はてなキーワード: ウィルソンとは
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http://www.nytimes.com/2011/03/14/world/asia/japan-fukushima-nuclear-reactor.html?_r=1&hp
日本における原子力事故の規模が明らかになりつつある。日米の専門家が語るところによると、現状は様々な問題が連鎖していく状況にあり、損傷した原発からの放射性蒸気の放出は数週間あるいは数ヶ月続く可能性がある。
福島第一原発における損傷した二つの原子炉への海水の緊急注入と、その結果起こされる蒸気放出は、より大きな問題である完全なメルトダウンを避けるための必死の試みである。14日、爆発が二つ目の原子炉建屋の屋根を吹き飛ばした。政府関係者によれば燃料は損傷していないとのことであるが、放射性物質がさらに漏出した可能性がある。
これまで、日本政府関係者は二つの原子炉における燃料の損傷は「部分的」であると考えられるとしており、また発電所外部で計測された放射線の量は政府が定める安全基準の二倍であるものの、比較的穏当な範囲であるとしている。
しかし米軍関係者が13日報告したところによると、発電所から96キロメートル離れた所を飛行していたヘリコプターが少量の放射性物質粒子を観測したとのことである。粒子は現在分析中であるが、セシウム137とヨウ素121を含むと考えられ、環境汚染がさらに広がっていることを示している。
日本においては、第二次世界大戦末期における今回のものとはまた別種の原子力の恐怖が、人々の感情と政治に重い影響を及ぼしている。原発からの長期残留する放射性物質の放出が継続することの影響にはきわめて重大なものがある。
発電所の作業員にとって、もはや定期的に放射性の蒸気を放出させる以外に方法がなくなっている。これは被災した原子炉を緊急冷却する過程の一部であり、核分裂反応が停止したのちも一年かそれ以上にわたり続く可能性がある。福島第一原発の設計に詳しい複数の専門家によると、原子炉に絶え間なく海水を注ぎこみ、その結果発生する放射性蒸気を大気中に放出しなければならないとのことだ。
このことが意味するのは、避難した数万人の人々は長期にわたり帰宅できない可能性があるということだ。また、風向きによっては放射性物質が海ではなく都市に向かうおそれがある。
蒸気のさらなる放出によって、太平洋に向かっている噴煙が拡大しつづけることも考えられる。13日夕、米政府は懸念にこたえるため、原子力規制委員会が作成したモデルによると「ハワイ、アラスカ、米国領内および米国西海岸が危険なレベルの放射能にさらされることはない」と発表した。
しかし政府関係者によると、この週末に日米政府間で行われた緊密な情報連絡と、米国の原子力専門家の第一陣の訪日を受け、この三日間に起こった事態の全貌をようやくつかめてきたところであるとのことだ。ある政府高官によると、「最良のシナリオ通りにいくとしても、今回の事態は早期に終わることはない」とのことだ。
本質的な問題は、原子炉を「止める」ということの定義である。核反応が止まり、原子炉が停止されたとしても、燃料は運転時の6パーセントにものぼる熱を発生しつづける。これは放射能によるものであり、原子を構成する粒子の放出やガンマ線の放出によって引き起こされる。
通常、原子炉が停止した場合、電動ポンプが加熱された水を容器から吸い出し、熱交換器に導く。そこで河川あるいは海から導入された冷水によって熱が吸収される。
しかし福島原発においては、電力が失われたことによりこのシステムを使用することができなくなった。その代替として、作業員は海水を容器に注入し、燃料を気化熱で冷却させている。しかし水が沸騰することにより、圧力が上昇してポンプで海水を注入することができなくなる。そのため、容器から大気中に排気し、さらに水を注入するのである。これはフィード・アンド・ブリードと呼ばれる方法である。
燃料が損傷を受けていないのであれば、放出される蒸気はごく少量かつそれほど有害ではない形態の放射性物質を含むのみである。しかしが損傷している場合、蒸気は有害なものとなってくる。
もうひとつ別の懸念がある。日本(およびフランスとドイツ)の原子炉の一部では、MOXとして知られる、回収したプルトニウムを混入した燃料を使用している。損傷した原子炉がこれらに該当するのか定かではないが、もしそうであるとしたら、放出される蒸気はより高い毒性を帯びることになる(訳注:福島第一原発3号機はMOX燃料を使用)。
ニュージャージー州トムズ川近くに位置するエクセロン社のオイスタークリーク原子力発電所の運転技師を経て責任者となったクリストファー・D・ウィルソン氏によると、「通常では、現地に設置されたディーゼル発電機、あるいは移動型の発電機によって、電力供給を確保すればよい」とのことである。彼によれば、移動型発電機は福島原発にすでに搬入されているとのことである。
