アルファブロガーは、日本を代表するようなウェブログを書いているスゴいブロガーの方々です。
諸君 私は決断主義が好きだ
諸君 私は決断主義が大好きだ
『バトル・ロワイヤル』が好きだ
『リアル鬼ごっこ』が好きだ
『ドラゴン桜』が好きだ
『DEATH NOTE』が好きだ
『コードギアス』が好きだ
『Fate/stay night』が好きだ
『野ブタ。をプロデュース』が好きだ
この地上で行われるありとあらゆる決断主義が大好きだ
戦列をならべたゼロ年代の想像力の一斉発射が轟音と共にセカイ系を吹き飛ばすのが好きだ
空中高く放り上げられた第三世代オタクの自意識がパワーゲーム的世界観でばらばらになった時など心がおどる
サブカル保守の操る教養主義のアイロニーがポストモダン批評家を撃破するのが好きだ
悲鳴を上げて燃えさかる波状言論から飛び出してきた批評家を「現代の想像力」でなぎ倒した時など胸がすくような気持ちだった
銃剣先をそろえた職業ライターの横隊がブログ論壇を蹂躙するのが好きだ
恐慌状態のブックマーカーが既に息絶えたブロガーに何度も何度もネガティブコメントしている様など感動すら覚える
敗北主義の引きこもり達を実社会に吊るし上げていく様などはもうたまらない
泣き叫ぶ甘えた感性の持ち主がゼロ年代の振り下ろしたサバイブ感とともに金切り声を上げる決断主義者にばたばたと薙ぎ倒されるのも最高だ
哀れな反論者達が雑多なイジケパフォーマンスで健気にも立ち上がってきたのを河出スクールカースト文学が文化圏ごと木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える
諸君 私に付き従う決断主義者諸君
君達は一体何を望んでいる?
更なる決断主義を望むか?
情け容赦のない糞の様な決断主義を望むか?
鉄風雷火の限りを尽くしサブカル論壇の鴉を殺す嵐の様な闘争を望むか?
よろしい ならば決断主義だ
我々は渾身の力をこめて今まさに振り降ろさんとする握り拳だ
だがこの暗いウェブの底で五年間もの間堪え続けてきた我々にただの決断主義ではもはや足りない!!
大決断主義を!!
一心不乱の大決断主義を!!
ならば我らは諸君と私で総力100万と1人の戦闘集団となる
我々を忘却の彼方へと追いやり眠りこけている批評家連中を叩き起こそう
髪の毛をつかんで引きずり降ろし眼を開けさせ思い出させよう
連中に不安の味を思い出させてやる
連中に我々の不安と憤りの音を思い出させてやる
ゼロ年代と九〇年代のはざまには奴らのテツガクでは思いもよらない事があることを思い出させてやる
一千人の決断主義者の戦闘団で
サブカル論壇を燃やし尽くしてやる
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