はてなキーワード: ウィキとは
「シェア」とか「繋がり」とかが、時代のトレンド、テーマのように考えてたけど、なんか違和感が芽生えてきた。
何をもってシェアや繋がりが大事なのか。今まで、若い世代は近所付き合いなどの繋がりが薄く、それを円滑にするためにシェアが大事だ!って言ってると思ってたけど、今の世代はメディアが言うほど繋がりに植えていないし、自己中心的な人や空気を読めない人は排除されるコミュニティに成り立ってて、繋がりに飢えているはずがない。(あるのは、自分が誰かを演じてる違和感の方だ。)
人付き合いが薄くなってるっていうのは、単純にコミュニティの形成、形式が変わってきただけなんじゃないか。
その中でも、若い世代はコミュニティをきちんと生きてるように俺には感じる。「人間観察が趣味です。」とか意味不明なこと言いながら、必死に空気を読みながら生きているじゃないか。
それでもなお、やれ「シェア」やれ「繋がり」などと、背中を押されているように見えてきたのだ。
では、何故シェアや繋がりをテーマにもってきたのか、それは時代や世代がそうさせたんじゃなく、社会や企業がそうさせたに過ぎなかったと思ってきた。
仮定する筋書きは以下。
→若い世代の消費行動とか、もう全然わかんない、全然予想できない。困った。てわけで、シェアさせよう。ネットに赤裸裸に書いてもらおう。
→メディアでまず、「若い世代は人間付き合いが下手。」「昔みたいな人情も無い。」レッテルをはろう。
→レッテルを貼ったら、あとは若い世代向けトレンド(ケータイなど)から「シェアせよ!繋がりが大事!」と号令をかける。
→流れに敏感な若い世代は、自分を”ウィキリーク”させていき、消費行動や世代性を惜しみなく公開。
→ああね、なるほどね。新しい消費行動もだいたいわかったから、もう号令かけなくていいよ。 ←今ココ
シェアって、そもそも何を指してたのか。
みんな情報は金になるのを知ってるくせに。海外にどんどん負けながらも、国内での生き残りも大変な企業。畳み掛けるように現れた、「スーパーコンペティション」の現象で、有益な情報はもっとシェアされなくなっていく。
政府や東電が情報を公開しない事を全面的に否定できないのは、自分たちだって重要な事はシェアしないからじゃないのか。
日本国民がもってる問題は、ほんっとうに根が深い気がした。
インターネット上でのシェアなんて、まだ「エンターテインのシェア」と「自分ウィキリーク」どまりなんだと思う。
ウィキペディアのプログラマ、ブランドン・ハリスからのお願いをお読みください
ブランドン・ハリス (Brandon Harris, 1973-) はウィキメディア財団のシニアデザイナー。2010年からウィキペディアのユーザーインターフェイスの改良に携わる。ウィキメディア財団に入る以前には、 コンピュータエンタテイメント産業の Electronic Arts 社 に所属。独立プログラマとしては、ブラウザベースの MMOである Nexus War を単独で開発・運営した[1]。
ウィキメディア財団での主な仕事は、新規編集者獲得を目的とした一連のMediaWikiプラグイン開発、モバイル機器に焦点を当てた新しいウィキペディア用スキンの設計など[2]。
個人で開発運営した Nexus War は設備維持の費用がかさんだため2009年に閉鎖を余儀なくされたが、現在、有志によって後継ゲーム Nexus Clash [3]が運営されている。
幼少期からヘビーメタルを愛好しており、少なくとも10歳の時点でクワイエット・ライオットのMetal Healthがお気に入りだったという[4]。現在でもスレイヤー、ブラック・サバス、メタリカなどを好んで聴く[5]。
ウィキペディアなどのウィキメディアウィキ[2]やTwitter[6]、IRCでのハンドルネームは Jorm 。 北欧神話に登場する蛇、ヨルムンガンドにちなんで名づけたもの[7]。
http://anond.hatelabo.jp/20110216173249
ロミオメールまとめウィキ読んで大笑いしました。教えてくれた増田ありがとう。
先週、有給でのんびりしている最中にボケヤマボケオさんから電話があって、うっかり出てしまいました。
「お願いだ切らないで聞いてくれ!」と言うので、聞いてみました。
東京に見切りをつけて実家に帰り、家業を手伝っていたそうです。
未経験の農作業と夏の暑さとに耐えかねて、7月末に東京へ舞い戻りました。
東京勤務の妹:実家までのきっぷをくれたが気がついたら期限切れで失効
東京在住の友達:しばらく泊めてもらうも、相手のものを勝手にヤフオク出品して追い出される
元同僚:職の紹介を依頼「ねーよwwww」