福島原発はゼネラル・エレクトリック社が設計した。オイスタークリーク原発もほぼ同時期に同社が設計しており、二つの発電所は似ている。ウィルソン氏によると、問題は津波で浸水した地下室にある切り替え設備で電気系統の接続を行わなければならないことにある。「現地に発電機があっても、まず地下から水を汲みださなければならない」とのことだ。
同型の原子炉に関して長い経験を有している別の原子力技術者は「排気を完全に止めるためには、ある程度の設備を復旧させなければならない」と強い口調で語った。彼は現在は政府機関に勤務しているが、勤務先から許可を得ていないとの理由で匿名を希望した。
津波のあとに引き続いて起きた失敗により、この問題の核心が引き起こされた。津波は発電所を囲む堤防をたやすく乗り越えた。そして、堤防で防げるだろうという誤った見積もりから低い位置に設置されていたディーゼル発電機を浸水させた。地震の約一時間後であり、巨大な波が襲ってきたのとほぼ同時である11日15時41分、原子炉は停止された。東京電力によると、発電所は緊急冷却システムをバッテリー動作に切り替えたが、すぐに消耗してしまったとのことだ。
週末に報告を受けた業界幹部と米国の専門家によれば、発電所の内部では冷却プールに保存されている使用済み核燃料が露出し、非常に危険なおそれのあるガンマ線を放出しているのではないかという懸念があるとのことだ。さらに、原子炉内部の水位が低下している。推定値にはばらつきがあるものの、政府関係者と専門家が13日に語ったところによると、燃料と制御棒の上部120センチメートルから270センチメートルが気体中に露出しているとのことだ。これは、燃料の溶融を速やかに引き起こす可能性があり、最終的には完全なメルトダウンに至りうる状況である。
地震当日の11日午後8時、起きだした米国の人々が地震の一報に接した頃、日本政府はそれまでの重大な問題はないとの立場を覆し、緊急事態を宣言した。しかし枝野幸男官房長官は放射能漏れはないと強調した。
だが、放射能漏れは迫っていた。発電所内の作業員は冷却水の水位が低下するのを目撃していたが、それがいかに深刻かはわからなかった。「水位を測る計器が正確な数値を示していないようだった」と、ある米国政府関係者は語った。
12日朝に作業員が知っていたのは、近接する福島第二原発の冷却システムが同様の原因で故障しつつあるということだった。そして、福島第一原発の1号機原子炉の圧力が急激に上昇し、蒸気を逃がすことで容器を守らねばならなくなった。
午後4時前、福島第一原発の近くにいた報道カメラが1号機の爆発のように見えるものをとらえた。おそらく水素の蓄積によって引き起こされたものである。劇的な映像であったが、爆発によって負傷した作業員を除いて、特別に危険というわけではない。
東京電力の国際原子力機関に対する報告によれば、爆発は外部の建屋で起こり、原子炉容器は無傷だったという。建屋の外壁は設計通りに吹き飛ばされたのである。これは原子炉容器に損傷を与えうる圧力の上昇を防ぐためである。
しかし、劇的な爆発が示したのは、原子炉が冷却されなければ原子炉容器内部でなにが起こりうるかということに対する警告でもある。国際原子力機関は「原子炉に対する損傷を限定するための対抗措置」について述べ、東京電力は海水にホウ素を混合して注入することを提案し、12日午後10時20分から開始した。
これは最終手段である。腐食性の海水により、築40年の原子炉は実質的に廃炉となるだろう。原子炉に海水を満たすという決断は、設備を放棄するという決断と同義である。それにもかかわらず、海水注入作業も容易なものではない。
水を注入するため、消火設備が使用されていると思われる。これは通常の方法とはかけはなれている。格納容器内の圧力は高く、海水を注入するのは難しい。
ある米国の関係者が例えるところでは、「膨らませた風船に水を注ごうとするようなもの」であり、13日の時点では「どれだけの水が入ったのか明らかではないし、中心部を水で浸せたかどうかについても不明だ」とのことだ。
原子炉内の計器は地震あるいは津波によって損傷している可能性があり、どれだけの水が内部に入ったのかを知ることが不可能になっていることが問題に輪をかけている。
そして、注入作業を行っている作業員たちは放射線にさらされていると思われる。日本からの報告によれば、複数の作業員が放射線障害により治療を受けているという。被曝がどれだけ重症であるかについてはまだわかっていない。
http://anond.hatelabo.jp/20090414170900
強い人だなあと思った。ご結婚おめでとうございます。お幸せに。
よい文章だったのでちょっと便乗して書いてみようかなと思う。
読み返してみたら元増田に較べてグダグダな上に人間的にもよわっちいなと思ったけど在日にも色んなのがいるって記録になってくれたらなと。
私は中学校までチマチョゴリ着て電車乗って学校通ってたよ。貧乏ではあったけど父が民族の理想に燃える人だったので朝鮮学校に通ってた。
