はてなキーワード: インセストとは
「人間は火を使う動物である」、「人間は言語を使用する動物である」、「人間は道具をつくる動物である」・・・・など、文化をもった動物である人間を他の動物から区別するキャッチ・フレーズがあります。
もっとも、霊長類学研究の進歩にともない、霊長類と人間の行動が文化のあるなしで判然と区別されるものではなく、現在では霊長類にも文化の萌芽状態が存在することが承認されています。
動物と比較して、人間の食の文化を特徴づけることはなにかと考えてたどり着いたのが、「人間は料理をする動物である」、「人間は共食をする動物である」という二つのテーゼです。共食とは「共に食べる」ということであって、「共食い」と読まれたら困るのですが。
(中略)
さて、「人間は共食する動物である」というテーゼについて考えてみましょう。それは、食料の分配に関わることです。
親鳥が餌をくわえてきてヒナ鳥に食べさせることをします。しかし、ヒナ鳥も成長して巣立ったら、自分で餌を探し、見つけた餌は自分で食べてしまいます。動物は原則として、成長したら、個体が食物を獲得し、それを個体単位に消費してしまいます。
チンパンジーの食物分配について、霊長類学者たちの報告があります。オスのチンパンジーが、狩りをして幼獣をつかまえたとき、おねだりをしたメスなどに、その肉を分配することが観察されているのです。しかし、いつも分配して食べるのが原則というわけではないし、固定した分配相手という関係が確立しているわけではありません。
それにたいして、世界中どの社会でも、人間の食事は共食が原則となっています。もちろん、旅先の食事や、単身生活をしていて一人で食べることはいくらでもあります。しかし、食事は一人だけで食べるものではなく、他の人と一緒に食べるものだというのが、世界の民族に共通しているのです。その、普遍的な共食集団は家族です。
(中略)
1961年に今西錦司さんが『民族学研究』に発表した[人間家族の起源」という論文があります。そこでは、インセストを回避する社会単位であると同時に、食物分配の単位として家族が成立したと論じています。つまり、性と食が人間の家族をつくりあげたのです。
人類の祖先が狩猟をするようになったことに、食物分配と、それにともなう共食がはじまったのだと思われます。狩猟が男性の仕事とされることは世界の民族に共通します。初期の人類が狩人になったとき、男性がとった獲物を独り占めにせず、肉を持続的な性関係を結んだ特定の女性と、そのあいだに生まれた子供に分配するようになった、それが家族の起源と考えられるのです。
共食のさい、限りある食べ物を共食するとき、強い者が独り占めにしないように、食物を分配するルールができます。この食物分配のルールがもとになって、食事における「ふるまいかた」の規範が成立します。それが発展して食事作法となります。食物分配が食事作法の起源であると、わたしは考えています。
このような家族と食に関する研究としては、民博の共同研究で井上忠司さんと編集した報告書、『現代日本における家族と食卓−−銘々膳からチャブ台へ』があります(国立民族学博物館研究報告別冊16 1991年)。
という、ロマンチックラブ・イデオロギーに支配されているから。
すべては「親子関係」から敷衍されるなりー。要するに構造主義。
で、ほとんど全ての民族において、インセスト(正確に言うと「血と財産の交換を妨げるもの」)を忌避する社会規範がある。交叉イトコ婚とかまあそのへんは文人の書籍読んでください。で、その最も普及したバージョンが一夫一妻制で。で、本来的な意味で言えば、家族形成と恋愛関係とセックスは切り離して考えることも可能。でもやっぱり西欧由来のロマンチックラブイデオロギーではそれは一つ(じゃあなんでロマンチックラブが支配的なの? ってゆーとそれはまた明治政府の国民国家形成に向けた情宣戦略が云々となってめんどくさいのでパス)。
なので「二股は悪」ですねー。
あと「村社会では乱婚云々」と言ってるひとは、婚姻・親子関係とセックスを混同してるのでダメー。「原始乱婚制」は存在しない、というのが定説。
ていうかあれだな。そもそも「二股」を定義しろ、という話だな。
女「ねぇ、どっからが浮気?」
男「中で出してないからやってないよ!」(c)リリー
みたいな!
http://d.hatena.ne.jp/dangerous1192/20071210/p1
酔拳の王 だんげの方さんで、
選んだ人は、「男」です。
集計用リストは下のほうへ。
・月野定規,♭38℃ Loveberry Twins,普通にエロス,コアマガジン
挙げてる人が既に多そうだけど、鉄板だからなー。
この人の作品はアンソロで見ることが多くて、割とそれらは好きなんだけど、
なかなか単行本になってないんだよなー。唯一の単行本てことで選んでみた。
・ものぐさうるふ,月虹 Forbidden Lovers,兄妹相姦,フランス書院
2002年発行と少し古い作品。
顔と同じくらいのデカさの巨乳は苦手ってのなら、パスしとけw。
表紙買いして良かった作品。
タイトルは、姉と妹とあるが、友達の母まであり、
守備範囲が広めになっている。
2003年発行とやや少し古い作品。
女性作家らしい少女漫画っぽい作品がオムニバスに集められてる。
タイトルのとおり、妹あり、姉ありといった近親多目。
1998年発行と、選んだ10作品の中で一番古いもの。
が、今見てもひどく古い感じはしないと思った。
学園モノの基本としてか、後輩・先輩・同級生のお嬢様・先生・幼馴染と
カバーしている範囲は広い。
以下、余談。
他にも、赤銅茉莉の「Melty Pink」とか、
なんかも候補に挙がったんだけどさ、
泣く泣く10個に絞ったんだ。
つっこまれる前に開き直っておくぜ。どうせ俺は、ロリで妹好きさっ!