これらの話が広まって、誰からも相手にしてもらえなくなり、増田に再び連絡してきたそうな。
増田:「そっかー大変だねー私は何もできないけどがんばってねー(棒)」
あんなに面倒をみてやったのに、失職すると同時に手のひらを返す元同僚も、
あんなにラブラブだったのに、さっさと次に行く尻軽な元彼女も、
最初だけ優しいことを言うくせに、あとから「出て行け!」と言う元友達も、
最後は泣き落としで、少しでも用立ててとか泊めてとか言ってたけど、無理!で押し切った。
「平日の昼間に長電話する余裕があるんだから大丈夫!がんばって!」と激励して切りましたが、
今後の彼がどうなるのか、生暖かく見守りたいところです。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブについて、各所で話題になっていたマサチューセッツ工科大サイトの感想も翻訳してみた。初音ミク現象を基に、情報を巡る様々な活動の基盤となるメディア・プラットフォームのあり方について考えたもので、書き手はミクが市民主導のメディア作りをするうえで参考になると考えているようだ。残念ながら一ヶ所、fro-ducerなる意味の分からない用語があったのでそこは翻訳していない。意味を知っている人がいたらご教授願いたい。
urlは以下の通り。
http://civic.mit.edu/blog/condry/miku-japans-virtual-idol-and-media-platform
7月2日土曜日、私は普通じゃないライブショー、日本から来たヴァーチャル・アイドルの米国デビューを見に行った。彼女は市民メディアについて私たちに何かを伝えられる存在だと思う。
初音ミクはアニメ・エキスポにおける催しの一つとして、ロサンゼルスのノキア・シアターで公演した。完売したコンサートには、多くがコスチュームに身を包んだ4000人を超えるファンが訪れ、ステージ上で生の演奏家の横に投影された「人間サイズ」の映像であるミクが床からせり出してくると、彼らは叫びケミカルライトを振った。
ミクは甘く歌い、幅20フィートある放物線状の鏡に沿って跳びはね、大半は熱狂的なテクノダンス・ポップな曲目を駆け抜ける間、決して汗をかかなかった。ステージの脇には彼女と他のバンドメンバーをクローズアップした映像がスクリーンに映し出されていた。彼女はちょっとしたおしゃべりもした。「はじめまして、初音ミクです」。そしてバンド(ギター、ベース、キーボード、ドラム)と6人の弦楽器奏者たちを紹介した。私たちは彼女に拍手を送り続けた。
「あたしたちは歴史を作っているのよ」と、私の隣に座った若い女性が友達に話しかけていた。たしかにそんな気がした。そして政治とポピュラー音楽について私が知っていると考えていることについて、改めて考え直した。
誰もが喝采しているが、何に対して? ステージ上、私たちの注目が集まる場所には誰もいない。単に仮想アバターが存在するだけだ。何のアバター? 一体誰の? それは私たちの。
大衆文化は政治と同様、しばしばステージ上の(あるいはスクリーンに映された)リーダーを前提としているように見えるが、その影響力や、しばしば創造性そのものが、どう転んでもより幅広い分散型の集団行動から生まれてくることを、ミクは示している。ミクは未開拓の可能性を孕む世界、クラウドソースな動員モデル、そして一部はソフト技術(ボーカロイド)、一部は文化的なアイデア(ミクというキャラ)からなるメディア・プラットフォームに関する有益な事例について、言外にほのめかしているのだ。
ミクはYAMAHAが開発し2004年から販売を始めたボーカロイドと呼ばれる音楽合成ソフトウエア・パッケージの声として作られた。ボーカロイドはガレージバンド[音楽制作ソフト]同様、演奏用の道具として音楽を作ることができるが、その際にメロディーと同じく歌詞を書けるという特徴も持っている。別の企業、クリプトン・フューチャー・エンターテインメント[ママ]が2007年、漫画風の画像と経歴設定(16歳、身長、体重、その他)と一緒に、追加音声であるミクを発売した。
http://www.crypton.co.jp/mp/pages/prod/vocaloid/cv01_us.jsp
重要なことに、クリプトンは画像に対する著作権を強く主張しない方針を定め、キャラクターが彼女自身の生命、より正確に言えば私たち自身の生命を持てるよう制限を解いた。いわば私たち誰もがレディー・ガガのために音楽を作り、それを彼女が私たちのために演じてくれるようなものだ。ミクがリアルじゃないってことが問題だって? それじゃレディー・ガガはどのくらい「リアル」なんだい?