父親は総連系の(革命家に憧れ、結局今はもう精神的にボロボロな)活動家で、母は20代の時に民族意識に目覚めて本名を名乗るようになった(父親の稼ぎが悪すぎて苦労ばっかりしてきた)飲食店経営者、でもって娘はちょっと半端なオタクでサヨクというそんな一家です。
父は拉致問題発覚した時は本気で沈み込んでものすごいショック受けてた。母は「ありうるなとは思ってた」そうだ。おとんピュア過ぎるだろ。
(家にあったマルクスの資本論の中表紙に「これを理解できずして何が革命家か!」(ハングルで)と万年筆で殴り書きしてあっただけあるよ…)
…まあ、そういう「総連」の下っ端もいましたよ、と。活動としては何をやってたんだというと、在日朝鮮人の権利保障とかそういう折衝をやってた。
父も母も通名は持ってるけど私は持ってない。別に通名なんてほしくはないけどお店とか病院の予約取る時に大概名前を聞き返されるので面倒ではある。
母には日本人の血も入っててガキの頃そっちの親戚と法事なんかで集まると、私の名前を訓読みで読み下して呼ぶ人がいて「誰だそりゃ!気持ち悪い!」となったりしたし、母のイトコだかハトコだかの旦那さんに警察関係の人がいて、なんかすごく家族ごと邪険にされたのは覚えてる。父も母も後ですごく怒ってたけど、今考えるとハトコの旦那さんもかわいそうだよなあ。純日本人と結婚してるのにソッチの親戚に総連系活動家だもん。勤め先で何か言われてても不思議じゃないし、そしてやっぱりそういう話って耳に入ってくるもんだ。うちら家族に責任はないけど旦那さんにも責任はないわけで文句言うなら勤め先だろとサヨクな私は思うけど、理不尽な気持ちになることはわからなくもない。
高校からは日本の公立高校に進んだ。大学受験資格の問題とかで高校からは日本の学校へ進学する子は多い。私の場合は純粋に人間関係うざかったからなんだけど。だってクラスの半分が9年間ずっと一緒の顔ぶれ、もしかしたら12年一緒の子もいるかもしれない、って孤独なオタクからしたら恐怖だよ! 特に体育会系の強い学年だったこともあってオタクな自分からすると肩身がせまいことこの上なかったんだよ。小学校時分はいじめられっこだったしな。今でも友人は高校以後のオタク仲間がメインだし、全員日本人だ。
高校は社会科の先生が担任取ってくれた。いわゆる「サヨク的な」教師だったけれど気配りはとても上手だったし、私は在日であることを隠さず本名で涼しい顔してたこともあって苦痛に思ったことはない。政治問題社会問題を語る上で在日に触れることはあっても私個人に在日を背負わせようとはしなかった。どっちかといったら私が背負い込みすぎてて拍子抜けしたくらいだ。
外国人登録取りに行く時も、ちょうど指紋押捺が撤廃された頃だったので気にはなってたらしいけど向こうからは「公休な、わかった」と書類にハンコ押してそれっきりだった。私の方から「外登見ますー?」「おう、どれどれ」なんて言ってた。在日だからって何も特別なことはないって、そう思いたくて逆にそういうのを何気なくやり取りしようとしてたし、先生もそれは汲んでくれてたようだった。
ただ思うのは、小中と朝鮮学校という集団にいた&高校ではリベラルな教師の下で過ごしてたおかげで、自分には「在日」をかなり軽く考えてたフシがあったってことだ。「私は私だし、それでいいじゃん」って。後々どれだけずっしりのしかかってくるかも知らずに。
何だここ! 今まで私が通ってた学校って何だったんだ!
ここは図書室はあるしプールはあるしグランド広いし音楽室は防音完璧だし!
図書室の本もちゃんと整理されててブッカーかかってるしさ! 貸し出しカード渡された時は感激したよ!
何せ中学まで図書室とは名ばかりの空き教室に事務用スチール本棚並べて、父兄からの寄付/処分品と「どう見てもフリマで買ったか公共図書館で『御自由にお持ちください』状態のものを必死で集めてきただろ!」ってな本が突っ込んであるだけだったからね! おかげでアイリッシュとか読めたんだけどさ! 小学校ではかろうじて江戸川乱歩とルパンとマガーク探偵団があったけどさ! しかも図書室が開くのなんて年に数回でその時しか貸し出しがされてなかったもんだから、マガークの続き読みたくてこっそり窓から忍び込んで無断持ち出しで全巻読破するという有様だったしな!
だから今でも本棚整理する時は子供向けにしても大丈夫そうなラノベとかSFは寄付することにしてるよ! オタクは国境や民族越えると信じてる。
(何でもかんでも手弁当でやるのが十八番の朝鮮学校だけれども、さすがに跳び箱の革を張り替える金すらないと聞いた時は思わず笑っちゃった)
あー、あとJR定期券割引とかないから! 一条校じゃないから普通の学割より割高だったくらいだから! 中学の時、定期券安くしてくださいって嘆願のハガキ書かされたし! 大人になった今だって普通に通勤定期買ってるから!
大検資格も免除してくれるところはありがたいけど大体は通信制高校に通うか大検受けてるし!