集計用一覧
月野定規,♭38℃ Loveberry Twins,普通にエロス,コアマガジン
まず書いておくが別に私はパーソナルスペースについて無知なわけでも否定したいわけでもない。
むやみに男性になつく女はアホかと思うし、それで襲われたとしても(力にものいわせた男性が悪いのは当然としても)「あなたにも原因はあるよね」くらいは思うだろう。
だからと言ってヘテロセクシャルの場合の異性間友情、あるいはホモセクシャルな場合の同性間友情を否定したいわけでもない。
なぜなら、なぜ「親密フラグ」が立つとされるパーソナルスペース内に存在していても「家族」とはセックスしないで、「男女」なら友情が成立せずセックスすることにつながるのかという記述がないからだ。
恋愛文化のドグマについて語るのであれば、そもそもそれ以前のタブーについても考えるべきではないだろうか。
私は別に人類学や社会学を専門に習ったわけでもないので、ここから先の記述がおかしい場合は申し訳ないがどなたか訂正していただけると助かります。
さて。
人間同士のセックスについての基本的なタブーといえば、やはりインセスト(近親相姦)タブーを第一にあげるべきだと思う。。
http://anond.hatelabo.jp/20070118224317では「家族はセックスしない」というのを当たり前の前提としていえるが、セックスだけを考えたら血のつながりなどたいした問題じゃない。
私にも彼氏がいるし、弟には嫁と息子がいる。お互い仲がよく、いままでセックスをしようなどという話題は一度ものぼったことなどない。
でも私と弟はある特定の状況下に入ればおそらく9割以上の確率でセックスするだろう。
それは例えばこうだ。
私や弟の家族、友達がそろってどこかに閉じ込められている。
そして私と弟だけが別室に呼ばれて、見知らぬ人間がむごたらしく殺されるのを見る。
この状況で「あなたたちがここでセックスすれば家族は助けてあげますよ?」と言われたら?
このような類の限界状況を考えれば、行為としてのセックスに、不可能はあまりない。
目の前で二人、三人、と殺されていけば自らを狂信的異性愛原理主義者だと言っている人でも、同性とでも家族とでもセックスする方を選ぶことが多いだろう。
肉体的にセクシャルな関係、など所詮その程度のものなのだ。
そもそもインセスト(近親相姦)タブーや制度としてのエクソガミー(外婚)が存在するのは、我々人間が血のつながりなど関係なく、手近な人間とセックスできてしまうからだ。
原始社会においては乱婚が当然だったし、社会によっては未だにエクソガミーを禁止していないところもあり、そこでは近親婚が当たり前のように行われている。
それでも現代日本に住む私達は家族とは普通セックスなどしない。
ヘテロセクシャルな例で言うならば、娘にべったりされた父親は「親密フラグ立ちまくりでたまったものじゃない」はずなのに、裸で一緒に風呂に入ってもセックスしないのだ。
なぜなら私達は、そのようなタブーや制度を『お互いが暗黙のうちに受け入れているものと信頼して』家族という集団を形成しているからだ。
ちなみに私は一度だけ、男性の友人の布団が敷かれたままのワンルームマンションに、終電がなくなるのを承知の上で、ひざ上のスカートで入っていったことがある。
なぜなら「翌日提出の卒論がPC以外で受け付けないっていうんや!」と泣きつかれたからだ。
終電がなくなるまでにパソコンを運び込むことに気をとられていて、洋服のことなんてまるで考えが及ばなかった。
お互い顔をつきあわせて「こんな文字、手書きじゃ教授だって読めないよ!」と叫んだり、私のすぐ横でパソコンの画面を覗き込んでは「打ち間違えとるで」「うっさい!!」とか大騒ぎを繰り返し、半分に折り重ねた布団を横にしたまま、作業は3時間ほどで終わった。
つまり、親密フラグを3時間くらいかけてたてまくったあげく、朝までセックスをするだけの余裕は十分にあった。
それでも私達は「じゃあちょっとついでに乗っとくか」みたいなセックスはしなかったし、今でも普通の友人だ。
そして、その状況と同じことになっても、世の中のほとんどの男女はセックスしないと私は信じたい。
でも、「親密フラグ」のコントロールができる人間にのみ、性的欲望の対象となりうる関係性での友情を得ることができると考えるのは、信頼を前提とした社会に生息する人間としては、原始的な欲望を優先させるものの見方にわりと近いような気がしてならない。
肉体の距離を第一の判断基準として、精神を劣後させるような記述は、相手が一人の人間である以前に物体だという考え方をとる人間が増えていることのような気がして、あまりにも哀しい。