ファンはそれにこたえ、さまざまな共通の服装及び像(たとえばネギ)を共有しながら数百数千の音楽ビデオをオンライン投稿した。以来、日本の動画シェアサイト、ニコニコ動画への投稿及びコメントを通じて増幅されたファンの取り組みのおかげで、ミクはスターの座へ駆け上がった。いわゆる「Nicodo」[ニコ動]はユーチューブと似ているが、動画を見ていると利用者のコメントがスクロールしていくところが違っており、それによって参加者の視点というレイヤーが追加されている。
今日ではミクのP(『プロデューサー』)は彼らの作品をオンラインで販売し、日本のカラオケスポットでは好きなミクの歌をダウンロードして歌うことができる。クリプトンは、彼ら曰くクリエイティブ・コモンズの模倣であるPiaproというオンライン・サイトを持ち、連携促進とライセンス供与をするシステムを作っている。ファンの作品は他の販売経路を通じても売られている。2010年11月、東京・池袋で開かれ私を含めた7000人の参加者を集めた完売のファン・コンベンションでは、集められた500のファングループがボーカロイド関連の音楽、ポスター、DVD、イラスト本、テレビゲーム、装飾品その他を販売した。
こうしたファンの興奮ぶりを踏まえると、ビッグ・ビジネスが仲間に加わろうとするのも不思議はない。2009年以来、SEGAはProject Divaというタイトル名でミクの携帯機及びアーケード向けゲームを作成している。トヨタも今や広告シリーズでミクを使っており、彼らはミクのロサンゼルス・デビューの前にCMを公開したほどだ(いくらかの非難も浴びたが、おそらくは善意に基づいて作られていた)。とはいえ究極のところミクはファンの取り組みによって命を吹き込まれており、ミクが商業主義の世界に足を踏み入れるのを見るのが興味深いのもそれこそが理由だろう。
ミクは、以前から知られていた市民メディアのための教訓のいくつかを補強する存在だ。人々が参加するには本当の開放性が感じられることが必要であり、共有と対話がコミュニティー形成のカギになる。管理された知的財産権システムよりも自由な文化の方がより何かを生み出す力があり、新規参入と商業主義化は、特に人気が高まった場合は常にリスクとなる。
だがミクは分散型の創造性について、ウィキペディアとも人間のセレブとも異なる特殊な図式を提示している。ミクにはバックグラウンドが欠けている。彼女には予め定められた人格はない。彼女は唯一の完成した空想世界に存在しているのではない。このウィキ=セレブは、将来がプラットフォームに在る時代において、昔ながらの人間のセレブを白物家電のように見せてしまう。
この事実は民主主義と参加についての考え方にも別の道筋を提供するのだろうか? 行動と人気を生み出すのがリーダーたち以外の社会的現実だとしたら、メディアに関する問いは表現される内容よりも、プラットフォームのあり方、それがどれほど開放的であり、それが許す創造性の形式がどんなものであるかに振り向けられるだろう。
クリプトン社長の伊藤博之は2011年10月、ミクと計画されている英語版を含む関連プロジェクトについて議論するため[MITの]比較メディア論を訪れる。彼はこの現象を、エンターテインメント産業について再考する機会だとみている。「これは普通ではない形の創造性です」と、コンサート前にLAで短時間出会った際に彼は言った。「私たちはコンテンツを作成する過程を作り変えているのです」。ミクが機能するのは分散型のファン=製作者グループの関与があるからだ。おそらくこれはプロ=シューマー[生産消費者]の終焉であり、fro-ducer[残念ながら意味不明]の台頭なのだ。