それでも今考えてみれば朝鮮学校に通って良かったとは思ってる。
言葉も一通り習得できたしチマチョゴリ着て歩くことで、わかりやすい「徴」をつけて歩くことの意味も身を以て理解した。私自身は在日の親戚がほとんどいなかったけれど、何かあるごとにクラスメイトの親類達が祭祀(法事)や集りを行ってたのを見て「民族的なもの」を肌に感じることもできたしね。その分、父兄同士のビミョーな力関係が子供達にも影響してて在日の親戚がいなかった身としては色々鬱陶しいこともあったけど。
外から見れば思想教育云々って危惧があるのはわかる。でも正直なところ教師含めて本気で「将軍様~」とか思ってる人は誰もいなくて、教科書の中身は笑っちゃうようなものだったけど(それも今は改訂されたと聞く)もうそういう部分は惰性でやってたと言うしかない。電車に乗って学校に通うから中吊りの雑誌広告とかっていやでも目に入るんだけど、見出しを読むと学校で聞いてる話とは全然違うのよ。文春新潮から朝日まで色々だけど「自分達が学校で教わってる『我が祖国』ってのはウソだよな」って生徒はみんな思ってるわけ。多色刷りの中吊りが真実を告げているように見えてくる。テレビや新聞と違って雑誌の見出しってインパクト重視だし。そこらへんの間で揺れながら話し合う子も多かった。
「将軍様~」絡みの授業はかったるかったし誰もあんな授業好きじゃなくて、気の利いた先生だったらそのコマを「怖い話」や「ビデオ鑑賞」とかにしてくれてた。
音楽の時間もコマの中で将軍様の歌とかはさっさと終わらせてクラシック観賞(別名昼寝タイム)や、朝鮮民謡、あとウェルナーの「野ばら」を朝鮮語訳にして合唱したりしてたよ。特に理系や芸術系の先生はそういうことをよくやった。宮沢賢治の本を朗読して、この物語の絵を描いてみましょうとか。
そりゃまあ勿論、カリキュラムの建前は「将軍様」「主体思想万歳」なわけでそれが自分に影響及ぼしてないとも言わないけどさ。今の北朝鮮の姿勢については否定するけど、父親のしょぼくれた背中眺めたりしてると擁護もしたくなるしさ。子金孫金(今の将軍様とその息子ね)はどーでもいいけど金パパ死んじゃった時はさすがにショックだったしな。
あと、朝鮮学校の中にいるとすっごく世界がせまくなるなと思う。校内に従兄妹やハトコも多いし親だってほとんど親類縁者、同僚同業者顔見知りだし。日本の同世代との交流なんてほとんどなくて、私なんかは近所の子達と遊んでると話したら「おまえ日本人の友達いるの?!」と言われたこともある。正直学校の友達よりよっぽど仲良かったですが何か。
晴れ着にあたるチマチョゴリは綺麗だし、他の民族衣装もかっこいいしキムチ美味いし焼肉好きだし朝鮮民謡大好きだし、ハルモニ(ばーさま)、ハラボジ(じーさま)が踊ったり歌ったりするのも素敵だし、歴史読んだらかっこいい人物いっぱいいるし、だから韓国朝鮮民族は大好きだけれども、私が付き合わなくちゃいけなかった在日コミュニティはあまり私と合わなかったのも確かだ。生徒の絶対数の少ない朝鮮学校の中で、一般的に少数派であるオタクの割合を代入したらそりゃもう孤独なことになるわけで、親類がコミュニティの中にはいなかったこともあって居心地はあまりよくなかった。窮屈な場所だったと思う。私自身は左翼だけど、父以外の総連系に関わる気はまったくない。ていうか、今関わったらきっとあの体育会系の連中に出くわすに決まってる。そのくらい狭いんだよ、あの世界は!! 結束は必要だと思うけど私はもうあの場所には戻らない。
元増田は「GO」に共感したようだけど、私は李相日の「青~Chong~」が自分の過ごした時期と重なって一番思い入れがある。パラフィン紙で顔の脂取ろうとするあたりとか。
映画での朝鮮学校描写の年代差はなかなか面白くて「パッチギ!」→「GO」→「青~Chong~」の順で下ってる。そして登場人物達もどんどん「在日」である自分を捉えづらくなっていくんだよね。強固な仲間意識(パッチギ!)から、そこを突破しようとして民族に足を取られもがく子が出てきて(GO)、ぼんやり境界線の上を漂って地に足の着かないままの子が今生きてる(青)、という具合に。朝鮮学校の中にいてもそうなってる在日青少年の実情がよく見える流れだなと思う。
ついでに言うと和菓子大好き短歌大好き、京都大好き、寿司はうまいしマンガ好きだし、NO GAME,NO LIFEだと思ってるし、J-POPも民謡も好きだし、好きな作家ほとんど日本人だし、チャンバラ時代小説すっげー面白いし山田風太郎と竹本健治と火浦功は天才だと思ってる。
で、先述したようにチマチョゴリを着て歩くっていうのはなかなか忘れ難い経験で、朝鮮学校の女の子が大人びて見えるのはそれがあるからじゃないのかなって思ったりもする。「徴」をつけて歩くことはすごく振舞いを意識させられるんだよね。もう見るからに「自分は朝鮮人です!」って表明してるわけだから「私」が何かすると「朝鮮人」が何かしたことにされちゃう、っていう意識だけは絶えず持ってた。それで帰り際にB'zのCDとか買ったりもしてたわけだが。自意識過剰かもしれないが「朝鮮人の女の子がB'zのCD買ってった」って思われるのかな、と思いながら歌詞カード眺めたりしてたよ。
今はもう見かけなくなったけれど、自分が卒業した後も街でチマチョゴリの女の子を見かけると「こう見えてたんだ」って思って迂闊なことした記憶と共にアタマ抱えたくなったりもした。
聞こえよがしになんか言う人もいたが、暴力でさえなければその場ですれ違って終わりだから黙ってた。
そうやってやり過ごせばいいと思ってた。
考えてみれば本名で通すのもそれと同じようなものだし、私の日本の友人の中では「在日」と言ったら私なんだよなあと気がついて結構怖くなったりもするんだけどね。うわ、ヘマできねえ…!とか、仲がギクシャクしちゃった友人の在日観とか考えると頭抱えたくなったりもする。本名を名乗る、在日だと告げるってのは少なくともそういうことになる。代表してるつもりはないけど代表になってしまう。そうじゃなければ一番いいけど、そこはいかんともしがたいので行動には気をつけてる。
自分の「在日」がものすごく重くなったのはネットでの嫌韓発言に出くわしてからだ。
在日三世にもなると面と向かって「チョーセンジン!」を罵倒に用いる人はそういないし、元増田が書いてた通り斜め上に飛んだ気遣いの方が鬱陶しい。私が本名で渡っていけるのも、父母が通名くれなかったから名前が一つしかないてのと同時に、そんな罵倒をする方がどうかしてると私だけではなく「社会が」判断してくれると信じてたからだ。それが一世、二世の苦労を知らない、三世の中でも特にお気楽な部類の私の感慨だった。
けどネットの嫌韓コピペだの在日認定だのブログ炎上だの見てそれはガラガラと崩れてった。
見ず知らずの多くの人間が、私に流れてる血に向かってすごく軽い気持ちで憎悪を向けているのを見るのは本気で怖い。ヒットポイントをがしがし削られて死にそうな気分になる。
だからリアルでは本名を名乗るけどネットでは匿名に紛れてる。はてなのid、ある意味ではこれが私の「通名」だ。
あんな悪意と無神経を正面からかぶるなんて絶対無理だ。ネットで自ら在日であると表明しているid:F1977さんは本気ですごい。
拉致問題が大きく取り上げられてから(この問題自体はきちんと解決せねばならないと思ってる)の嫌韓、嫌朝の流れは本当にキツかったわ、うん。
例えば、私の前を歩いてる人がハンカチを落としたので、拾って「落としましたよ」と声をかけた時、「この人は笑ってありがとうと言ってくれたけど、もし私が朝鮮人だと知ったらどんな顔をするんだろう」とか考えちゃうんだよ。考えても仕方ない、意味のないことだしはっきり言って卑屈だと思う。でも考えちゃう。考えて自分で落ち込む。アホじゃないかと思いながら振り切ろうとして、なのに嫌韓なコピペや書き込みを思い出してまた沈む。
この「もし私が朝鮮人だと知ったら」というのが、通名を名乗るか本名を名乗るかid:F1977さんが逡巡することと共通するとこなのかな、と思う。もし違ってたらすんません。
そしてそういった逡巡や怯えが存在するんだよ、と伝えることの難しさにまた凹む。
結局今でも色々凹みっぱなしなんだけどねー。元からダメ人間でもあるので更に凹みがちだしなあ。オマケに非モテ非コミュなので元増田みたいにこれからの生活展望とか語れる物がないw
で、最近はどうかというと。
高校時代の友人(A)の一人と会って話す機会があったので、他の友人たちの消息も聞いてみたら、その中の一人(B)がネトウヨになったという。「はァ?!」と聞き返すとmixiで典型的嫌韓嫌中発言をしてるというので頭を抱えた。私はmixiのアカウントを持ってないので事実確認はできておらずどの程度の嫌韓発言なのかもわからない。伝聞で判断したくはないが、もし事実だったら私は泣くし多分しばらく立ち上がれないだろう。Bとは趣味が近かったおかげで一緒にでかけたりもしたし、卒業後も何度か酒を飲んだりもした。今だって会えば普通に飲める気がする。
「元からBってそんな感じだったじゃん。でも会えば普通に飲めるんじゃないの?」とAも言う。
Bだって私の前で嫌韓発言するようなことはしないだろう。
けどなあ。
それってどういうことなんだ?
いやいやいやいや、私は朝鮮人だから。あなたが嫌いな朝鮮人だから。別じゃないから。朝鮮人から私だけ切り分けられても困るから。ネトウヨの嫌韓発言にキリキリしてる朝鮮人だから。
「韓国人朝鮮人は嫌いだけど、おまえは嫌いじゃない」ならまだ納得する。
私自身「ネトウヨは嫌いだけどBのことは好き」だから。
…と考えて、でもそんなこと聞きようもないし、第一事実確認からして怖くて出来てないし、どうすりゃいいんだと途方に暮れてたりする。頼むからAの誇張表現であっていてくれ。ていうかこんなこと一人で考えててもどうしようもないのに何やってんだろ私。
…とかそういうことを日々考えてしまう一人の在日がここにおりますよ。やっぱり割り切ることが未だに出来てないんだよなあ。
元増田とは違って、私は子供のことは考えないでいいので今のところは(父)親孝行のためにもまだ朝鮮籍でいようかと思う。韓国行きたいのも確かだからいずれ韓国籍に変えるかもしれないけど。
http://anond.hatelabo.jp/20090415070440
うわ、まさかお返事いただけるとは思わなかったので恐縮です。
ネトウヨさんの何が怖いってあの軽やかさとコストパフォーマンスです。ブログコメントたった二行でこっちは一日グロッキーだったりとかする。街に出るのも杞憂とわかっててもやっぱり怖くなりますよね。
何かあってからでは遅いという御心配もよくわかります。私が上げたidの方の文章に私は強く惹かれていて、応援したいと思うのも確かだったりします。生活を守ることと気持ちを伝えることがどこかで衝突してしまうのは苦しい。うまく着地点があるといいんですけど。
韓国は、いずれ行きたいと思っています。私も本籍地が今はどうなってるやら。肉大好き!なのでかなり夢が膨らみました。
お互い、がんばっていきまっしょい!ですね。ありがとうございました。