大衆文化は、市民メディアを分析・設計する際に利用できる社会的力学を照らし出すものだ、と私は信じている。大衆文化は政治的参加のための媒体になり得るのみならず、特に人々に行動を促すという観点からどのようにアイデアが流れ影響をもたらすかについて把握するモデルも提供してくれる。
アニメに関する研究において、私は仮想のキャラクターがそれ独自で生成力のある創造性のプラットフォームになっているとの結論に達した。そこからより多くの種類のプラットフォームが出てきそうであり、創造され、築かれ、共有され、分配され、リミックスされ拡張されるのを待っていることを、ミクは明白に示した。ミクについて考えることで、私たちが未来において行動するコミュニティーを創造するための新たなアプローチについて思い描けるようになること、それが私の望みだ。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
http://anond.hatelabo.jp/20110709211718
初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
http://anond.hatelabo.jp/20110712205546
初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
http://anond.hatelabo.jp/20110714210122
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
http://anond.hatelabo.jp/20110717201147
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
相互フォロー推進委員会で一躍時の人となり既に忘れられた竹下淳氏(@jdotsystemから@wgt0715に改名)が、ウィキに殺害予告を書き込んだ疑惑をご存知か?
http://www43.atwiki.jp/yourlife/pages/40.html
竹下氏の会社である株式会社ジェイシステムのドメインjdotsystem.comのメールを受信できる人物の仕業とのこと。竹下氏は自身のブログにて「いざとなればどんなサーバにだって形跡を残さずに入り込むことだって出来ます。」と語っているほどのスキルの持ち主であり、同社のメールサーバが第三者の侵入を受けるはずはない。
http://ameblo.jp/jdotsystem/entry-10737272113.html
また、一連の騒動で竹下氏に恨みを抱かれた人物の身辺で奇妙な事件が頻発しているとの情報もある(ドアノブに接着剤が流し込まれる・注文した覚えのない通販商品が届く etc.)。竹下氏は本件について沈黙を守っているが、真相の解明が待たれる。
そっち系のウィキは接辞がついて「○○wiki」のように使われる。それでいながらにしてwikiという略称はウィキペディアであり続けているんだよ。
それと僕は君が提示した「java」を理解できると書いたが、その業界の話をしているわけじゃない。あくまで一般の目線で論じている。
君は僕の話を読みもしない。「必要に迫られれば使い分けるようになる」と書いたはずだ。
Wikiナンチャラがこれからどれだけ出るかなんて知ったこっちゃないが、ウィキペが市民権を得るのはそのあとだろうね、とも書いた。
そうだね、だから私も
そうすると、「wiki」というベースシステムの呼び名が浸透するはずで、「wiki」がいろんなものを指すようになる。
段々と変わってくるさ。
と書いているけれど?