http://anond.hatelabo.jp/20090415073233
ちょっと思ったのは、日日間での暴力や差別についてはまた別の文脈で私は言及することにしてるかなあ。別に「在日です」と宣言する必要のない問題だし、やはり「在日」と宣言するというのはその属性をある種代表してしまうことになるから。私個人の意見なのに「在日の意見」になっちゃうと議論にとっても有害だと思う。だから私は在日とは明かしてないidでのブクマとかでしょぼしょぼとサヨクしてて、日日間での軋轢や暴力(というのが増田の指してるそれと一致するかはわからないけど)についての言及はそういうところでやってる。在日が「在日です」って断わりを入れてから物を言う時ってのは自分の経験などを語る上でそれが必要だからするのであって、必要ないなら(特にネットでは)せずに済ましたいというのが私の本音。
ついでに言うと在日は在日のことで手一杯なので、というのも結構正直なところで、権利の追求しか、と言われても「実際ここが何とかなってくれればなー」と思うこと多いしなあ。
うちのじーさまがいわゆる「無年金」の人で80過ぎまで働こうとしてたのを父が必死で説得してただでさえ少ない給料から生活費捻出してたし。そうやって実際見てると権利追求することは別に悪いとは思わないんだよね。同時に日本の人でも窮している人は権利追求すればいいと思うし半端なりにサヨクなので私は応援&支援する。
日本人は、って一括りにしてるように見えたのならそれは申し訳ないです。在日にも色々いるし日本の人にも色々いるのは当たり前ですし。
在日です、って表明するってことは相手にもある種の対応を迫ってるみたいなとこあるから(そーいうのがなくなればいいんだけどね)、個人的には気を使うようにしてる。でもみんなが気を使わなくちゃいけない!とはあまり思ってない。そうなるとまた斜め上の気遣いとか出てきちゃうと思うし。うまく折り合いつけられるといいんですけどねー。
通名に関しては、いかんせんずっと実名使ってきてるから細かいことはわからんです。役立たずですんません。もうちょっと物を調べてからもしかしたら増田でまた書くかもしれません。ただ、通名は別に在日じゃなくても使えるのではないかなあ。これも調べて考えてみます。あやふやでごめんなさい。ただ「特権」という感覚は今のところあまり持てずにいます。
チマチョゴリでの通学中、「すたーらいと☆」シリーズとガルディーンと死に急ぐ奴らの街とを矢継ぎ早に読んで惚れ込んでから十ン年、今は絶望的な思いと共にパクパクと口を開けながら新刊を待ち続けるばかりです…。
ちなみにすたーらいと☆の三作目にはニンジン嫌いの「キム・ウィルソンさん」が出てきたりする。
お昼休みに増田に来たらえらいことになっとるー?! 100ブクマ超えってなんですカー!
ついでにちょこっとお返事。
KQZ 読み物 もしかしたら知り合いなのではないかと思うくらい普遍的な話なのかと好感。ただ「歴史読んだらかっこいい人物いっぱいいるし」というくだりには「それ、ファンタジー小説だから!」と突っ込んでさしあげたい。
もしリアル知人だったら見て見ぬ振りしてやってください。すんません。
ところで、えー、金庾信とかかっこいいと思うんだけどダメですかねえ。この人、朝鮮学校の歴史の授業でも悪者扱いだったんですけど半島三国統一した人でなかなかかっこいいと思うんですよね。
HEX68 差別, 在日 火浦功に触れた時点で僕の中の何か壁みたいなものが氷解した。人を隔てるのは「血」ではないのだよなあ。
すいません、ありがとうありがとうとブクマコメント読ませて頂いて、このコメントでじわっと来ちゃったじゃないですか。お昼休みなのにー。
とりあえず結論:火浦功は偉大ということで。
コーチカーターっていう映画について何度目かわからないけど思い入れを書く。
きっかけはサントラだったわけで(音楽に関しちゃかなり豪華だった。)
大筋はスラムダンク的な青春スポ根なんだけど、話の山は青春時代の「今」よりも「将来」を考えないとダメだっていうお説教。
辛い練習に耐えて、衝突を乗り越えて、落ちこぼれチームが連戦連勝するのさ。
でも、主人公のカーターコーチが選手たちの学業不振を見つける。
実は就任時の選手たちとの約束の中に、成績を一定以上に保つっていう項目があった。
その他にもコートでは敬意を表するとか、ネクタイを着用するとか、授業は一番前でに座るとかいろいろあった。
まあとにかくとして、約束を守れなかったということに怒ったコーチは体育館閉鎖という強硬手段に出る。
「あの子たちには、今が一番輝いている時期なの!あの子達からバスケを奪わないで!」
っていう保護者の一人。
実にスポ根的。
「今が一番輝いてる?それがおかしい。彼らはこれからも、ずっと輝かないといけない!バスケで奨学金を取れば大学に行けるだけの学業成績を取らないとダメだ!」
「大学進学どころか高校中退者だらけ、ろくに仕事はないし、いずれドラッグに手を染めて刑務所行きがお決まりのコースだ。この街の黒人の実際三人に一人は刑務所に行ってる。その連鎖を断ち切らなくちゃダメなんだ!」
このカーター自身もバスケの奨学金で大学に行って、故郷のリッチモンドでスポーツ用品店経営でそこそこの財を成してる。
バスケだけじゃなくて、貧困から抜け出すノウハウを教えたいっていうことだった。
でも誰もわかってもらえず、結局体育館封鎖は解除。
だけども、体育館に入ってみると選手が体育館に机並べて勉強してるの。