さて、「スタンド」と言う言葉、これ文脈によって全然意味が変わるよね。
車に乗ってれば、聞いた人はガソリンスタンドだと思うし、家の中で言えば電気スタンドを想像するだろう。
「Java」と「Javascript」はどちらも言語なんだから、これも文脈で判定可能。
Webシステムで使うのか、組み込みやモバイルアプリで使うのか、とかね。
で、「wiki」だ。
もちろん、サービス構築の話をしているならそれはシステム一択だろう。
だから、
Javascriptでもわかるけど、それはあなたの働く業界が「Java」と「Javascript」が共存していて、使い分けないと通じないから使い分けてるわけで、
大衆はそもそも原義にこだわってまで使い分ける必要がない。必要に迫られれば、使い分けるようになる。
それだけの話。携帯電話をケータイと呼んでいたのと同じ。ケータイで携帯電話だと理解できて、ウィキでウィキペディアだと理解できる。
話題がそれるが、もっと関係性の強い話題で言えば、化学をばけがくと呼ぶかどうかというのに近い。少なくとも高校生はかがくで問題ないが、大学を経てきた教師はばけがく、と使い分けるようになる人もいる。
ウィキペディア運営のNPO・ウィキメディア財団のエンジニアの人の講演。
公式サイト的なものはこれ。
WCJ2010 Tech Talk - MediaWiki Developers
内容は主にエンジニア向け。
特にウィキエンジンとしての MediaWiki がテーマということになっていた。
全体を通してライブ中継されていて、Twitterでの反応が割とたくさん残っている&録画も公開されている。
ウィキペディアがどういう形式で配布されているか、どう加工すればいいか、というあたり。
プログラムを書いたことがある人にとっては、すごく分かりやすい講演だったと思う。
そうでない人にとっても、結果としてどういう情報がとりだせるか、というあたりは面白かったみたい。
ただ、本人もおっしゃっていたけれど、正直言って講演会全体のテーマの MediaWiki とはあまりからんでいない。
反応としては、分散処理に興味が持っているらしい人からがやはり多い。
ほかには、結果を見るとやはりウィキペディアのコンテンツの信頼性が気になってくる、という人が見受けられた。
二番目は Wikipeia でいろんな種類のデータマイニングをやってる、という話+ MediaWiki ライブラリ& Wikipedia データの話。
前半の研究紹介は別口で聴いたことがあったので個人的には食傷気味だったけど、そうでない人には新鮮だったかもしれない。
後半は MediaWiki ライブラリと Wikipedia SQL スキーマのおおまかな解説。
このあたりは日本語でも英語でもウェブに情報があまりなく、かなりレアな話だったのではないかと思う。
(http://mediawiki.org のサイトのドキュメント群の中にはあるけれど、なかなか到達しづらい)
テーマはオープンソースソフトウェアコミュニティとしての MediaWiki。
一番強調されていたのは、世界5位のアクセス数を持つウェブサイトとソフトウェアであり、コンテンツもサーバーも関わっている人材もすごい(だからコミュニティにどんどん参加してね)、ということ。
大きなオープンソースプロジェクトへの参加歴は、広く公開できる職歴として色々役に立つ、というのも、
経験談をともなって聞かされると、やはり重みがある。
人によっては、キャリアの一部として、
ほとんどフルタイムでオープンソースプロジェクトへの参加する、
ということもありえるんだろうな、と思った。
MediaWikiプロジェクト内では、良くも悪くもコードレビューが重い位置を占めているという話。
MediaWikiの開発ではセキュリティとスケーラビリティが重要、そのためにコードレビューに重きをおいている。
ただコードレビューに頼りすぎて、レビュアーの負荷が大きすぎるという弊害も出てきている。
このへんで会場からソフトウェアテストへの質問が出て、
テストでできる部分は少しずつテストを入れているが、まだまだテストを入れるべき箇所が残っているとのことだった。
文句をつけるとすれば、
研究者と開発陣代表者を招いていて、それぞれの講演で互いにからむ内容が少なかったのが少し気になった。
会場からは両方にからむような、どちらに対しても直接の関連性のない質問が出やすくなり、
結果としてちょっとずれた質疑が行われる傾向にあった、という印象がある。
互いに独立した講演とするのであればそれぞれに個別の質疑時間を長めにとったほうが良かったと思うし、
関連した講演とするのであれば、もっと内容のすり合わせが行われると良かったと思う。
この前老人ホームに入っている祖父のところへ行ってきた。
そのとき一緒にいった親戚に、「健康寿命」という言葉を教わった。
健康寿命とは日常的に介護を必要としないで、自立した生活ができる生存期間のこと。(ウィキより)
で、ほんとの寿命と健康寿命の間にはだいたい7、8年のズレがあるんだそうだ。
つまりその間は誰かに介護してもらわないと生活が難しいということ。
そんときぼんやりと、、あれーなんか7、8年っていうと子供が小学校2年くらいになる年月だなー、
人間は人生の始まりと終わりの7、8年は誰かに面倒をかけるもんなのかなあ、と思った。
家かえって、もう少し考えると
生まれてから小学校低学年くらいまでは泣いたりうんこもらしたりして
年金を65から貰って、80歳くらいからぼけて足腰立たなくなって
90前くらいに死ぬとして、なんか人生の半分くらいは
他者に世話になってしまうんじゃないかと。人間。
だからねなんか、小金ためたり、スキルアップしたり、世話をかけない努力も大事だけど
安心して頼り頼られ、また頼って死ねる社会がいいのになーって思った。
どうしたらいいんだろうね
http://anond.hatelabo.jp/20100708205752の書き手より
>ちなみに、上手くいっている社会では生活するのに努力なんて必要ない。
>評価されるために努力をするんじゃない。生きるために努力をするんだ。自分の生活を満足させるためにね。
そんなに生きるための努力が好きか?俺はプライドや報酬のために努力するのは悪く無いと思うが、生きるために努力しなければいけないのは嫌だ。そんなのちょっと疲れたらすぐdeathるじゃないか。
>労働を美化するわけじゃないが、働いたら働いただけ対価が見える形で得られるというのはやはり精神に良い。
同意はするが、大抵は実現不能だ。ついでに労働の美化は危険しばしば危険だだ。大抵の場合は労働は飽く迄生活の伝であるべきだと思う。
因みに労働とは:
”また、商品としての労働力は、肉体や頭脳を提供する代わりに、賃金を得る行動であるとも定義される。賃金を得ない活動はボランティアと呼ばれる。” (ウィキより。) 結局は自分を切売りすることだ。
精神的な満足感は家族と時間を過ごしたり、ボランティア活動から得るべきだ。また、組織の改革にあったって最も必要なことは何時でも何処でも時間を作ることだと聞いた覚えがある。組織の稼働率が80%以下でない限り、如何なる改革も不可能だそうだ(そして大抵の企業は300%から400%で稼働しているらしい)。つまり工場労働者などの一部を除き、先進的な企業の社員は少し暇なぐらいで丁度いいという(Googleの30% projectはこの考えから来てるんだろう。)。
本当にケースバイケースだと思うが、自営業やsocial business 的なもの以外の仕事で給料に見合わない働きを他のものを犠牲にしながらするのは危険な習慣だ。労働に満足感を求めるのは、そんな危険な習慣の始まりだと思う。
「ノート」という用語が「トーク」に変えられたことについて、プチ炎上状態。
まず炎上の状態について。
一連のながれはここにあるとおり、
開始4、5日で100kb 近くという長大な議論になっている。
議題そのものに重ねて対立案の支持者を批判する言辞がちょくちょく出ていて、
全体的にピリピリしている感じ。
「『トーク』なんて軽薄な訳語を選んだ人は日本語が不自由」だとか、
「ソフトウェアの国際化を理解していない人は関わるな」だとか、
立場の違い、認識の違いが見えない壁となってしまっていて、
互いに相手の考えが理解できない状態。
bugzilla.wikimedia.org に依頼が出されたことで、 ひとまず収束。
bugzilla の依頼には、いまのところ返事がない (*)。
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この「ノート」などの名前空間まわりの仕組みはかなりややこしいことになっていて、
ざっとあげてみただけでも、以下の四者がそれぞれちがうレベルで携わっている。
最新の情報などは、英語のメーリングリストを検索しないと分からなかったりする。
今回の件で特に珍しいところは、
「ノート/トーク」の部分がウィキ上だけではなんともならなくて、
(ちなみにサーバー管理者は10人くらいしかいなくて、日本語話者はゼロ)
設定に反映させられるのは気持ち悪いだろうし、
MediaWiki的には、いずれは、