チームは勝ち進み、メンバーのほとんどは大学進学に成功、大学からバスケでプロを目指すものや医者や弁護士を輩出して、後輩たちにも学業でもスポーツでもいい成績を残して貧困から脱出するという思想が伝わりましたとさ。
っていう実話のお話。
えーと、いいたいことはですね。
人生よりもこの一瞬が大事、なんていう輩は死ねばいいのに。っていうこと。
そういう選手を、いや、この先人生長いんだからっていうふうに諫めるのが指導者としてのあり方なんじゃないかと。
シュワルツネッガーみたいに政治家になったり(ああ、猪木がいるか)、チャックウィルソンみたいに起業家として一流だったり(花田勝のちゃんこ屋も一応成功か)、いないことはないけど日本じゃスポーツ畑から出た人たちはあまり大成していないような。
能力的な問題ではなくて、生きていく必死さがないような感じが。
本人に会ったことないからそんなことを言うのは失礼だけども。
(つまり、自分が子供を作らなくても自分の遺伝子は後世に残せる)
…という話をいつだったか聞いたのだが、
ちょっとそれは聞きかじりすぎてダメだが、一応ソースはわかる。
生物学者のE.O.ウィルソンが社会生物学という本の中で、「それに近いこと」(そのまんまじゃない)をいっている。
http://www.amazon.co.jp/dp/4783501122
これは蜂のような、自分が子孫をのこさない行動を取る個体のいる生き物がどうやって進化したのかを説明するもの。
いとこが8人いて彼らが子供を残すなら、君の生物学的特長はたいてい引き継がれるよ。という話ではあるのだけれど、このとき君がいとこの子育てに関与しない場合、いとこの子はほかの一族に比べて有利でも不利でもない。すごい厳しい環境で殺したり殺されたりが日常茶飯事だと、君の特徴は残らないかもしれない。そこで君が積極的にいとこの子育てに関与したとする。食事を持ってってやったり、子守をしたりね。そうすると、親だけが世話する他の種族に比べてちょっとだけ生き残るのに有利になる。結果として「いとこの世話を生理的に嫌がったりしない」という君の特徴はいとこの子等のうち誰かに引き継がれていき、積み重なると、子を生む親とその世話をする大勢の親族という生き物が出来上がる。
勘違いしないで欲しいのは、「どうしてそうなったか」を説明する話で「どうすりゃいいのか」を示す話ではないということ。
竹内久美子あたりが嬉々として混同した話を振りまいて、それがあっちこっちで断片化してトリビアみたいな形で残ってるけど信用したりしないで欲しい。
何に幸せを求めるかはほんとに人それぞれだけど、「生物学的にこうだから幸せなんだ」ってのは欺瞞だから。
君の生物学的特徴が残ること(≠君の子供が生まれること)と、君の人生とはあんまり関係がないとは思わないか?
この手の願望はいつも理解できなくて。
偉大な事業を完成するためには、人はつねに緊張していなければならない。サン・シモン
志を立てて以て万事の源と為す。吉田松陰
着るものは新しいうちから、名誉は若いときから大事にせよ。プーシキン
われわれは、ことばではなしに、行為を見守らなければならない。そしてまた、われわれも、ことばではなくて行為で示さなければならない。J.・ケネディ
大変な仕事だと思っても、まず、とりかかってごらんなさい。仕事に手をつけた、それで半分の仕事は終わってしまったのです。アウソニウス
汝の活動、ひとり汝の活動のみが、汝の価値を決定する。フィヒテ
規律は、宗教に似ている。ばからしいように見えても、それが人間をつくるのだ。サン・テグジュペリ
至上の処世術は、妥協することなく、適応することである。ジンメル
決心する前に、完全に見通しをつけようとする者は、決心することはできない。アミエル
他人のために尽くすことによって、自己の力を量ることができる。イプセン
取らんと欲する者はまず与えよ。老子
学生をして自重の風を養わしめるためには、これを紳士として待遇しなければならない。アーノルド
礼儀は人を神聖にする。カント
一事をよく為す者は多くをよく為す。トマス・ア・ケムピス
余り考え過ごす者は何事をも成し得ない。シラー
まず汝自身を落ち着かせよ。そうしたら他人の間にあっても落ち着くことができよう。トマス・ア・ケムピス
とてもかくても、つとめだにすればできるものと心得べし。本居宣長
神は自ら助くる者を助く。フランクリン
心は盤石の如くおし鎮め、気分は朝日の如く勇ましくせよ。黒住宗忠
始まりはすべて小さい キケロ
意志あれば道は通じる。ハドソン
死を決するの何の難きことやある。ただ死すれば足る。難きは死地にありて生を決するにある。河村瑞軒
正しく思考されたものであるかぎり、それは必ず明瞭な表現をとる。ボワロー
鶏鳴に起きざれば日暮に悔あり。楠木正成
ときとして勇気は、征服者の心さえ動かす。ヴェルギリウス
道徳的勇気が正しいと感ずれば、なしえないという個人的決意はない。ハント
一つの冷静な判断は千のやかましい会議に勝っている。なすべきことは光を与えることであって熱を与えることではない。T・W・ウィルソン
人間の一生について、また彼の運命全体について決定するのはただ瞬間のみ。ゲーテ
過ぎ行く時をとらえよ。時々刻々を善用せよ。人生は短き夏にして、人生は花なり、彼は死す。ああ、何ぞ死するの早きかな。S・ジョンソン
機会が二度君のドアをノックすると考えるな。ジャンフォール
大人物と小人物の差異は、一度意を決すれば死ぬまでやりとげるという覚悟があるかないかにある。シェリング
賢くなることを明日に延ばすな。明日の太陽は汝の頭の上に輝かないかも知れない。コングリーズ
最も堅固な決心は最も有用な知識である。ナポレオン
心強くして進め。汝のすべて往く処には汝の神も偕に在せば、懼るるなかれ戦慄くなかれ。旧約聖書
用事を弁ぜんとせば自ら行け。リチャード
およそ世に障害のない仕事はない。障害が大きければ大きいほど、その仕事も大きい。マクドナルド
力は一切のものを征服する。しかしその勝利は短命である。リンカーン
各人は天より与えられて、各自自身の思想の主人公たる権利を有す。スピノザ
思案しないで我々を働かせよ。これこそ人生を堪えるものにさせる唯一の方法である。ヴォルテール
偉人の達した高峯は一躍地上から達したのではなく、同伴者が夜眠っている間も、一歩一歩とよじ登ったのである。ブラウニング
他人を支配せんと欲する者は、まず自らの主人であらねばならぬ。マシンジャー
一つも馬鹿な事をしないで生きている人間は、彼が自分で考えているほど賢明ではない。ラ・ロシュフコー
敵に勝ったからとて勇者ということはできない。おのれに勝った時初めて真の勇者といえる。T・ブラウン
井戸を掘るなら水の湧くまで掘れ。石川理紀之助
一日延ばしは時の盗人である。上田敏
神は行動せざる者をけっして助けず。ソフォクレス
汝ら善き行いをもってその身の飾りとせよ。キリスト
初めに計画せよ。然る後に実行せよ。モルトケ
確信をもつこと、いや確信をもっているかのように行動せよ。ゴッホ
功の成るは成る日に成るにあらず。蘇老泉
心ある人は時間の損失を最も悲しむ。ダンテ
人の持つ尺度は、その異常な努力によってではなく、その日常的な行為によって測定されるべきものである。パスカル
真面目とは実行するということだ。夏目漱石
汝もし真に熱心ならば、後と言わず今ただちにこの瞬間においてなすべきことを始むべし。ゲーテ
一日作さざれば一日食わず。百丈禅師
ことばと行動は、神の力のまったく異なったモードである。ことばも行動であり、行動もことばの一種である。エマーソン
われわれがいくつかの危険に気づいているというので、動かずにじっとしていることを自己に課するならとんでもないことである。トリアッテ
人間の行動は思考の最上の通訳者だ、と私はつねに考えた。ロック
してしまえば片付くのだったら、早くやってしまったほうがいい。シェークスピア
一日善いことをしなかったら、生きている価値はない。ロバーツ
行いは必ず人に先んじ、言は必ず人に後る。大載記
君の心の庭に忍耐を植えよ。その根は苦くともその実は甘い。オースティン
この秋は雨か風かは知らねどもきょうのつとめの田草取るなり。二宮尊徳
幸運と愛とは勇者とともにあり。オヴィディウス
勇気こそ、君よ、これこそ男をも女をもいと美しく見せしむれ。テニスン
大人は虎変す。中国のことわざ
現在われわれは悪い時期を通過している。事態はよくなるまでに、おそらく現在より悪くなるだろう。しかしわれわれが忍耐し、我慢しさえすればやがてよくなることを、わたしはまったく疑わない。チャーチル
公正をもって生活すれば、ゆくとして安全ならざるところなし。エピクテトス
希望が逃げていっても、勇気を逃してはいけない!希望はしばしばわれらをあざむくが、勇気は力の息吹である。ブーテルヴェク
いやしくも悔恨しないことを欲するならば、人は何事もしないほうがよい。しかしながらまた、何事もしないところの人生も、ひとしくまた悔恨なのである。萩原朔太郎
己に克つの苦功を用ひずして、怒りを遷さず、過を再びせざるは、柔惰振わざるの士にあらずんば、かならず奸を掩ひ非を飾る者なり。大塩平八郎
人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか。織田信長。
昨日憎しと思ふこと心に染み、昨年の嬉しと思ふこと心につきて、はなれねば、それより根ざして、まよふとか、聞けり。松平定信
気随に成り行き候はゞ、一日一月と延び、一月は一年と遅々に及び、一生空しく打ち過ぐべし。土井利勝
道に堀があるからといって、渡るのを嫌って、そこに止まってしまったのでは、その人はいつまでたっても、進歩することは難しい。大きな溝の中に落ちたからといって、いたずらに悶えるばかりであったならば、その人は一生溝の中で終わらねばならない。藤原銀次郎
困難とは作業衣を着た好機会にすぎない。H・カイザー
諸君が困難に会い、どうしてよいか全くわからないときは、いつでも机に向かって何か書きつけるがよい。小泉八雲
今日はよく働いたと夕方になって考えることほど、私にとって大きな楽しみはなかった。大倉喜八郎
身には疾あり、胸には愁いあり、悪因縁は逐えども去らず、未来に楽しき到達点の認められるゝなく、目前に痛き刺激物あり、慾あれど銭なく、望みあれど縁遠し、よし突貫して此逆境を出んと決心したり。幸田露伴
境遇とか!われ境遇を作らん。ナポレオン
金を失うことは、小さく失うことである。名誉を失うことは大きく失うことである。しかし勇気を失うことはすべてを失うことである。チャーチル
男子、死中に活を求むべし。坐して窮すべけんや。范曄
理想はわれわれ自身のなかにある。同時に、理想の達成をはばむもろもろの障害もまた、われわれ自身のなかにある。カーライル
人もし忍辱の鎧を着て戦うときは、一人の力をもって八万四千の魔軍を挫くべし。釈迦
人は幸運の時には偉大に見えるかも知れないが、真に向上するのは不運の時である。シラー
禍福は天上より出ずるにあらず、地中より出ずるにあらず、おのれ自ら之を生ずるなり。説苑
キホ積まずば、以て千里に至るなし。荀子